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しみじみe生活 https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/

しみじみした良い生活をおくりたいもの

しみじみとした生活をおくるために水彩画をお稽古したり、本を読んだりしているシニア。

wakizaka
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2014/03/30

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  • 岸田秀再読 その41 「吉本隆明全対談集7 (1981→1982 ) 吉本隆明 1988

      吉本隆明全対談集7 (1981→1982 )吉本隆明 青土社   吉本隆明(1924〜2012 詩人、評論家。)は、1933年生まれで岸田氏とは9歳差。終戦のとき19歳。この対談「共同幻想について」(初出 現代思想1981)時は、吉本57歳、岸田48歳。 双方壮年、油が乗っていたとき。 吉本隆明の主著を読んだことがない。このブログで猫随筆などを取り上げたことがある(2015年)。知の巨人はフランシス子という愛猫を飼っていて大の猫好きだったのだ。岸田氏も猫好きで共通点がある。難しいことを話している割に一方で猫に惑溺しているギャップが可笑しい。 https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2015-06-04   今回の共同幻想をめぐる対談は、岸田氏の考え方に対するほかの思想家、批評家らの見方の一例だが、氏を頭から否定することはないが、..

  • 岸田秀再読 その40 「黒船幻想」精神分析学から見た日米関係 岸田秀 K・D・バトラー 1994 1986初版

      「黒船幻想」精神分析学から見た日米関係 岸田秀 K・D・バトラー 河出文庫1994 1986初版   ケネス・D・バトラー(1930〜)は、エール大学日本文学助教授、米加11大学日本文学連合日本研究センター所長、国際ビジネス・コンサルタント、バトラーコンサルティング社長。 岸田氏より3歳上で、1951年朝鮮戦争時海軍に在籍の経験がある。日本文化社会、経済にくわしい。岸田理論を理解し、氏の精神分析学から見た日米関係論に興味を持ち対談に至ったという。   岸田氏の理論は、あちこちに書いているが、ペリーショックによる精神分裂症に陥った日本とインディアン虐殺に起因する強迫神経症患者のアメリカとの関係として捉えるというものである。 この対談時における日本の貿易黒字をめぐる問題などをはじめこの理論で理解できるとし、その解決の方法などを論じている。   岸田..

  • 岸田秀再読その39「沈黙より軽い言葉を発するなかれ 柳 美里対談集」 2012

      沈黙より軽い言葉を発するなかれ 柳 美里対談集 創出版 2012   柳 美里(1968〜)は在日韓国人の小説家、劇団青春五月党主宰。「家族シネマ」で芥川賞。他に「八月の果て」、「フルハウス」など。今までこの人の作品は読んだことがない。   岸田秀氏との対談は3、11震災原発事故をめぐるもの。事故の1年1ヶ月後に収録された。 岸田氏の事故に対する見解は明快。原発は戦艦大和の建造と似ており、その事故は自閉的共同体の体質によるものだとする。 平たく言えば原子力ムラであるが、歴史的に見ればペリーによる開国、富国強兵、太平洋戦争敗戦、経済復興すべてはこの自閉的共同体の悪弊が根底にあり、原発事故はその延長線上にあると断じる。柳美里氏もこれに異存はさそう。   岸田氏の自閉的共同体からの脱却もまた明快。その悪弊を直視し、自覚して少しでも現代社会にマイナスの..

  • 岸田秀再読 その38「日高敏隆の口説き文句」 小長谷有紀 山極寿一編 2010

      日高敏隆の口説き文句 小長谷有紀 山極寿一編 岩波書店 2010   日高敏隆(1390-2009 東農工大、京大教授、滋賀県立大学学長。)は、岸田秀氏とフランス(ストラスプール)留学時代からの交友があり、唯幻論に似た本能代理論を説く。 この本は2009年日高氏没後まもなく氏と交流のあった人たちによる追悼文、日高氏の著書の批評文などをまとめたもの。その中の冒頭に岸田氏のインタビューが掲載されている。本の編者は小長谷有紀(文化人類学者)と山極寿一(人類学者、京大教授)の二人。   日高説は唯幻論と共通点があり、似ているが、微妙に異なる点もあり、自分の岸田本能崩壊説に対する違和感に関わる様な気がして以前から気になっていた。 インタビューの内容は次のとおりで「人間と動物に差、優劣はない」と日高氏は言う。こちらの方が自分には納得感がある。   岸田ー動物は..

  • 岸田秀再読 その37「母親幻想」 岸田秀 1998

      母親幻想 岸田秀 新書館1995  改訂 1998   初刊は著者62歳の時のもの。例によって「§・章」ごとに気になる言葉をおってメモしながら読んだが、難渋した。あちこち話が飛ぶので、どうもメモが取りにくい。   また、文体はこれまでとちょっと違う感じ。基本的には「ですます調」であり、「つぶやき調」、会話文でもないが、時折り読者への話しかけがあったりする。名文家の岸田氏だから分かり易い文章が多いことに変わりないが、話が飛ぶのがいちばん困る。 他にメモ難渋の原因は、今夏の猛暑のせいか、加齢のせいか、かなりわが脳が脆弱化していることにあるようだ。   テーマは母子。父と子の関係もだが難しいテーマではある。特に男がこれを書くには相当の努力・力量が求められる。自分にはとても出来ない。   なお、余計ながらこれは岸田氏には少ないいわゆる「書き下ろし」に入..

  • 岸田秀再読 その36「 日本人と「日本病」について」 岸田秀 山本七平 1992

      日本人と「日本病」について 岸田秀 山本七平 青土社 1992 (文藝春秋1980初刊)   岸田氏47歳、山本氏59歳の時の著書。唯幻論の「ものぐさ精神分析」は1977年の刊行だが、それをめぐって書かれた「哺育器の中の大人 精神分析講義」(対談者 伊丹十三1978)の次に刊行された比較的早い時期の対談共著になる。岸田氏の方から持ちかけた対談のよう。 山本七平(1921〜1991 70才歿)は、ノンフィクション作家 山本書店店主。著者に「日本人とユダヤ人」(ペンネーム=イザヤ ベンダサン)、「空気の研究 1977」などがある。   「空気の研究」で有名な山本氏は、この対談でもまず、組織には、論理的意思決定と空気的意思決定の二つがあり、明らかに後者のがほうが強いと言う。 「空気的意思決定は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗す..

  • 岸田秀再読 その35「親の毒 親の呪縛」 岸田秀 原田純 2006

      「親の毒 親の呪縛」 岸田秀 原田純 大和書房 2006   著者は当時73歳。対話者、原田純氏(1954〜)は、当時52歳。径書房代表取締役。著書に「ねじれた家 帰りたくない家」がある。   岸田氏の「まえがき」に本書を刊行した目的が記されている。「親から歪みを受け継がされた我々二人」というのは、母親との葛藤に苦しんだ岸田氏と、とくに父親との関係で荒れた原田氏を指す。確かに率直な二人の姿を知って心を打たれぬ人はいないだろうと思う。特に岸田氏の丁寧な受け答えには頭が下がる。二人の話を聞いて多分心が安まる人がいるに違いないと思う。   「本書は、いろいろな事情や条件は異なるが、それぞれともに親から歪みを受けつがされた我々2人が親を理想化するか一方的に非難するかの両極端のいずれにも陥らないようにするためにはどうすればよいかを、それぞれわが身を参考にしながら(す..

  • 岸田秀再読 その34「嫉妬の時代 1987」

      「嫉妬の時代」 飛鳥新社 1987 刊行時の著者54歳。帯にはこうある。「他人の幸運が妬ましくて、妬ましくて…。」「旧秩序が滅びた今、平等主義に醸成された嫉妬の感情が日本を支配している。」   帯は編集者が売らんかなと、本の内容を考え抜いた短文で読者にアピールするものだ、と承知で読めば、(時に作者の意図と反していても)一般人にはとても参考になるので、図書館の人が本の裏表紙に貼り付けてくれていると、真っ先に有り難く読むことにしている。 本の内容は、当時起きた下記の事件を題材に、教育、経済、親子関係、いじめ、メディア問題などを論じ、最後に「嫉妬」そのものをQ&Aで唯幻論で解説するという構成になっている。   「三浦和義事件とは何だったのか(1981)」、「戸塚ヨットスクールと戦後教育(1982)」、「豊田商事(1980前半)に見る資本主義的構造」、「積み木..

  • 岸田秀再読 その33「対話 起源論 1998」

      「対話 起源論」新書館 1998 著者65歳の時の本。父、歴史、国家、近代、幻想の起源論。字が大きいのが何より年寄りには有り難い。   父の起源 対話者 山極寿一(1952〜)京大理学部助助教授 霊長類学人類学。   山極 人間と動物あるいは人間と類人猿、つまりチンパンジーとかゴリラとかボノボとを分ける最大の基準は、自然物の直接性を脱しているかどうかです。人間は、直接性を脱することで虚構を作ることが可能となった。   →「自然物の直接性を脱する」って何?観念とか幻想とか?   岸田 母親と子供はつながりがある。ところが父親と言うのは本当にわからない。男にとって女から生まれた子は自分の子供かどうかの確かな証拠はどこにもありません。そもそも男にとって自分の子と言う観念が文化の産物です。   →子のない父が養子を迎えた場合、自分の実子でなくても、「子..

  • 岸田秀再読 その32「自己分析と他者分析 自分の心をどう探るか 岸田秀 町沢静夫 1955」

    自己分析と他者分析 自分の心をどう探るか 岸田秀 町沢静夫 新書館 1995 著者62歳の時の著書。「中年うつ病」を経験した後、精神科医・セラピスト町沢静夫(1945〜当時50歳、現78歳。町沢メンタルヘルス研究所主宰)氏との対談形式で岸田氏のうつ病、心の病理などを分析した記録。好著。 第1章 うつ病をめぐって  町沢 「慢性軽症うつ病」あるいは「うつ病的人格障害」は十二指腸潰瘍と親和性が高い。向精神薬スルピリド(ドグマチール)を投与する。強迫性人格障害、完全癖あり、あまり感情表現しない。同じことをぐずぐず考える。几帳面 責任感が強い うつ病と親和性が高い。 町沢 僕の経験から言うと、鬱にしても強迫神経症にしても、その心の底には怒りの感情があるという気がする。フロイト流に解釈すれば、自分に怒っているときは、鬱になるし、怒りというのはいけないものなんだ、..

  • 岸田秀再読 その31「ものぐさ人間論 1998」

      ものぐさ人間論 青土社 1998   著者65歳の時の対談集。同じく対談集の「ものぐさ社会論 2002」は、「再読その10」に書いた。他に、対談集「ものぐさ日本論」があるらしいが、中野区の図書館蔵書には無い。 氏は日本兵の死の写真から日本(の歴史)を考え、母親との葛藤から人間を考察したと言う。対談集も大きくこれら二つに分類していると後書きに記す。前に読んだ「ものぐさ社会論」は前者に属するようだが、人間もテーマになっているものもあって少し分かりにくい。 ともあれ、著者は講演より対談の方が好きだとあとがきで書いているが、対談は相手がときに想定外の発言をし、それが自分を刺激して自分も思いもしなかった発言をしたりするのが面白いという。読んでる方も(前にも書いたが)対談者の気持ちの心の動きが読み取れ、時にそれが議論より面白かったりすることがある。講演や書き下ろしたもの..

  • 岸田秀再読 その30「物語論批判 世界・欲望・エロス」岸田秀 竹田青嗣 1992

      「物語論批判 世界・欲望・エロス」岸田秀 竹田青嗣 青土社 1992 著者59歳の時の本である。文芸評論家竹田青嗣氏との自我、欲望などについて唯幻論をめぐる対談。「幻想の未来」、「自我の行方」などに類したもの。竹田氏は1947年生まれ、岸田氏の14歳(自分より7歳下になる)年下。思想、哲学等に造詣が深く、岸田氏の理論に共感しつつ的確な指摘もする。この対談は難解な「幻想の未来」、「自我の行方」より読みやすいが、不学の自分にはやはり理解できない部分も多々あって、上記2冊に劣らず「我に難解」の書。   例によって気になったところに付箋を付けながら読む。   1§近代日本と自我   竹田 「幻想の未来」に自我は他人の自我のコピー。最初母親を模倣するとあったが。 岸田 母親が子に抱くイメージを子供は受容する。規定は子供への支配、攻撃。それ以外の可能性を弾圧、抑..

  • 岸田秀再読 その29 「二十世紀を精神分析する」1996

    「二十世紀を精神分析する」文藝春秋 1996   著者63歳の時の著書。1992〜96年間の雑文(本人の言)集という。この間、強度の鬱病と過去のくも膜下出血の後遺症治療をしたので、長期に亘ったとあとがきにある。   自分は岸田氏の著書を、勝手に本書のような歴史もの、性的なもの、自我ものに分けて読んでいるが、面白いのはこのうち歴史ものだ。性的なもの、自我ものともに自分のことに当てはめながら読むにしても、人によってということもあるな、と思うとどうも確信のようなものがない。歴史ものは氏の独創的な考えが、時に従来の常識を鮮やかに覆して見せてくれるので面白い。氏のいう雑文集は、これら三つが入れ代わり立ち代わり出てくるので、忙しいことおびただしくときに頭は混乱する。   読み流せば良いのだが、岸田理論を理解するための再読なので、メモしつつ読んでいる。メモは後からも読..

  • 岸田秀再読 その28「古希の雑考」2004

      「古希の雑考」 岸田秀 文藝春秋 2004   著者71歳の時の本だから「古希の雑考」。多分40代の「不惑の雑考」を意識してつけた表題だろう。さすれば「傘寿の雑考」があってもいいはずだが、それは無く、「唯幻論始末記」(2018 著者 85歳)がそれに代わるものかもしれないと推察する。やはり岸田氏が「唯幻論」に一番こだわっていることの証でもあろう。「始末記」を最後の本と言っているからには「雑考」にしたくはなかっただろう。   「不惑の雑考」と同様に以前読んだかどうか気にしながら読んだが、結論的には「再読感6初読感4」である。これだけの岸田秀氏の著書を読めば、同じことが繰り返されているのを読むので、余計分からなくなってくる。ほぼ知っていることが書かれているので判断しにくい。ただ、対米宣戦布告電報の話とフジモリ大統領の話は、何故かこの本で読んだような気がするのである。..

  • 岸田秀再読 その27「不惑の雑考」1986

      「不惑の雑考」岸田秀 文藝春秋 1986(s61)   著者53歳の時の本である。40歳台に書いたものを集めたので「不惑の雑考」と題したという。帯には、「唯幻論を唱える岸田秀が自分のこと、身辺のこと、社会のことについて書いた最新エッセイ集」とある。エッセイにしては、小論文調だなと思ったからか、このブログに書いた加藤周一のエッセイ論を何気に思い出した。   「随筆の各断片は、連歌の付句のようなものである。時間の軸に沿っていえば、読み終わった断片や、来るべき断片とは関係なく、今、目前の断片が、それ自身として面白ければ面白い。加藤周一著 「日本文化における時間と空間」   https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2014-10-23   読書感想文からはかなり脱線するが、わが40歳台を顧みれば、まさに働き盛りなのに中間管理職として、..

  • この花の名は? ベゴニアレックス

      お隣さんから鉢植えを頂いた。去年の夏、ガレージマルシェで二鉢買い求めてプランターに植え替えたら、暑さで枯れてしまい、悔やんだのと同じ種類である。その時花の名を検索した記録がiPadに残っていた。ネームカードも付いていたが、知っているベゴニアとあまりにイメージが違うのでググったのである。 ベゴニアレックス ベゴニア王であるベゴニアレックスは、ベゴニア科の顕花植物の一種である。インド北東端のアルナーチャルプラデーシュ州から中国南東部にかけて発見され、バングラデシュ、キューバ、イスパニョーラ島に導入された。観葉植物のベゴニアレックス栽培品種グループの500以上の栽培品種の親である。(ウキペディア)   上下ともベゴニアレックス ベゴニアは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属に属する植物の総称。特徴は葉の形が左右非対称でややゆがんだ形であること、花は..

  • 岸田秀再読 その26「吹き寄せ雑文集」1989

    吹き寄せ雑文集 岸田秀 青土社 1989 分裂病日本の中の戦後民主主義教育   私の図式で言えば、これはまさに外的自己と内的自己との対立であるが、この分裂病的対立の特徴は、和解と統一が極めて難しいことである。両者はそれぞれ、思想としてあるいは運動として存在している以上、それなりの何らかの根拠に基づいている。ともに両者について言えることであるが、その根拠は重層になっている。すなわち無意識的な根拠と意識的な根拠との2つの根拠からなっており、無意識的な根拠が真の根拠で、意識的な根拠はその隠蔽、正当化のためのものである。もちろん両者それぞれが意識しているのは、意識的な根拠のみで、それが別の根拠の正当化であるとの自覚はない。そして両者それぞれの意識的な根拠は、絶対的に対立しており、前者の立っている意識的根拠は、根拠には見えず、もし見えても、とんでもない馬鹿げたことをしか思え..

  • 岸田秀再読 その25「心はなぜ苦しむのか」朝日新聞社 1999

      「心はなぜ苦しむのか」朝日新聞社 1999(朝日文庫)   前回読んだ「フロイドを読む」は、1991年刊行であるが、この本は5年後の1996年刊行(毎日新聞社)である。文中に何度か引用されており、読んだ順序というかタイミングは、偶然ながらベストである。 本は、毎日新聞社出版局の編集者の志摩和生氏が岸田氏にインタビューする方式。インタビュアーも経験したという「鬱」、「神経症」などがテーマである。   結論から言えば、自分には面白い本であった。面白いとは語弊があるが、自分が「フロイドを読む」を含め、ずっと感じてきた岸田氏の強烈な母御への憎しみとも言える感情への違和感を、志摩氏が執拗に本人に迫り、それに対して岸田氏が撥ね付ける第二部巻末部分(「許せないこと」)である。 志摩氏は岸田氏の母親にエンパシー(感情移入、共感)を感じ、母御を許せないものか、そうしないと..

  • 岸田秀再読 その24「フロイドを読む」1991

      「フロイドを読む」岸田秀 青土社 1991     本の題名を見れば、誰でもフロイド入門かと思うが、そうではなかった。岸田氏の子供の頃からの変な行いの原因を究明する過程で、巡り合ったフロイド学説を手掛かりに自己分析を続けた詳細を余すところなく(フロイド理論と自分の行為とを対照して、)解説したものである。 まず、冷徹に自分を曝け出す勇気にまず驚嘆する。とてもここまで自分をあからさまに出して、活字にすることは常人には難しいのではないかと思う。人皆多少は、神経症というから、多くの人に読まれて、参考になったに違いないとも思った。   例によってメモしつつ読んだが、フロイドの引用部分は特に専門用語が頻出して難しい。まだしも岸田氏の記述の方が、少しは分かりやすいような気がする(気がするだけかも知れないが)。   ・フロイドとの出会い 「フロイド理論を信じない限..

  • 岸田秀再読 その23「唯幻論論」2005

      「唯幻論物語」岸田秀 文春新書 2005   「支配的で勝手な親の弾圧、無理解、虐待などがストレスを生み、そのストレスに苦しんで子が神経症になるというような直線的因果関係を小谷野(注)は信じているらしいし、他にもそのように思ってる人は多いようであるが、この因果関係の因と果の間にはもうちょっと込みいった紆余曲折がある。(中略)わたしの場合は、むしろ、母がわたしを育てたのはただ単に、老後の生活の安定という現実的、打算的な目的だけのためではなかったからこそ、すなわち、そこに他のいろいろな動機が絡んでいたからこそ、神経症に追い込まれたと考えられるのである。」p33(母との対立 §2神経症)   注)小谷野 敦(1962〜 )は、作家・比較文学者。愛称、猫猫先生。恋愛の比較文学的研究から出発し、「もてない男」を出版し、ベストセラーになる。「新近代主義の提唱」を展開している..

  • 岸田秀再読 その22「幻想の未来」1985

    岸田秀 幻想の未来 河出書房新社 1985   先日読んだ八木誠一氏との対談「自我の行方」の方が先(1982年)に刊行され、本書はのちに上梓された。「文藝」(1983.9〜84.8)に「唯幻論」のタイトルで掲載されたものをまとめたという。「自我の行方」巻末の往復書簡に登場する。「自我の行方」の前に読んだ方が良かったかもしれない。(とき既に遅しだが。)   フロイトに同じ題名の著書があるそう。その「幻想の未来」における「幻想」とはキリスト教のことで、その未来はいずれ滅びる、キリスト教は迷信というのが論旨とのこと。 一方で、岸田氏の本著「幻想の未来」における「幻想」は自我のことである。強い自我を持つべしは病い、対人恐怖症などを論じ自我の未来(行方)を考察している。   浅学の老人には、かなり難解な本である。例によってメモしつつ理解しようとするが、耄碌寸前で..

  • 岸田秀再読 その21「自我の行方 岸田秀・八木誠一対談」

      「自我の行方 岸田秀・八木誠一 対談」(春秋社 1982  増補版1985)   対談者の八木誠一(1932〜)氏は、新訳聖書学者、神学者、宗教哲学者。東工大名誉教授。ちなみに岸田秀氏は、1933年生まれ、現在90歳。八木氏の一歳歳下になる。   精神分析と宗教をめぐる対談である「自我の行方」は1982年刊行。3年後刊行の増補版と同時期に刊行された「幻想の未来1985.1」と合わせて読んだ。自分には両書とも難しく6月15日に図書館で借りてから、返済期限延長、借り換え、を繰り返し、「幻想の未来」の方は、今なお読了に至っていない(「幻想の未来」は7月6日に借りて、読み始めたばかり)。情け無い。   第一章 岸田 「宗教というのも見失った全体的生を回復しようとするひとつつの運動であるとすれば、精神分析もそういう意味では、同じく全体的な生を回復しようとする運動な..

  • 岸田秀再読 その20「アメリカの正義病 イスラムの原理病 2002」

    岸田秀・小滝透共著「アメリカの正義病 イスラムの原理病」一神教の病理を読み解く 春秋社 2002 ニューヨーク同時多発テロ事件,いわゆる9.11事件(2001.9.11)勃発の翌年に刊行された岸田秀氏とジャーナリストの小滝透氏の対談。 対談者の小滝 透(1948- )氏は、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。金沢大学法文学部文学科中退、サウジアラビア王立リヤド大学文学部アラビック・インスティチュート卒、元全共闘。   この9.11事件を契機としてアフガニスタン紛争(2001-2021)が勃発。またフセインとアル・カーイダが協力関係にある可能性があると開戦理由の一つに挙げたイラク戦争(2003-2011)が起きている。爾後,アメリカとイスラムは20年以上 の長期にわたり争う。大統領はジョージ.ブッシュ、バラク・オバマ、ドナルド・トランプ、ジョージ・バイデンと..

  • 岸田秀再読 その19 「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」2007

    岸田秀「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」新書館 2007   「一神教vs多神教2002」のあとに発行された著書。ヨーロッパ文明こそ世界理念であるという現代史は、おおむねまやかしだとする岸田理論を展開している。   「いささかややこしいので、簡単に言うと、アメリカ人は、黒人に差別された白人の中でさらに奴隷にされて差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタンに端を発するわけで、つまり、四重の被差別のどん詰まりの民族なのである。このような歴史的背景が、その抜群の軍事力で気に入らない他民族に攻撃し虐殺し、現代世界を支配しようとしているアメリカと言う国の思想と行動を説明するのではないか、と私は考えている。先住民虐殺は四重の被差別に対する最初の報復であった。そうとでも考えなければ、先住民に対するこのような残忍さは説明がつかない。」差別が人種を生んだ。」p..

  • 岸田秀再読 その18「一神教vs多神教」(3/3)

      岸田秀再読 その17「一神教vs多神教」(2/3)からの続き   文庫版 岸田秀あとがき 唯幻論の批判に対する反批判 2013 「わたしが気に喰わない、癪に障る、唯幻論が肯定できない、批判したいというのは大いに結構なことであるが、わたしは冗談を言っているのではなく、本気で真面目に自分が考えていることを述べているのだから、せめて斜に構えて唯幻論をまともに取りあげず、軽くいなしてからからかうようなことはやめて、そちらも真面目に論理の誤りや根拠の曖昧さを突くとかして、正面から批判してもらいたいと衷心から思っている。」p250   →岸田氏はしばしば気にして反批判を書いているが、中には雑音もあるし批判する人がいるのは、世の常なのだから放っておけば良いのでは、と思う。それにつけても言葉の人を傷つける力の強いのに唖然とする。   解説に代えて 三浦雅士   「正義感に..

  • 岸田秀再読 その17「一神教vs多神教」(2/3)

      岸田秀再読 その16「一神教vs多神教」(1/3)からの続き   第3章なぜ多神教は一神教に負けるか?   文字が無ければ一神教は成立しない。具体的世界とは別の抽象的世界をつくるには文字は不可欠である。キリスト教の聖書 イスラム教のコーラン。一神教の成立は都市において。多神教は農村の信仰。 「抽象的な絶対神を求めるのは、ひとつの逃げ込み先というか、自我にひとつの欺瞞的な安心感を与える幻想なのです。唯一絶対神を信じることができれば、精神的に非常に楽なのです。だから誰にも唯一絶対神を信じたい誘惑がある。そういう誘惑に抗しなければならないということを言いたいわけです。」p91   仏教の解脱とは違う。自我を捨てれば人間は生きていけない。(必要悪) 。自我は病気、 自我は弱い方がいい。(人間は多神教的相対主義の方が良いという理由) 人類の歴史は自我の強い奴と弱..

  • 岸田秀再読 その16「一神教vs多神教」2002

      岸田秀 「一神教vs多神教」 聞き手三浦雅士(1946〜評論家) 朝日新聞出版 2013(2002)   これまで宗教について、一神教vs多神教という考えなどあまり持ったことがなく、宗教そのものの知識にも乏しいので、ある意味新鮮で面白く読んだ。自分には刺激的な面白い本だと思う。 例によって気になった点を自分なりに解釈して、メモしつつ読んだ。後からメモを読み返すと、初歩的なことに感心してばかりしている。通読に思いの外長時間を要したが、ひとえに我がこの分野の無知がその要因だと思い知らされる。   本は三浦氏が聞き手、産婆役として岸田秀の理論を引き出す形式である。第一章を除き2〜7章までの表題は問い(?)になっている。三浦氏が聞き岸田氏が答えているが、どうして、どうして三浦氏も自分の意見を言っている。書は1〜7章からなる(2002初版)。自分が読んだのは2013年朝..

  • 岸田秀再読その15「唯幻論論 岸田秀対談集」1992

      唯幻論論 岸田秀対談集 青土社 1992   日本の技術と国際協力   江戸文化は抑制の文化だ。鉄砲、火薬の高技術は花火へ、造船技術では大船を作らない。 車は駕籠。維新後欧米の文化に触れ、技術より抑制解放を学んだ。欧米への劣等感がバネ、いたずらに自惚れない方が良い。   スペインはキリスト教の布教、アメリカは民主主義というような、日本には自分の考えを普遍的だと考える伝統がない。何らかの普遍的、イデオロギーを世界に広めるという発想は無い。なくてもいい。   →国際協力に際しては、あった方が良いと思うが。例えば、国際協力、援助においてアフガニスタンのボランティア中村医師、ペシャワールの会の価値観などはどうか?   石井威望(1930 - )は、システム工学者。東大名誉教授。 佐々木 毅(1942- )は、政治学者(政治学・西洋政治思想史)東大名誉教授..

  • 岸田秀再読 その14「日本がアメリカを赦す日」2001

    岸田秀 「日本がアメリカを赦す日」 毎日新聞社 2001   口語体というか講演調で書かれていて読み易い本である。この本が刊行された(21世紀明け)頃、自分はサラリーマン第二の職場に移り、自分のことばかり考えていて、かつ何かとバタバタしていたので、あまり世間のことを真面目に考えていなかったな、と反省ばかりの時期にあたる。5年前の1995年(平成7年)には、阪神淡路大震災(1月)、オウム真理教地下鉄サリン事件(3月)が起きている。そして2001年9 月11日(平成13年)、世界貿易センター同時多発テロだ。多くの人が、世紀末から新世紀の移行に臨み世界が変化する予感に襲われた時期である。しかし、サラリーマン(自分のことだ)は、あらゆるデジタル機器のチップが狂い予期せぬ事故が起きるかも知れないと、会社挙げて対策に振り回されていたのだから笑止の時でもあった。   読者をときに冷..

  • 岸田秀再読その13「官僚病の起源」1997

    岸田秀 官僚病の起源 新書館 1997   著者は次のように言う。 官僚病の起源は自閉的共同体の病であり、その特徴は以下のとおり五点だ。その対策としては、共同化防止策(天下り禁止、採用試験の改革など)がとられているが、部分的効果しかなく、病は綿々と続いている。   ①仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体。 ②国、国民のために役立っているつもり。 ③非メンバーに対して無関心、冷酷無情。メンバーには優しく人情深い。 ④身内の恥を外に出さない、失敗は隠蔽し、責任者を明らかにしない。 ⑤同じような失敗が繰り返される。   「国家が国際関係から逃亡し、天孫降臨したという嘘から出発した結果、歴史的必然として日本において形成される、あらゆる集団は自閉的共同体となる傾向をもつ。幼いときに、親との関係において初めて形成された、自我の形が当人の自我の..

  • このあじさいの名は何? 番外編 ヒメアジサイ Makino

    朝ドラの主人公のモデルとなった牧野富太郎博士(1862?1957)の命名というヒメアジサイ。ネットの画像などを見ると確かに綺麗でかわいらしいが、ごく普通のアジサイである。 そこら辺に植栽されているのかどうか知らないが、まだヒメアジサイと名前を確認して見たことはない。花の名前を先に知っていて、どんな花なのかこの目で確認したい時は、どうすればいいのか。   ネットでヒメアジサイと入力して検索すると六甲山のヒメアジサイ、北鎌倉明月院のヒメアジサイ、練馬区「牧野記念庭園」のヒメアジサイなどの画像が出てくるから、それと似ているかどうか分かれば良いのだが、区別できるほどの特徴がない。(ような気がする) サラリーマンだった頃、子供のためではなく、自分の気分転換用(気晴らし用?)にと(仕事とはまったく関係がない)牧野日本植物図鑑(北隆館)を買ったこと、をふと思い出した。 本棚から引っ..

  • このアジサイの名は何? ⑩きらきら星

    きらきら星は栃木県農業試験場が改良して作った、ガクアジサイの品種。ジャパンフラワーセレクション2014-2015の、鉢物部門で入賞した品種という。 撮影日2023/6/13 アジサイのきらきら星は2021年6月このブログで紹介したので2回目となる。 アジサイらしくアジサイらしかぬというと変だが、何となく味のある花で好ましくて再登場して貰った。   前回も同じ団地内の一角(今回とは別のところ)に咲いていたのを撮影して検索した。   https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2021-06-16     確信度は5段階の5にしても良かろうと思う。  

  • このアジサイの名は何? ⑨ノリウツギ

      ノリウツギ(糊空木、糊樹、学名: Hydrangea paniculata )は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木。別名サビタノリノキ(糊の木)。中国名は水亞木 (別名:圓錐繡球)。樹液を和紙を漉く際の糊に利用したため、この名がついたという。 牧野新日本植物図鑑(1940)によると次のようにサビタの記述があった。 「[日本名]ノリウツギとかノリノキという。幹の内皮で、製紙用ののりをつくるからである。また北海道ではサビタという。それでこの根からつくるパイプを“さびたのパイプ”という。変種に花序が装飾花ばかりからなるものがあり、これをミナヅキといい、庭園に植えられる。」   アジサイの開花は6月だが、ノリウツギはアジサイの花がそろそろ見ごろの終わる7月が花の季節(写真撮影日2023/7/4)。 ノリウツギの園芸品種ミナヅキは「ピラミッドアジサイ」として広く流通..

  • 岸田秀再読 その12 「唯幻論大全」 2013 (2/2)

      岸田 秀再読 その12 「唯幻論大全」 2013 (1/2)からの続き   「近代的自我を目指した知識人 夏目漱石 自己本位と則天去私の間を揺れ動き解決せず終わった。対人恐怖(日本人)、対神恐怖(欧米人)=近代的自我、主体性、理性的 いずれも幻想」   ・文豪もカタナシ。   「自制の文明(人類存続の唯一の道)をアメリカに教えられるか? 自制の箍を外した=日本の近代化」   ・江戸時代は自制の良き時代だったという。アメリカは説得されたら、自国の存在根拠を失い崩壊するから無理。とすると?   「進化論は生物の進化を説明する自然科学理論というより、イデオロギーである。ダーウィン理論と今西棲み分け理論=和をもって貴しとする。 ダーウィニズム生物進化の理論を超え社会的ダーウィニズムとなり弱肉強食、人種差別、植民地主義、帝国主義を正当化するイデオロギーになった。欧米..

  • 岸田秀再読 その11 「唯幻論大全」2013 (1/2)

    唯幻論大全 岸田秀 岸田精神分析40年の集大成 飛鳥新社2013      今からほぼ10年前、著者79歳のときに刊行された589pの大冊。 40年の集大成とあるように唯幻論を「自我論」、「歴史論」、「セックス論」の3部に整理。巻末に初出が掲載されており、原題も変えたものがあるよう。ただ集めただけでなく記述内容も補強的に加筆、加除されたところもあるが、基本的論議は変わってはいない。 例によって、自分が気になっているところや、新たに気づいたところなどをメモしつつ通読したが、本は分厚くて手に重く閉口した。   第一部 自我論 「人間の本能は、生まれてから後に壊れる。このことを示す証拠はたくさんある。例えば、生まれた直後の人間の新生児の指及び掌を刺激するとひとりでに把握反射が起こる。強く握るので、鉄棒にぶら下がることができるほどである。また、新生児を支えて直立させ、床..

  • 岸田秀再読その10 「ものぐさ社会論」2002

      ものぐさ社会論 青土社 2002   唯幻論と唯脳論 養老孟司 養老先生については説明不要であろう。解剖医。昆虫採集家でもあり、最近は都市田舎の参勤交代を主張したりしている。1937年生まれ85歳、岸田氏より4歳年下。   養老 私は現実とは、個人の脳が決定しているものと考えていますが、これを言うと反論が来ます。世の中がバラバラになってしまうと。それを恐れているわけです。けれど、世の中がバラバラになったのを見たことがありますか(笑)。要するに、社会というのは、現実を統制する装置として機能しているんですね。 岸田 そういう不安を持つのは、本来個別的でバラバラな存在である人間を無理に組織して社会が形成されているのを心のどこかで知っているからでしょう。人間の心をまとめるのは無理な話なのです。それぞれが勝手に現実を作っているわけですからね。ただ、普通は各個人が作るそれ..

  • 岸田 秀再読その9 「日本人はどこへゆく」岸田秀対談集 2005

    「日本人はどこへゆく」岸田秀対談集 青土社 2005   生きること、考えること 池田晶子(1960〜2007 46歳6ヶ月没)   池田 晶子は、日本の哲学者、文筆家。東京都港区出身。 専攻は哲学。専門用語にたよらず日常の言葉によって「哲学するとはどういうことか」を語り続けた。著書に『帰ってきたソクラテス』、『14歳からの哲学』など。ウィキペディア   池田晶子の没後「わたくし、つまりNobody賞」が創設されたように、岸田氏と虚無感など持つ雰囲気が似ていて、二人の対談を期待して読んだが、噛み合わなかった感じ。池田氏の考えることは趣味ではないか、と言う岸田氏の問いを彼女は無視する、といった具合。死生観のところも、最後の全部あるという逆転に対する岸田氏の反応もない。残念。    岸田  死を恐れると言うのは、非常に個人差がありますね。 池田 私には全然ないん..

  • 岸田秀再読その8 「日本史を精神分析する」2016

      「日本史を精神分析する 自分を知るための史的唯幻論」岸田秀 聞き手柳澤健 亜季書房 2016   2016年刊行なので著者83歳。比較的最近の岸田秀氏の考え方が分かると思う。聞き手柳澤 健氏は文藝春秋退社後フリー。「日本のレスリング物語」などの著書あり。   いわば自己、自我を知るためには唯幻論による歴史の理解が一番良いとする岸田秀氏独特の論理を展開している。   まずは、本題と直接関わるものではないが、「本能が壊れた」とする説明に関して気になった箇所がある。 「キリンの首は少しずつ伸びたのではない。絶滅の危機に瀕した時、全員が集団で、意図的にいきなり長くした。種の作戦だ。首が中間の化石は出ていない。 生命体の主体的意志 人類は幼形成熟、未熟児として生まれ、おとなにならないという作戦を立てた。 そのため本能に書き込まれた行動様式で生きられず本能が壊れた。壊..

  • このアジサイの名は何? ⑧カシワバアジサイ

    カシワバアジサイ(柏葉紫陽花、学名:Hydrangea quercifolia)は、アジサイ科(ユキノシタ科)アジサイ属の落葉低木。原産地は北米東南部。花の色は白。   葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来。花は円錐状あるいはピラミッド型に付く独自の形状をしており、5月〜7月に真っ白い花を付ける。八重咲きと一重咲きがある。 一般のアジサイとは異なり全体の印象としては木のボリュームに比し、花が少ないのが特徴。葉には切れ込みがあり、秋には紅葉する。古くから日本にもあったが、最近、一般に出回り始めた。(ウキペディア)   たしかにここ数年あちこちで見かけるようになった。秋になると深いボルドー色になる。紅葉した後、冬は落葉して越冬する。 なお、ネットのとおりカシワバアジサイには八重と一重の二種類あるらしい。   ⑴カシワバアジサイ・スノーフレーク 八重咲き..

  • このアジサイの名は何? ⑦天使のほっぺ

    天使のほっぺ 「天使のほっぺの最大の特徴は、花色の変化。咲き始めは明るいグリーン、徐々に全体が白色になる。全体が真っ白になった時の白は、透明感がある純白。その後、真っ白だった花色に濃いピンク~赤色が入ってくる。 この時、一気に色が変化するのではなく、少しずつ縁から染まっていく様が、ほっぺが赤く染まる様子に似ていて、愛らしい。天使のほっぺが白から赤に染まるのは、紫外線が関係しているといわれている。つまり、花色が白くなった後、太陽光に当たることによって、赤が入りやすくなる。」 ネットには上記のように説明がある。自分が撮影した時は既にピンクになっていた。 したがって咲き始めのグリーンとその次の白の時代は見ていないことになるが、多分天使のほっぺに違いなかろうという気がする。 なお、緑から赤に変わる「天使のリップ」とか「天使のエクボ」という品種もあるという。とりあえず確信度4..

  • このアジサイの名は何? ⑥フェアリーアイ

    フェアリーアイ(妖精の瞳)は、2006年第1回ジャパンフラワーセレクション フラワー・オブ・ザ・イヤー(最優秀賞)を受賞した群馬県の坂本正次氏が育種した話題のアジサイ。花形の変化と花色の変化が両方楽しめる、今までにない新品種。 フェアリーアイは咲き始めは八重のガク咲きだが、時間が経つにつれ手毬に変わり、その後はグリーンに、そして秋には真っ赤に花色が変化する。 - 学名:Hydrangea macrophylla "Fairy Eye" - タイプ:アジサイ科(ユキノシタ科)の耐寒性落葉低木 - 植付け適期:3月~4月/開花期:5~9月 - 樹高:50~150cm 写真検索だが、これに似たアジサイは他にもあるようなので、特定にもう一つ自信がない。 ガクアジサイだが手毬に変わり、色もグリーンにそして秋には真っ赤になるというので秋になれば確認できるかも知れない。楽し..

  • このアジサイの名は何? ⑤アナベル

    アナベルは、北アメリカ東部に自生するアメリカノリノキ(Hydrangea arborescens)の変種を品種化したアジサイ。 園芸品種として作出されたものではなく、イリノイ州のアンナ市の近くで発見された、野生のアジサイ。 通常のアメリカノリノキは小さな装飾花が花序の周囲に額のように付くが、発見された変種は大きな装飾花を手毬状に咲かせるものだった。 この変種をオランダで選別・改良し、品種化したのがアナベル。 アナベルの名前の由来には所説ある。 ⑴古代ローマ時代の男性名アマビリス(Amabilis)を女性化したアナベル(Amabel)に由来するとする説。アマビリスとは「愛すべき」という意味。   ⑵アナベルの原種が発見されたイリノイ州アンナ市に因んでいるとする説。 「Anna belle」とは「アンナの美人」という意味。   ⑶エドガー・アラン・ポ..

  • このアジサイの名は何? ④シンデレラ

    シンデレラは中心の両性花の周りに、バランス良く装飾花が配置されていてエレガントなガクアジサイ。 装飾花はあまり多くなく、装飾花の軸が長めで両性花より少し離れてふんわりした感じに咲く。装飾花は、八重咲きで星のように咲く。その花弁は細長く八丈島千鳥と違って丸みがある。また装飾化の茎が心持ち短い感じがする。 中心の両性花が青なので土が酸性だと分かる。(アルカリ性ならピンク色)。なお、周りの装飾花は土壌酸度にかかわらず白。   両性花と装飾花の色が違うアジサイ品種は珍しいとか。   これも写真検索だが、ほかに似たようなアジサイがあり、残念ながら確たる自信はない。わが確信度は5の3か。  

  • このアジサイの名は何? ③アジアンビューティ

    検索するとアジアンビューティーとあるが、多分そうだと思う。 しかし確たる自信はない。前回と同じく5まではいかない4か。 ヤマアジサイと西洋アジサイを交配した品種。完全に開花すると中心部が白く、赤い縁取りのコントラストが美しい。 ヤマアジサイとの交配なので多花性(花数が多い性質ー園芸用語)の特徴があり、大変花付きがよく露地植にすると一層映える。 日本古来の山アジサイを鉢物向けに改良・選抜を繰り返し誕生した新品種。銅葉(銅のように赤黒く光沢のある葉でブロンズリーフともー園芸用語)がかった葉色。  

  • このアジサイの名は何? ②ダンスパーティー

    ダンスパーティーは、日本に分布するガクアジサイとアメリカの園芸種を掛け合わせて作られた園芸品種。   1994年頃に静岡県の加茂花菖蒲園で作られ、鉢物のギフトが数多く流通するようになって一気にブレイクし、以来不動の人気を誇るアジサイ。 ダンスパーティーの花期は6月~7月。 細弁アジサイの中でも有名なものだが、八丈千鳥(①ハチジョウチドリ)よりは弁が細くはない。 名の由来は、花の中央に集まる小さな両性花の中に装飾花が疎らに咲くため、ダンスホールで踊る人を連想させるような花姿から。   これも名前があっているかどうかの確度は5段かの4か。(5を最高として)  

  • このアジサイの名は何? ①八丈千鳥

    ネットによると、アジサイはおおまかに分ければ   - ヤマアジサイ  小型種で、額咲きが大半。日本や台湾等の山間部に自生。北海道等の北部に自生するエゾアジサイも近い種。   - ホンアジサイ、ガクアジサイ、西洋アジサイ、ハイドランジア  大型で、手毬咲きの方が一般的。ガクアジサイは海浜性の分布。ハイドランジアは、山間部のヤマアジサイと海浜近くのガクアジサイの交配種。ハイドランジアは、毎年、多数の新品種が作出されている。   - アメリカノリノキ  北米原産で、アナベルが一番有名な品種。カシワバアジサイも同じグループ。 - その他・・・タマアジサイ、コアジサイ、コンテリギ、ツルアジサイ、ノリウツギetc   とあるが、額咲きヤマアジサイとガクアジサイはどう違うのかよく分からない。 さらに、改良種、園芸種になると100以上あるらしく、道端やよそ様の庭で咲い..

  • 岸田 秀再読その7「続 ものぐさ精神分析」(2/2)

    岸田 秀再読その6「続 ものぐさ精神分析」(2/2)からのつづき   このものぐさ精神分析応用編を読むと、大抵のことが唯幻論で説明出来ることに驚くし、常識的理解と違う意外性、など膝を打つことが多くて一言で言えば面白い。また氏の言い換え、喩えのユニーク(ユーモアと辛辣)さがそれに加わる。これが岸田秀を読んでしまう原因だと納得させられる。これなら「出がらし」であろうが、「二番煎じ」であろうが人は読むだろうと思う。   人の考えることは私的幻想でそれが集団の共同幻想となる。人と集団は幻想にとらわれ右往左往する様があぶり出される感がする。 本能が壊れたから幻想が生まれたという理由の正否はおいても、人間の考えることがおおかた幻想であるとすれば、大抵のことは説明出来てしまう。 確かに、わが国においては、古来人は幻想の中で生きているということが、実感としてわかる。 岸田秀..

  • 岸田秀再読その6 「続 ものぐさ精神分析」(1/2)

    「続 ものぐさ精神分析」岸田秀 中公文庫1982   続と銘打っているが、ほぼ本編(1977)と時を移さず書かれた(1980年)ものだから、唯幻論を補強するための補遺のようなものと考えて良いだろう。 著者は二番煎じ、出がらしものぐさ精神分析と自嘲している。文庫本の帯の惹句は岸田心理学の実践的応用編とある。   まず日高敏隆の解説文が目に飛び込んできた。日高氏はフランス留学で岸田秀氏と接点がある。気になっている人間の「本能は壊れた」とする論に関わるところである。   「岸田秀との対立点が一つある。そしてこの対立点は彼にとってもぼくにとっても、きわめて根本的に重要な問題なのだ。それは、「人間は本能が破壊された存在である」という、岸田氏の出発点である。僕の代理本能論(「文化」とは所詮は本能の代理物に過ぎない)は、いってみれば、岸田秀の理論を動物学の立場から展開したも..

  • 岸田秀再読その5 「ものぐさ精神分析」 (2/2)

      岸田秀再読その4「ものぐさ精神分析」(1/2)からのつづき なお、「歴史について」の中に「日常性とスキャンダル」と題した一文がある。これは岸田氏の考え方(悲観や虚無)をよく表しているように思う。 岸田秀氏ならずとも、自分を含めて歳をとると、長生き必ずしも良いことばかりではないなと思う。未来にはもっとマシなものが待っている、あるいは今よりは良くなるだろうと思って生きてきたが、人類は懲りずに愚行を繰り返している、と嘆くことばかりである。自分の価値観のために戦争を始める。核兵器廃絶は進まず。原発はやめない。コロナは人命より経済優先。etc.人間はいつまで経っても、いっこうに利口にならない。   岸田秀氏は言う。 「人間に関する諸々の問題を説明しうる理論の出発点は、私の考えによれば、1つしかない。それは、他のところで既に繰り返し述べたように、人間が現実を見失った存在で..

  • 岸田秀再読その4ものぐさ精神分析 (1/2)

    当たり前のことだが、岸田氏の唯幻論そのものを理解するには、氏の原点ともいうべき「ものぐさ精神分析」をじっくり読むことが一番良い。 再読といっても唯幻論を取り巻く周辺の随筆や対談から始めたので、遠回りしている感じが否めない。そこで図書館で「ものぐさ精神分析」(岸田 秀 中公文庫1982)を借りて来て読んだ。読書記録に無かったが、やはり一度読んだような気もする。ただし、周辺の短文を読んで得た知識がそう思わせるのか、本当に読んだのかはいま定め難い。   読んでみると、自分の疑問に思ったことのたいていのことが書いてあったのに驚く。 まずは個人の心理を集団の心理と同じように論じることについては、「ものぐさ精神分析」の冒頭の章である「歴史について」の中の「日本近代を精神分析する」にいち早く出てくる。 「フロイド理論は何よりも、まず社会心理学である。一般には、フロイドは、神..

  • 岸田 秀再読 その3「唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたか」

      最初に自分が岸田秀氏の著書を初めて読んでから、既に10年以上が過ぎている。   著者は1933年生まれだから、「ものぐさ精神分析」で唯幻論を発表した1977年は44歳の時である。自分は37歳、中間管理職のサラリーマン。氏と同年輩の上司の下で日々あくせく働いていた。当時の先輩らの顔を思い起こすと、氏と自分の年齢差などが実感として分かる。また、いかに当方はノーテンキに暮らしていたかも、今となれば(懐かしく)思い知らされる。 氏とは7年の差があるが、同時代と言って良い。唯幻論には、特別強いシンパシーもない代わり、はなから拒否感がないのもこのせいかも知れぬ。一方で終戦の年に自分は5歳で氏や先の職場の上司は12歳であったことは、価値観の急転換を体験したか否で、その後の精神形成に微妙な差もあるかも知れないとも思うが。 最近読んだ「哀しみという感情2007」を書いたのは、氏が7..

  • 岸田 秀再読その2「保育器の中の大人 精神分析講義 (岸田秀 伊丹十三)」

      岸田 秀氏の「唯幻論」に賛同した一人に伊丹十三がいる。 「ものぐさ精神分析」を読んで世界が俄かにくっきりと見えるのを私(伊丹十三)は感じた。私は、自分自身が確かに自分自身の中から手を伸ばして世界をつかみとっているのを実感し、驚きと喜びに打ち、震えた」(「ものぐさ精神分析」中公文庫版1978の解説)と書いている。その賛同、感動ぶりが伝わってくる。   伊丹十三(1933‐97年)は、映画監督伊丹万作の長男として京都に生まれた。(たまたまだが、岸田秀氏と同年生まれである。) 俳優であり、かつ映画監督(代表作に「お葬式」、「マルサの女」、「ミンボーの女」、「マルタイの女」など)として活躍する一方で、「女たちよ!」(文藝春秋1968) 「ヨーロッパ退屈日記」(文藝春秋新社、1965年) など、軽妙で洒脱なエッセイの書き手としても知られる。 1997年12月20日、伊丹..

  • この木何の木? オウゴンモチ・マサキ?

      新緑は圧倒的にグリーンが多いが、カナメモチのように赤い新緑(?)もある。しかし黄色は珍しい。散歩中見つけた植木は、秋の銀杏イチョウなどの黄葉とは趣きの異なる明るい黄色だ。 グーグルフォト検索では、黄金黐(オウゴンモチ)か黄金柾木(オウゴンマサキ)という。 素人目にはどちらか判然とせず断定し難い。 オウゴンモチであれば、モチノキ(餅の木・黐の木・細葉冬青、学名: Ilex integra)モチノキ科モチノキ属の植物の一種)の園芸種。 オウゴンモマサキならマサキ(柾・正木、学名: Euonymus japonicus)ニシキギ科ニシキギ属の常緑低木。 どちらかといえば、オウゴンモチのような気もするが決め手がない、   なお、春の新芽が赤くなるカナメモチは、バラ科/要黐カナメモチ属常緑広葉/小高木。オウゴンモチ、オウゴンマサキとは別種だ。 園芸種レッ..

  • 岸田秀再読その1 「哀しみという感情」

       岸田 秀(きしだ しゅう1933〜)氏は、心理学者、精神分析学者、エッセイスト。和光大学名誉教授。主著は「ものぐさ精神分析(1977)」など。この主著がブレーク、日本思想界にセンセーションを巻き起こす。「人間は本能の壊れた動物である」とし、独自の「唯幻論」を提言した。  唯幻論など岸田著書はリタイアしてたっぷり時間が出来たので、河合隼雄、池田晶子、養老孟司などとともに何冊か読んだ。浅学の悲しさすべて中途半端な読書だったと思うので、(この著者だけ特別のことではないが)そんな考えもあるかでみな終わっている。    当時の読書記録によれば、読んだのは「ものぐさ人間論」、「唯幻論論」(いずれも青土社)、「性的唯幻論序說」(文春新書)、「幻想に生きる親子たち」(文藝春秋)、などだが、主著の「ものぐさ精神分析」は記録に無かったので多分読んでいないようだ。また逆に「古希の雑考」、「不惑の..

  • 秋声の「爛(ただれ)」と寂聴の「爛(らん)」

    瀬戸内寂聴の小説「爛」は装丁表紙でもRanとローマ字でルビをふって「らん」と読ませているが、徳田秋声の小説「爛」は1913年 初出時の表題が「たゞれ」だった(後に「爛」と改題)というから「ただれ」の読み方であることは明白である。 よって寂聴の方のテーマが高齢女性の性愛を鮮やかで明るいもの(爛漫)として描いたのに対して、秋声の方は小説のテーマを「(糜爛びらんのように)爛れた男女の関係」と表題に込めたと解して良いのだろう。 つい最近図書館の本棚で寂聴の「爛」という表題が目に止まり、その表題にやや違和感を覚えたのでつい手に取り、読んでブログで感想を書いたばかりである。 爛 瀬戸内寂聴 新潮社 2013: しみじみe生活 さて、その後時折り覗く青空文庫で秋声の「爛」を見つけた。これは全くの偶然である。二つの小説は表題が同じなので、目についただけのことで意図して探した..

  • 猫踏んじゃった俳句 村松友視 角川学芸出版 2014

    著者は1940年生まれで自分と同年である。同じ紀元2600年(昭和15)生まれ。正確に言えば、4月生まれだから、自分より3か月ほど先輩。同い年だから著書を読みながら著者が今は何歳で、この本を書いたのは何歳でそのとき、一方で自分はあんなことをしていたな、こんなことは考えもしなかったな、といったことを読みながら考える。著者が自分より年上か年下か、幾つぐらいの年齢差があるかは本来なら本の内容とは無関係なことだが、書かれた内容に関係づけてしまうのは多分良くない習癖だし、あまり真っ当な読書とは言い難いであろう。自意識過剰読書である。とは言えどうしても、自分と同じ生年だと何かと妙な気持ちを抱きながら読む。妙な気持ちが何なのかは分からぬ。少なくとも、故人の著書や、極端に若い人の著書を読むのとは明らかな差異がある。同じだけ生きているこの人はこんなことを考えていたのか、といった具合だ。当たり前ながら自分に..

  • 爛 瀬戸内寂聴 新潮社 2013

    コロナ禍で変わったことは、幾つもあるが読書が大幅に減少したのもその一つ。状況からすれば、むしろ読書量は増えて当たり前のようなものだし、たぶん他の人はそういう人も多いと思うが、自分の場合は図書館に行かなくなったのが最大要因らしい。 先日久しぶりに区立図書館に行くと図書滅菌器なるものが導入されていた。図書館も今は民間業者に委託されているのだろうが、コロナ禍の利用者減で何かと大変なのだろうと推察する。 本棚を探しても久しぶりのせいか読みたい本もあまりない。ふと「爛」(瀬戸内寂聴 新潮社 2013)が目に入って来た。 え?爛、らん? 「爛」は辞書を引けば解ることだが、「ただれる」と「鮮やか」と二つの意味がある。しかしどちらかと言えば、火篇のせいか前者の意味の方を自分は強く意識する。 「爛」1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛 (びらん) ..

  • プリンター廃インク吸収パッド交換体験記

    2023年弥生3月某日、プリンターに「エラー 廃インク吸収パッドの吸収量が限界に達しました。◯◯◯◯(メーカー)の修理窓口に交換をご依頼下さい」と表示が出てうんともすんとも言わなくなった。 何日か前にも二度ほど同じ表示が出たがそのまま使えたのに、とうとう廃液が満杯になったらしい。この時に備えて対策をネットで調べていたが、選択肢は幾つかある。 ①買い換える。同機能レベルなら3万円程度。 ②メーカーに修理に出す。自宅まで取りに来てくれるサービスもある。 ③自分で廃インク吸収パッドを交換する。 ②が1番楽なのだが、メーカーに聞くと機種が2012年発売と古く該当しないと分かり、妙な反発心が湧いてあろうことか③を選択、挑戦してしまった。 ネットで廃インク解除キー900円程、廃インク吸収パッド材(化粧用パフみたいなもの)を千五百円前後で買えば自分で簡単に交換出来..

  • 新pc windows11買った!オチた!蘇生に2ヶ月!

    昨年11月、Windows8.1のpcを11搭載の新pcに買い替えた。 2013年にWindows8のpcを買い、2018年8.1にグレードアップして実に9年も使用した。iPadをもっぱら使っていると、起動のわずらしさもないのでpcはほとんど使わなくなった。 iPadとiPhoneのバックアップでiTunesを使うのと、筆まめの宛名印刷などの場合しか使わなくなったので新pcに買い替える元気が出ない。 通常pcの使用年限は4〜5年というから9年とは長く使ったものだが、8.1は2023年1月にサポート終了と頻繁に警告が出るようになった。 Windowsをずっと使っていて、Macに換え損なった反省と後悔を引きずっていることもあって、機種変更となると気が重いことである。しかしそうも言っておられず、最近のpcはSSD搭載などもあってこれまでと格段に使い易い、などと聞くと買い..

  • 住所氏名句

      新聞の日曜歌(俳)壇をたまに見るが、いつも皆さん良い句を作るものだと感心しながら読むことが多い。しかし今回書きたいのは投句のことではない。 先日、投稿者の住所、氏名を見てびっくりした。何と俳句になっているではないか。 茨城県 つくばみらい市 美川鮎 栃木県 那須塩原市 山田美穗   投稿句自体は覚えて無い。作者の住所氏名が投句と「付いて」いたかどうか考えなかったが、良句だなと思ったことは記憶にある。 それよりも住所氏名句ともいうべきこちら方が印象に残った。茨城県は字余りだが違和感はない。氏名は仮名に変えたけれど、実名の方も季語(に近い語と言うべきか)が入っている。 子規の母親のつぶやき句 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」を思い起こした。 俳句に土地が詠みこまれることはしばしばある。例えば「象潟や雨に西施がねぶの花」 芭蕉 などだ。名句であれ..

  • マンデビラ(チリ素馨)

    10月中旬、よそ様の家ではあるが、壁に這い登っているつる植物に鮮やかな紅白とピンクの花が咲いているのを見つけた。散歩中であった。一つの花が三色なのではなく、一つ一つの花がそれぞれ赤、白、ピンク色なのだ。花は大柄で美しい。蔓の先は二階の窓に届こうとしていた。名を知らない。     グーグル写真検索をするとどうやらマンデビラらしい。   以下はネットに教えて貰った。   マンデビラは、キョウチクトウ科チリソケイ属(マンデビラ属)のつる性の小低木で、原産地は中央アメリカ〜アルゼンチン。およそ100種類が分布する。   マンデビラという名は、この花を発見したアルゼンチンの首都ブエノスアイレス駐在イギリス公使のヘンリー・マンデビル氏に由来する。 別名には、「デプラデニア」「ジャイアントデプラ」「チリソケイ(智利素馨)」「チリジャスミン」などがある。「デプラデニア」は..

  • カランコエ エンゼルランプ

      この春、散歩中によその家の庭の鉢に真っ赤な花がびっしり咲いているのを見つけて写真検索した。カランコエ エンゼルランプとのこと。 夏頃、デジタルお絵描きアプリで絵にしたのがこれ。 手間がかかる割に面白味はない絵。手間をかけず面白い絵をどうやれば描けるのか、知りたいものだと思うが人に聞くわけにもいかぬ。暑さ凌ぎに何枚か描き続けたがいずれも同じ域を出なかった。   例によって川柳擬きの「含笑句」も冴えない出来だ。   カランコエ エンゼルランプ あかあかや   鎌倉時代高山寺の僧明恵上人 (1173〜1232)は、夢を記録した僧として名高いが、歌人でもあって   あかあかや あかやかやあか あかあかや あかあかやあか あかあかや月 と詠んだ。それをちょっとパクった。   カランコエ エンゼルランプは学名 Kalanchoe uniflora 科・属 ベンケ..

  • 初雪かずら

    初雪かずら(葛)   2022年7月12日 火曜日 9:29撮影     ハツユキカズラはテイカカズラの園芸品種である。定家かずらに比べ葉が小さいうえ、葉にピンク色と白の不定形の斑が入る姿が美しい。成長が遅く、コンパクトにまとまり、育てやすいので寄せ植えやハンギングバスケット、グラウンドカバーなどに人気があるとか。 散歩中に住宅の玄関などに植えられていてよく見かける。名前を知らなかったので検索した。花を見たことはないが、新芽が白、ピンク、赤色でまるで花。葉には不定形の斑が入り美しい。   葉は花ぞ 初雪かずら咲き誇る   テイカカズラ ウキペディアより 学名:Trachelospermum asiaticum 和名:テイカカズラ(定家葛) 科名 / 属名:キョウチクトウ科 / テイカカズラ属 日本原産   テイカカズラの名は、成就しなかった恋の執..

  • この花何?番外編 朝顔

      妙正寺川遊歩道を散歩していると、川岸の柵に何やらビニールの袋が結えつけてあった。見ると中に紙袋が入っていて、「朝顔の種です どうぞご自由にお持ち下さい」とメモがついていた。 お言葉に甘えていただいて来て、二つのプランターに分けて蒔いた。芽を出し大きくなってやっと咲いたのが2枚の写真である。 一つは見事に成長して7月29日まず4つの花をつけ、多い時は14ヶも咲いたが、もう一方は対照的にいつまでたっても大きくならず、やっと一つ咲いたのは8月6日だった。 置かれた場所は、2メートルと離れていずそれほど生育条件に差はないと思われるのに、不思議なことだとずっと思っていたが、はたと気づいた。 小さい方のプランターには先客があってマリーゴールドが植えられていたのである。 ネットによればマリーゴールドは医療用と観賞用の二つの種類があり、医療用はカレンデュラ、観賞用はフレンチマリーゴール..

  • コエビソウ(小海老草)

      散歩中に見かけて変わった花だなと思ったが、以前にネット画像か何かで見たような気がしないでも無い。 とにかく名前が分からないのでグーグルレンズで検索すると、コエビソウ(小海老草)と教えてくれた。   コエビソウ(小海老草、学名:Justicia brandegeeana)は、メキシコ原産のキツネノマゴ科の植物。 (シノニム=異名はベロペロネBeloperone guttata) 。 日本では道ばたの雑草としてごく普通なキツネノマゴ(Justicia procumbens)と同属である。 名前の由来は、花のつく穂が苞(ほう)に覆われていて、その形が小海老の尻尾に似ていることによる。 海老か蝦蛄か知らぬが、節があって曲がった苞がびっしり咲いているのは、ちょっと異形で驚かされる。花はその苞の間から顔を出す。 別名のベロペロネは旧分類時代の属名からで語源はギリシャ神話に登..

  • シモツケソウ(下野草)とシモツケ(下野)

    近所の団地内の花壇に咲いていた。 薄紅色というか、ピンク色というか、おだやかな美しさに惹かれたが、名を知らずググった。結果はシモツケソウ。 この花に限らず、知っている人は多いだろうから、無知、不学を晒すようなものだが、幾つになっても知るということは楽しい。 シモツケソウ(下野草、学名Filipendula multijuga )は、バラ科シモツケ属に分類される多年草の一つ。 和名は木本のシモツケに似る草本であることから。シモツケは「下野」(栃木県の古名)で多く見られたことに由来する。お隣の上野(群馬県)にもあるだろうになと想像してしまう。   画像で左に木本のシモツケ、右に草本のシモツケソウ(が一緒に映っているのを見つけた。虫は迷わないのか、風媒花か、交配はしないのか余計な心配か。へぇーという感じ。(右下)   高山型変種にアカバナシモツケソウがある。背景の山は男体..

  • 斑入りミズヒキと蓼(タデ)

      この花(葉)の名は何?   草花を見ていて、綺麗なというか不思議なというか、一風変わった葉に惹かれることが多い。たいていは斑入りの葉である。斑入りニチニチソウ、斑入りアジサイ、姫蔓蕎麦の葉などなど。 見たことはないが、斑入りのドクダミ、五色ドクダミというのもあるらしい。 それぞれ突然変異をしたものを固定したものなど、改良園芸種なのであろう。 斑(ふ)は主として白いものが多いが、花かと間違えそうなものもある。 カラーリーフや観葉植物を楽しむだけでは足りず、葉も花もとは人は少し欲深ではある。   散歩の途中で見た葉は変わっていた。緑の葉に絵の具で描いたように赤と黒の鮮やかな模様である。 ググると斑入りミズヒキ。   以下はネットで教えて貰ったことをベースにしている。   ミズヒキ(水引、学名 Persicaria filiformis)とは、タデ科イヌタデ..

  • トランスミッター

      夫婦ともに老齢化にともなう難聴に悩まされて久しい。妻は補聴器を求めたが、なかなかうまく聞こえないと悩んでいる。豆粒ほどの大きさなれどPC並みの値段である。販売先に長いこと相談に通っている。補聴器が悪いのか、耳が悪いのか定かではないがフィットしないようだ。補聴器屋さんとのやり取りにかかる時間と労力とランニングコスト(リチウム電池代など)は小さくない。   自分もスマホのブルートゥースを使う補聴器を買って利用して見たが、あまりよく聞こえないうえ、音量調整などの操作も結構やっかいである。しかもうっかりすると耳から落ちたりするので、落ち着かない。イヤホンとしても使えるところは評価出来るのだが。 妻にも同じものを買って試して見たが、これもうまくいってない。   老眼を眼鏡で矯正するのと老耳の場合ではたいへんな違いである。 脳と耳とデバイス(補聴器)を調整して若い時の機能レベルにする..

  • スダジィの芸術的落ち葉 この木何?ー番外編2

      散歩から帰ってきた妻があまりに芸術的なので、何(の葉)か分からなかったが、拾わずにいられなかったと一枚の落ち葉を見せてくれたので、この葉何?と早速検索した。 グーグル先生はマンゴー、ローリエ、アグラオネマとかが似た画像という。マンゴー、ローリエは明らかに違う。 またアグラオネマは、ミカン科の顕花植物の属であるクモ類。アジアとニューギニアの熱帯および亜熱帯地域の原産。普通中国の常緑樹として知られているらしいのだが、これもちょっと違う感じ。   妻に拾った場所を聞くと、団地内の道路脇スダジィの木の下という。 その木には名札がついていて「すだじぃ」と書いてあることは以前から知っている。確かに拾ったアート、サイケな葉の形はスダジィのものである。   スダジイ(すだ椎)とは、ブナ科シイ属の常緑広葉樹である。別名はイタジイやナガジイ。普通、シイという場合にはこのスダジィを指す。..

  • この木の名は何?番外編 柳にあらず 欅

     やってはいけない剪定   この木の名は検索しなくても知っている。柳(ヤナギ)ではない。欅(ケヤキ)である。 欅を公園や庭木、街路樹に植えると大きくなりすぎないよう剪定されてしまうことが多い。落ち葉の始末も大変だし、電線などの邪魔になるからだ。 植木の剪定はあまり大きくならないようにするために、透かし剪定が基本と聞いたことがあるが、この木は周知の通り天を衝くように大きくなるので、高い枝の先を全部ぶつ切りしてしまう。この頃よく見かけるが、やってはいけない剪定の典型である。 木へのダメージは素人目にも大きいのではないかと案じる。   最近では公園の欅など全部の枝を剪るので、冬の間は見るからにせつなく棒立していて、これで枯れないのかと思ってしまう。 見ていると、春になって密集した新芽が出て細い枝となり垂れ下がってくる。まるで柳のようだ。 心持ち剪定しない欅より芽が出るのが、..

  • ヘラオオバコ(箆大葉子)

    団地の庭は花壇も庭木の植栽もあるが、そうでないところも広く種々の雑草が生えている部分もある。定期的に庭師が入り雑草は電動草刈機で刈られてしまうがすぐ繁る。 そこには雑草と一緒に夕化粧、ムラサキツメクサ、白ツメクサなどの花々が咲いていてきれいだ。 見ているとその中にあれ?これは何?という草が花をつけてたのでググった。地味で秋草の風情である。 検索結果はヘラオオバコだった。オオバコは良く田舎で見て知っていたが、知る前は全くオオバコと繋がりを感じなかった。   ヘラオオバコ (箆大葉子)は、オオバコ科オオバコ属の植物である。ヨーロッパ原産の雑草で、日本では帰化植物であるという。 葉が箆の様に平べったいのでオオバコとは区別される。 オオバコより葉は大きく花茎も高いが、オオバコの特徴である踏みつけ耐性はない。 箆(へら)は靴ベラや箆鹿(ヘラジカ)の角の様に平べったい形のことだ..

  • 鷺宮八幡神社

        自分が42年住んでいるこの地中野区鷺宮地区白鷺は、区の北西部に位置する。北に練馬区、西に杉並区が隣接している。最寄り駅は西武新宿線鷺ノ宮駅になる。   この駅から歩いて二分の近くに、鷺宮八幡神社がある。西暦1000年ころ、京都から東日本統治のため派遣されていた源氏の源頼義が、東北を平定した時に建立した鷺宮八幡宮と伝わる。 昔から鷺が多く棲んでいた地なので「鷺宮」の名をつけたとされる。   自分の毎年の初詣はここである。祭神 は應神天皇。 境内末社(御祭神)は次のとおりで、小なりと言えども多くの神社がそうであるように沢山の神々が集まっている。 一 六社さま  稲荷神社(宇迦之御魂命) 御嶽神社(麻知分) 八雲須賀神社(須佐之男命) 北野天満神社(菅原道真公) 粟島神社(少彦名命)疱瘡神社(大己貴命) (大黒さま) 二 稲荷神社 宇迦之御魂命 ..

  • 川柳雑感 この句何?川柳擬き含笑句

        平成16年(2004)に書いた川柳に関する自分の文章がある。   「このさきを考へている豆のつる   雉子郎(吉川英治)  うまいなと思う。  川柳は人の作ったものを読むほうが好きだ。自分で作るのは苦手。  時事句などは、あとで読んでも何のことやらわからないことが多い。         酒とろりおもむろに世ははなれゆく  身の底の底に火がつく冬の酒  川上三太郎  これも、「うまい!」と思わず声を出したくなる。  おかしいがどこかペーソスみたいなものがあるのが、並みのものと違う。    背くらべ手を和らかにさげてゐる  どっかりと寄る浪人の年     二句とも武玉川である。  難しい誹風柳樽よりこちらの方が読んでいていいなあと思う。  長い時を隔てても今に生きている感じがある。      上燗屋へいへいとさからわず 當百  関西の岸本水府など..

  • ミツカドネギ三角葱(アリウムトリケトラム)

      団地の庭で、似てはいるがハナニラやスノーフレーク、スノードロップとちょっと違うな、という感じの白い花に気づいたので、スマホで撮影してグーグル検索した。(4/19撮影)   ミツカドネギ(三角葱)学名アリウムトリケトラムと出た。   ヒガンバナ科 Amaryllidaceae属名:ネギ属(アリウム属) Allium学名:Allium triquetrum和名:ミツカドネギ(三角葱)英名:Three-cornered leek, Onion weed原産:南西ヨーロッパ、北西アフリカ開花時期:3月~5月高さ:20㎝~60㎝ 同じ時期に似た白色の花が咲くスノーフレークや白色のツリガネズイセンは、花被片に緑色の筋がないのでミツカドネギとは区別が出来る。という。しかも確かに触ってみると花茎、葉ともミツカドである。   スノーフレークはヒガンバナ科 Amaryllidaceae..

  • 斑入りツルニチニチソウ

    4/14 撮影   ツルニチニチソウ(蔓日々草、学名:Vinca major)はキョウチクトウ科の常緑蔓性植物の一種。南欧原産の外来種。毒性あり。   ツルギキョウともいうが、キキョウ科にツルギキョウ(学名:Campanumoea maximowiczii)という植物があり、キキョウ科のものが標準和名のツルギキョウである。言い方が遠回しなれどこちらが重要でツルニチニチソウの方が珍しくもないのだということだろう。 それにしてもニチニチソウではないがニチニチソウに似たツル性の花とは可哀想な命名ではあると最初思ったが、両方ともキョウチクトウ科で、ニチニチソウもツルは見えないが匍匐性があるという。同類ではあるのだ。   しかし、この花地味ながらよく見ると、薄紫の色ばかりで無く、先が角張った独特の形をしていて美しい花である。4〜5cmほどの大きさの花を咲かせる。5枚の花びらに分か..

  • カラタネオガタマ(唐種招霊)

    新築住宅の庭に植えられているものと、老人ホームの生垣になっているのと2回見た。花も半開が多く、中の緑の雄蕊か雌蕊かわからないが外を覗いているので、花びらをちょっと手で開いて見たくなる風情。甘い香りも強い。 4月28日に検索したが、その後体調を崩しGWを寝て暮らしたので、明けてから見ると花はほとんど落ちてしまっていた。だから全開の花の姿を見ていない。   その花の香りから、英名で「banana shurb バナナ・シュラブ」、「banana treeバナナ・ツリー」と呼ばれる。シュラブは低木のこと。 中国では「含笑花」と呼ばれる。由来は不明。「花が含み笑いをしているような姿に見える」「甘い香りに思わず笑顔になる」などによるのか。 いずれにせよ含み笑いの花は言い得ている。ここは、英名よりも中国人の感覚の方に座布団。   我がこの花何?で詠む「川柳擬き」もせめて「含笑句」と命名..

  • ヒマラヤユキノシタ(ベルゲニア)

    散歩道ばたの家の庭に植えられていたピンク色の花が前から気になっていた。 先日やっとググって名前が分かった。ヒマラヤユキノシタ。 ヒマラヤはさておき、ユキノシタはやや意外だった。ユキノシタは、天ぷらで食べると美味しい山菜のイメージが頭の隅にあったからだ。   ヒマラヤユキノシタ ヒマラヤユキノシタ(Bergenia stracheyi)はユキノシタ科ヒマラヤユキノシタ属の植物で、園芸用に栽培される。 その名の通り、ヒマラヤ山脈周辺(アフガニスタンから中国にかけて)の原産。 常緑多年草で、葉は長さ10-20cm、幅10cmほどの楕円形で、らせん状に茎につきロゼットをつくる。桃色の花が春に多数、咲いてきれいだ。耐寒性が高く育てやすいとかで、よその庭で育てられているのを良く見かける。ヒマラヤユキノシタ属には10種があるという。 なお、ロゼットとはタンポポなどのように地面に葉が張..

  • 冬紫陽花(フユアジサイ)

      例年花の季節はアジサイが終わるとめっきり寂しくなるね、と家人と話す。あとは夾竹桃、百日紅など花の種類も少なくなる。   そのアジサイは6月の雨季の頃に咲くものだと思っていたが、冬の寒い2月から3月に咲く「フユアジサイ」なるものを、散歩中によそ様の庭で見つけてググって知った。 最初アジサイとは思わず不思議な花だなぁと思ったが、撮影した画像(2022/4/15撮影)をよく見れば額アジサイによく似ている。 別名「スプリング・エンジェル エレガンス」とも言われ冬に観賞できる新しいタイプのアジサイだそう。 花は西洋アジサイのように大きく 花弁に見える顎は花径が7~8cmほどある。 ネットによれば、群馬県農業技術センターが台湾のトキワアジサイとセイヨウアジサイの交配によって平成16年に作った品種という。名前にあるように、冬(2~4月)に咲くアジサイ。スプリングエンジェ..

  • マムシグサ(蝮草)など

    「この花何?」は原則として自分で撮った写真を使用して検索しているが、今回はFB友達がアップした庭のマムシグサの写真を使った。初めて見る花の写真だったのである。 似た画像が幾つも出てきた。素人が特定するのが難しいことがよく分かる。AIといえ判じ難いものも多い。お遊びだから良いが、大事な時は危険だという気もする。間違って覚えても、周りに迷惑がかからない趣味の程度にとどめておくのが良さそう。自分の場合はそちらの方だから問題なし。 大事な時は花屋さん、植物園、園芸高校、農業試験場に確認した方が良いだろう。  今回もあたりは付けられるが、自信はない。しかし特定できなくても、お陰でサトイモ科テンナンショウ属などに纏わる興味深い多くのことを知ることになった。十分楽しんだ。有難いことである。   マムシグサ(蝮草、学名:Arisaema serratum)は、サトイモ科テンナンショウ属の多年..

  • ルピナス(昇藤または葉団扇豆)

    ルピナス     家人が駅前のフラワーショップでルピナスの苗を買ってプランターに植えた。この花なに?は知らないから検索するのだが、今回は花屋さんの名札がついているので、名は分かっている。しかし初めて聞く名なので、少し詳しいことを知りたくてググって見た。   ウキペディアが1番手っ取り早い。 「ルピナス属(るぴなすぞく、学名: Lupinus、ルーピン、英: Lupin)は、マメ科の属の1つ。ルピナスの名はオオカミに由来し、吸肥力が非常に強い特徴を貪欲な狼にたとえたものである。和名はハウチワマメ属(葉団扇豆属)。根生葉が掌状複葉であることから付けられた。また、花の様子がフジに似ており、花が下から咲き上がるため、ノボリフジ(昇藤)とも呼ばれる。地中海沿岸地方と南北アメリカ、南アフリカなどに200種以上が分布している。葉には長い柄があり、草丈は50 - 180..

  • ハナニラ(イフェイオン)と韮など

    近くの団地の庭には多くの花木が植えられ、住んでいる方が四季を楽しんでいる。春になると、庭に植えられた花と花の間を蕗の葉などがグランドカヴァーとして埋める。その一つにひときわ目立つ星形の白い花があり、絨毯のように広がっていて美しい。この白い花の名を知らなかったので、グーグルフォトで検索をした。  それがイフェイオン。イフェイオンと言っても知らない人の方が多いのでは無いか。一般的にはというか、日本では別名の「ハナニラ」の方が通りが良いと思う。 ハナニラ(花韮、学名:Ipheion uniflorum)はネギ亜科ハナニラ属に属する多年草。原産地はアルゼンチン。科名はユリ科で分類される場合もある。 葉にはニラ(韮)やネギ(葱)のような匂いがあり、このことからハナニラ(花韮)の名がある。 なお、ポピュラーな野菜のニラ(学名 Allium tuberosum)の一種に花茎とその先につく蕾の..

  • シラン(紫蘭)とシラー ペルビアナ(大蔓穂)

      平成22年(2010)だから大分前だが、団地の花壇の一画が区から花と緑のコンクール優秀賞を受賞した。住民の努力が評価されたのだ。まずはめでたい。   その受賞の立札(今で残っている)のそばにシラン(紫蘭)とシラー ペルビアナ(大蔓穂)が植えられていて今まさに春、研を競って咲いている。   シラン(紫蘭)は学名:Bletilla striata 、和名:シラン(紫蘭)。 その他の名前:紅蘭(こうらん)、白笈(はくきゅう)。紅蘭は分かるが、白笈は何を指すのかネットでは分からなかった。 ラン科 / シラン属。原産地は中国、台湾、日本。 花期は4月から5月。花は紫紅色で、30から50cm程度の花茎の先に数個つく。花弁は細長く、あまり開ききらないような感じに咲く。   歳時記には 「ラン科の多年草で、5〜6月ごろ葉心から長い茎に、赤紫の美しい花が連なるように咲く。関東以..

  • スノーフレークとスノードロップ

    お寺の境内を散歩したあと、寺が運営していた保育園跡地にすずらんに似た白い花で緑の斑点のある綺麗な花が、沢山咲いていた。 名を知りたいとグーグルフォトで検索するとスノーフレーク、和名大待雪草(オオマツユキソウ)、別名鈴蘭水仙(スズランスイセン)と出た。 フレークとは何か調べたが、言及しているサイトがなかったので、勝手にツナフレーク、コーンフレークと同じ「切片」と解したがどうか?   似た名前でスノードロップという花(球根草)があって、写真画像で見たことはあるが、現物を見たことがない。別名を待雪草(マツユキソウ)ともいうとか。   この二つともスズランに似ている。鈴蘭はスズラン属で別種という。しかも蘭ではないそう。毒がある。スズランの別名は君影草、谷間の姫百合。英名Lily of the valley。 スノウフレーク、スノードロップは、ほかに水仙、韮、ハナニラなど花、葉..

  • 白鷺山南蔵院

      福藏院正幡寺の所在地は中野区白鷺1丁目になる。近隣の地名が井草、沼袋、阿佐ヶ谷、荻窪など谷や低地を現しているので分かるようにこの地は川、湿地が多い。昔から白鷺が多く棲み飛んでいたのであろう、寺の山号を白鷺山(しらさぎさん)とつけたという。 鷺宮地区は発展して広くなり、1965(昭和40)年の住居表示施行により鷺宮、上鷺宮、白鷺に分かれた。自分が住んでいる白鷺(しらさぎ)という字名はこの山号に由来する。   福蔵院は真言宗豊山(ぶざん)派。宗祖空海弘法大師。総本山奈良の長谷寺。東京では西新井大師(總持寺) が総本山、有名なのは護国寺などがある。宗紋輪違いとか。 福藏院は西武新宿線鷺ノ宮駅(駅名は何故か「ノ」が入る)のすぐ近く、妙正寺川のほとりの閑静な住宅街の中にある。 隣接して鷺宮八幡神社があり、明治の神仏分離までは福蔵院が別当を務めていたという。つまり寺はいわゆる神宮寺..

  • 白鷺42年 〜鷺宮今昔〜

      妙正寺川辺の遊歩道が自分の主たる散歩道だ。遊歩道は両岸にあり、かなりの距離があるが、歩くのは西が早稲田通りにかかる永久橋から東は鷺ノ宮駅近くの双鷺橋の間のごく短い間である。   妙正寺川は川というより排水路というべき風情だから、むしろ街なかを歩いた方が変化があって面白いくらいだ。 しかし、少ないながら遊歩道には休憩ベンチがあるので、最近はどうしてもこのコースにならざるを得ない。 遊歩道と言っても木々も少ないので日陰、緑陰などが少なく、コロナ以後ジョッギングランナーが増えたのも難点。   このところコロナフレイルで、すっかり弱って歩数も減った。 ウォーキングや散歩というよりよろよろ歩き、情け無いが水源地の妙正寺池(妙正寺公園)へもたまにしか行けなくなった。   中野区の区民活動センターの広報誌「鷺宮」に昭和32年と現在の鷺宮橋と双鷺橋の写真が掲載されていた。 写..

  • アルミ空缶製の吊風ぐるま

    先日、よく散歩する遊歩道で、アルミ空き缶風車が柿の木の枝に三つ吊るされているのを見つけた。   前にもこの遊歩道の傍らにはペットボトルを利用したプロペラ型の風ぐるまや、プラスチックのシートを切って真ん中をとめたオーソドックスな形の風ぐるまがあるが、これらは皆棒仕立てある。 棒仕立てのものは、震動音や羽根音でもって鳥よけやもぐら退治になるそうだが効果のほどは疑わしい。 むろんこれが発展したものは風力発電に代表されるが、実用化されるタイプである。汲み上げポンプのオランダ風車もこのタイプ。   吊り下げられているのは、初めて見たので何か新鮮な感じがした。 吊り型のアルミ空き缶風ぐるまは、実用というより釣り忍や風鈴のようにもっぱら見て楽しむものであろう。 独楽のように、あるいはTVか何かで見たチベット仏教のマニ車のように縦に回転する。   空き..

  • 已己巳己(いこみき)

      克己(かつみ)君という名の友人がいて、いつも「み」は巳だったか己だったか迷ったものだ。 漢字というのは似たものがあって、いい加減に覚えているので普段よく迷うものが多い。 己と巳などがそれだが、やっかいなことに他に已(い)というのがある。己と巳の間が空いている。そういえば已然形というのを未然形などと共にに習った覚えがある。   改めて国語辞典で見ると次の様にある。   已…い ①やむ やめる ②すでに もはや 已然 ③ のみ だけ ばかり ④はなはだ 音読み い 訓読み や(む)  すで(に)   己…こ ①おのれ じぶん 自己 克己 ②つちのと 己丑 音読み こ き 訓読み おのれ つちのと 名のり み   巳…み へび 元巳げんし 上巳じょうし 音読み 「し」 訓読み「み」   これを見ると、己はおのれだからおのれに克つ男で克己(かつみ)君という訳だが、..

  • 南天

      これ何という名かなぁ、と庭木の名を知りたくてグーグル検索した。候補の名前が南天(の一種)で「細葉柊南天」と出た時には意外な気がした。 細葉柊南天(ホソバヒイラギナンテン)は黄色い花で葉も細くて、あの赤い実のなる南天とはおよそ似ていないなと思ったのである。 南天の一種である柊南天(ヒイラギナンテン)は、葉が柊の如くギザギザだというのだ。細葉柊南天はさらにそのうちでも細い葉を持った種類らしい。 動物、植物、花、昆虫などの近縁種、栽培種などに名前をつけるときは苦労するのは分かるが、まぎわらしくないように願いたいものだ。 「細葉」は分かるが、柊の葉は決して細くはないし、ナンテンか柊か一瞬戸惑う。南天が後だから南天なのだろうが、どこが柊だと訝ることになる。これが提灯鮟鱇なら提灯をぶら下げた鮟鱇とすとんとむねにおちるのだが。 さらに業平柊南天(ナリヒラヒイラギナンテン)というのもあ..

  • 快なり!

     快なり! 暮れに大河ドラマを見ていたら、竹中直人演ずる徳川斉昭が「快なり!」と叫んでいた。 徳川 斉昭(とくがわ なりあき1800〜1860)は、江戸時代後期の大名で常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)将軍徳川慶喜の実父である。藩政改革をなし、江戸徳川家の政事にも関わったが、井伊大老と対立して敗れ、水戸に蟄居した後60年の生涯を終えた。   斉昭は慶喜はじめ二十七人の子を成したが、そのうちの多くは各国の大名の養子となったり、嫁いだりしている。 まさに快男児で漢文の素養もあっただろうから、何かにつけ「快なり」くらい叫んだであろう。   しかしながら、ここでは斉昭の事を書きたいのでなく「快」という文字についてである。   「快なり!」の「快」は快い(こころよい)である。辞書によれば   「快 [音]カイ(クヮイ)(漢) ケ(呉) [訓]こころよ..

  • コロちゃん ブリティッシュショートヘヤ

      最近ご近所のご夫婦が猫を飼い始めた。「不思議の国のアリス」のチャシャ猫のモデルになったというブリティッシュショートヘヤよ、と家人が教えてくれた。 さすがお金持ちねと目が言っている。15年近くうちが飼っている元ノラのリーリーちゃんとは違うわね、とも。 ご夫婦は我々がこの地に越してくる前から住んでおられ、かれこれ40年のお付き合いになる。お子様二人が嫁がれ二人暮らし。お孫さんも大きくなられ、最近遊びに来る頻度も減っているようにも見える。 奥様にせがまれて飼ったが、こわおもて社長職の旦那さんも直ぐにメロメロになってしまった、というところだろうと想像している。尋ねていないが、多分当たっているに違いないと確信している。名前はコロちゃんという。この名前は飼い猫の中で最近1番人気と、聞いたことがあるような気がする。 時折り夫婦入れ替わるが、愛猫をリードに繋いで散歩をさせて..

  • 櫨(ハゼ)と七竈(ナナカマド)

    櫨紅葉 我が家に鉢に植えた小さな櫨の木があり、秋になると真っ赤に紅葉する。 元々は櫨を雑木林のように見立てる小盆栽だが、そのうちの一本を少し大きめの瑠璃色の植木鉢に移植した。 今1メールほどの高さ。先端上部に花火か和傘のように開いて葉をつける。その紅葉の赤色たるや、水彩ならバーミリオンヒューかカドミウムレッドか実に鮮やかな緋色だ。 色和名で何というのか調べると、「猩々緋」というのに近い。戦国大名が好んで兜や鎧、陣羽織に使った赤というが、何となく分かるような気がする。   盆栽になり損ねたる櫨紅葉 櫨紅葉区別し難し七竈 この緋色バーミリオンか櫨紅葉 和名色 猩々緋にや 櫨紅葉 ウキペディアには、「ハゼノキ(櫨の木、黄櫨の木、学名Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の落葉小高木。単にハゼとも言う。別名にリュウキュウハゼ、ロウノキ、トウハゼなど。」とあ..

  • 沈寿官の玄武千代香(じょか)

    かつて、鹿児島の沈寿官窯を訪ねた時、良いなと思いつつも、いったん諦めたのだが、帰京してどうしても欲しくなった。 鹿児島勤務の同僚に依頼して購入したのが、このじょか(千代香とも書く)なる酒器である。 いったいあの時の物への執着は何だったのか、今となると恥ずかしくも呆れるばかりだ。 知られているように、彼の地では酒といえば芋焼酎のことであり、日本酒、清酒のことではない。 薩摩焼酎は、平べったい薩摩黒じょかで温めて呑むのが一般的である。入手した酒器も同じように使う物だろう。亀の形をしていて、長い尾が把手になっている。   沈寿官の 玄武千代香(じょか)にて 芋正中 勝手に玄武千代香(じょか)と詠んだが、調べると四神の玄武は、脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いようだ。発見されたばかりの頃、訪ねた高松塚古墳の壁画もそうだったように思う。 つまり、玄武は蛇と..

  • 鮖(かじか) と鯊(はぜ)

    我が幼年時代、少年時代は疎開地で過ごした時期である。   今考えれば、戦中、戦争直後だから何もかも乏しく、食べる物も遊びも殆どが自前だった。しかし、誰でもがそうであるように、そんな時であっても幼年、少年時代とは真に黄金時代でもあった。 ウキペディアより   遠い日の記憶中の一つに鰍捕りがある。 彼の地で子供らは「かちか」と濁らずに呼び、「ざこ」と呼んでいた「はや」とともに子供にとってはささやかな漁の、主たる収穫魚種だった。 空腹を満たし、不足がちなタンパク質を求め、かつ遊びを兼ねていたのだが、今では文字通り夢のなかの出来事だったように、時折り懐かしく想い出すことがある。 場所は近所を流れる小川、道具は小さな網、やす。石をひっくり返すとチョロチョロと逃げる。網に追い込む、やすで突く、時に手づかみで捉える。抱卵の時期には腹部がぷっくり膨らんでいる。石の裏に白や黄..

  • 今年のかぼす 1921年

    今年はいつになく体調不良が年初から続いた。特に背中の痛みに悩まされた。背中の痛みはあまり良いことではないので病院で見て貰うが、原因不明。医者も様子見(経過観察)するしかないとおっしゃる。経皮鎮痛薬(クリームとテープ)で対症療法で凌ぐ日々が長く続いた。 かぼすの収穫時期にも元気が出ず9月6日息子に収穫して貰う。なお、この3倍以上が樹に残る。 ゴリ押し五輪のころ、第五波のコロナ感染数がピークに達したあと2ヶ月ほどかけて徐々に減少する。かなり気も休まる。 そして秋になるとなぜか背痛がやわらぎ、少し良くなりやっとこさ残りを11月28日収穫出来たものの、すっかり黄色いかぼすになってしまった。 家人は、ネットで調べて大量のこの黄色いかぼすを利用して、本格的なマーマレードを作ってくれた。これまでも何回か作ったことがあるが、今回の出来は最高であった。 熟したかぼすはペ..

  • 妙正寺川岸の蔦

          妙正寺川沿の散歩道で、向こう川岸の壁に這っているのをスマホで撮影した。 これを自然の造形芸術と見るか、気味が悪いと思うか両方あるだろう。自分の心の中にも二つがあってどちらか判然としない。 人によろうが、少なくとも感動して一句浮かぶという感じはない。   写真検索するとオオイタビと出た。 ネットによれば、 「オオイタビ(大崖石榴、学名:Ficus pumila)はクワ科イチジク属の常緑つる性木本。東アジア南部に分布し、日本では関東南部以西、特に海岸近くの暖地に自生し、栽培もされる。茎から出る気根で固着しながら木や岩に這い登る。オオイタビの名は、イタビカズラに似て大型であることによる。台湾に生育する変種のアイギョクシ(Ficus pumila var. awkeotsang)は果実を食用に用いる。幼苗は観葉植物として利用され、フィカス・プミラの名でも..

  • 誕生日花

      誕生花というのがあるという。 誕生石は有名だがあまり知らない人が多いのではないか。されば誕生木などいうのもあるのかも知れない。 園芸農家や花卉販売業者、花店などは販促にこれを利用しない手はない。もっとも知らないのは自分だけで、もう人はやっているのかも知れないが。 我が誕生日7月24日の誕生花は「エンレイソウ(延齢草)」とか。 早速延齢草なるものをネットで調べて見た。こんなことは閑人にしか出来ないなと、我ながら苦笑する。 科・属 ユリ科・エンレイソウ属 和名 延齢草 英名 Wake robin 学名 Trillium smallii 原産地 東アジア 開花期 4月~5月   エンレイソウ(延齢草)は東アジア~ヒマラヤなどに40種類が分布する、ユリ科の多年草。湿り気のある林の中に自生し、緑や褐色、暗い紫などの目立たない1~2cm程度の花を1つ..

  • 花衝羽根空木 アベリア

      1980年代初め頃大分県に住み仕事をしていた。 この頃からいわゆる中山間地域でも道路が整備されて立派になっていた。観光道路が先だったと思うが、かなりの山道でも基幹道路は整備されていたように思う。車で隣接他県に行くときにいつもその立派なことに驚いたことを思い出す。 一様に街路樹が植えられ、車の分離帯の花木はきちんと刈り込まれていた。中でもこの花が綺麗でなんの花だろうと気になっていたので運転手さんに訊いたが答えを覚えていない。   散歩中に見つけて懐かしかったのでググったらアベリアと分かる。   アベリア(Abelia)とはスイカズラ科ツクバネウツギ属(Abelia )に属する植物の総称。または、ツクバネウツギ属の常緑低木の交配種、のアベリア(Abelia × grandiflora)のこととウキペディアにある。 和名はハナツクバネウツギあるいはハ..

  • カンパニュラ アルペンブルー

        花の名探しを始めたのは昨年2020年6月だからもう1年が過ぎた。 別にコロナだから始めた訳で無く、散歩を兼ねたウォーキングがひたすら歩くだけでは退屈なので始めたようなものだ。 コロナの方は依然として収束の気配は感じられず、1年延期した五輪を1ヶ月後に控えても中止を求める人もなお多く、ワクチンもなお、接種も進捗がおぼつかない状況である。   さて、花の名探し初回にカンパニュラ アルペンブルーを取り上げたが、またはイソトマ属とあってそのままアップした。「またはイソトマ属」とは何かとずっと気になっていたので、あらためて調べてみたところ、どうやらカンパニュラとイソトマは似ているが別物らしい。 素人の検索は当てにならないと分かる。閑人の手すさびだからといっていい加減では恥ずかしいが、花友もいないのでノーチェックだ。   カンパニュラ アルペンブルーは..

  • オキザリス トリアングラリス

    これは我が家の庭の一角と植木鉢に植えていたもの。いたというのは、鉢の方が枯死してしまい今は無いのだ。いずれまた生えて来るかも知れない。何度かそれ繰り返している。繁殖力は強い。 むかし久我山に住んでいらした月下氷人の奥様が株分けして下さり持ち帰って植えた。 あるいはそうで無かったかも知れない。最近はすっかり記憶力が落ちてしまった。奥様もその後高齢者介護施設に入られ先年亡くなられてしまった。 月下氷人は学生時代に家庭教師のアルバイトをしていた時の生徒のご両親である。自分はリタイア後もご挨拶に伺ってお茶をご馳走になっていた。   見たことはあったが花の名前が分からずググったら、かたばみ科のオキザリス(酢漿草 カタバミ 別名すいばぐさ)だという。   かたばみはマメ科のクローバー(シロツメクサなど)とよく間違われるが、クローバーは葉の形状が丸く白い線があり..

  • コバノズイナ(イテア)  小葉の髄菜

    これも散歩中に見つけグーグルフォトで名前を探した。 コバノズイナという。 小さいけれど、なかなかおしゃれな花木だ。 コバノズイナ(Itea virginica)は、アメリカ東部を中心に分布するズイナ科ズイナ属の落葉性低木。別名アメリカズイナ。 日本でも広く花木として栽培されているらしい。初夏6月頃に咲く。秋の紅葉も美しいとある。    コバノズイナという名前は、日本(関西から四国、九州)に自生、5月から6月に開花する同属のズイナ(Itea japonica 別名:ヨメナノキ 嫁菜の木)より葉が小さいことから付けられたという。   この「ズイナ(髄菜)」の名前は、枝の髄が行灯の灯心に、若葉が食用にされたことから来ている。 近年、ズイナの中に希少糖が含まれているということが発見され、研究が始まったという。 他にシナズイナ(Itea ilicif..

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