富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。北叡山各願寺は呉羽丘陵の麓にある高野山真言宗のお寺です。大宝年間(701-703)、文武天皇の勅命により仏性聖人(天武天皇第7皇子自信院一品(いっぽん)親王)が法相宗の寺として開山したのが始まりと伝えられています。平安時代初期に伝教大師最澄が各願寺を訪れ天台宗に改宗しています。2躯の木造薬師如来坐像を自ら彫り込み、1躯を各願寺の本尊に、もう1躯を比叡山延暦寺に収めたそうです。朝廷の勅願所として繁栄し、最盛期には七堂伽藍が整備され3千坊を数え、比叡山に対して北叡山と称しました。建武年間(1334-1336)に守護の井上俊清(普門利清)と対立し、国司の中院少将定清とともに立ち向かいましたが、兵火により全山焼失しました。再興後、天正3年(1575)の上杉侵...各願寺
富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。安田城入口にある安田城跡資料館では、安田城を紹介する出土品の展示のほか、映像による史跡の解説、企画展示や歴史講座を開いています。2階の展望所から背後に立山連峰がある安田城を一望できます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/田城跡資料館
富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。安田城は戦国時代末の平城で、東西約150m、南北約240m、約3万4千平方mあります。存城期間が短かったため改変がなく、当時の遺構がそのまま残っている全国的にも貴重な城跡で、古絵図「安田古城之図」とも一致しているため、昭和56年(1981)に国の史跡に指定されています。天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城といわれています。先鋒の前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用されました。慶長4年(1599)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従いました。その後しばらく代官平野...安田城跡
富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の庭園は本格的な日本庭園のように遠くの山などを借景にして池や谷を組み合わせるといったような事はしていません。屋敷から見る樹木の移り変わりや石との調和を重用しています。種類の違う梅や桜がたくさん植えられており、太い桜の大木は歴史を感じさせます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸庭園
富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸塀中門は主屋の西にある客用便所に接続して建つ塀にある門です。石造の柱の上部に石造の笠木をのせた簡略な形式の門口に木戸を入れた変わった門です。塀は腰まで自然石を積み上部を切石積みにしています。明治中期(1868-1911)に造られた塀のある石造りの門で、平成10年(1998)に国の有形文化財に.旧内山家住宅塀中門として登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸塀中門
富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の主屋は慶応4年(1868)に建てられています。明治20年頃(1887)に南側の表座敷、書院などを増築し、明治末(1868-1911)には東側の桜香の間などを増築して現在の姿になっています。木造平屋建てで、一部2階建てのところがあります。切妻造り、瓦葺きで、建築面積は860㎡もあります。正面の玄関には式台が付いており、豪農としての格式が感じられます。長大な部材を用いた大広間や銘木を駆使した書院などの意匠は優れていて、それぞれに時代の違いがよくあらわれています。平成10年(1998)に旧内山家住宅主屋として国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...旧内山邸主屋
富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸の表門は慶応4年(1868)に建てられた木造りの薬医門です。屋根は茅葺きだったものを昭和16年(1941)に桟瓦葺きに変えています。両側には屋根塀が付いています。旧内山家住宅表門として平成10年(1998)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧内山邸表門
富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。旧内山邸は豪農であった内山家の屋敷や庭園などを昭和52年(1977)に13代内山季友氏が富山県へ寄付した邸宅です。現在は富山県民会館の分館として一般に開放し、観覧のほか、お茶・お花などの文化的諸行事の会場などにも利用されています。映画「散り椿」のロケ地にもなりました。内山家は大永・享禄年間(1521-1531)にこの地に移り、新田開発をして大地主となりました。江戸時代には富山藩の十村役(大庄屋)を歴任し1千7百石を管理、苗字帯刀が許されました。地域の勧農・治水にあたり、たびたび富山藩主の来訪も受けています。明治以降地主制度のもとで最大の繁栄をむかえ、徳富蘇峰、若槻礼次郎ら文人、政治家らも来訪しています。3759坪の敷地内には広大な庭園が広がっています。文人などを招待し...旧内山邸
富山県富山市本丸に富山城があります。本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。3層4階の鉄筋コンクリート造りで、昭和29年(1954)に開かれた富山産業大博覧会を記念して建てられたもので郷土博物館となっています。平成16年(2004)に、「地域の景観の核」との評価により富山市郷土博物館(富山城)が、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山城天守
富山県富山市本丸に富山城があります。富山は加賀前田氏の支藩のひとつでした。古くは越中の豪族神保氏の居城でした。天正9年(1581)に織田家の家臣であった佐々成政が入封して、大改修を施して富山城の基礎を築きました。信長が本能寺の変で倒れた後も、成政は富山城を根拠地として越中から上杉勢を追い出し、やがて越中を平定しました。秀吉嫌いで有名だった成政は、形勢が秀吉に傾く中、有名なさらさら越えで徳川家康に謁見しました。柴田勝家滅亡後、成政は最後に秀吉の軍門に下りました。天正15年(1546)の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封させられ代わって前田氏が治めました。前田利長は隠居後、富山城に入りましたが、火事で城が全焼した為、高岡に新たに城を築いて移りました。寛永16年(1661)に3代利常の次男利次が入城し...富山城
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村の敷地には佐々成政剃髪址の石碑が建てられています。富山城主であった成政が天正13年(1585)攻め立てる豊臣秀吉の先鋒・前田利家の軍に敗れました。成政はここで髪を剃り僧衣を着けて服従の意志を示したそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐々成政剃髪址石碑
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村の敷地内の呉羽丘陵に番神山横穴墓群があります。昭和3年(1928)、40年(1965)、43年(1968)の土砂工事で15基の横穴墓が発見されました。奥に向かって5mほどの所に墓室(玄室)があり人骨が発見されています。古墳時代終期の有力家族墓と考えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/番神山横穴墓群
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市には千以上の遺跡があります。日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(縄文時代)、国史跡の北代遺跡(縄文時代中期)、山陰との交流を示す墳丘墓である四隅突出型墳丘墓(弥生時代)など。昭和54年(1979)、これらの遺跡で発掘された出土品を展示・保管するためこの考古資料館は開かれました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/考古資料館
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。売薬資料館は300年余りの歴史を持つ「富山売薬」関係の史資料を保存・活用するために、昭和59年(1984)に開館しました。収蔵資料のうち846点は「富山の売薬資料」として、国の重要有形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/売薬資料館
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。民俗資料館は富山市山田の旧山田村にあった江戸時代後期に建てられた旧谷浦家住宅です。寄棟合掌造り、かや葺ぶきの農家の建物です。昭和49年(1974)に一部を改築し開館しています。囲炉裏があり、衣食住や祭礼関連の用具などを中心に展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/民俗資料館
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。民芸合掌館は文久2年(1862)、富山市山田の旧山田村に建てられた山岸家の住宅を、昭和43年(1968)に移築したものです。屋根は2本の材木を山形に組み合わせた合掌造りです。柱や梁、桁はケヤキで、大黒柱には約34cm角の太いケヤキ材を使っています。梁は、「チョンナバリ」という雪の重みで自然に曲がった樹木を利用した曲梁を用い、豪雪に耐える造りとなっており、1階は住居、2層ある屋根裏は養蚕などに利用されていました。箪笥、箪笥階段、飾り棚、円卓などの家具がおかれ、火鉢などの工芸品なども展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...民芸合掌館
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。陶芸館は明治27年(1894)に豪農の邸宅として建てられたもので、当初は市内の大塚にありました。昭和56年(1981)に移築し開館しています。木造平屋建て、切妻造り、瓦葺きの建物です。富山県西部の平野部に多く見られる「東建ち(あずまだち)」という建物で、白壁に格子状の木組みが映えます。平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。現在は富山市民俗民芸村の陶芸館として一般公開され、江戸後期から明治期の陶磁器を中心に展示されています。また皿や、湯呑の絵付け体験などもできるようになっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...陶芸館
富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。富山市民俗民芸村は呉羽山中腹の眺望の良い緑豊かな小高い場所にあります。江戸から大正時代の古民家や蔵などを移築して利用しています。民俗・陶器・民芸品・薬業関連の博物館や考古資料館、富山市出身の水墨画家・篁牛人の美術館、土人形工房などが集められています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山市民俗民芸村
富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。富山県庁舎本館は、鉄筋コンクリート造り4階建て、間口89m、奥行き51m、建築面積3315㎡、延床面積13490㎡、高さ約18mの建物です。正面中央には屋根付きの車寄せがあり、左右対称のデザインになっています。富山県庁舎本館は昭和初期の庁舎建築の遺構として貴重な存在で、平成27年(2015)に国の有形文化財に登録され、平成21年(2009)には富山県教育委員会による「とやまの文化財百選(近代歴史遺産)」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山県庁舎本館
富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。富山県庁舎は、富山市の富山城近くにあり、富山県の行政を司る役所の建物群です。本館、南別館、東別館、県議会議事堂、警察本部庁舎、富山県防災危機管理センターなどがあります。富山県庁舎は、昭和5年(1930)の富山大火で焼失しました。その後の昭和10年(1935)に国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦などが監修して建てられました。第二次世界大戦中の昭和20年(1945)の富山大空襲で焼夷弾の直撃を受けましたが焼け残った数少ない建造物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/富山県庁舎
富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。宝寿院の山門は江戸時代中期に薬医門として建てられました。天保4年(1833)に楼門として改変し、三間一戸の楼門形式になっています。一階の上に土台を敷いてその上に二階が完全に分離して建てられています。入母屋造りの、銅板葺きで、外壁は真壁造り木部朱塗り、高欄、花頭窓が付けられています。正面には「金城山」の山号が掲げられています。昭和57年(1982)に富山市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宝寿院山門
富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。金城山宝寿院は高野山真言宗のお寺です。鎌倉時代初期の承久2年(1220)に建部の良瞬が開いたといわれ、立山信仰と深い関わりをもっています。応仁の乱(1467-1477)の兵火で焼失しましたが、立山権現の別当を務めた立山寺の明舜法印により再興を果たしました。最盛期には七堂伽藍が整備され繁栄しましたが、上杉謙信の侵攻で再び荒廃しました。その後、慶長4年(1599)、宗信大徳が再興し、江戸時代中期に現在地に移りました。境内に隣接する武部神社とは神仏習合し、鎮守社でしたが、明治時代初期の神仏分離令により武部神社から鰐口が移されています。本尊は大日如来で、老杉に囲まれて本堂、庫裏、位牌所、山門が建っています。山門は天保4年(1833)に楼門として改変した門で富山...宝寿院
富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。雄山神社の中宮祈願殿の境内には多くの杉の巨木が残されています。苔むした境内と巨大な杉に囲まれ荘厳な気分になります。この杉は「芦峅雄山神社境内杉林」として昭和42年(1967)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/芦峅雄山神社境内杉林
富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。中宮祈願殿にある祈願殿は明治維新までは大講堂と呼ばれていた建物です。改新後「祈願殿」と称し、諸祭儀、御神楽などを行う所になりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/祈願殿
富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。西本殿である立山大宮社は立山権現伊弉那岐大神を祀っています。うば堂と並び立山信仰の中心的な社殿でしたが、明治初年に落石によって倒壊しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/西本殿(立山大宮社)
富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。東本殿である立山若宮社は文治元年(1185)鎌倉幕府が大内冠者惟森義に命じて造営したと伝えられています。現在の社殿は天正16年(1588)の造営と思われます。一間社流造り、銅板葺きですが、当初はこけら葺きの屋根でした。柱はすべて角柱で、礎石に据えられています。老朽化のため本殿外側に全体を覆う軒支柱が造られています。中世の様式を伝えるものとして昭和39年(1964)に立山町の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/東本殿(立山若宮社)
富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。雄山神社は、立山雄山宮とも称し、立山を神体とする3つの神社の総称です。立山山頂にある峰本社、芦峅寺(あしくらじ)に建つ中宮祈願殿、岩峅寺(いわくらじ)に建つ前立社壇です。この3社を合わせたものが宗教法人雄山神社です。奈良時代中期の大宝元年(701)、慈興上人が開基したと伝えられ、立山権現ともいわれたそうです。慈興上人は越中国司佐伯宿祢有若の嫡男で佐伯有頼という人でした。この有頼が少年の時、白鷹と熊に導かれ立山の岩窟に行くと、雄山大神の分身が現れこの地に霊山を開くよう導かれたそうです。古来、富士山・白山と共に日本三霊山の1つとして広く信仰され、山岳信仰の霊場として崇敬されました。別当の芦峅寺、岩峅寺とともに繁栄しました。朝廷や幕府などの為政...雄山(おやま)神社中宮祈願殿
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富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。「海王丸」は海洋実習船として建造されました。進水式が2月14日のバレンタインデーであったため、恋人の聖地に認定され、カップルにとって素敵なイベントも開かれています。59年間に106万海里(地球約50周)を航海し1万人以上の海の若人を育てたそうです。姉妹船「日本丸」も同時期に建造され、「日本の海の王者たれ」という日本の海運の期待を集めました。平成2年(1990)4月から富山で一般公開されし、現在も海洋教室など青少年錬成の場として活用されています。帆をすべて開く「総帆展帆」(そうはんてんぱん)は4月から11月の間に月に1回、年に10回程度行われています。「海の貴婦人」と称される美しい姿が披露されます。美しい日本海と、新湊大橋、立山連峰が眺められます。下記のサイトにも...海王丸パーク
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。映画「人生の約束」に放生津八幡宮の曳山の譲渡シーンが撮影されました。各町にある13基全ての曳山が放生津八幡宮でお祓いを受け繰り出します。令和3年(2021)に、曳山と築山の行事は国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/曳山と築山の行事
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。境内に建立されている芭蕉翁の句碑は天保14年(1843)に付近の俳人達によって建てられています。元禄2年(1689)に芭蕉が詠んだ「早稲の香や分け入右は有磯海」の句が刻まれています。この句碑は射水市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/放生津八幡宮芭蕉翁の句碑
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。現在の放生津八幡宮の社殿は江戸時代末期の弘化2年(1845)に発生した火災により焼失し、氏子の浄財により文久3年(1863)に再建されたものです。放生津の宮大工棟梁・高瀬輔太郎、脇棟梁・梁野上武平、赤井弥左エ門が手掛けました。放生津八幡宮の拝殿は間口6間、奥行5間、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は桟瓦葺きです。正面に3間の向拝付けられています。外壁は真壁造り板張り、正面1間分は吹き放しになっています。平成16年(2004)に射水市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...放生津八幡宮拝殿
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746)、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(な...放生津八幡宮
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の庫裏は大火直後の明治2年(1869)に建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きで、建築面積は399平方mです。古くからの伽藍を偲ばせる建物で、一時は小学校の仮校舎にも使われたそうです。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺庫裏
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の本堂は明治12年(1879)に建てられた建物で、寺院本堂建築としては珍しい土蔵造りです。間口7間、奥行11間の平屋建て、切妻造り、平入で桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。外壁は白漆喰仕上げで、建築面積は263平方mあります。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺本堂
富山県射水市立町に大楽寺があります。長恩山大楽寺は浄土宗のお寺です。平安時代後期の長徳2年(996)に花山天皇の勅願により但阿無外上人によって開かれたといわれています。当初は長徳寺という天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代の弘安元年(1278)に浄土宗に改宗し、寺号を大楽寺と改めています。大楽寺の本堂と庫裏は国の登録有形文化財に登録されています。室町時代後期の天文年間(1532-1555)に描かれた絹本著色涅槃絵図は昭和61年(1986)に射水市指定文化財(絵画)に指定され、平安時代の木造阿弥陀如来立像は昭和53年(1978)に射水市指定文化財(彫刻)に指定されています。また江戸時代の萬誉上人の大楽寺御名号本尊は昭和50年(1975)に射水市指定文化財(書跡)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りくださ...大楽寺
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きの大きな建物です。間口7間、平入で、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺本堂
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の梵鐘は明治4年(1871)に専念寺が買い取った銅鐘で、文明6年(1474)の銘があります。高さ158cm、口径91cm、胴厚約8.5cmです。文明の銘がある梵鐘は、在銘の銅鐘としては県内最古といわれ、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。この梵鐘は、文明6年(1474)に立山寺の明舜が、自ら創建した面白寺で使うために荻生の鋳物師の幸善に造らせたものでした。その後、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、その後、廃仏毀釈の中、処分されることになり、専念寺が買い取ったといういきさつがありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...専念寺梵鐘
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の前庭にある傘松は「からかさ松」と呼ばれ有名です。黒松と赤松の雑種であるアイグロマツで、突然変異によって傘状になったといわれ、全国的にも珍しい松です。享保2年(1717)、放生津城主・神保慶宗(のりむね)の菩提を弔うため植えられたと伝えられています。この松は開いた傘のように見えることから傘松と呼ばれています。樹高約4m、地上から約1.5mの高さで枝が横方向に伸び、直径13mから15mにわたって広がっています。昭和40年(1965)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺傘松
富山県射水市本町に専念寺があります。専修山専念寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。文明16年(1484)本願寺8世蓮如上人の法弟である賢祐(けんゆう)が法土寺村(ほうどうじむら)に創建しています。延徳3年(1490)に親鸞絵像が蓮如上人より下付されています。中世には越中守護代の神保氏から帰依され寺運が隆盛しました。江戸時代中期の享保2年(1717)に水害により現在地に移ったそうです。この寺にある「からかさ松」は県の天然記念物に指定され、銅鐘は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺
富山県射水市(いみずし)庄西町に牧田組本社があります。牧田組本社ビルは元は回船業を営む南島商行本店として大正4年(1915)に建てられました。木造2階建て、銅板葺き、建築面積81平方mの近代洋風建築で、昭和62年(1987)に富山の建築百選に選定されました。平成14年(2002)には国の登録有形文化財に登録されています。玄関は両脇の袖壁を大きく前に張り出させています。そして上部には印象的な意匠を施し、玄関上部の2階パラペットを切妻風にしています。木造の壁に重厚なレンガを貼り、腰、隅柱などに花崗岩を使用しています。縦長の上げ下げ窓を左右対称に配置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...牧田組本社ビル
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店の建物があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ば...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅の主屋は間口7間半、奥行5間の土蔵造り、2階建ての古民家です。入母屋造り、平入り、桟瓦葺きの町屋の建築形式です。両脇には釉薬を塗りこんだ煉瓦造りの防火壁を設けています。外壁は2階が大壁の黒漆喰で1階の主屋正面には1間の土庇が付いています。軒下は白漆喰、2階腰部分はタイルを貼り、2階の開口部には銅板貼りの扉を設けています。平成9年(1997)に国の有形文化財を登録され、平成25年(2013)には高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅主屋
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅は明治33年(1900)の高岡大火の直後に建てられています。屋敷は主屋が道路に面しており、間に中庭を挟んで奥に1番蔵、2番蔵、調度蔵、味噌蔵が4棟横一列に建てられています。主屋とともに国の有形文化財に登録され、高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。旧室崎家住宅の主屋は間口4間半、奥行8間半の土蔵造り、2階建ての古民家です。切妻造り、平入り、桟瓦葺きで、内部は3列3段の通り土間形で古い町屋の形式です。外壁の仕上げは道路側の正面だけが黒漆喰で仕上げられています。間取りは正面1列目左から「ミセザシキ」、「ミセ」、2列目左から「ブツマ」、「ツウロ」、「チャノマ」、3列目左から「ブツマ」、「ナナジョウマ」があり、外観とは違う数寄屋風の造りです。主屋と土蔵は平成10年(1998)に高岡市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc...旧室崎家住宅主屋
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。室崎家は明治初年にこの地に移り住み、それ以前は現施設の向う側に住んでいました。昭和20年(1945)まで綿布の卸業を手広く営んでいたそうです。現在は石油商を営んでいますが、室崎氏の転居にあたり市がこの施設を資料館として整備し、平成14年(2002)から公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)
富山県高岡市守山町に高岡御車山会館(たかおかみくるまやまかいかん)があります。高岡御車山会館は高岡御車山祭にて曳き出す御車山と呼ばれる山車を展示しています。これらは国の重要無形民俗文化財、国の重要有形民俗文化財に指定されています。また高岡御車山祭は平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産に登録されています。高岡御車山会館は北陸新幹線の開業に合わせ平成27年(2015)4月25日に開館しました。鉄筋コンクリート造り2階建て一部3階建ての建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)山町筋にあるため土蔵造りの家屋になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...高岡御車山会館
岐阜県高山市大新町に日下部家住宅(日下部民藝館)があります。日下部家住宅は日下部家住宅は明治12年(1879)に建てられたもので、名工棟梁・川尻治助が江戸時代の建築を見事に再現したものといわれています。日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。嘉永5年(1851)には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。当時の邸宅は明治8年の大火で類焼し、再建されたのが現在の住宅です。明治時代に入り軒の高さや用材の規制が取れたため江戸時代に比べ軒が高く檜材をふんだんに使用されています。主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行17.4m、梁間17.3m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。梁と束柱の力強い木組みがすばらしく、10mある吹き抜けはなんとも美し...日下部家住宅
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。その中に平田記念館があります。平田記念館は「打保屋」(うつぼや)の屋号でびんつけ油、ろうそく屋を家業として財をなした平田家の住宅です。主屋は明治時代に建てられた典型的な高山の町屋建築とされ、贅を尽した飛騨商人の旦那衆の暮らしぶりがうかがえます。12代にわたって愛蔵してきた美術品、調度品を江戸期の土蔵3棟で公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/平田記念館
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しまし...飛騨高山の町並み
岐阜県高山市上岡本町に飛騨高山美術館があります。飛騨高山美術館は平成9年(1997)にオープンしたガラス工芸作品と家具を展示する私立の美術館です。小高い丘にあり、高山の町並みや北アルプスを見渡すことができます。16世紀から20世紀の世界中から収集したガラス工芸と、アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸品、19世紀末の家具や照明器具などを収蔵展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨高山美術館
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...旧吉真家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...旧田中家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...旧田口家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://w...旧若山家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨...飛騨民俗村・飛騨の里
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺大イチョウ
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺三重塔
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の本堂は間口5間、奥行4間、1重入母屋造り、向拝1間、銅板葺き、総桧造りの室町時代の建物です。天正15年(1587)に川上郷から移築されたといわれています。柱など太くて荘重内陣と外陣は厳重な格子で間仕切され、外陣の虹梁、蟇股などは古風な造りです。本堂は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺本堂
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺
岐阜県高山市国府町宇津江に宇津江四十八滝(うつえしじゅうはったき)があります。宇津江四十八滝は宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、複数の滝が存在する渓谷です。岐阜県の天然記念物、全国自然百選、飛騨・美濃紅葉33選、県名水50選などに指定されている県立自然公園です。最上部の滝まで880m、ゆっくり歩いて1時間のハイキングコースで散策できます。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られるようになりました。安永8年(1779)に出された赤田臥牛の「打江観瀑記」以降この滝を訪れる人が多くなったそうです。宇津江四十八滝には大蛇と「よそ八」の伝説が残されています。孝行息子「よそ八」は川の奥の沼で大蛇に出会い妖気で寝込んでしまいました。大蛇は娘に身を変え、自分の血を使って看護し全快...宇津江四十八滝
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。島崎正樹は明治の文豪島崎藤村の父親です。水無神社宮司として明治7年(1874)から10年(1877)まで務めました。教導職として多くの若者を指導しました。藤村の作品「夜明け前」で主人公・青山半蔵のモデルとなった人物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/島崎正樹石碑
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の絵馬殿は旧拝殿で、慶長12年(1607)、高山藩主金森長近が造営したものです。間口5間、奥行4間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は柱のみの吹き放しです。高山市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社絵馬殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の拝殿は間口5間で正面に3間の向拝が付けられています。木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は真壁造り板張りです。本殿は流造造り、銅板葺き、外壁は真壁造り板張りです。主祭神に水無大神(御歳大神)を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社拝殿・本殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の神門は切妻造り、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門です。昭和10年(1935)に国費によって造営されています。試楽祭など一宮水無神社の神事芸能が執り行われ、これらは岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社神門
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社は飛騨の国における最古の神社で、聖武天皇の時、飛騨の一の宮とされ、延喜式にも列しました。神階は正一位で、延喜式内の飛騨8社の総社とされ、神領も18ヶ村に及んだそうです。いつ創建されたかはよくわかりませんが、日本海沿岸を開拓した出雲民族が、神通川をさかのぼって来て飛騨の国を開いたとき、水源の位山(くらいやま)を神体として、その麓に農耕の祖神御歳神を祀ったのが起源ではないかと考えられています。標高1529mの位山は中腹から山頂にかけては奇岩怪石が数多く点在し、日本の表裏を分ける分水嶺として古くから神体山として信仰の対象となっていたようです。位山にある一位(櫟)は御笏(おしゃく)として朝廷に献上され、現在でも続いて...飛騨一宮水無神社
岐阜県下呂市萩原町萩原に十六館があります。十六館は旧十六銀行益田支店の建物です。JR飛騨萩原駅の西側、十六銀行益田支店の斜め向かいに建っています。明治44年(1911)に建てられたRC造りの平屋です。もともとは木造土蔵造りの建物でしたが、現在はRC造りに改築され、十六館としてギャラリーなどとして再生活用されています。玄関部分は改変されていますが、漆喰塗りの外壁やアーチ窓の意匠など外観は当時の姿をよくとどめています。十六銀行は単独で存続する銀行としては日本最古の銀行です。渋沢栄一率いる第一銀行(当時は第一国立銀行)の指導の下、明治10年(1877)に第十六国立銀行として開設されました。同時期に設立された国立銀行は在郷士族による出資が多かったのですが、第十六国立銀行は平民の出資94.4%で設立されたそうです。...十六館