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探鳥チャンネル https://blog.goo.ne.jp/mr-walk1704

北九州市八幡西区「瀬板の森公園」における日々の探鳥記録、探鳥出来ぬ日は「旅日記」等を掲載します。

「旅日記」は主として、五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)等の紀行です。

mr-walk1704
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住所
八幡西区
出身
諫早市
ブログ村参加

2013/08/05

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  • 06/12探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ、カワウの飛翔、)

    〇遠賀川河口の鳥たち06/04(水)、遠賀川河口において、イソシギ、カワウの飛翔、が見れました。◇当日の周辺の模様◇カワウ◇イソシギ:シーン1◇イソシギ:シーン2◇カワウの飛翔06/12イソシギ、カワウの飛翔、06/12探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ、カワウの飛翔、)

  • 06/11お城めぐり-20(福井:北の庄城址&福井城址ほか)

    ●東尋坊から福井へ東尋坊からバスで三国駅へ、越前鉄道の電車で福井へ向かう。●北の庄城跡北の庄の地には、黒丸城主朝倉貞景の次男頼景が居館を築いて以来、天正元年の一乗谷の朝倉義景滅亡と同じくして北の庄朝倉氏も断絶した。天正3年、越前一向一揆を平定した織田信長は、柴田勝家に越前8郡49万石を与え、越後の上杉謙信に対峙させた。勝家は、入封早々から北の庄城を築城した。しかし、僅か9年後の天正11年、賤ヶ岳の合戦に敗れ北の庄城も落城、勝家はお市の方共々自刃して果てた。慶長5年、結城秀康が越前国主として下総結城より入封、新城(福井城)を築城して北の庄城は消滅した。●福井の街●福井城福井城は、天正3年に柴田勝家が築城した北の庄城が前身である。慶長5年、関ヶ原に勝利した徳川家康は、越前68万石を次男結城秀康を松平氏に改姓さ...06/11お城めぐり-20(福井:北の庄城址&福井城址ほか)

  • 06/11探鳥記録写真-2:5月下旬に出会った鳥たち(セイタカシギ、キアシシギ、イソシギ、ウグイス、ホオジロ、など)

    〇5月下旬に出会った鳥たち①探鳥地は、狩尾岬、はまゆう公園、遠賀川河口、、某田んぼでしたでした。②旅鳥:セイタカシギ、キアシシギ、③夏鳥:アマサギ、、ケリ、ツバメ、④留鳥:ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、ムクドリ、イソヒヨドリ、メジロ、ハクセキレイ、イソシギ、クロサギ、チュウダイサギ、コサギ、アオサギ、カワウ、⑤猛禽:ミサゴ、トビ、などでした。05//23:はまゆう公園◇05/23:某たんぼ7◇05/26:遠賀川河口◇05/27:はまゆう公園05/27:某田んぼ◇05/28:はまゆう公園◇05/28:遠賀川河口◇05/29:遠賀川河口◇05/30:遠賀川河口06/11探鳥記録写真-2:5月下旬に出会った鳥たち(セイタカシギ、キアシシギ、イソシギ、ウグイス、ホオジロ、など)

  • 06/11探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、紫陽花、)

    〇はまゆう公園の鳥たち06/04(水)、はまゆう公園における8:30から9:00までの記録です。コゲラ、ホオジロ、紫陽花、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇ホオジロ◇コゲラ◇紫陽花06/11コゲラ、ホオジロ、紫陽花、06/11探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、紫陽花、)

  • 06/10お城めぐり-19(富山城址と周りの町模様)

    1.富山城址通り付近戦国時代には佐々成政の居城であり、江戸時代には富山前田家の居城として、富山藩政の中心であった富山城。この城跡が「富山城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっていました。公園内に残る石垣や堀からは、当時の威容を見ることができました。文禄4年(1595)前田利家は、秀吉から富山城のある新川郡を与えられました。慶長2年(1597)利家嫡男利長が富山城に入り近世城郭として整備しました。大火によって焼失し、元和元年(1615)、一国一城令により廃城となります。寛永16年(1639)加賀藩より10万石分与された前田利次は、富山藩初代藩主として廃城となっていた富山城を居城とし本格的な整備を行いました。富山前田家は廃藩置県まで13代にわたりこの地を支配しました。2.庶民の町模様総曲輪(そおがわ)...06/10お城めぐり-19(富山城址と周りの町模様)

  • 06/10探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギ、ガビチョウ、トビ、)

    〇狩尾岬の鳥たち06/04(水)、狩尾岬における8:00から8:30までの記録です。クロサギ、ガビチョウ、トビ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇ガビチョウ◇木上のトビ◇クロサギ06/10探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギ、ガビチョウ、トビ、)

  • 06/09お城めぐり-18(天空の城 竹田城址)

    ●国史跡竹田城址の概要竹田城跡は、山城遺跡として全国でもまれに完存する遺構であり、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれているようです。晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっているそうです。この雲海に包まれた姿は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、いつの間にか「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになったようです。私たちは、11:00到着でしたので、朝霧に包まれた、幻想的な姿を見ることはできませんでした。しかしながら、石垣遺構を見て、まさに日本のマチュピチュそのものに思えました。竹田城跡は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射状に配されていました。戦国時代、羽柴秀吉の但馬攻めのおり、羽柴秀長が城代であったそうです...06/09お城めぐり-18(天空の城竹田城址)

  • 06/09探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)06/02(月)、遠賀川河口で、イソシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ:シーン1◇イソシギ:シーン2◇イソシギ:シーン3◇イソシギ:シーン406/09探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)

  • 06/08お城めぐり-17(②萩城址→武家屋敷→城下町)

    1.武家屋敷跡○旧口羽家住宅石見国邑智郡口羽村を領したことから口羽の姓を名乗る。関ヶ原の役後、毛利に従い萩に移り、藩寄組として1,018石余りを領した。口羽家は主屋と揃って残り、現存する屋敷として最も古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷武家屋敷の一遺例として価値がある。その表門は江戸桜田の藩邸の門を下賜されたもので、萩に現存の門では最大規模を誇る。○旧二宮家長屋門二宮家は、萩藩大組(891石)で、美祢郡嘉万村に領地を持っていました。藩政初期の二宮就辰は毛利元就の子で、正室妙玖の死後間もなかったため、家臣の二宮春久の子として養育されました。就辰は広島築城当時の普請奉行として敏腕をふるいました。二宮家長屋門は、本瓦葺き入母屋造りで、桁行8間、梁間2間です。中央から左寄りに2間半幅の門をあけ、右手片潜門...06/08お城めぐり-17(②萩城址→武家屋敷→城下町)

  • 06/08探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、メジロ、紫陽花、)

    〇はまゆう公園の鳥たち06/02(月)、はまゆう公園における7:40から8:10までの記録です。コゲラ、ホオジロ、メジロ、紫陽花、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇メジロ◇ホオジロ◇コゲラ◇紫陽花06/08コゲラ、ホオジロ、メジロ、紫陽花、06/08探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、メジロ、紫陽花、)

  • 06/07お城めぐり-16(①萩城址及び萩城址内の遺構)

    1.萩城址入り口から内堀○指月橋毛利輝元の墓所:天樹院を出て直ぐ北側に指月橋があります。これを渡ると萩城址です。 ○萩城址入り口○毛利輝元公像○萩城址内堀から見た城址別名を指月城(しづきじょう)という萩城は、山口県北部の城。関ヶ原の戦い後、毛利輝元が西軍の総大将だったために、周防国・長門国の防長2ヶ国に減封されたために、広島城に代わる新たな毛利氏の本拠として築城したものです。指月山の山麓に平城(本丸・二の丸・三の丸)を配置し、指月山山頂に山城(詰丸)を配置しているのが特徴です。また、天守閣は五層五階で、一階は半間分、天守台よりせり出していました。○天守閣跡萩城は1863(文久3)年に長州藩主の毛利敬親が、幕府に無許可で藩庁を山口政事堂(山口市)に移すまで、長州藩毛利家の本拠として存続し、明治維新後は城は破...06/07お城めぐり-16(①萩城址及び萩城址内の遺構)

  • 06/07探鳥記録写真:遠賀川河口堰の鳥たち(ミサゴの狩り模様、)

    〇遠賀川河口堰の鳥たち(ミサゴの狩り模様、)06/01(日)、遠賀川河口堰でミサゴの狩り模様、が見れました。◇当日の周辺の模様◇ミサゴの狩り模様、06/07ミサゴの狩り模様、06/07探鳥記録写真:遠賀川河口堰の鳥たち(ミサゴの狩り模様、)

  • 06/06お城めぐり-15(知覧の武家屋敷)

      知覧の武家屋敷について 知覧は薩摩の「小京都」とも呼ばれています。薩摩藩(島津77万石)は領地を「外城」と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその「外城」の一つであり、約260年余り前、知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区が残っています。各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されています。知覧の庭の大部分は枯山水ですが、「森邸庭園」だけは池泉式。武家屋敷群は「国の重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、庭園は国の「名勝」に指定されています。○知覧の街 ○武家屋敷○西郷恵一郎邸庭園○平山克己邸庭園○平山亮一...06/06お城めぐり-15(知覧の武家屋敷)

  • 06/06探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ06/01(日)、遠賀川河口で、キアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン506/06キアシシギ三昧、06/06探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 06/05お城めぐり-14(人吉城)

    人吉城の歴史●人吉城は、もともと平氏の代官がいた城であったが、遠江国(静岡県中部)相良の出身で人吉庄の地頭として着任した相良長頼(さがらながより)が、平頼盛の代官矢瀬氏を滅ぼして建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられている。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城とも言われている。実際には応仁の乱後の文明2年(1470)頃、第12代当主、相良為続(ためつぐ)によって築城されたようである。●豊臣秀吉の天下統一後、天正17年(1589)に第20代相良長毎(ながつね)は豊後から石工を招き人吉城の整備を始め、慶長6年(1601)には御本丸・二の丸・堀・櫓御門(中御門と推定)まで完成。慶長12年(1607)から川沿いの石垣を築き始め、寛永16年(1639)...06/05お城めぐり-14(人吉城)

  • 06/05探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ,イソシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ,イソシギ、)05/30(金)、遠賀川河口で、キアシシギ、イソシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン406/05キアシシギ、イソシギ、06/05探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ,イソシギ、)

  • 06/04お城めぐり-13(小倉城、)

    〇小倉城内の模様◇八坂神社小倉城内にある八坂神社です。元和三年(1617年)細川忠興公により御創建され豊前総鎮守小倉祇園八坂神社と称えられる当社は、平成二十九年に御創建四百年をお迎え致しました。 ◇小倉城慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城、小倉城。当時は「唐造り」とよばれ、全国唯一の珍しいものでした。現在の城は、昭和34年に在りし日の名城を再建したものです。◇小倉城庭園◇大手門跡◇欅門跡◇誠心直道之碑◇鉄門跡◇西ノ口門跡◇多聞口門跡◇外堀◇虎ノ門口跡06/04お城めぐり-13(小倉城、)

  • 06/04探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

    〇狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)05/30(金)、狩尾岬における7:30から7:50までの記録です。クロサギの採餌模様が見れました。◇当日の周辺の模様◇クロサギの採餌模様06/04クロサギの採餌模様、06/04探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

  • 06/03お城めぐり-12(城井ノ上城址)

    1.まず、黒田官兵衛と城井鎮房の豊前国覇権争いについて 官兵衛と長政父子は馬ヶ岳城を拠点に、黒田氏に抵抗する地元勢力の平定を進めました。他国に出向き、たびたび城を離れた官兵衛に代わり、長政は度々馬ヶ岳城から出撃し、強敵宇都宮鎮房らと厳しい戦いを繰り返しながら、領内の抵抗勢力を鎮圧していきまた。 一方、城井鎮房は秀吉から四国・伊予今治12万石への移封城井宇都宮氏の家宝である藤原定家の「小倉色紙」の引渡しを命ぜられたものの、反旗を翻しました。討伐軍として派遣されてきた黒田官兵衛・長政親子を、天然の要塞である城井谷の地の利を活かしたゲリラ戦で撃退しました。吉川広家の仲介もあり黒田官兵衛より城井鎮房の娘鶴姫と、黒田長政の婚姻による和議が提案されて城井鎮房はこれを受け入れました。肥後の国人一揆討伐に向かう黒田官兵衛...06/03お城めぐり-12(城井ノ上城址)

  • 06/03探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)05/29(木)、遠賀川河口でキアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン506/03キアシシギ残見、06/03探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 06/02お城めぐり-11(行橋市:馬ケ岳城跡)

    馬ケ岳城跡 ここは、九州平定後、豊臣秀吉から恩賞として豊前6郡、約12万石を与えられた黒田官兵衛の九州最初の居城がある場所でした。馬ヶ岳城に天正15年(1587)7月に入城。(秀吉も九州平定のため九州入りした天正15年3月にこの城に滞在したとの記録があるそうです。)山の姿が神馬姿に似ていることから馬ヶ岳といわれているようです。 官兵衛がこの城を居城とした理由は、古くからこの城が豊前支配の拠点であったことと、豊前南部に黒田氏の支配を不服とする城井宇都宮氏など地元勢力がまだ多くいたためだそうです。○馬ケ岳城址:登山口 ○馬ケ岳左:東山、右:西山○○官兵衛の幟がはためく馬ヶ岳城に石垣はありませんが、山中には自然の地形をうまく利用した、土塁や畝状竪堀群と呼ばれる城を守るさまざまな工夫が見れます。畝状竪堀群とは、敵...06/02お城めぐり-11(行橋市:馬ケ岳城跡)

  • 06/02探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/28(水)、7:30から8:00までの記録です。ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ◇ウグイス06/02ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、06/02探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、)

  • 06/01お城めぐり-10(中津城)

    中津城の領主の変遷 中津城は、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田官兵衛孝高(如水)が山国川(当時高瀬川)河口の地に築城したのが始まりです。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。現在の天守閣は、昭和39年に建設されたものです。  官兵衛は、豊前入国当初、馬ヶ岳城(現行橋市)を居城としたが、山城では城下町づくりができないため平地に移すことを考え、天生16(1588)年から中津城の築城を開始した。  中津は、豊前の国のほぼ中央に位置し、周防灘に流れ込む高瀬川(山国川)に面しており、川を自然の堀として使える上、水陸交通の要地だった。また、広い平野によりこの地方有数の米どころでもあり、海運と商工業を押さえるにはうってつけの場所だった。 官兵衛が築いた石垣には、当時の最高技術である穴太積みの...06/01お城めぐり-10(中津城)

  • 06/01探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)05/28(水)、遠賀川河口でキアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン406/01キアシシギ三昧、06/01探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 10/31お城めぐり-10(平戸城③:平戸の観光スポット-2)

    2日目、「オランダ井戸」「オランダ商館跡」「オランダ塀」「フランシスコザビエル記念碑」「三浦按人のお墓」等を見物し、北九州へ戻りました。◎藤浦洸、生誕100周年記念碑 ◎松浦藩資料博物館松浦家は、鎌倉時代の初期、この地に落ち着いてから幕末に至るまで650年余転封等がなかった事から貴重な遺産が多く残されており、そのこともあって長崎県で最も歴史を有する博物館となっています。<!--/.moveCont-->館内には、国や県指定となっている古文書や絵巻、鎧等が所蔵されており、また敷地内にある茶室「閑雲亭」では鎮信流による呈茶もいただけます。◎オランダ井戸◎オランダ商館跡地 オランダ商館は、オランダ東インド会社の日本における出先機関で、1609年に平戸に設置され、1641年に鎖国政策の為長崎の出島へ移転しました。...10/31お城めぐり-10(平戸城③:平戸の観光スポット-2)

  • 05/31探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(チュウダイサギ、アマサギ、)

    〇某田んぼの鳥たち05/27(火)、某田んぼでチュウダイサギ、アマサギ、が見れました。◇チュウダイサギ◇アマサギ05/31某田んぼのアマサギ、チュウダイサギ、05/31探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(チュウダイサギ、アマサギ、)

  • 05/30お城めぐり-9(平戸城②:平戸の観光スポット-1)

    2014年7月に平戸を旅しました。その時の模様です。先ず、平戸の代表的観光スポットである、「幸橋(=オランダ橋)」、「ザビエル記念聖堂」、「寺院と教会が見える坂」等を掲載します。平戸市は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する街です。旧平戸松浦藩の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だったそうです。 ◎バス到着地点、平戸桟橋付近◎平戸港交流広場ここから平戸まち歩きがスタート!誰もが知る平戸の魅力はもちろんのこと、海外との貿易や城下町として栄えた時代、かくれキリシタン悲哀の歴史などの史跡をめぐります。◎幸橋(さいわいばし、国指定重要文化財) 当地に橋が架かる以前は、城下とお城の往来は船か陸地を大きく迂回するしかなく大変不便であ...05/30お城めぐり-9(平戸城②:平戸の観光スポット-1)

  • 05/30探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ガビチョウ、ホオジロ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/27(火)、はまゆう公園における8:00から8:30までの記録です。ガビチョウ、ホオジロ、カワラヒワに出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ◇ガビチョウ05/30ガビチョウ、ホオジロ、カワラヒワ、05/30探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ガビチョウ、ホオジロ、カワラヒワ、)

  • 05/29お城めぐり-8(平戸城①)

    平戸城の歴史 鎌倉・室町時代にかけて、この地は水軍として名を馳せた松浦党の本拠地でした。松浦家26代鎮信(しげのぶ)は1599(慶長4)年、亀岡に「日の岳城」を築いた。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うために「日の岳城」を焼却、平戸6万1千7百石を守った。松浦家は以来約90年間を「御館(おたち)」で過ごし、その間、御館(現在の松浦史料博物館)が藩庁かつ藩主の私邸として使われました。松浦家30代棟(たかし)となって幕府の許可のもと、1704(宝永1)年、「平戸城」の再築を開始、1718(享保3)年、完成した。これが今の平戸城(亀岡城)であり、本丸、二の丸、三の丸外郭により構成され、日の岳の輪郭が利用されている。この平戸城は山鹿素行の縄張によるもので...05/29お城めぐり-8(平戸城①)

  • 05/29探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)05/26(月)、遠賀川河口において、イソシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ:シーン1◇イソシギ:シーン2◇イソシギ:シーン3◇イソシギ:シーン4◇イソシギ:シーン5◇イソシギ:シーン605/29イソシギ三昧、05/29探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(イソシギ三昧、)

  • 05/28お城めぐり-7(島原城跡、城下町模様、)

    島原城の歴史島原城は1618(元和4)年から、松倉豊後守重政が4年ないし7年の歳月をかけて築いたものです。五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城でした。それ以来約250年間、4氏19代の居城として、数多くの物語が生まれました。しかし、明治の御一新で惜しくも解体されてしまいました。天守閣をはじめすべての建物をなくした島原城は、石垣とお掘だけを残して長年の風雪に耐えてきました。北側~東側~南側北側はかつての濠に「菖蒲園」が整備されており、6月のシーズンに再度訪づれてみたい気になりました。東側に回りますと、知行高100石とこの地に屋敷を下賜された「佐久間邸跡」があり、当時の生活ぶりを伺う事が出来ました。又、城郭の上には緑の「眉山」と茶色の「普賢岳」が望まれ、お城の...05/28お城めぐり-7(島原城跡、城下町模様、)

  • 05/28探鳥記録写真:5月中旬に出会った鳥たち:(キアシシギ、アマサギ、チュウサギ、ケリ、ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、ミサゴクロサギ、ほか)

    〇5月中旬に出会った鳥たち①探鳥地は、狩尾岬、はまゆう公園、遠賀川河口、、某田んぼでしたでした。②旅鳥:キアシシギ、③夏鳥:アマサギ、チュウサギ、ケリ、ツバメ、④留鳥:ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、ムクドリ、イソヒヨドリ、メジロ、ハクセキレイ、イソシギ、クロサギ、チュウダイサギ、コサギ、アオサギ、カワウ、⑤猛禽:ミサゴ、トビ、などでした。⑥又、この間、アマサギ、チュウサギ、の初認が出来ました。◇05/11:はまゆう公園◇05/22:狩尾岬◇05/13:某田んぼ◇05/14:狩尾岬◇05/14:はまゆう公園◇05/14:遠賀川河口◇05/15:はまゆう公園◇05/15:某田んぼ◇05/16:狩尾岬◇05/16:はまゆう公園◇05/16:遠賀川河口◇05/18:狩尾岬◇05/18:遠賀川河口◇05/19:は...05/28探鳥記録写真:5月中旬に出会った鳥たち:(キアシシギ、アマサギ、チュウサギ、ケリ、ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、ミサゴクロサギ、ほか)

  • 05/27お城めぐり-6(熊本城見物②:復元なった本丸御殿:震災前、)

    本丸御殿は、藩主の居間や対面所(会見の場)、台所など多用な用途をもつ複数の殿舎群で構成されおり、加藤清正によって、創建され、慶長15年(1610)頃には完成していたと云われています。西南戦争の際に起こった火災で天守閣と共に焼失してしまいました。それから130年。古い文献資料と発掘調査に基づいて、平成20年4月20日に本丸御殿が復元されました。 ○本丸御殿入口○出土品○台御台所○大広間○縁側○数寄屋○西南の役の出土品○出口          05/27お城巡り-7(熊本城②:本丸御殿)05/27お城めぐり-6(熊本城見物②:復元なった本丸御殿:震災前、)

  • 05/27探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(セイタカシギ三昧、)

    〇某田んぼの鳥たち(セイタカシギ三昧、)05/23(金)、某田んぼでセイタカシギの採餌模様が見れました。gsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d5/187177d3f398fbf0be5b74109f0a1bae.jpg"border="0">05/27探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(セイタカシギ三昧、)

  • 05/26お城めぐり-6(熊本城①:震災前の姿)

    熊本城の模様 日本三大名城(大阪・名古屋・熊本)の一つとして名高い熊本城は名将加藤清正が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ築城したものです。大小天守閣を初め、櫓49、櫓門18、城門29を数えたといわれており、城郭の広さは約98ヘクタール(東京ドーム21個分)、周囲5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な城です。○右:本丸御殿○本丸御殿地下11/20お城めぐり-6(鶴丸城址、城山、石橋記念公園、)              05/26お城巡り-6(熊本城、)05/26お城めぐり-6(熊本城①:震災前の姿)

  • 05/26鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

    05/26鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

  • 05/25お城めぐり-5(鹿児島:鶴丸城址、城山、石橋記念公園、他)

    新八代駅から鹿児島中央駅へ翌朝、鶴丸城へ翌朝早めに鶴丸城見物に向いましたが、開館前の時間であったため、外構を見るに留まりました。鶴丸城の歴史島津氏は、初代忠久が源頼朝に薩摩・大隅・日向3国の守護職に任じられて以後、南九州を拠点に一大勢力を誇っていた。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐に降伏した島津義久は、旧領を安堵された。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で西軍に属した義久の弟・義弘は、慶長7年家督を家久に譲った。家久は島津氏の本城として鶴丸城築城に着工し、慶長9年完成した。77万石の大名が大城を築かなかったのは、徳川幕府に恭順の意を表わすためだったといわれる。しかし、島津藩は領内に郷を単位として百を越す外城を築き、元和元年(1615)一国一城令によって外城の建物は形式的に壊したが、要害としての外城は「...05/25お城めぐり-5(鹿児島:鶴丸城址、城山、石橋記念公園、他)

  • 05/25探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/20(火)、遠賀川河口でキアシシギの群れが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン405/25キアシシギ三昧、05/25探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/24お城めぐり-4(竹田-岡城址)

    岡城の歴史岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄が、源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎えるため築城したと伝えられる。その後、元徳3年(1331)豊後国守護大友氏の分家で大野荘志賀村南方に住む志賀貞朝が、後醍醐天皇の命令をうけ入り、岡城を修理して北朝と戦ったとされるが、この時期のことは定かでないそうです。天正14年(1586)から翌年の豊薩戦争では島津の大軍が岡城を襲い、わずか18歳の志賀親次(親善)は城を守り、よく戦って豊臣秀吉から感状を与えられた。しかし、文禄2年(1593)豊後大友義統(よしむね)が領地を没収されると、同時に志賀親次も城を去ることになったそうです。文禄3年(1594)2月、播磨国三木城(兵庫県)から中川秀成が総勢4千人余りで入部。大規模な造営工事をおこない、戦国の山...05/24お城めぐり-4(竹田-岡城址)

  • 05/24探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/19(月)、遠賀川河口において、キアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン5」◇キアシシギ:シーン605/24キアシシギ三昧、05/24探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/23お城めぐり-3(佐伯城)

    市街地の背後、シイの木で覆われている城山には、標高142mに位置する佐伯藩主毛利家の居城、佐伯城跡がありました。築城者の「毛利高政」は豊臣秀吉の家臣として、大阪城など多くの城を手掛けた築城の名手だったそうです。佐伯城は、三層の天守閣をもつ本丸を中心に、二の丸・西出丸を西南にのばし、北出丸を東北に広げ、あたかも舞鶴の翼を張った姿を連想させることから別名「鶴屋城」とも呼ばれていたそうです。現在では、城郭の建築遺構としては僅かに「三の丸櫓門」を残すだけでですが、城跡を示す石垣はよく残り、城址公園として市民に親しまれているそうです。普段山登りをしない方には、決して楽な道のりとは言えませんが、城跡に辿り着いた時に見下ろす景色には、最高の気分にさせられます。また、三の丸櫓門は県指定有形文化財に指定され「黒門」とも呼ば...05/23お城めぐり-3(佐伯城)

  • 05/23鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/19(月)、はまゆう公園における8:00から8:30までの記録です。ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ムクドリ◇ホオジロ◇ウグイス05/23ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、05/23鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

  • 05/22お城めぐり-2(臼杵城)

    臼杵城の歴史臼杵城は、戦国時代の永禄5年(1562年)、府内大友館(大分)より拠点を移した大友宗麟により、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築かれた平山城(海城)です。大友氏改易後、石田三成の妹婿である福原直孝、大田一吉を経て、関ヶ原の戦いの後、慶長5年(1600年)に美濃国郡上八幡より5万石で稲葉貞道が入封した。以降、明治維新まで、稲葉氏15代の居城となった。城には3層4階の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。廃藩後は天守以下建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。鎌倉時代から戦国時代までの豊後国は、大友氏の支配下にあった。キリシタン大名として知られる大友宗麟の治世の末期、薩摩国の島津氏の侵攻により大友氏は存亡の危機に立たさ...05/22お城めぐり-2(臼杵城)

  • 05/22探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/18(日)、遠賀川河口でキアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン505/22キアシシギ三昧、05/22探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/21お城めぐり-1(杵築城と杵築城下町)

    1.杵築城内1394年の築城以来、600年もの間この町を見下ろしてきた杵築城。模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守閣は在りし日のこの城の姿を偲ばせる。室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、その後の小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。現存するのは一部石垣など。2.「勘定場の坂」と「北台武家屋敷」○勘定場の坂杵築城から北台武家屋敷を結ぶこの坂は、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこう呼ばれた。坂の上からお城の方角を眺めると、天守閣が見えてくる。...05/21お城めぐり-1(杵築城と杵築城下町)

  • 05/21鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/18(日)、はまゆう公園における8:50から9:20までの記録です。頭上を飛翔するミサゴが見れました。◇当日の周辺の模様◇ミサゴの飛翔05/21ミサゴの飛翔、05/21鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

  • 05/21探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/16(金)、遠賀川河口で、キアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ-2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン505/21キアシシギ三昧、05/21探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/20秋月街道紀行:5日目(秋月宿から松崎宿)

    ○秋月:庄屋橋から弥永の道標まで野鳥川に架かる「庄屋橋」を渡ると直ぐに「夫婦岩」がありました。この場所で野鳥川が小石原川と合流し、急流となる場所で、大石二個を置いて急流を防いだところから、この名前が起ったようです。続いて、「分岐の道標」に出会いました。左側は甘木方面、右側は松崎方面と彫られていました。しばらく進みますと、「老松神社」「大己貴神社」がありました。ここを通過し進みますと「弥長の道標」に出会いました。右側は博多方面、左側は松崎方面と有ります。○夫婦岩○追分○老松神社○大巳貴神社○弥永の道標○弥永の道標から松崎宿北構口まで左側の道を直進し「草場川」を渡ってしばらく歩くと、「高野神社」がありました。「野町宿」に着いたようです。本陣跡等の遺構はありませんが、道路の左側に立派な「野町宿記念碑」が立ってい...05/20秋月街道紀行:5日目(秋月宿から松崎宿)

  • 05/20探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス三昧、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/16(金)、はまゆう公園における8:50から9:20までの記録です。高い声で鳴く、オグイスに出会えました。◇当日の周辺の模様◇ウグイス三昧05/20ウグイス三昧、05/20探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス三昧、)

  • 05/20探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/16(金)、狩尾岬における8:20から8:40までの記録です。クロサギの採餌模様、が見れました。◇当日の周辺の模様◇クロサギの採餌模様05/20クロサギの採餌模様05/20探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

  • 05/19秋月街道紀行:4日目(千手宿から秋月宿)

    ○千手宿から八丁峠越え「千手宿」到着後、直ぐに歩行を始めます。丁度この地域を台風が通過中で、かなりの風が吹いているようです。この「千手宿」は大正時代には街道に沿いに、旅籠、医院、鍛冶屋等が軒を連ねていたようです。台風直下、強い風を受けながら、「八丁峠」を目指します。山道の旧道を往くか、このまま322号線を往くか迷いましたが、天侯、独行である事を考慮し、安全サイドを選択し、322号線沿いのつづら峠越えで秋月へ向かうことにしました。風と雨に苦労しながらも、何とか左上に「古処山」正面には「甘木方面」を眺望できる「展望台」に着きました。ここからは下りです。旧道案内の標識を見つつ、秋月城下町への入口に到着しました。○野鳥川沿いに秋月城下町を目指します。後面に古処山を背負った野鳥川沿いの旧道を歩きました。「番所橋」、...05/19秋月街道紀行:4日目(千手宿から秋月宿)

  • 05/19探鳥記録写真-2:某田んぼの鳥たち(ケリの威嚇飛行、)

    〇某田んぼの鳥たち05/15(木)、某田んぼでケリの威嚇飛行が見れました。05/19ケリの威嚇飛行05/19探鳥記録写真-2:某田んぼの鳥たち(ケリの威嚇飛行、)

  • 05/19探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、トビの飛翔、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/15(木)、はまゆう公園における6:30から7:00までの記録です。コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、トビの飛翔、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ-1◇ホオジロ-2◇コゲラ◇トビの飛翔05/19コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、トビの飛翔、05/19探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、トビの飛翔、)

  • 05/18秋月街道紀行:3日目(猪膝宿から千手宿)

    ○猪膝宿から大隈宿日本武尊との関係伝説がある「太刀洗井戸」から歩行を開始しました。しばらくするとこれまた日本武尊との関係伝説がある「白鳥神社」が右手にありました。さらに「金国山」を見て進みますと、豊前国と筑前国の境を示す「国境石」があり、これを越すと嘉麻市に入りました。山田の町を通過し、大隈宿へ向かう途中に「為朝岩」がありました。源為朝が九州に追われ、嘉麻市の馬見神社にお参りする時、休憩した処として名づけられたようです。大隈峠の付近に「愛宕神社参道」「加藤清正神社」がありました。「黒隅密寺」を通過すると、「大隈宿」に到着です。「西宮大神宮」の辺りに、西構口があったようです。大隈宿は益冨城主:母里氏が原形を作り、宿場、商業の町として繁栄していたようです。○大隈宿から千手宿昔に還ったような、「芥田旧道」を歩行...05/18秋月街道紀行:3日目(猪膝宿から千手宿)

  • 05/18探鳥記録写真-2:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)05/14(水)、遠賀川河口で見れたキアシシギシギたちです。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ◇キアシシギ-205/18キアシシギ三昧、05/18探鳥記録写真-2:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/18探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/14(水)、はまゆう公園における8:30から9:00までの記録です。ウグイス、ホオジロ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇ホオジロ-1◇ホオジロ-2◇ウグイス05/18ウグイス、ホオジロ、05/18探鳥記録写真:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、)

  • 05/17秋月街道紀行:2日目(呼野宿から猪膝宿)

    ○JR呼野駅から採銅所を目指すその後、322号バイパスと出会い、そのまま「金辺トンネル」を歩行し、採銅所を目指します。(旧道はトンネル上にありそうでしたが、見つける事が出来ず・・・・)しばらくすると、右手に「庚申塚」があり、後方を振り返ると「竜ケ鼻岳(681m)」が聳えていました。金辺川沿いに下って行きますと、右手に「古宮八幡宮」その横には「採銅所里程標」がありました。この場所が「採銅所宿」であったようです。○香春宿模様その後、「香春神宮院」「本町里程標」と出会い、更に進みますと「香春藩庁跡」「井能忠敬測量地跡」の遺構がありました。昔風の家並みが続く「香春宿」を通過し、後方を見ますと約1/3程度の高さに削られた「香春岳」が望めました。○猪膝宿やがて「川渡り神幸祭」がある彦山川に出会い、「伊田」の町を通り、...05/17秋月街道紀行:2日目(呼野宿から猪膝宿)

  • 05/17探鳥記録写真-2:狩尾岬の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/14(水)、狩尾岬における8:00から8:20までの記録です。ミサゴの飛翔、が見れました。◇当日の周辺の模様◇ミサゴの飛翔05/17探鳥記録写真-2:狩尾岬の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

  • 05/17探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(アマサギ、チュウサギ、コサギ、ケリの威嚇飛行、)

    〇某田んぼの鳥たち05/13(火)、某田んぼで、アマサギ、チュウサギ、コサギ、ケリの威嚇飛行、が見れました。アマサギ、チュウサギ、は今季初認です。◇コサギ◇チュウサギ◇アマサギ&チュウサギ◇アマサギ◇ケリの威嚇飛行05/17アマサギ、チュウサギ、コサギ、ケリの威嚇飛行、05/17探鳥記録写真:某田んぼの鳥たち(アマサギ、チュウサギ、コサギ、ケリの威嚇飛行、)

  • 05/16秋月街道紀行:1日目(小倉宿から呼野宿)

    幕末期においては、この道筋で小倉藩と長州藩の壮絶な戦い(小倉戦争)が繰り広げられたようです。関門海峡を越え、長州藩が幕府側の小倉藩に攻め入った際、孤立した小倉藩は城を焼いて退却、香春(現田川市の一部)に藩庁を移しました。長州藩がこの追撃に使用した道でもあるようです。小倉、徳力、呼野、採銅所、香春、猪膝、大隈、千手、秋月、野町、松崎、府中の12宿で「秋月街道」は構成されています。○小倉市街地の歩行小倉常盤橋→井筒屋DP横→旦過橋→香春門口跡→三萩野→片野→城野→北方(陸自40連隊前、北九州市立大学前)→蒲生八幡神社前→徳力嵐山口→桜橋→長行→徳吉と322号線沿いを歩き、小倉の市街地を通り抜けました。○小嵐山と紫川徳吉の左手には、「小嵐山」が見えます。徳力、長行、徳吉を流れる紫川とその沿岸の山の風景が京都の嵐...05/16秋月街道紀行:1日目(小倉宿から呼野宿)

  • 05/16探鳥記録写真:5月上旬に出会った鳥たち(オグロシギ、トウネン、キアシシギ、チュウシャクシギ、アオアシシギ、ウグイス、シジュウカラ、、ホオジロ、クロサギ、ミサゴ、ほか)

    〇5月上旬に出会った鳥たち5月上旬に出会った鳥たちを纏めました。①探鳥地は、狩尾岬、はまゆう公園、遠賀川河口、遠賀川河口堰、某田んぼでしたでした。②旅鳥:オグロシギ、トウネン、キアシシギ、チュウシャクシギ、アオアシシギ、③夏鳥:コチドリ、ツバメ、④留鳥:ウグイス、ホオジロ、カワラヒワ、ムクドリ、イソヒヨドリ、メジロ、ハクセキレイ、イソシギ、クロサギ、チュウダイサギ、コサギ、アオサギ、ウミウ、カワウ、⑤猛禽:ミサゴ、トビ、などでした。⑥又、この期間、オグロシギ、アオアシシギ、トウネンの初認が出来ました。◇5/01:狩尾岬◇05/01:はまゆう公園◇05/01:遠賀川河口◇05/02:遠賀川河口◇05/02:遠賀川河口堰◇05/04:遠賀川河口◇2025/05/05:狩尾岬◇05/05:はまゆう公園◇05/0...05/16探鳥記録写真:5月上旬に出会った鳥たち(オグロシギ、トウネン、キアシシギ、チュウシャクシギ、アオアシシギ、ウグイス、シジュウカラ、、ホオジロ、クロサギ、ミサゴ、ほか)

  • 05/16探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの飛翔、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/12(月)、狩尾岬における9:20から9:40までの記録です。クロサギの飛翔、が見れました。◇当日の周辺の模様◇クロサギの飛翔05/16クロサギの飛翔05/16探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの飛翔、)

  • 05/15中津街道紀行:5日目(松江から中津城)

    1.JR松江駅から宇島:教円寺駅を出た所、二股の道となっているが、右手の道を直進、坂を上り、その先を下ったところで、10号線を横断し前進すると右手に、「道の駅:豊前おこしかけ」があるが、神功皇妃が豊前路を巡幸した際、休憩したとの話が残っており、それから道の駅の名前がとられたのであろう。その後、10号線をしばらく進み、左折し、113号線を目指す。「八屋商店街」を通り「宇島駅前信号」で合流する。宇島の旧道を進んで行くと、左手に「教円寺」があった。鐘楼は二層三階建てかなりの高さがありそうだ。2.沓川から山国川「岩岳橋」を渡り「沓川」に入る。更に直進すると、「御境川」があった。この川が中津藩と小倉藩の境界で、藩界を示す「パネル」があった。ここより少し先の民家の庭に、「従是西小倉領」と彫られた「石標」が残されていた...05/15中津街道紀行:5日目(松江から中津城)

  • 05/15探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/11(日)、はまゆう公園における7:30から8:00までの記録です。コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ-1◇ホオジロ-2◇コゲラ05/15コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、05/15探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、)

  • 05/15探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、)

    〇某田んぼ:オグロシギ、05/10(土)、某田んぼで、オグロシギが見れました。05/15オグロシギ、05/15探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、)

  • 05/14中津街道紀行:4日目(JR新田原駅からJR豊前松江駅)

    ○JR新田原駅から空自築城基地10号線を耽々と歩きます。稲童地区を通り、「音無川」を渡ると築城町に入りました。航空自衛隊の「築城基地」があり、基地周りの鉄条網、管制塔等、普段では見れない光景を目にいたしました。○築城基地から西之橋ここを通過し、「城井川」を渡ると椎田地区です。10号線から右側:山側に少し入った所に道標がありました。道標には「北:小倉道、南:求菩提道、東:中津道」と彫られていました。再び10号線の方に戻り、「高塚信号」から海側の旧道に入ります。旧道をしばらく歩き丁度桜が満開の「西之橋」を渡り、そのまま旧道を歩き続ける。一旦、「真如寺川」の所で10号線に出るが、「湊信号」の所で左折し再び湊旧道に入る。湊旧道は造り酒屋もあり、昔ながらの旧道の面影が残っているようだ。「金冨神社」を通過し、「滝の本...05/14中津街道紀行:4日目(JR新田原駅からJR豊前松江駅)

  • 05/14探鳥記録写真-2:(キアシシギ、トウネン、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/10(土)、遠賀川河口で、キアシシギ、トウネンの群れ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ、トウネンの群れ05/14キアシシギ&トウネン、05/14探鳥記録写真-2:(キアシシギ、トウネン、)

  • 05/14探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、アオアシシギ、)

    〇某田んぼ:オグロシギ、05/09(金)、某田んぼで見れたオグロシギ、アオアシシギ、です。◇アオアシシギ◇オグロシギ05/14探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、アオアシシギ、)

  • 05/13日記:5月の満月 フラワームーン

    〇5月の満月フラワームーン05/13(火)、21:07北九州上空に浮かんだ5月の満月フラワームーンです。ネイティブアメリカンが、作物の収穫や狩猟などの目安にするために名付けたと言われる、満月のネーミング。5月の満月は「フラワームーン」と呼ばれ、暖かな季節を迎え、たくさんの花が咲くことが由来と言われています。05/13日記:5月の満月フラワームーン

  • 05/13中津街道紀行:3日目(苅田宿から新田原へ)

    小波瀬橋から今川橋を目指すこれを渡ると「行事」地区である。更に進むと右手に「行橋行事簡易郵便局」がある。その横に「行事飴屋」があった。約200年にわたって豊前有数の豪商として栄えた所らしい。○行事飴屋長峡川に架かる「万年橋」を渡る。長峡川河口はかつて有数な港としての役割を果たしていたらしい。藩の御庫所や在郷商人の浜庫が並び、豊前国では、小倉の町に次いで賑やかな町であったらしい。大橋のアーケード商店街の道は狭く、これが旧道であったと思われる。商店街通過の後、右手に「大橋正八幡神社」があった。その後、「万福寺」の前を通り、「今川橋」を渡る。下流には「豊国橋」が見えた。○正八幡神社今川橋からJR新田原駅を目指すしばらく直進すると「京都高校前」で道が分岐していた。左手の道を進むと10号線と交差する「羽根木」に出ま...05/13中津街道紀行:3日目(苅田宿から新田原へ)

  • 05/13探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ガビチョウ、シジュウカラ、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/08(木)、はまゆう公園における7:30から8:00までの記録です。ガビチョウ、シジュウカラ、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ムクドリ◇ホオジロ◇シジュウカラ◇ガビチョウ05/13ガビチョウ、シジュウカラ、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、05/13探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ガビチョウ、シジュウカラ、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、)

  • 05/13探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(トウネン、キアシシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/08(木)、遠賀川河口において、トウネン、キアシシギの混群が見れました。トウネンは今季初認です。◇当日の周辺の模様◇カワウ◇キアシシギ、トウネンの混群◇トウネン:シーン1◇トウネン:シーン2◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン205/13キアシシギ、トウネン、05/13探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(トウネン、キアシシギ、)

  • 05/12中津街道紀行:2日目(下曽根宿から苅田宿)

    ○下曽根駅から朽網下曽根から朽網への街道は「千間土手」と呼ばれていたらしい。細川忠興が新田を開き、沖土手を築いた。この千間土手の左手には広い干拓地が続いている。「曽根新田」である。その沖には「北九州空港」が近年(2006)に開港した。朽網に着く手前に巨大な花崗岩の「帝踏岩(タイトウイワ)」があった。(景行天皇が貫山の土蜘蛛を討つ為に戦勝祈願をしたという伝説が残っている)○帝踏岩(タイトウイワ)○朽網からJR西工大駅朽網を通過後、東陶工場、10号バイパスの建設等で旧道はぷっつりと途絶えてしまった。東陶工場の前を走る国道10号はなだらかな上り坂。この峠は狸山といい応仁戦乱や豊長戦争では激しい攻防があったらしい。狸山の峠を越えると京都郡苅田町。10号線から右手に入ると、神田町から京町まで旧道が残っていた。左手に...05/12中津街道紀行:2日目(下曽根宿から苅田宿)

  • 05/12探鳥記録写真-2:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/07(水)、遠賀川河口において、多数のキアシシギが見れました。◇当日の周辺の模様◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン505/12キシシギ三昧、05/12探鳥記録写真-2:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ三昧、)

  • 05/12探鳥記録写真(某田んぼ:セイタカシシギ、)

    〇某田んぼ:セイタカシシギ05/07(水)、某田んぼで3羽のセイタカシギが見れました。05/12セイタカシギ05/12探鳥記録写真(某田んぼ:セイタカシシギ、)

  • 05/11中津街道紀行:1日目(小倉常盤橋から下曽根宿)

    1.常盤橋から湯川まで現在、飲食店が多く、歓楽街風の紺屋町を通過すると、昔の外濠と思われる所に「中津口」がありました。これから城外となったようです。熊本町、熊ケ池、黒原までは細い道が残っており、昔の面影が残っていました。霧ケ丘は六車線の広い道路となっていましたが、湯川からは狭い旧道が残っていました。○中津口○湯川「和気清麻呂が入湯して足が立った」との伝説の地で、「湯川」の地名や「足立山」という山名があり、清麻呂ゆかりの「水神社」や「葛原八幡神社」がありました。○葛原「葛原」から坂道を下り、竹馬川にかかる「唐戸橋」を渡り、かつての宿場町としての面影が残る「下曽根宿」に着きました。05/11中津街道紀行-1(小倉常盤橋~下曾根宿、)05/11中津街道紀行:1日目(小倉常盤橋から下曽根宿)

  • 05/11探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/07(水)、はまゆう公園における8:50から9:20までの記録です。ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇メジロ◇カワラヒワ-1◇カワラヒワ-2◇ムクドリ◇ホオジロ◇ウグイス05/11ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、05/11探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、ホオジロ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、)

  • 05/11探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/07(水)、狩尾岬における8:20から8:40までの記録です。クロサギの採餌模様、が見れました。◇当日の周辺の模様◇クロサギの採餌模様05/11クロサギの採餌模様、05/11探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの採餌模様、)

  • 05/10唐津街道紀行:10日目(浜崎宿から唐津宿)

    ○浜崎宿から虹の松原を歩行します。「三保の松原」「天橋立」と共に日本三大松原と言われる松原を歩くのは初めてですのでワクワクとした気持ちになります。静かな松原を歩行してしばらくすると、対馬藩と唐津藩の境界点を示す「国境石」がありました。何で対馬藩?と思うのが自然だと思います。長崎街道の轟木宿でも同様な場面をみましたので今回は驚きませんでした。(飛び領とかいうものがあったようです)立派な「大嵩の松」に驚き前進しますと「二軒茶屋」に出会いました。ここで小休止。○国境石(対馬藩:飛び地と唐津藩との境界)○二軒茶屋○国民宿舎右手に国民宿舎を見てしばらくしたところで、松林が消滅したようです。二里松原とも言われているようですので二里は歩いてきたはずです。○唐津宿に入るここから炎天下、古い東唐津の町並みを通り、「唐津城」...05/10唐津街道紀行:10日目(浜崎宿から唐津宿)

  • 05/10探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、アオアシシギ、)

    〇某田んぼ:オグロシギ、アオアシシギ、05/06(火)、某田んぼで、オグロシギ、アオアシシギ、が見れました。オグロシギは今季2度目の出会いでした。(05/03(土)、遠賀川河口で初認)◇アオアシシギ◇オグロシギ05/10オグロシギ、アオアシシギ、05/10探鳥記録写真(某田んぼ:オグロシギ、アオアシシギ、)

  • 05/09唐津街道紀行:9日目(大入宿から浜崎宿)

    ○大入宿から福吉宿へまずは、大入宿の「庚申塔」を右横目に、福吉宿へ向かう。大入宿、福吉宿とも202号線に沿って旧道が海側を走っている。左手に「女岳」「浮嶽」を見て、真っ直ぐに西へ伸びた旧道を歩く。左右には立派な屋敷群が散見される。○立花峠を越え鹿家宿へ(しかか)福吉宿の外れから国道を横切り「西縄手第三踏切」を跨ぎ、「立花峠」を目指す。炎天下の中、急坂を登るのはかなりきつい。峠を越え、鹿家(しかか)の旧道を歩く。○真っ暗な自然道を通る途中、民家の横から、狭い「自然道」となり、真っ暗の中をマムシを気にしながら慎重に進む。突然、明るくなり、みかん畑に出た。又、右手にキラキラ輝いている玄海灘が望めた。みかん畑に沿った旧道を下って行くと202号線に出た。○県境へ出る右手に玄海灘を眺めながら、しばらく前進すると、「国...05/09唐津街道紀行:9日目(大入宿から浜崎宿)

  • 05/09探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/05(月)、はまゆう公園における7:50から8:20までの記録です。ウグイス、コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ◇コゲラ◇ウグイス05/09ウグイス、コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、05/09探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ウグイス、コゲラ、ホオジロ、カワラヒワ、)

  • 05/09探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、イソシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/05(月)、遠賀川河口において、キアシシギの群れ、イソシギ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン4◇キアシシギ:シーン505/09キアシシギ、イソシギ、05/09探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、イソシギ、)

  • 05/08唐津街道紀行:8日目(周舟寺宿から大入宿)

    ○周舟寺宿○前原宿1時間程で「前原宿」に到着。入口に立った時、昔風の家並みが並んでおり、ワクワクした気持ちとなった。期待通り、保存状態も良く、「脇本陣跡の綿屋」、「問屋場跡」、「代官所跡」、「追分石」等の遺構を見物する事が出来た。その後深江宿を目指し、202号線沿いにほぼ並行している旧道を耽々と歩く。神在地区に入ると、「西宮神社」、「諏訪神社」、「熊野神社」等神社が一杯あった。それで、神在地区と言うのかな?、更には「銚子塚古墳」もあり懐古趣味の私を楽しまさせてくれた。神在地区の外れには「加布里追分石」があり、これから旧道にはいるが昔のままのようであった。「松末稲荷」の前を通ると、「石橋(羅漢橋)」があり、いよいよ深江宿である。○深江宿「大燈篭」前を左折すると、一直線に大きな「屋敷群(旧家)」が連なっており...05/08唐津街道紀行:8日目(周舟寺宿から大入宿)

  • 05/08探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、イソシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/04(日)、遠賀川河口において、キアシシギの群れ、イソシギ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇キアシシギ:シーン1◇キアシシギ:シーン2◇キアシシギ:シーン3◇キアシシギ:シーン405/08キアシシギ、イソシギ、05/08探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、イソシギ、)

  • 05/08探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/05(月)、狩尾岬における7:20から7:40までの記録です。ミサゴの飛翔、が見れました。◇当日の周辺の模様◇ミサゴの飛翔05/08ミサゴの飛翔、05/08探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(ミサゴの飛翔、)

  • 05/07唐津街道紀行:7日目(西新宿から周舟寺宿)

    藤崎で「猿田彦神社」が進行方向の左側にありました。「室見橋」を渡り、しばらくすると右手に「愛宕神社」が見えました。ほどなく「姪浜宿」に到着。ほぼ昔のままの姿で町屋が保存されているようです。街道歩きの人間にとっては心が落ち着きます。縁起の良い開運神社で有名な「住吉神社」の前を通り先を急ぎます。「JR下山門駅」前位から、「生の松原」が広がりを見せました。浜辺に出て「元寇防塁跡」を探しましたが、通り越したようです。眼前にはベタなぎの中、「能古島」が浮かんでいます。右手遠くには「姪の浜地区」が見えます。やはり海は良いものだとつくずく感じました。それからは、海岸沿いの道となり、遠くに「今宿」が見えてきました。今宿は都市化の影響で古さが失われているように感じました。ただ、「追分石」に出会った時は、ホットいたしました。...05/07唐津街道紀行:7日目(西新宿から周舟寺宿)

  • 05/07探鳥記録写真-2:遠賀川河口堰の鳥たち(ミサゴの狩り模様、サギ三種、カワウの飛翔、)

    〇遠賀川河口堰の鳥たち05/03(土)、遠賀川河口堰において、ミサゴの狩り模様、チュウダイサギ、コサギ、アオサギ、カワウの飛翔、が見れました。◇当日の周辺の模様◇コサギ◇アオサギ◇チュウダイサギ◇カワウの飛翔◇ミサゴの狩り05/07ミサゴの狩り模様、三種のサギ、カワウの飛翔、05/07探鳥記録写真-2:遠賀川河口堰の鳥たち(ミサゴの狩り模様、サギ三種、カワウの飛翔、)

  • 05/07探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(オグロシギ、キアシシギ、イソヒヨドリ♂、カワウ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/03(日)、遠賀川河口において、オグロシギ、キアシシギ、イソヒヨドリ♂、カワウ、が見れました。オグロシギは、今季初認です。◇当日の周辺の模様◇カワウ◇イソヒヨドリ♂◇キアシシギ-1◇キアシシギ-2◇キアシシギ-3◇キアシシギ-4◇オグロシギ◇オゴロシギ&キアシシギ05/07オグロシギ、キアシシギ、イソヒヨドリ♂、カワウ、05/07探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(オグロシギ、キアシシギ、イソヒヨドリ♂、カワウ、)

  • 05/06唐津街道紀行:6日目(箱崎宿から西新宿)

    「崇福寺」は臨済宗大徳寺派の寺院で福岡黒田藩の菩提寺でもあるそうだ。山門は福岡城の本丸表御門が移設されたものらしい。その後、石堂地蔵尊、濡衣塚、梵字板碑を見て、「石堂橋」を渡る。左側には古刹が並んでいる。昭和通りと並行して走る旧道を往く。しばらくすると国の重要文化財である「赤煉瓦文化館」があった。この裏側には「水鏡神社」があった。建ち並ぶオフィスビル谷間にひっそりと建つ「水鏡天満宮」は、学問の神様・菅原道真を祀っている。九州最大の繁華街「天神」の地名は、天神様を祀るこの神社に由来しているらしい。天神で休憩・昼食の後再び歩行するも、都市化が著しく旧道が見出せない。大手門で、「藩校修猷館跡」を見つけた。その後、唐人町商店街を経て、「鳥飼八幡宮」、「金龍寺」前を通り、西新商店街に至り、本日の目標を達成した。05...05/06唐津街道紀行:6日目(箱崎宿から西新宿)

  • 05/06探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、コチドリ、イソシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/02(金)、遠賀川河口における8:00から8:20までの記録です。キアシシギ、コチドリ、イソシギ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇コチドリ◇キアシシギ-1(3羽)◇キアシシギ-2(2羽)◇キアシシギ-3(1羽)05/06キアシシギ、コチドリ、イソシギ、05/06探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(キアシシギ、コチドリ、イソシギ、)

  • 05/05唐津街道紀行:5日目(青柳宿から箱崎宿)

    青柳宿の古い醤油屋、太宰府神社道、青柳宿構口を横目に香椎へ向かう。五所八幡宮前を通過し、しばらくすると、太閤が名護屋出陣の際、飲んだと言われる「太閤水」に出会った。その後、「夜泣き観音」前を通過し、国道3号線を横切りしばらくするとると、新宮和白境の「古道(殿様道)」に入った。薄暗い自然道を耽々と歩行する。古道を抜けると、明るくなり眼前には「立花山」が見える。島津軍の猛攻に耐えた立花城址があるそうだ。一旦、3号線に出るも、再び旧道に入る。「あきあかね工房」前の道路が旧道である。秋山町を通り、鹿児島本線を跨線橋を渡ると香椎に着いた。旧官幣大社の「香椎宮」の横を通り、多々良中の前を通過し、しばらくすると、雨乞いの神として祀られている「わくろ石」があった。その後、旧道にある「大橋」「新橋」を渡り、「箱崎宿」に入る...05/05唐津街道紀行:5日目(青柳宿から箱崎宿)

  • 05/05探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ヒヨドリの渡り模様、キジバト、ホオジロ、カワラヒワ、)

    〇はまゆう公園の鳥たち05/01(木)、はまゆう公園における8:10から8:40までの記録です。ヒヨドリの渡り模様、キジバト、ホオジロ、カワラヒワ、に出会えました。◇当日の周辺の模様◇カワラヒワ◇ホオジロ◇キジバト◇ヒヨドリの渡り模様05/05ヒヨドリの渡り模様、キジバト、ホオジロ、カワラヒワ、05/05探鳥記録写真-2:はまゆう公園の鳥たち(ヒヨドリの渡り模様、キジバト、ホオジロ、カワラヒワ、)

  • 05/05探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(チュウシャクシギ、キアシシギ、イソシギ、)

    〇遠賀川河口の鳥たち05/01(木)、遠賀川河口において、チュウシャクシギ、キアシシギ、イソシギが見れました。キアシシギは、今季初認です。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇イソシギ-2◇イソシギ&キアシシギ◇キアシシギ-1◇キアシシギ-2◇チュウシャクシギ05/05チュウシャクシギ、キアシシギ、イソシギ、05/05探鳥記録写真:遠賀川河口の鳥たち(チュウシャクシギ、キアシシギ、イソシギ、)

  • 05/04唐津街道紀行:4日目(畦町宿から青柳宿)

    やがて、細い自然道の「ならの木坂」と出会いました。です。坂を登り切ると急に視界が開け、県道と合流しました。この県道を横切り、左側の坂を登ると「玄望坂」、この辺りに「駕籠立場」あるはずですが見つけることは出来ませんでした。旧道が消え、道に迷いながら、進みますと「旦ノ原の井戸」に出会いました。旧糟谷・宗像二群、村境にあり旅人はここで喉を潤したとの事です。「二群、四ケ村の井戸ひとつ」とも呼ばれたそうです。その後、「唐津街道道標」、「畦町への道標」を見つつ前方へ進みます。「大根川」を渡り、高速道路ガード下をくぐり、「青柳四角」に到着しました。炎天下の中、良く頑張りました。05/04唐津街道紀行-5(畔町宿、~青柳宿、)05/04唐津街道紀行:4日目(畦町宿から青柳宿)

  • 05/04探鳥記録写真-2:某鉄塔上のミサゴ

    〇某鉄塔上のミサゴ05/01(木)、早朝、某鉄塔上でミサゴが見れました。05/04鉄塔上のミサゴ、05/04探鳥記録写真-2:某鉄塔上のミサゴ

  • 05/04探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの飛翔、イソシギ、)

    〇狩尾岬の鳥たち05/01(木)、狩尾岬における7:30から8:00までの記録です。クロサギの飛翔、イソシギ、が見れました。◇当日の周辺の模様◇イソシギ◇クロサギの飛翔05/04探鳥記録写真:狩尾岬の鳥たち(クロサギの飛翔、イソシギ、)

  • 05/03唐津街道紀行:3日目(赤間宿から畦町宿)

    赤間宿の模様一時間程歩き、原町交差点を右折した途端、古き懐かしさを残す町並みに出会いました。町並みには、「唐津街道原町」と書かれた木製の「辻行灯」が並んでいます。ここは福岡と唐津の大名が参勤交代する時に通った道で、赤間宿と畦町宿の中間に位置し、明治から大正にかけても様々な商店が建ち並び大変な振わいだったそうです。旧家を利用した古美術商等個性的な店がありました。大穂町の「唐津街道標識」を見て更に進みますと「太閤水」の標識のある井戸に出会いました。この井戸は、太閤が島津征伐の途中に、この清水でのどをうるおしたと言われており、地元では「太閤水」と呼んでいます。黒田藩は参勤交代の際に赤間宿と青柳宿を指定していましたが、宿場間が約4里と遠すぎるということで、新たに形成されたのが畦町宿です。畦町宿は、宿泊のための宿場...05/03唐津街道紀行:3日目(赤間宿から畦町宿)

  • 05/03探鳥記録写真:4月下旬に出会った鳥たち(チュウシャクシギ、オオヨシキリ、コチドリ、イソシギ、イソヒヨドリ、ホオジロ、カワラヒワ、ミサゴ、クロサギ、など)

    05/03探鳥記録写真:4月下旬に出会った鳥たち(チュウシャクシギ、オオヨシキリ、コチドリ、イソシギ、イソヒヨドリ、ホオジロ、カワラヒワ、ミサゴ、クロサギ、など)

  • 05/02唐津街道紀行:2日目(芦屋宿から赤間宿)

    2日目:芦屋宿から赤間宿札所、須賀神社、氏森宮と出会った後、海老津の町に出た。海老津から右手に城山を仰ぎ1時間程耽々と歩く。赤間宿と表示されたモニュメントの前に到着。赤間宿を見学する。唐津街道の宿駅、筑前二十一宿のひとつである赤間宿。街道筋には、旅館や商家が立ち並び、この付近一帯の交通、文化、経済の中心であったそうだ。現在も辻井戸や造り酒屋をはじめとする商家等、江戸時代からの建物が多く残っている。造り酒屋の一つは、出光の創業者「出光佐三」の生家であるそうだ。05/02唐津街道-2(芦屋宿~赤間宿、)05/02唐津街道紀行:2日目(芦屋宿から赤間宿)

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