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2014/10/02

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  • 3.11と6年間の仙台

    2011.3.11東日本大震災の当日、僕は12:26’の「はやて」で、仙台を離れた。<仙台葛岡動物供養塔>あの日、14:26’発の「はやて」を予約していたが、マンションの引き渡しが11時過ぎに終わったので、降り出した小雪に背中を押されて僕は仙台駅へ。葛岡墓苑のミニチュア・シュナウザーの「チェルト君」の墓参りはやめて「ごめんね」と謝った。12:26’の「はやて」の指定席が取れた。地震が起きたのは14:46’。横浜駅から京急に乗って一駅の戸部を過ぎた時だった。その後、京急の線路を歩いて戸部駅へ。さらに横浜駅に向かった。中央通路は人で完全に埋まっていた。全ての電車が止まって、皆、帰宅困難者になっていた。かなり時間が経って駅に放送が流れた。岡野中学校に横浜市西区が避難所開設するという。僕も帰宅困難者で避難所を経験したが...3.11と6年間の仙台

  • 下宿とアパート

    自分の人生を、ある切り口で振り返ってみたいという気持ちで書いているエッセイがいくつかある。今回のテーマは「下宿とアパート」だ。僕が下宿生活を始めたのは、僕が大学に入学の時。大阪市立大学時代に、近鉄・南大阪線の河堀口(こぼれぐち)という駅の近くの下宿屋だ。もう名前さえ忘れてしまったけれど、ここは長い間、下宿を生業としてやっているプロの下宿屋さんだった。僕が入った時には二人先輩がいて、一人は商学部、もう一人は法学部の同じ市立大学の学生だった。昔からずっと、市立大生の下宿屋をやっていたようだ。大学ヘは、阪和線の美章園駅から杉本町だった。<大阪市大杉本キャンパスbyKishujiRapidCreativeCommons4.0>下宿というのは、朝飯と夕飯がついて、掃除と洗濯をしてくれる間借り生活と考えていただければいいだ...下宿とアパート

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