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アートプラス京めぐりさんのプロフィール

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アートプラス京めぐり
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https://blog.goo.ne.jp/korede193
ブログ紹介文
京都の探索中、記事数5200、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板 京都府南部も始めました
更新頻度(1年)

752回 / 357日(平均14.7回/週)

ブログ村参加:2015/02/19

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アートプラス京めぐりさんの新着記事

1件〜30件

  • 愛宕灯籠左078 岩倉 村松緑地公園

    関連記事⇒愛宕燈籠一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます愛宕灯籠左078岩倉村松緑地公園

  • 史跡左051 一言神社 旧跡 

    一言神社『岩倉村誌』(1905年)によると、祭神は一言主[ひとことぬし]大神。『岩倉村誌』によると「由緒勧請創立年月不詳」ですが、一言主神社の総本社(奈良県御所市)が賀茂氏の本拠地の高嶋神社近くにあるので、賀茂氏の移動に伴い、一言主神をまつる人たちがこの地にやってきて、まつるようになった可能性が高いと思われます。地元では願いを一言だけきいてくれる神として親しまれています。一言神社は今では石座(いわくら)神社境内にありますが、元はここから南東約150mの正水山(しょうずやま)にありました。元の社殿は、後水尾天皇の娘で岩倉の万年岡茶屋に住んでいた女三宮が寛文8年(1668)に再営したものです。明治11年(1878)に石座神社境内へ遷座。その後も正水山にこの石碑が残されていましたが、村松団地の建設に伴い、昭和48年(...史跡左051一言神社旧跡

  • 運動記録 11月分

    11月の運動記録16日ウォーキング22006歩14日階段昇降11㎏100往復月合計300往復12日ウォーキング10353歩11日階段昇降11㎏100往復月合計200往復8日階段昇降11㎏100往復月合計100往復6日ウォーキング25316歩5日ウォーキング19211歩4日ウォーキング24717歩3日ウォーキング26446歩2日ウォーキング13702歩1日ウォーキング22376歩家の階段14段を往復。11㎏リュックを背負う。利点雨の日でも、風の日でも、酷暑のときでも、夜でもいつでもできるどんな服装でもできる暑さ対策、寒さ対策、紫外線対策、雷に対して不安なくできる筋力がつく、体力がつくなにかといいことが多い。このほかにダンベルを使って腕・上半身の筋力アップ・維持を100回。継続するかがポイントテレビをちらちら見なが...運動記録11月分

  • 寺院左0669 是心寺 臨済宗相国寺派

    臨済宗相国寺派の寺。文禄元年(1592)の創建という。本尊は釈迦如来。手入れの行き届いた庭がある禅寺で樹齢数百年の五葉松もある。焔魔堂のなかに、閻魔大王を始めとする十王像、書記役の司令・司禄像と奪衣婆の各乾漆像を安置する。十王像がそろって祀られているのは大変珍しい。またこの像は、もと木野街道の「十王堂橋」の脇にあったものを明治初期に移したという。門の脇の石仏門の脇にある閻魔堂この中に十王像があります関連記事⇒祠北042岩倉川十王堂橋付近の草に覆われた祠寺院前回の記事⇒寺院左0668来迎院浄土宗鎮西派下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0669是心寺臨済宗相国寺派

  • 寺院左0668 来迎院 浄土宗鎮西派

    慶長元年(1596)の創建と伝わる寺院前回の記事⇒寺院左0667長源寺浄土宗重要文化財下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0668来迎院浄土宗鎮西派

  • 寺院左0667 長源寺 浄土宗 重要文化財

    浄土宗鎮西派の寺で寛正4年(1463)上長谷に創建されたと伝わる。明治5年(1872)長谷村に5つの寺がまとめられて長源寺となったため、仏像を多く所蔵する。本堂内正面厨子の阿弥陀如来は江戸期、脇侍の11面観世音菩薩は平安時代の作(もと常春庵)。薬師如来(もと恵尊寺)も平安時代の作で、重要文化財に指定されている。更に不動明王、地蔵菩薩も安置されている。風変りな建物は戦後に明徳小学校の旧講堂の建材を再利用したもの。この寺の背後の山を小倉山と呼び、戦国時代の山城の跡が残る。関連記事⇒まとめ045京都府の重要文化財・国宝建物寺院前回の記事⇒寺院左0666浄念寺浄土宗鎮西派石仏と十三重塔下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0667長源寺浄土宗重要文化財

  • 愛宕灯籠左077 岩倉 忠在地町 明治24年

    明治24年3月関連記事⇒愛宕燈籠一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます愛宕灯籠左077岩倉忠在地町明治24年

  • 愛宕灯籠左076 岩倉 中在地町 

    後ろの灯籠愛宕の文字が見える関連記事⇒愛宕燈籠一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます愛宕灯籠左076岩倉中在地町

  • 地蔵尊左060 岩倉の町で

    地蔵尊前回の記事⇒地蔵尊左058岩倉延命地蔵尊目無地蔵下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます地蔵尊左060岩倉の町で

  • 蔵のある風景左 岩倉 元八幡宮 付近

    蔵のある風景左岩倉元八幡宮付近

  • 神社左0199 岩倉 元八幡宮 

    皇孫御誕生記念と刻されています2019年で94歳誰のことでしょう。大正14年だと思われます幡の文字が難しい神社前回の記事⇒神社八幡0198天満宮鳥居は享保年間の建立下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社左0199岩倉元八幡宮

  • 蔵のある風景左0388回 岩倉 浄念寺 付近

    蔵のある風景前回の記事⇒蔵のある風景八幡0387回八幡戸津地区蔵のある風景左0388回岩倉浄念寺付近

  • まち歩き左1092 岩倉 道端の石仏

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き左1091岩倉石座神社灯籠皇紀2600年銘下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1092岩倉道端の石仏

  • 寺院左0666 浄念寺 浄土宗 鎮西派 石仏と十三重塔

    慶長2年(1597)の創建と伝わる寺院前回の記事⇒寺院左0665大雲寺天台系下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0666浄念寺浄土宗鎮西派石仏と十三重塔

  • 愛宕灯籠左075  岩倉 村松緑地公園 北辺り

    明治30年9月と記されています関連記事⇒愛宕燈籠一覧下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます愛宕灯籠左075岩倉村松緑地公園北辺り

  • 陵墓左031 実相院宮陵

    実相院宮墓後西天皇皇子義延・伏見宮邦永親王の子義周・慶光天皇皇子健宮を葬る。傍には、大雲寺中興開山義尊僧正や義海上人の墓がある。関連記事⇒まとめ042陵墓下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます陵墓左031実相院宮陵

  • 墓所左010 智弁僧正の墓

    智弁僧正の墓智弁とは諡号(しごう)で、正しくは余慶という。智証大師(円珍)門下の逸材として、第20代天台座主となり、また冷泉天皇皇后の帰依を得て観音院の開山となった。正暦2年(991)77歳で寂した。前回の記事⇒墓所左009藤原藤房遺髪塔下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます墓所左010智弁僧正の墓

  • 石仏左037  鎌倉時代の石仏

    どれが鎌倉時代の石仏なのか石仏前回の記事⇒石仏左036岩倉台座と屋根があります下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石仏左037鎌倉時代の石仏

  • 祠左053 大雲寺 閼伽井 (観音水)

    閼伽井(観音水)別名「智弁水」と云い、智弁僧正(918~991)が霊水を求めて密教の秘法を修められたとされる伝説と、大雲寺文慶上人(965~1046)の夢に跋難陀龍王が現れて「此の地に名水有り、汝に与うべし」とお告げがあり、早速、左の袂をもって大地を撫するとたちまち霊水が湧出したという故事が残っている。干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」と称され古来より霊水として崇められ、心の病・眼の病にことのほか霊験があると平安時代から今日までかわらぬ信仰をあつめている。大雲寺住職道標東赤山北金毘羅祠前回の記事⇒祠北052石仏と不動明王下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます祠左053大雲寺閼伽井(観音水)

  • 源氏物語遺跡29 大雲寺旧境内 北山の「なにがし寺」候補地

    大雲寺旧境内北山の「なにがし寺」候補地当辺は『源氏物語』「若紫」に登場する北山の「なにがし寺」の候補地の1つとされ、元は大雲寺の境内地(寺は1985年に石座神社東に移転)で、現在は北山病院の敷地となっている。寺は紫式部の母方の曾祖父藤原文範が、出家した娘婿の真覚上人のために建立、円融天皇の御願寺となり、49院の僧院からなる叡山西麓最大の天台寺院で、真覚の師が三井寺(園城寺)の僧であったことから寺門派の一大拠点ともなった。その後、冷泉天皇皇后昌子内親王による堂舎の建立で寺は拡大、岩倉観音院とも称し、この時の法要は盛大で、紫式部の父の藤原為時は何度も話題にしており、紫式部も訪れた可能性がある。ここが「なにがし寺」候補地とされる理由は、都から比較的近い距離にあって高僧が住み、かつて庭に遣水のほか、趣きのある滝があって...源氏物語遺跡29大雲寺旧境内北山の「なにがし寺」候補地

  • 花左036 府立植物園 コスモスの花

    令和元年11月2日撮影花前回の記事⇒花035白い花花左036府立植物園コスモスの花

  • 陵墓左030 冷泉天皇 皇后 岩倉陵

    冷泉天皇皇后岩倉陵昌子内親王は朱雀天皇の皇女であるが、大雲寺の観音を深く信仰され、永観3年(985)この地に金色の六観音を安置した講堂をはじめ、五大堂・灌頂堂・法華堂・阿弥陀堂・真言堂の六堂宇を備えた壮大な観音院を建立された。長保元年(999)12月、55歳で崩御の後は法華堂に埋葬された。因って世に観音院太后と称する。観音院はその後の大雲寺を代表する主要伽藍となったが、中世以降は寺運は衰微し、法華堂跡には新羅明神が祀られるに至った。これがために御陵は久しく不明になっていたが、明治17年(1894)に至って治定された。はじめ観音院陵と称し、のちに西坂本陵と改め、明治27年(1894)さらに現在の陵名に改められた。陵墓前回の記事⇒陵墓右029後嵯峨、亀山、後伏見天皇火葬塚関連記事⇒まとめ042陵墓下の地図のユーザー...陵墓左030冷泉天皇皇后岩倉陵

  • まち歩き左1091 岩倉 石座神社 灯籠 皇紀2600年銘

    出征将兵武運長久皇紀2600年記念関連記事⇒神社左0185石座(いわくら)神社まとめ006紀元2600年石碑・献木・奉納額まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1090地名「蜻蛉尻」下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き左1091岩倉石座神社灯籠皇紀2600年銘

  • 石碑左0207 萬里小路 藤原公遺髪塔 

    関連記事⇒墓所左009藤原藤房遺髪塔石碑前回の記事⇒石碑八幡0205小野篁公作十王像閻魔堂三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます石碑左0207萬里小路藤原公遺髪塔

  • 寺院左0665  大雲寺  天台系

    大雲寺・遮那林天台系単独寺院岩倉観音・善光寺如来行基菩薩ゆかりの寺天禄2年(971)円融天皇勅願寺として創建された。行基菩薩作11面観音を本尊とし最盛期には数十の堂舎と千有余人の僧を擁し洛北屈指の名刹として智証大師流の天台法門を伝えた。紫式部の「源氏物語」や「太平記」井原西鶴「好色一代女」等に当寺が舞台として登場する。宋に渡った成尋の事も有名である。戦国時代の兵火で多くの建物を失い寛永年間に一部再建されたが昭和60年に「不二坊」の旧地の現在地に移転した。岩倉観音の疾病平癒の霊験は古来有名である。寛政の文字がある1789年~1801年寺院前回の記事⇒寺院八幡0664正光寺浄土宗下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院左0665大雲寺天台系

  • 道標八幡0262 獅子塚跡 碑  三宅石碑

    小高い山は石清水八幡宮獅子塚跡下奈良三丁昭和3年春京都三宅安兵衛依遺志建立関連記事⇒関連0002三宅安兵衛の道標道標前回の記事⇒道標八幡0261戸津の道標三宅石碑下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます道標八幡0262獅子塚跡碑三宅石碑

  • 寺院八幡0664 正光寺 浄土宗

    寺院前回の記事⇒寺院八幡0663八幡阿弥陀寺浄土宗下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0664正光寺浄土宗

  • 神社八幡0198  天満宮  鳥居は享保年間の建立

    享保(1716~36)の文字が読めます300年前です神社前回の記事⇒神社八幡0197八幡神社戸津村下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます神社八幡0198天満宮鳥居は享保年間の建立

  • まち歩き八幡1090  地名 「蜻蛉尻」 

    まち歩き前回の記事⇒まち歩き八幡1089八幡市内里の集落下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せますまち歩き八幡1090地名「蜻蛉尻」

  • 寺院八幡0663 八幡 阿弥陀寺  浄土宗

    寺院前回の記事⇒寺院八幡0662西光寺真宗本願寺派下の地図のユーザー地図の囲みをクリックすると付近の記事が探せます寺院八幡0663八幡阿弥陀寺浄土宗

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