富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。「海王丸」は海洋実習船として建造されました。進水式が2月14日のバレンタインデーであったため、恋人の聖地に認定され、カップルにとって素敵なイベントも開かれています。59年間に106万海里(地球約50周)を航海し1万人以上の海の若人を育てたそうです。姉妹船「日本丸」も同時期に建造され、「日本の海の王者たれ」という日本の海運の期待を集めました。平成2年(1990)4月から富山で一般公開されし、現在も海洋教室など青少年錬成の場として活用されています。帆をすべて開く「総帆展帆」(そうはんてんぱん)は4月から11月の間に月に1回、年に10回程度行われています。「海の貴婦人」と称される美しい姿が披露されます。美しい日本海と、新湊大橋、立山連峰が眺められます。下記のサイトにも...海王丸パーク
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。映画「人生の約束」に放生津八幡宮の曳山の譲渡シーンが撮影されました。各町にある13基全ての曳山が放生津八幡宮でお祓いを受け繰り出します。令和3年(2021)に、曳山と築山の行事は国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/曳山と築山の行事
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。境内に建立されている芭蕉翁の句碑は天保14年(1843)に付近の俳人達によって建てられています。元禄2年(1689)に芭蕉が詠んだ「早稲の香や分け入右は有磯海」の句が刻まれています。この句碑は射水市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/放生津八幡宮芭蕉翁の句碑
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。現在の放生津八幡宮の社殿は江戸時代末期の弘化2年(1845)に発生した火災により焼失し、氏子の浄財により文久3年(1863)に再建されたものです。放生津の宮大工棟梁・高瀬輔太郎、脇棟梁・梁野上武平、赤井弥左エ門が手掛けました。放生津八幡宮の拝殿は間口6間、奥行5間、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は桟瓦葺きです。正面に3間の向拝付けられています。外壁は真壁造り板張り、正面1間分は吹き放しになっています。平成16年(2004)に射水市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...放生津八幡宮拝殿
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746)、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(な...放生津八幡宮
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の庫裏は大火直後の明治2年(1869)に建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きで、建築面積は399平方mです。古くからの伽藍を偲ばせる建物で、一時は小学校の仮校舎にも使われたそうです。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺庫裏
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の本堂は明治12年(1879)に建てられた建物で、寺院本堂建築としては珍しい土蔵造りです。間口7間、奥行11間の平屋建て、切妻造り、平入で桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。外壁は白漆喰仕上げで、建築面積は263平方mあります。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺本堂
富山県射水市立町に大楽寺があります。長恩山大楽寺は浄土宗のお寺です。平安時代後期の長徳2年(996)に花山天皇の勅願により但阿無外上人によって開かれたといわれています。当初は長徳寺という天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代の弘安元年(1278)に浄土宗に改宗し、寺号を大楽寺と改めています。大楽寺の本堂と庫裏は国の登録有形文化財に登録されています。室町時代後期の天文年間(1532-1555)に描かれた絹本著色涅槃絵図は昭和61年(1986)に射水市指定文化財(絵画)に指定され、平安時代の木造阿弥陀如来立像は昭和53年(1978)に射水市指定文化財(彫刻)に指定されています。また江戸時代の萬誉上人の大楽寺御名号本尊は昭和50年(1975)に射水市指定文化財(書跡)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りくださ...大楽寺
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きの大きな建物です。間口7間、平入で、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺本堂
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の梵鐘は明治4年(1871)に専念寺が買い取った銅鐘で、文明6年(1474)の銘があります。高さ158cm、口径91cm、胴厚約8.5cmです。文明の銘がある梵鐘は、在銘の銅鐘としては県内最古といわれ、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。この梵鐘は、文明6年(1474)に立山寺の明舜が、自ら創建した面白寺で使うために荻生の鋳物師の幸善に造らせたものでした。その後、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、その後、廃仏毀釈の中、処分されることになり、専念寺が買い取ったといういきさつがありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...専念寺梵鐘
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の前庭にある傘松は「からかさ松」と呼ばれ有名です。黒松と赤松の雑種であるアイグロマツで、突然変異によって傘状になったといわれ、全国的にも珍しい松です。享保2年(1717)、放生津城主・神保慶宗(のりむね)の菩提を弔うため植えられたと伝えられています。この松は開いた傘のように見えることから傘松と呼ばれています。樹高約4m、地上から約1.5mの高さで枝が横方向に伸び、直径13mから15mにわたって広がっています。昭和40年(1965)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺傘松
富山県射水市本町に専念寺があります。専修山専念寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。文明16年(1484)本願寺8世蓮如上人の法弟である賢祐(けんゆう)が法土寺村(ほうどうじむら)に創建しています。延徳3年(1490)に親鸞絵像が蓮如上人より下付されています。中世には越中守護代の神保氏から帰依され寺運が隆盛しました。江戸時代中期の享保2年(1717)に水害により現在地に移ったそうです。この寺にある「からかさ松」は県の天然記念物に指定され、銅鐘は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺
富山県射水市(いみずし)庄西町に牧田組本社があります。牧田組本社ビルは元は回船業を営む南島商行本店として大正4年(1915)に建てられました。木造2階建て、銅板葺き、建築面積81平方mの近代洋風建築で、昭和62年(1987)に富山の建築百選に選定されました。平成14年(2002)には国の登録有形文化財に登録されています。玄関は両脇の袖壁を大きく前に張り出させています。そして上部には印象的な意匠を施し、玄関上部の2階パラペットを切妻風にしています。木造の壁に重厚なレンガを貼り、腰、隅柱などに花崗岩を使用しています。縦長の上げ下げ窓を左右対称に配置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...牧田組本社ビル
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店の建物があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ば...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅の主屋は間口7間半、奥行5間の土蔵造り、2階建ての古民家です。入母屋造り、平入り、桟瓦葺きの町屋の建築形式です。両脇には釉薬を塗りこんだ煉瓦造りの防火壁を設けています。外壁は2階が大壁の黒漆喰で1階の主屋正面には1間の土庇が付いています。軒下は白漆喰、2階腰部分はタイルを貼り、2階の開口部には銅板貼りの扉を設けています。平成9年(1997)に国の有形文化財を登録され、平成25年(2013)には高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅主屋
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅は明治33年(1900)の高岡大火の直後に建てられています。屋敷は主屋が道路に面しており、間に中庭を挟んで奥に1番蔵、2番蔵、調度蔵、味噌蔵が4棟横一列に建てられています。主屋とともに国の有形文化財に登録され、高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。旧室崎家住宅の主屋は間口4間半、奥行8間半の土蔵造り、2階建ての古民家です。切妻造り、平入り、桟瓦葺きで、内部は3列3段の通り土間形で古い町屋の形式です。外壁の仕上げは道路側の正面だけが黒漆喰で仕上げられています。間取りは正面1列目左から「ミセザシキ」、「ミセ」、2列目左から「ブツマ」、「ツウロ」、「チャノマ」、3列目左から「ブツマ」、「ナナジョウマ」があり、外観とは違う数寄屋風の造りです。主屋と土蔵は平成10年(1998)に高岡市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc...旧室崎家住宅主屋
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。室崎家は明治初年にこの地に移り住み、それ以前は現施設の向う側に住んでいました。昭和20年(1945)まで綿布の卸業を手広く営んでいたそうです。現在は石油商を営んでいますが、室崎氏の転居にあたり市がこの施設を資料館として整備し、平成14年(2002)から公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)
富山県高岡市守山町に高岡御車山会館(たかおかみくるまやまかいかん)があります。高岡御車山会館は高岡御車山祭にて曳き出す御車山と呼ばれる山車を展示しています。これらは国の重要無形民俗文化財、国の重要有形民俗文化財に指定されています。また高岡御車山祭は平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産に登録されています。高岡御車山会館は北陸新幹線の開業に合わせ平成27年(2015)4月25日に開館しました。鉄筋コンクリート造り2階建て一部3階建ての建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)山町筋にあるため土蔵造りの家屋になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...高岡御車山会館
富山県高岡市木舟町に菅野家住宅があります。菅野家住宅の主屋は間口12.7m、奥行13.6mの土蔵造り、2階建てで、切妻造り、平入り、桟瓦葺きの町屋建築です。外観は黒漆喰仕上げで、両脇には釉薬をかけた煉瓦造りの袖壁があり、2階の窓には観音開きの土扉を備えています。山町筋は北陸道に沿って形成され、商業の中心地として栄えました。現在この地区は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。東西600m、南北90mで、菅野家住宅は当時の高岡町屋の典型で中心的な建物です。平成6年(1994)に国の重要文化財に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/菅野家住宅主屋
富山県高岡市木舟町に菅野家住宅があります。菅野家は高岡の政財界の中心的な存在として活躍してきた名家です。明治時代初頭、菅野家5代伝右衛門は北海道との通商で巨万の富を築きました。明治22年(1889)には高岡銀行を設立し、36年(1903)には高岡電燈を創立しています。高岡紡績なども起業し、高岡の近代化に貢献する一方、政界にも進出し、高岡政財界の中心的な存在として活躍しました。菅野家住宅主屋は明治33年(1900)の高岡大火直後に、当時のお金で約10万円の巨費を投じて建てられました。2階建の土蔵も同じ時に建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/菅野家住宅
富山県高岡市木舟町に筏井家(いかだいけ)住宅があります。筏井家の主屋は間口6間半、奥行7間半の2階建ての土蔵造りの町屋です。切妻造り、桟瓦葺き、平入で外観は黒漆喰仕上げにしています。2階の開口部は土戸の観音扉にするなど防火に対しての工夫が見られます。主屋は平成10年(1998)に富山県の有形文化財に指定されています。屋内の間取りは通り土間形式で、道路側にミセノマ、ミセザシキ、中間部にチャノマ、ザシキ、ブツマ、奥にはヒカエノマ、チャシツ、トコノマが並び、裏庭境に土庇を付けています。2階は道路側にモノオキ、奥には縁側のついたザシキが並んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blo...筏井家住宅主屋
富山県高岡市木舟町に筏井家(いかだいけ)住宅があります。筏井家は高岡市街の中心部である山町筋の通りに面し、代々、糸などの卸商を営んで財を築きました。筏井家住宅は明治33年(1900)の高岡大火で罹災し、明治36年(1903)に建てられた建物です。主屋は道路に接して西面し、両隣家との境に煉瓦積みの防火壁を設けています。北側の防火壁に沿って主屋と土蔵を結ぶ通り土間が設けられ、南側の防火壁に沿って主屋と客用便所を結ぶ土庇が設けられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/筏井家(いかだいけ)住宅
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。ご神木は「親子抱き合いの欅」と呼ばれました。親木の傍らで芽吹いた子木が大きく成長して、かっては親子が共に助け合うように立っていたことからこの名が付けられました。現在は親木は枯木となり、子木も台風の被害を受けました。折れた枝で井波彫刻の「勾玉(まがたま)守り」を30体作ったそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/親子抱き合いの欅
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。境内を囲む石垣は、慶長年間(1596-1614)に前田利長から寄進されたものです。高岡城に向かう要所にあたることから築城様式の石垣を築いたといわれ、進言したのは高山右近だったといわれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/築城様式の石垣
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。有礒正八幡宮の釣殿は昭和10年(1935)に建てられたもので、木造平屋建て、間口3間、奥行2間、銅板葺き、建築面積30平方mです。組物を置かず直接桁を受けています。拝殿及び幣殿と同じく、設計は今堀左七郎、施工は森田市五郎です。平成18年(2006)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/有礒正八幡宮釣殿
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。有礒正八幡宮の拝殿及び幣殿は昭和10年(1935)に建てられたもので、木造平屋建て、八棟造り、銅板葺き、建築面積159平方mです。拝殿は1室で、正面側の各間に板戸を建て込み、正面に向拝をつけています。弊殿は一段高い板敷きの床で、左右に翼室を張り出しています。平成18年(2006)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/有礒正八幡宮拝殿及び幣殿
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。有礒正八幡宮の本殿は明治16年(1883)に再建されたもので間口2間半、奥行2間半の木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、建築面積は21平方mです。正面千鳥破風が付けられ、外壁は真壁造り板張りです。棟梁は松井角平でした。平成18年(2006)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/有礒正八幡宮本殿
富山県高岡市横田町に有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)があります。有礒正八幡宮は慶長15年(1610)、高岡城築城の時、志貴野山に鎮座していた有礒宮を横田正八幡宮と合祀して有礒神社正八幡宮としたのが始まりです。有礒正八幡宮と改称したのは昭和22年(1947)です。有礒宮は有礒七浦の宗社として信仰され、海岸近くで浸食されたため志貴野山に遷座していました。横田正八幡宮は神仏混合の形態で別当には宗泉寺があたり祭祀を取り仕切っていました。有礒正八幡宮の祭神には有礒神、綏靖天皇、応神天皇などの他、多くの神を合祀しています。なかでも金屋町の氏神である鍋宮様と呼ばれる石凝姥命(いしこりどめのみこと)が祀られており、昔から高岡の鋳物師から敬われてきました。日本海の荒波を表現したといわれる「八棟造り(やつむねづくり)...有礒正八幡宮
富山県高岡市金屋本町に旧南部鋳造所のキュポラと煙突があります。金屋町は高岡城を築く時、鋳物師を集めて出来た町で高岡の鋳物業の中心です。明治末期から有力な鋳物師たちが近代化を競い、次々と建造したのが新式溶鉱炉です。木炭より高熱を得ることのできるコークスを地金と一緒にキュポラに入れて着火。煙突の基部の送風口から風車で風を送ると、風は煙道の中に通された鉄管を通ってキュポラに入り、キュポラで熱せられた煙はキュポラ上部から抜け、煙道を通って煙突から排されます。排煙は鉄管を通ってキュポラに至る風を熱しながら煙突から出ていくため熱効率が増すのです。旧南部鋳造所のキュポラと煙突が唯一残されています。煙突は大正13年(1924)に建てられたもので、製鉄炉本体のキュポラから7m離れた地点に建っています。基部の平面は1.78m...旧南部鋳造所(キュポラ及び煙突)
+富山県高岡市京町に清都酒造場(きよとしゅぞうじょう)があります。清都酒造場は、勝駒で有名な造り酒屋の老舗で、少人数による手作りの銘酒を造っています。清都酒造場の主屋の建物は明治20年(1887)頃建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入り、桟瓦葺きです。2階外壁は真壁造り、白漆喰仕上げで、建築面積は176平方mです。1階正面は細格子戸で構成され、勝駒の木製看板を庇に乗せています。2階屋根は登梁で梁桁を待ち出す事で大きく前に張り出しています。両脇にはウダツ状の袖壁が付いています。清都酒造場は数少ない町屋建築の遺構で、平成11年(1999)に高岡市歴史的意匠建造物に指定され、平成12年(2000)には国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.n...清都酒造場
富山県高岡市伏木一宮に越中国分寺跡があります。越中国分寺跡にある薬師堂は高野山真言宗のお寺で、気多神社の南東500mほどの所にあります。聖武天皇の勅命により全国の各国に一寺づつ建立された国分寺の後継です。現在小さな薬師堂が建つ約200平方mが富山県の史跡に指定されています。昭和11年(1936)の発掘調査で奈良時代後期の単弁蓮花文系軒丸瓦と唐草文系軒平瓦などの古代瓦が発見されました。昭和14年(1939)の調査では、境内に残る土壇から3m間隔で磁北に合う6か所の根石群が発見されました。須恵器、土師器、瓦器、灰釉陶器、ふいご、鉄片なども出土しています。薬師堂は気多神社の別当寺の慶高寺の末寺で、神仏分離令で慶高寺が廃寺になった際、気多神社の本地仏で慶高寺の本尊だった木造文殊菩薩坐像が移されています。南北朝時代...越中国分寺跡
富山県高岡市伏木錦町に棚田家住宅(たなだけじゅうたく)があります。棚田家は代々廻船問屋を生業としてきた家柄です。現在の建物は明治20年(1887)の伏木大火後の明治23年(1890)に再建された建物です。主屋は木造2階建て、間口7間、奥行9間、切妻造り、桟瓦葺き、平入りで建築面積は408平方mあります。数奇屋風建築と呼ばれる造り方で、主柱に秋田杉の四方柾が使われています。部材の質が高く、使われている建築材や調度品も贅を尽くしたものになっています。北前船で栄えた伏木の町並みを今に伝えているのです。敷地は広く茶室付きの主屋の他、土蔵造りの道具蔵、衣装蔵、味噌蔵などが建てられています。小屋裏の隠し物置、2階の隠れ通路、廻船問屋としての広い土間など贅沢な造りです。平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されてい...棚田家住宅
富山県高岡市伏木古国府に高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)があります。高岡市伏木北前船資料館は、廻船問屋であった旧秋元家住宅を利用した資料館です。秋元家は古くからこの地に土着し、廻船業を生業にしていた旧家です。主屋は明治20年(1887)の大火で焼失した後に再建された建物です。内部は数寄屋風の繊細な造りとなっています。木造平屋建て、一部2階建てで、間口6間半、奥行8間、切妻造り、桟瓦葺き、妻入の大きな建物です。調度蔵と衣装蔵は2階建てで、江戸時代後期に建てられています。屋根の上には港への船の出入りを見張るための望楼が設けられています。資料館には伏木周辺の歴史、当時の水運の様子を紹介したり、古地図や引札、船主の生活道具などの資料を展示しています。旧秋元家住宅は平成10年(1998)に高岡市指定有形文化財...高岡市伏木北前船資料館
富山県高岡市伏木湊町に旧伏木銀行(高岡商工会議所伏木支所)があります。旧伏木銀行は現在は高岡商工会議所伏木支所として利用されています。明治43年(1910)に伏木銀行として建てられた土蔵造り2階建ての店舗です。寄棟造り、本瓦葺きで、建築面積は261平方mです。建設当初は外壁が黒漆喰で仕上げられていたそうです。土蔵造の町家の意匠を基調に、戦後の改修工事でスクラッチタイルが貼られたそうです。玄関ポーチの柱、縦長の上げ下げ窓、軒蛇腹、天井、階段などに洋風の意匠が取り入れられています。角部分に玄関を設け、化粧柱や入母屋屋根を乗せて正面性を強調しています。平成8年(1996)に国の有形文化財に登録され、平成11年(1999)に高岡市歴史的意匠建造物に指定されました。平成24年(2012)には高岡市歴史的風致形成建造...旧伏木銀行
富山県高岡市伏木中央町に谷村家住宅があります。谷村家は代々勝興寺の家老を勤めた旧家で、明治維新後に現在地に移りました。谷村家住宅は洋風建築が混在する伏木の町並みの中にあって、伝統的な様式を保つ基準的な町家建築です。谷村家住宅は地元の棟梁針山分吉により、明治元年(1868)に建てられました。木造2階建て、間口5間の大規模な切妻造りで、桟瓦葺き、平入りで、建築面積は86平方mです。正面外観は、板塀に続く西側3間分に格子を用いています。1階には板葺きの下屋があり2階外壁の両側には袖壁が設えています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。高岡市伏木地区に残る数少ない町屋で、平成9年(1997)に国の有形文化財に登録指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogi...谷村家住宅
富山県高岡市太田に雨晴海岸(あまはらしかいがん)があります。高岡市と氷見市を結ぶJR氷見線の雨晴駅の横に「雨を晴らした」という地名の由来となった義経伝説が残る義経岩があります。文治3年(1187)、源義経が兄頼朝から追われて北陸から奥州へ向かう途中、この岩の下で雨宿りをしたといわれています。義経岩は平成27年(2015)に国指定名勝「有磯海」に追加指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/義経岩
富山県高岡市太田に雨晴海岸(あまはらしかいがん)があります。雨晴海岸は高岡市北部の自然に恵まれた風光明媚な海岸です。能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれています。女良(めら)、放生津(ほうじょうづ)、生地(いくじ)などの海岸をあわせ総称して有礒海(ありそのうみ)といわれています。万葉の昔、大伴家持もしばしば訪れ万葉集におさめています。また芭蕉も「早稲の香や分け入る右は有礒海」と詠んでいます。男岩や女岩をはじめとする小さな島や岩礁が多く、立山連峰を背景に望む景勝地です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/雨晴海岸
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。寺宝である木造日蓮上人坐像は像高22.5cm、膝幅20.8cm、顔長8cmの寄木造りです。玉眼、頭部ははめ込み式で両耳の後ろに継いであります。後背面の衣には彩色が残されています。内部に室町時代の永正5年(1508)の銘があり貴重な仏像であることから平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造日蓮上人坐像
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。蓮乗寺の梵鐘は高さ124cm、径75cmで、寛永16年(1639)に鋳造されています。氷見市では最古の鐘で、富山金屋の鋳物師・藤原朝臣河辺五兵衛尉家政の手によるものです。高岡市伏木の勝興寺の梵鐘も彼の作品です。昭和54年(1979)に氷見市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓮乗寺梵鐘
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。蓮乗寺は日蓮宗のお寺です。鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327)、妙典院日暹(にっせん)が越中において開いた最初の日蓮宗のお寺です。日暹は能登国石動山天平寺の学僧でしたが越後で摩訶一卵の門に入りました。お寺は当初は稲積にありましたが、のちに現在地に移っています。元亀・天正の争乱の時の兵火により焼失し、寛永年間(1624-1644)の大火で堂宇、寺宝などを焼失しています。その後、本堂などが再興され今日に及んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓮乗寺
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があり行田池(龍神池)があります。白鳳10年(681)、龍神は本尊の千手観世音菩薩を背に乗せて日の出遥拝の霊地・朝日山の山頂に出現し当地の基を開き、それ以後この池の周辺に現存し守り続けているという伝説があります。また「ごんごん祭」の雨乞いの行事とも深くかかわりあうものとして知られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/行田池(龍神池)
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺を開いた時、本尊となる千手観音菩薩を安置したところ、この清水が湧き出したといわれています。この水で本尊を洗い清め、その霊木としてイチョウを植えたといわれています。この霊水は上日寺観音菩薩霊水と呼ばれ「とやまの名水」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音菩薩霊水
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。境内にある上日寺のイチョウは樹高36m、幹回り12mあります。上日寺が創建された白鳳10年(681)に霊木として植えられたと伝えられています。大小無数の気根が垂れていることから授乳祈願に効能があるといわれています。上日寺のイチョウは大きさでも日本屈指で歴史的背景などから大正15年(1926)に国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺のイチョウ
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。絹本著色騎獅文殊菩薩画像は文殊菩薩の独尊図として描かれたもので縦90cm、横41cmの文殊菩薩画像です。結跏(けっか)ふ坐の姿で獅子に乗り、右手には剣を持っています。稚児文殊と呼ばれる童子のような体つきで描かれています。当時の文殊菩薩信仰の一端を知る貴重な史料として平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(絵画)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色騎獅文殊菩薩画像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺の寺宝である木造延命地蔵菩薩座像は餅喰地蔵とも呼ばれ南北朝時代に造られています。継母から子供を守るためにこの地蔵が餅を食べ、その姿を見た継母は改心し地蔵信仰に帰依した逸話が残されています。像高47cm、ヒノキ材の一木造りで、彫眼、彩色されています。平成3年(1991)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造延命地蔵菩薩座像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺観音堂は神仏習合時代には上日寺の総鎮守であったもので、天保6年(1835)に再建されています。入母屋造り、桟瓦葺き、平入、正面には軒唐破風が付けられています。複雑な木組の他、木鼻や唐破風の妻面、懸魚、桁などに精緻な彫刻が施されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音堂
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。朝日山上日寺は高野山真言宗のお寺で朝日山の東麓に建てられています。白鳳10年(681)、泰澄(たいちょう)大師が修行していた霊地にインド出身の法道上人が開山したのが始まりと伝えられています。越中国守藤原仲通が深く帰依し平安時代の天禄年間(970-973)に堂宇を修築しています。最盛期には七堂伽藍が建ち並び18坊を有していたそうです。その後、荒廃しましたが寛元3年(1245)、心南院仁然が再興しました。戦国時代には氷見森寺城の城主長澤筑前守の庇護により境内が整備され石仏が寄進されています。前田氏が領主になってからは前田利長が帰依し、寛永14年(1637)に祈願所として庇護され寺領を寄進されました。寛永15年(1638)と天保3年(1832)に火災で灰燼...上日寺
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の総門は巨木の中を登りつめたところに堂々と建っています。切妻造り、桟瓦葺きの、三間一戸の薬医門です。国泰禅寺と書かれた額が掲げられています。明の高泉和尚の手によるものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺総門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の三門は間口3間、奥行2間の三間一戸の八脚単層門です。入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造板張り、左右に阿形像、吽形像の仁王像を安置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺の三門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂の内陣には本尊が安置されています。内陣柱は円柱で内側に一手の斗拱(ときょう)がせり出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂内陣
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂は江戸時代中期の享保5年(1720)頃に再建された建物です。1重5間堂の土間仏堂です。入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、外壁は真壁造り板張り、正面左右に花頭窓が付いています。妻面の中央2間に両開き桟唐戸がついています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の総本山です。富山湾に面した二上山北麓の丘陵地に建てられています。開山の慈雲妙意は普化宗の祖である法燈国師覚心に師事し、24年間二上山に籠って仏道をきわめ、嘉元2年(1304)に摩頂山東松寺を開いたといわれています。嘉暦3年(1328)、後醍醐天皇から護国摩頂巨山(ごこくまちょうこざん)国泰仁王万年禅寺(こくたいにんのうまんねんぜんじ)の寺号が下賜され、勅願寺として北陸地方随一の禅刹となり繁栄しました。暦応2年(1339)、足利尊氏により全国に安国寺を建立した時、越中の安国寺に選定され伽藍の修築がなされ、寺領として荘園が寄せられました。応仁の乱が起きると守山城をめぐる兵火により国泰寺は荒廃しましたが、天文15年(1546)に後奈...国泰寺
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ばれてい...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の鼓堂は間口7.6m、奥行7.5m、2重2階、入母屋造り、桟瓦及び本瓦葺きで、享保18年(1733)に建立されています。太鼓堂とも呼ばれますが、現在太鼓は吊るされていません。総門をくぐった正面、掘割に面して建っており、城郭の櫓(やぐら)に似た姿です。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺鼓堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の経堂は間口3間、奥行3間、1重もこし付、宝形造り、桟瓦葺きで、文化2年(1805)に建てられています。内部は塗を施さない欅の素木造りで、中央の手動回転の大形八角輪蔵は形式、細部とも本格的で極彩色を施しています。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺経堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の唐門は切妻造りで、間口6mの四脚門です。屋根は銅板葺で前後とも軒唐破風付です。明和6年(1769)に京都の浄土真宗興正派の本山である興正寺で建立されています。明治26年(1893)、興正寺より譲り受け、北前船2隻で運ばれ移築されました。昭和55年(1980)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺唐門
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺本堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部...勝興寺
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(...清水町配水塔資料館旧配水塔
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水町配水塔資料館
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅主屋
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家は、甲斐の武田信玄の弟・逍遙軒(しょうようけん)信綱の子孫と伝えられていて、代々十村役(大庄屋)をつとめた豪農でした。山岡鉄舟や横山大観ら多くの著名人がこの家に滞在し、作品を残しました。武田家住宅は、安永年間(1772-1780)にかけて勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたといわれていて、構造や手法からもその頃のものであるようです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅
富山県高岡市太田字桜谷に桜谷古墳(さくらだにこふん)があります。桜谷古墳は二上山丘陵の北東の雨晴海岸に近い、標高20mの台地にある北陸地方最大級の古墳です。4世紀から5世紀にかけて築かれたもので、大正7年(1918)に諏訪社の神木の老松を掘り出した際に内行花文鏡1面と管玉13個が出土し、前方後円墳が2基と円墳が7基発見されました。桜谷1号墳は、柄鏡式の前方後円墳で、全長62m前方部の幅30m、後円部の径35m、高さ6mという規模です。高さは5.4mで、三段に築かれています。桜谷2号墳は、後円部の径33mで、前方部が小さく、帆立貝式前方後円墳といわれるものです。大正12年(1923)に後円部から碧玉製紡錘車(へきぎょくほうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、菅玉(くだたま)などが出土しました。地方にはたいへん珍...桜谷古墳
6富山県高岡市は高岡銅器で有名です。高岡市は高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は大伴家持が国司として赴任した越中国の国府がありました。高岡は日本で銅器の生産額の約95%を占めています。高岡大仏や梵鐘などの大きいものから、銅像などの細かい作品まで、多彩な鋳造技術は全国的にも有名です。慶長16年(1611)、高岡の町を開いた加賀藩2代藩主、前田利長が7人の鋳物師を招いて鋳物産業を興させたのがこの町の始まりだそうです。金屋町には千保川のほとりに静かに軒を並べる町並みが残されています。一国一城令により、高岡城がなくなったあとも「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という前田利常の政策が功を奏し、商工業が発展しました。高岡銅器のほか高岡漆器などの伝統工芸品も有名です。アルミサッシの生産額は日本一...高岡銅器
富山県高岡市大手町に高岡大仏がある大仏寺に時鐘があります。寺島蔵人奉行は時を告げる時鐘製作に奔走し、文化元年(1804)に初代大鐘を造りました。しかし不具合があり金屋町出身の鍋谷仁左衛門が改鋳を願い出て浄財を集め文化3年(1806)に完成させました。大火など経て大仏寺に寄付され寺宝となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/時鐘
富山県高岡市大手町に高岡大仏があります。高岡大仏は高さ15.85mで、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つです。また一説には天平勝宝4年(752)に造られた高さ18.08mの奈良大仏、寛元4年(1246)に造られた高さ13.35m(台座を含む)の鎌倉大仏と並んで日本三大仏に数えられています。「銅器のまち」高岡のシンボルです。承久3年(1221)に源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立されたのが最初です。慶長14年(1609)前田利長によって高岡が開町し、大仏は城下に移転されました。その後に焼失しましたが延享2年(1745)に極楽寺の等誉上人が、高さ約9.7mの金色の木造大仏を造りました。その後文政4年(1821)にその大仏も焼失し、天保12年(1841)に再建されましたが、明治33年(1...高岡大仏
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の紅梅は明治8年(1875)に現在地の高岡城本丸跡に遷座したことを祝い、白銀町の篤志により奉納された紅梅です。樹齢約400年の年月を重ね、今なお幹から直接に花をつけています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社の紅梅
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の社殿は明治33年(1900)の高岡大火の時に類焼して焼失しました。2年後の明治35年(1902)に再建されています。拝殿は木造平屋建て、間口3間、奥行2間、切妻造り、平入、銅板葺です。本殿は神明造り、銅板葺きです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社社殿
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社は越中総鎮守として二上山に祀られていた古社で、延喜式では名神大社に列し、越中式内34社の首位に置かれていました。二上山自体を神とし、その麓に鎮座していましたが養老元年(717)、元正天皇の勅願により行基が養老寺を開山し、射水神社の別当にしました。祭神の二上神を二上権現として祀り、神仏混合の大社として繁栄しました。越中では高瀬神社と同階で最高位になり、越中国一宮でもあります。ただ越中一宮と主張する神社は射水神社のほか気多神社、高瀬神社、雄山神社などがあります承平年間(931-938)に兵火にかかり社殿、社宝など灰燼に帰しました。天暦年間(947-957)に空也が再建し、社殿も整備されましたが、天正年間(1573-1592)に度々兵火...射水神社
富山県高岡市古城に高岡古城公園があります。高岡古城公園は加賀藩2代藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を、明治8年(1875)公園として開放したものです。園内には無料の動物園、蒸気機関車、芝生広場、遊具、博物館、体育館などがあります。桜の名所としても有名で日本さくら名所100選に選定されています。加賀前田家2代の利長は、慶長3年(1598)に利家の後を継ぎ当主となりました。慶長10年(1605)に利常を3代藩主にして、自らは隠居して富山城に移りました。慶長14年(1609)3月の大火により富山城は焼失しました。そこで、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。高岡城の縄張は当時、前田家の客将だった高山右近とされています。右近はキリシタン大名で、築城の名手として有名でした。利長は、「詩経」の一...高岡古城公園
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の石廟は瑞龍寺を造営したとき,開山の広山恕陽禅師が利長、利家の父子に織田信長、信忠と信長の側室も加えて同じ形式の5基を建造しました。利長の石廟には壁面に25菩薩が刻まれています。石造建築の貴重な遺構で富山県の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺石廟
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大庫裏は調理配膳や寺務運営を行う堂で、山門を入り右手に位置し僧堂と相対しています。桁行10間(19.7m)、梁間6間(13.9m)で、切妻造り、こけら葺きで向拝型玄開を付けています。万治年間(1658-1660)の建立ですが、幕末から明治初年にかけ撤去されました。古図面などから当初の姿に復元されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大庫裏
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の回廊は大伽藍をとり囲み、周囲約300mにも及びます。左右対象の回廊が残っている寺院は極めて少なく、禅宗寺院最古のものです。板戸の黒と障子の白が交互に規則正しく配され、上部に小壁の白い線が通り、上下を腰板とこけら屋根の黒でひきしめています。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺回廊
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大茶堂は創建当初に造られた建物で、全国に2つしかない貴重なものです。他の建物から伽藍への類焼を防ぐ防火壁の役目をする建物でもありました。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大茶堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の禅堂は坐禅修行をする建物で、坐禅だけを行う場合は禅堂、食事などの修行もする場合は僧堂といわれます。延享3年(1746)に焼失し、その直後に再建されました。幕末には3分の1に縮小され、明王様の御祈祷場となっていました。平成2年(1990)に往時のように復元されました。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺禅堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の山門は禅宗様の手法形式の三間一戸の二重門です。入母屋造り、こけら葺きで左右に山廊が付いています。双方とも桁行3間、梁間1間、1重、切妻造り、こけら葺きです。文政3年(1820)に再建された建物です。通常の禅宗二重門に比べて、下層屋根に対する上層屋根の低減率が低く、雪などによって下層屋根を傷めないための雪国独自の工夫が見られます。瑞龍寺山門は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺山門
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の総門は、正面3間の薬医門です。正保年間(1644-1648)の建立で、後世に伽藍配置の関係から現在の場所に移築されました。正面の扉は城の城門に類した造りで、四葉金具・八双金具などの金具が使われ、格の高さがうかがえます。昭和3年旧国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺総門
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の法堂(ほっとう)は、禅宗以外では講堂といわれ仏教教理を講義する場所で、明暦元年(1655)に建てられています。ここでは前後に3室ずつ6室で構成され客殿も兼ねています。桁行11間、梁間10間、1重、入母屋造り、銅板葺きです。向拝は桁行2間、梁間1間、向唐破風造りで、その前面に高廊下、さらに前面1間通りは回廊の一部で土間になっています。中央奥が仏間、左右に上下客殿が設けられ、手前は外陣に相当し説法、法要等に使用する畳敷きの間となっています。外陣も柱と欄間により3室に分けられ、さまざまな法要に対応する近世の仏堂様式となっています。屋根は始めはこけら葺きでしたが現在は銅板葺です。瑞龍寺の法堂は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトに...瑞龍寺法堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の仏殿は総欅造で、方三間裳階付の禅宗様建築です。桁行3間、梁間3間、1重、裳階付、入母屋造り鉛瓦葺きです。棟札により万治2年(1659年)に建立されています。屋根は始めはこけら葺きでしたが、総重量約47トンの鉛瓦葺きになっています。仏殿は平成9年(1997)に国宝に指定されています。瑞龍寺仏殿の内部は土間床になっています。天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点、柱、扉、窓などの細部様式など禅宗様建築の特色です。須弥壇には中央に釈迦如来、脇侍に文殊、普賢菩薩の釈迦三尊を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一...瑞龍寺仏殿
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。高岡山瑞龍寺は曹洞宗のお寺で、山門、法堂、仏殿は国宝に指定されています。富山県にある国宝はこの瑞龍寺だけだそうです。加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺で、利長の義弟で3代藩主になった前田利常によって建立されました。文禄3年(1594)に加賀藩2代藩主・前田利長は金沢に織田信長・信忠の追善のため、宝円寺を建立しました。44歳の若さで家督を異母弟の利常に譲り、隠居して金沢から富山に移りました。富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築き、法円寺(宝円寺を改称)を、慶長18年(1613)に高岡に移しました。翌、慶長19年(1614)に利長は没し、後を継いだ3代藩主・前田利常は、法円寺を利長の菩提寺としたのです。そして利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞...瑞龍寺
富山県高岡市関町に総持寺があります。六十六部とは、廻国し納経する聖のことです。総持寺に六十六の石仏が納められました。現在は三十九体が残されています。平成14年(2002)にこの石仏を含む関町の町並みが高岡市の景観賞に選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/六十六部石仏
富山県高岡市関町に総持寺があります。総持寺の本尊は十一面千手観音座像です。年に一度11月15日にだけ御開帳されます。像高は72.5㎝で、昭和12年(1937)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に改めて国の重要文化財に指定されています。曼荼羅堂内には12体の仏像を安置しており、弘法大師の伝えた真言密教の曼荼羅世界を表しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/総持寺十一面千手観音座像
富山県高岡市関町に総持寺があります。衆徳山胎生院総持寺は高野山真言宗のお寺です。22世の快雄和尚は高岡の町を開くとき、前田利長に「関野」と呼ばれていたこの地を、中国の古典の「詩経」から「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に」から「高岡」という地名にするよう提案したことで有名です。総持寺は平安時代に旧礪波郡五位荘に開かれたのが始まりといわれています。正平8年(1353)、禅恵和尚が中興し、高岡市の石堤付近に移りました。前田利長が高岡城を築城した慶長年間(1596-1615)に現在地に移りました。境内には本堂にあたる曼荼羅堂や観音堂、聖天堂、薬師堂、位牌堂、鐘楼などが建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほん...総持寺
富山県高岡市福岡町下向田に旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)があります。福岡公園内にある旧福岡町役場は現在、福岡町歴史民俗資料館になっています。この建物は、大正13年(1924)、地元の篤志家壽原英太郎(すはらえいたろう)の寄贈により、洋風をまねた公会堂として福岡駅前通りに面して建設されました。公会堂・町役場として使用され、昭和38年(1963)、役場新庁舎建設とともに町立図書館・中央公民館として使用されました。その後、歴史民俗資料館として保存活用することになり、昭和63年(1988)にかけて移転・修改築がなされました。富山の建築百選に選定され、平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。木造2階建ての洋風建築です。寄棟、桟瓦葺き、建築面積265㎡、外壁はモルタルで石造風に仕上げ外観を石...旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)
富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家住宅は、間口10間(18.2m)、奥行7間(12.7m)の入母屋造り、平入の建物で、建築面積は212.1㎡、外壁は真壁造り、土壁鏝押え、腰壁は下見板張り縦押縁押え、背後は杉皮で外壁を保護しています。移築前は主屋背面に「中つの」がありましたが、移築されたのは主屋だけで、その後「つの」「おろし」「しょくじば」が増築されました。正面にあたる3間半が茅葺きの主屋とひさし、背後の3間半が桟瓦葺きの「おろし」となっています。江戸時代後期の文化年間(1804-1818)と明治時代以降に何度か改修、増築されていますが母屋部分は江戸時代中期に建てられたものです。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定され、昭和48年(1973)には復元工事がなされています。下記のサイ...佐伯家住宅主屋
富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家は旧蓑島村の旧家で、家蔵の「家作諸入用一巻」に、明和4年(1767)工事に着手し、翌5年に約15km離れた所にある旧川崎村(現南砺市上川崎)の十村役(庄屋)を務めた三之助の住宅を佐伯氏が買い取って移築したと記してあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐伯家住宅
富山県小矢部市芹川(せりかわ)に旧宮島村役場があります。旧宮島村役場は石川県境に近い旧宮島村にあった建物で小矢部市に残る数少ない洋風建築です。昭和61年(1986)に現在地に移築され個人の宅邸兼アトリエとして再利用されています。平成13年(2001)に国登録有形文化財に登録され、平成21年(2009)に「とやまの近代歴史遺産」に選定されています。大正15年(1926)に宮島村役場として建てられたもので、木造2階建て、建築面積は131㎡です。むくりのついた寄棟造り、桟瓦葺き、下見板張の洋風建築です。正面中央2階上部の半円形ブロークンペディメントと瓦葺きのマンサード屋根などは独特です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキ...旧宮島村役場
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺寺内の入口に高さ36mもある大ケヤキが立っています。推定樹齢は500年といわれ、幹周7.6mもあります。ニレ科ケヤキ属の落葉広葉樹で、昭和37年(1962)に南砺市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺大ケヤキ
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の観音堂は加賀藩の重臣岡島備中守の婦人月清大姉の寄進で、明和3年(1766)に再建された建物です。間口7間、奥行7間の単層入母屋造り、妻入、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。観音堂は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺観音堂
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王立像は総高約3.3mもあり、慶長20年(1615)に造られています。仏敵が仏殿に入り込むのを防ぐ守護神です。阿形像と吽形像が一体となり仁王門の下層の左右に立っています。万治2年(1659)に造られた鰐口と共に南砺市の有形文化財に指定されています。・下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王立像
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王門は明和9年(1772)に建てられています。三間一戸の八脚楼門で入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造り板張りで、上層部には高欄が廻されています。下層部には仁王立像が安置されています。仁王門は南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王門
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。弥勒山安居寺は高野山真言宗のお寺です。養老2年(718)、インドから渡来した善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が招来した聖観音像を安置して一宇を創建したのが始まりといわれています。聖武天皇の時(724-749年)、勅願所と定められ、行基が勅令により壮大な大伽藍を造営したと伝えられています。平安時代後期には花山法王がこの地を訪れ参籠しています。また中世には兼好法師や宗祗法師なども巡錫で訪れています。天皇の勅願所として寺運も隆盛し最盛期には24坊を擁していましたが、平安時代末期に木曽義仲の兵乱により多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し衰微しました。その後、室町幕府8代将軍足利義政が再興しましたが、元亀・天正年間(1570-1592)に再びしばしば兵火を受け衰退し...安居寺
富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の北土蔵は南土蔵と並んで建ち、明治前期の建物です。切妻造り、置屋根式桟瓦葺き、二階建てで、東面に南土蔵と一連の吹放し下屋を通しています。掛子塗戸(かけこぬりど)には「波に亀」の鏝絵(こてえ)が飾られています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅北土蔵
富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の南土蔵は安居寺参道側にあり、主屋背面の石垣の上に北土蔵と並んで建っています。切妻造り、置屋根式桟瓦葺きの二階建てで、昭和前期の建物です。戸前には北土蔵と一連の吹放しの下屋を通しています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅南土蔵
富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の長屋門は主屋正面に東面して建てられています。切妻造り、桟瓦葺で、北を門口、南を真壁漆喰塗の物置としています。門口は間口3.2mで本柱を立てて板扉を備え、南に袖壁、北に潜戸を設けています。梁に文化、天保の墨書があることから江戸時代後期の1804-1843年の間に建てられたと思われます。桐木(東石黒)の肝煎(きもいり)であった丹羽家の門を移築したと伝えられています。当初は物置のない薬医門であったと思われます。旧家の屋敷構えに厳かな趣を添える表門であるといえます。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...冨田家住宅長屋門
富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の主屋は大正12年(1923)から5年をかけて建てられています。入母屋造り、平入の木造2階建ての大型住宅で、四周に下屋を廻し、屋根は総桟瓦葺きです。間口11間半(21.1m)、奥行9間(16.7m)で、建築面積は365平方mです。伝統的な形式を基調とし、良材を用いて質の高い大工技術が隅々まで行き渡っています。透き漆塗を施した木部、ガラスを多用した建具などには近代の和風の意匠が使われています。座敷の欄間には井波彫刻が施されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...冨田家住宅主屋
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富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。「海王丸」は海洋実習船として建造されました。進水式が2月14日のバレンタインデーであったため、恋人の聖地に認定され、カップルにとって素敵なイベントも開かれています。59年間に106万海里(地球約50周)を航海し1万人以上の海の若人を育てたそうです。姉妹船「日本丸」も同時期に建造され、「日本の海の王者たれ」という日本の海運の期待を集めました。平成2年(1990)4月から富山で一般公開されし、現在も海洋教室など青少年錬成の場として活用されています。帆をすべて開く「総帆展帆」(そうはんてんぱん)は4月から11月の間に月に1回、年に10回程度行われています。「海の貴婦人」と称される美しい姿が披露されます。美しい日本海と、新湊大橋、立山連峰が眺められます。下記のサイトにも...海王丸パーク
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。映画「人生の約束」に放生津八幡宮の曳山の譲渡シーンが撮影されました。各町にある13基全ての曳山が放生津八幡宮でお祓いを受け繰り出します。令和3年(2021)に、曳山と築山の行事は国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/曳山と築山の行事
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。境内に建立されている芭蕉翁の句碑は天保14年(1843)に付近の俳人達によって建てられています。元禄2年(1689)に芭蕉が詠んだ「早稲の香や分け入右は有磯海」の句が刻まれています。この句碑は射水市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/放生津八幡宮芭蕉翁の句碑
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。現在の放生津八幡宮の社殿は江戸時代末期の弘化2年(1845)に発生した火災により焼失し、氏子の浄財により文久3年(1863)に再建されたものです。放生津の宮大工棟梁・高瀬輔太郎、脇棟梁・梁野上武平、赤井弥左エ門が手掛けました。放生津八幡宮の拝殿は間口6間、奥行5間、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は桟瓦葺きです。正面に3間の向拝付けられています。外壁は真壁造り板張り、正面1間分は吹き放しになっています。平成16年(2004)に射水市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...放生津八幡宮拝殿
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746)、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(な...放生津八幡宮
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の庫裏は大火直後の明治2年(1869)に建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きで、建築面積は399平方mです。古くからの伽藍を偲ばせる建物で、一時は小学校の仮校舎にも使われたそうです。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺庫裏
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の本堂は明治12年(1879)に建てられた建物で、寺院本堂建築としては珍しい土蔵造りです。間口7間、奥行11間の平屋建て、切妻造り、平入で桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。外壁は白漆喰仕上げで、建築面積は263平方mあります。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺本堂
富山県射水市立町に大楽寺があります。長恩山大楽寺は浄土宗のお寺です。平安時代後期の長徳2年(996)に花山天皇の勅願により但阿無外上人によって開かれたといわれています。当初は長徳寺という天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代の弘安元年(1278)に浄土宗に改宗し、寺号を大楽寺と改めています。大楽寺の本堂と庫裏は国の登録有形文化財に登録されています。室町時代後期の天文年間(1532-1555)に描かれた絹本著色涅槃絵図は昭和61年(1986)に射水市指定文化財(絵画)に指定され、平安時代の木造阿弥陀如来立像は昭和53年(1978)に射水市指定文化財(彫刻)に指定されています。また江戸時代の萬誉上人の大楽寺御名号本尊は昭和50年(1975)に射水市指定文化財(書跡)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りくださ...大楽寺
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きの大きな建物です。間口7間、平入で、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺本堂
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の梵鐘は明治4年(1871)に専念寺が買い取った銅鐘で、文明6年(1474)の銘があります。高さ158cm、口径91cm、胴厚約8.5cmです。文明の銘がある梵鐘は、在銘の銅鐘としては県内最古といわれ、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。この梵鐘は、文明6年(1474)に立山寺の明舜が、自ら創建した面白寺で使うために荻生の鋳物師の幸善に造らせたものでした。その後、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、その後、廃仏毀釈の中、処分されることになり、専念寺が買い取ったといういきさつがありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...専念寺梵鐘
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の前庭にある傘松は「からかさ松」と呼ばれ有名です。黒松と赤松の雑種であるアイグロマツで、突然変異によって傘状になったといわれ、全国的にも珍しい松です。享保2年(1717)、放生津城主・神保慶宗(のりむね)の菩提を弔うため植えられたと伝えられています。この松は開いた傘のように見えることから傘松と呼ばれています。樹高約4m、地上から約1.5mの高さで枝が横方向に伸び、直径13mから15mにわたって広がっています。昭和40年(1965)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺傘松
富山県射水市本町に専念寺があります。専修山専念寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。文明16年(1484)本願寺8世蓮如上人の法弟である賢祐(けんゆう)が法土寺村(ほうどうじむら)に創建しています。延徳3年(1490)に親鸞絵像が蓮如上人より下付されています。中世には越中守護代の神保氏から帰依され寺運が隆盛しました。江戸時代中期の享保2年(1717)に水害により現在地に移ったそうです。この寺にある「からかさ松」は県の天然記念物に指定され、銅鐘は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺
富山県射水市(いみずし)庄西町に牧田組本社があります。牧田組本社ビルは元は回船業を営む南島商行本店として大正4年(1915)に建てられました。木造2階建て、銅板葺き、建築面積81平方mの近代洋風建築で、昭和62年(1987)に富山の建築百選に選定されました。平成14年(2002)には国の登録有形文化財に登録されています。玄関は両脇の袖壁を大きく前に張り出させています。そして上部には印象的な意匠を施し、玄関上部の2階パラペットを切妻風にしています。木造の壁に重厚なレンガを貼り、腰、隅柱などに花崗岩を使用しています。縦長の上げ下げ窓を左右対称に配置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...牧田組本社ビル
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店の建物があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ば...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅の主屋は間口7間半、奥行5間の土蔵造り、2階建ての古民家です。入母屋造り、平入り、桟瓦葺きの町屋の建築形式です。両脇には釉薬を塗りこんだ煉瓦造りの防火壁を設けています。外壁は2階が大壁の黒漆喰で1階の主屋正面には1間の土庇が付いています。軒下は白漆喰、2階腰部分はタイルを貼り、2階の開口部には銅板貼りの扉を設けています。平成9年(1997)に国の有形文化財を登録され、平成25年(2013)には高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅主屋
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅は明治33年(1900)の高岡大火の直後に建てられています。屋敷は主屋が道路に面しており、間に中庭を挟んで奥に1番蔵、2番蔵、調度蔵、味噌蔵が4棟横一列に建てられています。主屋とともに国の有形文化財に登録され、高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。旧室崎家住宅の主屋は間口4間半、奥行8間半の土蔵造り、2階建ての古民家です。切妻造り、平入り、桟瓦葺きで、内部は3列3段の通り土間形で古い町屋の形式です。外壁の仕上げは道路側の正面だけが黒漆喰で仕上げられています。間取りは正面1列目左から「ミセザシキ」、「ミセ」、2列目左から「ブツマ」、「ツウロ」、「チャノマ」、3列目左から「ブツマ」、「ナナジョウマ」があり、外観とは違う数寄屋風の造りです。主屋と土蔵は平成10年(1998)に高岡市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc...旧室崎家住宅主屋
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。室崎家は明治初年にこの地に移り住み、それ以前は現施設の向う側に住んでいました。昭和20年(1945)まで綿布の卸業を手広く営んでいたそうです。現在は石油商を営んでいますが、室崎氏の転居にあたり市がこの施設を資料館として整備し、平成14年(2002)から公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)
富山県高岡市守山町に高岡御車山会館(たかおかみくるまやまかいかん)があります。高岡御車山会館は高岡御車山祭にて曳き出す御車山と呼ばれる山車を展示しています。これらは国の重要無形民俗文化財、国の重要有形民俗文化財に指定されています。また高岡御車山祭は平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産に登録されています。高岡御車山会館は北陸新幹線の開業に合わせ平成27年(2015)4月25日に開館しました。鉄筋コンクリート造り2階建て一部3階建ての建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)山町筋にあるため土蔵造りの家屋になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...高岡御車山会館
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。その中に平田記念館があります。平田記念館は「打保屋」(うつぼや)の屋号でびんつけ油、ろうそく屋を家業として財をなした平田家の住宅です。主屋は明治時代に建てられた典型的な高山の町屋建築とされ、贅を尽した飛騨商人の旦那衆の暮らしぶりがうかがえます。12代にわたって愛蔵してきた美術品、調度品を江戸期の土蔵3棟で公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/平田記念館
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しまし...飛騨高山の町並み
岐阜県高山市上岡本町に飛騨高山美術館があります。飛騨高山美術館は平成9年(1997)にオープンしたガラス工芸作品と家具を展示する私立の美術館です。小高い丘にあり、高山の町並みや北アルプスを見渡すことができます。16世紀から20世紀の世界中から収集したガラス工芸と、アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸品、19世紀末の家具や照明器具などを収蔵展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨高山美術館
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...旧吉真家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...旧田中家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...旧田口家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://w...旧若山家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨...飛騨民俗村・飛騨の里
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺大イチョウ
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺三重塔
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の本堂は間口5間、奥行4間、1重入母屋造り、向拝1間、銅板葺き、総桧造りの室町時代の建物です。天正15年(1587)に川上郷から移築されたといわれています。柱など太くて荘重内陣と外陣は厳重な格子で間仕切され、外陣の虹梁、蟇股などは古風な造りです。本堂は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺本堂
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺
岐阜県高山市国府町宇津江に宇津江四十八滝(うつえしじゅうはったき)があります。宇津江四十八滝は宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、複数の滝が存在する渓谷です。岐阜県の天然記念物、全国自然百選、飛騨・美濃紅葉33選、県名水50選などに指定されている県立自然公園です。最上部の滝まで880m、ゆっくり歩いて1時間のハイキングコースで散策できます。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られるようになりました。安永8年(1779)に出された赤田臥牛の「打江観瀑記」以降この滝を訪れる人が多くなったそうです。宇津江四十八滝には大蛇と「よそ八」の伝説が残されています。孝行息子「よそ八」は川の奥の沼で大蛇に出会い妖気で寝込んでしまいました。大蛇は娘に身を変え、自分の血を使って看護し全快...宇津江四十八滝
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。島崎正樹は明治の文豪島崎藤村の父親です。水無神社宮司として明治7年(1874)から10年(1877)まで務めました。教導職として多くの若者を指導しました。藤村の作品「夜明け前」で主人公・青山半蔵のモデルとなった人物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/島崎正樹石碑
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の絵馬殿は旧拝殿で、慶長12年(1607)、高山藩主金森長近が造営したものです。間口5間、奥行4間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は柱のみの吹き放しです。高山市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社絵馬殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の拝殿は間口5間で正面に3間の向拝が付けられています。木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は真壁造り板張りです。本殿は流造造り、銅板葺き、外壁は真壁造り板張りです。主祭神に水無大神(御歳大神)を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社拝殿・本殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の神門は切妻造り、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門です。昭和10年(1935)に国費によって造営されています。試楽祭など一宮水無神社の神事芸能が執り行われ、これらは岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社神門
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社は飛騨の国における最古の神社で、聖武天皇の時、飛騨の一の宮とされ、延喜式にも列しました。神階は正一位で、延喜式内の飛騨8社の総社とされ、神領も18ヶ村に及んだそうです。いつ創建されたかはよくわかりませんが、日本海沿岸を開拓した出雲民族が、神通川をさかのぼって来て飛騨の国を開いたとき、水源の位山(くらいやま)を神体として、その麓に農耕の祖神御歳神を祀ったのが起源ではないかと考えられています。標高1529mの位山は中腹から山頂にかけては奇岩怪石が数多く点在し、日本の表裏を分ける分水嶺として古くから神体山として信仰の対象となっていたようです。位山にある一位(櫟)は御笏(おしゃく)として朝廷に献上され、現在でも続いて...飛騨一宮水無神社
岐阜県下呂市萩原町萩原に十六館があります。十六館は旧十六銀行益田支店の建物です。JR飛騨萩原駅の西側、十六銀行益田支店の斜め向かいに建っています。明治44年(1911)に建てられたRC造りの平屋です。もともとは木造土蔵造りの建物でしたが、現在はRC造りに改築され、十六館としてギャラリーなどとして再生活用されています。玄関部分は改変されていますが、漆喰塗りの外壁やアーチ窓の意匠など外観は当時の姿をよくとどめています。十六銀行は単独で存続する銀行としては日本最古の銀行です。渋沢栄一率いる第一銀行(当時は第一国立銀行)の指導の下、明治10年(1877)に第十六国立銀行として開設されました。同時期に設立された国立銀行は在郷士族による出資が多かったのですが、第十六国立銀行は平民の出資94.4%で設立されたそうです。...十六館
岐阜県下呂市萩原町上呂に久津八幡宮(くづはちまんぐう)があります。久津八幡宮にある神輿は宝暦2年(1750)に造られたものです。疫病消散祈願のため、上呂村より寄進奉納されたものです。四面に鳥居を配し、漆塗りを施した煌びやかな神輿が2体あります。例祭には拝殿の周りを周回します。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/久津八幡宮神輿