今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
神田の中央通りです。ショーウインドーにガラス器具が展示されていました。春の陽射しに光っています。温度計も。私、昔、化学を専攻していました。4年生のときは、朝から晩までこんな器具を使って、毎日毎日実験していました。懐かしいです。玄関です。思わず入りそうになりましたが、一般家庭には不要の物です。買って帰ったら怒られるだけです。ちょっと後ろ髪を引かれました。いえ、紅麹の研究はしていません。「高野理科硝子」のショーウインドー
第44作「寅次郎の告白」。マドンナは「吉田日出子」と「後藤久美子」です。この頃は満男の恋愛も同時並行で題材になっています。泉ちゃんの就職に同行する満男です。「数寄屋橋交番」と後ろに「有楽町マリオン」です。当時の名物交番と最新的な建物です。<現在>33年前と変わらない風景です。「花の東京のど真ん中」といえば、昔も今も銀座4丁目です。<現在>今も沢山の人です。三越の2階に喫茶室が有りました。上映当時はバルセロナオリンピックの前年だったのですね。シンクロナイズドスイミングが新鮮でした。ここから銀座4丁目の景色を見ながらお茶をするのが都会人だったのでしょうか?<現在>ガラス張りじゃなくなりました。あそこは今、なんだろう?今でも喫茶室かレストランでしょうか?<現在>4丁目交差点の賑わいです。<現在>今でも「キムラヤ...「男はつらいよ」に見る銀座の今昔
折戸道路を南下して、大塚駅に至る緩い下り坂です。ずっと気になっていました。今日は花が出ています。覗いて見ました。公演中のようです。「萬劇場」です。1994年開館で収容人員は130人です。出演者への花です。演劇のようです。ちょっとだけ好奇心を刺激されました。萬劇場
都電荒川線梶原停留場のホームにくっついた本屋兼タバコ屋の「梶原書店」です。休み休み営業していましたが、ここ1ヶ月ほど、閉まったままです。いよいよでしょうか?隣にクレーン車が停まっていて驚きましたが、すぐに梶原書店を撤去する様子はありません。駐車場だったここを更地化した残土処理のようです。国はこの建物を撤去して、都電脇の道路を開通して明治通りに繋げる計画です。梶原書店のすぐ向こうが明治通りです。都電が征きます。反対側の駐車場も更地になっています。いつでも工事を始められる体制です。奥に2軒の民家が残っていますが、そこもひと気がありません。下町らしい好きな風景ではあります。反対側建物の近くに移動しました。正面奥の灰色の建物が梶原書店です。線路脇のこの2軒が梶原書店と同じ状態です。梶原書店を過ぎて都電がやってきま...梶原書店の周辺に動きあり
曇り空に大きなダクトが特徴的です。2階が住居のようです。最近いつも静かな作業場です。電灯が点いているので操業中だと思いますが、鉛筆の良い匂いがしません。鉛筆の需要が少なくなって久しいです。極力使うようにしています。市川鉛筆製作所の今
春の陽気です。雑司ヶ谷霊園にやって来ました。彼岸過ぎてもお花が手向けられています。先ずは、「永井荷風」から。墓所を囲っていた樹木を整理して、随分明るくなりました。荷風先生は、月桂冠がお好きでしたか⁈春の陽気ですが、まだ芽吹いていません。開花宣言をしていない東京です。「小泉八雲」です。「荻野吟子」です。「サトウハチロー」です。久しぶりの青空です。散策日和です。墓地を散策するのに抵抗が無くなりました。「竹久夢二」を埋めています。立派な「夏目漱石」です。「彼岸過迄」は彼の作品でしたね。「羽仁もと子」です。「東條英機」です。この墓に来ると、「戦争をしてはいけない」との思いを新たにします。彼岸過ぎても
遠くから光っていました。近づくと、10円玉です。表面が傷ついた結果、光が乱反射したようです。平成17年の文字がかろうじて読めるほど摩耗しています。裏返して見ます。表と同様に、多くの車や靴に踏まれ擦られてできた沢山の角度の面に、光が乱反射しています。実際の光り具合が伝えられなくて残念です。人通りが多い「天神下」交差点です。左奥に湯島天神が鎮座しています。沢山の人が歩く場所です。誰も気づかなかったのが不思議です。気づいたけど無視されたのでしょうか?お金が落ちているのを見つけたのは随分久しぶりです。キャッシュレスが進んだ証ですね。「踏まれて擦られて輝く」人は尊敬するけど、そんな人生はしんどいです。踏まれ擦られて輝いていた。
昨日に続いて伊勢ヶ濱部屋の前を通ったら、大きなトラックが停まっていて荷物を降りしていました。このトラックの構造は、左右に荷物が積めるようです。若い衆が荷物を降ろしています。東京場所じゃないので明荷だけではありません。生活用品一式が一緒です。伊勢ヶ濱部屋は30人に近い大所帯です。そりゃ荷物も多いです。昨日、宮城野部屋の全員がここ伊勢ヶ濱部屋に来ることが発表されました。宮城野部屋25人がやってきます。生活用品根こそぎと一緒です。奥の白い建物が宮城野部屋です。更に部屋の前(トラックの右側)にも宿舎が在りますが、総勢50数人の大所帯になります。部屋が足りるのだろうか?今までどおりの十分な稽古ができるのだろうか?伊勢ヶ濱部屋に力士が帰ってきた。
大相撲春場所が終わってからずっと雨だったので、やっと自転車を引っ張り出しました。このお弁当屋は伊勢ヶ濱部屋の力士が優勝すると、いつも「弁当100円引きセール」をします。今日はありません。いつも1日限りのサービスです。続けないのは店にメリットが無いのでしょうね。儲かるなら3日位やります。たかが100円が経営に響く商売のようです。いつもの優勝横断幕がありません。まさか優勝するとは思っていなかったので横断幕を作っていないのでしょうね。でも、照ノ富士が初優勝した時は、「日馬富士」の字の上に布を当てて対応していました。今持っているのは照ノ富士のだけでしょう。それを活用したくても、照ノ富士と尊富士では字数が違います。無理がありますね。(2015年5月場所優勝時の写真)伊勢ヶ濱部屋の斜め向いの家です。やっぱり有りました...尊富士初優勝3日後の風景
前回来たら休みだったので、今日は電話で確認してからやって来ました。今日も私が1番乗りです。でもね、もう12時を過ぎています。12時に開けると言っていたのに・・。通常の食事処だったら、遅くとも11時半には開店します。店内も、もっとテーブルを置けば良いのに、と思うくらいスペースに余裕があります。大きな店内で、max10人しか座れません。基本的に商売熱心じゃありません。ベンチにウインドブレイカーを脱いでいます。春の陽気の上に、日当たりが良い店先です。店舗を持つ商売人は南向きを好みます。店先が陽気になります。再オープンした時に新調した暖簾の藍色が清潔感を醸し出します。電話番号は2桁です。古くに電話を取った老舗の証です。大正6年創業です。「深川丼」と「1本うどん」がウリですが、蕎麦も素朴な美味しさです。数年間の休業...老舗蕎麦店電話は2桁
数年ぶりやって来ました。城北信用金庫の前庭です。このモニュメントです。個別に見ます。自転車に鞄を付けています。半袖なので夏休みの光景でしょうか。ツーショットです。大きな荷物を積んだ像の背中が西日で焼けています。大きな荷物は野宿用でしょうか?自転車旅の二人が出逢ったところだと思います。一期一会の出逢いです。短い情報交換の場面でしょうか?昔、自転車旅が流行りましたよね。自転車旅のモニュメントがある墨田区八広
八広の街を走っていたら、好いカラーリングの店に出逢いました。自転車停めてメニューを見ます。陽射しで見にくいけど、今どきランチ700円は安い!品揃いも豊富です。えっ!「焼きカレー」ってなに?・・・ドライカレーのことだろうか?カーテンと合わせて色使いがオシャレです。ちょっと離れて眺めます。好いです。たぶん無いと思うけど、今度昼食時に出逢ったらドアを開けたいです。そして、関係無いけど、「八広」はソフトバンク・ホークス王会長の生まれ故郷です。墨田区八広で出逢ったご飯屋
荒川区町屋の地場産業の一つが鉛筆製造でした。隅田川の水運を利用して外材を加工していました。作業場が2棟在ります。こちらが、もう一つの作業場です。作業場の2階が工員の寮だったと思います。広い物干し台です。多くの工員が居たと思います。今、界隈で鉛筆を作っている工場は、「アイボール鉛筆」と「金子鉛筆製作所」の2社だけになりました。前田鉛筆製作所は、鉛筆の加工を生業にしていたのだと思います。鉛筆の使用頻度が落ちたままです。皆んながシャーペンを使う時代です。鉛筆が復活することは無いと思います。地場産業が消えていきます。前田鉛筆製作所から音が消えて久しい
光は春のものですが、ここ数日風が強くて冷たいです。佃島です。いつも遊んだ帰りに通ることが多い永代橋から眺めています。作業船が遡上しています。春の風景ではありますが、早く帰ろ!永代橋から見る佃島と作業船
福徳神社です。ビルの谷間に在ります。寒い中、参拝者が居ます。ショーウインドーには春の日本の風物詩です。寒いです。人通りが少ないです。左右の提灯は桜の模様です。春を待っています。開花待ちの「COREDO日本橋」
とうとう建物が消滅しました。あそこに「パチンコひょうたん島」と「大塚バッティングセンター」が在りました。パチンコ屋はともかく、たぶん都内で最後のバッティングセンターでは無かったでしょうか?大塚はかつての花街です。数年前新聞に、今でも3人の芸者さんが、ラジカセを持って営業している、と書いていました。この通りが「大塚三業通り」です。「三業」とは、「置屋」「待合」「料理屋」です。その花街の入口にバッティングセンターが在ったという、娯楽のごった煮みたいな街でした。工事フェンスをぐるりと廻って見ます。こちらが「パチンコひょうたん島」の入り口でした。裏に廻ります。共同住宅と店舗になるんですね。店舗って、1Fに「パチンコひょうたん島」が復活するのだろうか?花街だけあって、ラブホ街でもあります。三業通りに出て振り返ります...「大塚バッティングセンター」の消滅
京成金町線の踏切の向こうに商店街が在ります。踏切から眺める京成金町駅のホームです。反対側の隣駅は柴又です。商店街を行きます。随分久しぶりです。相変わらず人通りが少ないです。いや、前回より少なく思います。後ろで、警報器が鳴りました。振り向くと、もう遮断機が降りています。電車が来ました。ホームに停ります。金町駅は終着駅です。商店街の散策に戻ります。この街は、「お酒好きのパラダイス」と言われていて、夜になるとディープな呑み屋街になるそうです。この路地は、「旧水戸街道」です(2020年9月の写真です。今回はこの道標を見つけられませんでした)。江戸と水戸を往来して、多くの人がこの路地を踏みました。やがて商店街の南口です。その向こうの坂は、新葛飾橋に向かう国道6号線、現在の水戸街道です。振り返る旧水戸街道です。今や昔...「金町栄通り商店街」は「旧水戸街道」
寅次郎は殆どの場合、旅に出るのは「京成柴又駅」です。<現在>電車右の2つの建物がそのままです。さくらと満男が見送ります。<現在>電車が来ます。<現在>左側の風景は随分変わりました。満男を振り返ります。見送ります。<現在>ホームは「男はつらいよ」シリーズの撮影風景パネルが一杯です。珍しく母子が肩を並べて帰ります。好いシーンです。<現在>つでに京成金町線を追ってJR金町駅前に来ました。ここにも映画の現場が在ります。<現場>泉ちゃんが来たと知らされて、大急ぎで帰る満男です。<現場>「男はつらいよ」に見る京成金町線の今昔
炭団坂の下です。本郷台地の底であり、菊坂の下です。路地を入ります。有りました!この井戸を見に来ました。もう現役では在りませんが、残されています。井戸の横では自転車の掃除をしています。沈丁花が強く香ります。民家が密集した路地を出ます。丁字路です。左に行けば樋口一葉の井戸です。自転車を停めています。菊坂下の井戸
本郷台地の上からの眺めです。遊歩道から見下ろす甍は菊坂下の民家です。急坂です。石段を降ります。ここに門だけがが建っていました。小さなショベルカーが働いています。ずっと空き地でした。次に来る持ち主が決まったのでしょうね。(ここにこの門が在りました)(2020年の写真です)振り返って炭団坂を見上げます。台地の底です。本郷台地から炭団坂
久しぶり訪ねて来たら、明るい空間で、向こうが見通せました。目的地は右奥でした。ここに長屋が在りました。いつも思います。建物が無くなった土地は思いの外小さいです。東京は相変わらず建物の改廃が進んでいます。当時から朽ちた空き家が在ったので覚悟はできていました。この土地にもマンションが経つのでしょうか?振り返ります。此の家は相変わらず植物を植えています。本郷の路地らしい風景を継続しています。在りし日の長屋の記事は、こちら。本郷の長屋が無くなった。
潮が引いた葛西臨海公園の渚です。左遠くにゲートブリッジを望みます。東は東京ディズニーリゾートのホテル群です。もうじき春休みです。渚に目を戻します。遠浅の海が春の陽射しに光ります。荒川と江戸川の2つの川が、土砂を運んで来てできた砂地です。都心のビル群です。潮溜りに獲物が居るようです。貝掘りでしょうか?作業船の向こうにディズニーランドです。大観覧車です。あれもこれも、春の景色です。春の海葛西臨海公園
荒川に架かる橋です。対岸は江東区で、私は江戸川区に居ます。永かった工事が終わって、荒川サイクリングロードが元通り開通しました。陽射しに誘われてやって来ました。JR京葉線の電車が都心に向かいます。次は新木場駅です。線路と鉄橋の間から、円状になった首都高速道路が走っています。葛西ジャンクションのカーブです。橋の下から見上げます。多くの建造物が在ります。河口(左)側から「JR京葉線」の鉄橋、荒川湾岸橋の「首都高湾岸線」行き、荒川湾岸線の「首都高中央環状線」行き、一般道路の「荒川河口橋」です。個別に眺められます。左がJR京葉線、真ん中が首都高湾岸線行き、右が首都高中央環状線行きです。ここからは、左が首都高湾岸線下り、右が首都高湾岸線上り、その上を首都高中央環状線が首都高湾岸線上りに合流する「葛西ジャンクション」下...春の荒川サイクリングロード
ここは「TOKYO2020」カヌー・スラロームの会場でした。葛西臨海公園に隣接していて、今も主だった大会はここで開催されています。今日は見学にやって来ました。珍しく、沢山の人が練習していました。しかも全員ゼッケンを付けています。ゼッケンがなくても上級者だと分かりますが、、、。この中に、オリンピックメダリストの羽田選手がいます。何度も何度も滑り降りてきてゲートを潜って、練習していました。艇に乗ったまま、ベルトコンベアーで上まで運ばれて行くのですね。知りませんでした。昔ながらの、スキージャンプ競技と同じく、肩で艇を担いで階段を上がっていく風景を想像していました。暖かかったこともあり、選手やコーチがスポーツマンらしく爽やかに応対してくれることもあって、時を忘れて見入っていました。カヌー・スラローム会場
汐浜運河の南開橋です。ここから東に、東京では珍しい、ハクモクレンの並木が在ると聞いてやって来ました。ちょっと風がある春の陽気です。もう終盤です。ちょっと来るのが遅かったですが、十分鑑賞に耐えます。遊歩道を行きながら、美しい処をピックアップします。江東区保健所前界隈が綺麗でした。角を曲がったら新砂橋です。ハクモクレンの遊歩道はここまで、1kmくらいの並木です。振り返ります。来年はカヤックで来ましょう!さて、南開橋の南端下の小さな公園に有ったオブジェです。不気味です。特に綺麗なハクモクレンの後だけに、、、。「美しき青き星の創生のドラマは魅惑に満ちている月海生命進化極に向かうPersonaの古代神話と人の在り方への戒律と示唆進化論的倫理に思いを馳せ有翼のImageを展開する」汐浜運河のハクモクレンとPersona抄
本郷4丁目の路地です。奥に行きます。本郷4丁目は古い町並みが多く在りますが、ここは特に雰囲気が違います。小さな広場が在って、今も使っている井戸が有ります。春の陽射しと静寂に包まれています。この景色だけで、ここに来る価値があります。樋口一葉が使った井戸です。通称「菊坂下」は本郷台地の谷底です。水が豊富にあるのだと思います。井戸の向こうを見上げます。左右に木造三階建ての民家が建っています。間には石段が在ります。入ってきた路地を振り返ります。春の陽射しです。台地の底にも注ぎます。石段を上がります。昔はこの門が集落の境界だったと思います。振り返ります。樋口一葉が暮らした町です。左右の木造三階建てが作り出す空間です。見上げます。木造三階建てが作り出す空です。春の空です。樋口一葉が使った井戸のある路地
本郷菊坂の路地です。ずっとここに建っています。玄関は菊坂沿いの二階に有ります。東京都条例により、木造三階建てはもう建てられません。誰も住んでいないように見えますが、風雨に朽ちていない処を見ると、住人が住んでいるようです。石段を降りた所は本郷菊坂下です。樋口一葉が住んだ町です。パッと見、正確には二階半建てでしょうか?でも一階が坂を穿って垂直に部屋が有ったら三階建てです。いつまでもここに建っていて欲しいです。本郷菊坂に三階建て民家が在る風景
鳳鳴館別館です。隣は鳳鳴館本館です。本郷の丘の上に在ります。本館と別館はこの路地で分けられています。かつて本郷は旅館街でした。このような和風旅館が沢山在って、修学旅行生の宿舎でした。かくいう私も、高校の修学旅行で一躍上京して本郷に宿泊しました。東京へ行くなんて、当時の田舎者には大変な出来事で、大宮に住んでいた叔父一家が面会に来てくれたりしました。左側が本館、右側が別館です。本郷の何処に泊まったか覚えていませんが、ここに来ると高校生の頃を思い出します。もう半世紀以上前のことです。鳳明館の春
「とらや」はセットですが、実際の「神明会商店街」でのロケも多いです。リリーさんを迎える寅次郎。<現在>「川ち家」が建ち替わっています。さくらと叔母ちゃんです。血が繋がってはいないけど、何を置いても、甥の寅次郎、姪のさくら、そして、姪孫(てっそん)の満男を大事に思っています。2人寅次郎を待っています。<現在>寅次郎を待つさくら。<現在>待ちかねていたさくら。<現在>半分くらい店が変わっている商店街ですが、名作映画の名残りを探すのも楽しいです。「男はつらいよ」参道商店街に名残りを探して
道路の反対側に見つけました!根岸の街角です。やって来ました。設置したてみたいです。自販機もその基礎も、駐車場の舗装も新しいです。「だし道楽」です。先日登録読者さんが、だし自販機は3つのメーカーがあることを教えてくれました。告知スペースを見ます。ほう、卵かけご飯がお勧めですか?商品は2段3種類です。シンプルです。よく似た自販機の他メーカー「だし職人」とは趣きが違います。裏を見ました。随分スッキリしています。「だし職人」のようなゴテゴテと面白いキャッチコピーはありません。もう一度ラインナップを見ます。登録読者さんはいつも私の疑問に対して的確に教えてくれます。先日の「だし自販機8号」の記事を見て、「プロの料理人が各種有る自販機だしの味比べを行ったサイト」を紹介してくれました。そして、遂に購入しました!1番高い7...根岸で「だし自販機」9号発見!そして、
谷中のへび道です。靴の工房が在ります。センスが好いです。店舗の入口は表通りです。ちょっと振り返って表通りへ行きます。ここです。「SONOMITSU」?「園田光夫」さんでしょうか?表通りは「三崎坂」で信号は「団子坂下」です。朝日湯の傍です。へび道の靴屋
横十間川に野鳥のコロニーが在ります。繁殖期を迎えています。カワウとアオサギが多くを占めていて、少しコサギが居ます。鳴き声が喧しいです。カワウが飛びます。水温む春です。もうすぐ子供が見られそうです。スマホは野鳥の撮影には向きませんね。野鳥のコロニーに春来る。
谷中銀座の看板を見て歩いています。ここは老舗の電気屋です。ヤマダ電気とかの大型店に駆逐されて、個人経営の電気店に出逢うことが珍しくなりました。ここは何屋だろう?雑貨屋ですね。丸看板とは違和感があるけど、商売替えしたのだろうか?ここは書店です。上ばかり、看板ばかり見て歩いていたら声が掛かりました。「うちにも有るわよ」・・・ここがよく分からないんですよ。落語家の絵です。「うちも撮って頂戴」と言った人です。その左に、落語家の絵葉書が有りますが、江戸玩具らしい物も、バニラアイスも、味噌田楽も、秋田料理も商って、最近は店頭で占いもやっているのです。右端下の袖だけ写っている(避けて撮った)のが占い師です。飴屋です。谷中銀座の東口です。振り返ります。正面のあのビルが建つまでは、この路地が夕日で染まったそうです。ここが紅...谷中銀座の丸看板
谷中銀座は古い町並みですが、店舗は新旧入り混じっています。ここは何屋でしょう?お茶屋です。この丸看板が老舗店の目印です。この丸看板は違います。新興店です。蕎麦屋です。ここは違います。老舗の喫茶店です。新しい店が入るようです。新旧の店が混在しており、更に入れ替わりが多いのが商店街の現状です。谷中銀座の老舗店の丸看板
観光客に人気の谷中銀座です。いつも賑わっていて儲かっている店ばかりのように見えますが、多くの店が入れ替わっています。今日は古くからの店を訪ねます。昔、まだ夕日が商店街のメインストリートを染めていた頃だと思います。商店街組合が各店の看板を制作しました。ここ初音家に掛かる丸い看板がそうです。その時から商売している印です。看板を探して歩きます。魚屋です。福島商店の看板です。丸の上部に店名、下に「谷中銀座」、真ん中に取り扱っている商品、という構成です。陶器店です。酒屋の越後屋です。谷中は猫の街でもあります。数カ所にオブジェが有ります。観光客が立ち飲みする店です。食べ歩きの店はこちら。中央右の、ニット帽の向こうに丸看板が見えます。八百屋兼業です。こちらも食べ歩きの店です。肉のすずきです。こちらは、、、老舗店ではあり...谷中銀座の老舗店
大きな石の常夜灯が有ります。今まで気にもしてなかったけど、自転車を停めました。説明板が有ります。ほう、有名だったんですね。忘れ去られた(私だけ?)常夜灯です。ここは東京の観桜の名所「墨堤」です。ぼんぼりが設置完了です。えっ!もう?桜の枝は寒々としています。これは、向島町会は弾けるつもりですね!花見の準備完了!
大相撲3月場所が酣です。陸奥親方の定年により、3月場所で陸奥部屋が閉鎖されます。噂では、大関霧島は元横綱「鶴竜」が向島に起こした「音羽山部屋」に移籍するようです。やって来ました。向島の「喫茶カド」の跡地です。「見番」です。向島は花街です。やって来たのは「音羽山部屋」です。花街に在ります。まだ看板は有りません。鶴竜は音羽山部屋を興すに際して、弟子2人と床山1人を連れて陸奥部屋を出ました。大関が移籍して来ると箔が付きますが、どうして陸奥部屋を継承しなかったんだろうか?考えられるのは、鶴竜は「井筒親方」の逝去に伴って陸奥部屋に移籍しています。生え抜きの陸奥部屋の弟子ではありません。その辺の事情でしょうか?一方、なぜ移籍するのは霧島だけなんでしょうか?他に目ぼしい力士が居ないのだろうか?4月になってから発表して、...陸奥部屋から音羽山部屋へ移籍する。
谷中霊園に、最近こんな看板が登場しています。写真の下方には「50m」と書いています。・・何度目かの遭遇なので、行ってみることにしました。ここですね。看板の釈迦如来坐像が本当に石の台座に座っているように見えます。説明文を読みます。そうなんだ!ここは天王寺の所有だったのを、一部を明治政府が買い取って墓地にしたそうです。私は逆(墓地の一部に天王寺を建てた)だと思っていました。勉強になります。写真のアングルから台座を眺めます。多分もう来ることは無いので、ぐるり一周しましょう。道路に戻りました。公園が在ります。天王寺の五重塔が在った場所です。数年前、再建運動が行われていて、私も署名した事がありました。今は活動していません。私の署名は役に立ちませんでした。谷中霊園は観桜の名所です。桜が咲くと、この交番が好い絵になりま...天王寺/銅造釈迦如来坐像台座跡
2ヶ月に1度開催される足立市場祭りです。前回は赤身が買えなかったので、30分くらい早く家を出て来ました。相変わらずの賑わいです。東京人はマグロが好きですね。前回、片手に乗っけただけのマグロブツを1000円で売ってくれるイベントをやっていました。今回は「マグロブツ切り盛り放題ピタリ賞あります!」です。「盛り放題」と言ったって、「300gピタリ賞でタダ、5g以内だと半額」の企画です。そりゃ、400g買う人は居ないです。300gに挑戦します。前掲の列に並んでいた時に「カランカラン」と鐘が鳴って、「半額」ゲットした人が出たばかりです。熱が入ります。残念だった人に、「惜しい!もう1切れ乗っけたら『半額』だったのに、ほら、」と店の人が乗っけたら、そのとおり295gです。職人技で盛り上げます。コロナ禍で休止していた祭り...マグロブツ切りピタリ賞
寅次郎帰省の図です。<現在>リリーさん来訪の図。<現在>チアガールの練習を見ている満男と源ちゃん。<現在>人生に悩む満男と脳天気な源ちゃんです。寅次郎に貰った、頭が良くなるバンドです。源ちゃんが貸してくれと言います。<現在>今も変わらぬ草土手です。そして、矢切の渡し。<現在>偶々大潮の干潮時だったのでしょう。河原に降りて撮影できました。沈みかけの桟橋も変わりません。写真を撮るのに土手上に置いた愛車です。まさか、あの悩める満男少年が、長じて「Dr.コトー」になるとは思ってもみませんでした。「男はつらいよ」に見る江戸川の今昔
陽射しは春ですが、風が冷たい平日の雷門前です。人力車夫の呼び込みに活気があります。仲見世入り口です。ぱっと見7割以上が外国人です。入国したら寒さなんか関係ありません。楽しまなきゃ損です。で、駄目だこりゃ。仲見世裏を歩きます。空いていると思っていました。こんな店ができたんだ!似顔絵描きです。一般に思う似顔絵描きは、道端で客を座らせて描いていますが、大きな店舗です。「誇張のレベル選べます!」を覗こうとして、店内の客の多さに驚きました。流行っています。そうそう、前回もこの店が大人気でした。「いちご飴」に「いちご団子」です。浅草では「りんご飴」や「いちご大福」は時代遅れです。いちご飴です。いちご団子です。別に食べたくは無いけど・・・。ちょっと仲見世を覗きます。インバウンド天国です。仲見世裏も混んできました。薬屋の...インバウンド天国だよ浅草は
「蔵前神社」鳥居前です。5代将軍徳川綱吉が、蔵前に山城国の石清水八幡宮を勧進したのが始まりです。蔵前とは、江戸時代に大名家の蔵が在ったことからの名前です。倉庫業ですから、力持ちを称える文化が発展しました。ここに大相撲の「蔵前国技館」ができたのは自然の成り行きだった訳です。古い力士名が残っています。「横綱東富士」「大関栃錦」。こちらは「横綱鏡里」、そして「大日本相撲協会」です。現在は、「日本相撲協会」です。「大日本帝国」が「日本」に変わったのと同じです。境内へ入ります。徳川将軍家祈願所の一つとあって、古典落語縁の地でもあります「元犬」や「阿武松」の舞台です。元犬の像が有ります。その向こうには、浮世絵が奉納されています。歌川国安作「御蔵前八幡宮奉納力持」です。力持ちを称える絵です。手前は緋寒桜だと思います。こ...そもそも「蔵前神社」とは
蔵前神社です。ビルの谷間の小さな神社ですが、数年前から人気のスポットになっています。その理由がこれ。ミモザが満開です。手前にも満開の桜です。河津桜か寒桜?「蔵前桜」と表記しているブロガーも居ます。ミモザを見上げます。花の下は大変な人出です。圧倒的に女性が多いです。ミモザの花は「国際婦人デー」の象徴でした。背景に満開の桜です。この競演が今大人気です。「蔵前神社」黄色とピンクの競演
満男が駅から帰って来ました。帝釈天の参道です。<現在>背景の提灯と、お婆さんが腰かけている後の石柱が面影をとどめています。柴又駅方面です。今は観光案内所に寅次郎が立っています。寅さんが駅に向かって来ました。さくらと一緒です。<現在>「えびす屋」は倍の広さになりました。<現在>やがて背後の鎌倉街道が拡張される予定です。そうしながら「国の重要文化的景観」を維持する計画です。鎌倉街道を渡った神明会商店街入り口です。おもちゃ屋が在ります。<現在>多くの店が変っても、ここは今でもおもちゃ屋です。いつも賑わっていないけど、頑張っています。満男がバイクで商店街を帰って来ました。<現在>右に「高木屋」、左に「天丼・天ぷら」の看板です。この話、時々やります。「男はつらいよ」に見る帝釈天参道の今昔
方向音痴です。自信があります。路地に入って3,4回角を曲がるともういけません。でも、時々良いことがあります。東日暮里の角です。そこに有りました!「だし職人渾身のだし」です。「だし自販機」8号発見!です。正面に廻ります。告知スペースに興味があります。いつも楽しいコメントが書かれています。「必ずこちらの1本から『渾身のだし』化学調味料不使用」そして、「東京で唯一の白だし販売自販機」とあります。後者の「東京で唯一の白だし販売自販機」に興味ありです。品揃えを見ます。上段に「すっぽん」と「うまだし」。これは温かいのですね。中段に「渾身の白だしだしのある風景」、ラベルが白と黒の2種類があります。「東京で唯一の白だし」はこれでしょうか?これは冷たいものしかありません。下段を見ます。「だし職人自信のあごだし」で、やっぱり...東日暮里で出逢った「だし自販機」8号
白山通りの巣鴨界隈で見つけてしまいました。「だしの自販機」7号を小岩で見つけた時に、ラーメンの自販機も見つけたのは既報のとおりです。でも、ラーメンの自販機は追いかけない、と決心したばかりですが、これは特別です。車が1台停まっていて、右の電光看板が「満」になっています。つまり、たった1台だけのコインパーキングです。この希少性に加えて、ラーメンの自販機が有るのです。これは報告ものでしょう?ラーメンの自販機を眺めます。コンセプトは「お家でガッツリやさいあぶらにんにく増し増し」です。「Gkガッツリ麺」、「G系らーめん集結」とも書かれています。とにかく目立つカラーリングです。横側には「G系らーめん集めました」とあります。どんな商品がラインナップされているのだろう?1番上の段を見ます。「俺の生きる道白山店」が1200...見つけてしまったラーメンの自販機
春です!街にミモザ咲く!
この路地が好きです。左は古い長屋です。正面に白い増築部屋が有る家です。子供が大きくなって子供部屋を増築しました。やがてもっと大きくなって、家を出ていきました、と勝手に思っています。左にも路地があります。お地蔵さんが祀られています。その先にも路地があります。自転車を押して行きます。その先は三崎坂です。左に屋敷神があります。いつもきちんとお世話されています。この一角が好きです。白い増築部屋が在る界隈
陽光溢れる上野公園です。奏楽堂にも注ぎます。春の訪れを感じます。振り返りながら歩きます。春の陽光です。奏楽堂に陽光
春の光の中に食堂が在ります。東照宮第一売店です。鳥居を潜ります。今日は裏からも眺めました。光溢れる上野東照宮へ行きます。門の中には江戸の火消しの名前と纏のデザインが、びっしりと残されています。東照宮です。最近外国人が多いです。老人も多いです。撮った写真をその場で確かめて、動かない人が多いです。やっと撮リました。いつになく艶やかです。春の到来です。東照宮第一売店と上野東照宮
いつも粋なバナーを掲揚する北千住「サンロード」商店街に桜が咲きました!まだ寒いけど、春の到来に心が弾みます。ここのところ家紋を掲揚していた商店街です。季節に合わせて「桜紋」を持ってきましたね。人で賑わうと良いですね。「サンロード」商店街に桜咲く
第5福竜丸の船首です。船体脇に見学の為の設備があります。模型も有ります。本体と両方を見ると解り易いです。操舵室です。船首です。高いマストです。全てを保存する為に屋根を高く造っています。船尾です。大きいです。第5福竜丸の歴史です。1947年にカツオ漁船「第7事代丸」として誕生しました。1951年、マグロ漁船として改造され、1953年に、静岡県焼津市所属の「第5福竜丸」として再デビューします。1954年に被爆した第5福竜丸は、貴重な学術資料として日本政府に買い取られました。東京水産大学(現・東京海洋大学)で放射線の観察が行われた後、練習船「はやぶさ丸」となりました。やがて、1967年に廃船処分となりました。船体は当時「ごみの島」と呼ばれた夢の島に放置されました。第5福竜丸を保存しようと多くの市民が立ち上がり、...ビキニ水爆実験被爆から70年
第5福竜丸がアメリカによるビキニ水爆実験で被爆してから70年になると知って、久しぶりにやって来ました。細く高い屋根です。中に入ると理由が分かります。展示館に入ります。先ず大漁旗が出迎えます。大きな木造の漁船です。舵も木製です。複数の見学者が居ます。数は少ないですが、見学者が途切れません。何度か訪問していますが、私以外の訪問者が居たのは初めてです。皆さん被爆70年を知ってやって来たのだと思います。展示パネルを見ます。内容はずっと変わっていません。被爆の酷さを伝えています。第5福竜丸の横に展示されています。第5福竜丸の乗組員は、地元焼津の人から差別され、補償金を妬まれたそうです。他所でも被爆者は同様の扱いを受け続けているのではないかと思います。アメリカの水爆実験は992回に及びました。第5福竜丸だけでなく、多...第5福竜丸展示館
新聞で、第5福竜丸がビキニ環礁で被爆して70年になったと知りました。広島に投下した原爆の1000倍の威力があったらしいです。当時のアメリカでは核兵器は正義の剣だとの世論を形成し、核保有への国民の賛意は絶大なもので、キノコ雲の絵や玩具が流行したそうです。そして、核兵器は素晴らしい物との認識のもと、この実験での爆弾は「ブラボー」と名付けられていたらしい。67回もの実験を行いました。そして、ビキニ環礁や周辺の島民が今だに被爆症で苦しんでいること、日本でも今だに被爆補償の裁判が続いていることを知りました。やって来たのは第5福竜丸が廃棄されていたゴミ捨て場であった元「夢の島」、現在の「夢の島公園」です。屋外の展示場に、「第5福竜丸」のエンジンが展示されています。28年ぶりに海中から引き上げられ、更に24年間経ってい...第5福竜丸のエンジン
この公園は新しいものです。ソメイヨシノ桜発祥の地として造られたものです。そこに、見事な河津桜が満開です。よく動くしスマホだし腕が悪いしで写せませんが、沢山のメジロが鳴きながら飛び交って蜜を吸っています。鳴き声が煩いほどの数なんです。メジロを撮ってやろうと見上げた青空に映えます。「桜の里」らしい風景です。安心してください!「染井よしの桜の里」での河津桜は2本だけです。周囲には、当然ソメイヨシノが沢山あります。シーズンになったら、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は長閑けからまし」の景色を報告しましょう!「染井よしの桜の里公園」の河津桜満開
映画「男はつらいよ」を繰り返し観ています。江戸川には2つの給水塔が在ります。金町浄水場に取り込んだ水を浄化して、水道を東京東部に供給する施設です。印象的な風景で、映画のシーンに良く登場します。<現在>前再掲の「平屋根」がいつからだろう「丸屋根」造り変えられています。満男の友達がやって来ます。<現在>とらや(この時は「くるまや」)の従業員三平ちゃんが寅次郎に逢うシーンです。「三角屋根」からやって来ます。。<現在>今と変わらぬ風景です。寅次郎を見付けます。<現在>背景は「平屋根」です。<現在>今は「丸屋根」です。寅次郎が土手に上がります。背景は三角屋根と江戸川です。<現在>いつも変わらぬ風景です。連れだって「くるまや」へ向かいます。<現在>いつからか変わった丸屋根の給水塔です。この風景は、私が自転車で散策でき...「男はつらいよ」で知る「丸屋根給水塔」の過去
銭湯の廃業に出逢う機会が増えました。久しぶりに駒込の「えびす湯」を訪ねたら、工事用フェンスが廻らされていて、玄関上に足場の材料が置かれていました。もう内部の解体が進んでいるようです。こんなにスケジュールです。「虫の知らせ」かも知れません。1階が店舗の共同住宅になるようです。銭湯の廃業は時代の流れ、と理解しているもののやっぱり寂しいです。まだ残っている煙突を眺めます。この界隈で残っている銭湯は「香取湯」だけになりました。第三者の利己的感情ですが、銭湯は残してほしい日本の文化です。在りし日の「えびす湯」の姿はこちらです。「えびす湯」廃業・解体
千駄木の路地に古い文房具店が在ります。郷愁を誘います。正面から眺めます。文房具店から眺める路地です。都会の中で1軒の文房具店が頑張っています。千駄木の文房具店
旧中川は河津桜の名勝地です。旧中川の北端に近い、墨田清掃工場の近くです。大煙突の下です。満開になった先週の日曜日です。河津桜と陽気に誘われて、多くの人が川辺で寛いでいます。外国人も多いです。日本の春を楽しんで貰えば嬉しいです。日本の国花を楽しんで貰えれば嬉しいです。日本に出稼ぎして良かったと思って貰えれば嬉しいです。水面が煌めきます。岸辺と水上から声を掛け合います。丸いレフ板を持って撮影しています。こういう光景を時々見ます。東京のちょっと早い春の風景です。河津桜咲く休日
暖かい陽射しの千本鳥居です。見上げる木々はまだ芽吹いていないけど、陽光は春です。千本鳥居を潜って西参道に出ました。地上に落ちた影が濃いです。透かし塀が明るいです。新郎新婦の前撮りです。観光客皆んなが写り込まないように足を止めて見守ります。乙女稲荷社が輝きます。春です!根津神社の春
線路脇の駐車場(コインパーキング)が更地になりました。ずっと前から、線路に沿って道路を造る計画があります。こちらも駐車場でした。建物を解体して次の工事が始まるまで、一時的に駐車場にするのは一般的な手法です。それが無くなったのはつまり、新たな工事の予兆です。でも正面の建物が残っています。ホームへ行きます。タバコ屋兼古本屋です。ホームに上がります。「梶原書店」です。店を開けたり休んだりします。だんだん休む日が多くなってはいますが、これだけでは去就が分かりません。すぐ隣は踏切です。前方は「梶原商店街」です。アーチには止まったままの時計と、都電がデザインされています。商店街のマンホールは都電の絵です。都電と共に生きてきた商店街です。早稲田行きの電車が来ました。ホームへ行きます。反対側を三ノ輪橋行きが通ります。早稲...梶原書店はいつまで?
今日はここから行ってみます。初めての試みです。汐見小学校です。路地の突き当りに坂が在ります。坂を上がります。目的地は正面上の銀杏の裸木が有る所です。最後の急坂を上がります。後数段です。上がりました。ここは薮下通りです。こんなに大きく「休館日」を書かなくても良いものを。ここは観潮楼跡です。森鷗外の住居跡です。彼はここから海を眺めていました。上がって来た坂を覗きます。地下鉄千駄木駅への近道です。「しろへび坂」です。名前の由来は知りません。さて、いつものように眺めます。海は見えないけど、森鷗外が見ていないもの。正面のビルの隙間に、スカイツリーが望めます。初めての行程に満足しました。坂を降ります。坂の下に自転車を停めています。自転車散策は便利だけど、こういった場面では不便です。逆から行く森鷗外記念館
小岩駅のガード下で、博が偶然、キャバレーで歌っているリリーさんと出逢うシーンです。小岩は東京の東端界隈随一の歓楽街として有名でした。<現在の現場><現在の現場>現在も界隈随一の歓楽街ですが、キャバレーはもう有りません。そして、なんと、ここは、先日報告した「だし自販機」7号が有る場所なんです。ガード下の斜め前に有ります。だし自販機7号からリリーさんが居た場所を眺めます。世間は狭い、と思いました。映画「男はつらいよ」で見る小岩の今昔
上野公園の頂上に、小さな野球場が在ります。正岡子規は野球が好きでした。野球用語も多く翻訳しました。自らの雅号を「野球(のぼる)」としました。正岡子規はここ上野公園で野球をやったことがあるそうです。平成18年に、上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、正岡子規の名前が付けられました。青空です。春の光が注ぎます。野球日和です(本当は、青空だとフライが見づらいので、野球をするのは曇り空の方が良いと言います)。「春風やまりを投げたき草の原」正岡子規記念球場
上野公園の「伊豆栄梅川亭」です。日陰でもあって、まだ冬の景色です。私にとって、ここは紅葉狩りの場所です。銀杏の名勝地でもあります。上野公園派出所横の大寒桜が五分咲きです。賑わっています。もうすぐ春です。「伊豆栄梅川亭」の早春
今日の砂町銀座の夕方です。オレンジ色のテント地の風除けの所が店です。ぱっと見、20人くらいの行列です。左が出来合いで、右側が「おでん種」売場です。こちらがおでん種売場です。おでん屋としては大きな店構えです。砂町銀座の有名店です。湯気が立っています。寒い日は鍋かおでんですよね。手前の「揚げ物・おでん種」売場に客は居ません。皆さん自分で作るのでなくて、出来合いがいいんですね。明日から暖かくなる予報です。今日がおでんの食べ収めでしょうか?おでんの「増英蒲鉾店」の行列
「お婆ちゃんの原宿」へ行く停留場です。薔薇色の電車が発車します。おや⁉反對側からも薔薇色の電車が来ました。停ります。沢山のお婆ちゃんを降ろして出発です。渡ろうとする踏切は「旧中山道」です。光の中へ向かいます。ホームに茶屋が残ります。春の景色です。早春の庚申塚停留場
信号待ちの家族に追いつきました。お父さんのリュックに犬がおんぶされています。犬はお父さんの肩にしがみついています。犬は落ち着かないのか、キョロキョロ周囲を見ています。左右からお母さんと子供が、犬を撫でて落ち着かそうとしています。今日は天気が良いです。どこへ行って遊ぶのだろう?仲が良い家族なんだろうなあ。おんぶされた犬
ここに「いろは通り」のアーチが立っていました。<ほんのちょっと前のかつての姿>全然店舗が無くなってしまいました。<かつての姿>唯一残っている青果店です。どんな寂れた商店街でも、最後まで頑張っているのが青果店や八百屋です。人通りさえ有りません。店が無くなると、ここらの家の人以外、来る用事はありません。<ほんのちょっと前のかつての姿>「大塚青果店」から冒頭の場所に戻る風景です。北千住の西側には商店街が沢山ありました。私の好きな商店街の宝庫でしたが、界隈の商店街が立て続けに消滅しました。原因は他の商店街と同じです。大店法の施行で客が大きな商業施設に流れ、通販で客足が止り、コロナ禍でとどめを刺されました。・・・やがて、ここに商店街が在った事を知っている人も居なくなるのでしょうね。北千住「いろは通り商店街」の消滅
竿に旗は有りません。寒くて風が強く吹いていて、冬に戻った江戸川です。見るからに寒い景色です。この寒さです。客なんか来ないです。商売あがったりです。春待ちの渡し場です。運休日の「矢切の渡し」
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今日ニイニイゼミが鳴きました。東京下町も梅雨が明けました。お昼時です。サラリーマンが食事に出てきました。ショッピングモールの飲食店が集まっている場所です。[千成りもなか]も在ります。今年も氷は販売しないそうです。ポツンと魚屋が在ります。振り返る商店街です。突き当りは都電が走る坂です。お昼時の大塚ショッピングモール
駅の脇道にこれがありました。現在の駅正面は「キャプテン翼」の絵です。ずっと前工事が始まった頃に、近隣の懐かしい風景を描いた水彩画が正面にありました。幾つか当ブログで紹介しました。それと新しく、こんなのも有りました。この絵のように古い姿も残るのでしょうか?この右側に有ります。好いです。このように変わるなら、再開発が楽しみになります。久しぶりに懐かしい水彩画の現場です。いくつかの中で、好きな3点を再登場させます。・京成本線の高架・居酒屋下町・立石駅東踏み切り京成立石駅の水彩画がこちらに有った。
真夏日の根津です。今年はまだ芋甚でかき氷を食べていません。あれっ⁉︎シャッターが閉まっています?貼り紙を見て、スマホで更に確認して、名残惜しそうに去る人が居ました。こんな貼り紙です。こりゃあ長引きそうです。「黒蜜きなこ」を食べに来たのですが・・・。昨年食べた黒蜜きなこはこちら。「芋甚」でかき氷
約300m続く商店街の西端です。真っ直ぐスカイツリーが見通せる商店街です。街灯にも有るように、「下町七夕まつり」が有名な商店街です。七夕飾りが並ぶ商店街を行きます。童謡で「笹の葉サラサラ♫」と歌いましたが、軟プラなのでシャラシャラと揺れます。もう笹を飾る「軒端」はありませんが、歩道脇で揺れています。「合羽橋商店街」を行きます。国際通りに来ました。振り返ります。準備完了!です。7月6〜8日に開催されます。「入谷朝顔市」と同じ日です。「下町七夕まつり」準備完了!
今日も猛暑日の東京は人形町です。丁度11時になって、時計台が動きました。景色が白っぽいです。見上げる人も暑そうです。水辺が恋しいですが、隅田川の照り返しが厳しいです。正面は佃島の超高層マンション群です。ちょっと上流から見ると景色が変わります。隅田川に浮かぶ島とは思えません。猛暑日の人形町時計台
交差点の向こうに好い感じの店が在ります。ちょっと左には田中角栄邸が在る目白通りです。「鳳山酒店」です。よく見ると、二階の窓の所にも看板が有ります。「鳳」の文字が無くなっています。店の隣の路地です。その先は坂です。こんな急坂です。自転車で下るのが怖いくらいの坂です。東京には「富士見坂」があちこちに在ります。山坂が多い土地であると同時に、高層ビルなど無かったので、あちこちから富士山が遠望できたのでしょうね。すぐ先の古い家屋の所で坂が二つに分かれています。いわゆる車道と歩道です。今日は左側の石段を行くことにしました。初めて通ります。それにしても凄い蔦屋敷です。自転車を押して坂を下ります。正面に、新宿のドコモビルが見えます。相当の高低差です。坂を下りました。目白台の下の路地です。銭湯がある町です。鳳山酒店と目白富士見坂の風景
この路地は約20年間、私の散策路でした。週に1回は通っていますが、伊勢ヶ濱部屋が在ったらばこその散策路でした。シーサーしか残っていません。ここでは稽古後の相撲取りが屯して居ました。7人も関取が居ました。自動車も有りません。もっとも、今は名古屋場所前なので、普通なら名古屋に行っているのを知っていますが、やっぱり寂しい景色です。看板が有りません。伊勢ヶ濱親方が元横綱照ノ富士に代わって、伊勢ヶ濱親方は、元横綱白鵬が持っていた宮城野親方に代わりました。この家は、もう相撲部屋じゃなくて、杉野森さん(宮城野親方の本名)の自宅なんですね。ところが、親方が丹精して育てていた盆栽も有りません。どうしたんだろう?国技館の掲示板です。もうすぐ名古屋場所が始まります。両国は真夏です。商売に熱心な(成功した)大相撲関係者も居ます。...伊勢ヶ濱部屋の移転
毎日暑い東京です。墨田区を走っていて遭遇しました。立派な蔵を持っています。これは大店です。商店街を初めとする古いものが好きです。質店もその一つです。でも、こんな大きな質店は初めてです。私が知っている質店は、路地裏でしっとりと営んでいたりします。じっくり眺めました。こちらは、いわゆる「質流れ品」を販売するセクションみたいです。ショーウインドウです。硝子が反射してちょと見難いですが、これらはマイセンですね。お宝です。角に看板が有ります。角を曲がっても店です。こちらが質入れ口のようです。見上げる看板は「元禄2年」の創業です。西暦1689年です。これは、老舗だ!300年以上の歴史があります。そして、驚きました。広くて写真1枚に収まりません。良く見ると、大きな蔵が2棟在ります。こちらが住居でしょうか?とんでもない家...緑1丁目の「質フクシマ」
両国橋から隅田川が見えます。水上警察の船が居ました。その先を見ると、沢山の屋形船が川下に向かっています。何だろう?推測します。夏のイベントの準備だと思います。東京の夏と言えば花火大会です。だとしたら、「隅田川花火大会」ではないように思います。あれって、ここ両国より上流で行われるもの。7月の初めであり、隅田川の下流で行われるのであれば、「東京湾花火大会」です。そうに違いありません。そしてこれは、屋形船の「今年の陣割り」、つまり誰がどの位置で係留するかを決める日だったのではないでしょうか?東京の夏祭りが始まっています。はてなblogでは、駄菓子屋のお婆ちゃんTV出演の話です。⇒荒川三歩東京に夏祭りが始まる予兆
羽二重団子にかき氷の幟暖簾が出ました!いつもの席に座ります。愛車が見えます。客は私だけだったのですが、かき氷を食べ始めたら満席及び空席待ちになりました。私は「福の神」・「幸せ配達人」です。今年初めてのかき氷です。掘り進めると、ほんのりと黄色が現れました。「氷ゆず」を食べています。ふと気が付きました。私、ここでは「氷ゆず」しか食べておらず、他の店でも同じものしか食べていません。しかも、夫々別のものを食べているのです。あの店ではこれ、と決めている訳ではないけど、そうなっています。同じ店で食べ比べて、その店の一番美味しいものを決めれば良いのに、と思いました。往来する人々を眺めながら食べます。食べている処を眺められています。薄く小さくスライスしたゆずの皮も入っていて、上品な甘さにちょっと苦味もあって、好みの味です...「羽二重団子」で「かき氷」
南千住は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」への旅立ちの際に、隅田川から上陸した地です。矢印に従って、行きます。現在の「千住大橋」です。「せんじゅこばし」です。この先が「お上がり場」です。大橋の真下です。徳川家康と伊達政宗の工事の痕跡が残っているようです。大橋を抜けた場所が「お上がり場」です。松尾芭蕉だけでなく、大名や将軍家、日光門主等々が、隅田川から上陸した場所です。戻りましょう。・・・こちら側は「千住小橋」の表記になっています。何かの機会に読んだ記憶があります。橋に書かれた土地を含む名称は、その集落への入り口は漢字で、出口はひらがなで表記したそうです。ここが千住への入り口です(他の橋も気にして見ていますが、現在は左右に漢字とひらがなの表記が多いです)。上流側の堤防です。縁の多い場所のようです。現在は高層マンシ...「おくのほそ道」矢立始めの地
上品な茅の輪ではなく、なんかこう「荒ぶる神」らしい茅の輪を見たい、と思いました。思い付いたのが、南千住の「スサノオ(漢字転換ができません)神社」です。太い!根津神社や日枝神社などの3倍はあろうか、という太さです。スサノオ命はヤマタノオロチを退治した神です。武骨な茅の輪です。下町らしい、とも言えます。作法に従って参拝します。・・・ここに来ると、神楽殿が気になります。東日本大地震の時に、神楽殿いっぱいに千羽鶴を吊しました。荒ぶる地震を鎮める祈りの千羽鶴に心を打たれました。今日は「つきなみ祭昇殿参拝」です。神職が頭を垂れて通り過ぎて行きます。猛暑日の午後です。スサノオ神社夏越の大祓
拝殿が工事中の亀戸天神です。夏越の大祓にやって来ました。祀られている菅原道真公には不似合いの荒々しい茅の輪とお思いでしょうが、菅原道真公の先祖は、当麻蹴速を蹴殺して「相撲の神様」になった、野見宿禰なんです。そう言われたら、納得の荒々しい茅の輪です。工事中の拝殿を参拝します。工事の理由です。勉学の神様です。下町の人気神社です。猛暑日です。茹るような暑さです。草いきれがします。濃い緑が暑苦しいです。紫陽花の清々しさが清涼剤です。夏越の大祓「亀戸天神」
ずっと前に、同じ街で瓢箪だらけの家に遭遇しました。登録読者さんに教わったところ、瓢箪作りの名人だったらしいです。あれからこの街に来るたびにそれとなく探していましたが、遭遇しません。突然、遭遇しました。凄いです。色付きです。前に遭遇した家とは違いますが、同じ町内なのでお互いに知っていると思います。同好者と認識しているのか、ライバル視しているのかは分かりませんが、同じ趣味の方だと意識しているのではないでしょうか?これはこれで凄いです。前の人の家に出逢いたいなあ。前の人の記事はこちら。東四つ木の瓢箪の家の2軒目
綺麗だと思いました。いえ、枯れかけたアロエではありません。この苔です。菊坂下の路地に生えていました。見上げると、木造三階建の家です。菊坂に上がると郵便局とレストランです。本郷への急坂へ向かいます。谷底と丘上の街です。梅雨時の菊坂下
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
赤い部分に輪っかが有ります。解体作業が順調に進んでいるようです。ぐるりと取り囲んでいる訳では無いようです。次の日、駐車場から見上げました.よく見ると、白い部分に大きな四角の穴が開けられています。何だか分からないけど、解体準備の作業なんでしょうね。一時期TVでよくやっていた、煙突の各所に計算した爆薬を取り付けて、一瞬で垂直に壊すやつ、あれが見たい。煙突の解体/今日も輪っかが有る。
伊予大島から伯方島を望みます。平山郁夫画伯はここから「しまなみ海道」を描きました。海流が激しい「船折瀬戸」と右が「宮窪瀬戸」です。真ん中は「鶏小島」です。伊予水軍「能島村上」の本拠地「能島」です。宮窪町の港です。村上水軍史料館が在ります。前回来た時(2017年4月)に展望台下の店でお茶を飲みました。ロープが張られていました。・・・みんな夢の中の出来事みたいです。鶏小島の記事はこちら。伊予大島カレイ山展望台から
赤い部分が解体されて数日で、また輪っかが設置されていました。行ってみます。あれ?白い部分の一部が解体されています。前回赤い部分が解体されたばかりです。今回は仕事が早いです。油断できません。プラント前に移動して見上げます。あれっ⁉︎煙が出ています‼︎10数年前に、「もう使っていない煙突」だと聞きました。事実、今まで1度も煙が出ているのを見たことがありません⁈場所を変えて見上げます。やっぱり、煙が出ています。何か燃やしているようです。工事中に⁇あれっ⁉︎煙が止まりました⁈場所を移動します。前回見つけた工場団地の駐車場です。やっぱり煙が出ていません。あれって、見間違いではありません。写真に残っています。煙が出たのは10分くらいの出来事です。なにがあったの⁇・・・煙突に穴を開けて、番号をふって、輪っかを乗っけて、...煙突の解体/白い部分が解体されて煙が?
雛が巣立ちしていました。スマホカメラではちゃんとした鳥の写真は撮れないことを分かっていながら、撮ってしまいました。至る所に居ます。あらゆる場所に居ます。花かと思いました。アオサギの雛です。喧しいです。煩いです。臭いです。生き物を大切にしないといけないと分かっていても、過ぎたるは迷惑です。雛が巣立ちしてもう大変
富岡八幡宮の力石の場所で工事をしています。力石とは、力自慢が持ち上げる石です。娯楽の乏しかった時代に青年が集まって、娘っ子の前で競ったことでしょう。優勝者は集落の英雄だったことは疑いありません。集落毎の代表が集まって総合チャンピョンを競い合ったりもしたのだと思います。クレーン車が忙しく稼働しています。力石を移動させています。ゆっくり降ろします。クレーン車は新たな資材を吊り上げようとしています。何だ?おそらく、周辺の神社から管理できなくなった力石をここに集めようとしているんじゃないでしょうか?慎重に扱います。力石を移動させる工事を初めて見ました。ここ富岡八幡宮は「勧進相撲発祥の地」と言われています。力石を置くのに相応しい神社です。こうして文化の保存を図っているんじゃないでしょうか?「犬も歩けば棒に当たる」と...富岡八幡宮/力石の集積中
いつの間にか、先っちょの赤い部分が無くなっていました。何度目かの輪っかが取り付けられています。何らかの工事が行われていると思います。今日はいつもと違う場所から眺めます。工場団地の駐車場が有りました。そうしたら、てっぺんの赤い部分の最後のパーツが外される処です!まだ赤い部分が残っていたのです!こんな瞬間が見られました!ここ良いです。観測地の一つにしましょう。煙突の解体/赤い部分が無くなった。
伊勢ヶ浜部屋の近くに西濃運輸が在ります。部屋を覗くと、自然に事務所兼社宅兼出荷場兼駐車場を通ります。改装工事の経緯の記録です。<2021年1月>正月休みの姿は壮観です!左右の社宅の下にびっしりと、整然と並んでいます。この景色が素敵で、時々写真を撮っていました。<2021年11月>工事フェンスが張られました。こちらは事務所部分です。社宅とL字型に建築されています。ここも工事対象のようです。<2023年7月>社宅部分がほぼ出来上がりました。<2024年5月>事務所棟もほぼ完成のようです。基本的な構造は変わってないように見ます。<2024年6月末>いよいよ最後の仕上げ段階です。竣工間近。こちらが事務所入り口のようです。出荷場の内部が完成したようです。西濃運輸に「クロネコヤマト」のクール宅急便が届きました。新しい...西濃運輸の改築工事
もうすぐ東京都知事選挙です。全く静かです。50数人も立候補しているのに、1度も選挙カーに会いません。でも、候補者看板は凄いです。これ、探しに行った訳じゃないです。散策すると出遇えます。政策に関係なく私の目を引いたのを紹介します。この候補者が「看板ジャック」を考え出しました。そしてこうなりました。散髪の帰りに目に付きました。こんなもの。でもね。有権者も褒められたもんじゃない。この看板、入り口に近いんです。都知事選挙/候補者看板ジャック
前回「花本社」の記事を掲載しました。その時に、東京大空襲で鳥居の上部が崩れ落ちた歴史を紹介しました。富岡八幡宮は大被害を受けたのに、松尾芭蕉命を祀る「花本社」の左右に在る「永昌五社稲荷神社」と「合末社」が無事だった話の中で、もう一社「七渡神社」も無事だったのです。気になっていた人もいらっしゃるでしょうから紹介します。えっ、気にならない?まあ聞きなさい。七渡神社へは、合末社の鳥居前を、この橋を渡って行きます。橋の左右は遊水池です。水を配した立派な造りです。右奥に七渡神社が見えます。縁日だったとは知らなかったです。それ以上に、何の神かも知りません。小さいけどお神輿みたいに艶やかな神社です。ここらは海に近いです。昔はもっと近くて、漁業や「木場の角乗り」の文化が今も残っているように材木の集積地です。そういった水に...七渡神社
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏