佃島は新旧が共存する街です。こんな路地の散策が好きです。最近特に、再開発で古い民家が取り壊されるのを見ます。この路地なんか、時代の流れの現場です。路地の左側が古い家並みで、右側が再開発した後建築されたマンションです。路地を行きます。突き当たりも最近建てられたマンションです。振り返ります。向こうの突き当たりもマンションです。表通りでも工事中です。まもなく、全てがマンションに替わりそうです。できるだけ見て、記憶と記録に残そうと思っています。再開発が進む佃島の路地
佃島は新旧が共存する街です。こんな路地の散策が好きです。最近特に、再開発で古い民家が取り壊されるのを見ます。この路地なんか、時代の流れの現場です。路地の左側が古い家並みで、右側が再開発した後建築されたマンションです。路地を行きます。突き当たりも最近建てられたマンションです。振り返ります。向こうの突き当たりもマンションです。表通りでも工事中です。まもなく、全てがマンションに替わりそうです。できるだけ見て、記憶と記録に残そうと思っています。再開発が進む佃島の路地
裏参道から帰ります。地の底へ向かうような階段です。この参道はいつから在ったのでしょうか?愛宕神社ができた時から在るのでしょうか。だとしたら、しんどくて誰も利用しなかったとも思います。あっ、「愛宕山隧道」が無かったんだ!じゃあ、ここを登ったんですね。信心深く無いとできないです。右下のお寺に杉田玄白の墓所が有ります。地上が見えました。愛宕山隧道です。都心のトンネルです。振り返ります。こんな参道です。愛宕神社裏参道
病院に来ると愛宕神社にお参りしますが、実はこの景色を見るのが重きを成しています。夕方のしっとり感です。昔はワインバーの入り口でした。時の流れを思います。愛宕神社裏の夕景
やっと病院の検査が終わりました。もう夕方です。「出世の石段」を上がります。心臓が悪い私の体調診断です。休まずに上がれるだろうか?85段をノンストップで上がり切りました。ゼイゼイ言いながら上がっている最中思いました。ここは勝海舟が西郷隆盛を伴って上がり、江戸の町を見せて「この百万の民を焼くのか!」と江戸城無血開城を迫った場所です。海舟はこの石段を上りながら、「ここがほら、曲垣平九郎殿が馬で上がり下りして、家光公に山上の梅を手折って献上した石段でござるよ」なんて言ったのかなあ、と思ったりしました。そんな事でも考えないと心が折れてしまう石段です。楼門が艶やかです。お参りします。係の人に促されました。「早くお参り下さい。14時で閉めます」えっ、初めて知りました。なるほど、閉めています。新たな発見がありました。知ら...愛宕神社は16時閉社
東武スカイツリーライン鐘ヶ淵駅です。埼玉に住んでいた頃は通勤に使っていて、「東武伊勢崎線」と言っていました。そんなことを思いながら、駅を見ていたら、すぐ脇の踏み切りの警報器が鳴りました。しまった、捕まりました。電車を眺めながら待つしかありません。電車が通り過ぎて、あっ、渡れる!と思いました。遮断機は上がりません。再び矢印が現れました。上りホームが見えます。浅草行きです。停まって、下車・乗車の後、出発です。早く出してよ、と思いながら眺めます。踏み切りから見えるだけに、気持ちが急きます。そうしたら、心配していたとおり、下り電車もやって来ました。OH!上り列車が出発します。下り列車がやって来ました。踏み切りで交差します。この瞬間だけ、ちょっと嬉しかったです。鐘ヶ淵の開かずの踏切
寂れてしまった商店街です。元「鐘ヶ淵西通り商店街」です。もう商店街のアーチも看板も有りません。商店街組合が解散したのだと思います。左手に昔懐かしい「散髪屋」が在ります。3色の回転灯は止まっています。ほんの2〜3年前まで、お爺さんが営んでいました。客もお爺さんでした。来し方を振り返ります。行く先を眺めます。ここは鐘ヶ淵紡績の企業城下町でした。さぞかし賑わった商店街だったと思います。企業の移転で取り残されました。商店街を出るとすぐ鐘ヶ淵駅です。廃業した散髪屋の在る風景
東京都美術館はよく展示品の「撮影可」の部屋を設けてくれます。ちょっと期待していました。ポスターの展示室が解放されていました!こんな素敵な配慮は進んで享受します。一緒にご覧下さい。どうだ!鑑賞者の少なさも分かると思います。こんなに恵まれた展覧会です。こんなに沢山でも見飽きません。覗いてみて、空いてればリピーターになります。ミロ展撮影可の展示部屋
展覧会は開催した数日後が一番空いているとの経験則を持っています。そのタイミングを逸しました。4月中旬に覗いたら、混雑ぶりに諦めました。ゴールデンウィーク前に覗いたら、がら空きです。勇躍チケットを買おうとしたら、「今日は小学生限定の観賞日です。一人だけ同伴できます」との事です。一人で来ているシニアは諦めました。連休明けです。がら空きです!チケットも買えました。私、抽象画は苦手ですが、ミロだけは好きなんです。あそこから先は撮影禁止です。・・・観賞を終えました。こんなにゆっくり見られたのは久しぶりです。とっても良かったです。長いエスカレーターを下って退館します。色彩鮮やかなミロの世界からそこは、深緑と静寂の上野公園です。ミロ展へ行く。
御前様の尻端折り姿はこの映画だけです。珍しいシーンです。さくらがバイクに乗っていますが、この後は全て自転車です。やっぱりさくらは、ママチャリが似合います。<現在><現在>寅次郎が失恋したあと、マドンナが訪ねて来ました。<現在>ここは参道入り口のおもちゃ屋前です。寅さん映画の最初から現在に至るまで在る老舗のおもちゃ屋です。観光地で玩具が売れるのか?不思議です。この27話から50話までずっと、満男役を吉岡秀隆さんが演じました。次回からセリフが多くなります。当時は「北の国から」の純を演じていて、国民的子役が寅さん映画に初出演しました。やがて寅さんシリーズの主役を務めるようになり、とうとう「Dr.コトー」になりました。我々寅さんファンは、時代の流れを見てきたように思います。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー3
門前にバイクが置かれています。源ちゃんは気になります。<現在><現在>なんと、さくらのバイクです。源ちゃんは「これ買うたん?ええなあ・・」<現在><現在>一度夕方の景色を撮りたいと思っていますが、自転車は夜の運転が危険で不安です。江戸川土手です。<現在><現在>背後の街灯の場所を探して構えたら、ちょうど自転車が通りました。<現在>ここが何処かと言うと、丸屋根の給水塔脇です。初夏の江戸川風景です。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー2
寅さんシリーズ第27話、1981年のお盆映画です。私は大阪勤務でした。でも、新世界へ行ったことがありません。マドンアは松坂慶子さんです。本映画は、瀬戸内海の島とか大阪とか、行きたい場所がいっぱい出ます。以前、「石切参道商店街」を舞台にしたNHKドラマ「寅やん」が放送されましたね。さくら役の松下奈緒さんが好演しました。懐かしいです。石切神社はでんぼ(おでき)の神様です。大阪勤務のとき、長男のアトピー性皮膚炎快癒のお参りに行きました。今も当時の様に賑わっているのでしょうか?でもなかなか行けません。今回も都内を探します。と言っても、今回の都内の撮影現場は柴又界隈だけです。<現在><現在><現在><現在><現在><現在>葦が茂って川に近づけません。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー1
山谷の角に、懐かしいたばこ屋が在りました。昔からここで営んで来たのでしょうね。家を建て替えても、お婆ちゃんが商売を続けているのでしょうね。右上のたばこ看板が素敵です。もう民家ばかりになった「アサヒ商店街」の傍です。たばこ屋の角を入ります。そこは簡易ホテル街です。山谷は肉体労働者の町でした。今は労働者が少なくなりました。この界隈は簡易宿泊所とかドヤ(宿の逆読み)と呼ばれた宿泊施設が並んで居ました。その名残りの景色です。山谷では、時々芸術に遭遇します。角を出たら遭遇しました。最近よく見掛けます。山谷は「吉原」の隣町です。どちらも台東区です。吉原遊郭を舞台にした大河ドラマ「べらぼう」が観光に貢献しています。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩角のたばこ屋を曲がると、
山谷の吉野通りです。「自家製珈琲屋バッハ」が在ります。隣は「谷屋」です。反対側は「ほていや」です。どちらも簡易ホテルです。山谷は肉体労働者の町です。界隈は「山谷のドヤ街」ですが、ここ吉野通り沿いは、今では小綺麗なホテルになっています。安さに惹かれて外国人が利用するホテルになっています。バッハです。中は広いです。肉体労働者とは縁遠い人々が寛いでいます。本格的自家焙煎珈琲屋です。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「バッハ」が在る風景
山谷の吉野通りに、「泪橋ホール」が在ります。背後が「泪橋」の交差点です。ほら、「あしたのジョー」で、丹下段平がボクシングジムを始めた場所です。今は橋も川もありません。「泪橋」の名前を残す場所や建物は、もう珍しいです。強烈なインパクトを与える看板です。映画館、ですよね。スカイツリーを望む吉野通りです。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「泪橋ホール」の在る風景
(今回は初めての試みです。はてなブログで書いた記事をこちらに貼り付けてみました。・・・どうも、写真サイズが違う様ですね)今日は裏口から覗きに来ました。異空間を覗きます。えっ⁈チェーンが渡されて、「関係者以外立入禁止」の札が掛かっています。・・・とうとうかあ。最近界隈では古い民家の解体が進んでいます。東京では新築マンションの相場が1億円超えです。異常だと思いますが、それでも外国人やパワーカップルが買うんです。雑司が谷は坂の多い街です。文人が多く住んだ街です。風情があって、居住希望者が多い街です。ここも解体されるのですね。こうして街が変っていきます。(はてなブログへの引越し作業中です。私の場合写真が約82000枚あって、引越し開始日が5/2で、移動できたのが29000枚少々です。この調子では1か月以上かかる計...「雑二ストアー」立ち入り禁止
前に訪れてからそんなに時は経っていません。見違えるような新緑に包まれた「矢切の渡し」です。こんなに客が居ます。やっぱり川遊びは夏の風情が必要ですね。渡しが来るのを待っています。舟が着いて下船する客がすれ違います。待っていた客が乗船します。満席のようです。こんなに客を残しています。もう一艘の渡し舟が矢切から来ました。二艘の舟がフル稼働のようです。さっきの客が矢切に向かいます。商売繁盛ですね。新緑の矢切の渡し
自転車を押して水元公園の中央広場を行きます。印象派の作品に「草上の昼食」ってありますよね。モネが見たら喜びそうな景色です。枯れ木が再生しています。生命の循環を感じます。草原を行きます。広い草原です。東京都23区内とは思えません。幸せ家族の景色です。人工渓流は草原を潤しながら、やがて「小合溜め」に注ぎます。人の心も潤します。水元公園草原のピクニック
目の前が緑です。水元公園の人工渓流です。太陽光を新緑が遮って薄暗い渓流です。中央広場を潤します。水元公園新緑の人工渓流
あんこう鍋の「いせ源」です。祭り提灯が出ています。先ずは、アンコウを見ます。季節は初夏です。あんこう鍋って、いつまで食べるのでしょう?盛夏は休業する店です。祭り提灯の風景を眺めます。老舗に良く似合います。斜め前は、甘味処の「竹むら」です。まだ祭り提灯は出ていませんが、準備はできています。竹むらの路地を入ると、呉服の「下久」にも祭り提灯が出ています。和の店だものね。一本隣の路地を行くと寄席の「連雀亭」です。和の文芸だものね。そして、路地の突き当たりのいせ源です。神田須田町に祭りが来ます。神田須田町に祭りが来る!
国技館に力士幟が出ています。5月場所が始まります。あれ、国技館の階段に学生が並んでいます。警備員さんが教えてくれました。隣にある高校の新3年生の、卒業アルバム用の撮影だそうです。恒例の行事らしいです。両国の高校は良いなあ。さて、待っていた大相撲の雰囲気を楽しみます。私、熱海富士と尊富士を優勝候補に挙げています。そして大榮翔も。大の里の「綱取り場所」です。もちろん優勝候補です。豊昇龍の先場所は期待外れでした。昇進した場所は、タニマチとの付き合いがあったりで、稽古不足や体調管理不足で成績が落ちる場合が多いです。大の里の壁になれるか?良い相撲を期待します。櫓を撮っていたら、卒業アルバム写真を撮っている高校生が見えました。撮ってやろうとしたら気付いて、手を振ったりピースサインをしたりと、無邪気で元気です。卒業アル...2025年5月場所始まる
新緑の下を行きます。水辺の遊歩道です。強めの風が気持ちいいです。例の桜です。緑の散策路が続きます。振り返ります。新緑の水辺の遊歩道です。水元公園新緑の水辺の遊歩道
どうしてもここに来てしまいます。だって、幸せそうなんですもの。1円玉以下の長さの魚を釣る人々です。花の下で死にたいと思っていますが、新緑の下でもOKです。願わくは緑の下にて夏死なんその卯月の望月のころ水元公園新緑のタナゴ釣り人
水辺のメタセコイヤが目に鮮やかです。青空が眩しいです。水面に映ります。中の島に東屋が存ります。少し風が吹きます。水面がそよぎます。振り返ります。新緑の水辺の東屋です。水元公園水辺の東屋
中央広場も人がいっぱいです。木の下にテントを構えます。木漏れ日が気持ち良さそうです。緑が鮮やかです。大きく深呼吸します。生きている実感があります。水元公園中央広場のピクニック
メタセコイヤの森はピクニックの人でいっぱいです。地面に落ちた木漏れ日の輪が、印象派の絵画のようです。ここに来ると、いつも見上げます。新緑の空です。憩いの森です。人は多いけど、静寂の森です。水元公園メタセコイヤの森で、
初夏の風情の水元公園です。強めの風が心地良いです。池畔を鯉のぼりが泳ぎます。新緑の遊歩道を行きます。メタセコイヤの森に入ります。水元公園の新緑を行く。
荒川河川敷はサイクリングロードです。印象的な木の新緑が盛んです。花壇にポピーが盛りです。総武本線が行きます。荒川河川敷にポピー咲く
何度も渡った交差点で信号待ちをしていました。今の前の住居の隣り街なので、何度もなんども信号待ちをした場所です。あれっ?銭湯の煙突が在る!?ずっと30年くらい気づかなかったのです??そうか、あの頃は銭湯に興味がなかったんだ。狭い路地を入ったら、堂々とした大きくて高い煙突です。玄関に回ります。周囲はマンションだらけです。これらは内湯があるよね。営業しているのだろうか?湯船の窓を見上げながら奥へ行きます。ボイラー脇です。これって、、燃料の廃材のようですが、埃が被っているような気がします。玄関に回りました。本格的銭湯の佇まいです。私の経験から、もう営業していないですね。残念です。また一つ日本の文化が消滅しました。銭湯「仲の湯」が在った風景
結局、とらやはマドンナを預かります。柴又での暮らしが展開されます。<現在>変わらない三角屋根です。<現在>土手の改修で、撮影場所が見付けられませんんが、雰囲気は一緒です。<現在><現在>今でもグラウンドが複数在って、野球やソフトボールが盛んです。そこにマドンナに逃げられた婚約者(恋のライバル)がやって来ます。<現在>変らないアーチです。<現在>「大和家」も変わりません。映画より繁盛しています。寅次郎は商売に出掛けます。マドンナが居るので旅に出ません。商売先は浅草です。<現在>「新世界」は、「娯楽のデパート」として1959年に開館しましたが、僅か13年の営業でした。1972年に閉館しています。跡地は「JRA場外馬券売り場」です。映像に映っている浅草五重塔はあちらの方向です。やがて、マドンナは婚約者の魅力に気...「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー3
朝日印刷の従業員が結婚しました。そんなめでたい折、寅次郎が北海道支笏湖で知り合ったマドンナが高級ホテルで結婚式を挙げていました。<現在>久し振りに「ホテルニューオオタニ」へ行ってみました。赤坂見附の交差点脇の堀に貸しボート屋と釣り堀が在ったよな、と思ってやって来ました。弁慶橋から眺めました。きつい紀尾井坂を漕ぎます。映像はこの角度です。説明板が有ります。なるほど。皇居(江戸城)に近い広大な土地だと思っていました。井伊家の屋敷跡だったんですね。結婚に乗り気の無いマドンナは式場から逃げ出して、とらやにやって来ました。マドンナの母が連れに来ました。「とらや」と「い志い」の前で見送ります。<現在>ここで「とらや」の向かいの店が気になりました。「い志い」です。ちゃんと残っていました。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー2
寅さんシリーズ第23作、1980年のお正月映画です。<現在>当時は平屋根でした。いつから円屋根になったかは、そのうちこのシリーズ映画で判明すると思います。<現在>マドンナは桃井かおりさん、恋のライバルは布施明さんです。<現在>朝日印刷の従業員の結婚式が行われました。<現在><現在>会場は「川チ屋」です。<現在>建て替わっています。現在も繁盛店です。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー1
いつもの散策の路地です。自転車で散策を始めた20数年前から気になっていました。始めて出荷の場に遭遇しました。製品を見るのも初めてです。玄関前に商品が並んでいます。今日は沢山の出荷があるようです。トラックが出て行ったので近づきました。おお、すき焼きに欠かせない「しらたき」です。私、夏でもすき焼きが好きです。墨田区向島の路地です。引越し先「はてなブログ」ではこちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。都電線路脇の佐藤錦のさくらんぼの話です。⇒荒川三歩蒟蒻問屋柳澤商店
自転車を停めました。人待ちの少女像です。会社の玄関に立って居ました。道路舗装会社らしいです。銅像の台座です。本社は新宿区に在ります。多くの支店が在って、ここは南関東支店らしいです。道路舗装会社と、憂いを含む少女像の関係は不明ですが、好い銅像です。さあ、病院への途中です。後ろ髪を引かれて、先を急ぎます。引越し先「はてなブログ」ではこちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。雑司が谷「上川口屋」のお婆ちゃんの話です。⇒荒川三歩人待ち像に出遭った。
佃島は、徳川家康関東移封の時に、大坂から付いてきた漁師の街です。小魚を煮詰めて作りました。3軒の老舗が在ります。我が家の佃煮は、ここ田中屋です。二軒隣りには「天安」です。田中屋です。天安です。天安と田中屋です。佃島は新旧が混在する街です。民家の屋根に超高層マンションが突き抜けます。今時珍しい酒屋も在ります。量販店に駆逐された酒屋が、どっこい生きています。佃小橋から見るマンション群です。そして、隅田川向こうの聖路加タワーです。この景色、永遠なれ!引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧ください。⇒荒川三歩佃島は「佃煮」発祥の地
「月島西中通り三番街」の交差点に古いタイプの交番が在ります。「月島警察署西中通地域安全センター」です。背後には「聖路加タワー」がそびえています。隅田川の向こう側です。月島は新旧が混在する街です。この景色が代表的です。月島は「もんじゃタウン」です。数10軒のもんじゃ焼き屋が在って、その他の店はとても珍しい街です。その中で、メロンパンがとても売れている店が在ります。「月島久栄」4号店です。その隣がいつも訪れる路地です。例の、渡り廊下が有る家が工事中です。何か造るんだろうか?それとも、解体して超高層マンションを造るのか?いつもの丸カの看板です。その先のあそこでも足場が組まれた民家が在ります。あそこも解体でしょうか?振り返ります。下町感たっぷりの路地です。見上げます。さっき入って来た西中通りの向こう側の超高層マン...月島の路地を行く
もんじゃタウンを歩いています。この角を曲がります。路地裏にも「もん吉」が在ります。私のもんじゃデビューの店です。転勤で東京に来た私を、地元のOLが連れて来てくれました。外壁の至る所に、来店した有名人の写真が貼られています。先ず、この景色に驚きました。次に、出て来た料理に驚きました。振り返ります。初めは「沢山取らないように小さなヘラで食べる。お好み焼きの10倍くらいメリケン粉が薄い。なんて貧乏くさいんだ」と悪態をついていた私ですが、今はお好み焼きとは別種の食べ物だと認識しています。それどころか、もんじゃが好きです。そして、食べる店は、最初に刷り込まれたこの店です。早い時間なので、待たずに、かつゆっくり食べられます。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらもご覧くださ...路地裏もんじゃ「もん吉」
晴月橋から振り返る、晴海のウォターフロントのタワマン群です。晴月橋を渡ったら、景色が一変しました。下町の景色が拡がります。突き当たりは晴海4丁目の交差点です。さっき渡った橋って、晴海と月島を結ぶので「晴月橋」なんですね。脇路地も下町の風情です。あの超高層ビルは、月島に最近できたタワマンです。それでも周囲は下町の景色です。やって来たのは西仲通り、通称「もんじゃタウン」です。時代の流れです。商店街が無くなって、タワマン建設が進んでいます。11時前です。もんじゃ屋が営業を始めています。「もへじ」は数店舗を商う、もんじゃの老舗です。この話、続きます。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらをご覧ください。⇒荒川三歩晴月橋を渡って、
約10年ぶりです。「江東28湯」の一つです。訪ね歩いた以来の再会です。マットを干しています。現役ですね!変り振りが派手ですねえ!赤富士山が描かれています。玄関は美保の松原です。周辺は倉庫と大きな団地です。この景色は変わっていません。朝凪橋から覗く屋形船も派手ですねえ!橋を渡ると豊洲です。超高層マンションが乱立していて景色がガラリと変わります。同じ江東区ですが、銭湯は白山湯が南限です。<2014年訪問時の写真>シャッター絵が派手に変わったくらい繁盛していて欲しいです。引越し先「はてなブログ」では、こちらと違った記事を投稿しています。宜しければこちらをご覧ください⇒荒川三歩「白山湯」に再会した。
葛西臨海公園の一角に水族館が在ります。「葛西臨海水族園」がリニューアル工事の最中です。海水ゾーンは営業しているようです。こんなになるんですね。久しぶりに行ってみます。要はお土産売り場です。以前水族園の中に有った店がここに移ったのでしょうか?隣に、「マグロとせいくらべ」が有りました。以前は切符売り場脇に有ったのを覚えています。切符売り場です。以前と同じ場所に同じ建物で存在していました。突然30数年前の記憶が甦りました。岳父が上京して我が家に泊まりました。翌日長男も一緒に、3人でここに来ました。入場券を岳父が買ってくれると言うのでお任せしました。なんか窓口で手間取っているようでした。買って来た切符を渡しながら憤慨して言います。「老人は無料だと言うんだよ。免許証とか証明するものも見ずにだよ!失礼だろう」「免許証...葛西臨海水族園工事中
開通していると思ってやって来ました。旧晴海鉄道橋が整備されて遊歩道になる計画です。周辺は公園として整備が進んでいます。春海橋から眺めます。運河の向こうは豊洲です。一向に工事が進んでいません。永く放置された鉄道橋が遊歩道として蘇ります。完成したら渡ろうと構えています。まだかなぁ。旧晴海鉄道橋未だ開通ぜず
千住寿町の交差点です。ここの交差点を渡るときはいつも楽しみです。向かいのサンロードは、いつもかっこいいバナーを掲示します。横断歩道を渡って見上げます。「ぱあまやさん」脇のバナーです。ちょっと凝ったデザインですが、いつものセンスとは違うように思いました。バナーを読みました。「千住宿開宿400年」だって!知りませんでした。歴史がありますね。商店街中緑のバナーです。ということは?と覗きます。やっぱり!ハッピーロード商店会も緑です。千住宿を構成する商店街だものね。いつものようにサンロードを行きます。振り返ります。・・・ということは?やっぱり!「きたろーど100」も。・・・まさかあそこはね。と覗きました。えっ、有りました!殆ど民家になっていて、バナーなんか全然掲示したことが無い商店街なのに?「柳原商栄会」の緑看板と...千住宿開宿400年
東尾久8丁目に交番が在ります。街は初夏の陽気です。振り向きます。若葉が萌えています。東京都立大学荒川キャンパスです。大学前のバス停です。バスが到着しました。目に優しい緑です。空気が新鮮な気がします。ハナミズキが盛りです。一番好い季節です。いつの間にかバスは発車しています。校舎へ向かう石畳です。不思議と、いつも、殆ど人が居ないキャンパスです。新緑の東京都立大学荒川キャンパス
有名な「長命寺の桜もち」です。始めて店に入ります。葉桜の季節です。店を出て覗きます。生まれて初めて買いました。帰宅して開けました。菓子皿が見つからなかったので、取り敢えず。だって、甘いものなんて食べなかったから、仕舞い場所が分かりません。桜葉3枚に包まれていました。最近、時々甘いものが食べたくなります。味覚が変わったのでしょうか?病気じゃ無いよね。桜葉が良い香りです。次は「桜もち」の向かいの、「言問団子」を食べてみましょうか。長命寺桜もち葉桜の季節
東小岩を走っていたら、煙突が有りました。やって来たのは「亀の湯」です。銭湯は「松竹梅」とか「鶴亀」とか、おめでたい名前を付けます。従って老舗の銭湯だと思います。こちらが入り口のようです。現役なのだろうか?電光サインが有りました。なになに?おお!現役です。コインランドリーも清潔です。やっぱり、共同住宅との複合経営です。今はこの業態が生き残っている銭湯の主流です。裏に回ります。煙突を見上げます。頑張れ‼︎近くには、先の大阪場所で、三度目の優勝決定戦にまたも敗れた、高安が所属している「田子ノ浦部屋」がありますが、訪問しません。勝負の世界は勝ってなんぼです。・・とは言いつつも、優勝賜盃を抱かせてあげたい。東小岩で「亀の湯」に遭遇した。
五月場所が近くなりました。大の里の横綱挑戦場所です。先場所は12勝、しかも相星決勝戦を経てのものです。13勝はして貰わないと横綱には相応しくないと思います。えっ、豊昇龍と一緒だって?だから、ちゃんと勝って欲しいところです。伊勢ノ海部屋の裏口でまわしを干していました。朝稽古が終わったようです。五月場所が近いので稽古にも熱が入っているでしょうね。当番でしょうか、皆んなのまわしを干しています。爽やかな天気です。白いまわしは関取のものです。二人しか居ません。小結の錦木と十両の若碇です。まわしは洗いません。太陽光で殺菌します。それでホントにバッチくないの?優勝争いに絡みそうなのは、大榮翔でしょう。成績が安定しています。当然琴櫻も優勝に絡みたいところです。先場所メンタルの弱さを見せたのが気がかりです。そして、一場所で...五月場所が待ち遠しい
久しぶりに通ったら、こんな貼り紙が有りました。「新企画を検討中」だって!復活するんだ‼︎もう閉店して4〜5年になります。それが復活です。「ふんわり」ですか。どんなになるんだろう?谷中の丘の三叉路に立つ一本杉です。貼り紙どおり楽しみに、ふんわり待ちます。谷中の一本杉と「みかどパン店」の今
思ったより葉が繁っていました。風が強いです。新緑の鬼子母神参道です。木洩れ陽の石畳に踏み入れます。見上げる新緑です。いつものように覗きます。並木ハウスは登録有形文化財です。あれ?手塚治虫が住んでいた部屋の窓が開いています!?一瞬有形文化財だぞ、って思いましたが、アパートなんで人が住んでいて当たり前と言えば、当たり前です。手塚治虫先生の部屋に住んでいるなんて、羨ましい!門前から見る鬼子母神参道です。戻りました。参道を行きます。振り返ります。覗きます。見上げます。やって来た上川口屋は休みです。次回会ったら「私だって病院くらい行くわよ」ってお婆ちゃんが言うと思います。新緑萌える季節です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴して...新緑の鬼子母神参道
都電線路脇に花が盛りです。振り返る巣鴨新田近くのカーブです。前は、もうちょっと行けば庚申塚が見える辺りです。電車が近いです。線路脇が春真っ盛りです。やって来たのは庚申塚の茶屋ですが、、休みです。定休日なんてあったの!?そういうシスに変えたのかな?三ノ輪橋行きが出発します。早稲田行きが花の中へ出て行きます。遮断機が上がって、一斉に車が横断します。人も横断します。何人の人や車が横断したでしょう?そこは旧中山道です。gooblogの終了に伴う諸作業で混乱しています。その結果、本ブログが読めなくなっていました。複数の方からアドバイスを頂戴してやっと復活し、元の状態に戻ったと思っています。当分こちらgooblogと引越し先の「hatenablog」の2本立で継続するつもりです。引き続きよろしくお願い致します。引越し...都電線路脇は花ざかり
あれ以来病みつきです。雑司が谷の小倉屋です。5〜6人の女性が順番を待っていました。こんな工場です。手焼きです。これじゃあ売り切れになりますね。買えました!殆ど10日に一度買っています。当初は買えなかった時期がありました。その後2袋限定とか、普通の製品4袋迄とか変遷を経て、今は普通のが4袋と徳用が2袋迄買えます。未だに飽きません。食べ始めたら止まりません。煎餅にまぶされた粉に秘密があるように思います。ハッピーターンと同じです。「やめられない、止まらないかっぱえびせん」状態です。病みつきです。小倉屋煎餅「あまから」
確かこの先です。あの枝振りの良い青もみじの場所です。こんなになっていました。泉鏡花の墓跡です。誰かの墓所になるのですね。泉鏡花らしい端正な墓石でした。ここで鏡花が見ていた景色です。今は神楽坂の圓福寺に、祖父母、両親、姪、妻すず、すずの両親と共に眠っているそうです。在りし日の鏡花の墓はこちらです。改めて、端正な墓でした。泉鏡花の墓が無くなった。
前回の続きです。マドンナが通って来る柴又駅です。<現在の看板です>「とらや」でトラブを起こした寅次郎が、「もう二度と柴又には帰らない!」と啖呵を切ったものの、マドンナに会ってしまって去り難い寅次郎です。そこにさくらが現れます。<背後の店は何度か業種が変わりました>「とらや」に居たくて仮病を使います。気を利かせたマドンナが呼んだ救急車で運ばれる寅次郎です。<右の商店が「くず餅の船橋屋」に変っています>マドンナが住む町の駅です。<京成立石駅です。現在再開発工事中で、階段が短くなっています。高架化で、やがて無くなります。左に見えていたホームも無くなりました><現在は階段の右側に臨時のホームが在ります>改札の階段を降りたらそこは商店街です。<こちらの階段は、工事中で閉鎖されています><出た先は、お馴染みの「立石仲...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー2
シリーズ第22作、1979年のお正月映画です。柴又に帰って来た寅次郎です。<映画導入部のお馴染みの景色です><お馴染みの帝釈天鐘楼と三門です>とらやの皆んなは墓参りに出掛けます。<背後に帝釈天の鐘楼が見えます>御前様に会います。<背後の◯口電機の看板はもうありませんでした>なんと、そこに寅次郎が居ました。皆んなでその行いを褒めます。<ここかな?墓所の整理をしたようです。墓石が有りません>御前様は読経をしてくださいます。でもそこは他家の墓でした。<制作から46年にもなると、墓地も変わるんですね。それらしい場所が見当たりません>「こいわ荘」はさくらと博のアパートです。博の父が上京して来ます。<電車を待ちました。ここだと思うんですが、、余りにも変っています>帝釈天門前にマドンナが現れて、とらやの場所を尋ねます。...「男はつらいよ噂の寅次郎」の撮影現場ー1
江島杉山神社の近くです(「近く」の概念は人によって違います。自転車ですぐです)。やって来たのは弥勒寺です。杉山和一の墓は、彼が信仰した江ノ島の近くに有ると聞いていますが、ここ本所二つ目にも有ります。江島杉山神社が在る「一つ目」の隣りです。将軍綱吉の寵臣牧野成貞の菩提寺である縁で葬られたお寺です。「贈正五位杉山総検校」です。場所は本堂の左手です。木洩れ陽の下です。並んで「はり供養塔」が有ります。説明書も。「総検校和一」と刻まれています。興味がお有りであれば、観光地巡りで便利な循環バスでも行けます。「吉良屋敷跡」や「勝海舟生誕地跡」なども巡っている、散策に便利なバスです。本所二つ目杉山和一の墓所
参道を入ってお参りします。そこは鍼治稽古場跡地です。杉山和一は盲目でした。彼は盲人でも打てる鍼を開発しました。それは現在でも一般的に使われている方法です。彼は、この地に鍼灸稽古場を開設して、盲人の生活が立つようにしたのです。えっ!勝海舟って、米山検校の曾孫だったんですか!知りませんでした。江島杉山神社です。「江島」とは、「江ノ島」の事です。和一の名字と彼が信仰する江ノ島弁財天との、両方の名前から付いた社名です。神社の隣には「杉山和一記念館」が在ります。今でもここには「杉山鍼按治療所」が在ります。彼は五代将軍綱吉の病気を鍼灸によって快癒させました。将軍が「褒美を取らす。望みのものを申せ」と言います。和一が答えます。「望みはただ一つ目を下さい」それを聞いた綱吉は涙を流しながら、「如何な将軍でも目はやれぬ。一つ...杉山検校を祀る江島杉山神社
橋から眺める竪川水門です。水門の先は隅田川です。「一之橋」です。竪川に架かる隅田川から一つ目の橋です。今は沢山の橋が架かっていますが、江戸時代の主な橋は五之橋まででした。こんな、忠臣蔵ゆかりの橋です。竪川の上は、首都高速小松川線です。見ると頭を押さえられているようで鬱陶しいのですが、東京らしい風景として、カヌーイストに人気がある風景です。橋を南に渡ると緩い下り坂です。幟が立っています。すぐに「江島杉山神社」が現れます。NHK大河ドラマの「べらぼう」を楽しく観ています。「鳥山検校」から思いついてやって来ました。この話、続きます。思いついて江島杉山神社
白鬚橋を西に渡った明治通り沿いです。石柱があるのですぐに分かります。築地塀に囲まれています。有るだろうと思っていたらやっぱり有りました。大河ドラマ「べらぼう」人気を当てこんだ観光客誘致の幟です。いつもかんぬきが掛かっています。説明書を読みます。ドラマでは安田顕さんが好演していました。今まで演じた役者の中で、一番「らしい」と思わせてくれました。素晴らしい役者です。最期は壮絶な死に様で、哀しかったけど、あのように陽気な人だったのだろうと思います。注意書きです。私はいつも開けたままで入ります。内側から締めません。だって、塀の中にはここしか出入り口が有りません。イタズラで締められたら出られません。今まで訪問者に出遭った事が無いもの。・・と言っているはなから、中年男性が来ました。大河ドラマの集客効果って凄いですね。...平賀源内の墓へ行く。
桜が散って、雨が上がった翌日です。風が強い午後です。桜の根元は新緑が萌えています。大塚の坂を、桜色の都電が行きます。今は都電じゃなくて「さくらトラム」と呼びます。この桜は開花が早い佐藤錦です。もう葉桜の季節かと覗くと、もう、さくらんぼが成長していました。「これは佐藤錦なの。夜店で買ってね。ここに植えたの」って、おばちゃんが言っていました。都電が行きます。さくらんぼが楽しみです。大塚の佐藤錦が葉桜の季節
江東区毛利の路地を走っていたら煙突が有りました。行ってみました。「高砂湯」です。以前に「江東28湯」を歴訪したことがあります。でも高砂湯は28湯に入っていませんでした。銭湯組合に入ってないのだと思います。共同住宅と併営です。営業を続けている銭湯の多くが採用している業態です。もう、専業では厳しいみたいですね。営業中です。お客さんが来ました。近くには「榎稲荷神社」が在りました。下町らしい存在感です。「江東28湯」の記事はこちら。「高砂湯」に遭遇した。
お馴染みの立石仲店商店街です。この時間帯は賑わっています。珍しくアーケードに飾り付けが為されています。年末年始の「凧」の展示以来です。やっぱり桜は人心を高揚させます。活気の演出ですね。「せんべろ」の店も開店しています。こうして2025年の花見を完了しました。お付き合いありがとうございました。立石仲店商店街の桜
江戸川土手の菜の花が盛りです。ゴルフ場の向こうの土手が更に見事です。土手下から見上げます。寅さんが現れそうな景色です。江戸川の春景です。江戸川土手に菜の花満開
必ず観たい桜があります。やって来ました。約3km続く桜堤です。八代将軍吉宗が造った堤です。東京で暮らしているとよくその名前に出遭います。彼は暴れてばかりいたのでは無いのですね。水元大橋を眺めながら自転車を漕ぎます。来年も観たい桜です。水元公園桜堤に桜咲く
水元公園を巡るいつもの散策ルートです。中央広場の春です。自転車を押して往きます。水元公園中央広場の春を征く。
いつもの遊歩道を行きます。少し桜が有ります。サイカチの木です。そして、今年も観ることができました。振り返ります。水辺の桜です。これも必ず観たい桜です。水元公園/水辺の遊歩道
中央広場にやって来ました。春の景色です。のんびりと。ウエディングドレスの人が居ました。カメラマンと一緒です。結婚式の早撮りでしょうか?モデルさんの撮影でしょうか?色んなポーズを取ります。最後は、「春の舞」のように手を振りながら走り去りました。・・・モデルさんですね。春の景色を堪能します。公平に春は訪れますが、植物の反応は一律ではありません。これも春の景色です。水元公園/中央広場の桜
必ず観たい桜が幾つかあります。ここの場合は桜そのものではなくて、桜の下で遊ぶタナゴ釣り人たちです。ここは直径1円玉以下のタナゴを釣るのを目的にしている釣り人の漁場です。釣ってやろうという意気込みは感じられません。のんびり感だけが漂います。それほど難しい、達観した釣りなんだと思います。桜の下で好きなことに没頭する姿は、老後の生き方のお手本です。この景色を見るといつも思い出します。西行法師の短歌です。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」水元公園/桜の下のタナゴ釣り人
咲きました!水辺は開花が遅いですね。下見してからの訪問です。ヘラブナ釣りの人たちです。のんびり感が伝わります。公園内は桜が少ないですが、春の景色を追います。桜を探しに移動します。水元公園に桜咲く
旧中川土手に咲きました。平素はカヤックを漕いでいる川です。たまの陸上散策も視点が変わって良いです。レンギョウも満開!春景色です。さくら大橋に来ました。江東区と江戸川区を結ぶ橋です。何処も春の陽気です。旧中川に桜咲く
新聞で紹介されていたのでやって来ました。しだれ桜だけ、と言って良い桜が咲く公園です。生憎の曇り空が残念ですが。のんびりと春を楽しんでいます。ここは別の事でも有名で、貴重な公園なんです。中央の池は貴重な種類のトンボの繁殖地で、湿地は東京都レッドリストにも記載されている希少植物の育成地なんです。しだれ桜だけの公園でもあります。これからは桜も観に来ます。尾久の原公園の桜咲く
裏側からやって来ました。花曇りの「あらかわ遊園」に桜が満開です。「スカイ何たら」が「大観覧車」前を横切ります。日本一遅い「イモムシコースター」がゆっくり、ゆっくり走ります。遊歩道を行きます。左は隅田川です。SLが来ました。ゆっくり現れて、ゆっくり去って行きました。園内の桜です。正面に来ました。都電が設置されています。柵から覗きます。東京ディズニーランドとは真逆の、全てがのんびりな公園です。あらかわ遊園に桜咲く
石神井川は渓谷です。遊歩道を下って行きます。下って行くと、「音無親水公園」です。沢山の人が寛いでいます。桜が満開で、青もみじが葉を広げました。季節の交代が始まっています。音無親水公園の桜と青もみじ
醸造試験所跡地公園です。入って行きます。満開です。広い草地の向こうが醸造試験所跡です。煉瓦色の試験所跡が好いです。ここ穴場ですね。地元の夫婦でしょうか?好いなあ。「醸造試験所跡地公園」の桜咲く
飛鳥山停留場前です。桜色の都電が行きます。背景は、桜の名所飛鳥山です。場所を変えます。ここ、けっこうカメラ小僧とカメラ親父が居ます。スマホの私は遠慮がちに撮ります。飛鳥山へ通じる陸橋です。早稲田行きが現れました。すぐに三ノ輪橋行きがやって来ました。撮影場所を陸橋の下に変えます。パステルカラーの都電です。桜色の都電が来ました。すれ違います。パステルカラーが行きます。もう桜を撮っているのか、都電を撮っているのか分かりません。自動車も混じり込んで、飛鳥山前の交差点です。飛鳥山の桜と都電の風景
亀戸の街の北に、「葛西用水」が在ります。埼玉草加から流れる農業用水です。南下して曳舟川に繋がり、荒川に通じます。古くは浅草まで繋がっていた水路です。桜が咲きました。川辺の家です。良い所にお住まいです。桜が満開の用水を行きます。花曇りです。振り返ります。満開の春です。葛西用水に桜咲く
曳舟川親水公園の桜が咲きました。ここは川底です。この時期は水を止めているのでしょうか?良い花見の場になっています。歩道に歴史を語るプレートが埋められています。ここは土手から舟を人力で引っ張った歴史があります。従って「曳舟川」と呼ばれて現在に至っています。経済的な運搬だけでなく、遊興の場でもありました。長い桜並木が続きます。長い長い桜並木が、四つ木から亀有まで続きます。そしてその先は、更に名前を変えて、桜並木が続いています。曳舟のプレートです。これは梅ですが、前掲の芸者に柳のプレートでもお分かりのように、風流を愛でる川です。それは今でも姿を変えて、花見だけでなく、夏の水遊びの場でもあります。花を追っていたら、もう亀有の街です。曳舟川親水公園の桜咲く
荒川の土手上の満開桜に誘われて坂を上がりました。そこは「小松川千本桜」です。実は初めて訪れました。千本以上は有ると思われる桜の林です。東京の有名な桜の名所には無い良さがあります。千鳥ヶ淵や目黒川と違って、桜の下に座れて食事ができます。キッチンカー等の屋台が無いけど、簡易トイレの設置があります。食事は自前です。家庭的な花見ができます。来年はここで花見をしようと思いました。小松川千本桜咲く
朝日印刷の従業員が結婚しました。そんなめでたい折、寅次郎が北海道支笏湖で知り合ったマドンナが高級ホテルで結婚式を挙げていました。<現在>久し振りに「ホテルニューオオタニ」へ行ってみました。赤坂見附の交差点の脇の堀に貸しボート屋と釣り堀が在ったよなと思ってやって来ました。弁解橋から眺めました。きつい紀尾井坂を漕ぎます。映像はこの角度です。説明板が有ります。なるほど。皇居に近い広大な土地だと思っていました。井伊家の屋敷跡だったんですね。結婚に乗り気の無いマドンナは結婚式場から逃げ出して、とらやにやって来ました。マドンナの母が連れに来ました。「とらや」と「い志い」の前で見送ります。<現在>ここで「とらや」の向かいの店が気になりました。「い志い」です。ちゃんと残っていました。この話、続きます。「男はつらいよ翔んでる寅次郎」の撮影現場ー3
千鳥ヶ淵から流れて来ました。正確には、靖国神社の駐輪場に自転車を置いて千鳥ヶ淵を歩いていました。桜を眺めに行きます。ここには英霊として三人の伯父皆んなが群がっています。東京の開花の標準木です。雅楽の奉納でもあったのでしょうか?ここから英霊にお参りします。沢山の人の中に、アジア系の外国人は居ません。あれほど各所に居るのに。隣りの千鳥ヶ淵なんかいっぱい居るのに。珍しく声を聴いたと思ったら、たぶん台湾からの旅行者だと思います。靖国神社の桜です。靖国神社の桜咲く
千鳥ヶ淵の隣にインド大使館が在ります。大使館から観る景色です。千鳥ヶ淵の桜と混雑です。靖国神社の鳥居です。そして何と、いつも撮るアンティークレストランが大混雑しています。これじゃあ撮れません。今年はこんな感じの骨董です。インド大使館から観る桜
必ず観ておきたい桜が幾つかあります。千鳥ヶ淵の桜が咲きました。混雑するのは覚悟の上です。押すな押すなの混雑です。外国人が多いです。菜の花と桜です。ボート小屋の屋上からの景色です。今年も観られました。千鳥ヶ淵の桜咲く
台東区の路地を走っていたらこんな看板が有りました。この路地を真っ直ぐ行くと「入谷」で、私がやって来た方向へ戻ると「西日暮里」らしいです。私自身よく分かっていません。なんと言ったら適切なのか?「現在地看板」とで言えば良いのでしょうか?左を覗くと、すぐそこが「荒川区」のようです。看板の向こうに住居表示が有ります。看板から向こうは「台東区根岸二丁目」です。そして信号機の表示は、「東日暮里四丁目」です。つまり、看板は「台東区根岸」に有って、広い道路から先は「台東区東日暮里」で、更に行くと「入谷」のようです。そして、交差点を左に曲がると、隣りの「荒川区」に入ります。複雑な場所なので、看板が必要だったのだと思います。今だったらスマホに向かって「現在地!」と言えば教えてくれます。いずれ無くなる看板でしょうが、なかなか味...台東区で出遭った「現在地看板」
椿山荘界隈の神田川を下ります。見飽きません。椿山荘界隈の桜
面影橋から歩きます。神田川は渓谷です。花筏が始まっています。川沿いの散策路を下って行きます。橋から覗きます。三島橋です。遊歩道の柵から覗きます。仲之橋です。上流・下流を眺めています。遊歩道から。豊橋です。この話、続きます。神田川に桜咲く
桜の下に小さな花壇が有ります。桜に負けず、季節の花が咲いています。適度な手入れが好ましいです。自由学園明日館の庭に咲く花
中庭に出ます。プレーリースタイル(草原様式)と呼ばれる建築物です。教室を出て生徒も見上げた桜です。ホールの窓に映ります。春の雲です。自由学園明日館の中庭から観る桜
ホールを出て廊下を行きます。中庭の桜を眺めます。教室に入ります。生徒が眺めた桜です。中庭に出ます。明日館の廊下・教室から観る桜
必ず観たい桜が幾つかあります。自由学園明日館に桜が咲きました。この景色が観たくて毎年来ています。ホールから観る今年の桜です。幾何学の模様の窓からの景色です。そして、いつも窓枠の花瓶に活けられている花も目当てです。季節の花が活けられます。今年は桜です。2階へ行きます。2階から観る桜です。視線を下げると、ホールの机です。目を上げると幾何学模様の窓です。1階に戻ります。この景色を観るためだけに訪問しています。入場と飲み物のセットは800円です。自由学園明日館の桜咲く
目白通りから見えました。学習院大学正門の桜です。横断歩道を渡りました。正門は登録有形文化財なんですね。学習院大学の桜咲く
信号に捕まりました。見上げる桜です。子供の頃のいろはカルタで、「さくらがさくころいちねんせい」ってのがありました。地球温暖化で開花が早いと言われていた桜ですが、結局のところ、例年通りの開花です。明日は入学式かな?壱岐坂下の桜咲く
咲きました!雑司が谷の丘の上です。3日間の雨上がりを待ってやって来ました。1本しかない古木が今年も咲きました。1本でも存在感があります。寒かった雨が上がったら、気持ちいい晴天です。雑司ヶ谷旧宣教師館の桜咲く
枝を落とし、下部の藪を取り払った野鳥のコロニーです。前回報告したとおり、営巣の場所というか枝が大幅に減少しました。鳥の数がずいぶん減ったように見えますが、残っている鳥たちは、ここで営巣するようです。ここに残っているのは、営巣地争いの勝者だと思います。敗者は何処へ行ったのやら。営巣できる枝が少なくなったので、逆光のせいもあって、まるでヤドリギみたいです。頑張れ!野鳥のコロニーそれでも繁殖中
天気が良くないけど、けっこう人が居ます。なるべく人が写らないタイミングで撮っています。いつも撮る「川上音二郎」の墓です。多くの有名人が眠る霊園ですが、今日のこの天気なのでこのメイン通りだけとします。「下谷警察署天王寺駐在所」です。隣の空き地が、五重塔があった天王寺でした。けっこう絵になる駐在所です。正面のツインタワーは、日暮里駅前のタワーマンションです。マンションより低い上野台地の上です。振り返ります。小雨が降り始めました。帰ります。谷中霊園の桜咲く
上野公園の山頂です。今年は開花宣言が早くなる予報があって、もう三度目の上野公園です。やっと咲きましたが、生憎の空です。とりあえず、花見をします。どちらを見ても、外国人ばっかりです。平日の寒い曇り空です。・・・国立博物館の、黒門の桜です。池田藩の城門を移築しました。観光客の皆さん、晴れたら良いね。上野公園に桜咲く
上野寛永寺は徳川家の菩提寺です。毎年見事な花を咲かせますが、いつも閑散としている観桜の穴場です。上野寛永寺の桜咲く
今年も誰も居ません。根津神社はつつじの名所です。従って、では無いでしょうが、桜が少ない神社です。今年もこの社務所前の古木を観に来ました。背後は、重要文化財の拝殿と透かし塀です。晴れていれば屋根の緑と塀の紅殻色と桜にピンクが艶やかの色彩を提供してくれます。対して、社務所は侘び寂びの風情を醸します。今年は残念です。こんな年もあります。根津神社の桜
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佃島は新旧が共存する街です。こんな路地の散策が好きです。最近特に、再開発で古い民家が取り壊されるのを見ます。この路地なんか、時代の流れの現場です。路地の左側が古い家並みで、右側が再開発した後建築されたマンションです。路地を行きます。突き当たりも最近建てられたマンションです。振り返ります。向こうの突き当たりもマンションです。表通りでも工事中です。まもなく、全てがマンションに替わりそうです。できるだけ見て、記憶と記録に残そうと思っています。再開発が進む佃島の路地
裏参道から帰ります。地の底へ向かうような階段です。この参道はいつから在ったのでしょうか?愛宕神社ができた時から在るのでしょうか。だとしたら、しんどくて誰も利用しなかったとも思います。あっ、「愛宕山隧道」が無かったんだ!じゃあ、ここを登ったんですね。信心深く無いとできないです。右下のお寺に杉田玄白の墓所が有ります。地上が見えました。愛宕山隧道です。都心のトンネルです。振り返ります。こんな参道です。愛宕神社裏参道
病院に来ると愛宕神社にお参りしますが、実はこの景色を見るのが重きを成しています。夕方のしっとり感です。昔はワインバーの入り口でした。時の流れを思います。愛宕神社裏の夕景
やっと病院の検査が終わりました。もう夕方です。「出世の石段」を上がります。心臓が悪い私の体調診断です。休まずに上がれるだろうか?85段をノンストップで上がり切りました。ゼイゼイ言いながら上がっている最中思いました。ここは勝海舟が西郷隆盛を伴って上がり、江戸の町を見せて「この百万の民を焼くのか!」と江戸城無血開城を迫った場所です。海舟はこの石段を上りながら、「ここがほら、曲垣平九郎殿が馬で上がり下りして、家光公に山上の梅を手折って献上した石段でござるよ」なんて言ったのかなあ、と思ったりしました。そんな事でも考えないと心が折れてしまう石段です。楼門が艶やかです。お参りします。係の人に促されました。「早くお参り下さい。14時で閉めます」えっ、初めて知りました。なるほど、閉めています。新たな発見がありました。知ら...愛宕神社は16時閉社
東武スカイツリーライン鐘ヶ淵駅です。埼玉に住んでいた頃は通勤に使っていて、「東武伊勢崎線」と言っていました。そんなことを思いながら、駅を見ていたら、すぐ脇の踏み切りの警報器が鳴りました。しまった、捕まりました。電車を眺めながら待つしかありません。電車が通り過ぎて、あっ、渡れる!と思いました。遮断機は上がりません。再び矢印が現れました。上りホームが見えます。浅草行きです。停まって、下車・乗車の後、出発です。早く出してよ、と思いながら眺めます。踏み切りから見えるだけに、気持ちが急きます。そうしたら、心配していたとおり、下り電車もやって来ました。OH!上り列車が出発します。下り列車がやって来ました。踏み切りで交差します。この瞬間だけ、ちょっと嬉しかったです。鐘ヶ淵の開かずの踏切
寂れてしまった商店街です。元「鐘ヶ淵西通り商店街」です。もう商店街のアーチも看板も有りません。商店街組合が解散したのだと思います。左手に昔懐かしい「散髪屋」が在ります。3色の回転灯は止まっています。ほんの2〜3年前まで、お爺さんが営んでいました。客もお爺さんでした。来し方を振り返ります。行く先を眺めます。ここは鐘ヶ淵紡績の企業城下町でした。さぞかし賑わった商店街だったと思います。企業の移転で取り残されました。商店街を出るとすぐ鐘ヶ淵駅です。廃業した散髪屋の在る風景
東京都美術館はよく展示品の「撮影可」の部屋を設けてくれます。ちょっと期待していました。ポスターの展示室が解放されていました!こんな素敵な配慮は進んで享受します。一緒にご覧下さい。どうだ!鑑賞者の少なさも分かると思います。こんなに恵まれた展覧会です。こんなに沢山でも見飽きません。覗いてみて、空いてればリピーターになります。ミロ展撮影可の展示部屋
展覧会は開催した数日後が一番空いているとの経験則を持っています。そのタイミングを逸しました。4月中旬に覗いたら、混雑ぶりに諦めました。ゴールデンウィーク前に覗いたら、がら空きです。勇躍チケットを買おうとしたら、「今日は小学生限定の観賞日です。一人だけ同伴できます」との事です。一人で来ているシニアは諦めました。連休明けです。がら空きです!チケットも買えました。私、抽象画は苦手ですが、ミロだけは好きなんです。あそこから先は撮影禁止です。・・・観賞を終えました。こんなにゆっくり見られたのは久しぶりです。とっても良かったです。長いエスカレーターを下って退館します。色彩鮮やかなミロの世界からそこは、深緑と静寂の上野公園です。ミロ展へ行く。
御前様の尻端折り姿はこの映画だけです。珍しいシーンです。さくらがバイクに乗っていますが、この後は全て自転車です。やっぱりさくらは、ママチャリが似合います。<現在><現在>寅次郎が失恋したあと、マドンナが訪ねて来ました。<現在>ここは参道入り口のおもちゃ屋前です。寅さん映画の最初から現在に至るまで在る老舗のおもちゃ屋です。観光地で玩具が売れるのか?不思議です。この27話から50話までずっと、満男役を吉岡秀隆さんが演じました。次回からセリフが多くなります。当時は「北の国から」の純を演じていて、国民的子役が寅さん映画に初出演しました。やがて寅さんシリーズの主役を務めるようになり、とうとう「Dr.コトー」になりました。我々寅さんファンは、時代の流れを見てきたように思います。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー3
門前にバイクが置かれています。源ちゃんは気になります。<現在><現在>なんと、さくらのバイクです。源ちゃんは「これ買うたん?ええなあ・・」<現在><現在>一度夕方の景色を撮りたいと思っていますが、自転車は夜の運転が危険で不安です。江戸川土手です。<現在><現在>背後の街灯の場所を探して構えたら、ちょうど自転車が通りました。<現在>ここが何処かと言うと、丸屋根の給水塔脇です。初夏の江戸川風景です。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー2
寅さんシリーズ第27話、1981年のお盆映画です。私は大阪勤務でした。でも、新世界へ行ったことがありません。マドンアは松坂慶子さんです。本映画は、瀬戸内海の島とか大阪とか、行きたい場所がいっぱい出ます。以前、「石切参道商店街」を舞台にしたNHKドラマ「寅やん」が放送されましたね。さくら役の松下奈緒さんが好演しました。懐かしいです。石切神社はでんぼ(おでき)の神様です。大阪勤務のとき、長男のアトピー性皮膚炎快癒のお参りに行きました。今も当時の様に賑わっているのでしょうか?でもなかなか行けません。今回も都内を探します。と言っても、今回の都内の撮影現場は柴又界隈だけです。<現在><現在><現在><現在><現在><現在>葦が茂って川に近づけません。<現在>この話、続きます。「男はつらいよ浪速の恋の寅次郎」の撮影現場ー1
山谷の角に、懐かしいたばこ屋が在りました。昔からここで営んで来たのでしょうね。家を建て替えても、お婆ちゃんが商売を続けているのでしょうね。右上のたばこ看板が素敵です。もう民家ばかりになった「アサヒ商店街」の傍です。たばこ屋の角を入ります。そこは簡易ホテル街です。山谷は肉体労働者の町でした。今は労働者が少なくなりました。この界隈は簡易宿泊所とかドヤ(宿の逆読み)と呼ばれた宿泊施設が並んで居ました。その名残りの景色です。山谷では、時々芸術に遭遇します。角を出たら遭遇しました。最近よく見掛けます。山谷は「吉原」の隣町です。どちらも台東区です。吉原遊郭を舞台にした大河ドラマ「べらぼう」が観光に貢献しています。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩角のたばこ屋を曲がると、
山谷の吉野通りです。「自家製珈琲屋バッハ」が在ります。隣は「谷屋」です。反対側は「ほていや」です。どちらも簡易ホテルです。山谷は肉体労働者の町です。界隈は「山谷のドヤ街」ですが、ここ吉野通り沿いは、今では小綺麗なホテルになっています。安さに惹かれて外国人が利用するホテルになっています。バッハです。中は広いです。肉体労働者とは縁遠い人々が寛いでいます。本格的自家焙煎珈琲屋です。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「バッハ」が在る風景
山谷の吉野通りに、「泪橋ホール」が在ります。背後が「泪橋」の交差点です。ほら、「あしたのジョー」で、丹下段平がボクシングジムを始めた場所です。今は橋も川もありません。「泪橋」の名前を残す場所や建物は、もう珍しいです。強烈なインパクトを与える看板です。映画館、ですよね。スカイツリーを望む吉野通りです。はてなブログでは違う記事を投稿中です。本郷の話です。宜しければこちらもお読みください⇒荒川三歩山谷に「泪橋ホール」の在る風景
(今回は初めての試みです。はてなブログで書いた記事をこちらに貼り付けてみました。・・・どうも、写真サイズが違う様ですね)今日は裏口から覗きに来ました。異空間を覗きます。えっ⁈チェーンが渡されて、「関係者以外立入禁止」の札が掛かっています。・・・とうとうかあ。最近界隈では古い民家の解体が進んでいます。東京では新築マンションの相場が1億円超えです。異常だと思いますが、それでも外国人やパワーカップルが買うんです。雑司が谷は坂の多い街です。文人が多く住んだ街です。風情があって、居住希望者が多い街です。ここも解体されるのですね。こうして街が変っていきます。(はてなブログへの引越し作業中です。私の場合写真が約82000枚あって、引越し開始日が5/2で、移動できたのが29000枚少々です。この調子では1か月以上かかる計...「雑二ストアー」立ち入り禁止
前に訪れてからそんなに時は経っていません。見違えるような新緑に包まれた「矢切の渡し」です。こんなに客が居ます。やっぱり川遊びは夏の風情が必要ですね。渡しが来るのを待っています。舟が着いて下船する客がすれ違います。待っていた客が乗船します。満席のようです。こんなに客を残しています。もう一艘の渡し舟が矢切から来ました。二艘の舟がフル稼働のようです。さっきの客が矢切に向かいます。商売繁盛ですね。新緑の矢切の渡し
自転車を押して水元公園の中央広場を行きます。印象派の作品に「草上の昼食」ってありますよね。モネが見たら喜びそうな景色です。枯れ木が再生しています。生命の循環を感じます。草原を行きます。広い草原です。東京都23区内とは思えません。幸せ家族の景色です。人工渓流は草原を潤しながら、やがて「小合溜め」に注ぎます。人の心も潤します。水元公園草原のピクニック
目の前が緑です。水元公園の人工渓流です。太陽光を新緑が遮って薄暗い渓流です。中央広場を潤します。水元公園新緑の人工渓流
あんこう鍋の「いせ源」です。祭り提灯が出ています。先ずは、アンコウを見ます。季節は初夏です。あんこう鍋って、いつまで食べるのでしょう?盛夏は休業する店です。祭り提灯の風景を眺めます。老舗に良く似合います。斜め前は、甘味処の「竹むら」です。まだ祭り提灯は出ていませんが、準備はできています。竹むらの路地を入ると、呉服の「下久」にも祭り提灯が出ています。和の店だものね。一本隣の路地を行くと寄席の「連雀亭」です。和の文芸だものね。そして、路地の突き当たりのいせ源です。神田須田町に祭りが来ます。神田須田町に祭りが来る!
国技館に力士幟が出ています。5月場所が始まります。あれ、国技館の階段に学生が並んでいます。警備員さんが教えてくれました。隣にある高校の新3年生の、卒業アルバム用の撮影だそうです。恒例の行事らしいです。両国の高校は良いなあ。さて、待っていた大相撲の雰囲気を楽しみます。私、熱海富士と尊富士を優勝候補に挙げています。そして大榮翔も。大の里の「綱取り場所」です。もちろん優勝候補です。豊昇龍の先場所は期待外れでした。昇進した場所は、タニマチとの付き合いがあったりで、稽古不足や体調管理不足で成績が落ちる場合が多いです。大の里の壁になれるか?良い相撲を期待します。櫓を撮っていたら、卒業アルバム写真を撮っている高校生が見えました。撮ってやろうとしたら気付いて、手を振ったりピースサインをしたりと、無邪気で元気です。卒業アル...2025年5月場所始まる
荒川2丁目停留場横には「荒川自然公園」が在って、毎年見事な薔薇を咲かせます。早稲田行きです。発車します。三ノ輪橋行きがやって来ました。行ってしまいました。薔薇が残ります。薔薇が綺麗です。今が盛りです。都電と薔薇/荒川2丁目停留場
やって来ました。「下町のえんぴつ屋さん」です。同じ番号の車があと2台有ります。番号の謎は、昨冬社長と出逢って解決しました。この可愛い自販機に出逢ってからよく来ます。水分補給の場所です。工場に看板は有りません。この自販機に社名が有ります。自販機を眺めます。「小さい子は鉛筆の自販機だと思っているよ」と社長が言っていました。この自販機を見て、鉛筆工場を探し始めました。鉛筆工場探索のきっかけになった工場です。でも、荒川区の地場産業だった鉛筆工場ですが、多くが廃業していました。現在荒川区で、2軒(もう一つはアイボール鉛筆)、葛飾区では「北星鉛筆」だけです。頑張って貰いたいです。鉛筆工場を探し始めた記事はこちら。金子鉛筆製作所/下町のえんぴつ屋さん
先日TVニュースで「キリン鉛筆」が紹介されていました。「北星鉛筆」も紹介されていました。偶々北星鉛筆は、放送直前に訪れていたので、キリン鉛筆にやって来ました。と言っても、10日に1回位は前を通っています。今日は裏から訪問しました。数年前に改築した社屋です。もう鉛筆は作っていません。看板は大切に残しています。六角形のマークは鉛筆由来です。こちらは、地元の人達が作った物を売っています。今日も休みです。どうも相性が悪いですね。私が覗いた時はいつも休みです。全体像です。向かいは荒川区の公園です。最近テニスコートなども併設した総合公園です。大きな滑り台の向こうは荒川です。鉛筆は外材を原料に作りました。従って、鉛筆工場の多くは、荒川の水運を利用できる荒川区に在りました。地場産業でした。「キリン鉛筆」再訪
行列の一方の主役は既報の「びんざさら」です。その後も、もう一方の主役を先導して行列が続きます。綺麗どころが続きます。やって来ました。「白鷺の舞」の白鷺です。肅々とやって来ました。・・・舞いません。舞うのは浅草神社の拝殿前だけなのでしょうか?あの羽を拡げたら綺麗なんだけど。しづしづと去って行きます。お囃子です。羽を広げて舞っている絵が有ります。これもしづしづと去って行きました。東京に暮らして30数年、初めて三社祭行列を全部見ました。三社祭が終わったら東京に夏が来ます。<過去の羽を広げた姿>三社祭の行列(白鷺の舞)/2024年
三社祭はこの行列が幕開けとなります。役員の挨拶があって、1本締めて、行列が始まりました。お囃子の車が先頭です。祭囃子を奏でます。去って行く向こうにはスカイツリーです。下町の路地です。「木遣り歌」です。路地をいっぱいになって進みます。続いて「びんざさら」が行きます。行列が続きます。三社祭の行列(びんざさら)/2024年
三社祭で賑わう浅草の路地を走り回っています。初夏の陽射しに汗ばみます。この幟暖簾に目が留まりました。昔懐かしい喫茶店です。かき氷のメニューです。安いです。下町価格です。来ました!今年初めてのかき氷です。「いちごミルク」です。懐かしい!缶詰めのみかんとさくらんぼが乗っかっています。子供のころ憧れた、贅沢かき氷です。そう、駄菓子屋には無くて、大人に連れて行って貰った「喫茶店」に有ったアレです。毎年かなりのかき氷を食べるけど、今まで出逢っていません。やっぱり喫茶店だから有ったのでしょうか?偶然入った店だけど正解です。ここまで食べたら、色合いが良いと思いました。撮ります。昔からの、懐かしい雰囲気の喫茶店です。店の斜め前は「曙湯」です。初夏の陽射しです。三社祭が終わったら東京に夏が来ます。今年初めてのかき氷
浅草の路地を行きます。神輿の準備をしています。路地が変わると町内会が変わります。夫々に「おらが町内」の神輿が有ります。イスラム教徒も見ています。町内会半纏を背負った背中です。初夏の陽射しに神輿が光ります。「象潟町会」です。自慢の神輿です。祭囃子の太鼓台です。保育園の子供が叩いています。園児と父兄が挽きます。蕎麦屋の玄関です。三社祭が始まります。三社祭の神輿を巡る/2024年
浅草の街が祭り一色になっています。町内会の半纏です。祭り提灯が吊るされています。飾り付け中です。いつもは駐車場の場所に屋台が出ています。祭りの時だけの対応です。三社様で照明を取り付けています。神輿蔵の前が人だかりです。本社神輿です。一之宮、二之宮、三之宮です。祭り半纏がたむろします。雅楽の演奏です。修学旅行の一団です。三社様の鳥居前です。最近は外国人か修学旅行生ばかりです。仲見世は相変わらずの大混雑です。そんな中で三社祭が始まります。三社祭が始まる/2024年
早稲田行き電車がやって来ました。薔薇の線路です。京成電鉄の鉄橋を潜ります。あれっ⁉︎鉄橋の上に人が居ます。あそこもホームでしょうか?早稲田行きがまた来ます。町屋駅前停留場へ向かいます。鉄橋をスペーシア(?)がやって来ました。三ノ輪橋行きが来ました。去って行きます。その向こうからも電車が来ます。すれ違いました。町屋駅前停留場へ向かいます。都電も薔薇も見飽きません。都電と薔薇/町屋駅前界隈
都電沿線の薔薇が真っ盛りです。町屋駅前です。鉄橋を潜って早稲田行きの都電がやって来ました。町屋駅前停留場に向かいます。三ノ輪橋行きの電車も停まっています。色々なカラーリングがある事も都電の楽しさです。三ノ輪橋行きが発車します。満開の薔薇です。頭上で京成電車が発車しました。去って行きます。早稲田行きの電車がやって来ました。並んで停まります。三ノ輪橋行きが発車しました。京成電鉄の鉄橋を潜ります。都電も薔薇も見飽きません。都電と薔薇/町屋駅前
奇数月に1度、足立市場で祭りが開催されます。大人気のイベントです。卸値で買えるもの。いつも出遅れて1時間以上並ぶのが常なので、今回は早くやって来ました。まだ開店前です。周囲を見て廻ります。中とろが1700円です。コロナ禍前はずっと赤身と中トロが1000円で、大トロが1500円でした。それが今年はこの値段です。赤身は1500円になりました。物価高を実感します。解体中です。冷凍ブツは安いです。生牡蠣が有りました。広島産です。私は牡蠣が好きですが、もう季節外れでしょう。もう暫く待てば、岩牡蠣の季節になります。解体が進んでいます。あれが私のマグロだろうか?解体を眺めながら開店を待ちます。いつものように沢山の人が並んで居ます。いつもの「三上水産」です。こちらでは、冷凍マグロを切っています。激しく上下する鋸が怖いです...足立市場祭り/マグロを買いに行く
気がついたら煙突が低くなっていました。晴れ間を待って、改めてやって来ました。1年前くらいからクレーンが立っていました。当初は、煙突が解体されるのか?と緊張して進捗を気にしていましたが、何にも変わらないので気を抜いていました。プラントの中に有る煙突です。ここは「東京都下水道局砂町水再生センター」です。周辺の空気が臭いです。下水を綺麗にして排水しているプラントだと思いますが、煙突がどんな役目を果していたのかは分りません。水再生センターは広い敷地を持っています。塀の外からぐるりと眺めます。もうすぐ無くなる煙突です。色々な角度から撮ります。この煙突は遠くからも目立ちました。壊す為に取り付けた作業梯子でしょうか?近くに来て気付きました。1年位前からずっとクレーンが立っていたのは、これを取り付ける作業をしていたのだと...煙突が低くなっていた。
新聞記事に誘われてやって来ました。新聞の地図ではこんな位置.に在ります。ドヤ街には簡易宿舎も林立しています。もうすぐ三社祭りです。三社が終われば東京に夏が来ます。今年は更に暑くなる予報です。ご婦人が歩く先に、「ほていや」の袖看板が見えました。あそこですね。あらっ!ご婦人が入ろうとしている場所も、もう一つの目的地「珈琲屋バッハ」です。新聞記事です。満席のようです。意外でした。すぐそこで警察官に食って掛かっている男が居る街です。山谷に、普通の人が並ぶ店が在るとは思いませんでした。そして、隣が「エコノミーホテルほていや」です。確かに安いです。山谷の昔を知らない外国人観光客に、特に人気です。七福神の布袋尊からの命名ですね。・・このシリーズ、ちょっと休んで後半に続きます。「エコノミーホテルほていや」と「珈琲屋バッハ」
新聞記事に誘わてやって来ました。東京では時々「大門(おおもん)」の地名に出逢います。北千住にも在って、やっぱり遊郭が在った場所です。全てがそうとは限りませんが、多くはそうだと思います。ここが1番有名な「大門」だと思います。ガソリンスタンドの手前に立っていたと思います。吉原大門の信号です。大門が在った場所です。ここから吉原の街を見ます。すぐ先で、道は大きく右に曲がっています。ここから見ると普通の街ですが、曲がった途端、そこには非日常の夢の世界が広がる、わざと道を曲げた演出です。何代目かの柳です。街歩き史跡めぐりのツアーだと思います。この後彼らはあそこを曲がって行きました。吉原から帰る客が、別れを惜しんで「振り返った」場所です。「吉原大門」の横断歩道から見るスカイツリーです。振り返ると「土手の伊勢屋」です。こ...吉原大門
新聞記事に誘われてやって来ました。土手の伊勢屋です。2か月ぶりです。今日は10時前に着きました。7番目です。収容人数は6席最大16人です。1回転目に入れます。椅子にかばんを置いて、席をキープして撮影しています。老舗天丼屋の磨りガラスの絵柄は海老です。テイクアウトの窓です。古くから有りましたが、再活用されたのは「コロナ禍」からのように思います。老舗店が並んでいます。隣りは馬肉や桜鍋の「中江」です。こちらも開店前です。開店しても客は少ないです。やっぱり夜の商売です。開店しました。ごま油の好い香りが漂います。いつもは食レポを忘れて食べた途中で気付くのですが、隣の人が撮っていたので気が付きました。私が頼んだ天丼です。こんなメニューです。私はいつも一番安い「天丼イ、」です。ここは江戸前の食材、穴子やキスなどが豊富に...土手の伊勢屋
先日新聞にこんな記事が出ていました。よく行く場所です。土地勘がありますが、知らない情報が多く載っていました。地図も有ります。行ってみます。先ずは、矢吹の像です。いつの間にか綺麗に再塗装されていました。同じことを考えてやって来たのでしょうか?熱心に撮っています。アーケードが無くなって明るくなりました。そしてホームレスが居なくなりました。雨も夜露も猛暑も冷風も凌げません。明るくなった商店街の東口です。「山谷労働者福祉会館」兼「日本キリスト教団日本堤伝道所センター」です。ここにいつもホームレスがたむろしていました。今でも炊き出しを行っています。シャッターを鮮やかなブルーで塗っていました。見違えます。新聞の記事どおり周辺に集合住宅が増えました。「山谷労働者福祉会館」の玄関前は薄汚い(失礼)酒屋でしたが、マンション...「ドヤ街」今は昔
先日駅前交番が移転した記事を掲載しました。あ、ここに移転したんだ!新築は綺麗だなあ!立石駅前は東西南北に幾つもの商店街が在りました。交番の先です。反対側です。どちらも工事のフェンスに囲まれています。フェンスの中は、もう解体されています。商店街受難の時代です。果たして工事後は、以前の様に商店に囲まれた交番になるのだろうか?立石駅周辺再開発/駅前交番
佃煮を買いに来ました。佃島の老舗佃煮店が並ぶ路地です。こちらは「天安」です。老舗の風情です。観光客が歩く路地です。田中屋です。我が家の佃煮はこの店です。何年経っても味は変わりません。マンネリこそが伝統です。この路地の景色は何にも変わりません。老舗佃煮店の在る路地
古民家の上に超高層マンション群がそびえます。新旧が同居する佃島です。駄菓子屋です。頑張っています。酒屋でもあります。向いの屋根の上に、聖路加タワーがそびえます。近そうに見えて、隅田川の向こう側です。船溜りです。佃島は古い町です。徳川家康江戸転封時に、大阪からついて来た漁師の町です。この船溜りは、漁港です。佃小橋からの眺めです。あちらは、「もんじゃタウン」が在る月島です。そして聖路加タワーです。この景色も、ずっと変わりません。あ、数年前に船溜りを改修しました。月島に新しい超高層マンションが立ちました。でも、この古民家群が在る限り、新旧の調和が取れた町に見えます。いつまでも変わらない景色です。佃島/古民家と超高層ビルと船溜り
霊巌寺と言えば松平定信です。松平定信と言えば「寛政の改革」です。中学校の歴史で習いました。現在の歴史評価では「失政」とされています。右の石柱に「松平楽翁公霊域」と有って、左の門柱には「昭和4年5月修築」と有ります。墓所です。大河ドラマで渋沢栄一が扱われて、「七分積金」の制定者であることで再び評価されました。昭和4年に定信の百年忌を挙行したのが、渋沢栄一です。徳川四天王や今治藩主の墓がある場所でもあります。松平定信墓