ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
午後の陽射しの谷中銀座です。谷中は猫の街です。オブジェです。丸い看板は老舗の印です。谷中銀座の東口を出た所です。暫く更地で放置(養生して地面を固める?)していましたが、七面坂の建設工事がピッチを上げて進んでいます。「夕やけだんだん」を上がります。正面に谷中銀座です。左手が、建設工事現場です。谷中が変わります。楽しみでもあります。七面坂の工事が進む。
先ず、交差点の向こうに在った「みずほ銀行本店」が無くなっていて驚きました。左手に見える帝国ホテルの隣のビルも在りません。昔、「鹿鳴館」が在った場所です。都心の動きにビックリです。首かけ銀杏だけでなく、公園全体の黄葉はまだです。東京の他所より遅いと思います。灯りが入った松本楼が綺麗です。今日は寒くない初冬です。テラス席では沢山の人が楽しんでいます。夕暮れ時の松本楼です。噴水前からの景色です。そして、日比谷花壇です。ここから地下鉄で帰ります。そういえば、かつての通勤路でした。夕暮れ時の日比谷公園
昔の、神社裏からの道の改装が完成し、周辺の建物も改装が完了していました。甘酒を売っています。レストランができていました。社務所の場所は変わっていませんが、改装されています。敷石を含めて、さっぱりしました。艶やかな唐門です。いっそう華やかになりました。お参りします。「出世の石段」を覗きます。急勾配に目眩がしそうです。降りるのは大丈夫と思ってやって来ましたが、ヤメます。さて、こちらはエレベーターに向かう参道です。愛宕山トンネルです。北側の参道の反対側です。病院の窓から眺めていた参道です。さあ、病院へ行きます。愛宕神社改装完了
愛宕山の北側の路地です。都心は相変わらず活発です。2年見ていないと、景色が全く変わります。見上げるビル群です。全て「森ビル」の所有です。入院を終えて、通常生活に戻りました。当時「出世の石段」を登れなかったので、北の参道から訪問します。神社裏の店も気になっています。愛宕トンネル脇の参道です。行きます!急階段の参道です。「出世の石段」より楽だと思って選びました。・・・とんでも無い。途中で2度休みました。まだ身体は本物でないようです。やって来ました。愛宕神社の裏です。静寂な景色は変わっていません。物音がしません。全ての店舗が閉まっています。今日は定休日だろうか?正面のドアがワインサロンでした。階段を上がって店へ行く構造でした。それらは何も変わっていません。ただ、コロナ禍でワインバーは廃業しています。それは知って...愛宕神社裏の風景
時々この路地を訪ねます。ここには井戸が有って、子供のおもちゃが家の前に有りました。一度TVで紹介された家族の住まいです。今日はこんなものが置かれていました。鏡台です。子供の遊び道具になったのだろうか?あのガラス戸の家です。えっ!・・・井戸が有りません。人の気配がありません。そう言えば、前回の訪問時でも違和感を感じていました。前回はまだここに井戸があったのです。引越ししたようです。TVで素敵な子育てをしている家族でした。借家だったと思います。古くて、ちょっと傾いているようでもあります。ひょっとしたら、大家が取り壊して新しく建て直すのかも知れません。根津でも少ない、古い形態の住宅です。郷愁を誘われる風情が好きで、時々訪ねていました。第三者の利己主義的願望と承知の上ですが、残して欲しい風景です。引越ししたみたい、井戸のある家
前回、最終形?を報告しました。先週、足場や足場を上下させるレールが全て撤去されました。新たに手前に立ったポールは、粉塵飛散防止のネットを張りました。そして今日です。もうこんな状態になっていました。最終工程はやっぱりあのクレーンは使いません。ユンボで荒々しく解体します。鉄筋の数がめちゃめちゃ多いです。鉄密度高く頑丈に造ったコンクリを食い千切ります。肉食恐竜が獲物に噛みついて肉を引き千切るようです。痛みがわが身に伝わるような気持ちで見ています。粉塵を舞い上げてかぶりつきます。と、ここでユンボが止まったと思うと、後退して現場を離れました。戻って来ません。時計を見ると、10時58分です。午前の作業はここまでのようです。えっ!?これなら午前中に終わるだろう、最期を見届けられるだろう、と思って見ていました。これだけが...煙突の解体/最期を見届けられなかった・・
先週より行列が少なく見えたのでチケット売り場に並びました。結構外国人が目に付きます。不思議です。自国で見られないのだろうか?と思いながら、そう言えば、回数少ない海外旅行で、ウイーンの「美術史美術館」へ行った私です。だって、有名な美術館だから行きたかった!そう、ここ国立西洋美術館は、「世界遺産」でもあります。そしてモネも好き。「世界遺産でモネを観た!」そういう人たちかな?差し詰め私なら、「メトロポリタン美術館で北斎を観た!」ってとこでしょうか?外は黄葉が進む上野のお山です。さあ、入りましょう!やっぱり混んでいます。一部だけですが、「撮影可」のコーナーがありました。押すな押すなの撮影です。観たことがある作品が結構あったけど、楽しい企画展でした。2月11日迄です。まだ時間があります。一度観にいくと、連続して行き...モネ展いつも大賑わい
急に黄葉が進みました。木枯しが冷たい東京です。見に来ました。下町賑わい商店街「砂町銀座」通称「砂銀」です。皆さん厚着しています。寒くなると必ずTVに登場するおでん屋、「増英蒲鉾」です。賑わっています。まだ14時半で、この長蛇の列です。凄いね!と思ったら、角を曲がっても並んでいました。もっと寒くなる前に買って帰ろう、と皆んな思っています。寒い時は「砂町銀座」のおでん
見上げる空が高いです。東京藝術大学音楽部の黄葉が始まりました。これは?象ですが、、こちらは芸術学部のキャンパスではありません。でも芸術的です。ひょっとしたら、学園祭の出し物か?私が動くと木洩れ陽も動くので、像も動いているように錯覚します。煉瓦壁とのコラボで艶やかです。東京藝術大学音楽部の黄葉が始まりました。東京藝術大学音楽学部の黄葉
赤門と黄葉です。今年の黄葉です。急に黄葉が進みました。正門を振り返ります。あと1週間(かな?)したら、黄金の絨毯が敷かれます。東京大学の黄葉/2024年
浅草の裏路地です。小さな「三井のリパーク」が在りました。小さな三井のリパークには出汁の自販機が有ることが多いです。久しぶりの遭遇か?出汁ではなくて、初めて見る商品です。「スリラチャ」です。「悪魔のホットソース」って何?商品全部が「悪魔のホットソース」です!他は有りません。価格は、700円です。高いか安いかの評価のしようがありません。味わっていないので・・・。商品説明が小さく有ります。とにかく商品を全面に押し出したデザインです。ハワイでも人気だそうです。おお、裏側も凄い!どんな味だろう?あの人なら知っているかな?「スリラチャ」の自販機に遭遇
徳川ドーミトリーを知った時は驚きました。こんな世界もあるんだなあ・・・。それが築40数年で解体していたのにも驚きました。十分綺麗な建物なのに。もう娘を寮に入れたい親や、寮に入りたい女子は居ないんだなあ、と世相を知った思いでした。でも、再建工事が始まって、また高級な寮を建てるんだろうか?やっぱり需要があるんだなあ、と思ったものです。ここが女子寮が在った場所です。シックな家が完成間近です。右の塀のお宅が大家さんだと思います。まだ所々に作業員が居ます。完成したら、美しい家並みになりそうです。角で振り返ります。どんな人が住むのだろうか?月100万円位家賃みたいです。住宅地の門です。ここに新たな「徳川ヴィレッジ」の表札が登場するのでしょうね。隣の「徳川黎明会」の初冬風景です。どちらも尾張徳川家が営んでいる事業です。...「徳川ドーミトリー」解体後
寅さん映画が好きです。本作は1969年11月に公開された、シリーズ第2作目です。マドンナは斎藤オリエさんです。寅次郎が中退した柴又商業高校の恩師、坪内散歩先生のお嬢さん役です。寅次郎が恩師を訪ねてやって来ました。背後にJR常磐線が走る江戸川の土手下です。恩師の家は、葛西神社の前を下った最初の家です。現在映画の家は在りません。もうとっくに建て替わっています。例によって、ここでマドンナに一目惚れする訳です。源ちゃんは恋の邪魔です。寅次郎に追い返されて、泣きながら帰ります。・・・坪内散歩先生が、天然の鰻が食べたいと言います。江戸川の鰻が食べたいと言います。苦労して、やっと吊り上げました。喜び勇んで恩師の元に走ります。源ちゃんも坂を走り下ります。遅れてマドンナも走って帰ります。恩師坪内散歩は寅次郎の鰻を待たずして...「続・男はつらいよ」の現場を訪ねて、
葛飾区東金町の葛西神社に来ています。東金町と言えば、東京の東のどん詰まりです。これから黄葉が始まります。思ったより大きくて厳かな神社です。境内には大きな銀杏が数本植えられています。由緒書きです。初冬の陽射しに、始まったばかりの黄葉が映えます。木洩れ陽の下に、厳かに舞殿が佇んでいました。見ると、「酉の市演芸大会」の提灯が出ています。今でも氏子で演芸大会を開催しているんですね。郷愁を誘います。酉の市のポスターです。ここでも市を催しているようです。境内に、熊手の屋台のようです。今年は「三の酉」があるので、まだ片付けていません。奥まった場所に「葛西囃子」発祥の地碑が建っていました。いわゆる祭り太鼓の叩き方です。昔は各地で、それぞれおらが村の祭り拍子があったのでしょうね。裏は江戸川の土手です。葛西神社が東京のどん詰...東金町/葛西神社
突然ゴールドポストに遭遇しました。数個めです。ゴールドポストは、東京2020で金メダリストになった選手を讃えて、選手ゆかりの場所に設置したものです。本件の対象者は、女子レスリングの「須崎優衣選手」のようです。すみません、私、彼女を知りませんでした。格闘技は阿部兄妹以外知りません。周辺は紅葉が進む東京です。彼女のポストから見える風景です。そこは早稲田大学です。彼女は早稲田の学生だったのですね。格闘技の選手としての在学先としては珍しいです。で、前から思っているんですが、パリ大会の金メダリストには何も無いのでしょうか?郵便ポストはいっぱい有りそうですが、、、えっ⁉︎キリがない?早稲田で遭遇したゴールドポスト
今年もやって来ました。スカイツリーが聳える亀戸天神菊祭りです。毎年見事な菊を見せてくれます。変な形だと思いました。なるほど、こう来たか!天神社は桜や橘ではなく、左右とも梅です。七五三の季節です。参道が菊で飾られています。太鼓橋から爺ちゃんが神殿に向かって孫を抱き上げます。名物の藤の下にも菊を配しています。今までこんな演出をしていなかったと思います。西陽が射します。ここでも外国人が多いです。彼らには格好の日本文化との遭遇でしょうね。スカイツリー建設中から、ここ亀戸天神はスカイツリーを意識して来ました。今年はスカイツリーの菊人形が有りません。<昨年はこれでした>毎年似てないので、やっと止めたのでしょうか?亀戸天神菊祭り/2024年
日本一高い(高度も価格も)クレーンを見上げます。煙突はこんなに低くなっています。もう、普通のクレーンで用が足りそうです。煙突に大きな穴が空いています。今までに無かった状態です。この四角い穴は何だろう?足場に作業員は居ません。穴から別の穴が見えます。穴は複数有るようです。再び何だろうと考えます。急に寒くなった東京です。だだっ広い工場地帯です。クレーンは動きません。作業員の姿も見えません。・・・今日はこれまでとします。煙突の解体/最終局面か?
木枯しが吹く日です。風に吹かれた空が青いです。新葛飾橋の下に、三角屋根と丸屋根が見えて来ました。ああ、空が青いです。三角屋根の給水塔です。さざ波が立っています。送水管の向こうに丸屋根が在ります。送水管を過ぎました。振り返ると三角屋根です。丸屋根を見ながら行きます。土手は初冬の色です。丸屋根の送水管下から三角屋根を眺めます。青い空が目に染みます。送水管の先はあそこに続きます。青い空の下、まだ緑の草の間に立つ、金町浄水場のタンクです。今夜は寒くなります。夕飯は鍋ですね。三角屋根と丸屋根の在る風景/2024年初冬
秋晴れと言うんでしょうか、小春日和なんでしょうか?風は冷たいけど陽射しは明るくて暖かいです。メタセコイヤの森の紅葉はまだです。真っ赤になるのは12月の中旬くらいだと思います。中央広場は紅葉始めです。池に青空を映します。サイカチの実はまだ落ちていません。逆光に浮かびます。所々が見頃です。落ち葉が敷かれています。中央広場です。ポプラはまだまだです。中央広場を行きます。池端の銀杏が黄葉しています。やっぱり水辺は気温が低いのでしょうね。青空に、黄葉始めの公園です。水元公園の黄葉始め
あっ!この路は例の自販機に近いぞ!とやって来たら、あの人買ってるよ!彼が買い終わるのを静かに待ちました。悪いことをする訳じゃないのに、何故かキョロキョロと周りに人が居ないのを確かめたりしました。あっ、PayPayで買えるぞ!最近使い始めた私です。左の2つと右下の合計3種類を買いました。これです。「三陸産無添加タコの小松菜ソース」です。「Lafete無添加フォアグラのパテ」です。そして、「高級芋菓子しみずの大学芋」です。甘味が苦手な私です。これは、私が無駄遣いする、と口喧しい家人用です。言わばご機嫌取りです。・・・それなのに、「こんな物買ったの」と言われました。これらは無駄遣いのようです。包装を取って冷蔵庫に仕舞いました。さて翌日の夜、食卓に並んでいました。2種類しか有りません。大学芋は昨日のうちに食べた、...「いっぴん食堂」自販機で買ってみた。
「男はつらいよ」の撮影現場を訪ねてやって来ました。今日は参道商店街を行きません。横断歩道を渡ったら左に行きます。帝釈天もお参りしません。この道を真っ直ぐに、江戸川土手に向かいます。映画のシーンから。タクシーで帰宅する寅さんを見つけて、タクシーと並走する源ちゃんです。土手下に下りて来たタクシーです。当時は土手上を車が走っていました。土手下で帝釈天参道商店街の職人の自転車に相乗りして、とらやに知らせに走る源ちゃんです。背景の店から江戸川土手を見るシーンです。土手が近いです。以上のシーンの現場を訪ねてやって来ました。「軽食菜花」です。あれっ⁉︎思わず「寅さん!」と声を掛けました。「ちょっと待っててよ」と言い残して、鞄を置いて店に入って行きました。ボーっと待っている訳にもいきません。映画のシーンの現場を撮りに来た...「男はつらいよ」の現場を訪ねて/野口寅次郎さん
何回も再放送されている映画「男はつらいよ」を、家人に呆れられながら、また観ています。当時を思い出しながら観るのも楽しいし、また新たな発見があります。そうなると、映画の現場を確認したくなります。寅さんの舎弟のぼるが、とらやを訪ねる為に柴又駅前広場に現れたシーンです。左に「おりつ地蔵尊」が見えます。当時の駅前の店先からの風景です。現在の柴又駅前広場です。左に「おりつ地蔵尊」が当時のまま在ります。もう45年前の映画です。駅前が再開発されて、すっかり変わりました。ドトールなんかができて、都会の駅前みたいです。何といっても、寅さん像とさくら像ができました。さあ、映画の現場を訪ねます。「寅さん」と言えば「矢切の渡し」です。殺風景で危なっかしい桟橋は、今でも危なっかしいです。当時30円だった渡船料が、今、大人子供の区別...映画「新男はつらいよ・望郷編」の現場
半月くらい前、女優の山田優さんがTVで紹介した煎餅の売り切れが続いているとのことです。私の古いblog記事にもアクセスがあって、TVの話を知らなかったので、不思議に思っていました。暫く経って、世間の騒動を知った次第です。久しぶりにやって来ました。雑司が谷の袋小路です。お客さんが数人居ます。入り口にはこんな張り紙が有りました。実は私も、煎餅を買おうと思って覗いてみた次第です。TVの影響って凄いですね。人気女優だから尚更ですね。袋小路の路地から振り返ります。前回の訪問時と、何も変わっていません。お客さんは買いたくて熱いようですが、雑司が谷は寒い午後です。もう暫くしたら、年明けくらいには、私も買えるでしょうか?「小倉屋」の煎餅売り切れ続く。
2024年の「二の酉」の市です。今年は「三の酉」まであります。三の酉がある年は寒いと言いますが、今日は人熱もあって汗をかいている鷲神社です。すぐに寒くなる予報ではあります。昔、馴染みの熊手屋台の親父が言っていました。「三の酉ったって、客が3回に分かれて来るだけで、儲けが増える訳ではない。むしろ屋台の設営・片付けの回数が増えるだけ出費が嵩む」って。彼も数年前に故人になりました。参拝の列から見上げている屋台が有ります。今年も石原一族と和泉元彌さん御用達の熊手が並んでいます。今年は萬田久子さんのが無いですね。舞殿では獅子舞が披露されています。ごった返す拝殿前です。屋台が並ぶ路地に行きます。お買い上げの度に行われる、商売繁盛の三本締めです。屋台を見て歩きます。日本を代表する企業の熊手も有ります。縁起物です。三本締...二の酉の市/2024年
元関脇逆鉾、井筒親方が亡くなって相撲部屋を閉鎖しました。その後、遺族が部屋を建て直して数年になります。見たとおり一階の造りを、私は土俵を造れる相撲部屋仕様にしていると思っています。弟の錣山親方(元関脇寺尾)が戻って来るかも?と思っていました。ところが、錣山親方は急逝しました。故井筒部屋親方には女性の子供が居ます。彼女は志摩ノ海と結婚しました。姓は元井筒親方の姓「福薗」を名乗っています。それが喫茶店になるようです。「cafe福」です。「近日オープン」です。志摩ノ海が井筒部屋を継承する迄の、一時的な対応でしょうか?でも、喫茶店でできた常連客は、相撲部屋になる時どうなんだろう?何にしろ、スムーズな部屋の再興を願います。たまたま遭遇した井筒部屋の解体工事2020年11月14日のブログ記事一覧-荒川三歩元井筒部屋開店
第2会場です。沢山、沢山あります。後ろからも観られます。彩色復元品です。こんな色で彩色されていたんですね。両側に顔がある埴輪。人気でした。踊る人です。動物です。親子です。寅さん。柴又で発掘されて話題になりましたね。笑う男子。驚いたのはこれ。明治天皇の埋葬時にも埴輪を副葬したんですね。埴輪の時代は平和だったんでしょうか?争いの場面が無いです。見学を終えて出て来た上野公園です。すっかり秋の景色です。はにわ展/第2会場
ハローキティー展を横目に、私は平成館へ向かいます。モネ展をスルーしてやって来ました。20分待ちの入場でした。モネは来年2月迄、「はにわ展」は12月で終了です。こんな選択です。やっぱり凄い人です。数点の宮内庁所持品を除いて、国宝も含めて全品撮影可能です。はにわ以外の出土品も展示されています。埴輪です。ガラスケースに入っているのは、どうしても人が写り込みます。数点を紹介します。素焼きだけでなく、石を彫刻した埴輪も有ります。初めて見ます。移動します。第2会場に続きます。はにわ展
東京国立博物館です。何でか知らんが、ハローキティー展をやっています。ここで写真を撮る人が行列を作っています。外国人も多いです。撮る人の交代のタイミングで撮りました。国立博物館本館を背景にしたキティちゃんなんて、滅多に撮れません。屋台も出ています。ここでも行列です。表慶館で、ハローキティー展が開催されています。40分待ちです。ゆりの木が黄葉しています。余談:高知県人の友人は「ティ」が言えません。「パーチー」とか「チーアップ」とか発音します。多分高知県人は皆さんそうだと思います。たぶん孫に対して、「キチーちゃんぜよ」って言っていると思います。こうして方言が継承されます。ハローキティー展
ル・コルビュジエの建築作品として、世界遺産に登録された国立西洋美術館です。柵の向こうが混み合っています。あの行列はモネショップへの行列らしいです。美術館のショップは何処も素敵です。買いたくなります。さて、モネが観たくて覗いています。日本人はモネが好きです。案内している係員に訊いてみます。入場迄に20分待ちとのこと。大した待ち時間じゃないけど、二月までやっているし、あそこへ行きます。モネ展大賑わい
ゲートブリッジの上を旅客機が飛びます。釣りはしません。サイクリングロードを行きます。爽やかなお昼時です。サイクリングロードで、コンビニおにぎりを食べる場所を探します。大きなイカの絵です。堤防沿いのサイクリングロードのアートです。海辺のサイクリングロードを行きます。行きながらアートを観賞します。ジュゴンですね。左はゴルフ場です。OBのボール避けのネットです。マグロの回遊です。親子が突っ込みます。対岸は東京ディズニーリゾートです。小型クジラでしょうか?対岸は葛西臨海公園です。ゴルフ場横のサイクリングロードを行きます。大型クジラです。シロナガスクジラでしょうか?ザトウクジラです。背景は荒川河口橋です。マンタです。親子が突っ込みます。ジンベエザメです。2組の家族が突っ込みます。家族連れが通り過ぎたジンベエザメです...若洲海浜公園サイクリングロード
のんびりサイクリングコースから脚を伸ばして、若洲海浜公園に来ました。ゲートブリッジを見上げます。ゲートブリッジ下にもゲートが有ります。マンボウとイカが迎えてくれます。ゲートの先は海釣り公園です。東京人は釣りが好きです。海でも、川でも、釣り堀でも、公園の池でも、毎日あちこちで釣り人に出遭います。たぶん、ゲートブリッジの橋上の遊歩道の数十倍の釣り人がここに居ます。ちょっとゲートブリッジを眺めて、橋上の遊歩道へ行きます。釣り人です。長く伸びた防波堤様の海釣り公園で糸を垂れています。遊歩道を行きます。今日は橋より釣り人が気になります。ちょっとは景色を眺めます。エレベーター塔です。正面は「海の森カヌー競技場」です。時々ボランティアに借り出されます。ゴルフ場の向こうは東京ディズニーリゾートです。都心のビル群です。秋ら...ゲートブリッジの釣り人
「のんびりサイクリングロード」の名に恥じる事なく、各所に休憩所が在ります。砂町南運河と荒川が交わる所です。対岸の向こうの東京ディズニーリゾートを眺めます。空気が気持ちいいです。荒川の上流です。暑くもなく寒くもない、サイクリングに最適の日です。ここはいつもサイクリスト達が寛いでいます。私はあそこに座ったことがありません。海が光ります。梶が壊れたようです。壊したのかな?穏やかな海です。雑事を忘れます。サイクリングロード休憩所
「のんびりサイクリングロード」の荒川右岸を行きます。橋を潜ります。見上げる荒川河口橋、湾岸道路、湾岸線、首都高速荒川湾岸橋、JR京葉線です。橋を潜れば林間のサイクリングロードです。荒川対岸の葛西臨海公園です。右後方には東京ディズニーリゾートです。振り返れば、さっき潜った荒川河口橋たちです。木漏れ日のサイクリングロードを行きます。空気が冷んやりと気持ち好いです。開けたスペースに来ました。「東京ヘリポート」です。ヘリコプターが発着します。小さくて、糸蜻蛉のようなヘリです。マニアの集まりを置いて、サイクリングロードに戻ります。サイクリング日和です。のんびりサイクリングロード
少しだけ風があります。そよ風のマリーナです。旗は天候を示しているものと思います。意味は分かりません。たぶん快晴で微風です。ヨットが舫でいます。微風がマストを揺らして海に映ります。クルーザーも揺れます。秋晴れの空です。都心方面です。東京夢の島マリーナのバナーです。今日は出航する艇が少ないです。水面にマストを映します。水面を静かに揺らせてクルーザーが来ます。後方デッキにテラス席を設けています。修理中です。白い船体が青空に映えます。秋晴れの午前です。秋晴れのマリーナ
随分と展覧会に行っていませんでした。体調もあるけど、観たい作家の展覧会がありませんでた。「田中一村」です。木枯しが吹く日です。観賞者は少ないと思ってやって来ました。東京都美術館です。何と、超満員です。私と似たようなじじばば世代ばっかりです。絵が飾られている壁から、三重の観賞者です。私、一村をアンリ・ルソーのような作家だと思っていました。多くの流派に学んだ作風が多種に及んで、しかも多作です。一時期ルソー風になったようです。今回見直しました。次はモネを観たいです。でも、西洋美術館は大変な混雑でした。まあ、2月までやっています。ミロも観たいです。でも、インフルエンザも怖いです。田中一村展
クレーンが下りて来ました。太い鎖を穴に通して、クレーンでピンと張ります。ずいぶん低くなりました。もうすぐ塀で見えなくなります。一段を撤去するのに2日掛かります。昨日15時前から1時間ほど眺めましたが、解体撤去の瞬間を見る事ができませんでした。今日は13時前にやって来ました。既に先日撤去して残った部分です。足場の所で横に切ります。落ちないようにクレーンで吊り上げて、煙ならぬ粉塵を飛ばして切って行きます。この切る作業が2時間くらい掛かります。切削作業の様子は外からは見えません。煙突の内側から切っています。従って、足場に居る作業員は見守るだけです。ずいぶん経って、作業員の動きが慌しくなりました。暫くして気がついたら、切片が傾いていました。危ないあぶない。この瞬間を約3時間半じっと待っていたのです。クレーンが吊り...煙突の解体作業行程全部見
目にも鮮やかな自販機と遭遇しました。自販機は目立つために派手です。これはシンプルに目立ちます。嫌味がありません。「いっぴん食堂」との記載が有ります。初めて見る自販機です。変わった商品が並んでいます。商品を見ます。左上から先ず、「下総醤油麹唐揚げ(8個入り)」。次は「Lafete無添加フォアグラのパテ」これは?「自宅で本格フレンチEU産フォアグラをベースに、国産レバー、生クリームなどをつかいクリーミーな仕上げに。ワインはもちろん日本酒にも。」だって。これって、ちょっと試してみたい。1400円の価格は高いのか安いのか、興味をそそられます。次は、「三陸産無添加タコの小松菜ソース」これは「江戸川産小松菜使用」だって。さらに、「紅はるかコロッケ6個入り」が700円。右側の列は、「元祖吉野屋白玉饅頭」が6個で900円...自販機「いっぴん食堂」
ここがボイラー室でした。玄関に回ります。ここに玄関が在りました。ここに、廃材やら何やら一杯積み上げていました。この先に湯船と銭湯が在りました。銭湯らしく大きな敷地でした。一般的には、暫くの間放置されて、やがて更地になるのですが、ここは立地が良いです。周囲と同様、立派な集合住宅になると思います。勿論内湯付きです。時代の流れを考えると、借金が残らなければ、まあ、めでたしの決着方法ではないでしょうか?在りし日の子宝湯の記事はこちら。町屋3丁目に「子宝湯」の在る風景-荒川三歩町屋「子宝湯」の今
北千住の、もう商店が無くなった路地です。鰻を焼く油がガラスを曇らせます。「えびす屋」の看板が新調されました。こちらが表側です。ずっとヒビが入った看板が新調されました。服装が麻の薄黄色になりました。「エビスビール」と同じデザインです。エビスビールの数百本に一本、魚篭にも鯛が入ったラベルが貼られた瓶が有ります。「ラッキーエビス」です。そのデザインそのままです。二つの商店街の角地ですが、もう両方とも商店街組合は活動している様子がありません。街頭も撤去されました。そんな中、営業を継続しています。「ラッキーエビス」の福が訪れますように。北千住「えびす屋」の看板が新調された。
谷中銀座の東口です。草ぼうぼうだった更地に重機が入って、再開発工事が始まりました。背後の「質屋おぢさん」が見下ろす土地です。フェンスの背後は「夕やけだんだん」です。従って、魅力的な一角になると思います。夕やけだんだんを上ります。谷中銀座を見下ろします。左隣です。工事が進みます。七面坂周辺の再開発
夕日がこの通りを染めたんだよ、と「ブティックすずむら」の主人が教えてくれました。もう真西の陽射しになっても、ビルに遮られて夕日は届きません。谷中は猫の街です。午後の陽射しの商店街を行きます。地元の人相手の商店も在ります。今日は外国人が多いです。地元民です。観光客です。老夫婦が営んでいた魚屋です。銀座を行きます。左右を眺めながら行きます。冒頭の夕日の話を教えてくれた「ブティックすずむら」は、「ソバワッフル」の店に変わりました。結構入れ替わりが激しい商店街です。ご主人を思い出して振り返ります。夕日は入ってきません。谷中銀座の東口です。突き当たりは「夕やけだんだん」です。この街が変わろうとしています。午後の陽射しの谷中銀座
例によって愛車を置きました。午後の陽射しが眩い猫町です。いつもと違う景色を眺め倒します。石段を上がります。秋の空に、シルエットが浮かびます。今日は営業中です。玄関が開いています。石段の、子猫の行進を眺めます。レリーフが眩いです。谷中の路地が西陽に照らされています。猫たちが輝きます。去り難くて振り返ります。この時間帯、素敵です。午後の陽射しの「猫町」
関東から関西にかけて木枯し1号が吹きました。なんか、あっという間に冬です。今年も秋が短いようです。さて、帝釈天門前です。逆光が好いです。参道商店街「神明會」です。いっぱいある帰り道の一つです。木枯し1号が吹いた日の夕方です。ちょっと振り返る帝釈天鐘堂です。西陽の照り返しでダルマが橙色の光を淡く受けています。提灯は「川チ屋」です。西陽に向かって自転車を押します。この人出だから乗り入れても良いけど、商売しているからね。コロナ禍の時は、店が閉まっていたので自転車で走りました。振り返ります。帝釈天の夕映です。夕日に向かって歩きます。振り返る空が青いです。振り返りつつ歩きます。商店街の西端に来ました。もう一度振り返る参道です。こんな景色は初めてです。「船橋屋」の看板が銀色に光ります。好いです!この時間に来れば、こん...木枯し1号が吹いた帝釈天参道の帰り道
今日はやってないだろうと思いながら来ました。「矢切の渡し」です。あれっ?桟橋に至る入り口に黄昏れた男が居ます。たぶん、以前にも会った船頭です。「やってるの?」「やってるよ。乗る?」「乗らない。風が強いし、川風は寒そうだし、今日は写真を撮るだけ」「旗が見えなかったので今日は休航だと思ったよ。これじゃあ見えないよ。旗竿がこんなに短くなって、風が強いからねえ。取り替えたら」「ああ」不機嫌です。前に会った時も客が来なくて不機嫌でした。桟橋の写真を撮りながら話します。「帝釈天の参道も人は居ないよ」「知ってる」。前回も同じ会話をしました。午後の陽が射して、木洩れ陽が好い感じです。見た目は穏やかな天気ですが、冷たい木枯し1号が吹いている江戸川の「矢切の渡し」です。空は青いけど船頭は手持ち無沙汰です。船頭の背中が寂しいで...木枯し1号が吹いた日の「矢切の渡し」
西ヶ原四丁目停留場です。踏み切りの途中から眺めます。都電が行きます。舞台が変わるように街が現れます。廃業した町中華屋跡の建築が進んでいます。建つのは民家でしょうか?まだ遮断機は上がりません。早稲田行きが来ます。停留場に停まります。また遮断機が下ります。三ノ輪橋行きです。音を残して去って行きます。早稲田行きも来ました。ぐんと迫ります。線路とアパートが残ります。西ヶ原四丁目界隈異常なし!西ヶ原四丁目界隈異常なし!
この時間帯に根津、谷中に居るのは珍しいです。午後の陽射しの街はいつもと違う景色です。昔せんべい大黒屋です。ちょっと好いです。午後の陽射しの「昔せんべい大黒屋」
入院等あって、暫く来ていませんでした。この風情が好きです。珈琲モカ。その隣りの家が在りません。モカと同様、下の道路から立ち上がって、上の道路の部分に玄関が在った造りです。モカの店頭は何も変わりません。裏に回りました。ここに、モカと同じ古さで、数軒の家が建っていました。孤立したモカです。地上げの際にはモカにも声が掛かった筈です。モカは孤立を選択したようです。コーヒーが飲めたら店に入るのに、、、、時々見に来ます。かつて隣にはこんな風に家が在りました。「珈琲モカ」の風情-荒川三歩「珈琲モカ」が孤立していた。
日光街道の向こうが華やかです。また、「サンロード」商店街のバナーが変わりました。商店街が華やかです。いつもかっこいい家紋のバナーを掲示します。この家紋も初めて見ます。家紋では無いのかもしれません。センスが好い商店街組合だと注目しています。カッコよくって華やかですが、今時らしく、商店街を訪れる人が少ないのが残念です。正月のバナーはどうするのだろう?この商店街組合だから、このままということは無いと思います。年末を期待しています。「サンロード」のバナーが変わった。
ミロンガが廃業してから足が向きませんでした。ラドリオの在る路地です。ラドリオ営業中です。そこがミロンガでした。なになに「ボロ」?難しい漢字です。その隣が派手です。そこだけ雰囲気が変わった路地です。ボロを眺めます。ミロンガの時にそうしたように。煉瓦壁は変わりません。つまり、外壁変わっていませんでした。いつものように振り返ります。ミロンガとラドリオを観たように。うーん、隣の店が無ければ以前の雰囲気の路地です。路地の突き当たりです。工事が進んでいます。上層階をどうするか、未定のまま着工しました。書店にするか共同住宅にするか?三省堂本店工事中です。そして、街は恒例の「神田古本まつり」です。また、さぼうるも一緒に観に行こうと思いました。ミロンガの改装はこちら。在りし日のミロンガも。ラドリオとボロの在る風景
遮断機が降りて、旧中山道が横断禁止です。都電唯一のホームに在る茶店です。アイスに、おはぎに、ところてん。そしておしるこです。季節が混在しています。都電が行きます。停留場のすぐ西に遮断機も無い小さな踏切が在ります。そこに有るカーブミラーが庚申塚停留場を映しています。旧中山道も見えます。電車が停まりました。横断します。都電が発車しました。空が鈍色です。雨が来るかな?庚申塚停留場界隈
退院したら都電を見に行きます。路地の踏切を越えます。そこには、移動販売車が営業中です。都電が踏切を横切ります。警戒音が止まって遮断機が上がります。お岩さんの菩提寺です。「お岩通り商店会」の通りです。都電が横切ります。自転車が行きます。都電脇の小道です。散り残ったキバナコスモスの小道です。秋の風情を満喫しています。都電沿線
ずっと煙突の解体を追っていますが、いつも見ている訳にはいきません。低くなった煙突は風の心配をしないで工事できるとみえて、解体速度が速くて、もう赤い部分の最後の1片が残っているだけです。最後の1片を切り取っています。煙ならぬ、コンクリートの粉塵が飛びます。粉塵が飛ばなくなって暫くしたら、作業員が手を振って合図したように見えました。慌てて「動画」にします。初めての試みです。・・・撮ったけど、動画の画像アップロードができません。すみません、スタート前の静止画像です。約2分程で、赤い部分が撤去されました。・・・記録として残しておきます。煙突の解体/赤い部分の撤去完了
例によって柘榴の枝を避けて行こうとしました。入院等の影響で1ヶ月ぶり位の訪問です。えっ⁉︎無い⁇井戸の手前の家が在りません。えっ、えっ⁉︎信じられない思いで歩を進めます。ホントに無いです。夢じゃありません。あの、左右を壁に挟まれた井戸の景色が良かったのに・・・。井戸は変わらずそこに有ります。前回、新しくなったのを確認したばかりです。いつものように反対側からも見ます。斜めからも。背後の空間が、間抜けです。塀の向こうは墓地です。西陽が射します。振り返り、振り返り帰りました。どんな家が建つんだろう?どんな景色になるんだろう?<以前の景色>池之端の井戸の景色が変わっていた。
三軒長屋と根津教会の在る路地です。宅配便の配達員が行きます。昨日は雨でした。直射日光を避けて教会を観ます。ちょっと好いです。午後の陽射しの根津教会
路地の中空に提灯が並んでいました。「粋と人情賑わいの酉の市」です。えっ、もう⁈国際通りを渡った所でも。なんと、縁起物の熊手です。搬入作業中のようです。酉の市発祥の地、鷲神社です。市の準備が始まっています。左右を見ます。熊手を飾る筒が並んでいます。拝殿に向かいます。工事の進捗状況を見ながら行きます。拝殿も工事中です。お参りします。誰も居ません。振り返ります。市の準備状況を見て回ります。閑散とした屋台が不思議な感じで並びます。東京の年末の風物詩が、もう始まります。今年は三の酉まであります。三の酉がある年は寒いと言われています。2024年の「酉の市」始まる。
退院したら行きたい所が沢山あります。根津神社もその一つです。木の枝に白く陽が当たっています。午後の根津神社乙女稲荷です。重要文化財の根津神社西門です。透かし塀に少し陽が当たっています。陽射しを見て、千本鳥居へ行ってみました。鳥居を潜って、乙女稲荷へ行きます。舞台から根津神社を見下ろそうとしたら、舞台の手摺りに変な貼り紙が有ります。おお!ここに腰掛けて根津神社を背景に写真を撮るんですね。バチが当たるよ!危ないからだけじゃなくて、本当に理解して貰いたいのは、日本人なら絶対にしない行為だという事です。文化の違いはこんな所にも現れます。インバウンドの弊害ですが、外国人だけを非難できません。かつては「Oh!Noukyo!!」と非難されました。同胞はそれにも負けずにかき捨てました。旅の恥を。50年後にしっぺ返しされて...午後の光の乙女稲荷
下町賑わい商店街「砂町銀座」の「増英蒲鉾」です。冬のニュース映像には欠かせない、おでん種の名物店です。風はある。全然寒くなんかない。木枯し1号が吹くと言われた日の夕方
各地では正しいお祭りが行われたのでしょうか?日吉屋のハロウィーンです。根津神社表参道入口のハロウィーン。こちらきって通り、アンティークショップのハロウィーンです。ハロウィーン
入院中ずっと気になっていました。えっ!?無い?クレーンを残して、もう解体しちゃったのか?取り急ぎいつもの場所へ行きます。曇り空にクレーンのワイヤーが長く伸びていました。煙突は、もう先っちょが見えるだけです。こちらからは、もう見えません。近くに移動しました。塀の上に少しだけ残っていました。もう白く塗られた部分は無くなって、赤い部分も、もうあれだけです。作業員の会話の声が聞こえます。こんなに近くなりました。例の場所からの景色です。トラックが激しく行き交います。・・・ここまで来たら、その最期を見届けてやります。煙突解体状況10月末現在
「ブログリーダー」を活用して、荒川三歩さんをフォローしませんか?
ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港