鳳鳴館別館です。隣は鳳鳴館本館です。本郷の丘の上に在ります。本館と別館はこの路地で分けられています。かつて本郷は旅館街でした。このような和風旅館が沢山在って、修学旅行生の宿舎でした。かくいう私も、高校の修学旅行で一躍上京して本郷に宿泊しました。東京へ行くなんて、当時の田舎者には大変な出来事で、大宮に住んでいた叔父一家が面会に来てくれたりしました。左側が本館、右側が別館です。本郷の何処に泊まったか覚えていませんが、ここに来ると高校生の頃を思い出します。もう半世紀以上前のことです。鳳明館の春
鳳鳴館別館です。隣は鳳鳴館本館です。本郷の丘の上に在ります。本館と別館はこの路地で分けられています。かつて本郷は旅館街でした。このような和風旅館が沢山在って、修学旅行生の宿舎でした。かくいう私も、高校の修学旅行で一躍上京して本郷に宿泊しました。東京へ行くなんて、当時の田舎者には大変な出来事で、大宮に住んでいた叔父一家が面会に来てくれたりしました。左側が本館、右側が別館です。本郷の何処に泊まったか覚えていませんが、ここに来ると高校生の頃を思い出します。もう半世紀以上前のことです。鳳明館の春
「とらや」はセットですが、実際の「神明会商店街」でのロケも多いです。リリーさんを迎える寅次郎。<現在>「川ち家」が建ち替わっています。さくらと叔母ちゃんです。血が繋がってはいないけど、何を置いても、甥の寅次郎、姪のさくら、そして、姪孫(てっそん)の満男を大事に思っています。2人寅次郎を待っています。<現在>寅次郎を待つさくら。<現在>待ちかねていたさくら。<現在>半分くらい店が変わっている商店街ですが、名作映画の名残りを探すのも楽しいです。「男はつらいよ」参道商店街に名残りを探して
道路の反対側に見つけました!根岸の街角です。やって来ました。設置したてみたいです。自販機もその基礎も、駐車場の舗装も新しいです。「だし道楽」です。先日登録読者さんが、だし自販機は3つのメーカーがあることを教えてくれました。告知スペースを見ます。ほう、卵かけご飯がお勧めですか?商品は2段3種類です。シンプルです。よく似た自販機の他メーカー「だし職人」とは趣きが違います。裏を見ました。随分スッキリしています。「だし職人」のようなゴテゴテと面白いキャッチコピーはありません。もう一度ラインナップを見ます。登録読者さんはいつも私の疑問に対して的確に教えてくれます。先日の「だし自販機8号」の記事を見て、「プロの料理人が各種有る自販機だしの味比べを行ったサイト」を紹介してくれました。そして、遂に購入しました!1番高い7...根岸で「だし自販機」9号発見!そして、
谷中のへび道です。靴の工房が在ります。センスが好いです。店舗の入口は表通りです。ちょっと振り返って表通りへ行きます。ここです。「SONOMITSU」?「園田光夫」さんでしょうか?表通りは「三崎坂」で信号は「団子坂下」です。朝日湯の傍です。へび道の靴屋
横十間川に野鳥のコロニーが在ります。繁殖期を迎えています。カワウとアオサギが多くを占めていて、少しコサギが居ます。鳴き声が喧しいです。カワウが飛びます。水温む春です。もうすぐ子供が見られそうです。スマホは野鳥の撮影には向きませんね。野鳥のコロニーに春来る。
谷中銀座の看板を見て歩いています。ここは老舗の電気屋です。ヤマダ電気とかの大型店に駆逐されて、個人経営の電気店に出逢うことが珍しくなりました。ここは何屋だろう?雑貨屋ですね。丸看板とは違和感があるけど、商売替えしたのだろうか?ここは書店です。上ばかり、看板ばかり見て歩いていたら声が掛かりました。「うちにも有るわよ」・・・ここがよく分からないんですよ。落語家の絵です。「うちも撮って頂戴」と言った人です。その左に、落語家の絵葉書が有りますが、江戸玩具らしい物も、バニラアイスも、味噌田楽も、秋田料理も商って、最近は店頭で占いもやっているのです。右端下の袖だけ写っている(避けて撮った)のが占い師です。飴屋です。谷中銀座の東口です。振り返ります。正面のあのビルが建つまでは、この路地が夕日で染まったそうです。ここが紅...谷中銀座の丸看板
谷中銀座は古い町並みですが、店舗は新旧入り混じっています。ここは何屋でしょう?お茶屋です。この丸看板が老舗店の目印です。この丸看板は違います。新興店です。蕎麦屋です。ここは違います。老舗の喫茶店です。新しい店が入るようです。新旧の店が混在しており、更に入れ替わりが多いのが商店街の現状です。谷中銀座の老舗店の丸看板
観光客に人気の谷中銀座です。いつも賑わっていて儲かっている店ばかりのように見えますが、多くの店が入れ替わっています。今日は古くからの店を訪ねます。昔、まだ夕日が商店街のメインストリートを染めていた頃だと思います。商店街組合が各店の看板を制作しました。ここ初音家に掛かる丸い看板がそうです。その時から商売している印です。看板を探して歩きます。魚屋です。福島商店の看板です。丸の上部に店名、下に「谷中銀座」、真ん中に取り扱っている商品、という構成です。陶器店です。酒屋の越後屋です。谷中は猫の街でもあります。数カ所にオブジェが有ります。観光客が立ち飲みする店です。食べ歩きの店はこちら。中央右の、ニット帽の向こうに丸看板が見えます。八百屋兼業です。こちらも食べ歩きの店です。肉のすずきです。こちらは、、、老舗店ではあり...谷中銀座の老舗店
大きな石の常夜灯が有ります。今まで気にもしてなかったけど、自転車を停めました。説明板が有ります。ほう、有名だったんですね。忘れ去られた(私だけ?)常夜灯です。ここは東京の観桜の名所「墨堤」です。ぼんぼりが設置完了です。えっ!もう?桜の枝は寒々としています。これは、向島町会は弾けるつもりですね!花見の準備完了!
大相撲3月場所が酣です。陸奥親方の定年により、3月場所で陸奥部屋が閉鎖されます。噂では、大関霧島は元横綱「鶴竜」が向島に起こした「音羽山部屋」に移籍するようです。やって来ました。向島の「喫茶カド」の跡地です。「見番」です。向島は花街です。やって来たのは「音羽山部屋」です。花街に在ります。まだ看板は有りません。鶴竜は音羽山部屋を興すに際して、弟子2人と床山1人を連れて陸奥部屋を出ました。大関が移籍して来ると箔が付きますが、どうして陸奥部屋を継承しなかったんだろうか?考えられるのは、鶴竜は「井筒親方」の逝去に伴って陸奥部屋に移籍しています。生え抜きの陸奥部屋の弟子ではありません。その辺の事情でしょうか?一方、なぜ移籍するのは霧島だけなんでしょうか?他に目ぼしい力士が居ないのだろうか?4月になってから発表して、...陸奥部屋から音羽山部屋へ移籍する。
谷中霊園に、最近こんな看板が登場しています。写真の下方には「50m」と書いています。・・何度目かの遭遇なので、行ってみることにしました。ここですね。看板の釈迦如来坐像が本当に石の台座に座っているように見えます。説明文を読みます。そうなんだ!ここは天王寺の所有だったのを、一部を明治政府が買い取って墓地にしたそうです。私は逆(墓地の一部に天王寺を建てた)だと思っていました。勉強になります。写真のアングルから台座を眺めます。多分もう来ることは無いので、ぐるり一周しましょう。道路に戻りました。公園が在ります。天王寺の五重塔が在った場所です。数年前、再建運動が行われていて、私も署名した事がありました。今は活動していません。私の署名は役に立ちませんでした。谷中霊園は観桜の名所です。桜が咲くと、この交番が好い絵になりま...天王寺/銅造釈迦如来坐像台座跡
2ヶ月に1度開催される足立市場祭りです。前回は赤身が買えなかったので、30分くらい早く家を出て来ました。相変わらずの賑わいです。東京人はマグロが好きですね。前回、片手に乗っけただけのマグロブツを1000円で売ってくれるイベントをやっていました。今回は「マグロブツ切り盛り放題ピタリ賞あります!」です。「盛り放題」と言ったって、「300gピタリ賞でタダ、5g以内だと半額」の企画です。そりゃ、400g買う人は居ないです。300gに挑戦します。前掲の列に並んでいた時に「カランカラン」と鐘が鳴って、「半額」ゲットした人が出たばかりです。熱が入ります。残念だった人に、「惜しい!もう1切れ乗っけたら『半額』だったのに、ほら、」と店の人が乗っけたら、そのとおり295gです。職人技で盛り上げます。コロナ禍で休止していた祭り...マグロブツ切りピタリ賞
寅次郎帰省の図です。<現在>リリーさん来訪の図。<現在>チアガールの練習を見ている満男と源ちゃん。<現在>人生に悩む満男と脳天気な源ちゃんです。寅次郎に貰った、頭が良くなるバンドです。源ちゃんが貸してくれと言います。<現在>今も変わらぬ草土手です。そして、矢切の渡し。<現在>偶々大潮の干潮時だったのでしょう。河原に降りて撮影できました。沈みかけの桟橋も変わりません。写真を撮るのに土手上に置いた愛車です。まさか、あの悩める満男少年が、長じて「Dr.コトー」になるとは思ってもみませんでした。「男はつらいよ」に見る江戸川の今昔
陽射しは春ですが、風が冷たい平日の雷門前です。人力車夫の呼び込みに活気があります。仲見世入り口です。ぱっと見7割以上が外国人です。入国したら寒さなんか関係ありません。楽しまなきゃ損です。で、駄目だこりゃ。仲見世裏を歩きます。空いていると思っていました。こんな店ができたんだ!似顔絵描きです。一般に思う似顔絵描きは、道端で客を座らせて描いていますが、大きな店舗です。「誇張のレベル選べます!」を覗こうとして、店内の客の多さに驚きました。流行っています。そうそう、前回もこの店が大人気でした。「いちご飴」に「いちご団子」です。浅草では「りんご飴」や「いちご大福」は時代遅れです。いちご飴です。いちご団子です。別に食べたくは無いけど・・・。ちょっと仲見世を覗きます。インバウンド天国です。仲見世裏も混んできました。薬屋の...インバウンド天国だよ浅草は
「蔵前神社」鳥居前です。5代将軍徳川綱吉が、蔵前に山城国の石清水八幡宮を勧進したのが始まりです。蔵前とは、江戸時代に大名家の蔵が在ったことからの名前です。倉庫業ですから、力持ちを称える文化が発展しました。ここに大相撲の「蔵前国技館」ができたのは自然の成り行きだった訳です。古い力士名が残っています。「横綱東富士」「大関栃錦」。こちらは「横綱鏡里」、そして「大日本相撲協会」です。現在は、「日本相撲協会」です。「大日本帝国」が「日本」に変わったのと同じです。境内へ入ります。徳川将軍家祈願所の一つとあって、古典落語縁の地でもあります「元犬」や「阿武松」の舞台です。元犬の像が有ります。その向こうには、浮世絵が奉納されています。歌川国安作「御蔵前八幡宮奉納力持」です。力持ちを称える絵です。手前は緋寒桜だと思います。こ...そもそも「蔵前神社」とは
蔵前神社です。ビルの谷間の小さな神社ですが、数年前から人気のスポットになっています。その理由がこれ。ミモザが満開です。手前にも満開の桜です。河津桜か寒桜?「蔵前桜」と表記しているブロガーも居ます。ミモザを見上げます。花の下は大変な人出です。圧倒的に女性が多いです。ミモザの花は「国際婦人デー」の象徴でした。背景に満開の桜です。この競演が今大人気です。「蔵前神社」黄色とピンクの競演
満男が駅から帰って来ました。帝釈天の参道です。<現在>背景の提灯と、お婆さんが腰かけている後の石柱が面影をとどめています。柴又駅方面です。今は観光案内所に寅次郎が立っています。寅さんが駅に向かって来ました。さくらと一緒です。<現在>「えびす屋」は倍の広さになりました。<現在>やがて背後の鎌倉街道が拡張される予定です。そうしながら「国の重要文化的景観」を維持する計画です。鎌倉街道を渡った神明会商店街入り口です。おもちゃ屋が在ります。<現在>多くの店が変っても、ここは今でもおもちゃ屋です。いつも賑わっていないけど、頑張っています。満男がバイクで商店街を帰って来ました。<現在>右に「高木屋」、左に「天丼・天ぷら」の看板です。この話、時々やります。「男はつらいよ」に見る帝釈天参道の今昔
方向音痴です。自信があります。路地に入って3,4回角を曲がるともういけません。でも、時々良いことがあります。東日暮里の角です。そこに有りました!「だし職人渾身のだし」です。「だし自販機」8号発見!です。正面に廻ります。告知スペースに興味があります。いつも楽しいコメントが書かれています。「必ずこちらの1本から『渾身のだし』化学調味料不使用」そして、「東京で唯一の白だし販売自販機」とあります。後者の「東京で唯一の白だし販売自販機」に興味ありです。品揃えを見ます。上段に「すっぽん」と「うまだし」。これは温かいのですね。中段に「渾身の白だしだしのある風景」、ラベルが白と黒の2種類があります。「東京で唯一の白だし」はこれでしょうか?これは冷たいものしかありません。下段を見ます。「だし職人自信のあごだし」で、やっぱり...東日暮里で出逢った「だし自販機」8号
白山通りの巣鴨界隈で見つけてしまいました。「だしの自販機」7号を小岩で見つけた時に、ラーメンの自販機も見つけたのは既報のとおりです。でも、ラーメンの自販機は追いかけない、と決心したばかりですが、これは特別です。車が1台停まっていて、右の電光看板が「満」になっています。つまり、たった1台だけのコインパーキングです。この希少性に加えて、ラーメンの自販機が有るのです。これは報告ものでしょう?ラーメンの自販機を眺めます。コンセプトは「お家でガッツリやさいあぶらにんにく増し増し」です。「Gkガッツリ麺」、「G系らーめん集結」とも書かれています。とにかく目立つカラーリングです。横側には「G系らーめん集めました」とあります。どんな商品がラインナップされているのだろう?1番上の段を見ます。「俺の生きる道白山店」が1200...見つけてしまったラーメンの自販機
春です!街にミモザ咲く!
この路地が好きです。左は古い長屋です。正面に白い増築部屋が有る家です。子供が大きくなって子供部屋を増築しました。やがてもっと大きくなって、家を出ていきました、と勝手に思っています。左にも路地があります。お地蔵さんが祀られています。その先にも路地があります。自転車を押して行きます。その先は三崎坂です。左に屋敷神があります。いつもきちんとお世話されています。この一角が好きです。白い増築部屋が在る界隈
陽光溢れる上野公園です。奏楽堂にも注ぎます。春の訪れを感じます。振り返りながら歩きます。春の陽光です。奏楽堂に陽光
春の光の中に食堂が在ります。東照宮第一売店です。鳥居を潜ります。今日は裏からも眺めました。光溢れる上野東照宮へ行きます。門の中には江戸の火消しの名前と纏のデザインが、びっしりと残されています。東照宮です。最近外国人が多いです。老人も多いです。撮った写真をその場で確かめて、動かない人が多いです。やっと撮リました。いつになく艶やかです。春の到来です。東照宮第一売店と上野東照宮
いつも粋なバナーを掲揚する北千住「サンロード」商店街に桜が咲きました!まだ寒いけど、春の到来に心が弾みます。ここのところ家紋を掲揚していた商店街です。季節に合わせて「桜紋」を持ってきましたね。人で賑わうと良いですね。「サンロード」商店街に桜咲く
第5福竜丸の船首です。船体脇に見学の為の設備があります。模型も有ります。本体と両方を見ると解り易いです。操舵室です。船首です。高いマストです。全てを保存する為に屋根を高く造っています。船尾です。大きいです。第5福竜丸の歴史です。1947年にカツオ漁船「第7事代丸」として誕生しました。1951年、マグロ漁船として改造され、1953年に、静岡県焼津市所属の「第5福竜丸」として再デビューします。1954年に被爆した第5福竜丸は、貴重な学術資料として日本政府に買い取られました。東京水産大学(現・東京海洋大学)で放射線の観察が行われた後、練習船「はやぶさ丸」となりました。やがて、1967年に廃船処分となりました。船体は当時「ごみの島」と呼ばれた夢の島に放置されました。第5福竜丸を保存しようと多くの市民が立ち上がり、...ビキニ水爆実験被爆から70年
第5福竜丸がアメリカによるビキニ水爆実験で被爆してから70年になると知って、久しぶりにやって来ました。細く高い屋根です。中に入ると理由が分かります。展示館に入ります。先ず大漁旗が出迎えます。大きな木造の漁船です。舵も木製です。複数の見学者が居ます。数は少ないですが、見学者が途切れません。何度か訪問していますが、私以外の訪問者が居たのは初めてです。皆さん被爆70年を知ってやって来たのだと思います。展示パネルを見ます。内容はずっと変わっていません。被爆の酷さを伝えています。第5福竜丸の横に展示されています。第5福竜丸の乗組員は、地元焼津の人から差別され、補償金を妬まれたそうです。他所でも被爆者は同様の扱いを受け続けているのではないかと思います。アメリカの水爆実験は992回に及びました。第5福竜丸だけでなく、多...第5福竜丸展示館
新聞で、第5福竜丸がビキニ環礁で被爆して70年になったと知りました。広島に投下した原爆の1000倍の威力があったらしいです。当時のアメリカでは核兵器は正義の剣だとの世論を形成し、核保有への国民の賛意は絶大なもので、キノコ雲の絵や玩具が流行したそうです。そして、核兵器は素晴らしい物との認識のもと、この実験での爆弾は「ブラボー」と名付けられていたらしい。67回もの実験を行いました。そして、ビキニ環礁や周辺の島民が今だに被爆症で苦しんでいること、日本でも今だに被爆補償の裁判が続いていることを知りました。やって来たのは第5福竜丸が廃棄されていたゴミ捨て場であった元「夢の島」、現在の「夢の島公園」です。屋外の展示場に、「第5福竜丸」のエンジンが展示されています。28年ぶりに海中から引き上げられ、更に24年間経ってい...第5福竜丸のエンジン
この公園は新しいものです。ソメイヨシノ桜発祥の地として造られたものです。そこに、見事な河津桜が満開です。よく動くしスマホだし腕が悪いしで写せませんが、沢山のメジロが鳴きながら飛び交って蜜を吸っています。鳴き声が煩いほどの数なんです。メジロを撮ってやろうと見上げた青空に映えます。「桜の里」らしい風景です。安心してください!「染井よしの桜の里」での河津桜は2本だけです。周囲には、当然ソメイヨシノが沢山あります。シーズンになったら、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は長閑けからまし」の景色を報告しましょう!「染井よしの桜の里公園」の河津桜満開
映画「男はつらいよ」を繰り返し観ています。江戸川には2つの給水塔が在ります。金町浄水場に取り込んだ水を浄化して、水道を東京東部に供給する施設です。印象的な風景で、映画のシーンに良く登場します。<現在>前再掲の「平屋根」がいつからだろう「丸屋根」造り変えられています。満男の友達がやって来ます。<現在>とらや(この時は「くるまや」)の従業員三平ちゃんが寅次郎に逢うシーンです。「三角屋根」からやって来ます。。<現在>今と変わらぬ風景です。寅次郎を見付けます。<現在>背景は「平屋根」です。<現在>今は「丸屋根」です。寅次郎が土手に上がります。背景は三角屋根と江戸川です。<現在>いつも変わらぬ風景です。連れだって「くるまや」へ向かいます。<現在>いつからか変わった丸屋根の給水塔です。この風景は、私が自転車で散策でき...「男はつらいよ」で知る「丸屋根給水塔」の過去
銭湯の廃業に出逢う機会が増えました。久しぶりに駒込の「えびす湯」を訪ねたら、工事用フェンスが廻らされていて、玄関上に足場の材料が置かれていました。もう内部の解体が進んでいるようです。こんなにスケジュールです。「虫の知らせ」かも知れません。1階が店舗の共同住宅になるようです。銭湯の廃業は時代の流れ、と理解しているもののやっぱり寂しいです。まだ残っている煙突を眺めます。この界隈で残っている銭湯は「香取湯」だけになりました。第三者の利己的感情ですが、銭湯は残してほしい日本の文化です。在りし日の「えびす湯」の姿はこちらです。「えびす湯」廃業・解体
千駄木の路地に古い文房具店が在ります。郷愁を誘います。正面から眺めます。文房具店から眺める路地です。都会の中で1軒の文房具店が頑張っています。千駄木の文房具店
旧中川は河津桜の名勝地です。旧中川の北端に近い、墨田清掃工場の近くです。大煙突の下です。満開になった先週の日曜日です。河津桜と陽気に誘われて、多くの人が川辺で寛いでいます。外国人も多いです。日本の春を楽しんで貰えば嬉しいです。日本の国花を楽しんで貰えれば嬉しいです。日本に出稼ぎして良かったと思って貰えれば嬉しいです。水面が煌めきます。岸辺と水上から声を掛け合います。丸いレフ板を持って撮影しています。こういう光景を時々見ます。東京のちょっと早い春の風景です。河津桜咲く休日
暖かい陽射しの千本鳥居です。見上げる木々はまだ芽吹いていないけど、陽光は春です。千本鳥居を潜って西参道に出ました。地上に落ちた影が濃いです。透かし塀が明るいです。新郎新婦の前撮りです。観光客皆んなが写り込まないように足を止めて見守ります。乙女稲荷社が輝きます。春です!根津神社の春
線路脇の駐車場(コインパーキング)が更地になりました。ずっと前から、線路に沿って道路を造る計画があります。こちらも駐車場でした。建物を解体して次の工事が始まるまで、一時的に駐車場にするのは一般的な手法です。それが無くなったのはつまり、新たな工事の予兆です。でも正面の建物が残っています。ホームへ行きます。タバコ屋兼古本屋です。ホームに上がります。「梶原書店」です。店を開けたり休んだりします。だんだん休む日が多くなってはいますが、これだけでは去就が分かりません。すぐ隣は踏切です。前方は「梶原商店街」です。アーチには止まったままの時計と、都電がデザインされています。商店街のマンホールは都電の絵です。都電と共に生きてきた商店街です。早稲田行きの電車が来ました。ホームへ行きます。反対側を三ノ輪橋行きが通ります。早稲...梶原書店はいつまで?
今日はここから行ってみます。初めての試みです。汐見小学校です。路地の突き当りに坂が在ります。坂を上がります。目的地は正面上の銀杏の裸木が有る所です。最後の急坂を上がります。後数段です。上がりました。ここは薮下通りです。こんなに大きく「休館日」を書かなくても良いものを。ここは観潮楼跡です。森鷗外の住居跡です。彼はここから海を眺めていました。上がって来た坂を覗きます。地下鉄千駄木駅への近道です。「しろへび坂」です。名前の由来は知りません。さて、いつものように眺めます。海は見えないけど、森鷗外が見ていないもの。正面のビルの隙間に、スカイツリーが望めます。初めての行程に満足しました。坂を降ります。坂の下に自転車を停めています。自転車散策は便利だけど、こういった場面では不便です。逆から行く森鷗外記念館
小岩駅のガード下で、博が偶然、キャバレーで歌っているリリーさんと出逢うシーンです。小岩は東京の東端界隈随一の歓楽街として有名でした。<現在の現場><現在の現場>現在も界隈随一の歓楽街ですが、キャバレーはもう有りません。そして、なんと、ここは、先日報告した「だし自販機」7号が有る場所なんです。ガード下の斜め前に有ります。だし自販機7号からリリーさんが居た場所を眺めます。世間は狭い、と思いました。映画「男はつらいよ」で見る小岩の今昔
上野公園の頂上に、小さな野球場が在ります。正岡子規は野球が好きでした。野球用語も多く翻訳しました。自らの雅号を「野球(のぼる)」としました。正岡子規はここ上野公園で野球をやったことがあるそうです。平成18年に、上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、正岡子規の名前が付けられました。青空です。春の光が注ぎます。野球日和です(本当は、青空だとフライが見づらいので、野球をするのは曇り空の方が良いと言います)。「春風やまりを投げたき草の原」正岡子規記念球場
上野公園の「伊豆栄梅川亭」です。日陰でもあって、まだ冬の景色です。私にとって、ここは紅葉狩りの場所です。銀杏の名勝地でもあります。上野公園派出所横の大寒桜が五分咲きです。賑わっています。もうすぐ春です。「伊豆栄梅川亭」の早春
今日の砂町銀座の夕方です。オレンジ色のテント地の風除けの所が店です。ぱっと見、20人くらいの行列です。左が出来合いで、右側が「おでん種」売場です。こちらがおでん種売場です。おでん屋としては大きな店構えです。砂町銀座の有名店です。湯気が立っています。寒い日は鍋かおでんですよね。手前の「揚げ物・おでん種」売場に客は居ません。皆さん自分で作るのでなくて、出来合いがいいんですね。明日から暖かくなる予報です。今日がおでんの食べ収めでしょうか?おでんの「増英蒲鉾店」の行列
「お婆ちゃんの原宿」へ行く停留場です。薔薇色の電車が発車します。おや⁉反對側からも薔薇色の電車が来ました。停ります。沢山のお婆ちゃんを降ろして出発です。渡ろうとする踏切は「旧中山道」です。光の中へ向かいます。ホームに茶屋が残ります。春の景色です。早春の庚申塚停留場
信号待ちの家族に追いつきました。お父さんのリュックに犬がおんぶされています。犬はお父さんの肩にしがみついています。犬は落ち着かないのか、キョロキョロ周囲を見ています。左右からお母さんと子供が、犬を撫でて落ち着かそうとしています。今日は天気が良いです。どこへ行って遊ぶのだろう?仲が良い家族なんだろうなあ。おんぶされた犬
ここに「いろは通り」のアーチが立っていました。<ほんのちょっと前のかつての姿>全然店舗が無くなってしまいました。<かつての姿>唯一残っている青果店です。どんな寂れた商店街でも、最後まで頑張っているのが青果店や八百屋です。人通りさえ有りません。店が無くなると、ここらの家の人以外、来る用事はありません。<ほんのちょっと前のかつての姿>「大塚青果店」から冒頭の場所に戻る風景です。北千住の西側には商店街が沢山ありました。私の好きな商店街の宝庫でしたが、界隈の商店街が立て続けに消滅しました。原因は他の商店街と同じです。大店法の施行で客が大きな商業施設に流れ、通販で客足が止り、コロナ禍でとどめを刺されました。・・・やがて、ここに商店街が在った事を知っている人も居なくなるのでしょうね。北千住「いろは通り商店街」の消滅
竿に旗は有りません。寒くて風が強く吹いていて、冬に戻った江戸川です。見るからに寒い景色です。この寒さです。客なんか来ないです。商売あがったりです。春待ちの渡し場です。運休日の「矢切の渡し」
観測史上、2月の東京で、最も風が強い日でした。そのうえ寒い日の昼食時です。魚屋に客は居ません。「千成もなか」の店先に、一人だけ外套を着ていないサラリーマン風の人が居ます。他の客がしっかり厚着している中で、悪目立ちします。戻り寒波に油断して、軽い気持ちでちょっと買いに出て来たのだろうか?得意先にお詫びに行くので、慌てて手土産を買いに来たのだろうか?人々の生活の一瞬が見えます。今日も都電は行きます。寒い日の「サンモール大塚商店街」
宮城野部屋の北青鵬が引退し、宮城野親方(元横綱白鵬)が降格処分になりました。これだけでは終わらず、日本相撲協会は宮城野親方を更迭し、伊勢ヶ濱一門の親方に宮城野部屋の運営を代行させるそうです。・・・で、伊勢ヶ濱部屋に行ってみました。特に変わった様子はありません。ずいぶん盆栽が立派になって、数も増えて、玄関先に風格が出てきました。伊勢ヶ濱親方が手入れしているのだろうか?続いてやって来たのは、問題を起こした宮城野部屋です。連日のTVニュースで見たとおりの風景です(今日は都内のゴミ出しの日みたいです)。この場所で宮城野親方と北青鵬がお詫び会見をしているニュースを見ました。・・それより何より、新年早々のTV番組「はじめてのおつかい」で、部屋付きの間垣親方の子供が登場しました。健気なお使いで、涙を流しながら観ていまし...大相撲/北青鵬事件
都内で風速26mの猛烈な北風が吹いた日です。荒川に出てみました。船が波で揺れています。中空に走る首都高速中央環状線を走る車は少ないです。この風ではねえ。自転車が倒れています。ここに来るまでに各所で自転車が将棋倒しになっていました。起こしてもすぐに倒れます。風は冷たいけど、春は近いよね。風が強い日の荒川船泊
居ました!駄菓子屋が開いていて、お婆ちゃんが立っています!今年7回目の訪問で、やっと会えました。「どうしたんですか?心配しましたよ。ラムネとこれとあれを下さい」「はい266円です。病院通いしてたのよ。この年になるとあちこち悪くなるわよ」「そうそう、TV番組観ましたよ」「西川きよしさんね。あの人瞬きばかりするのよ」ゆっくり話を聞こうとしたら、お客さんです。次々にお客が来ます。商売繁盛です。お婆ちゃんに手を降って駄菓子屋を後にしました。元気そうで、安心して帰ります。やっと会えた上川口屋のお婆ちゃん
前回、人が居なくて寂しい「あらかわ遊園」を紹介しました。今日は休日「のあらかわ遊園」です。天気が良い休日です。子供連れで一杯です。東京ディズニーランドにデビューする前の下町っ子には、手頃な遊園地のようです。休日の「あらかわ遊園」
「染の小道」の会場である妙正寺川周辺の、上落合の路地を歩きます。作品を見て回ります。ブースも出ています。2月最終の3連休の中日です。昨日が雨で、最終日も雨の予報です。そのせいか、例年以上の人出です。ちょっと外れると、人通りが少なくなります。こんな祭りです。「染の小道」を歩く。
妙正寺川に吊るされた布を地眺めて歩きます。軒先にも生地が展示されています。布の祭りです。布地の美しさと相まって、川底の藻も美しいです。川に映す影も美しいです。そして、清らかな水です。中井駅前の寺斉橋から眺めます。正面奥に「梅の湯」の煙突が見えます。中央環状線の歩道からも眺めています。ここからの景色も見ておけば良かったかな?おそらく、昔はこの妙正寺川で、染めた布を晒していた名残りの祭りではないかな?と勝手に思っています。東京でも、こんな景色が見られるんですよ。妙正寺川の布地
上落合の「梅の湯」が廃業して数年になります。コインランドリーも昨年廃業しました。昨年の一時期、煙突に人が上がって作業をしていました。いよいよ煙突の撤去か、と心がザワツキましたが、その姿は変わっていません。坂の上に煙突が有る風景です。今日は路地が華やかです。坂の下へ行きます。そこは布を吊した妙正寺川です。「梅の湯」と「染の小道」
やって来ました日本橋です。頭上の高速道路が鬱陶しいです。日本橋川の上に高速道路を造ったので、日本橋川はずっと頭上が高速道路です。我々には鬱陶しいですが、普段大海原でカヌーを漕いでいる連中にはこの景色が面白いらしいのです。また、旧江戸城の石垣も見られるとあって、日本橋発着の動力船クルーズも人気です。ここが全国の道路の最高地点です。「上り」の終着点です。艇を停めます。橋を行く人と言葉を交わします。何処ででも必ず訊かれます。「何処から来て何処へ行くんですか?」関東大震災時の火災の跡です。船が焼けて煙が石を焦がしました。そのまま残っています。日本橋を鑑賞します。三越です。記念写真を撮ります。・・・こんな事をしながら隅田川に戻りました。佃島の高層マンション群に向かって下ります。いつも橋上からマンション群を眺めていた...カヌーから見る日本橋
水道橋を過ぎて後楽橋を潜った所です。東京の一面が見られます。「清掃作業所」です。収集したゴミを船に積む場所です。四角いホッパーから落下したゴミは、東京湾に造られたゴミ捨て場(埋立地)に向かうのです。・・・すぐ先を左折します。そこは日本橋川です。ここも水上から見たかった場所です。写真写りが悪いのは勘弁してください。旧江戸城の石垣です。関東大震災にもびくともしませんでした。勿論、東日本大震災にもです。大手町界隈にやって来ました。政治・経済の中心部です。防災桟橋を持っているのは千代田区役所です。見上げているのは、明治時代の国鉄の紋章らしいです。仲間が教えてくれました。川からじゃないと見られません。あそこは線路で、電車が走ります。左に「日本銀行」です。ずっと高速道路の下を漕ぎます。やがて日本橋に着きます。カヌーで日本橋川を征く。
昌平橋が見えてきました。その上を総武線の鉄橋が横たわっています。1番見たかった場所です。これから、よく昌平橋と聖橋から眺めていた場所へ行きます。左に中央線、右に総武線です。鉄道ファンじゃなくても、ここの景色は見飽きません。昌平橋を潜ります。レストランから声が掛かります。お互いに手を振り合います。頭上に総武線鉄橋。鉄橋の左の四角の穴が中央線です。正面奥に、白いアーチの聖橋が見えます。ここに来たかったのです!長年の念願が叶いました。レストランを過ぎます。聖橋に向かいます。聖橋の下に、丸ノ内線の赤い電車が現れました。初めて見る景色に感動しています。散策は続きます。カヌーから見る御茶ノ水駅界隈
大島川水門から隅田川に出ました。天気も波も穏やかです。ツーリング日和です。正面に横たわる永代橋、その向こうにスカイツリーがそびえます。あの方向(上流)に向かいます。隅田川大橋です。下って来るのはホタルナかな?松本零士さんは多くのものを遺してくれました。隅田川の魅力が増しました。さあ、両国橋の下です。向こうに見えるのが、神田川最終橋の柳橋です。隅田川を突っ切って神田川ヘ行くのですが、船舶の往来があります。横断できるタイミングを窺います。隅田川を横断しました。柳橋の上から手を振って迎えてくれました。柳橋を潜ります。界隈は屋形船の停泊場所です。かつての花街です。佃煮の「小松屋」を見上げます。初めて見る川からの風景です。屋形船を見ながら神田川を漕いで行きます。船と乗り場はこんな風になっています。郷愁を呼ぶ景色です...カヌーで隅田川から神田川へ
深川の商店街です。ちょと特異な風景に心がざわつきます。2階の高さを統一しています。そして、その上に住居みたいなのが乗っかっています。2階までの統一感に対して、3階は自由です。それが違和感を醸します。この一角が「清澄3丁目南商会」です。どうなっているのだろう?気になるので横から眺めました。・・・普通に見えます。横からでは分かりません。裏へ回りました。裏は、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡に岩崎弥太郎が造った名勝地「清澄庭園」の一部です。ここから眺めました。違和感はありません。普通の密接した民家です。もう一度表から見ました。やっぱり心が落ち着きません。「清澄3丁目南商会」の風景
谷中銀座です。外国の観光客が食べ歩きをしています。その背後では解体が進んでいます。ここはスーパーマーケットでした。この商店街は観光客が多く、地元住民相手の店が少ないです。スーパーが無くなると地元民が困ります。ただ、「のなかストア」の生活もあります。一見賑わっていても、観光客が多くて、地元民だけでは経営が厳しいのかも知れません。スーパーマーケットを共同住宅に建て替えるようです。この商店街に面した建物で、店舗以外になるのはここが初めてです。谷中銀座は改廃が激しくなっています。スーパーの斜め前でも工事中です。近くの魚屋も昨年廃業しました。ここも地元民相手の店です。観光客を相手の商売の方が儲かるのでしょうね。谷中銀座を歩きます。新しい店が増えています。ここは古くからの店です。昔、商店街組合が統一看板を作りました。...谷中銀座は改廃が激しい
堀切菖蒲園駅近くに来たので、久しぶりに「富士の湯」を覗いてみました。3年ぶりです。たぶん営業していると思います。佇まいは前回訪問時と変わりません。この奥が燃料置場です。初めての訪問の時に、トラックが廃材を降ろしていました。銭湯はおめでたい名前を付けます。七福神とか松竹梅とかです。「富士」なんて最高の名前です。付けた者勝ちなので、老舗の銭湯だと思います。裏のここがボイラー室と住居のようです。西側から眺めます。周囲にはアパートが数軒在ります。堀切菖蒲園駅まで5分と掛かりません。利便性の高い場所に在ります。眼の前には保育園が在ります。保育園と一体になった小学校です。いや、「でした」。廃校になって、もう校名も消されています。この明るい雰囲気が却って寂しいです。東京23区内のこんな駅近でも、子供が居なくなっています...2度目の「富士の湯」
門前仲町の一角に、古くて小さな呑み屋街が在ります。春を演出する呑み屋街です。短い路地です。中心地に三叉路が在ります。左に入ります。すぐに三叉路です。右に曲がります。これで呑み屋街は終わりです。路地の先は「赤札堂」です。戻ります。古民家風の呑み屋です。カラオケ屋です。通り過ぎて振り返ります。光溢れる古くて小さな呑み屋街です。辰巳新道の早春
春の陽射しの富岡八幡宮です。すぐ傍に親水公園が在ります。東京は中空に高速道路が走っています。木場は昔から水の町でした。春の景色です。咲いているのは「あんず」です。清涼な水の流れです。太鼓橋に上がります。振り返る早春の景色です。春の陽射しの「木場親水公園」
「成田山深川不動堂」です。参道が門前町を成しています。眩い陽射しの参道を歩きます。参道は「人情深川ご利益通り」です。鰻屋です。千枚漬です。こんな物でも千枚漬にできるんですね。最近出店した「天然鯛焼き」です。意味不明です。甘酒屋喫茶店旅館も在ります。カフェです。けっこう流行っています。日本一硬い「げんこつせんべい」です。せんべい屋の前は、「厄除け弘法大師永代寺」です。この寺の参道でもあります。成田山深川不動堂を振り返ります。眩い早春の光です。「人情深川ご利益通り」はまだ続きます。隣は「富岡八幡宮」です。人情深川ご利益通り
江戸川区西葛西の路地を走っていたら、荒川堤防に行き当たりました。夕映えの堤防です。キョロキョロしていたら、大きな煙突が見えました!銭湯に違いありません。正面の、狭い路地を行ってみます。路地を出たら、「小島湯」です。ボイラーを覗きます。沢山の燃料が積まれています。玄関に戻りました。営業時間は午後3時半〜午後10時です。コインランドリー前に小父さんが座っています。まだ3時前です。・・・この光景、好きです。「小島湯」に遭遇した。
新興宗教の団体でもない。KKK日本支部でもない。可愛い防災訓練です。宇宙人の襲撃じゃない。
ずいぶん暖かくなりました。散策が楽しいです。亀島川に架かる高橋から南高橋の向こうに佃島の高層マンション群を眺めます。そして、永代橋から見る佃島の高層マンション群です。隅田川に浮かんでいます。ちょっと靄って春っぽいです。1日遊んだ早春の帰り道
「深川江戸資料館通り」を走っていたらしだれ梅が満開でした。自転車を停めて、境内で鑑賞しました。深川の「善徳寺」です。しだれ梅が有る景色
久しぶりのタイトルです。いつも気にしながら自転車を走らせているのですが、中々「だし」に遭遇しません。そんな事をしていたら、1号機が撤去されて住宅になっていたりします。だし自販機6号に遭遇しました。キャッチコピーが好いです。「日々是好日だしのある風景」です。周辺を確認します。見上げるのはJRの高架です。すぐ左が小岩駅です。背後で声がしたので振り返ります。カップルがウケていました。再度周囲を確認します。線路に直角に延びる商店街も「小岩地蔵中央通り会」です。駅方面も「小岩地蔵中央通り会」です。線路に沿った反対側も「小岩地蔵中央通り会」です。あちらからやって来ました。つまり、JR小岩駅傍の「小岩地蔵中央通り会」の交差点です。さて、カップルも居なくなったので近くに行って眺めます。商品のラインアップです。「鰹と昆布の...東京で6台目の「だし自販機」発見!
丸の内のオフィスはまだ就業中です。人通りは少ないです。柔らかな陽射しです。早春の風情です。早春の風情の「丸の内仲通り」
葛飾区では時々銭湯に遭遇します。2年半ぶり、2度目の「ことぶき湯」です。この奥が燃料の材木置場のようです。リニューアルした銭湯だと思います。前回の遭遇から何にも変わっていません。頑張って欲しいです。2度目の「ことぶき湯」
柔らかになってきた陽射し下の松本楼です。いつに増して静かに佇んでいます。テラス席に客は居ません。休みです。周りの下草が刈られて、芽吹きを待っています。テラス席のストーブはまだ外せません。春待ちの松本楼は今日休みです。たぶん草刈りをするからだと思います。春待ちの松本楼休みです。
深川の路を走っていたら教会が在りました。走り慣れた路ですが、初めて気に留まりました。ここのようです。玄関です。横から眺めたら、屋根の上に、こちらを向いた十字架があります。なんとなく隣りのビルも見ました。「ビル・アキスリング」です。まあまあ大きなビルを見上げます。「アキスリングビル」ですね?どういう意味だろう?さて、と帰ろうとしたら、ビルの壁に人物のレリーフが有りました。誰だろう?と消えかかった文字を読んだら、「名誉都民ビル・アキスリング宣教師」と書いています!ビルの名前じゃなくて、人の名前だったんですね!しかも名誉都民ですか!その場からもう一度ビルを見ました。「一時預かり専用託児ルーム『ろばの子』」です!大変失礼いたしました・・・。改めて全体を見ます。ビルさんはこの教会の設立者であり、現在教会は、賃貸アパ...日本パプテスト深川教会
葛飾区の「川の手通り」から1本入った路地です。3年半ぶりです。「吉の湯」が健在でした。全く、何にも変わっていません。コインランドリーです。営業時間の案内が貼られています。まだ営業しているようです。川の手通りにも看板が有ります。この路地の奥です。北側から見ます。こんな小さな路地沿いに在ります。煙突を見に行きます。こちらもがボイラー室です。銭湯の裏に立つ煙突です。自宅は新しいです。きっと内湯が有るのでしょうね。そんな時代です。2度目の「吉の湯」
鬼子母神の境内に在る、日本最古の駄菓子屋「上川口屋」の屋根に木漏れ日が注ぎます。だいぶん暖かく感じます。今日も閉まっています。今年4度目の訪問ですが、1度もお婆ちゃんに会えていません。安否を確認する術がありません。・・・心配です。今日も閉まっている上川口屋
船溜まりの屋形船です。屋根に働いている人が居ます。正面は首都高速中央環状線です。昨日の春一番が一転して、強烈な北風の東京です。桟橋です。ドラム缶に燃料を保管しています。釣り船です。風が強いです。水面が波立っています。多くの船が係留されています。河口のヨットハーバーを除くと、荒川最大の船溜まりです。下流へ向かいます。細い支柱の桟橋です。怖いね。上流を振り返ります。遠くにビルが在るので、都会だろうと分かります。3月になったら観桜で忙しくなりますが、この時期、屋形船の需要はあるのだろうか?船溜まりの最下流です。向こうに葛西橋が横たわります。春は近いです。荒川の船溜まり
墨田区文化の香取神社の梅園は徳川将軍観梅の場所でした。規模が小さくなっても観梅の名所です。見頃の梅をご覧あれ。こんなに咲いているのに、梅まつりは明日からです。で、祭りが終わるのは3月3日です。途中でもう花が終わりそうです。「小村井香取神社」の梅が見頃です。
本駒込の路地を走っていたら偶然出逢いました。公園です。隅には遊具が有ります。全体にまだ新しいように見えます。大きな集合住宅と併設の公園です。そこに都電が展示されています。これは無蓋車です。初めて見ました。こんなタイプも有ったんですね。説明書きを読みます。「乙1型(乙2号)乙1型は昭和16年(1942年)古い電車の台車や車体を利用し2両製造されました。第2次世界対戦中は輸送燃料節約のため、日用品や食料などいろいろな物資を運んでいました。多くの車両が戦争による被害を受けましたが、乙2号は幸いにも戦火を免れ、戦後は軌道敷の砕石などの資材輸送に活躍し、昭和46年3月(1946年3月)に廃車になりました。その後公園にやって来ました。」なお、型式等の説明は後ほど掲載します。パンタグラフも付いています。こちらは客車です...「明神都電車庫跡公園」に出逢った。
亀戸天神の入り口です。椿と梅が満開です。境内を巡ります。梅祭りの準備ですがこの陽気です。既に見頃です。亀戸天神の梅が見頃です。
墨田区文化の路を走っていたら新しく駐車場ができていました。いつものことですが、ここに何が在ったのか覚えていません。駐車場の奥に、無くなった建物が隠していた廃墟が現れました。行ってみます。右端は倉庫です。廃墟を眺めます。駐車場の北と西に、2つのアパートが在ったようです。いつ廃墟になったかは分かりません。西のアパートを見ます。2階の部屋のドアが開いたままです。1階の部屋のドアも開いたままです。北側のアパートです。2階への階段が有ります。西側のアパートに戻ります。1階の開いたドアを覗きます。2階を見上げます。北側のアパートです。空調機を据えた跡が、生活の一端を覗かせています。ここでどんな人生が営まれていたのでしょうか?いずれ消滅する廃墟です。駐車場の先に廃墟が在った。
タイトルを書きかけてふと思いました。さくらって、とらやに勤めているのだろうか?おじちゃんおばちゃんとご飯を食べて、夫の博もご飯を食べて・・・?手伝っていても給料は貰ってないのでは?・・・まあいい。話を進めます。さくらが自転車でやって来ます。危なかっしい江戸川土手上のカーブです。<現場>三角形の頂点が無くなっていますが、ここだと思いました。正面奥に給水塔も見えます。でも、道路の三角が鋭角過ぎます。ふと、映画に有る土手上の地図が背後に有りません。地図はここです。地図の位置から判断すると、ここら辺ですね。江戸川土手はよく変わります。昔は土手上を自動車が走っていました。つまり、この辺から下の坂に続いていたのだと思います。江戸川土手を降りればすぐに帝釈天です。正門に回ります。<現場>正面は、第8作でマドンナ池内淳子...男はつらいよ/さくらが通う道
何度か目の訪問です。早稲田大学の近くの新宿区山吹町に在ります。たぶんお地蔵さんがあるのだろうな、と思っていて、商店街とその周辺を探した事があります。驚きました!商店街を入った所に在りました。「子育地蔵尊延命講」です。呆気なく見つかりました。今まで商店街に入って、その中心部を探していました。お参りしているのはお母さんでしょうか?小綺麗な商店街です。手焼きせんべいです。店の中右で焼いています。裸電球が好いです。でも、もう終わりです。地蔵通り商店街は各所に在ります。ここは小綺麗な300mくらいの商店街です。「地蔵通り商店街」
いつもの坂を降ります。常緑樹が多いせいか季節感がありません。三四郎池に水が満ちていました。鏡の水面です。橋を渡ります。開けた場所には風が吹きます。誰も居ません。三四郎池の冬景
本郷通りに陽が注ぎます。空には全く雲が無くピーカンです。東京大学本郷キャンパスの正門です。イチョウ並木です。工学部前の名物大銀杏へ行きます。黄葉の頃とは大違いです。人が疎らです。キャンパスを歩きます。安田講堂です。東京大学の冬景です。東京大学本郷キャンパスの冬景
東京大学農学部キャンパスの冬景です。忠犬ハチ公と上野博士に木漏れ日が注ぎます。東京大学農学部キャンパスの冬景
東京大学農学部キャンパスに在ります。レストランアブルボアです。今日のメニューです。安いです。庭に降ります。さて、カキフライ定食かな?「レストランアブルボア」の冬景
人通りが無い路地です。堀切の路地です。営業していないのかな?何屋だろう?路地を行きます。営業していないようです。コインランドリーが在りました。元は銭湯だったのでしょうね。居酒屋は夜の商売なので、営業の有無は不明です。あ、営業中です。定食を扱っています。まるで砂漠のオアシスみたいに安心した「営業中」の札です。もう営業中の電気屋を見ることはありません。端まで来て振り返ります。ここに商店街のアーチなんかが有って、さぞかし賑わったのではないでしょうか?夢の跡です。もう名前が無くなった元商店街
時々霊園をフラフラと散策します。上京する前まで、霊園=墓地を散策するなんて考えられませんでした。陰気で怖い場所でした。肝試しの場所でもありました。ところが、東京では霊園で花見をすると聞いて、腰が抜けるほど驚いたものです。霊園は憩い場所でもあるんです。今では私も、散策の場所になっています。谷中霊園には沢山の墓が有ります。その中から、有名人の墓を見つけるのも楽しいです。ふと、墓標の真ん中に有るのはSLじゃないのか⁉間違いありません。SLです。側の墓石には「今村清之助墓」とあります。誰?「今村清之助(1849.03.03〜1902.09.26)長野県下伊那の農家の二男16才の頃商人を志し横浜にて行商や露天商を経て明治11年日本で初めての株取引所を設立又明治17年から陸奥宗光と共に欧米先進国の経済文化を視察し外遊...鉄ちゃんの聖地?「今村清之助」の墓
谷中の「へび道」です。団子坂下の信号を南に入った所です。コインランドリーが在ります。そこは「朝日湯」の裏側です。「銭湯に興味があるのですか?」若い女性に声を掛けられました。「ここは民泊の入り口です。1部屋だけ民泊の部屋にしています」「不躾ですがお訊きします。ここは観光地で、駅から近くて、皆さん内湯を持っている界隈なんですが、お客さんはあるんですか?」ホントに不躾です。「はい、内湯が有っても大きい湯船が良いと言って来てくれます。ウチは10時から開けているので、地元の人だけじゃなくて、観光客がよく利用します。最近は外国人もよく来ます。湯温を高めにしているので、外国人の方は熱くて入れない方も居ます。でも楽しそうにしています」「私も熱いの苦手です。猫舌なんで・・」などと打ち解けます。「燃料はガスですか?」「はい、...「朝日湯」の存在感
こんな横丁でした。当時は長い横丁でした。鉄道の高架工事で横丁が半分になりました。駅前の再開発実行により住人が退去して、店が閉店して、工事用フェンスが巡らされました。2か月くらいこの状態でした。1月末に工事用シートが高くなりました。そして今日、シートが左に長くなりました。中の進捗具合はどんな状況だろう?何処からも見られません。このせいだと思います。赤文字は「石綿」の危険がある建物です。古い建物ばかりだったからなあ。工事用フェンスの中が見られるのは更地になってからでしょうか?呑んべ横丁解体始まる。
久しぶりに見ます。相変わらずというか、益々派手な店頭です。中華屋ですが、店主は「ウチのカツカレーはお勧めだよ」と言っていました。要するに、刺身以外何でも作っています。まだドアに「謹賀新年」です。らしいです。今日はお昼を済ませた後なので、暫く眺めました。小岩駅前フラワーロード商店街の一角です。一目瞭然、ジャイアンツファンの親父です。中華屋「ニュー大龍」
気になってやって来ました。煙突が半分だけ残っています。寂しい風景です。瓦礫の山です。昼休み中です。作業員は全員外国人です。中東系でしょうか?人手不足を実感します。ここからの姿もよく見ていました。路地を数歩入って、中川湯の裏です。ここからの風景をもっと前に見ていれば良った、と思いました。物事に対して、表面だけしか見ていません。突っ込み不足が多いです。・・・お別れです。前回の記事です。中川湯/煙突も無くなった
千駄木は動坂下へ向かう路です。「ふくの湯」準備中です。見上げるマンション併設の銭湯です。こちらがボイラーでしょうか?風が雲を払拭した冬空です。千駄木の「ふくの湯」
蕎麦好きです。いつも食べるのはせいろです。ホントの蕎麦の味が分かります。もう20年通っているので、黙って座ればせいろの大盛りが出てきます。今日も黙って座ってたら、これが出てきました。初めてです。蕎麦の盛り合わせ、味比べです。粋なことをやりますね。こんなメニューありません。店のサービスです。左が深山で、右が福井の蕎麦です。普段は深山を使っていますが、10年くらい前まで使っていた福井産が入ったので、こんな盛り付けをしたとのことです。深山は緑がかっていて少しモッチリ感があります。甘さは、甲乙付け難い。店自慢のツユとの相性は、若干福井に分がある。こんな贅沢な昼食でした。贅沢蕎麦
靖国通りを金華通りに入った所です。今日は家内と一緒です。並びました。初めての店に一人では心細いもの・・・。約30分が経過しました。目的地まで半分くらい進んだでしょうか?12時になりました。振り返ってみます。末尾は靖国通りまで伸びています。陽射しはあっても気温は低いです。日陰は寒いです。店員がメニューを渡しています。早く我々も貰いたいな。我々のところにもメニューが来ました。「釜玉うどん」中盛りと「かしわ天」にしましょう。千円弱です。これは帰省時によく食べるメニューでもあります。値段は田舎の倍です。味が楽しみです。並んで1時間が経過しました。もうすぐです。玄関前の椅子に腰掛けます。椅子は2つしかありません。従って皆んな1時間立って待つのは覚悟のうえでしょうね。椅子に座ったらすぐに呼ばれました。けっこう客の回転...猿楽町のうどん屋で並ぶ
降雪明けの眩い午後です。都内のバナーを見て、東京都美術館にやって来ました。美術館はこうして、気が向いた時にふらりと入るのが好きです。印象派がアメリカに伝播して、日本にも遅れて、黒田清輝たちが導入した経緯を紹介しながら作品を展示する企画展です。当然作品は写せません。展示場の「写真可」だけ撮リました。売店です。印象派は日本人に人気がありますね。会場も売店も混雑していました。見終わって、少し疲れました。椅子に腰掛けて休みます。作品が沢山有りました。窓の外は少しまだ雪が残っています。球体鏡の周りを子供がヨチヨチ走り回っています。春の景色です。「印象派モネからアメリカヘ」展混雑
先日夕方のTVニュースで紹介されていました。早速やって来ました。春だ春だ!東京の河津桜が満開です!東京の河津桜満開!
随分永い工事でした。もうすぐ完成です。新しい「金華小学校」です。小学校らしくない建物です。あ⁉横断歩道を渡ります。石碑が復帰しました。工事の間、何処かに疎開していた夏目漱石碑です。以前とは違う場所に戻りました。こちらがメイン通りの「金華通り」です。「先輩夏目漱石略歴慶應3年1月6日、牛込に生る。金之助と命名。市ヶ谷小学校に入学後、金華小学校に轉ず。同校卒業後一橋中学校に入り、同校卒業へずして退き、二松学舎に入りて漢学を学ぶ。(大正4年『新小説』より)明治23年東京帝大に入学。正岡子規と交わり俳句と漢詩を作る。同28年、松山の中学校に赴任。同29年、熊本第五高等学校教授となる。同33年、ロンドンに入学。同36年、帰朝。東京帝大講師となり、英文学を講義。同38年、処女作『吾輩は猫である』を発表。同40年、講師...夏目漱石碑が戻った金華小学校
残雪の谷中の路地です。いつもの築地塀がある路地に残雪ですが、陽射しは春の陽気です。こちらからも眺めます。加納院の路地です。築地塀の路地です。見上げる早春の空です。残雪の谷中の路地
オープン3日目の訪問でした。まだ来客は少ない、と思っていました。「豊洲千客万来」を目的としてやって来ました。1階に駐輪場が在ります。駐車場も在りますが、両方とも観光バス以外のスペースが小さいです。皆んなが知ったらすぐに満杯です。でも、ゆりかもめ(モノレール)市場前駅と直結です。東京は電車・バスが便利です。1階は混んでいそうなので、自転車を置いて2階に行きました。・・・想像以上です。ここは「豊洲目抜き大通り」です。すし・うなぎなど、江戸の名物食を味わえる飲食店や土産物店が並びます。それにしても、東京人は群れるの、並ぶのが好きですねえ!寂しがり屋で好奇心が旺盛なんでしょうね。こうなるだろうと、私達は食事を済ませて来ました。既に14時過ぎです。でも店頭に並んでいます。押すな押すなの混雑です。アジア系の外国人も多...「豊洲場外江戸前市場」オープン
早稲田の街を走っていたら、こんな建物に遭遇しました。なんじゃコレ⁉自転車を止めました。ガウディか?上層階はマンションみたいです。1階のここはギャラリーのようです。こちらが玄関のようですが、入る勇気はありません。ガウディだよこれは!「城の樹」と書いています。建物の名前か?向こう正面に早稲田大学が在ります。帰宅して調べてみました。早稲田大学を卒業した梵寿綱氏の設計で、「早稲田のガウディ」って呼ばれているそうです。この建物は25年以上前に建築されたそうです。まさにガウディって呼ばれているんですね。ちょっと離れて見ます。東京でも違和感があります。今まで何で気が付かなかったのだろう?東京の街は奥が深いです。早稲田で遭遇した「城の樹」
みぞれ混じりの天候です。「中止にしよう」、なんて者は誰も居ません。年に1度の大会です。スタート位置です。先ず中・高生がスタートします。続いて、シニア(中年〜後期高齢者まで)が位置に付きます。「どけ退け」!とひしめき合ってスタートしました。いい大人でも競争が好きです。後ろは、参加することに意義を見出している一団です。総勢60数艇の参加です。約10kmの競漕です。見送ります。東京は運河が発達しています。このような大会が開催できます。途中の橋上から応援します。この辺はオリンピック精神組です。スカイツリーが雨で霞んでいます。最終漕者です。初参加です。それでも、「皆んなに離されて悔しい」と言っていました。闘争精神は幾つになっても大事です。病気との戦いにも役立ちます。3人転覆しましたが怪我なく(凍える冷たさでしょうが...江東区カヌーマラソン大会
江戸川土手です。<現場>現在の江戸川は改修工事が為されて、石垣が殆ど無くなりました。石段に座って語らうゲスト(三田寛子)と寅次郎のお陰で知り合ったボーイフレンド。<現場>現在も石垣があるのは2つの給水塔の間だけです。撮影もここら辺だと思います。この映画の映像は、いつも柴又から真っ直ぐ江戸川に突き当たった場所でなく、ちょっと上流側のこの辺です。江戸川土手で語らう満男と寅次郎。<現場>河川敷のトイレが今も在ります。<現場>この頃、満男は寅次郎に憧れていて、尊敬の念を抱いています。そして進学に悩んでいます。満男が質問します。「伯父さん、人間は何のために勉強するの?」「そういう難しいことは聞くなって言ったろう」と言いながら、寅次郎が答えます。「俺みたいに勉強していない奴は、振ったサイコロの目で決めるとかその時の気...男はつらいよ第40作/江戸川にて
「ブログリーダー」を活用して、荒川三歩さんをフォローしませんか?
鳳鳴館別館です。隣は鳳鳴館本館です。本郷の丘の上に在ります。本館と別館はこの路地で分けられています。かつて本郷は旅館街でした。このような和風旅館が沢山在って、修学旅行生の宿舎でした。かくいう私も、高校の修学旅行で一躍上京して本郷に宿泊しました。東京へ行くなんて、当時の田舎者には大変な出来事で、大宮に住んでいた叔父一家が面会に来てくれたりしました。左側が本館、右側が別館です。本郷の何処に泊まったか覚えていませんが、ここに来ると高校生の頃を思い出します。もう半世紀以上前のことです。鳳明館の春
「とらや」はセットですが、実際の「神明会商店街」でのロケも多いです。リリーさんを迎える寅次郎。<現在>「川ち家」が建ち替わっています。さくらと叔母ちゃんです。血が繋がってはいないけど、何を置いても、甥の寅次郎、姪のさくら、そして、姪孫(てっそん)の満男を大事に思っています。2人寅次郎を待っています。<現在>寅次郎を待つさくら。<現在>待ちかねていたさくら。<現在>半分くらい店が変わっている商店街ですが、名作映画の名残りを探すのも楽しいです。「男はつらいよ」参道商店街に名残りを探して
道路の反対側に見つけました!根岸の街角です。やって来ました。設置したてみたいです。自販機もその基礎も、駐車場の舗装も新しいです。「だし道楽」です。先日登録読者さんが、だし自販機は3つのメーカーがあることを教えてくれました。告知スペースを見ます。ほう、卵かけご飯がお勧めですか?商品は2段3種類です。シンプルです。よく似た自販機の他メーカー「だし職人」とは趣きが違います。裏を見ました。随分スッキリしています。「だし職人」のようなゴテゴテと面白いキャッチコピーはありません。もう一度ラインナップを見ます。登録読者さんはいつも私の疑問に対して的確に教えてくれます。先日の「だし自販機8号」の記事を見て、「プロの料理人が各種有る自販機だしの味比べを行ったサイト」を紹介してくれました。そして、遂に購入しました!1番高い7...根岸で「だし自販機」9号発見!そして、
谷中のへび道です。靴の工房が在ります。センスが好いです。店舗の入口は表通りです。ちょっと振り返って表通りへ行きます。ここです。「SONOMITSU」?「園田光夫」さんでしょうか?表通りは「三崎坂」で信号は「団子坂下」です。朝日湯の傍です。へび道の靴屋
横十間川に野鳥のコロニーが在ります。繁殖期を迎えています。カワウとアオサギが多くを占めていて、少しコサギが居ます。鳴き声が喧しいです。カワウが飛びます。水温む春です。もうすぐ子供が見られそうです。スマホは野鳥の撮影には向きませんね。野鳥のコロニーに春来る。
谷中銀座の看板を見て歩いています。ここは老舗の電気屋です。ヤマダ電気とかの大型店に駆逐されて、個人経営の電気店に出逢うことが珍しくなりました。ここは何屋だろう?雑貨屋ですね。丸看板とは違和感があるけど、商売替えしたのだろうか?ここは書店です。上ばかり、看板ばかり見て歩いていたら声が掛かりました。「うちにも有るわよ」・・・ここがよく分からないんですよ。落語家の絵です。「うちも撮って頂戴」と言った人です。その左に、落語家の絵葉書が有りますが、江戸玩具らしい物も、バニラアイスも、味噌田楽も、秋田料理も商って、最近は店頭で占いもやっているのです。右端下の袖だけ写っている(避けて撮った)のが占い師です。飴屋です。谷中銀座の東口です。振り返ります。正面のあのビルが建つまでは、この路地が夕日で染まったそうです。ここが紅...谷中銀座の丸看板
谷中銀座は古い町並みですが、店舗は新旧入り混じっています。ここは何屋でしょう?お茶屋です。この丸看板が老舗店の目印です。この丸看板は違います。新興店です。蕎麦屋です。ここは違います。老舗の喫茶店です。新しい店が入るようです。新旧の店が混在しており、更に入れ替わりが多いのが商店街の現状です。谷中銀座の老舗店の丸看板
観光客に人気の谷中銀座です。いつも賑わっていて儲かっている店ばかりのように見えますが、多くの店が入れ替わっています。今日は古くからの店を訪ねます。昔、まだ夕日が商店街のメインストリートを染めていた頃だと思います。商店街組合が各店の看板を制作しました。ここ初音家に掛かる丸い看板がそうです。その時から商売している印です。看板を探して歩きます。魚屋です。福島商店の看板です。丸の上部に店名、下に「谷中銀座」、真ん中に取り扱っている商品、という構成です。陶器店です。酒屋の越後屋です。谷中は猫の街でもあります。数カ所にオブジェが有ります。観光客が立ち飲みする店です。食べ歩きの店はこちら。中央右の、ニット帽の向こうに丸看板が見えます。八百屋兼業です。こちらも食べ歩きの店です。肉のすずきです。こちらは、、、老舗店ではあり...谷中銀座の老舗店
大きな石の常夜灯が有ります。今まで気にもしてなかったけど、自転車を停めました。説明板が有ります。ほう、有名だったんですね。忘れ去られた(私だけ?)常夜灯です。ここは東京の観桜の名所「墨堤」です。ぼんぼりが設置完了です。えっ!もう?桜の枝は寒々としています。これは、向島町会は弾けるつもりですね!花見の準備完了!
大相撲3月場所が酣です。陸奥親方の定年により、3月場所で陸奥部屋が閉鎖されます。噂では、大関霧島は元横綱「鶴竜」が向島に起こした「音羽山部屋」に移籍するようです。やって来ました。向島の「喫茶カド」の跡地です。「見番」です。向島は花街です。やって来たのは「音羽山部屋」です。花街に在ります。まだ看板は有りません。鶴竜は音羽山部屋を興すに際して、弟子2人と床山1人を連れて陸奥部屋を出ました。大関が移籍して来ると箔が付きますが、どうして陸奥部屋を継承しなかったんだろうか?考えられるのは、鶴竜は「井筒親方」の逝去に伴って陸奥部屋に移籍しています。生え抜きの陸奥部屋の弟子ではありません。その辺の事情でしょうか?一方、なぜ移籍するのは霧島だけなんでしょうか?他に目ぼしい力士が居ないのだろうか?4月になってから発表して、...陸奥部屋から音羽山部屋へ移籍する。
谷中霊園に、最近こんな看板が登場しています。写真の下方には「50m」と書いています。・・何度目かの遭遇なので、行ってみることにしました。ここですね。看板の釈迦如来坐像が本当に石の台座に座っているように見えます。説明文を読みます。そうなんだ!ここは天王寺の所有だったのを、一部を明治政府が買い取って墓地にしたそうです。私は逆(墓地の一部に天王寺を建てた)だと思っていました。勉強になります。写真のアングルから台座を眺めます。多分もう来ることは無いので、ぐるり一周しましょう。道路に戻りました。公園が在ります。天王寺の五重塔が在った場所です。数年前、再建運動が行われていて、私も署名した事がありました。今は活動していません。私の署名は役に立ちませんでした。谷中霊園は観桜の名所です。桜が咲くと、この交番が好い絵になりま...天王寺/銅造釈迦如来坐像台座跡
2ヶ月に1度開催される足立市場祭りです。前回は赤身が買えなかったので、30分くらい早く家を出て来ました。相変わらずの賑わいです。東京人はマグロが好きですね。前回、片手に乗っけただけのマグロブツを1000円で売ってくれるイベントをやっていました。今回は「マグロブツ切り盛り放題ピタリ賞あります!」です。「盛り放題」と言ったって、「300gピタリ賞でタダ、5g以内だと半額」の企画です。そりゃ、400g買う人は居ないです。300gに挑戦します。前掲の列に並んでいた時に「カランカラン」と鐘が鳴って、「半額」ゲットした人が出たばかりです。熱が入ります。残念だった人に、「惜しい!もう1切れ乗っけたら『半額』だったのに、ほら、」と店の人が乗っけたら、そのとおり295gです。職人技で盛り上げます。コロナ禍で休止していた祭り...マグロブツ切りピタリ賞
寅次郎帰省の図です。<現在>リリーさん来訪の図。<現在>チアガールの練習を見ている満男と源ちゃん。<現在>人生に悩む満男と脳天気な源ちゃんです。寅次郎に貰った、頭が良くなるバンドです。源ちゃんが貸してくれと言います。<現在>今も変わらぬ草土手です。そして、矢切の渡し。<現在>偶々大潮の干潮時だったのでしょう。河原に降りて撮影できました。沈みかけの桟橋も変わりません。写真を撮るのに土手上に置いた愛車です。まさか、あの悩める満男少年が、長じて「Dr.コトー」になるとは思ってもみませんでした。「男はつらいよ」に見る江戸川の今昔
陽射しは春ですが、風が冷たい平日の雷門前です。人力車夫の呼び込みに活気があります。仲見世入り口です。ぱっと見7割以上が外国人です。入国したら寒さなんか関係ありません。楽しまなきゃ損です。で、駄目だこりゃ。仲見世裏を歩きます。空いていると思っていました。こんな店ができたんだ!似顔絵描きです。一般に思う似顔絵描きは、道端で客を座らせて描いていますが、大きな店舗です。「誇張のレベル選べます!」を覗こうとして、店内の客の多さに驚きました。流行っています。そうそう、前回もこの店が大人気でした。「いちご飴」に「いちご団子」です。浅草では「りんご飴」や「いちご大福」は時代遅れです。いちご飴です。いちご団子です。別に食べたくは無いけど・・・。ちょっと仲見世を覗きます。インバウンド天国です。仲見世裏も混んできました。薬屋の...インバウンド天国だよ浅草は
「蔵前神社」鳥居前です。5代将軍徳川綱吉が、蔵前に山城国の石清水八幡宮を勧進したのが始まりです。蔵前とは、江戸時代に大名家の蔵が在ったことからの名前です。倉庫業ですから、力持ちを称える文化が発展しました。ここに大相撲の「蔵前国技館」ができたのは自然の成り行きだった訳です。古い力士名が残っています。「横綱東富士」「大関栃錦」。こちらは「横綱鏡里」、そして「大日本相撲協会」です。現在は、「日本相撲協会」です。「大日本帝国」が「日本」に変わったのと同じです。境内へ入ります。徳川将軍家祈願所の一つとあって、古典落語縁の地でもあります「元犬」や「阿武松」の舞台です。元犬の像が有ります。その向こうには、浮世絵が奉納されています。歌川国安作「御蔵前八幡宮奉納力持」です。力持ちを称える絵です。手前は緋寒桜だと思います。こ...そもそも「蔵前神社」とは
蔵前神社です。ビルの谷間の小さな神社ですが、数年前から人気のスポットになっています。その理由がこれ。ミモザが満開です。手前にも満開の桜です。河津桜か寒桜?「蔵前桜」と表記しているブロガーも居ます。ミモザを見上げます。花の下は大変な人出です。圧倒的に女性が多いです。ミモザの花は「国際婦人デー」の象徴でした。背景に満開の桜です。この競演が今大人気です。「蔵前神社」黄色とピンクの競演
満男が駅から帰って来ました。帝釈天の参道です。<現在>背景の提灯と、お婆さんが腰かけている後の石柱が面影をとどめています。柴又駅方面です。今は観光案内所に寅次郎が立っています。寅さんが駅に向かって来ました。さくらと一緒です。<現在>「えびす屋」は倍の広さになりました。<現在>やがて背後の鎌倉街道が拡張される予定です。そうしながら「国の重要文化的景観」を維持する計画です。鎌倉街道を渡った神明会商店街入り口です。おもちゃ屋が在ります。<現在>多くの店が変っても、ここは今でもおもちゃ屋です。いつも賑わっていないけど、頑張っています。満男がバイクで商店街を帰って来ました。<現在>右に「高木屋」、左に「天丼・天ぷら」の看板です。この話、時々やります。「男はつらいよ」に見る帝釈天参道の今昔
方向音痴です。自信があります。路地に入って3,4回角を曲がるともういけません。でも、時々良いことがあります。東日暮里の角です。そこに有りました!「だし職人渾身のだし」です。「だし自販機」8号発見!です。正面に廻ります。告知スペースに興味があります。いつも楽しいコメントが書かれています。「必ずこちらの1本から『渾身のだし』化学調味料不使用」そして、「東京で唯一の白だし販売自販機」とあります。後者の「東京で唯一の白だし販売自販機」に興味ありです。品揃えを見ます。上段に「すっぽん」と「うまだし」。これは温かいのですね。中段に「渾身の白だしだしのある風景」、ラベルが白と黒の2種類があります。「東京で唯一の白だし」はこれでしょうか?これは冷たいものしかありません。下段を見ます。「だし職人自信のあごだし」で、やっぱり...東日暮里で出逢った「だし自販機」8号
白山通りの巣鴨界隈で見つけてしまいました。「だしの自販機」7号を小岩で見つけた時に、ラーメンの自販機も見つけたのは既報のとおりです。でも、ラーメンの自販機は追いかけない、と決心したばかりですが、これは特別です。車が1台停まっていて、右の電光看板が「満」になっています。つまり、たった1台だけのコインパーキングです。この希少性に加えて、ラーメンの自販機が有るのです。これは報告ものでしょう?ラーメンの自販機を眺めます。コンセプトは「お家でガッツリやさいあぶらにんにく増し増し」です。「Gkガッツリ麺」、「G系らーめん集結」とも書かれています。とにかく目立つカラーリングです。横側には「G系らーめん集めました」とあります。どんな商品がラインナップされているのだろう?1番上の段を見ます。「俺の生きる道白山店」が1200...見つけてしまったラーメンの自販機
春です!街にミモザ咲く!
日陰にひっそりと、墓所が在りました。深川の街道沿いです。間宮林蔵の墓です。東京に住んでいる面白さは、散策の途中で歴史上の人物や史跡などに遭遇した時の気持ちの昂りです。伊能忠敬に測量学んで樺太が島であることを発見しました。ロシアとの空白地帯を明らかにして、そこを「間宮海峡」と呼ばれる発見をした、地理学者、探検家です。最後は深川蛤町で没しました。現在の門前仲町界隈です。ここから近いです。お参りします。見上げる空は青いけど狭いです。樺太の大自然とは全く違う、ビルの谷間の墓です。間宮林蔵の墓に遭遇しました。
ピンクの塀の向こうに、ピンクのしだれ桜が満開です!布袋尊を祀っています。修性院のしだれ桜が満開です!花の下に入ります。日暮里界隈は、風光明媚で日が暮れるのを忘れて楽しんでしまう事から「日暮らしの里」呼ばれています。長明寺から本行寺、そしてここ修性院と、しだれ桜を観て廻っています。私は勝手に「谷中3大しだれ桜」と呼んでいます。見飽きることがありません。正に「日暮らしの里」です。谷中「修性院」のしだれ桜が満開!
長明寺にやって来ました。見上げるしだれ桜が満開です!今年も咲きました!手前の墓は、「伊勢丹社員の墓」です。風流な墓です。向こうにそびえているのは丘の下に在る日暮里駅前の高層マンションです。ここは丘の上のお寺です。見上げます。こちらにも有ります。ここのしだれ桜は長明寺の桜と兄弟(正確にはクローンだと思います)です。50数年前に両寺の住職が連れ立って行って、身延山で苗を買ったそうです。長明寺が1本、こちら本行寺が3本買ったそうです。双方は直線距離で200mくらいです。よくまあ、、そんな運命の桜です。小林一茶が度々訪れた寺です。太田道灌が斥候台を築いた丘です。当時は周囲を見渡せる丘だったようです。山頭火の句碑も有ります。「ほっと月がある東京に来ている」周囲に遮る物が何も無い高台の寺だったようです。ほっと見上げま...谷中「本行寺」のしだれ桜が満開!
三門の向こうにしだれ桜が満開です。谷中の「長明寺」です。待っていた景色です。今年も咲きました!青空に、綺麗です。反対側からも眺めます。春が来ました!花の中に入って見上げます。桜のシャワーです。この桜は私の標準木です。真っ先に咲きます。今年も逢えました。生きてて良かった、と思わせてくれます。帰りがけに、もう一度三門から。石碑に「ほたるさわ」の文字が見えます。私が立っている路地は暗渠です。昔は小川で、蛍が飛び交う沢だったのでしょう。そんな昔の風景も連想させてくれます。さあ、ここが咲いたらあそこも!谷中「長明寺」のしだれ桜が満開!
佃煮を買いに来ました。この界隈の景色が好きです。高層マンション群と佃煮屋です。新旧が共存する町です。買い物を終えて隅田川土手に上がります。勝鬨橋の向こうには聖路加タワーです。後ろは田中屋です。朱鳥居に来ました。表参道です。隅田川土手に立っています。川から住吉神社へ行く参道です。徳川家康の江戸移封に伴って、大坂から付いて来た漁師の町です。現役の井戸が有る町です。漁を終えて、家に入る前に手足や体を洗います。大坂の漁師が故郷の住吉大社を分社しました。高層マンション群の中に在る神社です。こちらにも井戸が有ります。今も使っている井戸です。佃小橋からの眺めです。船泊と高層マンション群です。こちら側は銭湯と共に暮す町です。この界隈の景色は30数年変わりません。佃煮を買って佃島を巡る。
月島の隅田川土手上です。対岸には聖路加タワーです。下流に架る築地大橋です。上流に目を向けます。勝鬨橋とその先に、佃島の高層マンション群です。勝鬨橋と都心のビル群です。土手を下りました。勝鬨橋を潜って佃島へ行きます。佃煮を買いに行きます。月島の隅田川土手から
お昼前のもんじゃストリートです。まだ人通りは少ないです。交番と聖路加タワーが見通せる、月島の人気交差点です。すぐに人気のメロンパン屋が在ります。その角を入ります。中空に渡り廊下が在る路地です。月に1度、佃島に佃煮を買いに来ます。必ず前述の場所とこれから歩く路地を確認しています。変わっていない事を確かめる為です。変遷著しい東京下町の無事を確かめています。未だに何の店だか分かりません。路地を行きます。路地の先には聖路加タワーが見えます。振り返ると、新たにできた高層マンションです。新旧が共存する下町の風景です。路地を行きます。すぐそこに路地が横断しています。横断しながら見ます。こちらにも高層マンションが立っています。次の路地です。聖路加タワーに向かって歩きます。下町らしい景色です。この風景が好きです。路地を抜け...月島の路地を行く。
咲いていました!ミモザ咲く路地です。このミモザを昨年見つけました。見事です。ミモザを植えている民家は珍しいです。そして今年も、玄関にミモザのリースです。陽当りの良い雑司が谷の丘の上です。ミモザ咲く路地
春の隅田川にホタルナです。彼が設計デザインを描いた水上バス3艇のうちの2号艇です。・・・もう松本零士さんは居ないんだなあ。もう松本零士さんは居ないんだなあ。
塀の向こうの桜が満開です!ソメイヨシノでしょうか?東京の標準木が14日に開花宣言したばかりです・・・?とりあえず行ってみます。おお〜、もう散り始めています。ソメイヨシノみたいなんだけど・・・?植物にも疎いですが、桜は大好きです。見上げます。満開です!ああ~、見事な春です!ん?枝が細いぞ⁉しだれ桜の遺伝子が入っているのか?1本の大木です。暫く見惚れていました。桜の傘の下です。見事な桜です。この時期咲くのはソメイヨシノじゃないよね?でも似ているよね?退出します。あの桜以外は全く冬の様相の木々です。都電新庚申塚停留場近くの「善養寺」です。ここは「絵師の尾形乾山」の墓所で「絵師」と紹介していますが、私は琳派の創始者尾形光琳の弟で、陶芸家だとの認識です。桜に惹かれて慌てて入って行ったので、この説明板に気が付きません...ソメイヨシノ(みたいな?)が満開!
立石駅通り商店街へ入ります。銀行が有りました。クレジットカードで使った引き落としの為の入金がまだな事を思い出しました。ちょっと寄り道します。さて、駅前で見た電柱看板では、商店街の最初の角を曲がります。ここを入ります。狭い横丁です。たこ焼き大ちゃんが流行っています。あ、高い所に電柱看板を見つけました!この角を曲がります。ふと、反対側を見ました。ここ以前に来たことあります。立石1丁目児童遊園です。気になるので確認します。有りました!キャプテン翼像です。地元の観光企画で「キャプテン翼銅像めぐり」ってのがあって、立石と四つ木の街を探し回った事がありました。沢山有ったそのうちの一つです。懐かしいです。さて、公園の前の路地に、赤い「質」と白い「岩井」の看板が有りました!よく目立ちます。その先は京成電鉄の線路です。あの...立石の街で「岩井質店」を探す−2
Uターン看板が有りました。質店の電柱看板です。「この手前立石駅徒歩1分」とのことです。駅はすぐ近くです。Uターンします。梅田神社です。時々前を通りますが、お参りしたことはありません。素通りします。区役所通りを横切ります。・・・ここまで1本道をUターンして来たのですが、あれ以外、電柱看板は有りません。「ふれあいの町立石西町商栄会」の角です。・・・おかしいなあ?電柱看板を思い出しました。「立石駅徒歩1分」と書いていました。駅に行きます。そうとなったら、近道を行きましょう。せんべろの店「もつ焼き江戸っ子」の路地を入ります。呑んべ横丁を通り抜けます。駅前に来ました。有りました!電柱看板です。線路の向こう側のようです。すぐに踏み切りです。踏み切りを越えて、「立石駅通り商店街」へ行きます。京成立石駅を見ながら渡ります...立石の街で「岩井質店」を探す−1
あらかわ遊園の裏は隅田川脇の公園です。下りてみます。下流方面です。上流方面です。浅草や両国界隈の隅田川とは全く違った長閑さです。観覧車を見上げます。上がって遊園地内を覗きます。世界一遅いジェットコースターです。芋虫のコースターです。スカイサイクルが来ました。のんびりと、遅い者同士が行き交います。観覧車の前を2台のスカイサイクルが通過します。蒸気機関車がやって来ました。あらかわ遊園は外からでも十分楽しいです。観覧車を見上げます。桜の木が多い隅田川土手です。もうすぐ花見をしながら遊べます。最後に、新聞で触れていた煉瓦塀です。ここが昔の「あらかわ遊園入り口門」でした。今は住宅地の一部になって存在しています。あらかわ遊園と煉瓦塀の話はこちら。「あらかわ遊園」を隅田川から、
先日の新聞記事です。長閑な春日和です。触発されて行ってみようと思いました。やって来ました。3年余りの改装工事を終えてリニューアルオープンして暫く経ちます。客が殺到しているとの噂は聴きません。遊園内の設備は休園前と殆ど変わってないそうです。実は私、入った事がありません。ここ正門や裏の隅田川土手から覗くだけです。入り口から覗きます。小さな観覧車です。メリーゴーランドです。都電カフェです。裏に回りました。中に入らなくても、柵の間からよく見えます。ポニーです。鳥類園ですが、鳥も人も居ません。鳥が居ないから人が居ないのですね。カンガルーです。奥のカピバラも寝ています。動物が居ても人が居ません。ゆるい遊園地です。平日の昼下りです。人も動物もギスギスしていません。この開放感はあらかわ遊園の伝統です。観覧車の前をスカイサ...新聞に誘われて「あらかわ遊園」
前回江戸川競艇場の報告をした際に、舟券売り場とレース場の間の道を紹介しました。レースを見ないで予想紙を読んでいる小父さんが居た場所です。外から見ます。先ずは、南からです。中川の下流からの風景です。正面が競艇場の建物です。「急カーブ」の表示が有って、塀に5本の矢印が有ります。よく見ると、黄色い「追い越し禁止」のラインが真っ直ぐに建物に向かっています。次に北側から見ます。競艇の開催中を利用して工事中です。ここにも黄色いラインが真っ直ぐ、工事中のトラック向いて伸びています。トラックの右上に、建物の影から来る車を見る為のカーブミラーが有ります。車は、競艇場を迂回して、カーブして走ります。結構交通量がある道路です。地図を見ます。競艇場と川の間を真っ直ぐに、黄色い線が通っています。主要幹線道路450号線です。つまり、...江戸川競艇場の道路事情
江戸川競艇場に出逢いました。散策中によく出逢う場所ではあります。私、江戸川区に20年弱住んでいましたが、1度も入った事がありません。今日は正門前の駐輪場が空いていた事で、行ってみようと思い付きました。横断歩道を渡ります。ボートレースに興味はありません。40年くらい前に、一度だけ住之江競艇場に行ったきりです。船券を買うつもりもありません。ただの興味本位です。大きな像が有ります。大魔神だろうか?たぶん、防人像ではないでしょうか?それとも土偶、埴輪??教科書で習ったように思いますが、競艇との関連は何でしょうか?向かって左側にもう1体有ります。こちらは黒いです。神社の「右近の桜橘・左近の桜」みたいなものでしょうか?入り口です。今日は12の競艇場でレースを行っているようです。上にある「365」って、毎日何処かでレー...江戸川競艇場に行ってみる。
「『焼跡の春を惜しまむ酒少し』など、『波郷の焦土俳句』と評されるほど焼跡を多く詠んだ。結核で入退院を繰り返して『焼跡を詠むしか仕方ないではないか』と語っていたという。色とりどりの春の花でも地味なハコベに心引かれるのは、焦土でも咲くたくましさのせいか。」信号の先に商店街が在ります。石田波郷宅跡から歩いて数分の場所です。当然彼もここで日常的に買い物をしていたと思います。下町の賑わい商店街「砂町銀座」です。商店街の裏に、「砂町文化センター」が在ります。そこの2階に石田波郷記念館が設けられています。入ってすぐに有ります。波郷の代表作なんでしょう。波郷は俳句だけでなく、沢山の下町の写真を残しています。そして俳句を・・・。「今生は病む生なりき鳥頭」彼の句は、故郷松山の先達正岡子規に続く「闘病俳句」と呼ばれています。砂...「焼跡に透きとほりけり寒の水」
先日の「天声人語」は、花粉症状で始まって街路樹の根本のハコベに至り、タイトルの句を詠んだ俳人石田波郷に触れたものでした。「1945年3月10日の東京大空襲で義母らを失った波郷は、翌年に上京してこの句を詠んだ。当時住んだ現在の江東区一帯は『目立つ建物も見当たらぬほど広大な焼け野原だった』焼き尽くされた大地にハコベが芽吹き、白い花が咲く春先にスズメがついばむ光景が目に浮かぶ。」久しぶりに行って見ようと思いました。砂町の小名木川土手に立てられた「石田波郷生誕百年記念碑」です。「石田波郷は大正二年(1913)松山市に生まれた俳人。戦後の昭和二十一年から十二年間、砂町にある妻あき子の実家で暮らし、「江東歳時記」や「借命」に下町の風情や闘病中の句を詠みました。「雪敷ける町より高し小名木川」石碑の傍の新開橋から見る小名...「はこべらや焦土のいろの雀ども」
先日のTVニュースを見てやって来ました!想像以上の景色です。桜が満開です!奥に黄色い花が見えます!ミモザです。桜はおかめ桜と寒緋桜だと思います。この3本が一緒に満開になるのはとても珍しいそうです。人力車も来ています!ここには昔、大相撲の蔵前国技館が在りました。大日本(今は「日本」)相撲協会はここの氏子です。桜とミモザが同時に満開です!ミモザです。ミモザと桜です。沢山の人出です。東京に春です!!蔵前神社早咲きの桜とミモザが満開!
鬼子母神上川口屋のお婆ちゃんが行くという大塚の銭湯「記念湯」へ行ってみます。お婆ちゃんになったつもりで、鬼子母神前停車場から、雑司が谷、向原の次、3つ目の大塚駅前にやって来ました。途中で佐藤錦の満開を見ました。坂を下って都電が行きます。電車を降ります。左側のホームをこちらに来ます。商店街に入ります。私もよく来る「サンモール大塚商店街」です。洋食のGOTOOにもよく来ます。こんな所に銭湯なんてあったっけ??真直ぐ、坂道を行きます。天祖神社を右に見ながら行きます。すぐに看板が見えました。お婆ちゃんの言ったとおり、停留場からすぐです。ここです。上層階は「サウナ大塚」と経営者の自宅及び共同住宅のようです。もう開店していました。こんな浴場です。隣にコインランドリーです。銭湯「記念湯」です。どんな謂われの命名でしょう...上川口屋のお婆ちゃんが行く大塚「記念湯」