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  • 老夫婦のこの頃

    運転免許を返納、生活の足となっていた自家用車を廃車して半年になる。当然のことながら、外出する頻度は低下して、爺はパソコン三昧、家内は読書三昧と、家で過ごす時間が長くなつた。食品スーパーは4日に一回タクシーで、買い忘れた品は爺がリュックをを背負ってゆっくり歩いて10分程の所にある食品スーパーで、併せてスーパー内の本屋を便利に利用している。気分転換のため、郊外にある食品スーパーでの買い物や馴染みになった好みのラーメン店、洋食店、和食処で食を楽しんだり、軽いドライブが出来なくなった寂しさが少しはある。長生きしてしまった今では、乗り物を利用して遠くへ出かけたい気持ちは全くなくなった。時々我が家を訪ねてくれる80歳と75歳の知人ご夫婦とのランチやお茶飲みが元気の元になっている。老夫婦のこの頃

  • 父の実家

    汽車通学していた中学、高校生時代の冬季は汽車が雪で運休することがあり、父の実家に泊まっていた。叔父さん夫婦、お婆ちゃん,従兄、従姉の5人から大事にされながら、伸び伸びと過ごした。爺より5歳年上で昭和3年生まれの税務署勤めだつた従兄の仁さん、映画に連れて行ってもらったり、表2階で一緒に寝起きしていた。身内で一番好きな人だったのに、68歳の若さで旅立った。仁さんより2、3歳年上の従姉のトミさん、嫁入り前の家事に専念していた。トミさんから赤ん坊の頃の爺をおんぶしていたと聞かされていたが、母親並みの細かい面倒を見てくれた。13歳でお嫁に来たというお婆ちゃんのキンさん、囲炉裏の前でキセルで煙草を吸いながら座っていた姿が印象深い。何時も爺の濡れた靴下を囲炉裏で乾かしてくれた優しいお婆ちゃんだった。父の実家

  • 汽車通学

    大東亜戦争末期の昭和20年4月、旧制中学(5年制)に進学、12歳である。羽越線坂町駅から学校のある村上駅まで20分ほど乗車する汽車通学が始まり、生徒間では汽車通と言われてた。頭に一本の白線が縫い込まれた戦闘帽を被り、足にはゲートルを巻き、ズック靴である。坂町駅から学校までは団体行動で、中学生は先頭の汽車に、女学生は最後尾の汽車に男女別に乗る。村上駅に着いて学校まで約20分ほど2列縦隊で上級生に引率され整然と歩く。4年生と5年生は学徒動員で不在とあって、3年生が先輩ずらして後輩に厳しく対応していた。帰りは仲間同士で汽車時間に合わせて行動するが、通学コースは指定され、女学校の前を通る近道もあったが御法度だった。団体行動と男女別の通学も8月の終戦をもって終わった。汽車通学

  • 長寿食

    平均寿命40歳時代に75歳まで長生きできた徳川家康が愛した食事は、麦飯、焼き味噌、味噌汁、焼き鳥、ゴボウ、昆布、いわし、にんにく、クルミ、茶の湯が定番メニューだったとある。家康の食事のキーワードは粗食だったこと、弱小大名の生まれだったので、自分だけが贅沢をしていたら、家臣に示しがつかないと質素な暮らしをしていたと言われている。戦国時代は庶民の素朴な食べものであり、戦場での兵糧としても用いられた「いわし」を家康が頻繁に食べたのは、為政者として倹約の大切さを家臣や農民に示すためだったそうで。我が家も昔ながらの食材と和食の調味料である砂糖、塩,酢、醤油、味噌味での地味なバランスで、夫婦ともに89歳の今も自立した生活が続いている。長寿食

  • 嫌な運転体験

    マイカーを運転すること52年、大きな加害事故もなく家族で十二分に楽しませてもらったが、スピード違反で罰金刑に処せられたり、追突されてむち打ち症になったり、嫌な体験もした。忘れもしない昭和45年8月13日の早朝のこと、取り締まり中の新潟市内で40キロ制限のところを30キロオーバーだと言われた。家内と小学生の息子二人を乗せて墓参の途中だつた。50キロ前後で走っていたと思う。家族を載せて、免許を取得して4か月の爺に市内を70キロで走行する自信はなかった。今も当時のスピード測定方法に疑問を持っている。昭和47年公用車で国道を運転中のこと、後方車から追突されて道路わきに転落したが外傷は全く無かったが、むち打ち症で1年ほど通院、その後も天候次第で頚部の痛みが続いた。嫌な運転体験

  • 貰い風呂

    爺が小学校低学年のころは、夏休みになると一人で母の実家(呉服や)で過ごす事が多かった。実家では毎日入浴する習慣がなかったので、近くの本家(建設業)で「貰い風呂」をしていた。本家の風呂桶は一般家庭の風呂よりも大きめだったので、従弟と風呂桶の中で騒いで叱られたり、夕食を御馳走になったり、入浴後はトランプやお喋りしながら楽しいひと時だった。知人で80歳の女性からメールが入った。近くに住む娘さんの家の給湯器が故障して入浴ができず、我が家が夕食付きの風呂屋さんになったと、ほのぼのとした情景を伝えてきた。人間関係が疎遠になった現代では、よその家の風呂に入れてもらう「貰い風呂」など、昔は珍しくなかったが今は耳にすることは無い。知人はボヤきだったのか嬉しかったのか、昔を懐かしく思い出した。貰い風呂

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