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Papa di CERTO チェルト君のパパ さんのプロフィール

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Papa di CERTO チェルト君のパパ
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https://blog.goo.ne.jp/certot
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2007年からの「チェルト君のひとりごと」は2013年4月でおしまい。今度は「パパのひとりごと」です。
更新頻度(1年)

26回 / 365日(平均0.5回/週)

ブログ村参加:2014/10/02

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Papa di CERTO チェルト君のパパ さん
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Papa di CERTO チェルト君のパパ

Papa di CERTO チェルト君のパパ さんの新着記事

1件〜30件

  • 突如、思い出すシエナ

    僕には、必ず見る数少ないTV番組がある。その一つが「小さな村の物語、イタリア」だ。企画も、ロケーションハンティングも、被写体のイタリアの村の人たちとのラポート関係もしっかりしていて、見ていると、まるでその村に自分が入り込んだような気がする。よくある単なるビジターとしての通り過ぎるヨーロッパの旅番組とは違い、取材者と村の住民たちとの間が、非常に濃密に、よくコーディネートされている。非常に質の高い番組だと思っている。<小さな村の物語イタリア:モンティエーリ:番組案内表よりお借りしました>先日も、トスカーナの小さなモンティエーリという山村を訪れて、上質な栗の粉を作って生計を立てている親父さんの物語を見ていた。栗は日本の蕎麦と同じで、小麦が作れないイタリアの山里で、代わりに栗の粉を常食としている地方があったなあと思い出...突如、思い出すシエナ

  • 信濃追分あたり

    次の日の行程は、ゆったりとしたものだった。前日の野反湖のように、シャカリキでクネクネの山道を運転して、日帰りするといったプレッシャーはない。ほとんど平坦な舗装された道を、淡々と車を転がせばよかった。軽井沢のホテルの中庭の緑と朝の光を楽しんでみる余裕も充分あった。<ホテルの中庭の緑と光>追分に行ってみようと思ったのは、何度か訪れた追分宿だが、昔のイメージとどうしてもかみ合わないことが一つ、頭に引っかかっていたからだ。それは、「追分本陣」がどこかに消えてしまっていて、どうなったのだろうという疑問だった。本陣と言えば、大名の参勤交代のおり、宿場に泊まるときに使われるものだ。追分宿は、ちょうど北国街道と中山道との分岐点。当然、昔から本陣があったはずだ。僕も、昔、親父や親父のお弟子さんと一緒に絵を描きに追分と浅間を訪れた...信濃追分あたり

  • 天空の野反湖へ

    バケットリスト(くたばるまでにやっておくことのリスト)に残っている、ちょっと大切な項目が、この野反湖(のぞりこ)に行くことだった。今も、あまり知られてはいないと思うが、野反湖は大げさに言えば秘境だろう。似た名前の信州の野尻湖とは違い、群馬県と新潟県の県境の頂上にある小さな人口湖で、「天空の湖」と地元ではPRしているアクセスの悪い湖だ。しかも何もないところだ。<野反湖へのルート:Google>アクセスが悪いとは、高齢の部類に入る僕にとってのことかもしれない。ここへは、車でしか行けない。急カーブが連続する細い山道を、緊張しながら登って行かなくてはならないからだ。もちろん対向車も来る。時には、ダンプカーだったりして。ここでは、右へ、左へと連続するハンドルさばきと、素早いアクセル、ブレーキの操作が要求される。軽井沢から...天空の野反湖へ

  • 碓氷峠の見晴台

    これから始まる軽井沢近辺での3篇の旅の目的を書いておこう。すべて、僕のバケット・リスト(くたばる迄にやっておく事のリスト)の項目だ。目的は大きくは3つ。1.碓氷峠の見晴らし台に立つこと2.群馬県と新潟県の境にある野反湖を訪ねること3.信濃追分での積み残しの調査をやることフリルとしては、懐かしい旧軽井沢を歩いてみることが頭の中にあった。これで4泊4日の旅になった。本文<昔の姿を残す軽井沢駅>最初は碓氷峠。大阪市大の2回生(なぜか関西では2年の事をこう呼ぶ)の時、大阪から座ることができなくて、夜行列車の座席の下に新聞紙を敷いて、ごろ寝しながらたどり着いた初めての信濃を追体験するのが狙いだった。(当時、書いた自由詩を、この文末に参照しておきます)あの時は、信越本線で群馬県の横川まで一度下り、そこからアプト式の電車に乗...碓氷峠の見晴台

  • エミリアが天国へ

    イタリア人の友達、エミリオの奥様、エミリアが亡くなったことを知ったのは、Facebookでだった。僕が、ミラノに最初に赴任したのは1970年。その時、エミリオと友達になったから、もう50年来の友人ということになる。初めてミラノの彼らのマンションを(イタリアではマンションとは言わず、アバルタメントと言う)にお伺いした時、びっくりしたのは、かなりの高層階の角部屋だったけれど、そこに立派な暖炉があって火が燃えていたことだ。ミラノの冬は寒いから普通はリスカルダメントと呼ばれる水蒸気か温水を循環させる方法だが、ここには燃えるストーブもあった。日本のアパートでは考えられないことで、とても羨やましく思ったことを思い出す。<マドンナ・ディ・カンピリオドロミティ>夏、彼らはドロミティ山塊の西の、ドロミティ・ディ・ブレンタにあるマ...エミリアが天国へ

  • 恒例のカレンダー

    今年も、来年のカレンダーを手配する時期がやってきた。普通のカレンダーだったら、横浜でも買えそうなのだが、なかなか気に入ったものが見つからない。有隣堂を試してみても、かなり妥協せざるをえないことになる。<2か月カレンダー>それは僕が探しているカレンダーが、最近はあまり一般的ではないからだろう。僕が探しているのは、常に2か月先までの予定が書き込める2か月カレンダーだからだ。カレンダーの管理は、もちろんiPhoneに入れて持ち歩いているが、居間に掛けておくカレンダーは、瞬間的にどこが空いているかが分かる大きなカレンダーにはかなわない。特に電話で話しているときなど、とても助かる。<伊東屋>この手のカレンダーは少ないから、選べる店となると、銀座の伊東屋さん迄出かけることになる。今年も、そんな時期がやってきた。改装で、天井...恒例のカレンダー

  • 岡野先生の墓参り

    僕を精神的に再構築してくれた岡野先生の13回忌の知らせが飛び込んだのは、8月の始めだった。1995年以前からの付き合いのある、先生の生徒の一人、Kさんからだった。岡野先生は2007年9月2日に沖縄で亡くなられた。その年の9月24日に市ヶ谷のアルカディアで開かれたお別れ会には、僕は仙台で心臓君の病気との戦いの最中で、とても上京できる状況ではなかった。欠席していた。結果として、ちゃんとお別れはしていなかった。<岡野先生の遺影>Kさんとの往復書簡(E-Mail)を中心に書いてみる。Kさんより岡野先生十三回忌の案内です。予定日は8月31日です。残暑が厳しい状況でしたら、ご無理をなさいませんように。僕より岡野先生の13回忌の件ですが、Kさんの情報と、僕の持っている1994~6年の研究会リストで、僕の印象に残っている方々の...岡野先生の墓参り

  • 海外の空港たちー13 アジア

    アジアには、あまり降りた空港はないのですが、数少ないいくつかを話しをします。<イタリアからの南周り>ミラノ→アテネ→ベイルート→ボンベイ(今のムンバイ)→サイゴン(今のホーチミン)→香港→東京という、とても長い(30時間越え)、しかも熱さと湿気に満ちた飛行でした。昔、イタリアから南回りで帰る時に、ガソリンを補給するためと途中の利用者の乗降のために着陸した空港で、僕は機内に閉じ込められていたか、ターミナルで休憩していたかのどちらかでした。外に出たことはありません。あまり快適的な旅の記憶はありませんでした。アテネでは、飛行場からパンテオン神殿が、ライトアップされているのを見て感動でした。ベイルートは、美しい街という印象でした。今の戦禍はなく、静かなアラブの夜を見た記憶があります。ボンベイでは、乗ってくる人たちが、必...海外の空港たちー13アジア

  • 海外の空港たちー12 オーストラリア

    オーストラリアは、僕にとっては大切な思い出の場所だ。日本を脱出して、生涯をそこで過ごそうと考え、一度は具体的行動に移した場所だからだ。結果としては、それができず、今も悔しい思いで日本にいるわけだが…。<飛行図>オーストラリアには、数えてみると、3回行っている。最初は、IBMオーストラリアからコンサルタントとしてよばれた3週間。二度目の1週間は、CIM(ComputerAidedMfg.)の論文を、オーストラリアの学会に応募したら選ばれて、シドニーとメルボルンで論文発表することになり、過ごした楽しい時間。そして、最後の2週間は、永住許可が下りたら住む場所と決めていたメルボルンに、具体的な居住地を探す旅だった。合計6週間だが、だいたいはメルボルン近辺で過ごしたことになる。最初に飛んだのはシドニー。そこから乗り換えて...海外の空港たちー12オーストラリア

  • 海外の空港たちー11 タホ湖

    <飛行図>これが唯一のプライベイトなアメリカ行きだった。ハワイには、たくさん日本人が行くようだが、ハワイ諸島がアメリカの州であるだけで、アメリカとは言えない気がする。何十回もアメリカ大陸には渡ったが、ハワイには寄ったことはない。余談です。この時は自費の旅だったから安い航空券を探したら、当時は日本ではなじみの薄かったアメリカンのサン・ノゼへのチケットが取れた。目的は、カリフォルニア州とネバダ州に跨るタホ湖での2週間のインターナショナル・TA・ワークショップへ参加するためだった。その前後に、1週間ずつサンフランシスコ滞在を加えたから、合計4週間弱の旅になった。<タホ湖Google>これはIBMが、勤続25年の社員にサバティカルとして、1か月の有給休暇と学費を負担してくれるというチャンスに恵まれたからだった。僕にとっ...海外の空港たちー11タホ湖

  • 海外の空港たちー10 仕事のUS

    <北アメリカ飛行場マップ>これまで取り上げていない空港を見ておこう、トランジットも含めて、全部仕事での発着だ。地図の表示にしたがって、北から見ていくと、・アンカレッジとフェアバンクス<フェアバンクス空港>その昔、日本から北アメリカ、例えば、J.F.K.には直行便が飛べなく、ガソリンがもたないので途中での給油の必要があった。アンカレッジは、このシリーズの最初で書いたから省くとして、フェアバンクスはとても珍しい着陸だった。予定にはなかったのだが、アンカレッジの代わりにアメリカ空軍の基地、フェアバンクスに降りたことがある。アンカレッジが何かの理由で使えなかったのかも知れない。<マッキンリー山>どちらに降りても、北アメリカ最高峰のマッキンリー山(今は改称してデナリ、6,194m)がよく見えたのが印象に残っている。機長が...海外の空港たちー10仕事のUS

  • 世界の空港たちー9 USの長い旅

    アメリカには何度も行っているが、こんな長い旅は他に記憶がない。<飛行図>一応、書いておくと、成田→ミネアポリス、ミネアポリス⇔ミネソタ州ロチェスター。ミネアポリス→ケンタッキー州レキシントン→ノースカロライナ州ローリーへ。さらに、そこからフロリダ州マイアミへと下って、帰りはニューヨーク経由成田という、長い長い旅だった。足してみると、ざっと25,000㎞にもなる飛行距離だ。わかりやすく言えば、成田~JFKが10,000㎞だから、日本とアメリカを往復し、さらにアメリカ国内を5,000㎞の旅をやったということになる。目的は二つあったから、こんな旅になったのだ。一つ目の目的は、IBM社内のシステム論文に選ばれて、ロチェスター(北部)とローリー(南部)の2か所で発表することになったこと。もう一つの目的は、大量生産のオート...世界の空港たちー9USの長い旅

  • 世界の空港たち–8 ジョン F. ケネディ

    <J.F.KからJFKへの飛行図>日本からのJFK(ジョン・F・ケネディ空港)への着陸は、大西洋に面したロングアイランドの沖まで迂回してから、陸に向かってアプローチするのが普通だ。しかし僕たちは、マンハッタンの高層ビル群をかすめながら、北のほうから直接、JFKに近づいたことがある。しかもふらつききながら。僕はその日、東京への直行便をゲートで4時間以上も待っていた。メカニカル・トラブルというやつで、鼻先のあたりのペンキがはがれた、疲れたような搭乗機DC-8を恨めしそうに見ながら、ボーディングのアナウンスを待っていた。<JFK上空からbyJoeMobel>*1やっと離陸して水平飛行に移り、カナダ上空に入ったなと思った時、急に大きく機体が揺れた。別に音はしない。しかし機体の揺れは落ち着かない。主翼の上についている機体...世界の空港たち–8ジョンF.ケネディ

  • 伊豆高原へ #2

    カスケットリスト(棺桶リスト)にある、くたばるまでに達成しておきたい項目の一つ、伊豆高原への旅が終わった。その1に続き、残り二つの目的を書いてみる。<伊東・リエティ友好パネル>旅の目的の三つ目は、僕のボランティア活動の原点を訪ねてみることだった。イタリア人から学んだ「家庭・仕事・社会的活動」の三つをやると決めて、僕はそれをずっと実行してきた。しかしIBMを早期退職して、もとは「社会活動」だったカウンセラーが「仕事」になったから、代わりの三つ目の世界を持ちたいと探していた。僕が移り住んだ伊東市は偶然にも、イタリアのリエティ市との国際交流が活発だった。伊東のタライ乗りの競技と、リエティ市のワイン樽の急流下りが取り持つ縁で、リエティとの国際交流が行われていた。僕は、ミラノに住んだこともあり、英語のほかにイタリア語が少...伊豆高原へ #2

  • 伊豆高原へ #1

    伊豆高原への旅が、15年ぶりにやっと実現した。カスケットリスト(棺桶リスト)にある、くたばるまでに達成しておきたい項目の一つだった。<大室山>実は、今回が3度目の正直。2017年の春に計画し、ホテルも、スーパービュー踊り子も、レンタカーも予約していたのだが、大雨の天気予報でキャンセル。2018年秋にも、同じ準備をしたのだが、天候が悪く中止となってしまっていた。今回(2019・5)の旅も、3泊3日の旅のうち、1.5日は雨の予報だったが決行、やっと達成できた。旅の目的は、大きく言って、4つ。・姉の句碑を、もう一度、城ケ崎の蓮着寺で見ておくこと・7年間暮らした、伊豆高原の我が家のその後を見ておくこと・僕のボランティアの原点、伊東・イタリアの国際交流モニュメントの確認・IBM時代、10回以上も訪れたお客様研修の天城ホー...伊豆高原へ#1

  • 海外の空港たちー7 マルペンサ(ミラノ)

    <飛行図>ヨーロッパの最後は、やはり何度も使ったミラノの北、マルペンサ空港の話にしよう。リナーテがミラノ市街に近い、昔からある空港で、国内線とヨーロッパ内の専用(注:2019年7月から3か月使用できず:マルペンサを代替している)になってる。新しいマルペンサは、もっぱら大陸間の長距離飛行場になったのは、最初からの宿命。ちょうど、羽田と成田の関係だ。<ミラノ・リナーテ空港>僕の利用回数はも、ちゃんと数えてはいないが、かるく10回以上にはなる。個人での利用も8回は簡単に思い出される。マルペンサのミラノからのアクセスは、決して良いとは言えない。東京の成田より、ちょっと近いかなという感じはするが。電車はミラノ中心のカドルナ駅まで走っているし、ミラノ中央駅から、シャトル便がたくさん出ているから、とくに問題はない。<フライト...海外の空港たちー7マルペンサ(ミラノ)

  • 海外の空港たち– 6 コート・ダジュール(ニース)

    IBMラ・ゴード研究所に行くために、コート・ダジュールに飛んだ。<飛行図>成田→シャルル・ドゴール⇔コート・ダジュール→成田何をしに行ったのかが、完全に忘却の彼方に飛んでしまったヨーロッパの空港がある。それは、コート・ダジュール。カンヌ、ニース、モナコのための空港を、その地域の美しい名前に置き換えた空港名で、ネーミングは流石…と思った記憶は鮮明。まさにコート・ダジュールの、地中海に面した空港だった。<コート・ダジュール空港>僕は、ミラノ駐在の頃から、この地域には私用で、何度か車で来ていて、土地勘はあった。F1レースで有名なモンテカルロのすぐ東隣に、これも有名なサンレモがあるイタリア国境に接した地域だったからだ。国境を越えて、カンヌ、アンティーブから、香水で有名なグラースまで走ったこともあった。しかし、フランス側...海外の空港たち–6コート・ダジュール(ニース)

  • 海外の空港たち-4 ブラッセル

    IBMの上級マネジメント教育は、ヨーロッパ各国をまとめてブラッセル郊外のLaHulpe(ラユルプ)というホームステッドで行われていた。ここは、本来的にはIBMのお客様への研修提供の場だった。<飛行地図>成田→シャルルドゴール⇔ブラッセル→リナーテマルペンサ→成田幸いこの教育に、僕はノミネートされて2週間、さらにその後、IBMの製造システムアーキテクト研究会で2週間、ここにいることができた。特に、あとの研究会では、若い親しい友達ができて、こんな幸せはなかった。<ブラッセル空港>ここは、首都ブラッセルから南東、17kmの所にあり、車で15分。ブラッセル空港からも南に20km位のアクセスがとても良い所に位置していた。残念ながら今はIBMが手放して、ホテル・ドルチェ・ラ・ユルプになっているようだ。<ホテルドルチェ・ラ・...海外の空港たち-4ブラッセル

  • 「帰ってきたムッソリーニ」を見た

    「注:前回の「定番の春を取りもどす」の3っ目です」<イタリア映画祭・2019のHP>2001年のイタリア年から始まった19年の歴史を持つ「イタリア映画祭・2019」で、「帰ってきたムッソリーニ」を数寄屋橋マリオンで見て来た。<帰ってきたムッソリーニのブローシャー>ここ9年、欠かさず見てきていたのに、昨年はチケットを買って待っていたのだが、僕の足の痛みとしびれで、行くことはできずに悔しい思いをした。今年は頑張って、映画を見ることができた。毎年、ゴールデンウイークに開催しているこの映画祭は、前年のイタリア映画の新作を何本か(今回は11本)を選び、この映画祭のために特別に日本版を作り、日本で初上映するのだから頭が下がる。すばらしい企画だと思う。毎回、作品はコミカルなものを選んでいる。分かりやすくて聞き取れれば、僕のイ...「帰ってきたムッソリーニ」を見た

  • 定番の春を取り戻す

    昨春の足のしびれと痛みから、10か月くらい掛かって、完全ではないものの、一応歩けるようになった。原因は、足の動脈のどこかで石灰化が始まっていて、それが足先の血流を阻害して、しびれと痛みを出しているようだ。毎日飲む薬が一つ増えたが、行動の自由さには替えられない。今年は、何とか、例年の春のメニューを楽しむことができた。感謝!定番のメニューは、3つ。最初は花見。桜の花を見に、横浜の某所に出かける。某所とは、桜見物で有名ではない、人の知らない秘密の場所だ。箱根駅伝で有名な権太坂の近くとだけ言っておこう。素敵な場所は、内緒にしておかなくては、すぐ詰まんなくなる。今年はタイミングがドンピシャで、いい桜を見ることができた。天気もよかった。2年ぶりの花見ということで、写真をたくさん撮ってきた。他には、通り過ぎる人が数人のみ。<...定番の春を取り戻す

  • 世界の空港たち-4 モンペリエ&アムステルダム

    モンペリエ(南仏)南仏のモンペリエと言われても、ピンとくる人は少ないだろうと思う。観光地ではなく、古くからの大学が有名な小さな町だ。最近は、南仏の観光開発も進んでいるようで、知名度は少しは上がっているかもしれない。<飛行図>成田→オルリー⇔モンペリエ→アムステルダム→成田最初のモンペリエ訪問はパリのガールド・リヨン駅から、TGVならぬ、在来線の特急列車のコンパートメントに乗って、アビニヨン経由での鉄道の旅だった。ほんとうは日本からオルリーについて、国内線でモンペリエまで飛ぶスケジュールを組んでいたのだが、航空会社のストライキに遭遇して、列車の旅になった。<モンペリエ空港>モンペリエという田舎町に行くことになったのは、IBMモンペリエに、アプリケーション・システムの調査、導入準備のためだった。しかし、田舎町と馬鹿...世界の空港たち-4モンペリエ&アムステルダム

  • 海外の空港たち-3 ドイツ

    海外の空港たち-3ドイツドイツには、一か月位は住んだことになる。<飛行図>ストウットウガルトリナーテ⇔ストウットウガルト:計2往復実は僕は、国外退去処分を受けたことがある。それは、ミラノのIBMで働いている時だ。悪いことをしたわけではなく、強いて言えばIBMイタリアと、イタリア警察の間の見解の相違から起きたことだ。僕の駐在が、イタリアでの就労に当たるとして、ミラノの警察が48時間以内の国外退去を僕に求めたのだ。僕は慌てた。イタリアIBMの対応は早かった。早速、ドイツIBMと話をつけて、ストウットウガルト近くのIBMジンデルフィンゲンで、僕のデスクを確保してくれた。彼らの読みでは、イタリアの就労ビザは1か月もあれば降りると見込んで、僕をドイツに一時避難させてくれたのだのだ。<ストウットウガルト空港>ジンデルフィン...海外の空港たち-3 ドイツ

  • 海外の空港たち-2 スコットランド

    海外の空港たち-2スコットランド<飛行地図>リナーテ→ヒースロー→グラスゴ→サザンプトン→リナーテスコットランドに行くとは、想像もしていなかった。しかも、極寒の2月。グラスゴーの近くに、IBMのグリーノック事業所があって、日本との間で何か問題が起きているので、行ってくれと命令的なテレックスがミラノに入った。<リナーテ空港>ヨーロッパに飛ぶには、リナーテ空港からだった。そこから、ロンドン・ヒースローに飛んだ。今のミラノ・マルペンサ空港ができたのは、もっと後だったから、ミラノの市街に近いリナーテから1時間のフライトだった。ヒースローから、1時間半のフライトで、グラスゴー空港に着いた。<グラスゴー空港>スコットランドといえば、スコッチウイスキー、バグパイプとタータン、そして古都エディンバラくらいしか思いつかない土地だ...海外の空港たち-2スコットランド

  • 乗降した海外の空港たち-1

    先日、フッと思いついて、僕の乗り降りした空港の数を数えてみた。すると、外国だけで、降り立ったりエンバークしたりした空港が、39個浮かんできた。面白いので、記憶しているエピソードと一緒にまとめてみようと考えた。整理のためにリストアップしてみると、ヨーロッパとアメリカが、断然多い。<ヨーロッパの空港:RadarVirtueleからの借用>ヨーロッパ:17ドイツ:ハンブルグ、シュトウットガルト、フランクフルトイタリア:リナーテ、マルペンサフランス:オルリー、シャルル・ドゴール、モンペリエ、コートダジュール(ニース)イギリス:ヒースロー、グラスゴー、サザンプトン、ベネルックス:ブラッセル、スキポールトランジットのみ:コペンハーゲン、アテネ、シェレメチボ(ロシア)北アメリカ:15アンカレッジ、フェアバンクス、JFK、サン...乗降した海外の空港たち-1

  • 講義を受けに大学に

    久しぶりに、金沢八景駅の改札を出た僕は少し興奮していた。<金沢八景駅by京急>この前、ここで降りたのは、2017年12月だから、1年2か月ぶりということだ。あの時は、関東学院大学の「イタリア都市探訪」という講座に3か月ほど通っていたから、懐かしい駅でもある。長い間、工事中だった八景駅もおおかたがた完成し、線路の橋上駅の改札口から、山の方へも、海の方へも簡単に出られるようになっていた。さらに、シーサイドラインにも、同一平面のペデストリアンデッキで繋がっているから、とても便利になったと言えるだろう。今回は、陸側の横浜市立大学(YCU)に行くために、この駅で降りることになった。YCUに行くことしたのは、ここの大学院、「都市社会文化研究科」の4名の准教授たちが開催する、アドバァンスト・エクステンション講座、『「他者」と...講義を受けに大学に

  • 北斎展と発見

    今回、六本木森アーツギャラリーで開かれた「新・北斎展」を見てきた。<地下の北斎展のポスター>実は、率直に言うと、あまり浮世絵は好きではない。美女とか、役者絵とか、名所とか、花鳥図とか、武者絵や、妖怪などが、どうも好きにはなれないからだ。さらに、悪い印象も残っている。2011年、東京国立博物館で開かれた「写楽展」での印象だ。写楽にはとても興味があって、並んでまで見た。しかし、思ったより作品が小さくて(後で知ると、昔の版木では大きなものは少ないのは当然だったのだが…)、僕の写楽のイメージとはピッタリとはこなかった。さらに音声ガイドを使っている人たちが、小さな絵にへばりついて、自分のペースで作品を見られなかったことも悪影響。もちろん例外の浮世絵もある。北斎の「冨嶽三十六景」や、広重の「大はしあたけの夕立」などは、素晴...北斎展と発見

  • 飛行機を列車に替えて、鳥取へ

    二つ目は、鳥取の鳥取Sanyoへのお客様のコールの時だった。鳥取の営業所が、製造業のアプリケーションを実際に動かしている責任者の僕を、同業のお客様のトップ訪問として企画したのだ。二つ返事で引き受けたのは、鳥取は僕のうちの祖先のご本家がある岡山の隣の県だから、余計に気持ちが動いたのかもしれない。鳥取行きのフライトがANAの都合で、飛ばなくなった。またかよと、気落ちしたが、広島行きのトラブルを思い出して、近隣の空港へのフライトを探した。幸い、羽田~米子のフライトが取れた。だが、米子から鳥取まで北上する手立ては考えていなかった。残念ながら新幹線は走っていない。米子駅で決めるしかないと、水木しげるの漫画にあやかった名前の「米子・鬼太郎空港」を後に、米子駅へとタクシーを拾った。<米子・鬼太郎空港>*1駅で調べて見ると、山...飛行機を列車に替えて、鳥取へ

  • 飛行機を列車に替えて、広島

    実際に開発製造部門のアプリケーションに責任を持っていた僕は、IBMの営業からの営業支援依頼で、いくつかの客先の企業を訪問する機会に恵まれた。そこには、楽しいことにも、困ったことにも当然あった。その中の二つほどを書いてみたい。内部のお客様とのコンタクトの多い僕にとっては、社外に出ることは基本的には楽しいことだった。だから、よほどのことがない限り、営業からの要請を受けて、お客様のサイトに出かけるようにしていた。でも予期できない状況に置かれて、必死になったことがいくつかある。最悪の問題は、お客様との約束を守るのが難しい状況に追い込まれた時だった。一つ目は、広島のお客様、マツダとの上級役員とIBMとの合同技術検討会議への出席だった。<マツダ本社>お客様との合同会議は、翌朝、8:30からと決まっていた。製造業の会議は、だ...飛行機を列車に替えて、広島

  • 親父との旅・国東

    親父と旅に出たことは、本当に数少ない。記憶が確かなのは、親父が年を取って、一人では出かけられなくなってからのものだ。それ以前は親父と旅することを、僕が心の中で拒絶していたからかもしれない。<国東半島>*1親父との精神的な別れを幼稚園の5歳のころに決断し、中学2年生の時、親父から高校から先は、もう面倒は見られないなと言われた頃から、物理的にも別れていたからだろう。その後、何十年も経って、僕に子供が出来てから、元旦に子供たちと4人で、谷中から丘を降りた親父の鶯谷の家を訪ねるという決まりはあったが、一緒に旅に出るということは無かった。大分県の国東を旅したのは、僕の姪が、大分市出身の阪大卒のG君との結婚式を、大分市でやるからと招待を受けたからだ。姉と親父と、僕の3人での旅となった。誰が言い出したのか分からないが、寝台列...親父との旅・国東

  • ドロミティの残照

    イタリアの山の思い出はいろいろあるが、一番心に残っているのはドロミティ山塊。ドロミティとの初めての関わりは、僕がミラノに最初に赴任した頃だから、もう40年以上の昔になる。<サッソルンゴ>あまり知られていないが、ドロミティは二つの山塊から成っている。イタリアで二番目に長い川、つまりアルプスから、ヴェネチアの近くのアドリア海に流れ込む北から南に流れるアディジェ川の西側が、ドロミティ・ディ・ブレンタ。東側がよく知られるいわゆるドロミティだ。ここは3,000m以上の山が18峰もある山塊だ。<TABACCOの東部ドロミティの地図>東側の、いわゆるドロミティを中心とした体験を書いてみる。ドロミティには、合計3回くらい旅している。最初は、ドロミティ→オーストリア・ザルツカンマーグート→ドイツ・バイエルンへの10日間の旅の最初...ドロミティの残照

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