配線をします。次が床下機器、先輩の言葉「動力更新は本体より高くつく」。モハネ582⑨
「きたぐに」の車輛を調べてみました。基本付属編成共に宮原の所属で、オハネフ12は「山陰」で縁がありますが、座席車は60-3改正前にナハ102012に和田山から福知山まで乗車した記録がありました。今月も終わり、「さる」は一日多い日です。配置表
本日発売分です。昨日、近くに行きました。今年は閏年、今月はあと一日あります。ブルートレイン3車両をつくる177
乗車券は大阪から小田原まで、大阪市内→山科→近江塩津→米原→小田原で乗車券を求めてました。長浜鉄道スクエアでED70を見に行く予定でしたが、、、、、。阪神梅田駅は線路が1本撤去されてホームが拡幅されてました。大阪駅から湖西線に向かいますが、山科で少し時間があります。山科駅の湖西線の分岐点です。近江塩津に近づくにつれて気が変わってきました。全国ダイヤから外れる前に北陸トンネルを通ることにします。南今庄まで乗り越しします。敦賀で切符を求めます。敦賀を出て長いトンネルを通ります。南今庄で1時間近く時間があります。昭和47年の北陸トンネル列車火災事故で犠牲になった乗客と「トンネルに散った韋駄天機関士」に手を合わせます。あの日の「きたぐに」は南今庄口を無事にでられませんでした。火災事故の原因は電気暖房の端子盤の不備...予定は未定でした。
三ノ宮の朝です。日本橋に向かいます。いつものルートが三ノ宮から甲子園口、甲子園口から阪神甲子園まで徒歩。そして難波から日本橋に向かい模型店巡り。昼食はきつねうどんとかやくご飯。油揚げはきざみです。昨年5月の撮影です。阪神ファンは地元甲子園よりも阪神尼崎の方が強いと思いました。テレビで阪神ファンのお店が紹介されてたので行ってみます。開店前に覗いてきました。看板からしてすごいですが今日は試合なし。店の様子、天国です。主人、主人も虎でした。河岸を変えて以前から気になってたお店で土手焼き。今日も呑みました。虎に酔う
祇園の朝です。昨夜、かなり呑んだので朝食は軽く、しかしホテルでダラダラしてたので日は昇り八坂神社の山門がきれいでした。運動がてら墓参りに行きます。そして河原町から梅田へ。「祇園四条」「京都河原町」「大阪梅田」「神戸三宮」が駅の名前ですが「昔の名前で出ています」。梅田の「松葉」で昼食&昼のみ。阪神優勝の余韻が残り「六甲颪」の大合唱、当然流れに混ざり盛り上がりました。空き腹で酔いも回り、酔いを醒ますがごとく各駅停車で三ノ宮に向かいます。神戸でも呑んでいつものホテルで就寝。大阪で酔う
年初に京都の墓参りの予定でしたが「諸般の事情」により、今回実行することにしました。今回は3月から北陸本線敦賀より新潟方面が全国ダイヤから外れるので、近江塩津~米原間の未乗区間に乗って、長浜にED70を見に行く予定でした。京都駅の新幹線ホームから下に降り、東福寺→四条から市内に入ります。一本橋です。渡って京都市内へ、比叡山の阿闍梨様にあやかってます。近くの花屋で花を買い母と祖父母の墓参り。この後は模型店巡りです。西大路駅まできました。日は西に傾いてます。新幹線のガードがボロボロです。建設されて60年新幹線を止めて建て替えするわけにもいかずどうするのやら。この後は懐かしい料理と共に祇園で泊まりました。繰り下げ関西旅行
「横浜鉄道模型フェスタ」で見せてもらったカツミの新製品の25形の床下機器です。長らく12系のユニットが流用され93年頃の14系から改善されてきましたが、エンドウから供給が難しくなったようです。かなりよくなりました。床下機器
手つかずの「ブルートレイン3車両を作る」が「4車両を作る」になりそして「ブルートレインと停車駅を作る」で打ち止めと言うことです。書店で予約して受け取ってます。気になるのが「ホンダCB750を作る」です。バイクは好きですが乗る機会がなく特に好きなのがホンダのGL400です。シャフト駆動ですが2輪車なので原動機の回転方向と反対方向に発電機を回してバランスをとるように設計されてます。祖父・父・弟はバイクに乗ってましたが自分はバイクには縁がなかたのですが余計なことだけは知っており、CB750は本当は「CD750K0」で「K0」(ゼロ)は「改良0の原形」の意味のようです。さてカツミのキハ80系、本来は「キハ80系改良増備型キハ82グループ」が60年以上前から生産され、昭和末期に前面が改良され車体がそのままになり、車...木に竹を接ぐ
本日発売分です。「いなほ」に乗ったのは国鉄時代で合宿免許で酒田に行ったときでした。表題が「ブルトレに接続した」ですが自分には「新幹線に接続」したのです。今も新潟から山形・秋田を結ぶ列車です。再び酒田を通った旅が「あけぼの」の旅、米どころを走りながら羽前大山駅から複線から単線になったり、そして防雪林を初めてみたり八甲田丸との再会と思い出になりました。ブルートレイン3車両をつくる176
隣が機関車または在来客車の連結を考慮し中間のオハ12の連結器を交換しました。簡単ながら屋根の補強を再現してます。#118をオハ12
手持ちのアングルでボードを載せる架台を組みました。棚にはコントローラーが入ります。レイアウト架台
長らく天賞堂(株)が米国ケーディー社の代理店でしたが、模型ショーで紹介された16番用の頭が大きい連結器です。カトーの車輛と互換性があるので、緩急車用に使用してます。#118
画像には出してませんが、自宅で走らせるボードを作りました。そのうちアップしますが、この古い中村精密のナハ10を走らせると中々のものでした。旧友
一番お世話になった客車です。特に興味があったのが戦後型オハ35改造のオハフ33についてですが詳しい記事が掲載されてます。オハ35系客車
しかかってる車両もかなりあるので仕上げていきます。広窓と狭窓がアンバランスです。クモハ53007は動力化します。旧型国電も少し。
昨日のテレビ埼玉の「パパと呼ばないで」第12話を見ながらはんだ付けをしてました。両国駅の改札口や銚子に向かう列車はキハ58系、そいて両国駅の改札口やホームの詰め所、に目が行ってしまいます。キハ58の車内が今は懐かしいです。下町のお米屋さんは「三丁目の夕日」の世界です。昭和40年代後半は関西も同じ風景、区画整理前の地元も同じでした。本日発売分です。九州に乗り入れないブルートレインは、「あさかぜ」設定当初からありました。それは山口県内が有効時間帯に設定されたことであり、そのために関西を深夜時間帯に通過することからも伺えます。また北九州が有効時間帯にするのに無理があったこともあります。まもなく北陸トンネルが全国ネットワークから外れます。「きたぐに」のオロネ10やオロネ14そしてサロネ581と共に「国鉄」らしさで...ブルートレイン3車両をつくる149
電球式の室内灯です。白色LEDに交換しました。FLパネルライトの在庫が払底しました。ボルスターのネジを交換しました。スハネ16更新修繕
今回はユニトラックで開催しました。運転会
会場を述べ3日借りてます。仕事から帰ってきて搬入します。前夜
ユニトラック対応のフィーダーを作ります。フィーダー
カツミのスハネ16です。車輪がこの状態、室内灯も連結器も交換したい。スハネ16
月曜日の運転会に向けて買い出し、しかしリレーラー線路が足らず。これは工夫、フィーダーも作りました。買い出し
本日発売分です。品川客車区。ブルートレイン3車両をつくる174
こちらも足がないモハ181です。パンタグラフを外したので掃除をします。モハ181の掃除
九州の実家のお盆の墓参りは日が暮れてから行きます。暑いからですが、お墓に灯された提灯が幻想的です。95年のお盆に「20系客車に乗るのが最後」と思い西鹿児島から新大阪まで「桜島」に乗りました。今なら新幹線で数時間ですが、その少し前までは「かいもん」が夜行で運転され、西鹿児島では日が高かったのですが熊本ではすっかり日が暮れました。沿線の墓地の灯りを見て「お参りすればよかったな、祖父母伯母従妹寂しがってるから久留米から乗ったら良かった。」と思いながら北上し博多は夜中でした。臨時列車でしたので停車駅も多くかなり時間がかかりました。さて足のないED70、台車が見つかりましたので再生したいのですが、EF65-1000は進まず、その次とその次のお題が決まり後回しです。関東地方は大雪です。北陸本線の金沢付近はED70がキ...季節外れの幽霊
「ホームの上のそばスタンド跡」になってしまいました。いち早く大船駅から撤退した「大船軒」のそばスタンドです。大船駅はしばらくは東日本直営で営業してましたがこちらは跡形もありません。「老朽化」が理由でした。甘めのだしでいつも「かけそば」を食べてました。自分が知る限りホームのそばスタンドは東海道方面は東神奈川駅北行ホームの日栄軒だけになりました。クハ86の売店は健在です。ホームの上のそばスタンド跡(2)
初日に1番で出かけました。見たいものだけ見てきました。天賞堂のEF81カンタムです。「あけぼの」用に導入予定です。エンドウのキハユニ26です。排気管が修正されてます。横浜フェスタ
20系客車の格下げ運用の特集です。12系との混合編成は好きでしたが乗る機会はなく、20系に乗ったのは95年に臨時急行「桜島」で西鹿児島から新大阪までが最初で最後でした。「さんべ」で運用されていた、ナハネフ22です。59-2で早々に廃止されました。相方の12系客車は「山陰」で運用され翌年に廃止。そして一部は近郊型に改造されました。1984年3月出雲市「日南」で運用中のナハネフ22です。数日後には25形になります。ラインが1本消されて顔つきが変わってます。電源方式が違う20系を12系と連結する改造をしたのは経年と3段寝台が理由でしょう。マニ50も数日後には運用されなくなります。1986年10月門司港モデルジェイトレインVol6
生きることのありがたさ。南無阿弥陀仏こころのともしび2024年2月
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配線をします。次が床下機器、先輩の言葉「動力更新は本体より高くつく」。モハネ582⑨
デッキの仕切りを取付けます。次が配線と床下機器です。モハネ582⑧
優しい気持ちをもちたいです。南無阿弥陀仏こころのともしび2024年6月
室内灯はLEDのパネルライトにしました。デッキ側に仕切りをつけます。仮配線をします。今月も終わり、後半は掘り出し物のモハネ582と兄貴分と弟に祝われ楽しく過ごせました。来月も運転会をやりますが、7月8月は夏休みなので子供優先なので休止です。モハネ582⑦
こちらの記事から。2020年の阪神赤胴車の引退、そして今年の青胴車引退で同じクーラーを積んだ12系をはじめ国鉄型車両の引退も近いと思ってました。高温多湿の日本の気候は車体の消耗もありますが、昭和40年代前半の開発で冷媒は塩素を含んだ冷媒を使ってると思われます。小学生の時、カツミのブリキの模型に始まり、「山陰」で余部鉄橋を渡り、2000番代の東北本線、日豊本線の「日南」で乗車しました。今月、京都に行かなかったのでどうしようか。西日本の12系引退
本日発売分です。青森運転所は最後のブルートレインの基地でした。「あけぼの」に乗ったのが10年前になりました。ブルートレイン3車両をつくる190
床下機器の塗装をします。キハ47
黄色のセメダインCが使いやすいんですが100均を見てもなし、次の目的が。JRマークをつける気がないので実家の佐賀線か山陰線。昼飯の名目で呑んで鯨刺し、小学生の頃給食で竜田揚げを食べてから好きになったのですが、今は貴重品。キハ47T
台車は新調しました。下回りを組み立ててます。ウェイトを黒を塗るところが灰色に塗ってます。そのまま使います。モハネ582⑥
在庫品のEN22をつけてACEカプラーを付けます。楽しい作業です。モハネ582⓹
買い置きの床板Aです。折り戸の切欠きをします。モハネ582
本日発売分です。人形や内装を入れるとこのくらいのスケールならよくなるでしょう。ブルートレイン3車両をつくる189
出かけました。須田町の六文そば、名物、ゲソ天は品切れ。買い物の後、新宿。百貨店が解体され空が広がる。あくまでも物売りは電鉄の副業、そして淘汰。岐阜屋でビールでした。久しぶりに出かけたものの、夏バテ
築10年ともなれば機器の「寿命」が来るものでして、父の部屋のエアコンの次は温水便座。エアコンはこれまで仕事でしたが最初から調子が良くなく専業メーカーですが「買うのをやめた方がいい」と思ってた製品でしたので来るべくしてきたと思ってました。買い換えた零は好調です。今のは快調です。しかし便座が交換なら20万は覚悟してましたが、修理を依頼すればまだまだ持つとのこと。結構な出費ですが仕方ない。痛かった、、、、、
月一で開催してます。来月は検討中。運転会
DT32はブッシュが入ってたので流用します。ボルスターは交換します。昔、MPギアを買ったらボルスターがついてたので手持ちがありました。台車
室内灯はパネルライトでした。LEDに交換します。下回りはすべて交換です。車体を外してみました。
飯を食ってリサイクルショップを覗いて見つけました。先日のモハネ580より状態が良いので購入しました。下回りが、片側のインサイドギアなし、元からこの動力は使うつもりがないのですが、覚えてる人も多いはず。モハネ582
本日発売分です。平成元年「海峡」で渡道したときに車窓から見た青森運転所は広々とした印象がありました。「日本海」や「きたぐに」が整備を受けた拠点です。最後に乗ったブルートレイン「あけぼの」が引き上げるのを見たのが10弁前になりました。ブルートレイン3車両をつくる188
今週に入り、父の看護で部屋を回送しています。先日のキャスターは書棚などの重量物の設置には向かないので、既存の作業台と交換し、作業台も組みなおしします。作業台の組み立て、
大きなウェイトの取付穴がモーターの取付ベースに干渉します。真鍮の床板だったので難なくねじ切り、現物合わせで位置を決める、今日はここまで。EF65-1000
カツミの目黒時代のショールームで売ってた床板を使うのがスカートの加工で断念し既存のインサイドギアの床板を加工します。ここまでくれば5か所、下穴を切ってタップを立てるだけですがなかなか進みません。中間台車のマクラバリは考えがまとまりましたが結果的には床板の再塗装になります。仕掛の動力ユニットが4台分、EF65用とトレーラーを引かせるのにキハ55用が2台、キハ20用が1台。EF65-1000更新工事
この日は、朝から資金調達に銀行に行き六甲颪を歌いながら出かけました。地元の小田急線を利用せずにほかの路線を使いましたがこんな事故がおきてました。「新百合丘で車両故障」と表示されてましたが、ショートとは。鉄道車両の主ヒューズは屋根上にあり、補助回路は分電盤のブレーカーにあります。おそらく何度も復帰作業をしてもブレーカーが落ちるので車両が使用不能に至ったのでしょう。案内によれば新百合丘の本線にしばらく本線上に留置されたと聞きます。おそらくほかの電車が救援したのでしょう。通信が進化し対面でないがために反応が鈍くなり表現が大胆になることがあります。ブログを書いてる自分の同じでしょうが直接でなく間接になることにより鈍くなることがあるでしょう。それはインターネットだけでなく手紙でも言えることです。そう思いながら今朝か...見えない怖いもの、それは電気
大きな空と半城土のことかもしれません。南無阿弥陀仏。こころのともしび2023年6月
本日発売分です。オロネ24は新製配置は向日町でした。「あかつき」「彗星」で運用されました。最後は「銀河」で「日本海」と共に関西に縁がある車両でした。近所のスーパーが今日で閉店です。便利だったのに。ブルートレイン3車両をつくる138と月末
「一人っ子」の頃、「初めて見た煙を出さない鉄道車両」は阪神電車でした。非冷房時代の3101系やステンレスシルバーの試作車を尼崎で見てたら「もうすぐお兄ちゃんになるのよ」と母に言われたのを思い出します。西九条で終わってた南大阪線も難波までつながり梅田経由よりも利用する機会が増えました。さて西武戦はどうなるか、阪神5101
高校2年のとき、夏休みにアルバイトして買ったナハネフ11です。冷房化してオハネフ13として運用してましたが、トミックスのオハネ17600(団体用)が手に入ったので、「九州観光」「南紀観光」に運用します。塗装を剥がしました。しかしこう仕掛品が増えると、死ぬまでにどれだけできるのか不安です。非冷房化
転轍機の動作を遠隔操作するのにリレーを使います。5回路制御します。配線
先日のシャーシがこんなことに、汎用で5回路のユニットになります。リレーユニット
周りの人に「鈍感」と言われます。自分でも認めてるので気にはしませんが、対照的な人が、「感じやすい人」(「ナィーブ」というらしい)です。「感じやすい人」でも本人だけが「感じやすく」他人には鈍感な人がいると思います。今日、帰りがけに電車が遅れてました。仕事中は何も感じなかったので「相変わらず鈍感やな」と思いながら帰宅したら、棚の書類がひっくり返りパソコンの電源は入らない、何とか復帰させ自分の鈍感さに呆れる始末。ジャンク品のクハ111の前面が手に入りましたので少しは作業が前に進みそうです。被災
9月の運転会の日程が決定しました。今回は市民館で大きく開催、8月には案内をだしますので準備します。線路も増設しますので忙しくなります。開催決定
本日発売分です。長崎駅は新幹線が乗り入れて大きく変化します。長崎電鉄もバリアフリー化します。懐かしい記事でした。ブルートレイン3車両をつくる137
丸屋根広窓、オハ35系列以降の車両が中心になります。しかし合理化でモノクラス化したのが国鉄末期、しかし民営化して細分化、繰り返すんでしょうね。自分が好きなのはオロフ33で一度乗りたかった車両です。並ロのすべて(下)
模型の画像ではありません。高崎でもなく大井川でもなく福知山で現役の頃の画像です。模型を買ったのではるか昔の画像です。オハニ36が入った編成で記録はDD511128米子オハニ367オハフ33539スハフ42140オハ47167スハフ42226オハフ33125オハ472221スハフ422149523列車福知山→浜坂198538の記録です。全て福知山区の客車でオハニは福附15オハフ33539は福臨附23で増結以下は福12で「基本編成」です。オハニの背後はマニ50そして1本越えて、更新工事されたオハフ33後ろはオハ12でしょう。ここで気になったのが背後の客車区の建物、煙を外に出すための屋根が見えます。鍛冶職場があったのでしょう。古い写真の再発見です。オハニ36トラムウェイ
「達人」とJAMで話したこと、直流でもスイッチマシンだ電気を食うものでリレーを使う、と言ってました。そこで在庫部品から探し出したプラグインリレーです。遠隔制御に使います。リレー
一歩ずつ終わりに近づく日がきました、今年は仕事。いつもなら母の日もかねて京都に行ってます。弟、友人からお祝い帰ってから父とサシで呑みです。さてEF65-1000更新工事をしないと、9月の運転会もしばらく運転会はやるともりなのでまだまだおわれません。やらなきゃ、
9月に運転会を開催するつもりで今から準備です。会場の確保が月末に決まりますので今から準備します。左の端子盤は自宅レイアウトの信号用です。準備
昨日発売分です。「あかつき」が廃止になって年経ちました。これからは新幹線「かもめ」の駅です。ブルートレイン3車両をつくる136
福知山線は古くから尼崎から塚口まで電化されてました。スハ44時代の「つばめ」「はと」の折り返し用で塚口で折り返して宮原に入り翌日の出発時に折り返して大阪駅にはいります。50-3以降は北陸線関連の「雷鳥」が向日町→新大阪→宮原→塚本→尼崎→塚口で折り返し大阪駅の混雑を緩和してました。塚口で581系や485系をよくみましたが、側線で大物車や鉄製有蓋車を見ました。その鉄製有蓋車が三菱の専用線に入っていったのが気になってました。奥の車止めから工場に入っていきます。長い踏切です、線路跡はコンビニです。右手のマンションは森永の工場でした。いつも甘い匂いがしてました。阪急神戸線がオーバークロスします。専用線の入り口です。門の跡です。上は阪急神戸線、専用線の跡は一部が生活道路になってます。昭和50年頃シキ400が塚口に留...三菱電機(株)伊丹製作所専用線跡
尼崎市は大阪市の一部の印象がありますが、市外局番が大阪市で商売上の理由です。みんな阪神大好きです。今夜の試合はどうなるか、サウナで観戦します。阪神甲子園球場100年のラッピング。後ろを振り向けば今年度中に姿を消す青胴車、MAU-13も今年の夏で役目を終えます。入庫・出庫を繰り返すので転轍機の音が頻繁に聞こえます。新ジェットカーの足元の分岐も変わった形です。阪急が好きな三分岐ではありませんが、出庫車両が出ていきます。この後は日本橋で買い物。そして甲子園口に向かいます。一番右が今の下り列車線、その昔は阪神武庫川線、その左が下り緩行線です。ちょっと不自然な配線です。路盤に余裕があります。分岐を見ます、背後のマンションは武庫川に沿ってます。下り列車線にホームがありません。線路に沿って店舗が見えます。「甲子園模型」...尼崎から神戸