ファシズムとかナチズム、全体主義などは何故それなりの支持を受けたのかこうした疑問はずっと頭にあった「全体主義の起源」「イスラエルのアイヒマン」「自由からの逃走」「普通の人々」を読んでも、スッキリはしなかった日本でも戦前の厭戦気分から急に空気が戦争へと向かったのは何故だったのかそれもイマイチ理解しがたいそして今、兵庫県で起きている分断、第三者委員会の結果が出た後でも頑なにそれを認めないとする、まるで意地のような対応は起こっているのは何故なのだろう、、と少しばかり絶望感を覚えながらいるおそらく人は集団になると個人はどこかタガが外れるような行動をするのではないか?と漠然と思っていた個人の集合体が大衆となるのではなく、大衆はその集団として独自の動き方をする、そんな漠然とした考えが長いこと頭にあった新聞の書評だった...「ファシズムの教室」を読んで