ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
吊るし柿かと思いました。家の前に立ったら、数珠暖簾かと思いました。よく見たら、全部大小の瓢箪です。小さいのは徹底的に小さいです。大きいのは徹底的に大きいです。よくこれだけ集めたものです。栽培しているのでしょうか?東四つ木の路地です。春らしい穏やかな日差しです。瓢箪の家
出ました!「見頃」です。いつものようにこの傘から始まります。額縁効果で眺めます。今年の六義園しだれ桜です。回遊式庭園です。こぶしの大木が2本有ります。花も盛りです。回遊します。木陰の茶店です。涼が欲しい天気です。ヤマブキも盛りです。紅葉狩りの時にも買った「東京やきもち」です。一周り回遊して戻って来ました。今年の六義園の桜です。見飽きません。六義園のしだれ桜咲く
鉢植えのしだれ桜が咲きました。玄関先です。ずいぶんと盆栽が増えたし、最近とみに枝ぶりがよくなりました。綺麗な花も咲かせています。親方の腕が上がっていますね。引退後の趣味としてやっていけそうです。大阪場所が終わった今は、地方巡業の最中です。もちろん親方も一緒です。盆栽を大事にしている親方の気持ちを推し察ります。菅原道真公じゃないけど、「あるじなしとて春な忘れそ」その気持ちを知ってか知らずか、しだれ桜が咲きました。あるじなしとて春な忘れそ
浅草寺宝蔵門前にインバウンドだかりがありました。ん、と見たら、門前のしだれ桜が満開です。基本ミーハーなので、和服のインバウンドに混じります。見事なしだれ桜です。日本らしい風景です。どうだ!「見てくれ、これが日本の桜だ!」と、杉本清さんばりに自慢したい気持ちです。「浅草寺宝蔵門」のしだれ桜
谷中の「夕やけだんだん」の丘の上です。「暮らしの道具谷中松野屋」の桜が咲きました。花が小さい種類です。あんずの花に似ていますがもっと小さいです。ゆすら梅くらいです。松野屋の店先です。店の人に種類を訊きました。「フジザクラ」との答えが返って来ました。「富士桜」と書くのでしょうか?アップでも撮らせてもらいます。小振りの花です。白とピンクの花です。春の色です。「最初は白くてだんだんピンクになるのよ」とのことでした。「夕やけだんだん」の丘の上の富士桜
谷中の丘の下の路地です。お馴染みのピンクの塀です。「修性院ほてい寺」です。昨年からずっと工事中です。それでも桜は咲きます。現場用の簡易トイレの傍だけど、、以上が「谷中の三大しだれ桜」です。ええ、私が勝手に名付けました。谷中のしだれ桜/修性院ほてい寺
塀の中でしだれ桜が咲きました。「長久山本行寺」です。別名「月見寺」です。山頭火の句碑も有ります。「ほつと月がある東京に来ている」小林一茶が度々茶会を催した寺です。「陽炎や道灌どのの物見塚一茶」太田道灌ゆかりの寺です。太田道灌が物見塚を築いた丘です。そして、「伊勢丹社員之墓」が有る寺です。その背後に、見事なしだれ桜が咲きました。ここには3本のしだれ桜が有ります。その内の2本が、前報の「長明寺」のしだれ桜と兄弟です。と言うか、たぶんさし木で増やしたのでクローンです。60数年前に両寺の住職が連れ立って、身延山で買い求めたそうです。門前のソメイヨシノは3分咲きです。谷中の丘の上です。谷中のしだれ桜/本行寺
この探索の最終回です。博の父が帰ります。<小ぎれいになってホームが長くなりました>見送るさくらです。<ホームが長くなって、街の景色も変わりました>電車が来ました。<正面の建物が、屋根と壁の色を変えて、そのままです。向かいのホームの上のビルもそのままです><電車が来ました。単線なので、ここですれ違うダイヤが多いです>寅次郎は商売に出掛けています。<商売の場所は浅草寺です。現在だったら、インバウンド相手に、寅次郎はどんな口上を述べるのでしょうか?><「二天門」です。戦災に遭った浅草寺では、この門だけが残りました。皆は素通りするけど、浅草寺で一番大切な「重要文化財」です><浅草寺の境内です。外国人ばっかりです>この映画は、マドンナが寅次郎に好意を告白する様な仕草を見せます。恋が成就しそうななるとはぐらかしてしま...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
今治の火災の件ではご心配をおかけ致しました。もう大丈夫な様です。情報が少ないのでニュースばかり見ていました。私の家の左隣、前隣、右3軒隣、左3軒隣の人がインタビューを受けていました。中には2日間登場した人も。一躍有名人になってしまいましたが、その集落が危険な状態にあったことが推察できました。今もしっかりした雨が降っているそうで、もう鎮火したと思います。ご心配ありがとうございました。特に、不眠不休で活動して頂きました消防関係の方々には感謝の言葉しかありません。心より御礼申し上げます。さて、谷中の長明寺です。「ほたるさわ」の文字は、昔門前には清流が流れていたのだと思います。今年も咲きました!年毎に観桜者が増えていきます。秘密の桜だったのに、門を改修してよく目立ちます。一気観です。桜の下に入ります。谷中の街に向...谷中のしだれ桜/長明寺
「矢切の渡し」です。とうとうこうなりましたか。竿が折れてどうするのかと思っていたら、こうですか。旗が汚いぞ!風がありますが、寒くはありません。客が来ました!船頭が「舟を出すぞお」と乗る人を呼んでいます。家族連れが来ました!舟が出ました。久しぶりに見る渡し舟です。景色は寒そうですが、土手には春の花、オオイヌノフグリです。私でも知っているくらいです。もっと他の名前は無かったのか、といつも思います。矢切の渡しの春
江戸川の土手を上がります。三角屋根の給水塔が現れました。土手上に上がります。振り向いて丸屋根を見ます。特に対岸の菜の花が満開です。丸屋根と菜の花を眺めます。自転車が行きます。この解放感が好きです。黄砂か?春霞の江戸川です。柴又土手の菜花満開!
南西日本各地の山火事の報に心を痛めている方もいらっしゃると思います。私事ですが、大叔母の家が全焼する映像が写されていました。大叔母はとっくに他界していて誰も住んでいなかったのが救いです。そんな中、今日のニュースに我が家が写っていました。我が家の前で隣のおじさんがインタビューを受けていました。こんな偶然に驚いています。今の所、我が家は無事そうです。ご心配くださいました方にお礼と無事の報告です。でもまだ収束していません。末尾になりましたが、消防関係の皆様方に御礼申し上げますとともに、被災された方にはお悔やみを申し上げます。線路脇のコインランドリーが印象的な踏み切りです。踏み切りから見る柴又駅のホームです。最近はこちらから帝釈天へ行きます。寅さん映画の現場を探しているので、最近よく柴又に来ます。警報が鳴って遮断...「柴又親商会」を行く
第21作目です。1978年のお盆映画です。<江戸川の護岸工事で景色が変っていますが、この辺りの風景です><映画のカメラはこの位置です><ここも景色が変っています。奥の三角屋根を忠実に丸屋根の橋げたに入れようとすると、川に入らなければなりません。ここまでです>広い原っぱを行く寅次郎の背中に見える、橋状の建築物が目に付きます。<あれは金町浄水場の「排水口」です。原っぱは草野球のグラウンドに変わりました><丸屋根と三角屋根から吸水して浄化した水の残りを、ここから江戸川に排出しています。よもぎ摘みのお婆さんが居ました>帝釈天の山門脇の玉垣です。<同じ名前を探そうと思ってやって来ましたが、作り変えていました。古い人の名前はどうするんだろう?>さくらがやって来ます。門前です。<現在の三門前です>源ちゃんの遊び相手は、...「男はつらいよ寅次郎わが道をゆく」の撮影現場
あ〜あ、捕まりました。高砂駅脇の踏み切りです。京成と北総電車がそれぞれ上下線が来ます。お昼過ぎなので、歩行者も車も少ないです。でも、捕まった人は堪りません。うわっ!遮断機と電車が近いです。偶然、車掌室が写っていました。北総電車の下りも行きます。さっきの北総電車の特急が通り過ぎて、警報器の矢印が3本になりました。北総の下りが行って、京成の下も行きます。京成の上りがやって来ました。北総の全てが通過して京成の上りが、まもなくホームに到着します。えっ!また来るの!?ええ~?渡って振り返ります。人も車も急いで渡ります。この時間帯でこうなのだから、朝夕のラッシュ時は容易に想像できます。線路脇の路地を行きます。よく見ると、北総電車がやって来ています。あっ、警報が鳴り始めました。こんなに線路が有るんだから、全線高架にしな...高砂駅今日も開かずの踏切
各地で山林火災のニュースが聞こえてきます。故郷の、父から相続した家に火が迫っている状況です。一昨日から気が気でありません。そんな状況で外出できていないので、既存の写真から記事を書きます。古い写真を見ていたら、再開発で消滅する「京成立石駅舎」と、すでに消滅した「呑んべ横丁」の店々に、もう一度日の目を見せてやろうと思いました。2018年8月の写真です。元々の広かった横丁の姿です。この長屋様の施設が「呑んべ横丁」でした。出入り口は各所にありましたが、看板はここだけです。いわゆる正門です。二階が住居でした。トイレはこの共同便所だけでした。客も住人もここを使います。従っていつも清潔に掃除されていました。元は南北に伸びる二つのアーケードが在って、中程に通路があって、二つの路地を繋ぐ「H型」の構造でした。その通路の東の...追憶在りし日の「呑んべ横丁」
根津の路地です。久しぶりにやって来たら、隣の家が無くなっていました。最近また界隈の建て替えが進んでいます。この家が孤独になりました。この家も無くなるのかなあ?それは寂しいぞ。よく見ておこう。やって来た路地です。あっちへ行きます。<この家、以前朝顔にハンドル取られた自転車が有った家です。当時の写真です>「朝顔につるべ取られて貰い水」の句を連想した家です。あれ以来気になっています。根津の朝顔の家が孤独
滝野川に架かる紅葉橋です。目を上げた先に、大きな煙突が有りました。銭湯だろうか?行かなかったら後悔するかも知れません。行ってみます。手前の大きな屋根は金剛寺です。あそこ迄は行ったことがあります。金剛寺です。「源頼朝の布陣伝承地」です。住宅の中に煙突が有ります。どうやら工場みたいです。銭湯じゃないんだ・・・。特殊化学薬品製造販売、写真処理薬品製造販売、試薬・理化学機器・分析機器の輸出入を営んでいる会社のようです。なんだ、銭湯じゃ無いのか!いやいや、社会に必要な会社じゃないですか!でもあの大きな煙突は、何を燃やすのだろうか?紅葉橋で煙突を見つけて、
「毎年よ彼岸過ぎまで寒いのは」正岡子規は母の言葉をそのまま俳句にしました。そのとおりの天気です。私の母も言いました。「親きょうだいと離れて暮らした人で、誰もお参りできんけん、あんたが親戚を代表してお参りするんよ」私が関東に転勤した時に母が言いつけました。もう40年くらい前の事です。以来、ほぼ年2回、彼岸にお参りして来ました。その母も亡くなって10数年になります。父方の叔父が亡くなったのは、もう50年くらい前になります。子沢山の貧乏農家だったので相続する田畑はありません。叔父は埼玉県に出て職を得、そこで亡くなりました。もう、父もその兄弟姉妹も全て居なくなりました。叔父の墓参りの後は、近くで昼食にするのが我が家の恒例です。蕎麦屋や回転寿司など、行きつけの店が変遷し、このイタリアンに定着するようになってもう5年...彼岸に必ず訪れる店
タイトルは「ししみづかじんじゃ」と読みます。背後は「鹿骨東小学校」です。住所表示板です。これらを根拠に、ずっと、もう20年以上、「界隈は鹿の骨が沢山出た場所で、そしてここが丘になっていて、鹿狩りの物見塚だった」んだと思っていました。鳥居脇に説明板が有ります。読みます。「この鹿見塚のあるあたりは、昔から鹿骨発祥の地といわれています。伝説によると、戦国時代のころ、興亡の激しい世の中を離れ、安住の地を求めて、石井長勝・牧野一族・中代一族および別系の石井一族が開拓しました。ある日のこと、日頃尊崇している鹿島大神が常陸(茨城)から大和(奈良)に向かう途中、大神の杖となっていた神鹿が急病で倒れたので、塚を築きねんごろに葬った所だと伝えられています。後略」あれ?違うじゃない!鹿狩りをした場所じゃなくて、神鹿を葬った場所...鹿見塚神社の在る風景
突然こんな案内板に出遭いました。文京区春日の丘の上です。初めてやって来た路です。この場所は旧水戸藩の後楽園に近いです。そういうことですか。「国際仏教学大学院大学」の敷地です。通用門脇です。隣は、地下鉄丸ノ内線です。この辺りは丘を穿った敷いた線路で地上を走っています。やって来た、下り坂の途中です。案内板の先は下り坂が続きます。ガタンゴトンと電車がやって来ました。近隣は日当たりの良い高級住宅街です。坂を下ります。「今井坂」と言うらしいです。神田川に至る坂です。「徳川慶喜終焉の地」に出遇う。
10数年前まで、都心に勤めていたこともあって、年に10度くらい観劇していました。今日は久しぶりの観劇です。昼間なので、家内と自転車でやって来ました。日比谷シティーの地下に駐輪しました。何かのイベント中です。一度だけ、2%と言われた抽選を潜り抜けて、ここで観たことがあります。あれで運を使い果たしたのだろうか?今日はここです。観るのはこのミュージカルです。私、ミュージカルが好きです。開演直後です。上演まで30分ありますが、待ち時間が苦痛ではありません。ワクワクしています。・・・やっぱり楽しかったです。再び病みつきになりそうです。久しぶりの観劇
久しぶりの松本楼での食事です。テラス席に座ります。まだ寒い風景です。花壇の花もこれからです。室内がちょっと気になります。暖かそうです。見上げます。早春の景色です。会社人時代のことです。年に一度開催される松本楼名物「100円カレー」を求める列を事務所の窓から見ていました。一度食べててみたいのですが、昼休み時間中に食べられる状態ではありません。指をくわえて長蛇の列を眺めていました。そんなことを思い出しながら、今日は野菜カレーにしました。酸味の強いカレーでした。久しぶりの味はやっぱり美味しかったです。赤くて丸いのは、梅干しではありません。焼きミニトマトです。結局100円カレーは食べたことがありません。久しぶりの松本楼カレー
北大塚の路地に迷い込んでいました。今はこの道に迷った状況を楽しんでいます。突き当たりに「銀行研修社」なるビルが在る路地に出ました。行職員向けの教育資料等の制作及び研修の実施を生業とする会社のようです。そんな職種があるんですね。会社前の路地です。こちらへ行きましょう。また住宅街の狭い路地に入りました。下り坂です。あの先に何が現れるのか?ワクワクドキドキの散策です。「銀行研修社」が在る路地
寅次郎のアドバイスでデートする事になったワット君です。<今も「園田神佛具店」が健在です>映画を観てご飯を食べて、不忍池でデートです。<現在この時期の不忍池は、蓮が池の半分ほど刈り取られています><映画のシーンは、池の真ん中の遊歩道です>不忍池の貸しボート場です。<現在の貸しボート場です。映像は、思いっきり昭和の風情です>池の向こうに中華の銘店「東天紅」が見えます。大竹のさんの服装が、ぽっと出の田舎娘が一所懸命お洒落しました感が出ていて良いですね。<東天紅も建て替わっています。場所は変わってないと思います>沈黙の気まずい雰囲気です。<ここだと思うんだけど、男女のカップルではありませんでした。外国人旅行者です。背中をお借りしました>この後、ワット君は失恋したと誤解してガス自殺を図りますが、死ぬ前に「最後の一服...「男はつらいよ寅次郎頑張れ」!の撮影現場ー2
1778年のお正月映画です。<今も「園田神仏具店」は健在です>ゲストの中村雅俊さんはとらやの下宿人です。職業は電気工事技師で、あだ名は「ワット」君。帝釈天表参道商店街をとらやに帰って来ます。<「神明會」の看板は今も変わりません><映画の映像の右手「清酒大関高木屋酒店」は、10数年前からくず餅の「船橋屋」に代わっています><今日は「だるまや」は休みです。老舗のおもちゃ屋です>「高木屋老舗」が見えます。<老舗店は現在も健在です。当時は、船橋屋の場所で酒屋も営んでいたのでしょうか?それとも、高木さんと同姓でしょうか?親戚かも?>おばちゃんの食事に飽きたと、寅次郎は町のご飯屋に出掛けます。「えびす家」の前を通ります。<現在の「えびす家」です><今も現役です><こちらが表でしょうか?>寅次郎は道路を渡った店に入りま...「男はつらいよ寅次郎頑張れ!」の撮影現場ー1
西ヶ原4丁目の踏み切りから眺める都電です。すれ違います。停車します。アパートが残されました。そこにはずっと、人が座っていました。梯子で上がった塀で、エアコンの排水管らしいものをいじっています。この部屋は窓の上にエアコンが有るようです。業者の人でしょうか?それとも、ここで新たに生活を始める人でしょうか?ブロック塀と生垣の間に、出入り口の木戸が有ります。ここも線路から家に入る造りらしいです。新たなストーリーが始まる季節です。西ヶ原4丁目での生活
カラー煉瓦を踏んで訪れました。玄関から裏庭を見通します。裏庭に回ります。庭木はまだ冬の風情です。旧宣教師館は春の陽射しの下です。今日は紫木蓮を観に来ました。どの枝も一斉に芽生えています。外からも観ます。隣の医院の玄関先にミモザが咲いていました。紫木蓮と一緒に見上げます。雑司が谷にも春が来ました!「雑司が谷旧宣教師館」紫木蓮芽生える
路地を走っていたら、石段に行き当たりました。引き返そうと思ったら人が来ました。「石段の下は、自転車が走れる道ですか?」「はい、走れますよ」とのことです。行きます。石段で私を追い越した中学生です。彼らの後を追います。左折した彼らを更に追います。急な下り坂です。彼らを追い越しました。あ、「石神井川」に出ました。上流側です。下流側です。染井吉野が咲く気配はありません。電車が現れました。ああ、好いですね!川沿いはずっと遊歩道です。花が目立つ季節になりました。春です!路地を行ったら「石神井川」に出た。
雑司が谷は坂の街です。丘の上の路地を曲がったら、狙いどおりミモザが咲いていました。春の景色です。見上げます。春色です。このお宅はいつも玄関に飾ります。さすがは雑司が谷!センス良いです。雑司が谷にも春が来ました。雑司が谷の丘の上にミモザ咲く!
「これ『佐藤錦』なのよ。夜店で買った苗をここに植えたの。もう30年以上前のことよ。肥料も何にもやらなかったけど、こうして毎年さくらんぼができるのよ。お食べなさい」とおばちゃんが枝ごと切って呉れてからもう4年です。今年も咲きました!都電の線路脇です。可憐な桜です。やっと巡って来た春の、都電との風景を楽しみます。都電が大塚と向原の間の坂をゴトンゴトンと上がって来ます。心がほっこりします。待ちに待った春の風景です。待っていた春の、都電線路脇の空です。都電脇に「佐藤錦」咲く!
いつもの事ですが、いつもあまり季節感が無い井戸です。季節の花を撮ろうと思いました。あれっ?あの植木鉢の杉は、以前に井戸の前に有ったやつです。この家のものでしたか!?いつものように振り返ります。あっ、小さな桜の木に芽が有ります。季節のカケラです。春が遅い池之端の井戸
いつもの桜が咲きました!今年も見事です。上野公園入り口の交番脇です。大寒桜なので、いつも早く春を知らせてくれます。信号が変るのももどかしく横断歩道を渡ります。場所柄、外国人観光客が集まります。反対側も満開です。交番も一緒に。桜の下から見上げます。河津桜よりソメイヨシノに近い花弁なので、ソメイヨシノが咲く期待が膨らみます。春よ来い!上野公園の大寒桜咲く!
長命寺にやって来ました。ここは、隅田川七福神の一神で、弁財天を祀っています。卒園式の季節です。松尾芭蕉の句碑です。ほかにも沢山の句碑が有ります(殆ど知らない人です)。長命寺といえば、誰でも知っています。「長命寺の桜もち」です。裏に店が在ります。ここから行けます。ここに正岡子規が住んでいました。そこには桜が満開です!大寒桜だと思います。春よ来い!早く来い!長命寺の春・桜もち
咲きました!鳥居の左右に二種類の桜が咲きました。植物に疎いので他の人のブログを参考に、左が寒緋桜で右が河津桜だそうです。奥に黄色い花が見えます。ミモザです。境内一杯の人出です。見上げます。ミモザと寒緋桜のコラボレーションです。春の風景です。今年は天候不順で寒かったです。やっと心が軽やかになります。この景色にウキウキします。寒緋桜と河津桜のコラボレーションです。帰り際に振り返ります。お参りはしません。長蛇の列です。春だぞー!蔵前神社に今年も咲いたミモザと桜
深川は新しい店が増え続けています。路地の更に奥、「裏路地」っていうのでしょうか?今日も見つけました。「AKIRA」と有ります。矢印からすぐ、ここです。入って来た路地を振り返ります。AKARI
2か月に一度の「足立市場祭り」です。例によって、マグロを買いに来ました。この並び具合では、1時間弱ですね。もう列の長さで待ち時間が判断できます。いつもの「三上水産」です。数多く在る魚屋の中で、私はここです。人気店です。作業を見ながら列が進みます。こちらは冷凍マグロのコーナーです。私は解体販売の生本マグロが目的です。最近また値上がりしました。1パック赤身1600円、中トロ1700円、大トロ2000円です。以前(って言ってもコロナ禍前)は、赤身と中トロが1000円、大トロが1500円でした。それはそれはお値打ちで、早起きは三文以上の得だったのです。無事買った後は市場内をうろついて、掘り出し物を見つけます。営業は11時迄ですが、10時半を過ぎたら、完売売り切れの店もあります。高くなったとはいえ、庶民が2か月に一...足立市場祭り
先ずは「新坂」の頂上です。そこは青山通りの「カナダ大使館」です。日本に数在る大使館の中でも大きい敷地と建物です。知りませんでした。ウクライナ侵攻以降、「カナダはウクライナと寄り添います」の文言と、ウクライナの国旗を掲示しているんですね。ロシアの侵攻に対してアメリカがロシアによってしまった現状では、NATOが結束して、己と「国際正義」を守らなくてはならなくなりました。頑張れ‼︎目の前は「赤坂御用地」です。新坂に向かう路地脇は、大使館員の住居です。ここからずっとカナダ大使館の土地です。「新坂」はここから急坂になります。「しんざかができた当時は新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄十二年(1649)である。しんさかとも発音する。」新坂を下ります。振り返る坂の中間くらいの場所です。お洒落な建物が在ります。「...「赤坂・新坂」界隈の風景
1976年のお盆映画です。マドンナは大地喜和子さん、ゲストは宇野重吉さんです。多くの人がこの作品を、「男はつらいよ」シリーズ50作中の、「最高傑作」と言います。さて、今回も映画の現場を探します。この道路(国道6号線・水戸街道)はよくこの映画に登場します。右端から寅次郎が帰省しました。当時は江戸川土手と通じていましたが、現在は江戸川の改修工事の為に建て替わって、柵で通行できません。<橋げたを入れようとすると、川に入らなければなりません><橋げたの形状が変っていますが、背景の常磐線の鉄橋が在る風景は変わりません>映画を撮影した約50年前くらいは、寺社に自分の千社札を貼るのが流行っていました。世相が映っています。<剥がしても貼る奴が今でも居るんですね>参道商店街です。<最近外国人の観光客が増えてきました。寅さん...「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」の撮影現場
旧中川の花見です。今日は墨田区の「ゆりのき橋」まで来ました。橋から覗きます。河津桜が綺麗に咲いている場所ですが、この先は荒川へ旧中川の水を排水する木下川排水機場があるので、船舶は進入禁止です。橋の手前で我慢します。旧中川は海抜ゼロメートル地帯に在るので、適宜排水する必要があります。橋の手前で河津桜を楽しみます。ここには墨田区の艇庫が在ります。背後の煙突は、墨田区隅田清掃工場です。沢山の人が楽しんでいます。我々に声が掛かります。挨拶して手を振り合います。満開の河津桜です。カヤックで花見/ゆりのき橋の河津桜
清澄白河駅の近く、三好の路地にこんな案内板が立っていました。矢印は横路地を指しています。行ってみます。ここらしいです。振り返ります。あそこから入って来ました。全体像を見ます。好いです。正式な店名は「佐渡保存」でしょうか?ご飯屋です。「佐渡島のおばんざいと塩むすび」を提供しているのでしょうか?ガラス戸の右端には「只今の時間はご予約で満席です。」と有ります。残念です。次回覚えていて空席が有ったら覗いてみます。佐渡島のおばんざいと塩むすび
「立石一丁目児童遊園」です。立石駅通り商店街と立石仲店が見通せる場所に在ります。⑦大空翼銅像(ヒールリフト)です。あの彼は私に追いつけませんでした。追いついたら、ヒールリフトポーズを見せてくれたのでしょうか?次へ行きます。立石駅前ギャラリーを通り抜けます。「立石みちひろば」です。隅っこのあそこに有ります。再開発中の商店街の傍です。⑧若林源三銅像です。さて、やって来ました。定時制課程がある高校です。映画「男はつらいよ寅次郎かもめ歌」のマドンナ伊藤蘭さんが通った夜学はここです。そしてここがキャプテン翼の作家の母校です。⑨大空翼銅像(ツインシュート)です。こんな楽しい探索でした。「キャプテン翼」の銅像めぐりー4
やって来ました。「渋江公園」です。ここで先ず目に付くのは「セルロイド工業発祥記念碑」です。背後の像です。子供が座っている台に、線描で赤ちゃんのオモチャが描かれています。私もセルロイドの起き上がり小法師と撮った写真が残っています。ここら界隈が発祥だったのですね。彼が追いつきました。狭い範囲に銅像があるので、徒歩でも自転車に追いつきます。⑥岬太郎の銅像です。彼は銅像の横に並んで、同じポーズを取りました。何だか我々は馴染んで来ました。でも、次はちょっと距離があります。「立石仲店」前を通って、「立石駅通り商店街」へ入ります。界隈の商店連合会は、すべて「キャプテン翼」のバナーです。次の目的地は、この商店街の右です。「キャプテン翼」の銅像めぐりー3
「四ツ木つばさ公園」です。園児が遊んでいました。③大空翼銅像です。背後からも見ます。春らしい季節になりました。国道6号線沿いです。ここに有るのは、④ロベルト本郷&大空翼銅像です。若者がスマホを差し出して、「写真を撮ってください」と頼まれました。撮ってあげます。「どこから巡っているの?」と訊くと、「①から」とのことです。「じゃあ次は郵便局だね。一緒だね」「中沢早苗ですね」彼は徒歩です。自転車の私は「時々遭いそうだね」と別れます。ここには水路が在ります。もう使われてない井戸の跡です。水が豊かな地域です。「四つ木めだかの小道」は、元「曳舟川」です。この川で、船を綱で曳いたことによる名前です。歌川広重も描いた歴史的名所です。やって来たのは葛飾郵便局です。その前に有ります。⑤中沢早苗銅像です。さっきの彼がやって来ま...「キャプテン翼」の銅像めぐりー2
立石駅前ギャラリーの絵は「キャプテン翼」に替わっています。そこにはこんな案内も有ります。「キャプテン翼銅像めぐり」です。作者が地元出身ってことで、8年前に四つ木と立石の各所に銅像を設置しました。この機会です。久しぶりに巡ってみます。番号順に巡ります。スタートに際して、案内どおり「元サッカー日本代表北沢豪さんの足型レリーフ」を訪ねます。やって来たのは四ツ木駅です。見上げるのはホームの外壁です。駅入り口です。改札口に向かう階段です。その正面に有ります。足型です。8年くらい前に初めて見た時は、凄い!と思いました。この案内板の下です。それでは、①石崎了銅像です。四ツ木駅のすぐ傍です。見上げるのは四ツ木駅のホームの端です。その下です。外国人も撮っていました。日本のアニメの影響は凄いです!次は②日向小次郎銅像です。四...「キャプテン翼」の銅像めぐりー1
まるで冬景色ですね。ショーウインドーの飾り付けは「春」です。テラスに人は居ません。今日は反対側から眺めて歩きます。ちょっと気になったこちら側です。寒そうに歩いて居ます。三菱一号館美術館前でも。春待ち丸の内です。春待ちの「丸の内仲通り」
東京は三寒四温の最中です。陽射しは明るいけど、風は冷たいです。日比谷公園の鶴の噴水を巡ります。春待ちの景色です。日比谷公園鶴の噴水春待ち
木々の緑は程遠いです。草花も程遠く、テラス席に客は居ません。春待ちの松本楼です。春待ちの「松本楼」
帝釈天の山門から参道商店街へ出ます。いつもの帰り道です。西陽に向かって、店を眺めながら歩きます。鎌倉街道の信号待ちです。柴又駅前です。春の午後です。帝釈天参道商店街の春景
1977年のお正月映画です。マドンナは京マチ子さん、ゲストは檀ふみさんです。今回も映画の現場を探します。<現在の看板です>マドンナの家の方向を教えます。<現在千社札は随分少なくなって綺麗になりました>タコ社長が金策に出ます。<「金子屋」が健在でした>マドンアの回復を祝う御前様です。ゲストは満男の学校の代用教員です。<さて、近隣で背後がすぐ土手になっている小学校はここだけです><江戸川土手下に在る「東京都葛飾区立金町小学校」です。映画ではブロック塀ですが、建て替わっていると思います><金町浄水場の給水塔傍です><柵から見上げる江戸川土手です。ここしかないと思うのですが、ここでしょうか?>映画での正門です。<正門に移動します>映画では校舎の向こうに江戸川の土手が見えます。<現在も見えます!玄関周りが同じ設計で...「男はつらいよ寅次郎純情詩集」の撮影現場
東日暮里の路地から銭湯の煙突が見えました。銭湯だ!行って行ってみます。この景色に見覚えがあります。路地の角にあるコインランドリーです。表に回りました。やっぱり!黄金湯だ!!コインランドリーは営業中です。玄関です。暖簾が掛かっています!営業しています!でも、シャッター下ろしたまま暖簾を出すかな?建物の周りはきれいです。営業中だと思います。初めて来た時以来、強く印象深く覚えています。隣の店の「ガチャガチャ」です。下町らしい、と思いました。店はとっくに閉店した雰囲気です。一部は壊れています。使えるのか?そもそもこの状態でコインを入れようと思う人が居るだろうか?中を覗きました。景品が有ります!このガチャガチャ使えるのか??こちらも・・・。ん〜ん、この状態、なんて言えば良いのかなあ?「黄金湯」健在!
東日暮里の路地で「帝国湯」と再会しました。ずいぶん久しぶりです。ぱっと見、綺麗に清掃しています。これって、営業中の感じです。他の施設を眺めます。コインランドリーもきれいです。ただ、コインランドリーだけ営業しているケースもあります。どうなんだろう?玄関を眺めます。駐車場もこのとおり。各地で銭湯が閉鎖され続けています。入浴に遠くまで行かなければなりません。銭湯に乗用車で行く時代です。温泉じゃあるまいし・・・。裏にまわって煙突を見上げます。きれいに塗装されています。なんと、隣の民家が更地になっていました。帝国湯がよく見えます。営業再開だったら、銭湯好きとしては、嬉しい!「帝国湯」営業再開している?
芦が密生した水路に大人が群がっています。水元公園の水路です。タナゴ釣り人達です。ただし、ここは成長したタナゴが住む場所です。本物のタナゴ釣り人は、こちらの水路に居ます。ここにはタナゴが産卵するカラス貝が居て、孵化した小さなタナゴが居る場所です。直径2センチの1円玉より小さいタナゴを狙う、名人の釣り場です。孤高の名人の姿です。春まだ浅い釣り場です。初春のタナゴ釣り人
1977年のお盆映画です。マドンナは真野響子さん。ゲストは嵐寛寿郎さんです。例によって、撮影の現場を訪ねます。先ずは冒頭の、監督や俳優がノリノリで演じる小芝居の後の、タイトルまでのシーンから。<帰省の際に撮った写真が有ります><夕日が海に沈む駅です><下灘の春景色です><「伊予灘物語」に乗った時、熱烈歓迎を受けました>タイトルバックです。<愛車を置いてみました><ここに有った石灯篭が無くなりました><当時は千社札が沢山貼られていました><いつの間にか「柴又帝釈天」の石柱が立ちました。昔から有ったような気がしますが><変わらない景色です>源ちゃんが殿様をとらやに案内します。<「川チ屋」は改装して商売繁盛です>マドンナの住む団地を訪ねます。寅次郎が戸惑いの表情で地図を見ています。<その筈です。広大な団地です。...「男はつらいよ寅次郎と殿様」の撮影現場
京成立石駅前が再開発中です。殺風景な工事フェンスに、水彩画のギャラリーが有りますが、今はこの水彩画ではなくなりました。今は「キャプテン翼」ですが、私は前の郷愁を誘う絵が好きです。今日は「立石駅東踏み切り」です。絵の現場です。現在再開発工事中です。工事中でも好いです。一つ東先の踏み切りからも。無くなってしまう景色です。立石駅前ギャラリーの現場/立石駅東踏み切り
深川の清洲橋通りです。「清洲寮」が在ります。昭和8年竣工のアパートです。しっかりした建物です。1階の一部は店舗です。地下鉄徒歩1分の好立地です。入居できるそうです。好いなあ。清洲寮
深川の「清洲橋通り」沿いです。ちょっとシックで好い感じの建物が在りました。行ってみます。玄関です。「みのむら」と読むそうです。不動産会社らしいです。玄関脇に何か有ります。「第7回江東区まちなみ景観賞」です。「魅力ある都市空間づくりに寄与されたことをたたえます」だって。清洲橋通りです。清洲橋・都心方面です。反対側を行くと荒川です。・・こんなに車が通らないタイミングも珍しい。隣は「焼肉ドラゴ」です。経営者は元関脇貴闘力です。彼は、先場所優勝決定戦に臨んだ王鵬の父親です。王鵬は来場所念願の新三役、しかも一足飛びで関脇です。間の路地の20m先には、王鵬が所属する「大嶽部屋」が在ります。そして斜め前は「中村中・高校」です。この建物も好いです。これも含めて「景観賞」です。三野村株式会社の在る風景
深川の裏路地です。飲食店が在りました。この街では若者の新規開店が活発で、界隈では新しい飲食店が増えています。ここもその一つだと思います。テラス席です。玄関です。メニュー看板です。店名看板です。春の陽射しです。Artrie3rdStreetCafe
一昨日の夕刊に載っていました。高知県香南市手結(てい)港の可動橋です。私、何も知らずにたまたま橋が上がるのを見ました。その時の興奮を思い出しました。振り返り記事で、その興奮をお届けします。新聞記事「いいね!探報紀」の現場
河津桜開花の便りが聞こえて来ました。春の陽気です。水辺が恋しい気温です。久しぶりにカヤックの記事です。「ふれあい橋」です。江東区と江戸川区を結ぶ橋です。橋を潜ると、ピンク色です。咲きました!江戸川区平井界隈の土手です。旧中川は江東区と江戸川区を分ける川です。皆さん楽しんでいます。我々も楽しんでいます。総武線の鉄橋を過ぎた所です。こちらは数年前に植えた河津桜です。花見を満喫しました。帰ります。ふれあい橋からも花見です。カヤックで花見/旧中川に河津桜咲く!
伝通院の前は「善光寺坂」です。道路の真ん中に、大きな椋の木が立っています。暖かい陽射しの坂を下ります。ここは映画「男はつらいよ寅次郎恋愛塾」の撮影現場でした。於大の墓で想い出しました。こちらを参照願います。「善光寺坂」の風景
伝通院にやって来ました。特に理由はありません。傍を通ったら、陽当たりが良さそうだったからです。伝通院といえば徳川家康の母「於大」のお墓があることで有名です。於大の墓から、大きな本堂の屋根と、白梅が見えます。気持ちいい天気です。隣に、於大と並んだ複数の墓が有ります。「大姉」の戒名なので、於大の娘かも知れないと思いました。よし、今日は徳川家の墓を勉強しようと思い立ちました。「千姫」の墓です。周辺には将軍の縁者の墓が多く有ります。将軍は別の場所に祀って、ここは縁者の墓所としたのだと思います。ほんの一部を紹介します。11代徳川家斉の子供の墓が多く有ります。彼は多くの子供を作り、全国の大名家に嫁がせたり養子に出したりしてみんな親戚にして、徳川家の安定を図った功労者です。この辺りは側室の墓です。ここにも家斉の子供の墓...伝通院は徳川将軍縁者の菩提寺
暖かい陽射しが注ぐ「東尾久3丁目」早稲田行き停留場です。春色の電車がやって来ました。停車したら停留場が隠れてしまいました。三ノ輪橋行きが通り過ぎます。長閑な風景です。その路地を覗くと、下町の風景です。銭湯の大きな煙突が見えます。「大門湯」です。手前の店も閉店しました。入浴後に買い物をして帰る人が多かったと思います。銭湯脇の路地にも商店が在りました。ここも閉店しました。もう、「暫く休業します」の貼り紙も無くなりました。大門湯は、一度閉店しましたが、数年後に再開しました。隣の商店だけでなく、界隈の住人も喜んだと思います。2度目の休業が続いています。大門湯と共に生活していた町です。皆んな諦めた風情です。また季節が巡って、時が過ぎて行きます。都電脇に「大門湯」が在った風景
しばらく訪問していません。気になったのでやって来ました。燃料が山積みです。健在なようです。玄関前は飛鳥山です。花見の名所です。あのビルは「渋沢資料館」です。坂から振り返ります。えびす湯はこの商店の向こう側です。入り口スペースが有って銭湯は見えません。廃材とか燃料等の搬入があるので、入り口スペースが必要です。坂を下ったら、都電荒川線です。飛鳥山停留場です。春が来ました。1ヶ月もしないで、全山満開です。都電脇に「えびす湯」の在る風景
「ブログリーダー」を活用して、荒川三歩さんをフォローしませんか?
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港