もう何十年も前にトロンハイムにノルウェー工科大学を訪ねたことがあります。ノルウェーは人がいなくて寂しい国です。そんなことを思い出しながらノルウェーの風景と紅葉の写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「遥かに遠い国、ノルウェーの風景」
武蔵野に住んでもう60年以上になります。武蔵野は昔から歌などに詠われており、美しい草原と雑木林の広がる土地です。関東平野の南半分の川越から府中までの範囲を武蔵野と言います。この美しい武蔵野を保全するために東京都は「武蔵野公園」を作っています。います。近所なので昨日その写真を写して来ました。皆様にも武蔵野のイメージを持って頂くために昨日撮って来た写真をお送り致します。雑木林に囲まれた武蔵野の風景は国木田独歩や徳富蘆花などの文士によって賞賛されていますさらに国木田の『武蔵野』は教科書に採用され有名になりました。「武蔵野」の名が初めて史料に現れるのは万葉集です。第14巻「東歌」に武蔵野を詠んだ歌があります。3首だけご紹介致します。武蔵野のをぐきがきぎし立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ(万葉集⑭東歌相聞#33...「武蔵野ものがたり」
小金井神社は崖下の暖かい地域にあります。今日行ってみたた神社の梅が満開になっていました。その写真をお送り致します。「小金井神社の梅も満開です」
住んでいる小金井市の南半分は崖下の暖かい地域です。北半分のには小金井公園があり、高台で寒いのです。南半分には早く春が来ます。崖下の暖かい地域ではもう桜が咲いる思い、写真を撮りに行きました。案の定桜が美しく咲いていました。撮ってきた写真をお送り致します。「小金井にも遂に桜が咲きました」
「ウクライナの歴史(1)ウクライナのコサック騎兵隊のロシア攻撃」
ロシアによるウクライナのミサイル攻撃は言語道断の暴挙です。こんなことが21世紀に起きるとは誰も想像していませんでした。しかしロシアの暴挙にはウクライナ民族とロシア民族の抗争には深い深い歴史的な背景があるのです。深いロシアの怨念があるのです。この怨念はウクライナのコサック騎兵のロシア・コサック(ドン・コサック)への攻撃に始まり、1917年のロシア革命直後のウクライナの独立運藤、そして1991年のソ連崩壊後のウクライナの完全独立によって培われたのです。長い歴史的な背景があるのです。今日から少しウクライナの歴史、特にロシアとの関係史を書いて行きたいと思います。その第1回目はウクライナのコサック騎兵隊のによるロシア攻撃です。コサック人は15世紀にはウクライナ中南部の「荒野」と呼ばれる草原地帯に住み着いていました。...「ウクライナの歴史(1)ウクライナのコサック騎兵隊のロシア攻撃」
今日は朝から寒い風が強く吹いていますが、美しい青空です。こんな日は写真が良く写ります。遠路ながら小金井公園まで行って白梅、紅梅の写真を撮って来ました。今日の写真をお送り致します。「青空の下で白梅、紅梅の写真を撮って来ました」
「カトリック教会、2023年2月26日の「四旬節第1主日」のミサ動画配信とミサの風景」
カトリック教会、2023年2月26日の「四旬節第1主日」のミサ動画配信は以下の通りです。2023年2月26日10時のミサカトリック関口教会、https://www.youtube.com/watch?v=XS0RsJRtNTA聖イグナチオ教会https://www.youtube.com/watch?v=TJo7PgCzm40今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。後の4枚の写真は今日のカトリック関口教会のミサ風景で...「カトリック教会、2023年2月26日の「四旬節第1主日」のミサ動画配信とミサの風景」
岩手県の盛岡も美しい街ですが三陸海岸は絶景の連続です。浄土が浜の写真だけをお送り致します。インターネットからお借りしました。「岩手県の三陸海岸は絶景の連続です」
遠野の常堅寺の裏を流れる小川は「カッパ淵」と呼ばれています。私も以前に見に行きました。カッパが住みつき、人々を驚かせたりいたずらを働いたりするそうです。静かに流れる川の両岸に木々がうっそうと生い茂り、今にも水面からカッパが顔を出しそうな雰囲気です。柳田国男の集『遠野物語』にも紹介されています。その「カッパ淵」の写真をお送り致します。「遠野を流れる小川の「カッパ淵」の写真」
東北地方には6つの県があります。私は宮城県で生まれ育ったので東北地方の歴史や文化をいろいろ考えてきました。東北地方には奈良や京都にあるようなみやびかな文化はありませんが独特な興味深い地方文化があります。特に津軽地方や岩手の遠野地方には独特な文化があります。今日は岩手の遠野地方の文化をご柳田国男の遠野物語をご紹介します。その前に岩手県出身の総理大臣の多さを紹介したいと思います。東北6県でこんな県はありません。後藤新平(台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市市長):奥州市原敬(第19代内閣総理大臣):盛岡市斎藤実(第30代内閣総理大臣):奥州市米内光政(第37代内閣総理大臣):盛岡市東條英機(第40代内閣総理大臣):盛岡市鈴木善幸(第70代内閣総理大臣):山田町政治家だけではあ...「独特の文化の岩手県と柳田国男の遠野物語」
民主主義とは国民全員が政治に関心を持つことで成立するものです。そして日本の安全を保障するためには諸外国と適切な外交関係を保持しなければなりません。はたして全ての日本人が政治に関心があるでしょうか?私は危惧しています。インターネットに政治に関することを書くとあまり読んでくれません。また外国のことを書くと読んでくれません。ですから日本には政治に無関心な方々が多いと感じています。外国のことに関心の無い方々も多いと考えています。困ったものです。一方、民主主義の本場のアメリかではより多くの人々が政治に関心が強いのです。”日本では”と書いた理由は、それが島国としての日本の特徴かも知れないと思うからです。その上、日本には昔から政治に関心のある人は俗物だと言う人もいます。あるいは風流人はそんな雑事にとらわれていないという...「民主主義とは国民全員が政治に関心を持つこと」
寒い季節になると私はよく温室に咲いている花々を見に行きます。何度も行った温室は新宿御苑の温室と神代植物公園の温室です。どちらも規模が大きくていろいろな熱帯地方の花々が咲いています。寒い季節なので温室の花々を見て暖かい気分になるです。今日は神代植物公園の温室をご紹介したいと思います。神代植物公園の正門を入ると下のような花が歓迎してくれます。1番目の写真は神代植物公園の正門を入った所の花々です。この花壇の右手、すなわち南の方角に大きな温室があります。冬でも温室には豪華なベコニア、ストレチアの花、可憐なランのいろいろ、そして多種多様な睡蓮の花が咲いています。そしてその他の熱帯と温室の花の一覧表は、http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.9.htmlに掲載され...「寒い季節なので温室の睡蓮の花を見て暖かい気分になる」
ドイツの南部、バイエルン地方の街バンベルクは戦禍を逃れ、美しい中世の街並みが今でも残っています。神聖ローマ帝国の司教座が置かれた歴史から宗教色の濃い街として発展しました。街の中心部を流れるレグニッツ川沿いの美しい地区や旧市庁舎を含む旧市街は世界遺産にも登録されています。南ドイツには中世の雰囲気が残り時が止まったようです。私も昔南ドイツのローテンブルクやシュトッツガルトに住んでいました。バンベルクは何度か訪れました。懐かしいです。バンベルグの風景写真をお送り致します。「ドイツの世界遺産の古都、バンベルグの風景写真」
先週、山林の中の小屋に行った時撮りました。冬の雑木林は寒々としています。しかし雑木林は何故か心惹かれる風景です。「甲斐駒岳の麓の冬の雑木林の風景」
宮沢賢治は悲しい美しい物語を沢山書きました。38歳で亡くなるまでの短い人生でした。随分と昔に亡くなった人ですが、彼の作品は時代を越えて現在の日本人の心に澄んだ美しい鐘の音を打ち鳴らし続けています。彼の作品は時代を超えて美しい光を放っているのです。先日の2月21日の読売新聞の夕刊の「とうほく名作散歩」の欄でも「銀河鉄道の夜」が紹介してありました。今日は「銀河鉄道の夜」を皆さまと一緒にもう一度読んでみようと思います。出典は筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻です。この第十巻には順に「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。さて「銀河鉄道の夜」の物語の登場人物は3人の少年です。主人公のジ...「もう一回読んでみよう『銀河鉄道の夜』」
先日、小金井公で撮った花園の写真です。もう花園だけには春が来たようです。そんな写真をお送り致します。「もう春が来たような花園の写真」
老境に至って自分の人生を振り返ると、外国への留学で深い影響を受けたことをつくずく思います。特に印象深いのは留学先きの気候です。寒暖激しい明るいオハイオ、そして寒くて暗いドイツに留学しました。そのおかげで日本は實に温暖で気候に恵まれて良い国だと思いました。留学のおかげで私はアメリカが大好きになりました。アメリカ留学は24歳から26歳まででしたが、34歳のときドイツに留学し、今度はドイツにも影響を受けました。今日はドイツでどのような影響を受けたか二つほど書いてみます。昨日の「ドイツのワインの特別な飲み方の思い出」という記事の続編です。まず初めに私が3ケ月住んでドイツ語を集中的に勉強したローテンブルグの風景写真と隣町のバンベルグのをご紹介しましょう。1番目の写真はローテンブルグの夜の風景です。写真の出典は、ht...「寒くて暗いドイツの人々の考え方」
午後から小金井公園に行きましたら梅林が満開になっていました。嬉しくて沢山写真を撮りましたが4枚だけお送り致します。「小金井公園の梅林が満開になりました」
今日は暖かい春のような天気です。そこで菜の花畑と春の海の風景の写真ををお送り致します。写真の出典は、https://stock.adobe.com/jp/search...です。「菜の花畑と春の海の風景」
甲斐の国は山国です。昨日はこの甲斐の国の山林の中の小屋へ行きました。息子と孫が車を運転してくれました。妻と私は後部座席に坐り甲斐の国の山々の風景を眺めて来ました。昨日撮った山々の写真をお送り致します。最後の2枚の写真は小屋とその周囲の山林の風景です。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「甲斐の国の山々の写真」
「カトリック教会、2023年2月19日のミサ動画配信とミサの風景」
カトリック教会、2023年2月19日の年間第7主日のミサ動画配信は以下の通りです。2023年2月19日10時のミサカトリック関口教会、https://www.youtube.com/watch?v=SNC8wS_nMvM聖イグナチオ教会https://www.youtube.com/watch?v=m0-GY754LRo今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。後の4枚の写真は今日の聖イグナチオ教会のミサ風景です。「カトリック教会、2023年2月19日のミサ動画配信とミサの風景」
今日の一枚の写真です。南アルプスの甲斐駒岳のそばに行って来ました。車の背後に甲斐駒岳が聳えています。「今日の一枚の写真」
私は電動車椅子を毎日使って出歩いています。日本で市販されている全てのものは「電動車椅子」を検索すると沢山出てきます。性能は大体同じようです。時速6Kmで10Kmくらいは走れます。夜に充電しておきます。価格は10万から50万円ほどです。選ぶポイントは「乗ったままスーパーに入って行け買い物が出来る小型のもの」を選ぶのが重要です。4つのタイプのものを写真で示しました。私のは最後の椅子式のもので乗ったままスーパーに入って行けます。至極便利です。2番目と3番目の写真のものは乗ったままスーパーに入って行けません。1番目の写真はのものはデザインも良く性能も最高ですが50万円と高価です。どれも折り畳めて車に積んで遠方まで行けます。足の弱い高齢者の方々へお勧め致します。「いろいろな電動車椅子の比較」
「幻の楼蘭王国とその遺跡を発見したスヴェン・ヘディンのこと」
中央アジアのタクラマカン砂漠の何処かに楼蘭王国が繁栄していたことは昔から知られていました。スウェーデンの探検家のヘディンが楼蘭王国の遺跡をロブノール湖のそばで発見したのです。今日は探検家のヘディンのことを紹介したいと思います。そして幻の楼蘭王国のことも簡略に書きたいとおもいます。ヘディンのことも楼蘭王国のことも非常にロマン溢れる話です。まずヘディンの写真を示します。1番目の写真はスウェーデンの探検家のヘディンです。スヴェン・アンダシュ・ヘディン(SvenAndersHedin)は1865年に生まれ1952年に没したスウェーデンの中央アジア探検家でした。1902年に貴族に列せられ、1909年にはイギリスより“ナイト”の称号を授かりました。ベルリン大学でシルクロードの提唱者として知られるリヒトホーフェンの指導...「幻の楼蘭王国とその遺跡を発見したスヴェン・ヘディンのこと」
雪は不思議なものです。雪のある風景は何故かロマンティックです。神秘的ですらあります。いろいろな美しい冬風景の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ptl.imagegateway.net/contents/original/phototech/genre/landscape/nature-winter/review/01.htmlです。「美しい冬風景の写真をお送り致します」
吐竜の滝は八ヶ岳の清里のそばにあります。川俣川渓谷にいくつかある滝の中で最も美しい優雅な滝です。小さな滝が何段にも落ち込むその姿は、まるで竜が水を吐くかのように見えるためこの名が付いたといわれています。冬も良いのですが夏も優雅な風景です。冬と夏の写真をお送り致します。住所は山梨県北杜市大泉町西井出です。「八ヶ岳のそばの吐竜の滝の冬と夏の風景」
冬だけの絶景の美しい雪見の露天風呂の写真をお送り致します。1番目の写真は万座プリンスホテル(群馬/万座温泉)です。とにかく開放的な露天風呂が魅力です。壮大な雪景色や満天の星を眺めながらにごり湯に浸かれるのです。宿泊客は姉妹館「万座高原ホテル」にある4種の源泉・8つの湯船の石庭露天風呂も利用できます。2番目の写真は草津ナウリゾートホテル(群馬/草津温泉)です。北軽井沢にある標高1130mの高原リゾートで、屋上のパノラマガーデンからは浅間山や北軽井沢高原の雄大な風景が見渡せます。露天風呂には浅間山の地下深くから湧き出る源泉を掛け流しです。3番目の写真は草津ナウリゾートホテル(群馬/草津温泉)です。温泉街から少し離れた標高1200mのマウンテンリゾートで、雪見の時期は例年12月~2月頃です。露天風呂は広々として...「冬だけの絶景!美しい雪見の露天風呂」
ゴッホの生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけでした。それでも弟テオドール(通称テオ)の援助でなんとか生活していたのです。当時の美術界の不思議です。私はゴッホの絵が好きです。好きという軽々しいものではなく魂がゆさぶられるのです。生きる勇気が猛然と湧いて来るのです。人間の素晴らしさを感じるのです。そして何と言っても美しいのです。この頃は冬の寒さが厳しく身の心も凍り付いたようで動きません。その体を柔らかくし活発に動くために刺激が欲しいです。そこで今日はゴッホの油彩画を10枚見ることにしました。皆様も寒さに負けないで元気に毎日をお過ごし下さい。1番目の写真は「ひまわり」です。1888年8月から1890年1月にかけての作品です。南仏のアルル滞在時に盛んに描かれた。花瓶に挿された向日葵の「ひまわり」は7点存在...「一枚しか売れなかったゴッホの絵、美術界の不思議」
この電動車椅子で毎日のように買い物に行きます。乗ったまま店やスーパーに入れるように小さく出来ています。少し遠い小金井公園や武蔵野公園へも写真を撮りによく行きます。性能は、最大積載量(kg)115充電時間(時間)約4最高速度(km/h)約6.0走行距離(km)約13、です。カシダス株式会社のこの車椅子の詳細は、「折りたたみ式電動車いすRASREL」を検索すると出ています。また、https://www.kashidasu.co.jp/rasrel/にも出ています。写真をお送り致します。「私が使っている便利至極な電動車椅子」
富士五湖へはよく遊びに行ったものです。懐かしい場所です。先程、山中湖の写真をお送りしたので残りの河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の写真をお送りします。写真は順に河口湖、西湖、精進湖、本栖湖です。「美しい富士山と河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の写真」
一生を通じてとても重要に感じている趣味を二つ持っていました。その一つは甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋へ通う趣味です。もう一つはヨットの趣味です。そのヨットの趣味が長続きした理由はヨットの不思議な動き方と、たよりないヨットの上から見た水の美しさでした。霧を通して弱々しい朝日を反射している水面の風波。何処までも深い群青の海のうねり。そして人間の儚さを感じさせる夕陽に映える水の広がり。それが私をとりこにして、気がついたら26年もヨットに毎週のように通っていました。水の不思議さと美しさを語り出したらきりがありません。皆様も水のある風景には数々の忘れられない思い出を沢山お持ちのことと思います。よく行った所の一つに富士山の山中湖があります。富士山と雪解け水の不思議な関係を想います。そして山中湖のそばの忍野村に豊富に湧き...「美しい水の風景のある山中湖、忍野八海、そして水元公園」
今日もまた都立武蔵野公園に行きました。何と言っても広い空間を眺めるのが好きなのです。広場の周囲には冬の雑木林があります。子供達が遊んでいます。何故か癒される風景なので意味も無く写真を撮りました。その写真をお送り致します。「冬の雑木林、遊ぶ子供達」
各地のカトリック教会の主日のミサの風景写真をお送り致します。ミサとはどんなものかご紹介いたします。写真はインターネットから適当に選んでお借りしました。「各地のカトリック教会の主日のミサの風景写真」
「カトリック教会、2023年2月12日のミサ動画配信とミサの風景」
カトリック教会、2023年2月12日の年間第6主日のミサ動画配信は以下の通りです。2023年2月12日10時のミサカトリック関口教会、https://www.youtube.com/watch?v=Peb9_bPU4YM聖イグナチオ教会https://www.youtube.com/watch?v=XDtW9cJSU-k今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。後の4枚の写真は今日の聖イグナチオ教会のミサ風景です。「カトリック教会、2023年2月12日のミサ動画配信とミサの風景」
今日は気分が明るくなる記事を書きます。風の力だけで碧い大海原を駆ける帆船の話です。爽快な気分になります。勇気が出ます。まず横浜に係留、公開されている帆船の写真をご覧下さい。1番目の写真は29枚の帆の全てを上げた日本丸を後ろから見た写真です。2008年の4月27日に横浜で私が撮りました。帆の全てを上げることを総帆展帆と言います。2番目の写真は数多くの縦型と横型の帆の形が分るように撮った写真です。右側の縦型の三角形の帆は船が風上に上るための帆です。横型の帆は追い風を受けて快走するための帆です。この帆船日本丸は、姉妹船海王丸とともに英国のラメージ&ファーガソン社で昭和5年に建造されました。3番目の写真は帆船、Ami号が夕日の大海原を帆走している風景です。写真の出典は、https://www.facebook.c...「帆船のロマンに魅せられてヨットの趣味を始める」
山林の中の小屋の近所にも春になると美しい花々が咲きます。その写真をお送り致します。「山林の中の小屋の近所に咲く花々」
甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいました。木内正夫さんという方です。ブログ,http://sizen068.blog95.fc2.com/を書いていました。2007年の秋に私の山小屋を訪問してくれて、ブログを始めませんかと勧めてくれたのです。そして彼の山荘へ私を誘いインターネット上に写真や文章を掲載する技術を丁寧に教えてくれたのです。そのお陰で私は2007年の11月から「後藤和弘のブログ」を始めました。その後、木内さんとは大変親しくなり、いろいろとお世話になったのです。彼は山荘の周囲の広い敷地にいろいろな花を育てていました。水芭蕉の花、クリンソウ、ヒトリシズカ、イカリソウ、フクジュソウ、ヤマブキ、などなど多種多様な花々を咲かせていました。そして雑木の丸太を並べて椎茸やナメコも栽培して...「山林の中に独り住んでいた友人の思い出とモリアオガエル」
今日は住む家で苦労した話を書きたいと思います。1964年に仙台を飛び出しアメリカ李留学した時からの苦労話です。オハイオ州のコロンバス市では狭い一部屋の下宿から始まりました。間もなく妻を日本から呼び寄せ結婚式をあげ、台所と食堂を兼ねた部屋と寝室の2室のアパートに引っ越しました。翌年、East14thAvenueのさらに小さなアパートに引っ越しました。1966年に帰国し東京に住みます。国分寺市の一部屋のアパートに住みました。その間引っ越して2つのアパートに住みました。新婚の妻は文句も言わずの楽しそうにしています。そこで住宅金融公庫からお金を借りて小金井市に小さなピレハブの家を作りました。妻の父が小金井市に広い土地を持っていたのです。この小さな家は何度か建て増しし現在は大きくなりました。しかし住宅にはいろいろと...「住宅の苦労話、そして山小屋を作る」
「車の運転の卒業、乗った車の思い出」の続きの写真をお送り致します。1番目の写真はトヨタのカローラです。2番目の写真はホンダのシビックカントリーです。3番目の写真はスズキ・エクスードです。4番目の写真はいすず・ウイザードです。「車の運転の卒業、乗った車の思い出」の続きの写真
長田晴鳳作のマリア観音像の写真をお送り致します。出典は、https://seihou8.sakura.ne.jp/art/maria/indexm.htmlです。「長田晴鳳作のマリア観音像」
イエス・キリストは今から2000年以上前の紀元前6年頃、パレスチナのベツヘレムで誕生しました。このキリストを生んだのが聖母マリアでした。しかしマリアはどんな一生を過ごしたのでしょうか?今日は聖母マリアんぽ一生を簡略にご紹介したいと思います。(1)マリアの生年月日は不詳だが結婚については明快マリアは紀元前6年の頃、大工のヨゼフと頃婚約をします。婚約中のある日、マリアの前に神の使いである天使ガブリエルが姿を現し、聖霊によってマリアが神の子キリストを妊娠したという“受胎告知”を受けました。やがてマリアからこのことを知らされた婚約者ヨゼフは、妊娠していることを知ると、結婚前に子供が生まれることは信じられないとマリアと縁を切ろうとします。しかしそんなヨゼフの元にも天使ガブリエルが現れ、マリアが生む神の子に「イエス」...「聖母マリアの一生はどのようだったか?」
何十年も前に家内と生まれたばかりの赤子を連れてオアフ島を車で一周したことを思い出します。家内も懐かしそうにしていました。「豪華な車でハワイのオアフ島を一周した思い出」
先週車に車の運転免許を警察署に返納して来ました。24歳で運転し始めてから63年間を無事故で運転しました。今日は過去に乗った車の思い出を書きたいと思います。1958年大学を卒業し1960年に24歳の時、オハイオ州へ留学して初めてアメリカの中古車を買いました。クリームと水色のツートンカラーのダッジ・コルネットです。エンジン容量は4・5リッターの大きな車で、たしか1956年製であったと記憶しています。1番目の写真は初めて買った1956年製のダッジ・コルネットです。新婚の妻は色合いを最重要視するのでクリーム色と水色のツートンカラーの車にしました。最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブしました。2番目の写真は帰国後の1966年に買ったマツダ・クーペ360です。日本で買ったマツダ・クー...「車の運転の卒業、乗った車の思い出」
「旧懐の情をかきたてる奈良井の宿、妻籠の宿、馬籠の宿の風景」
時が止まったような村や町の風景を見るといろいろなことを思い浮かべます。人々が活き活きと生き、そしてどんどん死んで行きます。しかし古い家々とその周囲の風景は変わりません。古い宿場町の家並みの風景はシーンとして静かに時を刻んでいるだけです。私は中山道の奈良井宿を何度も訪れました。旧懐の情をかきたてる宿場町です。その家並みの中を歩きながら人の生き死にの儚さを考えていました。そんな奈良井の宿の写真をお送りします。1番目の写真は自分で撮った中山道の奈良井の宿です。江戸時代の宿場町がそのまま保存してあります。2番目の写真も旧懐の情をかきたてる奈良井の宿です。3番目と写真は中山道の奈良井宿から南に行った場所にある妻籠の宿場町の風景です。数年前に3度ほど行きました。4番目の写真はなだらかな坂になっている妻籠の宿場町の風景...「旧懐の情をかきたてる奈良井の宿、妻籠の宿、馬籠の宿の風景」
数年前の冬に信州の諏訪湖のほとりのホテルに泊りました。諏訪湖にはカモやカイツブリの冬鳥がたくさんいました。そんな冬鳥を眺めていたら突然、頭の上を数十羽のカモの一群がザワザワと飛び越えて、水音高く一斉に着水しました。暫く水の中に潜ったりして三々五々遊んでいましたが、そのうち陸の芝生の上を一列になって何処かへ急いで歩いていくのです。カモの列を追って行ったら何か美味しそうな草や実を盛んについばんでいました。家内はこんな光景は始めて見たので、興奮してシャッターを切っていました。シベリアから飛んで来たのに美味しい草の有る場所を知っているのです。感心です。そんな一連の写真をお送りします。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「冬鳥は諏訪湖でも沢山遊んでいます」
冬には樹々が落葉して野鳥が見やすい季節です。気がついて見ると私どもはこんなにいろいろな野鳥に囲まれているのです。そこで今日は自然界に身を置いて野鳥たちと一緒に遊んでみようと思い立ちました。身近にいる冬野鳥の写真をお送り致します。1番目の写真は霞ヶ浦で私が撮った野鳥たちの写真です。白鳥やカモ類やユリカモメの群れが霞ヶ浦を泳いでいます。2番目の写真の写真は霞ヶ浦の岸辺で撮った野鳥たちの写真です。ユリカモメの群れが飛んでいて地面にはカモ類や住み着いている野生の鳩たちがいます。白鳥やカモ類やユリカモメは春になるとアムール河のさらに北へ渡って行きます。私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。さらにバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を見てみましょう。その鳥類は、「日本野鳥...「冬は樹々が落葉するので、いろいろな野鳥がよく見える季節」
小金井公園には昔の武蔵野が残っていて巨樹が沢山あります。すっかり落葉した樹々がシーンと静まり返っています。私も静かな気持ちで数枚の写真を写してきました。帰りに教会に寄り、お祈りして来ました。冬木立の写真をお送り致します。「冬木立の写真をお送り致します」
我が故郷、仙台の花園の写真をお送り致します。写真は「仙台の花園の写真」を検索して、インターネットからお借りしました。「我が故郷、仙台の花園の写真」
皆様は、無性に故郷のことが懐かしくなることがありませんか?私は時々そうなります。今日もそうです。それを知りつつ今日も我が故郷、仙台の思い出を書きたいと思います。まず仙台の写真を示します。私は仙台で昭和11年に生まれ24歳で離れる迄住んでいました。そこで今日は私が昔よく遊んだ八木山や青葉城跡の写真を示します。懐かしい場所の風景写真です。1番目の写真は青葉城跡の高台から見た現在の仙台です。私は仙台で昭和11年に生まれ24歳で離れる迄住んでいました。仙台にまつわる歴史的なエピソードを思いつくままに幾つか書いてみます。お気軽に読流して下さい。(1)ベーブ・ルースが来て、日本にプロ野球が出来たエピソード昭和9年11月9日にベーブ・ルースやルー・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームが仙台に来ました。仙台の青葉城の...「『青葉城恋い歌』の仙台の懐かしい写真」
菜の花畑に沈む夕日の風景写真をお送り致します。写真は「菜の花畑に沈む夕日の風景写真」を検索して、インターネットに出ている多数の写真から選ました。「菜の花畑に沈む夕日の風景」
静岡県賀茂郡南伊豆町湊にある日野の菜の花畑(元気な百姓達の菜の花畑)では、休耕田を利用して菜の花が植えらえています。約3万㎡の敷地に広がる菜の花が見頃を迎えると、黄色い絨毯を一面に敷き詰めたような壮観な景色を見ることができます。また、毎年2月10日から3月10日の期間開催される「みなみの桜と菜の花まつり」の時期には多くの人たちが訪れる人気観光スポットになっています。写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=49376です。「静岡県南伊豆町の日野の菜の花畑」
「イースター(復活祭)とは。いつ、何をするお祭りで、どんな意味があるのか」
日本ではなじみの無い春のお祭りの復活祭とは何をするお祭りなのでしょうか?今日は復活祭のことを分かり易くご説明したいと思います。復活祭を表す英語「イースター」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ」の名前です。復活とは、死んだイエス・キリストが再び生き返り弟子たちの前に現れたことです。この生き返りを喜んで祝うお祭りが復活祭です。生き返るとは神秘的な考え方です。キリスト教を信仰する人々にとってはキリストが生誕した日を祝うクリスマスよりも重要な意味を持つイベントになのです。キリスト教徒が多い欧米の国では、「イースター休暇」として、イースターの当日を挟んで連休とするところが多くあります。しかしイースターがなかなか日本で浸透しません。理由は、移動祝日で毎年の日付がバラバラなことが関係しているようです。クリスマスやハロ...「イースター(復活祭)とは。いつ、何をするお祭りで、どんな意味があるのか」
「カーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係」
毎年、2月になると南米のリオのカーニバル風景がマスコミの話題になります。そしてその風景は2月の風物詩のようになっています。今年のカーニバルは「灰の水曜日」の2月22日の前に行われます。そして今年の復活祭は4月9日です。カーニバル(謝肉祭)、灰の水曜日、四旬節、復活祭と続くものはキリスト教のお祭りです。特にカトリック教徒にとっては重要です。一連の宗教行事が始まるといろいろなことを考えます。キリストの死と蘇りの意味などを考えます。今日はこれらの宗教的な行事の意味とお互いの関係を簡略にご説明したいと思います。その前に謝肉祭すなわちカーニバルの風景写真をご覧ください。1番目の写真は南米のリオのカーニバルの写真です。写真の出典は、http://www.jiji.com/jc/d4?p=smb005&d=d4_int...「カーニバル、灰の水曜日、四旬節、復活祭の意味とお互いの関係」
山梨県の新府桃源郷の写真をお送り致します。「山梨県の新府桃源郷の写真」
月日の流れは早く、もう2月になりました。桃の節句(雛祭り)ももうすぐです。そこで今日は桃の花の写真もお送り致します。桃の花の名所もご案内します。そして桃の節句(雛祭り)の歴史をご紹介いたしたいと思います。さてまず始めに美しい桃の花の写真をお送り致します。これらの写真は、「桃の花の写真」を検索して出て来た数多くの写真の中から美しい写真を選びました。そして日本の各地の桃の花の名所は、「春を感じる「桃の花」の名所21選!」、https://www.jalan.net/news/article/413619/に掲載されています。以下の通りです。飯坂温泉花ももの里【福島県】花見山公園【福島県】花やしき公園【福島県】伊達の桃畑【福島県】神戸駅花桃【群馬県】古河公方公園(古河総合公園)【茨城県】中川やしおフラワーパーク...「桃の節句、雛祭りと桃の花の写真」
春が待ち遠しいですね。春になると八丈島ではフリージアの花が一面に咲きます。そうするとフリージア祭りが開催されす。今年は第57回目のフリージア祭りで、3月18日〜4月9日の間に開催されます。フリージア祭りでは八丈富士を望む広大なフリージア畑で、美しい花を無料で摘み取ることができます。約35万本の黄色・白・ピンク・紫・赤など、色とりどりの愛らしい花々を選んで摘むことができます。去年のと八丈島のフリージアの花の写真をお送り致します。この八丈島へは羽田から飛行機でも行けますが客船で行くとロマンチックな楽しい旅になります。東京の芝浦の竹芝桟橋から夜に客船が出ています。翌朝八丈島の港に着きます。フリージアの花をゆっくり鑑賞した後は2,3日泊って八丈島のあちこちを観光なさるのが良いと思います。そこで以前に私が八丈島の観...「フリージアが一面に咲いている八丈島と私の旅日記」
「ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?
もう何十年も前にトロンハイムにノルウェー工科大学を訪ねたことがあります。ノルウェーは人がいなくて寂しい国です。そんなことを思い出しながらノルウェーの風景と紅葉の写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。「遥かに遠い国、ノルウェーの風景」
北海道へ旅では大型リゾート・ホテルのトマムにも泊りました。その雄大な自然に囲まれた高層ホテル棟と重厚ながら洒落たショッピング・レストラン街には、正直言って非常に驚きました。巨大なトマムのホテルをご紹介いたします。トマムは札幌から東へ140Kmの所にあります。北海道勇払郡占冠村です。私どもが泊まった時はトマムは満員でした。修学旅行の学生が大勢泊まっていました。そして地元の若い人々が多数働いています。北海道を出なくても働き口がこんなにあるのです。地域経済にとっても大成功です。しかしトマムには挫折の悲劇があったのです。そして後をついだ会社の血と汗のにじむような営業努力で再生しているのです。トマムは平日でも776部屋もある高層ホテルが満員でした。北海道の大型リゾートは過疎化の激しい村がデベロッパーと組んだ第三セク...「楽しいホテルの思い出(3)北海道のトマム」
2014年の12月3日に小樽で泊まったホテルはグランドパーク小樽という華やかな雰囲気のホテルでした。以前はヒルトン小樽というホテルで外装、内装ともに一流のホテルでした。そのホテルの1番目の写真はHPからお借りしました。その他の3枚の写真は2014年12月3日に撮ったものです。ホテルのメイン・ダイニングの眼前に広がる華やかなヨットハーバーの風景写真と北一ガラス店の内部の美しいガラス工芸品の写真などもお送り致します。今日は北海道のグランドパーク小樽ご紹介いたしました。感動的なホテルでした。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)「楽しいホテルの思い出(2)北海道のグランドパーク小樽」
思い出ばかり書いて恐縮です。しかし老境にいる私にとっては思い出を書くことが楽しいのです。今日も書きますが勘弁してください。自分の結婚のことです。私共は1963年に留学さきのオハイオ・コロンバスで結婚しました。1964年に帰国して新婚旅行のように箱根への旅をして「山のホテル」に泊まりました。そんな訳「山のホテル」は印象深いホテルなのです。おれから茫々60年余です。妻は随分老いましたが、相変わらず素直で優しい心です。それはさておき、今日は昔泊った箱根の「山のホテル」をご紹介いたします。「山のホテル」は芦ノ湖の岸にあり見下ろすと碧い湖が見え、目を転ずると美しいツツジの庭の向こうに雪を頂いた富士山が見えるのです。まさに絶景の場所に建っているのです。この「山のホテル」へは其の後何度も行きました。箱根に行くたびに昼食...「楽しいホテルの思い出(1)箱根の山のホテル」
「北京倣膳飯荘」は北京有名な北海公園内にある伝統宮廷料理の店です。1925年、清朝の宮廷の台所「御膳房」で腕をふるっていたベテラン料理人たちが集まって店を開いたのが始まりです。当時は茶館だったが、1956年正式に改名し、「倣膳飯荘」となったそうです。「北京倣膳飯荘の現在の写真」
1981年に周栄章さんと2人で一緒に初めて行った北京の北海公園と仿膳飯荘をご紹介したいと思います。中国人は権力者に表向きは従いますが、心の中では個人的な信義を一番大切にしている民族なのです。周栄章さんと2人だけで北海公園を歩いていました。その先にある仿膳飯荘で北京鋼鉄学院の学長が私の歓迎会をしてくれるというのです。1番目の写真は北京の北海公園の石の回廊です。写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-57.htmです。歓迎会で当時あった「茅台酒(マオタイシュ)」の乾杯の応酬で、私もいささか酔いました。2番目の写真は仿膳飯荘の入り口です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htmです。出された料理は女性...「中國の北海公園と仿膳飯荘と北京ダックの写真」
神の存在や宗教を否定するのが本来の共産主義です。ところが中国共産党は宗教の自由を保障し、経済は資本主義の市場経済主義をとっています。ですから中国は共産主義を捨てているのです。共産党という名前と独裁政治だけが残りました。中国の宗教は共産党独裁に反対しないかぎり全く自由です。もっとも全ての宗教組織は当局に届けなければなりませんが、届けてない組織も多いと言われています。元来、宗教というものは政治には関心があってはいけないものなのです。カトリックのミサでの説教では政治の話題は禁物です。したがって中国の全ての宗教組織は共産党と仲良く出来るのです。例外は法輪功だけです。中国の宗教には仏教、道教、回教(イスラム教)、カトリック、プロテスタント系キリスト教、その他の原始宗教があります。中国には宗教を信じている人が数千万人...「共産党独裁の中国における宗教の驚くほどの隆盛」
1番目の写真は中国の東北部の瀋陽にあるカトリック教会です。瀋陽南関天主堂です。2番目の写真は北京の王府井にある王府井カトリック教会です。3番目の写真は北京の西安門のそばにあるカトリック教会です。天主教西什庫教堂です。4番目の写真は上海にあるカトリック教会です。徐家匯天主教堂です。徐家匯聖イグナチオ大聖堂とも言います。「共産党独裁の中国の現在活動中のカトリック教会の写真」
新しいローマ法王にレオ14世が就任しました、それで思い出すのは日本に来たローマ教皇は、ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ教皇の2人です。ヨハネ・パウロ2世は1981年に初来日し、フランシスコ教皇は2019年に来日しました。ヨハネ・パウロ2世:1981年2月23日から26日にかけて、東京、広島、長崎を訪問しました。広島では平和記念資料館を訪れ、被爆者と交流し、核兵器の廃絶を訴えました。フランシスコ教皇:2019年11月23日から26日にかけて、東京、広島、長崎を訪問しました。広島と長崎では、被爆者と交流し、核兵器の廃絶を訴えました。1981年2月ヨハネ・パウロ2世が日本に来た次の年、私は中国の瀋陽市の天主堂で現地の人々のミサへ出席したのです。外側は煉瓦作りの立派な教会だが、内側には大きな落書きや、破壊の...「新ローマ法王レオ14世と日本に来たヨハネ・パウロ2世、そして瀋陽での思い出」
今日の午後の散歩は都立武蔵野公園立武蔵野公園まででした。武蔵野公園の広い園内には雑木林・草原・植木畑等、武蔵野の野趣をとどめる公園です。約80種、約7,000本にも及ぶ植木畑の樹々は都心の街路樹や各地の庭園に移植するため栽培されているのです。「今日の午後の散歩は都立武蔵野公園まで」
北海道に旅をすると、あちこちにあるアイヌ民族の博物館を見ます。1番目の写真は丸木舟に乗り魚を釣るアイヌ人です。2番目の写真は戦前のアイヌ人です。写真にあるようなアイヌ独特の着物は鎌倉時代以降にアイヌ文化が成立していくうちに出来たアイヌの正装です。この服装はアイヌ部落が消滅して行く終戦後まで北海道で見られたのです。しかし1945年の終戦になると、北海道のアイヌ人たちはより良い生活環境を求めて東北地方の開拓地などに移住して来たのです。その結果、私は一人のアイヌ人と友人になったのです。私は仙台市に生まれ育ちました。その仙台へもアイヌ人一家が移住して来たのです。私の家の近所の雑木林を切り開いて生活をしようとしていたのです。私はそのアイヌ人の一家の少年と仲良くなります。仲良くなったのですが、ある時フッと消えてしまい...「私のアイヌの友人への追憶」
北海道にはアイヌ民族が縄文時代より以前の大昔から住んでいました。北海道の先住民です。第二次大戦の直後までアイヌ民族だけの村落が北海道に散在していたのです。それが現在は忘れられています。そこで今日はアイヌ民族の文化と生活の様子をご紹介したいと思います。さて私がアイヌ民族に興味を持つきっかけになったのはモースが撮ったアイヌ人の1枚の集合写真です。エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。その中に次の写真があったのです。1番目の写真はモースが明治20年代(1890年頃)に撮った北海道のアイヌの集合写真です。写真の出典は、小学館の「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。明治時代のアイヌは伝統的な服装と家...「アイヌ民族の文化と生活の様子」
今日は北海道の思い出をお送り致します。札幌の大通り公園、北大植物園、ポプラ並木、開拓村などの思い出です。まずロマン溢れる札幌です。中心にある大通り公園が四季を通じて楽しい場所なのです。札幌はその広大な大通り公園の回りに高層ビルが美しく並んでいるのです。そばには北海道大学の植物園があり、明治を偲ばせるレンガ建ての道庁があります。花の咲いている百合が原公園や八紘学園花菖蒲園もあります。北海道大学の有名なポプラ並木もロマンチックです。郊外には手稲山ジャンプ台があり眺望絶佳です。さらに北海道開拓村が北海道の開拓の歴史を展示しています。それではこれらの写真を示しましょう。1番目の写真は札幌の百合が原公園です。写真の出典は、https://uu-hokkaido.jp/flower/summer.shtml、悠悠北海...「札幌の大通り公園、北大植物園など、そしてアイヌ民族の悲劇」
小金井公園はいつもは人がいなくて静かな公園です。今日はそんな公園をゆっくり歩いてきました。撮ってきた写真をお送り致します。「人がいなくて静かな今日の小金井公園の風景」
奥多摩は東京都ですが魅力的な自然が広がっています。多摩川上流と支流の秋川に沿った山郷に人々が静かに暮らしています。そして渓谷と山々の絶妙な組み合わせで美しい風景になっています。今日は奥多摩の美しい風景を写真でご紹介致します。1番目の写真はJR御岳駅からほど近い国際鱒釣りセンターのある多摩川です。鱒を沢山多摩川に放流してお客が釣っています。ここは車で河原に降りれる唯一の場所です。奥多摩は自分の家から2時間以内に行けるので何百回も行きました。この写真も昨日家内が撮った写真です。これからご紹介する風景写真4枚の出典は以下の通りです。但し6番目と7番目の写真は以前自分が撮ったものです。https://www.jalan.net/kankou/spt_13228ab2042087037/?screenId=OUW1...「奥多摩の魅力と写真」
檜原都民の森は、奥多摩三山の最高峰である三頭山(みとうさん、標高1531メートル)とその麓に広がる地帯で、広さは197ヘクタール。実に東京ドーム42個分と広大だ。山頂付近には希少なブナ林が広がり、季節ごとにさまざまな野鳥が見られる。登山者をはじめ、サイクリングやツーリングを楽しむ人々が訪れており、2022年5月には来訪者が700万人を突破した。詳しい情報は下記にあります。https://www.my.metro.tokyo.lg.jp/w/001-20220725-00005674「豊かな自然がある「都民の森」」
奥多摩の温泉の「もえぎの湯」、日帰り入浴施設「奥多摩温泉もえぎの湯」。地下深くの奥多摩温泉源泉から引いた源泉100%の天然温泉を堪能できます。多摩川の清流と山なみを大きな窓から楽しめる内風呂、自然を肌で感じられる露天風呂のほか、手軽に利用できる足湯もあります。奥多摩駅から徒歩約10分とアクセス良好です。「奥多摩の温泉、もえぎの湯」
今日は思い出の多い多摩川について書いてみたいと思います。多摩川のお世話になったのは、1962年に東京に住むようになって現在までの60年間です。東京の西郊の小金井市に住み始めたので、週末は必ずのように娘と息子を連れて多摩川上流に行き、川遊びや焚火や釣りを楽しんだのです。当時は川原で焚火をするのが普通で、子供たちに枯れ木にマッチ一本で火をつける方法を教えたものです。一番、足しげく通った場所は御岳駅のそばにある国際マス釣り場の川原でした。川原が広がっていて流れも浅く子供の水遊び適していたからです。3歳の息子が浮き輪に乗って流れてしまい、家内が必死に追いかけた光景が忘れられません。そして御岳駅のそばの玉川屋というソバ屋にもよく行ったものです。高い場所にある茅葺の昔風の家です。近くには多摩川に沿って幾度も訪れた玉堂...「思い出多い多摩川と妻のスケートの趣味」
水の流れる風景に誘われて、1975年に山梨県の山林に小屋を建てました。早速その小屋を建てた場所を写真で示します。山梨県の甲斐駒岳の麓です。1番目の写真は山梨県の北杜市から見上げた甲斐駒岳連峰の写真です。晩秋に撮った写真です。右手の山が甲斐駒岳で中央の雪のある所が朝日尾根です。山から流れて来るのは石空川(イシウトロガワ)です。景色だけを眺めていれば良かったのですが、無謀にも小屋を建ててしまったのです。場所は写真の中央部の山林の中です。2番目の写真は甲斐駒岳の麓の森の奥にある私の山小屋です。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。3番目の写真は小屋に登って行く雪道です。こんな森の中の道を2Kmほど登ると小屋...「山梨県の山林の中の小屋」
過ぎ去りし日々を振り返って人生のいろいろを思い出しています。老境にある人は皆同じように自分の人生を時々思い返していると思います。我が人生で最大の思い出は良き妻を得たことです。68年間一緒に幸せに暮らしてきました。妻の自慢話を書いたら長くなります。そこで今日は私が建てた山林の中の小さな小屋の話を書こうと思います。我が人生に深い影響を与えた体験です。その小屋は八ヶ岳の見える甲斐駒岳の麓の山林のなかにあります。甲斐駒岳を見上げると夏に学生君たちと登ったことを思い出します。息子と2人だけで登ったことも思い出します。そしてスウェーデンやドイツから来た学生のことも思い出すのです。この山を見る度に登高の情熱と山頂に立った時の高揚感を思い出します。熱い血潮が老境にある私の体にも流れるように感じるのです。甲斐駒岳を見上げな...「嗚呼、過ぎ去りし日々よ、甲斐駒の麓の思い出」
何年か前に実際に行って感動しましたのでお知らせ致します。潮来あやめまつりは昭和27年にはじまった歴史あるまつりです。当初は、あやめや花菖蒲の愛好家たちがビール瓶などに花菖蒲やあやめの切り花を入れて行なわれていました。園内には、約500種100万株のあやめ(花菖蒲)が植えられており、見頃を迎えると一面に咲き誇ります。一番の見頃は例年6月10日頃です。期間令和6年5月17日(金)~令和6年6月16日(日)詳しくは、https://www.city.itako.lg.jp/page/page005638.htmlをご覧ください。『第73回水郷潮来あやめまつり』開催のお知らせ
今日は午前中にイトーヨーカドーに食料品を買いに行き、午後の散歩は小金井公園の花園の写真を撮りに行って来ました。「今日の散歩、花園の写真を撮りに行って来た」
潮来のあやめが満開になり、初夏の川風に揺れていました。お楽しみ頂ければ幸いです。(続きの写真は明日に掲載します)撮影日時:6月17日午後2時前後「潮来のあやめをお楽しみ下さい!」
今年も間もなくアヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の咲く季節になりまた。今日はこのお互いに似た花の識別法をご紹介したいと思います。知っていると便利です。私の大切にしている庭の花に潮来から15年前に持って来た潮来アヤメがあります。毎年、もう少しすると見事な花を咲かせます。毎年のように、庭の潮来のアヤメの写真を掲載します。すると必ず「それはハナショウブです。間違った名前で書かないで下さい」というコメントを頂きます。しかし私は訂正しません。潮来の人々がアヤメと言っていることを尊重するのです。そして15年前から分類学の視点からいろいろ調べています。そうしたら昔から地方地方によってアヤメを菖蒲と呼んだり、逆に花菖蒲をアヤメと呼んだりしていたことが判明したのです。もう少し詳しく書けば、アヤメ類の総称として、ハナショウ...「アヤメ、ハナショウブ、カキツバタの花の美しい季節」
皐月晴れに誘われて蔵野公園をさブラブラして来ました。ウグイスが鳴いていました。写真はインターネットからお借りしました。「今日の散歩、都立武蔵野公園をさブラブラ」
小金井公園にある「江戸東京たてもの園」では江戸時代の農家や明治時代の商店や大正時代の田園調布の住宅などが移築、展示してあります。昨日は特に昔の商店の店先を丁寧に見ました。見ながら当時の生活を懐かしく思い出しました。今日は昔の商店の店先の写真を示します。そして思い出した当時のことなどを書きます。1番目の写真は「江戸東京たてもの園」の昔の商店を移築してある通リの風景です。この通りの左右に昔の商店を移築されて並んでいます。2番目の写真は花屋さんの店先です。昔は真っ赤な真っ赤なバラを妻の誕生日に贈ったことを思い出しました。3番目の写真は鍋釜を売っている店です。特に少年の頃の昔風の釜が懐かしいです。随分以前から我が家では昔風の釜を使っておりません。4番目の写真は鰹節の専門店です。昔は鰹節は貴重でした。山里のお寺で育...「昔の店の風景を見ながら当時の生活を懐かしく思い出す」
青い空に白い雲がゆっくり流れています。小金井公園へ行きながら空の写真を写しました。「今日は特に空が美しいので写真を撮る」
日本人が誇りにすべきことを書いてみたいと思います。それは日本がアジア諸国を欧米の植民地から解放し東南アジア諸国を独立させたことです。太平洋戦争で東南アジアの諸国を独立させたことです。1946年12月8日の真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦した日本は、快進撃を続け、瞬く間に東南アジアを占領してしまいました。その地域はイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地だったところです。ですからその地域の日本軍の占領は植民地の解放とも言えます。欧米人を追い出し、大東亜共栄圏という経済圏を作るというのが日本が主張した大義名分でした。東條総理は各地の首脳を東京に集め、大東亜共栄圏を作るためのアジア会議を開催しました。しかし1945年の夏に日本が敗北するとビルマ(ミャンマー)、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア、イン...「日本が太平洋戦争でアジア諸国の植民地を独立させた」
八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのです。以前に松江に行き彼の旧居と記念館を見てまわりました。記念館を見て、その雰囲気に感動しました。記念館には家庭の愛が感じられたのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。そこで小泉八雲の一生をかいつまんでご紹介しておきます。ギリシャで生まれ父母の離婚で親類...「一生の前半は不遇でしたが後半は幸せだった小泉八雲と『耳無しに芳一』」
山里の山林の中の小屋に以前は時々泊りました。でも最近はその元気もなくなりめったに行きません。時々思い出すのは漆黒の闇に包まれた森の奥の小屋に泊まったことです。周囲の木々が暗い森の中を歩き回るような恐怖を感じました。考えてみたらこんなにも暗い夜に人魂が飛んでいるのを見たことがありました。そして「のっぺらぼう」や「かまいたち」や「おいてけぼり」が人間に悪さをする話もよく聞きました。半信半疑ながら熱心に聞いたものです。妖怪たちは身近にいたのです。小泉八雲の怪談に出て来る「雪女」は雪国に本当にいると思い込んでいました。「耳無芳一の話」や「鳥取の蒲団」を読んではゾクゾクしたものです。そのような私の楽しみが最近消えてしまっていたのです。街中に住んでいると暗闇の不気味さを忘れていました。ところが暗い森の奥の山小屋に泊ま...「日本人が忘れてしまった夜の暗さ、妖怪も怪談も消えて行く」
新宿の中村屋で中村彝(つね)の「エロシェンコ像」という油彩画を見た時の感動が忘れられません。暗い悲しげな表情に芸術への憧れがみなぎっているのです。表情が詩的美しさでほのかに輝いているのです。直観しました。エロシェンコはただ者でない!、描いた中村彝もエロシェンコの芸術に共鳴している!それ以来、エロシェンコと中村彝が忘れられない存在になったのです。今日は盲目の詩人、エロシェンコと夭折の画家、中村彝の絆の物語を書いてみたいと思います。まずエロシェンコですが、彼はウクライナ人で詩人、童話作家でした。モスクワの盲人学校に学びエスペラントを習得します。ロンドンに学んだ後の1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで童話を発表しました。東京では大杉栄、神近市子、中村彝らと親交を結びます。1919年、ソ連のスパ...「エロシェンコを描いて、37歳で夭折した画家、中村彝の物語」
それは本当に小さな美術館です。南には甲斐駒岳が花崗岩を白く輝かせて聳え、北には八ヶ岳連峰が望める高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて、一歩足を踏み入れると何故か芸術的な香りが漂ってくるのです。毎年、初夏になると白いマロニエが咲いています。今年は行けませんでしたので以前の写真をお送りいたします。この山里にある美術館は清春白樺芸術村の中にあります。白樺林に囲まれた小さな美術館の前の広場には幾つかの建物があります。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエのラ・ルーシュがパリから移築されています。そしてエッフェル塔の階段の一部も移築されています。その奥にはジョルジュ・ルオーの記念礼拝堂もあります。茶室もあり梅原龍三郎のアトリエも復元されています。美術館にはルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数...「マロニエの白い花が咲く山里の小さな美術館」
調布市にあった「京王フローラルガーデン」は営業を終了して閉園しました。跡地は駅周辺とともに再開発されました。1956年(昭和31年)に「東京菖蒲園」として後に「京王フローラル・ガーデン」と改名し以来65年間、美しい花々を見せてくれた花園でした。私は仕事を一切止めた70歳の時から15年間足繁く毎月のように通った花園です。何時も家内が一緒でした。この花園は文字通リ私と妻の最後の「花道」でした。老境を幸せにしてくれた楽しい花園でした。春にはいろいろなマグノリアが咲きます。春夏秋と季節の草花が色どり、そして冬でも足もとの小径にはパンジーが咲いています。夏の芝生の原には球体のギガンジュームが咲きます。そしてバラ園には一年中いろいろなバラが咲いています。この花園は四季折々いつも花が絶えないのです。家内は花々が好きなの...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その三
消滅した京王フローラル・ガーデンには実にいろいろな花が咲いていました。そのいろいろな花の写真をお送り致します。写真の撮影日は2014年5月8日でした。消滅した京王フローラル・ガーデンのいろいろな花の写真をお送り致しまじた。「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その二
東京に京王電鉄という会社があります。新宿から西の郊外に電車を走らせています。その会社が京王多摩川駅の前に「京王フローラル・ガーデン」という花園を公開していました。もう3年前に閉鎖して今はありません。しかし以前は妻と一緒に何度も訪れた懐かしい花園でした。今日はその京王フローラル・ガーデンの懐かしい写真をお送り致します。かつて訪れた方々は懐かしくご覧になると思います。京王フローラル・ガーデンにはいろいろな花々が盛んに咲いています。花々が豪華に咲いています。その花園の中に遊歩道が出来てるのです。写真は10年前の2014年5月9日に撮りました。1番目の写真は遊歩道の足元に咲いている草花です。2番目の写真は花が溢れるように咲いている風景です。3番目の写真は歩きやすいように板を敷いた遊歩道です。さて京王フローラルには...「消滅した京王フローラル・ガーデンの懐かしい風景」、その一
今日は晴天です。午後から小金井公園に行き巨木の写真を撮り、教会に寄ってお祈りをして来ました。気分爽快な一日です。「今日は巨木の写真を撮り、教会に寄りお祈りをして来ました」
今日はは以前に撮った新緑の宮ケ瀬湖の風景をお送り致します。この湖は神奈川県の丹沢山系の水を集めた高原のダム湖です。静かな湖面にウグイスの声が美しく響きわたっていました。山々の新緑から薫風が吹いてきました。新緑の山と湖の風景写真をお楽しみ下さい。「新緑の山と湖の風景をお楽しみください」
今日は復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真をお送り致します。「2024年5月5日復活節第6主日のイグナチオ教会ミサの風景の写真」
2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信です。カトリック葛西教会のミサ動画配信,のご案内です。今日のミサの動画配信は、https://www.youtube.com/watch?v=oW5kJwxQ8KQ1969.6.24松江教会献堂式初代主任司祭エドワード・グリフィン神父1979.6二代主任司祭ジョン・マカティ神父着任聖アウグスチノ・カトリック葛西教会東京都江戸川区中葛西1-10-15TEL:03-3689-0014東西線西葛西駅または葛西駅から(徒歩15~20分)「2024年5月5日復活節第6主日のミサ動画配信」
今日の散歩は武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで行って来ました。家から4Km弱くの野川公園まで電動車椅子に乗って行って来ました。とにかく新緑の美しさに魅了され夢心地でした。それにしても良い季節になったものです。1番目の写真は武蔵野公園です。続く写真はすべて野川公園です。「今日の散歩、武蔵野公園を通りすぎて野川公園まで」