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つばた徒然@つれづれ津幡 https://blog.goo.ne.jp/romaniaramochan

ここは北陸の豊かな田舎・津幡町。愛犬との散歩を通じて見つめた季節と風景を画像と言葉でつづる日々。

散歩と酒と読書と競艇好きです。石川県の津幡町在住。週末を基本に更新しています。よろしかったら読んでやって下さいm(_ _)m

りくすけ
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津幡町
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津幡町
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2015/06/16

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  • 幽玄との遭遇

    幽玄(ゆうげん)僕は、初めてこの言葉に接した時から惹かれるものがあった。あれは13~14歳頃に読んだ大人向けの怪談物で、美しい「物の怪」が侍に憑りつき、生気を奪い、立ち去る場面。出典元や粗筋は覚えていないが、ラストシーンの文面は心に残っている。『枯れ木のようになった男は、闇に溶けてゆく後ろ姿から目が離せなかった。音もなく滑るように進むようすは、能舞台の役者さながら。霞む意識の中で、男は“幽玄”を見た---』脳裏に情景を思い描き背筋がゾクリとした。早速「幽玄」を辞書で繰ると、概ね以下の記載。■奥深く計り知れない趣のこと。■気品があり、優雅なこと。■中世の文学・芸能の美的理念の一つで、ほのかな余情の美。中学生には理解しずらかったが、難解故、却って言葉が纏う妖しさは増す。前述「物の怪」の印象と相まって得体の知れ...幽玄との遭遇

  • 津幡小学校 創立一五〇周年記念式典。

    本日(2023/10/21)わが母校「津幡小学校」の創立記念式典が行われた。場所は、同校体育館。お招きに与り、僕も臨席させてもらった。在校児童たち、PTA、関係各位が集い賑やかな記念式典。一、開会の辞一、国家斉唱一、校歌斉唱一、学校長式辞一、児童発表一、歴代校歌紹介一、お祝いの言葉一、お礼の言葉一、閉会の辞『起立!』『一同礼!』『着席!』の司会進行に従い動いたのも、声を合わせて国家・校歌を歌ったのも、一体何年ぶりだろう。オジサンの日常ではまず味わえない体験で妙に新鮮に感じた。都合およそ1時間少々、式典はつつがなく終わり小休止。第二部では、同校卒業生で現在・声楽家(メゾ・ソプラノ)として活躍している方、「小泉詠子(こいずみ・えいこ)」氏のコンサートを開催。一、シューベルト「アヴェ・マリア」ニ、ロジャース「エ...津幡小学校創立一五〇周年記念式典。

  • 侍たちの挽歌 番外。

    近代日本最大の内戦・戊辰戦争(ぼしんせんそう)ゆかりの地を訪ねる旅。過去3回に亘り堅苦しいハナシが続いたが、今回はライトな番外編。喰ったり買ったり目に留まったりしたモノの記録である。画像多めのため勢い長くなるが、文少なめで読みやすいと思う。よろしかったらお付き合いくださいませ。会津若松駅前の「赤べこ」。ご存じ福島県の会津地方に伝わる、牛の形をした郷土玩具。木型に何枚もの紙を貼り重ねて乾燥させ、型を抜いて作られる「張り子」。頭がゆらゆら揺れるボビングヘッドが特徴。起源は諸説アリ。江戸時代初期(1611年)の大地震で倒壊した寺院を再建する際、どこからともなく現れた赤毛の牛の群れが、木材運搬を助けてくれた。以来、赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、親しまれ、縁起物のおもちゃになったとか。新潟・長岡から会津へ向かう道すが...侍たちの挽歌番外。

  • 侍たちの挽歌 其の参。

    近代日本最大の内戦・戊辰戦争(ぼしんせんそう)ゆかりの地を訪ねる旅。前々回投稿、前回投稿の続篇。画像は、福島県・南会津の「大内宿(おおうちじゅく)」。江戸時代、会津若松市と日光今市を結ぶ街道の宿場町として栄えた。茅葺屋根の民家が建ち並び、往時の面影を留めたそこは、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定。よく整備された観光地だが、時計の針を巻き戻すと危うい場面があった。戊辰戦争に於いて藩境を守る会津軍が後退する際、自分たちが去った後、新政府軍西軍の本拠地にならないよう大内宿を焼き払おうとした。しかし、名主が金品を叩いて嘆願。寸でのところで戦火を免れる事が出来たのである。これはレアケースと言えるかもしれない。戦争という事態を構成する要素は「戦闘」に加え、「兵站(へいたん):戦闘員の移動と宿泊や食事の手配」「輜...侍たちの挽歌其の参。

  • 侍たちの挽歌 其の弐。

    近代日本最大の内戦・戊辰戦争(ぼしんせんそう)ゆかりの地を訪ねる旅。前回投稿の続篇。東は磐梯山・猪苗代湖を含む奥羽山脈、西は越後山脈。南は会津高原。北は飯豊山地に囲まれた、南北34キロメートル、東西13キロメートルの縦長な楕円形の「会津盆地」。その中核となる町が「会津若松」。そこを象徴するのが「鶴ヶ城(会津若松城)」である。城郭の屋根瓦は赤褐色の赤瓦。現在、赤瓦を用いた天守閣は、国内ではここ鶴ヶ城だけだ。17世紀の建造当初は西日本で発達した黒瓦が葺かれていたが、北国・雪国ならではの低温や積雪に耐えられ、強度が高まるように、鉄分を多く含む釉薬を用いた瓦が会津で開発され、それに代わる。天守台の石垣は「野面(のづら)積み」。鎌倉後期の自然石をそのまま積み上げるやり方。石の形状は均一性に乏しく、角度も緩やかだが地...侍たちの挽歌其の弐。

  • 侍たちの挽歌。

    少し以前のことになるが「会津娘子隊(じょうしたい)」について投稿したことがあった。その末尾で書いたとおり、僕は今、会津へ3度目の旅にやって来ている。主な目的は「戊辰戦争」の激戦地---会津若松訪問。今日(2023/10/09)は、その前に福島県・南会津郡・只見町にある、「河井継之助(かわい・つぐのすけ)記念館」へ足を運んだ。嘉永6年(1853年)米艦隊が浦賀沖に姿を現し、動乱の幕が開く。開国か、それとも攘夷か。せめぎ合う2つの勢力が火花を散らし、幕府の権威は失墜。そこで、15代将軍「徳川慶喜」は、倒幕を掲げる薩摩藩、長州藩などに対抗するため、朝廷へ「大政奉還」を行い、新たな政治体制の構築を試みる。しかし、薩長は朝廷の倒幕派へ働きかけ「王政復古の大号令」を発布。徳川家および江戸幕府を政治から排除することに成...侍たちの挽歌。

  • 大西山の丘辺に立てば。

    このカテゴリー「大西山の丘辺に立てば」を立ち上げて、およそ1年3カ月が経つ。ネーミングの由来は「津幡町立津幡小学校」校歌の一節である。『古城跡(こじょうし)に河北の花と大西山の丘辺に立てば山はみどりに潟ひらけたりわが学び舎ここに立てり』その目的は、わが母校の創立150周年に華を添えたい一心。応援団末席に座り取り組んできた任務を果たし終え、そろそろ区切りが見えてきた。同校に縁のない方にはピンと来ないだろうが、いち学び舎の歩みに明治~大正~昭和~平成~令和と流れた、「時の光の飛沫」を見つけてもらえたら幸いである。さて「津幡ふるさと歴史館れきしる」に於いて企画展がスタート。今回は「津幡小学校創立150周年記念ヒストリー展」を紹介したい。写真40点、教科書42冊、賞状など26点。アルバム22点、掛図6点、教材6点...大西山の丘辺に立てば。

  • 津幡短信vol.115. ~ 令和五年 神無月。

    本日(2023/10/01)わが津幡町の天気は、雨時々曇ところにより晴れ。最高気温27℃を記録し「夏日」となった。日中はTシャツ一枚で過ごせるが、朝晩はさすがに涼しい。津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。今回は、街中で観止めた秋の気配を取り上げてみたい。【ゆっくりと進む秋。】毎年、季節の移り変わりを印象付けてくれる1つは「銀杏並木」だ。場所によって、樹木によって差はあるが日に日に色づきを変える葉は、まるで夏と秋を分類する「リトマス試験紙」のよう。やがて始まる落葉は、冬到来の報せとなる。銀杏の傍らに立つ「栗の木」では、枝の毬(いが)が爆ぜる寸前。更に足元の路傍には、実のない毬がギンナンと一緒に並んでいた。石川県内の栗の産地として知られるのは能登半島。輪島市、珠洲市、穴水町、能登町で栽...津幡短信vol.115.~令和五年神無月。

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