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2014/09/29

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  • 桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)

    桜と神社仏閣を訪ねる二泊三日の京都旅行に出掛けた。初日は「「嵐山周辺(嵐電桜のトンネル、嵐山公園等)」と「教王護国寺(東寺)の夜間特別拝観(夜桜)」。嵐山周辺は相変わらず、和服姿の外国人等で溢れていたが、東寺は比較的外人は少ない印象。東寺の「夜桜と五重塔」、講堂の「立体曼荼羅」は、圧巻。二日目午前中に、洛北の「原谷苑」と山科の「毘沙門堂」、午後は、再び洛北に戻り、「二条城」から「北野天満宮・平野神社」、序に「旧京都府庁舎」を回った。二条城では、観光客の9割以上は外国人の様だ。三日目は、醍醐寺周辺のお寺散策(「勸修寺」・「随心院」と「醍醐寺」)、最後は、帰りの新幹線の待ち時間を利用した京都駅近く、東本願寺の庭園である「渉成園(枳殻亭)」の散策で終了。一日目は時々小雨、二日目は曇り、三日目は晴れと先ず先ずの天...桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)

  • 歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)

    鎌倉幕府御家人「畠山重忠」終焉の地である相模鉄道霧ヶ峰駅周辺には、重忠最後に関わる史跡が多い。今回はその遺跡を巡った。経路は、相模鉄道霧ヶ峰駅から、「首塚」→「重忠公碑・古戦場跡」→「薬王寺・六つ塚」→「駕籠塚」→「重忠公硯水の跡」、約3㎞の行程。最後は帰り道で見かけた江戸時代の仏塔。歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)

  • 歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)

    今回の歴史散歩は、曇り空が少々気になったが、「横浜の富士塚巡り」に出かけた。経路は、相模鉄道西谷駅から西谷富士(富士山神社)、西谷駅に戻り羽沢横浜国大前駅へ移動。堅老神塔・大田道灌所縁の硯松等を途中見て、住宅街の「羽沢富士」へ。この後、上り下りの約2㎞歩いて最勝寺傍の「熊野堂富士」へ。危なっかしい熊野堂登山道を下り最勝寺見学の後、バスで横浜駅に移動。横浜駅西口から、富士山(芝生富士)に見立てた丘の上の浅間神社へ。この後、相模鉄道平沼駅まで歩き、この日前半の歴史散歩は終了。後半は相模鉄道霧ヶ峰駅周辺の歴史散歩。歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)

  • 歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)

    府中市には、国内最大・最古の上円下方墳である「武蔵府中熊野神社古墳」を代表とする多数の古墳群、1900年の歴史を持つ「大國魂神社」、奈良時代から平安時代中期までおかれていた「国府(国衙)跡」、鎌倉時代末の合戦跡、甲州街道の宿場(府中宿)等歴史的な遺跡が多く、比較的狭い範囲に集まっている街。今回、南武線・京王線分倍河原駅周辺の史跡の歴史散歩に出かけた。経路と主な立ち寄り先は、京王線多磨霊園前駅から「常久一里塚」→「武蔵国府八幡宮」→「大國魂神社」→「武蔵国府跡」→「府中高札場跡」→「善明寺」→「高安寺」→「首塚古墳と天王塚古墳」→「分倍河原古戦場碑」→「三千人塚」→「坪宮」→「国司館と家康御殿史跡跡広場と府中御殿井戸跡」→南武線府中本町駅まで、約10㎞の行程。分倍河原駅前は50年以上前に、新婚時代にアパート...歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)

  • 歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)

    今回の歴史散歩は常磐線沿い、六ケ所の富士塚巡りと、途中で見かけた歴史を感じさせる遺物の探索。経路は、常磐線綾瀬駅→綾瀬富士(綾瀬稲荷神社)→綾瀬駅→金町駅→飯塚富士(飯塚富士神社)→金町富士(葛西神社)→金町駅→北千住駅→千住宿・安養院→大川富士(氷川神社)→千住富士(千住神社)→慈眼寺・一里塚跡→富士塚(柳原稲荷神社)→十一面観世音堂→京成関屋駅予定では12㎞程の距離だが、相変わらず道に迷ったり寄り道をしたりで、約15㎞、2万歩ほど。歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)

  • 歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)

    今回は、小田急線町田駅北西・本町田地区の鎌倉街道沿周辺の神社仏閣と、駅南東・原町田地区の石器時代遺跡・七福神・版画美術館等を訪ねる散策。経路は、町田駅からバス移動→「養運寺」→「宏善寺」→「菅原神社(井出の沢の碑)」→バス移動で町田駅に戻り→カリヨン広場・「「絹の道」の碑」→「淨運寺(町田七福神の毘沙門天)」→「商工会議所前の福禄寿」→「勝楽寺(寿老人)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(牢場遺跡)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」→「芹ヶ谷公園・町田市立国際版画美術館」→「母智丘神社(弁財天)」→町田駅近くの「馬頭観世音」で本日の散策終了。歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)

  • 歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)

    今回の歴史散歩は、江戸川区と江東区の「富士塚」巡り。江戸川区には富士塚が15カ所と非常に多く残っているが、多くの塚が明治以降に造られたものの様だ。何れも小振りで高さも、4m以下。今回唯一の江東区の「砂町の富士塚」は、江戸時代後期に造られたもので、今回のなかではいちばんの大型。歩いた経路は、都営新宿線瑞江駅→豊田神社(下鎌田の富士塚)→上今井香取神社(今井富士)→日枝神社(船堀の富士塚)→桑川神社(桑川の富士塚)→香取神社(長島の富士塚)→天祖神社(中割の富士塚)→東西線葛西駅→南砂町駅→富賀岡八幡宮(砂町の富士塚)→南砂町駅まで。途中に見られた不動尊、神社仏閣等の歴史遺物を楽しみながら歩いた約10㎞。歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)

  • 歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)

    東京・神奈川の「富士塚」巡りを再開。先ず、東武伊勢崎線沿いの富士塚から。経路は、東武線谷塚駅→富士浅間神社・小御嶽神社(瀬崎富士)→県境の毛長川を渡り→花畑浅間神社(花畑富士)→花畑記念庭園桜花亭→保木間氷川神社(保木間富士)→旧日光街道→島根鷲神社(島根富士)→将軍家御成橋・御成道松並木跡→徳川将軍日光墓参途中立ち寄った「国土安穏寺」→小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)→西新井駅→五反野駅→西ノ宮稲荷神社五反野駅。この地域の、富士塚は、比較的近い昔に造られたものが多く、全体的に小振り。計画した歩行距離は8㎞程の筈だが、道に迷ったりして遠回りをしたので、歩数的には10㎞以上歩いたと万歩計の数値。暖冬の影響か、春一番の強風下、気温20度近く、疲れた散策だった。歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)

  • 「カナガワ り・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)

    神奈川の伝統文化の継承を目的に、海老名市文化会館で開催された「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛け、地域の古典芸能を満喫。内容は、1.海老名市の大谷地区で江戸時代から続く「大谷歌舞伎」内容は、「御所桜堀川夜討」の三段目「弁慶上使」。弁慶生涯一度の一度の恋を描いた義太夫狂言(らしい)。一旦途絶えたものが、戦後復員青年によって復活させられ、今も大谷八幡宮の祭典などで上演されているとのこと。本格的な歌舞伎に見えた。2.高校生による創作ダンス:少々ついていけない。3.湯河原町吉浜地区素鷲神社に伝わる「吉浜鹿島踊り」元は茨城鹿島神宮の芸能だったが、伊豆半島東岸の石材・木材運搬の海上安全や、疫病送り払い、大漁豊作を祈る呪芸とのこと。4.山北町共和地区に伝承されている「山北のお峰入り」700年前から伝承の民...「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)

  • 「あたみ桜」(2024/2/7)

    伊東温泉一泊旅行の帰りに、来宮駅で下車し糸川遊歩道の早咲き桜「あたみ桜」を楽しんだ。「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人が熱海に伝えたとのことで、1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類が形成されるので、開花期間が長く、ソメイヨシノ等が1~2週間で散ってしまうのに、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるとのこと。途中、あたみ桜に交じって、真っ赤に咲いた花を見つけた、後で調べるとブーゲンビリアとのこと。約300mの遊歩道を下った後、海岸遊歩道を散策。最後の、海岸から熱海駅までの急坂には参った。「あたみ桜」(2024/2/7)

  • 歴史散歩 秦野古跡巡り(2024/1/30)

    秦野市内で未訪の古跡を、奥津国道美術館見学の序に巡った。順路は、秦野駅→(バス利用)→<御嶽神社・八坂神社>→<出雲大社相模分祀>→国道246号線を歩き→<曾屋神社・護国神社>→奥津国道美術館→(バス利用)→秦野駅→<岐神(ふなとのかみ)庚申塔>→<今泉名水桜公園>→<太岳院>→<弘法の清水>→秦野駅今回の散策で興味を持ったのは、「名水」と「岐神(ふなと(くなど)のかみ)の道祖神」。秦野は名水の里としても知られており、名水に関係する場所が多い。又、秦野駅南側の今泉地区では、昔男子の生まれることが少なかったので男子が授かるように祈願して祀ったという岐神が祀れていた。<岐の神(ふなと、くなどかみ)とは、ネットから>岐神とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時、投げ捨て...歴史散歩秦野古跡巡り(2024/1/30)

  • 奥津国道美術館(2024/1/30)

    秦野市(神奈川県)の古跡巡りの途中で訪れた美術館。ネットで偶然見つけたが、多くの水彩画が展示されていると知り興味を持っていた。秦野市郊外の”くずは峡谷公園”の外れに、カフェが主体(?)のこじんまりとした美術館。散策途中の小休憩だった。奥津国道美術館(2024/1/30)

  • 法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)

    越中五箇山から移築されたの‘合掌造り‘の古民家を含めて多くの古民家が点在する料亭で会食。料理も良かったが、古民家に癒された半日だった。法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)

  • 歴史散歩 神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)

    今回の歴史散歩は、相模国二ノ宮「川匂神社」のある二宮町の古跡巡り。経路は、東海道線二宮駅→旧東海道を<押切坂一里塚跡>まで→薬師堂→密巖院→<面光寺>→<川匂神社>(頼朝が妻北条政子の安産祈願した神社)→吾妻山公園梅沢登り口→<吾妻神社>(祭神は、日本武尊と弟橘媛命(おとたちばなひめ))→<吾妻山公園>→<曽我兄弟の墓>(記録では17世紀末に再建されたものとのこと)→<知足寺>→堂面バス停から秦野駅まで。大体は平坦な行程だが、吾妻山公園梅沢口から吾妻神社への登り道は、非常に急で険しく、歳を感じざるを得ない厳しい道だった。歩行距離は今回も約10㎞。歴史散歩神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)

  • 歴史散歩 箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)

    本年最初の歴史散歩は、箱根町から小田原市を箱根登山鉄道沿いに。特に箱根湯本駅、風祭駅、箱根板橋駅周辺。入生田駅近くにも紹太寺(しょうだいじ)等もあるが、以前訪れたことがあるので今回はパス。経路は、箱根湯本駅→町立郷土資料館(残念ながら休館日)→旧東海道上り坂→「白山神社」→「早雲寺」→箱根湯本街中→箱根湯本駅→電車で風祭駅→「一里塚」→「宝泉寺」→「万松院」→「日蓮上人思親の地」→「宗福院地蔵堂(板橋地蔵尊)」→「秋葉山量覚院」→「松永記念館」→「香林寺」→旧東海道(旧家内野邸)→箱根板橋駅約10㎞強の行程。この辺りは、大部分が小田原北条氏関連の寺社が大部分。歴史散歩箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)

  • 相模の一宮「寒川神社」に初詣 (2024/01/08)

    我が家から相模国の一宮「寒川神社」までは約10㎞の距離。少々遠回りだが、相模川左岸のサイクリング道路を歩くことにした。サイクリング道路は、JR相模線厚木駅近くから倉見駅近くまでは整備され、天候にも恵まれ、右手に大山・富士山を眺めながら歩いた。お正月も八日だが休日のせいか、多くの参拝客。帰りは電車で往復4時間の行程。相模の一宮「寒川神社」に初詣(2024/01/08)

  • 御神木に縋りつく子供?

    子供が”まとわりついて眠っている”ように見えた御神木(大磯町西部の六所神社)の根本。面白い!!御神木に縋りつく子供?

  • 歴史散歩 「東海道大磯宿」(2023/12/28)

    今年最後の歴史散歩は、「東海道大磯宿」。大磯駅の東側の、朝鮮半島からの渡来人に関係すると思われる「高来神社」や大磯宿関連の「化粧(けわい)坂の一里塚・松並木」・「江戸見附跡」等は以前歩いたことがあるので、今回は大磯駅の西側を歩いた。出発は大磯駅からで、主な立ち寄り場所は、大磯駅→妙輪寺→延台寺・虎御石→小島本陣跡・尾上本陣跡→南組問屋場跡・新島襄周縁の地碑→高札場跡→湘南発祥の碑→鴫立庵→島崎藤村旧宅→統監道→松並木→明治記念大磯庭園→宇賀神社・八坂神社→大磯町郷土資料館→県立大磯城山(じょうやま)公園→西長院(中丸身代り地蔵尊)→宝積(ほうしゃく)院→相模国総社六所神社→国府新宿バス停まで。大磯には、宿関連の遺構・建物は残って無く、夫々の施設のあった場所に説明の掲示板が建てられていた。それ以外では、明治...歴史散歩「東海道大磯宿」(2023/12/28)

  • 歴史散歩 大山街道(伊勢原市石倉橋~こま参道) (2023/12/21)

    今回は、「石倉橋バス停」から「こま参道」まで。阿夫利神社下社までは、数年前ケーブルカーと女坂を下ったことがあるので、これで歴史散歩「大山街道」は終了。行程と主な立ち寄り場所は、小田急線伊勢原駅→石倉橋バス停→道標(旧石倉橋)→石倉神社→比々多神社→這子坂・地蔵尊・水神→三の鳥居→ようこその門→阿夫利神社社務局→愛宕滝・愛宕橋・良弁滝・開山堂→豆腐坂・もみじ坂・茶湯寺→こま参道→大山ケーブルバス停→伊勢原駅バス停からは、上り坂の約5㎞。途中休憩なしで、景色等を楽しみながらで約150分の行程。帰りのバスでこの行程は、約15分だった。歴史散歩大山街道(伊勢原市石倉橋~こま参道)(2023/12/21)

  • 歴史散歩 大山街道(赤坂御門跡~三軒茶屋) (2023/12/14)

    今回は、大山街道出発点である赤坂御門跡から、国道246号線(青山通り・玉川通り)を中心に一部脇道に逸れる旧道を巡る約8㎞の行程。経路は、地下鉄半蔵門線永田町駅→「赤坂御門跡」→弁慶堀・弁慶橋→赤坂見附交差点→青山通り(国道246号)から左折「牛鳴坂」→青山通り→「梅窓院」→「善光寺」→国連大学・青山学院前→「宮益坂」・「御嶽神社」→渋谷駅→道玄坂→玉川通り(国道246号)→大山近くを除いて街道で一番の急坂「大坂」→「氷川神社・目黒富士浅間社」→大橋(目黒川)→池尻の旧道→「池尻庚申堂」→「池尻稲荷神社」→三宿交差点経由して三軒茶屋交差点まで比較的分かり易い行程で、道に迷うことは無かった。これで大山道の約9割を走破したことになる。歴史散歩大山街道(赤坂御門跡~三軒茶屋)(2023/12/14)

  • 歴史散歩 「大山街道(愛甲石田~長倉橋)(2023年12月7日)

    今回は、小田急線愛甲石田駅から伊勢原市の長倉橋まで。今回歩く伊勢原市内は数年前、熊が目撃された場所なので少々気にはなったが、今年は目撃報道が無いので出かけることにした。経路と主な立ち寄り場所は、愛甲石田駅→「浄心寺」→石田交差点傍「道祖神」→「長龍寺」→「小金塚神社」→「道祖神」→成瀬小学校裏の「白金地蔵」→歌川橋→第二東名高速下→旧粕屋宿→「普済寺」→「高部屋神社」→下糟屋交差点傍の「庚申塔」→東海大学附属病院下→「咳止地蔵」→市米橋(渋田川)→「三軒茶屋」→東名高速道路傍「〆引の道標」→「千石堰用水」→」三所石橋供養塔」→「台の道標」→石倉橋バス停まで、約7㎞、3時間強の行程。天気は快晴で少々気温が高かったが適当に風が強くて歩きやすかった。更に、比較的適当に案内板が設置されており道を間違えることは無か...歴史散歩「大山街道(愛甲石田~長倉橋)(2023年12月7日)

  • 歴史散歩 大山街道(海老名~愛甲石田)(2023/11/30)

    大山街道歴史散歩、八回目は、海老名から相模川を渡って厚木市内を南下、小田急小田原線愛甲石田駅までの約8㎞、4時間の行程。経路と主な寄り道場所等は、海老名側「渡船場跡(護岸工事中)」→あゆみ橋→「厚木渡船場跡」→旧厚木宿(「鳥山藩陣屋跡」・「厚木神社」・「万年屋跡」)→小田急小田原線ガード→宝安寺→「最勝寺」→「熊野神社」→「智音寺」→ソニーテクノロジーセンター前→「平塚街道碑」→「三嶋神社」→「永昌寺」→東名高速道路ガード→「長徳寺」→「法徳寺」→岡田用水路・「道祖神」→石造物のある三叉路→「酒井寅薬師」→「法雲寺」→岡田交差点→酒井前田交差点(国道129号線)→新宿(しんしゅく)橋・「道祖神」→「稲荷祠」→道端に道標等の石造物→小田原厚木道路のガード→玉川橋・「愛甲宿の道標(庚申塔)」→「大厳寺」→「円...歴史散歩大山街道(海老名~愛甲石田)(2023/11/30)

  • 綿屋(元 旅籠)(2023/11/24)

    東急田園都市線江田駅から青菜台駅に向けて大山街道を歩いているとき見かけた何か興味を引いた建物。大山道が日野往還と交差する十字路近くに残る「綿屋」という旅籠の今。この辺りは、竹の下下宿だったとのこと。(水彩画)綿屋(元旅籠)(2023/11/24)

  • 歴史散歩 大山街道(鶴間~海老名)(2023/11/22)

    大山街道の歴史散歩、今回は小田急線鶴間駅から海老名駅までの約10km。道筋は大和市から海老名市・綾瀬市・座間市の境界線を歩き、海老名市中央部に繋がる大山道。海老名市までは、これといった歴史的遺物は見当たらなかった。小田急線鶴間駅→旧国道246号線で「道標」(新しいもの)→大和斎場交差点(ここで、道を間違え遠回り)相模鉄道さがみ野駅前→大塚本町交差点→右折して寄り道:「富士塚・庚申塔」→市道に戻り赤坂バス停傍「不動明王」→渡辺崋山案内板とマンション内に残る「道標」(?「妙法観音像」)→目久尻橋・目久尻川沿い→伊勢山自然公園下→「逆川碑」→国府宿「辻の庚申塔・馬頭観世音」←「相模国国分寺跡・温故館」→大欅(けやき)→海老名駅入口交差点・小田急線高架橋から大山これで、大山道の2/3歩いたことになる。次回は相模川...歴史散歩大山街道(鶴間~海老名)(2023/11/22)

  • 歴史散歩 大山街道(横浜線長津田駅~小田急江ノ島線鶴間駅) (2023年11月16日)

    大山街道、今回は長津田(横浜市)から町田市をかすめて神奈川県大和市鶴間まで、約7㎞の行程。途中道を間違えて戻ったりしてウロチョロしているのでプラス数km。JR横浜線長津田駅→旧街道の面影残す「長坂」→案内所には”そばや”と紹介されているが今は”米粉のパン屋”前→横浜田園都市病院近くの坂道から富士山・大山の眺望→つくしの歩道橋近くで右折して坂を上がり、眺望の良い「馬の背」→横浜・町田境界線近くの「地蔵堂・道祖神」→大ケ谷庚申塔・圓成寺→五貫目道祖神→目黒の交差点・堺川にかかる鶴間橋→阿夫利神社御分霊社・新田義貞関連→下鶴間ふるさと館→不動明王・鶴林寺→地蔵尊・まんじゅう屋跡・坂上厄除地蔵尊→滝山道と大山道の交点→小田急江ノ島線鶴間駅で、この日の歴史散歩は終了。歴史散歩大山街道(横浜線長津田駅~小田急江ノ島線鶴間駅)(2023年11月16日)

  • 歴史散歩:大山街道(江田~長津田)(2023年11月9日)

    歴史散歩、引き続き大山街道。今回は田園都市線江田駅から長津田駅までの約8㎞、途中迷子になりウロチョロしたので、移動距離は10㎞程。経路は、田園都市線江田駅→市ヶ尾小学校近くの「市ヶ尾竹下地蔵堂」→旧日野往還と大山街道が交差する「竹の下下宿」跡に残る旅籠の「綿屋」→大場川(下流は鶴見川)を渡る「川間橋(別名三文橋)」→「医薬神社」→藤が丘駅近くを通り、「再勝橋」から青葉台駅近く→大山街道から外れつつじが丘の住宅街を抜けて「神鳥前川神社」→大山街道に戻り交通量の激しい246号線を歩き片町交差点を右折→JR横浜線のガードを抜けると、「地蔵堂」→長津田宿入口の下宿常夜燈等を集めた石造物群→長津田駅で本日の散歩終了。これで、大山街道の半分程度は歩いたかな。歴史散歩:大山街道(江田~長津田)(2023年11月9日)

  • <歴史散歩>「大山街道」(東急田園都市線梶が谷駅~江田駅) (2023年11月2日)

    引き続き大山街道散策、今回は梶が谷駅から江田駅まで約10㎞。経路は、梶が谷駅→「道標・庚申塔」→梶が谷交差点→「宮崎大塚」(近くに大山街道の迂回路)→宮崎台駅前の「八幡神社と庚申塔」→小台坂(途中から迷って東急鷲沼車庫の傍を抜けて)→鷲沼駅→八幡坂を下って国道246号線→「阿弥陀堂」→この辺り区画整理で大山道消えている。→川崎市宮前区から横浜市都筑区へ→うとう坂・血洗い坂→市営地下鉄あざみ野線の高架橋→「不動滝」→早淵川沿い・鍛冶橋→「荏田宿の庚申堂・常夜燈」→「高札場跡」→右手の民家奥の「荏田城址」の丘を眺めて→江田駅で、この日の散策終了。<歴史散歩>「大山街道」(東急田園都市線梶が谷駅~江田駅)(2023年11月2日)

  • 歴史散歩(大山道:三軒茶屋から二子玉川まで上町・慈眼寺ルート)(2023/10/26)

    大山街道三軒茶屋から二子玉川までは、新旧二つのルートがあり、前回、東京田園都市線に沿った道(「新町・行善寺線」)を歩いたので、今回は最初に設定された「上町・慈眼寺線」を歩いた。経路と主な寄り道場所は、東京田園都市線三軒茶屋駅→世田谷通り→東急世田谷線世田谷駅近くの「大吉寺」「圓光院」→世田谷通りに分かれ、ボロ市通りの「代官屋敷・郷土歴史館」→世田谷線上町駅近くで左折(南下)→「畳屋前の石碑」「大山街道旅人の像」「弦巻4丁目の道標」→「用賀追分」から前回と同じ経路を「延命地蔵」まで→「延命地蔵」で右折して環八通りを越えて→「慈眼寺」「瀬田玉川神社」→「次大夫堀」→終点東急田園都市線二子玉川駅総距離約7㎞とプラス寄り道で約3時間の行程。歴史散歩(大山道:三軒茶屋から二子玉川まで上町・慈眼寺ルート)(2023/10/26)

  • 歴史散歩(大山街道三回目:三軒茶屋から二子の渡しまで(新町線))(2023/10/19)

    大山街道の三軒茶屋から多摩川二子の渡し場までは二つのルートがある。今回は、三軒茶屋で分離し後から造られた現在の国道246号線(世田谷通り)にほぼ沿った新町線を歩いた。東急田園都市線(新玉川線)に沿った道で、出発は三軒茶屋駅から、二子玉川駅近くの二子の渡しまでで、距離は約7㎞+ウロチョロ寄り道分。寄り道の見どころは、三軒茶屋駅傍の「不動尊の道標」→中里通りの「地蔵尊」→世田谷通りと環七交差点近くの「宗円寺」→駒沢大学近くの「庚申堂」→桜新町駅近くの「善養寺」・「サザエさん家族の像」→用賀駅近くの「用賀追分の碑」・「用賀神社」・「真福寺」・「延命地蔵」→二子玉川駅近くの「行善寺」・「法徳寺」→多摩川傍の「二子の渡し碑」等。散歩道は、地下に走るの東急田園都市線の三軒茶屋駅から二子玉川駅までの地上部を歩いたことに歴史散歩(大山街道三回目:三軒茶屋から二子の渡しまで(新町線))(2023/10/19)

  • 歴史散歩(大山街道:二子新地~梶が谷)(2023/10/12)

    今回の歴史散歩は、東京赤坂御門から神奈川県大山までの「大山街道」の神奈川県側の二子新地から梶が谷までの約3㎞。東急田園都市線二子新地駅を出発。多摩川河畔の「二子の渡し」から二子神社・岡本かの子文学碑、二子宿の商店街から、登戸方向に交通量の割には狭い旧大山街道を散策。溝口宿を抜け、JR南武線の踏切を渡り、急坂の「ねもじり坂」を抜け、最後は街道を左折して、東急田園都市線梶が谷駅までで本日の散策終了。歴史散歩(大山街道:二子新地~梶が谷)(2023/10/12)

  • 町内会ウオーキングに参加(2023/10/01)

    毎年恒例の町内会ウオーキングに参加。この会は、海老名市及び近隣の町の古跡などをボランティア団体「海老名タウンガイド」の案内で巡るもので、この街の歴史を知る上で好都合の催し物。今年は、自治会館から東名高速「海老名サービスエリア」までの往復で、途中の歴史遺産などを巡った。<<海源寺>>室町時代、この地の領地争いの際に安房(現在の千葉県)から援軍に来て、そのままこの地を領有することになった武士の菩提寺。18世紀の江戸様式の特徴を残している鐘楼門が興味深い。<<今福薬医門公園>>甲斐武田家滅亡後にこの地に移り住み、農業・酒造・薬種問屋・両替商により財を成した旧家の屋敷跡。江戸時代末期に建てられた薬医門形式の表門等が残っている。<<大谷観音堂>>元は、鎌倉時代に建てられた尼寺の観音堂。本堂左隣には、心正しい人には笑...町内会ウオーキングに参加(2023/10/01)

  • 満月の中秋の名月(2023/9/29)

    昨晩は「満月の中秋の名月」。「中秋の名月」=「満月」とは限らないことを初めて知った。中秋とは、旧暦8月15日のこと。通常は「中秋の名月」と「満月」は1日程度ずれている。次の一致するのは8年後とのこと。満月、昨晩は雲間に見えたが。今朝は雲の間をウロチョロ。満月の中秋の名月(2023/9/29)

  • 旧大山街道長津田宿の散策(2023/9/14)

    少し涼しくなった(?)ので、冬眠ならぬ”夏眠”から目覚め、古きを訪ねる散策を開始。今回は、赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで続く「大山詣」の道であり、且つ東海道の脇往還でもある「大山街道」の「長津田宿」周辺を散策。<<旅人の安全を守った「下宿・上宿の常夜燈」>>JR横浜線長津田駅の前の道を少し歩くと十字路、ここが旧大山街道との接点。この十字路を左に折れると「下宿常夜燈」、左に折れると小高い丘の上に「大石神社」(この傍に「上宿常夜燈」)、直進すると「大林寺」。江戸時代に栄えた長津田宿は、大正時代に寂れ昭和になって大火で宿場町として面影は消えてしまったとのことで、宿としての古民家は残っていないようだ。常夜燈は街道の宿の出入り口に設置され燈火により道を照らし宿場の安全と旅人のための道しるべとして設けられた...旧大山街道長津田宿の散策(2023/9/14)

  • 横浜大倉山記念館(2023/09/14)

    横浜に出かけた序に、以前から一度見たいと思っていた「大倉山記念館」に出かけた。東横線大倉山駅を出て、右手渋谷方向に急な坂道を登った先に小さな森の公園。その平らな部分に白亜の殿堂。それが大倉山記念館。戦前、人間修養の場として大正時代に財を成した大倉氏が、儒・物・道教を中心に西洋文化をも融合させる研究機関として建てたクレタ文明をイメージした建物。内容は兎も角、建物見たさに急坂を汗をかきかき登ってきたのだが、それだけの価値はあった。横浜大倉山記念館(2023/09/14)

  • ユトリロ展(横浜高島屋、2023年9月14日)

    パリを描く画家「モーリス・ユトリロ」の生誕140年を記念し、国内にある作品約70点が集められたされた展示会(横浜高島屋ギャラリーで開催)に出かけた。今年三月に西山美術館(町田市)で観た作品も何点かあった。なぜユトリロかいうと、画家としての教育を受けることなく、奔放な画家の母親からの遺伝か、油絵を描き始めた画風になんとなく魅かれるものがあるから。何枚かの作品をよく見ると、なんとなく素人のような場所を見ることが出来るのも共感が持てる。開館と同時に入館し約一時間堪能。何故か、入場者の7割近くは中年以上の女性。ユトリロ展(横浜高島屋、2023年9月14日)

  • 神奈川県内の富士塚散策(1)都筑の三富士塚(2023/6/21)

    今回の富士塚は江戸を離れて神奈川県横浜市。炎天下の散策は難儀なので、比較的鉄道駅から近場に集まっている都筑区内の三富士(都筑三富士)を探索。<池辺富士(浅間神社)>横浜地下鉄グリーンライン「都築ふれあいの里」駅から東1km弱の丘陵地、周囲は横浜市の農業専用地区に指定される畑に囲まれた場所。造られたのは18世紀末。登り口に「浅間社」の鳥居、狭い登山階段を登り切った場所には小さな石造りの祠のみで質素だが、狭いのぼり道は手入れが行き届いていた。掲示等は見当たらず、知らなければ見過ごしてしまいそう。尚、池辺は、「いこのべ」と読むらしい。<川和富士(川和富士公園)>池辺富士から南西に約1.2㎞の公園内。今まで訪れた富士塚の中では、最大の高さ15m(標高は74m)で周囲をらせん状の登山道が整備。元々この場所は「猫谷戸...神奈川県内の富士塚散策(1)都筑の三富士塚(2023/6/21)

  • 富士塚巡り(その2:練馬区)(2023/6/8)

    湿度・気温が高くなり、散策には不適な気候になったので、少しペースを落とした散策を計画。今回の富士塚巡りの散策は、練馬区内の二か所。<大泉富士(中里の富士塚、八坂神社)>東武東上線成増駅から西武バス大泉学園北口行に乗り、「和光市南」で下車。住宅街や野菜畑の傍を700m程歩くと白子川の谷合に続くと思われる坂道に出る。右手に草茫々の小さな丘。そこが、大泉富士。高さ12m、直径30mとのこと。江戸時代後期に造られたものを明治初期に再構築されたものらしい。登山道が整備されており頂上まで登れそうだったので、トライしてみたが狭すぎ、年のせいで足元不如意、二合目辺りでギブアップ。次の目的地の最寄り駅は練馬駅とあったので西武池袋線練馬駅と思い込み、練馬駅に直行。いくら探しても見つからないので調べてみると、練馬駅から徒歩50...富士塚巡り(その2:練馬区)(2023/6/8)

  • 「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (7)志布志港から大阪南港・新大阪経由帰宅

    紀伊水道入口付近航行中に目覚めた。この辺りからは両側に陸地・島が見える。狭い友ヶ島水道(紀淡海峡)を過ぎ、大阪湾に入ると、左手に明石海峡大橋、右手に関西国際空港も見えてきた。定刻に、大阪南港に到着。この後、バスで東海道新幹線新大阪駅に移動し帰宅の途に。フェリーはトラック等の物量輸送が目的で、クルージング船とは比較にならず、飛行機・電車・バス等より移動の長時間等、あまり期待はしていなかったのだが、期待以上の乗り心地・船内設備で、経済的な移動手段として、面白いと思った。(終り)「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(7)志布志港から大阪南港・新大阪経由帰宅

  • フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (6)別府温泉から志布志港まで

    この日は、少々遠回りして、九州の心臓部を訪ねて、最後のフェリー乗り場志布志港まで移動。東九州自動車道から中九州自動車道として整備中の国道を走って、豊後大野市にある「原尻の滝」へ。原尻の滝は、幅120メートル、高さ20メートルで、9万年前に起きた阿蘇山の大噴火の大火砕流によってもたらされたとのこと。「東洋のナイアガラ」とも呼ばれているとのこと。この後、滝廉太郎作の荒城の月のモデルとなった岡城址の傍を抜け、久住連山を見ながら、一旦熊本県に入り、時々杉の大木の間から阿蘇山の根子岳・高岳を見えた。ループ橋を越えれば宮崎県。高千穂町の入り口では、「神楽舞の像」が歓迎。高千穂神社近くでバスを降りて「高千穂峡」の散策。ここは、約60年前、大学一年の秋(58年前)に訪れ、ボートに乗った記憶がある。現在ボート代4000円か...フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(6)別府温泉から志布志港まで

  • 「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(4)砺波から神戸戸港まで

    この日は、北陸道・名神国道を走り、神戸市の人工島”六甲アイランド”にある神戸港へ移動。途中車窓から琵琶湖沿いの長浜城・彦根城を見、縁結びと長寿の「多賀神社」の参詣、昼食会場である旧中山道の守山宿のショート散策を楽しんだ。夕刻、神戸湖に到着。今夜のフェリーは、阪九フェリー「やまと」。阪九フェリー「やまと」は、全長195m、約16,300総トン数。今回は内海なので静かな航海。出港後、降雨。「明石海峡大橋」の下を通る時には雨と少々の霧で甲板に出ることもできず部屋の窓からも見えなかったが、船首にある部屋の窓から何とか見ることが出来た。深夜の「瀬戸大橋」は熟睡で気付かなかったのは残念。「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(4)砺波から神戸戸港まで

  • フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(3)5/21 苫小牧東港から新潟下船後、砺波のホテルまで

    早朝、男鹿半島近くで目覚め甲板に出るも、日の出は拝めなかったが、男鹿半島がうっすらと見えた。このフェリーは、途中秋田港に一時間ほど停泊。秋田出港後、酒田市沖の飛島、村上市沖の粟島と本土の間を抜けて、「らいらっくは」新潟港に入港。新潟港からは、関越道・北陸道を抜けて富山県砺波市のホテルへ直行。この日は三日振りに地上宿泊。フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(3)5/21苫小牧東港から新潟下船後、砺波のホテルまで

  • 「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (2)苫小牧近辺観光の後苫小牧東港から出港

    定刻苫小牧西港に到着。次のフェリーの出港までの時間を利用して、昭和新山、洞爺湖サイロ展望台、室蘭市の地球岬巡り等を観光。途中、高速道路から、樽前山の溶岩ドームがはっきりと見えた。昭和新山は50年振りだが、当時山腹から湯気が見えたと記憶しているが今回は錆色の山腹。サイロ展望台から洞爺湖や有珠山・昭和新山の眺めは雄大で、後方に、少々雪の残る「蝦夷富士(羊蹄山)」も見ることが出来た。この後、苫小牧東港に戻る途中、室蘭市の地球岬へ。霧が少し出て、水平線は確認できなかった。夕刻、苫小牧に戻り今度は、苫小牧郊外の東港から新日本海フェリー「ライラック」乗船。新日本海フェリー「らいらっく」は、全長約200m、18,000総トン。苫小牧東港から、津軽海峡を抜けて日本海南下する航路。船の揺れは殆ど感じることなく、エンジンによ...「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(2)苫小牧近辺観光の後苫小牧東港から出港

  • 「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (1)苫小牧西港まで

    東京駅に集合後、東北新幹線で仙台に移動。仙台港で、名古屋から来た、太平洋フェリー「きそ」に、北海道苫小牧西港に向けて乗船。太平洋フェリー「きそ」は、全長約200m・16,600総トンの船。国内では初めてのフェリー旅だが、残念ながら天候に恵まれず、日没・日の出の光景は見られなかった。天候が荒れ模様で高波による揺れエンジン室から伝わる振動で、眠りが妨げられた。「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(1)苫小牧西港まで

  • 富士塚巡り(その1:北・文京・豊島・新宿区)(2023/5/11)

    江戸時代以降に江戸を中心に関東で流行した富士山信仰の拠り所として、富士山に模して築かれた人工塚(富士塚)が都内を中心に多数残されているようだ。今回は、都下北西の富士塚を、電車乗り継ぎで訪ねた。<<十条富士(十条富士神社)>>埼京線十条駅、京浜東北線東十条駅から1㎞以内、日光御成道(岩槻街道)沿い。残念ながら工事中で近づけなかった。<<駒込富士(駒込富士神社)>>山手線駒込駅から700㎜程の場所にある、古墳を利用した富士塚。急階段で頂上まで登れる。<<池袋富士(池袋氷川神社)>>池袋駅から東武東上線で一駅の北池袋駅から1㎞弱。明治後半に造られた富士塚で、現在補修の基金募集中。残念ながら登ることはできなかった、山腹には色んな像が配置されているようだが、何故かビニールシートが掛けられていた。唯、登山口付近には、...富士塚巡り(その1:北・文京・豊島・新宿区)(2023/5/11)

  • 都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27)

    先週に引き続き、世田谷・大田区に残る江戸時代の門と序に近くの古刹も探索。東急のバスと電車を乗り継いでの行程。出発は小田急線成城学園前駅、東急バス二子玉川行きで岡本地区へ移動。<<伊木家長屋門>>バス停「やのはし」で下車、急坂を登っていくと右手に「小坂禄地」。国分寺崖線に沿った緑地に残る元衆議院議員別宅を区立公園として開放している場所だが、今回は掲示物など見るのみで通過。少し歩いて左折し低層階の高級マンション建物の間に狭苦しい感じで建っているのが「伊木家の長屋門」。現在はマンションの管理事務所として使われている。この門は、元々岡山市旭川の中州に残っていたのを昭和初期に都内に移築したもので、岡山藩池田家の家老の屋敷門で、左右非対称構造をしている。事務所機能優先のためか、保全は万全の様だが、門前には車が駐車して...都下に残る「江戸時代の門」等探索(その2)(2023/4/27)

  • 都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20)

    都内に残る「江戸の門」を訪ねる探索。今回は中心部と北部の5か所へ。<<幸国寺の山門>>地下鉄大江戸線牛込柳町駅から約150mの場所にあるお寺。一見、ごく普通の寺門に見えるが、説明板によれば、右側に番所があることから江戸時代後期のものと推定された棟門(腕木門)とのこと。一説によれば徳川御三卿(御三家とは別物)田安家の門との説も。説明板がなければ見逃してしまいそう。<<西教寺の表門>>地下鉄を乗り継いで南北線東大前駅で下車。すぐ裏に「西教寺」。朱色の小振りの門は、元々姫路藩酒井家の腕木門(うでぎもん)とのこと。朱色から、近くの「東大の赤門」に対し得て、”もう一つの赤門”とも呼ばれているようだ。関東大震災の後、瓦葺きから銅版葺きにかえたとのこと。腕木門とは、支柱に腕木を刺し、その腕木(うでぎ)に桁を乗せてその桁...都下に残る「江戸時代の門」探索(その1)(2023/4/20)

  • 東海道「神奈川宿」の散策(2023/4/13)

    日本橋から3番目の宿場「神奈川宿」を散策。この辺りは、江戸末期の日米和親条約により神奈川が開港場に決められたので、諸外国の公使館・領事館に使われたお寺が多数残っている場所。今回は、京浜急行線神奈川新町駅から横浜駅まで神奈川宿や開港に絡んだ場所を歩いた。今回の探索は比較的近い場所に多数点在しており、効果的に訪れることが出来た。以下訪れた順ではなく、三つのカテゴリーに分けて紹介する。<神奈川宿に関係する場所>・高札場(神奈川地区センター脇)・本陣跡(滝の川・滝の橋)・大綱金刀比羅(ことひら)神社<幕末開港に関係する場所>・神奈川通東公園(長延寺跡・蘭領事館跡)・成仏寺(米人宣教師の宿舎跡)・慶運寺(浦島観音堂・仏領事館跡)・淨瀧寺(英領事館跡)・普門寺(英人士官宿舎跡)・甚行寺(仏公使館跡)・宗興寺(ヘボン施...東海道「神奈川宿」の散策(2023/4/13)

  • 旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)

    前回(2023/3/9)に引き続き”旧東海道戸塚宿”を散策。出発は”JR戸塚駅”。道案内にGoogleマップを利用しているが、駅前の道路が複雑でウロウロ。やっと、たどり着いた”清源院”。<<清源院>>旧東海道から少し離れた丘の上のお寺で、徳川家康の側室”お万の方”が、家康の死後、尼となり”清源院”と名乗りこの寺に入ったとのこと。この後、旧東海道を京都方向に戸塚宿を散策。<<内田本陣跡・澤邉本陣跡>>戸塚郵便局辺りが内田本陣跡らしいのだが痕跡は見つからなかった。更に東海道を登ると右手に、戸塚宿開設に尽力した澤邉家による「澤邉本陣跡」。さらにその先に、澤邉家代々。旅の途中でこの地で没した藩士・文人の墓のあるという海蔵寺。<<八坂神社>>この神社で毎年7月に行われる”お札まき”は横浜市の指定無形文化財。お札まき...旧東海道”戸塚宿”から大船方向へ散策(2023/3/30)

  • 「西山美術館」と「都立薬師池公園」散策(2023/3/16)

    ”ユトリロ”の風景画見たさに「西山美術館(町田市)」に。序に、近くで散策できる場所を探したら都立薬師池公園があるようなので出かけた。小田急線町田駅前のバス停(ネットで調べるとバスセンターにあるとのことだが、少し離れた場所で探すのに苦労した)から、約20分ほどで、鎌倉街道沿いのバス停「薬師池」で下車。近くの裏門から公園を散策。<<薬師池公園>>裏門から急な坂を降りた先に薬師池。説明看板によれば、この池は江戸時代の溜井(灌漑用水を溜めておく場所)で、この後参詣する丘の上の”福王寺薬師堂(野津田薬師)のほとりの池”という意味とのこと。池の周りには各種花壇(梅園、菖蒲園、アジサイ園、椿園、ハス田等)が設けられ、且つこの近隣には点々と花園(ダリア園、ぼたん園等)や小動物園(リス園)が配置されている。公園内には、古民...「西山美術館」と「都立薬師池公園」散策(2023/3/16)

  • JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9)

    この駅間は、東海道保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置する場所。東戸塚駅から、高層マンションの間の急坂を登り交通量の多い環状2号線を渡った場所が最初の訪問地。<境木地蔵尊・境木立場跡>難所「権太坂」(武蔵国)を登り詰め、相模国の高台にある「地蔵尊」。「立場」とは、宿場の間にある村(間の村)で馬を継いだり、人足や駕籠かき等が休息する場所とのこと。当時は富士山や江戸湾の眺望が良かったようだ。東海道は、この後、焼餅坂・品濃坂と下っていく。<品濃の一里塚>神奈川県内に残る一里塚の中では当時の姿を一番残しているそうで、道の両側に大きな木が残る丘が見られた、ここが日本橋から9案目の一里塚で約36㎞。あちっこちで、一里塚を見てきたが、ここの一里塚を見ると当時の一里塚の模様が理解できる。上方に向かって左側の丘は、少し住宅街を回る...JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9)

  • 吉野石膏所蔵の絵画コレクション(練馬区立美術館)(2023/3/4)

    都内に出かけた序に、練馬区立美術館で開催中の「本と絵画の800年吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」に。場所は、西武池袋線中村橋駅前。建材メーカーの吉野石膏の収集品と吉野石膏美術振興財団が有するコレクションより絵画と本との結びつきの観点で選ばれた200点のの展示。西洋絵画では、ピサロ、シャガール、ミレー、マティス、ピカソ、ミロなどの作品、日本絵画では、藤田嗣治、伊藤若冲、横山大観、上村松園、鏑木清方、棟方志功、東山魁夷、安井曾太郎、梅原龍三郎、向井潤吉等の作品。余り混んでなく、久し振りに有名画家の絵画を堪能できた。吉野石膏所蔵の絵画コレクション(練馬区立美術館)(2023/3/4)

  • 東海道「保土ヶ谷宿」散策(2023/03/02)

    出発は相鉄線「天王町駅」。旧東海道を少し江戸方向に戻り、「江戸方見附跡」から。商店街の駐車場の脇に看板のみ。ここが保土ヶ谷宿の始まり、大名等が通過するときには、宿場の名主等が御出迎え、お見送り等を行った場所。次に訪れたのは、「橘樹(たちばな)神社」。江戸時代には、牛頭(ごず)天王社といい、天王町名の由来の神社。何故か大正時代に現在の名前になったとのこと。再び天王町駅を抜けて、駅前公園の「旧帷子(かたびら)橋跡」に。広重の浮世絵にも描かれた場所。この後、道に迷いながら、東海道と相洲道の交差点に建つ庚申塔や、神明社や宿場町のお寺を訪ねて、保土ヶ谷宿の中心部へ。JR保土谷駅近くを抜けると、「問屋場跡」や、金沢や鎌倉への分岐点に残る「道案内の石碑4基」。中に、保土ヶ谷に住んだ俳人の句によって梅林への道案内があり、...東海道「保土ヶ谷宿」散策(2023/03/02)

  • トビリシ(ジョージアの首都)で見かけた教会(クレヨン画)

    コロナ前、最後の海外旅行で訪れたジョージアの首都トビリシで見かけた教会。民族紛争の絶えないコーカサスだが、訪れた時期は、ロシアによる南オセチア紛争と、今のウクライナ紛争間の比較的平和な時。市内には歴史的建造物が数多く見ることが出来、十分な市内観光はできなかったので、チャンスがあればもう一度ゆっくり訪れたい街。(オイルパステル画)トビリシ(ジョージアの首都)で見かけた教会(クレヨン画)

  • アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)

    アシヌ教会は海岸から離れた山岳地帯に点在する世界文化遺産の修道院群の一つである。この修道院の近くには集落は見当たらない寂しい場所にポツンと残っているような感じだった。内部には、この地域の他の修道院同様に、イコンやフレスコ画が飾られていた。地域の住民が大事に守ってきた結果だろうと想像できた。(パステル画)アシヌ教会(キプロス・トロードス地方)(パステル画)

  • 川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)

    川崎市中部長尾地区の歴史遺跡の散策に出かけた。スタートは、JR南武線久地駅。最初の場所は、駅から南東方向の丘の上にある「東高根森林公園」。グーグルマップの経路案内を活用しているのだが、近隣の人しか知らない自転車も通れないような狭い道などで案内してくれる。今回も狭い階段や市営墓地内の通路を示してくれた。今回、案内を信頼せず勘に頼った結果、川崎市立緑ヶ丘霊園内をウロウロ、親切な人に道を教えて頂き何とか森林公園に到着。<<東高根森林公園>>住宅団地として整備のためう土地調査をすると、この辺りは弥生時代から古墳時代の複合遺跡であることがわかり、団地としてでなく県立公園として整備されたとのこと。公園内には、古代植物園・湿性植物園・自然観察広場などが整備。公園北口近くの「古代芝生広場」で、3世紀から6世紀の集落が発見...川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)

  • 聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)

    キプロス島中央部オリンポス山近くの山岳地帯に散在する世界文化遺産の教会群の一つ。色んな国の侵略を受けてきた歴史を持つこの島では、危険な海岸戦から離れた山の中に暮らしてきた当時の教会でフレスコ画が多く残されていた。(オイルパステル画)聖二コラオス教会(キプロス・トロードス)(オイルパステル画)

  • 川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その2(2023/2/9)

    六郷の渡し跡から多摩川右岸の土手を下って行ったが、江戸町民が川崎大師を参詣した道(大師道)は、時々見える京急大師線の線路向こう。寒風が強いが歩いていると寒さをそれ程感じなかった。この辺りは高層マンションが多い。<<川崎河港水門>>川崎市川崎区を縦横に走る大運河計画の一環として昭和初期に造られた国内最初の河港水門。残念ながら完成後15年にして大運河計画は廃止された。近代化遺産・国の登録有形文化財に指定されている。水門の最上部は川崎市の名産品梨・葡萄・桃の装飾がある。<<若宮八幡宮・金山神社>>川崎河港水門から工場街を抜けて若宮八幡宮へ移動。境内中央に若宮八幡宮の本殿。右に幼稚園。左側に、藤森稲荷神社、絵馬殿、大師河原酒合戦350年記念碑(17世紀中頃この辺りで行われた酒量を競う酒合戦。有名な酒合戦の一つらし...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その2(2023/2/9)

  • 川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その1(2023/2/9)

    30年近く通った川崎だが、勤務地と川崎駅の往復と駅周辺を歩いた程度で終わった。今回、改めて「川崎宿」と「川崎大師(平間寺)周辺」を歩いた。先ず、25年前とは全く変貌した「JR川崎駅前」を出発し、川崎宿の西側から。<<教安寺>>川崎宿の西の外れに近い場所の寺。江戸時代流行した富士講所縁の寺のようで、山門の左手に「宿内安全」「天下泰平」を祈願して、川崎宿内の富士講中が建立した灯篭があった。この後、細々と川崎宿のPR掲示が見られる「ひさご通り」を北上。<<宗三寺と一行寺>>京浜急行川崎駅のすぐ傍にある寺で、この辺りが、川崎宿の本陣や問屋場(といやば)の集まる宿の中心地であったとのこと。宗三寺には、残念ながら見つけられなかったが。川崎宿の遊女の供養塔があるとのこと。一行寺は、「おえんまさま」の名で親しまれ、戦前は...川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策その1(2023/2/9)

  • 世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2) - 2023/02/03(Fri)

    この日の散策スタートは、小田急線喜多見駅から。駅前の商店街から住宅街に入ると右手に小さな祠。グーグルマップによれば「喜多見郷石塔石仏群」とある。説明板により、神社などで時々見かけるものが、「念仏車」というものであり、何のためのものか初めて知った。念仏を唱えながら一回まわすと、お経一巻読んだと同じ効果があるとされ、主に女性に使われたとのこと。<<喜多見氷川神社>>旧喜多見村の鎮守府であり、江戸時代に短い期間存在した「喜多見藩」所縁の神社。参道に残る小さな鳥居は、17世紀中頃喜多見氏によって寄進されたものとのこと。<<稲荷塚古墳>>途中、偶然見かけた古墳。説明文によれば、直径13m、高さ2.5mの円墳で周囲に幅2.5mの周溝が巡っていたとある。横穴式の石室内から、太刀・鉄鏃(やじり)・耳環、玉類、土師器須恵器...世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2)-2023/02/03(Fri)

  • ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)

    コーカサス地方アルメニア共和国で、最も美しく壮麗な修道院の一つと言われ10世紀に創設された世界遺産の”ハフパット修道院”。最盛期には500人近い修道僧がいたとのことで、異教徒の襲撃から聖書等を守るために一見葡萄酒造りの壺に見える中に隠した跡等も見られた。周辺には民家も少なく今は静かな山の中。ハフプト修道院(アルメニアの世界遺産:パステル画)

  • 玉縄城址とその関連史跡の歴史散策(2023/1/26)

    16世紀初頭、北条早雲により関東攻略の拠点・小田原城の支城として築かれた山城である”玉縄城址”に出かけた。今は、女学院の敷地になっているので本丸跡などには近づけないが、近隣にはこの城に関係する神社仏閣が残っているので歩き周ることにした。JR大船駅から右手に大船観音を見ながら柏尾川沿いに歩き始めた。<<玉縄首塚>>柏尾川傍の道路脇に玉縄首塚。16世紀初頭、安房の国の里見軍が海を越えて攻め寄せてきた。この辺りで玉縄城の北条勢と合戦。両軍の戦死者の霊を弔うための塚。<<貞宗(ていそう)寺>>玉縄首塚から西へ1.5㎞ほど歩いて貞宗寺。この寺は、玉縄城との関係はなく、参道の左奥に御霊屋。徳川二代将軍秀忠の祖母貞宗尼が晩年過ごした場所に建てられた寺で、そのお墓が御霊屋。内部に宝篋印塔が安置。<<円光寺>>貞宗寺から歩...玉縄城址とその関連史跡の歴史散策(2023/1/26)

  • アナヌリ教会(ジョージア)(パステル画)

    コーカサスの国ジョージアの首都トビリシからジョージア軍用道路を、登っていくと右手にトビリシの水源のジンヴァリ貯水湖。その奥まった湖畔にあるのが城壁に囲まれたアナヌリ教会。17世紀後半の建造で、城壁に似合わず内部は暖かさを感じる。アナヌリ教会(ジョージア)(パステル画)

  • 東京古城址探索(2)新宿区神楽坂周辺 (2023/01/19)

    都内に残る城址の探索二回目。今回は神楽坂周辺の二か所。<<牛込城址(光照寺)>>JR飯田橋駅から、神楽坂を登り以前訪れた普國寺の先を左折し地蔵坂を上り詰めた辺りが牛込城址。上州からこの地に移り牛込氏と名乗った一族により造られたお城。北条氏滅亡後は徳川家に従った後廃城。城址を想像させる遺構は全く見当たらなきが、小高い丘の上でお城を作るによい場所であることが想像できる。光照寺は、17世紀中頃神田から移ってきたとのこと。境内には、所蔵する文化財などの説明板が多数見られた。そのうち、木造地蔵菩薩坐像(近江の三井寺、江戸の増上寺を経由してこの寺に)は、この辺りの地名「地蔵坂」に利用されている。境内の端に、松山藩(庄内藩の支藩)酒井家の墓が整然と並んでいた。<<筑土城址(筑土八幡神社)>>光照寺から約0.6㎞歩き、階...東京古城址探索(2)新宿区神楽坂周辺(2023/01/19)

  • シエキ(アゼルバイジャン)で見かけた教会(モスク?)(クレヨン画)

    シエキ(アゼルバイジャン)のハーン宮殿の前で見かけた建物。この辺りはイスラム教なのでモスクかと思ったが、ネットではジョージア風のキリスト教会だと紹介されているものもあった。詳細は不明。少し、興味を持った建物。シエキ(アゼルバイジャン)で見かけた教会(モスク?)(クレヨン画)

  • 山種美術館に出かけた(2023/1/11)

    コロナで控えていた美術館訪問。都内に出かけた序に、展示テーマに魅かれて山種美術館に。テーマは「日本の風景を描く」で、浮世絵(広重)、日本画(池大雅、川合玉堂、横山大観、東山魁夷等)、油絵(黒田清輝等)等山種美術館所蔵の風景画が中心。久し振りに大作を堪能できた。海外の美術館ではフラッシュを炊かなければ撮影可なのに、ここを始め国内の美術館では撮影禁止、何故?山種美術館に出かけた(2023/1/11)

  • ジワリ修道院(ジョージア)ー(クレパス画)

    BC4世紀からAC5世紀にイベリア王国(現在のジョージア南東部)の首都だったムツヘタの街(大相撲元大関栃ノ心の出身地)の近く、丘の上にある6世紀に建てられた教会。名称を直訳すると、”十字架の修道院”。上から見ると、十字架の形をしているとのこと。この場所からは、眼下のムツヘタの街の眺望がすばらしい。ジワリ修道院(ジョージア)ー(クレパス画)

  • アナヌリ教会(ジョージア)

    ジョージアの首都トビリシからジョージア軍用道路(18世紀帝政ロシアが建設、ロシアとコーカサスを結ぶ山岳道路)を登っていくと、トビリシの水源地ジンヴァリ貯水湖傍にある「アナヌリ教会」。17世紀後半に建てられた二つの教会で構成されているとのことだが、砦のような感じの建物構成。(パステル画)アナヌリ教会(ジョージア)

  • 鎌倉腰越地区寺社散策(2023年1月5日)

    新年最初の散策の場所として鎌倉腰越地区の寺社に出かけた。行程は、江ノ電江の島駅から、龍口寺とその関連の寺(片瀬龍口寺輪番ハヵ寺)三か所、鎌倉に入ることを禁じられた義経が滞在した寺、鎌倉攻めで新田義貞が戦勝祈願した神社などを巡った後、江ノ電腰越駅まで。<<瀧口寺>>江の島駅から出た電車が一般道を走り始める場所に、山門のある日蓮宗のお寺で、今回訪れた中では一番大きなお寺。階段を上がると本堂の裏右手に明治時代創建の五重塔が見えた。本堂の左の階段を登った先に純白の仏舎利塔。この辺りの樹の間から江の島、相模湾が望めた。<<法源寺>>瀧口寺横の坂道を登った先、左手に”法源寺・ぼたもち寺”の表示がある石塔。私道の坂を登りきったところに広場と本堂等の建物。山門等も見当たらないあっさりとした感じで、「竜の口処刑場」跡に建つ...鎌倉腰越地区寺社散策(2023年1月5日)

  • セバン修道院(アルメニア)(クレヨン・クレパスで着色)

    2019年5月に訪れたアルメニア共和国セバン湖畔の丘の上に建つセバン修道院。対岸の山脈はアゼルバイジャンとの国境。セバン湖は標高1900mで、広さは琵琶湖の二倍。この丘の上には、二つの修道院(9世紀建造)とハチュカル(十字架が刻まれた石)が並べられていた。セバン修道院(アルメニア)(クレヨン・クレパスで着色)

  • 大アララット山とホルヴィラップ修道院(色鉛筆画)

    久し振りの写生、と言っても以前撮った写真をもとに書いたもの。2019年5月に訪れた旧ソ連圏の国アルメニアの首都エレバン郊外。この国の国民の心の拠り所だが今はトルコ領、ノアの箱舟が辿りついたとされているアララット山。この国は世界で初めてキリスト教が国教となっただけに、歴史ある修道院が多く、このホルヴィラップ修道院もその一つ。大アララット山とホルヴィラップ修道院(色鉛筆画)

  • 東京古城址探索(1)都内城北地域(2022/12/09)

    海外を含む遠距離旅行を自粛中なので、近隣の名所(?)旧跡を探り歩いている。今回は、都内に残る古城址の探索。一回目としてはあ、城北の三か所。<<葛西城址(現在:葛西城址公園・御殿山公園)場所は京成本線青砥駅から北へ約1.1㎞、環状七号線が日光街道と交わる手前で、環七に区切られた、左手の御殿山公園、右手の葛西城址公園。説明板等は、御殿山公園内に見られた。中川の沖積微高地上に築かれた平城で、築造者・築造年代は不明だが、16世紀中頃に北条氏により落城との記録があり、その後北条氏の城となるも、江戸時代には幕府鷹狩りの休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていたようだ。<<稲付城址(現在:静勝寺)>>JR赤羽駅から徒歩5分ほどの高台。16世紀中頃、江戸城と岩槻城(埼玉県)の中継地点として太田道灌が築城。三方を丘陵に囲ま...東京古城址探索(1)都内城北地域(2022/12/09)

  • 神奈川名所旧跡探索:伊勢原市北部(2022/12/8)

    神奈川県内の名所(?)古跡を歩き周っている。今回は、伊勢原市の大山阿夫利神社に向かう途中にある太田道灌絡みの旧跡等。小田急線伊勢原駅から大山ケーブル駅行きのバスに乗車、途中「石倉橋」で下車。ここからなだらかな下り方向に散策開始。<<御領原古墳群>>石倉橋交差点を左折した辺りが古墳群の場所。東名高速道などの建設で存在が確認された古墳群の様だが詳細は不明。Gogleマップで示された場所には案内板も見つけられず。住宅につながる私道(?)の傍に小さな円墳の様な塚を見つけたのみ。<<上粕屋神社>>室町時代にこの辺り治めていた上杉家の鎮守であった神社で、この神社の裏手には上杉館の空堀と言われている窪地が見られた。上杉館は、この場所から坂を上がった産業能率大学構内のようで近づけない。銀杏の紅葉(?)が綺麗な境内。<<七...神奈川名所旧跡探索:伊勢原市北部(2022/12/8)

  • 神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24) ーその2

    引き続き茅ヶ崎西部地区歴史散策。<<鶴嶺八幡宮>>龍前院側から訪れたが、松並木の参道は旧東海道(現在の国道一号線)から約1㎞南北に敷かれている。境内には色んな神社やご利益が予想される仕組みが準備されており、当に各種願いにご利益のある施設となっている。<<旧相模川橋脚>>関東大震災の際に液状化現象により太い(直径50㎝程度)柱状材が出現した。これは鎌倉時代に相模川に掛けられた橋脚の一部とのことで、現在は公園として整備されている。源頼朝は、この橋の落成式に参加した帰り道に落馬したことが原因でその後死亡したと言われている場所でもある。<<御霊神社>>旧相模川橋脚から南東方向に1.2㎞の場所にあるのが源義経を祀る「御霊神社」。途中、旧東海道(現在の国道一号線)に鶴嶺八幡宮参道の入口の大鳥居や、鳥井戸橋では、安藤広...神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24)ーその2

  • 神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24) ーその1

    今回は、茅ヶ崎市西部地区の歴史探訪。この地域は相模川やその支流の氾濫原や中洲等の入り組んだ場所で、保元の乱で活躍した大庭一族やそこから派生した鎌倉時代の武士が活躍した場所で、初期鎌倉時代に関わる場所が多数みられる。散策は、JR相模線北茅ヶ崎駅から開始。<<輪光寺>>北茅ヶ崎駅から北へ1.5㎞歩いた場所にあるお寺。境内の庚申塔は市内で最古で県内でも形の崩れが非常に少ない綺麗なものとのこと。又何故か境内に昔校庭にあった二宮金次郎の像が見られた。二宮金次郎の像はこの後訪れた宝生寺でもあった。両者ともに比較的綺麗だったが、どんな意味があるのだろうか?<<神明大神宮>>大きな銀杏の樹の紅葉が眩しい神社。本殿の裏に大庭景義の館跡の碑(懐嶋城址)と立像が人目を忍ぶように建っていた。京都に向かう源頼朝が最初の夜をこの館で...神奈川歴史散策:茅ヶ崎西部地区(2022/11/24)ーその1

  • 神奈川歴史散歩(2)豊受大神(海老名市)

    海老名市南東部、東名海老名SA近くの神社、創建年代は不明だが江戸時代には近隣の村落の鎮守。神輿殿には江戸時代後期に描かれた絵馬3点が飾られている。神奈川歴史散歩(2)豊受大神(海老名市)

  • 神奈川歴史散歩(1)大谷観音(海老名市)

    相模川の左岸段丘に背を向けた位置にある大谷観音(摩尼山清眼寺)。境内には、「かながわの名木百選」に選ばれた「相生の榧(かや)」や「笑う閻魔様」の閻魔堂、古くから言い伝えられている「麻尼山の七不思議」等、地域に根ざした信仰の場所。入口近くには朽ち果てた大木を利用した「立木観音」像が見られたが、最近危険防止からか伐採されていたのは残念。(色鉛筆画)神奈川歴史散歩(1)大谷観音(海老名市)

  • 大悲願寺(あきる野市)

    JR五日市線終点武蔵五日市駅と武蔵増戸駅のほぼ中間、秋川渓谷の上部にある寺で、12世紀末源頼朝の命を受け平山季重が醍醐寺の僧を招いて開いたと伝えられる寺院。2021年10月東京古寺探訪の一環で訪れた古刹の中門(朱雀門)。大悲願寺(あきる野市)

  • 海老名市内旧跡巡り(町内会ウオーキング)(2022/11/13)

    経路は、海老名市河原口自治会館→横須賀水道路→東名海老名SA(エクスパーサ)→妙元寺→大谷観音→三太夫霊堂→自治会館。<<横須賀水道路>>戦前、軍港横須賀への飲料水などの供給のための水道管が通った場所。愛川町から横須賀まで53㎞を高低差のみで水を運んだ水道だが、2007年に廃止された。現在は遊歩道として利用。座間丘陵を削って管を埋設した切通しや、遊歩道わきの道標が名残。<<妙元寺>>14世紀初頭、池上本門寺の僧によって開山。そのため「相模の本門寺」と呼ばれ、「相模の七福神」の大黒天が祀られている古刹。2008年10月に一度参詣したことがあるが、その時は無かった「大黒天像」が境内に、新たに造られていた。<<大谷観音堂>>鎌倉時代建立の観音堂。隣に「笑う閻魔様」の閻魔堂と、境内には神奈川の名木100選」の「相...海老名市内旧跡巡り(町内会ウオーキング)(2022/11/13)

  • 神奈川歴史散策 寒川と茅ヶ崎東部(2022/11/10)

    JR相模線寒川駅から散策を開始。寒川駅では目立たぬ程度に”梶原景時の街”を標榜する小さな看板が目についた。<<梶原景時館跡>>駅から南西方向に約1㎞歩くと、小さな神社の”一之宮天満宮”、ここが梶原景時の館跡。狭い境内に小さな祠の神社には、カラフルな遊具、近隣の子供たちの遊び場。神社前を走る大山街道沿いの梶原景時の歴史理解に有効と思われる大きな掲示板の裏手に、”梶原一族郎党(七士)の墓”。墓近くの水路は館の内堀の名残とのこと。<<西片貝塚跡>>相模湾から約5㎞離れた相模野台地南西端にあるのが西片貝塚跡。縄文時代前期(6~7千年前)には、この辺りまで海が迫っていたとのことで、縄文土器・石器等も出土とのこと。説明板の前の道路は、この後訪れる淨見寺が大岡越前家の菩提寺であることから”大岡越前通り”と名付けられてい...神奈川歴史散策寒川と茅ヶ崎東部(2022/11/10)

  • 神奈川県歴史散歩 平塚市(2)平塚宿(2022/11/4)

    四之宮地区散策の跡、近くのバス停から市役所近くまでバス移動し、東海道の平塚宿を散策。<<平塚八幡宮>>平塚市の中心街・市役所傍に鬱蒼とした森の中が平塚八幡宮。七五三の時期なので子供連れの参拝客が多数で賑わっていた。このお宮は、源頼朝や徳川家康等の時の権力者の崇拝を集めたとのこと。背後の森は進入禁止なのが残念。<<お菊の墓(晴雲寺)>>平塚八幡から東海道(国道一号線)を1㎞ほど下って晴雲寺へ。元々平塚駅近くにあったお菊(平塚宿の役人の娘で、怪談「番町皿屋敷」の主人公)に関わる「お菊塚」が、移されてあるはずだったが、残念ながら見つけることはできなかった。<<要法寺・平塚の塚>>更に東海道を1㎞程下ったところにあるのが要法寺。この寺は、13世紀、日蓮が身延山から江戸の本門寺に向かう途中立ち寄った場所に、日蓮の傾...神奈川県歴史散歩平塚市(2)平塚宿(2022/11/4)

  • 神奈川県歴史散策 平塚市(1)東部地区(2022/11/4)

    今回の神奈川県内歴史古跡散策は平塚市東部と平塚駅周辺の平塚宿。小田急線本厚木駅から神奈中バスで平塚市四之宮地区へ移動後、散策開始。<<高林寺>>この寺の周辺は、奈良時代の遺跡が密集していたようで(遺跡は見当たらなかったが)、貴重な遺物が多数出土したとのこと。奈良正倉院に収められたいるものと酷似しており、新羅から渡来したものと言われている。出土品は平塚市博物館で見ることが出来るとのことだが今回は訪れなかった。参道入口には江戸時代の力士(当地出身で最後に雷電を破った)「江戸ヶ崎」の供養塔があった。<<前鳥(さきとり)神社>>祭神は応神天皇の皇子で、この皇子を祭神としている神社は、京都市の宇治神社・宇治上神社と前鳥神社の三か所とのこと。この皇子は学問の神として信仰されている。境内には、菅原道真や百済の学者を祀っ...神奈川県歴史散策平塚市(1)東部地区(2022/11/4)

  • 東京都日野市普門寺の観音堂

    中央線日野駅近く、普門寺の観音堂。訪れた目的は、古墳時代後期に造られ市内西北部にある七ツ塚古墳の石室の天井石が、境内に運び込まれたという大きな石(八幡石)は、見るためだが、なんとなく魅かれた観音堂。東京都日野市普門寺の観音堂

  • 日蓮・本間氏所縁の神社仏閣散策(2022/10/27)

    厚木市依知地区古墳散策の帰り道、国道249号線金田陸橋傍の、妙純寺・建徳寺・金田神社の散策。この辺りは、海老名氏から分家した本間氏関連の古跡。本間氏からは、山形県酒田市の本間家(山形県酒田市を中心に戦前まで日本最大の地主・豪商で、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇った)が枝分かれしたようだ。<<妙純寺>>鎌倉時代佐渡に配流になった日蓮が佐渡に向かう途中1か月ほど滞在し、様々な奇跡を残した跡に建てられたお寺で、山門前に大きな日蓮像。参道の両脇の土手は、開基の本間氏の館跡の土塁を利用しているとのこと。日蓮が滞在中、夜、月に向かい経を唱えると梅の樹に星が下り井戸の底に落ちたと、言い伝えられている「星の井戸」が残っている。重厚な本堂は、19世紀に火事で失われた後、藤沢の龍口寺...日蓮・本間氏所縁の神社仏閣散策(2022/10/27)

  • 厚木依知地区古墳巡り(2022/10/25)

    厚木市東北部の依知地区の古墳探索に出かけた。中津川と相模川に挟まれたこの地域には、大きくはないが非常に多く(約150墳)の古墳(殆どが円墳か)が作られていたが、道路や宅地開発により多くは見る影もない模様。今回、古墳の形態が残されている場所を選んで出かけた。自宅から約4㎞歩き、依知地区の探索を開始した。<<依知地区130号墳>>住宅街の小さな十字路の南東の角にポツンと円墳のようなものが残っていた。説明板などは見当たらないが比較的丁寧に維持保存されているようだった。興味を持ったのは、すぐ前に、坂東33観音霊場巡りの巡礼道に関わる石標。第5番飯山観音長谷寺と第8番星の谷観音星谷寺を繋ぐ巡礼道の名残と思われる。<<依知地区131号墳>>130号墳から200m離れた場所の畑の中。多分この辺りが墳墓であろうと想像でき...厚木依知地区古墳巡り(2022/10/25)

  • 伊勢原 古跡散策(2022年10月20日)

    行程は、伊勢原駅南口ー(1㎞)→八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)ー(1.5㎞)→岡崎城址(無量寺)ー(1㎞)→大句バス停ー(バス)→伊勢原駅南口ー(1.5km)→丸山城址(高部屋神社・丸山城址公園)ー(0.5km)→石造多宝塔(普済寺)ー(0.5km)→大慈寺・太田道灌の首塚ー(1.4km)→伊勢原駅北口<<八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)>>丘の上の住宅街にある山王塚公園に説明看板だけで遺跡らしいものは見当たらなかった。説明によれば、縄文時代の敷石住居群や、旧石器時代の石器等が発見されたとのこと。遠くに大山の南側山稜越えに富士山が見えた。先史時代の人類も眺めの良い場所に住居を構えたようだ。<<無量寺・岡崎城址>>鎌倉時代の武将岡崎義実(三浦義継の四男)が築城した岡崎城で、北条早雲の猛攻により落城後、...伊勢原古跡散策(2022年10月20日)

  • 高倉塚古墳

    京王線分倍河原駅から歩いて10分の住宅街、多摩川の浸食跡の府中崖線沿いに残る六世紀ごろの円墳。近隣には同様の古墳があったようだが殆ど墳丘は失われているという。高さ2.5mの頂上に上ることができる。よく手入れされた墳丘。お墓が住宅の傍にあるとなんとなく良い気はしないが、古墳となるとこれは別。高倉塚古墳

  • 久地円筒分水 (川崎市)

    多摩川右岸の川崎市を流れる二ヶ領用水の水を下流の各地域へ正確に分けるために昭和初期に造られた分水樋。一見地下から湧き上がってくる水(用水と交差している平瀬川を越えるのにサイホンの原理)が円筒から溢れ出し、円周を等分することで各方向に平等に水を分配する仕組み。国の登録有形文化財。久地円筒分水(川崎市)

  • 広徳寺本堂

    JT五日市線の終点武蔵五日市駅から秋川の対岸の山腹にある広徳寺。紅葉の綺麗さが想像できるお寺だが時期外れ。境内の山門を始めとする建物は茅葺屋根で趣があった。広徳寺本堂

  • 広徳寺(東京都あきる野市)の本堂

    JR五日市線の終点五日市駅から一旦秋川岸まで下り小和田橋を渡り、対岸の山途中にあるのが広徳寺。距離的には大したことはないが、渓谷の下り上りは大変。それだけ苦労しても見る価値のある古刹だった。訪れたのは10月中旬、もう半月後なら銀杏が綺麗だったと思う。(詳細はhttps://68449813.at.webry.info/202110/article_4.html?1656391817)山門、本堂ともに茅葺で、静寂の中何とも言えない感覚。広徳寺(東京都あきる野市)の本堂

  • 本町田遺跡公園

    近隣の古代遺跡巡りで訪問した本町田遺跡公園の再現された竪穴式住居(参考https://68449813.at.webry.info/202111/article_1.html)。小田急線玉川学園駅から西方向に歩いて25分の高台にある公園。傍の市立博物館は閉館していた(残念)。本町田遺跡公園

  • 長命寺南大門

    都内練馬区高野台にある17世紀創建の古刹長命寺の南大門。この寺には高野山に倣った奥之院もあり、江戸名所絵図に「新高野また東高野山ともいえり」の記述がある。南大門に向かって右、駐車場に隠れた場所に17世紀建立の仁王門が見どころ。長命寺南大門

  • 塩船観音寺の山門(仁王門)

    都下青梅市にあるツツジで有名なお寺。茅葺屋根の薬師堂・重要文化財の本堂など風情あるお寺。山門は12世紀の建立で左右の金剛力士像は運慶作とのこと。塩船観音寺の山門(仁王門)

  • 相模湾を見下ろすミカン園

    石垣山城址の帰り道、早川駅に下っていく途中に見かけたミカン園の建物。相模湾を見下ろすミカン園

  • 千光寺(神奈川県厚木市)の本堂

    厚木市飯山にあるお寺。近くの古墳などの史跡散策中に出会ったお寺。ネットで調べると、9世紀初めに弘法大師により開基と言い伝え。有名な尾道の千光寺開基の一年後に相当する。相当な古刹のようだ。千光寺(神奈川県厚木市)の本堂

  • キプロスで見かけた教会

    キプロスで移動中、車窓から見かけた教会。外国に行くと教会が多いなと思うのだが、よく考えると日本の寺社の方が密度的に高そうだ。キリスト教・イスラム教の宗教施設と違い、日本の場合、建物の豪華さより、鎮守の森的に建物よりも周りに樹木が多いように感じる。これは、宗教の成り立ちの違いだろう。キプロスで見かけた教会

  • キプロス・ニコシアの街並み 2

    キプロスの首都ニコシアの旧市街を散策した人の住んでいない家が並んだ通りで、裏側はトルコ系の北キプロス共和国キプロス・ニコシアの街並み2

  • キプロス・ニコシアの街並み

    キプロスの首都ニコシアの旧市街を散策した街並み。人の住んでいない家が並んだ通りで、裏側はトルコ系の北キプロス共和国。もう少し行くと、屋根向こうに銃を構えた国連平和維持軍(?)の見張り台が見えた。キリスト教とイスラム教、ギリシャとトルコの宗教対立により国が分断された境界線。キプロス・ニコシアの街並み

  • トロードスの教会

    キプロス・トロードス山中で見かけた教会。トロードスの教会

  • ファマグスタ門(ニコシア)

    キプロス・ニコシアにあるヴェネツィアに支配されていた16世紀に築かれた旧市街への門。三か所ある門のうち一番大きいとのこと。ファマグスタ門(ニコシア)

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