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アートプラス京めぐりさんのプロフィール

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右京区
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右京区

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ブログタイトル
アートプラス京めぐり
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/korede193
ブログ紹介文
京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました
更新頻度(1年)

799回 / 365日(平均15.3回/週)

ブログ村参加:2015/02/19

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アートプラス京めぐりさんの新着記事

1件〜30件

  • まち歩き城陽1114 JR長池駅 周辺の見どころ

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き城陽1113鴻の巣山山頂からの眺め下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1114JR長池駅周辺の見どころ

  • 史跡城陽054  縄文時代の遺跡 森山遺跡

    森本遺跡遺構の復元断面古墳時代の方形周溝遺構の溝の断面をイメージ復元しました。溝の底からお祭りに使ったと思われる土器がたくさん出土しました。森本遺跡は、縄文時代後期(約4000年前)に人々が暮らした集落遺跡で、竪穴住居などが見つかっています。キャラクターは、森山遺跡で暮らした縄文人の家族の中で、弓矢を使って狩猟を行う父親をモチーフにしています。史跡森山遺跡縄文時代(今から約4000年前)から古墳時代(今から1400年前)の集落の跡です。縄文時代の集落は、広場を中心にU字形に6棟の竪穴住居が作られていました。また集落の南の端には、配石遺構し呼ばれる石を並べたお墓が見つかっています。この集落では、20~30人くらいの人々が生活していたと考えられます。竪穴住居がたびたび建て替えられた跡がないことや出土した土器(縄文土...史跡城陽054縄文時代の遺跡森山遺跡

  • 寺院城陽0683 常光庵 

    誰だろう有名人かな寺院前回の記事⇒右0682寺院右0682仁和寺の紅葉下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院城陽0683常光庵

  • 神社城陽0206 水度神社 (みと神社)  本殿・重要文化財

    鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神・高御産霊神・少童豊玉姫命です。「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祇社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。平安時代前期に成立した『延喜式』には、「水渡神社三座」と記されています。重要文化財の本殿は一間社流造で、文安5年(1448)に造営された市内に現存する最古の建物です。屋根は桧皮葺で、正面に大きな千鳥破風があります。また、庇の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。「おかげ踊り図絵馬」は、文政13年(1830)11月1日に寺田村北東町...神社城陽0206水度神社(みと神社)本殿・重要文化財

  • まち歩き城陽1113 鴻の巣山 山頂からの眺め

    中央の山は愛宕山平成30年12月9日撮影まち歩き前回の記事⇒まち歩き城陽1112大木水度神社参道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1113鴻の巣山山頂からの眺め

  • まち歩き城陽1112 大木 水度神社参道

    瘤がすごい大きく曲がっています関連記事⇒まとめ001樹木まち歩き前回の記事⇒まち歩き城陽1111歌碑鷺坂柿本人麿下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1112大木水度神社参道

  • 史跡城陽053 正道官衙址 

    遺跡の発見標高40~50mの南向きの台地上にあるこの遺跡は、昭和40年(1965)、台地西端の池畔で瓦片や土器片が見つかり、古代寺院があったと推定されて「正道廃寺跡」と名付けられました。しかし、昭和48年(1973)2月からの大規模な発掘調査では、寺院跡とみるより、奈良時代の郡衙(郡の役所)中心部分と推定される建物群跡が確認され、昭和49年(1974)には名称も「正道遺跡」と改められました。その後、付近で部分的な発掘調査を続けた結果、遺跡西側にも建物群跡があることがわかっています。国の史跡にこの遺跡は、5世紀の小規模な古墳と6世紀後半から7世紀にかけての集落遺構、そして7世紀以降の整然と配置された大型の掘立柱建物群からなる官衙(奈良時代の役所)遺構などが重なり合う複合遺跡です。特に官衙遺構は歴史・地理的背景や出...史跡城陽053正道官衙址

  • 神社城陽0205 久世神社 本殿・重要文化財  久世廃寺跡

    久世神社西側の境内地にあたる。以前からこの辺に布目瓦が散布し、古い寺院跡があることが伝わっていたが、昭和43年、測量が行われた結果、東西に並ぶ2ケ所の土壇があることが確認された。東は塔跡、西は金堂跡と推定され、講堂はこれより北に位置するものと思われたが、今のところ判明していない。出土遺物は飛鳥様式の軒丸瓦や軒平瓦が多く、南門付近ではまた天平様式の見事な金銅仏(奈良時代)が出土した。寺域はほぼ1町(約108m)を占めるものとみられ、伽藍配置は平川廃寺とは逆に、いわゆる法起寺式であり、奈良時代前期に建立された寺院であることが判明した。寺名については明らかでなく「久世廃寺」と称している。塔跡は、東西13.7m、南北13.4mの瓦積基壇と推定されています。金堂跡は、東西26.7m、南北21.3mの瓦積基壇です。講堂跡は...神社城陽0205久世神社本殿・重要文化財久世廃寺跡

  • 古墳城陽21 芝ケ原遺跡  

    芝ケ原遺跡は、東から西に延びる芝ケ原丘陵にひろがる遺跡です。これまでの発掘調査で、古墳時代後半から飛鳥時代の集落跡や古墳時代中ごろの古墳などが見つかっています。また遺跡の範囲内には、芝ケ原古墳群や久世廃寺があります。集落跡からは、竪穴住居と掘立柱建物があわせて約200棟みつかっており、大規模な集落であったことがわかってます。竪穴住居は、一辺が2~6mあり、ほとんどがカマドを持っています。竪穴住居は、出土遺物から古墳時代後期(6世紀後半)~飛鳥時代初め(7世紀初め)に営まれたものと考えられます。掘立柱建物は、8.3m×3.8m(5間×2間)のものが最も大きく、また倉庫と考えられる建物も4棟みつかっています。掘立柱建物は、出土遺物から古墳時代末(6世紀末)~飛鳥時代末(7世紀末)のものと考えられます。芝ケ原遺跡の集...古墳城陽21芝ケ原遺跡

  • 道標城陽0270 久世鷺坂の碑  三宅石碑

    久世鷺坂舊跡昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建立関連記事⇒関連0002三宅安兵衛の道標道標前回の記事⇒道標左0269後鳥羽天皇・順徳天皇御陵参道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標城陽0270久世鷺坂の碑三宅石碑

  • まち歩き城陽1111 歌碑 鷺坂 柿本人麿

    ここは万葉歌の久世の鷺坂この歌は飛鳥時代、万葉の歌人柿本人麿らが鷺坂を往来してうちに、その美しい景色に感動し、「山城の久世の鷺坂は、神代の昔から、春はいっせいに若葉がもえ、秋はひたすらちってしまうのだなあ」と四季の素晴らしさを詠んだという。柿本人麿歌集として万葉集巻九におさめられている。ここ鷺坂一帯は、万葉集など和歌の名所であり、また、飛鳥・白鳳時代の寺院跡(久世廃寺跡)をはじめとする古代遺跡跡が集中し、政治・文化の中心地であった。まち歩き前回の記事⇒まち歩き城陽1110JR城陽駅前観光案内図下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1111歌碑鷺坂柿本人麿

  • まち歩き城陽1110  JR城陽駅前 観光案内図

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き城陽1109JR城陽駅下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1110JR城陽駅前観光案内図

  • まち歩き城陽1109 JR城陽駅

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き下1108京都駅奈良線9番ホーム下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き城陽1109JR城陽駅

  • まち歩き下1108 京都駅 奈良線9番ホーム

    関連記事⇒まち歩き下0266JR京都駅奈良線ホームまち歩き前回の記事⇒まち歩き右1107雲水修行僧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き下1108京都駅奈良線9番ホーム

  • 紅葉だより001  仁和寺 八十八ケ所 一番札所

    平成30年11月28日撮影下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます紅葉だより001仁和寺八十八ケ所一番札所

  • ポスター0110 仁和寺 372年、秘められた時を越え、五躰の明王 初公開

    2018年のものですポスター前回の記事⇒ポスター0109三千院ポスター0110仁和寺372年、秘められた時を越え、五躰の明王初公開

  • 寺院右0681  仁和寺の紅葉

    2018年11月28日撮影寺院前回の記事⇒寺院左0681宝泉院血天井五葉の松袈裟懸け石下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院右0681仁和寺の紅葉

  • 陽明文庫  日本歴史の解明につながる

    2019年11月記事追加2018年11月28日撮影見学することができました2015年10月14日の記事陽明文庫と書かれています右の方へ行きます次に左へ道なりに進みます虎山荘という建物がありましたさらに進んでいきます昭和13年(1938)10月、時の首相近衛文麿公が同家に伝わる多くの古文書、古典籍、古美術工芸品等を一括保存管理するために設立された特殊図書館です。近衛家の歴代は官職の最高位にのぼり、常に朝廷の公事儀式を中心とした政治の場に関与していたから、これら議事典礼などに関する記録をしたため、代々伝えのこしてゆくことがもっとも重要なことであった。主なる収蔵品は、御堂関白藤原道長の自筆日記(12年分)をはじめ、二十数代にわたる近衛家歴代の関白の自筆日記、など20万点。国宝8件、重要文化財49件に及ぶ。日本歴史の流...陽明文庫日本歴史の解明につながる

  • まち歩き右1107  雲水 修行僧

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1106三千院実行院歩道下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き右1107雲水修行僧

  • 他府県001  奈良県 新薬師寺

    平成30年5月9日撮影本堂本堂の中の様子はこんな感じです他府県001奈良県新薬師寺

  • 神社右0047  福王子神社

    2019年11月9日記事追加画像は2018年11月28日のもの福王子神社第58代光孝天皇の皇后斑子皇后がおまつりしてあり斑子皇后は仁和寺の開山祖宇多天皇の御母君であらせらるところから古くより仁和寺の鎮守神であります。この御神殿は寛永21年今から330年前3代将軍徳川家光公と仁和寺法主覚深親王が仁和寺大伽藍と共に新たに御造営された社殿でそれ以前は深川神社(本社末社共)と申し上げ平安朝時代からあった神社で延喜式の社号がございました、が応仁の戦乱で惜しくもすっかり焼失してしまいました。現在の福王子神社はこの深川神社の後身であり御再建以来、仁和寺歴代親王の崇敬あつく今日も尚お祭りには奉幣の儀が行われています。又、御祭神斑子皇后は至極お気軽なお気持ちの方でその御神徳をお慕い申し上げ、古くから東紙屋川、西廣沢大沢池畔、嵯峨...神社右0047福王子神社

  • まち歩き左1106  三千院 実行院 歩道

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1105千枚漬けの材料まち歩き左1106三千院実行院歩道

  • 寺院左0681 宝泉院  血天井 五葉の松 袈裟懸け石

    令和元年11月5日撮影宝泉院実行院と同じく、勝林院山内の一院で、寿永年間(1182~85)声明研究の専門寺院として創建されたと伝える。現在の書院は室町時代の文亀2年(1502)の再建であるが、廊下の天井は俗に「血天井」とよび、慶長5年(1600)伏見城を死守した鳥居元忠が自刃した時の板間と伝える。皇慶阿闍梨が大原在住のとき、常に従う護法童子は師の袈裟の汚れを天竺の無熱池に行って洗いすすぎ、この石に掛けて乾かしたという。もと若狭街道の路傍にあったが、近年移したものらしい。法然上人衣掛石と書かれいてます「五葉の松」は、樹齢600年を数える老松で、近江富士に型どってつくられている。夜間ライトアップ平成30年11月27日撮影寺院前回の記事⇒左0680寺院左0680三千院往生極楽院下の地図のユーザー地図の囲みをクリックす...寺院左0681宝泉院血天井五葉の松袈裟懸け石

  • 石仏左039 三千院内で 鎌倉時代

    石仏前回の記事⇒石仏左038大原摂取院近く下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石仏左039三千院内で鎌倉時代

  • 寺院左0680 三千院  往生極楽院

    三千院天台宗五箇室門跡の1つ。最澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を建立したのが起こり。大正初年に修補された客殿内部各室の襖は竹内栖鳳等、当時の京都画壇を代表する五氏の筆により飾られている。本堂往生極楽院(重要文化財)は江戸時代に大修理を行ったが、内陣は、比較的古形を保つ。殊に山形に板を貼り、25菩薩の来迎図を描いた船底天井は有名で、堂内に阿弥陀如来両脇士坐像(三体・重要文化財)が安置されている。朱雀門寺院前回の記事⇒寺院左0679三千院門前駒札・境内図・歌碑関連記事⇒まとめ045京都府の重要文化財・国宝建物下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0680三千院往生極楽院

  • 寺院左0679  三千院門前 駒札・境内図・歌碑

    三千院天台宗五箇室門跡の1つ。最澄(伝教大師)が比叡山に庵を結んだ時、東塔南谷に一堂を建立したのが起こり。本堂往生極楽院(重要文化財)は江戸時代に大修理を行ったが、内陣は、比較的古形を保つ。殊に山形に板を貼り、25菩薩の来迎図を描いた船底天井は有名で、堂内に阿弥陀如来両脇士坐像(三体・重要文化財)が安置されている。大正初年に修補された客殿内部各室の襖は竹内栖鳳等、当時の京都画壇を代表する五氏の筆により飾られている。読み取れる文字は千魚など細すぎて読み切れないたぶん歌が詠まれているのだろう寺院前回の記事⇒寺院左0678念佛寺天台宗下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0679三千院門前駒札・境内図・歌碑

  • 道標左0269  後鳥羽天皇・順徳天皇 御陵参道

    道標前回の記事⇒道標左0268第二十壱番札所勝林院下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標左0269後鳥羽天皇・順徳天皇御陵参道

  • まち歩き左1105 千枚漬けの材料

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1104茅葺の家築200年関連記事⇒千枚漬け漬け込まれましたへたは処分へ下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1105千枚漬けの材料

  • 寺院左0678 念佛寺 天台宗

    寺院前回の記事⇒寺院左0677摂取院蛇寺浄土宗鎮西派下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0678念佛寺天台宗

  • まち歩き左1104 茅葺の家 築200年

    茅葺の家大原の里は、かつては茅葺の里でした。夕方ともなると破風(はふう大屋根の三角の換気孔)から夕餉の煙の立つ様はのどかそのものでした。今では、年々減少して残り少なくなってしまいました。この田中家は、築200年経ってはおりますが、保存もゆき届いてその優美な姿では屈指のものですまち歩き前回の記事⇒まち歩き左1103大原の風景下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1104茅葺の家築200年

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