ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
第十八則 粛宗請塔様 / 忠國師無縫塔(その1)
無縫塔は、天衣無縫の如く、継ぎ目がないので作り様がない。初めから完真のものは、その完真のままで受け入れる。その事をどうやって伝えるのか、伝えたらよいのか。もちろんそれは言説を超えている。豊かで深い沈黙によって伝える。
2024/10/27 20:56
『碧巌録』より 第十七則 香林西来意 / 香林坐久成勞(その2)
宗匠たちは実に堅実で地に足がついていて、そこには煩わしい仏教の知見や教理などはなく、時節に臨んでその時その時に自在に力量を発揮する。いわゆる、「その場その場で行われたことが仏法になり、あらゆる機会に仏法を説けば、あらゆる場所が道場になる」というものだ。
2024/10/19 15:57
『碧巌録』より 第十七則 香林西来意 / 香林坐久成勞(その1)
僧が香林に尋ねた。「仏教の奥義とは何でしょうか」。香林が言う。「長く座っていて、くたびれた」
2024/10/12 21:41
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その3)
仏陀を撃ち殺すとは穏やかではない。だがここに禅の機微がある。ブッダが教えを説かなければ、教えのことは誰も知らないし、誰もその教えに思い煩うことはない。
2024/10/09 17:48
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その2)
禅には、「啐啄同時」という機がある。内からの啐する力と、外からの啄する力が合わされば、しかもそれがその時期に同時に合わされば、ひなは殻を破って外に出てこられる。
2024/10/06 14:54
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機
仏教徒でも、ブッダの教えの束縛から抜け出る必要があるのか。禅では、ある。仏陀が求めたもの、得た真実を、禅者も追い求める。しかし、それがつかめたら、それにこだわらない。それを忘れる。束縛を脱したところの自由自在の境地がある。
2024/10/05 14:17
『碧巌録』より 第十五則 雲門倒一説 (その5)
ブッダのわかったことを、言葉なしで迦葉に伝え、迦葉もわかった。なかなかわかるに至りがたかった阿難も、迦葉に呼ばれて「はい」と返事をした途端、説法は終わったと伝えられ、その瞬間に「わかった」。
2024/10/02 17:34
『碧巌録』より 第十五則 雲門倒一説 (その4)
自ら身を投げ出し衆生に寄り添う祖師たちの姿は菩薩業を思い出させる。ここは、優れた祖師たちの自在の働きについて述べているところだが、機用の働きが大きいからこそ、修行者の機に即して生死の際を同行し、そして本人に窮極の「それ」をわからせることができる。
2024/10/01 13:41
2024年10月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、ハラダ ヨシナリさんをフォローしませんか?