chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
しろみ茂平の話 https://blog.goo.ne.jp/mobira

「まちづくり協議会」が郷土史を作ることになり、その資料の一部になればと開設しました。2014年9月末

しろみ茂平の話
フォロー
住所
岡山県
出身
未設定
ブログ村参加

2014/12/11

arrow_drop_down
  • 北木島の湖上ステージ

    (北木島の「重ね岩」「猫岩」)北木島に行ってきた。(生まれも育ちも北木島の人)笠岡市に水上ステージが設置されている。場所は北木島の千ノ浜と金風呂の境の丁場跡。いわゆる”丁場湖”(←湖というよりは池)に浮かんでいる。イベントがあったので参加した。・・・・日時・2022年10月15日場所・岡山県笠岡市北木島町金風呂イベント名・「北木島ファンを作ろう!!湖上ステージでライブ」6組の音楽家が湖上で演奏し、歌った。音声は聳えたつ岩肌に響き、その際だつ景観とあいまって見る人、聴く人を感動させた。いいものを観ることができた。(満足・感動)北木島の湖上ステージ

  • ブルーインパルス笠岡上空を飛ぶ

    20何年か前に一度、笠岡市の空を飛んだ。その時は福山市の入江大橋から、もう笠岡方面には進めないという歴史的な交通渋滞を起こした。(2022年10月19日笠岡市十一番町)今日のブルーインパルスは笠岡市にとって二度目だが、じつは今日のは予行演習。本番は2022年10月22日のイベント「白線飛行」。その日は別の場所から見ようと思っている。土曜日が晴れるといいな。(現在の予報は曇り時々晴れ)ブルーインパルス笠岡上空を飛ぶ

  • 絵馬の話②

    茂平の荒神さんには、戦争を描いた絵が額で飾ってあった。南太平の海上で日本軍戦闘機が空中戦をしている絵だった。それが絵馬を見た最初だった。でも空中戦を描いた絵馬は、それ以後一度も見たことがないような気がする。(笠岡市大河葛城神社)・・・・・「岡山の絵馬と扁額」脇田秀太郎岡山文庫昭和50年発行神馬をお宮に奉納する風習が簡便になって板立馬や絵の彫刻を、さらには馬の姿を描いて、のちにはいろいろなものを描いて願をかけるために、あるいは満願の御礼のために、更にはなにかの記念のために、社頭にあるいはお寺に奉納するようになった。板に描かれたものが一番多い。これらの絵はがんらい奉納者自身か若しくはその縁者の者が、あるいは近在の絵心のある者が描いたもので、原則として奉納者の名前とその年月日を書いている。だから郷土の歴史や民俗...絵馬の話②

  • 絵馬の話①

    お宮に「小絵馬」があるのは、いつ頃からだろう?奈良・平安が起源だとしても、市民に普及したのは昭和40年代からのように思う。生活が豊かになり、印刷された絵馬を庶民が買えることができだした。・・・・・・(笠岡市笠岡・北八幡神社)・・・・・「祈りの民俗学」佐藤・田村共著八坂書房2013年発行絵馬奉納の歴史すでに奈良時代には絵馬奉納があったと考えられている。起源については、生きた馬を奉納する習俗が古くにあり、馬を奉納できないものが馬形を、さらにそれが簡略化されて、馬の絵を奉納するようになり、その後、馬だけでなく、多様な絵柄のものが出現した、といわれる。小絵馬の図柄と祈り現在、多くの社寺に奉納されているシルクスクリーン製その他の小絵馬は、その社寺にちなむ神像や干支を描いたものが多い。これは絵馬の頒布に社寺が直接関与...絵馬の話①

  • 岡山市役所

    場所・岡山県岡山市北区大供無くなった日・(新庁舎完成後)2026年頃解体予定撮影日・2022年9月25日岡山市役所の庁舎は、2022年から建替え工事に着手する。新庁舎は現庁舎の裏側に新築される。2022年は、裏側にある駐車場を解体し、基礎工事着工。2026年度中に、新庁舎が完成する予定。新庁舎に引っ越してから、現庁舎は解体される。現庁舎の跡地は、新庁舎前の緑地帯になる。岡山駅から市役所への電車が欲しいところだ。岡山市役所

  • 岡山駅前商店街(東側)

    場所・岡山県岡山市北区岡山駅前1丁目無くなった日・2022年解体工事中撮影日・2022年5月28日岡山駅前商店街の再開発工事が始まった。商店街の玄関(左側)が解体され、商店の他に、岡山県を代表するパチンコ店や元映画館などが無くなる。新しく、商業ビルや超高層マンションが建つ。完成は2026年の予定。昭和37年に岡山会館デパート(現ビッグカメラ)が完成して以来の大きな変化かな?そういえば、ダイエーのトピア(現・イコットニコット)が昭和53年に完成した時も大騒動だった。岡山駅前商店街(東側)

  • 笠岡高校創立120周年

    (山陽新聞・2022.10.6)祖母は明治27年に、茂平の農家の次女に生まれた。長女が家を出たので、次女である祖母が養子取りになって家を継いだ。家を出た長女長女が小学校の5~6年生の頃、笠岡の町に「女学校」が出来ることが決まった。その話を聞いた長女は、どうしても「上の学校」に行きたくなった。吉浜の分限者の人で、子なしの人が、女学校に進学したいという少女の噂を聞いて、茂平の家に来て「うちの養子になるなら、女学校にいかしちゃる」と話した。長女は、親の言葉を待たずに「養子に行く!」長女は家を出て、養女になり、そして「笠岡町立女学校」に入学し、卒業した。第二回卒業生だった。長女は一女を残して若くして亡くなった。その一子は毎年、お盆に先祖の墓参りに来ていた。父の従妹になるが、多くの親族(父の兄弟や従兄妹)が集まる中...笠岡高校創立120周年

  • 神輿

    まだ若かった時、ある村では「神輿を(担ぐのでなく)台車に乗せて引く」ということで、驚いたり、話題になったりしていたが、今では、お祭りの日に神輿が出ないのがあたりまえのようになった。真四角で社の形を”神輿”と呼び、ふとんの”千歳楽”などを除くと、意外に笠岡市内にある「神輿」は数少ない。・・・・・「御輿大全」宮本卯之助新光社2011年発行唐破風屋根(延べ屋根)白木造り(漆塗り)総彫り(二重台)御輿(尾坂・艮神社の神輿)(笠岡・白雲大社の神輿)屋根を見上げてみる。唐破風屋根の湾曲部分や桝組みの一つひとつに至るまで、すべて彫刻で埋め尽くされている。屋根部分の装飾。蕨手には龍がまきつき、さらに鳳凰型の小鳥が羽を広げている。いずれも繊細な彫金が施される。軒下から一番下の台輪に至るまでの彫刻。彫金は格の高さを演出。龍が...神輿

  • 「瀬戸芸2022」

    3年に一度の「瀬戸内国際芸術祭2022」が、香川県・岡山県で開催されている。4月に次いで、今回2回目の鑑賞に行ってきた。・・・玉野へ行く。9月25日・岡山県玉野市(宇野港)un14S.F.(SeasideFriction)金氏徹平・・・小豆島へ行く。9月26日・香川県小豆島(土庄港)sd01太陽の贈り物チェ・ジョンファ(崔正化)sd02対極の美ー無限に続く円ーコシノジュンコsd03再び・・・キム・キョンミン9月26日・香川県小豆島(寒霞渓)sd54空の玉青木野枝・・・屋島に行く。(対象外)9月26日・香川県高松市屋島(獅子の霊巌)「やしまーる」やしまーるは「瀬戸芸2022」に合わせて完成した展望台。屋島観光のシンボルになるのを目的とした拠点施設。「瀬戸芸2022」

  • 村上森造翁

    場所・岡山県浅口市寄島町早崎(元寄島町役場)翁は今も、寄島町や里庄町の人々から、多大な寄附を感謝されている。「ふるさとの想い出写真集」森脇正之編国書刊行会2020年発行村上森造村上森造は、寄島町早崎の豆腐屋に生まれ、大志をを抱いて明治22年20歳の時、神戸へ出て、麦稈真田の貿易に従事し、直接外国商社と取引して巨万の富を得た。先見の明があり、絶ゆまぬ奮闘努力が知られていた。公共事業、社会事業への寄付を惜しまず、郷里寄島町および付近の町村の学校、役場、青年団、社寺、火見櫓などに多額の献金をした。町民はこれに報いるため、大浦神社西に銅像を建立。写真は昭和3年の銅像除幕式。戦時中に供出された。撮影日・2022年10月2日村上森造翁

  • 丸本市松氏寿像

    場所・岡山県浅口市鴨方町(JA晴れの国岡山鴨方支店)丸本市松翁は昭和の初期、鴨方の農会の発展に寄与し、戦後は農協の仕事に加え、岡山県議会議員も長く勤め、その間県会議長も努めた。撮影日・2022年10月3日丸本市松氏寿像

  • 原田三代治先生

    場所・岡山県浅口市鴨方町(おかやま山陽高校)原田三代治先生は、第一原田学園・学園長、前おかやま山陽高等学校校長で2016年3月31日に亡くなられた撮影日・2022年10月3日原田三代治先生

  • 原田林市先生

    場所・岡山県浅口市鴨方町(おかやま山陽高校)原田林市先生は、財団法人原田学園初代理事長・学長。おかやま山陽高校や岡山女子短大の創立・発展に寄与された。撮影日・2022年10月3日原田林市先生

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、しろみ茂平の話さんをフォローしませんか?

ハンドル名
しろみ茂平の話さん
ブログタイトル
しろみ茂平の話
フォロー
しろみ茂平の話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用