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  • 新国立劇場「ウィリアム・テル」

    新国立劇場の新制作「ウィリアム・テル」。ロッシーニのオペラは好きなので、機会があれば観てきたが、「ウィリアム・テル」は初めてだ。事前にCDを聴き、流れをつかんだが、実際に観ると想像以上のオペラだった。まず例の序曲。中学生のころに初めて聴いたクラシック音楽のひとつだ。それが(若すぎる)最晩年のロッシーニの、簡潔で透明感のある名作だとは、中学生のわたしには思いもよらなかった。幕開けの合唱の後、テル(バリトン)とアルノルド(テノール)の二重唱になる。マッチョな男声二重唱だ。まるでヴェルディの音楽のようだ。第1幕フィナーレに展開する激しい合唱。それもヴェルディだ。パワーで押す音楽。ロッシーニの華麗でスポーツ的な快感のある音楽は影をひそめる。第2幕フィナーレと第3幕フィナーレも激しい合唱で終わる。だが最後の第4幕フ...新国立劇場「ウィリアム・テル」

  • インキネン/日本フィル(横浜定期)

    インキネンが久しぶりに日本フィルに戻って横浜定期を振った。2023年4月の東京定期以来なので、わずか1年半ぶりにすぎないが、もっと間があいた気がするのはなぜだろう。日本フィルがカーチュン・ウォン時代に入ったからか。1曲目はグラズノフのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は神尾真由子。けっこう聴く機会の多い曲だが、神尾真由子の演奏は、濃厚な表情付けで、しかもその表情付けがロシア的な節回しを感じさせる点で個性的だった。ロシアの曲なので、ロシア的な節回しは当然といえば当然だが、意外にこの曲の演奏ではロシアを感じたことはない。もっとあっさりした演奏が多い気がする。神尾真由子はアンコールにパガニーニの「24のカプリース」から第24番を弾いた。これも太い音で荒々しい演奏だった。音色も暗めだ。イタリア的な明るく軽い演奏...インキネン/日本フィル(横浜定期)

  • 東京都美術館「田中一村展」

    東京都美術館で「田中一村展」が開催中だ。わたしは平日の午前中に行った。会場はかなり混んでいた。すごい人気だ。人気の理由は、分かりやすい作風と、一村(いっそん)の生涯のドラマ性にあるだろう。代表作「アダンの海辺」(1969)(チラシ↑の作品)と「不喰芋(クワズイモ)と蘇鉄(ソテツ)」(1973)が展示されている。「アダンの海辺」は丸いボールのようなアダンの実を中心に、いかにも南国らしい風景を描いた作品だが、本展で見たときにまず目に飛び込んできたのは、黒く湧き上がる雲だった。異様な迫力がある。その雲を上方に追うと、雲の切れ目から明るい陽光が射す。陽光はアダンの実を照らし、また海を照らす。神の光のようだ。本作はたんに南国の風景を描いた作品ではなさそうだ。「不喰芋と蘇鉄」(1973)(画像は本展のHPに掲載)は、...東京都美術館「田中一村展」

  • オロスコ・エストラーダ/N響

    アンドレス・オロスコ・エストラーダがN響に初登場した。オロスコ・エストラーダはすでにウィーン・フィルの日本公演を振ったりしている。聴いた方も多いだろう。わたしは初めて。どんな指揮者かと興味津々だ。1曲目はワーグナーの「タンホイザー」序曲。オロスコ・エストラーダは2025年のシーズンからケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とケルン歌劇場の音楽監督に就任する。ワーグナーを振る機会も多くなるだろう。さて、どんなワーグナーかと、わたしはこの曲に一番注目した。結果は案外つまらなかった。最後の金管の鳴り方は雄大だったが、そこに至るまでのドラマに欠けた。2曲目はワインベルクのトランペット協奏曲。トランペット独奏はラインホルト・フリードリヒ。初めて聴くが、大変な名手だ。ルツェルン祝祭管弦楽団の創設時に、アバドに乞われて首席奏者...オロスコ・エストラーダ/N響

  • 山田和樹/N響

    山田和樹が指揮するN響定期Aプロ。1曲目はルーセルの「バッカスとアリアーヌ」第1組曲。第2組曲は時々演奏会で取り上げられるが、第1組曲は珍しい。華やかで躍動的な音楽から始まる。演奏会のオープニングにふさわしい。その後も舞台上で生起するバレエの動きを彷彿とさせる音楽が続く。最後は静かに終わる。それは次の曲につなげる効果がある。繰り返しになるが、演奏会の1曲目にふさわしい。山田和樹の明るくポジティブなキャラクターが全開した演奏だ。だがオーケストラがトゥッティで咆哮するときに、音が濁ることが気になった。それを澄んだ音で鳴らしてくれると、演奏が一段とレベルアップするのだが。2曲目はバルトークのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はフランチェスコ・ピエモンテージ。冒頭のピアノの音がクリアーに聴こえた。自分の音をもつピアニ...山田和樹/N響

  • ノット/東響

    ジョナサン・ノットの音楽監督の任期があと1年となり、一つひとつの演奏会が貴重なものになってきた。昨日は定期演奏会。1曲目はラヴェルの「スペイン狂詩曲」。もちろん良い演奏だったが、匂い立つような香気はなかった。2曲目はミカエル・ジャレル(1958‐)のクラリネット協奏曲「Passages」。東響など4団体の共同委嘱作品だ。クラリネットの名手マルティン・フロストを想定して作曲された。今回はフロストが急病のため、直前にマグヌス・ホルマンデルに代わった。ホルマンデルはフロストの推薦らしい。世界初演は2023年10月にフロストの独奏、ノット指揮スイス・ロマンド管が行っている。ともかく生まれたてほやほやの曲だ。しかも超絶技巧の曲。それを短時間でものにしたホルマンデルの力量はすごい。現代音楽に強い人なのだろう。だがそれ...ノット/東響

  • コンヴィチュニー演出「影のない女」

    東京二期会が上演したオペラ「影のない女」が炎上している。炎上の原因はペーター・コンヴィチュニーの演出だ。わたしは観ていないので伝聞情報だが、リヒャルト・シュトラウスの音楽を一部カットしたり、入れ替えたりしたようだ。またホフマンスタールの台本をマフィアの抗争のストーリーに読み替えたらしい。それらの点について反対派と擁護派のあいだで論争が起きている。上記のように、わたしは観ていないので、何もいう資格がないと思っていたが、11月6日の朝日新聞デジタルに吉田純子氏の「演出に「冒涜」と批判も「影のない女」が問う日本のオペラの現在地」という記事が載った。俯瞰的な視点から今回の上演を論じている。やっとわたしも意見をいう土俵ができた思いがする。吉田純子氏の記事は次のセンテンスで始まる。「オペラが重視すべきは生身の演劇性か...コンヴィチュニー演出「影のない女」

  • ルルー/日本フィル

    フランソワ・ルルーが日本フィルを振るのは2度目だ。初めて振ったのは2022年。ラザレフの代役だった。ルルーはいうまでもなく世界的なオーボエ奏者だが、当時、指揮者としてはどうなのかと、期待と不安が入り混じった。だがすばらしい出来だった。メインの曲はビゼーの交響曲第1番だった。ルルーのオーボエ演奏さながらに、ニュアンスに富み、音楽的な大きさのある演奏だった。今回は1曲目がラフ(1822‐1882)の「シンフォニエッタ」。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2人の管楽アンサンブルのための曲だ。ラフという作曲家は知らなかった。ロマン派の真っただ中の作曲家だ。「シンフォニエッタ」もまさにそう。全4楽章からなる。わたしは第2楽章のスケルツォがおもしろかった。演奏は気合の入った濃密なアンサンブルだった...ルルー/日本フィル

  • 指揮者の引退

    97歳のブロムシュテットがN響のA、B、Cのすべてのプログラムを振って帰国した。わたしはAプロ(オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とブラームスの交響曲第4番)とCプロ(シューベルトの「未完成」と「ザ・グレート」)を聴いた。Aプロのときはオーケストラのコントロールが衰えたかなと思ったが、Cプロのときは見事なコントロールに脱帽した。ブロムシュテットは来年10月にもA、B、Cの全部のプログラムを振る予定だ。ブロムシュテットには引退の言葉はないらしい。昔は長老指揮者といえばストコフスキー(1882‐1977)が代名詞だった。ストコフスキーは90歳を超えても指揮を続け、引退宣言をしないまま、95歳で亡くなった。その後、朝比奈隆(1908‐2001)が90歳を超えても指揮を続け、巷では「ストコフスキーを超えるのではない...指揮者の引退

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