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アートプラス京めぐり https://blog.goo.ne.jp/korede193

京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました

アートプラス京めぐり
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2015/02/19

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  • まち歩き中1651 京の通り・高倉通り 北へ NO47 錦小路通

    2019年11月1日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1650京の通り・高倉通り北へNO46創業1717年(304年前)次回の記事⇒1652下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1651京の通り・高倉通り北へNO47錦小路通

  • まち歩き中1650 京の通り・高倉通り 北へ NO46 創業1717年 (304年前)

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1649京の通り・高倉通り北へNO45店・カステラ他次回の記事⇒1651下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1650京の通り・高倉通り北へNO46創業1717年(304年前)

  • まち歩き下1649 京の通り・高倉通り 北へ NO45 店・カステラ 他

    大極殿右書き看板だ京の老舗まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1648京の通り・高倉通り北へNO44四条通次回の記事⇒1650下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1649京の通り・高倉通り北へNO45店・カステラ他

  • まち歩き下1648 京の通り・高倉通り 北へ NO44 四条通

    2019年11月1日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1647京の通り・高倉通り北へNO43家相・方位・命名・相性鑑定次回の記事⇒1649下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1648京の通り・高倉通り北へNO44四条通

  • まち歩き下1647 京の通り・高倉通り 北へ NO43 家相・方位・命名・相性 鑑定

    松浦長生館まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1646京の通り・高倉通り北へNO42民家次回の記事⇒1648下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1647京の通り・高倉通り北へNO43家相・方位・命名・相性鑑定

  • まち歩き下1646 京の通り・高倉通り 北へ NO42 民家

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1645京の通り・高倉通り北へNO41店・石製の看板次回の記事⇒1647下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1646京の通り・高倉通り北へNO42民家

  • まち歩き下1645 京の通り・高倉通り 北へ NO41 店・石製の看板

    石の看板でしょうかまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1644京の通り・高倉通り北へNO40家のガレージ次回の記事⇒1646下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1645京の通り・高倉通り北へNO41店・石製の看板

  • まち歩き下1644 京の通り・高倉通り 北へ NO40 家のガレージ

    2019年11月1日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1643京の通り・高倉通り北へNO39綾小路通次回の記事⇒1645下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1644京の通り・高倉通り北へNO40家のガレージ

  • まち歩き下1643 京の通り・高倉通り 北へ NO39 綾小路通

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1642京の通り・高倉通り北へNO38店・鍾馗さん・べっ甲次回の記事⇒1644下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1643京の通り・高倉通り北へNO39綾小路通

  • まち歩き下1642 京の通り・高倉通り 北へ NO38 店・鍾馗さん・べっ甲

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1641京の通り・高倉通り北へNO37魔除け次回の記事⇒1643下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1642京の通り・高倉通り北へNO38店・鍾馗さん・べっ甲

  • まち歩き下1641 京の通り・高倉通り 北へ NO37 魔除け

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1640京の通り・高倉通り北へNO36仏光寺通次回の記事⇒1642下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1641京の通り・高倉通り北へNO37魔除け

  • まち歩き下1640 京の通り・高倉通り 北へ NO36 仏光寺通

    北方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1639京の通り・高倉通り北へNO35大行寺・快慶の仏像次回の記事⇒1641下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1640京の通り・高倉通り北へNO36仏光寺通

  • まち歩き下1639 京の通り・高倉通り 北へ NO35 大行寺・快慶の仏像

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1638京の通り・高倉通り北へNO34装束店次回の記事⇒1640下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1639京の通り・高倉通り北へNO35大行寺・快慶の仏像

  • まち歩き下1638 京の通り・高倉通り 北へ NO34 装束店

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1637京の通り・高倉通り北へNO33高辻通仏光寺次回の記事⇒1639下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1638京の通り・高倉通り北へNO34装束店

  • まち歩き下1637 京の通り・高倉通り 北へ NO33 高辻通 仏光寺

    2019年11月1日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1636京の通り・高倉通り北へNO町名・葛籠屋町(つづらやちょう)次回の記事⇒1638下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1637京の通り・高倉通り北へNO33高辻通仏光寺

  • ポスター0145 八坂神社 舞楽奉納

    2019年の物ですポスター前回の記事⇒ポスター0144正伝永源院細川護熙氏揮毫襖絵公開次回の記事⇒0146ポスター0145八坂神社舞楽奉納

  • まち歩き下1636 京の通り・高倉通り 北へ NO 町名・葛籠屋町(つづらやちょう)

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1635京の通り・高倉通り北へNO31松原通次回の記事⇒1638下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1636京の通り・高倉通り北へNO町名・葛籠屋町(つづらやちょう)

  • まち歩き下1635 京の通り・高倉通り 北へ NO31 松原通

    むかしは五条通でしたまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1634京の通り・高倉通り北へNO30長香寺次回の記事⇒1636下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1635京の通り・高倉通り北へNO31松原通

  • まち歩き下1634 京の通り・高倉通り 北へ NO30 長香寺

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1633京の通り・高倉通り北へNO29店・数珠店次回の記事⇒1635下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1634京の通り・高倉通り北へNO30長香寺

  • まち歩き下1633 京の通り・高倉通り 北へ NO29 店・数珠店

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1632京の通り・高倉通り北へNO28店次回の記事⇒1634下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1633京の通り・高倉通り北へNO29店・数珠店

  • まち歩き下1632 京の通り・高倉通り 北へ NO28 店

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1631京の通り・高倉通り北へNO27万寿寺通次回の記事⇒1633下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1632京の通り・高倉通り北へNO28店

  • まち歩き下1631 京の通り・高倉通り 北へ NO21 万寿寺通

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1630京の通り・高倉通り北へNO26民家・柵と昔の電話番号次回の記事⇒1632下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1631京の通り・高倉通り北へNO21万寿寺通

  • まち歩き下1630 京の通り・高倉通り 北へ NO26 民家・柵と昔の電話番号

    算用数字も2378だまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1629京の通り・高倉通り北へNO25京金襴いまい次回の記事⇒1331下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1630京の通り・高倉通り北へNO26民家・柵と昔の電話番号

  • まち歩き下1629 京の通り・高倉通り 北へ NO25 京金襴 いまい

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1628京の通り・高倉通り北へNO24民家、前の柵次回の記事⇒1630下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1629京の通り・高倉通り北へNO25京金襴いまい

  • まち歩き下1628 京の通り・高倉通り 北へ NO24 民家、前の柵

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1627京の通り・高倉通り北へNO23ゲストハウス・町名亀屋町次回の記事⇒1629下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1628京の通り・高倉通り北へNO24民家、前の柵

  • まち歩き下1627 京の通り・高倉通り 北へ NO23 ゲストハウス・町名 亀屋町

    亀屋町中京区・上京区・下京区に13ケ所あるまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1626京の通り・高倉通りNO22店・佃煮・漬け物次回の記事⇒1628下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1627京の通り・高倉通り北へNO23ゲストハウス・町名亀屋町

  • まち歩き下1626 京の通り・高倉通り NO22 店・佃煮・漬け物

    ホームページより五條長兵衛のあゆみ屋号の由来は、慶安五年、初代河内屋長兵衛が京都にて縮緬鹿の子商を営んだのが始まりで、時代は四代将軍家綱が将軍職についた江戸初期のことでありました以後代々商いを続けていましたが、十二代長左衛門は維新で、屋敷家財を焼かれ、残った蔵の中で細々と続け、逆境から立ち上がったと聞き及んでいます。大正初年頃、東京・大阪にも店舗を構えていましたが、十四代目が徹底した堅実縮小体制をとり、企業規模を縮小し、高倉通り五條にて事業を継続いたしました。平成の御世、十六代目であった、現当主の父親の勧めもあり、代々伝わる京の味をもとにした長兵衛家の京の手土産(おもたせ)になるような京佃煮・京漬物の商品開発に傾注しました。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1625京の通り・高倉通りNO21五条通次回の記事⇒162...まち歩き下1626京の通り・高倉通りNO22店・佃煮・漬け物

  • まち歩き下1625 京の通り・高倉通り NO21 五条通

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1624京の通り・高倉通りNO20寺・浄運院次回の記事⇒1626下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1625京の通り・高倉通りNO21五条通

  • まち歩き下1624 京の通り・高倉通り NO20 寺・浄運院

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1623京の通り・高倉通り北へNO19寺・宗仙寺次回の記事⇒1625下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1624京の通り・高倉通りNO20寺・浄運院

  • まち歩き下1623 京の通り・高倉通り 北へ NO19 寺・宗仙寺

    関連記事⇒宗仙寺曹洞宗まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1622京の通り・高倉通り北へNO18六條院公園次回の記事⇒1624下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1623京の通り・高倉通り北へNO19寺・宗仙寺

  • まち歩き下1622 京の通り・高倉通り 北へ NO18 六條院公園

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1621京の通り・高倉通り北へ高倉会館次回の記事⇒1623下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1622京の通り・高倉通り北へNO18六條院公園

  • まち歩き下1621 京の通り・高倉通り 北へ 高倉会館

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1620京の通り・高倉通り北へ小さな祠次回の記事⇒1622下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1621京の通り・高倉通り北へ高倉会館

  • まち歩き下1620 京の通り・高倉通り 北へ 小さな祠

    梅春高市荒熊大明神とあるまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1619京の通り・高倉通り北へNO15六条通次回の記事⇒1621下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1620京の通り・高倉通り北へ小さな祠

  • まち歩き下1619 京の通り・高倉通り 北へ NO15 六条通

    升屋町はここだけ桝屋町は14ケ所あるまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1618京の通り・高倉通りNO14花屋町通次回の記事⇒1620下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1619京の通り・高倉通り北へNO15六条通

  • まち歩き下1618 京の通り・高倉通り NO14 六条通

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1617京の通り・高倉通り北へNO13寺・憶念寺次回の記事⇒1619下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1618京の通り・高倉通りNO14六条通

  • まち歩き下1617 京の通り・高倉通り 北へ NO13 寺・憶念寺

    若松町若松町は他に上京区・中京区・東山区にもある。西若松町・東若松町が下京区にある。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1616京の通り・高倉通り北へNO12稚松小学校跡地次回の記事⇒1618下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1617京の通り・高倉通り北へNO13寺・憶念寺

  • まち歩き下1616 京の通り・高倉通り 北へ NO12 稚松小学校跡地

    元・稚松小学校(六条院小学校)の碑わかまつしょうがっこう稚松小学校の前身は明治2年10月26日間之町五条下ル大津町に下京第17番小学校として創設明治5年5月3日に下京第25区間津小学校と改称明治9年11月現在の若松町に移転し稚松小学校と改称した地元の熱い協力もあって大正14年7月に鉄筋コンクリート造3階建教室が完成し後に講堂・職員室・作法室が完成した昭和22年4月1日に京都市立稚松小学校として新制度の開校平成4年4月稚松・皆山各学区が統合し六条院小学校として発足平成22年に稚松・菊浜・皆山・崇仁・植柳各学区と統合し下京渉成小学校が新築開校いたしました関連記事⇒まち歩き下1450元六条院小学校校舎解体中まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1615京の通り・高倉通り北へNO11上珠数屋町通次回の記事⇒1617下の地図のユ...まち歩き下1616京の通り・高倉通り北へNO12稚松小学校跡地

  • まち歩き下1615 京の通り・高倉通り 北へ NO11 上珠数屋町通

    北方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1614京の通り・高倉通り北へNO10寺・法願寺次回の記事⇒1616下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1615京の通り・高倉通り北へNO11上珠数屋町通

  • まち歩き下1614 京の通り・高倉通り 北へ NO10 寺・法願寺

    関連記事⇒寺院下0435法願寺真宗大谷派まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1613京の通り・高倉通り北へNO9下珠数屋町通次回の記事⇒まち歩き下1615京の通り・高倉通り北へNO11上珠数屋町通下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1614京の通り・高倉通り北へNO10寺・法願寺

  • まち歩き下1613 京の通り・高倉通り 北へ NO9 下珠数屋町通

    この塀の中は枳殻邸まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1612京の通り・高倉通り北へNO8壁面の模様次回の記事⇒1614下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1613京の通り・高倉通り北へNO9下珠数屋町通

  • まち歩き下1612 京の通り・高倉通り 北へ NO8 壁面の模様

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1611京の通り・高倉通り北へNO7七条仏所跡平等院の阿弥陀像はここで作られた次回の記事⇒1613下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1612京の通り・高倉通り北へNO8壁面の模様

  • まち歩き下1611 京の通り・高倉通り 北へ NO7 七条仏所跡 平等院の阿弥陀像はここで作られた

    七条仏所跡(しちじょうぶっしょあと)この地は、平安時代中期に活躍した仏師(仏像彫刻家)定朝をはじめ、その一族・子弟・子孫が長く居住して彫刻に励んだ「仏所」のあった所で、「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれていた。定朝は、平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像(国宝)の作者で、「和様」と呼ばれる優れた彫刻様式を完成したほか、卓越した技術によって僧綱位の法橋を与えられ、仏師の共同組織として仏所の制度を整えるなど、仏師の社会的地位の向上に努めた。これらのことから、定朝は我が国における仏師の祖と仰がれている。鎌倉時代に入って、この部所から運慶・湛慶・快慶らが相次いで現れ、剛健な、また写実的な多くの名作を世に送った。しかし、室町時代に入って、彫刻は全体としてふるわず、この仏所も21代康正のとき四条烏丸に移転した。その後、幕末の兵...まち歩き下1611京の通り・高倉通り北へNO7七条仏所跡平等院の阿弥陀像はここで作られた

  • まち歩き下1610 京の通り・高倉通り 北へ NO6 まちなみ風景

    2019年11月撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1609京の通り・高倉通り北へNO5輪形地蔵尊猿寺の地蔵尊次回の記事⇒1611下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1610京の通り・高倉通り北へNO6まちなみ風景

  • まち歩き下1609 京の通り・高倉通り 北へ NO5 輪形地蔵尊 猿寺の地蔵尊

    輪形の石・車石車石⇒まとめ005車石のあるところまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1608京の通り・高倉通りNO4寺・猿寺・正行寺次回の記事⇒1610下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1609京の通り・高倉通り北へNO5輪形地蔵尊猿寺の地蔵尊

  • まち歩き下1608 京の通り・高倉通り NO4 寺・猿寺・正行寺

    正行院は、天文7年(1538)に円誉上人(1496~1584)が、開山した寺である。円誉上人は、京都北山の中川の里で念仏修行の時、庵に遊びに来る多くの猿たちの首に「南無阿弥陀仏」と書いた名号を結びつけて、お守りにせよと授けられた。お守りを首にかけた猿は、ある日漁師に命を狙われたが、そのお守りのご利益で、猿の命は救われた。猿の命を狙った猟師は、そうした奇縁から改心して正行院で出家して僧となり、今まで殺生してきた動物たちの供養をして生涯を終えた。その話が都に広まり、正行院は「猿寺」と呼ばれるようになった。寺には、八百頭の猿の人形が飾られており、その中には、お釈迦さまが説きになった「八正道」を猿が体で表した。「見ざる、思わざる、言わざる、為さざる、合掌ざる、持たざる、忘れざる、聞かざる」の八猿がある。京都市猿の像が見...まち歩き下1608京の通り・高倉通りNO4寺・猿寺・正行寺

  • まち歩き下1607 京の通り・高倉通り 北へ NO3 塩小路通

    北方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1606京の通り・高倉通り北へNO2高倉跨線橋新幹線・在来線次回の記事⇒1608下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1607京の通り・高倉通り北へNO3塩小路通

  • まち歩き下1606 京の通り・高倉通り 北へ NO2 高倉跨線橋 新幹線・在来線

    新幹線在来線関連記事⇒まとめ016新幹線まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1605京の通り・高倉通北へNO1新幹線高架下次回の記事⇒1607下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1606京の通り・高倉通り北へNO2高倉跨線橋新幹線・在来線

  • まち歩き下1605 京の通り・高倉通 北へ NO1 新幹線高架下

    高倉通京都駅・竹田街道から北へ丸太町通・京都御苑までの3.5㎞を北へ進みますこの上は新幹線北方向に京都駅のビル右方向は大津方面奈良線の電車跨線橋まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1604京の通り・堺町通NO81五条通次回の記事⇒1606下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1605京の通り・高倉通北へNO1新幹線高架下

  • まち歩き下1604 京の通り・堺町通 NO81 五条通

    南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1603京の通り・堺町通NO80家の前にリアカー次回の記事⇒1605下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1604京の通り・堺町通NO81五条通

  • まち歩き下1603 京の通り・堺町通 NO80 家の前にリアカー

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1602京の通り・堺町通NO店次回の記事⇒1604下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1603京の通り・堺町通NO80家の前にリアカー

  • まち歩き下1602 京の通り・堺町通 NO 店

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1601京の通り・堺町通NO78万寿寺通次回の記事⇒1603下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1602京の通り・堺町通NO店

  • まち歩き下1601 京の通り・堺町通 NO78 万寿寺通

    南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1600京の通り・堺町通NO77寺・大念寺次回の記事⇒1602下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1601京の通り・堺町通NO78万寿寺通

  • まち歩き下1600 京の通り・堺町通 NO77 寺・大念寺

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1599京の通り・堺町通NO76町名・鍛冶屋町.次回の記事⇒1601下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1600京の通り・堺町通NO77寺・大念寺

  • まち歩き下1599 京の通り・堺町通 NO76 町名・鍛冶屋町

    鍛冶屋町【かじやちょう】中京区にも鍛冶屋町がある伏見区の鍛冶屋町は【かじやまち】まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1598京の通り・堺町通NO75鉄輪の井戸次回の記事⇒1600下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1599京の通り・堺町通NO76町名・鍛冶屋町

  • まち歩き下1598 京の通り・堺町通 NO75 鉄輪の井戸

    『鉄輪』とは怨霊を題材とする謡曲である。夫に離別された女が,貴船社に丑の刻参りを果たし,火を灯した鉄輪を頭に載せた鬼のような形相の生霊となってその男の枕元に立ち,恨みを晴らそうしたが,陰陽師安倍晴明の祈祷により退散したという。この石標は,登場人物の男が住んでいたとされる地に因んで建てられた。なお,この地には鉄輪ノ井と名付けられた井戸があるが,謡曲『鉄輪』には出てこない。1935年建立者鍛冶屋町敬神会謡曲伝示鉄輪跡鍛冶屋町敬神会昭和十年十一月建之路地を奥へ進んでいきます狭い場所にありました「鉄輪ノ井」由来謡曲「鉄輪」は、男に捨てられた市井の女が、貴船へ゛丑ノ刻詣り゛をして、相手の男と、その後妻を祈り殺そうとする話が骨子になっていますが、この井戸は゛鉄輪の女゛が住んでいたところのものだといゝ、一説には身投げをした井...まち歩き下1598京の通り・堺町通NO75鉄輪の井戸

  • まち歩き下1597 京の通り・堺町通 NO74 店・手拭・のれん・・

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1596京の通り・堺町通NO73民家次回の記事⇒1598下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1597京の通り・堺町通NO74店・手拭・のれん・・

  • まち歩き下1596 京の通り・堺町通 NO73 民家

    大正かな昭和かな築年はいつ頃だろうまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1595京の通り・堺町通NO72松原通次回の記事⇒1597下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1596京の通り・堺町通NO73民家

  • まち歩き下1595 京の通り・堺町通 NO72 松原通

    南方向を見る杉屋町【すぎやちょう】中京区にも杉屋町があるまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1594京の通り・堺町通NO71石碑・源氏物語夕顔次回の記事⇒1596下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1595京の通り・堺町通NO72松原通

  • まち歩き下1594 京の通り・堺町通 NO71 石碑・源氏物語 夕顔

    関連記事⇒石碑下0030夕顔之墳源語伝説五条辺まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1593京の通り・堺町通NO70町名・泉正寺町・夕顔町次回の記事⇒1595下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1594京の通り・堺町通NO71石碑・源氏物語夕顔

  • まち歩き下1593 京の通り・堺町通 NO70 町名・泉正寺町・夕顔町

    泉正寺町(せんしょうじちょう)同じ町名が中京区にもある。夕顔町(ゆうがおちょう)伏見区に淀川顔町(よどがわづらちょう)がある。まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1592京の通り・堺町通NO69高辻通次回の記事⇒1594下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1593京の通り・堺町通NO70町名・泉正寺町・夕顔町

  • まち歩き下1592 京の通り・堺町通 NO69 高辻通

    南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1591京の通り・堺町通NO68仏光寺次回の記事⇒1593下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1592京の通り・堺町通NO69高辻通

  • まち歩き下1591 京の通り・堺町通 NO68 仏光寺

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1590京の通り・堺町通NO67仏光寺通長屋次回の記事⇒1592下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1591京の通り・堺町通NO68仏光寺

  • まち歩き下1590 京の通り・堺町通 NO67 仏光寺通 長屋

    3軒の長屋まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1489京の通り・柳馬場通NO22通り抜け道次回の記事⇒1591下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1590京の通り・堺町通NO67仏光寺通長屋

  • まち歩き下1589 京の通り・堺町通 NO66 八段・ 刃物屋さん

    ホームページより早川信久(隆教)とは早川刃物店のブランドは「早川信久」で、「早川信久」「信久」「八段早川信久」の銘が入る。早川信久は初代店主であり、八段の段位を取った棋士でもある。棋界での名は早川隆教、本名は亀次郎という。伝聞によるものであることをご承知いただきたいが、当時の棋界は団体が整備されておらず、棋士の生活は将棋では成り立たなかった。多くの棋士は賭将棋による収入か、「(今でいう)将棋教室」運営によって生計をたてていたらしい。早川隆教は賭将棋を嫌い、また将棋は虚業であるという判断をくだし「刃物屋を本業とする」信念をもっていた。刃物屋を営む傍ら教室を開き、人に将棋を教えた。こうして「将棋八段の刃物屋」が誕生したというわけである。隆教は逸話の多い人である。当時珍しかった車にはねられ、片足を傷めた。このときから...まち歩き下1589京の通り・堺町通NO66八段・刃物屋さん

  • まち歩き下1588 京の通り・堺町通 NO65 路地・通り抜け

    反対側から見るとまち歩き下1489京の通り・柳馬場通NO22通り抜け道まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1587京の通り・堺町通NO64店・版画店次回の記事⇒1589下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1588京の通り・堺町通NO65路地・通り抜け

  • まち歩き下1587 京の通り・堺町通 NO64 店・版画店

    2019年11月撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1586京の通り・堺町通NO63綾小路通次回の記事⇒1588下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1587京の通り・堺町通NO64店・版画店

  • まち歩き下1586 京の通り・堺町通 NO63 綾小路通

    南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き下1585京の通り・堺町通NO62仁丹・通り名・町名看板次回の記事⇒1587下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1586京の通り・堺町通NO63綾小路通

  • まち歩き下1585 京の通り・堺町通 NO62 仁丹・通り名・町名看板

    関連記事⇒下京区堺町通仁丹まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1584京の通り・堺町通NO61店・箸屋さん次回の記事⇒1586下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1585京の通り・堺町通NO62仁丹・通り名・町名看板

  • まち歩き下1584 京の通り・堺町通 NO61 店・箸屋さん

    ホームページよりお箸の専門店。創業:明和元年(1764年)。禁裏御用御箸司として今に至ります。食事用をはじめ、茶懐石、料理用等あらゆる用途に合わせて材を選び、使いやすさを追求して、最適のお箸を提供しております。店内に並ぶ箸は400種類以上ございます。長刀鉾の粽まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1583京の通り・堺町通NO60地蔵尊ビル群の中の木造民家次回の記事⇒1585下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1584京の通り・堺町通NO61店・箸屋さん

  • まち歩き下1583 京の通り・堺町通 NO60 地蔵尊 ビル群の中の木造民家

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1582京の通り・堺町通NO59佐賀鍋島藩屋敷跡次回の記事⇒1584下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1583京の通り・堺町通NO60地蔵尊ビル群の中の木造民家

  • まち歩き下1582 京の通り・堺町通 NO59 佐賀 鍋島藩屋敷跡

    関連記事⇒石碑佐賀鍋島藩屋敷跡まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1581京の通り・堺町通NO58四条通.次回の記事⇒1583下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1582京の通り・堺町通NO59佐賀鍋島藩屋敷跡

  • まち歩き中1581 京の通り・堺町通 NO58 四条通

    南方向を見る長刀鉾からくり時計まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1580京の通り・堺町通NO57ビル壁面に地蔵尊次回の記事⇒1582下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1581京の通り・堺町通NO58四条通

  • まち歩き中1580 京の通り・堺町通 NO57 ビル壁面に地蔵尊

    応挙地蔵尊と書かれていますまち歩き前回の記事⇒まち歩き中1579京の通り・堺町通NO56店・包丁次回の記事⇒1581下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1580京の通り・堺町通NO57ビル壁面に地蔵尊

  • まち歩き中1579 京の通り・堺町通 NO56 店・包丁

    ホームページより弊店の先祖は、安政年間(1854年頃)に「刀鍛冶」を生業とし、亀岡藩松平公の御留鍛冶としてお仕えしていました。明治二年の廃刀令以降は、御料理庖丁・打刃物製造・調理用御道具類専門店として、刃物を中心とした質の良い調理道具全般を提供し続け、今日に至っております。まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1578京の通り・堺町通NO55店・京湯葉次回の記事⇒1580下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1579京の通り・堺町通NO56店・包丁

  • まち歩き中1578 京の通り・堺町通 NO55 店・京湯葉

    ホームページより千丸屋は、1804年(文化元年)の創業以来200年ものあいだ、京都市中京区堺町四条上ルの当地にて、京湯葉づくり一筋に商いを続けてまいりました。海に遠く、しかも寺社の多い京都におきまして、京湯葉は京料理や精進料理になくてはならない存在。殊に滋味豊かな千丸屋の京湯葉は、各宗総本山御用達の栄に俗しています。今後も昔ながらの製法をそのままに受け継ぎ、心を込めて味の真髄を伝えてまいります。まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1577京の通り・堺町通NO54銭湯・木造3階建次回の記事⇒1579下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1578京の通り・堺町通NO55店・京湯葉

  • まち歩き中1577 京の通り・堺町通 NO54 銭湯・木造3階建

    関連記事⇒ニュース002全国の銭湯の料金まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1576京の通り・堺町通NO53錦小路通次回の記事⇒1578下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1577京の通り・堺町通NO54銭湯・木造3階建

  • まち歩き中1576 京の通り・堺町通 NO53 錦小路通

    2019年11月1日撮影南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き中1575京の通り・堺町通NO52民家と店次回の記事⇒1577下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1576京の通り・堺町通NO53錦小路通

  • 3月の運動記録 つづけることが大切 2年と3ヶ月目

    2021年3月の運動記録階段1回で高さ3m往復、ダンベル1回・2個で16㌔12日11日10日9日8日7日6日5日4日3日2日階段昇降120回【180】、ダンベル160回【320】、腹筋40回【80】1日階段昇降60回【】、ダンベル160回【】、腹筋40回【】2月の運動記録階段1回で高さ3m往復、ダンベル1回・2個で16㌔階段昇降【2520】7560㍍、ダンベル【4212】67トン、腹筋【1053】ウォーキング9300歩5㎞⇒運動記録2年と2ケ月目一番大切なことは続けること1月の運動記録3330往復(高さ9990m)、ダンベル4560回(73トン)、腹筋1140回、ウォーキング7180歩(4㎞)CD1594⇒運動記録2年と1ケ月目一番大切なことは続けること2020年12月の運動記録3120往復(高さ9360m)、...3月の運動記録つづけることが大切2年と3ヶ月目

  • まち歩き中1575 京の通り・堺町通 NO52 民家と店

    右の家は店のようだ料理屋かまち歩き前回の記事⇒まち歩き中1574京の通り・堺町通NO51仁丹・通り名・町名看板次回の記事⇒1576下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1575京の通り・堺町通NO52民家と店

  • まち歩き中1574 京の通り・堺町通 NO51 仁丹・通り名・町名看板

    雁金町(かりがねちょう)関連記事⇒仁丹町名ホーロー看板下京区版まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1573京の通り・堺町通NO50蛸薬師通次回の記事⇒1575下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1574京の通り・堺町通NO51仁丹・通り名・町名看板

  • まち歩き中1573 京の通り・堺町通 NO50 蛸薬師通

    南方面を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き中1572+京の通り・堺町通NO49石碑・石田梅岩邸跡次回の記事⇒1574下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1573京の通り・堺町通NO50蛸薬師通

  • まち歩き中1572+京の通り・堺町通 NO49 石碑・石田梅岩邸跡

    石田梅岩(梅巌,1685~1744)は,丹波の農家出身で上洛して商家に奉公する傍ら,独学で平易な町人哲学を確立した。これを石門心学という。享保14(1729)年,車屋町御池上るの自宅に講席を開き心学の普及に尽力した。この石標は元文2(1737)年に最初の講義の地から移転して講席を開いた石田梅岩邸宅の跡を示す。大正五年五月建之京都市教育会関連記事⇒石碑元日彰小学校日彰学区の歴史石碑7手島堵庵五楽舎址富小路六角上る幕末の学校まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1571京の通り・堺町通NO48店・米穀店次回の記事⇒1573下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1572+京の通り・堺町通NO49石碑・石田梅岩邸跡

  • まち歩き中1571 京の通り・堺町通 NO48 店・米穀店

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1570京の通り・堺町通NO47町名・甲屋町次回の記事⇒1572下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1571京の通り・堺町通NO48店・米穀店

  • まち歩き中1570 京の通り・堺町通 NO47 町名・甲屋町

    ここは、甲屋町(かぶとやちょう)他に亀甲屋(きっこうやちょう)がある。まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1569京の通り・堺町通NO46民家次回の記事⇒1571下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1570京の通り・堺町通NO47町名・甲屋町

  • まち歩き中1569 京の通り・堺町通 NO46 民家

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1568京の通り・堺町通NO45六角通次回の記事⇒1570下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1569京の通り・堺町通NO46民家

  • まち歩き中1568 京の通り・堺町通 NO45 六角通

    2019年11月撮影南方向を見るまち歩き前回の記事⇒まち歩き中1567京の通り・堺町通NO44民家・隣は工事中ビルになる次回の記事⇒1569下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1568京の通り・堺町通NO45六角通

  • まち歩き中1567 京の通り・堺町通 NO44 民家・隣は工事中 ビルになる

    2019年11月撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き中1566京の通り・堺町通NO43麻の店次回の記事⇒1568下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き中1567京の通り・堺町通NO44民家・隣は工事中ビルになる

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