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2014/10/02

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  • 人生の転轍機 その2

    その1の続きです<転轍機><人生の分岐:全て>分岐6(他の人の決定)日本IBMに入ってアメリカを中心とする海外との関係で仕事を進めていましたが、30歳直前、僕はフランスのエッソンヌというところに駐在員として赴任するという内示を受けました。僕は喜んでその内示を受けました。なぜならば英語に比べてフランス語はとても美しい言葉で、法政の頃、外堀の向こうの日仏学院を訪ねて、フランス語の勉強を始めようと面接した時、フランス語の美しさに惹かれました。僕にとっては、フランス語を磨くとても良い機会だと思っていました。しかし出発の3ヶ月ぐらい前だったと思いますが、赴任する先がフランスからイタリア・ミラノに変更になりました。6つ目の転換、イタリアへの進路変更になりました。<ミラノ>イタリアに行ってみると、全く日本では考えられなかった...人生の転轍機その2

  • 人生の転轍機 その1

    皆さんは転轍機(てんてつき)と言う言葉をご存知でしょうか?本来は鉄道の線路を切り替える装置で、右に行くか左に行くかをこの転轍機を使って列車の進行方向を変えるものでした。<転轍機><人生の転轍機#1>僕の分岐は人生の上で、どういったことがあったのかを整理してみようと考えました。書いてみるといろんな分岐がありましたが、大きく言えば12の分岐を経由して、今に至っていると思います。その分岐の決定は、自分自身のものと、他の人の決定の2種類がありました。<東京大空襲>分岐1(他の人の決定)僕が生まれたのは東京・谷中。太平洋戦争の1945年東京大空襲3月10日に、僕の家が全焼し、一家で疎開することから始まりました。候補地として考えられたのは母方の高知か、父方の係累のいる岡山の山の中という選択支がありました。<岡山・川上村徳山...人生の転轍機その1

  • コルソ・ブエノス・アイレス その2

    <コルソ・ブエノス・アイレス2012年PublicDomain>コルソ・ブエノス・アイレスは、1980年ごろから、どんどん変わってきて、僕が最後に訪れた2016年には、どこか伝統的な雰囲気は失われ、東京の銀座と同じように有名ブテイックが並ぶ街に変化していた。非常に残念に思ったものだ。その昔、買い物の品定めは、日曜日にみんなで下見をする、つまりウインドーショッピングをするというのはミラネーゼの行動パターンだった。だから店は日曜日でも、ショーウインドー(ヴェトリーナ)には明かりがつき、店は閉まっているけれども商品が見えるようになっていた。<あるヴェトリーナ>日本のように、味もそっけもないシャッターが下りているのではなく、入口の左右にショーウインドーがあって、真ん中が店内への入り口だった。だから日曜日で店が閉まってい...コルソ・ブエノス・アイレスその2

  • コルソ・ブエノス・アイレス その1

    僕がミラノに住んでいた頃も、その後も、しょっちゅう歩いていたコルソ・ブエノス・アイレスについて書いておきたいと思う。<コルソ・ブエノス・アイレスwikipediabyG.dallorto>昔、コルソ・ブエノス・アイレスを車で走っていると、急に前の車がスローダウンして、慌てて僕がブレーキを踏むことになることが時々あった。その運転者の目的は、歩道を歩いている美しい女に声をかけるためだと、後でわかった。とりあえず、美しい女性を見たらば、声をかけるのはイタリア人にとっては当たり前。それを車を運転しながら実行していることに出会った僕は、ビックリしてしまうのは当たり前だろう。コルソ・ブエノス・アイレスとは、ミラノのある大通り。場所はミラノの中心、ドウオモからサン・バビラを通って、ボルト・ヴェネチアを潜って歩き始めると、ここ...コルソ・ブエノス・アイレスその1

  • 山歩き その2

    下記の山歩きについては、その1をご覧ください。1.大楠山2.箱根明神ヶ岳3.碓氷峠見晴台4.大山(丹沢山塊)5.野反湖6.伯耆大山7.赤城山8.那須岳9.横手山10.妙高山2454mこの山の麓にある赤倉スキー場には、かなりの回数行った。会社の契約寮が赤倉温泉にあったからだ。僕の記憶ではどういうわけか二度も妙高山に登っている。1度は計画通りの単独行で、2回目は一人の男友達と一緒のはずだったが、山を見て、彼が登るのをおりてしまった。結果として単独行X2なったわけだ。今は赤倉から妙高山の中腹まで、妙高高原スカイケーブル(1984年~)ができているらしい。そして山頂駅から妙高山を登り始めるのが一番簡単な方法のようだ。僕の頃にはこのケーブルカーはなかったので、燕温泉経由のルートで妙高に登った。標高差1300m位を4時間ち...山歩きその2

  • 山歩き その1

    僕は「登山」という言葉は使っていない。ハードなイメージがあるからだ。僕は「山歩き」と言っている。学生時代から結構、山歩きをしているが、楽ちんで楽しいものから、三泊四日のきつい山々を歩いたこともある。思い出す山をいくつか書いてみたい。標高の低いものから、順に山を並べてみたらこうなった。1.大楠山2.箱根・明神ヶ岳3.碓氷峠見晴台4.大山(丹沢山塊)5.野反湖6.伯耆大山7.赤城山8.那須岳9.横手山10.妙高山11.後立山連邦:白馬岳、唐松岳、五竜岳この他にも、高尾山~景信山、蔵王・刈田岳などがあるが、今回は思い出深い11の山歩きを記録に残しておくことにした。1.大楠山241mこの山は三浦半島の主峰であるが、あまり知られてないと思う。京急の「安針塚」から登り始めて2時間、頂上につく。ここからの眺めは素晴らしい。大...山歩きその1

  • ワイン飲みの悩み

    僕は基本的には、ワインしか飲まないことにしている。昔は、それこそウイスキーのオンザロック、ジンやズブロッカのマティーニとか、辛口の日本酒「菊正の樽」だとか、いろいろ飲んでいたが、この30年ぐらいワイン以外はほとんど飲んでいない。一週間に二日は休肝日にしている。その日は仕方がないのでノンアルコールビール。元々、僕は日常的にビールを飲むことはなかったから”とりあえずビール”という言葉は僕にはない。本当にビールを飲むということになると、ベルギーのシーメイという銘柄だ。他の日本のも、ドイツのビールも、イギリスのエールも、アメリカのビールも飲みたくはない。さらにラテン系のビール、フランス、イタリア、スペインのビール等は甘くて飲めない。<シーメイ>話をワインに戻すと、ワイン、特に赤ワインを大量に消費しているということになる...ワイン飲みの悩み

  • 肉といえばステーキ

    色々な国で、色々なステーキを食べたのを思い出したので、それらを書いてみようと考えた。肉といえば僕にとっては牛肉であることは間違いない。鶏肉は、モモをそのまま塩焼きをしたのは美味しいと思う.。豚肉は、生ハム、アイスバインなどに出会うと、うまい肉だなと思う。ラムチョップも美味しいと思う。忘れるわけにはいかない。しかし、なんといっても牛肉に収れんすることは、やはり否めない。僕が若い頃、駐在していたミラノでのステーキといえば、会社のメンサ(社員食堂)でのビステッカとなる。昼飯でも、みんな赤ワインの小瓶を1、2本飲んでいるから、水でビステッカを食べるわけではない。コントルノ(付け合わせ)としてのバターソテーしたホウレン草とは、とても相性がいい。ほとんど毎日食べていた。<イタリアの会社>フィレンツエのビステッカといえば、ア...肉といえばステーキ

  • 焼き鳥の店たち

    これまで、沢山の店に行ったけれども、記憶に残る店は数少ない。焼き鳥と言うと本当の鶏の方、ネギ間などを思い出すとかもしれないが、僕が言っているのはもっと安いもつ焼きで、関西ではホルモン焼きといっている店の話だ。関わりの古い方から話していくと、まずは浅草の鈴芳ということになる。もう50年以上通っている店になった。最初、この店を見つけたのは、もう亡くなった親友の炬口勝弘と浅草を歩いた帰りだった。貧乏な学生二人が、金がないけれども何か飲みたいということで、見つけたのは浅草寺の裏の方にある、薄暗い屋台をつないだような店の一つだった。<煮込み通り>毎年、1回は必ず女将の顔を見に行くことになっている。注文するものは常に決まっている。飲み物はまずレモンハイ、そして焼き物としては、タン、カシラと、お新香は必ずだ。大体は、もつ煮も...焼き鳥の店たち

  • 岡本と僕のその後

    あれは僕が大阪市立大学の1年の頃だったと記憶している。僕の半血の姉、長崎京子が、僕を岡本の自宅に呼んでくれたのだ。阪急を岡本駅で降りて、六甲山へ向いた坂を歩いていった。左に甲南大学の校舎を見ながら、結構急な坂を登った覚えがある。<阪急・岡本駅>この日の京子との出会いは、僕のその後の人生において大きな出来事だったと、後になって分かってきた。彼女のご主人が、日本郵船のハンブルグ支店長の任期を終えて、二人で日本に帰って来て、この地、岡本に住み始めた。その家へ、僕を呼んでくれたのだ。ご主人の映吉さんとは、見ず知らずだが、京子姉とは帰国したら会おうという約束はできていた。<ハンブルグ港>とても素敵な家だった。庭からは足元に芦屋の街、神戸の街、そして遠くには淡路島の影も見える南向き斜面の大きな家で、おそらく東灘区の桜坂近辺...岡本と僕のその後

  • イタリア映画「こどもたち」を見る

    率直な感想を言うと、この映画はコメディーだと作品紹介にあったから選んだが、コメディーではなく、僕に取ってはリアルな深刻な物語だった。PC画面で、72時間(3日間)以内に1時間40分の映画を見るというのは、やはり苦行。3度見直して、やっと自分の文章が書けるようになった。大きなスクリーンで大きな音響と、仲間の観客との一体感が恋しい。映画祭の作品説明こどもたち<こどもたち>[2020/97分]原題:Figli監督:ジュゼッペ・ボニートGiuseppeBonito出演:パオラ・コルテッレージ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ステファノ・フレージ子育てに奮闘しながらも翻弄される夫婦を演じるコメディー。一人娘のアンナと幸せな生活を送っていた共働き夫婦のサラとニコラは、2人目の子供ピエトロを授かることになる。第2子を持つ生活の大...イタリア映画「こどもたち」を見る

  • Wikipedia に乗っけようと思った徳山巍

    いろいろググってみても親父、徳山巍(たかし)の記事はない。Wikipediaにもない。唯一の記載は、ある弟子さんのブログに、ちょいと載っているぐらいだ。僕も、もう先がないから置き土産としてWikipediaで親父を紹介してみようと思って、ウィキペディアの作成要領等を読んでみた。そこには百科事典として必要条件である客観性を求めるという項目があった。公的なものの参照が求められていた。探してみたけれど客観的に親父を評価して、その画業を記述したものはなかなか得られなかった。仕方ない。それに代わるものとして、僕自身が主観をこめて込めて、親父の紹介をWikipedia風に行ってみようと考えた。そしてこの文章が生まれた。今年2021年は、親父が1991年に87歳で没して、ちょうど30年。良い機会だと思う。<晩年の徳山巍>戸籍...Wikipediaに乗っけようと思った徳山巍

  • イタリア映画祭・無料の短編

    今年もコロナで残念ながら数寄屋橋マリオンでの上映はなくなった。昨年に続いてコロナは、僕の長年の楽しみである映画祭の邪魔している。<2021イタリア映画祭>無料での短編を2編見ることができた。代金を払っての2時間版は別途時間を見つけて、作品を見定めて5月のどこかで見てみようと思っている。白状すると2時間の映画を、72時間、つまり三日間で見切るというのは結構大変。昨年の経験から言えば、集中しなければ「見たな」という感じにはならない。大きなスクリーン、大きな音響、さらには他の観客の反応、仕草、笑いなどを含めた臨場感はオンラインにはない。オンラインでは伝わってくるものを、こちらから積極的に取りに行かなければ、得られるものではない。#1タイトル:あなたの不幸はわたしの幸せ<上映カタログ>2017年12分原題:Iosì,t...イタリア映画祭・無料の短編

  • 僕のシュナウザー物語 Ⅲ  

    3.チェルト君の物語チェルト君は再婚相手との間で、僕たちの一人っ子の長男だった。僕が55歳での再婚だった。彼女は40歳位だったから、無理すれば子供は作れないわけではなかったが、子供の将来のことも考え、子供は作らないと合意して結婚した。代わりと言っては変だが、彼女も犬が好きだったし、僕も大好きだったから二人の間に、長男として僕にとっての3頭目のシュナウザーを飼うことにした。<瀬田ケンネルエイト>チェルト君に初めて会ったのは1月の寒い頃だった。環八をよく車で走っていたから、環八の瀬田にシュナウザーだけを扱っている店を知っていた。大きなシュナウザーの看板が出ていた。勿論、今も健在だ。前年の12月6日生まれで、まだ一か月しか経っていないチビのシュナだった。両手を組んで出してくださいと言われてそうしたら、店主はチビのシュ...僕のシュナウザー物語Ⅲ 

  • 僕のシュナウザー物語 Ⅱ

    2.β(ベー)の物語アンナの19年10ヶ月が終わった。彼女の死は、僕にとっても、家族みんなにとっても大きなショックだった。動物は死ぬものだと分かっていても、やはり先に行ってしまうのを見送るのは辛いものだ。結構、あとを引いた。もう二度と犬は飼わないと言う約束が、家族の中で出来ていた。<β:べー>アンナが死んで半年くらい経った頃だろうか、下のチビ(長女)が、どこかの犬屋へシュナウザーを「見るだけ、見るだけ」といいながら、カミさんと見に行ったらしい。アンナ失くして、あたかも姉妹をなくしたように辛かったのだと思う。最初は戸塚の近くの犬屋を見ていたようだけれど、なぜだか保土ヶ谷にある犬屋にシュナウザーを見つけたようだ。僕も声をかけられて「見るだけ、見るだけ」といいながら連れて行かれた。そこにはダンボールに入った小さなシュ...僕のシュナウザー物語Ⅱ

  • 僕のシュナウザー物語 Ⅰ

    僕は、三頭のミニチュア・シュナウザーを飼ったことになる。合計すると30年以上のシュナウザーとの楽しい生活だった。個々に色々な思い出があるので順番に話していくしかないと思う。ABCを考えながら名前をつけていたのか、最初はアンナ(A)、2番目は娘がつけてくれたベーβ(B)、次はチェルト(C)だった。D(ドクター)はカミさんの実家で付けてくれたが、病気して早くに亡くなった。今は嫁いだ娘の家で、エマ(E)が元気にしている。娘が合計、二頭の名付け親になった。1.アンナの物語最初の子はアンナと名付けた。AKCの登録はジョアンナだけれど、呼びにくいからアンナになった。会社の先輩の家で初めて目にした犬種だった。ミニチュア・シュナウザーと言った。アンナの父も母も、アメリカの元チャンピオン犬だった。<AKCの定義するミニチュア・シ...僕のシュナウザー物語Ⅰ

  • 親父の随筆「長谷川利行と私」 

    今回は僕のエッセイではなく、最近発見した親父の随筆「長谷川理弘と私」を紹介しよう。親父と同時代の画家、熊谷登久平の関係者から存在を教えてもらった。くたばった親父が、こうしたエッセイを書いていたとは、まったく知らなかった。1976年とあるから、親父が65歳くらいに書いたものだろう。長谷川利行は、今ではよく知られた画家だから、彼の日常を親しい友人だった親父の目を通して世の中に知ってもらうのもいいかも…と思ったわけだ。喧伝されているような、でたらめな利行ではなかったようである。<長谷川利行by徳山巍1929?>僕が一番びっくりしたのは、利行が僕の祖母の肖像画を描いていたことだった。戦争で焼けてしまったが、「靉光像」と同じような絵だったとある。残念。さて、ここから親父の随筆を続けよう。ちょっと長いから(原稿用紙で、8~...親父の随筆「長谷川利行と私」 

  • 3.11と6年間の仙台

    2011.3.11東日本大震災の当日、僕は12:26’の「はやて」で、仙台を離れた。<仙台葛岡動物供養塔>あの日、14:26’発の「はやて」を予約していたが、マンションの引き渡しが11時過ぎに終わったので、降り出した小雪に背中を押されて僕は仙台駅へ。葛岡墓苑のミニチュア・シュナウザーの「チェルト君」の墓参りはやめて「ごめんね」と謝った。12:26’の「はやて」の指定席が取れた。地震が起きたのは14:46’。横浜駅から京急に乗って一駅の戸部を過ぎた時だった。その後、京急の線路を歩いて戸部駅へ。さらに横浜駅に向かった。中央通路は人で完全に埋まっていた。全ての電車が止まって、皆、帰宅困難者になっていた。かなり時間が経って駅に放送が流れた。岡野中学校に横浜市西区が避難所開設するという。僕も帰宅困難者で避難所を経験したが...3.11と6年間の仙台

  • 下宿とアパート

    自分の人生を、ある切り口で振り返ってみたいという気持ちで書いているエッセイがいくつかある。今回のテーマは「下宿とアパート」だ。僕が下宿生活を始めたのは、僕が大学に入学の時。大阪市立大学時代に、近鉄・南大阪線の河堀口(こぼれぐち)という駅の近くの下宿屋だ。もう名前さえ忘れてしまったけれど、ここは長い間、下宿を生業としてやっているプロの下宿屋さんだった。僕が入った時には二人先輩がいて、一人は商学部、もう一人は法学部の同じ市立大学の学生だった。昔からずっと、市立大生の下宿屋をやっていたようだ。大学ヘは、阪和線の美章園駅から杉本町だった。<大阪市大杉本キャンパスbyKishujiRapidCreativeCommons4.0>下宿というのは、朝飯と夕飯がついて、掃除と洗濯をしてくれる間借り生活と考えていただければいいだ...下宿とアパート

  • コロナ、SDGsと2030年

    前回の「新型コロナから見えてくる地球温暖化」の続きです。<ダボスSustainableJapanよりお借りしました>いろいろな文献を読んでいたら、着目すべきコラムに出くわしました。それらを参照し、僕的にまとめてみたいと思います。まずは、2030年までに起きそうなリスクです。「世界経済フォーラム」2020のまとめです。<ダボス会議2020:Bloombsrg.co.jpよりお借りしました>次の10年間(~2030)に起こり得る上位リスクx6・異常気象(例えば、洪水、暴風)・気候変動へ適応の失敗:人類の行動大規模な自然災害(例えば、地震、津波、噴火、磁気嵐)生物多様性喪失と生態系の崩壊:絶滅危惧種が次々と消えて行っています人為的な環境破壊・災害水危機:アフリカ、アメリカで起きている実例があります。これらは、もう誰で...コロナ、SDGsと2030年

  • 新型コロナから見えてくる地球温暖化

    珍しくNHKで素晴らしい番組をやっていた。この番組を見て貰いたいのは今の若い人だと僕は思う。これからの10年間に、人間が客観的に地球の状況を見て、今後、人類が地球を救うために何をやらなければならないかを語っていた。<NHK番組PR>番組の概略を下記します。興味が湧けばTVerででも探して見てください。2021年1月9日(土)新シリーズ「2030未来への分岐点」「第1回は新たなフェーズに入った地球温暖化の問題。持続可能な未来を実現するために何が必要か、この10年歩むべき道を考える。」正直に言うと、理不尽にもNHKをクビになった国谷裕子氏が出ていたので、見ようと思ったのだが…。中身はよくできていた。ちょっとガキっぽくて、訴える力が強くない部分もあったけれど、問題は定義されていた。番組内容はNHKによれば次のように説...新型コロナから見えてくる地球温暖化

  • 「ジェンダー・クオータ」にびっくり

    大体、週日はNHKのイタリア語講座を朝15分間、聞くことにしている。目的は二つある。一つは「ボケ対策」。二つ目は昔習ったイタリア語を忘れないためだ。結構、真面目にやっている。<NHKイタリア語テキスト>先日の講座でびっくりしたことがある。みんなにも知ってもらいたいと思って、この文章を書いています。それは「ジェンダー・クオータ」という言葉があるということです。ここからNHKテキストを引用します。(イタリア語は読まなくていいです)イタリア語/日本語Semprepiùdonnenelleposizionichiave重職に就く女性ますます増えるLenormativesullequotedigenere,chepromuovonolapresenzadelledonnenelleposizionidecisionali...「ジェンダー・クオータ」にびっくり

  • 月を買った男 : L’uomo che compro la luna イタリア映画祭2020

    リアルでは中止になった、2020イタリア映画祭がオンラインで行われた。数少ないチャンスとストリーミングで参加した。72時間で100分の映画を見るのは結構疲れる経験となった。まずは、映画祭の作品紹介を読んでもらおう。「ズッカ監督の第2作目。自身の生まれ故郷であるサルデーニャ島をテーマに、奇抜な設定と小気味よいリズムでスラップスティックな笑いが炸裂するコメディ。サルデーニャ島の誰かが月を所有したという未確認情報が世界中の諜報機関を駆け巡った。真偽を確認するために、イタリアの諜報機関はサルデーニャ島出身のケヴィンを島に送ることを決める。だが、彼は島の言葉や慣習を完全に忘れていて、島に溶け込むために特別なレッスンを受けることになるが…」・[2018年/103分]原題:L'uomochecompròlaluna・監督:パ...月を買った男:L’uomochecomprolalunaイタリア映画祭2020

  • コロナの10か月

    僕の2020年月間カレンダーは、3月~12月まで各月に「コロナ」という赤字で埋められ、基本的には空白です。<COVID-19>この10ヶ月間、生きるために最低限、必要な行動をやっているのみです。・生活のために必要な買い物・心臓に持病の僕は、通院が必要。最低限オンラインで薬を出してもらうこの二つは欠かせません。今年は何もない空白が過ぎて行くということです。バケット・リスト(くたばるまでにやっておきたいことのリスト)を眺めてみると、僕は幸運だったのかもしれないと思います。やっておきたいことや、旅などにおいては、ほとんどが昨年(2019)で完了しています。残念なのは、オーストラリアの「メルボルン行き」ということになりました。しかし、考えてみると、11時間もかかるフライトでは心臓への負担大ということで諦めるべきかもしれ...コロナの10か月

  • 線路の音

    ほとんど毎日、朝6時55分のNHKの鉄道の情報を見ている。真面目にみているわけではなく、天気予報を待っている間の時間のまだ。すると背景に目が行ってしまう。写真を撮っている場所は、どうも品川の西、八ツ山橋の奥の御殿山マンションの屋上から品川駅方面を見ているようだ。おそらくJRにしてみれば、他社のJR東海(JR東日本とは別会社)と京浜急行の車両が映るのが気に入らないのだろう。しょっちゅうカメラの位置を調整しているのは、そのためだろうと思う。本当に写したいのは、山手線、京浜東北線、東海道線と横須賀線のJR東日本の電車だけなのだろう。<品川駅方向byGoogleEarth>もし、JR東日本が自分の電車だけを映したいなら、もっといい場所がある。僕だったら、別のところの映像を使うだろうと思う。それはどこかと言うと、東京の谷...線路の音

  • 僕の東横線 その3(最終回)  

    途中自由が丘と田園調布で時間を取ってしまったから、その2で東横線を終点までは語れないと分かった。しょうがない。この3で終わることにしよう。多摩川を渡ると川崎市になる。最初の駅「新丸子」には一回も降りたことがない。次の「武蔵小杉」も、僕の東横線から見るイメージでは工場地帯で、JR南武線との乗り換えの駅舎があったことを記憶しているのみ。高層マンションが林立している今の姿は、決して想像できない汚い工場街だった。武蔵小杉を出ると、次は「元住吉」。ここには降りたことはないから語ることは何もない。次の「日吉」は、僕が戦後一人で東京に戻ってきた時に、一度頼った親父のお弟子さんがいた。大した世話にはならず、結果として今では名前の記憶もないし、連絡は途絶えている。慶応大学で有名なのだが、三田のキャンパスに入ったことがあるが、日吉...僕の東横線その3(最終回) 

  • 僕の東横線 その2

    渋谷から「都立大学」まで話してきたから、「自由が丘」からあとを「桜木町」までとします。<自由が丘・碧空:毎日新聞よりお借りしました>「自由が丘」は、いっぱい、いっぱい、友達との思い出がある街だ。僕が6年間、住んだ街で、ここのアパートから、大学やアルバイト先に通い、IBMに就職が決まってからは、大田区の第一京浜に面したサイトにも、田園調布で乗り換えて通っていた。もちろん、住んでいたと言っても、立派なお屋敷だとか戸建て住宅に住んでいたわけではなく、それこそオンボロと言っていい木造アパートに、姉と一緒に住んでいた。思い出はいっぱいある。今、九品仏緑道と呼ばれている散歩道は、その頃は汚い小川だった。大井町線の自由が丘改札口の反対側の岸に、そのアパートはあった。直線距離では目の前なのだが、その頃は暗渠にはなっていなかった...僕の東横線その2

  • 僕の東横線 その1

    昔々、「中央線は地雷原」という文章を書いた覚えがある。その頃は、中央線の駅名を聞くと、そこに付随する僕の過去の辛い、悲しい、逆にうれしい思い出が、突然蘇ってくる。再現することができてやりなおせるのならば、それでもいいのだが、相手があることだからそうはいかない。今回は地雷原とは言えないが、いっぱい、いっぱい思い出の詰まった、僕の東横線のことを書いておきたい。現在の東横線は全部で21駅あるが、僕は書こうとしているのは全部で23駅の東横線だ。その理由はみなとみらい線ができて、横浜から先の「高島町」と「桜木町」がなくなったからだ。「渋谷」には、いっぱい良い記憶があるから、何を書けばいいかよくわからない。例えば、僕の大学時代のバイト先で長くお世話になったオフイスは宮益坂にあったし、いろいろな友達と何度も会ったし、丸山町な...僕の東横線その1

  • 日本の国際競争力は下がりっぱなし!  

    こんなカラムを書こうと思ったのは、最近、アッと驚くような発明にぶち当たらないな、という素朴な感想が浮かんだことからだった。<SONYTV8-301,1968ソニー商品の歩みよりお借りしました>僕がはじめての給料をもらって、最初に買ったのは、ソニーのトランジスター・ラジオ(TFM-110)、少したって、トランジスター・テレビ(TV8-301)だった。僕んちには、テレビはなかったから、ロッドアンテナで美しい形態には本当に驚いたものだ。一番ショックを受けたのは、ウオークマン(WM-2)だったかもしれない。後になってアメリカに行ったら、SONYはアメリカの会社だと思っているアメリカ人がたくさんいた。これにも驚いた。しかし、最近はいけない。ソニーだけではなく、なんだっけと思いめぐらしても、イノベーション的なものは全くなく...日本の国際競争力は下がりっぱなし! 

  • 河童の屋敷を探して

    僕が書き残しておきたいと思っている恩師、つまり先生は、大学も含めてたくさんいらっしゃるが、中でも高校時代に親切にして頂いた先生がとても印象深い。<奥野先生>一人は卒業した洲本高校の先生だった奥野先生。もう何度かブログに書いている。僕の一番の友達だった炬口勝弘が亡くなった1年後に先生は亡くなってしまった。それで、僕には洲本に旅するという理由はなくなってしまった。もう一人高校時代の先生を紹介して僕の文章として残しておきたい。洲本高校は一年と二学期を過ごしたことになるが、その前は岡山の田舎にあるO高校で一年一学期を過ごした。その時、本当にお世話になったのが妹尾先生で、あだ名は「河童」だった。なぜ河童だったのかは先輩に聞くしかないが、もう聞く相手もいない。この先生には、公私共に本当に親身になって私を支えていただいたこと...河童の屋敷を探して

  • 日本の民主主義は世界ランキングで何位?

    皆さんは、世界の国々を同一基準で調査し、各国に民主主義のランキングをつけているリストがあるのご存知ですか?それはイギリスの「エコノミスト」のコンサルティング・グループ、EIUが2006年以来、継続して行っているデモクラシー・インデックスです。<2019年版DemocracyIndexbyEIU>英語版のみです。PDで無料公開されています。下記リンクより、どうぞ。https://www.eiu.com/topic/democracy-indexこのインデクスの概略を、整理して書いておきます。民主主義国家にも2種類あって、1.完全な民主主義国家、2.欠陥のある民主主義国家に別れています。その他、民主主義ではない国々も、同じインデックスで評価されてランキングされています。その最下位は167番目の北朝鮮です。<世界地図...日本の民主主義は世界ランキングで何位?

  • もとに戻る?

    依然として、「昔に戻る」、「戻りたい」という発言が結構ある。<COVID-19>コロナ以前の世界に戻りたいという気持ちの表現だ。しかし、よく考えてみるとコロナ発生の原因と思われるのは、人間社会の膨張が新しいウイルスとの遭遇を招き、それが世界的なコロナの蔓延を生んだのであり、さらには異常気象という大きな環境変化がコロナの裏にはある。簡単に時間がたてば元に戻る…というわけにはいかないのだ。<CO2:ByGreatAcceleration>基本的な異常気象の原因は、空気中のCO2の増加であり、地球の温暖化による氷河の融解であり、南極の氷の融解であり、結果として人間にとっては、吸える空気、飲める水が足りなくなるという将来があることを認識しなければならない。水資源の枯渇ということを考えると、もう過去に戻ってはならないので...もとに戻る?

  • 最近、味がなくなってきた

    新型コロナの症状の話ではない。最近、まあ数年と言うか、もっと長い間かもしれないが、食べ物の味や、香りがなくなってきた気がする。一番感じるのは、果物・野菜だ。トマト、キュウリ、りんご、ピーマンとか、本来の味はどんどん失われていると思う。最近、特に感じることがあったので、それを述べてみる。先日、ヨーグルトで有名なMJ社の「お客様係」と話す機会があった。このヨーグルトの箱には「ヨーグルトの本場、ブルガリアで育まれた風味、製法を大切にして作る、日本で最も歴史ある正統派のプレーンヨーグルトです」とある。<ヨーグルトの説明文>しかしこの数年、もう5年以上になるかもしれないけれど、このヨーグルトの味はどんどん変わってきていると感じている。もともとは、ヨーグルト独特の酸っぱさを補完するために、小さな袋で砂糖をいっしょに梱包した...最近、味がなくなってきた

  • コロナと5か月  

    7月が終わって、これまでのカレンダーを振り返ってみると、今年はコロナ騒ぎで、全く何もやってないということがよくわかった。やりたくないからやっていないわけではなくて、やりたくてもやれないことばかリが続いているわけだ。例えば3月から4月への桜の花見、残念ながら例年の花見は出来なかったし、その帰りの大戸屋での鯖定食も食わずに終わった。<去年の(2019)の桜>4月になると、本当だったら、毎年上野の都美術館にモダンアート展をたずねて、初恋の人の絵を見るという楽しみがあったのだが、今年は展覧会が中止となって、それも無くなってしまった。上野に行くと、僕の決まりなのだが、帰りには浅草に行って、古くからの飲み屋の女将さんを冷やかすか、もしくは、生まれ故郷の谷中銀座に降りて、古くからの親しい店達を懐かしんでみたりするのだが、今年...コロナと5か月 

  • COVID-19で日本社会は変わったか?

    地球の創造者から、これだけきついお叱りを受けたわけだから、日本の社会は変わると期待していました。<COVID-19>いくつかの部分では、そうした社会の変化が見られたと思います。テレワークの普及によって、どうしても出社しなくてはならない通勤者を除けば、満員電車がうんと減ると思っていました。然しながら、緊急事態宣言が解除されたとたん、ほとんど元どおりになったと聞いています。マスクをして黙っていれば、満員電車内でもコロナの感染はないとおっしゃる先生方もいらっしゃるようですが、基本的には間違っていると思います。<過密出勤:日本経済新聞>山の中に一人で住んでいたらば、新型コロナにかかることは決してありません。地方の小都市で生活していたらばどうでしょう。今の東京に比べて、感染率が低いのは当たり前です。ですから無理をして会社...COVID-19で日本社会は変わったか?

  • 犬の遊び心を考える

    先日、アメリカン・ケンネル・クラブ(A.K.C.)のコラムを読んでいたら、面白い発見があった。簡単に僕の理解した(解釈した)内容を書いてみると、次のようになる。<Facebook“DoDogsHaveaSenseofHumor”>(英語の原本は、参照を読んでください)カリフォルニア大学デービス校の動物行動学者によると、遊び心の犬種ランキングは次のようになったようです。順位も点数がついていないので、リストの順番によれば、次のようになっています。もっとも遊び好きの犬種・アイリッシュ・セッター<Photo>・イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル<Photo>・ミニチュア・シュナウザー<Photo>・ケアン・テリア・エアデール・テリア・スタンダード・プードル・シェットランド・シープドッグ・ゴールデン・リトリバー・オ...犬の遊び心を考える

  • 地球が壊れていく

    COVID-19と人類との関係をみていたら、俄然、地球の状態を知りたいと思った。従来から異常気象、氷河の融解、海水温の上昇、島嶼国の水没懸念、アマゾン川流域の乱開発、南極の氷の融解、オゾンホールの拡大などは気に留めていた。<エコノミストの寓話の僕の受け止め方>英国のエコノミストが風刺画に描いた絵と違って、コロナは人間への挑戦だと思うようになった。そのアラームを出しているのは誰なのか?それはよくわからない。僕が、スーパーパワーと呼んでいる彼は、宇宙を作り、地球を作り、地球の何十億年の変化に関わった当事者、創造者だと思っている。いろいろなキーワードが気になったので、読んでみることにした例えば「人新世(アントロポセン)とは何か」などから始まった。現在は、人類中心の世界つまり、アントロポセンの時代に位置づけられている。...地球が壊れていく

  • クラプトンを聴く

    本当に久しぶりにテレビを集中して見た。1時間半もテレビを見続けることは、ほとんどない。番組はエリック・クラプトンの1時半間半のライブだった。<クラプトンのライブ・ビデオ>終わって気が付いたら、珍しく興奮している自分がいた。幸せな時間だったのだ。みんなも知っているように、彼は1945年生まれのイギリスのロックシンガーだが、自分で作詞作曲をしているタレントだ。僕より3歳若い74歳くらいだけれど、非常に精力的に活動してるようだ。今回は20回目の日本公演だと言う。しかも武道館でだ。聴いててすごく感じた事は、ジャズの影響を受けているなということ、この人のバンドには黒人のボーカルが絶対に必要なことなどだった。もちろん彼のギターのテクニックは素晴らしく、圧倒的で再度、惚れてしまった。僕がクラプトンに出会ったのは、彼の最盛の頃...クラプトンを聴く

  • COVID-19との共存

    このコロナ騒ぎがイタリアでピークに達したころ、こんな記事を見つけた。中身は、「1962年に想像された2021年のミラノ」の姿だった。新聞はコリエーレ・デラ・セーラというミラノの新聞だ。<2021年のミラノの姿:CorrieredellaSeraより借用>どういう経緯で、こんな将来のミラノを想像したのかは明らかではないが、今のパンデミックの時代を、いかにも暗示するようで、記録に残しておいた。新型コロナが人間の生活に与える影響は、非常に大きなものになるだろう。「三蜜」と表されているが、その中身は、密接、密閉、そして密集だ。この中で一番厄介なものは、人間社会そのものを現す代表的な現象、人と人との集まり、つまり「密集」の問題だと思う。なぜなら人間は社会的存在だから、集団の中に、人の集まりの中に存在し、自分自身を見出して...COVID-19との共存

  • コロナから人類への手紙について

    5月になって発見があった。「コロナウイルスから人類への手紙」をFacebookで発見したのだ。同じ時期に、同じことを書いて、ポエムとして発表されている女性がアメリカにいるということだ。驚いたと同時に、嬉しかった。「地球はリセットされようとしている?ByCovid-19」2020年4月26日https://blog.goo.ne.jp/certot/e/5165ade9d580e23dc6d6d9528decbbc2<RESETbyMicheleArbergamaoinItaliaFBShare>前々回のブログでは、人間の乱暴な仕打ちによって、地球が悲鳴をあげている、その事実が、スーパー・パワー(地球の創成者)の怒りをかって、彼は地球をリセットしようとしていると書いた。僕はUPの2週間くらい前に原稿を書いているか...コロナから人類への手紙について

  • COVID-19で社会を変える!

    地球上に猛威を振るっている新型コロナヴィールス。これを機会に、日本の社会構造を変えてはどうだろう。とりあえず、3つを考えてみた。1.学校のスタートを世界標準の9月にする2.“顔を合わせて“の仕事を厳選しよう。特に企業で3.4月~5月のゴールデンウィークを廃止しよう#1については、いろいろ議論が始まっているので、特に書き加えることはない。ただ、これで、就職試験、入学受験のやり方も変えられるだろう、3密を避けるために、集まってのペーパーテストは無くなるだろう。全員集まって、入社式で社長のお祝いを聞くこともなくなるだろう。中途採用が当たり前になるだろう。国際的な就職が容易になるだろう。帰国子女の受験も問題なくなるだろう。#2ついては、Teleワークの実施で、すでに必要な仕事、必要な人、必要でない人の選別が明確になって...COVID-19で社会を変える!

  • 地球はリセットされようとしている? By Covid-19

    <RESETbyMicheleArbergamaoinItaliaFBShare>地球という人間の住める唯一の環境は、度重なる人間の暴挙によって破壊され、最終的には、新型コロナヴィールスによって、とどめをさされるのかもしれない。<地球上のコロナの広がり4.23.2020>2007年に発表した第4次報告書に、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、「温暖化は疑う余地がない」と断定した。そして、大気や海の温度の上昇、南極や北極での氷や氷河が減少、海水位が上昇していることなどを証拠として挙げた。そして、「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、温室効果ガス濃度の増加によってもたらされた」とコメントした。<CO2の排出トレンド><気温の上昇><スイスで見た、溶けた氷河の後の水たまり>ここまでのい...地球はリセットされようとしている?ByCovid-19

  • 新型ウィルスとイタリア人

    中国から始まった新型コロナウイルス(Covid-19)のイタリアにおける蔓延は、個人的に悲しいことだと思っている。とても心配している。感染者に対する死亡率が12.5%(4月6日現在死亡者16,523/感染者132,547))なんて、べらぼうに高いレートだ。僕は若い頃、2年程、ミラノに住んだことがあるある。今でも親しい友達がいる。この前までは二人いたけれど、今は一人になってしまった。心はイタリアを常に向いていると言ってもいいかもしれない。<住んでいたアパート>彼と最後に会ったのは、3年前。亡くなった奥様と三人一緒に、2016年にコルソ・ブエノス・アイレス通りで、昼飯を食べたのが最後だ。<コルソ・ブエノス・アイレスのテラス>その後、奥様を亡くしたエミリオは、今一人だ。だが幸いなことにFacebooで、彼の姪っ子に出...新型ウィルスとイタリア人

  • アルプス越えの旅 #3

    <アルプス越えの旅マップ>⑤ザルツブルグ→160㎞⑥ミュンヘン→130km⑦フッセン→50㎞⑧ツークシュピッツェ(標高2886m)→180km⑨サンモリッツ(標高1700m)→180kmミラノミュンヘン<ドイツのアウトバーン>ザルツブルクを出ると、いよいよドイツ・ミュンヘンへの旅。オーストリアから繋がったアウトバーンを、僕の車で走りました。僕の車は最高でも160キロ位しか出ませんから、アウトバーンでは右の1番端っこをコソコソ走ることになります。前にトラックがノロノロ走っていたりして、どうしても追い越さなくてはならない時にはしょうがない、勇気を振って、もうこれ以上踏みつける余地ないところまでアクセルを踏み込んで、やっと追い越すことができます。追い越せたら、すぐ走行車線に戻るっていうのが鉄則です。イタリアの高速道路...アルプス越えの旅#3

  • アルプス越えの旅 #2

    <アルプス越えの旅マップ>ザルツブルグ<ザルツブルグ>僕がザルツブルグに行きたいと思ったのは、どこかで見た静かなアルプスの山に囲まれた湖の風景でした。モーツアルト関係や、ドレミの歌で有名になった映画、サウンド・オブ・ミュージックの風景、ホーエンザルツブルグ城など、もちろん市内も一応歩きましたが、僕の本命はザルツカンマーグートへのドライブでした。ザルツブルクで今でも覚えてる事は、この旅で唯一予約していたザルツブルクのホテルでしたが、これがひどいホテルで値段は結構したのですが、住み心地の悪いホテルでした。50年経った今でも、悪い思い出の1つとして残っている残念なホテルです。ヨーロッパの田舎では、どちらかというと予約を入れないで、その場所で良さそうなホテルやペンションを探すというやり方がよさそうでした。今回の原稿を書...アルプス越えの旅#2

  • アルプス越えの旅 #1

    ミラノ駐在中、ドロミティ、オーストリア、ドイツ、スイスの10日間の旅を夏季休暇中に実現することができました。ヨーロッパへの赴任が決まった時、日本の山を歩いて思っていた「ヨーロッパアルプスを旅して見たい」という望みがかなうかなと、その機会を待ち望んでいたのです。この旅のことを、これまで書いていなかったので、50年近い昔の記憶ですが纏めておこうというのが「アルプス越えの旅」の3編です。<アルプス越えの旅マップ>ルート:(アルプス越えの旅#1)①ミラノ→270㎞②ヴェネチア→160km③コルティナ・ダンペッツオ(標高1200m)→130km④グロスグロックナー山岳道路(標高2500m)→130km⑤ザルツブルグ(アルプス越えの旅#2)ザルツブルグ⇔往復120㎞⑥ザルツカンマーグート(ウオルフガングゼー・バートイッセル...アルプス越えの旅#1

  • 突如、思い出すシエナ

    僕には、必ず見る数少ないTV番組がある。その一つが「小さな村の物語、イタリア」だ。企画も、ロケーションハンティングも、被写体のイタリアの村の人たちとのラポート関係もしっかりしていて、見ていると、まるでその村に自分が入り込んだような気がする。よくある単なるビジターとしての通り過ぎるヨーロッパの旅番組とは違い、取材者と村の住民たちとの間が、非常に濃密に、よくコーディネートされている。非常に質の高い番組だと思っている。<小さな村の物語イタリア:モンティエーリ:番組案内表よりお借りしました>先日も、トスカーナの小さなモンティエーリという山村を訪れて、上質な栗の粉を作って生計を立てている親父さんの物語を見ていた。栗は日本の蕎麦と同じで、小麦が作れないイタリアの山里で、代わりに栗の粉を常食としている地方があったなあと思い出...突如、思い出すシエナ

  • 信濃追分あたり

    次の日の行程は、ゆったりとしたものだった。前日の野反湖のように、シャカリキでクネクネの山道を運転して、日帰りするといったプレッシャーはない。ほとんど平坦な舗装された道を、淡々と車を転がせばよかった。軽井沢のホテルの中庭の緑と朝の光を楽しんでみる余裕も充分あった。<ホテルの中庭の緑と光>追分に行ってみようと思ったのは、何度か訪れた追分宿だが、昔のイメージとどうしてもかみ合わないことが一つ、頭に引っかかっていたからだ。それは、「追分本陣」がどこかに消えてしまっていて、どうなったのだろうという疑問だった。本陣と言えば、大名の参勤交代のおり、宿場に泊まるときに使われるものだ。追分宿は、ちょうど北国街道と中山道との分岐点。当然、昔から本陣があったはずだ。僕も、昔、親父や親父のお弟子さんと一緒に絵を描きに追分と浅間を訪れた...信濃追分あたり

  • 天空の野反湖へ

    バケットリスト(くたばるまでにやっておくことのリスト)に残っている、ちょっと大切な項目が、この野反湖(のぞりこ)に行くことだった。今も、あまり知られてはいないと思うが、野反湖は大げさに言えば秘境だろう。似た名前の信州の野尻湖とは違い、群馬県と新潟県の県境の頂上にある小さな人口湖で、「天空の湖」と地元ではPRしているアクセスの悪い湖だ。しかも何もないところだ。<野反湖へのルート:Google>アクセスが悪いとは、高齢の部類に入る僕にとってのことかもしれない。ここへは、車でしか行けない。急カーブが連続する細い山道を、緊張しながら登って行かなくてはならないからだ。もちろん対向車も来る。時には、ダンプカーだったりして。ここでは、右へ、左へと連続するハンドルさばきと、素早いアクセル、ブレーキの操作が要求される。軽井沢から...天空の野反湖へ

  • 碓氷峠の見晴台

    これから始まる軽井沢近辺での3篇の旅の目的を書いておこう。すべて、僕のバケット・リスト(くたばる迄にやっておく事のリスト)の項目だ。目的は大きくは3つ。1.碓氷峠の見晴らし台に立つこと2.群馬県と新潟県の境にある野反湖を訪ねること3.信濃追分での積み残しの調査をやることフリルとしては、懐かしい旧軽井沢を歩いてみることが頭の中にあった。これで4泊4日の旅になった。本文<昔の姿を残す軽井沢駅>最初は碓氷峠。大阪市大の2回生(なぜか関西では2年の事をこう呼ぶ)の時、大阪から座ることができなくて、夜行列車の座席の下に新聞紙を敷いて、ごろ寝しながらたどり着いた初めての信濃を追体験するのが狙いだった。(当時、書いた自由詩を、この文末に参照しておきます)あの時は、信越本線で群馬県の横川まで一度下り、そこからアプト式の電車に乗...碓氷峠の見晴台

  • エミリアが天国へ

    イタリア人の友達、エミリオの奥様、エミリアが亡くなったことを知ったのは、Facebookでだった。僕が、ミラノに最初に赴任したのは1970年。その時、エミリオと友達になったから、もう50年来の友人ということになる。初めてミラノの彼らのマンションを(イタリアではマンションとは言わず、アバルタメントと言う)にお伺いした時、びっくりしたのは、かなりの高層階の角部屋だったけれど、そこに立派な暖炉があって火が燃えていたことだ。ミラノの冬は寒いから普通はリスカルダメントと呼ばれる水蒸気か温水を循環させる方法だが、ここには燃えるストーブもあった。日本のアパートでは考えられないことで、とても羨やましく思ったことを思い出す。<マドンナ・ディ・カンピリオドロミティ>夏、彼らはドロミティ山塊の西の、ドロミティ・ディ・ブレンタにあるマ...エミリアが天国へ

  • 恒例のカレンダー

    今年も、来年のカレンダーを手配する時期がやってきた。普通のカレンダーだったら、横浜でも買えそうなのだが、なかなか気に入ったものが見つからない。有隣堂を試してみても、かなり妥協せざるをえないことになる。<2か月カレンダー>それは僕が探しているカレンダーが、最近はあまり一般的ではないからだろう。僕が探しているのは、常に2か月先までの予定が書き込める2か月カレンダーだからだ。カレンダーの管理は、もちろんiPhoneに入れて持ち歩いているが、居間に掛けておくカレンダーは、瞬間的にどこが空いているかが分かる大きなカレンダーにはかなわない。特に電話で話しているときなど、とても助かる。<伊東屋>この手のカレンダーは少ないから、選べる店となると、銀座の伊東屋さん迄出かけることになる。今年も、そんな時期がやってきた。改装で、天井...恒例のカレンダー

  • 岡野先生の墓参り

    僕を精神的に再構築してくれた岡野先生の13回忌の知らせが飛び込んだのは、8月の始めだった。1995年以前からの付き合いのある、先生の生徒の一人、Kさんからだった。岡野先生は2007年9月2日に沖縄で亡くなられた。その年の9月24日に市ヶ谷のアルカディアで開かれたお別れ会には、僕は仙台で心臓君の病気との戦いの最中で、とても上京できる状況ではなかった。欠席していた。結果として、ちゃんとお別れはしていなかった。<岡野先生の遺影>Kさんとの往復書簡(E-Mail)を中心に書いてみる。Kさんより岡野先生十三回忌の案内です。予定日は8月31日です。残暑が厳しい状況でしたら、ご無理をなさいませんように。僕より岡野先生の13回忌の件ですが、Kさんの情報と、僕の持っている1994~6年の研究会リストで、僕の印象に残っている方々の...岡野先生の墓参り

  • 海外の空港たちー13 アジア

    アジアには、あまり降りた空港はないのですが、数少ないいくつかを話しをします。<イタリアからの南周り>ミラノ→アテネ→ベイルート→ボンベイ(今のムンバイ)→サイゴン(今のホーチミン)→香港→東京という、とても長い(30時間越え)、しかも熱さと湿気に満ちた飛行でした。昔、イタリアから南回りで帰る時に、ガソリンを補給するためと途中の利用者の乗降のために着陸した空港で、僕は機内に閉じ込められていたか、ターミナルで休憩していたかのどちらかでした。外に出たことはありません。あまり快適的な旅の記憶はありませんでした。アテネでは、飛行場からパンテオン神殿が、ライトアップされているのを見て感動でした。ベイルートは、美しい街という印象でした。今の戦禍はなく、静かなアラブの夜を見た記憶があります。ボンベイでは、乗ってくる人たちが、必...海外の空港たちー13アジア

  • 海外の空港たちー12 オーストラリア

    オーストラリアは、僕にとっては大切な思い出の場所だ。日本を脱出して、生涯をそこで過ごそうと考え、一度は具体的行動に移した場所だからだ。結果としては、それができず、今も悔しい思いで日本にいるわけだが…。<飛行図>オーストラリアには、数えてみると、3回行っている。最初は、IBMオーストラリアからコンサルタントとしてよばれた3週間。二度目の1週間は、CIM(ComputerAidedMfg.)の論文を、オーストラリアの学会に応募したら選ばれて、シドニーとメルボルンで論文発表することになり、過ごした楽しい時間。そして、最後の2週間は、永住許可が下りたら住む場所と決めていたメルボルンに、具体的な居住地を探す旅だった。合計6週間だが、だいたいはメルボルン近辺で過ごしたことになる。最初に飛んだのはシドニー。そこから乗り換えて...海外の空港たちー12オーストラリア

  • 海外の空港たちー11 タホ湖

    <飛行図>これが唯一のプライベイトなアメリカ行きだった。ハワイには、たくさん日本人が行くようだが、ハワイ諸島がアメリカの州であるだけで、アメリカとは言えない気がする。何十回もアメリカ大陸には渡ったが、ハワイには寄ったことはない。余談です。この時は自費の旅だったから安い航空券を探したら、当時は日本ではなじみの薄かったアメリカンのサン・ノゼへのチケットが取れた。目的は、カリフォルニア州とネバダ州に跨るタホ湖での2週間のインターナショナル・TA・ワークショップへ参加するためだった。その前後に、1週間ずつサンフランシスコ滞在を加えたから、合計4週間弱の旅になった。<タホ湖Google>これはIBMが、勤続25年の社員にサバティカルとして、1か月の有給休暇と学費を負担してくれるというチャンスに恵まれたからだった。僕にとっ...海外の空港たちー11タホ湖

  • 海外の空港たちー10 仕事のUS

    <北アメリカ飛行場マップ>これまで取り上げていない空港を見ておこう、トランジットも含めて、全部仕事での発着だ。地図の表示にしたがって、北から見ていくと、・アンカレッジとフェアバンクス<フェアバンクス空港>その昔、日本から北アメリカ、例えば、J.F.K.には直行便が飛べなく、ガソリンがもたないので途中での給油の必要があった。アンカレッジは、このシリーズの最初で書いたから省くとして、フェアバンクスはとても珍しい着陸だった。予定にはなかったのだが、アンカレッジの代わりにアメリカ空軍の基地、フェアバンクスに降りたことがある。アンカレッジが何かの理由で使えなかったのかも知れない。<マッキンリー山>どちらに降りても、北アメリカ最高峰のマッキンリー山(今は改称してデナリ、6,194m)がよく見えたのが印象に残っている。機長が...海外の空港たちー10仕事のUS

  • 世界の空港たちー9 USの長い旅

    アメリカには何度も行っているが、こんな長い旅は他に記憶がない。<飛行図>一応、書いておくと、成田→ミネアポリス、ミネアポリス⇔ミネソタ州ロチェスター。ミネアポリス→ケンタッキー州レキシントン→ノースカロライナ州ローリーへ。さらに、そこからフロリダ州マイアミへと下って、帰りはニューヨーク経由成田という、長い長い旅だった。足してみると、ざっと25,000㎞にもなる飛行距離だ。わかりやすく言えば、成田~JFKが10,000㎞だから、日本とアメリカを往復し、さらにアメリカ国内を5,000㎞の旅をやったということになる。目的は二つあったから、こんな旅になったのだ。一つ目の目的は、IBM社内のシステム論文に選ばれて、ロチェスター(北部)とローリー(南部)の2か所で発表することになったこと。もう一つの目的は、大量生産のオート...世界の空港たちー9USの長い旅

  • 世界の空港たち–8 ジョン F. ケネディ

    <J.F.KからJFKへの飛行図>日本からのJFK(ジョン・F・ケネディ空港)への着陸は、大西洋に面したロングアイランドの沖まで迂回してから、陸に向かってアプローチするのが普通だ。しかし僕たちは、マンハッタンの高層ビル群をかすめながら、北のほうから直接、JFKに近づいたことがある。しかもふらつききながら。僕はその日、東京への直行便をゲートで4時間以上も待っていた。メカニカル・トラブルというやつで、鼻先のあたりのペンキがはがれた、疲れたような搭乗機DC-8を恨めしそうに見ながら、ボーディングのアナウンスを待っていた。<JFK上空からbyJoeMobel>*1やっと離陸して水平飛行に移り、カナダ上空に入ったなと思った時、急に大きく機体が揺れた。別に音はしない。しかし機体の揺れは落ち着かない。主翼の上についている機体...世界の空港たち–8ジョンF.ケネディ

  • 伊豆高原へ #2

    カスケットリスト(棺桶リスト)にある、くたばるまでに達成しておきたい項目の一つ、伊豆高原への旅が終わった。その1に続き、残り二つの目的を書いてみる。<伊東・リエティ友好パネル>旅の目的の三つ目は、僕のボランティア活動の原点を訪ねてみることだった。イタリア人から学んだ「家庭・仕事・社会的活動」の三つをやると決めて、僕はそれをずっと実行してきた。しかしIBMを早期退職して、もとは「社会活動」だったカウンセラーが「仕事」になったから、代わりの三つ目の世界を持ちたいと探していた。僕が移り住んだ伊東市は偶然にも、イタリアのリエティ市との国際交流が活発だった。伊東のタライ乗りの競技と、リエティ市のワイン樽の急流下りが取り持つ縁で、リエティとの国際交流が行われていた。僕は、ミラノに住んだこともあり、英語のほかにイタリア語が少...伊豆高原へ #2

  • 伊豆高原へ #1

    伊豆高原への旅が、15年ぶりにやっと実現した。カスケットリスト(棺桶リスト)にある、くたばるまでに達成しておきたい項目の一つだった。<大室山>実は、今回が3度目の正直。2017年の春に計画し、ホテルも、スーパービュー踊り子も、レンタカーも予約していたのだが、大雨の天気予報でキャンセル。2018年秋にも、同じ準備をしたのだが、天候が悪く中止となってしまっていた。今回(2019・5)の旅も、3泊3日の旅のうち、1.5日は雨の予報だったが決行、やっと達成できた。旅の目的は、大きく言って、4つ。・姉の句碑を、もう一度、城ケ崎の蓮着寺で見ておくこと・7年間暮らした、伊豆高原の我が家のその後を見ておくこと・僕のボランティアの原点、伊東・イタリアの国際交流モニュメントの確認・IBM時代、10回以上も訪れたお客様研修の天城ホー...伊豆高原へ#1

  • 海外の空港たちー7 マルペンサ(ミラノ)

    <飛行図>ヨーロッパの最後は、やはり何度も使ったミラノの北、マルペンサ空港の話にしよう。リナーテがミラノ市街に近い、昔からある空港で、国内線とヨーロッパ内の専用(注:2019年7月から3か月使用できず:マルペンサを代替している)になってる。新しいマルペンサは、もっぱら大陸間の長距離飛行場になったのは、最初からの宿命。ちょうど、羽田と成田の関係だ。<ミラノ・リナーテ空港>僕の利用回数はも、ちゃんと数えてはいないが、かるく10回以上にはなる。個人での利用も8回は簡単に思い出される。マルペンサのミラノからのアクセスは、決して良いとは言えない。東京の成田より、ちょっと近いかなという感じはするが。電車はミラノ中心のカドルナ駅まで走っているし、ミラノ中央駅から、シャトル便がたくさん出ているから、とくに問題はない。<フライト...海外の空港たちー7マルペンサ(ミラノ)

  • 海外の空港たち– 6 コート・ダジュール(ニース)

    IBMラ・ゴード研究所に行くために、コート・ダジュールに飛んだ。<飛行図>成田→シャルル・ドゴール⇔コート・ダジュール→成田何をしに行ったのかが、完全に忘却の彼方に飛んでしまったヨーロッパの空港がある。それは、コート・ダジュール。カンヌ、ニース、モナコのための空港を、その地域の美しい名前に置き換えた空港名で、ネーミングは流石…と思った記憶は鮮明。まさにコート・ダジュールの、地中海に面した空港だった。<コート・ダジュール空港>僕は、ミラノ駐在の頃から、この地域には私用で、何度か車で来ていて、土地勘はあった。F1レースで有名なモンテカルロのすぐ東隣に、これも有名なサンレモがあるイタリア国境に接した地域だったからだ。国境を越えて、カンヌ、アンティーブから、香水で有名なグラースまで走ったこともあった。しかし、フランス側...海外の空港たち–6コート・ダジュール(ニース)

  • 海外の空港たち-4 ブラッセル

    IBMの上級マネジメント教育は、ヨーロッパ各国をまとめてブラッセル郊外のLaHulpe(ラユルプ)というホームステッドで行われていた。ここは、本来的にはIBMのお客様への研修提供の場だった。<飛行地図>成田→シャルルドゴール⇔ブラッセル→リナーテマルペンサ→成田幸いこの教育に、僕はノミネートされて2週間、さらにその後、IBMの製造システムアーキテクト研究会で2週間、ここにいることができた。特に、あとの研究会では、若い親しい友達ができて、こんな幸せはなかった。<ブラッセル空港>ここは、首都ブラッセルから南東、17kmの所にあり、車で15分。ブラッセル空港からも南に20km位のアクセスがとても良い所に位置していた。残念ながら今はIBMが手放して、ホテル・ドルチェ・ラ・ユルプになっているようだ。<ホテルドルチェ・ラ・...海外の空港たち-4ブラッセル

  • 「帰ってきたムッソリーニ」を見た

    「注:前回の「定番の春を取りもどす」の3っ目です」<イタリア映画祭・2019のHP>2001年のイタリア年から始まった19年の歴史を持つ「イタリア映画祭・2019」で、「帰ってきたムッソリーニ」を数寄屋橋マリオンで見て来た。<帰ってきたムッソリーニのブローシャー>ここ9年、欠かさず見てきていたのに、昨年はチケットを買って待っていたのだが、僕の足の痛みとしびれで、行くことはできずに悔しい思いをした。今年は頑張って、映画を見ることができた。毎年、ゴールデンウイークに開催しているこの映画祭は、前年のイタリア映画の新作を何本か(今回は11本)を選び、この映画祭のために特別に日本版を作り、日本で初上映するのだから頭が下がる。すばらしい企画だと思う。毎回、作品はコミカルなものを選んでいる。分かりやすくて聞き取れれば、僕のイ...「帰ってきたムッソリーニ」を見た

  • 定番の春を取り戻す

    昨春の足のしびれと痛みから、10か月くらい掛かって、完全ではないものの、一応歩けるようになった。原因は、足の動脈のどこかで石灰化が始まっていて、それが足先の血流を阻害して、しびれと痛みを出しているようだ。毎日飲む薬が一つ増えたが、行動の自由さには替えられない。今年は、何とか、例年の春のメニューを楽しむことができた。感謝!定番のメニューは、3つ。最初は花見。桜の花を見に、横浜の某所に出かける。某所とは、桜見物で有名ではない、人の知らない秘密の場所だ。箱根駅伝で有名な権太坂の近くとだけ言っておこう。素敵な場所は、内緒にしておかなくては、すぐ詰まんなくなる。今年はタイミングがドンピシャで、いい桜を見ることができた。天気もよかった。2年ぶりの花見ということで、写真をたくさん撮ってきた。他には、通り過ぎる人が数人のみ。<...定番の春を取り戻す

  • 世界の空港たち-4 モンペリエ&アムステルダム

    モンペリエ(南仏)南仏のモンペリエと言われても、ピンとくる人は少ないだろうと思う。観光地ではなく、古くからの大学が有名な小さな町だ。最近は、南仏の観光開発も進んでいるようで、知名度は少しは上がっているかもしれない。<飛行図>成田→オルリー⇔モンペリエ→アムステルダム→成田最初のモンペリエ訪問はパリのガールド・リヨン駅から、TGVならぬ、在来線の特急列車のコンパートメントに乗って、アビニヨン経由での鉄道の旅だった。ほんとうは日本からオルリーについて、国内線でモンペリエまで飛ぶスケジュールを組んでいたのだが、航空会社のストライキに遭遇して、列車の旅になった。<モンペリエ空港>モンペリエという田舎町に行くことになったのは、IBMモンペリエに、アプリケーション・システムの調査、導入準備のためだった。しかし、田舎町と馬鹿...世界の空港たち-4モンペリエ&アムステルダム

  • 海外の空港たち-3 ドイツ

    海外の空港たち-3ドイツドイツには、一か月位は住んだことになる。<飛行図>ストウットウガルトリナーテ⇔ストウットウガルト:計2往復実は僕は、国外退去処分を受けたことがある。それは、ミラノのIBMで働いている時だ。悪いことをしたわけではなく、強いて言えばIBMイタリアと、イタリア警察の間の見解の相違から起きたことだ。僕の駐在が、イタリアでの就労に当たるとして、ミラノの警察が48時間以内の国外退去を僕に求めたのだ。僕は慌てた。イタリアIBMの対応は早かった。早速、ドイツIBMと話をつけて、ストウットウガルト近くのIBMジンデルフィンゲンで、僕のデスクを確保してくれた。彼らの読みでは、イタリアの就労ビザは1か月もあれば降りると見込んで、僕をドイツに一時避難させてくれたのだのだ。<ストウットウガルト空港>ジンデルフィン...海外の空港たち-3 ドイツ

  • 海外の空港たち-2 スコットランド

    海外の空港たち-2スコットランド<飛行地図>リナーテ→ヒースロー→グラスゴ→サザンプトン→リナーテスコットランドに行くとは、想像もしていなかった。しかも、極寒の2月。グラスゴーの近くに、IBMのグリーノック事業所があって、日本との間で何か問題が起きているので、行ってくれと命令的なテレックスがミラノに入った。<リナーテ空港>ヨーロッパに飛ぶには、リナーテ空港からだった。そこから、ロンドン・ヒースローに飛んだ。今のミラノ・マルペンサ空港ができたのは、もっと後だったから、ミラノの市街に近いリナーテから1時間のフライトだった。ヒースローから、1時間半のフライトで、グラスゴー空港に着いた。<グラスゴー空港>スコットランドといえば、スコッチウイスキー、バグパイプとタータン、そして古都エディンバラくらいしか思いつかない土地だ...海外の空港たち-2スコットランド

  • 乗降した海外の空港たち-1

    先日、フッと思いついて、僕の乗り降りした空港の数を数えてみた。すると、外国だけで、降り立ったりエンバークしたりした空港が、39個浮かんできた。面白いので、記憶しているエピソードと一緒にまとめてみようと考えた。整理のためにリストアップしてみると、ヨーロッパとアメリカが、断然多い。<ヨーロッパの空港:RadarVirtueleからの借用>ヨーロッパ:17ドイツ:ハンブルグ、シュトウットガルト、フランクフルトイタリア:リナーテ、マルペンサフランス:オルリー、シャルル・ドゴール、モンペリエ、コートダジュール(ニース)イギリス:ヒースロー、グラスゴー、サザンプトン、ベネルックス:ブラッセル、スキポールトランジットのみ:コペンハーゲン、アテネ、シェレメチボ(ロシア)北アメリカ:15アンカレッジ、フェアバンクス、JFK、サン...乗降した海外の空港たち-1

  • 講義を受けに大学に

    久しぶりに、金沢八景駅の改札を出た僕は少し興奮していた。<金沢八景駅by京急>この前、ここで降りたのは、2017年12月だから、1年2か月ぶりということだ。あの時は、関東学院大学の「イタリア都市探訪」という講座に3か月ほど通っていたから、懐かしい駅でもある。長い間、工事中だった八景駅もおおかたがた完成し、線路の橋上駅の改札口から、山の方へも、海の方へも簡単に出られるようになっていた。さらに、シーサイドラインにも、同一平面のペデストリアンデッキで繋がっているから、とても便利になったと言えるだろう。今回は、陸側の横浜市立大学(YCU)に行くために、この駅で降りることになった。YCUに行くことしたのは、ここの大学院、「都市社会文化研究科」の4名の准教授たちが開催する、アドバァンスト・エクステンション講座、『「他者」と...講義を受けに大学に

  • 北斎展と発見

    今回、六本木森アーツギャラリーで開かれた「新・北斎展」を見てきた。<地下の北斎展のポスター>実は、率直に言うと、あまり浮世絵は好きではない。美女とか、役者絵とか、名所とか、花鳥図とか、武者絵や、妖怪などが、どうも好きにはなれないからだ。さらに、悪い印象も残っている。2011年、東京国立博物館で開かれた「写楽展」での印象だ。写楽にはとても興味があって、並んでまで見た。しかし、思ったより作品が小さくて(後で知ると、昔の版木では大きなものは少ないのは当然だったのだが…)、僕の写楽のイメージとはピッタリとはこなかった。さらに音声ガイドを使っている人たちが、小さな絵にへばりついて、自分のペースで作品を見られなかったことも悪影響。もちろん例外の浮世絵もある。北斎の「冨嶽三十六景」や、広重の「大はしあたけの夕立」などは、素晴...北斎展と発見

  • 飛行機を列車に替えて、鳥取へ

    二つ目は、鳥取の鳥取Sanyoへのお客様のコールの時だった。鳥取の営業所が、製造業のアプリケーションを実際に動かしている責任者の僕を、同業のお客様のトップ訪問として企画したのだ。二つ返事で引き受けたのは、鳥取は僕のうちの祖先のご本家がある岡山の隣の県だから、余計に気持ちが動いたのかもしれない。鳥取行きのフライトがANAの都合で、飛ばなくなった。またかよと、気落ちしたが、広島行きのトラブルを思い出して、近隣の空港へのフライトを探した。幸い、羽田~米子のフライトが取れた。だが、米子から鳥取まで北上する手立ては考えていなかった。残念ながら新幹線は走っていない。米子駅で決めるしかないと、水木しげるの漫画にあやかった名前の「米子・鬼太郎空港」を後に、米子駅へとタクシーを拾った。<米子・鬼太郎空港>*1駅で調べて見ると、山...飛行機を列車に替えて、鳥取へ

  • 飛行機を列車に替えて、広島

    実際に開発製造部門のアプリケーションに責任を持っていた僕は、IBMの営業からの営業支援依頼で、いくつかの客先の企業を訪問する機会に恵まれた。そこには、楽しいことにも、困ったことにも当然あった。その中の二つほどを書いてみたい。内部のお客様とのコンタクトの多い僕にとっては、社外に出ることは基本的には楽しいことだった。だから、よほどのことがない限り、営業からの要請を受けて、お客様のサイトに出かけるようにしていた。でも予期できない状況に置かれて、必死になったことがいくつかある。最悪の問題は、お客様との約束を守るのが難しい状況に追い込まれた時だった。一つ目は、広島のお客様、マツダとの上級役員とIBMとの合同技術検討会議への出席だった。<マツダ本社>お客様との合同会議は、翌朝、8:30からと決まっていた。製造業の会議は、だ...飛行機を列車に替えて、広島

  • 親父との旅・国東

    親父と旅に出たことは、本当に数少ない。記憶が確かなのは、親父が年を取って、一人では出かけられなくなってからのものだ。それ以前は親父と旅することを、僕が心の中で拒絶していたからかもしれない。<国東半島>*1親父との精神的な別れを幼稚園の5歳のころに決断し、中学2年生の時、親父から高校から先は、もう面倒は見られないなと言われた頃から、物理的にも別れていたからだろう。その後、何十年も経って、僕に子供が出来てから、元旦に子供たちと4人で、谷中から丘を降りた親父の鶯谷の家を訪ねるという決まりはあったが、一緒に旅に出るということは無かった。大分県の国東を旅したのは、僕の姪が、大分市出身の阪大卒のG君との結婚式を、大分市でやるからと招待を受けたからだ。姉と親父と、僕の3人での旅となった。誰が言い出したのか分からないが、寝台列...親父との旅・国東

  • ドロミティの残照

    イタリアの山の思い出はいろいろあるが、一番心に残っているのはドロミティ山塊。ドロミティとの初めての関わりは、僕がミラノに最初に赴任した頃だから、もう40年以上の昔になる。<サッソルンゴ>あまり知られていないが、ドロミティは二つの山塊から成っている。イタリアで二番目に長い川、つまりアルプスから、ヴェネチアの近くのアドリア海に流れ込む北から南に流れるアディジェ川の西側が、ドロミティ・ディ・ブレンタ。東側がよく知られるいわゆるドロミティだ。ここは3,000m以上の山が18峰もある山塊だ。<TABACCOの東部ドロミティの地図>東側の、いわゆるドロミティを中心とした体験を書いてみる。ドロミティには、合計3回くらい旅している。最初は、ドロミティ→オーストリア・ザルツカンマーグート→ドイツ・バイエルンへの10日間の旅の最初...ドロミティの残照

  • フェルメールから鬼子母神

    10年ぶりに、フェルメールを「上野の森の美術館」で見てきた。<フェルメール展の大看板>前回は、2008年月の東京都美術館で「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」で、フェルメールを見ている。今回とダブった作品もあった。「リュートを調弦する女」とか、「手紙を書く夫人と召使」などだ。全世界で確認されている作品は35点しかないから、フェルメールの絵を見られるのは、本当に稀有なことなのだ。僕のフェルメールとの最初の出会いは、1984年の東京西洋美術館での「真珠の耳飾り」(ターバン)を見たのが始まりだ。印象深く、決して忘れない。。フェルメールの名を聞くと、彼女の顔が頭に浮かんで出てくる。2012年にも来たらしいが、大混雑と聞いて、見に行かなかった。<真珠の首飾りの少女:P.D>今回のフェルメール展は、日本では画期的な運営がさ...フェルメールから鬼子母神

  • 平林寺を歩く

    やっとこさ、カスケットリスト(棺桶リスト:くたばるまでにやっておきたいこと、行きたい場所などの一覧表)の7つの未達項目の一つが消えた。2012年に作ったリストに一つ、丸が付いたわけで、自分ではうれしく思っている。<平林寺>独断的に言うと、僕はこの臨済宗妙心寺派の金鳳山平林寺が、関東で一番の寺らしい寺だと思っている。鎌倉の寺も、谷中の寺たちも、この寺にはかなわない。ここには、ほかの寺たちが忘れてしまった静けさと、武蔵野の自然、雑木林がある。さらに昔、玉川上水から派生した野火を止めるための役割のほかに、人の生活の基礎となる飲料水を確保するという野火止の用水を開削した歴史もある。平林寺は、43ヘクタール(およそ13万坪)の広大な敷地の中に、2800坪の山林に武蔵野の面影を残し、栗、コナラ、クヌギ、槇、アカマツ、竹林な...平林寺を歩く

  • 美しくなくなった車の顔

    最近、運転していてバックミラーを見ると、ギョッとすることが多くなった。<トヨタ・ミニバン>後ろから、金歯ならぬ「銀歯」をむき出しにした車が迫ってくるからだ。気をつけて見ていると、ミニバンが多いようだが、それだけでもないらしい。流行りのSUVでも、セダンでも、軽までも、同じ傾向がみられる。僕の借りている駐車場を見渡してみると、そのことが分かってきた。なぜこんな顔になったのだろうと疑問なものもある。美しくない顔のデザインの車が、結構多いのだ。実車を写真に撮るのもなんだからと、メーカーのHPで検索してみると、なんと、美しい車が少ないことか…。もちろん、持ち主の好みだから、僕がとやかく言うことではないが、とにかく美しくないということは明らかだ。車のフロントは人間でいえば、顔だと思っている。大切な顔だ。<トヨタの4モデル...美しくなくなった車の顔

  • 来年のカレンダー

    僕にとっては、今年はオマケの時間。39歳の時に心理学の演習で、僕の人生は昨年(2017)で終わると自己予言をしていたからだ。やはり、オマケだったようで、1月から調子が悪く、4月には突然、足がしびれ、足の指の冷え、そして痛みが出るようになった。数えてみたら今年の1月から9月末までに、49回も病院やクリニックに通っていた。やっと10月になってすこし体が許してくれたので、今年初めての銀座へ。今年、4回目の外出ということになる。体調は完全ではないから、ゆっくり歩くという条件付きだ。<銀座4丁目>今年、楽しみにしていた予定でキャンセルになったのは、1月のI社コンサルグループの創立メンバーの同窓会、同じく、関東学院大の「講師を囲む会」を提案し、開かれることになったが、残念ながら風邪で言い出しっぺの僕が欠席。4月の初恋の女性...来年のカレンダー

  • ペルージアの丘から

    人がある場所を好きになるには、どんなことが影響するのだろうか。ペルージアが好きになったのには、いくつかの要素が絡まって、そうなったんだと思う。トスカーナを離れて、車がウンブリアに入ると、とたんに自然が目覚めてくる。しかも、みずみずしい自然だ。それは何かとても懐かしい日本の田舎の風景に似ている。豊かな自然と穏やかな顔をした森、林、それに溶け込んだ小さな集落、緑がその丘を囲んでいた。ああ、ここには自然があるのだと感じた。僕が4~5泊したホテルは、ペルージアの旧市街から下った丘の裾野に立つアメリカ的なホテル・プラザだった。<プラザ・ホテル>そして、そこでペルージア好きにしてくれたレセプショニストに出迎えられた。若いイタリア人の美しい女性だった。礼儀正しく、しかし温かく接してくれた。イタリアのホテルでは、立派なホテルで...ペルージアの丘から

  • ウンブリアのアッシジ

    僕がウンブリアに心惹かれたのは、隣の州、トスカーナのオルチャの美しい丘や、糸杉の風景といった人工的な景色に飽き始めていたからかもしれない。トスカーナのシエナから南へ、モンテプルチャーノ、モンタルチーノなどの葡萄畑の続く大地は自然の丘ではない。石灰質の土地を、人間が苦労して削り耕して牧草地や畑にしたのだ。春になると、その灰色がかった独特の粘土質のクレタを、大きなグレーダーを使って掘り返し、土地改良をしながら数年かけて、美しいなだらかな緑の丘にしていく。そこに計算された美しい糸杉を植えれば、トスカーナ的な美しさだ。<ウンブリア州Google>乾燥したトスカーナを離れて車がウンブリアに入ると、とたんに自然が立ち上がってくる。目に映るのはみずみずしい自然だ。穏やかな森、それに溶け込んだ小さな集落、緑がその丘を囲んでいる...ウンブリアのアッシジ

  • 9.11を思ってみると

    今年(2018)も、忘れられない日の一つ、9.11をアメリカのTVで見た。日本では、ほとんど特集は組んでいないようだった。2001年9月11日の夜、TVを点けると、すぐには理解できない映像が流れていた。ニューヨークのワールドセンタービル(WTC)二棟に旅客機がためらいもなく突っ込んでいた。しかも、連続して二機もだ。ペンタゴンにも、一機が突っ込んだというニュースも流れた。アメリカがテロ攻撃を受けているのだと理解するには、ちょっと時間がかかった。これはリアルなのかと、何度も画面を見直した。<攻撃直後のWTC>ハイジャックされたUnitedとAmericanの4機のうち2機がコースを変えて、WTCの北棟(#1)と南棟(#2)に順次ぶつかって、二棟とも焼け落ち、3000人以上の犠牲者を出した事件だった。<宇宙から見た燃...9.11を思ってみると

  • 奇妙なカウンセリング

    IBMでの経験の中で、一番奇妙だったカウンセリングのことを書いておこうと思う。その頃、僕はIBM製品開発製造部門のアプリケーション・システム担当部長だった。僕の責任は広く、大和研究所、藤沢工場、そして滋賀県にある野洲工場の組み立てラインも、アプリケーションに関しては、僕の守備範囲で200人近いSEが僕の下にいた。<元IBM大和研究所>問題が起きたのは大和研究所のY課長の下にいたHというSE.。IBMは、日本の会社にはないユニークな人事制度を持っていた。それは、A&C(appraisal:評価とcounseling:助言)と呼ばれ、年初に課長と部下とが差しで年度目標(業務目標と本人の成長目標)を立て、中間で進捗を見、年末には達成度合いを評価し、結果を共有するというプログラムだった。それが、その年の人事評価のベース...奇妙なカウンセリング

  • 都美術館から浅草へ

    今年の春は、上野にも浅草にも出かけられなかった。本当に悔しい思いをした。(参照リンク:悔しくて、悔しくて)https://blog.goo.ne.jp/certot/e/42d450938e142cb40ddcef651a5c6b5a<プーシキン展>このままでは自分が腐ると考えたから、外出のチャンスを狙っていた。そこに、朗報が入った。洋画家だったおやじが育てたお弟子さんから、上野で新構造の本展が開かれると聞いた。しかも、冠賞、徳山賞が今年から設けられて、初めての作品が決まるという。モダンアート展で、SIさんの作品を見逃して機会を失っていたから、ちょうど「プーシキン美術館展」が来ているというので、それを兼ねて久しぶりに都美術館を訪ねてみた。足のしびれも処方の漢方薬が頑張ってくれて、何とか歩けそうだったから出かけて...都美術館から浅草へ

  • 足で立ったことのあるアルプスの山

    自分の足で地べたを踏んづけたヨーロッパアルプスの山たちのことを書いておこうと思う。最初のアルプスとの出会いは1970年。以来、2016年までの間に、そこに自分の足で立った場所をリストアップしてみた。まだまだ、いろいろあるけれど、一応2300m以上の場所に限定してみる。すると、下記の7か所がリストアップされた。どこも懐かしく、思い出を語り始めたら、とてつもなく長いものになってしまうから、エッセンスに絞ってみた。時系列で書いてみるのも手だけれど、何度も行ったところもあるし、何時だったか定かでなくなっているので、分かりやすく高い順に並べてみた。1.プラトーローザ(イタリア側から):3,480mここが一番高いとは全く思っていなかった。ユンクフラウヨッホのほうが高いと思い込んでいた。思い込みって、怖いね。<「ふたりで山歩...足で立ったことのあるアルプスの山

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