今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
つつじ苑内を散策しています。つつじ山を巡ります。苑外の丘の頂上の家がもうすぐ完成です。いいなあ!こんな家に住みたいなあ!つつじを観賞しながら歩きます。あやめの青がアクセントになります。見下ろす遊歩道は、巡礼者の行列の様です。つつじ越しに楼門を見下ろします。ここからの景色が人気です。渋滞します。花の向こうは、鷗外楼(森鷗外旧居)移築の為の庭の造成工事中です。すっかり夏の陽気です。慌ただしく春が行きます。四季の国が、夏と冬だけになってしまいそうです。見上げるつつじ山です。楼門が輝きます。今年のつつじまつりでした。根津神社つつじまつり/2024年
「根津神社入口」の交差点です。平日なのにゾロゾロと人が途絶えません。うわあ~!もう20年くらいこの祭りを見ていますが、境内を出た人の列は初めて見ます。プラカードを持っている神職の話では、30分くらいの待ち時間らしいです。鳥居を潜ります。正面につつじ山が見えます。幾重に折り返す行列です。正面に民家が見えます。何度も折り返します。入苑チケットはここ数年同じデザインです。値段は書いていません。使い廻しが利きます。今年は500円です。強気です。昨年までは300円だったと思います。その前は200円で、はじめの頃は100円でした。300円までの入苑料は、この景色と比べて安いと思っていました。でも、、今回は値上げし過ぎだろう⁉と思っても、この盛況だと強気になるのは分かります。入苑しました。白いつつじが清々しいです。新緑...「文京つつじまつり」大盛況
一夜明けました。昨夜は甲子園球場横のホテルに泊まりました。甲子園正面入り口がメジャーリーグの球場みたいに綺麗です。39年前の面影は全くありません。あの、有名だった外壁にへばりついていた蔦が見当たりません。あれは、甲子園改修に伴って、全国の高校に苗の育成を依頼したと記憶しています。無いのだろうか?無いのだったら、それは、綺麗になった甲子園でも寂しいです。今回、甲子園球場を一廻りしていません。行っていない、正門から左翼外野に至る、外壁の何処かにあったら嬉しいです。阪神甲子園駅に向かいます。チームショップが在りました。あ!ここもお洒落です。振り返ります。高速道路の下に甲子園球場が見える風景は39年前と変わりませんが、阪神・淡路大震災を受けて、街と一緒にこの周辺もずいぶん変わりました。この右側は土手でした。松林が...阪神甲子園駅周辺
84歳の老人を伴っての観戦です。混雑を避けて早めに入場します。甲子園球場のスタッフに、親切丁寧にエレベーターにまで案内してもらって、エレベーターを降りたら別のスタッフに席まで案内してもらいました。その後で、入場時に叔母の補助で持てなかったグッズを届けてくれました。スタッフの数が多く、ホスピタリティが整っています。ここに来るまでも、席の周辺を見回しても、甲子園球場に居る最高齢者は叔母です。それどころか、杖を持った人は居ません。ゆっくりゆっくり杖兼買い物カートと足を運んで、アルプス席の階段を上がります。叔母は2005年の優勝の瞬間を、ここ甲子園球場で見ています。「死ぬまでにもう1回観たい阪神タイガースの試合」です。綺麗な球場です。席もゆったりしています。ベンチシートでも脇に荷物が置ける広さです。前後の椅子の間...阪神甲子園球場で試合観戦
8年前に訪問した際のリメイク版です。当時の甲子園歴史館は、高校野球のブースも有りました。花形満です。江夏が居て、田淵が居て、彼が入団しても、阪神は優勝できませんでした。巨人にはONと星飛雄馬が居ました。初々しい入団当時の顔です。甲子園は高校野球の殿堂でもあります。この頃のPL学園は強かった・・・。もうPL野球部はありません。清原のこのブースは撤去されたそうです。バカなことをして・・・。松坂大輔は決勝戦でノーヒットノーランをやってのけました。「怪物」でした。清原と、2体だけ設けられたブースです。ダルビッシュと済美高校の死闘を思い出します。決着は、9回裏ツーアウトランナー無しからの、逆転サヨナラ3ランホームランでした。そのバットの主は阪神に入団し活躍を期待されたのですが、・・・厳しい世界です。マー君と祐ちゃん...甲子園歴史館/旧高校野球展示ブース
以前は、名入レンガの傍、甲子園外野席下に「甲子園歴史館」入り口が有りました。今回、歴史館が移動していました。球場外に独立していました。建物名は「甲子園プラス」だそうです。入ります。いきなり昨年の優勝フラッグが出迎えてくれました。優勝カップです。歴史を訪ねて回ります。永久欠番の3氏です。多くの名選手たちも居ます。以下1985年日本一の主力選手です。名言の一部です。見飽きませんでした。以前来たときは、高校野球甲子園大会の歴史も展示されていましたが、今回は阪神タイガースだけの歴史でした。これはこれで堪能できました。歴史館から見る甲子園球場です。高校野球の歴史の展示は次回に振り返ります。甲子園歴史館
タイガースショップを出ると「甲子園球場100周年」カウントダウン看板です。前回の60周年看板の前で長男の写真を撮りました。ベーブ・ルースの銅像が有りました。そうなんです。初めての日本一を見ずに転勤した年の早春のことでした。その隣りです。小さな屋台です。もっと大きなショップだと思っていました。あんまり売れないのだろうか?まだ午後2時だからだろうか?周りは私達と同様の、試合前に甲子園球場を愉しむ人が多くいます。弁当は全部一律1500円です。「聖也の笑顔もビーフも100%ハンバーグ弁当」、「森下の牛鍋風弁当」、「梅ちゃんの九州ええとこ捕り(鶏)弁当」、「サトテルのトリプル牛肉弁当」、「近本のタコ飯幕の内弁当」、「坂本のこだわり!厳選中華弁当」、「中野の生姜焼き✕チャーハン弁当」等々です。「近本のー」は、もうこの...タイガース選手コラボ弁当と名入レンガ再訪
39年ぶりに甲子園球場で阪神タイガースの試合を観ます。84歳の叔母とやって来ました。「死ぬまでにもう1回タイガースの試合を観たい」との思いに応える旅です。関東在住の私にしても、「死ぬまでにもう1回、甲子園球場でタイガースの試合を観たい」との思いの達成です。1885年の日本一の年の10月1日付けで関東に転勤になった私です。優勝に感動したけど、現場に居なかった寂しさはずっと残っています。阪神淡路大震災を経て街が変わりました。甲子園球場も変わりました。みんな綺麗になりました。小汚かった球場周辺が、楽しいボールパークになりました。「タイガースショップ」に入ります。タイガースグッズの種類の多さに目を見張ります。こちらは菓子類です。ショップ前の甲子園球場外壁です。「野球よありがとう」看板です。こんなところから野球観戦...甲子園球場タイガースショップ周辺
「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」から市川橋を渡ります。渡ればそこは千葉県です。橋を渡り終えた所に「山崎パン中央研究所」が在りました。江戸川左岸土手沿いです。海からの距離標識が有ります。振り返ります。左に渡ってきた市川橋、写真の中央付近にさっき見た「小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡」の説明板が有りました。右の鉄橋の下が小岩菖蒲園です。こんな位置関係です。土手上の遊歩道を行きます。こんもりと木が茂っています。多分あそこです。やっぱりそうです。左の建物が山崎パン中央研究所です。こちらにも説明板が有りました。絵もあります。左下に「小岩市川の渡し・小岩市川関所」が描かれています。そして江戸川を右斜めに渡った所に「市川関所」、つまり今立っている、ここです。背後は山崎パン中央研究所です。建物の端に繋がる歩道が在りま...市川関所跡へ行く。
江戸川の土手から「小岩菖蒲園」を眺めています。菖蒲はまだです。背後に、菖蒲園から江戸川の土手を上がった所に、商店街への入り口が在ります。菖蒲見物客を相手に左右に店が出て、往時はさぞかし賑わったと思います。降りた所が商店街のメイン通りです。鉄道の高架下です。ここは京成江戸川駅です。東京の東端の駅です。駅前の道は昔の街道でした。ここに商店街を造りました。すぐに商店街が終わります。と思ったら、角を曲がった突き当りの土手の下にも商店街看板が有りました。江戸時代には、この左右に旅籠や料理屋などが軒を連ねていたそうです。説明板です。「御番所跡ここは旧伊与田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所が置かれたことから御番所町と称したと思...小岩市川の渡し・小岩関所跡
歴史ある帝釈天を中心にした界隈です。帝釈天三門と「園田神仏具店」です。<現在>この商店街もけっこう店舗の改廃がありますが、ここは健在です。取り扱い商品がら、いつも賑わっていません。地元民相手の商売です。お参りします。<現在>映画から約半世紀、帝釈天は変わっていません。ただ、何も変わっていないように見えますが、ここだけは変わっています。満男に借りた「頭が良くなるバンド」を付けている源ちゃんの背後に有る貯水槽です。<現在>さくらの背後に「当山○講の石柱が立っていますが、その石柱は背が低く、地中に埋まっています。そして、こちらの貯水槽の土台石には「庚申」の彫刻が施されて居ません。つまり、石柱が三門寄りに移動して埋められています。何も変わらない帝釈天だと思っていましたが、他にも変わったものがあるかも知れません。「男はつらいよ」に見る帝釈天で変わったもの
東京には各地に「富士見坂」が在ります。富士山が人々の暮らしと共にあったことがよくわかる名称です。末尾に小さく「最近まで見えた」旨の記載が有りますが、もう10年前の話です。私は一度も、ここから富士山を見たことがありません。坂の右に、ここから見えていた富士山の写真が並べられています。先ずはこれから。「ちょっと昔の富士見坂」です。モノクロで、富士山が良く見えません。「富士見坂」の様子は良く分かります。現在と変わりません。2番目からカラー写真になって、富士山が良く分かります。こんなに大きな存在だったんですね。「夕暮れ時の空」です。2012年の写真です。必ずしも年代順ではありません。1998年と1994年の写真です。「富士山眺望の変遷」です。「2013年の、本郷通り沿いのマンションが完成するまでは見えていた」富士山...谷中の「富士見坂」
「だし自販機」が気になって、いくつか紹介しました。先日は「ラーメン自販機」に遭遇して紹介しましたが、追いかけようかどうしようか決心がつかないまま、なんと「餃子自販機」に遭遇しました。しげしげと眺めます。「浜庄」ってのが餃子のメーカーだと思います。ええー⁉売り切れなんですか⁉「生産が間に合わない」⁉ホントかな⁇誰も並んで居なかったぞ⁇帰ったあとか?美味しそうな女性の写真です。子供だね。「危険をブロック」しているらしいし・・?「保存料・着色料・化学調味料は使用していません。また、安全性に疑いのある原材料は使用していません。」とのことです。別に珍しい文言でもないけど。ほう⁉「発酵の力健康長寿」ですか⁉「滋味深いスープ具に練り込んでジューシー」らしいです。更に、「国産小麦を始め厳選素材で美味しい」らしいです。「だ...餃子の自販機が有った!
旧宮城野部屋です。ああ、やっぱり・・・。玄関に向かって左に有った「宮城野部屋」の看板が無くなっています。看板を留めていた金属だけが残っているのが寂しいです。勿論、「燃えるゴミの日」に出したりはしていないと思います。捲土重来を期して、何処かに保管していると思います。ただ、ここには戻って来ないと思います。日本橋に土地を手当した矢先に事件が発覚しました。新しい部屋の場所は確保済です。でも、門柱には部屋名がそのままです?こんなの簡単に外せると思うのですが・・・?宮城野部屋を預かっている「伊勢ヶ濱部屋」です。元来相撲部屋の午後はどこも静かなんですが、なんか緊張感がある静けさなんです。いつも2台停まっている乗用車が、あの日以来頻繁に居ません。忙しいのだと思います。先日、ジャージ姿の伊勢ヶ濱部屋親方を部屋前で見ました。...「宮城野部屋」看板が無くなった。
「徳川ヴィレッジ」なる物が建築中でした。ここは「徳川ドーミトリー」跡地です。しっかりした基礎です。立派な建物ができるようです。私、徳川ドーミトリーの解体に遭遇した時、もう女子寮に入れたい親や入りたい学生は居ないのでは?なんて言ってしまいました。なんのなんの、ドーミトリーよりも立派な女子寮ができそうです。今度は1号館から4号館まで在ります。需要があるんですねえ・・・!「徳川ヴィレッジ」建築中
まだ4月11日の話です。いつものように東京の桜の名所を観て回りました。最初は曇り空ばかりでしたが、後半は天気に恵まれました。神田川は、例年どおり面影橋からスタートします。そもそも神田川の桜の開花は早いのです。もう花筏です。遊歩道にも花が敷かれます。下流に向かいながら観賞します。今年の最後の桜になると思います。見納めに相応しいです。神田川、今年の桜の見納めです。
大ホールから庭に出ました。庭を歩きます。過ぎ急ごうとする桜を堪能します。桜の根本に花壇が有ります。これは水仙の一種ですね。植物にも疎いです。大ホールを外から観ます。花壇に桜が降ります。春です。「自由学園明日館」の庭から
間に合いました!「自由学園明日館」の花吹雪です。四季折々に、大ホールから桜の木を観る為にやって来ます。大ホールの2階から眺めます。幾何学模様の窓です。机と椅子を見下ろします。大人が座れない小さな机と椅子です。1階に下りてきました。窓枠が邪魔です。設計者フランク・ロイド・ライト氏は、桜を観ることを念頭に置いていなかったと思います。でも現在の管理者は、窓枠を活用しました。ガラスの花瓶に季節の花を活けて、ここに置きました。今日も好いです。「自由学園明日館」の桜
夕方の桜です。桜の樹の下に「石田波郷」の句碑が有りました。「立春の米こぼれをり葛西橋」「早春や道の左右に潮満ちて」彼は江東区縁の俳人です。ここ江戸川区に句碑が有るのは、「葛西橋」の縁でしょうか?江東区と江戸川区を繋ぎます。中央に大きな池を配した庭園です。「源心庵」です。時々ドラマやCMに登場します。陽射しが柔かくなる時間帯です。モミジにも夕陽が優しいです。池を巡ります。ここはツツジの名所でもあります。もうすぐ咲きそうです。優しく暮れていきます。やっと月10日の散策が終了しました。「行船公園」の桜
新渡橋から眺めています。新川です。徳川家康が江戸転封に際して拓いた運河です。下総の野菜や行徳の塩を江戸に送る運河です。この先で小名木川に繋がります。運河の両岸の桜が満開です。橋の反対側でも眺めます。浦安方面です。この頃やっと青空が広がりました。「新川」の桜が満開
水元公園から始まった、4月10日の話です。親水公園の桜が満開です。陽当りが良い公園です。花筏が始まっています。すっかり暖かくなりました。遊歩道を歩きます。自転車乗り入れ禁止です。自転車を押して歩きます。ここ一之江境川親水公園の絵のマンホールです。新緑が鮮やかです。空が青いです。カルガモが食事中です。堰に餌が溜まっているのでしょうか?おっとっと、流されそうです。親水公園が続きます。満開の親水公園です。「一之江境川親水公園」の桜
江戸川堤の桜です。「寅さん記念館」上の公園の桜を見上げます。こちらは江戸川の向う岸の桜です。市川市の給水塔も見えます。河川敷にも桜です。江戸川土手から見上げます。金町浄水場の桜です。緑の土手です。ここら辺りが虎さん映画の舞台です。悩める満男は、よく土手に座っていましたが、このシーンは悩みが深そうでした。石垣がなくなりましたが、右の土手上の看板はそのままです。江戸川の桜
「見るんじゃないよ!ほら、」[あら源ちゃん!?寝てるの?]<現在>さくらが「くるまや」へ向かいます。昔、「下町の太陽」を歌っていた頃を彷彿とさせる笑顔です。<現在>門前商店街です。<現在>御前様に相談します。<現在>時には凛々しい源ちゃん。<現在>満男の恋人泉ちゃんが来た!<現在>商店街を「とらや」に向かいます。<現在>右手の物置みたいのが、型を変えて今も置かれています。帝釈天は殆ど変わっていません。さすがです。「男はつらいよ」に見る帝釈天の今昔
道標の先に「矢切の渡し」が在ります。舟が居ませんが、この旗が出ていたら営業中です。春の景色です。この靡いた旗を撮るのに何回シャッターを切った事か。。やっと来ました。着桟です。2人だけの客です。乗客がありません。対岸の矢切に客が居るようです。すぐに向かいます。矢切に着きました。グラウンド越しに見る金町浄水場です。グラウンドから見る渡し場です。チューリップと道標です。渡し場の春です。矢切の渡しの春
青空の下、桜が満開です。手前の早咲きの桜はもう葉桜です。ここは「四つ木めだかの小道」の南端です。現在は、ここからは暗渠となって綾瀬川に注ぎます。櫻を見上げます。今年はあまり見られなかった青空の下の桜です。「四つ木めだかの小道」はずっと続きます。この川は「曳舟川」です。お花茶屋を越えて、亀有も越えて、途中暗渠となって、葛西用水となって、更に北上しています。川端に在るお洒落な喫茶店です。人足が舟を曵いて荷を運んだり、舟遊びを提供していました。こんなものが有ります。そして説明板も。読みます。「曳舟川の由来曳舟川は江戸幕府が明暦三年(1657)の大火ののち、開発に着手した本所、深川方面の新市街地へ、飲料水を供給する目的で開発された水路です。成立は万治二年(1659)といわれ、亀有上水あるいは本所・小梅上水とも呼ば...四つ木めだかの小道
江戸川に浮かぶ三角屋根と丸屋根です。金町浄水場の取水塔です。空が青いです。水が青いです。吸水路が青いです。釣人が居ます。丸屋根に近づきます。三角屋根を振り返ります。丸屋根です。ここにも釣り人が居ます。今年も春が短いような気がします。たぶん、僅かな期間の春の景色です。三角屋根と丸屋根の在る風景
水元公園の「さくら堤」は遊歩道が上下します。この界隈は車道と平行です。青空に満開の桜です。桜の下を行きます。さくら堤の梵鐘です。真っ直ぐに、或いはカーブして堤は続きます。スーパーカーが「オーン」と観に来ていました。人通りが少ないです。殆ど独り占めです。水元公園のさくら堤でした。水元公園「さくら堤」
水辺の冷たさもあってか、メタセコイアに芽吹きは遅いです。静寂の世界の東屋です。沈黙の音が聞こえそうです。逆光です眺めます。屋内から緑を眺めます。今が一番良い季節かも知れません。水元公園水辺の東屋
緑と青の色しかない中央広場です。白く満開の桜です。少しだけ桜が有ります。存在感を放ちます。人工の川が流れます。個体によって芽吹き具合が違います。寛ぎの午後です。少し風があります。静寂の木洩れ日です。振り返ります。水辺の桜です。穏やかな春の景色です。中央広場水辺の桜と緑
若葉萌える水辺の散策路です。いつものように散策します。桜が満開です。桜の下を行きます。見上げます。池中の蓮は枯れ色です。この個体は芽吹きが遅いです。釣人が居ます。見上げます。サイカチの樹です。散策が続きます。間に合いました!この桜に間に合いました!ああ、春です。水元公園水辺の散策路
空青く、緑萌え桜咲く中央広場です。新緑が輝きます。ボルゾイ犬です。オオカミ狩りの犬です。桜が満開です。木が列を作っています。木漏れ日が濃くなりました。こちらは芽吹きが遅いです。爽やかです。風が渡ります。緑が目に優しいです。水元公園中央広場
水元公園の「メタセコイアの森」です。下草が緑です。陽光溢れる森です。ここへ来たらいつも見上げます。芽吹きは浅いです。森を歩きます。針葉樹は芽生えが遅いです。まるで、春まだ浅く思わせる景色です。芽吹き始めのメタセコイアの森
青空には一足早い鯉のぼりです。新緑萌える水元公園です。いつもの路を行きます。あそこに桜が集まっています。背後のメタセコイアの森はまだ茶色っぽいです。メタセコイアの森に向かいます。お花見をしてます。釣人も居ます。陽光に包まれた、穏やかな景色です。さて、メタセコイアの森は?「水元公園」鯉のぼりと桜
居ました居ました!タナゴ釣り人です。桜の下のタナゴ釣りです。この小さな水路はタナゴの産卵場です。タナゴ釣り人が目指す、1円玉の直径以下の獲物が居る場所です。つまり、タナゴ釣りの名人たちの釣り場です。それぞれにポイントがあるようです。トンネルの傍が良いようです。満開の桜の下です。こちらのトンネルでも。いいなあ!満開桜の下の釣りです。「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」水元公園桜の下のタナゴ釣り
水元公園の桜に間に合いました。水元公園には八代将軍徳川吉宗が造らせた堤が在ります。今は約3kmにわたる「さくら堤」として残っています。観桜の名所です。見上げる満開の桜です。さくら堤を行きます。あまり有名でないのか、いつも空いています。さっき観た水元大橋脇の桜です。いつものように見上げて歩きます。新緑も鮮やかです。古木桜です。この界隈の遊歩道は車道より低いです。見上げる家です。この話続きます。水元公園「さくら堤」の桜
4月10日の散策です。東京理科大学葛飾キャンパスの桜が満開です。数年前に工事をしていた頃とは大違いです。立派な学園街になりました。すぐ傍は、水郷の水元公園です。水元公園は「水元さくら堤」の桜並木が有名です。園内には案外桜が少ないです。その中で、この桜の姿形・大きさが際立っています。花見の最中です。「水元大橋」の傍です。満開の桜をバックに、愛犬を撮ります。対岸の「みさと公園」も満開です。こちら水元公園です。鯉のぼりが出ると、気分は初夏です。ちょっと寒いけど。「水元公園」の桜/2024年
都電荒川線の踏切から飛鳥山停留場を見ています。都電が停まっています。背後は桜満開の飛鳥山です。横断歩道を渡ります。信号待ちのさっきの都電です。昨日7日のTVニュースで、満開の桜の下で、大勢の人が花見を楽しんでいました。今日8日は平日です。人は少ないです。ここは八代将軍吉宗が造った花見の名所です。幕政に対する庶民の不満を逸らす為に造ったとも言われています。そこも含めて、名君です。それぞれで楽しんでいる名所を歩きます。一人で楽しんでいる人も居ます。まだ春休みでしょうか、家族連れです。父親は居ません。満開の下で楽しそうです。ここは渋沢栄一の邸宅でした。明治の成功者たち庶民の観覧風景です。毎年沢山の桜の名所を訪ねます。見頃を逃すことも多いです。今年は満開の飛鳥山に間に合いました。都電がやって来ます。都電が行きます...飛鳥山の桜/2024年
「門と蔵のある広場」の隣は駒込小学校です。正門前が大変な賑わいです。喜びが溢れています。丁度入学式が終わったばかりのようです。正門前の路を行きます。まだ新しい公園が在ります。「門と蔵のある広場」と同じにできたものかも知れません。昨日(4月7日)の夕方のニュースで、賑わった「染井よしの桜祭り」の様子を伝えていました。綺麗な青空のもとで行われていました。所用で来られなくて残年です。今日は閑散としています。でも、桜満開の公園です。先日、と言っても3月初めに訪れた時に満開だった、河津桜が青々と葉桜になっていました。前面道路の突き当りは駒込小学校です。旧染井村の丘の上です。急坂を下ると、「そめいぎんざ」です。ソメイヨシノ発祥の街です。染井よしの桜の里公園
古い門脇に染井吉野が満開です。こんな由来です。ここは「門と蔵のある広場」です。腕木門から眺めます。広場の中央の桜が人気です。記念写真を撮っています。入園でしょうか?ワシントンDCから里帰りした桜です。ナンシー夫人(時の大統領ドナルド・レーガン夫人)が寄贈しました。「レーガン桜」とも「ナンシー桜」とも呼ばれています。ソメイヨシノ発祥の地です。比較的新しいので、レーガン桜が寄贈されたのを期に造られた公園かも知れません。端っこにある蔵も含めて、風情のある公園です。大きなソメイヨシノの下ではお弁当を広げています。春の風景です。「染井よしの桜祭り」の幟沿いに移動します。「門と蔵のある広場」のレーガン桜
染井霊園の桜が満開です。背景の曇り空が残念です。もう、墓地を散策することに抵抗感はありません。でもやはり、違和感はあります。やって来たのは「二葉亭四迷」本名「長谷川辰之助」の墓所です。「言文一致」の先駆者として小学校で習いました。処女作「浮雲」が有名ですが、未だ読んだことがありません。41歳で亡くなっています。壮年期での死去ですね。小学校で、「文学なんかやる奴はくたばってしまえ!」と父に罵られ反発して、筆名を「二葉亭四迷」とした、と教わりました。改めて調べてみると、「処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名前を借りて出版したことに対して、自身を『くたばってしまえ』と罵ったことによる(異説あり)。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である」と書かれていました。へえ~、認識を新たにしました。曇り...染井霊園の桜と二葉亭四迷
4月8日の話です。桜の報告が立て込んでいて、随分過去の話になってしまいました。先日の日曜日は桜が見頃になって初めての晴天でしたが、所用で外出できませんでした。今日も曇り空の観桜です。やって来たのは「染井霊園」です。お墓に近い位置に桜があるので写り込みます。気味が悪く思われる方はスルーして下さい。4月2日は高村光太郎の命日「連翹忌」でしたね。高村家のお墓です。家紋は「五三桐」なんですね。レモンが供えられています。「智恵子抄」に「レモン哀歌」が登場します。精神を病んだ智恵子が、最期に齧ったレモンによって意識がハッキリし、そのまま息を引き取った、と言われています。桜ヶ丘満開の霊園を移動します。自転車を押しながら桜を眺めます。岡倉天心の墓所です。正面が岡倉天心(本名:岡倉覚三)の墓です。奥に両親に有るのが両親の墓...染井霊園の桜と高村家と岡倉家
最近、靖国神社が世間をざわつかせています。陸上自衛隊に続き海上自衛隊でも、幹部を含む自衛官らが集団参拝しました。憲法が定める「政教分離」に抵触するのみならず、旧日本軍と「断絶」していないのではないかとの指摘があります。また、新たな宮司に元海将が就任しました。自衛隊の将官経験者の就任は初めてのことです。境内は桜が満開です。一番人気はやっぱりこれです。今年は随分都民をざわつかせました。まだかまだかと、都民皆んなが待っていたこの木の開花でした。艶やかに咲きました。肌寒いです。青空が欲しいです。今日もここまでです。この鳥居の向こうに、3人の伯父が「英霊」として祀られています。でも伯父たちは、ここには居ないと思っています。父を含めて5人が兵隊に取られて、2人しか帰って来ませんでした。死んだ伯父の2人は遺骨も帰ってい...靖国神社の桜/2024年
曇天のインド国旗を見上げます。暫く待っていたけど、はためきません。空気が重いです。千鳥ヶ淵の脇に在ります。「一つの地球・一つの家族・一つの未来」インドは昨年のG20サミットの議長国でした。今年の議長国はブラジルです。その隣に在るこのアンティークカフェを眺めるのが、千鳥ヶ淵で桜を観た後の習慣です。いえ、珈琲アレルギーなので入ったことはありません。眺める店頭は、今年も変わりません。好いです。インド大使館を眺めます。私にとっては春の景色の一つです。インド大使館とアンティークカフェ
4月6日の東京は、今日も曇り空です。でも、メチャメチャ混んでいます。多くの名所がありますが、桜好きの東京では、ここ千鳥ヶ淵が1番の人出かもしれません。堀と石垣と桜が織りなす景色が人気です。そしてここには堀に浮かぶボートが彩りを添えます。惜しむらくは曇天です。私、今年はまだ晴天青空の桜を観ていません。満開です!混雑の中を征きます。城壁の桜を眺めます。ボートを眺めます。昔は手漕ぎボートばかりだったのに、足漕ぎボートが増えました。ここ1番の観桜の名所、ボート小屋屋上展望所です。ここからの景色を見ずして、千鳥ヶ淵の桜を語ってはいけません。やって来ました、展望所からの眺めです。今年の千鳥ヶ淵の桜です。私がやって来た遊歩道です。多くの人がこの展望所を目指しています。背後には、NHKのTVカメラが設置されています。多分...千鳥ヶ淵の桜が満開/2024年
観光客で賑わう谷中にあって、殆ど人が居ない「岡倉天心記念公園」が好きです。まるで異空間です。そこに大きな桜があります。今年も見事に咲きました。誰も居ない公園です。ここではいつも空を見上げます。昨年バッサリと枝打ちしました。今年はこの位置が、一番桜が濃い空です。今までは、もっと高い位置に桜の枝がありました。2つしかない遊具が孤独です。私はこの雰囲気が好きです。・・・こうして、4月4日の観桜を終えました。岡倉天心記念公園の桜/2024年
根津神社はツツジの名所です。桜は少ししかありません。ここ社務所前に1本の古木桜があります。幹を突っかい棒で支えられながら、今年も見事に咲きました。背後の重要文化財である透かし塀との取り合わせが美しい場所です。青空の光が欲しい処です。花曇りの空です。やっぱり青空が欲しいです。根津神社の桜今年も誰も居ない
不忍池は観桜の名所です。ここには貸ボートがあって、水上からも桜を楽しめます。池の真ん中に散策路があって、東の池は枯れ蓮が残ります。西の池は、柳が新芽を吹いています。桜と柳と、ボートが浮かぶ池です。左右を眺めながら自転車を押します。ボートを楽しむ人々を見るのは、こちらも楽しいです。東側の、桜と枯れ蓮です。桜とボートです。ボートの向こうの弁天堂です。今年の、上野の春の景色です。不忍池の桜/2024年
上野公園を下って不忍池に出ました。屋台が沢山出ています。物凄い人出です。多くが外国人です。申し訳ないですが、この中を、自転車を押して歩きます。弁天堂です。弁天堂の裏は不忍池です。そこは貸ボート場でもあります。ふり返る弁天堂です。この時期の不忍池です。鮮やかな桜と、賑わいと、冬の名残の枯れ蓮の池です。不忍池弁天堂の桜/2024年
桜巡りの報告中です。余談、と言っては失礼です。昨夜「NHKスペシャルLastDays坂本龍一最期の日々」を観ました。余命宣告を受けた自らの闘病記を映像に残したドキュメンタリーです。死にゆく自らの姿を映像に残そうとした姿に感銘を受けました。死を認識しながら死に向かうのはは、それを受け入れがたい己との戦いです。諦念に至り、尊厳を持って死のうとした生き様です。ピアノを弾くかのような、指を動かしながら終わる最期は、音楽と共にあった彼の、納得の最期だったと思いたいです。やり残したことでなくて、彼の絶頂期の歓喜のシーンが、最期に浮かんでいてもらいたい、と思います。もうそんなに遠くないその時を迎える私も、そのようにありたいです。・・・さて観桜の続きです。上野公園にやって来ました。東京の桜の名所です。8分咲きです。やっと...上野公園の桜/2024年
東叡山寛永寺やって来ました。駐車場の看板が無かったら、といつも思う見事な古木桜です。ここは徳川家の菩提寺の一つです。4代将軍家綱が葬られて以降、多くの将軍が葬られています。島津家から嫁いだ篤姫も。ここは大きな屋根と桜が絵になります。観光案内に載っていないと思います。外国人は当然、日本人も少ないです。来ている人はツウか偶々です。静かな墓所です。前面道路の緑青の屋根は国立博物館です。桜咲く路です。そして、国立博物館の、旧池田藩から移転した黒門です。上野公園にやって来ました。東叡山寛永寺の桜/2024年
谷中の丘の上に霊園が在ります。桜が見頃になりました。青空だったらもっと綺麗です。花曇りが残年です。交番が絵になります。この界隈がポイントです。振り返ります。正面のマンションは、丘の下の日暮里駅前に在ります。超高層マンションです。川上音二郎の墓です。霊園の中の路を移動します。満開間近の桜です。谷中霊園の観桜/2024年
隅田公園から横断歩道を渡った所です。早くから咲いていた大寒桜が人気です。墨堤を北上します。八分咲きくらいだけど多くの人が来ています。待ちかねた名所の桜です。曇り空が残念です。売店前のメニューです。開店前です。1艇だけ屋形船が出ていました。屋上に手摺を設営中です。今日のお客さんは満足度が高いと思います。観桜を続けます。堤防に腰掛けて、賑わっています。やっと花見らしい風景になりました。桜橋から眺めます。屋形船が1艇だけなのは、予約の関係だと思います。例年の開花では4月4日の予約は思いつきにくいです。今年満開になると予想される、今度の土日の当日券は残っているでしょうか?花曇りの隅田川です。墨堤の桜/2024年
4月4日、1日中花曇りの東京でした。さらに、今年の桜が咲いているうちに晴れるかわからない予報です。例年どおり観桜に出かけました。<恩賜公園>時計台と桜の共演が名所の公園です。背後にスカイツリーも望めます。<隅田公園>陽当りが良くて開花が早い公園です。ここでもスカイツリーを背景に桜を楽しみます。天気がイマイチの平日ですが、多くの家族連れ(お父さん除き)が楽しんでいます。<墨堤>隅田公園から首都高向島線の向こうに墨堤の桜が咲きました。横断歩道を渡ります。東京各地の観桜
今年の東京は大幅に桜の開花が遅れました。その上雨が多くて自転車での桜見物ができません。多分例年のように東京の主だった桜の名所は訪問できそうにありません。その中で、初めて行った(いつも傍を通るけど、桜を見上げたことはありませんでした)「大塚三丁目桜並木通り」です。満開手前です。大塚から向原の中間です。丘の上なので陽当りが良くて、開花が早いようです。人通りも車も少ないです。なだらかな坂道が、約600m続きます。見上げます。突き当りは都電荒川線の踏み切りです。丁度、桜カラーの電車が通り過ぎました。都電荒川線の現称は「東京さくらトラム」です。踏切を渡って振り返ると、遮断機が降りました。ここからの景色は何度か報告しました。電車が近いです。遮断機が上がります。静かな並木通りです。春の景色です。大塚三丁目桜並木通り
4月2日の話です。上野のお山の頂上は陽当りが良いです。東京藝術大学音楽学部の桜が見頃です。2021年に屏を取っ払ったので、煉瓦校舎と桜の共演が人気となりました。カメラを向ける人が多いです。流石は芸術大学の桜です。綺麗です。でも、上野公園の桜はまだ五分咲きくらいです。カメラを向ける気になりません。明日からまた暫く雨の予報です。今年の東京は、満開の綺麗なソメイヨシノは見られないかも知れません。東京藝術大学音楽学部の桜
谷中のしだれ桜が咲きました。布袋尊が描かれた塀に沿って、修性院の桜を見に行きます。桜が描かれています。ここの修性院と長明寺と本行寺の桜を、勝手に「谷中の三大しだれ桜」と呼んでいます。本来境内にある筈の桜が、工事フェンスのこちら側に有ります⁈監視員に断って傍に行きました。今年の桜を見上げます。花曇りの空です。塀に沿って山門に行きます。いつものように、本堂前からも眺めました。塀沿いに退出します。寺院併用住宅を建設するのですね。完成は1年後です。桜色の、布袋尊が描かれた塀沿い帰ります。いつもよく見る塀ですが、桜の季節になると艶やかに見えます。修性院のしだれ桜咲く!
隅田川に屋形船が浮かんでいます。墨堤の桜は東京の観桜の名所です。五分咲きくらいでしょうか?店が開いているので、この界隈だけが賑わています。こちらにも屋形船が居ます。観桜の屋形船に乗るのは大変です。皆さん1年前から予約します。例年開花が早くなっている東京です。暖冬だった今年は当初、3月20日くらいの開花予想でした。この人達も予約が取れた時点で、4月2日なんて桜は散っているよね。でも、これでもやっと取れたんだから隅田川の屋形船で花見をやろうよ。これを逃したら、もう体験できないよ。てな感じで、満開の桜が見られないことを覚悟して、予約したんだと思います。まさか、この時期に五分咲きなんて、1年前に誰が思ったでしょう?屋形船って、雨が降っても船を出すんですよね。予約した人は乗船するか100%の違約料を払って辞めるかの...残念な隅田川の屋形船
しだれ桜がイマイチです。池の周りを回遊して園内の花を探します。いつもなら園内の隅々を巡ったり紅葉亭に行ったりするのですが、しだれ桜のショックで、早々に退出します。せめて他の花を見て帰ります。いつも見上げるコブシです。これも花が小さいです。花より抹茶です。ユキヤナギが見頃です。ソメイヨシノは四分咲くらいですが、しだれ桜の代わりか、カメラを向ける人が多いです。ハナカイドウが開花しました。花より団子です。ヤマブキです。しだれ桜が残念でした。しつこい!!今年の六義園の花
4月2日の話です。「見頃」です!昨日の六義園のホームページは「八分咲」でした。タイミングを測って待ったかいがありました。こんなに並んでいます。入場券を買う人の列です。末尾が見えません。平日の12時前なら空いているだろうと思ってやって来たら、皆さん考えることは一緒のようです。誤算でした。末尾に付きました。先頭が見えません。入場券を買うのに50分掛かりました。いつものように写真を撮ります。恒例の被写体です。六義園のしだれ桜です。恒例の場所から額縁効果を意識して撮りました。ん、色が薄くないか?今年の六義園のしだれ桜です。花が少ないぞ⁈例年なら、門を入った瞬間に「わあ~!」と言う歓声が上がるのに、皆さん「あれ?」の反応です。50分も並んで入場券を買ったのに。緑っぽいぞ⁈もう葉が出ているぞ⁇昨日のホームページは「八...今年の六義園のしだれ桜
宮城野部屋の不祥事に対して、日本相撲協会は4月1日付けで、親方を含めて全員、伊勢ヶ濱部屋預かりとしました。気になったので行ってみました。玄関前の景色は何も変わっていません。宮城野部屋の看板は有るし、相撲取りが乗る自転車は有るし、間垣親方の引退相撲のポスターは有るし、状態です。穿った見方をします。これは元横綱白鵬の、部家を残したい意思表示ではないでしょうか?ここの大家は元関脇ジェシー高見山です?高見山にしてみれば、借りてくれたら家賃が入ります。とっくに引退している身としては、日本相撲協会が何を言おうが関係ありません。その足で伊勢ヶ濱部屋にやって来ました。静かな佇まいです。普段停まっている自動車が無いのが、ちょっと違和感がありますが、、、玄関前の盆栽が益々立派になりました。時節柄しだれ桜が咲いています。親方丹...4月2日の「宮城野部屋」
谷中の本行寺は「縁」の多い寺です。先ずは、小林一茶が定期的に句会を開いた寺です。石碑の背後は花曇りのしだれ桜です。そして、太田道灌縁の寺です。ここは台地の上で見通しが利きます。物見砦跡でもあります。そして月見寺でもあります。背後にはしだれ桜が咲いています。見上げます。月見をした山頭火の句碑です。「ぽつと月がある東京に来てゐる」本行寺と小林一茶と太田道灌の謂れです。「長禄元年(1457)、太田道灌(資長)が江戸城築城の際、眺めの良いこの地に『物見塚』という斥候台を造ったという。『江戸名所図会』の『日暮里惣図』によると、本行寺の境内裏手に『ものミ塚』があり、塚の脇にこの石碑が描かれている。本行寺は道灌の末裔とされる掛川藩主太田氏の菩提寺であり、寛永三年(1750)に住職の日忠や太田氏にゆかりのある古屋孝長、四...本行寺は縁(ゆかり)の多い寺
谷中の丘の上の本行寺のしだれ桜が咲きました!別名「月見寺」と呼ばれています。しだれ桜は3本ありますが、1番枝ぶりが良い桜を見ようとすると、自然とこの伊勢丹社員の墓にお参りすることになります。墓標の背後に立つしだれ桜です。今年も咲きました。背後の建物は、丘の下の日暮里駅前に立つ高層マンションです。ここの桜は、既報の「長明寺」のしだれ桜と兄弟です。約50年前に両寺の住職が連れ立って、身延山に行って苗木を買い求めたそうです。三門から見る谷中のソメイヨシノ桜です。あと数日で、東京中の桜が満開になります。月見寺のしだれ桜咲く!
私の標準木です。咲きました!谷中銀座の東口に向かう路地から見ます。いつものように、長明寺の三門を額縁にして眺めます。急に暖かくなって慌てて咲いたような、見事なしだれ桜です。今年の桜を見上げます。花の下に入ります。本堂前の坂上から眺めます。逆光でも眺めます。すだれ状の桜です。春の空です。やっと訪れた春の風景です。この桜が満開になると、2〜3日で六義園のしだれ桜が満開になります。その後東京各地のソメイヨシノが満開になります。七面坂からも。急に暑くなったので、今年は散るのが早いと思います。例年になく忙しい春になりそうです。私の標準木が咲きました!
リメイクしました。最後まで見届けました。こんな横丁でした。当時は長い横丁でした。鉄道の高架工事で横丁が半分になりました。駅前の再開発実行により住人が退去して、店が閉店して、工事用フェンスが巡らされました。2か月くらいこの状態でした。1月末に工事用シートが高くなりました。そして今日、シートが左に長くなりました。中の進捗具合はどんな状況だろう?何処からも見られません。このせいだと思います。赤文字は「石綿」の危険がある建物です。古い建物ばかりだったからなあ。突然工事が行われました。ショベルカーが忙しく動いています。僅かだけ、呑んべ横丁の一部が見えます。私にはこれが最後の姿です。今も解体工事が進んでいますが、中が見えません。工事用フェンスの中が見られるのは更地になってからでしょうか?呑んべ横丁が無くなった。
数年ぶりに遭遇しました。名前やら色合いやら、当時と同様の感想を持ちました。周りと異なるクリーム色の消防施設です。「江戸川消防団第三分団第二部防災資機材格納庫」という厳しく長ったらしい名前です。何が入っているのだろう?前面道路西の中空には首都高中央環状線が見えます。中川、荒川に近い場所です。興味が湧いて、すぐ先の路地を左折しました。すぐに「江戸川区立五分一会館」が在りました。住所は江戸川区松原1丁目です。「五分一」に何かの謂れがあるように思います。会館の周辺を探ってみようと思いましたが、その前に眼の前の電柱看板に気持ちが動きました。いやいや、あっちは会館と反対側の場所だよ、と思ったけど、ちょっとだけ覗いて戻って来れば良いと思いました。電柱の向こうを右折します。角を曲がったらすぐに床屋が在りました。チェーン店...「五分一町会」の路地から
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今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
駅の脇道にこれがありました。現在の駅正面は「キャプテン翼」の絵です。ずっと前工事が始まった頃に、近隣の懐かしい風景を描いた水彩画が正面にありました。幾つか当ブログで紹介しました。それと新しく、こんなのも有りました。この絵のように古い姿も残るのでしょうか?この右側に有ります。好いです。このように変わるなら、再開発が楽しみになります。久しぶりに懐かしい水彩画の現場です。いくつかの中で、好きな3点を再登場させます。・京成本線の高架・居酒屋下町・立石駅東踏み切り京成立石駅の水彩画がこちらに有った。
真夏日の根津です。今年はまだ芋甚でかき氷を食べていません。あれっ⁉︎シャッターが閉まっています?貼り紙を見て、スマホで更に確認して、名残惜しそうに去る人が居ました。こんな貼り紙です。こりゃあ長引きそうです。「黒蜜きなこ」を食べに来たのですが・・・。昨年食べた黒蜜きなこはこちら。「芋甚」でかき氷
約300m続く商店街の西端です。真っ直ぐスカイツリーが見通せる商店街です。街灯にも有るように、「下町七夕まつり」が有名な商店街です。七夕飾りが並ぶ商店街を行きます。童謡で「笹の葉サラサラ♫」と歌いましたが、軟プラなのでシャラシャラと揺れます。もう笹を飾る「軒端」はありませんが、歩道脇で揺れています。「合羽橋商店街」を行きます。国際通りに来ました。振り返ります。準備完了!です。7月6〜8日に開催されます。「入谷朝顔市」と同じ日です。「下町七夕まつり」準備完了!
今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
交差点の向こうに好い感じの店が在ります。ちょっと左には田中角栄邸が在る目白通りです。「鳳山酒店」です。よく見ると、二階の窓の所にも看板が有ります。「鳳」の文字が無くなっています。店の隣の路地です。その先は坂です。こんな急坂です。自転車で下るのが怖いくらいの坂です。東京には「富士見坂」があちこちに在ります。山坂が多い土地であると同時に、高層ビルなど無かったので、あちこちから富士山が遠望できたのでしょうね。すぐ先の古い家屋の所で坂が二つに分かれています。いわゆる車道と歩道です。今日は左側の石段を行くことにしました。初めて通ります。それにしても凄い蔦屋敷です。自転車を押して坂を下ります。正面に、新宿のドコモビルが見えます。相当の高低差です。坂を下りました。目白台の下の路地です。銭湯がある町です。鳳山酒店と目白富士見坂の風景
この路地は約20年間、私の散策路でした。週に1回は通っていますが、伊勢ヶ濱部屋が在ったらばこその散策路でした。シーサーしか残っていません。ここでは稽古後の相撲取りが屯して居ました。7人も関取が居ました。自動車も有りません。もっとも、今は名古屋場所前なので、普通なら名古屋に行っているのを知っていますが、やっぱり寂しい景色です。看板が有りません。伊勢ヶ濱親方が元横綱照ノ富士に代わって、伊勢ヶ濱親方は、元横綱白鵬が持っていた宮城野親方に代わりました。この家は、もう相撲部屋じゃなくて、杉野森さん(宮城野親方の本名)の自宅なんですね。ところが、親方が丹精して育てていた盆栽も有りません。どうしたんだろう?国技館の掲示板です。もうすぐ名古屋場所が始まります。両国は真夏です。商売に熱心な(成功した)大相撲関係者も居ます。...伊勢ヶ濱部屋の移転
毎日暑い東京です。墨田区を走っていて遭遇しました。立派な蔵を持っています。これは大店です。商店街を初めとする古いものが好きです。質店もその一つです。でも、こんな大きな質店は初めてです。私が知っている質店は、路地裏でしっとりと営んでいたりします。じっくり眺めました。こちらは、いわゆる「質流れ品」を販売するセクションみたいです。ショーウインドウです。硝子が反射してちょと見難いですが、これらはマイセンですね。お宝です。角に看板が有ります。角を曲がっても店です。こちらが質入れ口のようです。見上げる看板は「元禄2年」の創業です。西暦1689年です。これは、老舗だ!300年以上の歴史があります。そして、驚きました。広くて写真1枚に収まりません。良く見ると、大きな蔵が2棟在ります。こちらが住居でしょうか?とんでもない家...緑1丁目の「質フクシマ」
両国橋から隅田川が見えます。水上警察の船が居ました。その先を見ると、沢山の屋形船が川下に向かっています。何だろう?推測します。夏のイベントの準備だと思います。東京の夏と言えば花火大会です。だとしたら、「隅田川花火大会」ではないように思います。あれって、ここ両国より上流で行われるもの。7月の初めであり、隅田川の下流で行われるのであれば、「東京湾花火大会」です。そうに違いありません。そしてこれは、屋形船の「今年の陣割り」、つまり誰がどの位置で係留するかを決める日だったのではないでしょうか?東京の夏祭りが始まっています。はてなblogでは、駄菓子屋のお婆ちゃんTV出演の話です。⇒荒川三歩東京に夏祭りが始まる予兆
羽二重団子にかき氷の幟暖簾が出ました!いつもの席に座ります。愛車が見えます。客は私だけだったのですが、かき氷を食べ始めたら満席及び空席待ちになりました。私は「福の神」・「幸せ配達人」です。今年初めてのかき氷です。掘り進めると、ほんのりと黄色が現れました。「氷ゆず」を食べています。ふと気が付きました。私、ここでは「氷ゆず」しか食べておらず、他の店でも同じものしか食べていません。しかも、夫々別のものを食べているのです。あの店ではこれ、と決めている訳ではないけど、そうなっています。同じ店で食べ比べて、その店の一番美味しいものを決めれば良いのに、と思いました。往来する人々を眺めながら食べます。食べている処を眺められています。薄く小さくスライスしたゆずの皮も入っていて、上品な甘さにちょっと苦味もあって、好みの味です...「羽二重団子」で「かき氷」
南千住は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅立ちの際に、隅田川から上陸した地です。矢印に従って、行きます。現在の「千住大橋」です。「せんじゅこばし」です。この先が「お上がり場」です。大橋の真下です。徳川家康と伊達政宗の工事の痕跡が残っているようです。大橋を抜けた場所が「お上がり場」です。松尾芭蕉だけでなく、大名や将軍家、日光門主等々が、隅田川から上陸した場所です。戻りましょう。・・・こちら側は「千住小橋」の表記になっています。何かの機会に読んだ記憶があります。橋に書かれた土地を含む名称は、その集落への入り口は漢字で、出口はひらがなで表記したそうです。ここが千住への入り口です(他の橋も気にして見ていますが、現在は左右に漢字とひらがなの表記が多いです)。上流側の堤防です。縁の多い場所のようです。現在は高層マンシ...「おくのほそ道」矢立始めの地
上品な茅の輪ではなく、なんかこう「荒ぶる神」らしい茅の輪を見たい、と思いました。思い付いたのが、南千住の「スサノオ(漢字転換ができません)神社」です。太い!根津神社や日枝神社などの3倍はあろうか、という太さです。スサノオ命はヤマタノオロチを退治した神です。武骨な茅の輪です。下町らしい、とも言えます。作法に従って参拝します。・・・ここに来ると、神楽殿が気になります。東日本大地震の時に、神楽殿いっぱいに千羽鶴を吊しました。荒ぶる地震を鎮める祈りの千羽鶴に心を打たれました。今日は「つきなみ祭昇殿参拝」です。神職が頭を垂れて通り過ぎて行きます。猛暑日の午後です。スサノオ神社夏越の大祓
拝殿が工事中の亀戸天神です。夏越の大祓にやって来ました。祀られている菅原道真公には不似合いの荒々しい茅の輪とお思いでしょうが、菅原道真公の先祖は、当麻蹴速を蹴殺して「相撲の神様」になった、野見宿禰なんです。そう言われたら、納得の荒々しい茅の輪です。工事中の拝殿を参拝します。工事の理由です。勉学の神様です。下町の人気神社です。猛暑日です。茹るような暑さです。草いきれがします。濃い緑が暑苦しいです。紫陽花の清々しさが清涼剤です。夏越の大祓「亀戸天神」
ずっと前に、同じ街で瓢箪だらけの家に遭遇しました。登録読者さんに教わったところ、瓢箪作りの名人だったらしいです。あれからこの街に来るたびにそれとなく探していましたが、遭遇しません。突然、遭遇しました。凄いです。色付きです。前に遭遇した家とは違いますが、同じ町内なのでお互いに知っていると思います。同好者と認識しているのか、ライバル視しているのかは分かりませんが、同じ趣味の方だと意識しているのではないでしょうか?これはこれで凄いです。前の人の家に出逢いたいなあ。前の人の記事はこちら。東四つ木の瓢箪の家の2軒目
綺麗だと思いました。いえ、枯れかけたアロエではありません。この苔です。菊坂下の路地に生えていました。見上げると、木造三階建の家です。菊坂に上がると郵便局とレストランです。本郷への急坂へ向かいます。谷底と丘上の街です。梅雨時の菊坂下
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
赤い部分に輪っかが有ります。解体作業が順調に進んでいるようです。ぐるりと取り囲んでいる訳では無いようです。次の日、駐車場から見上げました.よく見ると、白い部分に大きな四角の穴が開けられています。何だか分からないけど、解体準備の作業なんでしょうね。一時期TVでよくやっていた、煙突の各所に計算した爆薬を取り付けて、一瞬で垂直に壊すやつ、あれが見たい。煙突の解体/今日も輪っかが有る。
伊予大島から伯方島を望みます。平山郁夫画伯はここから「しまなみ海道」を描きました。海流が激しい「船折瀬戸」と右が「宮窪瀬戸」です。真ん中は「鶏小島」です。伊予水軍「能島村上」の本拠地「能島」です。宮窪町の港です。村上水軍史料館が在ります。前回来た時(2017年4月)に展望台下の店でお茶を飲みました。ロープが張られていました。・・・みんな夢の中の出来事みたいです。鶏小島の記事はこちら。伊予大島カレイ山展望台から
赤い部分が解体されて数日で、また輪っかが設置されていました。行ってみます。あれ?白い部分の一部が解体されています。前回赤い部分が解体されたばかりです。今回は仕事が早いです。油断できません。プラント前に移動して見上げます。あれっ⁉︎煙が出ています‼︎10数年前に、「もう使っていない煙突」だと聞きました。事実、今まで1度も煙が出ているのを見たことがありません⁈場所を変えて見上げます。やっぱり、煙が出ています。何か燃やしているようです。工事中に⁇あれっ⁉︎煙が止まりました⁈場所を移動します。前回見つけた工場団地の駐車場です。やっぱり煙が出ていません。あれって、見間違いではありません。写真に残っています。煙が出たのは10分くらいの出来事です。なにがあったの⁇・・・煙突に穴を開けて、番号をふって、輪っかを乗っけて、...煙突の解体/白い部分が解体されて煙が?
雛が巣立ちしていました。スマホカメラではちゃんとした鳥の写真は撮れないことを分かっていながら、撮ってしまいました。至る所に居ます。あらゆる場所に居ます。花かと思いました。アオサギの雛です。喧しいです。煩いです。臭いです。生き物を大切にしないといけないと分かっていても、過ぎたるは迷惑です。雛が巣立ちしてもう大変
富岡八幡宮の力石の場所で工事をしています。力石とは、力自慢が持ち上げる石です。娯楽の乏しかった時代に青年が集まって、娘っ子の前で競ったことでしょう。優勝者は集落の英雄だったことは疑いありません。集落毎の代表が集まって総合チャンピョンを競い合ったりもしたのだと思います。クレーン車が忙しく稼働しています。力石を移動させています。ゆっくり降ろします。クレーン車は新たな資材を吊り上げようとしています。何だ?おそらく、周辺の神社から管理できなくなった力石をここに集めようとしているんじゃないでしょうか?慎重に扱います。力石を移動させる工事を初めて見ました。ここ富岡八幡宮は「勧進相撲発祥の地」と言われています。力石を置くのに相応しい神社です。こうして文化の保存を図っているんじゃないでしょうか?「犬も歩けば棒に当たる」と...富岡八幡宮/力石の集積中
いつの間にか、先っちょの赤い部分が無くなっていました。何度目かの輪っかが取り付けられています。何らかの工事が行われていると思います。今日はいつもと違う場所から眺めます。工場団地の駐車場が有りました。そうしたら、てっぺんの赤い部分の最後のパーツが外される処です!まだ赤い部分が残っていたのです!こんな瞬間が見られました!ここ良いです。観測地の一つにしましょう。煙突の解体/赤い部分が無くなった。
伊勢ヶ浜部屋の近くに西濃運輸が在ります。部屋を覗くと、自然に事務所兼社宅兼出荷場兼駐車場を通ります。改装工事の経緯の記録です。<2021年1月>正月休みの姿は壮観です!左右の社宅の下にびっしりと、整然と並んでいます。この景色が素敵で、時々写真を撮っていました。<2021年11月>工事フェンスが張られました。こちらは事務所部分です。社宅とL字型に建築されています。ここも工事対象のようです。<2023年7月>社宅部分がほぼ出来上がりました。<2024年5月>事務所棟もほぼ完成のようです。基本的な構造は変わってないように見ます。<2024年6月末>いよいよ最後の仕上げ段階です。竣工間近。こちらが事務所入り口のようです。出荷場の内部が完成したようです。西濃運輸に「クロネコヤマト」のクール宅急便が届きました。新しい...西濃運輸の改築工事
もうすぐ東京都知事選挙です。全く静かです。50数人も立候補しているのに、1度も選挙カーに会いません。でも、候補者看板は凄いです。これ、探しに行った訳じゃないです。散策すると出遇えます。政策に関係なく私の目を引いたのを紹介します。この候補者が「看板ジャック」を考え出しました。そしてこうなりました。散髪の帰りに目に付きました。こんなもの。でもね。有権者も褒められたもんじゃない。この看板、入り口に近いんです。都知事選挙/候補者看板ジャック
前回「花本社」の記事を掲載しました。その時に、東京大空襲で鳥居の上部が崩れ落ちた歴史を紹介しました。富岡八幡宮は大被害を受けたのに、松尾芭蕉命を祀る「花本社」の左右に在る「永昌五社稲荷神社」と「合末社」が無事だった話の中で、もう一社「七渡神社」も無事だったのです。気になっていた人もいらっしゃるでしょうから紹介します。えっ、気にならない?まあ聞きなさい。七渡神社へは、合末社の鳥居前を、この橋を渡って行きます。橋の左右は遊水池です。水を配した立派な造りです。右奥に七渡神社が見えます。縁日だったとは知らなかったです。それ以上に、何の神かも知りません。小さいけどお神輿みたいに艶やかな神社です。ここらは海に近いです。昔はもっと近くて、漁業や「木場の角乗り」の文化が今も残っているように材木の集積地です。そういった水に...七渡神社
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏