chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
フォロー
住所
津幡町
出身
津幡町
ブログ村参加

2015/06/16

arrow_drop_down
  • 遠い道のり。

    一昨日、昨日(2024/01/26~27)の2日間、石川県・輪島市を訪問。令和6年能登半島地震の被災地で避難所設置の業務に従事した。久しぶりに足を運んだそこは、幾つかの意味で「遠いところ」に感じた。「距離的・時間的な間遠」。そもそも能登半島は広い。日本海側の海岸線で突出する半島としては最も面積が大きく、金沢-輪島間の距離は100キロを超える。平時でも車で2時間ほどを要するのだが、到着まで倍以上の時間を費やした。地震によって道路状況が悪化、所々凹凸やヒビ割れが発生、片側交互通行も。加えて、季節は冬。降雪、路面凍結、渋滞が行く手を阻む。奥能登は一層の遠隔地となり、支援が届き難いのは納得するしかない。能登半島の奥に進むに従い、空気が重苦しくなってゆく。上掲2つの画像にある様な「山滑り」や「倒壊家屋」が視界に。そ...遠い道のり。

  • 北陸は憂いながらも、生きている。

    最大震度7を観測した「令和6年能登半島地震」の発災から20日あまりが経った。この間、滲む涙を何度拭ったことだろう。未だ悲しみは深く、落ち着かない日々が続いている。石川県によると、全壊や半壊、一部破損を含む住宅被害棟数は、2024年1月20日現在で3万1659棟。自治体別では、七尾市で8342棟、能登町で5000棟、志賀町で3454棟、金沢市で3034棟など。これまで集計が追いつかず「多数」となっていた奥能登・輪島市は、少なくとも870棟が被害を受けたと明らかに。珠洲市は引き続き「多数」となったまま。被害の全容は明らかになっておらず、住宅被害の数字は今後大きくなってゆく。わが津幡町も無縁ではない。実数は不明ながら、各所で建物の損壊が見受けられる。また、地盤の液状化によると思われる地盤沈下や隆起も少なくない。...北陸は憂いながらも、生きている。

  • 揺籃の地は異界。

    中国大陸の奥、遥かチベット高原の氷河に源を発し、6000kmもの旅を経て東シナ海へそそぐ「長江」。その大河の最下流「黄浦江」沿いに位置する大都会が「上海」。20世紀初頭のそこは一種のブラックホール。世界中から人と富を呑み込み、妖しい魅力を放っていた。川沿いに立ち並ぶ堂々とした欧風建築。摩天楼の灯りが濁った水面に揺らめく。陸に上がれば、人の海。鞭髪、黒髪、金髪、赤毛、ブルネット。丈の長い中国服、白いリネンのスーツ、チャイナドレス。人種も服装も様々。乗用車やトロリーバスの間を縫って走る人力車や馬車、大八車に移動式屋台。それらが混ざり合う混沌が表の顔だとすれば、裏側はさらに複雑怪奇。渦巻く権謀術数、生と死、欲望が醸す臭気が漂い、あらゆる快楽がひしめいていた。美酒、美食、阿片、売春、賭博。---そして「ジャズ(J...揺籃の地は異界。

  • 小品、冬鷺。

    冷たい雨が降る昨日(2024/01/12)の午後、金沢へ向かい車を走らせていたところ助手席に置いたスマホが鳴った。電話をかけ直すため、一旦バイパス下の運動公園を目指す。そこは冬季閉鎖されていて駐車場には入れない。側道に車を停めようとすると路面を歩く白い鳥を発見。大鷺(ダイサギ)である。体長は1m近く。羽毛は白一色で、脚と首、嘴(くちばし)が長い。かなり近づいても悠然と闊歩している。彼は解っているのだ。人っ子一人いない冬は、ここが害のない「楽園」だということを。大鷺は、アジア南部~オーストラリア~南北アメリカなどに広く分布。日本には夏鳥として渡来する個体もいて夏の季語の1つだが、季節的な移動をせず、同じ地域に一年中生息し繁殖をする「留鳥」も少なくない。これを「冬鷺」とか「残り鷺」と呼ぶとか。鷺の食物は、魚類...小品、冬鷺。

  • 自戒の念。

    きのう(2024/01/06)の拙ブログ投稿で「令和6年能登半島地震」について書き、以下の文面で締めくくった。『全力を尽くして助けようとする人がいる一方、窮地から容赦なく剝奪しようとする輩もいる。これが浮世の現実なのだ。』被災地での火事場泥棒的な犯罪や悪質商法の具体的な事例として、オンライン記事へのリンクも添えた。その内容は以下のとおり。<地震被災者の避難所となっている県立穴水高校で自動販売機が壊され、中から飲料と金銭が盗まれていたことが5日、目撃者の証言でわかった。被害を目撃した避難者の30歳代男性や同校によると、発生したのは地震発生直後の1日夜。当時、避難者が続々と校内に集まり、100人ほどが身を寄せ合っていた。学校は地震の揺れでほとんどのガラスが割れており、誰でも自由に入れる状態だった。同日午後8時...自戒の念。

  • 遣る瀬無い現実。

    今朝(2024/01/06_5:26頃)、また大きな地震が発生した。震源は石川県能登地方、マグニチュード5.3、最大震度5強を観測。僕のいる所も結構揺れた。気持ちは一向に落ち着かない。用事で近場へ出かけると、壁が剥がれた土蔵、道路の陥没・ひび割れなど、町内各所に地震の爪痕が見受けられる。そして「令和6年能登半島地震」による石川県内の地震による死者が三桁に到達。---悲しいことだがそれは想定の範囲内。まだ安否不明は200名を越えていて、避難者は五桁。孤立状態の集落も残っている。人的被害を表す数字は刻々と変わってゆくだろう。他方、土砂崩れなどで寸断された道路の一部で復旧作業が進み、ようやく救援物資の輸送が本格化し始めた。地域によって差異があり、避難所や孤立地域へ届ける人手や安全な輸送手段も課題だ。こうした現状...遣る瀬無い現実。

  • 止まない心の震え。

    令和6年能登半島地震の発生から、現時点(2024/01/03)で丸2日が経った。大きな悩みだった「断水」は、少なくとも僕の住む地域一帯は概ね復旧(したと思う)。一方、まだ充分に解消していない所もあるようだ。ご近所のコインランドリーでは洗濯ができなかった(今朝段階)。乾燥機は動いていた。溜まった自分の洗濯物を乾かしに出向いた時、仕上がりを待つ間に、何人もの方が汚れ物を抱えて訪れ、張り紙を見て肩を落とし帰って行った。町役場周辺には給水車が待機。豊田市、豊橋市、岡崎市など愛知県から駆けつけてくれたようだ。水道局、県内外自治体、関係各位のご尽力のお陰で、わが津幡町は徐々に平穏を取り戻しつつある。心から御礼申し上げます。しかし、120km以上離れた震源地~能登半島一帯は、まだ渦中の只中。群発地震は続いていて、ライフ...止まない心の震え。

  • 震えは止まない。

    大地の震えは続いている。きのう(2024年元日)夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」は、今現在(2024年1月2日)鎮まる気配を見せていない。過去24時間に観測された最大震度5弱以上の地震は10回を数えている。震源地から距離のある津幡町でも、かなりものだった。度重なる緊急地震速報。何度も襲い掛かってくる震え。柱や壁がミシミシと音を立てる。ラジオから聞こえる津波への強い警告が切迫感を煽る。『東日本大震災を思い出してください!』『ためらわず今すぐ避難!』『少しでも高い所へ避難!』時間を追うごとに陽が翳り周囲の様子も分からず、ただ身を固くして耐えるしかない。怖ろしい夜だった。今朝早く、夜明けを待って周辺を散策してみた。所々、地面の液状化と思われる陥没が見受けられた。また、瓦屋根やブロック...震えは止まない。

  • 震える幕明け。

    突然、大地が震えた。震えは断続。今のところ無事。津幡町に津波は心配ない(多分)。不安に苛まれる夜が来る。数日は要警戒。---また揺れた。もう勘弁して欲しい。震える幕明け。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、りくすけさんをフォローしませんか?

ハンドル名
りくすけさん
ブログタイトル
つばた徒然@つれづれ津幡
フォロー
つばた徒然@つれづれ津幡

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用