所用で川崎市登戸近くに出かけた序に、「生田緑地バラ苑」に出掛けた。バラ苑は多摩川右岸の段丘上にあるため、可成りの坂道・階段を登った上にあった。平日にも関わらず沢山の入園者、殆どが高齢者と女性。登り道からは、スカイツリーなども望めた。川崎市「生田緑地バラ苑」(2024/5/17)
アシヌ教会は海岸から離れた山岳地帯に点在する世界文化遺産の修道院群の一つである。この修道院の近くには集落は見当たらない寂しい場所にポツンと残っているような感じだった。内部には、この地域の他の修道院同様に、イコンやフレスコ画が飾られていた。地域の住民が大事に守ってきた結果だろうと想像できた。(パステル画)アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)
川崎市中部長尾地区の歴史遺跡の散策に出かけた。スタートは、JR南武線久地駅。最初の場所は、駅から南東方向の丘の上にある「東高根森林公園」。グーグルマップの経路案内を活用しているのだが、近隣の人しか知らない自転車も通れないような狭い道などで案内してくれる。今回も狭い階段や市営墓地内の通路を示してくれた。今回、案内を信頼せず勘に頼った結果、川崎市立緑ヶ丘霊園内をウロウロ、親切な人に道を教えて頂き何とか森林公園に到着。<<東高根森林公園>>住宅団地として整備のためう土地調査をすると、この辺りは弥生時代から古墳時代の複合遺跡であることがわかり、団地としてでなく県立公園として整備されたとのこと。公園内には、古代植物園・湿性植物園・自然観察広場などが整備。公園北口近くの「古代芝生広場」で、3世紀から6世紀の集落が発見...川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)
聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)
キプロス島中央部オリンポス山近くの山岳地帯に散在する世界文化遺産の教会群の一つ。色んな国の侵略を受けてきた歴史を持つこの島では、危険な海岸戦から離れた山の中に暮らしてきた当時の教会でフレスコ画が多く残されていた。(オイルパステル画)聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)
川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その2(2023/2/9)
六郷の渡し跡から多摩川右岸の土手を下って行ったが、江戸町民が川崎大師を参詣した道(大師道)は、時々見える京急大師線の線路向こう。寒風が強いが歩いていると寒さをそれ程感じなかった。この辺りは高層マンションが多い。<<川崎河港水門>>川崎市川崎区を縦横に走る大運河計画の一環として昭和初期に造られた国内最初の河港水門。残念ながら完成後15年にして大運河計画は廃止された。近代化遺産・国の登録有形文化財に指定されている。水門の最上部は川崎市の名産品梨・葡萄・桃の装飾がある。<<若宮八幡宮・金山神社>>川崎河港水門から工場街を抜けて若宮八幡宮へ移動。境内中央に若宮八幡宮の本殿。右に幼稚園。左側に、藤森稲荷神社、絵馬殿、大師河原酒合戦350年記念碑(17世紀中頃この辺りで行われた酒量を競う酒合戦。有名な酒合戦の一つらし...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その2(2023/2/9)
川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その1(2023/2/9)
30年近く通った川崎だが、勤務地と川崎駅の往復と駅周辺を歩いた程度で終わった。今回、改めて「川崎宿」と「川崎大師(平間寺)周辺」を歩いた。先ず、25年前とは全く変貌した「JR川崎駅前」を出発し、川崎宿の西側から。<<教安寺>>川崎宿の西の外れに近い場所の寺。江戸時代流行した富士講所縁の寺のようで、山門の左手に「宿内安全」「天下泰平」を祈願して、川崎宿内の富士講中が建立した灯篭があった。この後、細々と川崎宿のPR掲示が見られる「ひさご通り」を北上。<<宗三寺と一行寺>>京浜急行川崎駅のすぐ傍にある寺で、この辺りが、川崎宿の本陣や問屋場(といやば)の集まる宿の中心地であったとのこと。宗三寺には、残念ながら見つけられなかったが。川崎宿の遊女の供養塔があるとのこと。一行寺は、「おえんまさま」の名で親しまれ、戦前は...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その1(2023/2/9)
世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2) - 2023/02/03(Fri)
この日の散策スタートは、小田急線喜多見駅から。駅前の商店街から住宅街に入ると右手に小さな祠。グーグルマップによれば「喜多見郷石塔石仏群」とある。説明板により、神社などで時々見かけるものが、「念仏車」というものであり、何のためのものか初めて知った。念仏を唱えながら一回まわすと、お経一巻読んだと同じ効果があるとされ、主に女性に使われたとのこと。<<喜多見氷川神社>>旧喜多見村の鎮守府であり、江戸時代に短い期間存在した「喜多見藩」所縁の神社。参道に残る小さな鳥居は、17世紀中頃喜多見氏によって寄進されたものとのこと。<<稲荷塚古墳>>途中、偶然見かけた古墳。説明文によれば、直径13m、高さ2.5mの円墳で周囲に幅2.5mの周溝が巡っていたとある。横穴式の石室内から、太刀・鉄鏃(やじり)・耳環、玉類、土師器須恵器...世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2)-2023/02/03(Fri)
コーカサス地方アルメニア共和国で、最も美しく壮麗な修道院の一つと言われ10世紀に創設された世界遺産の”ハフパット修道院”。最盛期には500人近い修道僧がいたとのことで、異教徒の襲撃から聖書等を守るために一見葡萄酒造りの壺に見える中に隠した跡等も見られた。周辺には民家も少なく今は静かな山の中。ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)
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所用で川崎市登戸近くに出かけた序に、「生田緑地バラ苑」に出掛けた。バラ苑は多摩川右岸の段丘上にあるため、可成りの坂道・階段を登った上にあった。平日にも関わらず沢山の入園者、殆どが高齢者と女性。登り道からは、スカイツリーなども望めた。川崎市「生田緑地バラ苑」(2024/5/17)
風邪で一か月間静養の後、歴史散歩を再開。今回は江戸末期の外国領事館跡を中心に東京都港区の歴史遺跡を散策した。経路は、都営三田線芝公園駅から「西應寺」(蘭領事館跡)→「元和キリシタン遺跡」→御田八幡神社→亀塚公園→「済海寺」(仏領事館跡)→幽霊坂・玉鳳凰寺(化粧延命地蔵(おしろい地蔵):ここは2度目)→「長松寺」(荻生徂徠の墓)→「立行寺」(大久保彦左衛門の墓)→「覚林寺」(加藤清正関連)→明治学院大学(「インブリー館」等の建物)→「東禅寺」(英国領事館跡)まで。この後、JR品川駅から帰路。計画では、約6㎞の行程だが、相変わらず道に迷ったりで10㎞弱に。この他、地下鉄麻布十番駅近くに、アメリカ領事館のあった善福寺があるが、このお寺は以前訪れたことがあるので、今回はパスした(参考までに、写真を最後に追加)。旧外国領事館跡等東京港区の歴史散歩(2024/5/16)
桜と神社仏閣を訪ねる二泊三日の京都旅行に出掛けた。初日は「「嵐山周辺(嵐電桜のトンネル、嵐山公園等)」と「教王護国寺(東寺)の夜間特別拝観(夜桜)」。嵐山周辺は相変わらず、和服姿の外国人等で溢れていたが、東寺は比較的外人は少ない印象。東寺の「夜桜と五重塔」、講堂の「立体曼荼羅」は、圧巻。二日目午前中に、洛北の「原谷苑」と山科の「毘沙門堂」、午後は、再び洛北に戻り、「二条城」から「北野天満宮・平野神社」、序に「旧京都府庁舎」を回った。二条城では、観光客の9割以上は外国人の様だ。三日目は、醍醐寺周辺のお寺散策(「勸修寺」・「随心院」と「醍醐寺」)、最後は、帰りの新幹線の待ち時間を利用した京都駅近く、東本願寺の庭園である「渉成園(枳殻亭)」の散策で終了。一日目は時々小雨、二日目は曇り、三日目は晴れと先ず先ずの天...桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)
鎌倉幕府御家人「畠山重忠」終焉の地である相模鉄道霧ヶ峰駅周辺には、重忠最後に関わる史跡が多い。今回はその遺跡を巡った。経路は、相模鉄道霧ヶ峰駅から、「首塚」→「重忠公碑・古戦場跡」→「薬王寺・六つ塚」→「駕籠塚」→「重忠公硯水の跡」、約3㎞の行程。最後は帰り道で見かけた江戸時代の仏塔。歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)
今回の歴史散歩は、曇り空が少々気になったが、「横浜の富士塚巡り」に出かけた。経路は、相模鉄道西谷駅から西谷富士(富士山神社)、西谷駅に戻り羽沢横浜国大前駅へ移動。堅老神塔・大田道灌所縁の硯松等を途中見て、住宅街の「羽沢富士」へ。この後、上り下りの約2㎞歩いて最勝寺傍の「熊野堂富士」へ。危なっかしい熊野堂登山道を下り最勝寺見学の後、バスで横浜駅に移動。横浜駅西口から、富士山(芝生富士)に見立てた丘の上の浅間神社へ。この後、相模鉄道平沼駅まで歩き、この日前半の歴史散歩は終了。後半は相模鉄道霧ヶ峰駅周辺の歴史散歩。歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)
府中市には、国内最大・最古の上円下方墳である「武蔵府中熊野神社古墳」を代表とする多数の古墳群、1900年の歴史を持つ「大國魂神社」、奈良時代から平安時代中期までおかれていた「国府(国衙)跡」、鎌倉時代末の合戦跡、甲州街道の宿場(府中宿)等歴史的な遺跡が多く、比較的狭い範囲に集まっている街。今回、南武線・京王線分倍河原駅周辺の史跡の歴史散歩に出かけた。経路と主な立ち寄り先は、京王線多磨霊園前駅から「常久一里塚」→「武蔵国府八幡宮」→「大國魂神社」→「武蔵国府跡」→「府中高札場跡」→「善明寺」→「高安寺」→「首塚古墳と天王塚古墳」→「分倍河原古戦場碑」→「三千人塚」→「坪宮」→「国司館と家康御殿史跡跡広場と府中御殿井戸跡」→南武線府中本町駅まで、約10㎞の行程。分倍河原駅前は50年以上前に、新婚時代にアパート...歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)
今回の歴史散歩は常磐線沿い、六ケ所の富士塚巡りと、途中で見かけた歴史を感じさせる遺物の探索。経路は、常磐線綾瀬駅→綾瀬富士(綾瀬稲荷神社)→綾瀬駅→金町駅→飯塚富士(飯塚富士神社)→金町富士(葛西神社)→金町駅→北千住駅→千住宿・安養院→大川富士(氷川神社)→千住富士(千住神社)→慈眼寺・一里塚跡→富士塚(柳原稲荷神社)→十一面観世音堂→京成関屋駅予定では12㎞程の距離だが、相変わらず道に迷ったり寄り道をしたりで、約15㎞、2万歩ほど。歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)
今回は、小田急線町田駅北西・本町田地区の鎌倉街道沿周辺の神社仏閣と、駅南東・原町田地区の石器時代遺跡・七福神・版画美術館等を訪ねる散策。経路は、町田駅からバス移動→「養運寺」→「宏善寺」→「菅原神社(井出の沢の碑)」→バス移動で町田駅に戻り→カリヨン広場・「「絹の道」の碑」→「淨運寺(町田七福神の毘沙門天)」→「商工会議所前の福禄寿」→「勝楽寺(寿老人)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(牢場遺跡)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」→「芹ヶ谷公園・町田市立国際版画美術館」→「母智丘神社(弁財天)」→町田駅近くの「馬頭観世音」で本日の散策終了。歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)
今回の歴史散歩は、江戸川区と江東区の「富士塚」巡り。江戸川区には富士塚が15カ所と非常に多く残っているが、多くの塚が明治以降に造られたものの様だ。何れも小振りで高さも、4m以下。今回唯一の江東区の「砂町の富士塚」は、江戸時代後期に造られたもので、今回のなかではいちばんの大型。歩いた経路は、都営新宿線瑞江駅→豊田神社(下鎌田の富士塚)→上今井香取神社(今井富士)→日枝神社(船堀の富士塚)→桑川神社(桑川の富士塚)→香取神社(長島の富士塚)→天祖神社(中割の富士塚)→東西線葛西駅→南砂町駅→富賀岡八幡宮(砂町の富士塚)→南砂町駅まで。途中に見られた不動尊、神社仏閣等の歴史遺物を楽しみながら歩いた約10㎞。歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)
東京・神奈川の「富士塚」巡りを再開。先ず、東武伊勢崎線沿いの富士塚から。経路は、東武線谷塚駅→富士浅間神社・小御嶽神社(瀬崎富士)→県境の毛長川を渡り→花畑浅間神社(花畑富士)→花畑記念庭園桜花亭→保木間氷川神社(保木間富士)→旧日光街道→島根鷲神社(島根富士)→将軍家御成橋・御成道松並木跡→徳川将軍日光墓参途中立ち寄った「国土安穏寺」→小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)→西新井駅→五反野駅→西ノ宮稲荷神社五反野駅。この地域の、富士塚は、比較的近い昔に造られたものが多く、全体的に小振り。計画した歩行距離は8㎞程の筈だが、道に迷ったりして遠回りをしたので、歩数的には10㎞以上歩いたと万歩計の数値。暖冬の影響か、春一番の強風下、気温20度近く、疲れた散策だった。歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)
神奈川の伝統文化の継承を目的に、海老名市文化会館で開催された「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛け、地域の古典芸能を満喫。内容は、1.海老名市の大谷地区で江戸時代から続く「大谷歌舞伎」内容は、「御所桜堀川夜討」の三段目「弁慶上使」。弁慶生涯一度の一度の恋を描いた義太夫狂言(らしい)。一旦途絶えたものが、戦後復員青年によって復活させられ、今も大谷八幡宮の祭典などで上演されているとのこと。本格的な歌舞伎に見えた。2.高校生による創作ダンス:少々ついていけない。3.湯河原町吉浜地区素鷲神社に伝わる「吉浜鹿島踊り」元は茨城鹿島神宮の芸能だったが、伊豆半島東岸の石材・木材運搬の海上安全や、疫病送り払い、大漁豊作を祈る呪芸とのこと。4.山北町共和地区に伝承されている「山北のお峰入り」700年前から伝承の民...「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)
伊東温泉一泊旅行の帰りに、来宮駅で下車し糸川遊歩道の早咲き桜「あたみ桜」を楽しんだ。「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人が熱海に伝えたとのことで、1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類が形成されるので、開花期間が長く、ソメイヨシノ等が1~2週間で散ってしまうのに、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるとのこと。途中、あたみ桜に交じって、真っ赤に咲いた花を見つけた、後で調べるとブーゲンビリアとのこと。約300mの遊歩道を下った後、海岸遊歩道を散策。最後の、海岸から熱海駅までの急坂には参った。「あたみ桜」(2024/2/7)
秦野市内で未訪の古跡を、奥津国道美術館見学の序に巡った。順路は、秦野駅→(バス利用)→<御嶽神社・八坂神社>→<出雲大社相模分祀>→国道246号線を歩き→<曾屋神社・護国神社>→奥津国道美術館→(バス利用)→秦野駅→<岐神(ふなとのかみ)庚申塔>→<今泉名水桜公園>→<太岳院>→<弘法の清水>→秦野駅今回の散策で興味を持ったのは、「名水」と「岐神(ふなと(くなど)のかみ)の道祖神」。秦野は名水の里としても知られており、名水に関係する場所が多い。又、秦野駅南側の今泉地区では、昔男子の生まれることが少なかったので男子が授かるように祈願して祀ったという岐神が祀れていた。<岐の神(ふなと、くなどかみ)とは、ネットから>岐神とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時、投げ捨て...歴史散歩秦野古跡巡り(2024/1/30)
秦野市(神奈川県)の古跡巡りの途中で訪れた美術館。ネットで偶然見つけたが、多くの水彩画が展示されていると知り興味を持っていた。秦野市郊外の”くずは峡谷公園”の外れに、カフェが主体(?)のこじんまりとした美術館。散策途中の小休憩だった。奥津国道美術館(2024/1/30)
越中五箇山から移築されたの‘合掌造り‘の古民家を含めて多くの古民家が点在する料亭で会食。料理も良かったが、古民家に癒された半日だった。法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)
今回の歴史散歩は、相模国二ノ宮「川匂神社」のある二宮町の古跡巡り。経路は、東海道線二宮駅→旧東海道を<押切坂一里塚跡>まで→薬師堂→密巖院→<面光寺>→<川匂神社>(頼朝が妻北条政子の安産祈願した神社)→吾妻山公園梅沢登り口→<吾妻神社>(祭神は、日本武尊と弟橘媛命(おとたちばなひめ))→<吾妻山公園>→<曽我兄弟の墓>(記録では17世紀末に再建されたものとのこと)→<知足寺>→堂面バス停から秦野駅まで。大体は平坦な行程だが、吾妻山公園梅沢口から吾妻神社への登り道は、非常に急で険しく、歳を感じざるを得ない厳しい道だった。歩行距離は今回も約10㎞。歴史散歩神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)
本年最初の歴史散歩は、箱根町から小田原市を箱根登山鉄道沿いに。特に箱根湯本駅、風祭駅、箱根板橋駅周辺。入生田駅近くにも紹太寺(しょうだいじ)等もあるが、以前訪れたことがあるので今回はパス。経路は、箱根湯本駅→町立郷土資料館(残念ながら休館日)→旧東海道上り坂→「白山神社」→「早雲寺」→箱根湯本街中→箱根湯本駅→電車で風祭駅→「一里塚」→「宝泉寺」→「万松院」→「日蓮上人思親の地」→「宗福院地蔵堂(板橋地蔵尊)」→「秋葉山量覚院」→「松永記念館」→「香林寺」→旧東海道(旧家内野邸)→箱根板橋駅約10㎞強の行程。この辺りは、大部分が小田原北条氏関連の寺社が大部分。歴史散歩箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)
我が家から相模国の一宮「寒川神社」までは約10㎞の距離。少々遠回りだが、相模川左岸のサイクリング道路を歩くことにした。サイクリング道路は、JR相模線厚木駅近くから倉見駅近くまでは整備され、天候にも恵まれ、右手に大山・富士山を眺めながら歩いた。お正月も八日だが休日のせいか、多くの参拝客。帰りは電車で往復4時間の行程。相模の一宮「寒川神社」に初詣(2024/01/08)
子供が”まとわりついて眠っている”ように見えた御神木(大磯町西部の六所神社)の根本。面白い!!御神木に縋りつく子供?
今年最後の歴史散歩は、「東海道大磯宿」。大磯駅の東側の、朝鮮半島からの渡来人に関係すると思われる「高来神社」や大磯宿関連の「化粧(けわい)坂の一里塚・松並木」・「江戸見附跡」等は以前歩いたことがあるので、今回は大磯駅の西側を歩いた。出発は大磯駅からで、主な立ち寄り場所は、大磯駅→妙輪寺→延台寺・虎御石→小島本陣跡・尾上本陣跡→南組問屋場跡・新島襄周縁の地碑→高札場跡→湘南発祥の碑→鴫立庵→島崎藤村旧宅→統監道→松並木→明治記念大磯庭園→宇賀神社・八坂神社→大磯町郷土資料館→県立大磯城山(じょうやま)公園→西長院(中丸身代り地蔵尊)→宝積(ほうしゃく)院→相模国総社六所神社→国府新宿バス停まで。大磯には、宿関連の遺構・建物は残って無く、夫々の施設のあった場所に説明の掲示板が建てられていた。それ以外では、明治...歴史散歩「東海道大磯宿」(2023/12/28)
江戸時代以降に江戸を中心に関東で流行した富士山信仰の拠り所として、富士山に模して築かれた人工塚(富士塚)が都内を中心に多数残されているようだ。今回は、都下北西の富士塚を、電車乗り継ぎで訪ねた。<<十条富士(十条富士神社)>>埼京線十条駅、京浜東北線東十条駅から1㎞以内、日光御成道(岩槻街道)沿い。残念ながら工事中で近づけなかった。<<駒込富士(駒込富士神社)>>山手線駒込駅から700㎜程の場所にある、古墳を利用した富士塚。急階段で頂上まで登れる。<<池袋富士(池袋氷川神社)>>池袋駅から東武東上線で一駅の北池袋駅から1㎞弱。明治後半に造られた富士塚で、現在補修の基金募集中。残念ながら登ることはできなかった、山腹には色んな像が配置されているようだが、何故かビニールシートが掛けられていた。唯、登山口付近には、...富士塚巡り(その1:北・文京・豊島・新宿区)(2023/5/11)
先週に引き続き、世田谷・大田区に残る江戸時代の門と序に近くの古刹も探索。東急のバスと電車を乗り継いでの行程。出発は小田急線成城学園前駅、東急バス二子玉川行きで岡本地区へ移動。<<伊木家長屋門>>バス停「やのはし」で下車、急坂を登っていくと右手に「小坂禄地」。国分寺崖線に沿った緑地に残る元衆議院議員別宅を区立公園として開放している場所だが、今回は掲示物など見るのみで通過。少し歩いて左折し低層階の高級マンション建物の間に狭苦しい感じで建っているのが「伊木家の長屋門」。現在はマンションの管理事務所として使われている。この門は、元々岡山市旭川の中州に残っていたのを昭和初期に都内に移築したもので、岡山藩池田家の家老の屋敷門で、左右非対称構造をしている。事務所機能優先のためか、保全は万全の様だが、門前には車が駐車して...都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27)
都内に残る「江戸の門」を訪ねる探索。今回は中心部と北部の5か所へ。<<幸国寺の山門>>地下鉄大江戸線牛込柳町駅から約150mの場所にあるお寺。一見、ごく普通の寺門に見えるが、説明板によれば、右側に番所があることから江戸時代後期のものと推定された棟門(腕木門)とのこと。一説によれば徳川御三卿(御三家とは別物)田安家の門との説も。説明板がなければ見逃してしまいそう。<<西教寺の表門>>地下鉄を乗り継いで南北線東大前駅で下車。すぐ裏に「西教寺」。朱色の小振りの門は、元々姫路藩酒井家の腕木門(うでぎもん)とのこと。朱色から、近くの「東大の赤門」に対し得て、”もう一つの赤門”とも呼ばれているようだ。関東大震災の後、瓦葺きから銅版葺きにかえたとのこと。腕木門とは、支柱に腕木を刺し、その腕木(うでぎ)に桁を乗せてその桁...都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20)
日本橋から3番目の宿場「神奈川宿」を散策。この辺りは、江戸末期の日米和親条約により神奈川が開港場に決められたので、諸外国の公使館・領事館に使われたお寺が多数残っている場所。今回は、京浜急行線神奈川新町駅から横浜駅まで神奈川宿や開港に絡んだ場所を歩いた。今回の探索は比較的近い場所に多数点在しており、効果的に訪れることが出来た。以下訪れた順ではなく、三つのカテゴリーに分けて紹介する。<神奈川宿に関係する場所>・高札場(神奈川地区センター脇)・本陣跡(滝の川・滝の橋)・大綱金刀比羅(ことひら)神社<幕末開港に関係する場所>・神奈川通東公園(長延寺跡・蘭領事館跡)・成仏寺(米人宣教師の宿舎跡)・慶運寺(浦島観音堂・仏領事館跡)・淨瀧寺(英領事館跡)・普門寺(英人士官宿舎跡)・甚行寺(仏公使館跡)・宗興寺(ヘボン施...東海道「神奈川宿」の散策(2023/4/13)
前回(2023/3/9)に引き続き”旧東海道戸塚宿”を散策。出発は”JR戸塚駅”。道案内にGoogleマップを利用しているが、駅前の道路が複雑でウロウロ。やっと、たどり着いた”清源院”。<<清源院>>旧東海道から少し離れた丘の上のお寺で、徳川家康の側室”お万の方”が、家康の死後、尼となり”清源院”と名乗りこの寺に入ったとのこと。この後、旧東海道を京都方向に戸塚宿を散策。<<内田本陣跡・澤邉本陣跡>>戸塚郵便局辺りが内田本陣跡らしいのだが痕跡は見つからなかった。更に東海道を登ると右手に、戸塚宿開設に尽力した澤邉家による「澤邉本陣跡」。さらにその先に、澤邉家代々。旅の途中でこの地で没した藩士・文人の墓のあるという海蔵寺。<<八坂神社>>この神社で毎年7月に行われる”お札まき”は横浜市の指定無形文化財。お札まき...旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)
”ユトリロ”の風景画見たさに「西山美術館(町田市)」に。序に、近くで散策できる場所を探したら都立薬師池公園があるようなので出かけた。小田急線町田駅前のバス停(ネットで調べるとバスセンターにあるとのことだが、少し離れた場所で探すのに苦労した)から、約20分ほどで、鎌倉街道沿いのバス停「薬師池」で下車。近くの裏門から公園を散策。<<薬師池公園>>裏門から急な坂を降りた先に薬師池。説明看板によれば、この池は江戸時代の溜井(灌漑用水を溜めておく場所)で、この後参詣する丘の上の”福王寺薬師堂(野津田薬師)のほとりの池”という意味とのこと。池の周りには各種花壇(梅園、菖蒲園、アジサイ園、椿園、ハス田等)が設けられ、且つこの近隣には点々と花園(ダリア園、ぼたん園等)や小動物園(リス園)が配置されている。公園内には、古民...「西山美術館」と「都立薬師池公園」散策(2023/3/16)
この駅間は、東海道保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置する場所。東戸塚駅から、高層マンションの間の急坂を登り交通量の多い環状2号線を渡った場所が最初の訪問地。<境木地蔵尊・境木立場跡>難所「権太坂」(武蔵国)を登り詰め、相模国の高台にある「地蔵尊」。「立場」とは、宿場の間にある村(間の村)で馬を継いだり、人足や駕籠かき等が休息する場所とのこと。当時は富士山や江戸湾の眺望が良かったようだ。東海道は、この後、焼餅坂・品濃坂と下っていく。<品濃の一里塚>神奈川県内に残る一里塚の中では当時の姿を一番残しているそうで、道の両側に大きな木が残る丘が見られた、ここが日本橋から9案目の一里塚で約36㎞。あちっこちで、一里塚を見てきたが、ここの一里塚を見ると当時の一里塚の模様が理解できる。上方に向かって左側の丘は、少し住宅街を回る...JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9)
都内に出かけた序に、練馬区立美術館で開催中の「本と絵画の800年吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」に。場所は、西武池袋線中村橋駅前。建材メーカーの吉野石膏の収集品と吉野石膏美術振興財団が有するコレクションより絵画と本との結びつきの観点で選ばれた200点のの展示。西洋絵画では、ピサロ、シャガール、ミレー、マティス、ピカソ、ミロなどの作品、日本絵画では、藤田嗣治、伊藤若冲、横山大観、上村松園、鏑木清方、棟方志功、東山魁夷、安井曾太郎、梅原龍三郎、向井潤吉等の作品。余り混んでなく、久し振りに有名画家の絵画を堪能できた。吉野石膏所蔵の絵画コレクション(練馬区立美術館)(2023/3/4)
出発は相鉄線「天王町駅」。旧東海道を少し江戸方向に戻り、「江戸方見附跡」から。商店街の駐車場の脇に看板のみ。ここが保土ヶ谷宿の始まり、大名等が通過するときには、宿場の名主等が御出迎え、お見送り等を行った場所。次に訪れたのは、「橘樹(たちばな)神社」。江戸時代には、牛頭(ごず)天王社といい、天王町名の由来の神社。何故か大正時代に現在の名前になったとのこと。再び天王町駅を抜けて、駅前公園の「旧帷子(かたびら)橋跡」に。広重の浮世絵にも描かれた場所。この後、道に迷いながら、東海道と相洲道の交差点に建つ庚申塔や、神明社や宿場町のお寺を訪ねて、保土ヶ谷宿の中心部へ。JR保土谷駅近くを抜けると、「問屋場跡」や、金沢や鎌倉への分岐点に残る「道案内の石碑4基」。中に、保土ヶ谷に住んだ俳人の句によって梅林への道案内があり、...東海道「保土ヶ谷宿」散策(2023/03/02)
コロナ前、最後の海外旅行で訪れたジョージアの首都トビリシで見かけた教会。民族紛争の絶えないコーカサスだが、訪れた時期は、ロシアによる南オセチア紛争と、今のウクライナ紛争間の比較的平和な時。市内には歴史的建造物が数多く見ることが出来、十分な市内観光はできなかったので、チャンスがあればもう一度ゆっくり訪れたい街。(オイルパステル画)トビリシ(ジョージアの首都)で見かけた教会(クレヨン画)
アシヌ教会は海岸から離れた山岳地帯に点在する世界文化遺産の修道院群の一つである。この修道院の近くには集落は見当たらない寂しい場所にポツンと残っているような感じだった。内部には、この地域の他の修道院同様に、イコンやフレスコ画が飾られていた。地域の住民が大事に守ってきた結果だろうと想像できた。(パステル画)アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)
川崎市中部長尾地区の歴史遺跡の散策に出かけた。スタートは、JR南武線久地駅。最初の場所は、駅から南東方向の丘の上にある「東高根森林公園」。グーグルマップの経路案内を活用しているのだが、近隣の人しか知らない自転車も通れないような狭い道などで案内してくれる。今回も狭い階段や市営墓地内の通路を示してくれた。今回、案内を信頼せず勘に頼った結果、川崎市立緑ヶ丘霊園内をウロウロ、親切な人に道を教えて頂き何とか森林公園に到着。<<東高根森林公園>>住宅団地として整備のためう土地調査をすると、この辺りは弥生時代から古墳時代の複合遺跡であることがわかり、団地としてでなく県立公園として整備されたとのこと。公園内には、古代植物園・湿性植物園・自然観察広場などが整備。公園北口近くの「古代芝生広場」で、3世紀から6世紀の集落が発見...川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)
キプロス島中央部オリンポス山近くの山岳地帯に散在する世界文化遺産の教会群の一つ。色んな国の侵略を受けてきた歴史を持つこの島では、危険な海岸戦から離れた山の中に暮らしてきた当時の教会でフレスコ画が多く残されていた。(オイルパステル画)聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)
六郷の渡し跡から多摩川右岸の土手を下って行ったが、江戸町民が川崎大師を参詣した道(大師道)は、時々見える京急大師線の線路向こう。寒風が強いが歩いていると寒さをそれ程感じなかった。この辺りは高層マンションが多い。<<川崎河港水門>>川崎市川崎区を縦横に走る大運河計画の一環として昭和初期に造られた国内最初の河港水門。残念ながら完成後15年にして大運河計画は廃止された。近代化遺産・国の登録有形文化財に指定されている。水門の最上部は川崎市の名産品梨・葡萄・桃の装飾がある。<<若宮八幡宮・金山神社>>川崎河港水門から工場街を抜けて若宮八幡宮へ移動。境内中央に若宮八幡宮の本殿。右に幼稚園。左側に、藤森稲荷神社、絵馬殿、大師河原酒合戦350年記念碑(17世紀中頃この辺りで行われた酒量を競う酒合戦。有名な酒合戦の一つらし...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その2(2023/2/9)
30年近く通った川崎だが、勤務地と川崎駅の往復と駅周辺を歩いた程度で終わった。今回、改めて「川崎宿」と「川崎大師(平間寺)周辺」を歩いた。先ず、25年前とは全く変貌した「JR川崎駅前」を出発し、川崎宿の西側から。<<教安寺>>川崎宿の西の外れに近い場所の寺。江戸時代流行した富士講所縁の寺のようで、山門の左手に「宿内安全」「天下泰平」を祈願して、川崎宿内の富士講中が建立した灯篭があった。この後、細々と川崎宿のPR掲示が見られる「ひさご通り」を北上。<<宗三寺と一行寺>>京浜急行川崎駅のすぐ傍にある寺で、この辺りが、川崎宿の本陣や問屋場(といやば)の集まる宿の中心地であったとのこと。宗三寺には、残念ながら見つけられなかったが。川崎宿の遊女の供養塔があるとのこと。一行寺は、「おえんまさま」の名で親しまれ、戦前は...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その1(2023/2/9)
この日の散策スタートは、小田急線喜多見駅から。駅前の商店街から住宅街に入ると右手に小さな祠。グーグルマップによれば「喜多見郷石塔石仏群」とある。説明板により、神社などで時々見かけるものが、「念仏車」というものであり、何のためのものか初めて知った。念仏を唱えながら一回まわすと、お経一巻読んだと同じ効果があるとされ、主に女性に使われたとのこと。<<喜多見氷川神社>>旧喜多見村の鎮守府であり、江戸時代に短い期間存在した「喜多見藩」所縁の神社。参道に残る小さな鳥居は、17世紀中頃喜多見氏によって寄進されたものとのこと。<<稲荷塚古墳>>途中、偶然見かけた古墳。説明文によれば、直径13m、高さ2.5mの円墳で周囲に幅2.5mの周溝が巡っていたとある。横穴式の石室内から、太刀・鉄鏃(やじり)・耳環、玉類、土師器須恵器...世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2)-2023/02/03(Fri)
コーカサス地方アルメニア共和国で、最も美しく壮麗な修道院の一つと言われ10世紀に創設された世界遺産の”ハフパット修道院”。最盛期には500人近い修道僧がいたとのことで、異教徒の襲撃から聖書等を守るために一見葡萄酒造りの壺に見える中に隠した跡等も見られた。周辺には民家も少なく今は静かな山の中。ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)
16世紀初頭、北条早雲により関東攻略の拠点・小田原城の支城として築かれた山城である”玉縄城址”に出かけた。今は、女学院の敷地になっているので本丸跡などには近づけないが、近隣にはこの城に関係する神社仏閣が残っているので歩き周ることにした。JR大船駅から右手に大船観音を見ながら柏尾川沿いに歩き始めた。<<玉縄首塚>>柏尾川傍の道路脇に玉縄首塚。16世紀初頭、安房の国の里見軍が海を越えて攻め寄せてきた。この辺りで玉縄城の北条勢と合戦。両軍の戦死者の霊を弔うための塚。<<貞宗(ていそう)寺>>玉縄首塚から西へ1.5㎞ほど歩いて貞宗寺。この寺は、玉縄城との関係はなく、参道の左奥に御霊屋。徳川二代将軍秀忠の祖母貞宗尼が晩年過ごした場所に建てられた寺で、そのお墓が御霊屋。内部に宝篋印塔が安置。<<円光寺>>貞宗寺から歩...玉縄城址とその関連史跡の歴史散策(2023/1/26)
コーカサスの国ジョージアの首都トビリシからジョージア軍用道路を、登っていくと右手にトビリシの水源のジンヴァリ貯水湖。その奥まった湖畔にあるのが城壁に囲まれたアナヌリ教会。17世紀後半の建造で、城壁に似合わず内部は暖かさを感じる。アナヌリ教会(ジョージア)(パステル画)
都内に残る城址の探索二回目。今回は神楽坂周辺の二か所。<<牛込城址(光照寺)>>JR飯田橋駅から、神楽坂を登り以前訪れた普國寺の先を左折し地蔵坂を上り詰めた辺りが牛込城址。上州からこの地に移り牛込氏と名乗った一族により造られたお城。北条氏滅亡後は徳川家に従った後廃城。城址を想像させる遺構は全く見当たらなきが、小高い丘の上でお城を作るによい場所であることが想像できる。光照寺は、17世紀中頃神田から移ってきたとのこと。境内には、所蔵する文化財などの説明板が多数見られた。そのうち、木造地蔵菩薩坐像(近江の三井寺、江戸の増上寺を経由してこの寺に)は、この辺りの地名「地蔵坂」に利用されている。境内の端に、松山藩(庄内藩の支藩)酒井家の墓が整然と並んでいた。<<筑土城址(筑土八幡神社)>>光照寺から約0.6㎞歩き、階...東京古城址探索(2)新宿区神楽坂周辺(2023/01/19)