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上田市
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上田市
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2013/06/15

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  • 旧中島家住宅

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中島家住宅は18世紀末に建てられています。間口10間(18..2m)、奥行3間半(6.3m)、寄棟造り、茅葺き、平入で、主屋の後ろに3間半(6.3m)、4間(7.3m)の「つの屋」を逆T字型に取り付けています。昭和51年(1976)に砺波市の有形文化財に指定されています。中嶋家は代々江波村の肝煎(村長)を務めていた家柄で、旧中島家住宅は江波に建てられていました。昭和51年(1976)に砺波チューリップ公園内に移築保存されました。内部はオイ(広間)を中心に座敷、ネワ(土間)、茶の間、台所、ヘヤ(寝室)が配された砺波地方の典型的な農家です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブロ...旧中島家住宅

  • 旧中越銀行本店

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中越銀行本店は砺波郷土資料館になっています。中越銀行は砺波地方の地主層の発起で明治27年(1894)に設立されています。この旧本店は明治42年(1909)に建てられたもので、昭和57年(1982)に砺波市の有形文化財に指定されています。中越銀行は昭和18年(1943)に統合して北陸銀行になっています。旧中越銀行本店は洋風を取り入れた土蔵造り2階建て、入母屋造り、妻入り、銅瓦棒葺き(元は本瓦葺き)で、三方に下屋をおろし、後方にT字型に入母屋根を組合わせています。間口9間(16.36m)で、奥行は10間(18.79m)あります。内部は吹抜けの営業室を中心に、三方をロビーで囲み、化粧材はすべて欅を用いて、全体をコリント様式の彫刻でまとめています。現在は、砺波...旧中越銀行本店

  • 砺波チューリップ公園

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。砺波チューリップ公園は富山県の県花、砺波市の市花であるチューリップを中心に四季折々の花を楽しみながら散策できる都市公園(総合公園)です。300万本のチューリップや、コキア、パンジーなどが咲き乱れます。チューリップ公園のシンボルのチューリップタワーを中心に公園内外には日本最大級の五連陽水水車やチューリップ四季彩館、砺波市美術館、砺波市指定有形文化財の砺波郷土資料館(旧中越銀行本店)や、旧中島家住宅、SL中越弁慶号などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/砺波チューリップ公園

  • 永安寺

    富山県高岡市戸出町に永安寺(えいあんじ)があります。海雲山永安寺は曹洞宗のお寺です。明徳4年(1393)に瑞雲恵俊により礪波郡下中条村に「海雲寺」として創建されました。寛永20年(1643)に豪農で十村役の川合家の当主・3代目川合又右衛門広満が現在地に海雲寺に移し「永安寺」と改め、川合家歴代の菩提寺としました。昭和33年(1958)、戸出御旅屋{加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に前田利常によって建てられた建物}が老朽化のため取り壊され、正門だけが川合家が払い下げを受けた関係で永安寺に移築されました。御旅屋の門としての価値が認められ、昭和42年(1967)には高岡市指定文化財に指定されました。平成25年(2013)にこの門は戸出コミュニティセンターに移築・修復されています。永安寺には本...永安寺

  • 戸出御旅屋の門

    富山県高岡市戸出町の戸出コミュニティーセンターの入口に戸出御旅屋の門(といでおたやのもん)が復元されています。戸出御旅屋は加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に本町(現在の戸出町3丁目北陸銀行戸出支店付近)に加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね:前田利家の4男)の命で建てられました。御旅屋門はその正門として上使街道沿いに建てられていました。豪農で十村役の川合家が管理していましたが、わずか45年で川合家に払い下げられました。御旅屋の建物の一部は昭和33年(1958)まで残っていましたが、老朽化のため取り壊されました。門だけは川合家の菩提寺である永安寺に運ばれ、平成25年(2013)に戸出コミュニティセンターに移築されました。移転・修復された御旅屋の門は高さ5.1m、幅10.8m、奥行3...戸出御旅屋の門

  • 厳照寺の梵鐘

    富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺の梵鐘は寛永15年(1638)に砺波郡西保(現在地ー高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたものです。鐘身96cm、竜頭(りゅうず)21cm、口径(外径)70cmの銅製です。江戸時代的な過飾はみられず、室町時代様式を踏襲しています。昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺の梵鐘

  • 厳照寺の門杉

    日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/r="0">厳照寺の門杉

  • 厳照寺

    富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。室町時代の明徳元年(1390)、本願寺5世の綽如上人(1350-1393)が開いたのが始まりと伝えられています。厳照寺は天正13年(1585)11月の大地震で庄川が大洪水になり境内が流されたため移転し、正保4年(1647)、加賀藩から100間4方のこの地を与えられ移りました。本尊の木造阿弥陀仏如来像は恵心僧都(源信)が刻んだといわれ、昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺

  • 千光寺観音堂

    富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の観音堂は文政2年(1819)に井波大工棟梁の松井角平恒徳によって建てられています。間口11.8m、奥行14.25m、正面に唐破風の向拝が付けられています。入母屋の建物をT字型に組み合わせた複合入母屋造りで、総欅の銅板葺きです。向拝の迫力のある龍の欄間や「竹に虎」の彫刻、室内の欄間の唐獅子彫刻は見ごとです。観音堂は昭和50年(1975)に砺波市の有形文化財に指定されています。本尊の聖観世音菩薩は銅で造られた秘仏で、富山県指定文化財です。白鳳期の特色をもつ童顔・童形像で三面飾りの唐式宝冠をつけた頭部と肩は大きく、腕は長い造りです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...千光寺観音堂

  • 千光寺御幸門

    富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の御幸門は通用門で、高岡市の国宝瑞龍寺にあった裏門を明治5年(1872)に移築した門です。武家屋敷や大寺院の正門に多い「一間薬医門」様式で、高さ5.3m、幅5.5mです。北陸では最古級のもので、砺波市の有形文化財に指定されています。昭和44年(1969)に砺波市で全国植樹祭が開かれた際、昭和天皇が通られたことから御幸門と呼ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/千光寺御幸門

  • 千光寺山門

    富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の山門は入母屋造り、間口3.8間(6.9m)、奥行2.3間(4.2m)、本瓦葺き、総欅造り、禅宗様形式の、三間一戸の八脚二階二重楼門です。第64世・行編の時の寛政9年(1797)に井波大工棟梁・柴田清右衛門によって建立されました。二階二重門は、県内には瑞泉寺、瑞龍寺、善徳寺と千光寺の4ケ所しかなく、この形式の門としては県内最古の建物です。山門は江戸時代後期の楼門建築の遺構として大変貴重で平成12年(2000)に砺波市指定文化財に指定されています。また附として山門棟札、山門棟上一巻覚帳も同様に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...千光寺山門

  • 木造聖観音立像

    富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。木造聖観音立像は、もとは山田村の宿坊に安置されていたと伝えられています。像高185.8㎝で、栴壇の一木造りです。木造十一面観音立像よりも早い時期に造られたと思われます。力強く神秘的で、大正15年(1926)に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造聖観音立像

  • 常楽寺本堂

    富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。常楽寺本堂は間口6間、奥行6間の木造平屋建て、宝形造り、桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。昭和59年(1984)に再建された建物です。内部の内陣には本尊である大日如来像が安置され、新西国観音三十三札所第25番札所、北陸三十三観音霊場第29番札所になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常楽寺本堂

  • 常楽寺

    富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。法界山常楽寺は高野山真言宗のお寺です。大宝2年(702)、文武天皇の勅願により行基が開いたのが始まりと伝えられています。仁寿2年(852)に常楽寺の寺号を賜り、七堂伽藍が建ち並ぶ大寺だったそうです。戦国時代、上杉謙信や武田信玄が越中に侵攻し、堂宇は焼失し衰退しました。寛永年間(1624-1644)に立藩した富山藩から庇護され再興されました。大正15年(1926)に2体の観音像が国宝に指定され(現在は国指定重要文化財)、観音堂、本堂が再建されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常楽寺

  • 各願寺観花の詠

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。2代藩主前田正甫によって詠まれた「各願寺観花の詠」の掛幅装が各願寺の寺宝として保存されています。縦31.0cm、横45.2cmの紙本墨跡(しほんぼくせき)の掛幅装で富山市の文化財に指定されています。初冬の頃の雪景色を詠んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺観花の詠

  • 寺領寄進状

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の寺宝に初代富山藩主・前田利次の黒印が押された寺領寄進状が残されています。縦39.9cm、横50.8cmの紙本墨跡(しほんぼくせき)の掛幅装(かけふくそう)で延宝2年(1674)のものと思われます。富山市の文化財に指定されています。朝夕の勤行を怠慢しないことと記されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/寺領寄進状

  • 絹本著色不動明王像

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の寺宝に南北朝時代から室町時代初期(14世紀後期ー15世紀初頭)に制作された絹本著色(ちゃくしょく)不動明王像があります。縦113.3cm、横59.5cmで平成11年(1999)に富山市の文化財に指定されています。元禄3年(1690)に高野山大楽院の第29代の問津より下付されたものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色不動明王像

  • 各願寺山門

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の山門は切妻造り、桟瓦葺きで、三間一戸の門です。中央部の屋根が高く左右には左甚五郎が彫刻したと伝わる仁王像が安置され、「北叡山」の山号額が掲げられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺山門

  • 各願寺本堂

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の本堂は木造平屋建て、切妻造り、桟瓦葺き、平入です。間口は8間あり、正面に1間の唐破風向拝が付けられています。外壁は真壁造り、白漆喰仕上げです。北陸白寿三十三観音霊場第26番札所。北陸三十六不動霊場第17番札所になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺本堂

  • 各願寺

    富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。北叡山各願寺は呉羽丘陵の麓にある高野山真言宗のお寺です。大宝年間(701-703)、文武天皇の勅命により仏性聖人(天武天皇第7皇子自信院一品(いっぽん)親王)が法相宗の寺として開山したのが始まりと伝えられています。平安時代初期に伝教大師最澄が各願寺を訪れ天台宗に改宗しています。2躯の木造薬師如来坐像を自ら彫り込み、1躯を各願寺の本尊に、もう1躯を比叡山延暦寺に収めたそうです。朝廷の勅願所として繁栄し、最盛期には七堂伽藍が整備され3千坊を数え、比叡山に対して北叡山と称しました。建武年間(1334-1336)に守護の井上俊清(普門利清)と対立し、国司の中院少将定清とともに立ち向かいましたが、兵火により全山焼失しました。再興後、天正3年(1575)の上杉侵...各願寺

  • 田城跡資料館

    富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。安田城入口にある安田城跡資料館では、安田城を紹介する出土品の展示のほか、映像による史跡の解説、企画展示や歴史講座を開いています。2階の展望所から背後に立山連峰がある安田城を一望できます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/田城跡資料館

  • 安田城跡

    富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。安田城は戦国時代末の平城で、東西約150m、南北約240m、約3万4千平方mあります。存城期間が短かったため改変がなく、当時の遺構がそのまま残っている全国的にも貴重な城跡で、古絵図「安田古城之図」とも一致しているため、昭和56年(1981)に国の史跡に指定されています。天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城といわれています。先鋒の前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用されました。慶長4年(1599)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従いました。その後しばらく代官平野...安田城跡

  • 旧内山邸庭園

    富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の庭園は本格的な日本庭園のように遠くの山などを借景にして池や谷を組み合わせるといったような事はしていません。屋敷から見る樹木の移り変わりや石との調和を重用しています。種類の違う梅や桜がたくさん植えられており、太い桜の大木は歴史を感じさせます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸庭園

  • 旧内山邸塀中門

    富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸塀中門は主屋の西にある客用便所に接続して建つ塀にある門です。石造の柱の上部に石造の笠木をのせた簡略な形式の門口に木戸を入れた変わった門です。塀は腰まで自然石を積み上部を切石積みにしています。明治中期(1868-1911)に造られた塀のある石造りの門で、平成10年(1998)に国の有形文化財に.旧内山家住宅塀中門として登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸塀中門

  • 旧内山邸主屋

    富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の主屋は慶応4年(1868)に建てられています。明治20年頃(1887)に南側の表座敷、書院などを増築し、明治末(1868-1911)には東側の桜香の間などを増築して現在の姿になっています。木造平屋建てで、一部2階建てのところがあります。切妻造り、瓦葺きで、建築面積は860㎡もあります。正面の玄関には式台が付いており、豪農としての格式が感じられます。長大な部材を用いた大広間や銘木を駆使した書院などの意匠は優れていて、それぞれに時代の違いがよくあらわれています。平成10年(1998)に旧内山家住宅主屋として国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...旧内山邸主屋

  • 旧内山邸表門

    富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の表門は慶応4年(1868)に建てられた木造りの薬医門です。屋根は茅葺きだったものを昭和16年(1941)に桟瓦葺きに変えています。両側には屋根塀が付いています。旧内山家住宅表門として平成10年(1998)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸表門

  • 旧内山邸

    富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸は豪農であった内山家の屋敷や庭園などを昭和52年(1977)に13代内山季友氏が富山県へ寄付した邸宅です。現在は富山県民会館の分館として一般に開放し、観覧のほか、お茶・お花などの文化的諸行事の会場などにも利用されています。映画「散り椿」のロケ地にもなりました。内山家は大永・享禄年間(1521-1531)にこの地に移り、新田開発をして大地主となりました。江戸時代には富山藩の十村役(大庄屋)を歴任し1千7百石を管理、苗字帯刀が許されました。地域の勧農・治水にあたり、たびたび富山藩主の来訪も受けています。明治以降地主制度のもとで最大の繁栄をむかえ、徳富蘇峰、若槻礼次郎ら文人、政治家らも来訪しています。3759坪の敷地内には広大な庭園が広がっています。文人などを招待し...旧内山邸

  • 富山城天守

    富山県富山市本丸に富山城があります。本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。3層4階の鉄筋コンクリート造りで、昭和29年(1954)に開かれた富山産業大博覧会を記念して建てられたもので郷土博物館となっています。平成16年(2004)に、「地域の景観の核」との評価により富山市郷土博物館(富山城)が、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山城天守

  • 富山城

    富山県富山市本丸に富山城があります。富山は加賀前田氏の支藩のひとつでした。古くは越中の豪族神保氏の居城でした。天正9年(1581)に織田家の家臣であった佐々成政が入封して、大改修を施して富山城の基礎を築きました。信長が本能寺の変で倒れた後も、成政は富山城を根拠地として越中から上杉勢を追い出し、やがて越中を平定しました。秀吉嫌いで有名だった成政は、形勢が秀吉に傾く中、有名なさらさら越えで徳川家康に謁見しました。柴田勝家滅亡後、成政は最後に秀吉の軍門に下りました。天正15年(1546)の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封させられ代わって前田氏が治めました。前田利長は隠居後、富山城に入りましたが、火事で城が全焼した為、高岡に新たに城を築いて移りました。寛永16年(1661)に3代利常の次男利次が入城し...富山城

  • 佐々成政剃髪址石碑

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村の敷地には佐々成政剃髪址の石碑が建てられています。富山城主であった成政が天正13年(1585)攻め立てる豊臣秀吉の先鋒・前田利家の軍に敗れました。成政はここで髪を剃り僧衣を着けて服従の意志を示したそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐々成政剃髪址石碑

  • 番神山横穴墓群

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村の敷地内の呉羽丘陵に番神山横穴墓群があります。昭和3年(1928)、40年(1965)、43年(1968)の土砂工事で15基の横穴墓が発見されました。奥に向かって5mほどの所に墓室(玄室)があり人骨が発見されています。古墳時代終期の有力家族墓と考えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/番神山横穴墓群

  • 考古資料館

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市には千以上の遺跡があります。日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(縄文時代)、国史跡の北代遺跡(縄文時代中期)、山陰との交流を示す墳丘墓である四隅突出型墳丘墓(弥生時代)など。昭和54年(1979)、これらの遺跡で発掘された出土品を展示・保管するためこの考古資料館は開かれました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/考古資料館

  • 売薬資料館

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。売薬資料館は300年余りの歴史を持つ「富山売薬」関係の史資料を保存・活用するために、昭和59年(1984)に開館しました。収蔵資料のうち846点は「富山の売薬資料」として、国の重要有形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/売薬資料館

  • 民俗資料館

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。民俗資料館は富山市山田の旧山田村にあった江戸時代後期に建てられた旧谷浦家住宅です。寄棟合掌造り、かや葺ぶきの農家の建物です。昭和49年(1974)に一部を改築し開館しています。囲炉裏があり、衣食住や祭礼関連の用具などを中心に展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/民俗資料館

  • 民芸合掌館

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。民芸合掌館は文久2年(1862)、富山市山田の旧山田村に建てられた山岸家の住宅を、昭和43年(1968)に移築したものです。屋根は2本の材木を山形に組み合わせた合掌造りです。柱や梁、桁はケヤキで、大黒柱には約34cm角の太いケヤキ材を使っています。梁は、「チョンナバリ」という雪の重みで自然に曲がった樹木を利用した曲梁を用い、豪雪に耐える造りとなっており、1階は住居、2層ある屋根裏は養蚕などに利用されていました。箪笥、箪笥階段、飾り棚、円卓などの家具がおかれ、火鉢などの工芸品なども展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...民芸合掌館

  • 陶芸館

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。陶芸館は明治27年(1894)に豪農の邸宅として建てられたもので、当初は市内の大塚にありました。昭和56年(1981)に移築し開館しています。木造平屋建て、切妻造り、瓦葺きの建物です。富山県西部の平野部に多く見られる「東建ち(あずまだち)」という建物で、白壁に格子状の木組みが映えます。平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。現在は富山市民俗民芸村の陶芸館として一般公開され、江戸後期から明治期の陶磁器を中心に展示されています。また皿や、湯呑の絵付け体験などもできるようになっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...陶芸館

  • 富山市民俗民芸村

    富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村は呉羽山中腹の眺望の良い緑豊かな小高い場所にあります。江戸から大正時代の古民家や蔵などを移築して利用しています。民俗・陶器・民芸品・薬業関連の博物館や考古資料館、富山市出身の水墨画家・篁牛人の美術館、土人形工房などが集められています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山市民俗民芸村

  • 富山県庁舎本館

    富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。富山県庁舎本館は、鉄筋コンクリート造り4階建て、間口89m、奥行き51m、建築面積3315㎡、延床面積13490㎡、高さ約18mの建物です。正面中央には屋根付きの車寄せがあり、左右対称のデザインになっています。富山県庁舎本館は昭和初期の庁舎建築の遺構として貴重な存在で、平成27年(2015)に国の有形文化財に登録され、平成21年(2009)には富山県教育委員会による「とやまの文化財百選(近代歴史遺産)」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山県庁舎本館

  • 富山県庁舎

    富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。富山県庁舎は、富山市の富山城近くにあり、富山県の行政を司る役所の建物群です。本館、南別館、東別館、県議会議事堂、警察本部庁舎、富山県防災危機管理センターなどがあります。富山県庁舎は、昭和5年(1930)の富山大火で焼失しました。その後の昭和10年(1935)に国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦などが監修して建てられました。第二次世界大戦中の昭和20年(1945)の富山大空襲で焼夷弾の直撃を受けましたが焼け残った数少ない建造物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山県庁舎

  • 宝寿院山門

    富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。宝寿院の山門は江戸時代中期に薬医門として建てられました。天保4年(1833)に楼門として改変し、三間一戸の楼門形式になっています。一階の上に土台を敷いてその上に二階が完全に分離して建てられています。入母屋造りの、銅板葺きで、外壁は真壁造り木部朱塗り、高欄、花頭窓が付けられています。正面には「金城山」の山号が掲げられています。昭和57年(1982)に富山市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宝寿院山門

  • 宝寿院

    富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。金城山宝寿院は高野山真言宗のお寺です。鎌倉時代初期の承久2年(1220)に建部の良瞬が開いたといわれ、立山信仰と深い関わりをもっています。応仁の乱(1467-1477)の兵火で焼失しましたが、立山権現の別当を務めた立山寺の明舜法印により再興を果たしました。最盛期には七堂伽藍が整備され繁栄しましたが、上杉謙信の侵攻で再び荒廃しました。その後、慶長4年(1599)、宗信大徳が再興し、江戸時代中期に現在地に移りました。境内に隣接する武部神社とは神仏習合し、鎮守社でしたが、明治時代初期の神仏分離令により武部神社から鰐口が移されています。本尊は大日如来で、老杉に囲まれて本堂、庫裏、位牌所、山門が建っています。山門は天保4年(1833)に楼門として改変した門で富山...宝寿院

  • 芦峅雄山神社境内杉林

    富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。雄山神社の中宮祈願殿の境内には多くの杉の巨木が残されています。苔むした境内と巨大な杉に囲まれ荘厳な気分になります。この杉は「芦峅雄山神社境内杉林」として昭和42年(1967)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/芦峅雄山神社境内杉林

  • 祈願殿

    富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。中宮祈願殿にある祈願殿は明治維新までは大講堂と呼ばれていた建物です。改新後「祈願殿」と称し、諸祭儀、御神楽などを行う所になりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/祈願殿

  • 西本殿(立山大宮社)

    富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。西本殿である立山大宮社は立山権現伊弉那岐大神を祀っています。うば堂と並び立山信仰の中心的な社殿でしたが、明治初年に落石によって倒壊しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/西本殿(立山大宮社)

  • 東本殿(立山若宮社)

    富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。東本殿である立山若宮社は文治元年(1185)鎌倉幕府が大内冠者惟森義に命じて造営したと伝えられています。現在の社殿は天正16年(1588)の造営と思われます。一間社流造り、銅板葺きですが、当初はこけら葺きの屋根でした。柱はすべて角柱で、礎石に据えられています。老朽化のため本殿外側に全体を覆う軒支柱が造られています。中世の様式を伝えるものとして昭和39年(1964)に立山町の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/東本殿(立山若宮社)

  • 雄山(おやま)神社中宮祈願殿

    富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。雄山神社は、立山雄山宮とも称し、立山を神体とする3つの神社の総称です。立山山頂にある峰本社、芦峅寺(あしくらじ)に建つ中宮祈願殿、岩峅寺(いわくらじ)に建つ前立社壇です。この3社を合わせたものが宗教法人雄山神社です。奈良時代中期の大宝元年(701)、慈興上人が開基したと伝えられ、立山権現ともいわれたそうです。慈興上人は越中国司佐伯宿祢有若の嫡男で佐伯有頼という人でした。この有頼が少年の時、白鷹と熊に導かれ立山の岩窟に行くと、雄山大神の分身が現れこの地に霊山を開くよう導かれたそうです。古来、富士山・白山と共に日本三霊山の1つとして広く信仰され、山岳信仰の霊場として崇敬されました。別当の芦峅寺、岩峅寺とともに繁栄しました。朝廷や幕府などの為政...雄山(おやま)神社中宮祈願殿

  • 岩峅寺の夫婦杉

    雄山神社の前立社壇の境内には岩峅寺の夫婦杉があります。根元から結ばれた仲の良い2本の杉です。地中で根元を共有し、地上に出るとそれぞれに、仲良くそして力強くそびえ立っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩峅寺の夫婦杉

  • 前立社壇本殿石造狛犬一対

    富山県中新川郡立山町岩峅寺に雄山神社前立社壇があります。雄山神社の前立社壇本殿に石造狛犬一対があります。玉泉院が寄進した威厳と優美さを合わせ持つ狛犬で、阿像と吽像があります。平成16年(2004)に立山町の文化財に指定されています。玉泉院は加賀藩2代藩主前田利長の正室永姫で立山寺への帰依が厚く、黒印書状22点も残されているそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/前立社壇本殿石造狛犬一対

  • 雄山神社前立社壇本殿

    富山県中新川郡立山町岩峅寺に雄山神社前立社壇があります。雄山神社の前立社壇本殿は室町時代中期の明応年間(1492-1501)に建てられたと思われます。五間社流造り、檜皮葺きで、正面に一間の向拝を設けています。斗がた(ますがた)の間に蟇股(かえるまた)があり鷹の羽の彫刻が施されています。前立社壇本殿は神社本殿建築としては北陸地方の神社本殿の中で最大の大きさを誇ります。室町時代の様式を伝える大変貴重な存在で明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/雄山神社前立社壇本殿

  • 雄山神社前立社壇

    富山県中新川郡立山町岩峅寺に雄山神社前立社壇があります。雄山神社は、立山雄山宮とも称し、立山を神体とする3つの神社の総称です。立山山頂にある峰本社、芦峅寺(あしくらじ)に建つ中宮・祈願殿、岩峅寺に建つ前立社壇です。この3社を合わせたものが宗教法人雄山神社です。奈良時代中期の大宝元年(701)、慈興上人が開基したと伝えられ、立山権現ともいわれたそうです。慈興上人は越中国司佐伯宿祢有若の嫡男で佐伯有頼という人でした。この有頼が少年の時、白鷹と熊に導かれ立山の岩窟に行くと、雄山大神の分身が現れこの地に霊山を開くよう導かれたそうです。古来、富士山・白山と共に日本三霊山の1つとして広く信仰され、山岳信仰の霊場として崇敬されました。別当の芦峅寺、岩峅寺とともに繁栄しました。朝廷や幕府などの為政者や権力者、戦国大名など...雄山神社前立社壇

  • 日石寺夫婦岩

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。日石寺の奥の高台に夫婦岩があります。上層部が2つに分かれている大岩です。仲むつまじい夫婦が寄り添うようにみえることから夫婦岩と呼ばれています。夫婦円満、家内安全、縁結びの象徴となり、神が宿る場所として祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺夫婦岩

  • 日石寺の藤水

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。富山の名水に選ばれている日石寺の藤水は大岩日石寺不動明王御霊水といわれます。元禄15年(1702)に盲目の百姓が大岩山に籠り、霊夢で山の滝の脇に藤の木があり、その根より湧き出している水を眼にかけよとお告げがあり、参詣の人に助けられながら洗ってみると眼が開いたという逸話があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺の藤水

  • 日石寺六本瀧

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。6つの龍頭から流れ落ちる六本瀧(ろっぽんだき)は、水修行の場で、一切衆生の六欲・根本煩悩を断つといわれています。毎年1月の大寒には白衣をまとった信者が滝打ちの業を行います。また、毎年6月の第2週の日曜日には、健康と修行の安全、地域の商売繁盛を願って滝開きが行われます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺六本瀧

  • 阿覚窟・厄除大師

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。阿覚窟・厄除大師は明治30年(1897)第14世の一覚和尚が安置しました。嵯峨天皇が悪疫が流行した時に、般若心経一巻を記して弘法大師に供養させたところ治まったといわれ、厄年の人が拝むと霊験があるといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/阿覚窟・厄除大師

  • 千巌渓

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。境内にある千巌渓(せんがんけい)には奇岩、飛瀑が到る所にあり、阿吽瀧、大瀧などの瀧も現れ、激しい流れが幽玄の境地を教えてくれます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/千巌渓

  • 日石寺大日堂

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。日石寺の大日堂は銅板葺きの八角円堂で法隆寺の夢殿や興福寺の北円堂と同じ形式です。大日如来は不動明王の親仏であり、天地の恵みをすべての人に平等に与えるとされています。組物は平三斗、二軒繁垂木で、昭和50年(1975)に造られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺大日堂

  • 日石寺山門

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。日石寺の山門は元禄年間(1688-1704)に建てられたもので、上市町の有形文化財に指定されています。間口3間、奥行2間の八脚楼門です。入母屋造り、桟瓦葺きです。元はこけら葺きだったようです。外壁は真壁造り板張り、上層部には高欄を回し、下層部の両側には仁王像が安置されています。柱はすべて角柱で、「大日王」の扁額が掲げられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺山門

  • 日石寺三重塔

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。日石寺境内背後にある三重塔は弘化2年(1845)に建てられた富山県最古の三重塔で、昭和57年(1982)に上市町の有形文化財に指定されています。間口3間、奥行3間の宝形造りで、屋根は桟瓦葺きです。高さ約15mで、三重塔婆、折衷様式です。柱は丸柱で、初重に四天柱と呼ばれる柱と、中央に心柱があり、外壁は造られていません。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺三重塔

  • 日石寺磨崖仏

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。大岩日石寺の高さ3.46mの磨崖仏は本尊である不動明王像で平安時代後期のものです。高僧として知られた行基が彫ったといわれ、昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。不動明王像の左右には矜羯羅(こんがら)童子と、制咤迦(せいたか)童子が彫られており、阿弥陀如来像と行基像も彫られ、5体とも国の史跡、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺磨崖仏

  • 日石寺境内

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。日石寺境内一円は大変貴重な事から名称「大岩日石寺石仏」として昭和5年(1930)に国の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日石寺境内

  • 日石寺

    富山県中新川郡上市町大岩に日石寺(にっせきじ)があります。大岩山日石寺(おおいわさんにっせきじ)は「大岩不動」「大岩のお不動さん」と呼ばれる真言宗の大本山です。神亀2年(725)、行基が開いたと伝えられています。大岩川の岩に本尊である不動明王像を彫刻し、開山したといわれています。不動明王像の左右には矜羯羅(こんがら)童子と、制咤迦(せいたか)童子が彫られており、阿弥陀如来像と行基像も彫られています。5体とも国の史跡、国の重要文化財に指定され、古くから眼病に霊験あらたかな仏として信仰を集めています。古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺院として名を馳せました。広い境内には洞窟、奇岩、飛瀑の千巌渓があり、滝行などの修行体験ができることでも有名です。天正年間(1573-...日石寺

  • 立山寺の「らかんまき」

    富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。立山寺の「らかんまき」は本堂の左側にあり古木の風格があります。樹齢は約400年といわれ、樹高10m、根回2.07mで昭和52年(1977)に上市町の天然記念物に指定されています。「らかんまき」は「いぬまき」の変種とされ、中国原産で九州南部、沖縄に自生する常緑高木です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/立山寺の「らかんまき」

  • 立山寺のギンモクセイ

    富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。立山寺のギンモクセイ(キンモクセイ)は本堂前に左右一対で植樹されています。暖帯性の常緑広葉樹で古来より悪魔を追い払う信仰から植えられています。樹齢は約300年で樹高9.0m、幹周2.5mあり昭和43年(1968)に上市町の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/立山寺のギンモクセイ

  • 栂(トガ)の並木

    富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。総門に続く参道には、樹齢400年、高さ20m、太さ3mもある栂(トガ)の並木が続いています。これらは富山県の天然記念物に指定されています。栂の木は北陸固有の呼称で、正式には樅(モミ)の木のことです。總持寺祖院から三大将軍家光の寛永期、十六世拗山是越大和尚時代に植樹されたと伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/栂(トガ)の並木

  • 大徹宗令禅師頂相

    富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。木造の大徹宗令禅師の頂相(肖像)は室町初期の寄木造りの作品で、高さは1m近くあり、富山県の重要文化財に指定されています。大徹禅師は、曹洞宗大本山總持寺第2祖峨山韶碩禅師の高弟5哲の1人でした。富山県や北陸一円、新潟、山形、福島、秋田、岐阜などに多くのお寺を創建し、応永15年(1408)にこの立山寺で亡くなったといわれています。この頂相はその直後に造られたようです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大徹宗令禅師頂相

  • 立山寺

    富山県中新川郡上市町眼目に立山寺(りゅうせんじ)があります。眼目山立山寺は上市町眼目(さっか)地区にあり、「さっかのてら」とも呼ばれています。眼目(さっか)村は咲花とか察花と書かれたようです。3代藩主前田利常が訪れた時、眼目(がんもく)山立山寺の由緒を聞き、「眼目」を「さっか」と読ませるようにしたそうです。立山寺は建徳元年(1370)、大本山總持寺(そうじじ)の第2祖・峨山紹磧(がさんじょうせき)禅師の高弟・大徹宗令禅師によって創建された曹洞宗の名刹です。大徹褝師が巡錫でこの地を訪れ、座禅修行を行っていた時、立山権現の化身と思われる男が現れ7日間にわたり対坐し開山を約束したのが始まりと伝えられています。開山を約束した夜、突然天候が崩れ、近くの上市川が大洪水となり数千本の大木が流れ着き、翌日には立山権現を守...立山寺

  • 明善寺のイチイ

    明善寺のイチイは岐阜県の天然記念物に指定されています。根元の幹周囲2.6m、目通り幹周囲3.5m、樹高10.6mです。このイチイは、文政10年(1827)に本堂再建の折に副棟梁の与四郎が鐘楼門の横に記念木として植樹したものといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明善寺のイチイ

  • 旧遠山家民俗館

    岐阜県大野郡白川村御母衣に旧遠山家民俗館があります。旧遠山家民俗館は白川郷の代表的な合掌造り民家として、昭和46年(1971)、国の重要文化財に指定され、村立の民族館として一般公開されています。遠山家は大正9年(1920)の国勢調査では家族数31人と、白川村で屈指の大家族制を維持した旧家です。桁行22m(11間半)、梁間13.3m(6間半)、1重4階の大型合掌造り民家です。へんちや(便所)の柱に文政10年(1827)の墨書があり、その頃の建立とみられています。手と手を合わせたような急勾配の屋根の形は合掌造りといわれ、豪雪地帯のこの地で雪を落としやすくし、屋内を幾階にもわけて活用できました。1階は住居として、1層から3層は主に養蚕用に使用されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www....旧遠山家民俗館

  • 明善寺庫裏

    明善寺の庫裏は桁行22.1m、梁間12.1mの合掌造り大きな建物で切妻造り、茅葺きで岐阜県の重要文化財に指定されています。江戸時代末期、高山の大工により建てられたもので、現在は「明善寺郷土館」として一般公開されています。5層の庫裏は、白川郷でも最大規模の合掌造りで、屋根の勾配は60°近くあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明善寺庫裏

  • 明善寺本堂

    明善寺の本堂は文政10年(1827)に建てられた建物で、白川村の重要文化財に指定されています。桁行15.07m、梁間14.3m、入母屋造り、茅葺きです。正面前及び左右(北・南側にあたる)中央にかけて縁があり、南側はその奥花部屋、北側は半鐘部屋、東側は後堂、そして中央に外陣・内陣があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明善寺本堂

  • 明善寺鐘楼門

    明善寺の鐘楼門は享和2年(1801)に建てられた門で、桁行1間、梁間2間2階建、寄棟造り、茅葺きです。門と鐘楼を兼用したもので、正面は柱間12尺8寸を1間とし、中央に蟇股を置いています。2階は、鐘楼で方1間、周囲に勾欄を廻し、柱は唐獅子の木鼻付き虹梁になっています。岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明善寺鐘楼門

  • 明善寺郷土館

    岐阜県大野郡白川村荻町に明善寺郷土館があります。松原山明善寺は浄土真宗のお寺で、荻町合掌集落の北側にあります。延享5年(1748)の創建といわれていますが定かではありません。始めは村内の内ケ戸にありましたが、白川八幡神社別当寺・仙光院の後継となり明善寺となったそうです。明善寺は本堂や庫裏、2層の鐘楼門など、全ての建物が茅葺きという珍しい合掌造りのお寺です。江戸期に高山の大工によって建てられ、他の合掌造り家屋と同じく、地元飛騨の匠の技が存分に生かされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明善寺郷土館

  • 墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)

    岐阜県大垣市墨俣町墨俣に墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)があります。墨俣一夜城は町興しの一環で「歴史資料館」として平成3年(1991)にオープンした4層6階建の模擬天守閣です。ここでは前野家古文書に基づいて「墨俣築城への道」を紹介し、太閤・秀吉について説明しています。墨俣城は織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎に命じて造らせた砦です。藤吉郎は奇略をめぐらし、一夜のうちに櫓を立て、城のように見せかけたので、敵が驚いて敗走したという伝説的な城址です。墨俣城の築城の詳細は伝説的ですが、ここは古くから交通の要衝で、戦国時代当初は斎藤氏側に属し、領地を接する織田信長とは度々戦場となっています。墨俣城は信長が後に岐阜城となった稲葉山城を攻略したあとは戦略性の重要性はなくなりました。天正12年(1584)の小牧・長...墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)

  • 野外博物館合掌造り民家園

    岐阜県大野郡白川村荻町に野外博物館合掌造り民家園があります。野外博物館合掌造り民家園は、かつて白川郷の中でも最も秘境と呼ばれた加須良集落が集団離村したことをきっかけに誕生した合掌造り集落の博物館です。「白川郷合掌の里」から名称を変えて現在に至っています。昭和47年(1972)当時廃屋となっていた合掌家屋9棟を集めオープンし、現在は岐阜県重要文化財指定建造物9棟を含め25棟の建造物を保存公開しています。床や柱が建てられた当初のまま保存されている民家もあり、「旧山下家」は、なんと江戸時代中期に建てられた合掌造りの民家です。園内には神社、水車小屋、馬屋などが立ち、田畑なども耕され、昔の村がそのまま残っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japa...野外博物館合掌造り民家園

  • 合掌造り焔仁美術館

    岐阜県大野郡白川村荻町に合掌造り焔仁美術館があります。合掌造り焔仁美術館は庄川の対岸、せせらぎ公園駐車場近くに平成8年(1996)にオープンしました。白川郷に約20年間アトリエを構え活動した焔仁(ほむらじん)氏が、作品と建物を村に寄贈してできた合掌造りの美術館です。赤、青、黄の3色を基調にした妖艶で美しい抽象絵画、約50点が展示されています。色鮮やかな女性の裸体の作品は、国内外からも高い評価を得ています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/合掌造り焔仁美術館

  • 戸田氏鉄像

    岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。戸田氏鉄は戸田一西の子です。一西は家康に従って武功をあげ、関東入りに際して武蔵で5千石、関ヶ原後、近江膳所で3万石を与えられた武将です。氏鉄は元和2年(1616)膳所から尼崎に、寛永12年(1635)尼崎から大垣に移封。大坂城修築に功があり、島原の乱にも出陣しました。新田開発・治山・治水などの業績があります。氏鉄は、寛永13年(1636)に川口、外渕村境に門樋を造りました。水門川は、下流で揖斐川に合流するので、揖斐川が増水すると下流からの洪水が逆流して輪中内に浸水して被害が増えたのでした。川口水門樋は逆水を防ぐ働きをするものでした。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブ...戸田氏鉄像

  • 大垣城跡

    岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。明治6年(1873)に大垣城は廃城となり多くの建物が破却、払い下げられました。天守閣は残され、昭和11年(1936)には国宝に指定されました。しかし昭和20年(1945)7月に太平洋戦争の空襲により焼失してしまいました。昭和34年(1959)、4層4階の天守閣が再建され、資料館にもなっています。城門、櫓なども整備され、本丸と二の丸は大垣公園として整備されています。「大垣城跡」として大垣市指定史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大垣城跡

  • 大垣城

    +岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。大垣城は麋城(びじょう)、または巨鹿城(きょろくじょう)と呼ばれる連郭輪郭複合式の平城です。最初の城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に築かれたといわれています。永禄3年(1560)、氏家直元が城主となり、堀や土塁に手を加え、総囲いなどが整備されました。織田、斎藤と城主が移った後、天正11年(1583)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となりました。天正16年(1588)には一柳直末によって天守が築かれたといわれています。慶長元年(1596)頃、伊藤祐盛が城主の時という説もあります。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には、当時城主であった伊藤盛宗は西軍であったので、西軍・石田三成の本拠地となりました。西軍本隊は関ヶ原に移動し、大垣城...大垣城

  • 仙樽の滝

    岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。仙樽の滝の方面に向かうと、小さな吊橋があります。仙樽の滝の前には大きな淵があり、大きな石がゴロゴロしています。仙樽の滝は落差15mほどで、幅は5,6mほどあります。堂々とした重量感のある迫力ある滝です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/仙樽の滝

  • 不動滝

    岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。付知峡で見られるさまざまな滝の中でも、特に有名なのがこの不動滝です。目もくらみそうなほど深い滝壺に大迫力で水が流れ出ます。そして、この滝には不動滝伝説が残されています。保元・平治の乱の頃、この辺りには都を逃れた落ち武者が40戸あまりの集落をなして隠れ住んでいました。その集落の寺の住職、智証和尚は74歳の時、寺の財産に目を付けた農民に殺されてしまいました。付知峡に投げ捨てられた和尚の屍は、不思議なことにまるで生き物のように皮を遡り、不動滝に流れ着いた袈裟は滝壷でいつまでも渦を巻いていたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http:...不動滝

  • 付知峡

    岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。付知峡(つけちきょう)は木曽川支流である付知川の源流に位置しています。付知川は青川とも呼ばれるほど澄み切った清流です。御嶽山の南麓に源流を持ち、たくさんの滝があります。春はツツジや山吹などに彩られ、秋は紅葉で朱に染まる付知峡は、春夏秋冬それぞれに美しい姿をみせ「森林浴の森・日本百選」、「岐阜の名水・50選」、「飛騨・美濃効用33選」に選ばれています。一帯は裏木曽県立自然公園に属し、手付かずの原生林が残されています。攻橋や木谷橋から眼下に広がる景色も素晴らしく、「不動の滝」「観音滝」「仙樽の滝」などに心が洗われます。遊歩道を「不動滝へ」の案内表示に従って進んでいくと、はじめに現れるのが落差20mの観音滝です。切り立った巨大な断崖から水がまっすぐに滑...付知峡

  • 馬籠宿枡形

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。馬籠宿の南に「枡形」があります。枡形は城郭の枡形を模したもので、宿場の防衛上設けたものです。坂の下部分に枡形があり、視察に訪れた岩倉具視の乗った人力車が曲がりきれずに、民家に突っ込んだといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/馬籠宿枡形

  • 大黒屋茶房

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。大黒屋は島崎藤村の「夜明け前」に伏見屋金兵衛として登場します。この家の10代目が文政9年(1826)から明治3年(1870)まで書き続けた「大黒屋日記」が藤村の目にとまり「夜明け前」の基になったといわれています。現在は大黒屋茶房となり「栗強わ飯(くりこわめし)」が有名です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大黒屋茶房

  • 清水屋資料館

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。清水屋資料館の「清水屋」は島崎藤村の作品「嵐」にでてくる「森さん」こと原一平の家です。藤村の書簡、掛軸、写真、江戸時代の文書、書画、陶磁器、漆器類などの数々の遺品が2階の資料館に展示してあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水屋資料館

  • 馬籠脇本陣史料館

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。馬籠脇本陣史料館は馬籠宿の脇本陣で、屋号を「八幡屋」といい、馬籠宿の年寄役も兼ねていました。上段の間を復元し、当時使用していた家財や什器を展示し、江戸時代の木曽路独特の文化や制度を紹介しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/馬籠脇本陣史料館

  • 藤村記念館

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。藤村記念館は島崎藤村の生家であり、馬籠宿本陣で、昭和22年(1947)に完成されました。館内には藤村像や「夜明け前」などの作品や原稿、遺愛品、明治大正詩書稀覯本コレクションなど約6千点を所蔵展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/藤村記念館

  • 馬籠宿

    岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。「馬籠宿」は木曽11宿の最南端で美濃との国境にあり、中山道69次の43番目の宿場町です。文豪・島崎藤村のふるさとであり、藤村の生家である馬籠宿本陣跡には「藤村記念館」、「清水屋資料館」「馬籠脇本陣資料館」など、小説「夜明け前」にも登場する家も多いところです、馬籠は長野県の山口村でしたが平成17年(2005)に岐阜県中津川市に県を超えた合併をしました。中世までは美濃国、信濃国に編入され、江戸時代は名古屋藩の領地となって廃藩置県を迎えました。名古屋県、筑摩県、長野県、岐阜県と変わりました。馬籠宿は木曽路はすべて山の中の通りに山の斜面に沿った全長600m余りの「坂に開けた宿場」です。明治28年(1895)と大正4年(1915)の二度の火災によって宿場のほとんどが焼失しました...馬籠宿

  • 熊谷守一記念館

    岐阜県中津川市付知町に熊谷守一記念館があります。熊谷守一記念館は中津川市(旧恵那郡付知町)出身の洋画家熊谷守一の偉業を記念し、昭和51年(1976)に開館、平成8年(1996)アートピア付知交芸プラザの中にオープンしました。熊谷画伯の書画など30点あまりを展示しています。東京の池袋郊外にあった木々がおいしげった自宅兼アトリエから、晩年はほとんど一歩も外に出ずに、身のまわりの虫や猫やチョウなどを描きました。金や名声には全く興味がなく、文化勲章の内定も辞退し、97歳まで現役を続け「画壇の仙人」と呼ばれました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/熊谷守一記念館

  • 吉島家住宅

    岐阜県高山市大新町に吉島家住宅があります。吉島家住宅は、飛騨の匠の誉れ高かった西田伊三郎によって明治40年(1907)に建てられました。明治38年(1908)に表側を残し類焼し、再建されたのが現在の建物です。隣には親類の日下部家の立派な住宅が並んでいます。吉島家の初代は文政6年(1823)に没した休兵衛でした。代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を高山で営んだ豪商で、大名にもお金を貸していたそうです。主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行16.7m、梁間13.6m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。全体に立ちが比較的低く細部の表現も穏やかで、洗練された町家の手法をみせています。大黒柱を中心に、梁と束(梁に垂直の短い柱)によって構成される吹き抜けは、高窓からの光線をたくみに屋内に取り入れています。日下部家住宅が男性的...吉島家住宅

  • 旧吉真家住宅

    岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...旧吉真家住宅

  • 旧田中家住宅

    岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...旧田中家住宅

  • 宇津江四十八滝

    岐阜県高山市国府町宇津江に宇津江四十八滝があります。宇津江四十八滝は宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、複数の滝が存在する渓谷です。岐阜県の天然記念物、全国自然百選、飛騨・美濃紅葉33選、県名水50選などに指定されている県立自然公園です。最上部の滝まで880m、ゆっくり歩いて1時間のハイキングコースで散策できます。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られるようになりました。安永8年(1779)に出された赤田臥牛の「打江観瀑記」以降この滝を訪れる人が多くなったそうです。宇津江四十八滝には大蛇と「よそ八」の伝説が残されています。孝行息子「よそ八」は川の奥の沼で大蛇に出会い妖気で寝込んでしまいました。大蛇は娘に身を変え、自分の血を使って看護し全快させましたが、そのために力...宇津江四十八滝

  • 旧若山家住宅

    岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://w...旧若山家住宅

  • 旧田口家住宅

    岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...旧田口家住宅

  • 飛騨民俗村・飛騨の里

    岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨...飛騨民俗村・飛騨の里

  • 飛騨国分寺大イチョウ

    岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺大イチョウ

  • 飛騨国分寺三重塔

    岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺三重塔

  • 飛騨国分寺本堂

    岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の本堂は間口5間、奥行4間、1重入母屋造り、向拝1間、銅板葺き、総桧造りの室町時代の建物です。天正15年(1587)に川上郷から移築されたといわれています。柱など太くて荘重内陣と外陣は厳重な格子で間仕切され、外陣の虹梁、蟇股などは古風な造りです。本堂は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺本堂

  • 飛騨国分寺

    岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺

  • 荒川家住宅主屋

    岐阜県高山市丹生川(にゅうかわ)町大谷に荒川家住宅があります。荒川家住宅主屋は棟札や住宅に残る資料から寛政8年(1794)に建てられ、土蔵はさらに古い延享4年(1747)の建造で、飛彈屈指の歴史を誇っています。2つともに昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。主屋は榑葺き平入り切妻造りの木造2階建てで、間口11間(21.5m)、梁間8間(14.8m)で面積は約345平mの大きな民家です。切妻造りの木造2階建てで、石置板葺きです。土台は栗、柱は桧、梁には松が使われ、玄関は南東を向いています。正面外観は出桁を腕木でうける小庇が付けられています。また差物や軒桁にかなりの巨木を用いて横の線を強めています。2階正面の格子窓と2段に通る貫の細い直線的交叉など、洗練された立面意匠を施しています。下記のサ...荒川家住宅主屋

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