昨年、「大山街道」を歩いたが今年は思い立ち「鎌倉街道」を歩き始めた。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称で、主要な幹線道(上道・中道・下道)は3本。取敢えず、東山道から分岐して鎌倉に通じていたと言われている「上道」のうち、府中から鎌倉までを何回かに分けて歩くことにした。今回は、府中市「分倍河原駅」から多摩市「永山駅」までの約6㎞。今でも「鎌倉街道」の名を残し幹線道路として利用されおり、古戦場跡等が見られた。歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
昨年、「大山街道」を歩いたが今年は思い立ち「鎌倉街道」を歩き始めた。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称で、主要な幹線道(上道・中道・下道)は3本。取敢えず、東山道から分岐して鎌倉に通じていたと言われている「上道」のうち、府中から鎌倉までを何回かに分けて歩くことにした。今回は、府中市「分倍河原駅」から多摩市「永山駅」までの約6㎞。今でも「鎌倉街道」の名を残し幹線道路として利用されおり、古戦場跡等が見られた。歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
新宿区の記念館巡りの後、「府中市美術館」を訪れた。目的は開催中の「司馬江漢と亜欧堂田善かっこいい油絵展」を鑑賞すること。司馬江漢は知っていたが、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)を知る良い機会だった。十分な知識のない江戸時代に銅版画・油絵など西洋絵画の手法を取り入れた絵を描いた画家二人の作品展示。少々運営等気になることはあったが、ローカルの美術館にしては、これだけの絵画を集めて開催運営できるのは素晴らしい。同時に常設展示も見ることが出来たが、色んな分野の絵画が所蔵されているようだった。美術館の周囲は「府中の森公園」で桜が満開だった。府中市美術館保問記(2025/3/10)
東京都新宿区落合地区の画家作家の記念館巡りに出掛けた(2025/4/10)
新宿区落合に保存されている画家・作家の記念館を巡る散策に出掛けた。山手線目白駅を出発し、先ず「中村彝(つね)アトリエ記念館」を手始めに「佐伯祐三アトリエ記念館」、「林芙美子記念館」を巡り、地下鉄大江戸線中井駅までの行程。二人の画家のアトリエの共通点は採光用の大窓。画家と結婚した林芙美子は、借家からこの家を造るときの努力執念は凄いものが感じられた。何となく持っていた貧乏という言葉が消えてしまった。東京都新宿区落合地区の画家作家の記念館巡りに出掛けた(2025/4/10)
何時もより一時間ほど遅らせての早朝散歩。県立相模三川公園の桜も略満開。桜も良いけど花桃も綺麗。花桃を突くメジロ。何時もは暗くて気付かなかった土筆も目を出していた。本日の早朝散歩から(2025/4/5)
横浜の富士塚巡り歴史散歩(都筑・神奈川区)(2025/3/27)
都下の富士塚は大体全て訪れたので、神奈川県内未訪の富士塚巡り歴主旅を再開。今回は、「山田富士」(都筑区)、「新池辺富士」(都筑区)、「中村富士」(神奈川区)の三か所。後の二か所は。残念ながら近くまではいけるが登ることは出来なかった。更に「山田富士」は、以前(2023/6/21)近くまで行ったが、登山口が見つからなかった富士塚。何れの富士塚も、溶岩等は見当たらず自然地形を利用した富士塚のようだ。このような形の富士塚は神奈川県内富士塚の特徴のようだ。横浜の富士塚巡り歴史散歩(都筑・神奈川区)(2025/3/27)
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20) その2
日本橋界隈の散策中に見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20) その1
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩、最後は日本橋界隈の13か所。歩いたのは、JR神田駅から東北方向に浅草橋までと、地下鉄日本橋駅から、兜町、日本橋経由で銀座通りを南下、地下鉄有楽町一丁目駅まで。途中の他の景色は別途。これで、広重の描いた江戸の119カ所、全てを訪問完了。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その1
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その2
市川、浦安散策途中で興味深った場所。江戸の外れの市川、駅周辺には江戸時代には栄えた跡が多い。昔漁村の浦安は、漁師の心意気が感じられる場所だった。今回で「広重の江戸の今を訪ねる旅」も9割方終了。次回は最後の日本橋界隈。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その1
広重の江戸名所百景118カ所の内、東京都以外三か所(何れも千葉県)で、描かれている。今回はこの三か所を中心に、途中の歴史的な場所を歩いた。出発はJR市川駅。バスで10分ほどの「里見公園・国府(こうの)台城址」から、南下し「真間山弘法寺」「市川関所跡」まで歩き、電車を乗り継いで、浦安駅へ移動。浦安では、市内を流れる境川沿いの富士塚のある神社などを見て歩いた。今回は、広重名所百景の三か所を報告。その他の場所は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その1
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)その2
行程は、亀有駅~堀切菖蒲園駅~千住大橋駅~白髭橋~日暮里駅までの間、歩いたり電車・バスを利用したりの歴史旅、途中で見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)
今回の歴史旅は隅田川上流の9カ所。常磐線亀有駅から京成本線堀切菖蒲園駅間の3カ所、次に京成線で千住大橋駅に移動し、千住大橋から下流の白髭橋までの6か所。予定では、亀有からお花茶屋まで路線バスを利用する予定であったが、何故か、路線が休止中とのことで、仕方なく歩いたので、約2.5万歩になった。途中に見かけた景色は別途報告。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27) その2
今回の歴史散歩で見かけた景色を纏めて。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27) その1
今回の歴史散歩は、品川・大森界隈の七か所。出発は、京浜急行線「泉岳寺駅」近く、その後、京急線を乗り継ぎ、「北品川駅」(三か所)・「立会川駅」(一か所)、「梅屋敷駅」近くの一か所の計五ケ所、最後は、京急バスで多摩川河口の弁天橋で、この日の歴史散歩は終了。途中、北品川の旧東海道品川宿や多摩川河口近くの神社などは別途。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その1
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20 その2
前回の続きで、散歩途中気になった場所で、富賀岡八幡宮、震災復興橋梁、三十三間堂跡、旧弾正橋、逆井の渡し跡、旧中川に架かる橋、小名木川橋脇の碑について。今回の散歩は鉄道駅に比較的近い場所が多かったのだが、歩数は約25,000歩と今年最高の歩数になった。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20 その1
今回の歴史散歩は「深川界隈」の9カ所。訪れた場所は地下鉄東西線、新宿線の駅から比較的近い場所に点在。利用した駅は、東西線「南砂町駅」「東陽町駅」「門前仲町駅」、新宿線「東大島駅」「西大島駅」「住吉駅」。興味ある場所その他は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その1
「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その2
途中見かけた景色など「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その2
「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その1
「広重の描いた江戸」の今を歩く散歩、今回は墨田・江東区の五か所で、東京スカイツリー駅近くの2カ所と東武亀戸線東あずま駅からJR亀戸駅まで北十間川沿いに4カ所の計6か所。この日、ビル近くを歩くときは非常の強風で、危険を感じながらの散歩になった。その他の風景は次回に。「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その1
「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで)その2
広重が描いた「名所江戸百景」の今を訪ねる歴史散歩、築地・月島から人形町までで見かけた景色など。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで)その2
「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで 2025/2/6))その1
広重が描いた「名所江戸百景」(実際は119景か)の今を訪ねる歴史散歩、今回は地下鉄築地駅近くの一か所訪れた後、地下鉄で月島駅まで移動し、佃島から隅田川沿いを上流日本橋浜町までの六カ所を歩いた。途中で見かけた場所は次に紹介。これで、119カ所中70カ所を巡ったことになる。残りは49カ所。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで2025/2/6))その1
「広重の江戸」(入谷から浅草)(2025/1/30) その2
「広重の描いた江戸の今」を探して、入谷から浅草までの途中で見かけた景色。「広重の江戸」(入谷から浅草)(2025/1/30)その2
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(入谷から浅草)(2025/1/30)
前回に続き、両国浅草界隈の「広重の名所江戸百景」の場所を歩いた。地下鉄入谷駅から、吉原神社、吉原遊郭跡、日本堤・山谷堀公園、待乳山聖天から旧江戸猿若町、最後は二天門から浅草寺雷門までの行程。その他訪れた場所は次回。「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(入谷から浅草)(2025/1/30)
広重の江戸(両国から浅草まで隅田川沿い)(2025/1/23) その2
「広重の江戸(両国から浅草)」散策途中に見かけた構造物や古跡の纏め。広重の江戸(両国から浅草まで隅田川沿い)(2025/1/23)その2
広重の江戸(両国から浅草まで隅田川沿い)(2025/1/23)
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩、今回は、両国から浅草界隈。出始めは、大相撲初場所で賑いの両国国技館近く、次は両国橋から「隅田川テラス」を駒形橋まで、駒形橋で隅田川を渡り墨田公園近くまでの九か所。広重の江戸(両国から浅草まで隅田川沿い)(2025/1/23)
山陰旅行(2025/1/8~11)(3)三朝温泉から新横浜駅まで
旅の最終日は三朝温泉から、白壁の街「倉吉」・「鳥取砂丘」の観光の後、鳥取駅から、因美線・智頭急行線経由の「特急スーパーはくと」で姫路経由で山陽・東海道新幹線「ひかり」で新横浜経由で帰宅の行程。前日の午前中の「スーパーはくと」は、降雪により運休したようだが、運よくこの日は運行。帰りも、中国山脈を挟んで雪景色が一変。更に、新幹線でも米原から関ケ原辺りでは雪景色が見られた。山陰旅行(2025/1/8~11)(3)三朝温泉から新横浜駅まで
山陰旅行(2025/1/8~11)(2)玉造温泉から三朝温泉
旅の三日目は、「松江城」、「島根県立美術館」、「足立美術館」、この後、鳥取県に移動し、米子城を模した建物の「お菓子の壽(ことぶき)城」に寄り、高濃度のラドン含有量を誇る「三朝温泉」で宿泊。山陰旅行(2025/1/8~11)(2)玉造温泉から三朝温泉
出雲の古跡巡りを何度も企画したが、実現することなく時間が過ぎてしまった。個人旅行が無理なら、最低限の場所だけでもと、旅行会社のツアでと思い立ち参加。行きは、一度乗りたかった寝台特急「サンライズ出雲」。出雲市駅から、「稲佐の浜」、「出雲大社」の観光の後、美人の湯の松江の「玉造温泉」に宿泊。出かける前の報道では、この冬最強の雪模様とのことで心配したが高速道で、霙に会うことはあったが、交通障害に会うことまなく予定通り旅が出来たのは幸運。山陰旅行(2025/1/8~11)(1)横浜駅から玉造温泉
「広重の江戸」歴史散歩(霞が関界隈その2:2024/12/26)
霞が関界隈での広重の浮世絵現場巡り途中で、見かけた歴史的場所として、霞が関坂、帝国議事堂跡、虎ノ門金刀比羅宮、日枝神社、迎賓館東門(旧赤坂仮皇居正門)等が目についた。「広重の江戸」歴史散歩(霞が関界隈その2:2024/12/26)
「広重の江戸」歴史散歩(霞が関界隈その1:2024/12/26)
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩、今回は霞が関界隈の九か所。地下鉄半蔵門駅から時計回りに国会議事堂前~霞が関官庁街~日比谷公園~虎ノ門~溜池山王~赤坂見附~紀伊國坂からJR四ツ谷駅まで歩き、その後、電車で市ヶ谷駅までの行程。途中立ち寄った場所はその2で。「広重の江戸」歴史散歩(霞が関界隈その1:2024/12/26)
「広重の江戸」歴史散歩(第5回:港区芝公園近く)(2024/12/19):その2
散歩途中で見かけ興味を持った風景*久し振りの「愛宕神社」*立派な山門の「青松寺」と「プリンスホテル前の「有章院霊廟二天門」*増上寺の南側の「増上寺旧方丈門(黒門)」、「台徳院霊廟惣門」と「芝東照宮」*「浜離宮恩賜庭園」歩き始めは曇天。東京では一部で初雪と。昼近くになって快晴。比較的楽な行程。「広重の江戸」歴史散歩(第5回:港区芝公園近く)(2024/12/19):その2
「広重の江戸」歴史散歩(第5回:港区芝公園近く)(2024/12/19)
-2024/12/21(Sat)今回は、港区芝公園近くで、地下鉄虎ノ門ヒルズ駅から始まり、愛宕山・芝公園と歩き、地下鉄で大門から汐留に移動し、最後は、浜離宮恩賜庭園までの六か所。以下、「」内は浮世絵の題。・愛宕下通り「愛宕下藪小路」・近くの愛宕神社「芝愛宕山」・今は無き増上寺の五重塔が描かれた「増上寺塔赤羽根」・古川(上流は渋谷川)の川口近く「金杉橋芝浦」・「関東のお伊勢さん」の芝大神宮と増上寺大門近く「芝神明増上寺」・浜離宮恩賜公園から江戸湾の風景「芝うらの風景」途中見かけた景色は次回。「広重の江戸」歴史散歩(第5回:港区芝公園近く)(2024/12/19)
「広重の江戸(上野界隈)」歴史散歩(2024/12/12) その2
今回の散歩は、地下鉄・都バス・JRを活用し、西日暮里駅・千駄木駅・上野公園・お茶の水駅・水道橋駅周辺を散策。途中で、興味を持った場所は、・西日暮里の「富士見坂」、「修性院」、「諏訪神社」、「西日暮里公園」、・御茶ノ水駅近くの、「湯島天神」、「神田明神」・水道橋駅近くの「神田上水懸樋(掛樋)跡の石碑」等。「広重の江戸(上野界隈)」歴史散歩(2024/12/12)その2
「広重の江戸(上野界隈)」歴史散歩(2024/12/12):その1
「広重の江戸の今」を巡る歴史散歩、今回は地下鉄千代田線沿いの「上野界隈」の13カ所。訪れた順に、場所と浮世絵の題は以下、町屋駅近く荒川自然公園:「蓑輪金杉三河しま」西日暮里駅近くの修性院:「日暮里寺院の林泉」同じく、諏訪神社:「日暮里諏訪の台」千駄木駅近く:「千駄木団子坂花屋敷」上野公園内の清水観音堂:「上野清水堂不忍ノ池」同じく:「上野山内月の松」上野公園入口:「上野山した」上野松坂屋前:「下谷広小路」湯島天神:「湯しま天神坂上眺望」神田明神:「神田明神曙之景」神田川の昌平橋から:「昌平橋聖堂神田川」旧万世橋駅近くから:「筋違内八つ小路」水道橋駅近く:「水道橋駿河台」。途中訪れた歴史的場所等は次回。「広重の江戸(上野界隈)」歴史散歩(2024/12/12):その1
「広重の江戸」等を訪ねる歴史散歩(目黒駅から渋谷駅:2025/12/05)その1
目黒駅近く目黒川沿いに、「広重の江戸百景」は5作品、それ以外でも、行人坂からの富士山をモチーフの浮世絵を残している。今回は、これら浮世絵作成の現場の今と、途中の歴史の足跡や美術館・博物館を訪ねた。結果的には、JR目黒駅から恵比寿駅経由で渋谷駅までの歴史散歩となった。先ず、「広重の江戸の今」は、◎行人坂からの富士遠望(江戸百景には含まれず)◎「目黒太鼓橋夕日の岡」;行人坂の下、現太鼓橋から◎「目黒千代か池」:この辺りは千代ケ崎と呼ばれた台地、現在の三田公園から。◎「目黒爺々が茶屋」:現「茶屋坂道標」辺りからの富士眺望目黒のサンマのモデルとなった茶屋のあった所今回は訪れなかったが、以前富士塚巡りで訪れた二か所◎「目黒元不二」と「目黒新富士」も参考のために。その他の散策場所はその2へ「広重の江戸」等を訪ねる歴史散歩(目黒駅から渋谷駅:2025/12/05)その1
東北/乗り鉄旅(3日目 八戸-久慈-宮古-盛岡-東京)(2024/11/27)
旅の三日目は、八戸駅からJR八戸線(各駅停車:八戸09:29-11:10久慈)、久慈からは三陸鉄道リアス線(レトロ列車:久慈12:07-13:50宮古)で、三陸海岸沿いを南下し三陸海岸の景色を堪能。八戸線も三陸海岸沿い走るので三陸鉄道同様綺麗な海岸が楽しめた。更に、地震前2009年8月に訪れた時、唯一途中下車し昼食を取った思い出深い「島袋駅」周辺の変化に驚いた。当時は、海側の洒落た近代的な建物の二階からホームに出られた思ったが、今は久慈側に寄ったトンネルを出て直ぐ場所に海と反対側にクラシックな建物に変わっていた。地震の影響を感じたのは、この場所と数か所で見られた以前より強大な防潮堤だった。宮古からは予定した山田線が、大雨災害により途中運転休止なので、代替の岩手県北バスの「106特急バス」により、閉伊(へい...東北/乗り鉄旅(3日目八戸-久慈-宮古-盛岡-東京)(2024/11/27)
東北/乗り鉄旅(2日目 秋田-青森-八戸)(2024/11/26)
この日は、五能線(リゾートしらかみ1号:秋田08:19→12:48弘前12:54→13:54青森)で、日本海岸傍を北上し岩肌の海岸・海越しの北海道・岩木山と八甲田等の雪景色等を、楽しんだ(五能線は2012年10月に”リゾートしらかみ”で弘前から秋田に回って以来二度目)。青森駅では、乗り継ぎ時間を利用して、「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」、「ねぶたの家”ワ・ラッセ”」、「縄文ステーション”じょもじょも”」を覗き見。青森からは、青い森鉄道(各駅停車)で八戸に移動。途中の小湊駅で、この先の線路沿いに傾斜木の影響で約二時間に停車。2時間遅れで八戸に無事到着。東北/乗り鉄旅(2日目秋田-青森-八戸)(2024/11/26)
東北/乗り鉄旅(1日目 東京-新潟-秋田)(2024/11/25)
旅行会社のツアを利用して、二泊三日の東北”乗り鉄”旅に出かけた。初日は東京から、上越新幹線(とき315:東京10:15→12:17新潟)で新潟へ、新潟から、羽越本線(特急いなほ7号:新潟14:49→18:30秋田)で秋田まで。上毛・越後の山々と紅葉、日本海の景色を車内から堪能。残念ながら、鶴岡手前で日没で、鳥海山や男鹿半島寒風山等を拝むことが出来なかった(鳥海山はホテルの窓から、寒風山はリゾートしらかみの車内から翌日拝めた)。東北/乗り鉄旅(1日目東京-新潟-秋田)(2024/11/25)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その三)(目黒・大森界隈)(2024/11/21)
今回、最初の訪問駅に着いたとき雨。そのため急遽予定を縮小し、訪問予定地の内、比較的駅に近い場所のみと計画を変更。その結果、訪問地は、地下鉄白金高輪駅近くの古川(上流は渋谷川)に架かる「四の橋」、大田区の「洗足池」公園、JR大森駅前の「八景坂」の三か所。当初予定していた5カ所は別の機会に。「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その三)(目黒・大森界隈)(2024/11/21)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その二)(新宿界隈)(2024/11/14)
「広重の江戸」二回目は新宿界隈の七か所(井の頭・高田馬場・新宿)と、途中の古跡の散歩。JR三鷹駅・JR中野駅・地下鉄早稲田駅・JR高田馬場駅・JR新宿駅と交通機関を乗り継いで散策。相変わらず道を間違え、あっちこっちウロウロの散歩で疲れた。「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(その二)(新宿界隈)(2024/11/14)
「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚は大体訪れたので、今後は、「広重の見た江戸(浮世絵)」の”今”を歩いてみたいと思い出かけた。119枚ある浮世絵「名所江戸百景」から、第一回は赤羽・王子(北区)界隈。具体的には、地下鉄赤羽岩淵駅近くの新荒川大橋傍とJR王子駅周辺の六ケ所。序に、近隣の未訪問の寺社(赤羽岩淵駅近くの宝幢院と赤羽八幡神社)も参詣。(参考:「広重TOKYO:名所江戸百景」2017年小池・池田共著講談社)「広重の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
「北斎の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚は大体訪れたので、今後は、「北斎の見た江戸(浮世絵)」の”今”を歩いてみたいと思い出かけた。119枚ある浮世絵「名所江戸百景」から、第一回は赤羽・王子(北区)界隈。具体的には、地下鉄赤羽岩淵駅近くの新荒川大橋傍とJR王子駅周辺の六ケ所。序に、近隣の未訪問の寺社(赤羽岩淵駅近くの宝幢院と赤羽八幡神社)も参詣。(参考:「広重TOKYO:名所江戸百景」2017年小池・池田共著講談社)「北斎の江戸」を訪ねる歴史散歩(赤羽・王子近辺)(2024/11/07)
都内の富士塚巡りも区内では残り僅かになった。今回は、区内で未訪の四か所の富士塚とその周辺の史跡を訪れた。場所は、文京区「護国寺の音羽富士」、「清土(せいど)鬼子母神」、「腰掛稲荷神社」、練馬区地下鉄赤塚駅近くの「大松氷川神社の富士塚」、中野区地下鉄新中野駅近くの「五柱五成(いなり)神社の富士塚」、JR西大井駅近くの「瀧王子稲荷神社の富士塚」、最後は浅草神社の兼務社の「浅草富士浅間神社の富士塚」の7カ所。場所的に離れているので、地下鉄・JR線の効率的な乗り継ぎの計画を立て実行した積りだが予想以上に時間が掛かった。今回で区内の富士塚は大体訪れたことになる。次回からは新たな目的の歴史散歩を考えたい。都内富士塚等歴史散歩(2024/10/31)
都内の富士塚巡りも残り僅か。今回は板橋区の富士塚巡り。先ず池袋駅からバスで、旧板橋宿鎮守の「氷川町氷川神社」へ、更にバスを乗り継ぎ、赤塚の区立美術館へ移動。ここを出発点に区立郷土資料館から歩いて、「赤塚氷川神社」(上成富士塚又は上赤塚富士)、赤塚諏訪神社(2021年10月参詣済み)の境外末社である「赤塚浅間神社」(下赤塚富士)、「徳丸北野神社」(徳丸富士)、「西台天祖神社」、「蓮根氷川神社」の六カ所の神社の富士塚。この後、都営三田線蓮沼駅から帰宅。西台天祖神社で見かけた「御嶽塚」によって、御嶽講と富士講の違いなど分からなくなった。少し調べてみますか。都内の富士塚も未踏は数か所。次回で都内は終わりかな。都内に約70数か所の富士塚、富士山信仰・憧れの大きさが想像できる。板橋区富士塚等歴史散歩(2024/10/24)
江戸川区で未訪の富士塚と周辺の神社等を歩いてきた。出始めは、JR新小岩駅近くの、「小松菜屋敷」(将軍吉宗が鷹狩りに訪れた際、小松菜の食事を出し、吉宗から小松菜の名称を貰った神主・亀井和泉守の屋敷跡)と「新小岩香取神社」(小松菜の産土神の表示)、次は、バスを乗り継ぎ、船堀駅近くの白髭神社内の「浮州浅間神社」(ネット情報では富士塚とあるが、末社としての祠があるのみ)と、西葛西駅近くの「小島八幡宮の富士塚」、この後、葛西駅に移動し、「中割富士」の天祖神社と「雷(いかづち)富士」のお寺「真蔵院」。都内はバス路線が巡らされており、上手に使えば歴史散歩も楽になる。東京の富士塚巡りも、後は板橋区の一部を残すのみとなった。江戸川区富士塚等歴史散歩(その二)(2024/10/17)
今回の歴史散歩は東京都江戸小川区の富士塚等巡り。出始めは、JR総武線平井駅周辺の、安養寺(お寺にある珍しい富士塚)、「平井聖天」隣の「平井諏訪神社の平井富士」、区内で一番高い「平井浅間神社の逆井富士」、次に、総武線小岩駅に移動し、近くの「小岩神社の小岩富士」。最後は、小岩駅からバス利用で、「上篠崎の浅間神社の富士講碑」と、瑞江駅近く天祖神社の「上鎌田の富士塚」。気温は30℃以下の曇り模様でこの時期の散策日和だったが、出だしJR中央線の電車遅れで30分ほど無駄にしたり、上鎌田の富士塚から瑞江駅までで、道を間違えウロウロしたりと、時間を大分無駄にした散歩であった。都内(江戸川区)富士塚等歴史散歩(2024/10/10)
歴史散歩、今回は葛飾区内の富士塚のある神社と途中の史跡巡り。出発は葛飾区の東の端北総鉄道新柴又駅近くの「鎌倉八幡神社」。次は、京成線青砥駅に戻り、近くの「立石富士のある熊野神社」、更に史跡「立石」のある公園傍を通り、約2㎞歩いて葛飾警察署近くの「四ツ木白髭神社」へ。次は、少しバス移動で「「上平井天祖神社」を参拝した後、「上小松天祖神社」から「新小岩天祖神社」の富士塚関連を探索。途中、「正福寺」という立派なお寺の前を通過。最後は、JR新小岩駅から帰宅の行程。この日は、最高気温が25℃の曇り日和で散策には楽な半日であった。都内(葛飾区)富士塚等歴史散歩(2014/10/03)
旅(散策)には三度の楽しみ。先ず資料を集めて計画を立てる楽しみ、カメラ片手に新しい発見に出会える楽しみ、最後は写真等の思い出を整理して旅メモを作る楽しみ。閑話休題。今回は、「富士塚巡り」のながれで、都内足立区・江東区の残った未訪問富士塚と、その周辺の歴史遺跡の散策。自宅から2時間程かけて足立区の東武伊勢崎線竹ノ塚駅へ。そこから約1.5㎞の「伊興氷川神社の富士塚跡」と、その周辺の、「伊興遺跡公園」・「見守り地蔵の法受寺」、「白旗塚遺跡」を訪れた後、電車移動で「西新井大師(総持寺)」と「西新井浅間神社」(富士塚は無いが跡地に関連石碑)を訪問。次に電車・バス移動で、江東区の「亀戸浅間神社の亀戸(本所)富士」と「富岡八幡宮(元々の富士塚は壊されたが、境内左手奥の末社浅間神社の裏に小型のものが再建)」を散策。酷暑も...歴史散歩:都内(足立江東)富士塚等(2024/9/26)
異常気象の暑さにめげず歴史散歩に出かけた。経路は、京浜急行鮫洲駅近くの「鮫洲八幡神社」(鮫洲富士)から京急線を乗り継ぎ、「羽田神社内の羽田富士」へ、一部情報で穴守稲荷神社に「穴森富士」なる富士塚の存在が書かれていたが、神社の関係者に訊くと宗旨が違うので富士塚は無いとのこと。本殿右手奥の稲荷山を勘違いしたようだ(ここは以前来たことがあったので少し無駄)、更に、京急線を乗り継いで、六郷土手駅から、「北野神社(止め天神)」、「六郷神社」、「古川薬師(安養寺)」を訪れた後、東急多摩川駅近くの「多摩川浅間神社(多摩川富士又は田園調布富士)」までの行程。最後の、多摩川浅間神社の展望台からの眺望に、散策の疲れが吹き飛んだ。都内(品川大田)富士塚等歴史散歩(2024/9/19)
中秋の名月、すぐそばに土星。月をハレーション状態にすると、土星が写った。何となく土星のリングが見えていそうだが、写真には写っていなかった。序に相模川に架かる「あゆみ橋」のライトアップが始まった。中秋の名月の傍に土星序にあゆみ橋のライトアップ
歴史散歩:都内(港・渋谷・世田谷)富士塚巡り(2024/9/12)
残暑の中、勇気を振り絞って歴史散歩に出かけた。今回は、品川・渋谷・世田谷区の富士塚等歴史遺物めぐり。最初はJR大崎近くの「居木(いるぎ)神社」。この神社の参道傍、鳥居の近くに縄文前期の遺跡の貝塚跡が残されていた。この辺りに、溶岩のようなものが置かれているのでここが富士塚か?。次はとなり駅五反田駅近くの「徳蔵寺」この完全にビル化された寺は、富士塚とは関係ないが、ビル前の狭い場所に、虫歯痛み除去に効能のある三輪地蔵尊、眼病に霊験のある塩地蔵や、近隣から集められた庚申塔等が並べらていた。この後、電車・地下鉄を乗り継ぎ中目黒駅へ移動し、「目黒新富士石碑(別所坂児童公園)」から「目黒元富士跡」。更に、元富士近くの「旧朝倉家住宅」へ。目黒新富士、元不二は、安藤広重の「名所江戸百景」に残されているが、富士塚は既に壊され...歴史散歩:都内(港・渋谷・世田谷)富士塚巡り(2024/9/12)
夏眠から目覚め外気温が下がってきたので歴史散歩を再開。今回は横浜市鶴見区と川崎市幸区の三か所の富士塚巡り。残暑が厳しそうなので、極力公共交通機関の利用を考えた行程で実行。先ず、京浜急行生麦駅から、◎生麦水天宮の富士塚(横浜市鶴見区生麦)(序に直ぐ傍の「道念稲荷神社」)バスで鶴見駅まで移動。旧東海道を歩いて、◎鶴見神社の富士塚(横浜市鶴見区鶴見中央)鶴見駅から川崎駅へ。駅前からバスで、◎小倉神社の富士塚(川崎市幸区小倉)この後、バスでJR小杉駅へ移動し、電車乗り継ぎで帰宅。歴史散歩:横浜・川崎の富士塚巡り(2024/9/5)
JR飯田線(愛知県豊橋ー長野県辰野)乗り鉄旅(2024/8/20)
以前から一度乗ってみたいと思っていたJR飯田線の乗り鉄に出掛けた。ローカル線の風情を楽しむため、鈍行列車を利用。豊橋駅7時48分長野県天竜峡駅行きに乗車。天竜峡駅では、次の乗り継ぎ電車の待ち時間を利用して、姑射橋(こやきょう)から「天竜渓谷」を見学。次の電車で、元善光寺駅で下車、「元善光寺」に参拝。この後は、電車を乗り継いで、飯田線の終点辰野駅(元々は、大回りしていた中央線の岡谷から塩尻間の途中駅だが、今は、岡谷から約6㎞のトンネルによる短絡線が出来たので、完全なローカル駅になった)経由で岡谷駅へ。四本の各駅停車を乗り継ぎ、岡谷駅に16時59分着。トータルの乗車時間は7時間半。天竜峡まではトンネルや林間の連続、天竜峡からは、左手に中央アルプス、右手の南アルプスの山々を見ながら、水田や果樹園の中を走る線路で...JR飯田線(愛知県豊橋ー長野県辰野)乗り鉄旅(2024/8/20)
発見された日本の風景(高野光正コレクション)に出掛けた(2024/8/2)
横浜に出かけた序に、横浜高島屋で開かれていた「高野光正コレクションー発見された日本の風景ー」に立ち寄った。米欧で収集した明治時代の日本の庶民、風景などを描いた油絵・水彩画コレクション。派手さは無いが興味深い絵が100点以上展示。楽しめた。発見された日本の風景(高野光正コレクション)に出掛けた(2024/8/2)
久し振りの歴史散歩。今回は、神奈川県藤沢市北西部の城址・富士塚等。経路は、小田急江ノ島線湘南台駅→バスで、「舟地蔵」と「大庭城址公園」→バス・小田急線を乗継ぎで藤沢本町駅・湘南台駅へ戻り学バス(?)で慶応大学湘南藤沢キャンパス→偶然見つけた「古代住居跡」→「遠藤富士浅間神社」→「縄文時代早期末の炉穴群」→「宇都母知神社」→慶応大学バス停から湘南台駅へ戻り、本日の散歩終了。12世紀、関東平氏大庭氏による「大庭の舘(たて)」跡に、15世紀に太田道灌が砦を築造、その後小田原北条氏が改修したと伝えられている山(丘?)城跡。大庭氏は石橋山の戦いで源頼朝に勝ったものの、その後滅ぼされた。今回、細い階段の南口登り口、公園として整備された庭園を歩き、空堀・掘立て柱建物跡などを見、東口から下山。南口・東口の道は、中途半端整...歴史散歩:藤沢市北西部城址・富士塚等(2024/6/13)
都内北部の富士塚を中心とした歴史散歩に出かけた。行程は、JR武蔵野線東所沢駅→清瀬市の「中里富士」→バス移動→清瀬市の「三角山下里富士」と「下里本邑遺跡公園」→バスと電車移動→杉並区の「上井草八幡宮と富士塚」→バスと電車移動→西新宿の「成子天神社と成子富士」→JR新宿駅で終了。今回の行程は、飛地なのでバスを最大限に利用。バスに乗って何時も感じるのは、老人パス利用者の多いこと。後期高齢者の一人としては、地域優先の老人パスを全国一律にして欲しいものだが。富士塚(清瀬・杉並・新宿)等歴史散歩(2024/5/30)
都内(足立・北・文京区)富士塚等歴史散歩(2024/5/23)
今回の目的の一つは、日暮里から見沼親水公園駅まで、コンピューター制御による自動運転で走っている「舎人ライナー」に乗車すること。眺めは良いのだが、乗り心地は今一つで、長時間乗るのは辛い。前線高架なので交通渋滞に強い近距離輸送用かな。歴史散歩の行程は、◎舎人ライナー「見沼親水公園駅」近くの「舎人氷川神社」(本殿の彫刻が面白いとのことだがフェンスで囲われ見えづ残念)◎円墳の上に本殿が建っている「入谷氷川神社」◎西新井大師西駅近くの「押部八幡神社」(昭和初期に造られた小さい富士塚)◎足立小台駅から荒川沿いを上った「宮城氷川神社」(鎌倉時代後期の宮城氏居館之址で、富士塚は小振り)(この後バス移動)◎JR田端駅近くの「田端八幡神社」(急峻な崖沿いの富士塚)、隣は以前訪れた谷中七福神の一つ「東覚寺」(赤紙仁王等)◎都立...都内(足立・北・文京区)富士塚等歴史散歩(2024/5/23)
所用で川崎市登戸近くに出かけた序に、「生田緑地バラ苑」に出掛けた。バラ苑は多摩川右岸の段丘上にあるため、可成りの坂道・階段を登った上にあった。平日にも関わらず沢山の入園者、殆どが高齢者と女性。登り道からは、スカイツリーなども望めた。川崎市「生田緑地バラ苑」(2024/5/17)
風邪で一か月間静養の後、歴史散歩を再開。今回は江戸末期の外国領事館跡を中心に東京都港区の歴史遺跡を散策した。経路は、都営三田線芝公園駅から「西應寺」(蘭領事館跡)→「元和キリシタン遺跡」→御田八幡神社→亀塚公園→「済海寺」(仏領事館跡)→幽霊坂・玉鳳凰寺(化粧延命地蔵(おしろい地蔵):ここは2度目)→「長松寺」(荻生徂徠の墓)→「立行寺」(大久保彦左衛門の墓)→「覚林寺」(加藤清正関連)→明治学院大学(「インブリー館」等の建物)→「東禅寺」(英国領事館跡)まで。この後、JR品川駅から帰路。計画では、約6㎞の行程だが、相変わらず道に迷ったりで10㎞弱に。この他、地下鉄麻布十番駅近くに、アメリカ領事館のあった善福寺があるが、このお寺は以前訪れたことがあるので、今回はパスした(参考までに、写真を最後に追加)。旧外国領事館跡等東京港区の歴史散歩(2024/5/16)
桜と神社仏閣を訪ねる二泊三日の京都旅行に出掛けた。初日は「「嵐山周辺(嵐電桜のトンネル、嵐山公園等)」と「教王護国寺(東寺)の夜間特別拝観(夜桜)」。嵐山周辺は相変わらず、和服姿の外国人等で溢れていたが、東寺は比較的外人は少ない印象。東寺の「夜桜と五重塔」、講堂の「立体曼荼羅」は、圧巻。二日目午前中に、洛北の「原谷苑」と山科の「毘沙門堂」、午後は、再び洛北に戻り、「二条城」から「北野天満宮・平野神社」、序に「旧京都府庁舎」を回った。二条城では、観光客の9割以上は外国人の様だ。三日目は、醍醐寺周辺のお寺散策(「勸修寺」・「随心院」と「醍醐寺」)、最後は、帰りの新幹線の待ち時間を利用した京都駅近く、東本願寺の庭園である「渉成園(枳殻亭)」の散策で終了。一日目は時々小雨、二日目は曇り、三日目は晴れと先ず先ずの天...桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)
鎌倉幕府御家人「畠山重忠」終焉の地である相模鉄道霧ヶ峰駅周辺には、重忠最後に関わる史跡が多い。今回はその遺跡を巡った。経路は、相模鉄道霧ヶ峰駅から、「首塚」→「重忠公碑・古戦場跡」→「薬王寺・六つ塚」→「駕籠塚」→「重忠公硯水の跡」、約3㎞の行程。最後は帰り道で見かけた江戸時代の仏塔。歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)
今回の歴史散歩は、曇り空が少々気になったが、「横浜の富士塚巡り」に出かけた。経路は、相模鉄道西谷駅から西谷富士(富士山神社)、西谷駅に戻り羽沢横浜国大前駅へ移動。堅老神塔・大田道灌所縁の硯松等を途中見て、住宅街の「羽沢富士」へ。この後、上り下りの約2㎞歩いて最勝寺傍の「熊野堂富士」へ。危なっかしい熊野堂登山道を下り最勝寺見学の後、バスで横浜駅に移動。横浜駅西口から、富士山(芝生富士)に見立てた丘の上の浅間神社へ。この後、相模鉄道平沼駅まで歩き、この日前半の歴史散歩は終了。後半は相模鉄道霧ヶ峰駅周辺の歴史散歩。歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)
歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)
府中市には、国内最大・最古の上円下方墳である「武蔵府中熊野神社古墳」を代表とする多数の古墳群、1900年の歴史を持つ「大國魂神社」、奈良時代から平安時代中期までおかれていた「国府(国衙)跡」、鎌倉時代末の合戦跡、甲州街道の宿場(府中宿)等歴史的な遺跡が多く、比較的狭い範囲に集まっている街。今回、南武線・京王線分倍河原駅周辺の史跡の歴史散歩に出かけた。経路と主な立ち寄り先は、京王線多磨霊園前駅から「常久一里塚」→「武蔵国府八幡宮」→「大國魂神社」→「武蔵国府跡」→「府中高札場跡」→「善明寺」→「高安寺」→「首塚古墳と天王塚古墳」→「分倍河原古戦場碑」→「三千人塚」→「坪宮」→「国司館と家康御殿史跡跡広場と府中御殿井戸跡」→南武線府中本町駅まで、約10㎞の行程。分倍河原駅前は50年以上前に、新婚時代にアパート...歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)
今回の歴史散歩は常磐線沿い、六ケ所の富士塚巡りと、途中で見かけた歴史を感じさせる遺物の探索。経路は、常磐線綾瀬駅→綾瀬富士(綾瀬稲荷神社)→綾瀬駅→金町駅→飯塚富士(飯塚富士神社)→金町富士(葛西神社)→金町駅→北千住駅→千住宿・安養院→大川富士(氷川神社)→千住富士(千住神社)→慈眼寺・一里塚跡→富士塚(柳原稲荷神社)→十一面観世音堂→京成関屋駅予定では12㎞程の距離だが、相変わらず道に迷ったり寄り道をしたりで、約15㎞、2万歩ほど。歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)
今回は、小田急線町田駅北西・本町田地区の鎌倉街道沿周辺の神社仏閣と、駅南東・原町田地区の石器時代遺跡・七福神・版画美術館等を訪ねる散策。経路は、町田駅からバス移動→「養運寺」→「宏善寺」→「菅原神社(井出の沢の碑)」→バス移動で町田駅に戻り→カリヨン広場・「「絹の道」の碑」→「淨運寺(町田七福神の毘沙門天)」→「商工会議所前の福禄寿」→「勝楽寺(寿老人)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(牢場遺跡)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」→「芹ヶ谷公園・町田市立国際版画美術館」→「母智丘神社(弁財天)」→町田駅近くの「馬頭観世音」で本日の散策終了。歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)
歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)
今回の歴史散歩は、江戸川区と江東区の「富士塚」巡り。江戸川区には富士塚が15カ所と非常に多く残っているが、多くの塚が明治以降に造られたものの様だ。何れも小振りで高さも、4m以下。今回唯一の江東区の「砂町の富士塚」は、江戸時代後期に造られたもので、今回のなかではいちばんの大型。歩いた経路は、都営新宿線瑞江駅→豊田神社(下鎌田の富士塚)→上今井香取神社(今井富士)→日枝神社(船堀の富士塚)→桑川神社(桑川の富士塚)→香取神社(長島の富士塚)→天祖神社(中割の富士塚)→東西線葛西駅→南砂町駅→富賀岡八幡宮(砂町の富士塚)→南砂町駅まで。途中に見られた不動尊、神社仏閣等の歴史遺物を楽しみながら歩いた約10㎞。歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)
東京・神奈川の「富士塚」巡りを再開。先ず、東武伊勢崎線沿いの富士塚から。経路は、東武線谷塚駅→富士浅間神社・小御嶽神社(瀬崎富士)→県境の毛長川を渡り→花畑浅間神社(花畑富士)→花畑記念庭園桜花亭→保木間氷川神社(保木間富士)→旧日光街道→島根鷲神社(島根富士)→将軍家御成橋・御成道松並木跡→徳川将軍日光墓参途中立ち寄った「国土安穏寺」→小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)→西新井駅→五反野駅→西ノ宮稲荷神社五反野駅。この地域の、富士塚は、比較的近い昔に造られたものが多く、全体的に小振り。計画した歩行距離は8㎞程の筈だが、道に迷ったりして遠回りをしたので、歩数的には10㎞以上歩いたと万歩計の数値。暖冬の影響か、春一番の強風下、気温20度近く、疲れた散策だった。歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)
「カナガワ り・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)
神奈川の伝統文化の継承を目的に、海老名市文化会館で開催された「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛け、地域の古典芸能を満喫。内容は、1.海老名市の大谷地区で江戸時代から続く「大谷歌舞伎」内容は、「御所桜堀川夜討」の三段目「弁慶上使」。弁慶生涯一度の一度の恋を描いた義太夫狂言(らしい)。一旦途絶えたものが、戦後復員青年によって復活させられ、今も大谷八幡宮の祭典などで上演されているとのこと。本格的な歌舞伎に見えた。2.高校生による創作ダンス:少々ついていけない。3.湯河原町吉浜地区素鷲神社に伝わる「吉浜鹿島踊り」元は茨城鹿島神宮の芸能だったが、伊豆半島東岸の石材・木材運搬の海上安全や、疫病送り払い、大漁豊作を祈る呪芸とのこと。4.山北町共和地区に伝承されている「山北のお峰入り」700年前から伝承の民...「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)
伊東温泉一泊旅行の帰りに、来宮駅で下車し糸川遊歩道の早咲き桜「あたみ桜」を楽しんだ。「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人が熱海に伝えたとのことで、1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類が形成されるので、開花期間が長く、ソメイヨシノ等が1~2週間で散ってしまうのに、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるとのこと。途中、あたみ桜に交じって、真っ赤に咲いた花を見つけた、後で調べるとブーゲンビリアとのこと。約300mの遊歩道を下った後、海岸遊歩道を散策。最後の、海岸から熱海駅までの急坂には参った。「あたみ桜」(2024/2/7)
秦野市内で未訪の古跡を、奥津国道美術館見学の序に巡った。順路は、秦野駅→(バス利用)→<御嶽神社・八坂神社>→<出雲大社相模分祀>→国道246号線を歩き→<曾屋神社・護国神社>→奥津国道美術館→(バス利用)→秦野駅→<岐神(ふなとのかみ)庚申塔>→<今泉名水桜公園>→<太岳院>→<弘法の清水>→秦野駅今回の散策で興味を持ったのは、「名水」と「岐神(ふなと(くなど)のかみ)の道祖神」。秦野は名水の里としても知られており、名水に関係する場所が多い。又、秦野駅南側の今泉地区では、昔男子の生まれることが少なかったので男子が授かるように祈願して祀ったという岐神が祀れていた。<岐の神(ふなと、くなどかみ)とは、ネットから>岐神とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時、投げ捨て...歴史散歩秦野古跡巡り(2024/1/30)
秦野市(神奈川県)の古跡巡りの途中で訪れた美術館。ネットで偶然見つけたが、多くの水彩画が展示されていると知り興味を持っていた。秦野市郊外の”くずは峡谷公園”の外れに、カフェが主体(?)のこじんまりとした美術館。散策途中の小休憩だった。奥津国道美術館(2024/1/30)
法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)
越中五箇山から移築されたの‘合掌造り‘の古民家を含めて多くの古民家が点在する料亭で会食。料理も良かったが、古民家に癒された半日だった。法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)
今回の歴史散歩は、相模国二ノ宮「川匂神社」のある二宮町の古跡巡り。経路は、東海道線二宮駅→旧東海道を<押切坂一里塚跡>まで→薬師堂→密巖院→<面光寺>→<川匂神社>(頼朝が妻北条政子の安産祈願した神社)→吾妻山公園梅沢登り口→<吾妻神社>(祭神は、日本武尊と弟橘媛命(おとたちばなひめ))→<吾妻山公園>→<曽我兄弟の墓>(記録では17世紀末に再建されたものとのこと)→<知足寺>→堂面バス停から秦野駅まで。大体は平坦な行程だが、吾妻山公園梅沢口から吾妻神社への登り道は、非常に急で険しく、歳を感じざるを得ない厳しい道だった。歩行距離は今回も約10㎞。歴史散歩神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)
本年最初の歴史散歩は、箱根町から小田原市を箱根登山鉄道沿いに。特に箱根湯本駅、風祭駅、箱根板橋駅周辺。入生田駅近くにも紹太寺(しょうだいじ)等もあるが、以前訪れたことがあるので今回はパス。経路は、箱根湯本駅→町立郷土資料館(残念ながら休館日)→旧東海道上り坂→「白山神社」→「早雲寺」→箱根湯本街中→箱根湯本駅→電車で風祭駅→「一里塚」→「宝泉寺」→「万松院」→「日蓮上人思親の地」→「宗福院地蔵堂(板橋地蔵尊)」→「秋葉山量覚院」→「松永記念館」→「香林寺」→旧東海道(旧家内野邸)→箱根板橋駅約10㎞強の行程。この辺りは、大部分が小田原北条氏関連の寺社が大部分。歴史散歩箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)
我が家から相模国の一宮「寒川神社」までは約10㎞の距離。少々遠回りだが、相模川左岸のサイクリング道路を歩くことにした。サイクリング道路は、JR相模線厚木駅近くから倉見駅近くまでは整備され、天候にも恵まれ、右手に大山・富士山を眺めながら歩いた。お正月も八日だが休日のせいか、多くの参拝客。帰りは電車で往復4時間の行程。相模の一宮「寒川神社」に初詣(2024/01/08)
子供が”まとわりついて眠っている”ように見えた御神木(大磯町西部の六所神社)の根本。面白い!!御神木に縋りつく子供?
今年最後の歴史散歩は、「東海道大磯宿」。大磯駅の東側の、朝鮮半島からの渡来人に関係すると思われる「高来神社」や大磯宿関連の「化粧(けわい)坂の一里塚・松並木」・「江戸見附跡」等は以前歩いたことがあるので、今回は大磯駅の西側を歩いた。出発は大磯駅からで、主な立ち寄り場所は、大磯駅→妙輪寺→延台寺・虎御石→小島本陣跡・尾上本陣跡→南組問屋場跡・新島襄周縁の地碑→高札場跡→湘南発祥の碑→鴫立庵→島崎藤村旧宅→統監道→松並木→明治記念大磯庭園→宇賀神社・八坂神社→大磯町郷土資料館→県立大磯城山(じょうやま)公園→西長院(中丸身代り地蔵尊)→宝積(ほうしゃく)院→相模国総社六所神社→国府新宿バス停まで。大磯には、宿関連の遺構・建物は残って無く、夫々の施設のあった場所に説明の掲示板が建てられていた。それ以外では、明治...歴史散歩「東海道大磯宿」(2023/12/28)
歴史散歩 大山街道(伊勢原市石倉橋~こま参道) (2023/12/21)
今回は、「石倉橋バス停」から「こま参道」まで。阿夫利神社下社までは、数年前ケーブルカーと女坂を下ったことがあるので、これで歴史散歩「大山街道」は終了。行程と主な立ち寄り場所は、小田急線伊勢原駅→石倉橋バス停→道標(旧石倉橋)→石倉神社→比々多神社→這子坂・地蔵尊・水神→三の鳥居→ようこその門→阿夫利神社社務局→愛宕滝・愛宕橋・良弁滝・開山堂→豆腐坂・もみじ坂・茶湯寺→こま参道→大山ケーブルバス停→伊勢原駅バス停からは、上り坂の約5㎞。途中休憩なしで、景色等を楽しみながらで約150分の行程。帰りのバスでこの行程は、約15分だった。歴史散歩大山街道(伊勢原市石倉橋~こま参道)(2023/12/21)
歴史散歩 大山街道(赤坂御門跡~三軒茶屋) (2023/12/14)
今回は、大山街道出発点である赤坂御門跡から、国道246号線(青山通り・玉川通り)を中心に一部脇道に逸れる旧道を巡る約8㎞の行程。経路は、地下鉄半蔵門線永田町駅→「赤坂御門跡」→弁慶堀・弁慶橋→赤坂見附交差点→青山通り(国道246号)から左折「牛鳴坂」→青山通り→「梅窓院」→「善光寺」→国連大学・青山学院前→「宮益坂」・「御嶽神社」→渋谷駅→道玄坂→玉川通り(国道246号)→大山近くを除いて街道で一番の急坂「大坂」→「氷川神社・目黒富士浅間社」→大橋(目黒川)→池尻の旧道→「池尻庚申堂」→「池尻稲荷神社」→三宿交差点経由して三軒茶屋交差点まで比較的分かり易い行程で、道に迷うことは無かった。これで大山道の約9割を走破したことになる。歴史散歩大山街道(赤坂御門跡~三軒茶屋)(2023/12/14)
歴史散歩 「大山街道(愛甲石田~長倉橋)(2023年12月7日)
今回は、小田急線愛甲石田駅から伊勢原市の長倉橋まで。今回歩く伊勢原市内は数年前、熊が目撃された場所なので少々気にはなったが、今年は目撃報道が無いので出かけることにした。経路と主な立ち寄り場所は、愛甲石田駅→「浄心寺」→石田交差点傍「道祖神」→「長龍寺」→「小金塚神社」→「道祖神」→成瀬小学校裏の「白金地蔵」→歌川橋→第二東名高速下→旧粕屋宿→「普済寺」→「高部屋神社」→下糟屋交差点傍の「庚申塔」→東海大学附属病院下→「咳止地蔵」→市米橋(渋田川)→「三軒茶屋」→東名高速道路傍「〆引の道標」→「千石堰用水」→」三所石橋供養塔」→「台の道標」→石倉橋バス停まで、約7㎞、3時間強の行程。天気は快晴で少々気温が高かったが適当に風が強くて歩きやすかった。更に、比較的適当に案内板が設置されており道を間違えることは無か...歴史散歩「大山街道(愛甲石田~長倉橋)(2023年12月7日)
歴史散歩 大山街道(海老名~愛甲石田)(2023/11/30)
大山街道歴史散歩、八回目は、海老名から相模川を渡って厚木市内を南下、小田急小田原線愛甲石田駅までの約8㎞、4時間の行程。経路と主な寄り道場所等は、海老名側「渡船場跡(護岸工事中)」→あゆみ橋→「厚木渡船場跡」→旧厚木宿(「鳥山藩陣屋跡」・「厚木神社」・「万年屋跡」)→小田急小田原線ガード→宝安寺→「最勝寺」→「熊野神社」→「智音寺」→ソニーテクノロジーセンター前→「平塚街道碑」→「三嶋神社」→「永昌寺」→東名高速道路ガード→「長徳寺」→「法徳寺」→岡田用水路・「道祖神」→石造物のある三叉路→「酒井寅薬師」→「法雲寺」→岡田交差点→酒井前田交差点(国道129号線)→新宿(しんしゅく)橋・「道祖神」→「稲荷祠」→道端に道標等の石造物→小田原厚木道路のガード→玉川橋・「愛甲宿の道標(庚申塔)」→「大厳寺」→「円...歴史散歩大山街道(海老名~愛甲石田)(2023/11/30)
東急田園都市線江田駅から青菜台駅に向けて大山街道を歩いているとき見かけた何か興味を引いた建物。大山道が日野往還と交差する十字路近くに残る「綿屋」という旅籠の今。この辺りは、竹の下下宿だったとのこと。(水彩画)綿屋(元旅籠)(2023/11/24)
大山街道の歴史散歩、今回は小田急線鶴間駅から海老名駅までの約10km。道筋は大和市から海老名市・綾瀬市・座間市の境界線を歩き、海老名市中央部に繋がる大山道。海老名市までは、これといった歴史的遺物は見当たらなかった。小田急線鶴間駅→旧国道246号線で「道標」(新しいもの)→大和斎場交差点(ここで、道を間違え遠回り)相模鉄道さがみ野駅前→大塚本町交差点→右折して寄り道:「富士塚・庚申塔」→市道に戻り赤坂バス停傍「不動明王」→渡辺崋山案内板とマンション内に残る「道標」(?「妙法観音像」)→目久尻橋・目久尻川沿い→伊勢山自然公園下→「逆川碑」→国府宿「辻の庚申塔・馬頭観世音」←「相模国国分寺跡・温故館」→大欅(けやき)→海老名駅入口交差点・小田急線高架橋から大山これで、大山道の2/3歩いたことになる。次回は相模川...歴史散歩大山街道(鶴間~海老名)(2023/11/22)
歴史散歩 大山街道(横浜線長津田駅~小田急江ノ島線鶴間駅) (2023年11月16日)
大山街道、今回は長津田(横浜市)から町田市をかすめて神奈川県大和市鶴間まで、約7㎞の行程。途中道を間違えて戻ったりしてウロチョロしているのでプラス数km。JR横浜線長津田駅→旧街道の面影残す「長坂」→案内所には”そばや”と紹介されているが今は”米粉のパン屋”前→横浜田園都市病院近くの坂道から富士山・大山の眺望→つくしの歩道橋近くで右折して坂を上がり、眺望の良い「馬の背」→横浜・町田境界線近くの「地蔵堂・道祖神」→大ケ谷庚申塔・圓成寺→五貫目道祖神→目黒の交差点・堺川にかかる鶴間橋→阿夫利神社御分霊社・新田義貞関連→下鶴間ふるさと館→不動明王・鶴林寺→地蔵尊・まんじゅう屋跡・坂上厄除地蔵尊→滝山道と大山道の交点→小田急江ノ島線鶴間駅で、この日の歴史散歩は終了。歴史散歩大山街道(横浜線長津田駅~小田急江ノ島線鶴間駅)(2023年11月16日)
歴史散歩、引き続き大山街道。今回は田園都市線江田駅から長津田駅までの約8㎞、途中迷子になりウロチョロしたので、移動距離は10㎞程。経路は、田園都市線江田駅→市ヶ尾小学校近くの「市ヶ尾竹下地蔵堂」→旧日野往還と大山街道が交差する「竹の下下宿」跡に残る旅籠の「綿屋」→大場川(下流は鶴見川)を渡る「川間橋(別名三文橋)」→「医薬神社」→藤が丘駅近くを通り、「再勝橋」から青葉台駅近く→大山街道から外れつつじが丘の住宅街を抜けて「神鳥前川神社」→大山街道に戻り交通量の激しい246号線を歩き片町交差点を右折→JR横浜線のガードを抜けると、「地蔵堂」→長津田宿入口の下宿常夜燈等を集めた石造物群→長津田駅で本日の散歩終了。これで、大山街道の半分程度は歩いたかな。歴史散歩:大山街道(江田~長津田)(2023年11月9日)
<歴史散歩>「大山街道」(東急田園都市線梶が谷駅~江田駅) (2023年11月2日)
引き続き大山街道散策、今回は梶が谷駅から江田駅まで約10㎞。経路は、梶が谷駅→「道標・庚申塔」→梶が谷交差点→「宮崎大塚」(近くに大山街道の迂回路)→宮崎台駅前の「八幡神社と庚申塔」→小台坂(途中から迷って東急鷲沼車庫の傍を抜けて)→鷲沼駅→八幡坂を下って国道246号線→「阿弥陀堂」→この辺り区画整理で大山道消えている。→川崎市宮前区から横浜市都筑区へ→うとう坂・血洗い坂→市営地下鉄あざみ野線の高架橋→「不動滝」→早淵川沿い・鍛冶橋→「荏田宿の庚申堂・常夜燈」→「高札場跡」→右手の民家奥の「荏田城址」の丘を眺めて→江田駅で、この日の散策終了。<歴史散歩>「大山街道」(東急田園都市線梶が谷駅~江田駅)(2023年11月2日)
歴史散歩(大山道:三軒茶屋から二子玉川まで上町・慈眼寺ルート)(2023/10/26)
大山街道三軒茶屋から二子玉川までは、新旧二つのルートがあり、前回、東京田園都市線に沿った道(「新町・行善寺線」)を歩いたので、今回は最初に設定された「上町・慈眼寺線」を歩いた。経路と主な寄り道場所は、東京田園都市線三軒茶屋駅→世田谷通り→東急世田谷線世田谷駅近くの「大吉寺」「圓光院」→世田谷通りに分かれ、ボロ市通りの「代官屋敷・郷土歴史館」→世田谷線上町駅近くで左折(南下)→「畳屋前の石碑」「大山街道旅人の像」「弦巻4丁目の道標」→「用賀追分」から前回と同じ経路を「延命地蔵」まで→「延命地蔵」で右折して環八通りを越えて→「慈眼寺」「瀬田玉川神社」→「次大夫堀」→終点東急田園都市線二子玉川駅総距離約7㎞とプラス寄り道で約3時間の行程。歴史散歩(大山道:三軒茶屋から二子玉川まで上町・慈眼寺ルート)(2023/10/26)
歴史散歩(大山街道三回目:三軒茶屋から二子の渡しまで(新町線))(2023/10/19)
大山街道の三軒茶屋から多摩川二子の渡し場までは二つのルートがある。今回は、三軒茶屋で分離し後から造られた現在の国道246号線(世田谷通り)にほぼ沿った新町線を歩いた。東急田園都市線(新玉川線)に沿った道で、出発は三軒茶屋駅から、二子玉川駅近くの二子の渡しまでで、距離は約7㎞+ウロチョロ寄り道分。寄り道の見どころは、三軒茶屋駅傍の「不動尊の道標」→中里通りの「地蔵尊」→世田谷通りと環七交差点近くの「宗円寺」→駒沢大学近くの「庚申堂」→桜新町駅近くの「善養寺」・「サザエさん家族の像」→用賀駅近くの「用賀追分の碑」・「用賀神社」・「真福寺」・「延命地蔵」→二子玉川駅近くの「行善寺」・「法徳寺」→多摩川傍の「二子の渡し碑」等。散歩道は、地下に走るの東急田園都市線の三軒茶屋駅から二子玉川駅までの地上部を歩いたことに歴史散歩(大山街道三回目:三軒茶屋から二子の渡しまで(新町線))(2023/10/19)
歴史散歩(大山街道:二子新地~梶が谷)(2023/10/12)
今回の歴史散歩は、東京赤坂御門から神奈川県大山までの「大山街道」の神奈川県側の二子新地から梶が谷までの約3㎞。東急田園都市線二子新地駅を出発。多摩川河畔の「二子の渡し」から二子神社・岡本かの子文学碑、二子宿の商店街から、登戸方向に交通量の割には狭い旧大山街道を散策。溝口宿を抜け、JR南武線の踏切を渡り、急坂の「ねもじり坂」を抜け、最後は街道を左折して、東急田園都市線梶が谷駅までで本日の散策終了。歴史散歩(大山街道:二子新地~梶が谷)(2023/10/12)
毎年恒例の町内会ウオーキングに参加。この会は、海老名市及び近隣の町の古跡などをボランティア団体「海老名タウンガイド」の案内で巡るもので、この街の歴史を知る上で好都合の催し物。今年は、自治会館から東名高速「海老名サービスエリア」までの往復で、途中の歴史遺産などを巡った。<<海源寺>>室町時代、この地の領地争いの際に安房(現在の千葉県)から援軍に来て、そのままこの地を領有することになった武士の菩提寺。18世紀の江戸様式の特徴を残している鐘楼門が興味深い。<<今福薬医門公園>>甲斐武田家滅亡後にこの地に移り住み、農業・酒造・薬種問屋・両替商により財を成した旧家の屋敷跡。江戸時代末期に建てられた薬医門形式の表門等が残っている。<<大谷観音堂>>元は、鎌倉時代に建てられた尼寺の観音堂。本堂左隣には、心正しい人には笑...町内会ウオーキングに参加(2023/10/01)
昨晩は「満月の中秋の名月」。「中秋の名月」=「満月」とは限らないことを初めて知った。中秋とは、旧暦8月15日のこと。通常は「中秋の名月」と「満月」は1日程度ずれている。次の一致するのは8年後とのこと。満月、昨晩は雲間に見えたが。今朝は雲の間をウロチョロ。満月の中秋の名月(2023/9/29)
少し涼しくなった(?)ので、冬眠ならぬ”夏眠”から目覚め、古きを訪ねる散策を開始。今回は、赤坂御門から大山(神奈川県伊勢原市)まで続く「大山詣」の道であり、且つ東海道の脇往還でもある「大山街道」の「長津田宿」周辺を散策。<<旅人の安全を守った「下宿・上宿の常夜燈」>>JR横浜線長津田駅の前の道を少し歩くと十字路、ここが旧大山街道との接点。この十字路を左に折れると「下宿常夜燈」、左に折れると小高い丘の上に「大石神社」(この傍に「上宿常夜燈」)、直進すると「大林寺」。江戸時代に栄えた長津田宿は、大正時代に寂れ昭和になって大火で宿場町として面影は消えてしまったとのことで、宿としての古民家は残っていないようだ。常夜燈は街道の宿の出入り口に設置され燈火により道を照らし宿場の安全と旅人のための道しるべとして設けられた...旧大山街道長津田宿の散策(2023/9/14)
横浜に出かけた序に、以前から一度見たいと思っていた「大倉山記念館」に出かけた。東横線大倉山駅を出て、右手渋谷方向に急な坂道を登った先に小さな森の公園。その平らな部分に白亜の殿堂。それが大倉山記念館。戦前、人間修養の場として大正時代に財を成した大倉氏が、儒・物・道教を中心に西洋文化をも融合させる研究機関として建てたクレタ文明をイメージした建物。内容は兎も角、建物見たさに急坂を汗をかきかき登ってきたのだが、それだけの価値はあった。横浜大倉山記念館(2023/09/14)
パリを描く画家「モーリス・ユトリロ」の生誕140年を記念し、国内にある作品約70点が集められたされた展示会(横浜高島屋ギャラリーで開催)に出かけた。今年三月に西山美術館(町田市)で観た作品も何点かあった。なぜユトリロかいうと、画家としての教育を受けることなく、奔放な画家の母親からの遺伝か、油絵を描き始めた画風になんとなく魅かれるものがあるから。何枚かの作品をよく見ると、なんとなく素人のような場所を見ることが出来るのも共感が持てる。開館と同時に入館し約一時間堪能。何故か、入場者の7割近くは中年以上の女性。ユトリロ展(横浜高島屋、2023年9月14日)
神奈川県内の富士塚散策(1)都筑の三富士塚(2023/6/21)
今回の富士塚は江戸を離れて神奈川県横浜市。炎天下の散策は難儀なので、比較的鉄道駅から近場に集まっている都筑区内の三富士(都筑三富士)を探索。<池辺富士(浅間神社)>横浜地下鉄グリーンライン「都築ふれあいの里」駅から東1km弱の丘陵地、周囲は横浜市の農業専用地区に指定される畑に囲まれた場所。造られたのは18世紀末。登り口に「浅間社」の鳥居、狭い登山階段を登り切った場所には小さな石造りの祠のみで質素だが、狭いのぼり道は手入れが行き届いていた。掲示等は見当たらず、知らなければ見過ごしてしまいそう。尚、池辺は、「いこのべ」と読むらしい。<川和富士(川和富士公園)>池辺富士から南西に約1.2㎞の公園内。今まで訪れた富士塚の中では、最大の高さ15m(標高は74m)で周囲をらせん状の登山道が整備。元々この場所は「猫谷戸...神奈川県内の富士塚散策(1)都筑の三富士塚(2023/6/21)
湿度・気温が高くなり、散策には不適な気候になったので、少しペースを落とした散策を計画。今回の富士塚巡りの散策は、練馬区内の二か所。<大泉富士(中里の富士塚、八坂神社)>東武東上線成増駅から西武バス大泉学園北口行に乗り、「和光市南」で下車。住宅街や野菜畑の傍を700m程歩くと白子川の谷合に続くと思われる坂道に出る。右手に草茫々の小さな丘。そこが、大泉富士。高さ12m、直径30mとのこと。江戸時代後期に造られたものを明治初期に再構築されたものらしい。登山道が整備されており頂上まで登れそうだったので、トライしてみたが狭すぎ、年のせいで足元不如意、二合目辺りでギブアップ。次の目的地の最寄り駅は練馬駅とあったので西武池袋線練馬駅と思い込み、練馬駅に直行。いくら探しても見つからないので調べてみると、練馬駅から徒歩50...富士塚巡り(その2:練馬区)(2023/6/8)
「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (7)志布志港から大阪南港・新大阪経由帰宅
紀伊水道入口付近航行中に目覚めた。この辺りからは両側に陸地・島が見える。狭い友ヶ島水道(紀淡海峡)を過ぎ、大阪湾に入ると、左手に明石海峡大橋、右手に関西国際空港も見えてきた。定刻に、大阪南港に到着。この後、バスで東海道新幹線新大阪駅に移動し帰宅の途に。フェリーはトラック等の物量輸送が目的で、クルージング船とは比較にならず、飛行機・電車・バス等より移動の長時間等、あまり期待はしていなかったのだが、期待以上の乗り心地・船内設備で、経済的な移動手段として、面白いと思った。(終り)「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(7)志布志港から大阪南港・新大阪経由帰宅
フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (6)別府温泉から志布志港まで
この日は、少々遠回りして、九州の心臓部を訪ねて、最後のフェリー乗り場志布志港まで移動。東九州自動車道から中九州自動車道として整備中の国道を走って、豊後大野市にある「原尻の滝」へ。原尻の滝は、幅120メートル、高さ20メートルで、9万年前に起きた阿蘇山の大噴火の大火砕流によってもたらされたとのこと。「東洋のナイアガラ」とも呼ばれているとのこと。この後、滝廉太郎作の荒城の月のモデルとなった岡城址の傍を抜け、久住連山を見ながら、一旦熊本県に入り、時々杉の大木の間から阿蘇山の根子岳・高岳を見えた。ループ橋を越えれば宮崎県。高千穂町の入り口では、「神楽舞の像」が歓迎。高千穂神社近くでバスを降りて「高千穂峡」の散策。ここは、約60年前、大学一年の秋(58年前)に訪れ、ボートに乗った記憶がある。現在ボート代4000円か...フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(6)別府温泉から志布志港まで
「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(4)砺波から神戸戸港まで
この日は、北陸道・名神国道を走り、神戸市の人工島”六甲アイランド”にある神戸港へ移動。途中車窓から琵琶湖沿いの長浜城・彦根城を見、縁結びと長寿の「多賀神社」の参詣、昼食会場である旧中山道の守山宿のショート散策を楽しんだ。夕刻、神戸湖に到着。今夜のフェリーは、阪九フェリー「やまと」。阪九フェリー「やまと」は、全長195m、約16,300総トン数。今回は内海なので静かな航海。出港後、降雨。「明石海峡大橋」の下を通る時には雨と少々の霧で甲板に出ることもできず部屋の窓からも見えなかったが、船首にある部屋の窓から何とか見ることが出来た。深夜の「瀬戸大橋」は熟睡で気付かなかったのは残念。「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(4)砺波から神戸戸港まで
フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(3)5/21 苫小牧東港から新潟下船後、砺波のホテルまで
早朝、男鹿半島近くで目覚め甲板に出るも、日の出は拝めなかったが、男鹿半島がうっすらと見えた。このフェリーは、途中秋田港に一時間ほど停泊。秋田出港後、酒田市沖の飛島、村上市沖の粟島と本土の間を抜けて、「らいらっくは」新潟港に入港。新潟港からは、関越道・北陸道を抜けて富山県砺波市のホテルへ直行。この日は三日振りに地上宿泊。フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(3)5/21苫小牧東港から新潟下船後、砺波のホテルまで
「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (2)苫小牧近辺観光の後苫小牧東港から出港
定刻苫小牧西港に到着。次のフェリーの出港までの時間を利用して、昭和新山、洞爺湖サイロ展望台、室蘭市の地球岬巡り等を観光。途中、高速道路から、樽前山の溶岩ドームがはっきりと見えた。昭和新山は50年振りだが、当時山腹から湯気が見えたと記憶しているが今回は錆色の山腹。サイロ展望台から洞爺湖や有珠山・昭和新山の眺めは雄大で、後方に、少々雪の残る「蝦夷富士(羊蹄山)」も見ることが出来た。この後、苫小牧東港に戻る途中、室蘭市の地球岬へ。霧が少し出て、水平線は確認できなかった。夕刻、苫小牧に戻り今度は、苫小牧郊外の東港から新日本海フェリー「ライラック」乗船。新日本海フェリー「らいらっく」は、全長約200m、18,000総トン。苫小牧東港から、津軽海峡を抜けて日本海南下する航路。船の揺れは殆ど感じることなく、エンジンによ...「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(2)苫小牧近辺観光の後苫小牧東港から出港
「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25) (1)苫小牧西港まで
東京駅に集合後、東北新幹線で仙台に移動。仙台港で、名古屋から来た、太平洋フェリー「きそ」に、北海道苫小牧西港に向けて乗船。太平洋フェリー「きそ」は、全長約200m・16,600総トンの船。国内では初めてのフェリー旅だが、残念ながら天候に恵まれず、日没・日の出の光景は見られなかった。天候が荒れ模様で高波による揺れエンジン室から伝わる振動で、眠りが妨げられた。「フェリーで繋ぐ日本一周の旅」(2023/5/19~5/25)(1)苫小牧西港まで
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昨年、「大山街道」を歩いたが今年は思い立ち「鎌倉街道」を歩き始めた。鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称で、主要な幹線道(上道・中道・下道)は3本。取敢えず、東山道から分岐して鎌倉に通じていたと言われている「上道」のうち、府中から鎌倉までを何回かに分けて歩くことにした。今回は、府中市「分倍河原駅」から多摩市「永山駅」までの約6㎞。今でも「鎌倉街道」の名を残し幹線道路として利用されおり、古戦場跡等が見られた。歴史散歩:鎌倉街道1(分倍河原~京王永山)(2025/4/17)
新宿区の記念館巡りの後、「府中市美術館」を訪れた。目的は開催中の「司馬江漢と亜欧堂田善かっこいい油絵展」を鑑賞すること。司馬江漢は知っていたが、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)を知る良い機会だった。十分な知識のない江戸時代に銅版画・油絵など西洋絵画の手法を取り入れた絵を描いた画家二人の作品展示。少々運営等気になることはあったが、ローカルの美術館にしては、これだけの絵画を集めて開催運営できるのは素晴らしい。同時に常設展示も見ることが出来たが、色んな分野の絵画が所蔵されているようだった。美術館の周囲は「府中の森公園」で桜が満開だった。府中市美術館保問記(2025/3/10)
新宿区落合に保存されている画家・作家の記念館を巡る散策に出掛けた。山手線目白駅を出発し、先ず「中村彝(つね)アトリエ記念館」を手始めに「佐伯祐三アトリエ記念館」、「林芙美子記念館」を巡り、地下鉄大江戸線中井駅までの行程。二人の画家のアトリエの共通点は採光用の大窓。画家と結婚した林芙美子は、借家からこの家を造るときの努力執念は凄いものが感じられた。何となく持っていた貧乏という言葉が消えてしまった。東京都新宿区落合地区の画家作家の記念館巡りに出掛けた(2025/4/10)
何時もより一時間ほど遅らせての早朝散歩。県立相模三川公園の桜も略満開。桜も良いけど花桃も綺麗。花桃を突くメジロ。何時もは暗くて気付かなかった土筆も目を出していた。本日の早朝散歩から(2025/4/5)
都下の富士塚は大体全て訪れたので、神奈川県内未訪の富士塚巡り歴主旅を再開。今回は、「山田富士」(都筑区)、「新池辺富士」(都筑区)、「中村富士」(神奈川区)の三か所。後の二か所は。残念ながら近くまではいけるが登ることは出来なかった。更に「山田富士」は、以前(2023/6/21)近くまで行ったが、登山口が見つからなかった富士塚。何れの富士塚も、溶岩等は見当たらず自然地形を利用した富士塚のようだ。このような形の富士塚は神奈川県内富士塚の特徴のようだ。横浜の富士塚巡り歴史散歩(都筑・神奈川区)(2025/3/27)
日本橋界隈の散策中に見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その2
「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩、最後は日本橋界隈の13か所。歩いたのは、JR神田駅から東北方向に浅草橋までと、地下鉄日本橋駅から、兜町、日本橋経由で銀座通りを南下、地下鉄有楽町一丁目駅まで。途中の他の景色は別途。これで、広重の描いた江戸の119カ所、全てを訪問完了。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(日本橋界隈)(2025/3/20)その1
市川、浦安散策途中で興味深った場所。江戸の外れの市川、駅周辺には江戸時代には栄えた跡が多い。昔漁村の浦安は、漁師の心意気が感じられる場所だった。今回で「広重の江戸の今を訪ねる旅」も9割方終了。次回は最後の日本橋界隈。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その2
広重の江戸名所百景118カ所の内、東京都以外三か所(何れも千葉県)で、描かれている。今回はこの三か所を中心に、途中の歴史的な場所を歩いた。出発はJR市川駅。バスで10分ほどの「里見公園・国府(こうの)台城址」から、南下し「真間山弘法寺」「市川関所跡」まで歩き、電車を乗り継いで、浦安駅へ移動。浦安では、市内を流れる境川沿いの富士塚のある神社などを見て歩いた。今回は、広重名所百景の三か所を報告。その他の場所は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(江戸川界隈)(2025/3/13)その1
行程は、亀有駅~堀切菖蒲園駅~千住大橋駅~白髭橋~日暮里駅までの間、歩いたり電車・バスを利用したりの歴史旅、途中で見かけた景色。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)その2
今回の歴史旅は隅田川上流の9カ所。常磐線亀有駅から京成本線堀切菖蒲園駅間の3カ所、次に京成線で千住大橋駅に移動し、千住大橋から下流の白髭橋までの6か所。予定では、亀有からお花茶屋まで路線バスを利用する予定であったが、何故か、路線が休止中とのことで、仕方なく歩いたので、約2.5万歩になった。途中に見かけた景色は別途報告。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史旅(隅田川上流)(2025/3/6)
今回の歴史散歩で見かけた景色を纏めて。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その2
今回の歴史散歩は、品川・大森界隈の七か所。出発は、京浜急行線「泉岳寺駅」近く、その後、京急線を乗り継ぎ、「北品川駅」(三か所)・「立会川駅」(一か所)、「梅屋敷駅」近くの一か所の計五ケ所、最後は、京急バスで多摩川河口の弁天橋で、この日の歴史散歩は終了。途中、北品川の旧東海道品川宿や多摩川河口近くの神社などは別途。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(品川・大森界隈)(2025/2/27)その1
前回の続きで、散歩途中気になった場所で、富賀岡八幡宮、震災復興橋梁、三十三間堂跡、旧弾正橋、逆井の渡し跡、旧中川に架かる橋、小名木川橋脇の碑について。今回の散歩は鉄道駅に比較的近い場所が多かったのだが、歩数は約25,000歩と今年最高の歩数になった。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その2
今回の歴史散歩は「深川界隈」の9カ所。訪れた場所は地下鉄東西線、新宿線の駅から比較的近い場所に点在。利用した駅は、東西線「南砂町駅」「東陽町駅」「門前仲町駅」、新宿線「東大島駅」「西大島駅」「住吉駅」。興味ある場所その他は次回。「広重の江戸」の今を訪ねる歴史散歩(深川界隈)2025/2/20その1
途中見かけた景色など「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その2
「広重の描いた江戸」の今を歩く散歩、今回は墨田・江東区の五か所で、東京スカイツリー駅近くの2カ所と東武亀戸線東あずま駅からJR亀戸駅まで北十間川沿いに4カ所の計6か所。この日、ビル近くを歩くときは非常の強風で、危険を感じながらの散歩になった。その他の風景は次回に。「広重の江戸」を巡る歴史散歩(向島界隈:2025/2/13)その1
広重が描いた「名所江戸百景」の今を訪ねる歴史散歩、築地・月島から人形町までで見かけた景色など。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで)その2
広重が描いた「名所江戸百景」(実際は119景か)の今を訪ねる歴史散歩、今回は地下鉄築地駅近くの一か所訪れた後、地下鉄で月島駅まで移動し、佃島から隅田川沿いを上流日本橋浜町までの六カ所を歩いた。途中で見かけた場所は次に紹介。これで、119カ所中70カ所を巡ったことになる。残りは49カ所。「広重の江戸」歴史散歩(佃島界隈:築地・月島駅から人形町駅まで2025/2/6))その1
「広重の描いた江戸の今」を探して、入谷から浅草までの途中で見かけた景色。「広重の江戸」(入谷から浅草)(2025/1/30)その2
桜と神社仏閣を訪ねる二泊三日の京都旅行に出掛けた。初日は「「嵐山周辺(嵐電桜のトンネル、嵐山公園等)」と「教王護国寺(東寺)の夜間特別拝観(夜桜)」。嵐山周辺は相変わらず、和服姿の外国人等で溢れていたが、東寺は比較的外人は少ない印象。東寺の「夜桜と五重塔」、講堂の「立体曼荼羅」は、圧巻。二日目午前中に、洛北の「原谷苑」と山科の「毘沙門堂」、午後は、再び洛北に戻り、「二条城」から「北野天満宮・平野神社」、序に「旧京都府庁舎」を回った。二条城では、観光客の9割以上は外国人の様だ。三日目は、醍醐寺周辺のお寺散策(「勸修寺」・「随心院」と「醍醐寺」)、最後は、帰りの新幹線の待ち時間を利用した京都駅近く、東本願寺の庭園である「渉成園(枳殻亭)」の散策で終了。一日目は時々小雨、二日目は曇り、三日目は晴れと先ず先ずの天...桜を求めて京都に(2024/4/8~4/10)
鎌倉幕府御家人「畠山重忠」終焉の地である相模鉄道霧ヶ峰駅周辺には、重忠最後に関わる史跡が多い。今回はその遺跡を巡った。経路は、相模鉄道霧ヶ峰駅から、「首塚」→「重忠公碑・古戦場跡」→「薬王寺・六つ塚」→「駕籠塚」→「重忠公硯水の跡」、約3㎞の行程。最後は帰り道で見かけた江戸時代の仏塔。歴史散歩(霧ヶ峰駅周辺古跡巡り)(2024/3/28)
今回の歴史散歩は、曇り空が少々気になったが、「横浜の富士塚巡り」に出かけた。経路は、相模鉄道西谷駅から西谷富士(富士山神社)、西谷駅に戻り羽沢横浜国大前駅へ移動。堅老神塔・大田道灌所縁の硯松等を途中見て、住宅街の「羽沢富士」へ。この後、上り下りの約2㎞歩いて最勝寺傍の「熊野堂富士」へ。危なっかしい熊野堂登山道を下り最勝寺見学の後、バスで横浜駅に移動。横浜駅西口から、富士山(芝生富士)に見立てた丘の上の浅間神社へ。この後、相模鉄道平沼駅まで歩き、この日前半の歴史散歩は終了。後半は相模鉄道霧ヶ峰駅周辺の歴史散歩。歴史散歩(横浜富士塚巡り)(2024/3/28)
府中市には、国内最大・最古の上円下方墳である「武蔵府中熊野神社古墳」を代表とする多数の古墳群、1900年の歴史を持つ「大國魂神社」、奈良時代から平安時代中期までおかれていた「国府(国衙)跡」、鎌倉時代末の合戦跡、甲州街道の宿場(府中宿)等歴史的な遺跡が多く、比較的狭い範囲に集まっている街。今回、南武線・京王線分倍河原駅周辺の史跡の歴史散歩に出かけた。経路と主な立ち寄り先は、京王線多磨霊園前駅から「常久一里塚」→「武蔵国府八幡宮」→「大國魂神社」→「武蔵国府跡」→「府中高札場跡」→「善明寺」→「高安寺」→「首塚古墳と天王塚古墳」→「分倍河原古戦場碑」→「三千人塚」→「坪宮」→「国司館と家康御殿史跡跡広場と府中御殿井戸跡」→南武線府中本町駅まで、約10㎞の行程。分倍河原駅前は50年以上前に、新婚時代にアパート...歴史散歩(東京都府中市分倍河原駅周辺)(2024/3/21)
今回の歴史散歩は常磐線沿い、六ケ所の富士塚巡りと、途中で見かけた歴史を感じさせる遺物の探索。経路は、常磐線綾瀬駅→綾瀬富士(綾瀬稲荷神社)→綾瀬駅→金町駅→飯塚富士(飯塚富士神社)→金町富士(葛西神社)→金町駅→北千住駅→千住宿・安養院→大川富士(氷川神社)→千住富士(千住神社)→慈眼寺・一里塚跡→富士塚(柳原稲荷神社)→十一面観世音堂→京成関屋駅予定では12㎞程の距離だが、相変わらず道に迷ったり寄り道をしたりで、約15㎞、2万歩ほど。歴史散歩:都内常磐線沿線富士塚巡り(2024/3/14)
今回は、小田急線町田駅北西・本町田地区の鎌倉街道沿周辺の神社仏閣と、駅南東・原町田地区の石器時代遺跡・七福神・版画美術館等を訪ねる散策。経路は、町田駅からバス移動→「養運寺」→「宏善寺」→「菅原神社(井出の沢の碑)」→バス移動で町田駅に戻り→カリヨン広場・「「絹の道」の碑」→「淨運寺(町田七福神の毘沙門天)」→「商工会議所前の福禄寿」→「勝楽寺(寿老人)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(牢場遺跡)」→「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」→「芹ヶ谷公園・町田市立国際版画美術館」→「母智丘神社(弁財天)」→町田駅近くの「馬頭観世音」で本日の散策終了。歴史散歩(東京都町田駅周辺)(2024/3/7)
今回の歴史散歩は、江戸川区と江東区の「富士塚」巡り。江戸川区には富士塚が15カ所と非常に多く残っているが、多くの塚が明治以降に造られたものの様だ。何れも小振りで高さも、4m以下。今回唯一の江東区の「砂町の富士塚」は、江戸時代後期に造られたもので、今回のなかではいちばんの大型。歩いた経路は、都営新宿線瑞江駅→豊田神社(下鎌田の富士塚)→上今井香取神社(今井富士)→日枝神社(船堀の富士塚)→桑川神社(桑川の富士塚)→香取神社(長島の富士塚)→天祖神社(中割の富士塚)→東西線葛西駅→南砂町駅→富賀岡八幡宮(砂町の富士塚)→南砂町駅まで。途中に見られた不動尊、神社仏閣等の歴史遺物を楽しみながら歩いた約10㎞。歴史散歩「江戸川・江東区富士塚探索」(2024/02/28)
東京・神奈川の「富士塚」巡りを再開。先ず、東武伊勢崎線沿いの富士塚から。経路は、東武線谷塚駅→富士浅間神社・小御嶽神社(瀬崎富士)→県境の毛長川を渡り→花畑浅間神社(花畑富士)→花畑記念庭園桜花亭→保木間氷川神社(保木間富士)→旧日光街道→島根鷲神社(島根富士)→将軍家御成橋・御成道松並木跡→徳川将軍日光墓参途中立ち寄った「国土安穏寺」→小右衛門稲荷神社(小右衛門富士)→西新井駅→五反野駅→西ノ宮稲荷神社五反野駅。この地域の、富士塚は、比較的近い昔に造られたものが多く、全体的に小振り。計画した歩行距離は8㎞程の筈だが、道に迷ったりして遠回りをしたので、歩数的には10㎞以上歩いたと万歩計の数値。暖冬の影響か、春一番の強風下、気温20度近く、疲れた散策だった。歴史散歩(東京足立区富士塚等)(2024/2/15)
神奈川の伝統文化の継承を目的に、海老名市文化会館で開催された「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛け、地域の古典芸能を満喫。内容は、1.海老名市の大谷地区で江戸時代から続く「大谷歌舞伎」内容は、「御所桜堀川夜討」の三段目「弁慶上使」。弁慶生涯一度の一度の恋を描いた義太夫狂言(らしい)。一旦途絶えたものが、戦後復員青年によって復活させられ、今も大谷八幡宮の祭典などで上演されているとのこと。本格的な歌舞伎に見えた。2.高校生による創作ダンス:少々ついていけない。3.湯河原町吉浜地区素鷲神社に伝わる「吉浜鹿島踊り」元は茨城鹿島神宮の芸能だったが、伊豆半島東岸の石材・木材運搬の海上安全や、疫病送り払い、大漁豊作を祈る呪芸とのこと。4.山北町共和地区に伝承されている「山北のお峰入り」700年前から伝承の民...「カナガワり・古典プロジェクトin海老名」に出掛けた(2024/2/11)
伊東温泉一泊旅行の帰りに、来宮駅で下車し糸川遊歩道の早咲き桜「あたみ桜」を楽しんだ。「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人が熱海に伝えたとのことで、1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類が形成されるので、開花期間が長く、ソメイヨシノ等が1~2週間で散ってしまうのに、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるとのこと。途中、あたみ桜に交じって、真っ赤に咲いた花を見つけた、後で調べるとブーゲンビリアとのこと。約300mの遊歩道を下った後、海岸遊歩道を散策。最後の、海岸から熱海駅までの急坂には参った。「あたみ桜」(2024/2/7)
秦野市内で未訪の古跡を、奥津国道美術館見学の序に巡った。順路は、秦野駅→(バス利用)→<御嶽神社・八坂神社>→<出雲大社相模分祀>→国道246号線を歩き→<曾屋神社・護国神社>→奥津国道美術館→(バス利用)→秦野駅→<岐神(ふなとのかみ)庚申塔>→<今泉名水桜公園>→<太岳院>→<弘法の清水>→秦野駅今回の散策で興味を持ったのは、「名水」と「岐神(ふなと(くなど)のかみ)の道祖神」。秦野は名水の里としても知られており、名水に関係する場所が多い。又、秦野駅南側の今泉地区では、昔男子の生まれることが少なかったので男子が授かるように祈願して祀ったという岐神が祀れていた。<岐の神(ふなと、くなどかみ)とは、ネットから>岐神とは、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃れて禊(みそぎ)をした時、投げ捨て...歴史散歩秦野古跡巡り(2024/1/30)
秦野市(神奈川県)の古跡巡りの途中で訪れた美術館。ネットで偶然見つけたが、多くの水彩画が展示されていると知り興味を持っていた。秦野市郊外の”くずは峡谷公園”の外れに、カフェが主体(?)のこじんまりとした美術館。散策途中の小休憩だった。奥津国道美術館(2024/1/30)
越中五箇山から移築されたの‘合掌造り‘の古民家を含めて多くの古民家が点在する料亭で会食。料理も良かったが、古民家に癒された半日だった。法事で古民家利用の料亭へ(八王子・高尾山麓)(2024/1/27)
今回の歴史散歩は、相模国二ノ宮「川匂神社」のある二宮町の古跡巡り。経路は、東海道線二宮駅→旧東海道を<押切坂一里塚跡>まで→薬師堂→密巖院→<面光寺>→<川匂神社>(頼朝が妻北条政子の安産祈願した神社)→吾妻山公園梅沢登り口→<吾妻神社>(祭神は、日本武尊と弟橘媛命(おとたちばなひめ))→<吾妻山公園>→<曽我兄弟の墓>(記録では17世紀末に再建されたものとのこと)→<知足寺>→堂面バス停から秦野駅まで。大体は平坦な行程だが、吾妻山公園梅沢口から吾妻神社への登り道は、非常に急で険しく、歳を感じざるを得ない厳しい道だった。歩行距離は今回も約10㎞。歴史散歩神奈川県「二宮町古跡」巡り(2024/1/25)
本年最初の歴史散歩は、箱根町から小田原市を箱根登山鉄道沿いに。特に箱根湯本駅、風祭駅、箱根板橋駅周辺。入生田駅近くにも紹太寺(しょうだいじ)等もあるが、以前訪れたことがあるので今回はパス。経路は、箱根湯本駅→町立郷土資料館(残念ながら休館日)→旧東海道上り坂→「白山神社」→「早雲寺」→箱根湯本街中→箱根湯本駅→電車で風祭駅→「一里塚」→「宝泉寺」→「万松院」→「日蓮上人思親の地」→「宗福院地蔵堂(板橋地蔵尊)」→「秋葉山量覚院」→「松永記念館」→「香林寺」→旧東海道(旧家内野邸)→箱根板橋駅約10㎞強の行程。この辺りは、大部分が小田原北条氏関連の寺社が大部分。歴史散歩箱根登山鉄道沿い(2024/1/17)
我が家から相模国の一宮「寒川神社」までは約10㎞の距離。少々遠回りだが、相模川左岸のサイクリング道路を歩くことにした。サイクリング道路は、JR相模線厚木駅近くから倉見駅近くまでは整備され、天候にも恵まれ、右手に大山・富士山を眺めながら歩いた。お正月も八日だが休日のせいか、多くの参拝客。帰りは電車で往復4時間の行程。相模の一宮「寒川神社」に初詣(2024/01/08)
子供が”まとわりついて眠っている”ように見えた御神木(大磯町西部の六所神社)の根本。面白い!!御神木に縋りつく子供?
今年最後の歴史散歩は、「東海道大磯宿」。大磯駅の東側の、朝鮮半島からの渡来人に関係すると思われる「高来神社」や大磯宿関連の「化粧(けわい)坂の一里塚・松並木」・「江戸見附跡」等は以前歩いたことがあるので、今回は大磯駅の西側を歩いた。出発は大磯駅からで、主な立ち寄り場所は、大磯駅→妙輪寺→延台寺・虎御石→小島本陣跡・尾上本陣跡→南組問屋場跡・新島襄周縁の地碑→高札場跡→湘南発祥の碑→鴫立庵→島崎藤村旧宅→統監道→松並木→明治記念大磯庭園→宇賀神社・八坂神社→大磯町郷土資料館→県立大磯城山(じょうやま)公園→西長院(中丸身代り地蔵尊)→宝積(ほうしゃく)院→相模国総社六所神社→国府新宿バス停まで。大磯には、宿関連の遺構・建物は残って無く、夫々の施設のあった場所に説明の掲示板が建てられていた。それ以外では、明治...歴史散歩「東海道大磯宿」(2023/12/28)
今回は、「石倉橋バス停」から「こま参道」まで。阿夫利神社下社までは、数年前ケーブルカーと女坂を下ったことがあるので、これで歴史散歩「大山街道」は終了。行程と主な立ち寄り場所は、小田急線伊勢原駅→石倉橋バス停→道標(旧石倉橋)→石倉神社→比々多神社→這子坂・地蔵尊・水神→三の鳥居→ようこその門→阿夫利神社社務局→愛宕滝・愛宕橋・良弁滝・開山堂→豆腐坂・もみじ坂・茶湯寺→こま参道→大山ケーブルバス停→伊勢原駅バス停からは、上り坂の約5㎞。途中休憩なしで、景色等を楽しみながらで約150分の行程。帰りのバスでこの行程は、約15分だった。歴史散歩大山街道(伊勢原市石倉橋~こま参道)(2023/12/21)
今回は、大山街道出発点である赤坂御門跡から、国道246号線(青山通り・玉川通り)を中心に一部脇道に逸れる旧道を巡る約8㎞の行程。経路は、地下鉄半蔵門線永田町駅→「赤坂御門跡」→弁慶堀・弁慶橋→赤坂見附交差点→青山通り(国道246号)から左折「牛鳴坂」→青山通り→「梅窓院」→「善光寺」→国連大学・青山学院前→「宮益坂」・「御嶽神社」→渋谷駅→道玄坂→玉川通り(国道246号)→大山近くを除いて街道で一番の急坂「大坂」→「氷川神社・目黒富士浅間社」→大橋(目黒川)→池尻の旧道→「池尻庚申堂」→「池尻稲荷神社」→三宿交差点経由して三軒茶屋交差点まで比較的分かり易い行程で、道に迷うことは無かった。これで大山道の約9割を走破したことになる。歴史散歩大山街道(赤坂御門跡~三軒茶屋)(2023/12/14)