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しみじみした良い生活をおくりたいもの

しみじみとした生活をおくるために水彩画をお稽古したり、本を読んだりしているシニア。

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2014/03/30

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  • 岸田秀再読 その32「自己分析と他者分析 自分の心をどう探るか 岸田秀 町沢静夫 1955」

    自己分析と他者分析 自分の心をどう探るか 岸田秀 町沢静夫 新書館 1995 著者62歳の時の著書。「中年うつ病」を経験した後、精神科医・セラピスト町沢静夫(1945〜当時50歳、現78歳。町沢メンタルヘルス研究所主宰)氏との対談形式で岸田氏のうつ病、心の病理などを分析した記録。好著。 第1章 うつ病をめぐって  町沢 「慢性軽症うつ病」あるいは「うつ病的人格障害」は十二指腸潰瘍と親和性が高い。向精神薬スルピリド(ドグマチール)を投与する。強迫性人格障害、完全癖あり、あまり感情表現しない。同じことをぐずぐず考える。几帳面 責任感が強い うつ病と親和性が高い。 町沢 僕の経験から言うと、鬱にしても強迫神経症にしても、その心の底には怒りの感情があるという気がする。フロイト流に解釈すれば、自分に怒っているときは、鬱になるし、怒りというのはいけないものなんだ、..

  • 岸田秀再読 その31「ものぐさ人間論 1998」

      ものぐさ人間論 青土社 1998   著者65歳の時の対談集。同じく対談集の「ものぐさ社会論 2002」は、「再読その10」に書いた。他に、対談集「ものぐさ日本論」があるらしいが、中野区の図書館蔵書には無い。 氏は日本兵の死の写真から日本(の歴史)を考え、母親との葛藤から人間を考察したと言う。対談集も大きくこれら二つに分類していると後書きに記す。前に読んだ「ものぐさ社会論」は前者に属するようだが、人間もテーマになっているものもあって少し分かりにくい。 ともあれ、著者は講演より対談の方が好きだとあとがきで書いているが、対談は相手がときに想定外の発言をし、それが自分を刺激して自分も思いもしなかった発言をしたりするのが面白いという。読んでる方も(前にも書いたが)対談者の気持ちの心の動きが読み取れ、時にそれが議論より面白かったりすることがある。講演や書き下ろしたもの..

  • 岸田秀再読 その30「物語論批判 世界・欲望・エロス」岸田秀 竹田青嗣 1992

      「物語論批判 世界・欲望・エロス」岸田秀 竹田青嗣 青土社 1992 著者59歳の時の本である。文芸評論家竹田青嗣氏との自我、欲望などについて唯幻論をめぐる対談。「幻想の未来」、「自我の行方」などに類したもの。竹田氏は1947年生まれ、岸田氏の14歳(自分より7歳下になる)年下。思想、哲学等に造詣が深く、岸田氏の理論に共感しつつ的確な指摘もする。この対談は難解な「幻想の未来」、「自我の行方」より読みやすいが、不学の自分にはやはり理解できない部分も多々あって、上記2冊に劣らず「我に難解」の書。   例によって気になったところに付箋を付けながら読む。   1§近代日本と自我   竹田 「幻想の未来」に自我は他人の自我のコピー。最初母親を模倣するとあったが。 岸田 母親が子に抱くイメージを子供は受容する。規定は子供への支配、攻撃。それ以外の可能性を弾圧、抑..

  • 岸田秀再読 その29 「二十世紀を精神分析する」1996

    「二十世紀を精神分析する」文藝春秋 1996   著者63歳の時の著書。1992〜96年間の雑文(本人の言)集という。この間、強度の鬱病と過去のくも膜下出血の後遺症治療をしたので、長期に亘ったとあとがきにある。   自分は岸田氏の著書を、勝手に本書のような歴史もの、性的なもの、自我ものに分けて読んでいるが、面白いのはこのうち歴史ものだ。性的なもの、自我ものともに自分のことに当てはめながら読むにしても、人によってということもあるな、と思うとどうも確信のようなものがない。歴史ものは氏の独創的な考えが、時に従来の常識を鮮やかに覆して見せてくれるので面白い。氏のいう雑文集は、これら三つが入れ代わり立ち代わり出てくるので、忙しいことおびただしくときに頭は混乱する。   読み流せば良いのだが、岸田理論を理解するための再読なので、メモしつつ読んでいる。メモは後からも読..

  • 岸田秀再読 その28「古希の雑考」2004

      「古希の雑考」 岸田秀 文藝春秋 2004   著者71歳の時の本だから「古希の雑考」。多分40代の「不惑の雑考」を意識してつけた表題だろう。さすれば「傘寿の雑考」があってもいいはずだが、それは無く、「唯幻論始末記」(2018 著者 85歳)がそれに代わるものかもしれないと推察する。やはり岸田氏が「唯幻論」に一番こだわっていることの証でもあろう。「始末記」を最後の本と言っているからには「雑考」にしたくはなかっただろう。   「不惑の雑考」と同様に以前読んだかどうか気にしながら読んだが、結論的には「再読感6初読感4」である。これだけの岸田秀氏の著書を読めば、同じことが繰り返されているのを読むので、余計分からなくなってくる。ほぼ知っていることが書かれているので判断しにくい。ただ、対米宣戦布告電報の話とフジモリ大統領の話は、何故かこの本で読んだような気がするのである。..

  • 岸田秀再読 その27「不惑の雑考」1986

      「不惑の雑考」岸田秀 文藝春秋 1986(s61)   著者53歳の時の本である。40歳台に書いたものを集めたので「不惑の雑考」と題したという。帯には、「唯幻論を唱える岸田秀が自分のこと、身辺のこと、社会のことについて書いた最新エッセイ集」とある。エッセイにしては、小論文調だなと思ったからか、このブログに書いた加藤周一のエッセイ論を何気に思い出した。   「随筆の各断片は、連歌の付句のようなものである。時間の軸に沿っていえば、読み終わった断片や、来るべき断片とは関係なく、今、目前の断片が、それ自身として面白ければ面白い。加藤周一著 「日本文化における時間と空間」   https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2014-10-23   読書感想文からはかなり脱線するが、わが40歳台を顧みれば、まさに働き盛りなのに中間管理職として、..

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