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2013/06/15

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  • 木造延命地蔵菩薩座像

    富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺の寺宝である木造延命地蔵菩薩座像は餅喰地蔵とも呼ばれ南北朝時代に造られています。継母から子供を守るためにこの地蔵が餅を食べ、その姿を見た継母は改心し地蔵信仰に帰依した逸話が残されています。像高47cm、ヒノキ材の一木造りで、彫眼、彩色されています。平成3年(1991)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造延命地蔵菩薩座像

  • 上日寺観音堂

    富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺観音堂は神仏習合時代には上日寺の総鎮守であったもので、天保6年(1835)に再建されています。入母屋造り、桟瓦葺き、平入、正面には軒唐破風が付けられています。複雑な木組の他、木鼻や唐破風の妻面、懸魚、桁などに精緻な彫刻が施されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音堂

  • 上日寺

    富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。朝日山上日寺は高野山真言宗のお寺で朝日山の東麓に建てられています。白鳳10年(681)、泰澄(たいちょう)大師が修行していた霊地にインド出身の法道上人が開山したのが始まりと伝えられています。越中国守藤原仲通が深く帰依し平安時代の天禄年間(970-973)に堂宇を修築しています。最盛期には七堂伽藍が建ち並び18坊を有していたそうです。その後、荒廃しましたが寛元3年(1245)、心南院仁然が再興しました。戦国時代には氷見森寺城の城主長澤筑前守の庇護により境内が整備され石仏が寄進されています。前田氏が領主になってからは前田利長が帰依し、寛永14年(1637)に祈願所として庇護され寺領を寄進されました。寛永15年(1638)と天保3年(1832)に火災で灰燼...上日寺

  • 国泰寺大方丈

  • 国泰寺総門

    富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の総門は巨木の中を登りつめたところに堂々と建っています。切妻造り、桟瓦葺きの、三間一戸の薬医門です。国泰禅寺と書かれた額が掲げられています。明の高泉和尚の手によるものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺総門

  • 国泰寺の三門

    富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の三門は間口3間、奥行2間の三間一戸の八脚単層門です。入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造板張り、左右に阿形像、吽形像の仁王像を安置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺の三門

  • 国泰寺法堂内陣

    富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂の内陣には本尊が安置されています。内陣柱は円柱で内側に一手の斗拱(ときょう)がせり出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂内陣

  • 国泰寺法堂

    富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂は江戸時代中期の享保5年(1720)頃に再建された建物です。1重5間堂の土間仏堂です。入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、外壁は真壁造り板張り、正面左右に花頭窓が付いています。妻面の中央2間に両開き桟唐戸がついています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂

  • 国泰寺

    富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の総本山です。富山湾に面した二上山北麓の丘陵地に建てられています。開山の慈雲妙意は普化宗の祖である法燈国師覚心に師事し、24年間二上山に籠って仏道をきわめ、嘉元2年(1304)に摩頂山東松寺を開いたといわれています。嘉暦3年(1328)、後醍醐天皇から護国摩頂巨山(ごこくまちょうこざん)国泰仁王万年禅寺(こくたいにんのうまんねんぜんじ)の寺号が下賜され、勅願寺として北陸地方随一の禅刹となり繁栄しました。暦応2年(1339)、足利尊氏により全国に安国寺を建立した時、越中の安国寺に選定され伽藍の修築がなされ、寺領として荘園が寄せられました。応仁の乱が起きると守山城をめぐる兵火により国泰寺は荒廃しましたが、天文15年(1546)に後奈...国泰寺

  • 旧高岡共立銀行本店

    富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ばれてい...旧高岡共立銀行本店

  • 勝興寺鼓堂

    富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の鼓堂は間口7.6m、奥行7.5m、2重2階、入母屋造り、桟瓦及び本瓦葺きで、享保18年(1733)に建立されています。太鼓堂とも呼ばれますが、現在太鼓は吊るされていません。総門をくぐった正面、掘割に面して建っており、城郭の櫓(やぐら)に似た姿です。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺鼓堂

  • 勝興寺経堂

    富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の経堂は間口3間、奥行3間、1重もこし付、宝形造り、桟瓦葺きで、文化2年(1805)に建てられています。内部は塗を施さない欅の素木造りで、中央の手動回転の大形八角輪蔵は形式、細部とも本格的で極彩色を施しています。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺経堂

  • 勝興寺唐門

    富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の唐門は切妻造りで、間口6mの四脚門です。屋根は銅板葺で前後とも軒唐破風付です。明和6年(1769)に京都の浄土真宗興正派の本山である興正寺で建立されています。明治26年(1893)、興正寺より譲り受け、北前船2隻で運ばれ移築されました。昭和55年(1980)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺唐門

  • 勝興寺本堂

    富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺本堂

  • 勝興寺

    富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部...勝興寺

  • 清水町配水塔資料館旧配水塔

    富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(...清水町配水塔資料館旧配水塔

  • 清水町配水塔資料館

    富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水町配水塔資料館

  • 武田家住宅主屋

    富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅主屋

  • 武田家住宅

    富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家は、甲斐の武田信玄の弟・逍遙軒(しょうようけん)信綱の子孫と伝えられていて、代々十村役(大庄屋)をつとめた豪農でした。山岡鉄舟や横山大観ら多くの著名人がこの家に滞在し、作品を残しました。武田家住宅は、安永年間(1772-1780)にかけて勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたといわれていて、構造や手法からもその頃のものであるようです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅

  • 桜谷古墳

    富山県高岡市太田字桜谷に桜谷古墳(さくらだにこふん)があります。桜谷古墳は二上山丘陵の北東の雨晴海岸に近い、標高20mの台地にある北陸地方最大級の古墳です。4世紀から5世紀にかけて築かれたもので、大正7年(1918)に諏訪社の神木の老松を掘り出した際に内行花文鏡1面と管玉13個が出土し、前方後円墳が2基と円墳が7基発見されました。桜谷1号墳は、柄鏡式の前方後円墳で、全長62m前方部の幅30m、後円部の径35m、高さ6mという規模です。高さは5.4mで、三段に築かれています。桜谷2号墳は、後円部の径33mで、前方部が小さく、帆立貝式前方後円墳といわれるものです。大正12年(1923)に後円部から碧玉製紡錘車(へきぎょくほうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、菅玉(くだたま)などが出土しました。地方にはたいへん珍...桜谷古墳

  • 高岡銅器

    6富山県高岡市は高岡銅器で有名です。高岡市は高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は大伴家持が国司として赴任した越中国の国府がありました。高岡は日本で銅器の生産額の約95%を占めています。高岡大仏や梵鐘などの大きいものから、銅像などの細かい作品まで、多彩な鋳造技術は全国的にも有名です。慶長16年(1611)、高岡の町を開いた加賀藩2代藩主、前田利長が7人の鋳物師を招いて鋳物産業を興させたのがこの町の始まりだそうです。金屋町には千保川のほとりに静かに軒を並べる町並みが残されています。一国一城令により、高岡城がなくなったあとも「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という前田利常の政策が功を奏し、商工業が発展しました。高岡銅器のほか高岡漆器などの伝統工芸品も有名です。アルミサッシの生産額は日本一...高岡銅器

  • 時鐘

    富山県高岡市大手町に高岡大仏がある大仏寺に時鐘があります。寺島蔵人奉行は時を告げる時鐘製作に奔走し、文化元年(1804)に初代大鐘を造りました。しかし不具合があり金屋町出身の鍋谷仁左衛門が改鋳を願い出て浄財を集め文化3年(1806)に完成させました。大火など経て大仏寺に寄付され寺宝となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/時鐘

  • 高岡大仏

    富山県高岡市大手町に高岡大仏があります。高岡大仏は高さ15.85mで、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つです。また一説には天平勝宝4年(752)に造られた高さ18.08mの奈良大仏、寛元4年(1246)に造られた高さ13.35m(台座を含む)の鎌倉大仏と並んで日本三大仏に数えられています。「銅器のまち」高岡のシンボルです。承久3年(1221)に源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立されたのが最初です。慶長14年(1609)前田利長によって高岡が開町し、大仏は城下に移転されました。その後に焼失しましたが延享2年(1745)に極楽寺の等誉上人が、高さ約9.7mの金色の木造大仏を造りました。その後文政4年(1821)にその大仏も焼失し、天保12年(1841)に再建されましたが、明治33年(1...高岡大仏

  • 射水神社の紅梅

    富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の紅梅は明治8年(1875)に現在地の高岡城本丸跡に遷座したことを祝い、白銀町の篤志により奉納された紅梅です。樹齢約400年の年月を重ね、今なお幹から直接に花をつけています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社の紅梅

  • 射水神社社殿

    富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の社殿は明治33年(1900)の高岡大火の時に類焼して焼失しました。2年後の明治35年(1902)に再建されています。拝殿は木造平屋建て、間口3間、奥行2間、切妻造り、平入、銅板葺です。本殿は神明造り、銅板葺きです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社社殿

  • 射水神社

    富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社は越中総鎮守として二上山に祀られていた古社で、延喜式では名神大社に列し、越中式内34社の首位に置かれていました。二上山自体を神とし、その麓に鎮座していましたが養老元年(717)、元正天皇の勅願により行基が養老寺を開山し、射水神社の別当にしました。祭神の二上神を二上権現として祀り、神仏混合の大社として繁栄しました。越中では高瀬神社と同階で最高位になり、越中国一宮でもあります。ただ越中一宮と主張する神社は射水神社のほか気多神社、高瀬神社、雄山神社などがあります承平年間(931-938)に兵火にかかり社殿、社宝など灰燼に帰しました。天暦年間(947-957)に空也が再建し、社殿も整備されましたが、天正年間(1573-1592)に度々兵火...射水神社

  • 高岡古城公園

    富山県高岡市古城に高岡古城公園があります。高岡古城公園は加賀藩2代藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を、明治8年(1875)公園として開放したものです。園内には無料の動物園、蒸気機関車、芝生広場、遊具、博物館、体育館などがあります。桜の名所としても有名で日本さくら名所100選に選定されています。加賀前田家2代の利長は、慶長3年(1598)に利家の後を継ぎ当主となりました。慶長10年(1605)に利常を3代藩主にして、自らは隠居して富山城に移りました。慶長14年(1609)3月の大火により富山城は焼失しました。そこで、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。高岡城の縄張は当時、前田家の客将だった高山右近とされています。右近はキリシタン大名で、築城の名手として有名でした。利長は、「詩経」の一...高岡古城公園

  • 瑞龍寺石廟

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の石廟は瑞龍寺を造営したとき,開山の広山恕陽禅師が利長、利家の父子に織田信長、信忠と信長の側室も加えて同じ形式の5基を建造しました。利長の石廟には壁面に25菩薩が刻まれています。石造建築の貴重な遺構で富山県の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺石廟

  • 瑞龍寺大庫裏

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大庫裏は調理配膳や寺務運営を行う堂で、山門を入り右手に位置し僧堂と相対しています。桁行10間(19.7m)、梁間6間(13.9m)で、切妻造り、こけら葺きで向拝型玄開を付けています。万治年間(1658-1660)の建立ですが、幕末から明治初年にかけ撤去されました。古図面などから当初の姿に復元されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大庫裏

  • 瑞龍寺回廊

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の回廊は大伽藍をとり囲み、周囲約300mにも及びます。左右対象の回廊が残っている寺院は極めて少なく、禅宗寺院最古のものです。板戸の黒と障子の白が交互に規則正しく配され、上部に小壁の白い線が通り、上下を腰板とこけら屋根の黒でひきしめています。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺回廊

  • 瑞龍寺大茶堂

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大茶堂は創建当初に造られた建物で、全国に2つしかない貴重なものです。他の建物から伽藍への類焼を防ぐ防火壁の役目をする建物でもありました。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大茶堂

  • 瑞龍寺禅堂

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の禅堂は坐禅修行をする建物で、坐禅だけを行う場合は禅堂、食事などの修行もする場合は僧堂といわれます。延享3年(1746)に焼失し、その直後に再建されました。幕末には3分の1に縮小され、明王様の御祈祷場となっていました。平成2年(1990)に往時のように復元されました。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺禅堂

  • 瑞龍寺山門

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の山門は禅宗様の手法形式の三間一戸の二重門です。入母屋造り、こけら葺きで左右に山廊が付いています。双方とも桁行3間、梁間1間、1重、切妻造り、こけら葺きです。文政3年(1820)に再建された建物です。通常の禅宗二重門に比べて、下層屋根に対する上層屋根の低減率が低く、雪などによって下層屋根を傷めないための雪国独自の工夫が見られます。瑞龍寺山門は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺山門

  • 瑞龍寺総門

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の総門は、正面3間の薬医門です。正保年間(1644-1648)の建立で、後世に伽藍配置の関係から現在の場所に移築されました。正面の扉は城の城門に類した造りで、四葉金具・八双金具などの金具が使われ、格の高さがうかがえます。昭和3年旧国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺総門

  • 瑞龍寺法堂

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の法堂(ほっとう)は、禅宗以外では講堂といわれ仏教教理を講義する場所で、明暦元年(1655)に建てられています。ここでは前後に3室ずつ6室で構成され客殿も兼ねています。桁行11間、梁間10間、1重、入母屋造り、銅板葺きです。向拝は桁行2間、梁間1間、向唐破風造りで、その前面に高廊下、さらに前面1間通りは回廊の一部で土間になっています。中央奥が仏間、左右に上下客殿が設けられ、手前は外陣に相当し説法、法要等に使用する畳敷きの間となっています。外陣も柱と欄間により3室に分けられ、さまざまな法要に対応する近世の仏堂様式となっています。屋根は始めはこけら葺きでしたが現在は銅板葺です。瑞龍寺の法堂は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトに...瑞龍寺法堂

  • 瑞龍寺仏殿

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の仏殿は総欅造で、方三間裳階付の禅宗様建築です。桁行3間、梁間3間、1重、裳階付、入母屋造り鉛瓦葺きです。棟札により万治2年(1659年)に建立されています。屋根は始めはこけら葺きでしたが、総重量約47トンの鉛瓦葺きになっています。仏殿は平成9年(1997)に国宝に指定されています。瑞龍寺仏殿の内部は土間床になっています。天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点、柱、扉、窓などの細部様式など禅宗様建築の特色です。須弥壇には中央に釈迦如来、脇侍に文殊、普賢菩薩の釈迦三尊を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一...瑞龍寺仏殿

  • 瑞龍寺

    富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。高岡山瑞龍寺は曹洞宗のお寺で、山門、法堂、仏殿は国宝に指定されています。富山県にある国宝はこの瑞龍寺だけだそうです。加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺で、利長の義弟で3代藩主になった前田利常によって建立されました。文禄3年(1594)に加賀藩2代藩主・前田利長は金沢に織田信長・信忠の追善のため、宝円寺を建立しました。44歳の若さで家督を異母弟の利常に譲り、隠居して金沢から富山に移りました。富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築き、法円寺(宝円寺を改称)を、慶長18年(1613)に高岡に移しました。翌、慶長19年(1614)に利長は没し、後を継いだ3代藩主・前田利常は、法円寺を利長の菩提寺としたのです。そして利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞...瑞龍寺

  • 六十六部石仏

    富山県高岡市関町に総持寺があります。六十六部とは、廻国し納経する聖のことです。総持寺に六十六の石仏が納められました。現在は三十九体が残されています。平成14年(2002)にこの石仏を含む関町の町並みが高岡市の景観賞に選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/六十六部石仏

  • 総持寺十一面千手観音座像

    富山県高岡市関町に総持寺があります。総持寺の本尊は十一面千手観音座像です。年に一度11月15日にだけ御開帳されます。像高は72.5㎝で、昭和12年(1937)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に改めて国の重要文化財に指定されています。曼荼羅堂内には12体の仏像を安置しており、弘法大師の伝えた真言密教の曼荼羅世界を表しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/総持寺十一面千手観音座像

  • 総持寺

    富山県高岡市関町に総持寺があります。衆徳山胎生院総持寺は高野山真言宗のお寺です。22世の快雄和尚は高岡の町を開くとき、前田利長に「関野」と呼ばれていたこの地を、中国の古典の「詩経」から「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に」から「高岡」という地名にするよう提案したことで有名です。総持寺は平安時代に旧礪波郡五位荘に開かれたのが始まりといわれています。正平8年(1353)、禅恵和尚が中興し、高岡市の石堤付近に移りました。前田利長が高岡城を築城した慶長年間(1596-1615)に現在地に移りました。境内には本堂にあたる曼荼羅堂や観音堂、聖天堂、薬師堂、位牌堂、鐘楼などが建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほん...総持寺

  • 旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)

    富山県高岡市福岡町下向田に旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)があります。福岡公園内にある旧福岡町役場は現在、福岡町歴史民俗資料館になっています。この建物は、大正13年(1924)、地元の篤志家壽原英太郎(すはらえいたろう)の寄贈により、洋風をまねた公会堂として福岡駅前通りに面して建設されました。公会堂・町役場として使用され、昭和38年(1963)、役場新庁舎建設とともに町立図書館・中央公民館として使用されました。その後、歴史民俗資料館として保存活用することになり、昭和63年(1988)にかけて移転・修改築がなされました。富山の建築百選に選定され、平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。木造2階建ての洋風建築です。寄棟、桟瓦葺き、建築面積265㎡、外壁はモルタルで石造風に仕上げ外観を石...旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)

  • 佐伯家住宅主屋

    富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家住宅は、間口10間(18.2m)、奥行7間(12.7m)の入母屋造り、平入の建物で、建築面積は212.1㎡、外壁は真壁造り、土壁鏝押え、腰壁は下見板張り縦押縁押え、背後は杉皮で外壁を保護しています。移築前は主屋背面に「中つの」がありましたが、移築されたのは主屋だけで、その後「つの」「おろし」「しょくじば」が増築されました。正面にあたる3間半が茅葺きの主屋とひさし、背後の3間半が桟瓦葺きの「おろし」となっています。江戸時代後期の文化年間(1804-1818)と明治時代以降に何度か改修、増築されていますが母屋部分は江戸時代中期に建てられたものです。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定され、昭和48年(1973)には復元工事がなされています。下記のサイ...佐伯家住宅主屋

  • 佐伯家住宅

    富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家は旧蓑島村の旧家で、家蔵の「家作諸入用一巻」に、明和4年(1767)工事に着手し、翌5年に約15km離れた所にある旧川崎村(現南砺市上川崎)の十村役(庄屋)を務めた三之助の住宅を佐伯氏が買い取って移築したと記してあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐伯家住宅

  • 旧宮島村役場

    富山県小矢部市芹川(せりかわ)に旧宮島村役場があります。旧宮島村役場は石川県境に近い旧宮島村にあった建物で小矢部市に残る数少ない洋風建築です。昭和61年(1986)に現在地に移築され個人の宅邸兼アトリエとして再利用されています。平成13年(2001)に国登録有形文化財に登録され、平成21年(2009)に「とやまの近代歴史遺産」に選定されています。大正15年(1926)に宮島村役場として建てられたもので、木造2階建て、建築面積は131㎡です。むくりのついた寄棟造り、桟瓦葺き、下見板張の洋風建築です。正面中央2階上部の半円形ブロークンペディメントと瓦葺きのマンサード屋根などは独特です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキ...旧宮島村役場

  • 安居寺大ケヤキ

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺寺内の入口に高さ36mもある大ケヤキが立っています。推定樹齢は500年といわれ、幹周7.6mもあります。ニレ科ケヤキ属の落葉広葉樹で、昭和37年(1962)に南砺市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺大ケヤキ

  • 安居寺観音堂

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の観音堂は加賀藩の重臣岡島備中守の婦人月清大姉の寄進で、明和3年(1766)に再建された建物です。間口7間、奥行7間の単層入母屋造り、妻入、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。観音堂は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺観音堂

  • 安居寺仁王立像

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王立像は総高約3.3mもあり、慶長20年(1615)に造られています。仏敵が仏殿に入り込むのを防ぐ守護神です。阿形像と吽形像が一体となり仁王門の下層の左右に立っています。万治2年(1659)に造られた鰐口と共に南砺市の有形文化財に指定されています。・下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王立像

  • 安居寺仁王門

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王門は明和9年(1772)に建てられています。三間一戸の八脚楼門で入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造り板張りで、上層部には高欄が廻されています。下層部には仁王立像が安置されています。仁王門は南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王門

  • 安居寺

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。弥勒山安居寺は高野山真言宗のお寺です。養老2年(718)、インドから渡来した善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が招来した聖観音像を安置して一宇を創建したのが始まりといわれています。聖武天皇の時(724-749年)、勅願所と定められ、行基が勅令により壮大な大伽藍を造営したと伝えられています。平安時代後期には花山法王がこの地を訪れ参籠しています。また中世には兼好法師や宗祗法師なども巡錫で訪れています。天皇の勅願所として寺運も隆盛し最盛期には24坊を擁していましたが、平安時代末期に木曽義仲の兵乱により多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し衰微しました。その後、室町幕府8代将軍足利義政が再興しましたが、元亀・天正年間(1570-1592)に再びしばしば兵火を受け衰退し...安居寺

  • 冨田家住宅北土蔵

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の北土蔵は南土蔵と並んで建ち、明治前期の建物です。切妻造り、置屋根式桟瓦葺き、二階建てで、東面に南土蔵と一連の吹放し下屋を通しています。掛子塗戸(かけこぬりど)には「波に亀」の鏝絵(こてえ)が飾られています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅北土蔵

  • 冨田家住宅南土蔵

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の南土蔵は安居寺参道側にあり、主屋背面の石垣の上に北土蔵と並んで建っています。切妻造り、置屋根式桟瓦葺きの二階建てで、昭和前期の建物です。戸前には北土蔵と一連の吹放しの下屋を通しています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅南土蔵

  • 冨田家住宅長屋門

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の長屋門は主屋正面に東面して建てられています。切妻造り、桟瓦葺で、北を門口、南を真壁漆喰塗の物置としています。門口は間口3.2mで本柱を立てて板扉を備え、南に袖壁、北に潜戸を設けています。梁に文化、天保の墨書があることから江戸時代後期の1804-1843年の間に建てられたと思われます。桐木(東石黒)の肝煎(きもいり)であった丹羽家の門を移築したと伝えられています。当初は物置のない薬医門であったと思われます。旧家の屋敷構えに厳かな趣を添える表門であるといえます。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...冨田家住宅長屋門

  • 冨田家住宅主屋

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の主屋は大正12年(1923)から5年をかけて建てられています。入母屋造り、平入の木造2階建ての大型住宅で、四周に下屋を廻し、屋根は総桟瓦葺きです。間口11間半(21.1m)、奥行9間(16.7m)で、建築面積は365平方mです。伝統的な形式を基調とし、良材を用いて質の高い大工技術が隅々まで行き渡っています。透き漆塗を施した木部、ガラスを多用した建具などには近代の和風の意匠が使われています。座敷の欄間には井波彫刻が施されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...冨田家住宅主屋

  • 冨田家住宅

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家の初代、冨田斉宮は織田信長に仕え、その後、柴田勝家、豊臣秀吉に奉公しました。大阪城落城の時に現在地に越し、藩政期に肝煎(きもいり)を務めた家柄です。冨田家住宅は現在でも木組や建具には寸分の狂いも無いということです。座敷の欄間は民間住宅に井波彫刻が取り入れられる初期の作品として貴重です。主屋、長屋門、味噌蔵、南土蔵、北土蔵が国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅

  • 鯉雨画斎

    富山県南砺市福光に棟方志功記念館「愛染苑」があります。鯉雨画斎(りうがさい)は、棟方が初めて持った新築の住まいで、「滝登りの鯉」「雨に打たれた鯉」にちなんで「鯉雨画斎」と名づけました。棟方は大変喜び、家の中の板戸や柱、風呂桶や厠まで絵が描かれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/鯉雨画斎

  • 棟方志功記念館「愛染苑」

    富山県南砺市福光に棟方志功記念館「愛染苑」があります。板画家棟方志功は、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)4月から26年(1951)11月までの6年間、福光に疎開していました。当時、棟方のお世話をしていた石崎俊彦氏が作品を寄贈し、昭和57年(1982)に記念館として設立されたのが、棟方志功記念館「愛染苑」です。「愛染苑」では棟方志功の福光での生活が感じられるように展示を工夫し、疎開時代に制作した作品を中心に展示しています。隣には「青花堂」や「棟方志功資料館」、棟方が暮らした住まいである「鯉雨画斎」などが建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.c...棟方志功記念館「愛染苑」

  • 宇佐八幡宮拝殿

    富山県南砺市福光(ふくみつ)宮脇町に宇佐八幡宮があります。宇佐八幡宮の拝殿は江戸後期の天保15年(1844)に建てられています。間口3間、奥行3間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、正面には千鳥破風が施され、正面に1間の軒唐破風の向拝が設けられています。奥に続く本殿は覆屋の中に鎮座しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宇佐八幡宮拝殿

  • 宇佐八幡宮

    富山県南砺市福光(ふくみつ)宮脇町に宇佐八幡宮があります。福光の宇佐八幡宮は福光の市街地の中央に位置しています。祭神は誉田別命・息長帯日売命・誉田別比売神で旧郷社です。江戸時代には八幡宮と称されていました。天平勝宝2年(730)、当時の領主大伴持豊が宇佐八幡宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。この八幡宮は石黒郷の総社として石黒一族の崇敬が厚く、慶長年間(1596-1615)には加賀藩主の祈願所になりました。寛仁元年(1017)に寛仁寺が別当寺として創建され神仏習合していましたが明治時代初頭の神仏分離令により寺は廃されました。社宝である猛虎図は文化5年(1808)に描かれたもので、円山応挙と並び有名だった岸駒の手によるものです。昭和49年(1974)に南砺市の有形文化財に指定されています。江戸後...宇佐八幡宮

  • 旧高宮医院(光龍館)

    光龍館の建物は一部平屋建ての木造2階建て、寄棟造りで玄関の突出部は入母屋造り、平屋部は切妻造りになっています。桟瓦葺き、平入で、外壁は下見板張り、玄関突出部は白漆喰です。「旧高宮医院(光龍館)」として昭和54年(1979)に南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧高宮医院(光龍館)

  • 光龍館

    富山県南砺市高宮にがあります。光龍館は明治18年(1885)に高宮病院として大井精医師によって建てられました。擬洋風建築では富山県では最も古い建物です。現在は南砺市福光福祉の家「光龍館」として利用されています。建物は、国の重要文化財に指定されている長崎のグラバー邸と同じく東洋のコロニアルスタイルの建築様式です。玄関付近には凝った意匠が施されています。手摺は洋風バルコニー風で、曲線や飾り金物が使われています。懸魚や破風の鏝絵などと調和させ、雪割り瓦で仕上げられています。光龍館の建物は南砺市の有形文化財に指定され、平成21年(2009)には富山県教育委員会による「とやまの近代歴史遺産」に選定されています。そして富山の建築百選にも選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...光龍館

  • 庄川水記念公園

    富山県砺波市庄川町金屋に庄川合口ダムがあります。庄川合口ダムの道路を挟んだ隣には庄川水記念公園があります。庄川特産館、庄川ウッドプラザ、庄川ふれあいプラザが公園内にあり、伝統的工芸品や特産品の展示、販売をしています。公園の周囲にはコシノヒガンが植樹され、富山さくらの名所70選に選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/庄川水記念公園

  • 庄川合口ダム

    富山県砺波市庄川町金屋に庄川合口ダムがあります。庄川合口ダムは、舟戸ダムとも呼ばれています。正式には庄川合口堰堤(えんてい)です。一級河川の庄川にある18のダムのうちの一つで、最も下流に位置しています。昭和14年に完成した重力式コンクリートダムで、堤高は18.5m、堤頂長は103.3m、貯留面積156000平方m、貯留容量405000立方mです。庄川平野部の以前の農業用水は左岸に6ヶ所、右岸に4ケ所の用水があり、取水口がありました。合理的な取水のため合口にするダムが造られました。また関西電力の中野発電所と雄神発電所による水力発電にも利用されています。ダムの左岸には川に階段式の魚道が整備されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録され、農林水産庁による水土里の文化遺産に選定され、平成21年(2...庄川合口ダム

  • 井波八幡宮蚕堂

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮本殿西側に蚕堂があります。文久元年(1861)に地元の蚕業者達が蚕の霊をともらうために建立した総ケヤキ造りの建物です。御堂建築の遺構として南砺市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波八幡宮蚕堂

  • 松島大杉

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮の境内には松島大杉と呼ばれる大木があります。推定樹齢500年を超し、樹高40.4m、幹周7.6m、1本杉としては富山県内10本の指に入る大きなものです。井波城の追手門付近にあった事から追手門の杉とも呼ばれたそうです。昭和41年(1966)に南砺市指定天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/松島大杉

  • 井波城跡

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波城跡は八乙女山の裾に築かれた平山城です。本願寺勢力下の瑞泉寺によって建てられた城郭伽藍で、城域は東西250m、南北230mあります。天正9年(1581)に佐々成政の侵攻で支配下に入り、天正13年(1585)に前田利家により落城しました。南砺市の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波城跡

  • 井波八幡宮本殿拝殿

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮本殿は江戸時代末期の嘉永5年(1852)に造営されました。拝殿は間口4間、入母屋造り、銅板葺き、平入で正面に1間の向拝が付けられ、千鳥破風の豪華な建物です。南部栄輔が棟梁として手掛け、嘉永6年(1853)に造営されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波八幡宮本殿拝殿

  • 井波八幡宮

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮の境内は瑞泉寺の隣にあり、昔は瑞泉寺の土地で戦国時代は浄土真宗の一大拠点になった井波城の本丸でした。広い境内の左手には綽如上人瑞泉寺創立之霊跡、霊水・臼浪水があります。南北朝の頃、本願寺五世綽如上人が建立した瑞泉寺の古跡でもあります。井波八幡宮の宮司は町長でもあった砺波運輸社長の綿貫学氏が務めました。その息子で衆議院議長・自民党幹事長も歴任した綿貫民輔がその後務め、今はその息子さんが務めています。井波八幡宮の創建は明徳4年(1393)石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられ、近郷四十八ヶ村の総社として広く信仰されました。毎年5月3日に行われる春祭りは天保4年(1833)に始まったよいやさ祭りとして知られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!...井波八幡宮

  • 瑞泉寺司晨楼

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の司晨楼(ししんろう)は間口5.1m、奥行4.6mの一重入母屋造り、上層は鉄板葺き、下層が桟瓦葺きの太鼓堂です。「すでに暁天(ぎょうてん)明けなんとすれば、是を打ちて人の睡魔を破りて仏前に向かわしめ、礼仏恭敬をすすむる鼓なり」と瑞泉寺11世で、俳人として知られる浪化(なみか)が司晨楼と命名しています。浪化の司晨楼之記にあるように、広い講堂に読経などの時を告げる合図として、太鼓が鳴らされたということです。たびたび類焼した太鼓堂ですが天保13年(1842)に再建され、昭和50年(1975)に修復されています。平成12年(2000)に南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/jap...瑞泉寺司晨楼

  • 後小松天皇廟

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺には後小松天皇廟があります。大正15年(1926)に砺波の相撲講の募財で建立されました。後小松天皇は南北朝末期から室町初期の持明院統の天皇です。後円融天皇の第1皇子で。明徳3年(1392)、南北両朝合一に際し大覚寺統の後亀山天皇から神器を受け、応永19年(1412)譲位して院政をとりました。和歌・連歌に長じ、琵琶なども愛好したようです。一休宗純の父親でもあります。「周圓上人」の号を開基の綽如(しゃくにょ)上人に授けています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/後小松天皇廟

  • 瑞泉寺式台門

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の式台門は一間一戸、入母屋造り、銅板葺きの向唐門です。勅使参向の際の出入りに使われる勅使門です。菊の紋章が掲げられているので菊の門とも呼ばれています。宝暦12年(1762)の大火で全焼し、寛政4年(1792)に再建された門です。平成17年(2005)の大法要で大修復されています。棟梁は井波出身の柴田清右衛門、彫刻は番匠屋9代の北村七左衛門があたり井波彫刻の源流を示す名作といわれています。昭和30年(1955)に南砺市の有形文化財に指定されています。門の両脇には、井波彫刻の元祖番匠屋七左衛門作の「獅子の子落し」の彫刻などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほ...瑞泉寺式台門

  • 瑞泉寺鐘楼

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の鐘楼は間口5.1m、奥行4.6mの一重入母屋造りです。婦人団体「徳円会」によって建てられ、昭和7年(1932)に落慶しました。鐘楼に吊下げられている。大梵鐘は口径4.1尺(124cm)、重さ900貫(3372kg)で北陸随一です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞泉寺鐘楼

  • 瑞泉寺境内

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺境内は昭和30年(1955)に南砺市の史跡に指定されています。広々とした境内には、本堂、太子堂、書院、鐘楼、山門、茶所、鼓楼、庫裏、詰所などが建ち並び、格式の高い佇まいをみせています。八乙女山を背景に美しい桜や藤の花々などが咲き乱れます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞泉寺境内

  • 瑞泉寺太子堂

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺太子堂は大正7年(1918)に井波彫刻の粋を集めて再建されました。間口16間、奥行16間、重層入母屋造り、本瓦葺き、平入で、正面に3間の軒唐破風の向拝が付けられています。外壁は真壁造り板張りで、内部には後小松天皇から賜った聖徳太子2歳像が安置されています。太子堂は南砺市の有形文化財に指定されています。もともと井波には太子信仰があり、浄土真宗とともに仏の教えがこの地域に広げられました。太子堂には大正時代の井波建築の粋を集めた大工や彫刻師の優れた技が発揮されています。屋根を支えている手挟みは精緻な造りで一本の木から掘り出されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほ...瑞泉寺太子堂

  • 瑞泉寺山門

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の山門(大門)は、三間一戸、入母屋造り、本瓦葺きです。間口20.3m、奥行15.5m、高さ17.4mの総ケヤキ造り、八脚二重門です。真宗寺院建築の山門形式を代表する建造物で、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。宝暦12年(1762)、瑞泉寺は全焼し、京都の本山(東本願寺)から肝煎(きもいり)方大工・柴田新八郎などが派遣されて各伽藍の再建が進められました。山門の工事は天明5年(1785)に始まりました。その工事中に本山である東本願寺が全焼してしまったのです。そちらを再建するために本山派遣の大工たちは引き上げてしまいました。そのため、地元の大工・松井角平が棟梁を受け継ぎ、文化6年(1809)上棟式を行ない、見事に山門を完成させたそうです。山門...瑞泉寺山門

  • 瑞泉寺本堂

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の本堂は単層入母屋造り、銅板葺き、平入、間口25間(46m)、奥行23間半(43m)、面積590坪(1950㎡)です。明治12年(1879)、火災により焼失し、明治18年(1885)に再建された建物です。瑞泉寺本堂は北陸地方の真宗寺院の中でも最大級の木造建築物で、棟梁は井波出身の松井角平恒広があたり、向拝などには井波彫刻が随所に施されています。本尊は阿弥陀如来、両脇壇には宗祖・新鸞上人や先門主の御影があり、右余間壇には後小松天皇尊牌が安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞泉寺本堂

  • 瑞泉寺

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺は南北朝時代の永和年間(1375-1379)に本願寺5世・綽如(しゃくにょ)上人が巡錫で当地を訪れた際、霊地と悟り草庵を設けたのが始まりといわれています。後小松天皇から「周圓上人」の号と聖徳太子南無佛木像、聖徳太子絵伝(8巻)を賜り、明徳元年(1390)に堂宇を造営し「瑞泉寺」の勅号を賜りました。そして後小松天皇の勅願所として繁栄しました。綽如上人は瑞泉寺を拠点に浄土真宗を広め、2世の如乗(巧如上人の子)、3世蓮乗(蓮如上人2男)が続き、北陸地方で数多くの信者を得ました。北陸地方の一向宗の中心となり、加賀、越中、能登の一向宗の370ものお寺を束ねる一大拠点となりました。文明13年(1481)には領主である越中福光城主・石黒光義と天台宗の惣海寺の連合軍に勝利し、砺波...瑞泉寺

  • 池波正太郎ふれあい館

    富山県南砺市井波に池波正太郎ふれあい館があります。池波正太郎ふれあい館は、池波正太郎の作品や人柄、地元の人達との結びつきを知ることができる小さな博物館で、八日町通り沿いのよいとこ井波の中にあります。正太郎の父方の先祖が井波から江戸へ出た宮大工であった縁でこの館が生まれました。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人藤枝梅安」などの人気時代小説を執筆した池波正太郎と井波のつながりや井波の人達と交わした書簡や自筆絵画、色紙、写真、さらには著書本、池波正太郎氏愛用の品々を展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/池波正太郎ふれあい館

  • 旧井波駅駅舎

    富山県南砺市北川に井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)があります。旧井波駅駅舎は井波町が寄付金を集め、全国的にも珍しい純ヒノキ造りの、木造仏閣院風の建物にしました。木造平屋建て、入母屋造り、瓦葺き、間口9.5間、奥行3.5間、建築面積253㎡で、正面と背面に千鳥破風があり、屋根上部には宝形造りの楼閣を乗せ仏閣建築風の意匠となっています。この駅舎は、井波を代表する宮大工・松井角平によって建てられています。宝形屋根の楼閣の金色の屋根飾りや、千鳥破風の拝みに懸魚(けぎょ)が下がり、楼閣隅木に風鐸があるなど特色ある建物になっています。平成8年(1996)には駅舎が登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...旧井波駅駅舎

  • 井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)

    富山県南砺市北川に井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)があります。井波町物産展示館は昭和9年(1934)に建築された旧加越線の駅舎で、瑞泉寺後小松天皇500回御正忌法要を記念して建てられたものです。かつて富山県東礪波郡井波町(現在の南砺市)にあった加越能鉄道加越線の駅でした。昭和47年(1972)、加越線の廃止により廃駅となり、駅舎は井波町に返還されました。それ以降は井波町物産展示館として、木彫刻品などの展示に使われ、バスターミナルとしても活用されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波町物産展示館(旧井波駅駅舎)

  • 髙瀬神社本殿と拝殿

    富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。髙瀬神社の本殿と拝殿は国費で昭和17年(1942)より工事が始まりましたが、昭和20年(1945)の終戦でGHQの指令により中止となりました。地方の有志によって昭和22年(1947)に流造りの本殿、翌年に入母屋造りの拝殿、更に昭和62年(1987)に唐破風の向拝殿が完成しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/髙瀬神社本殿と拝殿

  • 髙瀬神社手水舎

    富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。髙瀬神社の手水舎は昭和45年(1970)に伊勢神宮より下付され、外宮から移築されたものです。中にある水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場であります。石の裏には「水神」の文字が刻まれているそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/髙瀬神社手水舎

  • 髙瀬神社大鳥居

    富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。髙瀬神社の大鳥居は昭和60年(1985)、昭和天皇の在位60年を祝って、故・西田東作氏(株式会社ゴールドウイン創業者)の寄進で建立されました。大鳥居の中には奉写された大祓詞が収められており、鳥居をくぐる人々の罪やけがれを祓い清めています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/髙瀬神社大鳥居

  • 髙瀬神社

    富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。髙瀬神社は昭和41年(1966)に南砺市の史跡に指定されています。続日本紀の中に高瀬神として記され、延喜式神名帳にも記されていることから、農耕地として朝廷にとって重要な所だと考えられていたようです。また高瀬神社の御旅所跡も同じく南砺市の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/髙瀬神社

  • 髙瀬神社

    富山県南砺市高瀬に高瀬神社があります。髙瀬神社は延長5年(927)の「延喜式神名帳」に小社として列せられ、礪波郡の式内社7座の筆頭に記載された古社です。越中国一宮として古くから人々から崇敬されてきました。(越中国一宮を名乗る神社は射水神社、気多神社、雄山神社などもあります)日本海沿岸と関連が深い大己貴命(大国主命)が祭神で能登や伏木の気多社も同じ祭神です。奈良時代の宝亀11年(780)に従五位下に叙され、平安時代の貞観元年(859)には正三位に昇進しています。射水神社と同時・同階で、共に越中国最高位の神社として朝廷の崇敬を受けていました。中世には越中国の一向宗徒の支配下に入り、戦国時代の戦乱により荒廃しました。江戸時代には加賀と越中藩主・前田氏の崇敬を受け、手厚く保護されました。明治6年(1873)に県社...髙瀬神社

  • 旧富山県立農学校本館

    富山県南砺市苗島(なわしま)に旧富山県立農学校本館(厳浄閣)があります。旧富山県立農学校本館は福野高等学校入口の右手に残されています。明治36年(1903)に建てられた木造2階建て、寄棟造り、桟瓦葺きで、建築面積は333.3㎡の和洋折衷の建物です。設計施工は砺波市太田出身の藤井助之丞が手懸けています。コロニアル様式という木造下見板張りペンキ塗り、縦長の上げ下げ窓の西洋建築のデザインを基本としています。正面屋根中央部に半円形屋根の特徴ある塔屋が付いています。ポーチの上の窓はギリシャ風の飾り窓になっています。建物の床は高く、玄関の開き扉の上は、半円形の欄間となっています。明治42年(1909)には皇太子(後の大正天皇)の御座所としても利用されました。昭和62年(1987)「富山県の建築百選」に選定され、平成9...旧富山県立農学校本館

  • 旧富山県立農学校本館

    富山県南砺市苗島(なわしま)に旧富山県立農学校本館(厳浄閣)があります。富山県立南砺福野高等学校は富山県簡易農学校として、明治27年(1894)に発足しました。権正寺の島巌氏が遺言で農学校建設を願って家財全部を時の石川県令(県知事)に寄付したことから始まりました。昭和43年(1968)、移築と修復工事を終えた旧本館は、時の吉田知事により巖浄閣と命名されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧富山県立農学校本館

  • 万福寺本堂

    富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺き、平入です。間口6間、正面に1間の向拝が付けられています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来が祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/万福寺本堂

  • 万福寺山門

    富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺の山門は県内に残っている城の門としては最も古い遺構です。切妻造り、本瓦葺き、2間一戸、薬医門形式、潜戸付きです。妻飾りなども室町時代から桃山時代の作風も見られる貴重なもので昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。万福寺の山門は昭和29年(1954)に台風によで倒壊しました。翌年復元されましたが、その時発見された墨書から貞享5年(1688)の建立であることと、「城主荒木六兵衛大手之門」ともあり、大手門のあった場所に新たに建立されたか、大手門の部材を用いて再建したものと推察されます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...万福寺山門

  • 万福寺

    富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。「寺院明細帳」によると平安時代後期の嘉応2年(1170)に開かれ、室町時代初期の延文5年(1360)に現在地に移ったとされています。また貞享2年(1685)に書かれた「寺社由緒書」には、室町時代の明応3年(1494)に開かれたと記されているそうです。風情ある万福寺の入口には立派な山門が建っています。享和元年(1801)に善徳寺から譲られたものでした、善徳寺ではその前年に楼閣の新しい山門が建立されていました。善徳寺境内は戦国時代は荒木館、城ヶ鼻城とも呼ばれた城端城(じょうはなじょう)だったようで、山門は大手門だったのです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/jap...万福寺

  • 中越弁慶号

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。中越弁慶号はイギリスのナスミス・ウィルソン株式会社の明治29年(1896)製の機関車です。明治30年(1897)から大正9年(1920)まで、中越鉄道では甲一形三号として登録され、客車、貨車の牽引に携わりました。昭和40年(1965)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/中越弁慶号

  • チューリップタワー

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。公園内のシンボルであるチューリップタワーは1970年大阪万博の太陽の塔に魅せられて建設されました。令和3年(2021)に高さは約26mの二代目タワーが完成しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/チューリップタワー

  • 五連陽水水車

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。公園内には全国でも最大級の五連陽水水車が動いています。最も大きい水車は直径5.5m、幅1mで、外周の両側にある224個の柄杓で毎分6.4トンの水を汲み上げています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/五連陽水水車

  • 旧中島家住宅

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中島家住宅は18世紀末に建てられています。間口10間(18..2m)、奥行3間半(6.3m)、寄棟造り、茅葺き、平入で、主屋の後ろに3間半(6.3m)、4間(7.3m)の「つの屋」を逆T字型に取り付けています。昭和51年(1976)に砺波市の有形文化財に指定されています。中嶋家は代々江波村の肝煎(村長)を務めていた家柄で、旧中島家住宅は江波に建てられていました。昭和51年(1976)に砺波チューリップ公園内に移築保存されました。内部はオイ(広間)を中心に座敷、ネワ(土間)、茶の間、台所、ヘヤ(寝室)が配された砺波地方の典型的な農家です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブロ...旧中島家住宅

  • 旧中越銀行本店

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中越銀行本店は砺波郷土資料館になっています。中越銀行は砺波地方の地主層の発起で明治27年(1894)に設立されています。この旧本店は明治42年(1909)に建てられたもので、昭和57年(1982)に砺波市の有形文化財に指定されています。中越銀行は昭和18年(1943)に統合して北陸銀行になっています。旧中越銀行本店は洋風を取り入れた土蔵造り2階建て、入母屋造り、妻入り、銅瓦棒葺き(元は本瓦葺き)で、三方に下屋をおろし、後方にT字型に入母屋根を組合わせています。間口9間(16.36m)で、奥行は10間(18.79m)あります。内部は吹抜けの営業室を中心に、三方をロビーで囲み、化粧材はすべて欅を用いて、全体をコリント様式の彫刻でまとめています。現在は、砺波...旧中越銀行本店

  • 砺波チューリップ公園

    富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。砺波チューリップ公園は富山県の県花、砺波市の市花であるチューリップを中心に四季折々の花を楽しみながら散策できる都市公園(総合公園)です。300万本のチューリップや、コキア、パンジーなどが咲き乱れます。チューリップ公園のシンボルのチューリップタワーを中心に公園内外には日本最大級の五連陽水水車やチューリップ四季彩館、砺波市美術館、砺波市指定有形文化財の砺波郷土資料館(旧中越銀行本店)や、旧中島家住宅、SL中越弁慶号などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/砺波チューリップ公園

  • 永安寺

    富山県高岡市戸出町に永安寺(えいあんじ)があります。海雲山永安寺は曹洞宗のお寺です。明徳4年(1393)に瑞雲恵俊により礪波郡下中条村に「海雲寺」として創建されました。寛永20年(1643)に豪農で十村役の川合家の当主・3代目川合又右衛門広満が現在地に海雲寺に移し「永安寺」と改め、川合家歴代の菩提寺としました。昭和33年(1958)、戸出御旅屋{加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に前田利常によって建てられた建物}が老朽化のため取り壊され、正門だけが川合家が払い下げを受けた関係で永安寺に移築されました。御旅屋の門としての価値が認められ、昭和42年(1967)には高岡市指定文化財に指定されました。平成25年(2013)にこの門は戸出コミュニティセンターに移築・修復されています。永安寺には本...永安寺

  • 戸出御旅屋の門

    富山県高岡市戸出町の戸出コミュニティーセンターの入口に戸出御旅屋の門(といでおたやのもん)が復元されています。戸出御旅屋は加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に本町(現在の戸出町3丁目北陸銀行戸出支店付近)に加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね:前田利家の4男)の命で建てられました。御旅屋門はその正門として上使街道沿いに建てられていました。豪農で十村役の川合家が管理していましたが、わずか45年で川合家に払い下げられました。御旅屋の建物の一部は昭和33年(1958)まで残っていましたが、老朽化のため取り壊されました。門だけは川合家の菩提寺である永安寺に運ばれ、平成25年(2013)に戸出コミュニティセンターに移築されました。移転・修復された御旅屋の門は高さ5.1m、幅10.8m、奥行3...戸出御旅屋の門

  • 厳照寺の梵鐘

    富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺の梵鐘は寛永15年(1638)に砺波郡西保(現在地ー高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたものです。鐘身96cm、竜頭(りゅうず)21cm、口径(外径)70cmの銅製です。江戸時代的な過飾はみられず、室町時代様式を踏襲しています。昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺の梵鐘

  • 厳照寺の門杉

    日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/r="0">厳照寺の門杉

  • 厳照寺

    富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。室町時代の明徳元年(1390)、本願寺5世の綽如上人(1350-1393)が開いたのが始まりと伝えられています。厳照寺は天正13年(1585)11月の大地震で庄川が大洪水になり境内が流されたため移転し、正保4年(1647)、加賀藩から100間4方のこの地を与えられ移りました。本尊の木造阿弥陀仏如来像は恵心僧都(源信)が刻んだといわれ、昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺

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