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  • 池田清子「投票」ほか

    池田清子「投票」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年04月17日)受講生の作品。投票池田清子成人して投票権を持って初めて投票に行かなかった県議選無投票昔からのしがらみがあり一人の人が長く続けており対抗馬の出ない地域なのではない一人区一人選挙公報はこなかったどんな人か知らない統一地方選。どの選挙区でも「無投票」が増えている。時事問題をテーマにしているのだが、池田から「もやもやしている、どう書けばいいのだろう」という悩みの声。この詩からは、「もやもや」は、明確には伝わってこない。こういうときは、まず「もやもや」を、そのままことばにして書いてみるといい。各連の間、一行空きの部分に「もやもや」を書いてみる。「もやもや」で終わらせるのではなく「もやもやもやもや」「もやもやもやもやもやもやもや」と重ねて書くだけで...池田清子「投票」ほか

  • Estoy Loco por España(番外篇347)Obra, Miguel González Díaz

    Obra,MiguelGonzálezDíazEscribióMiguelenFacebookqueestasobrasvanalospremiosdelteatro.¿QuésignificaelteatroparaMiguel?Mevienenalamentelaspalabrasmuerteyficción.EstosedebeaquelascalaverasylasmáscarasaparecenenlaobradeMiguel.Enelteatrosedesarrollanamenudocontradicciones,comoelamoryelodio,yelplacerdesesperadodelatraición.Alinterpretarunpapel,¿elactormatasupasa...EstoyLocoporEspaña(番外篇347)Obra,MiguelGonzálezDíaz

  • 阪本順治監督「せかいのおきく」(★★)

    阪本順治監督「せかいのおきく」(★★)(キノシネマ天神、スクリーン3)監督阪本順治出演黒木華、寛一郎、池松壮亮「せかいのおきく」を私は「世界の記憶」と思い込んでいた。舞台は江戸時代。街で糞尿を買って、農家に売る男と、武士の娘の恋と聞いて、てっきり「日本の貴重な歴史(記憶)=循環型の社会」が背景として描かれるのだと思っていた。そんなことを思うのも。私には、寛一郎、池松壮亮のようにそれを商売(生業)としていたわけではないが、糞尿を担いだ記憶があるからだ。山の畑まで運び、糞尿を撒くという仕事をしたことがあるからだ。私は病弱だったが、貧乏だったから、そういう仕事は日常だった。鍬で畑を耕したり、刈り取った稲を担いだり。小学生のころから、そういう仕事をしながら、寛一郎のように、「学問(字を覚え、読み書きがしたい)」の...阪本順治監督「せかいのおきく」(★★)

  • Estoy Loco por España(番外篇346)Obra, Javier Messia

    Obra,JavierMessiaCuandollegué,elsofáteníarastrosdeunapersonasentadaenélylaluzdeunalámparaestabaencendida,perolahabitaciónestabavacía.Enlapared,rodeadodeunosretratos,habíauncuadroazul.¿Lorecuerdas?¿Puedesdecirmequécuadrohabíaallí?Séquetecuestaencontrarlaspalabrasadecuadasparaexpresartudolor.Peroselopido.Porfavor,sólounaspalabras.Lasvocesseconviertenenpalab...EstoyLocoporEspaña(番外篇346)Obra,JavierMessia

  • 高柳誠『輾転反側する たちへの挽歌のために』(2)

    高柳誠『輾転反側するたちへの挽歌のために』(2)(ふらんす堂、2023年04月16日発行)高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』は、もうひとつ「絶対に」書いておかないといけないことがある。これは「絶対に」だから、かならずだれかが書く。だから書かなくてもいいという「選択肢」もあるのだが、そして、私は実はそうしたかったのだが、書いておくことにする。詩集を読み始めるとすぐ「既視感」が襲ってくる。あ、どこかで読んだことがある。文学というものは新しいと同時に古いものだから、それがあるのは当たり前なのだが、そういう「既視感」ではない。「輾転反側する鱏たちへの挽歌のために」というタイトルの詩に繰り返されたあと、「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」という詩があり、さらに「慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の...高柳誠『輾転反側するたちへの挽歌のために』(2)

  • Estoy Loco por España(番外篇345)Obra, Jesus del Peso

    Obra,JesusdelPesoNegacióndellirismoAtenciónydisatención.Esto,unapardeparadoja.Oasimetría.Describirconprecisión(conlógicamente......,fueunavezescritoyborrado)unagrietaqueellosescondenesconvertirseenunametáforaabsoluta.Lametáforaimplicaunadireccióncondensada,peronotienesentidointerpretaraquéserefiere.Lagrietacomoestadurezasólonosdicequenohaymediodevueltaatr...EstoyLocoporEspaña(番外篇345)Obra,JesusdelPeso

  • Estoy Loco por España(番外篇345)Obra, Javier Messia

    Obra,JavierMessiaMedaimpresiónlaobradeJavier…..Lasoledadquereflejaelaguaesaúnmássolitariaquelasoledad.Porquenosdiceque,pormuyparecidosqueseamos,nuncadebemossuperponernos.Notoqueslasoledadreflejadaporelagua.Desdeelpuntoenquelatoca,leatrae.Alcaerunguijarrosolitarioalaguaylopodemosver.LaobradeJavierresistelatentacióndeloscírculosconcéntricosysedivideenvarios...EstoyLocoporEspaña(番外篇345)Obra,JavierMessia

  • 荒川洋司「工場の白い山」ほか

    荒川洋司「工場の白い山」ほか(「午前」23、2023年04月25日発行)中井久夫が、どこかで「訳詩というのは、元の詩を暗唱してしまえるくらい記憶するのではなく、少しうろ覚えのところがあるくらいの方が、うまくできる」というようなことを書いていた。詩の鑑賞も、それに似ていると思う。完全に理解してしまうと、そして暗唱できるくらいに覚えてしまうと、つまらないのではないか。記憶まちがい、なんだったかなあと思い出せない部分があるくらいの方がおもしろい。その中井の意見とは少し違うのだが、そして似ているかもしれないとも思うのだが、詩というのは、何かわからないところがある方がおもしろい。特に、初めて読む詩というのは、わからない方がおもしろい。荒川洋司「工場の白い山」を読んでみる。白い山肌はみそれにおさめられた落ち悔いたよう...荒川洋司「工場の白い山」ほか

  • Estoy Loco por España(番外篇344)Obra, Paco Casal

    Obra,PacoCasalGrabadoenplanchadehierrotratadaalácido.38x28mancha28x15,5Esaventanamerecuerda.Detrásdeesaventanahayunespejo.Unavezintentéreflejarmicuerpodesnudoeneseespejoempañadoporladucha.Enelespejo,loscontornosdemicuerpoeranturbios,comoungrabadoimperfecta.Enmisflancosseextendíanvagassombras.Nosehabíacaídoenladucha.Dondeaquldedosehabíamovido,comobuscandoa...EstoyLocoporEspaña(番外篇344)Obra,PacoCasal

  • 平田俊子の視点

    平田俊子の視点(読売新聞、2023年04月23日)2023年04月23日の読売新聞。「こどもの詩」というコーナーに、古井いつきの「私のおなか」という作品。おなかには三つお部屋がある一つ目はおくすりのへや二つ目はおやつのへや三つ目はごはんのへやもぐらさんのおうちみたいにさて、この詩に、いったいどんなことが言えるか。平田俊子は、こう書いている。大人になるとお酒の部屋もできたりします。この感想は、とてもいい。子どもを特別扱いしていない。子どもはおとながお酒を飲むことを知っている。子どもは飲んではいけない、ということも知っている。だから、ね、大人になるといいでしょ?なりたいでしょ、とそっと言っている。このちょっとふざけた励ましは、「一つ目はおくすりのへや」の奥にあることばをくみとっているのだろう。この子どもは、薬...平田俊子の視点

  • Antonio Baños「ME DUELE EL CORAZÓN 」

    AntonioBaños「MEDUELEELCORAZÓN」("Cuandoserompeelsilencio")スペインの詩人の詩は、ロマンチックである。AntonioBañosの詩を読んだ。MEDUELEELCORAZÓNMedueleelcorazóndenoverte.Meduelecuandodespiertodeminostalgia,cuandoescucholaalondracantandoenmissilencios,cuandolosatardeceresdemisdíasfinitossuenanenlalejaníasinsonidoaparente.Medueleelcorazóndenoverte.Meduele,cuandolavelademividaseconsumelen...AntonioBaños「MEDUELEELCORAZÓN」

  • 高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』

    輾転反側する鱏たちへの挽歌のために(詩集)高柳誠ふらんす堂高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』を開いて、私は、困惑する。行分け詩、いわゆるふつうの詩のスタイルなのだが、各行が長く、ほとんど同じである。同じ長さの行でそろえられた詩もある。標題になっている作品の冒頭。輾転反側する?たちへの挽歌のためにまずは斬首された蛸が用意されるべきであろう慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして海溝はおのれの内なる深淵の詭計に耐ええずに狂い咲きのサンゴを沈黙の岸辺に投げつける析出し続ける半島の白亜紀になずむ堆積から喪われた時の骨格がしずかに浮き上がる両側にかしずく白鳥の翼をもつ双生児たちその影に怯える夥しい魚卵の鮮明な痕跡は瀝青の内部に隠された生命進化の遍歴譚に自らのありうべき肖像を加えようと企てる最初の方こそ...高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』

  • Antonio Baños Roca「RECUERDAME QUE TE QUIERO」

    AntonioBañosRoca「RECUERDAMEQUETEQUIERO」AntonioBañosRoca「RECUERDAMEQUETEQUIERO」の詩を読んでいたら、不思議なことばにであった。Sinrumbo,navegandoaladerivaenunmardeincertidumbre,lleganlosdíasylasnochesdondemiscabellosblancossoportanelpasodeltiempo.Atrásquedanilusioneslogradas,momentoscompartidos,experienciasadolescentesvividas,promesasporcumplir.Recuerdo,cuandorecuerdo...Elclaroscu...AntonioBañosRoca「RECUERDAMEQUETEQUIERO」

  • Estoy Loco por España(番外篇343)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPabloEncuantoviestaseriededibujosdeJesus,mequedésinpalabras.Sóloqueríaescribiralgo.Pero,¿cómopodríahacerlo?Laprimerapalabraquemevinoalamentefue"inocencia".Perolapalabra"inocencia"yanoestápura.Haycosasquenosepuedenescribirporlapalabra"inicencia".Imaginoalgoasí.Undía,Jesusveasuhijopintando.Elhijoestáimitandoasupadre,Jesus.Peronohayperspectiva...EstoyLocoporEspaña(番外篇343)Obra,JesusCoytoPablo

  • 中島隆志『倉庫の明かり』

    中島隆志『倉庫の明かり』(紫陽社、2023年06月10日発行)中島隆志『倉庫の明かり』は、「弱い強さ」とでもいうような感じを持っている。あることばが強い主張を持っているわけではない。どちらかというと「弱さ」を持っている。ここに書かれていることばだけで生きていくのはむずかしいと感じさせる弱さである。しかし、それは、目を引いてしまう。言い直すと、目を引いてしまう強さを持っている。あ、ここに「弱さ」がある。そして、それは守らなければ消えてしまうという弱さなのだが、そういう感じを呼び起こす強さである。ながながと書いてもしようがない。たとえば詩集のタイトルになっている「倉庫の明かり」。そのなかほど。そんなつもりはなくてもうっかり曲げたり指紋をのこしたり小さな失敗もかさなれば暗くなる失敗を「かさねる」ではなく「かさな...中島隆志『倉庫の明かり』

  • Estoy Loco por España(番外篇342)Obra, Jose Manuel Belmonte Cortes

    Obra,JoseManuelBelmonteCortesSuperfileesmuysimilar.Casiunparecidoperfecto.Unopensó.Eselmismoperfilquevióporúltimavezaqueldía.Perolassimilitudestienensusdiferencias.Aqueldía,susojosmirabanlahabitaciónenelespejodelarmario.Ahorasusojosmiranlasarrugasdelassábanasreflejadasenlaventanaporlanoche.Miranalgodiferente.Ynomiraauno.Mirahaciaotrolado,conscientedequeun...EstoyLocoporEspaña(番外篇342)Obra,JoseManuelBelmonteCortes

  • 谷川俊太郎「かなしみ」ほか

    谷川俊太郎「かなしみ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年04月03日)受講生が持ち寄った著名人の詩を中心に読んだ。花明り東山魁夷花は紺青に暮れた東山を背景に、繚乱と咲き匂っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚め尽くしたかのように。山の頂が明らむと、月がわずかに覗き出る。丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮かび上がり、花はいま月を見上げる。月も花を見る。これを巡り合わせというのだろうか。これをいのちというのだろうか。日本的、古典的、格調高い……東山魁夷自身の絵を、もう一度、ことばで再現したような作品だ。「古代紫」「繚乱」ということばのほかに「聚め尽くした」という少し変わった文字遣いのことばもある。一種の「気取り」かもしれないが、こういうことばのつかい方は、詩にとっては大切なことである。つまり、...谷川俊太郎「かなしみ」ほか

  • 野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(2)

    野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(「イリプスⅢ」03、2023年04月10日発行)野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」は、「言語暗喩論」をひと休みして、ある賞めぐるあれこれを書いている。これは、私のように、あまり接触のない人間には、すこぶるおもしろい文章であった。何がおもしろいといって、野沢は「言語暗喩論」の完成に向けでことばを動かしている人間だと思っていたら、ほかのことにも関心があったということがわかったことである。「言語暗喩論」を脇においておいても、まず、書いておきたいことがある。なるほど。しかしまあ、「人事」というのもの、おもしろいものだなあ。「人事」であるから、そこに書かれていることは、別の人から別の「出来事」に見えるかもしれない。「出来事」は、それに直面した人の数だけ存在する...野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(2)

  • 野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」

    野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」(「イリプスⅢ」03、2023年04月10日発行)野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」は、「言語暗喩論」をひと休みして、ある賞めぐるあれこれを書いている。これは、私のように、あまり接触のない人間には、すこぶるおもしろい文章であった。何がおもしろいといって、野沢は「言語暗喩論」の完成に向けでことばを動かしている人間だと思っていたら、ほかのことにも関心があったということがわかったことである。「言語暗喩論」を脇においておいても、まず、書いておきたいことがある。なるほど。しかしまあ、「人事」というのもの、おもしろいものだなあ。「人事」であるから、そこに書かれていることは、別の人から別の「出来事」に見えるかもしれない。「出来事」は、それに直面した人の数だけ存在する...野沢啓「言語暗喩論のたたかい--時評的に3」

  • Estoy Loco por España(番外篇341)Obra, Jose Javier Velilla Aguilar

    Obra,JoseJavierVelillaAguilarLaspalabras,"Penséquepodríarecuperarte",todaviameesperaron.Quizaslaspalabrashabríanvenidoalamismahoracadadía,comolaluzdelsolponiente.Saberqueestacosainmutableyhabitualpermaneceahímeentristece.Sivengoaquí,puedovertucorazón.Tuspalabras."Penséquepodríarecuperarte".Alrecordarlos,ahoramedoycuentadequeteheperdidoparasiempre.Peroquéd...EstoyLocoporEspaña(番外篇341)Obra,JoseJavierVelillaAguilar

  • Estoy Loco por España(番外篇340)Obra, Lola Santos

    Obra,LolaSantosLaobradeLolatieneunaextrañainaccesibilidad.Quierotocarla,peromedudadequepuedatocarlaono.Antesuobra,meconvertíenunadolescente.Tenía15añosymeescondíaenlasaladeartedelaescuela.Porlanoche,cuandonohabíanadie.SalgosigilosamentedelassombrasydibujodeVenus.Paradibujarsulugarsecreto,lequitólateladelacintura.Elpañosedeslizacontantafacilidadquemesiento...EstoyLocoporEspaña(番外篇340)Obra,LolaSantos

  • Estoy Loco por España(番外篇339)Obra, Lu Gorrizt

    Obra,LuGorriztEsedía,laprimaverasedividióenpájaros,floresyagua.Lospájarossedividieronademásenlamelodíadecorcheasyelviento.Lasfloressedividieronaúnmásensuolorysupelobrillandoalaluz.Elaguasedividióaúnmásenlamañana,eldíaylanoche.Enlasjoyas,elsolylasestrellas.Cuantomásalargabalamanoelniñoymásperseguía,laprimaverasedividiómás,más,más.Seextendíaportodaspartes.E...EstoyLocoporEspaña(番外篇339)Obra,LuGorrizt

  • Estoy Loco por España(番外篇338)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensEnunlibro,estabaescritoenpasadocomoimpecablementebelloeimpecable.Enotro,subellezasedescribiócomoeltañidodeunacampanadebronce.Conmovidoporlatristezadeaquelsonidotransparente,elpoetainterrumpiósupoemasobreladecepción.Hevistolaobraquefueelpuntodepartidadeesegrupodepalabras.Fuera,laquietuddellirioblancoqueempiezaaabrirse.Dentro,lasangreblan...EstoyLocoporEspaña(番外篇338)Obra,JoaquínLlorens

  • 中井久夫『中井久夫集6』(2)

    中井久夫『中井久夫集6』(2)(みすず書房、2018年04月10日発行)中井久夫「訳詩の生理学」は、翻訳するときのことを書いているのだが、「詩を読むときの生理学」として読むことができる。二つの言語、特に二つの詩--原詩とその訳詩--の言葉は、言語の深部構造において出会う(54ページ)わたしは、この文章で、思わず、息をのんだ。このことばは、こう読み直すことができる。だれかの詩を読む。そのとき、二つの言語、つまり詩を書いた人のことばと、詩を読んでいる人のことばが、言語の深部構造において出会う。たしかに私は中井の訳詩を読んだとき、中井のことばと私のことばが出会ったのだと感じた。ほかの人の詩を読み、それに感動するときも、だれかのことばと私のことばが出会っているのだと感じる。「出会う」ということは、その「出会い」に...中井久夫『中井久夫集6』(2)

  • 中井久夫『中井久夫集6』

    中井久夫『中井久夫集6』(みすず書房、2018年04月10日発行)中井久夫は「注」を膨大に書く。『中井久夫集6』の巻頭「一九九六一月神戸」の本文は1ページから8ページ(実質7ページか)までなのに対し、その注は8ページから32ページまでつづいている。3倍以上の注である。注の文字が小さいことを考えると4倍の分量の注になる。私は目が悪いこともあって、注はめったに読まない。必要なことは本文に書いてある、と考えているからである。注とは、いったい何なのか。なぜ、中井は注をつけるのか。そう思って、今回は読んでみた。12ページにこんな一行がある。他方、レジャーに行く人に代わって宿直を頼まれた人もいたわけである。私が注目したのは「他方」ということばである。「代わる」ということばである。中井が書いているのは、阪神大震災が起き...中井久夫『中井久夫集6』

  • ダーレン・アロノフスキー監督「ザ・ホエール」(★★)

    ダーレン・アロノフスキー監督「ザ・ホエール」(★★)(キノシネマ天神、スクリーン2)監督ダーレン・アロノフスキー出演ブレンダン・フレイザー舞台劇が原作。だから「室内」限定という設定は、それはそれでいいのだが、あまりにも「ことば」の説明が多すぎる。ふつうの映画なら映像で見せる部分をことばで見せてしまう。で、そのとき問題なのは。「舞台」は、「ことば」を聞く場所なので、ことばがどれだけ多くてもかまわないし、肉体で表現できないことを「ことば」で表現してもまったくかまわないのだが。映画はねえ。主演の男優のメーキャップが話題になっているが(アカデミー賞も撮ったが)、どうしても観客の意識は「映像」に向かう。映像に集中してしまうから、「ことば」への集中力が落ちる。特に、主人公が200キロを超すまでに太ってしまって、歩行器...ダーレン・アロノフスキー監督「ザ・ホエール」(★★)

  • 中井久夫「これは何という手か」

    中井久夫「これは何という手か」(『中井久夫集5』、みすず書房、2018年01月10日発行)中井久夫「これは何という手か」は、福岡在住の彫刻家、鎌田恵務の彫刻に寄せた作品と、『中井久夫集5』の「解説5」で最相葉月が説明している。中比恵公園に、その彫刻があるという。中井の訳詩が、たとえばカヴァフィスの声を聞き取ったことばなら、この詩は鎌田の彫刻の声を聞き取った声ということになるのか。これは何という手か。原初の岩盤から切り出されたこごしい岩の一片。単純、動かず、ただ存在する手である。ほとんど足かと迷う手。大地から湧いた幼い巨人の手。まだ何も知らず、何にも汚れず、何をも汚さない、働きはじめていない手。糸をつぐむことも、木を削ることも、漬物を漬けることも、上顎についた漬物を取ることも、闇をさぐることも、飼い犬をかい...中井久夫「これは何という手か」

  • Estoy Loco por España(番外篇337)Obra, Joaquín Llorens

    Obra,JoaquínLlorensLaspalabras"Mevoy,paravolverotravez"hanvuelto.Enunrincóndeaquellahabitación.Aqueldía.Losdosempezamosabailardespuésdeasegurarnosdequenohabíanadie.Elsolponienteentrabaporlaventana.Losdosnostiñemosdelmismocolor.Losdemáscoloresdesaparecieron.Todosevolviótransparente.Sóloquedóuncolor.Nopuedoolvidarlo.Elcolordeaquellapuestadesol.Yderepente,aq...EstoyLocoporEspaña(番外篇337)Obra,JoaquínLlorens

  • Estoy Loco por España(番外篇336)Obra, Sergio Estevez

    Obra,SergioEstevez"Naufragioescrito"Todohabrádesaparecido,dejolapalabra.¿Esverdad?Paraaveriguarlo,laotraplabrafueaeselugar.Aquelmar.Estaballoviendo,comoaqueldía.Pormuchalluviaquecaigasobreelmar,elmarselatraga.Todohabrádesaparecido.Laspalabrasdeaqueldíavolvieronaahora.Tododeberíahaberdesaparecido,peroaúnpermanece.Loscolorespermanecen.Elfaro,eldique,elbarco...EstoyLocoporEspaña(番外篇336)Obra,SergioEstevez

  • Estoy Loco por España(番外篇335)Obra, Jesus Coyto Pablo

    Obra,JesusCoytoPablol"Elprotocolo"grabado,alláporlos9070x50cm.Lamujerselimpiaconlosdedoslaventanadecristalempañadaporlalluvia.Seveelexterior,quenosepodíaver.Pero,almismotiempo,tambiénsevedesdefuera.Losojosdeestaobra,¿Sonlosojosquehanvistoalgo,oquehansidovistoporalguien?Sedandocuentadequeestáespiandolamujer,elhombresemarcha.Elhombreveclaramenteensumentelos...EstoyLocoporEspaña(番外篇335)Obra,JesusCoytoPablo

  • 最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』(2)

    不死身のつもりの流れ星最果タヒPARCO出版最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』(2)(PARCO出版、2023年02月01日発行)一回目の感想を書いてから時間が経つので、何を書いたか忘れてしまった。同じことを書くかもしれないし、まったく逆のことを書くかもしれない。どちらにしても、それはそのときの私の感想であることに違いない。「高速の詩」は、もっと高速な言葉がほしいな愛している、なんて遅すぎるという刺戟的なことばではじまる。抱きしめるな、口づけするな、頬を寄せるな、恋をするな、ぼくの名を呼ぶな、この否定の命令形もいいなあ。しかし、その詩の最後。彗星でもぼくはきみに命名する権利があるだからきみを、恋人と呼ぼう私は、ここでつまずいた。ことばが「高速」ではなくなっている。ブレーキがかかっている。あるいは、止まって...最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』(2)

  • 中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(11)

    中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(11)「足音」はネロが、母殺しの「復讐」をされる前の一瞬を描いている。ネロは眠っている。そこに足音が近づいてくる。でも、何の足音?それが、突然、わかる。いよいよ復讐の神の足音なのを。とても「座り」の悪い一行である。直前の行は「小さな神には分かった、あの音が何かを。」で、この「何かを」を受けて「足音なのを」というのだけれど、その意味がわかっても、まだ何か「座りが悪い」感じがする。そして、これが大事なのだが。この「座りの悪さ」が詩である。「座りのいい」論理的な一行にできない。論理的にしてしまうと、「理解」が完全になりすぎる。わかる、けれど、うまくことばにできない。この、もどかしさというか、逆だな。「論理」(理解)を超えて、「事実」があらわれてしまう。「事実」の前では「論理(...中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(11)

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