早咲きの桜が咲きました。隅田公園は花見の人でいっぱいです。スカイツリーと桜を撮ります。ソメイヨシノは五分咲ですが、春の景色です。隅田公園に桜咲く
今日 | 03/31 | 03/30 | 03/29 | 03/28 | 03/27 | 03/26 | 全参加数 | |
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総合ランキング(IN) | 1,025位 | 1,049位 | 985位 | 984位 | 1,016位 | 985位 | 998位 | 1,040,069サイト |
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浅草寺宝蔵門前にインバウンドだかりがありました。ん、と見たら、門前のしだれ桜が満開です。基本ミーハーなので、和服のインバウンドに混じります。見事なしだれ桜です。日本らしい風景です。どうだ!「見てくれ、これが日本の桜だ!」と、杉本清さんばりに自慢したい気持ちです。「浅草寺宝蔵門」のしだれ桜
谷中の「夕やけだんだん」の丘の上です。「暮らしの道具谷中松野屋」の桜が咲きました。花が小さい種類です。あんずの花に似ていますがもっと小さいです。ゆすら梅くらいです。松野屋の店先です。店の人に種類を訊きました。「フジザクラ」との答えが返って来ました。「富士桜」と書くのでしょうか?アップでも撮らせてもらいます。小振りの花です。白とピンクの花です。春の色です。「最初は白くてだんだんピンクになるのよ」とのことでした。「夕やけだんだん」の丘の上の富士桜
早咲きの桜が咲きました。隅田公園は花見の人でいっぱいです。スカイツリーと桜を撮ります。ソメイヨシノは五分咲ですが、春の景色です。隅田公園に桜咲く
吊るし柿かと思いました。家の前に立ったら、数珠暖簾かと思いました。よく見たら、全部大小の瓢箪です。小さいのは徹底的に小さいです。大きいのは徹底的に大きいです。よくこれだけ集めたものです。栽培しているのでしょうか?東四つ木の路地です。春らしい穏やかな日差しです。瓢箪の家
出ました!「見頃」です。いつものようにこの傘から始まります。額縁効果で眺めます。今年の六義園しだれ桜です。回遊式庭園です。こぶしの大木が2本有ります。花も盛りです。回遊します。木陰の茶店です。涼が欲しい天気です。ヤマブキも盛りです。紅葉狩りの時にも買った「東京やきもち」です。一周り回遊して戻って来ました。今年の六義園の桜です。見飽きません。六義園のしだれ桜咲く
鉢植えのしだれ桜が咲きました。玄関先です。ずいぶんと盆栽が増えたし、最近とみに枝ぶりがよくなりました。綺麗な花も咲かせています。親方の腕が上がっていますね。引退後の趣味としてやっていけそうです。大阪場所が終わった今は、地方巡業の最中です。もちろん親方も一緒です。盆栽を大事にしている親方の気持ちを推し察ります。菅原道真公じゃないけど、「あるじなしとて春な忘れそ」その気持ちを知ってか知らずか、しだれ桜が咲きました。あるじなしとて春な忘れそ
浅草寺宝蔵門前にインバウンドだかりがありました。ん、と見たら、門前のしだれ桜が満開です。基本ミーハーなので、和服のインバウンドに混じります。見事なしだれ桜です。日本らしい風景です。どうだ!「見てくれ、これが日本の桜だ!」と、杉本清さんばりに自慢したい気持ちです。「浅草寺宝蔵門」のしだれ桜
谷中の「夕やけだんだん」の丘の上です。「暮らしの道具谷中松野屋」の桜が咲きました。花が小さい種類です。あんずの花に似ていますがもっと小さいです。ゆすら梅くらいです。松野屋の店先です。店の人に種類を訊きました。「フジザクラ」との答えが返って来ました。「富士桜」と書くのでしょうか?アップでも撮らせてもらいます。小振りの花です。白とピンクの花です。春の色です。「最初は白くてだんだんピンクになるのよ」とのことでした。「夕やけだんだん」の丘の上の富士桜
谷中の丘の下の路地です。お馴染みのピンクの塀です。「修性院ほてい寺」です。昨年からずっと工事中です。それでも桜は咲きます。現場用の簡易トイレの傍だけど、、以上が「谷中の三大しだれ桜」です。ええ、私が勝手に名付けました。谷中のしだれ桜/修性院ほてい寺
塀の中でしだれ桜が咲きました。「長久山本行寺」です。別名「月見寺」です。山頭火の句碑も有ります。「ほつと月がある東京に来ている」小林一茶が度々茶会を催した寺です。「陽炎や道灌どのの物見塚一茶」太田道灌ゆかりの寺です。太田道灌が物見塚を築いた丘です。そして、「伊勢丹社員之墓」が有る寺です。その背後に、見事なしだれ桜が咲きました。ここには3本のしだれ桜が有ります。その内の2本が、前報の「長明寺」のしだれ桜と兄弟です。と言うか、たぶんさし木で増やしたのでクローンです。60数年前に両寺の住職が連れ立って、身延山で買い求めたそうです。門前のソメイヨシノは3分咲きです。谷中の丘の上です。谷中のしだれ桜/本行寺
この探索の最終回です。博の父が帰ります。<小ぎれいになってホームが長くなりました>見送るさくらです。<ホームが長くなって、街の景色も変わりました>電車が来ました。<正面の建物が、屋根と壁の色を変えて、そのままです。向かいのホームの上のビルもそのままです><電車が来ました。単線なので、ここですれ違うダイヤが多いです>寅次郎は商売に出掛けています。<商売の場所は浅草寺です。現在だったら、インバウンド相手に、寅次郎はどんな口上を述べるのでしょうか?><「二天門」です。戦災に遭った浅草寺では、この門だけが残りました。皆は素通りするけど、浅草寺で一番大切な「重要文化財」です><浅草寺の境内です。外国人ばっかりです>この映画は、マドンナが寅次郎に好意を告白する様な仕草を見せます。恋が成就しそうななるとはぐらかしてしま...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
前回の続きです。マドンナが通って来る柴又駅です。<現在の看板です>「とらや」でトラブを起こした寅次郎が、「もう二度と柴又には帰らない!」と啖呵を切ったものの、マドンナに会ってしまって去り難い寅次郎です。そこにさくらが現れます。<背後の店は何度か業種が変わりました>「とらや」に居たくて仮病を使います。気を利かせたマドンナが呼んだ救急車で運ばれる寅次郎です。<右の商店が「くず餅の船橋屋」に変っています>マドンナが住む町の駅です。<京成立石駅です。現在再開発工事中で、階段が短くなっています。高架化で、やがて無くなります。左に見えていたホームも無くなりました><現在は階段の右側に臨時のホームが在ります>改札の階段を降りたらそこは商店街です。<こちらの階段は、工事中で閉鎖されています><出た先は、お馴染みの「立石仲...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
今治の火災の件ではご心配をおかけ致しました。もう大丈夫な様です。情報が少ないのでニュースばかり見ていました。私の家の左隣、前隣、右3軒隣、左3軒隣の人がインタビューを受けていました。中には2日間登場した人も。一躍有名人になってしまいましたが、その集落が危険な状態にあったことが推察できました。今もしっかりした雨が降っているそうで、もう鎮火したと思います。ご心配ありがとうございました。特に、不眠不休で活動して頂きました消防関係の方々には感謝の言葉しかありません。心より御礼申し上げます。さて、谷中の長明寺です。「ほたるさわ」の文字は、昔門前には清流が流れていたのだと思います。今年も咲きました!年毎に観桜者が増えていきます。秘密の桜だったのに、門を改修してよく目立ちます。一気観です。桜の下に入ります。谷中の街に向...谷中のしだれ桜/長明寺
「矢切の渡し」です。とうとうこうなりましたか。竿が折れてどうするのかと思っていたら、こうですか。旗が汚いぞ!風がありますが、寒くはありません。客が来ました!船頭が「舟を出すぞお」と乗る人を呼んでいます。家族連れが来ました!舟が出ました。久しぶりに見る渡し舟です。景色は寒そうですが、土手には春の花、オオイヌノフグリです。私でも知っているくらいです。もっと他の名前は無かったのか、といつも思います。矢切の渡しの春
江戸川の土手を上がります。三角屋根の給水塔が現れました。土手上に上がります。振り向いて丸屋根を見ます。特に対岸の菜の花が満開です。丸屋根と菜の花を眺めます。自転車が行きます。この解放感が好きです。黄砂か?春霞の江戸川です。柴又土手の菜花満開!
南西日本各地の山火事の報に心を痛めている方もいらっしゃると思います。私事ですが、大叔母の家が全焼する映像が写されていました。大叔母はとっくに他界していて誰も住んでいなかったのが救いです。そんな中、今日のニュースに我が家が写っていました。我が家の前で隣のおじさんがインタビューを受けていました。こんな偶然に驚いています。今の所、我が家は無事そうです。ご心配くださいました方にお礼と無事の報告です。でもまだ収束していません。末尾になりましたが、消防関係の皆様方に御礼申し上げますとともに、被災された方にはお悔やみを申し上げます。線路脇のコインランドリーが印象的な踏み切りです。踏み切りから見る柴又駅のホームです。最近はこちらから帝釈天へ行きます。寅さん映画の現場を探しているので、最近よく柴又に来ます。警報が鳴って遮断...「柴又親商会」を行く
第21作目です。1978年のお盆映画です。<江戸川の護岸工事で景色が変っていますが、この辺りの風景です><映画のカメラはこの位置です><ここも景色が変っています。奥の三角屋根を忠実に丸屋根の橋げたに入れようとすると、川に入らなければなりません。ここまでです>広い原っぱを行く寅次郎の背中に見える、橋状の建築物が目に付きます。<あれは金町浄水場の「排水口」です。原っぱは草野球のグラウンドに変わりました><丸屋根と三角屋根から吸水して浄化した水の残りを、ここから江戸川に排出しています。よもぎ摘みのお婆さんが居ました>帝釈天の山門脇の玉垣です。<同じ名前を探そうと思ってやって来ましたが、作り変えていました。古い人の名前はどうするんだろう?>さくらがやって来ます。門前です。<現在の三門前です>源ちゃんの遊び相手は、...「男はつらいよ寅次郎わが道をゆく」の撮影現場
あ〜あ、捕まりました。高砂駅脇の踏み切りです。京成と北総電車がそれぞれ上下線が来ます。お昼過ぎなので、歩行者も車も少ないです。でも、捕まった人は堪りません。うわっ!遮断機と電車が近いです。偶然、車掌室が写っていました。北総電車の下りも行きます。さっきの北総電車の特急が通り過ぎて、警報器の矢印が3本になりました。北総の下りが行って、京成の下も行きます。京成の上りがやって来ました。北総の全てが通過して京成の上りが、まもなくホームに到着します。えっ!また来るの!?ええ~?渡って振り返ります。人も車も急いで渡ります。この時間帯でこうなのだから、朝夕のラッシュ時は容易に想像できます。線路脇の路地を行きます。よく見ると、北総電車がやって来ています。あっ、警報が鳴り始めました。こんなに線路が有るんだから、全線高架にしな...高砂駅今日も開かずの踏切
各地で山林火災のニュースが聞こえてきます。故郷の、父から相続した家に火が迫っている状況です。一昨日から気が気でありません。そんな状況で外出できていないので、既存の写真から記事を書きます。古い写真を見ていたら、再開発で消滅する「京成立石駅舎」と、すでに消滅した「呑んべ横丁」の店々に、もう一度日の目を見せてやろうと思いました。2018年8月の写真です。元々の広かった横丁の姿です。この長屋様の施設が「呑んべ横丁」でした。出入り口は各所にありましたが、看板はここだけです。いわゆる正門です。二階が住居でした。トイレはこの共同便所だけでした。客も住人もここを使います。従っていつも清潔に掃除されていました。元は南北に伸びる二つのアーケードが在って、中程に通路があって、二つの路地を繋ぐ「H型」の構造でした。その通路の東の...追憶在りし日の「呑んべ横丁」
根津の路地です。久しぶりにやって来たら、隣の家が無くなっていました。最近また界隈の建て替えが進んでいます。この家が孤独になりました。この家も無くなるのかなあ?それは寂しいぞ。よく見ておこう。やって来た路地です。あっちへ行きます。<この家、以前朝顔にハンドル取られた自転車が有った家です。当時の写真です>「朝顔につるべ取られて貰い水」の句を連想した家です。あれ以来気になっています。根津の朝顔の家が孤独
滝野川に架かる紅葉橋です。目を上げた先に、大きな煙突が有りました。銭湯だろうか?行かなかったら後悔するかも知れません。行ってみます。手前の大きな屋根は金剛寺です。あそこ迄は行ったことがあります。金剛寺です。「源頼朝の布陣伝承地」です。住宅の中に煙突が有ります。どうやら工場みたいです。銭湯じゃないんだ・・・。特殊化学薬品製造販売、写真処理薬品製造販売、試薬・理化学機器・分析機器の輸出入を営んでいる会社のようです。なんだ、銭湯じゃ無いのか!いやいや、社会に必要な会社じゃないですか!でもあの大きな煙突は、何を燃やすのだろうか?紅葉橋で煙突を見つけて、
「毎年よ彼岸過ぎまで寒いのは」正岡子規は母の言葉をそのまま俳句にしました。そのとおりの天気です。私の母も言いました。「親きょうだいと離れて暮らした人で、誰もお参りできんけん、あんたが親戚を代表してお参りするんよ」私が関東に転勤した時に母が言いつけました。もう40年くらい前の事です。以来、ほぼ年2回、彼岸にお参りして来ました。その母も亡くなって10数年になります。父方の叔父が亡くなったのは、もう50年くらい前になります。子沢山の貧乏農家だったので相続する田畑はありません。叔父は埼玉県に出て職を得、そこで亡くなりました。もう、父もその兄弟姉妹も全て居なくなりました。叔父の墓参りの後は、近くで昼食にするのが我が家の恒例です。蕎麦屋や回転寿司など、行きつけの店が変遷し、このイタリアンに定着するようになってもう5年...彼岸に必ず訪れる店
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早咲きの桜が咲きました。隅田公園は花見の人でいっぱいです。スカイツリーと桜を撮ります。ソメイヨシノは五分咲ですが、春の景色です。隅田公園に桜咲く
吊るし柿かと思いました。家の前に立ったら、数珠暖簾かと思いました。よく見たら、全部大小の瓢箪です。小さいのは徹底的に小さいです。大きいのは徹底的に大きいです。よくこれだけ集めたものです。栽培しているのでしょうか?東四つ木の路地です。春らしい穏やかな日差しです。瓢箪の家
出ました!「見頃」です。いつものようにこの傘から始まります。額縁効果で眺めます。今年の六義園しだれ桜です。回遊式庭園です。こぶしの大木が2本有ります。花も盛りです。回遊します。木陰の茶店です。涼が欲しい天気です。ヤマブキも盛りです。紅葉狩りの時にも買った「東京やきもち」です。一周り回遊して戻って来ました。今年の六義園の桜です。見飽きません。六義園のしだれ桜咲く
鉢植えのしだれ桜が咲きました。玄関先です。ずいぶんと盆栽が増えたし、最近とみに枝ぶりがよくなりました。綺麗な花も咲かせています。親方の腕が上がっていますね。引退後の趣味としてやっていけそうです。大阪場所が終わった今は、地方巡業の最中です。もちろん親方も一緒です。盆栽を大事にしている親方の気持ちを推し察ります。菅原道真公じゃないけど、「あるじなしとて春な忘れそ」その気持ちを知ってか知らずか、しだれ桜が咲きました。あるじなしとて春な忘れそ
浅草寺宝蔵門前にインバウンドだかりがありました。ん、と見たら、門前のしだれ桜が満開です。基本ミーハーなので、和服のインバウンドに混じります。見事なしだれ桜です。日本らしい風景です。どうだ!「見てくれ、これが日本の桜だ!」と、杉本清さんばりに自慢したい気持ちです。「浅草寺宝蔵門」のしだれ桜
谷中の「夕やけだんだん」の丘の上です。「暮らしの道具谷中松野屋」の桜が咲きました。花が小さい種類です。あんずの花に似ていますがもっと小さいです。ゆすら梅くらいです。松野屋の店先です。店の人に種類を訊きました。「フジザクラ」との答えが返って来ました。「富士桜」と書くのでしょうか?アップでも撮らせてもらいます。小振りの花です。白とピンクの花です。春の色です。「最初は白くてだんだんピンクになるのよ」とのことでした。「夕やけだんだん」の丘の上の富士桜
谷中の丘の下の路地です。お馴染みのピンクの塀です。「修性院ほてい寺」です。昨年からずっと工事中です。それでも桜は咲きます。現場用の簡易トイレの傍だけど、、以上が「谷中の三大しだれ桜」です。ええ、私が勝手に名付けました。谷中のしだれ桜/修性院ほてい寺
塀の中でしだれ桜が咲きました。「長久山本行寺」です。別名「月見寺」です。山頭火の句碑も有ります。「ほつと月がある東京に来ている」小林一茶が度々茶会を催した寺です。「陽炎や道灌どのの物見塚一茶」太田道灌ゆかりの寺です。太田道灌が物見塚を築いた丘です。そして、「伊勢丹社員之墓」が有る寺です。その背後に、見事なしだれ桜が咲きました。ここには3本のしだれ桜が有ります。その内の2本が、前報の「長明寺」のしだれ桜と兄弟です。と言うか、たぶんさし木で増やしたのでクローンです。60数年前に両寺の住職が連れ立って、身延山で買い求めたそうです。門前のソメイヨシノは3分咲きです。谷中の丘の上です。谷中のしだれ桜/本行寺
この探索の最終回です。博の父が帰ります。<小ぎれいになってホームが長くなりました>見送るさくらです。<ホームが長くなって、街の景色も変わりました>電車が来ました。<正面の建物が、屋根と壁の色を変えて、そのままです。向かいのホームの上のビルもそのままです><電車が来ました。単線なので、ここですれ違うダイヤが多いです>寅次郎は商売に出掛けています。<商売の場所は浅草寺です。現在だったら、インバウンド相手に、寅次郎はどんな口上を述べるのでしょうか?><「二天門」です。戦災に遭った浅草寺では、この門だけが残りました。皆は素通りするけど、浅草寺で一番大切な「重要文化財」です><浅草寺の境内です。外国人ばっかりです>この映画は、マドンナが寅次郎に好意を告白する様な仕草を見せます。恋が成就しそうななるとはぐらかしてしま...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
前回の続きです。マドンナが通って来る柴又駅です。<現在の看板です>「とらや」でトラブを起こした寅次郎が、「もう二度と柴又には帰らない!」と啖呵を切ったものの、マドンナに会ってしまって去り難い寅次郎です。そこにさくらが現れます。<背後の店は何度か業種が変わりました>「とらや」に居たくて仮病を使います。気を利かせたマドンナが呼んだ救急車で運ばれる寅次郎です。<右の商店が「くず餅の船橋屋」に変っています>マドンナが住む町の駅です。<京成立石駅です。現在再開発工事中で、階段が短くなっています。高架化で、やがて無くなります。左に見えていたホームも無くなりました><現在は階段の右側に臨時のホームが在ります>改札の階段を降りたらそこは商店街です。<こちらの階段は、工事中で閉鎖されています><出た先は、お馴染みの「立石仲...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
今治の火災の件ではご心配をおかけ致しました。もう大丈夫な様です。情報が少ないのでニュースばかり見ていました。私の家の左隣、前隣、右3軒隣、左3軒隣の人がインタビューを受けていました。中には2日間登場した人も。一躍有名人になってしまいましたが、その集落が危険な状態にあったことが推察できました。今もしっかりした雨が降っているそうで、もう鎮火したと思います。ご心配ありがとうございました。特に、不眠不休で活動して頂きました消防関係の方々には感謝の言葉しかありません。心より御礼申し上げます。さて、谷中の長明寺です。「ほたるさわ」の文字は、昔門前には清流が流れていたのだと思います。今年も咲きました!年毎に観桜者が増えていきます。秘密の桜だったのに、門を改修してよく目立ちます。一気観です。桜の下に入ります。谷中の街に向...谷中のしだれ桜/長明寺
「矢切の渡し」です。とうとうこうなりましたか。竿が折れてどうするのかと思っていたら、こうですか。旗が汚いぞ!風がありますが、寒くはありません。客が来ました!船頭が「舟を出すぞお」と乗る人を呼んでいます。家族連れが来ました!舟が出ました。久しぶりに見る渡し舟です。景色は寒そうですが、土手には春の花、オオイヌノフグリです。私でも知っているくらいです。もっと他の名前は無かったのか、といつも思います。矢切の渡しの春
江戸川の土手を上がります。三角屋根の給水塔が現れました。土手上に上がります。振り向いて丸屋根を見ます。特に対岸の菜の花が満開です。丸屋根と菜の花を眺めます。自転車が行きます。この解放感が好きです。黄砂か?春霞の江戸川です。柴又土手の菜花満開!
南西日本各地の山火事の報に心を痛めている方もいらっしゃると思います。私事ですが、大叔母の家が全焼する映像が写されていました。大叔母はとっくに他界していて誰も住んでいなかったのが救いです。そんな中、今日のニュースに我が家が写っていました。我が家の前で隣のおじさんがインタビューを受けていました。こんな偶然に驚いています。今の所、我が家は無事そうです。ご心配くださいました方にお礼と無事の報告です。でもまだ収束していません。末尾になりましたが、消防関係の皆様方に御礼申し上げますとともに、被災された方にはお悔やみを申し上げます。線路脇のコインランドリーが印象的な踏み切りです。踏み切りから見る柴又駅のホームです。最近はこちらから帝釈天へ行きます。寅さん映画の現場を探しているので、最近よく柴又に来ます。警報が鳴って遮断...「柴又親商会」を行く
第21作目です。1978年のお盆映画です。<江戸川の護岸工事で景色が変っていますが、この辺りの風景です><映画のカメラはこの位置です><ここも景色が変っています。奥の三角屋根を忠実に丸屋根の橋げたに入れようとすると、川に入らなければなりません。ここまでです>広い原っぱを行く寅次郎の背中に見える、橋状の建築物が目に付きます。<あれは金町浄水場の「排水口」です。原っぱは草野球のグラウンドに変わりました><丸屋根と三角屋根から吸水して浄化した水の残りを、ここから江戸川に排出しています。よもぎ摘みのお婆さんが居ました>帝釈天の山門脇の玉垣です。<同じ名前を探そうと思ってやって来ましたが、作り変えていました。古い人の名前はどうするんだろう?>さくらがやって来ます。門前です。<現在の三門前です>源ちゃんの遊び相手は、...「男はつらいよ寅次郎わが道をゆく」の撮影現場
あ〜あ、捕まりました。高砂駅脇の踏み切りです。京成と北総電車がそれぞれ上下線が来ます。お昼過ぎなので、歩行者も車も少ないです。でも、捕まった人は堪りません。うわっ!遮断機と電車が近いです。偶然、車掌室が写っていました。北総電車の下りも行きます。さっきの北総電車の特急が通り過ぎて、警報器の矢印が3本になりました。北総の下りが行って、京成の下も行きます。京成の上りがやって来ました。北総の全てが通過して京成の上りが、まもなくホームに到着します。えっ!また来るの!?ええ~?渡って振り返ります。人も車も急いで渡ります。この時間帯でこうなのだから、朝夕のラッシュ時は容易に想像できます。線路脇の路地を行きます。よく見ると、北総電車がやって来ています。あっ、警報が鳴り始めました。こんなに線路が有るんだから、全線高架にしな...高砂駅今日も開かずの踏切
各地で山林火災のニュースが聞こえてきます。故郷の、父から相続した家に火が迫っている状況です。一昨日から気が気でありません。そんな状況で外出できていないので、既存の写真から記事を書きます。古い写真を見ていたら、再開発で消滅する「京成立石駅舎」と、すでに消滅した「呑んべ横丁」の店々に、もう一度日の目を見せてやろうと思いました。2018年8月の写真です。元々の広かった横丁の姿です。この長屋様の施設が「呑んべ横丁」でした。出入り口は各所にありましたが、看板はここだけです。いわゆる正門です。二階が住居でした。トイレはこの共同便所だけでした。客も住人もここを使います。従っていつも清潔に掃除されていました。元は南北に伸びる二つのアーケードが在って、中程に通路があって、二つの路地を繋ぐ「H型」の構造でした。その通路の東の...追憶在りし日の「呑んべ横丁」
根津の路地です。久しぶりにやって来たら、隣の家が無くなっていました。最近また界隈の建て替えが進んでいます。この家が孤独になりました。この家も無くなるのかなあ?それは寂しいぞ。よく見ておこう。やって来た路地です。あっちへ行きます。<この家、以前朝顔にハンドル取られた自転車が有った家です。当時の写真です>「朝顔につるべ取られて貰い水」の句を連想した家です。あれ以来気になっています。根津の朝顔の家が孤独
滝野川に架かる紅葉橋です。目を上げた先に、大きな煙突が有りました。銭湯だろうか?行かなかったら後悔するかも知れません。行ってみます。手前の大きな屋根は金剛寺です。あそこ迄は行ったことがあります。金剛寺です。「源頼朝の布陣伝承地」です。住宅の中に煙突が有ります。どうやら工場みたいです。銭湯じゃないんだ・・・。特殊化学薬品製造販売、写真処理薬品製造販売、試薬・理化学機器・分析機器の輸出入を営んでいる会社のようです。なんだ、銭湯じゃ無いのか!いやいや、社会に必要な会社じゃないですか!でもあの大きな煙突は、何を燃やすのだろうか?紅葉橋で煙突を見つけて、
「毎年よ彼岸過ぎまで寒いのは」正岡子規は母の言葉をそのまま俳句にしました。そのとおりの天気です。私の母も言いました。「親きょうだいと離れて暮らした人で、誰もお参りできんけん、あんたが親戚を代表してお参りするんよ」私が関東に転勤した時に母が言いつけました。もう40年くらい前の事です。以来、ほぼ年2回、彼岸にお参りして来ました。その母も亡くなって10数年になります。父方の叔父が亡くなったのは、もう50年くらい前になります。子沢山の貧乏農家だったので相続する田畑はありません。叔父は埼玉県に出て職を得、そこで亡くなりました。もう、父もその兄弟姉妹も全て居なくなりました。叔父の墓参りの後は、近くで昼食にするのが我が家の恒例です。蕎麦屋や回転寿司など、行きつけの店が変遷し、このイタリアンに定着するようになってもう5年...彼岸に必ず訪れる店
リメイクしました。最後まで見届けました。こんな横丁でした。当時は長い横丁でした。鉄道の高架工事で横丁が半分になりました。駅前の再開発実行により住人が退去して、店が閉店して、工事用フェンスが巡らされました。2か月くらいこの状態でした。1月末に工事用シートが高くなりました。そして今日、シートが左に長くなりました。中の進捗具合はどんな状況だろう?何処からも見られません。このせいだと思います。赤文字は「石綿」の危険がある建物です。古い建物ばかりだったからなあ。突然工事が行われました。ショベルカーが忙しく動いています。僅かだけ、呑んべ横丁の一部が見えます。私にはこれが最後の姿です。今も解体工事が進んでいますが、中が見えません。工事用フェンスの中が見られるのは更地になってからでしょうか?呑んべ横丁が無くなった。
数年ぶりに遭遇しました。名前やら色合いやら、当時と同様の感想を持ちました。周りと異なるクリーム色の消防施設です。「江戸川消防団第三分団第二部防災資機材格納庫」という厳しく長ったらしい名前です。何が入っているのだろう?前面道路西の中空には首都高中央環状線が見えます。中川、荒川に近い場所です。興味が湧いて、すぐ先の路地を左折しました。すぐに「江戸川区立五分一会館」が在りました。住所は江戸川区松原1丁目です。「五分一」に何かの謂れがあるように思います。会館の周辺を探ってみようと思いましたが、その前に眼の前の電柱看板に気持ちが動きました。いやいや、あっちは会館と反対側の場所だよ、と思ったけど、ちょっとだけ覗いて戻って来れば良いと思いました。電柱の向こうを右折します。角を曲がったらすぐに床屋が在りました。チェーン店...「五分一町会」の路地から
神田の中央通りです。ショーウインドーにガラス器具が展示されていました。春の陽射しに光っています。温度計も。私、昔、化学を専攻していました。4年生のときは、朝から晩までこんな器具を使って、毎日毎日実験していました。懐かしいです。玄関です。思わず入りそうになりましたが、一般家庭には不要の物です。買って帰ったら怒られるだけです。ちょっと後ろ髪を引かれました。いえ、紅麹の研究はしていません。「高野理科硝子」のショーウインドー
第44作「寅次郎の告白」。マドンナは「吉田日出子」と「後藤久美子」です。この頃は満男の恋愛も同時並行で題材になっています。泉ちゃんの就職に同行する満男です。「数寄屋橋交番」と後ろに「有楽町マリオン」です。当時の名物交番と最新的な建物です。<現在>33年前と変わらない風景です。「花の東京のど真ん中」といえば、昔も今も銀座4丁目です。<現在>今も沢山の人です。三越の2階に喫茶室が有りました。上映当時はバルセロナオリンピックの前年だったのですね。シンクロナイズドスイミングが新鮮でした。ここから銀座4丁目の景色を見ながらお茶をするのが都会人だったのでしょうか?<現在>ガラス張りじゃなくなりました。あそこは今、なんだろう?今でも喫茶室かレストランでしょうか?<現在>4丁目交差点の賑わいです。<現在>今でも「キムラヤ...「男はつらいよ」に見る銀座の今昔
折戸道路を南下して、大塚駅に至る緩い下り坂です。ずっと気になっていました。今日は花が出ています。覗いて見ました。公演中のようです。「萬劇場」です。1994年開館で収容人員は130人です。出演者への花です。演劇のようです。ちょっとだけ好奇心を刺激されました。萬劇場
都電荒川線梶原停留場のホームにくっついた本屋兼タバコ屋の「梶原書店」です。休み休み営業していましたが、ここ1ヶ月ほど、閉まったままです。いよいよでしょうか?隣にクレーン車が停まっていて驚きましたが、すぐに梶原書店を撤去する様子はありません。駐車場だったここを更地化した残土処理のようです。国はこの建物を撤去して、都電脇の道路を開通して明治通りに繋げる計画です。梶原書店のすぐ向こうが明治通りです。都電が征きます。反対側の駐車場も更地になっています。いつでも工事を始められる体制です。奥に2軒の民家が残っていますが、そこもひと気がありません。下町らしい好きな風景ではあります。反対側建物の近くに移動しました。正面奥の灰色の建物が梶原書店です。線路脇のこの2軒が梶原書店と同じ状態です。梶原書店を過ぎて都電がやってきま...梶原書店の周辺に動きあり
曇り空に大きなダクトが特徴的です。2階が住居のようです。最近いつも静かな作業場です。電灯が点いているので操業中だと思いますが、鉛筆の良い匂いがしません。鉛筆の需要が少なくなって久しいです。極力使うようにしています。市川鉛筆製作所の今
春の陽気です。雑司ヶ谷霊園にやって来ました。彼岸過ぎてもお花が手向けられています。先ずは、「永井荷風」から。墓所を囲っていた樹木を整理して、随分明るくなりました。荷風先生は、月桂冠がお好きでしたか⁈春の陽気ですが、まだ芽吹いていません。開花宣言をしていない東京です。「小泉八雲」です。「荻野吟子」です。「サトウハチロー」です。久しぶりの青空です。散策日和です。墓地を散策するのに抵抗が無くなりました。「竹久夢二」を埋めています。立派な「夏目漱石」です。「彼岸過迄」は彼の作品でしたね。「羽仁もと子」です。「東條英機」です。この墓に来ると、「戦争をしてはいけない」との思いを新たにします。彼岸過ぎても
遠くから光っていました。近づくと、10円玉です。表面が傷ついた結果、光が乱反射したようです。平成17年の文字がかろうじて読めるほど摩耗しています。裏返して見ます。表と同様に、多くの車や靴に踏まれ擦られてできた沢山の角度の面に、光が乱反射しています。実際の光り具合が伝えられなくて残念です。人通りが多い「天神下」交差点です。左奥に湯島天神が鎮座しています。沢山の人が歩く場所です。誰も気づかなかったのが不思議です。気づいたけど無視されたのでしょうか?お金が落ちているのを見つけたのは随分久しぶりです。キャッシュレスが進んだ証ですね。「踏まれて擦られて輝く」人は尊敬するけど、そんな人生はしんどいです。踏まれ擦られて輝いていた。
昨日に続いて伊勢ヶ濱部屋の前を通ったら、大きなトラックが停まっていて荷物を降りしていました。このトラックの構造は、左右に荷物が積めるようです。若い衆が荷物を降ろしています。東京場所じゃないので明荷だけではありません。生活用品一式が一緒です。伊勢ヶ濱部屋は30人に近い大所帯です。そりゃ荷物も多いです。昨日、宮城野部屋の全員がここ伊勢ヶ濱部屋に来ることが発表されました。宮城野部屋25人がやってきます。生活用品根こそぎと一緒です。奥の白い建物が宮城野部屋です。更に部屋の前(トラックの右側)にも宿舎が在りますが、総勢50数人の大所帯になります。部屋が足りるのだろうか?今までどおりの十分な稽古ができるのだろうか?伊勢ヶ濱部屋に力士が帰ってきた。
大相撲春場所が終わってからずっと雨だったので、やっと自転車を引っ張り出しました。このお弁当屋は伊勢ヶ濱部屋の力士が優勝すると、いつも「弁当100円引きセール」をします。今日はありません。いつも1日限りのサービスです。続けないのは店にメリットが無いのでしょうね。儲かるなら3日位やります。たかが100円が経営に響く商売のようです。いつもの優勝横断幕がありません。まさか優勝するとは思っていなかったので横断幕を作っていないのでしょうね。でも、照ノ富士が初優勝した時は、「日馬富士」の字の上に布を当てて対応していました。今持っているのは照ノ富士のだけでしょう。それを活用したくても、照ノ富士と尊富士では字数が違います。無理がありますね。(2015年5月場所優勝時の写真)伊勢ヶ濱部屋の斜め向いの家です。やっぱり有りました...尊富士初優勝3日後の風景
前回来たら休みだったので、今日は電話で確認してからやって来ました。今日も私が1番乗りです。でもね、もう12時を過ぎています。12時に開けると言っていたのに・・。通常の食事処だったら、遅くとも11時半には開店します。店内も、もっとテーブルを置けば良いのに、と思うくらいスペースに余裕があります。大きな店内で、max10人しか座れません。基本的に商売熱心じゃありません。ベンチにウインドブレイカーを脱いでいます。春の陽気の上に、日当たりが良い店先です。店舗を持つ商売人は南向きを好みます。店先が陽気になります。再オープンした時に新調した暖簾の藍色が清潔感を醸し出します。電話番号は2桁です。古くに電話を取った老舗の証です。大正6年創業です。「深川丼」と「1本うどん」がウリですが、蕎麦も素朴な美味しさです。数年間の休業...老舗蕎麦店電話は2桁
数年ぶりやって来ました。城北信用金庫の前庭です。このモニュメントです。個別に見ます。自転車に鞄を付けています。半袖なので夏休みの光景でしょうか。ツーショットです。大きな荷物を積んだ像の背中が西日で焼けています。大きな荷物は野宿用でしょうか?自転車旅の二人が出逢ったところだと思います。一期一会の出逢いです。短い情報交換の場面でしょうか?昔、自転車旅が流行りましたよね。自転車旅のモニュメントがある墨田区八広
八広の街を走っていたら、好いカラーリングの店に出逢いました。自転車停めてメニューを見ます。陽射しで見にくいけど、今どきランチ700円は安い!品揃いも豊富です。えっ!「焼きカレー」ってなに?・・・ドライカレーのことだろうか?カーテンと合わせて色使いがオシャレです。ちょっと離れて眺めます。好いです。たぶん無いと思うけど、今度昼食時に出逢ったらドアを開けたいです。そして、関係無いけど、「八広」はソフトバンク・ホークス王会長の生まれ故郷です。墨田区八広で出逢ったご飯屋
荒川区町屋の地場産業の一つが鉛筆製造でした。隅田川の水運を利用して外材を加工していました。作業場が2棟在ります。こちらが、もう一つの作業場です。作業場の2階が工員の寮だったと思います。広い物干し台です。多くの工員が居たと思います。今、界隈で鉛筆を作っている工場は、「アイボール鉛筆」と「金子鉛筆製作所」の2社だけになりました。前田鉛筆製作所は、鉛筆の加工を生業にしていたのだと思います。鉛筆の使用頻度が落ちたままです。皆んながシャーペンを使う時代です。鉛筆が復活することは無いと思います。地場産業が消えていきます。前田鉛筆製作所から音が消えて久しい
光は春のものですが、ここ数日風が強くて冷たいです。佃島です。いつも遊んだ帰りに通ることが多い永代橋から眺めています。作業船が遡上しています。春の風景ではありますが、早く帰ろ!永代橋から見る佃島と作業船
福徳神社です。ビルの谷間に在ります。寒い中、参拝者が居ます。ショーウインドーには春の日本の風物詩です。寒いです。人通りが少ないです。左右の提灯は桜の模様です。春を待っています。開花待ちの「COREDO日本橋」
とうとう建物が消滅しました。あそこに「パチンコひょうたん島」と「大塚バッティングセンター」が在りました。パチンコ屋はともかく、たぶん都内で最後のバッティングセンターでは無かったでしょうか?大塚はかつての花街です。数年前新聞に、今でも3人の芸者さんが、ラジカセを持って営業している、と書いていました。この通りが「大塚三業通り」です。「三業」とは、「置屋」「待合」「料理屋」です。その花街の入口にバッティングセンターが在ったという、娯楽のごった煮みたいな街でした。工事フェンスをぐるりと廻って見ます。こちらが「パチンコひょうたん島」の入り口でした。裏に廻ります。共同住宅と店舗になるんですね。店舗って、1Fに「パチンコひょうたん島」が復活するのだろうか?花街だけあって、ラブホ街でもあります。三業通りに出て振り返ります...「大塚バッティングセンター」の消滅
京成金町線の踏切の向こうに商店街が在ります。踏切から眺める京成金町駅のホームです。反対側の隣駅は柴又です。商店街を行きます。随分久しぶりです。相変わらず人通りが少ないです。いや、前回より少なく思います。後ろで、警報器が鳴りました。振り向くと、もう遮断機が降りています。電車が来ました。ホームに停ります。金町駅は終着駅です。商店街の散策に戻ります。この街は、「お酒好きのパラダイス」と言われていて、夜になるとディープな呑み屋街になるそうです。この路地は、「旧水戸街道」です(2020年9月の写真です。今回はこの道標を見つけられませんでした)。江戸と水戸を往来して、多くの人がこの路地を踏みました。やがて商店街の南口です。その向こうの坂は、新葛飾橋に向かう国道6号線、現在の水戸街道です。振り返る旧水戸街道です。今や昔...「金町栄通り商店街」は「旧水戸街道」
寅次郎は殆どの場合、旅に出るのは「京成柴又駅」です。<現在>電車右の2つの建物がそのままです。さくらと満男が見送ります。<現在>電車が来ます。<現在>左側の風景は随分変わりました。満男を振り返ります。見送ります。<現在>ホームは「男はつらいよ」シリーズの撮影風景パネルが一杯です。珍しく母子が肩を並べて帰ります。好いシーンです。<現在>つでに京成金町線を追ってJR金町駅前に来ました。ここにも映画の現場が在ります。<現場>泉ちゃんが来たと知らされて、大急ぎで帰る満男です。<現場>「男はつらいよ」に見る京成金町線の今昔