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しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
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岡山県
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2014/12/11

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  • はみ(蝮)を食べる

    はみは怖かった。噛まれると死ぬとも言われていた。だが怖いもの見たさに、ハミがいると素通りせずに長い棒切れで叩いて遊んでいた。その頃(小学生の頃)毎年、庭の軒先にハミを棒差しして干していた。よく干したら、父が粉にして煎じて飲んでいた。飲むと力がつくと父は言っていた。後年、実はそれは、祖父の残りものであることを母から聞いて知った。祖父は畑でつかまえたハミを、その場で皮を剥いで血を吸っていたそうだ。血を吸ったハミを父に渡し、父は骨を煎じていたに過ぎなかった。その話を母から聞いて・・・・間もなくして、笠岡湾干拓地の農地でハミに遭遇した。その時、小学4.5年生だった長男と畑にいて見つけた。ハミは塒(とぐろ)を巻いてこっちを見つめていた。長男に、「動かずにハミをじっと見ていて」(←にらみ合うとハミはじっとしている。こ...はみ(蝮)を食べる

  • レンコン

    家の食事に使う材料で、野菜の場合、それは全て自家用で作ったもの。または近所の農家とトリカエで交換したもの。お金を使っての野菜の食材はなかった。それは、ほとんどすべての日本の農家にいえること。ウチに蓮やレンコンはなかった。どこかの農家からもらったのだろう、レンコンは比較的よく食卓にあがった。食べるのは酢レンコンで、揚げたりはなかった。だから、レンコンと言えば酸っぱいものという思いがある。(父の話)レンコンレンコンは植えたことがあるが、ええ白いのが成らんのじゃ。「おきのた」や「ししゅうだ」に植えてみたけど、ドロの質が悪いんじゃ。じゃけいできたやつが茶色なんじゃ。茶色じゃ町の人は嫌うし、売れん。真っ白ぅなりゃあええんじゃが。茂平にゃ土地が悪い。茂平でも「大東田」の真ん中へんでは白いのができる。この辺じゃ、引野に...レンコン

  • 食用油・酢・ソース

    文部省唱歌「おぼろ月夜」は小学生が6年になると、すぐに習う歌。作った人は”文部省”だったが、今は”作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一”に訂正されている。小学生当時に好きな歌だったが、野辺一面に咲く菜の花は見たことが無い。城見地区では、田んぼのゲシに雑草の感じで咲く程度の春の花だった。ただし、季節感のある花だった。(「去り行く笠岡生まれ出ずる笠岡」笠岡路上観察研究会2023年発行)菜種油は、江戸時代には灯油や食用油で使用されたようだが、近代になっても高価だったのか?家庭で油を使った料理はほとんどなかった。調味料は塩・醤油・味噌。油は少々、酢は柑橘類代用、ソースは稀、ケチャップ・マヨネーズ・ドレッシング等は、見たこともなかった。「岡山県史・民族Ⅰ」昭和58年山陽新聞社出版菜種明治末期ごろが最盛期で、以後漸減し昭和...食用油・酢・ソース

  • 水菓子

    管理人は果物作りが盛んな、岡山県小田郡城見村茂平の農家に生まれた。父母は桃を主に、葡萄・枇杷・イチジクを栽培し生計を立てていた。米や麦、野菜類は作ってはいたが、自給用やトリカエ用で、売ることはなかった。学校の教科書で、日本人は明治になって牛肉を食べ始めたと習ったがウチで牛肉を食べることはなかった。食べる肉といえば、ウチではニワトリ、学校給食ではクジラだった。父母が作っていた果物はいったい、茂平で、そして日本で、いつごろから作られ、食べられていたのだろうか。「五穀豊穣」を建国以来の国是としてきた日本では、意外と新しく明治中期の祖父母や曾祖父母の頃から。でもなぜ、リンゴや桃の果物が明治に始まったことをおしえないのだろう?「日本の農業4果物をそだてる」長谷川美典岩崎書店2010年発行果樹の話庭先果樹という言葉も...水菓子

  • 金田一耕助さん

    場所・岡山県倉敷市真備町岡田「大池ふるさと公園」今では金田一耕助さんと言えば、日本全国知らぬ人もいないくらい有名だが、あれは1976年(昭和51年)の角川映画「犬神家の一族」が宣伝費をかけてブームを作ったから。それまでの「金田一さん」と言えば耕助さんでなく、三省堂の国語辞書で有名な金田一「京助」さん。しかも、当時は野球の金田正一(かねやん)投手が活躍していて、「金田一京助」博士は「金田一京助」ではなくて「金田一京助」であると子供たちは信じていた。吉備郡真備町岡田は横溝正史が疎開し、そこで名探偵・金田一耕助さんを執筆した。横溝が疎開した岡田はその後、倉敷市のベッドタウン化して変貌が極まり、同行した妻は、かつて岡田で働いていたのだが、何一つ思い出せなかった。今はかつての面影を探すように「金田一耕助の小路」が整...金田一耕助さん

  • 「野崎家塩業歴史館」を見学する

    場所・岡山県倉敷市児島味野「旧野崎家住宅」行った日・2024.2.15江戸時代に開発された新田では、瀬戸内地方は、”入浜式塩田”と”綿作”が盛んであった。綿作は綿花の輸入自由化で明治30年頃、突然に衰退し、入浜式塩田は流下式化で昭和30年頃、一気に消滅した。岡山県も海辺で東西に塩田が連なっていたが、特に有名なのが江戸時代後期の児島半島の野﨑武左衛門で「塩田王」と呼ばれた。現在旧宅は国の重要文化財で、邸内に「野崎家塩業歴史館」がある。館内に入浜式塩田の製法が展示されてたので、備忘のため記事にした。①沼井堀り毎朝沼井堀りから始まる。この仕事がいちばんきついといわれる。②土振り掘った砂をひろげる。③浜引き砂をかきまぜる。④砂寄せ。写真にも写るが、この仕事は女性が多い。⑤すくい込み集めた砂を沼井に入れる。⑥はなえ...「野崎家塩業歴史館」を見学する

  • 「野崎家のお雛様展」を見る

    場所・岡山県倉敷市児島味野「旧野崎家住宅」行った日・2024.2.1520年ぶりに「野崎家」の見物に訪れたら、雛飾りの展示会をしていた。(国の重要文化財「旧野崎家住宅」蔵の展示室に入ると、大富豪にしかありえないお雛様が並んでいた。山陽新聞2024.2.17華やかな雛人形200点旧野崎家住宅で展示倉敷市児島味野の製塩業で財を成した旧家に伝わる人形や雛道具を集めた「野崎家のお雛様展」が開かれている。気品あふれる「享保雛」など華やかな人形が来場者の目を楽しませている。4月7日まで。明治期を中心とした約200点を展示している。高さ約80センチの享保雛は、野崎家3代目の武吉郎(1848~1925)に旧岡山藩主の池田家から贈られた逸品。京都の名工が手がけたとされる洋装の大礼服をまとった「明治天皇雛」、布で立体感を出し...「野崎家のお雛様展」を見る

  • 西山公のトイレ

    西山公が住む西山荘のトイレは杉が使われていたそうだ。(岡山県井原市・田中苑の「西山公」2023.11.2)杉の葉っぱは、酒屋さんの軒先の杉玉が知られているが、鮮魚やおせち料理でも見る。そしてトイレにも使用された↓が、それは黄門様の西山荘限定だったのだろうか?それとも高位の武家や大店の商家にも普及していたのだろうか?・・・「トイレの考古学」大田区立郷土博物館東京美術平成9年発行スギ植物との関係で忘れられないトイレに、徳川光圀が隠居した西山荘(茨城県常陸太田市)の小使用トイレがあります。ここでは、熨斗(のし)の形をした小便器が部屋の隅に備え付けられています。熨斗の形は上の方が直角になっていますが、この部分が部屋の角に合わせて置いてあるので、便器を跨(また)いで用を足すことになります。そこで、周りに小便が跳ねる...西山公のトイレ

  • 表町の時計台

    場所・岡山市北区表町三丁目撤去工事・2024.2.20~2.23撮影日・2016.8.6岡山の表町(おもてちょう)商店街にある時計台が無くなると夕方のテレビニュースで放送があった。表町には北と南に、二つの時計台があり、今回報道されたのは「南の時計台」。西大寺町と千日前が交わるところ、普段人通りの少ない表町南部の商店街。新しい市民会館の「岡山芸術創造劇場ハレノワ」が2023年9月完成したので、戦前の通りのにぎわいを復興させようと行政が力を入れている地区。他にも市は、路面電車の路線延長を検討している。・・・山陽新聞記事2024.2.10「見守ってくれてありがとう」「ずっと忘れない」。イベントスペースの整備に伴い、撤去が決まった岡山市表町商店街南部の時計台。半世紀以上の歴史に幕を下ろす地域のシンボルに感謝を伝え...表町の時計台

  • 星島二郎

    場所・岡山県倉敷市下津井吹上星島二郎先生は岡山県内有数の大庄屋に生まれ、東京帝大を卒業後法曹界はいり、その後政治家へ転じた。戦前~戦中~戦後、およそ46年間衆議院議員を努めた。その間、昭和17年の”翼賛選挙”を非推薦で当選した。昭和26年の”サンフランシス条約”で、日本の独立に立ち会った。昭和33年に”衆議院議長”に就任した。その風貌は”賢人”そのものだった。「ライシャワーの日本史」エドウィン・O・ライシャワー文芸春秋1986年発行1951年9月8日、平和条約がサンフランシスコで調印された。48ヶ国が対日平和条約に署名したが、日本に隣する二つの大国、中華人民共和国とソ連は、これに参加しなかった。中国に次ぐ多数の人口をかかえるインドもまた、講和会議に欠席した。平和条約によって、日本はこれらの地域の領土権をす...星島二郎

  • 鈴木三重吉文学碑

    場所・広島市中区大手町(元安川左岸)児童文学『赤い鳥』で有名な鈴木三重吉。先生は広島市の原爆ドームの東隣の地(現・エディオン本店の場所)に生まれ、東京帝大を卒業後教育者となり、夏目漱石の門下生として小説も書いていたが、後に児童文学に転向した。銅像は広島県御調(みつぎ)出身の圓鍔勝三さんの作。・・・鈴木三重吉(Wikipedia)鈴木三重吉(すずきみえきち、1882年〈明治15年〉9月29日-1936年〈昭和11年〉6月27日)は、広島県広島市出身の小説家、児童文学者。日本の児童文化運動の父とされる。・・・児童雑誌「赤い鳥」105年名作を世に業績しのぶ毎日新聞Web2023.7.31児童雑誌「赤い鳥」105年名作を世に業績しのぶ「赤い鳥」は1918年7月創刊。明治期以降の教訓的なおとぎ話とは異なり、芸術的価...鈴木三重吉文学碑

  • 「斎藤のラーメンは汁に指を入れたまま・・・」客に出す

    戦後の笠岡では、”斎藤”といえば、それは中華そばを意味していた。支邦そば、中華そば、ラーメンと40年間ほど笠岡の中央でお店を出していた。昭和が終わる頃、斎藤ラーメンもお店を終い、以後は現在まで笠岡ラーメンの超有名な”伝説の店”となった。「斎藤のラーメンは指を汁に入れたまま・・・」客に出す今から数年前のこと、雑談中に、年齢からみて実食の経験はないであろう方から「斎藤のラーメンはどんぶりの汁に指がはいったままテーブルに置いてたんですよね」という話が出た。そうだった。思い出した。”斎藤”に行くと、いつも、という程ではないが、置く時に、よく汁に指をつっこんでいた。でもそれは、見慣れてきた光景だった。小学校の脱脂粉乳をアルミに注ぐ先生や生徒は、注ぐ方も受け取る方も、指が粉乳に浸かっていた。それは毎日毎日の日常風景だ...「斎藤のラーメンは汁に指を入れたまま・・・」客に出す

  • 笠岡高校、笠岡工業、笠岡商業の倍率

    山陽新聞に岡山県立高校の予想倍率(最終)が載っている。それを見ると笠岡市内の県立三高校のうち、笠高・笠工は大幅に定員割れ。笠商のみ定員以上の受検者がいることになる。笠岡市の住民として非常にさみしさを感じる。新聞記事の理由に「卒業見込み者も減少」していることをあげているが、そもそも定員数が十分減っている。われわれの当時は一校で現在の三校合わせた定員数だった。ということは、現在は定員割れですんでいるが、いずれ三校統合の話も出てくるのだろうな。いよいよさみしい。・・・山陽新聞2024年1月26日金曜日県県版県立全日制高平均競争率1.05倍岡山県教委は25日、今春の県内中学校の卒業見込み者を対象にした進学調査結果(最終10日現在)を発表した。県立全日制高校50校の平均競争率は1.05倍と低下。卒業見込み者も減少に...笠岡高校、笠岡工業、笠岡商業の倍率

  • 新制大学発足

    大日本帝国の崩壊で、用なしとなった師団や聯隊の広大な跡地の多くは新制大学の校地となった。・・・(岡山大学・2018.11.11)・・・「岡山県教育史・続編」岡山県教育委員会昭和49年発行岡山総合大中国総合大学誘致運動昭和22年12月中旬、第1回中央陳情の際、文部省はCIEの示唆のもとに新学制による国立総合大学を全国に十一校設立する意向をもっていることが明らかにされた。それによれば、11校のうち、7校は従来の帝国大学をそのまま移行し、ほかに金沢、熊本と中国、四国に各一枚程度認める模様で、中国では広島、岡山、松江が有力視されているということであった。この結果、従来の岡山総合大学設立運動は、中国総合大学誘致運動へと発展し、六高誘致のときと同様、広島県としのぎをけずることとなった。23年1月、岡山総合大学設立期成...新制大学発足

  • 草戸稲荷の「節分豆まき」

    場所・広島県福山市草戸町「草戸稲荷神社」節分豆まき日時・2024年2月3日11:00~11:15今年の「節分豆まき」は何処の寺社に行こうかと、いろいろ検討した。寒いので温泉と併せ、国宝明王院とも併せ、草戸稲荷に行くことにした。まず、国宝「明王院」にお詣り。次に「草戸稲荷神社」にお詣り。午前11時00分、草戸稲荷の豆まき始まった.午前11時00分、草戸稲荷の豆まき始まった。豆は”雨あられ”に投げまくられた・・・のではなくて、ゆっくりと、じっくりと本日の参拝者の動向を確かめながら、遠くへ、そして真下へと投げられた。普通は数分で終わるが、草戸稲荷の豆まきは15分間だった。境内は”興奮のるつぼ”を、15分間楽しむことできた。この後で、本庄のスーパー銭湯「ゆらら」に寄ってからおうちに帰った。草戸稲荷の「節分豆まき」

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