ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
『碧巌録』より 第二三則 保福妙峰頂 / 保福長慶遊山(その1)
物は試練によって本性を表す。人も試練によって本物になっていく。禅ではどうやって人を試すのか。やはり言葉が触発の大きな契機になる。
2025/01/26 12:21
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その5)
禅における言葉、言句の問題。教えや理論を解いた言葉には拘泥しないが、「わかる」を触発する機は、言句なのだ。その言句である「公案」を思考する。だが、「わかる」には、その言句を突き抜けねばならぬ。
2025/01/25 11:24
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その4)
修行にやってきた僧たちに趙州が言う、「喫茶去」と、院主に言う「喫茶去」とでは何が違うのか。院主は、趙州に名を呼ばれ意識が覚醒しようとしている。そこに、「喫茶去」という言葉が降りてくる。院主が、その意味を分かり・体感するにはほんの一瞬の機転の間しかない。
2025/01/13 16:13
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その3)
存在がそのままにゅっと現れる。その存在は生死を突き動かす。死ぬか生きるか、その生死の境目での禅匠の雪峰の存在感を示したもの。
2025/01/12 16:31
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その2)
禅は言葉を重んじるものの、その言葉がその人本人の経験や見地、境地を反映した独自のものであることが大切だ。本当に自分の中から出た言葉だけが本物なのだ。
2025/01/11 17:21
『碧巌録』より 第二二則 雪峰鼈鼻蛇(その1)
公案は言葉だ。その公案の言葉についてさんざん考える。だが、その言葉に捉えられず、跡形(あとかた)を消し去って、何にもとらわれない
2025/01/07 15:08
『碧巌録』より 第二一則 智門蓮花荷葉(その3)
霊雲の公案は、ブッダ出現の前後で主観と客観が大きく分かれてしまった前でも後でも、存在は存在として堅固にそこにあるということ。その存在が露わとなって迫ってくるとき、物・境界の方が露わとなって自分に迫ってくるとき、それをそのまま受け止めるということ。
2025/01/03 22:19
『碧巌録』より 第二一則 智門蓮花荷葉(その2)
もともと静寂な境地があった。だが、そこに問いを立てる。するとそこから波紋が広がり静寂は乱される。そうなると、世界は主観と客観に分かれ、「われ」と「なんじ」が対立する。
2025/01/02 10:49
『碧巌録』より 第二一則 智門蓮花荷葉(その1)
蓮の花は水中で葉のなかにあって開く準備をし、水中より上がってきたときに開花する。だが智門は一種の逆転の発想で、水中にある時が蓮の花で、水中より出た時が蓮の葉だという。
2025/01/01 15:16
2025年1月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、ハラダ ヨシナリさんをフォローしませんか?