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もうアンコウの季節
・・・谷根千の散歩記事の途中ですが時事ネタを。神田須田町の路地です。あれ!?もう?小ぶりだけど、立派なアンコウです。冬の料理がもう始まっていました。あんこう鍋の伊勢屋です。変わらぬ景色を堪能します。まだまだ暑い東京ですが。もうアンコウの季節
2024/09/30 17:16
ギャラリー猫街
切手通りの電柱案内に誘われて寄り道しました。あの石段のところです。この風景が好きでよく来ます。猫の石段です。「猫街」のレリーフ周辺の蔦を刈りましたね。よく見えるようになりましたが、紅葉する蔦を見たいです。猫の散歩です。・・・切手通りに戻りました。左右に骨董店の並ぶ通りです。谷中の路地なのに、他の路地と比べると広いのです。今は全くと言って良いほど車が通りませんが、古物商が並んでいる事に何か関係があるのではないか、と思っています。店を眺めながら行きます。みんなアンティークショップです。切手通りの北端には「喫茶乱歩」です。三崎坂です。乱歩の玄関です。このまま営業できる雰囲気です。和紙を使ったグッズです。外国人に人気です。我が家のポチ袋はここで用意しています。やっと孫が、ここのポチ袋のセンスを理解できる年になりま...ギャラリー猫街
2024/09/30 06:05
「切手通り」を行く。
木工屋です。隣にも店が在ります。「ツバメハウス」は2階です。ビンテージ品を扱っています。この通りにはビンテージショップが集まっています。斜め前に切手売買の店が在ります。10年くらい前に建て替えて、アパート経営が主体になりましたが、家業は続けています。この店の扱いが切手だった事から、この通りが「切手通り」と呼ばれています。前述したとおりここには古物商が集まっています。この切手屋が発祥だったのではないかと思っています。ビンテージショップの店先です。ジュエリーを扱っています。隣も。電柱に「猫街」の案内があります。寄り道します。「切手通り」を行く。
2024/09/29 17:16
ヘビ道を行く。
ヘビ道を北へ行きます。元は藍染川でした。夏目漱石の三四郎に登場した川の跡です。今は暗渠になって、散策に最適な路地になっています。「谷中トート」です。玄関前が賑やかです。子供が居る民家でしょうか?ガラス食器の店です。夜の電飾を見てみたいです。ヘビ道は区境です。西側は文京区千駄木です。東側は台東区谷中です。ちょっと脇路地に入ります。散策は続きます。ヘビ道を行く。
2024/09/29 06:05
ヘビ道に店が在る・店が無い風景
「粋黒」です。何の店だろう?ちょっとだけ気になりながらヘビ道へ行きます。このビルに数店舗の店が在ります。隣は「亀の子束子」でした。根津の宮の湯跡に移転しました。隣は雑貨と本の店です。三叉路です。右の建物の店舗の続きを追います。「谷中山清洞」です。隣は喫茶店です。隣は今年古書店を始めたのですが、すぐに閉店してしまいました。ここは川上麻衣子さんのスエーデン雑貨の店でした。千駄木駅近くの不忍通りに移転しました。ヘビ道に戻ります。散策は続きます。ヘビ道に店が在る・店が無い風景
2024/09/28 17:17
「豆腐ルーム」の奥路地にヘイゴ・ニケ
根津の路地です。すぐに千駄木になる町境です。行ったら袋小路でした。引き返します。ヘイゴ・ニケ?なんだろう?無視して「ヘビ道」に出ます。何方へ行こうかな?電柱にも有りました。ヘイゴ・ニケ。気になるので戻ります。ここです。店の前を素通りしていました。古着屋でした。散策が続きます。「豆腐ルーム」の奥路地にヘイゴ・ニケ
2024/09/28 06:05
今年最後(?)のミストシャワー
9月25日の北千住です。今年最後だと思いたい。今年最後(?)のミストシャワー
2024/09/27 17:17
井戸とまるヒとモジョモジョのある路地
この路地が好きです。この家に子供が居ました。もうずいぶん大きくなったと思います。井戸が有る家です。ポンプにバケツが被されています。もう使ってないようみたいです。後ろの蔦の蔓の捩れが時の経過を教えます。このオモチャも使われていないように思います。振り返ります。先を行くとすぐに丁字路です。出た所にまるヒが在ります。反対側は「ボンジュールモジョモジョ」です。パン屋です。知る人ぞ知る、路地のパン屋です。路地の向こうにまるヒです。斜め前はアパートです。この街に似合います。路地を行き当たります。「ギャラリー金魚」です。路地の散策が続きます。井戸とまるヒとモジョモジョのある路地
2024/09/27 06:05
根津教会と長屋の風景
根津を訪問するようになってもう20数年になります。変化の少ない根津ですが、やっぱり家屋の建て替えや商店の廃業があります。この根津教会と長屋の風景は変わりません。変わったのは、長屋の玄関前にホロを被せて置いていたバイクが無くなったくらいです。西洋発祥の宗教でありながら木造を取り入れた教会と、純日本的な木造長屋が一体感を醸す風景です。好いなあ。長屋の裏です。突き当たりの水色の壁が根津教会です。いつまでも残って欲しい風景です。根津教会と長屋の風景
2024/09/26 06:05
深川かかしコンクール開催中
深川資料館通りで「かかしコンクール」が開催中です。まだ各賞の発表はありません。蕎麦を食べに来たついでに観て回ります。今年の日吉屋の作品です。江戸三大祭りの一つ、深川祭りの神輿も。向かいの田巻屋の作品です。ミュージシャンとコンダクター。感じ出てます。両店は入賞の常連です。でも、最近はプロの出品が無くなって、私的にはつまらないです。それは見事な作品を魅せてくれていました。ざっと観て回ります。今日も満席です。ちょっとお高いですが、観光客が集まります。なんだろう?作品は世相を映します。大阪万博のキャラクター「ミャクミャク」です。追加に追加を重ねて、ずいぶん税金を使っているけど、あの万博は成功するんだろうか?作品を観ます。各賞が決まるのが楽しみです。で、その後ハロウィンやるの?先週だったっけ、「美楽市」やったよね。...深川かかしコンクール開催中
2024/09/25 06:05
都電町中華「金華」が無くなっていた
久しぶりに都電沿線を散策していました。都電を追いかけていると、自然と界隈の店とかを覚えます。あれっ!?ここって、この角って、前回訪問時に閉店していた町中華「金華」ではないですか!早い!更地にするのが早い、と思っていたら、あれからもう1年近くになっていました。時の流れが早いです。これは建物を建てる縄張りです。前金華経営者の住居だったら、もっと早く着工するでしょうから、きっと第三者の建物ですね。目の前は都電の線路と白いアパートです。目の前の踏み切りの真ん中から眺めます。早稲田方面です。三ノ輪橋方面です。のりば案内です。ホームに上がってみます。遮断機が降りた踏み切りの向こうは、三ノ輪橋方面行きの「西ヶ原4丁目」の停留場です。都電も信号待ちです。町中華「金華」前の踏切にゴトンゴトンとやって来ました。時の流れを乗せ...都電町中華「金華」が無くなっていた
2024/09/24 17:02
煙突の解体/TV放送されるらしい
あれからも時々覗いています。今日の状況です。ずいぶん低くなりました。輪っか(作業台・作業芦部)が稼働しています。例の駐車場から。ずいぶんズングリムックリになりました。そもそもは水再生プラントの熱交換器の撤去工事です。撤去して新たな施設を建てるようです。こんなものに興味を持つのは私だけだろうなあ、と思っていたら、なんと!NHKがドキュメンタリーを撮っていたらしいのです。それが、明日19時57分から放送されるらしいです。彼らの事だから、ドローンを使って空から撮ったり、作業員の表情を撮ったり、素晴らしいものに仕上げると思います。でも、同じ感性を持った人が居たことが嬉しいです。<解体の進捗状況>そもそもはこんな煙突でした。150mくらいの高さがあったようです。プラントも良く見えていました。根本まで見えました。<既...煙突の解体/TV放送されるらしい
2024/09/24 06:05
9月場所翌日の大嶽部屋周辺
大嶽部屋です。いつもと変わりません。9月場所が終わりました。思っていたとおり大の里が優勝しました。13勝での優勝は久し振りです。ここのところずっと12勝での優勝でした。大銀杏が結えない大関が誕生します。横綱に一番近い大関になりそうです。部屋のすぐ傍です。こんな案内板が有ります。大鵬と北の湖が一代親方になった時に立てられました。この背後のビルです。焼肉屋です。王鵬の父親貴闘力の店です。大鵬の孫、貴闘力の子供の出自は、相撲界ではずいぶんプレッシャーになっていると思います。王鵬は9勝を挙げました。来場所新三役になることは間違いありません。貴闘力も嬉しいと思います。彼は野球賭博で相撲界を追放され、大鵬の長女だった奥さんと離婚しました。でも、大嶽部屋の20m傍に居ます。今でも反省しています。でも、東日本大震災の際に...9月場所翌日の大嶽部屋周辺
2024/09/23 13:48
「宮の湯」再訪
立石を散策中です。「宮の湯」を訪ねます。ポスターや幟が無くなってちょっと寂しい店頭です。駐車場前から湯船を眺めます。内湯が有る民家が増えて、銭湯が少なくなりました。商圏が広くなります。利用する人にとっては駐車場が必要になります。車を持っていない老人などは大変でしょうね。遠いと、雨が降ったら徒歩でお風呂に行くのは億劫ですよね。結構広い前面道路です。こういった広い道路に面している銭湯は珍しいです。裏に回ります。この銭湯の特徴は、なんと言っても真っ青な煙突です。それでも、下町の混み合った一角なので、ちょっと離れると、その所在が分からなくなります。固定客相手の商売なので、特に目立つ必要はありません。でも、以前から真っ青な煙突です。ボイラー室です。手前は住居でしょうか?青空にスックと立つ煙突です。「宮の湯」再訪
2024/09/22 06:05
残暑が厳しい田端銀座
子規の墓にお参りするのに「田端銀座」を通りました。数年前にこのキャラクターを作りました。略して「タバギン」です。ペンギンに掛けてキャラクターとしました。こんな経緯だと想像できます。随分日に焼けています。交換すれば良いのに・・。めんどくさい?打ち水をしています。暑いよね。私だって、子規の命日でなければ家で横になっています。まだ扇風機を売っています。こんなに沢山!?いつまでも服が汗ばみますね。もうお彼岸ではあります。おお、半額ですか?!でも、この暑さでは客が少ないです。安いのかな?値札から半額なのかな?糸瓜忌の田端銀座です。皆さん半袖です。残暑が厳しい田端銀座
2024/09/21 06:05
子規命日の墓参り
9月19日は正岡子規の命日です。今年もやって来ました。人間国宝の板谷波山の墓があります。大龍寺です。背景の竹藪が大きくなりました。もう少しで以前の繁り具合になります。この方が良いです。花が新しいです。子規は鶏頭が好きでした。「鶏頭の十四五本もありぬべし」子規卒塔婆も新しいです。糸瓜忌のお弔いが済んだ墓所です。供花が賑やかです。子規好みです。おや?団子が供えられています。初めて見ます。ちょっと傾いた母「八重」の墓にも。妹「律」が繋いだ正岡家の墓にも供えられています。「羽二重団子」の品だと思います。子規の視界です。昨年から、この時期に彼岸花が咲かなくなりました。見上げる猛残暑の空です。隣の「田端中学校」が焼けます。母八重が子規に言います。「毎年よ彼岸過ぎまで暑いのは」子規毎年そうかも知れませんが、このままでは...子規命日の墓参り
2024/09/20 06:05
京成立石駅前再開発状況
京成立石駅脇の踏み切りです。駅のホームが近いです。正面の商店街が閉鎖されました。駅舎の建て替えはこの状態で止まっています。壁です。この中で工事が進捗されていると思います。商店街看板だけが立っています。「呑兵衛横丁」が在った一角です。遅いようでも粛々と、取り壊し工事が進んでいます。<在りし日の駅前>京成立石駅前再開発状況
2024/09/19 17:16
残暑日の立石仲店商店街
最近とみに閉まっている店が増えています。昔は賑わっていた証の、シャッターの上にそのまま残っている店名看板を見上げます。寂しくなった各地の商店街と同様、必要な物はなんでも揃っていた名残りです。この喫茶店は数年前まで営業していました。商店街の事務所です。時々トイレを借ります。かつては「躍進する商店街」でした。駅前の立地とも相まって、さぞかし賑わったと思います。衣食住全ての用が足りた商店街だったと思います。脇路地の美容室です。今でも営業しています。お惣菜屋が並びます。一度廃業した八百屋です。店名もそのままに、全て居抜きで現経営者が継承しました。やっていますね。昼呑みのもつ屋です。その筋では有名店です。アーケードの端です。商店街の西口です。正面は再開発中の京成立石駅です。振り返ります。商店街に居るのは、2時間近く...残暑日の立石仲店商店街
2024/09/19 06:05
八幡橋(旧弾正橋)
人力車が向かい合った形のベンチです。真ん中に説明板が有ります。読みづらいので書き出します。「八幡橋(弾正橋)八幡橋は、明治11年(1878年)に京橋区楓川に架けられ、島田弾正屋敷が近くにあったことから弾正橋と呼ばれていました。現在の中央区宝町三丁目付近に位置します。弾正橋は、馬場先門から本所・深川とを結ぶ主要街路の一つで、文明開花のシンボルとして架橋されましたが、その後関東大震災の復興事業により廃橋となってしまいました。しかし昭和4年(1929年)には、その由緒を惜しみ現在地に移設され、八幡橋と名前も改められました。現在では江東区が大切に保存しています。この東京名所絵図(三ツ橋の現況)には、明治34年(1901年)頃の弾正橋(左奥)が描かれており、当時の情景が偲ばれます。弾正橋・白魚橋・真福寺橋とをあわせ...八幡橋(旧弾正橋)
2024/09/18 17:16
「竹の湯」が在った商店街
あれからどの位の時間が経過したのか忘れましたが、案外順調に建て替え工事が進んでいます。商店街に面した工事現場です。地元住民は、「昔はもっと賑わっていた」と言いますが、他の商店街と違って、けっこう賑わっている商店街です。「サンロード中の橋」商店街です。下町の風情が残っているので、よくドラマの撮影に使われています。私がロケ中の川口春奈さんをじっと見つめた商店街です。駅からちょっと離れていて近くに大型店舗が進出しない立地が、商店街に功を奏しています。ここは「竹の湯」でした。たぶん集合住宅が建つのだと思います。こうして街が変わっていきます。在りし日の竹の湯です。「竹の湯」が在った商店街
2024/09/18 06:05
新旧新田橋
「旧新田橋」の説明板です。横たわる旧新田橋です。橋の端に名前が有ります。昭和7年に架けられました。架けたのは「木場の赤ひげ先生」的存在の新田医師です。今は、こんな遊歩道の隅に横たわっています。「八幡橋」下の公園です。新田橋はここに架かっていました。「新新田橋」です。新田橋の説明板です。末尾に、「平成12年の護岸整備により現在の橋に架け替られましたが、架かっていた橋は、八幡堀遊歩道に大切に保存されています。」とあります。先ほど見たあの黒い橋です。大横川に架けられています。橋の上から東西を眺めます。秋めいた雲が浮かびます。橋を渡ります。袂には「船宿吉野屋」です。振り返ります。吉野屋の存在が、趣きを加えます。昔も今も、下町の人々に愛されています。新旧新田橋
2024/09/17 17:15
深川資料館通り「美楽市」
蕎麦を食べに行ったら、深川資料館通りが歩行者天国になっていました。蕎麦屋の女将さんに聞いたら、「美楽市」だそうです。年に2回やっているそうです。知りませんでした。日曜日にカヤックを漕がなくなっているので遭遇した祭りです。蕎麦屋に向かって、眺めて歩きます。ここまでです。深川3丁目のイベント(女将さんに談)らしいです。残暑の太陽がビルに影を落とす通りまでです。もうご存知ですね。ビルアートの建物です。深川資料館通り「美楽市」
2024/09/17 06:04
富岡八幡宮の骨董市
残暑厳しい富岡八幡宮です。骨董市が開催されていました。骨董なのかガラクタなのか?(失礼)でも、「お宝なんでも鑑定団」は大好きです。コロナ禍前は月に2回くらい、結構熱心に開催されていました。私にとっては、コロナで中止になって以来の骨董市です。見て回るのが楽しいです。目利きじゃないので立ち止まらないようにしています。買わされてしまうかも、と用心しながら覗きます。時々おっ、と思う品が無きにしも非ず、です。一往復したけど、私と同じく警戒心を持って覗く客ばかりか、1個も売れません。富岡八幡宮の骨董市
2024/09/16 17:16
こどもカヌー大会
風が強いです。「これでは子供が可哀想だよ」なんて思っているのは大人だけ。子供は波に揉まれながら漕いで行きます。ゲートブリッジの傍の「海の森公園」です。羽田空港が近いので、ひっきりなしに飛行機が上空を飛びます。小学4年生から6年生の選手たちです。予選と決勝とで合計16レース行われます。大人はボランティアで運営に協力しています。私は体調を考慮して貰って口を出すだけです。はい、一番嫌われるタイプです。TOKYO2020で使われたオリンピックコースで行われます。やっぱり子供でなくても、ここで漕ぐのは嬉しいです。この波をかき分けて、風に流されながらの競漕です。飛行機が飛びます。入道雲の子供が連なっています。後片付けです。転覆する事なく全員完漕しました。子供って逞しいです。こどもカヌー大会
2024/09/16 06:05
荒川ロックゲートを通過する
自転車散策の途中です。この場所に来たら一応閘門内を覗きます。丁度1組のカヤックが居ました。船首の方向から、荒川から入って来て旧中川へ出て行くようです。仲良し夫婦でしょうか?正面のゲートの水の跡を見ると、閘門内の水位を下げ始めたところです。10分足らずで閘門の水位を調整できます。ちょっと停まって眺めるのに丁度良い時間です。背後を見上げます。ゲートが上がって行く左右の支柱です。左右の柱の溝をゲートが上下します。カヤックがやって来た荒川です。その先は首都高速中央環状線が横たわっていて、その上は残暑の雲です。蒸し暑いです。その下は、江戸川区の街です。水位が調整されてゲートが上がります。荒川と旧中川とでは、約2メートル水位差があります。ゲートの先は海抜ゼロm地帯です。ゲートが上がり切りました。まだ水が滴り落ちていま...荒川ロックゲートを通過する
2024/09/15 17:16
工事が完了した西濃運輸と熱海富士の背中
西濃運輸の改造工事が完了していました。出荷台と社宅と正面奥の事務所です。左右の業務体勢が復活しました。西濃運輸と言えば伊勢ヶ濱部屋がすぐ傍です。路地から行きます。おお!!熱海富士の背中です。九月場所は彼を優勝候補の一角と予想しましたが、上位の壁に阻まれています。優勝は、大の里が最右翼ですね。強いです!体調が戻った霧島が二番手で、琴櫻が三番手、こんな処です。期待の王鵬が両大関を連覇しました。三役の力が付いています。工事が完了した西濃運輸と熱海富士の背中
2024/09/15 06:04
東京下町には釣り堀が多い
東京人は釣りが好きです。海でも川でも釣り人を見掛けます。そして、少なくなったけど、釣り堀が有ります。残暑厳しい東京です。正面奥に鵜が餌を貰おうと待機しています。直接捕ったら怒られるでしょう。微笑ましいです。緑が少し暑さを和らげます。ノウゼンカズラに囲まれた釣り堀です。東京下町には釣り堀が多い
2024/09/14 17:17
豆腐料理「笹の雪」の復活
子規庵に訪れました。昨年更地だった土地に、新しい建物が建っていました。清新な料理屋です。子規の隣です。数年前に解体されていた豆腐料理の「笹の雪」です。まさかここに再建されるとは思ってもいませんでした。子規も愛した豆腐料理です。前の店先にあった句碑です。「水無月や根岸涼しき篠の雪」「蕣に朝商ひす篠の雪」子規一番相応しい場所に再建されたと思います。旧笹乃雪の解体の記事はこちら。子規庵の隣が更地になった記事はこちら。豆腐料理「笹の雪」の復活
2024/09/14 06:05
子規の小庭から
庭に降ります。庭から子規庵を眺めます。草木が茂る庭です。子規はゴテゴテとテゴテと植えたそうですが、戦争で焼けた家と庭です。昭和26年に再築しました。鳥が持ち込んだ種子が芽吹いたままにした庭だそうです。子規の植えた庭とは違っているそうです。鶏頭と糸瓜棚です。子規が選んだ植物には変わりません。窓の向こうから、子規が見ているような気がします。新しく建てた説明碑です。糸瓜棚の下から眺めます。子規は赤い花が好きでした。多くのスケッチが遺されいます。辛抱強く、誰も居ないタイミングを待って撮っています。NHKでドラマ「坂の上の雲」の再放送が始まりました。その影響もあると思います。子規の病室です。動けない子規の為に、友人と弟子たちが大きなガラス窓を作ったそうです。子規といえば、絶筆「糸瓜三句」が有名です。昨年も今年も糸瓜...子規の小庭から
2024/09/13 17:16
糸瓜忌の子規庵
年に一度訪問します。子規の病室です。大きなガラス戸から光が入ります。子規の机を照らします。机からの子規の視線です。子規の自画像です。外は暑いですが、エアコンの影響もあって、清涼・静寂な室内です。糸瓜忌の子規庵
2024/09/13 06:05
乙女稲荷神社のアレが無い
根津神社がしっとりしています。いつのもように西参道へ行きます。参道に落ちたギンナンです。しっかり季節は回っています。乙女稲荷神社です。あの外国人が動くのを暫く待っていましたが、待てません。徳川家宣の胞衣塚への参拝石段です。最近特に欧米系の外国人がよく来ます。透かし屏を行きます。いつもの場所で振り返ります。乙女稲荷神社がしっとりと佇む午後です。もう一度西参道の景色です。ずっと違和感を感じています。無くても文化財的には問題無いようだけど、、、、、、暫く来てなかったら、あそこに在った朱鳥居が無くなりました。いつの間に?なんで?<かつての朱鳥居が在る風景>乙女稲荷神社のアレが無い
2024/09/12 17:17
ちょっと涼しい根津神社
表参道を行きます。人を見る事が無いのだけど、居るようなんです。商売も続けているようなんです。ちょっと涼しいです。いつもキラキラの楼門を撮るのですが、しっとりと落ち着いた風情があります。舞殿と楼門。舞台からの楼門。舞殿脇からの楼門。舞台からの唐門。唐門からの楼門。ちょっと涼しい根津神社
2024/09/12 06:05
猛残暑の「羽二重団子」
白い暖簾が眩しくないと思ったら、曇り空です。でも蒸し暑いです。団子の由来です。夏目漱石も森鴎外も正岡子規も食べた団子です。正岡子規の句碑です。「芋坂も団子も月のゆかりかな」右へ行けば芋坂です。この先が上野のお山です。戊辰戦争で敗れた彰義隊は芋坂を逃げ、武具を羽二重団子の敷地内に投げ捨てて、王子街道を落ちて行ったそうです。羽二重団子の前の路は王子街道です。蒸し暑いです。店頭の幟暖簾が誘います。猛残暑の「羽二重団子」
2024/09/11 17:16
深川資料館通り「えこのみせ」
残暑が照りつけるお昼前です。私が座っている向こう側で撮影が行われています。界隈はよく散歩番組などの撮影が行われてます。「えこのみせ」です。元は着物店だったのでしょうが、現在は雑貨屋です。店の前の歩道も活用して、観光客相手に商品を並べています。「深川資料館通り」は古い店が多い多く並んでいます。私は開店を待ちながら、いつも向かい側から眺めていますが、けっこう売れています。開店待ちで道路を渡って写真を撮っていたら、店が開きました。女将さんが呼んでくれます。もうすぐ深川資料館通りでは恒例の「かかし祭り」が始まります。もう何点か通りに飾られていますが、各賞が決定してからが楽しいです。深川資料館通り「えこのみせ」
2024/09/11 06:05
押尾川部屋の風景
「下町人情キラキラ橘商店街」の外れに相撲部屋が在ります。九月場所のポスターが貼られています。清潔な玄関前です。見上げます。「相撲部屋がある賃貸住宅」です。壁面に横綱の絵です。部屋前からの景色です。ゴトゴトと東武亀戸線が走ります。背後にはスカイツリーです。典型的な下町風景です。押尾川部屋の風景
2024/09/10 17:05
中村部屋と音羽山部屋
大相撲九月場所が始まっています。2階の窓から顔を出しているのは中村部屋の若者です。下にはスー女が群がっています。親方は元関脇嘉風です。関取は十両に友風と嘉陽が居ます。国技館に一番近い部屋です。ここは元「陸奥部屋」でした。玄関前が変わりました。<郵便ポスト型の郵便受けが無くなりました。廃業当時の陸奥部屋です。>ここには元大関霧島が所属していました。モンゴル出身の前関脇霧馬山です。横綱の鶴竜も居ました。彼らは何処へ行ったのでしょうか?やって来たのは花街で有名な向島です。立派なビルが完成していました。勝手口の名前は前回訪問時のままです。花街の真ん中で、スカイツリーを見上げる場所です。色合いもシックで、親方の良いセンスを感じさせます。「音羽山部屋」の師匠は元横綱鶴竜です。部屋付き親方には、元前大関霧島で前陸奥親方...中村部屋と音羽山部屋
2024/09/10 05:05
今年も白い曼珠沙華咲く
いつもの場所で今年も咲きました。例年どおり9月の初めです。赤い曼珠沙華はまだ芽吹いていません。これも例年どおりです。今日も猛残暑ですが、ちゃんと植物は季節の推移を知っています。一群の白い曼珠沙華。清々しい景色です。今年も白い曼珠沙華咲く
2024/09/08 17:17
大相撲九月場所が始まる。
相撲部屋に張り出されている九月場所のポスターです。このポスターは通常優勝候補を掲載しますが、照ノ富士が休場を発表しました。じゃあ東西の両大関が中心にならないとカッコ悪いです。国技館前です。力士幟は番付順に並べます。照ノ富士の幟がありません。こんな状況ですが、例によって優勝者の予想をします。東西の大関が当然候補となりますが、ここのところ豊昇龍の調子がイマイチです。豊昇龍は一段落とします。先ず、大の里を挙げます。優勝して大関昇進を狙っていると思います。国技館前で、ファンに揉みくちゃになっていました。人気もあります。看板力士が欲しい相撲協会です。この部屋の阿炎が、体調を戻しているんじゃなかろうか?センスの良い玄関周りです。前親方だった寺尾が遺しました。王鵬が居る大嶽部屋です。明日の場所初めの前です。忙しそうです...大相撲九月場所が始まる。
2024/09/08 06:05
九月場所前日の国技館前
幟が勢揃いしました。明日から九月場所とは言え、猛残暑の東京です。チケット売り切れの切符売り場にスケジュールが出ています。ファンが小走りで移動しました。何かあるなと追いかけたら、大の里が揉みくちゃになっていました。人気者です。紋付袴姿なので、国技館で行事があったのだと思います。もと大関琴風だと思います。大の里騒ぎを見ていました。力士がファンとカメラに収まっています。浅黒くて彫りの深い顔は一眼で外国人です。インバウンドの人達にも人気です。国技館のすぐ近くの名門春日野部屋です。場所前日で、国技館で行事があるなど忙しそうです。玄関が開いています。栃ノ心が引退したので人気力士が居ません。従ってファンの訪問もありません。栃ノ心は気さくな性格でもあって、ファンの受けが良かったです。大相撲は国技・格闘技であると共に興行で...九月場所前日の国技館前
2024/09/07 17:13
昼間営業再開のお知らせがあって、
行きつけの蕎麦屋から昼間の営業を再開するとのお知らせがありました。女将さん周辺に色々あって、5月の連休明けから夜の営業に限定していたものです。私もほぼ同時期から色々ある身ですが、体調を整えて当然訪問します。電車にしようかと思いましたが、自転車に乗れる状態(日々体調が変ります)でした。けっこう人気店です。再開を知ってか知らずか、行列が復活しました。この暑さなので、簾の下で並んでいます。約4ヶ月ぶりのお昼の営業です。我が家から直行で約1時間の距離です。途中に浅草や上野が在ります。散策しながらやって来て、ここでお昼を食べて、谷根千や本郷や下町を散策しながら家に帰る生活を20数年来続けてきました。20年間毎週通える店に出逢えたことは幸せだと思います。昼間営業再開のお知らせがあって、
2024/09/07 06:05
「東砂三丁目第二児童遊園」は火除け地?
残暑の東砂町の路地を散策していました。ここは持ち主が手入れしない空き地だと思いました。草も木も伸び放題です。いや、管理はしているようです。なんとなんと、児童遊園(公園とは違う?)です。水飲み場が有ります。でも遊具が見当たりません。中央には小高い丘が在ります。手入れしていないので梅の実が育っています。公の土地の物だから取ってはいけないとは思いますが、、、誰か採っても良いのではないか?もったいないじゃないか。こちらの実は何だろう?「山法師」の実のようですが、私が知っている山法師より大きい実です。山法師の実はジャムにして食べると聞いています。私は生で食べたことがあります。少し甘みがあります。でも、大きいので違うのかなあ?手出ししません。全然手入れしていません。これで「児童遊園」か?中央の丘に上がってみます。ここ...「東砂三丁目第二児童遊園」は火除け地?
2024/09/06 06:04
東砂町に「明治座」が在った!
東砂町を散策していました。えっ⁈「明治座」⁇あの?「明治座」のロゴも一緒です。稽古場か?ちょっと戻ります。間違いありません「明治座」です。営業所なのか?歌舞伎のチケットを売っているのだろうか?道路の向かい側は「第二砂町中学校」です。東側は荒川の土手です。こんな所に歌舞伎?「明治座」だよねえ?敷地内を覗きます。軽トラが停まっています。あの荷台の絵を時々見ます。明治座の幕の内弁当です。ここで作って、中央区の明治座で販売しているんですね。前面道路を西に行きます。元八幡交番です。背後に大きな木が有ります。そこは「富賀岡八幡宮」です。「元八幡」と呼ばれて、由緒正しい神社です。東京三大祭りの「深川祭り」を催行する「富岡八幡宮」が有名です。あの神社はここから現在地に移転したんです。よって「元八幡」なんです。こんな散策で...東砂町に「明治座」が在った!
2024/09/05 17:17
太郎兵衛の墓と藤の湯
不整脈だけでなく、頚椎と腰椎の治療にも通っています。今日は天気が良いので自転車で行きました。その帰りにちょっと散策をしました。東砂町の住宅街です。家と家の間に、フェンスに囲まれた石碑のような物が有りました。残暑の濃い影が邪魔をして、字が良く見えません。フェンスを開けて石碑の前に立ちました。「開拓之祖太郎兵衛之墓」と書いてあります。石碑かと思ったら墓石です。「開拓之祖」と有ります。界隈は「砂村何某」が開拓し「砂村」と呼ばれ、村が大きくなったのでやがて「砂町」となったと聞いています。砂村何某の兄は神奈川県の久里浜を開拓したとも聞いています。砂村一家は、開拓技術を持った幕府の役人かな?と思っています。その他にも界隈を開拓した人が居たんですね。しかも苗字を持たないので農民だったと思います。裏を覗きます。昭和22年...太郎兵衛の墓と藤の湯
2024/09/05 06:46
真白いキノコ
寝てばかりではダメだとの罪悪感があって、通院に際して回り道をして帰っていました。そうしたら真白いキノコが生えていました。こちらにも。そしてこちらにも。たぶん初めて見ると思います。綺麗です。毒キノコだろうか?当然名前を知りません。真白いキノコ
2024/09/04 16:32
2024年9月 (1件〜100件)
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