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八十路の旅
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2015/02/14

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  • 難儀

    <難儀なこっちゃ>困った、どうしようもない時に、発する言葉である。関西の方言だそうだ。わが輩は、昔からこの言葉をよく使った。対人関係でも、私的な意味にでも、よく使用する。今回は、93才を歩むわが輩の、どうしようもない、困ったときに発した。8月25日、朝から曇天。殆ど雨は落ちてこないが、ときどき、パラつく。前から気になることがあった。家の前、電気柵1号田の隣の花畑。雑草が伸び放題。・・生前の家内が愛した花畑。何としても、草引きを実行するぞと、心で叫んでも、体が反応しない。そこで発した言葉が「難儀なこっちゃ」だった。草引きをしても難儀、しないで眺めているのも難儀。でも、昨年のブログを開くと、7月10日、剪定鋏で、草引きを実行していた。写真入りだ。感無量。{・・参照:2020,7,12「心内」<前庭・花畑の草引き>・...難儀

  • 回想2

    <76年目の夏>令和3年(2021年)8月15日、戦後76年目の夏をむかえた。終戦記念日というが、わが輩にとっては敗戦の日であった。6日広島、9日長崎に原爆(当時ピカドンと呼んでいた)が落ち、一気に敗戦となった。当時、わが輩は満17歳、旧制中学校4年で卒業し、進学できなかった浪人組(仮称、中学5年生)が、昭和20年4月に編成され、学徒動員として、4月から宝塚の軍需工場(現、東洋ベヤリング)で、旋盤を回した。紫電とかいう飛行機の脚づくり。6月頃には材料が無くなり、休止。そこへ、B29がやってきた。グラマンという戦闘機の銃撃にあった。7月に隣の川西空港(現、阪神競馬場)が空襲され、私たち老人組は、逆瀬川の上流にある宿舎(幸徳寮といっていた)に、皆で(30名ぐらい)川沿いを駆け足で逃げた。その時、ザッという音がした。...回想2

  • 回想

    <満93歳の旅が始まる>令和3年(2021年)8月3日、満93歳になった。令和3年というと、今一つはっきりしないが、西暦1928年、8月3日生まれというと明解。西暦では、2021-1928=93・・文句なし満93歳。わが国の年号では、昭和3年8月3日生まれ・・昭和は60年。平成は30年、令3年は3年・・60+30+3=93。文字通り、満93歳の旅が始まる。しかし、心境は複雑の極みだ。人生100歳時代がきたとはいえ、人生50年と言われた時代と比べると。43年も長生きしたことになる。やはり93歳は途方もない数字ではある。心身共に、老化の一途をたどる。回想

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