2007年からの「チェルト君のひとりごと」は2013年4月でおしまい。今度は「パパのひとりごと」です。
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その1の続きです<転轍機><人生の分岐:全て>分岐6(他の人の決定)日本IBMに入ってアメリカを中心とする海外との関係で仕事を進めていましたが、30歳直前、僕はフランスのエッソンヌというところに駐在員として赴任するという内示を受けました。僕は喜んでその内示を受けました。なぜならば英語に比べてフランス語はとても美しい言葉で、法政の頃、外堀の向こうの日仏学院を訪ねて、フランス語の勉強を始めようと面接した時、フランス語の美しさに惹かれました。僕にとっては、フランス語を磨くとても良い機会だと思っていました。しかし出発の3ヶ月ぐらい前だったと思いますが、赴任する先がフランスからイタリア・ミラノに変更になりました。6つ目の転換、イタリアへの進路変更になりました。<ミラノ>イタリアに行ってみると、全く日本では考えられなかった...人生の転轍機その2
皆さんは転轍機(てんてつき)と言う言葉をご存知でしょうか?本来は鉄道の線路を切り替える装置で、右に行くか左に行くかをこの転轍機を使って列車の進行方向を変えるものでした。<転轍機><人生の転轍機#1>僕の分岐は人生の上で、どういったことがあったのかを整理してみようと考えました。書いてみるといろんな分岐がありましたが、大きく言えば12の分岐を経由して、今に至っていると思います。その分岐の決定は、自分自身のものと、他の人の決定の2種類がありました。<東京大空襲>分岐1(他の人の決定)僕が生まれたのは東京・谷中。太平洋戦争の1945年東京大空襲3月10日に、僕の家が全焼し、一家で疎開することから始まりました。候補地として考えられたのは母方の高知か、父方の係累のいる岡山の山の中という選択支がありました。<岡山・川上村徳山...人生の転轍機その1
<コルソ・ブエノス・アイレス2012年PublicDomain>コルソ・ブエノス・アイレスは、1980年ごろから、どんどん変わってきて、僕が最後に訪れた2016年には、どこか伝統的な雰囲気は失われ、東京の銀座と同じように有名ブテイックが並ぶ街に変化していた。非常に残念に思ったものだ。その昔、買い物の品定めは、日曜日にみんなで下見をする、つまりウインドーショッピングをするというのはミラネーゼの行動パターンだった。だから店は日曜日でも、ショーウインドー(ヴェトリーナ)には明かりがつき、店は閉まっているけれども商品が見えるようになっていた。<あるヴェトリーナ>日本のように、味もそっけもないシャッターが下りているのではなく、入口の左右にショーウインドーがあって、真ん中が店内への入り口だった。だから日曜日で店が閉まってい...コルソ・ブエノス・アイレスその2
僕がミラノに住んでいた頃も、その後も、しょっちゅう歩いていたコルソ・ブエノス・アイレスについて書いておきたいと思う。<コルソ・ブエノス・アイレスwikipediabyG.dallorto>昔、コルソ・ブエノス・アイレスを車で走っていると、急に前の車がスローダウンして、慌てて僕がブレーキを踏むことになることが時々あった。その運転者の目的は、歩道を歩いている美しい女に声をかけるためだと、後でわかった。とりあえず、美しい女性を見たらば、声をかけるのはイタリア人にとっては当たり前。それを車を運転しながら実行していることに出会った僕は、ビックリしてしまうのは当たり前だろう。コルソ・ブエノス・アイレスとは、ミラノのある大通り。場所はミラノの中心、ドウオモからサン・バビラを通って、ボルト・ヴェネチアを潜って歩き始めると、ここ...コルソ・ブエノス・アイレスその1
下記の山歩きについては、その1をご覧ください。1.大楠山2.箱根明神ヶ岳3.碓氷峠見晴台4.大山(丹沢山塊)5.野反湖6.伯耆大山7.赤城山8.那須岳9.横手山10.妙高山2454mこの山の麓にある赤倉スキー場には、かなりの回数行った。会社の契約寮が赤倉温泉にあったからだ。僕の記憶ではどういうわけか二度も妙高山に登っている。1度は計画通りの単独行で、2回目は一人の男友達と一緒のはずだったが、山を見て、彼が登るのをおりてしまった。結果として単独行X2なったわけだ。今は赤倉から妙高山の中腹まで、妙高高原スカイケーブル(1984年~)ができているらしい。そして山頂駅から妙高山を登り始めるのが一番簡単な方法のようだ。僕の頃にはこのケーブルカーはなかったので、燕温泉経由のルートで妙高に登った。標高差1300m位を4時間ち...山歩きその2
僕は「登山」という言葉は使っていない。ハードなイメージがあるからだ。僕は「山歩き」と言っている。学生時代から結構、山歩きをしているが、楽ちんで楽しいものから、三泊四日のきつい山々を歩いたこともある。思い出す山をいくつか書いてみたい。標高の低いものから、順に山を並べてみたらこうなった。1.大楠山2.箱根・明神ヶ岳3.碓氷峠見晴台4.大山(丹沢山塊)5.野反湖6.伯耆大山7.赤城山8.那須岳9.横手山10.妙高山11.後立山連邦:白馬岳、唐松岳、五竜岳この他にも、高尾山~景信山、蔵王・刈田岳などがあるが、今回は思い出深い11の山歩きを記録に残しておくことにした。1.大楠山241mこの山は三浦半島の主峰であるが、あまり知られてないと思う。京急の「安針塚」から登り始めて2時間、頂上につく。ここからの眺めは素晴らしい。大...山歩きその1
僕は基本的には、ワインしか飲まないことにしている。昔は、それこそウイスキーのオンザロック、ジンやズブロッカのマティーニとか、辛口の日本酒「菊正の樽」だとか、いろいろ飲んでいたが、この30年ぐらいワイン以外はほとんど飲んでいない。一週間に二日は休肝日にしている。その日は仕方がないのでノンアルコールビール。元々、僕は日常的にビールを飲むことはなかったから”とりあえずビール”という言葉は僕にはない。本当にビールを飲むということになると、ベルギーのシーメイという銘柄だ。他の日本のも、ドイツのビールも、イギリスのエールも、アメリカのビールも飲みたくはない。さらにラテン系のビール、フランス、イタリア、スペインのビール等は甘くて飲めない。<シーメイ>話をワインに戻すと、ワイン、特に赤ワインを大量に消費しているということになる...ワイン飲みの悩み
色々な国で、色々なステーキを食べたのを思い出したので、それらを書いてみようと考えた。肉といえば僕にとっては牛肉であることは間違いない。鶏肉は、モモをそのまま塩焼きをしたのは美味しいと思う.。豚肉は、生ハム、アイスバインなどに出会うと、うまい肉だなと思う。ラムチョップも美味しいと思う。忘れるわけにはいかない。しかし、なんといっても牛肉に収れんすることは、やはり否めない。僕が若い頃、駐在していたミラノでのステーキといえば、会社のメンサ(社員食堂)でのビステッカとなる。昼飯でも、みんな赤ワインの小瓶を1、2本飲んでいるから、水でビステッカを食べるわけではない。コントルノ(付け合わせ)としてのバターソテーしたホウレン草とは、とても相性がいい。ほとんど毎日食べていた。<イタリアの会社>フィレンツエのビステッカといえば、ア...肉といえばステーキ
これまで、沢山の店に行ったけれども、記憶に残る店は数少ない。焼き鳥と言うと本当の鶏の方、ネギ間などを思い出すとかもしれないが、僕が言っているのはもっと安いもつ焼きで、関西ではホルモン焼きといっている店の話だ。関わりの古い方から話していくと、まずは浅草の鈴芳ということになる。もう50年以上通っている店になった。最初、この店を見つけたのは、もう亡くなった親友の炬口勝弘と浅草を歩いた帰りだった。貧乏な学生二人が、金がないけれども何か飲みたいということで、見つけたのは浅草寺の裏の方にある、薄暗い屋台をつないだような店の一つだった。<煮込み通り>毎年、1回は必ず女将の顔を見に行くことになっている。注文するものは常に決まっている。飲み物はまずレモンハイ、そして焼き物としては、タン、カシラと、お新香は必ずだ。大体は、もつ煮も...焼き鳥の店たち
あれは僕が大阪市立大学の1年の頃だったと記憶している。僕の半血の姉、長崎京子が、僕を岡本の自宅に呼んでくれたのだ。阪急を岡本駅で降りて、六甲山へ向いた坂を歩いていった。左に甲南大学の校舎を見ながら、結構急な坂を登った覚えがある。<阪急・岡本駅>この日の京子との出会いは、僕のその後の人生において大きな出来事だったと、後になって分かってきた。彼女のご主人が、日本郵船のハンブルグ支店長の任期を終えて、二人で日本に帰って来て、この地、岡本に住み始めた。その家へ、僕を呼んでくれたのだ。ご主人の映吉さんとは、見ず知らずだが、京子姉とは帰国したら会おうという約束はできていた。<ハンブルグ港>とても素敵な家だった。庭からは足元に芦屋の街、神戸の街、そして遠くには淡路島の影も見える南向き斜面の大きな家で、おそらく東灘区の桜坂近辺...岡本と僕のその後
率直な感想を言うと、この映画はコメディーだと作品紹介にあったから選んだが、コメディーではなく、僕に取ってはリアルな深刻な物語だった。PC画面で、72時間(3日間)以内に1時間40分の映画を見るというのは、やはり苦行。3度見直して、やっと自分の文章が書けるようになった。大きなスクリーンで大きな音響と、仲間の観客との一体感が恋しい。映画祭の作品説明こどもたち<こどもたち>[2020/97分]原題:Figli監督:ジュゼッペ・ボニートGiuseppeBonito出演:パオラ・コルテッレージ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ステファノ・フレージ子育てに奮闘しながらも翻弄される夫婦を演じるコメディー。一人娘のアンナと幸せな生活を送っていた共働き夫婦のサラとニコラは、2人目の子供ピエトロを授かることになる。第2子を持つ生活の大...イタリア映画「こどもたち」を見る
いろいろググってみても親父、徳山巍(たかし)の記事はない。Wikipediaにもない。唯一の記載は、ある弟子さんのブログに、ちょいと載っているぐらいだ。僕も、もう先がないから置き土産としてWikipediaで親父を紹介してみようと思って、ウィキペディアの作成要領等を読んでみた。そこには百科事典として必要条件である客観性を求めるという項目があった。公的なものの参照が求められていた。探してみたけれど客観的に親父を評価して、その画業を記述したものはなかなか得られなかった。仕方ない。それに代わるものとして、僕自身が主観をこめて込めて、親父の紹介をWikipedia風に行ってみようと考えた。そしてこの文章が生まれた。今年2021年は、親父が1991年に87歳で没して、ちょうど30年。良い機会だと思う。<晩年の徳山巍>戸籍...Wikipediaに乗っけようと思った徳山巍
今年もコロナで残念ながら数寄屋橋マリオンでの上映はなくなった。昨年に続いてコロナは、僕の長年の楽しみである映画祭の邪魔している。<2021イタリア映画祭>無料での短編を2編見ることができた。代金を払っての2時間版は別途時間を見つけて、作品を見定めて5月のどこかで見てみようと思っている。白状すると2時間の映画を、72時間、つまり三日間で見切るというのは結構大変。昨年の経験から言えば、集中しなければ「見たな」という感じにはならない。大きなスクリーン、大きな音響、さらには他の観客の反応、仕草、笑いなどを含めた臨場感はオンラインにはない。オンラインでは伝わってくるものを、こちらから積極的に取りに行かなければ、得られるものではない。#1タイトル:あなたの不幸はわたしの幸せ<上映カタログ>2017年12分原題:Iosì,t...イタリア映画祭・無料の短編
3.チェルト君の物語チェルト君は再婚相手との間で、僕たちの一人っ子の長男だった。僕が55歳での再婚だった。彼女は40歳位だったから、無理すれば子供は作れないわけではなかったが、子供の将来のことも考え、子供は作らないと合意して結婚した。代わりと言っては変だが、彼女も犬が好きだったし、僕も大好きだったから二人の間に、長男として僕にとっての3頭目のシュナウザーを飼うことにした。<瀬田ケンネルエイト>チェルト君に初めて会ったのは1月の寒い頃だった。環八をよく車で走っていたから、環八の瀬田にシュナウザーだけを扱っている店を知っていた。大きなシュナウザーの看板が出ていた。勿論、今も健在だ。前年の12月6日生まれで、まだ一か月しか経っていないチビのシュナだった。両手を組んで出してくださいと言われてそうしたら、店主はチビのシュ...僕のシュナウザー物語Ⅲ
2.β(ベー)の物語アンナの19年10ヶ月が終わった。彼女の死は、僕にとっても、家族みんなにとっても大きなショックだった。動物は死ぬものだと分かっていても、やはり先に行ってしまうのを見送るのは辛いものだ。結構、あとを引いた。もう二度と犬は飼わないと言う約束が、家族の中で出来ていた。<β:べー>アンナが死んで半年くらい経った頃だろうか、下のチビ(長女)が、どこかの犬屋へシュナウザーを「見るだけ、見るだけ」といいながら、カミさんと見に行ったらしい。アンナ失くして、あたかも姉妹をなくしたように辛かったのだと思う。最初は戸塚の近くの犬屋を見ていたようだけれど、なぜだか保土ヶ谷にある犬屋にシュナウザーを見つけたようだ。僕も声をかけられて「見るだけ、見るだけ」といいながら連れて行かれた。そこにはダンボールに入った小さなシュ...僕のシュナウザー物語Ⅱ
僕は、三頭のミニチュア・シュナウザーを飼ったことになる。合計すると30年以上のシュナウザーとの楽しい生活だった。個々に色々な思い出があるので順番に話していくしかないと思う。ABCを考えながら名前をつけていたのか、最初はアンナ(A)、2番目は娘がつけてくれたベーβ(B)、次はチェルト(C)だった。D(ドクター)はカミさんの実家で付けてくれたが、病気して早くに亡くなった。今は嫁いだ娘の家で、エマ(E)が元気にしている。娘が合計、二頭の名付け親になった。1.アンナの物語最初の子はアンナと名付けた。AKCの登録はジョアンナだけれど、呼びにくいからアンナになった。会社の先輩の家で初めて目にした犬種だった。ミニチュア・シュナウザーと言った。アンナの父も母も、アメリカの元チャンピオン犬だった。<AKCの定義するミニチュア・シ...僕のシュナウザー物語Ⅰ
今回は僕のエッセイではなく、最近発見した親父の随筆「長谷川理弘と私」を紹介しよう。親父と同時代の画家、熊谷登久平の関係者から存在を教えてもらった。くたばった親父が、こうしたエッセイを書いていたとは、まったく知らなかった。1976年とあるから、親父が65歳くらいに書いたものだろう。長谷川利行は、今ではよく知られた画家だから、彼の日常を親しい友人だった親父の目を通して世の中に知ってもらうのもいいかも…と思ったわけだ。喧伝されているような、でたらめな利行ではなかったようである。<長谷川利行by徳山巍1929?>僕が一番びっくりしたのは、利行が僕の祖母の肖像画を描いていたことだった。戦争で焼けてしまったが、「靉光像」と同じような絵だったとある。残念。さて、ここから親父の随筆を続けよう。ちょっと長いから(原稿用紙で、8~...親父の随筆「長谷川利行と私」
2011.3.11東日本大震災の当日、僕は12:26’の「はやて」で、仙台を離れた。<仙台葛岡動物供養塔>あの日、14:26’発の「はやて」を予約していたが、マンションの引き渡しが11時過ぎに終わったので、降り出した小雪に背中を押されて僕は仙台駅へ。葛岡墓苑のミニチュア・シュナウザーの「チェルト君」の墓参りはやめて「ごめんね」と謝った。12:26’の「はやて」の指定席が取れた。地震が起きたのは14:46’。横浜駅から京急に乗って一駅の戸部を過ぎた時だった。その後、京急の線路を歩いて戸部駅へ。さらに横浜駅に向かった。中央通路は人で完全に埋まっていた。全ての電車が止まって、皆、帰宅困難者になっていた。かなり時間が経って駅に放送が流れた。岡野中学校に横浜市西区が避難所開設するという。僕も帰宅困難者で避難所を経験したが...3.11と6年間の仙台
自分の人生を、ある切り口で振り返ってみたいという気持ちで書いているエッセイがいくつかある。今回のテーマは「下宿とアパート」だ。僕が下宿生活を始めたのは、僕が大学に入学の時。大阪市立大学時代に、近鉄・南大阪線の河堀口(こぼれぐち)という駅の近くの下宿屋だ。もう名前さえ忘れてしまったけれど、ここは長い間、下宿を生業としてやっているプロの下宿屋さんだった。僕が入った時には二人先輩がいて、一人は商学部、もう一人は法学部の同じ市立大学の学生だった。昔からずっと、市立大生の下宿屋をやっていたようだ。大学ヘは、阪和線の美章園駅から杉本町だった。<大阪市大杉本キャンパスbyKishujiRapidCreativeCommons4.0>下宿というのは、朝飯と夕飯がついて、掃除と洗濯をしてくれる間借り生活と考えていただければいいだ...下宿とアパート
前回の「新型コロナから見えてくる地球温暖化」の続きです。<ダボスSustainableJapanよりお借りしました>いろいろな文献を読んでいたら、着目すべきコラムに出くわしました。それらを参照し、僕的にまとめてみたいと思います。まずは、2030年までに起きそうなリスクです。「世界経済フォーラム」2020のまとめです。<ダボス会議2020:Bloombsrg.co.jpよりお借りしました>次の10年間(~2030)に起こり得る上位リスクx6・異常気象(例えば、洪水、暴風)・気候変動へ適応の失敗:人類の行動大規模な自然災害(例えば、地震、津波、噴火、磁気嵐)生物多様性喪失と生態系の崩壊:絶滅危惧種が次々と消えて行っています人為的な環境破壊・災害水危機:アフリカ、アメリカで起きている実例があります。これらは、もう誰で...コロナ、SDGsと2030年
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