やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
旧中川の紫陽花が見頃です。あまり有名ではないのだけど、アジア系の外国人に人気なのです。あちこちで撮影中です。ふれあい橋の近くです。旧中川の紫陽花
堀切駅前交番です。この時期だけ商店街が盛り上がります。菖蒲園へ向かう遊歩道は紫陽花の散歩道です。やがて着きます。「堀切菖蒲園」です。こんなに混んでいる菖蒲園は初めてです。回遊して観賞します。菖蒲では無いけど…。首都高速中央環状線下の菖蒲園です。堀切菖蒲祭り
西日が眩しい三ノ輪橋の日光街道です。横断歩道の向こうに見つけました。「一升千円」!これは安い!「豚足煮こみ」680円も安い!さすがは元「新開地」です。西日が眩しいです。日本一安いキンミヤ焼酎
谷中は猫の町です。谷中銀座を行きます。珍しいです。「和栗や」が並んでいません。もう人気はかき氷でしょうか。見慣れた景色を行きます。もう見慣れましたが、ここのスーパーが廃業した時は驚きました。斜め向かいを更地になりました。観光客で賑わう谷中銀座も荒廃が激しいです。何の店だったか、もう忘れてしまいました。老舗の魚屋でした。老夫婦が地元民を相手に商っていました。丸い輪に店の看板が嵌っていました。かつて商店街組合が作ったものです。当時のまま残っている店が少なくなりました。カフェの隣の店も廃業しました。丸い輪っかが痛々しいです。電気屋です。本屋です。環境客相手ではなく、地元民の為の店です。飴屋です。電柱にはかき氷の「ひみつ堂」です。新興の店が賑わっています。梅雨の晴れ間の谷中銀座
ヘビ道を散策しています。民家が増えて来ました。あ、ここに移転していました「ヘイゴ・ニケ」。ヘビ道に民家が多くなる界隈です。曲がりくねった道は川の跡です。地盤の柔らかな所を削って川は流れます。元は藍染川です。藍染の生地を晒した川でした。道の左側が千駄木で、右側が谷中で、背後をちょっと行けば根津です。いわゆる「谷根千」です。店です。老人ホームです。ここに入るのも良いな、と思っています。コインランドリーです。今でも谷根千に銭湯があるのです。移転した靴屋跡です。ヘビ道の終点です。小説「三四郎」の主人公は、まだ藍染川だった頃、マドンナ美彌子と「谷中菊祭り」に来ました。目の前の三崎坂を右に行ったらすぐに、菊祭りの会場「大円寺」が在って、左に行くとすぐに老舗の「菊見せんべい」が現在も在ります。私は小説の舞台を歩いて来ま...ヘビ道から三崎坂
「ヘビ道」を散策しています。ここ好きです。ここは以前、「カメノコタワシ」でした。改装中です。新しい店舗が入るようです。振り返ります。ここではいつも振り返りたくなります。ヘビ道を往きます。また振り返ります。好きな景色です。この話、まだ続きます。「ヘビ道」を往くー2
根津の路地からやって来ました。「ヘビ道」です。この道は元「藍染川」です。暗渠になっています。お洒落で個性的な店舗を見ながら歩きます。ちょっと毛色が違う店もありです。脇路地を覗きます。ヘビ道を往きます。会社も在ります。この話、続きます。はてなblogdでは帰省時の記事を掲載しています。今日は火事の話です。「ヘビ道」を往くー1
谷中の「切手通り」は、その名のとおり切手商を中心とした、骨董街でした。この店は左半分が古本屋になりました。「めねふね堂」です。この紳士の像が好きです。骨董街って、扱う商品の目利きが命です。従ってセンスが良いです。この界隈のアンティークショップや骨董屋が激減しています。「メルカリ」とかを利用する人が増えた影響だと思います。流通形態が変わるとこうして街が変わります。残念です。「めねふね堂」の在る風景
見上げます。もう解体寸前の雰囲気です。いつもの路地も、随分とスッキリしています。ここに有った井戸が、影も形もありません。水槽と花が咲いているのは、誰かが住んでいる証です。ずっと前に切られた蔦が芽吹いています。その上の手すりに、切られた蔦が絡み付いたままです。ここには住んでないと思います。振り返ります。再開発が活発な界隈です。先を行きます。路地の突き当りです。突き当たりの路地を覗いたら、右にいつものまるヒです。反対側も、いつものパン屋です。営業中です。路地の向こうにまるヒです。この路地の風景は変わりません。時々見に来ます。井戸が有った家とまるヒとモジョモジョ
眩しい午後です。いつものように、愛車を置きます。石段を上がります。今日も休館のギャラリー猫町です。このレリーフが好きです。猫が見つめます。猫も好きなレリーフです。初夏の「猫町」
三崎坂と切手通りの角に、喫茶「乱歩」が在りました。谷中散策人の間では有名店でした。コロナ禍で閉店して、ずっとその行く先が気になっていました。建物はそのままで、経営者が変わったようです。近づいて眺めます。隣にも「Biscuit」が在ります。この店は以前から在りました。この看板も以前からのものです。それが両店の真ん中に置かれています。どうやら、隣りの店の経営者が元喫茶乱歩を改修して経営しているようです。乱歩の外観をそのまま残してくれたのがありがたいです。谷中の著名な風景をこれからも眺めることができます。閉店した5年前の乱歩はこちら。去年の乱歩はこちら。ずっと、復活を待っていました。喫茶「乱歩」が店変わりしていた。
砂町銀座は東西に長い商店街です。眩しい商店街を行きます。私の影が真下に落ちています。まだ人出が少ない商店街を行きます。冬には必ずTVに登場するおでん種屋です。振り返ります。逆光の商店街です。東へ行きます。商店街の東端です。いつも行列ができる焼き鳥屋です。振り返ります。梅雨が終わればもっと眩しくなります。真東に通じる砂町銀座
鳳明館の玄関前に大きな屋敷風の建築物が在ります。「鳳明館別館」です。「鳳明館本館」です。玄関に回ります。ここもカーテンが引かれています??インバウンドで何処の宿泊施設も満員だというのに?別館と本館の姿です。高校の修学旅行で本郷の旅館に泊まりました。非常に曖昧な記憶ですが、大きな旅館でした。この旅館だったように思っています。本郷は古い街です。少しずつ、ゆっくり変わっています。二つの鳳明館が無くなったら、高校生時代初めての東京にワクワクした思い出の地が、素っ気無いものになると思います。追記:読者さんが教えてくれました。鳳明館は大規模工事で改装中との事。この別館も残るんですね!良かった。「鳳明館別館」の在る風景
菊坂から登っている坂の途中です。本郷台地の頂上に続いています。ずっと見上げている急坂です。自転車を降ります。自転車を押し上げています。写真を撮ろうとすると、自転車がずり落ちそうです。もうすぐ台地の頂上です。振り返ります。気を抜くと自転車がヤバイです。目的地です。旅館「鳳明館」です。本郷は旅館街でした。玄関です。カーテンが閉まっています??旅館に休日なんてあるんだろうか?・・・だとしたら、閉館ですが、、、。旅館「鳳明館」の在る風景
結婚の話を切り出せないまま、マドンナを送ります。<現在><現在>なかなか映画と同じアングルが決まりません。よく見ると、手前の店を斜めに建て替えて、駅前広場を広く取っています。こんな店です。死んだ亭主の言うことは、安心して死ねるように話を合わせただけだと嘘を言います。いつもの、成就しそうになったら逃げてしまう寅次郎です。<現在>駅前の再開発で雰囲気がすっかり変わってしまいました。こうして残っている店の方が少ないです。別れです。<現在>旅に出る決心をします。<現在>さくらに送られている像そのもののエンディングです。「男はつらいよ寅次郎紙風船」の撮影現場ー5
掃除する御前様です。<現在>結婚する気になった寅次郎は御前様に訊きに来ました。「死別した女性が再婚するのに必要な日数はあるか?」御前様は「結婚しないのが淑女だ」と言います。<現在>頭にきた寅次郎は、掃除した落葉を源ちゃんに浴びせて去ります。<現在>マドンナがやって来ました。<現在>とらやの前です。<現在><現在>とらやの前の「い志い」です。<現在>この話、まだまだ続きます。はてなブログでは、角野栄子さんの「魔法の文学館」訪問記を掲載中です。荒川三歩「男はつらいよ寅次郎紙風船」の撮影現場ー4
そんな折、マドンナから手紙が来ます。大急ぎで寅次郎が訪ねて行きます。<現在>本郷です。景色の変化に驚きます。正面の信号は「菊坂下」です。従って背後には、樋口一葉が通った「伊勢屋質店」が在ります。本郷の坂を上がります。道路わきの住所表示が探索の参考になりました。<現在>ここです!<現在>マドンナは旅館の仲居をしています。<現在>もう旅館は在りません。本郷は旅館街でした。私も高校の修学旅行で本郷に泊まりました。現在はマンションです。なんか、旅館の玄関の雰囲気が残っていそうな感じです。寅さん映画の常連、関敬六さんが好い演技です。マドンナが出てきます。<現在>マドンナはテキヤの亭主から、「俺が死んだら寅の嫁になれ、あいつにもそう頼んでいる」と言われています。<現在><現在>とらやへの来訪を約束します。<現在>この...「男はつらいよ寅次郎紙風船」の撮影現場ー3
さくらの家です。各地に撮影現場がありますが、初めてさくら達が1軒屋に住んだ江戸川の土手下です。<現在>映画の、さくらの家の住所を頼りに探しに来ました。スマホのナビがこの辺りを案内しました。一番端の家です。近くには違いありませんが、分かりません。農作業の人が居ました。彼に訊きます。「寅さん映画の撮影現場を探しに来ました。さくらの家をご存じですか?」以下、彼との会話でこの話を進めます。「ウチの畑の先に4軒並びに家があったのよ。その内の1軒よ。あそこよ」と指指したのは、ナビが教えた畑でした。「4軒とも建て替わったのよ。30年くらい前に『北総鉄道』の高架ができて、セットバックして建て替えられたのよ。ウチの畑も削られたのよ」、質問します。「映画に出て来た鉄塔は何処へ行ったのですか?」「あれよ。残ってるよ」「北総鉄道...「男はつらいよ寅次郎紙風船」の撮影現場ー2
「寅さんシリーズ」第28作、マドンナは音無美紀子さんです。<現在><現在><現在><現在><現在><現在><現在><現在>この話、始まります。はてなブログでは、角野栄子さんの「魔法の文学館」訪問記を掲載中です。荒川三歩「男はつらいよ寅次郎紙風船」の撮影現場ー1
暖簾が夏風に靡きます。毎年梅雨明けした頃白色の暖簾に変わります。店の角です。緑の中に正岡子規の句碑が有ります。彼も夏目漱石も森鷗外も、ここの団子が好物でした。「芋坂も団子も月のゆかりかな」右はいも坂です。上野のお山から、この道を幕府軍が落ちて来て、武具甲冑を羽二重だんごの敷地に投げ捨てて、王子街道を逃げて行きました。6月16日は和菓子の日、らしいです。白い暖簾に変わったらかき氷が始まります。根岸の散策の途中です。「羽二重だんご」の在る風景
千場が艶やかです。浴衣地か手拭い地の乾燥中です。薫風に靡きます。隣りは親水公園です。真っ赤な花が満開です。ブラシノキです。初夏の風景です。いつまでも残って欲しい景色です。「えどがわ百景」の村井染工場
ちょうど電車が停まっていました。華やかなラッピングです。花咲く停留場です。出発します。見送ります。薔薇が残ります。もう、次の乗客が居ます。電車が到着します。やがて薔薇の中へ出て行きます。薔薇が残ります。夏日の5月です。薔薇と都電/三ノ輪橋停留場
都電と京成本線が交差する場所です。薔薇が満開です。見上げる中空に京成ライナーが鉄橋を渡ります。高架を潜って都電が来ました。停留場です。音で振り返ると、京成電車が行きます。都電は三ノ輪橋行きです。出発します。鉄橋を潜ります。薔薇の線路です。都電と薔薇/町屋駅前
写真の右下に紹介されているように、都電沿線の薔薇の名所です。初夏の陽射しの加減が好いです。線路沿いに移動して行きます。都電沿線の5月の薔薇です。そこに電車が走る風景です。薔薇と都電の沿線です。都電と薔薇/荒川車庫前ー荒川遊園地前間
いつも昼食を摂る店です。定食屋にしてはちょっとお高いけど、それだけの値打ちがある店です。その前が都電の線路です。大塚駅前と向原間の、薔薇が咲く坂です。一番に並んで食事を済ませました。今日は都電と薔薇を撮ります。薔薇が満開の坂です。都電が行きます。踏み切りからも見ます。薔薇の中を都電が上ります。見飽きません。都電と薔薇/大塚駅前ー向原間の坂
月曜日なので開店してるかな?と心配しながらやって来ました。営業中です。いつものように写真を撮らせて貰います。偶にはポーズ変えてよ、とリクエストしました。いつものように「きなこ棒」を引きます。今日も当たりません。もう1回引きますが、当たりません。実は一度も当たっていません。「当たり入っているの?」「入っているわよ。当たる人は良く当たるのね。当たりがわかるみたい」最近少なくなったと言っていた子供が来ました。お婆ちゃんご機嫌です。「今日は、前回撮影があった『youは何しに日本へ』の放送日を聞きに来ました」「聞いてないわよ。TV無いもの。そうそう、明日も撮影があるのよ。なんか60cmのロボットと長い間会話するらしいのよ」と言いながら企画案を持って来ました。「日曜マイチョイスソウダネくん」らしいです。この番組を知り...上川口屋と唐組撤収
吉原を横切って近道しようと思いました。ちらっと頭の隅で、大河ドラマの影響はないかと思っていたら、目の前に「耕書堂」が現れました。吉原を横切る路はいっぱい在るというのに、こんなこともあるんですね。犬が歩いたら棒に当たった思いです。千束4丁目の交差点です。歓楽街の真ん中です。近づきます。覗きます。この人が手招きします。入って行けと言います。写真を撮らせて下さいと言って、慌てて撮ったピンボケです。「お土産ショップですか?」と訊いたら、「そうです」との返事です。男子でも女子でも、ちょっと行きにくい場所ではあります。べらぼうの「耕書堂」吉原に現る!
上川口屋の隣りに参道が在ります。いつも燈明が灯っています。この景色が好きです。お参りします。先の場所に戻って、もう一方の参道へ向かいます。東京都の天然記念物の大銀杏です。武芳稲荷大明神を守るように立っています。色彩のバリエーションが少ない太古では、今以上に、この艶やかな配色が信仰心に繋がったことだと思います。無神者だけど、上手く色彩を利用したな、と思っています。古代から続く、日本の配色です。鬼子母神の大銀杏
鬼子母神の境内です。いつも上川口屋のお婆ちゃんが公演を教えてくれます。テントでの移動公演です。ここ以外に、新宿の花園神社でも行っているそうです。こちらが劇場入り口です。赤いテントと鬼子母神の建物が並ぶ姿が、昔の演劇公演のスタイルを語ります。今は見かけなくなった芝居興行の姿です。出し物はこれです。上川口屋のお婆ちゃんが「一度観なさいよ」と勧めてくれていたのに、唐十郎さんが亡くなってしまいました。大きなチャンスを逃した喪失感が拭えません。観ておけばよかったと後悔しています。境内のクスノキの枝葉に、テントの赤が映えています。なんか、キュンとします。雑司が谷「唐組」公演中
今が盛りの深緑です。夏日の太陽光を遮った枝葉で薄暗くなった参道です。木漏れ日の中を行きます。ちょっと並木ハウスを覗きます。木漏れ日を踏みながら、自転車を押します。見上げる空は視界いっぱい緑です。振り返ります。上川口屋のお婆ちゃんに会いに行きます。後ろ髪を引かれつつ行きます。やって来た駄菓子屋は、今日も休みです。最近週初めは殆ど休みです。新緑に包まれています。先日ここで「YOUは何しに日本へ」の撮影がありました。その放送日を聞きに来ました。上川口屋の向こうに赤テントが見えます。前回訪問時にお婆ちゃんが公演を教えてくれました。それもあって覗きに来ました。この話、続きます。深緑の鬼子母神参道
昌平橋通りを南下していました。「昌平坂学問所跡」の坂下です。正面に見えた郵便局がちょっと好いです。神田郵便局です。神田川の向こうに建っています。手前のレトロな高架はJR中央線です。ここから見上げると、JR総武線の鉄橋です。好いです。神田郵便局の在る風景
高砂から柴又へ行くのによくこの路を使います。帝釈天へ行く時は右の踏み切りを渡ります。遮断機に捕まりました。しょうがないので何気なくコインランドリーを眺めて電車の通過を持っていました。入り口の壁に何かいっぱいに貼られています。掲示板より先に中が気になったので入ります。「故障中」の洗濯機が幾つか有ります。よくあるコインランドリーの景色です。えっ!?壁を見てビックリしました。ビッシリと、ところ狭しと鉛筆画が貼られています!全部有名人の似顔絵です。壁から天井まで、隙間無く貼られています。・・・凄いねえ。電車の通過がよく見えるコインランドリーです。店を出て、改めて壁の貼り紙を見ます。この人の絵です。踏み切りを渡ります。すぐそこに、柴又駅のホームが見えます。振り返ります。遮断機に捕まって得をしました。人生、足止めも悪...柴又のコインランドリー
佃島は新旧が共存する街です。こんな路地の散策が好きです。最近特に、再開発で古い民家が取り壊されるのを見ます。この路地なんか、時代の流れの現場です。路地の左側が古い家並みで、右側が再開発した後建築されたマンションです。路地を行きます。突き当たりも最近建てられたマンションです。振り返ります。向こうの突き当たりもマンションです。表通りでも工事中です。まもなく、全てがマンションに替わりそうです。できるだけ見て、記憶と記録に残そうと思っています。再開発が進む佃島の路地
裏参道から帰ります。地の底へ向かうような階段です。この参道はいつから在ったのでしょうか?愛宕神社ができた時から在るのでしょうか。だとしたら、しんどくて誰も利用しなかったとも思います。あっ、「愛宕山隧道」が無かったんだ!じゃあ、ここを登ったんですね。信心深く無いとできないです。右下のお寺に杉田玄白の墓所が有ります。地上が見えました。愛宕山隧道です。都心のトンネルです。振り返ります。こんな参道です。愛宕神社裏参道
病院に来ると愛宕神社にお参りしますが、実はこの景色を見るのが重きを成しています。夕方のしっとり感です。昔はワインバーの入り口でした。時の流れを思います。愛宕神社裏の夕景
やっと病院の検査が終わりました。もう夕方です。「出世の石段」を上がります。心臓が悪い私の体調診断です。休まずに上がれるだろうか?85段をノンストップで上がり切りました。ゼイゼイ言いながら上がっている最中思いました。ここは勝海舟が西郷隆盛を伴って上がり、江戸の町を見せて「この百万の民を焼くのか!」と江戸城無血開城を迫った場所です。海舟はこの石段を上りながら、「ここがほら、曲垣平九郎殿が馬で上がり下りして、家光公に山上の梅を手折って献上した石段でござるよ」なんて言ったのかなあ、と思ったりしました。そんな事でも考えないと心が折れてしまう石段です。楼門が艶やかです。お参りします。係の人に促されました。「早くお参り下さい。14時で閉めます」えっ、初めて知りました。なるほど、閉めています。新たな発見がありました。知ら...愛宕神社は16時閉社
東武スカイツリーライン鐘ヶ淵駅です。埼玉に住んでいた頃は通勤に使っていて、「東武伊勢崎線」と言っていました。そんなことを思いながら、駅を見ていたら、すぐ脇の踏み切りの警報器が鳴りました。しまった、捕まりました。電車を眺めながら待つしかありません。電車が通り過ぎて、あっ、渡れる!と思いました。遮断機は上がりません。再び矢印が現れました。上りホームが見えます。浅草行きです。停まって、下車・乗車の後、出発です。早く出してよ、と思いながら眺めます。踏み切りから見えるだけに、気持ちが急きます。そうしたら、心配していたとおり、下り電車もやって来ました。OH!上り列車が出発します。下り列車がやって来ました。踏み切りで交差します。この瞬間だけ、ちょっと嬉しかったです。鐘ヶ淵の開かずの踏切
寂れてしまった商店街です。元「鐘ヶ淵西通り商店街」です。もう商店街のアーチも看板も有りません。商店街組合が解散したのだと思います。左手に昔懐かしい「散髪屋」が在ります。3色の回転灯は止まっています。ほんの2〜3年前まで、お爺さんが営んでいました。客もお爺さんでした。来し方を振り返ります。行く先を眺めます。ここは鐘ヶ淵紡績の企業城下町でした。さぞかし賑わった商店街だったと思います。企業の移転で取り残されました。商店街を出るとすぐ鐘ヶ淵駅です。廃業した散髪屋の在る風景
東京都美術館はよく展示品の「撮影可」の部屋を設けてくれます。ちょっと期待していました。ポスターの展示室が解放されていました!こんな素敵な配慮は進んで享受します。一緒にご覧下さい。どうだ!鑑賞者の少なさも分かると思います。こんなに恵まれた展覧会です。こんなに沢山でも見飽きません。覗いてみて、空いてればリピーターになります。ミロ展撮影可の展示部屋
展覧会は開催した数日後が一番空いているとの経験則を持っています。そのタイミングを逸しました。4月中旬に覗いたら、混雑ぶりに諦めました。ゴールデンウィーク前に覗いたら、がら空きです。勇躍チケットを買おうとしたら、「今日は小学生限定の観賞日です。一人だけ同伴できます」との事です。一人で来ているシニアは諦めました。連休明けです。がら空きです!チケットも買えました。私、抽象画は苦手ですが、ミロだけは好きなんです。あそこから先は撮影禁止です。・・・観賞を終えました。こんなにゆっくり見られたのは久しぶりです。とっても良かったです。長いエスカレーターを下って退館します。色彩鮮やかなミロの世界からそこは、深緑と静寂の上野公園です。ミロ展へ行く。
御前様の尻端折り姿はこの映画だけです。珍しいシーンです。さくらがバイクに乗っていますが、この後は全て自転車です。やっぱりさくらは、ママチャリが似合います。<現在><現在>寅次郎が失恋したあと、マドンナが訪ねて来ました。<現在>ここは参道入り口のおもちゃ屋前です。寅さん映画の最初から現在に至るまで在る老舗のおもちゃ屋です。観光地で玩具が売れるのか?不思議です。この27話から50話までずっと、満男役を吉岡秀隆さんが演じました。次回からセリフが多くなります。当時は「北の国から」の純を演じていて、国民的子役が寅さん映画に初出演しました。やがて寅さんシリーズの主役を務めるようになり、とうとう「Dr.コトー」になりました。我々寅さんファンは、時代の流れを見てきたように思います。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー3
門前にバイクが置かれています。源ちゃんは気になります。<現在><現在>なんと、さくらのバイクです。源ちゃんは「これ買うたん?ええなあ・・」<現在><現在>一度夕方の景色を撮りたいと思っていますが、自転車は夜の運転が危険で不安です。江戸川土手です。<現在><現在>背後の街灯の場所を探して構えたら、ちょうど自転車が通りました。<現在>ここが何処かと言うと、丸屋根の給水塔脇です。初夏の江戸川風景です。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー2
寅さんシリーズ第27話、1981年のお盆映画です。私は大阪勤務でした。でも、新世界へ行ったことがありません。マドンアは松坂慶子さんです。本映画は、瀬戸内海の島とか大阪とか、行きたい場所がいっぱい出ます。以前、「石切参道商店街」を舞台にしたNHKドラマ「寅やん」が放送されましたね。さくら役の松下奈緒さんが好演しました。懐かしいです。石切神社はでんぼ(おでき)の神様です。大阪勤務のとき、長男のアトピー性皮膚炎快癒のお参りに行きました。今も当時の様に賑わっているのでしょうか?でもなかなか行けません。今回も都内を探します。と言っても、今回の都内の撮影現場は柴又界隈だけです。<現在><現在><現在><現在><現在><現在>葦が茂って川に近づけません。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー1
山谷の角に、懐かしいたばこ屋が在りました。昔からここで営んで来たのでしょうね。家を建て替えても、お婆ちゃんが商売を続けているのでしょうね。右上のたばこ看板が素敵です。もう民家ばかりになった「アサヒ商店街」の傍です。たばこ屋の角を入ります。そこは簡易ホテル街です。山谷は肉体労働者の町でした。今は労働者が少なくなりました。この界隈は簡易宿泊所とかドヤ(宿の逆読み)と呼ばれた宿泊施設が並んで居ました。その名残りの景色です。山谷では、時々芸術に遭遇します。角を出たら遭遇しました。最近よく見掛けます。山谷は「吉原」の隣町です。どちらも台東区です。吉原遊郭を舞台にした大河ドラマ「べらぼう」が観光に貢献しています。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩角のたばこ屋を曲がると、
山谷の吉野通りです。「自家製珈琲屋バッハ」が在ります。隣は「谷屋」です。反対側は「ほていや」です。どちらも簡易ホテルです。山谷は肉体労働者の町です。界隈は「山谷のドヤ街」ですが、ここ吉野通り沿いは、今では小綺麗なホテルになっています。安さに惹かれて外国人が利用するホテルになっています。バッハです。中は広いです。肉体労働者とは縁遠い人々が寛いでいます。本格的自家焙煎珈琲屋です。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「バッハ」が在る風景
山谷の吉野通りに、「泪橋ホール」が在ります。背後が「泪橋」の交差点です。ほら、「あしたのジョー」で、丹下段平がボクシングジムを始めた場所です。今は橋も川もありません。「泪橋」の名前を残す場所や建物は、もう珍しいです。強烈なインパクトを与える看板です。映画館、ですよね。スカイツリーを望む吉野通りです。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「泪橋ホール」の在る風景
(今回は初めての試みです。はてなブログで書いた記事をこちらに貼り付けてみました。・・・どうも、写真サイズが違う様ですね)今日は裏口から覗きに来ました。異空間を覗きます。えっ⁈チェーンが渡されて、「関係者以外立入禁止」の札が掛かっています。・・・とうとうかあ。最近界隈では古い民家の解体が進んでいます。東京では新築マンションの相場が1億円超えです。異常だと思いますが、それでも外国人やパワーカップルが買うんです。雑司が谷は坂の多い街です。文人が多く住んだ街です。風情があって、居住希望者が多い街です。ここも解体されるのですね。こうして街が変っていきます。(はてなブログへの引越し作業中です。私の場合写真が約82000枚あって、引越し開始日が5/2で、移動できたのが29000枚少々です。この調子では1か月以上かかる計...「雑二ストアー」立ち入り禁止
前に訪れてからそんなに時は経っていません。見違えるような新緑に包まれた「矢切の渡し」です。こんなに客が居ます。やっぱり川遊びは夏の風情が必要ですね。渡しが来るのを待っています。舟が着いて下船する客がすれ違います。待っていた客が乗船します。満席のようです。こんなに客を残しています。もう一艘の渡し舟が矢切から来ました。二艘の舟がフル稼働のようです。さっきの客が矢切に向かいます。商売繁盛ですね。新緑の矢切の渡し
自転車を押して水元公園の中央広場を行きます。印象派の作品に「草上の昼食」ってありますよね。モネが見たら喜びそうな景色です。枯れ木が再生しています。生命の循環を感じます。草原を行きます。広い草原です。東京都23区内とは思えません。幸せ家族の景色です。人工渓流は草原を潤しながら、やがて「小合溜め」に注ぎます。人の心も潤します。水元公園草原のピクニック
目の前が緑です。水元公園の人工渓流です。太陽光を新緑が遮って薄暗い渓流です。中央広場を潤します。水元公園新緑の人工渓流
あんこう鍋の「いせ源」です。祭り提灯が出ています。先ずは、アンコウを見ます。季節は初夏です。あんこう鍋って、いつまで食べるのでしょう?盛夏は休業する店です。祭り提灯の風景を眺めます。老舗に良く似合います。斜め前は、甘味処の「竹むら」です。まだ祭り提灯は出ていませんが、準備はできています。竹むらの路地を入ると、呉服の「下久」にも祭り提灯が出ています。和の店だものね。一本隣の路地を行くと寄席の「連雀亭」です。和の文芸だものね。そして、路地の突き当たりのいせ源です。神田須田町に祭りが来ます。神田須田町に祭りが来る!
国技館に力士幟が出ています。5月場所が始まります。あれ、国技館の階段に学生が並んでいます。警備員さんが教えてくれました。隣にある高校の新3年生の、卒業アルバム用の撮影だそうです。恒例の行事らしいです。両国の高校は良いなあ。さて、待っていた大相撲の雰囲気を楽しみます。私、熱海富士と尊富士を優勝候補に挙げています。そして大榮翔も。大の里の「綱取り場所」です。もちろん優勝候補です。豊昇龍の先場所は期待外れでした。昇進した場所は、タニマチとの付き合いがあったりで、稽古不足や体調管理不足で成績が落ちる場合が多いです。大の里の壁になれるか?良い相撲を期待します。櫓を撮っていたら、卒業アルバム写真を撮っている高校生が見えました。撮ってやろうとしたら気付いて、手を振ったりピースサインをしたりと、無邪気で元気です。卒業アル...2025年5月場所始まる
新緑の下を行きます。水辺の遊歩道です。強めの風が気持ちいいです。例の桜です。緑の散策路が続きます。振り返ります。新緑の水辺の遊歩道です。水元公園新緑の水辺の遊歩道
どうしてもここに来てしまいます。だって、幸せそうなんですもの。1円玉以下の長さの魚を釣る人々です。花の下で死にたいと思っていますが、新緑の下でもOKです。願わくは緑の下にて夏死なんその卯月の望月のころ水元公園新緑のタナゴ釣り人
水辺のメタセコイヤが目に鮮やかです。青空が眩しいです。水面に映ります。中の島に東屋が存ります。少し風が吹きます。水面がそよぎます。振り返ります。新緑の水辺の東屋です。水元公園水辺の東屋
中央広場も人がいっぱいです。木の下にテントを構えます。木漏れ日が気持ち良さそうです。緑が鮮やかです。大きく深呼吸します。生きている実感があります。水元公園中央広場のピクニック
メタセコイヤの森はピクニックの人でいっぱいです。地面に落ちた木漏れ日の輪が、印象派の絵画のようです。ここに来ると、いつも見上げます。新緑の空です。憩いの森です。人は多いけど、静寂の森です。水元公園メタセコイヤの森で、
初夏の風情の水元公園です。強めの風が心地良いです。池畔を鯉のぼりが泳ぎます。新緑の遊歩道を行きます。メタセコイヤの森に入ります。水元公園の新緑を行く。
荒川河川敷はサイクリングロードです。印象的な木の新緑が盛んです。花壇にポピーが盛りです。総武本線が行きます。荒川河川敷にポピー咲く
何度も渡った交差点で信号待ちをしていました。今の前の住居の隣り街なので、何度もなんども信号待ちをした場所です。あれっ?銭湯の煙突が在る!?ずっと30年くらい気づかなかったのです??そうか、あの頃は銭湯に興味がなかったんだ。狭い路地を入ったら、堂々とした大きくて高い煙突です。玄関に回ります。周囲はマンションだらけです。これらは内湯があるよね。営業しているのだろうか?湯船の窓を見上げながら奥へ行きます。ボイラー脇です。これって、、燃料の廃材のようですが、埃が被っているような気がします。玄関に回りました。本格的銭湯の佇まいです。私の経験から、もう営業していないですね。残念です。また一つ日本の文化が消滅しました。銭湯「仲の湯」が在った風景
結局、とらやはマドンナを預かります。柴又での暮らしが展開されます。<現在>変わらない三角屋根です。<現在>土手の改修で、撮影場所が見付けられませんんが、雰囲気は一緒です。<現在><現在>今でもグラウンドが複数在って、野球やソフトボールが盛んです。そこにマドンナに逃げられた婚約者(恋のライバル)がやって来ます。<現在>変らないアーチです。<現在>「大和家」も変わりません。映画より繁盛しています。寅次郎は商売に出掛けます。マドンナが居るので旅に出ません。商売先は浅草です。<現在>「新世界」は、「娯楽のデパート」として1959年に開館しましたが、僅か13年の営業でした。1972年に閉館しています。跡地は「JRA場外馬券売り場」です。映像に映っている浅草五重塔はあちらの方向です。やがて、マドンナは婚約者の魅力に気...「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー3
朝日印刷の従業員が結婚しました。そんなめでたい折、寅次郎が北海道支笏湖で知り合ったマドンナが高級ホテルで結婚式を挙げていました。<現在>久し振りに「ホテルニューオオタニ」へ行ってみました。赤坂見附の交差点脇の堀に貸しボート屋と釣り堀が在ったよな、と思ってやって来ました。弁慶橋から眺めました。きつい紀尾井坂を漕ぎます。映像はこの角度です。説明板が有ります。なるほど。皇居(江戸城)に近い広大な土地だと思っていました。井伊家の屋敷跡だったんですね。結婚に乗り気の無いマドンナは式場から逃げ出して、とらやにやって来ました。マドンナの母が連れに来ました。「とらや」と「い志い」の前で見送ります。<現在>ここで「とらや」の向かいの店が気になりました。「い志い」です。ちゃんと残っていました。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー2
寅さんシリーズ第23作、1980年のお正月映画です。<現在>当時は平屋根でした。いつから円屋根になったかは、そのうちこのシリーズ映画で判明すると思います。<現在>マドンナは桃井かおりさん、恋のライバルは布施明さんです。<現在>朝日印刷の従業員の結婚式が行われました。<現在><現在>会場は「川チ屋」です。<現在>建て替わっています。現在も繁盛店です。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー1
いつもの散策の路地です。自転車で散策を始めた20数年前から気になっていました。始めて出荷の場に遭遇しました。製品を見るのも初めてです。玄関前に商品が並んでいます。今日は沢山の出荷があるようです。トラックが出て行ったので近づきました。おお、すき焼きに欠かせない「しらたき」です。私、夏でもすき焼きが好きです。墨田区向島の路地です。引越し先「はてなブログ」ではこちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。都電線路脇の佐藤錦のさくらんぼの話です。⇒荒川三歩蒟蒻問屋柳澤商店
自転車を停めました。人待ちの少女像です。会社の玄関に立って居ました。道路舗装会社らしいです。銅像の台座です。本社は新宿区に在ります。多くの支店が在って、ここは南関東支店らしいです。道路舗装会社と、憂いを含む少女像の関係は不明ですが、好い銅像です。さあ、病院への途中です。後ろ髪を引かれて、先を急ぎます。引越し先「はてなブログ」ではこちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。雑司が谷「上川口屋」のお婆ちゃんの話です。⇒荒川三歩人待ち像に出遭った。
佃島は、徳川家康関東移封の時に、大坂から付いてきた漁師の街です。小魚を煮詰めて作りました。3軒の老舗が在ります。我が家の佃煮は、ここ田中屋です。二軒隣りには「天安」です。田中屋です。天安です。天安と田中屋です。佃島は新旧が混在する街です。民家の屋根に超高層マンションが突き抜けます。今時珍しい酒屋も在ります。量販店に駆逐された酒屋が、どっこい生きています。佃小橋から見るマンション群です。そして、隅田川向こうの聖路加タワーです。この景色、永遠なれ!引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。⇒荒川三歩佃島は「佃煮」発祥の地
「月島西中通り三番街」の交差点に古いタイプの交番が在ります。「月島警察署西中通地域安全センター」です。背後には「聖路加タワー」がそびえています。隅田川の向こう側です。月島は新旧が混在する街です。この景色が代表的です。月島は「もんじゃタウン」です。数10軒のもんじゃ焼き屋が在って、その他の店はとても珍しい街です。その中で、メロンパンがとても売れている店が在ります。「月島久栄」4号店です。その隣がいつも訪れる路地です。例の、渡り廊下が有る家が工事中です。何か造るんだろうか?それとも、解体して超高層マンションを造るのか?いつもの丸カの看板です。その先のあそこでも足場が組まれた民家が在ります。あそこも解体でしょうか?振り返ります。下町感たっぷりの路地です。見上げます。さっき入って来た西中通りの向こう側の超高層マン...月島の路地を行く
もんじゃタウンを歩いています。この角を曲がります。路地裏にも「もん吉」が在ります。私のもんじゃデビューの店です。転勤で東京に来た私を、地元のOLが連れて来てくれました。外壁の至る所に、来店した有名人の写真が貼られています。先ず、この景色に驚きました。次に、出て来た料理に驚きました。振り返ります。初めは「沢山取らないように小さなヘラで食べる。お好み焼きの10倍くらいメリケン粉が薄い。なんて貧乏くさいんだ」と悪態をついていた私ですが、今はお好み焼きとは別種の食べ物だと認識しています。それどころか、もんじゃが好きです。そして、食べる店は、最初に刷り込まれたこの店です。早い時間なので、待たずに、かつゆっくり食べられます。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧くださ...路地裏もんじゃ「もん吉」
晴月橋から振り返る、晴海のウォターフロントのタワマン群です。晴月橋を渡ったら、景色が一変しました。下町の景色が拡がります。突き当たりは晴海4丁目の交差点です。さっき渡った橋って、晴海と月島を結ぶので「晴月橋」なんですね。脇路地も下町の風情です。あの超高層ビルは、月島に最近できたタワマンです。それでも周囲は下町の景色です。やって来たのは西仲通り、通称「もんじゃタウン」です。時代の流れです。商店街が無くなって、タワマン建設が進んでいます。11時前です。もんじゃ屋が営業を始めています。「もへじ」は数店舗を商う、もんじゃの老舗です。この話、続きます。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらをご覧ください。⇒荒川三歩晴月橋を渡って、
約10年ぶりです。「江東28湯」の一つです。訪ね歩いた以来の再会です。マットを干しています。現役ですね!変り振りが派手ですねえ!赤富士山が描かれています。玄関は美保の松原です。周辺は倉庫と大きな団地です。この景色は変わっていません。朝凪橋から覗く屋形船も派手ですねえ!橋を渡ると豊洲です。超高層マンションが乱立していて景色がガラリと変わります。同じ江東区ですが、銭湯は白山湯が南限です。<2014年訪問時の写真>シャッター絵が派手に変わったくらい繁盛していて欲しいです。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらをご覧ください⇒荒川三歩「白山湯」に再会した。
葛西臨海公園の一角に水族館が在ります。「葛西臨海水族園」がリニューアル工事の最中です。海水ゾーンは営業しているようです。こんなになるんですね。久しぶりに行ってみます。要はお土産売り場です。以前水族園の中に有った店がここに移ったのでしょうか?隣に、「マグロとせいくらべ」が有りました。以前は切符売り場脇に有ったのを覚えています。切符売り場です。以前と同じ場所に同じ建物で存在していました。突然30数年前の記憶が甦りました。岳父が上京して我が家に泊まりました。翌日長男も一緒に、3人でここに来ました。入場券を岳父が買ってくれると言うのでお任せしました。なんか窓口で手間取っているようでした。買って来た切符を渡しながら憤慨して言います。「老人は無料だと言うんだよ。免許証とか証明するものも見ずにだよ!失礼だろう」「免許証...葛西臨海水族園工事中
開通していると思ってやって来ました。旧晴海鉄道橋が整備されて遊歩道になる計画です。周辺は公園として整備が進んでいます。春海橋から眺めます。運河の向こうは豊洲です。一向に工事が進んでいません。永く放置された鉄道橋が遊歩道として蘇ります。完成したら渡ろうと構えています。まだかなぁ。旧晴海鉄道橋未だ開通ぜず
千住寿町の交差点です。ここの交差点を渡るときはいつも楽しみです。向かいのサンロードは、いつもかっこいいバナーを掲示します。横断歩道を渡って見上げます。「ぱあまやさん」脇のバナーです。ちょっと凝ったデザインですが、いつものセンスとは違うように思いました。バナーを読みました。「千住宿開宿400年」だって!知りませんでした。歴史がありますね。商店街中緑のバナーです。ということは?と覗きます。やっぱり!ハッピーロード商店会も緑です。千住宿を構成する商店街だものね。いつものようにサンロードを行きます。振り返ります。・・・ということは?やっぱり!「きたろーど100」も。・・・まさかあそこはね。と覗きました。えっ、有りました!殆ど民家になっていて、バナーなんか全然掲示したことが無い商店街なのに?「柳原商栄会」の緑看板と...千住宿開宿400年
東尾久8丁目に交番が在ります。街は初夏の陽気です。振り向きます。若葉が萌えています。東京都立大学荒川キャンパスです。大学前のバス停です。バスが到着しました。目に優しい緑です。空気が新鮮な気がします。ハナミズキが盛りです。一番好い季節です。いつの間にかバスは発車しています。校舎へ向かう石畳です。不思議と、いつも、殆ど人が居ないキャンパスです。新緑の東京都立大学荒川キャンパス
有名な「長命寺の桜もち」です。始めて店に入ります。葉桜の季節です。店を出て覗きます。生まれて初めて買いました。帰宅して開けました。菓子皿が見つからなかったので、取り敢えず。だって、甘いものなんて食べなかったから、仕舞い場所が分かりません。桜葉3枚に包まれていました。最近、時々甘いものが食べたくなります。味覚が変わったのでしょうか?病気じゃ無いよね。桜葉が良い香りです。次は「桜もち」の向かいの、「言問団子」を食べてみましょうか。長命寺桜もち葉桜の季節
東小岩を走っていたら、煙突が有りました。やって来たのは「亀の湯」です。銭湯は「松竹梅」とか「鶴亀」とか、おめでたい名前を付けます。従って老舗の銭湯だと思います。こちらが入り口のようです。現役なのだろうか?電光サインが有りました。なになに?おお!現役です。コインランドリーも清潔です。やっぱり、共同住宅との複合経営です。今はこの業態が生き残っている銭湯の主流です。裏に回ります。煙突を見上げます。頑張れ‼︎近くには、先の大阪場所で、三度目の優勝決定戦にまたも敗れた、高安が所属している「田子ノ浦部屋」がありますが、訪問しません。勝負の世界は勝ってなんぼです。・・とは言いつつも、優勝賜盃を抱かせてあげたい。東小岩で「亀の湯」に遭遇した。
五月場所が近くなりました。大の里の横綱挑戦場所です。先場所は12勝、しかも相星決勝戦を経てのものです。13勝はして貰わないと横綱には相応しくないと思います。えっ、豊昇龍と一緒だって?だから、ちゃんと勝って欲しいところです。伊勢ノ海部屋の裏口でまわしを干していました。朝稽古が終わったようです。五月場所が近いので稽古にも熱が入っているでしょうね。当番でしょうか、皆んなのまわしを干しています。爽やかな天気です。白いまわしは関取のものです。二人しか居ません。小結の錦木と十両の若碇です。まわしは洗いません。太陽光で殺菌します。それでホントにバッチくないの?優勝争いに絡みそうなのは、大榮翔でしょう。成績が安定しています。当然琴櫻も優勝に絡みたいところです。先場所メンタルの弱さを見せたのが気がかりです。そして、一場所で...五月場所が待ち遠しい
久しぶりに通ったら、こんな貼り紙が有りました。「新企画を検討中」だって!復活するんだ‼︎もう閉店して4〜5年になります。それが復活です。「ふんわり」ですか。どんなになるんだろう?谷中の丘の三叉路に立つ一本杉です。貼り紙どおり楽しみに、ふんわり待ちます。谷中の一本杉と「みかどパン店」の今
思ったより葉が繁っていました。風が強いです。新緑の鬼子母神参道です。木洩れ陽の石畳に踏み入れます。見上げる新緑です。いつものように覗きます。並木ハウスは登録有形文化財です。あれ?手塚治虫が住んでいた部屋の窓が開いています!?一瞬有形文化財だぞ、って思いましたが、アパートなんで人が住んでいて当たり前と言えば、当たり前です。手塚治虫先生の部屋に住んでいるなんて、羨ましい!門前から見る鬼子母神参道です。戻りました。参道を行きます。振り返ります。覗きます。見上げます。やって来た上川口屋は休みです。次回会ったら「私だって病院くらい行くわよ」ってお婆ちゃんが言うと思います。新緑萌える季節です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴して...新緑の鬼子母神参道
都電線路脇に花が盛りです。振り返る巣鴨新田近くのカーブです。前は、もうちょっと行けば庚申塚が見える辺りです。電車が近いです。線路脇が春真っ盛りです。やって来たのは庚申塚の茶屋ですが、、休みです。定休日なんてあったの!?そういうシスに変えたのかな?三ノ輪橋行きが出発します。早稲田行きが花の中へ出て行きます。遮断機が上がって、一斉に車が横断します。人も横断します。何人の人や車が横断したでしょう?そこは旧中山道です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴してやっと復活し、元の状態に戻ったと思っています。当分こちらgooblogと引越し先の「hatenablog」の2本立で継続するつもりです。引き続きよろしくお願い致します。引越し...都電線路脇は花ざかり
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やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
旧中川の紫陽花が見頃です。あまり有名ではないのだけど、アジア系の外国人に人気なのです。あちこちで撮影中です。ふれあい橋の近くです。旧中川の紫陽花
堀切駅前交番です。この時期だけ商店街が盛り上がります。菖蒲園へ向かう遊歩道は紫陽花の散歩道です。やがて着きます。「堀切菖蒲園」です。こんなに混んでいる菖蒲園は初めてです。回遊して観賞します。菖蒲では無いけど…。首都高速中央環状線下の菖蒲園です。堀切菖蒲祭り
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港
お台場を過ぎて、保養所跡も過ぎて、「椀船の港」近くに来ました。すぐ先が河口です。松の茂みが有ります。史跡「衣干岩」です。説明板です。こんな謂れの岩です。サイクリングロードになっています。歴史の道です。近くに菅原道真公を祀った「綱敷天満宮」が在って、「志々満保育園」が在ります。卒園生の私は物心ついた頃からこの岩の存在を知っていましたが、「菅原道真公」ゆかりの岩とは知らないで登っていました。ぐるりと回って眺めます。大きな松が枯れています。大人になって見ると低い岩ですが、数年前に登ってみたら、上で立つと結構高いです。今日は、止めました。由緒ある岩ですもの。衣干岩
東京の「お台場」が有名ですが、当時日本の沿岸に多くの台場が設けられたのではないでしょうか?そんな名残りです。少し高くなっていて、台場の名残りを留めています。江戸末期の遺跡がこんな風に残っています。子供の頃、周辺は海水浴場で賑わっていました。保養所が朽ちています。こんな施設と料理屋が界隈に沢山ありました。太平を謳歌していた江戸末期にあわただしく台場が造られて、昭和のレジャーブームが到来して、やがて誰も海水浴をしなくなりました。時代の変遷を感じます。桜井お台場跡