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上田市
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上田市
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2013/06/15

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  • 武芸八幡宮

    岐阜県関市武芸川町八幡に武芸八幡宮(むげはちまんぐう)があります。武芸八幡宮は養老元年(717)、泰澄(たいちょう)大師が巡錫して大碓命(おおうすのみこと)の伝説を聞き、大碓命を祭神にして八幡神社を創建したと伝えられています。後、宇多天皇が美濃に行幸された時、別当神宮寺に臣下の者を留め置き、神社に奉仕させたそうです。古くから武将の崇敬が厚く、観応2年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が、社殿を再興しています。本殿、拝殿、五重塔、鐘楼などを建てられたそうです。その頃、不動を含め塔頭12坊が存在していたそうです。また、永禄10年(1567)、斎藤氏を滅ぼした織田信長は、井ノ口を岐阜と改め、稲葉山城を岐阜城としました。岐阜城からすると、武芸八幡宮は丑寅といって北東の方角に当たり、城の鬼門守護神として...武芸八幡宮

  • 大矢田神社のヤマモミジ

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社一帯の楓谷(かえでだに)には、約3千本のヤマモミジの原生林があり、樹齢千年以上の古木もあります。昭和5年(1930)に楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されました。また平成16年(2004)には飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社のヤマモミジ

  • 大矢田神社本殿

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の本殿は江戸中期の寛文12年(1672)に名古屋の大工、曽根源右衛門によって再建された社殿です。三間二面の流造りで、檜皮葺きで、切妻造り、中央に向拝を設けています。向拝の中央を唐破風(からはふ)としてその上に千鳥破風(ちどりはふ)を配しています。各所に彫刻、極彩色を施すなど派手な意匠になっています。斗組(ときょう)は出組(でぐみ)で、建物の妻をはじめ、各部に精巧な彫刻と彩色を加えた豪華な造りです。二重虹梁(にじゅうこうりょう)の妻は特に美しく、梁を三人の力士で支えています。大矢田神社の本殿は市内第一の華麗さを誇る優秀な建築で、平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www...大矢田神社本殿

  • 大矢田神社拝殿

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の拝殿は江戸中期の寛文12年(1672)以前に再建されたと思われます。間口3間、奥行3間の三間三面妻入り(つまいり)、一重、切妻造り、檜皮葺きの社殿です。妻入り拝殿は市内には他に例を見ない特徴ある形式で、尾張地方の大社の拝殿と類似しています。拝殿の柱は杉の角柱で、斗組(ときょう)は舟肘木(ふなひじき)、妻は二重虹梁(にじゅうこうりょう)で背面の中央に蟇股(かえるまた)を入れています。内陣として円柱を立て、格天井(ごうてんじょう)を貼っています。棟札(むなふだ)は見つかりませんでしたが本殿より少し前に完成しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...大矢田神社拝殿

  • 大矢田神社太鼓橋

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の太鼓橋は神様が渡られる橋で、神橋とも呼ばれています。下を流れる川が結界となって、これを境に手前が俗界、向こう側が神域となります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社太鼓橋

  • 大矢田神社楼門

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社の楼門は享保8年(1723)に京都の大工谷口五兵衛と当村大工広田平兵衛によって再建された建物です。弘治2年(1556)の戦乱で大矢田神社の大半は焼失しましたがこの仁王門のみが残りました。しかし享保7年(1722)に破損して修復途中、完成間際に大工小屋からの出火で全焼、1年後やっと完成したと伝えられています。昭和44年(1969)に美濃市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大矢田神社楼門

  • 大矢田神社

    岐阜県美濃市大矢田に大矢田神社(おやだじんじゃ)があります。大矢田神社は天王山の中腹にある古社です。孝霊天皇の御代(BC290-215)、建速須佐之男命(すさのうのみこと)と天若日子命(あめのわかひこのみこと)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。天若日子命は真木倉神社の祭神・天稚彦命と同じ人で喪山伝説の中心人物です。<喪山伝説とは天稚彦が不審な雉を矢で射ると、その矢が天から戻って来てその返し矢に当たって亡くなったという伝説です。>その後、大矢田神社は養老年間(712-723)に泰澄大師によって開基されたと伝えられています。弘治2年(1556)、戦乱で大矢田神社は灰燼に帰しました。塔頭7坊のうち、極楽坊と常泉坊の2坊だけは後に再建されました。明治3年(1870)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を...大矢田神社

  • 旧有知学校校舎

    岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。宝勝院の庫裏は明治9年(1876)に建てられた旧有知学校(きゅううちがっこう)の本館校舎を移築したものです。寄棟造り、桟瓦葺きの木造2階建てで、明治時代初期に建てたられた擬洋風校舎建築です。旧有知学校校舎として、平成10年(1998)に美濃市の有形指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧有知学校校舎

  • 宝勝院(旧有知学校校舎)

    岐阜県美濃市泉町に宝勝院(旧有知学校校舎)があります。金毘羅山宝勝院(ほうしょういん)は不動明王を本尊とする真言宗醍醐派のお寺で、美濃三十三観音4番札所でもあります。創建はよくわかりませんが、天正18年(1590)に南渡快俊僧都により再興され、不動明王が安置されました。金森長近が上有知を領地とすると、長良川の水運を利用した川湊を設置しました。慶長年間その川湊の水運の加護として金毘羅大権現を讃岐より勧請したと伝えられています。天明年間(1781-1789)に火災により焼失しましたが文化4年(1807)に再興しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宝勝院(旧有知学校校舎)

  • 美濃和紙あかりアート館

    岐阜県美濃市本住町に美濃和紙あかりアート館があります。美濃和紙あかりアート館には毎年秋に美濃市で開催される「美濃和紙あかりアート展」の入賞作品を展示しています。美濃和紙あかりアート展は、歴史ある美濃和紙を使ったあかりアート作品を全国から募集し、「うだつのあがる町並み」を会場に展示、コンテストするものです。美濃和紙あかりアート館の建物自体は、昭和16年(1941)に美濃町産業会館として美濃町信用購買販売利用組合が建設したものです。美濃町農業共同組合、美濃商工会議所、美濃市農業共同組合本店として使われました。平成17年(2005)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...美濃和紙あかりアート館

  • 今井家住宅

    岐阜県美濃市泉町に今井家住宅があります。旧今井家住宅は江戸時代中期に建てられた商家です。美濃市内最大級の町屋建築で、平成6年(1994)に美濃市指定文化財に指定されています。美濃市美濃町重要伝統的建造物群保存地区の中の主要な建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。主屋は間口12間、奥行8間、切妻造り、桟瓦葺き、平入の木造2階建てで、外壁は真壁造り、漆喰仕上げです。1、2階正面には格子戸、屋根両脇には高くうだつが掲げられています。中庭にある水琴窟は環境省選定で「日本の音風景100選」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/今井家住宅

  • 上有知湊渡船場灯台

    岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。上有知湊(こうずちみなと)渡船場(とせんじょう)灯台は江戸時代中期以後に建てられたもので、その形は摂津の住吉神社の灯台を模したものといわれ住吉神社の献灯を兼ねています。高さが9mもある灯台で、全国的に見ても現存する数少ない川湊灯台として貴重な存在です。上有知湊跡は渡船場灯台を含め、昭和45年(1970)に岐阜県指定史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上有知湊渡船場灯台

  • 上有知湊

    岐阜県美濃市港町に上有知湊(こうずちみなと)があります。上有知湊は長良川舟運の一大拠点で、最盛期には美濃国4大川湊に数えられ大きく発展しました。慶長10年(1605)この地の領主になった金森長近によって開かれた湊で、町の繁栄策として六斎市を開かせ、物資輸送の玄関口として上有知湊を開いたのでした。番船40隻をおいて長良川下流への船搬の拠点としました。上有知湊は長良川舟運の重要な拠点として整備され、物資の輸送と共に上流で切り出された木材を組んだ筏の発着場としても大きく発展しました。美濃和紙をはじめ荏胡麻、生糸、酒などがここを拠点にして各地に運ばれていきました。船着場跡の石畳、住吉型川湊灯台が残っていて岐阜県の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp...上有知湊

  • 美濃橋

    岐阜県美濃市上有知ー美濃市前野にかけて美濃橋(みのはし)があります。美濃橋は岐阜県美濃市曽代・前野、小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に位置しています。岐阜県技師戸谷亥名蔵を中心に建設が進められ、大正5年(1916)に完成しました。現存する最古の近代吊橋として知られています。橋の長さは113.0m、支間116.0m、幅員3.1m、型式は単径間補剛吊橋です。両岸に据えられたアンカーレイジに、鉄筋コンクリート造の主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し、吊ケーブルで支持された橋桁を鉄骨トラスで補剛しています。近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え、建設当時わが国で最大級の支間を実現しました。平成13年(2001)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。現存する最古の近代吊橋で、橋梁建設史上高い価値があることから...美濃橋

  • 小倉山城

    岐阜県美濃市泉町に小倉山城(おぐらやまじょう)があります。小倉山城は小倉山の南麓にあり、現在小倉公園の主要部を占めています。広さは東西約130m、南北約50mで、三段に分かれており、それぞれ高い石垣が築かれています。小倉山はもと尾崎丸山といわれていましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦い後、城主になった金森長近が鉈尾(なたお)山にあった城をここに移し小倉山と改めたそうです。長近は豊臣秀吉の下で飛騨国を統一し、関が原の戦いでは東軍に付いて功を上げ上有知領2万石が加えられました。慶長10年(1605)、高山藩と高山城を養子の金森可重に譲り、自らは上有知に移って小倉山城を築き、上有知藩を立藩しました。慶長12年(1607)、長近が亡くなると実子の金森長光が上有知藩の藩主となりました。しかし跡継ぎが続かなかっ...小倉山城

  • 美濃和紙の里会館

    岐阜県美濃市蕨生に美濃和紙の里会館があります。美濃和紙の里会館は、「美濃和紙」をテーマにした博物館です。美濃の里山で1300年前からすかれ続けてきた美濃和紙の歴史や技を資料などの展示で紹介しています。また、作られている過程を実際に触れることもでき、紙すき体験などが出来るワークショップも開いています。本美濃和紙の原料はコウゾのみを用いています。上質の原料と長良川の豊富な水で、美濃市周辺は15世紀には一大産地になりました。当時、大矢田には紙専門の市がたち、近江商人によって買い占められ都に送られていたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/美濃和紙の里会館

  • 長蔵寺舎利塔及び須弥壇

    岐阜県美濃市上野に長蔵寺(ちょうぞうじ)があります。舎利塔は小規模な一重宝塔で舎利堂に納められています。細部に至るまで精巧で、室町時代の天文16年(1547)に造られています。須弥壇は舎利塔と一連のもので、禅宗様で、形が整い意匠もよく、高欄親柱は非常にめずらしいものです。舎利塔は高さは3mで黒朱漆塗で彫刻されています。昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長蔵寺舎利塔及び須弥壇

  • 長蔵寺

    岐阜県美濃市上野に長蔵寺(ちょうぞうじ)があります。洞雲山長蔵寺は美濃市最古の臨済宗妙心寺派の古刹で、正平11年(1356)に創建されました。覚源禅師(平心処斉)が隠居所としたのが発端です。覚源は下総の名族千葉氏の出で、鎌倉の円覚寺で修行した名僧です。美濃国守護であった土岐頼忠(ときよりただ)の帰依により、この長蔵寺と揖斐郡の禅蔵寺を開いています。覚源は諸国巡錫(じゅんしゃく)の時、円覚寺の仏舎利(ぶっしゃり)を分けて背負って歩き、禅師の死後、村人諸衆が多宝塔を作製し、仏舎利を奉安しました。それがこの長蔵寺舎利塔で、舎利塔及び須弥壇で国の重要文化財に指定されています。この他に白山三社本地仏図が県の文化財に指定され、開山覚源禅師頂相、不動明王図、覚源禅師の墓が美濃市の文化財に指定されています。境内には仏舎利...長蔵寺

  • 真木倉神社獅子頭

    岐阜県美濃市御手洗字森切に真木倉神社(まきくらじんじゃ)があります。真木倉神社の社宝である獅子頭は枋(ほう)の木材で造られています。上顎の内部にある墨書から嘉元3年(1305)に造られたものです。黒と朱の漆塗り仕上げで、後世の獅子頭に見るような眼や歯に金箔は用いられていません。昭和50年(1975)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/真木倉神社獅子頭

  • 鹿苑寺地蔵堂

    岐阜県美濃市立花に鹿苑寺(ろくおんじ)があります。鹿苑寺の地蔵堂はその形状から通称六角堂と呼ばれています。地蔵堂は元文3年(1738)の扁額に応長元年(1311)に飛騨の匠藤原朝臣宗安が手掛けたと記されています。平面が6角形という珍しい形で、美濃市最古の建造物で、昭和54年(1979)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/鹿苑寺地蔵堂

  • 真木倉神社本殿

    岐阜県美濃市御手洗字森切に真木倉神社(まきくらじんじゃ)があります。真木倉神社の本殿は江戸時代初期の貞享3年(1686)に造営されたものです。一間社流造り、檜皮葺き、正面屋根に千鳥破風、軒唐破風の向拝が設けられています。正面の向拝には龍の彫刻を巻きつけ、孝行の説話である「二十四孝」や仙人をモチーフとした彫刻が施されています。祭神の御手洗姫命の他、味耜高彦根命、天稚彦命、下照姫命などが祀られています。国の重要文化財の大矢田神社本殿(寛文12年(1672)建立)との類似性も認められています。真木倉神社本殿は平成26年(2014)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...真木倉神社本殿

  • 真木倉神社

    岐阜県美濃市御手洗字森切に真木倉神社(まきくらじんじゃ)があります。真木倉神社は平安時代の美濃国神名帖にも記載されている古社です。祭神は喪山伝説の天稚彦(あめのわかひこ)と下照姫(したてるひめ)の間に生まれた御手洗姫命(みたらいひめのみこと)です。周囲には天稚彦を祭神とする喪山天神社や、大矢田神社などがあります。喪山伝説とは天稚彦が不審な雉を矢で射ると、その矢が天から戻って来てその返し矢に当たって亡くなったという伝説です。天照大神が大己貴命に国を譲るように天稚彦命に命じたのに大己貴命の娘の下照姫と結婚してしまいました。この雉は探りにきていた鳥でした。天稚彦命が裏切ったのを知った天照大神の射返し矢が天稚彦命の胸にあたり命を落としたのでした。真木倉神社は古くから牧谷総社として歴代領主から崇敬され、江戸時代には...真木倉神社

  • 鹿苑寺

    岐阜県美濃市立花に鹿苑寺(ろくおんじ)があります。廬山(ろざん)鹿苑寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、美濃西国三十三観音霊場第2番札所です。鹿苑寺は平安時代末期の安元元年(1175)に南宋で修行した天台宗の高僧・覚阿(かくあ)上人が創建した「廬山大悲院」を前身としています。山号は覚阿上人が修行した中国の廬山霊隠寺という名刹に由来しています。寛永4年(1628)に清泰寺第4世の梁屋和尚が荒れ果てた堂宇を改め、貞享2年(1687)に弟子の蜜厳和尚が禅道場を発願し、元禄元年(1688)に現在の大悲院が創建されました。そして寛保2年(1742)に鹿苑寺と改号されたいます。鹿苑寺の飛地、旧郡上街道の地蔵坂峠に六角地蔵堂があります。応長元年(1311)に再建された御堂で、美濃市最古の建造物で、国の重要文化財に指定されていま...鹿苑寺

  • 千本桧

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。日龍峰寺の本堂前の広場にそびえる千本桧(ひのき)は樹高20mの大木です。根本の回りは3mを超え、根本より無数に分かれた枝葉はまさに千本桧にふさわしう姿です。寺伝では両面宿儺(りょうめんすくな)が登山の折杖として使用した桧が千本の枝葉群立したといわれています。樹齢は300年といわれ関市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/千本桧

  • 日龍峰寺宝篋印塔

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。みたらしの霊水のことろに宝篋印塔があります。塔は鎌倉時代末期の元弘3年(1333)の銘があります。伝承によると源頼朝の分骨を埋葬したと伝えられています。岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日龍峰寺宝篋印塔

  • 日龍峰寺籠堂

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。本堂の右隣にある日龍峰寺の籠堂(こもりどう)は文化3年(1806)に建てられたものです。間口9間、奥行4間の切妻造り、桟瓦葺きです。本堂と同じく高沢山中腹の傾斜地に建てられた懸造り(舞台造り)です。本堂に隣接し意匠的には簡素にまとめられています。籠堂は修行僧や参拝者が堂内に籠って修行を行う場で、岐阜県内ではここしかないそうです。岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日龍峰寺籠堂

  • 日龍峰寺の本堂

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。日龍峰寺の本堂は寛文10年(1670)に再建された建物です。間口6間(15.6m)、奥行5間(12.6m)、入母屋造り、檜皮葺きで、高沢山中腹の傾斜地に建てられた懸造り(舞台造り)です。内部は正面2間分が外陣で柱のみの打ち放し、奥の3間分が内陣で両脇1間分が脇陣としています。堂内の正面には本尊で関市指定文化財の千手観音菩薩が安置されています。脇仏は毘沙門天(多聞天)と不動明王が配置され、これも室町時代に刻まれたもので関市指定文化財です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日龍峰寺の本堂

  • 日龍峰寺多宝塔

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。日龍峰寺の多宝塔は鎌倉時代中頃に建てられたもので、間口3間(3.97m)、奥行3間(3.97m)、総高14.7mあります。二重宝形造り、檜皮葺きで、二重折上小組格天井です。上層部下部は亀腹白漆喰仕上げ、内部は極彩色仕上げとなっています。源頼朝の正室である北条政子の夢枕に神龍が現れ、「日龍峰寺に池あり、法華経を書き写し供養してかの池に入れれば多雨たちまち降りなん」と告げ池に飛入するをみて目が覚めたそうです。お告げのように供養すると霊雨が降り念願成就したことから堂宇を再建、その時に再建された多宝塔がこの多宝塔です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~og...日龍峰寺多宝塔

  • 日龍峰寺

    岐阜県関市下之に日龍峰寺(にちりゅうぶじ)があります。大日山日龍峰寺は高野山真言宗のお寺で、岐阜県下最古の古刹です。海抜283mの高沢山山頂に建てられ、本堂前方が舞台造りで京都の清水寺に似ていることから、美濃清水とも呼ばれています。日龍峯寺の起源は、古墳時代の5世紀前半、仁徳天皇の時代に両面宿儺(りょうめんすくな)が天皇の命により日龍の精舎(しょうじゃ)を建てたのが始まりといわれています。その後、天平年間(729-749)に日龍峯寺として開山したのが、東大寺の創建でも活躍した行基です。自刻の千手観音を祀り、大伽藍を造営したと伝わります。鎌倉時代初期の承久年間(1219-1222)、各地で日照りが続いたため北条政子が雨乞いの祈願を日龍峰寺で行ったところ雨を呼び込んだため堂宇を再建したそうです。現在残る多宝塔...日龍峰寺

  • 弁慶庵

    岐阜県関市西日吉町に弁慶庵(べんけいあん)があります。弁慶庵は「弁慶庵惟然記念館」という名の小規模の博物館でもあります。広瀬惟然(ひろせいねん)は松尾芭蕉の弟子「蕉門十哲」の一人で、晩年生まれ故郷に戻りこの弁慶庵に住んだところです。名古屋の商家に養子に入った惟然は39歳の時、妻子を捨てて関に戻り出家したそうです。芭蕉が笈の小文の旅を終え、岐阜に逗留した折に芭蕉と出会い門下となったそうです。膳腕七個ですべての用がたりたという簡素な生活をしていたことから、弁慶庵は七器山とも呼ばれたそうです。館内には、惟然の偉業を偲ぶための作品や俳諧関係の文献が展示してあります。弁慶庵は昭和43年(1968)に関市の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogi...弁慶庵

  • 宗休寺梵鐘

    岐阜県関市西日吉町に関善光寺(宗休寺)があります。宗休寺の梵鐘は天文9年(1540)に中国で制作され、明治33年(1900)に発生した北清事変(義和団の乱)の際に日本に持ち込まれたものです。高さ187.0cm、口径128.0cmの銅製で、撞座4個所ある風鈴型です。「太平護国天尊」と「大明嘉靖庚子歳製」の銘が刻まれています。昭和51年(1976)に岐阜県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宗休寺梵鐘

  • 宗休寺本堂

    岐阜県関市西日吉町に関善光寺(宗休寺)があります。宗休寺の本堂は文政10年(1827)に建てられています。間口3間の二重入母屋造り、銅板葺き、妻入り、正面には1間の軒唐破風の向拝が設けられています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。昭和50年(1975)に関市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宗休寺本堂

  • 宗休寺大仏殿

    岐阜県関市西日吉町に関善光寺(宗休寺)があります。宗休寺の大仏殿は旧本堂だった建物で摂取殿とも呼ばれています。間口4間、入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、正面に1間の向拝が設けられています。内部には丈六の阿弥陀如来と脇侍による三尊仏が安置されています。宝暦3年(1753)に造営されたもので、昭和50年(1975)に関市の有形文化財に指定されています。大仏殿の基礎部には卍型の廊下が設けられ、日本で唯一の卍戒壇巡りが出来ます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宗休寺大仏殿

  • 関善光寺(宗休寺)

    岐阜県関市西日吉町に関善光寺(宗休寺)があります。関善光寺は正式には妙祐山宗休寺という天台宗のお寺です。延享2年(1745)、広瀬利忠が祖父母の遺言で祖先の霊を供養する為、草庵を設けたのが始まりと伝えられています。宝暦5年(1755)に竹本院の古跡を現在地に移し、比叡山の智堂大和尚を招き開山し、祖父の戒名「歇山宗休居士」から「宗休寺」としました。寛政10年(1798)に信州の善光寺の阿弥陀如来がこの地で出開帳され、善光寺大勧進等順の指導で善光寺に模して大伽藍が建立されました。以来、関善光寺と呼ばれ、多くの崇敬を集めるようになったそうです。本尊の丈六の阿弥陀三尊如来は御腹籠仏と呼ばれる胎内仏を持ち、安産育児の守護仏として信仰を集めています。約3万平方mの広い境内には、大仏殿、本堂をはじめ、書院、茶所、十三堂...関善光寺(宗休寺)

  • フェザーミュージアム

    岐阜県関市日ノ出町にフェザーミュージアムがあります。フェザーミュージアムはフェザー安全剃刀が運営する世界初の刃物総合博物館で、「刃物のまち」として知られる岐阜県関市にあります。フェザーは昭和7年(1932)7月に「関安全剃刃製造合資会社」として設立し、80年以上の歴史があります。フェザーミュージアムは「切る」をテーマに、子供から大人まで楽しみながら学べる体験型の施設です。約1万点ものカミソリに関する資料や道具が分野別に展示されているほか、創業当時からのフェザー社製品などが紹介されています。壁一面のカミソリ替刃が圧巻のカミソリウォールをはじめ、いろいろな用途やさまざまな形をした世界中のカミソリの展示、最新メディカル製品や産業用刃物など人の命や生活を守る刃物の進化を紹介するコーナー、視界全部がスクリーンで囲ま...フェザーミュージアム

  • 濃州関所茶屋

    岐阜県関市南春日町に濃州関所茶屋があります。濃州関所茶屋は関鍛冶伝承館に併設して、平成15年(2003)にオープンしました。関市の名前の由来となったといわれる「関所」をイメージした休憩施設で、茶屋の前には高さ4mの迫力ある冠木門が構えています。観光情報局、体験工房、朝市販売所、物産ショップ、食事処が集まっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/濃州関所茶屋

  • 関鍛冶伝承館

    岐阜県関市南春日町に関鍛冶伝承館(せきかじでんしょうかん)があります。関鍛冶伝承館は昭和59年(1984)に「関市産業振興センター」としてオープンしました。平成14年(2002)に、「関鍛冶伝承館」としてリニューアルオープンしています。「五箇伝」と称された日本刀作りを出発点として、今に続いている関市の伝統産業、「関鍛冶」刃物作りの技術伝承を目的としています。1階には関鍛冶を代表する刀工「兼元」・「兼定」をはじめとする刀工によって作られた日本刀や、その製造工程・歴史に関する様々な資料を展示しています。2階には、ハサミや包丁など近現代の刃物製品や、カスタムナイフ作家のナイフコレクションなどが展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japa...関鍛冶伝承館

  • 新長谷寺三重塔

    岐阜県関市長谷寺町に新長谷寺(しんちょうこくじ)があります。新長谷寺三重塔は寛正4年(1463)に再建された塔です。宝形造り、檜皮葺きの三間三重塔婆で、高さは20.1mあります。明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/新長谷寺三重塔

  • 新長谷寺本堂

    岐阜県関市長谷寺町に新長谷寺(しんちょうこくじ)があります。新長谷寺本堂は室町時代中期の寛正元年(1460)に再建された堂宇です。間口5間、奥行5間、一重、入母屋造り、檜皮葺きで、一間の向拝が設けられています。明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/新長谷寺本堂

  • 新長谷寺

    岐阜県関市長谷寺町に新長谷寺(しんちょうこくじ)があります。吉田山新長谷寺は真言宗智山派のお寺で、吉田観音とも呼ばれます。また多くの堂宇が文化財指定を受け、伽藍が整っていることから「美濃の法隆寺」とも呼ばれています。貞応元年(1222)、後堀河天皇の勅命により護認上人が開山しています。以来、国家鎮護の道場として寺運も大いに隆盛しました。正安2年(1300)と長禄元年(1457)に火災に遭いましたがその都度再建されています。仁王門を入ると正面に本堂、右手に三重塔が建ち、三重塔の左に薬師堂が建てられています。仁王門と本堂の間の左側には、手前から釈迦堂、阿弥陀堂、大師堂が建ち、本堂の右手後方に鎮守堂が建てられています。本堂、三重塔、大師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、薬師堂、鎮守堂、客殿など多くの堂宇が国の重要文化財に指...新長谷寺

  • 瑞林寺

    岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋に瑞林寺(ずいりんじ)があります。竜雲山瑞林寺は柿寺とも呼ばれる臨済宗妙心寺派のお寺です。文明年間(1469-1487)、仁済宗恕が美濃守護・土岐成頼(ときなりより)の帰依を受けて開山したのが始まりで、師である悟渓(ごけい)国師を開山1世とし自らは2世となりました。美濃きっての名刹で、現宗の別格地となっています。仁済宗恕は地元特産の蜂屋柿と呼ばれる干し柿を室町幕府10代将軍足利義稙に献上し、「柿寺」の称号と寺領10石を賜わっています。豊臣秀吉や徳川家康などにも蜂屋柿が献上され寺領の安堵や諸役免除を得ています。慶長8年(1603)と安永8年(1779)に火災で諸堂宇を焼失しましたが、寛政年間(1789-1801)に再建されています。寺宝も多く、室町時代の木造聖観音坐像、木造弥勒仏...瑞林寺

  • 杉原千畝記念館

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に人道の丘公園があります。人道の丘公園の中に杉原千畝記念館があります。この建物は檜材を使用した伝統構法で造られ、岐阜県21世紀ふるさとづくり芸術賞を受賞しています。杉原千畝がナチスドイツから逃亡してきたユダヤ人を救出するためにビザ発行を行ったカウナス領事館を再現した展示がされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/杉原千畝記念館

  • 人道の丘公園

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に人道の丘公園があります。人道の丘公園は、八百津町出身の杉原千畝(すぎはらちうね)の偉大な功績を称え、後世に伝えるための記念公園として平成4年(1992)に建設されました。杉原千畝記念館があり、シンボルのモニュメントから「平和を願う音楽」が聞こえてきます。広大な敷地は「メモリアルゾーン」、「アクセスゾーン」、「カルチャーゾーン」、「アミューズゾーン」に分かれ、日本庭園や芝生広場、子供広場なども設けられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/人道の丘公園

  • 旧八百津発電所

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に旧八百津発電所があります。旧放水口発電所は電力需要が増加したため大正6年(1917)に、八百津発電所の本館発電所の放水を再利用するために造られました。本館発電所は、洪水時の水位上昇を考慮して放水口水位に河水面から7mの余裕を持たせてありました。その落差を有効利用するため、放水口にこの小発電所が設けられたのでした。旧放水口発電所は平成10年(1998)に「旧八百津発電所施設」として国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧八百津発電所

  • 旧八百津発電所

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に旧八百津発電所があります。旧八百津発電所は外壁はモルタル仕上げ、内部は白漆喰仕上げ、切妻造りの煉瓦造りの大きな建物です。縦長の上げ下げ窓や上部がアーチ状の開口部、意匠化したパラペットなど当時の洋風建築の要素が取り入れられています。当初の設備は米国モルガン・スミス社製水車4台と、ジェネラル・エレクトリック社製の発電機4台が設置され、出力7500kWを発電するもので、当時の日本では有数の発電設備でした。旧八百津発電所は平成10年(1998)に「旧八百津発電所施設」として国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.co...旧八百津発電所

  • 旧八百津発電所

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に旧八百津発電所があります。旧八百津発電所は明治44年(1911)に、木曽川水系最初の本格的発電所として名古屋電灯株式会社により建設されました。昭和46年(1971)の新丸山発電所(関西電力)の完成を機に、昭和49年(1974)に運転を休止し、63年にわたる発電の歴史に幕を閉じました。関西電力は昭和53年に発電所施設を地元八百津町に譲渡し、平成10年(1998)には発電所本館及び放水口発電所が「旧八百津発電所施設」として国の重要文化財に指定されました。また平成17年(2005)には水槽(上部水槽)・余水路・土地が国の重要文化財に追加指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへに...旧八百津発電所

  • 蘇水峡

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に蘇水峡(そすいきょう)があります。蘇水峡は岐阜県の南部、木曽川の丸山ダム下流に位置し、桜や紅葉の名所としても有名です。「木曽三川三十六景」の一つにも選ばれており、飛騨木曽川国定公園の中にあります。木曽川が久田見(くたみ)高原と日吉高原の間を南下する時の浸食によってできた渓谷です。300mから500mの岩壁の神秘的な景観は奥ラインと呼ばれています。周辺には丸山ダムや杉原千畝の公園「人道の丘公園」、「めい想の森」などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蘇水峡

  • 大舩神社社叢

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に大舩神社(大船神社)があります。境内林は「大舩神社社叢」として、昭和49年(1974)に岐阜県の天然記念物に指定されています。御神木の杉は樹齢が千年以上といわれ、高さ30m、幹囲5.0mあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大舩神社社叢

  • 大舩神社本殿彫刻

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に大舩神社(大船神社)があります。大舩神社の本殿の彫刻は岐阜県の指定重要文化財です。大舩神社の本殿は元禄年間(1688-1704)に再建されたもので、三間社流造り、銅板葺きです。本殿並びに棟札十枚、刀剣、和鏡、懸仏、版木が八百津町指定文化財に、絵馬が八百津町指定有形民俗文化財となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大舩神社本殿彫刻

  • 大舩神社

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に大舩神社(大船神社)があります。大舩神社は「大船神社」とも書かれます。大同年間(806-809)に権現山山頂付近に勧請され、応永年間(1394-1427)に現在地に移されたといわれています。八百津町の産土神として敬われ、延喜式神名帳には式内社で従五位下と記載されています。天慶年中(938-946)に大山明神から大舩大権現に改称されています。江戸時代中期、尾張の津島神社にならったという4月第一日曜日の「だんじりまつり」は有名です。3つに分かれた船形のだんじりが曳かれ、掛け声とともに大舩神社の長い石畳を駆け上がるのは壮観です。明治時代の神仏分離令により仏教に関するものは取り払われ、明治4年(1871)に大舩神社に改められています。大舩神社の社叢は県の天然記念物に指定され、本殿並び棟...大舩神社

  • 愚渓寺二重塔

    岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)中に愚渓寺(ぐけいじ)があります。愚渓寺二重塔は万延元年(1860)に美濃出身の野村杢頭作十郎国均が手掛けた多宝塔です。間口3間、奥行3間、2重2層の宝形造り、桟瓦葺きの建物で、御嵩町の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/愚渓寺二重塔

  • 愚渓寺石庭

    岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)中に愚渓寺(ぐけいじ)があります。愚渓寺石庭は京都の龍安寺を開いた妙心寺の高僧・義天玄詔が作庭した庭園を再作庭した枯山水庭園「臥竜石庭」です。龍安寺石庭の原型になっています。天保年間(1830-1844)に忠実に再現された石庭で、龍安寺石庭と姉妹庭と称されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/愚渓寺石庭

  • 愚渓寺

    岐阜県可児郡御嵩町(みたけちょう)中に愚渓寺(ぐけいじ)があります。大智山愚渓寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。愚渓寺の創建は古く、応永35年(1432)頃に、臨済宗妙心寺派の義天玄詔(ぎてんげんしょう)が鈴が洞に愚渓庵を開創したのが始まりと伝えられています。玄詔は室町時代中期の臨済宗の高僧で京都妙心寺、京都大徳寺の住持を歴任し、細川勝元の帰依をうけ京都竜安寺なども開いています。玄詔は臥竜と名付けた石庭を作庭し禅の世界を表現するとともに、修行の道場としての位置づけを与えました。愚渓寺は東美濃の名刹として寺運も隆盛しました。永正3年(1506)に美濃守護・土岐政房により現在の寺号である愚渓寺に変えています。天保年間(1830-1844)に現在地に移され、二重塔(多宝塔)などを含めた伽藍が整えられ、石庭も再現され...愚渓寺

  • 大仙寺

    岐阜県加茂郡八百津町八百津に大仙寺(だいせんじ)があります。大仙寺は臨済宗妙心寺派の名刹です。宮本武蔵が禅の修行した寺として有名です。武蔵は大徳寺の沢庵和尚について修行をしていましたが、和尚に薦められ、愚堂国師のいるこの寺で修行したそうです。宮本武蔵坐禅石という石が残されています。大仙寺の創建ははっきりしませんが如幻尊者が開いたといわれ不ニ庵と称していました。室町時代の文亀元年(1501)に美濃守護であった土岐政房が東陽英朝を招いて改めて開山し、大仙寺と寺号を改めました。江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)、愚堂東寔(とうじょう)=諡号(しごう)は大円宝鑑国師(だいえんほうかんこくし)が領主の稲葉方通の帰依を受け、現在地に移転し中興しました。愚堂東寔は妙心寺住持を3度も務めた名僧です。後水尾(ごみ...大仙寺

  • 明鏡寺観音堂

    岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志に明鏡寺があります。明鏡寺の観音堂は創建創建当時の建物で、貞治7年(1368)頃に建てられたと思われます。間口3間、奥行3間の方3間、寄棟造りで、一重、平入、茅葺きの屋根です。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明鏡寺観音堂

  • 明鏡寺

    岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志に明鏡寺があります。霊光山明鏡寺(みょうきょうじ)は臨済宗妙心寺派のお寺です。文和2年(1353)、鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の冥福を祈願するため建立されたと伝えられています。建長寺14世だった頑石曇生(がんせきどんしょう)が親王の念持仏の聖観世音像の胎内に、親王愛用の円鏡を納め創建したと伝えられています。当初は臨済宗建長寺派のお寺でしたが、慶長10年(1605)、現在の妙心寺派に改め、江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)=諡号(しごう)は大円宝鑑国師(だいえんほうかんこくし)が中興しています。観音堂は国指定重要文化財に指定され、寺宝の木造聖観世音菩薩立像は岐阜県の有形文化財に、室町時代の十六善神図は八百津町の有形文化財に指定されています。下...明鏡寺

  • 願興寺本堂

    岐阜県可児郡御嵩(みたけ)町御嵩に願興寺があります。願興寺の本堂は天正9年(1581)に再建された建物です。間口7間、奥行5間の木造平屋建てで、入母屋造り、平入、正面一間向拝付き、鉄板葺きです。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/願興寺本堂

  • 願興寺

    岐阜県可児郡御嵩(みたけ)町御嵩に願興寺があります。大寺山願興寺は天台宗の古刹で、可児大寺とも呼ばれています。弘仁6年(815)、この地に逗留した伝教大師最澄が御布施屋(無料宿泊所)をつくり、自刻の薬師如来像を安置したのが始まりと伝えられています。その後、一条天皇の皇女・行智尼が正宝庵という草庵を営んでいました。長徳2年(996)、庵の南の尼ヶ池から蟹にのった小さな如来像をみつけ、最澄自刻の薬師如来像の胎内に納めたそうです。これが一条天皇の耳に入り七堂伽藍の堂宇が建立され、寺号も願興寺となり繁栄しました。また願興寺は関ケ原の戦いで最も武功をあげた戦国武将・可児才蔵が幼少期を過ごした寺としても有名です。願興寺本堂をはじめ薬師如来・両脇侍像、阿弥陀如来立像、阿弥陀如来坐像、釈迦如来・両脇侍像、四天王立像、十二...願興寺

  • 大井宿本陣跡

    岐阜県恵那市大井町に大井宿本陣跡があります。大井宿は美濃路随一の宿場として栄えました。中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町で、江戸まで87里(344km)、京へは47里(188km)のところにあります。大井宿本陣は代々林家が世襲しました。文久元年(1861)には公武合体のため、江戸に下向した皇女和宮がこの本陣で休息しています。客殿には式台付きの玄関や書院造りの上段の間がありましたが、昭和22年(1947)の火災で焼失してしまいました。現在は表門周辺と庭園が残されています。表門は安土桃山様式の意匠を受け継いでおり、本陣の遺構として貴重なことから昭和35年(1960)に岐阜県重要史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/...大井宿本陣跡

  • 岩村城跡灯篭

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村歴史資料館の前に置かれている灯篭は文政10年(1827)に林大学頭述斎の長子・林淡斎が岩村城主・松平乗保に寄贈したものです。東京上野の東叡山にあったものを松平家が岩村町に寄付したもので、昭和40年(1965)にここに移しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城跡灯篭

  • 岩村歴史資料館

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村歴史資料館は文化庁の歴史民俗資料館設置要領に基づく補助金を受け、昭和47年(1972)に開館しました。高床式、入り母屋造り、白壁の外観は岩村城をイメージさせています。岐阜県指定重要文化財の「享保岩村城絵図」「明和岩村城絵図」「佐藤一斎自讃画像」などを所蔵しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村歴史資料館

  • 岩村城太鼓櫓

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。太鼓櫓はふるさと創生の1億円によって平成2年に復元されました。城主が山頂の本丸から麓の藩主館に降り、政治の中心となりました。そして太鼓櫓が設けられ城下に時を知らせたり、非常時には打ち鳴らして領民に知らせたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城太鼓櫓

  • 知新館

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。知新館は元禄15年(1702)、小諸より入封した大給分家の松平乗紀(のりただ)が開設した美濃における最初の藩校です。昭和59年(1984)に岩村城跡公園入口の藩主邸跡に正門、釈奠の間が移築されました。岩村藩は2万石から3万石の小藩でしたが文教政策に重点をおき有能な藩士を育成しました。知新館は論語の「温故而知新」(ふるきをたずねて新しきを知る)から名付けられました。藩士の子弟はすべて、数え年8歳で入学し、20歳で退学が許されたそうです。乗紀は後藤松軒の門人の佐藤勘平(周軒)を招いて藩士の子弟を教育したそうです。正門は切妻造り、長屋門形式、木造平屋建て、桟瓦葺きです。外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁抑えになっています。釈奠の間は板間、間口1.8m、奥行90cm...知新館

  • 知新館

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。知新館は元禄15年(1702)、小諸より入封した大給分家の松平乗紀(のりただ)が開設した美濃における最初の藩校です。昭和59年(1984)に岩村城跡公園入口の藩主邸跡に正門、釈奠の間が移築されました。岩村藩は2万石から3万石の小藩でしたが文教政策に重点をおき有能な藩士を育成しました。知新館は論語の「温故而知新」(ふるきをたずねて新しきを知る)から名付けられました。藩士の子弟はすべて、数え年8歳で入学し、20歳で退学が許されたそうです。乗紀は後藤松軒の門人の佐藤勘平(周軒)を招いて藩士の子弟を教育したそうです。正門は切妻造り、長屋門形式、木造平屋建て、桟瓦葺きです。外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁抑えになっています。釈奠の間は板間、間口1.8m、奥行90cm...知新館

  • 下田歌子勉学所

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。下田歌子勉学所は岩村城跡公園駐車場から岩村城本丸に通ずる遊歩道の藤坂手前にあります。実践女子大学の前身を創立し、歌人としても名高い下田歌子は岩村藩出身で、女性だったため藩校の知新館に入学ができず、藩校教授だった父親から父の書斎で多彩な学識を得ました。この勉学所を復元したものです。下田歌子生誕150周年記念として、平成15年(2003)に下田歌子勉学所敷地内に銅像が立てられました。宮中に女官として出仕した17歳の歌子は、春月とお題を賜り歌を詠みました。和歌の才能を愛でられた昭憲皇太后から歌子の名を賜ったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http:/...下田歌子勉学所

  • 岩村城本丸

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。標高717mの山頂にある岩村城の本丸には二重の本丸櫓と納戸櫓、東西両側に多聞櫓が配されていました。本丸の外側に二の丸、西外側には出丸、二の丸の外側に三の丸が配されていました。表門、裏門ともに埋門で堅固な構えをしています。本丸櫓には城主が住んでおり、山頂にある昇竜の井戸を有していました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城本丸

  • 昇竜の井戸

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城本丸にある昇竜の井戸は標高717mと日本一高いところにある山城の井戸です。山の頂上にあるのに、水が枯れることが決して無かったといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/昇竜の井戸

  • 岩村の本丸表門

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の本丸表門は長局(ながつぼね)埋門(うずみもん)です。埋門とは、城の石垣・土塀の下方に設けた小門のことをいいます。両側の石垣の上には多門櫓があり、石垣の間に櫓門を配置しています。門の内側の細長い曲輪は長局と呼ばれます。天然の地形を巧みに利用しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村の本丸表門

  • 岩村城六段壁

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。本丸虎口の石垣は六段壁(ろくだんへき)と呼ばれ、石垣が六段積みになっています。急峻な地形に石積をする為に、工夫された石垣で、一階づつに犬走りを設けた工法で積まれ、修理や防御がしやすくなっています。当初は一段の高石垣でしたが、崩落防止のために補強を繰り返し、六段にもおよぶ石垣となったようです。東洋のマチュピチュとも呼ばれているようです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城六段壁

  • 岩村城霧ヶ井

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の霧ヶ井(きりがい)は八幡曲輪にあります。城主の食事用に使用され、日照りが続いても決して涸れなかったそうです。この井戸に蛇骨を投入すると霧が湧き出して山城を包み、敵の攻撃を阻んだという伝説が残されています。そのため岩村城は別名を「霧ヶ城」とも呼ばれたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城霧ヶ井

  • 岩村城八幡曲輪跡

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の八幡曲輪(はちまんくるわ)は岩村城を築城した加藤景廉祀った八幡神社があったことから名付けられました。西方と北方の物見台として二層の遠見櫓が建てられていたようです。入口には鳥居が建てられ、中段には別当寺の薬師寺がありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城八幡曲輪跡

  • 岩村城追手門跡

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の追手門は畳橋から棟門をくぐり直角に右に曲がって櫓門に入る外枡形門(そとますがたもん)です。脇には畳橋を見下ろすように三重櫓が構えられていました。三重櫓は岩村城唯一の三層の櫓で天守の役割も果たしていました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城追手門跡

  • 岩村畳橋跡

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の畳橋は追手門へ入る手前にある空堀にかかる橋です。敵が攻めてきたときに畳を上げるように橋板(はしいた)を取り外すことができたことから、畳橋と呼ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村畳橋跡

  • 岩村城土岐門跡

    +岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の土岐門(ときもん)は二之門です。内側は馬出状の曲輪となっていました。遠山氏が土岐氏を破り、城門を奪いここに移したという伝承からこの名があります。土岐門は廃城の際に岩村町飯羽間にある徳祥寺へ移され山門となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城土岐門跡

  • 岩村城一の門跡

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城の一の門は大手一の門とも呼ばれました。二層の櫓門で城に向かって左側には単層の多聞櫓が構えられ、右側の石垣上も土塀で厳重に固められていました。前面左側には石塁が張り出し、死角から敵が近づかないように工夫されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/岩村城一の門跡

  • 岩村城跡

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。岩村城は霧ケ城とも呼ばれ、岩村町の東の標高717mの城山にあります。本丸が諸藩の居城の中で最も高い位置にあり、規模や縄張りの巧みさから備中松山城、大和高取城とともに日本三大山城の一つに数えられています。本丸に向かって登っていくと一之門、土岐門、畳橋跡や追手門などの跡などがあります。かっては正面には三重櫓、枡形に入ると大手楼門があったようです。本丸手前には折れを持つ埋門や東口門などの虎口があり、岩村城のシンボルともいえる六段に積まれた高い石垣があります。天守閣はなく、二重の本丸櫓と納戸櫓、東西両側に多聞櫓がありました。本丸の外側に二の丸、西外側には出丸、二の丸の外側に三の丸が配されていました。奥の一段高いところにあった本丸櫓は、藩主邸ができるまで藩主が住んでいたそうで...岩村城跡

  • 岩村城

    岐阜県恵那市岩村町に岩村城があります。岩村城は源頼朝の家臣・加藤景廉が遠山庄の地頭になり文治元年(1185)頃築いたと思われます。景廉の嫡男の景朝は地名に因み遠山姓に改め、岩村遠山氏の祖となりました。以後、岩村城は長く遠山家の居城となりました。戦国時代になると武田、織田、徳川に隣接していたため交戦が絶えず、岩村城は大規模に拡張整備され一大要塞となりました。元亀2年(1571)、遠山景任が病死すると信長は信長の叔母で景任の正室・おつやの方を城主とし、信長5男の御坊丸を嗣子としました。これが女城主といわれる由縁です。元亀3年(1572)、武田側の秋山信友に攻め込まれ、窮地に陥ったおつやの方は信友と結婚し城兵の命をすくいました。天正3年(1575)、長篠の戦いで武田家が衰退すると岩村城は織田信忠により攻められ落...岩村城

  • 万ヶ洞天神神社

    岐阜県恵那市明智町に明知城があります。万ヶ洞にある天神神社は、明智光秀が若かりし頃、京都嵯峨天竜寺の雲水・勝恵を招き、ここで学問に精進したといわれています。祭神は菅原道真で、京都北野の天満宮からの分祀と伝えられています。なお、明知城は、明智光秀の生誕の城といわれていますが、可児市にある明智長山城である可能性が高いとされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/万ヶ洞天神神社

  • 明知城陣屋跡

    岐阜県恵那市明智町に明知城があります。明知城陣屋跡は、大手門近くにあります。明知城は廃城となり、遠山利景は陣屋を設け、参勤交代をする交代寄合の旗本になりました。延宝6年(1678)以降は江戸定府となり、陣屋は代官村上氏が管理して明治まで続きました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明知城陣屋跡

  • 明知城跡

    岐阜県恵那市明智町に明知城があります。明知城跡は町並みの東にそびえる標高530mの城山の上にあります。現在公園となり、散策道も付けられています。石垣は多く見られませんが、多くの曲輪、堀切などが残されています。山頂の2つの曲輪と出丸を中心として、東西400m・南北300mの城山の全域に広がっています。尾根伝いの敵の侵入を防ため尾根を断ち切って設けた堀である堀切や、石や土塁を築いた曲輪、横堀など工夫されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明知城跡

  • 明知城

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  • 明知城

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  • 明知城

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  • 三宅家住宅

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。三宅家住宅は日本大正村の大正ロマン館の奥にある茅葺きの建物です。明智町馬木地区にあったもので、平成3年(1991)に明智町が寄贈を受け、翌年現在地に移築復元したものです。主屋は元禄元年(1688)に建てられたものです。三宅家は江戸時代の初め、旗本の明知遠山家の家臣でした。寛文4年(1664)に帰農し馬木村に居を定めたそうです。内部は養蚕のために板の間が拡張され、三間取り(広間型)から四間取り(田の字型)に改造されています。近世中期の民家の特徴である鳥居建ての形式が残されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/三宅家住宅

  • うかれ横丁

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にはうかれ横丁と呼ばれていた飲み屋が立ち並んでいました。「中馬街道うかれ横町」と書かれた看板は路地を跨ぐ渡り廊下に掲げられています。割烹旅館笹乃家の客が芸者を呼ぶと廊下の向こうにあった芸者置屋からかけ参じたということです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/うかれ横丁

  • 司葉子記念館

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村に司葉子記念館があります。日本大正村第2代村長として16年間勤めた司葉子の記念館です。「続青い山脈」の撮影で、恵那市に滞在したことがきっかけで、「恵那は第二のふるさと」となり地元と交流してきました。衣装や台本、写真など300点を超す資料が展示されており、楽屋なども再現されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/司葉子記念館

  • 山本芳翠記念館

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にある山本芳翠記念館は平成2年(1990)10月に開館しました。芳翠は嘉永3年(1850)に恵那郡野志村(恵那市明智町)に生まれています。黒田清輝は芳翠によって生まれたともいわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/山本芳翠記念館

  • 大正ロマン館

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にある大正ロマン館は平成6年(1994)5月に開館した瀟洒な洋風建築の博物館です。日本大正村の初代村長である高峰三枝子と、日本大正村議会の議長である元横綱栃錦の春日野清隆の記念館でもあります。建物の前にはお二人の銅像が建てられています。メインルームには高峰三枝子の等身大の人形が愛用した衣装を身につけています。隣りの部屋には大正時代の東京駅、帝国ホテルライト館、原宿駅などの建築物の模型が展示されています。また大正時代の楽器・楽音器具などが並んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大正ロマン館

  • 大正時代館

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にある大正時代館はその名のとおり大正時代にこだわった資料館です。「大正天皇」に関する展示、当時の暮らしを新聞やポスターなど、様々な生活用具で再現した生活展示を再現しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大正時代館

  • 日本大正村資料館

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にある日本大正村資料館は濃明銀行の蔵として建設されました。明治期、この地域では養蚕業が盛んで、生糸を扱う会社が濃明銀行になりました。東棟、西棟の2つの棟があり、銀行蔵と呼ばれていました。農家から預かったり買い取ったりした繭を収納していたようです。東棟は木造3階建て(一部4階)、瓦葺きで、大正7年(1918)に建てられています。西棟は木造3階建て、瓦葺きで、明治42年(1909)に建てられています。内部に手動エレベーターが備わっています。恵那市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本大正村資料館

  • 日本大正村役場

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。大正村にある日本大正村役場は明治38年(1906)に明智町役場として建てられています。昭和32年(1957)まで役場として使用されました。その後は商工会議所や集会所などに使用され、昭和59年(1984)に日本大正村の構造物となりました。日本大正村の設立経緯などが展示されていて、無料休憩所にもなっています。寄棟造り、木造2階建て。桟瓦葺きで、外壁は下見板張りです。平成12年(2000)に国の登録有形文化財に登録されました。また平成27年(2015)には恵那市景観重要建造物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2....日本大正村役場

  • 日本大正村

    岐阜県恵那市明智町に日本大正村があります。恵那市の明智町はかつて蚕糸を地場産業として発展していました。その頃の町並みが各所に残されています。明治末期から戦前までの歴史的建造物を中心に、生活、文化を含めて、大正時代のたたずまいを伝え、残そうとする町ぐるみの博物館が日本大正村です。昭和63年(1988)4月に旧恵那郡明智町の町おこしとしてオープンしました。初代村長は高峰三枝子で、平成11年(1999)に司葉子が2代目村長になり、平成27年(2015)には竹下景子が3代目村長に就任しています。大正浪漫館、日本大正村資料館、大正時代館だけは入場券が必要です。日本大正村の敷地内に設けられているわけではなく、町の中に大正時代の雰囲気の店舗、資料館、博物館などが散らばっています。郵便局や銀行では実際の窓口業務も行ってい...日本大正村

  • 瑞浪市市之瀬廣太記念美術館

    岐阜県瑞浪市明世町戸狩に瑞浪市市之瀬廣太記念美術館があります。市之瀬廣太記念美術館は、瑞浪市(旧・岐阜県土岐郡土岐村)出身の彫刻家、市之瀬廣太の美術館です。平成3年(1,991)にオープンし、平成29年(2017)からは瑞浪市出身の彫刻家、天野裕夫の作品も常設展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞浪市市之瀬廣太記念美術館

  • 連房式登窯

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に瑞浪市民公園があります。公園内の化石博物館と陶磁資料館の間に連房式登窯があります。17世紀の初め頃に美濃に導入された窯体構造で製品を焼成する房(室)を斜面に複数連ねた窯です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/連房式登窯

  • 瑞浪市陶磁資料館

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に瑞浪市陶磁資料館があります。瑞浪市陶磁資料館は古代から現代までの美濃焼や陶磁器生産用具を展示している博物館です。明治から昭和40年代にかけて陶磁器の生産に使用された用具約3千点と製品850点は、平成28年(2016)に「美濃の陶磁器生産用具及び製品」として国の登録有形民俗文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞浪市陶磁資料館

  • サイエンスワールド

    岐阜県瑞浪市明世町戸狩にサイエンスワールドがあります。54サイエンスワールドは平成11年(1999)に開館し、岐阜県により設置されました。エントランス部が遠心分離機をモチーフとした外観です。平成12年(2000)に中部建築賞を受賞しています。レクチャーラボ、サイエンスラボ、ミュージアムショップ、スペシャルラボ、科学図書館などがあり、科学工作、科学実験・観察、先端科学技術などが学べる空間です。実験や工作を通じて科学のおもしろさとふしぎを学ぶことができる体験型科学館なのです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/サイエンスワールド

  • 瑞浪市化石博物館

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に瑞浪市化石博物館があります。瑞浪市周辺は瑞浪層群と呼ばれる地層の上にあり、新生代新第3紀中新世(2000万年ー1500万年前)の化石が多く発掘されています。化石博物館ではこれらの本物の貝類・魚類・ほ乳類・植物などの化石が間近で見られます。隣接してある、化石の洞窟は、太平洋戦争中、飛行機工場の疎開用に掘られた地下壕です。壁面、天井には無数の貝類の化石が観察できます。この地下壕は、強制連行された中国人や朝鮮人によって掘られた悲しい歴史を持っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞浪市化石博物館

  • 瑞浪市民公園

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に瑞浪市民公園があります。瑞浪市民公園は瑞浪市にある都市公園(総合公園)です。昭和49年(1974)に瑞浪化石公園として開園し、各施設の整備により現名称となりました。園内にはサイエンスワールド、瑞浪市化石博物館、瑞浪市陶磁資料館、瑞浪市市之瀬廣太記念美術館、大島1号古墳、連房式登窯などがあります。園内は遊歩道で整備されています。いこいの広場や、瑞浪市民体育館、瑞浪市民野球場、瑞浪市民テニスコート、瑞浪市民競技場、瑞浪市民アーチェリー場、瑞浪市民弓道場などの体育施設も集合されています。また、戸狩地下壕や日中不戦の誓い碑なども建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...瑞浪市民公園

  • 生飯台

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。本堂手前に生飯台があります。生飯(さば)とは鎮魂慰霊の施食で食事を少し取り分けて、餓鬼・畜生・無縁霊に供する物をいいます。生飯台(さばだい)は燈籠の下半分だけの石の台です。享保8年に造られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/生飯台

  • 明白寺五輪塔

    岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。明白寺の本堂手前の左側に石塔が並んでいます。一際大きい五輪塔は瑞浪市内最大の五輪塔で、市指定文化財です。鎌倉時代末期~南北朝時代の造立とみられ、一説には土岐頼基)の墓とされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/明白寺五輪塔

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