社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
もとより、なろう、ってことは、まだなれていない、ってことで、ともすれば、なれていないことに対しての、書き手の、なれる、って思いを、行間に横溢させることになる。まだなれていないなれそうなことは、そこにある、手が届きそうな高嶺の花。現実を踏まえた非現実。つま先立ちの可能性は、今の自分の立ち位置の確認でもある。>ここから、いい男、になろう。...
例えば、コロナで休業を余儀なくされた飲食店への補助や、女性や、高齢者や、障害者を助ける政策に対して、経営者でも女性でも高齢者でも障害者でもない男性は、誰からも助けてもらえないのが許せない。>どちらも、批判する人自身が、>何らかの負担を強いられたわけではない。>ただ、自分以外の人が利益を受けているのが不快という感情。>「他人の得が許せない」人が増えている。強者男性なら、何につけ、弱者を助ける政策に異...
>自分が悪い男になることよりも、>誰かがいい男になるのは許せない、しかし、そもそも、いい男と悪い男は、公園のシーソーみたいなものではない。誰かを下げても、自分が上がることはない。誰かがどこかで悪い男になっても、自分は良くもならないし、悪くもならないし、自分が許せても、許せなくても、誰かがどこかでいい男になるのは止められない。いい男になるためには、誰の許諾も要しない。前文と後文は、実は関係のないもの...
ルサンチマン(仏:ressentiment、(フランス語発音:[rəsɑ̃timɑ̃]))は、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。―― ウィキ/ルサンチマン この感情にパラレルに沿ってみるのなら、 悪い男は「善」い男、いい男は「悪」い男であり、 悪い男がいい男を攻撃するのは当然である...
「他人の得が許せない」人々が増加中心に潜む「苦しみ」を読み解く―― AERA dot. 2019/10/15https://dot.asahi.com/articles/-/129115?page=1今春、定食チェーンの「やよい軒」が、無料だったご飯のおかわりを試験的に有料にするというニュースが流れた。運営会社は、おかわりをしない客から「不公平だ」という指摘があったと説明した。夏の参院選でれいわ新選組から車いすの議員2人が当選し、国会が改修されたというニュースには、...
実現できそうもないような、いい男は目指せない。現実性に乏しいでたらめを語る男は、端的に、いい男とは矛盾するもの。いい男なら、荒唐無稽な夢は語らない。いきおい、実現可能な夢を見ることになるけれど、そんな夢は、いい男とも呼べないくらいにしょぼくなる。...
いい男は楽しいのだろうか。いい男になろうなんて、わざわざ、誰に頼まれたわけでもないことを決めて、自分が決めたいい男を目指して、そこから外れないように努力して、それでいい男になれてきたとしても、その時、自分が楽しくなければ、もう、いい男になんかならなくてもいいんだ。無理してまでならないほうがよくて、そもそも、目指してなれる程度のいい男なら、つまらない男になってしまうだけなのかもしれない。...
夕方に、ふらっと銭湯に寄り道をして帰るとか、うっかり昼寝をしてみるとか、僕はそういうことをやってみたい。しかし、そんな小さなことでさえ、実現させるのは容易ではない。何の制約もないから、できることなら、もうすでに、できているのだろう。こんなに怠惰で、ゆるゆるの、なんの熱量も要らないことにも、僕は、主題に据えて考え、タスクとして課し、なにやら意気込んでいる。もうすでに、気を抜くことに対する、取り組み方...
>いい男、にしたって、>便宜上、仮にそう呼んでみただけで、>いい男のあり方も、なり方も知らない。>いい男が分からないのに、>いい男になろうとするのは、>そもそもからして滑稽な話だ。それでも、分からずとも、しっかり考えようとする姿勢、真面目に答えようとする態度があれば、だいじょうぶ、きっと、近づける、という確かめようのない信仰は捨てない。...
彼と電話で話したのは、2016年、もう7年も前のこと。彼に、僕の哲学的な体験を訊かれて、ある日、人にとって言葉がどういうものかを思い知ったとき、目の前の景色が嘘になって、表層が剥がれ落ちるのが見えた、なんて答えたら、そんな体験がある人は強い、って笑ってくれた。その日以来、僕の景色は少し他人行儀で、今でもどこか嘘くさい。憧れる人の話になって、大江千里の話を聞いてもらった。大江は47歳で、それまでのキャリア...
勉強でも仕事でも恋愛でも、何でもいいんだけれど、やってみて、自分の内側から起こってくる勉強観、仕事観、恋愛観は、当然、やってみなきゃ分からない。真面目に勉強をしない人が勉強のくだらなさを説いたり、まともに働いたことがないのに他人の労働を馬鹿にしたり、まるで恋愛経験がないのに恋愛をディスったり、そんなのは違うと思っていたけれど、それもあり、とは思えるようになった。それだって、当人には間違いではなく、...
どんな問題にしても、相手がいる問題であるなら、自分が何を問題としているか、を相手に、分かってもらうことがスタートになる。そして、その手の問題は、たいていは答が出ないから、実は、自分が何を問題としているか、を相手に、分かってもらうことがゴールでもある。問題とは、相手には、まだ、問題が、問題でさえもなかったことであり、相手に分からせることで、ある程度は解決することである。多くの場合は、自分が何を問題と...
難しくて、つらくなるのは、この世の中、どんな男がいい男か、を知っているだけではいい男にはなれない。どんな男が悪い男か、を知っていても同じこと。なぜなら、あっちでもこっちでも、そこかしこ、悪い男も悪い女も、悪い家族も悪い会社も、悪いSNSも悪いサイトも、まかり通っているのがこの世の中だからである。まるで人権意識に欠ける人の人権も守る。悪口を言い募る人の悪口も言わない。こちらの気持ちを察しようともしない...
言うだけ番長は、よく考えていると思う。考えて考えて、言っているんだと思う。だから、何も考えずにやっちゃう人を、羨ましくも思うし、馬鹿に思えたりもするのだろう。でも、何も考えずにやっちゃうなんてことを真に受けるのは、やっちゃう他人を馬鹿にしすぎていないか。何も考えずにやっちゃうなんてことが、可能だと思っているから言うだけで終始するのではないか。当たりまえに、普通に考えれば、やっちゃう人なら、おそらく...
>誰かが決めるいい男に合わせに行くよりも、>自己満足を楽しむほうがいいと、>やっと思えるようになってきた。しかし、自分の思うように、自由に、いい男になればいい、ってことになると、どうすればいいのか教えてもらいたくて、検索を始めたりする滑稽さ。...
優しいとか、仕事ができるとか、努力するとか、行動するとか、謙虚だとか、そんなあれこれはもういい、そんなのは省く。そんなのは織込み済みにさせてもらう。...
いい男、にしたって、便宜上、仮にそう呼んでみただけで、いい男のあり方も、なり方も知らない。いい男が分からないのに、いい男になろうとするのは、そもそもからして滑稽な話だ。誰も教えてくれないし、誰かに教わることでもないらしい。スタートラインに立ったつもりで、ここから、いい男、になろう。...
言い換えれば、自己満足。誰かが決めるいい男に合わせに行くよりも、自己満足を楽しむほうがいいと、やっと思えるようになってきた。幸せそうな自分を生きるよりも、そろそろ、幸せな自分を生きていい。...
いい男、といっても、もはや合コンに参加するとか、アプリに登録するとかもないので、自分の外側にある価値判断、とりわけ婚活的な判断基準は考慮しない。なろう、といっても、今さら背が伸びることも、急に可処分所得が増えることも期待できず、学歴も身長も年収も低いままで、いい男を目指そうという、無駄な悪あがきではある。...
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社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
デカルトから始まって、ヒューム、カントまでは、まず自己が在って、そこから他者との関係が生じるけれど、ヘーゲルは、私が私であるためには、まず私は、私たちの一部でなければならない、と考える。自己は常に他者と共に在って、その関係の中で生きている。「客」のない世界に生まれて、「主」は有り得るか。つながりのない世界で生きて、「個」に成り得るか。 ―― 優しい歌が歌えない/槇原敬之 ―― 槇原敬...
ふわふわと、社会、なんて言うから、自分の外側に社会があると思って対立してしまうけれど、自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、自分は、世の中の現象をあれこれ抱え込んでいる。愛や、自由や、希望や、夢は、社会に見つけても、或いは、自分の足下に転がっていても、どちらに在っても同じこと、在ればいいんだ。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY ...
自らの内に道徳法則を。自らの内に価値判断の基準を。自らの内に考える自らを。 ―― SIMPLIFY/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >He's gonna be responsible >to simplify his own life. >ややこしく生きてるように見えても >彼は単純に自分を信じてるのさ >誰かのせいにしながら >生きるつもりはないだけなんだ >She's g...
誰のせいにしたっていいけれど、自らの意思によって道徳法則、―― それは、自分の外にあるモラルではなく、内にあるエティカ ―― を立てよう。知恵の実を食べたから、意思決定ができるようになったんぢゃない。楽園を追放されたから、考えて歩けるようになったんだ。自分で立って、どこにだって行こう。 ―― やさしい哲学/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞、冨田恵一 作曲、2013、TOSHIBA-EMI >ついに自由を...
Xで誰かの悪口を書き連ねても、インスタで映え画像を並べても、ブログで陰謀論を拡散しても、それだって、自分らしい、というのなら、他人を黙らせる役には立つ。 ―― Ordinary Days/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >当たり前さ それが普通さ >嬉しいことがないと >幸せと感じれないような >君のままじゃ疲れるだけさ >嬉しいこと 大事...
自分らしく、ってのは、もしかすると、底意地が悪いやつは意地悪のままに、意気地なしは意気地なしらしく、嘘つきは嘘つきらしく、ってことなのか。ことさらに、何も言ってないくせに、いいことを言ってる感だけで言ってないか。空疎なのに、中身がないのに、或いは、空疎であるゆえに、心地よく行き交うフレーズにしていないか。 ―― 太陽/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan ...
自分の心に正直に生きよう、とか、自分らしく生きよう、なんて、ポジティブなメッセージが飛び交っているけれど、そんなのは、何かを言ったつもりで、何も言っていないようなものか。 ―― I ask./槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >I ask myself 僕は問いかける >I ask myself 僕の中に >I ask myself 僕の知らない僕がいて >慣れたはずの悲しみを...
或いは、荘子が言う「樸(あらき)」は、人為が加わる前の切り出してきたばかりの木。サルトルがよく例に挙げるペーパーナイフ以前の木。あるがままの素朴さを備えているものが持つ生来の力、何にでもなれる可能性を奪われる以前の木。しかし、一度は可能性を失ってみないと、可能性があったことにも気づけないのが僕たちではある。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY...
>あるがままの心で生きられぬ弱さ>知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中まるでサルトルが言いそうなフレーズだ。本質の檻に囲い込まれた実存が逃走を企てる。実存が先立つのなら、あるがままの心は檻の外にいる。例えば、西田幾多郎なら、「主客未分」の中にいて、自分の人為が加わる前の、自分らしさの外に在る。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >ある...
変わろうとしても変われない、変わろうとしなくても変わる。そう考えるのなら、人は、変化を事後に追認するほかはないもの。それは、誰のせいであっても、或いは、誰のせいでもなくても、人もまた、自(おの)ずから然(しか)るもの。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >あるがままの心で生きられぬ弱さを >誰かのせいにして過ごしてる >知...
動的な平衡系においては、留まって動かないのは罪、時が止まってしまう罰。 ―― Mr.Children/Sign ―― 桜井和寿 作詞作曲、2004、TOY'S FACTORY >緑道の木漏れ日が君にあたって揺れる >時の美しさと残酷さを知る...
>何年もやせさせないのは、>自分が悪い、って気がしてくる。太ったことによる不都合、苦労、弊害と、やせるための不都合、苦労、努力と、どちらを選ぶのかは自分の責めに任される。 ―― センス・オブ・ワンダー/sumika ―― 片岡健太 作詞作曲、2020、Sony Music Records...
いくつもの例外があり、それぞれの事情があり、自分でもすぐに反論が思いつくけれど、唐突に、雑で強引に書き投げよう。肥満は社会のせい、といえる。つまり、自分を太らせる社会が悪い。しかし、太ってしまった自分を、何年もやせさせないのは、自分が悪い、って気がしてくる。 ―― アドレナリン/山崎まさよし ―― 山崎将義 作詞作曲、1997、Polydor Records >早めに治しましょう >こじらせ...
>生死は移りゆくひと時の位相。言うなれば、時間と生死は同語反復で、季節が巡るようなもの。 ―― 彗星/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >あの桟橋から首を突き出して >訳もなく2人でながめていた >汚れていて 止まって見える >あの川は確かに流れていた >そんな風に僕らが >いくら抗っても >仕方がない程 時は流れ ...
身体は動的な平衡系。言うなれば、身体は仮のもの。常に入れ替わるパーツ。喩えれば、身体は借りもの。ひいては、生命は仮のもの。つまりは、生命は借りもので、生死は、移りゆくひと時の位相。 ―― 獣ゆく細道/椎名林檎、宮本浩次 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2018、TOSHIBA-EMI >無けなしの命がひとつ >だうせなら使ひ果たさうぜ >かなしみが覆ひ被さらうと >抱きかゝ...
そのままのあなたでいてほしい、そんな願いも、また、動的な平衡系。変わることを願うのではないけれど、変わらないことを望むのでもない。変わることも、変わらずにいることも、そのままに、あなたの平衡状態を維持させる、そんなふうに、そのままのあなたでいてほしい。 ―― 卒業写真/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1975、TOSHIBA-EMI >人ごみに流されて変わってゆく私を >あなたはとき...
>時はいつの日にも 親切な友達都合よく何かを抽象して伏線を作り、いいとこ取りに他を捨象して回収する。而(しか)して、春は優しい、夜は優しい。 ―― 12月の雨/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1974、TOSHIBA-EMI >時はいつの日にも 親切な友達 >過ぎてゆくきのうを 物語にかえる...
歩くことも、また、動的な平衡系。平衡を崩しながら、平衡を保つこと。矛盾する二つのベクトルを同時に存在させて、動的な平衡状態を維持させる。川のせせらぎも、僕たちの足音も。 ―― 足音 ~Be Strong/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、2014、TOY'S FACTORY >夢見てた未来はそれほど離れちゃいない >また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ! >時には灯りのない 寂しい夜が来たっ...
淀みに浮かぶうたかたの、今、今、今に推移する過去と未来。現在がなければ、どこにも結びつけられない過去と、ばらばらに解(ほど)けてしまう未来を繋ぐ、今、今、今だけが、明日に続いている。 ―― 本能/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞作曲、1999、TOSHIBA-EMI >約束は 要らないわ >果たされないことなど 大嫌いなの >ずっと繋がれて 居たいわ >朝が来ない窓辺を 求めている...
奇妙なことに、弱者男性の敵は、なぜか女性になる。強者男性を敵とみなせば、ただの競争なのに。敵対させるのは、社会の性差別によって被害を受けてきた女性と、性差別が是正されることによって被害を受けることになった男性。なぜか対立する敵からの好意を欲しがっている男性の奇妙さ。...
>高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、男女の賃金格差は今よりも顕著で、女性の収入は不当に低く抑えられ、その分、男性に振り向けられていた。>この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。皆婚は、女性が男性に依存しなければ、生きて行くことが難しかった時代の現象で、今となってはそっちのほうが異常だったと思える。もっと早くに是正されるべきだったと思える。...
国ガチャ、なんて言い方をするのなら、高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、日本人であるだけで国ガチャ当たり。性別ガチャ、なんて言い方をするのなら、この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。日本人で男性ならシード権が得られた。たとえそれ以外に誇れるものが何もなくても。...
もしかしたら、生まれつき努力ができない人がいる、そう仮定するのなら、努力できるもできないもガチャ。努力が可能な努力族は、運命論的に成功を収めやすく、対して、非努力族は、失敗が運命づけられている。努力族は、努力するな、と禁じられても努力を止めないし、非努力族は、努力しろ、と命じられても努力ができない。自らコントロールができるものごとについては、自己責任論的に、自分で責任を負うことになるけれど、さて、...
小説でも、映画でも、日常は捨象されている。主人公は、小銭を数えたり、コンビニに行ったり、洗濯ものを干したり、ときにはうんちを漏らすとしても、日常=つまらないから、物語からは省かれる。日常=つまらないのは必然だから、おもしろい=物語から省かれるのは自然だ。どちらも、必ず然(しか)る、自ずから然ると言える。...
美味しかった、おもしろかった、楽しかった、なんて感想には、日常に戻される寂しさが混じっている。日常=つまらない、ってのとトレードオフにはなるけれど、でも、少し離れたら、日常もまた悪くないと思えてくるから不思議。結局、僕たちは、何をしても、いつかは楽しくなくなるんだ。...
身をもって知っている、そう言い合っている、日常=つまらない、このテーゼは事実らしい。つまらないから、僕たちは旅に出る、レストランを予約する、人に会いに行く。対価を支払って、期待通りにものごとを受け取って、それだけでも非日常ではあるけれど、さらには、もっと予期しない展開で、思いもかけない景色や味や思考と出会うときには、稀有な僥倖、軽々と僕たちの日常を超えてくる。 ...
所謂(いわゆる)、つまらない日常。つまらない、を日常の枕詞のようにして、おおよそ、日常はつまらない。所謂、同じことの繰り返し。繰り返されるから同じことになり、同じことでないのなら、即(すなわ)ち、非日常である。つまらなくないのなら、即ち、非日常である。...
>そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、>今の自分でしかあり得なかったような気がしてくる。そんなふうに、自分の選択の失敗を許容できた気になると、選択の及ばない、そもそもからの失敗に視点が移る。例えば、選ぶことさえできなかった親ガチャや、大きくは、他の選択肢の在りようも見つからない資本主義や、さらには、都合のいい異世界を仮想することで色褪せて映る日常や。...
>どんな選択も、ただの日常になり行く。>そう考えると、何を選ぶか、ってことは、>たいして重要ではないと思われる。何を選択したとしても、重要なのは、繰り返される日常の過ごし方にある。>まだ少しも報われない日常に耐え続けること。大きな決断は、ついつい先延ばしになり、長期的な計画は、なし崩しに短期的な快楽に負けて、そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、今の自分でしかあり得なかったような気がしてく...
例えば、資格試験を受験する、って選択の先には、例えば、半年で、例えば、300時間の勉強を要するのなら、毎日1時間半の勉強をする日常が始まろうとしている。選択は一時的なこと、日常は継続的なこと。まだ少しも報われない日常に耐え続けること。...
何を選んだとしても、例えば、どんな仕事に就いたとしても、選んだ後には、日常が待ち受ける。どんな選択も、やがては日常になり行く。そう考えると、何を選ぶか、ってことは、たいして重要ではないと思われる。選ばれなかった選択の先にも、繰り返される日常が待っているはずだ。どれが正しいのかが分かっていて、結果まで見通せるようなときには、選ぶ、ということはない。決める、ということはない。なぜ結果まで見通せないかと...
きっと、今日も、誰かの優しさが、優しさの価値を引き上げている。優しい人は、きっと、明日も優しい。優しい人にとっては、この世界は優しい。僕の今日が、少し荒(すさ)んだ一日だったとしても、その間にも、誰かの優しさが、僕に気づかれないうちに、僕に届けられているのなら、優しくなれない僕にとっても、やはり、掛け値なしに、この世界は優しい。...
考える人は、今日も考え続ける。優しい人は、きっと明日も優しい。読みかけの本のページをめくるように、人は、日常の経験によって、来たるべき日常を規定して行く。もしも、今夜、僕が、ていねいに、生まじめに書くのなら、それは、今夜の文章はもちろん、昨夜までの文章のていねいさと、生まじめさを説明してくれる。自分が正しいと決めてかかる人は、今日も執拗に他人を責め続け、自分を棚に上げる人は、明日になっても下ろさな...
自分が言われて傷つくことは、他人にも言わない。そんなのは多くの人が、日頃からできていると思う。自分が言われて傷つくことは、自分にも言わない。それは僕たちには、上手にできないことらしい。 ―― ダヴ:リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
>誰かのために考えて、言葉にして、>さらには、伝えようとする工夫が、誰かの本来の美しさを言い当てる。 ―― ダヴ : リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
自分のために考えることなら、夢見がちでも、曖昧なままでも、語尾を濁して言い切らなくても、さらには、言葉にしなくてもいい。誰かのために考えて、言葉にして、さらには、伝えようとする工夫が、表現を豊かにさせるのだろう。...
日常のちょっとした選択も、未来を変えるような選択も、同じ脳みそを使っているとするのなら、日常をナメちゃいけないな、なんて思ったりもするけれど、そんなことを考える脳みそ自体が、今夜も、僕を正気に戻してくれている。...
幸福な生活、なんてパッケージがあって、そのセットを揃えようとするのは、たぶん、得策ではない。セットを揃えて生活している人がいても、きっと、日々の生活は淡々と過ぎて行く。繰り返される日常は、当たりまえの日常で、幸不幸の埒外の、ただの日常である。...
どのようなものであっても、関係など持ちたくない、って思うときには、ブロックは、逆説を連れ立たせる。ブロックなんてことをしていると、ブロックしている/されている、という関係を作ってしまう。本当は、それさえも作りたくない。 人間の形をして 生まれたからといって 人間らしく生きているなんて 限らないと今は思う ―― 君が教えてくれるもの/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲...