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2014/09/29

  • 都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27)

    先週に引き続き、世田谷・大田区に残る江戸時代の門と序に近くの古刹も探索。東急のバスと電車を乗り継いでの行程。出発は小田急線成城学園前駅、東急バス二子玉川行きで岡本地区へ移動。<<伊木家長屋門>>バス停「やのはし」で下車、急坂を登っていくと右手に「小坂禄地」。国分寺崖線に沿った緑地に残る元衆議院議員別宅を区立公園として開放している場所だが、今回は掲示物など見るのみで通過。少し歩いて左折し低層階の高級マンション建物の間に狭苦しい感じで建っているのが「伊木家の長屋門」。現在はマンションの管理事務所として使われている。この門は、元々岡山市旭川の中州に残っていたのを昭和初期に都内に移築したもので、岡山藩池田家の家老の屋敷門で、左右非対称構造をしている。事務所機能優先のためか、保全は万全の様だが、門前には車が駐車して...都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27)

  • 都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20)

    都内に残る「江戸の門」を訪ねる探索。今回は中心部と北部の5か所へ。<<幸国寺の山門>>地下鉄大江戸線牛込柳町駅から約150mの場所にあるお寺。一見、ごく普通の寺門に見えるが、説明板によれば、右側に番所があることから江戸時代後期のものと推定された棟門(腕木門)とのこと。一説によれば徳川御三卿(御三家とは別物)田安家の門との説も。説明板がなければ見逃してしまいそう。<<西教寺の表門>>地下鉄を乗り継いで南北線東大前駅で下車。すぐ裏に「西教寺」。朱色の小振りの門は、元々姫路藩酒井家の腕木門(うでぎもん)とのこと。朱色から、近くの「東大の赤門」に対し得て、”もう一つの赤門”とも呼ばれているようだ。関東大震災の後、瓦葺きから銅版葺きにかえたとのこと。腕木門とは、支柱に腕木を刺し、その腕木(うでぎ)に桁を乗せてその桁...都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20)

  • 東海道「神奈川宿」の散策(2023/4/13)

    日本橋から3番目の宿場「神奈川宿」を散策。この辺りは、江戸末期の日米和親条約により神奈川が開港場に決められたので、諸外国の公使館・領事館に使われたお寺が多数残っている場所。今回は、京浜急行線神奈川新町駅から横浜駅まで神奈川宿や開港に絡んだ場所を歩いた。今回の探索は比較的近い場所に多数点在しており、効果的に訪れることが出来た。以下訪れた順ではなく、三つのカテゴリーに分けて紹介する。<神奈川宿に関係する場所>・高札場(神奈川地区センター脇)・本陣跡(滝の川・滝の橋)・大綱金刀比羅(ことひら)神社<幕末開港に関係する場所>・神奈川通東公園(長延寺跡・蘭領事館跡)・成仏寺(米人宣教師の宿舎跡)・慶運寺(浦島観音堂・仏領事館跡)・淨瀧寺(英領事館跡)・普門寺(英人士官宿舎跡)・甚行寺(仏公使館跡)・宗興寺(ヘボン施...東海道「神奈川宿」の散策(2023/4/13)

  • 旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)

    前回(2023/3/9)に引き続き”旧東海道戸塚宿”を散策。出発は”JR戸塚駅”。道案内にGoogleマップを利用しているが、駅前の道路が複雑でウロウロ。やっと、たどり着いた”清源院”。<<清源院>>旧東海道から少し離れた丘の上のお寺で、徳川家康の側室”お万の方”が、家康の死後、尼となり”清源院”と名乗りこの寺に入ったとのこと。この後、旧東海道を京都方向に戸塚宿を散策。<<内田本陣跡・澤邉本陣跡>>戸塚郵便局辺りが内田本陣跡らしいのだが痕跡は見つからなかった。更に東海道を登ると右手に、戸塚宿開設に尽力した澤邉家による「澤邉本陣跡」。さらにその先に、澤邉家代々。旅の途中でこの地で没した藩士・文人の墓のあるという海蔵寺。<<八坂神社>>この神社で毎年7月に行われる”お札まき”は横浜市の指定無形文化財。お札まき...旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)

  • 「西山美術館」と「都立薬師池公園」散策(2023/3/16)

    ”ユトリロ”の風景画見たさに「西山美術館(町田市)」に。序に、近くで散策できる場所を探したら都立薬師池公園があるようなので出かけた。小田急線町田駅前のバス停(ネットで調べるとバスセンターにあるとのことだが、少し離れた場所で探すのに苦労した)から、約20分ほどで、鎌倉街道沿いのバス停「薬師池」で下車。近くの裏門から公園を散策。<<薬師池公園>>裏門から急な坂を降りた先に薬師池。説明看板によれば、この池は江戸時代の溜井(灌漑用水を溜めておく場所)で、この後参詣する丘の上の”福王寺薬師堂(野津田薬師)のほとりの池”という意味とのこと。池の周りには各種花壇(梅園、菖蒲園、アジサイ園、椿園、ハス田等)が設けられ、且つこの近隣には点々と花園(ダリア園、ぼたん園等)や小動物園(リス園)が配置されている。公園内には、古民...「西山美術館」と「都立薬師池公園」散策(2023/3/16)

  • JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9)

    この駅間は、東海道保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置する場所。東戸塚駅から、高層マンションの間の急坂を登り交通量の多い環状2号線を渡った場所が最初の訪問地。<境木地蔵尊・境木立場跡>難所「権太坂」(武蔵国)を登り詰め、相模国の高台にある「地蔵尊」。「立場」とは、宿場の間にある村(間の村)で馬を継いだり、人足や駕籠かき等が休息する場所とのこと。当時は富士山や江戸湾の眺望が良かったようだ。東海道は、この後、焼餅坂・品濃坂と下っていく。<品濃の一里塚>神奈川県内に残る一里塚の中では当時の姿を一番残しているそうで、道の両側に大きな木が残る丘が見られた、ここが日本橋から9案目の一里塚で約36㎞。あちっこちで、一里塚を見てきたが、ここの一里塚を見ると当時の一里塚の模様が理解できる。上方に向かって左側の丘は、少し住宅街を回る...JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9)

  • 吉野石膏所蔵の絵画コレクション(練馬区立美術館)(2023/3/4)

    都内に出かけた序に、練馬区立美術館で開催中の「本と絵画の800年吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」に。場所は、西武池袋線中村橋駅前。建材メーカーの吉野石膏の収集品と吉野石膏美術振興財団が有するコレクションより絵画と本との結びつきの観点で選ばれた200点のの展示。西洋絵画では、ピサロ、シャガール、ミレー、マティス、ピカソ、ミロなどの作品、日本絵画では、藤田嗣治、伊藤若冲、横山大観、上村松園、鏑木清方、棟方志功、東山魁夷、安井曾太郎、梅原龍三郎、向井潤吉等の作品。余り混んでなく、久し振りに有名画家の絵画を堪能できた。吉野石膏所蔵の絵画コレクション(練馬区立美術館)(2023/3/4)

  • 東海道「保土ヶ谷宿」散策(2023/03/02)

    出発は相鉄線「天王町駅」。旧東海道を少し江戸方向に戻り、「江戸方見附跡」から。商店街の駐車場の脇に看板のみ。ここが保土ヶ谷宿の始まり、大名等が通過するときには、宿場の名主等が御出迎え、お見送り等を行った場所。次に訪れたのは、「橘樹(たちばな)神社」。江戸時代には、牛頭(ごず)天王社といい、天王町名の由来の神社。何故か大正時代に現在の名前になったとのこと。再び天王町駅を抜けて、駅前公園の「旧帷子(かたびら)橋跡」に。広重の浮世絵にも描かれた場所。この後、道に迷いながら、東海道と相洲道の交差点に建つ庚申塔や、神明社や宿場町のお寺を訪ねて、保土ヶ谷宿の中心部へ。JR保土谷駅近くを抜けると、「問屋場跡」や、金沢や鎌倉への分岐点に残る「道案内の石碑4基」。中に、保土ヶ谷に住んだ俳人の句によって梅林への道案内があり、...東海道「保土ヶ谷宿」散策(2023/03/02)

  • トビリシ(ジョージアの首都)で見かけた教会(クレヨン画)

    コロナ前、最後の海外旅行で訪れたジョージアの首都トビリシで見かけた教会。民族紛争の絶えないコーカサスだが、訪れた時期は、ロシアによる南オセチア紛争と、今のウクライナ紛争間の比較的平和な時。市内には歴史的建造物が数多く見ることが出来、十分な市内観光はできなかったので、チャンスがあればもう一度ゆっくり訪れたい街。(オイルパステル画)トビリシ(ジョージアの首都)で見かけた教会(クレヨン画)

  • アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)

    アシヌ教会は海岸から離れた山岳地帯に点在する世界文化遺産の修道院群の一つである。この修道院の近くには集落は見当たらない寂しい場所にポツンと残っているような感じだった。内部には、この地域の他の修道院同様に、イコンやフレスコ画が飾られていた。地域の住民が大事に守ってきた結果だろうと想像できた。(パステル画)アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)

  • 川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)

    川崎市中部長尾地区の歴史遺跡の散策に出かけた。スタートは、JR南武線久地駅。最初の場所は、駅から南東方向の丘の上にある「東高根森林公園」。グーグルマップの経路案内を活用しているのだが、近隣の人しか知らない自転車も通れないような狭い道などで案内してくれる。今回も狭い階段や市営墓地内の通路を示してくれた。今回、案内を信頼せず勘に頼った結果、川崎市立緑ヶ丘霊園内をウロウロ、親切な人に道を教えて頂き何とか森林公園に到着。<<東高根森林公園>>住宅団地として整備のためう土地調査をすると、この辺りは弥生時代から古墳時代の複合遺跡であることがわかり、団地としてでなく県立公園として整備されたとのこと。公園内には、古代植物園・湿性植物園・自然観察広場などが整備。公園北口近くの「古代芝生広場」で、3世紀から6世紀の集落が発見...川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)

  • 聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)

    キプロス島中央部オリンポス山近くの山岳地帯に散在する世界文化遺産の教会群の一つ。色んな国の侵略を受けてきた歴史を持つこの島では、危険な海岸戦から離れた山の中に暮らしてきた当時の教会でフレスコ画が多く残されていた。(オイルパステル画)聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)

  • 川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その2(2023/2/9)

    六郷の渡し跡から多摩川右岸の土手を下って行ったが、江戸町民が川崎大師を参詣した道(大師道)は、時々見える京急大師線の線路向こう。寒風が強いが歩いていると寒さをそれ程感じなかった。この辺りは高層マンションが多い。<<川崎河港水門>>川崎市川崎区を縦横に走る大運河計画の一環として昭和初期に造られた国内最初の河港水門。残念ながら完成後15年にして大運河計画は廃止された。近代化遺産・国の登録有形文化財に指定されている。水門の最上部は川崎市の名産品梨・葡萄・桃の装飾がある。<<若宮八幡宮・金山神社>>川崎河港水門から工場街を抜けて若宮八幡宮へ移動。境内中央に若宮八幡宮の本殿。右に幼稚園。左側に、藤森稲荷神社、絵馬殿、大師河原酒合戦350年記念碑(17世紀中頃この辺りで行われた酒量を競う酒合戦。有名な酒合戦の一つらし...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その2(2023/2/9)

  • 川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その1(2023/2/9)

    30年近く通った川崎だが、勤務地と川崎駅の往復と駅周辺を歩いた程度で終わった。今回、改めて「川崎宿」と「川崎大師(平間寺)周辺」を歩いた。先ず、25年前とは全く変貌した「JR川崎駅前」を出発し、川崎宿の西側から。<<教安寺>>川崎宿の西の外れに近い場所の寺。江戸時代流行した富士講所縁の寺のようで、山門の左手に「宿内安全」「天下泰平」を祈願して、川崎宿内の富士講中が建立した灯篭があった。この後、細々と川崎宿のPR掲示が見られる「ひさご通り」を北上。<<宗三寺と一行寺>>京浜急行川崎駅のすぐ傍にある寺で、この辺りが、川崎宿の本陣や問屋場(といやば)の集まる宿の中心地であったとのこと。宗三寺には、残念ながら見つけられなかったが。川崎宿の遊女の供養塔があるとのこと。一行寺は、「おえんまさま」の名で親しまれ、戦前は...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その1(2023/2/9)

  • 世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2) - 2023/02/03(Fri)

    この日の散策スタートは、小田急線喜多見駅から。駅前の商店街から住宅街に入ると右手に小さな祠。グーグルマップによれば「喜多見郷石塔石仏群」とある。説明板により、神社などで時々見かけるものが、「念仏車」というものであり、何のためのものか初めて知った。念仏を唱えながら一回まわすと、お経一巻読んだと同じ効果があるとされ、主に女性に使われたとのこと。<<喜多見氷川神社>>旧喜多見村の鎮守府であり、江戸時代に短い期間存在した「喜多見藩」所縁の神社。参道に残る小さな鳥居は、17世紀中頃喜多見氏によって寄進されたものとのこと。<<稲荷塚古墳>>途中、偶然見かけた古墳。説明文によれば、直径13m、高さ2.5mの円墳で周囲に幅2.5mの周溝が巡っていたとある。横穴式の石室内から、太刀・鉄鏃(やじり)・耳環、玉類、土師器須恵器...世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2)-2023/02/03(Fri)

  • ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)

    コーカサス地方アルメニア共和国で、最も美しく壮麗な修道院の一つと言われ10世紀に創設された世界遺産の”ハフパット修道院”。最盛期には500人近い修道僧がいたとのことで、異教徒の襲撃から聖書等を守るために一見葡萄酒造りの壺に見える中に隠した跡等も見られた。周辺には民家も少なく今は静かな山の中。ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)

  • 玉縄城址とその関連史跡の歴史散策(2023/1/26)

    16世紀初頭、北条早雲により関東攻略の拠点・小田原城の支城として築かれた山城である”玉縄城址”に出かけた。今は、女学院の敷地になっているので本丸跡などには近づけないが、近隣にはこの城に関係する神社仏閣が残っているので歩き周ることにした。JR大船駅から右手に大船観音を見ながら柏尾川沿いに歩き始めた。<<玉縄首塚>>柏尾川傍の道路脇に玉縄首塚。16世紀初頭、安房の国の里見軍が海を越えて攻め寄せてきた。この辺りで玉縄城の北条勢と合戦。両軍の戦死者の霊を弔うための塚。<<貞宗(ていそう)寺>>玉縄首塚から西へ1.5㎞ほど歩いて貞宗寺。この寺は、玉縄城との関係はなく、参道の左奥に御霊屋。徳川二代将軍秀忠の祖母貞宗尼が晩年過ごした場所に建てられた寺で、そのお墓が御霊屋。内部に宝篋印塔が安置。<<円光寺>>貞宗寺から歩...玉縄城址とその関連史跡の歴史散策(2023/1/26)

  • アナヌリ教会(ジョージア)(パステル画)

    コーカサスの国ジョージアの首都トビリシからジョージア軍用道路を、登っていくと右手にトビリシの水源のジンヴァリ貯水湖。その奥まった湖畔にあるのが城壁に囲まれたアナヌリ教会。17世紀後半の建造で、城壁に似合わず内部は暖かさを感じる。アナヌリ教会(ジョージア)(パステル画)

  • 東京古城址探索(2)新宿区神楽坂周辺 (2023/01/19)

    都内に残る城址の探索二回目。今回は神楽坂周辺の二か所。<<牛込城址(光照寺)>>JR飯田橋駅から、神楽坂を登り以前訪れた普國寺の先を左折し地蔵坂を上り詰めた辺りが牛込城址。上州からこの地に移り牛込氏と名乗った一族により造られたお城。北条氏滅亡後は徳川家に従った後廃城。城址を想像させる遺構は全く見当たらなきが、小高い丘の上でお城を作るによい場所であることが想像できる。光照寺は、17世紀中頃神田から移ってきたとのこと。境内には、所蔵する文化財などの説明板が多数見られた。そのうち、木造地蔵菩薩坐像(近江の三井寺、江戸の増上寺を経由してこの寺に)は、この辺りの地名「地蔵坂」に利用されている。境内の端に、松山藩(庄内藩の支藩)酒井家の墓が整然と並んでいた。<<筑土城址(筑土八幡神社)>>光照寺から約0.6㎞歩き、階...東京古城址探索(2)新宿区神楽坂周辺(2023/01/19)

  • シエキ(アゼルバイジャン)で見かけた教会(モスク?)(クレヨン画)

    シエキ(アゼルバイジャン)のハーン宮殿の前で見かけた建物。この辺りはイスラム教なのでモスクかと思ったが、ネットではジョージア風のキリスト教会だと紹介されているものもあった。詳細は不明。少し、興味を持った建物。シエキ(アゼルバイジャン)で見かけた教会(モスク?)(クレヨン画)

  • 山種美術館に出かけた(2023/1/11)

    コロナで控えていた美術館訪問。都内に出かけた序に、展示テーマに魅かれて山種美術館に。テーマは「日本の風景を描く」で、浮世絵(広重)、日本画(池大雅、川合玉堂、横山大観、東山魁夷等)、油絵(黒田清輝等)等山種美術館所蔵の風景画が中心。久し振りに大作を堪能できた。海外の美術館ではフラッシュを炊かなければ撮影可なのに、ここを始め国内の美術館では撮影禁止、何故?山種美術館に出かけた(2023/1/11)

  • ジワリ修道院(ジョージア)ー(クレパス画)

    BC4世紀からAC5世紀にイベリア王国(現在のジョージア南東部)の首都だったムツヘタの街(大相撲元大関栃ノ心の出身地)の近く、丘の上にある6世紀に建てられた教会。名称を直訳すると、”十字架の修道院”。上から見ると、十字架の形をしているとのこと。この場所からは、眼下のムツヘタの街の眺望がすばらしい。ジワリ修道院(ジョージア)ー(クレパス画)

  • アナヌリ教会(ジョージア)

    ジョージアの首都トビリシからジョージア軍用道路(18世紀帝政ロシアが建設、ロシアとコーカサスを結ぶ山岳道路)を登っていくと、トビリシの水源地ジンヴァリ貯水湖傍にある「アナヌリ教会」。17世紀後半に建てられた二つの教会で構成されているとのことだが、砦のような感じの建物構成。(パステル画)アナヌリ教会(ジョージア)

  • 鎌倉腰越地区寺社散策(2023年1月5日)

    新年最初の散策の場所として鎌倉腰越地区の寺社に出かけた。行程は、江ノ電江の島駅から、龍口寺とその関連の寺(片瀬龍口寺輪番ハヵ寺)三か所、鎌倉に入ることを禁じられた義経が滞在した寺、鎌倉攻めで新田義貞が戦勝祈願した神社などを巡った後、江ノ電腰越駅まで。<<瀧口寺>>江の島駅から出た電車が一般道を走り始める場所に、山門のある日蓮宗のお寺で、今回訪れた中では一番大きなお寺。階段を上がると本堂の裏右手に明治時代創建の五重塔が見えた。本堂の左の階段を登った先に純白の仏舎利塔。この辺りの樹の間から江の島、相模湾が望めた。<<法源寺>>瀧口寺横の坂道を登った先、左手に”法源寺・ぼたもち寺”の表示がある石塔。私道の坂を登りきったところに広場と本堂等の建物。山門等も見当たらないあっさりとした感じで、「竜の口処刑場」跡に建つ...鎌倉腰越地区寺社散策(2023年1月5日)

  • セバン修道院(アルメニア)(クレヨン・クレパスで着色)

    2019年5月に訪れたアルメニア共和国セバン湖畔の丘の上に建つセバン修道院。対岸の山脈はアゼルバイジャンとの国境。セバン湖は標高1900mで、広さは琵琶湖の二倍。この丘の上には、二つの修道院(9世紀建造)とハチュカル(十字架が刻まれた石)が並べられていた。セバン修道院(アルメニア)(クレヨン・クレパスで着色)

  • 大アララット山とホルヴィラップ修道院(色鉛筆画)

    久し振りの写生、と言っても以前撮った写真をもとに書いたもの。2019年5月に訪れた旧ソ連圏の国アルメニアの首都エレバン郊外。この国の国民の心の拠り所だが今はトルコ領、ノアの箱舟が辿りついたとされているアララット山。この国は世界で初めてキリスト教が国教となっただけに、歴史ある修道院が多く、このホルヴィラップ修道院もその一つ。大アララット山とホルヴィラップ修道院(色鉛筆画)

  • 東京古城址探索(1)都内城北地域(2022/12/09)

    海外を含む遠距離旅行を自粛中なので、近隣の名所(?)旧跡を探り歩いている。今回は、都内に残る古城址の探索。一回目としてはあ、城北の三か所。<<葛西城址(現在:葛西城址公園・御殿山公園)場所は京成本線青砥駅から北へ約1.1㎞、環状七号線が日光街道と交わる手前で、環七に区切られた、左手の御殿山公園、右手の葛西城址公園。説明板等は、御殿山公園内に見られた。中川の沖積微高地上に築かれた平城で、築造者・築造年代は不明だが、16世紀中頃に北条氏により落城との記録があり、その後北条氏の城となるも、江戸時代には幕府鷹狩りの休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていたようだ。<<稲付城址(現在:静勝寺)>>JR赤羽駅から徒歩5分ほどの高台。16世紀中頃、江戸城と岩槻城(埼玉県)の中継地点として太田道灌が築城。三方を丘陵に囲ま...東京古城址探索(1)都内城北地域(2022/12/09)

  • 神奈川名所旧跡探索:伊勢原市北部(2022/12/8)

    神奈川県内の名所(?)古跡を歩き周っている。今回は、伊勢原市の大山阿夫利神社に向かう途中にある太田道灌絡みの旧跡等。小田急線伊勢原駅から大山ケーブル駅行きのバスに乗車、途中「石倉橋」で下車。ここからなだらかな下り方向に散策開始。<<御領原古墳群>>石倉橋交差点を左折した辺りが古墳群の場所。東名高速道などの建設で存在が確認された古墳群の様だが詳細は不明。Gogleマップで示された場所には案内板も見つけられず。住宅につながる私道(?)の傍に小さな円墳の様な塚を見つけたのみ。<<上粕屋神社>>室町時代にこの辺り治めていた上杉家の鎮守であった神社で、この神社の裏手には上杉館の空堀と言われている窪地が見られた。上杉館は、この場所から坂を上がった産業能率大学構内のようで近づけない。銀杏の紅葉(?)が綺麗な境内。<<七...神奈川名所旧跡探索:伊勢原市北部(2022/12/8)

  • 神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24) ーその2

    引き続き茅ヶ崎西部地区歴史散策。<<鶴嶺八幡宮>>龍前院側から訪れたが、松並木の参道は旧東海道(現在の国道一号線)から約1㎞南北に敷かれている。境内には色んな神社やご利益が予想される仕組みが準備されており、当に各種願いにご利益のある施設となっている。<<旧相模川橋脚>>関東大震災の際に液状化現象により太い(直径50㎝程度)柱状材が出現した。これは鎌倉時代に相模川に掛けられた橋脚の一部とのことで、現在は公園として整備されている。源頼朝は、この橋の落成式に参加した帰り道に落馬したことが原因でその後死亡したと言われている場所でもある。<<御霊神社>>旧相模川橋脚から南東方向に1.2㎞の場所にあるのが源義経を祀る「御霊神社」。途中、旧東海道(現在の国道一号線)に鶴嶺八幡宮参道の入口の大鳥居や、鳥井戸橋では、安藤広...神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24)ーその2

  • 神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24) ーその1

    今回は、茅ヶ崎市西部地区の歴史探訪。この地域は相模川やその支流の氾濫原や中洲等の入り組んだ場所で、保元の乱で活躍した大庭一族やそこから派生した鎌倉時代の武士が活躍した場所で、初期鎌倉時代に関わる場所が多数みられる。散策は、JR相模線北茅ヶ崎駅から開始。<<輪光寺>>北茅ヶ崎駅から北へ1.5㎞歩いた場所にあるお寺。境内の庚申塔は市内で最古で県内でも形の崩れが非常に少ない綺麗なものとのこと。又何故か境内に昔校庭にあった二宮金次郎の像が見られた。二宮金次郎の像はこの後訪れた宝生寺でもあった。両者ともに比較的綺麗だったが、どんな意味があるのだろうか?<<神明大神宮>>大きな銀杏の樹の紅葉が眩しい神社。本殿の裏に大庭景義の館跡の碑(懐嶋城址)と立像が人目を忍ぶように建っていた。京都に向かう源頼朝が最初の夜をこの館で...神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24)ーその1

  • 神奈川歴史散歩(2)豊受大神(海老名市)

    海老名市南東部、東名海老名SA近くの神社、創建年代は不明だが江戸時代には近隣の村落の鎮守。神輿殿には江戸時代後期に描かれた絵馬3点が飾られている。神奈川歴史散歩(2)豊受大神(海老名市)

  • 神奈川歴史散歩(1)大谷観音(海老名市)

    相模川の左岸段丘に背を向けた位置にある大谷観音(摩尼山清眼寺)。境内には、「かながわの名木百選」に選ばれた「相生の榧(かや)」や「笑う閻魔様」の閻魔堂、古くから言い伝えられている「麻尼山の七不思議」等、地域に根ざした信仰の場所。入口近くには朽ち果てた大木を利用した「立木観音」像が見られたが、最近危険防止からか伐採されていたのは残念。(色鉛筆画)神奈川歴史散歩(1)大谷観音(海老名市)

  • 大悲願寺(あきる野市)

    JR五日市線終点武蔵五日市駅と武蔵増戸駅のほぼ中間、秋川渓谷の上部にある寺で、12世紀末源頼朝の命を受け平山季重が醍醐寺の僧を招いて開いたと伝えられる寺院。2021年10月東京古寺探訪の一環で訪れた古刹の中門(朱雀門)。大悲願寺(あきる野市)

  • 海老名市内旧跡巡り(町内会ウオーキング)(2022/11/13)

    経路は、海老名市河原口自治会館→横須賀水道路→東名海老名SA(エクスパーサ)→妙元寺→大谷観音→三太夫霊堂→自治会館。<<横須賀水道路>>戦前、軍港横須賀への飲料水などの供給のための水道管が通った場所。愛川町から横須賀まで53㎞を高低差のみで水を運んだ水道だが、2007年に廃止された。現在は遊歩道として利用。座間丘陵を削って管を埋設した切通しや、遊歩道わきの道標が名残。<<妙元寺>>14世紀初頭、池上本門寺の僧によって開山。そのため「相模の本門寺」と呼ばれ、「相模の七福神」の大黒天が祀られている古刹。2008年10月に一度参詣したことがあるが、その時は無かった「大黒天像」が境内に、新たに造られていた。<<大谷観音堂>>鎌倉時代建立の観音堂。隣に「笑う閻魔様」の閻魔堂と、境内には神奈川の名木100選」の「相...海老名市内旧跡巡り(町内会ウオーキング)(2022/11/13)

  • 神奈川歴史散策 寒川と茅ヶ崎東部(2022/11/10)

    JR相模線寒川駅から散策を開始。寒川駅では目立たぬ程度に”梶原景時の街”を標榜する小さな看板が目についた。<<梶原景時館跡>>駅から南西方向に約1㎞歩くと、小さな神社の”一之宮天満宮”、ここが梶原景時の館跡。狭い境内に小さな祠の神社には、カラフルな遊具、近隣の子供たちの遊び場。神社前を走る大山街道沿いの梶原景時の歴史理解に有効と思われる大きな掲示板の裏手に、”梶原一族郎党(七士)の墓”。墓近くの水路は館の内堀の名残とのこと。<<西片貝塚跡>>相模湾から約5㎞離れた相模野台地南西端にあるのが西片貝塚跡。縄文時代前期(6~7千年前)には、この辺りまで海が迫っていたとのことで、縄文土器・石器等も出土とのこと。説明板の前の道路は、この後訪れる淨見寺が大岡越前家の菩提寺であることから”大岡越前通り”と名付けられてい...神奈川歴史散策寒川と茅ヶ崎東部(2022/11/10)

  • 神奈川県歴史散歩 平塚市(2)平塚宿(2022/11/4)

    四之宮地区散策の跡、近くのバス停から市役所近くまでバス移動し、東海道の平塚宿を散策。<<平塚八幡宮>>平塚市の中心街・市役所傍に鬱蒼とした森の中が平塚八幡宮。七五三の時期なので子供連れの参拝客が多数で賑わっていた。このお宮は、源頼朝や徳川家康等の時の権力者の崇拝を集めたとのこと。背後の森は進入禁止なのが残念。<<お菊の墓(晴雲寺)>>平塚八幡から東海道(国道一号線)を1㎞ほど下って晴雲寺へ。元々平塚駅近くにあったお菊(平塚宿の役人の娘で、怪談「番町皿屋敷」の主人公)に関わる「お菊塚」が、移されてあるはずだったが、残念ながら見つけることはできなかった。<<要法寺・平塚の塚>>更に東海道を1㎞程下ったところにあるのが要法寺。この寺は、13世紀、日蓮が身延山から江戸の本門寺に向かう途中立ち寄った場所に、日蓮の傾...神奈川県歴史散歩平塚市(2)平塚宿(2022/11/4)

  • 神奈川県歴史散策 平塚市(1)東部地区(2022/11/4)

    今回の神奈川県内歴史古跡散策は平塚市東部と平塚駅周辺の平塚宿。小田急線本厚木駅から神奈中バスで平塚市四之宮地区へ移動後、散策開始。<<高林寺>>この寺の周辺は、奈良時代の遺跡が密集していたようで(遺跡は見当たらなかったが)、貴重な遺物が多数出土したとのこと。奈良正倉院に収められたいるものと酷似しており、新羅から渡来したものと言われている。出土品は平塚市博物館で見ることが出来るとのことだが今回は訪れなかった。参道入口には江戸時代の力士(当地出身で最後に雷電を破った)「江戸ヶ崎」の供養塔があった。<<前鳥(さきとり)神社>>祭神は応神天皇の皇子で、この皇子を祭神としている神社は、京都市の宇治神社・宇治上神社と前鳥神社の三か所とのこと。この皇子は学問の神として信仰されている。境内には、菅原道真や百済の学者を祀っ...神奈川県歴史散策平塚市(1)東部地区(2022/11/4)

  • 東京都日野市普門寺の観音堂

    中央線日野駅近く、普門寺の観音堂。訪れた目的は、古墳時代後期に造られ市内西北部にある七ツ塚古墳の石室の天井石が、境内に運び込まれたという大きな石(八幡石)は、見るためだが、なんとなく魅かれた観音堂。東京都日野市普門寺の観音堂

  • 日蓮・本間氏所縁の神社仏閣散策(2022/10/27)

    厚木市依知地区古墳散策の帰り道、国道249号線金田陸橋傍の、妙純寺・建徳寺・金田神社の散策。この辺りは、海老名氏から分家した本間氏関連の古跡。本間氏からは、山形県酒田市の本間家(山形県酒田市を中心に戦前まで日本最大の地主・豪商で、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇った)が枝分かれしたようだ。<<妙純寺>>鎌倉時代佐渡に配流になった日蓮が佐渡に向かう途中1か月ほど滞在し、様々な奇跡を残した跡に建てられたお寺で、山門前に大きな日蓮像。参道の両脇の土手は、開基の本間氏の館跡の土塁を利用しているとのこと。日蓮が滞在中、夜、月に向かい経を唱えると梅の樹に星が下り井戸の底に落ちたと、言い伝えられている「星の井戸」が残っている。重厚な本堂は、19世紀に火事で失われた後、藤沢の龍口寺...日蓮・本間氏所縁の神社仏閣散策(2022/10/27)

  • 厚木依知地区古墳巡り(2022/10/25)

    厚木市東北部の依知地区の古墳探索に出かけた。中津川と相模川に挟まれたこの地域には、大きくはないが非常に多く(約150墳)の古墳(殆どが円墳か)が作られていたが、道路や宅地開発により多くは見る影もない模様。今回、古墳の形態が残されている場所を選んで出かけた。自宅から約4㎞歩き、依知地区の探索を開始した。<<依知地区130号墳>>住宅街の小さな十字路の南東の角にポツンと円墳のようなものが残っていた。説明板などは見当たらないが比較的丁寧に維持保存されているようだった。興味を持ったのは、すぐ前に、坂東33観音霊場巡りの巡礼道に関わる石標。第5番飯山観音長谷寺と第8番星の谷観音星谷寺を繋ぐ巡礼道の名残と思われる。<<依知地区131号墳>>130号墳から200m離れた場所の畑の中。多分この辺りが墳墓であろうと想像でき...厚木依知地区古墳巡り(2022/10/25)

  • 伊勢原 古跡散策(2022年10月20日)

    行程は、伊勢原駅南口ー(1㎞)→八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)ー(1.5㎞)→岡崎城址(無量寺)ー(1㎞)→大句バス停ー(バス)→伊勢原駅南口ー(1.5km)→丸山城址(高部屋神社・丸山城址公園)ー(0.5km)→石造多宝塔(普済寺)ー(0.5km)→大慈寺・太田道灌の首塚ー(1.4km)→伊勢原駅北口<<八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)>>丘の上の住宅街にある山王塚公園に説明看板だけで遺跡らしいものは見当たらなかった。説明によれば、縄文時代の敷石住居群や、旧石器時代の石器等が発見されたとのこと。遠くに大山の南側山稜越えに富士山が見えた。先史時代の人類も眺めの良い場所に住居を構えたようだ。<<無量寺・岡崎城址>>鎌倉時代の武将岡崎義実(三浦義継の四男)が築城した岡崎城で、北条早雲の猛攻により落城後、...伊勢原古跡散策(2022年10月20日)

  • 高倉塚古墳

    京王線分倍河原駅から歩いて10分の住宅街、多摩川の浸食跡の府中崖線沿いに残る六世紀ごろの円墳。近隣には同様の古墳があったようだが殆ど墳丘は失われているという。高さ2.5mの頂上に上ることができる。よく手入れされた墳丘。お墓が住宅の傍にあるとなんとなく良い気はしないが、古墳となるとこれは別。高倉塚古墳

  • 久地円筒分水 (川崎市)

    多摩川右岸の川崎市を流れる二ヶ領用水の水を下流の各地域へ正確に分けるために昭和初期に造られた分水樋。一見地下から湧き上がってくる水(用水と交差している平瀬川を越えるのにサイホンの原理)が円筒から溢れ出し、円周を等分することで各方向に平等に水を分配する仕組み。国の登録有形文化財。久地円筒分水(川崎市)

  • 広徳寺本堂

    JT五日市線の終点武蔵五日市駅から秋川の対岸の山腹にある広徳寺。紅葉の綺麗さが想像できるお寺だが時期外れ。境内の山門を始めとする建物は茅葺屋根で趣があった。広徳寺本堂

  • 広徳寺(東京都あきる野市)の本堂

    JR五日市線の終点五日市駅から一旦秋川岸まで下り小和田橋を渡り、対岸の山途中にあるのが広徳寺。距離的には大したことはないが、渓谷の下り上りは大変。それだけ苦労しても見る価値のある古刹だった。訪れたのは10月中旬、もう半月後なら銀杏が綺麗だったと思う。(詳細はhttps://68449813.at.webry.info/202110/article_4.html?1656391817)山門、本堂ともに茅葺で、静寂の中何とも言えない感覚。広徳寺(東京都あきる野市)の本堂

  • 本町田遺跡公園

    近隣の古代遺跡巡りで訪問した本町田遺跡公園の再現された竪穴式住居(参考https://68449813.at.webry.info/202111/article_1.html)。小田急線玉川学園駅から西方向に歩いて25分の高台にある公園。傍の市立博物館は閉館していた(残念)。本町田遺跡公園

  • 長命寺南大門

    都内練馬区高野台にある17世紀創建の古刹長命寺の南大門。この寺には高野山に倣った奥之院もあり、江戸名所絵図に「新高野また東高野山ともいえり」の記述がある。南大門に向かって右、駐車場に隠れた場所に17世紀建立の仁王門が見どころ。長命寺南大門

  • 塩船観音寺の山門(仁王門)

    都下青梅市にあるツツジで有名なお寺。茅葺屋根の薬師堂・重要文化財の本堂など風情あるお寺。山門は12世紀の建立で左右の金剛力士像は運慶作とのこと。塩船観音寺の山門(仁王門)

  • 相模湾を見下ろすミカン園

    石垣山城址の帰り道、早川駅に下っていく途中に見かけたミカン園の建物。相模湾を見下ろすミカン園

  • 千光寺(神奈川県厚木市)の本堂

    厚木市飯山にあるお寺。近くの古墳などの史跡散策中に出会ったお寺。ネットで調べると、9世紀初めに弘法大師により開基と言い伝え。有名な尾道の千光寺開基の一年後に相当する。相当な古刹のようだ。千光寺(神奈川県厚木市)の本堂

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