chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 今年も僅か

    今年も僅かとなったが、91歳の老夫婦が二人で出かけた所は、タクシーで病院とスーパーだけだった。爺にとって、悔しかったこと、寂しくなったこと、意に沿わないことはあった。巨人が4年ぶりにセ・リーグ優勝を果たし喜んだものの、ペナントで3位だった横浜ベイスターズがC・Sで勝ち上がって、日本シリーズでソフトバンク破り下剋上」となり日本一に輝いた。高校2年生だった昭和24年12月1日に初めて発売された年賀状、初年度から交換していた唯一同級生の新野君、今年も「お元気でしょうか」と添え書きがあったが、間もなく新聞のお悔やみ欄で彼の名前が。衆議院選挙で新潟県内5つの選挙区すべてで立憲民主党が勝利し、政権交代した2009年以来の自民党全敗となった。選挙前に7人いた自民党の衆院議員は比例の2人だけになった。今年も僅か

  • 手を合わせる

    日本人の多くは仏教の様式でお葬式を出し、お盆やお彼岸には毎年お墓参りをする人は国民の過半数を大きく超えており、墓前で手を合わせるのは仏様への礼拝の方法である。爺も毎年お盆には故郷へ帰省してお墓参りをしていた。故郷の仏壇には過去帳だけでお位牌が無いので、住職に尋ねたら、浄土真宗では過去帳がお位牌になるのだと言われた。両親が亡くなってから、過去帳だけでは寂しく、家内の実弟(日蓮宗の住職)と相談して、両親のお位牌と先祖(3人の弟)のお位牌を作ってもらい、我が家の居間に安置して手を合わせてる。独身時代は墓参りもしなかった爺も寺の娘と結婚してからは、自然に仏様に手を合わせるようになり、仏になる日も近くなった今では、毎朝、お水を変え、線香とローソクを灯している。手を合わせる

  • パソコンのお陰

    爺がインターネットに出会ったのは、平成14年68歳の時だった、国のIT戦略が始まりIT活用の推進中で、新潟西郵便局で高齢者を対象とした講習と受講者の募集に応募した。パソコンは何でも知っているし、分かり易く何回でも教えてくれる。イチジクの剪定方法が最初の質問だったが、一本のイチジクながら実り多く、ご近所の皆さんに喜んでもらっている。運転免許の返納した今、日頃の買い物は殆どネットスーパーやアマゾンを利用しており、インターネットを出会って良かったとつくづく思う。でも気分転換に対面での買い物も楽しんでいる。2007年5月2日にブログを初投稿して17年、投稿回数も間もなまく1200回になる、身近に応援してくれる読者、全国各地の顔の見えない多くの読者から励みと楽しみを頂いている。パソコンのお陰

  • 幼馴染の女の子

    子供の頃に別れたまま消息の分からない幼友達、今も達者だろうかと、当時に思いを馳せながら、会いたいと思ったり、昔のイメージのままにして置く方が良いと思ったり。小学校2年生の時だった、近くに転居してきた4人姉妹の三女で同級のN子さん、愛くるしい女の子で、男の子達から注目されていた。一緒にお喋りしなから下校した日のことを覚えている。昭和15年頃の田舎で、男女二人だけで通学する姿は見ることはない。男の子達は羨ましかったのか、やきもちだったのか、あらぬ噂をされたこともあった。N子さんとは、1年足らずの出合いだったが、あれから84年になる、思春期の頃には、どんな女性になったろうかと想像していた。一度だ様子を耳にしたが、聞かない方が良かった。幼馴染の女の子

  • アルバイト

    爺の高校時代の夏休みは、建築現場の雑役としてアルバイトをしていた。仲間たちと思いっきり遊びたかったのに、目的もないまま、親から言われて仕方なく、嫌で嫌で、たまらないかった。現場監督が居ない時は、休ませたり、個人の買い物を頼んだり、現場から解放してくれた流行歌を歌いながら壁塗りしていた左官職の兄ちゃん、爺に優しくしてくれたのが嬉しかった。長男と次男は大学生時代の夏休みには、卒業後の職とは無縁の仕事だった道路舗装、新築ビルの清掃、道路のライン引きなど建設現場でアルバイトをして小遣い稼ぎをしていた。、27歳になる孫も大学生時代は駅構内の食堂でアルバイト、一緒にアルバイトしていた女子大生と意気投合、めでたくゴールイン。1年10か月になるひこ孫の成長を楽しんでいる。アルバイト

  • ご縁に感謝

    新潟県長岡市塚野山に江戸時代初期から庄屋を務めた古民家の長谷川邸がある。現在の母屋は茅葺寄棟造りの約300年前に建築され、現存する豪農の館としては北陸最古と言われている。家内と初めて訪れたのは2004年の秋、神様のお導きか、長谷川邸ゆかりの上品なご婦人と出会った。庭に咲く娘さんがベルギー在住時に持ち帰ったものだと言う朝顔で家内と花談議になった。春の桜、秋の萩の季節には「いらっしゃいよ」と電話での声掛けに甘えて、食事とお喋り、温泉旅行を、家内とは花談議を、爺とはプロ野球談議を、弓子姉さんとお呼びする間柄になった。2007年12月23日、静かに帰らぬ人に、わずか3年のお付き合いだっが、今も尊敬し続けている御仁である。親子とは言え、娘さんのお振る舞いから弓子姉さんを偲ばれる。ご縁に感謝

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、爺の世間ばなしさんをフォローしませんか?

ハンドル名
爺の世間ばなしさん
ブログタイトル
爺の世間ばなし
フォロー
爺の世間ばなし

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用