生きづらいものが生きていくために。回復とサバイバルについて考えていきます。
生きづらさは重い負荷ですが、それにより自分が生きるために必要なものへの意識や関心が深くなります。生きづらい人は誰のためでもなく、自分が生きていくために世間にまだ存在しないものを創りださなければいけない切実さを抱えています。生き抜くことは全く保証されていない。それにも関わらず生き残ろうとする人たちの創造は、通じる課題を持つ人たちの力となり、そして自身だけでなく、周囲の世界も回復させる力を持ちます。
「殻が厚くなる」という言い方は日常語で使われますが、このとき「殻」は、「厚くなっているなあ」と言われているその人本体を指しておらず、言われているその人が身にまとうもののように、その人の行動や態度のあり方を規定するようなもののようにいわれます。 一方、僕の周りの社会では、誰かが罪を犯したり、あるいはいいことをしたとき、その人の殻とその人は分けられたりはしません。殻とその人は同一のものとして扱われます。 しかし、人々の感性のなかでは、少なくともことばのうえでは、その人と殻は分けられてとらえられています。僕は殻とその人を分けるというのはとても実態に即しており、人をとらえる際、とても妥当な見方であると…
回復とはどういうものか、そしてどうやってその過程にはいればいいのか、ということを考えてきた。 回復を意識すると回復は停滞する。それはなんども言及してきたけれど、そう言いながら、この言葉自体が回復を目指してもいる。回復するために回復を意識するな、直接に指向するな、的な。 意味なく時間を潰していても、追い詰められなくなった。前は何か生き延びることにつながることをしなければいけないのにできない、と自動的に追い詰められて、余計に動けなくなっていた。それが毎日だったけれど、そういう追い詰められがなくなった。 回復したら生きていくことがひらける、というイメージがあったかもしれない。確かに地に足を着けて進ん…
「ブログリーダー」を活用して、ヨネさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。