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2013/06/15

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  • 諏訪大社上社本宮

    長野県諏訪市中洲宮山に諏訪大社上社本宮(すわたいしゃかみしゃほんみや)があります。諏訪大社は、お諏訪様と呼ばれ、全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社です。諏訪湖南北に2社4宮(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、春宮)が鎮座し、日本最古の神社の一つといわれています。本殿をもたない諏訪造りと呼ばれる建築様式で建てられています。上社は男神の建御名方富命(たけみなかたのみこと)を、下社はその妻の女神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を主祭神としています。建御名方神は大国主命の第2子で古事記の大国主神の国譲りで、建御雷と力競べをした国神です。主に上社が狩猟神的で、下社が農耕神的だといわれています。建御名方神は農耕や勝負、家内安全、弥栄の神として崇められています。中世以降、東国第一の軍神として崇拝され、名将たちが全...諏訪大社上社本宮

  • 高島城

    長野県諏訪市高島に高島城があります。高島城は天正18年(1590)、諏訪に転封された豊臣秀吉の部将、日根野織部正高吉によって設計され、文禄元年(1592)、着工、慶長3年(1598)、に完成しました。この城は、諏訪湖と数条の川により周囲の濠の役割をしていて、諏訪湖の波が城壁にせまり、水中から城郭のみが浮き出したように見えたために、「諏訪の浮城」ともいわれたそうです。それより前の諏訪は諏訪氏が諏訪湖周辺を治めていました。武田・織田の相つぐ侵攻を受けた後、天正18年(1590)豊臣秀吉によって徳川家康が関東へ移封された時、諏訪頼忠は行動をともにして武蔵国比企郡奈良梨へ移り、日根野氏が入封しました。関ヶ原の合戦後、慶長6年(1601)、日根野氏の関東への転封と入れ替りに、高島城には再び諏訪氏が帰城し、初代藩主諏...高島城

  • 高島城

    長野県諏訪市高島に高島城があります。高島城は天正18年(1590)、諏訪に転封された豊臣秀吉の部将、日根野織部正高吉によって設計され、文禄元年(1592)、着工、慶長3年(1598)、に完成しました。この城は、諏訪湖と数条の川により周囲の濠の役割をしていて、諏訪湖の波が城壁にせまり、水中から城郭のみが浮き出したように見えたために、「諏訪の浮城」ともいわれたそうです。それより前の諏訪は諏訪氏が諏訪湖周辺を治めていました。武田・織田の相つぐ侵攻を受けた後、天正18年(1590)豊臣秀吉によって徳川家康が関東へ移封された時、諏訪頼忠は行動をともにして武蔵国比企郡奈良梨へ移り、日根野氏が入封しました。関ヶ原の合戦後、慶長6年(1601)、日根野氏の関東への転封と入れ替りに、高島城には再び諏訪氏が帰城し、初代藩主諏...高島城

  • 諏訪市美術館

    長野県諏訪市湖岸通りに諏訪市美術館があります。この美術館は信州最古の美術館で、白壁に緑の瓦が映えるレトロな建物です。片倉家が昭和18年(1943)に建てた懐古館を諏訪市に寄付し、昭和31年(1956)、美術館として発足しました。郷土作家はもとより、全国的にも著名な作家の作品約1000点を日本画・洋画・版画・彫刻・工芸・書など、芸術全般にわたって収蔵、展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪市美術館

  • 蓼の海公園

    長野県諏訪市大字上諏訪字角間沢西に蓼の海公園(たてのうみこうえん)があります。蓼の海は諏訪市の北方山間にある人造湖です。最大深度7m、水面海抜高度1250m。水田灌漑用の溜め池として建設され、スケートリンクとしても使われた湖です。諏訪湖を見下ろす静かな高原で、湖のほとりから遊歩道がつづきます。大見山頂上の展望台からは諏訪盆地の向こうに富士山が見えます。地元の人しか知らない穴場、「蓼の海公園」には、休憩所、森林体験学習館、遊歩道、などが整備されています。蓼科の山々に囲まれた静かな湖でルアーとフライを楽しむこともできます。平成16年(2004)に公開された映画「いま、会いにゆきます」(竹内結子・中村獅童主演)の中で、息子、佑司が走っていく感動的なシーンはここ蓼の海で撮影されました。下記のサイトにもお立ち寄りく...蓼の海公園

  • 釜口水門

    諏訪湖には釜口水門があります。水の流出口は、釜口のみであり、ひとたび大雨が降れば、たいへん氾濫の起こりやすい構造になっています。このため古くから洪水対策に悩まされていたようです。諏訪湖の水があふれてしまうのを防ぐには、早く天竜川に流してしまうのが良策だと考えられてきました。このため、天竜川への流出口(釜口)を切り広げる工事が、江戸時代から行われてきました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/釜口水門

  • 諏訪湖

    長野県諏訪市・下諏訪町・岡谷市にまたがって諏訪湖があります。諏訪湖は、海抜759m、周囲約16km、面積13。3平方km、水深約7mの長野県のほぼ中央に位置する同県最大の湖で、天竜川の源でもあります。わかさぎなどの淡水魚が豊富であり、武田信玄の石棺伝説など幾多のロマンを秘めています。諏訪湖では鯉(こい)や鮒(ふな)、公魚(わかさぎ)などの釣りも楽しめます。明治期にはここでスケートが発達。日本のスケート競技発祥の地となっています。冬の厳寒期には、氷がせり上がって長い亀裂の帯をつくる「御神渡(おみわたり)」という現象も生まれます。これは諏訪大社上社と下社の神様が出会うために渡ることだとされ、大切な神事のひとつにもなっています。諏訪湖は、宮川、砥川、横河川、上川など多くの川が流入しているのを見てもわかるように、...諏訪湖

  • サンリツ服部美術館

    長野県諏訪市湖岸通りにサンリツ服部美術館があります。財団法人サンリツ美術館は、平成7年(1995)、諏訪湖畔にオープンしました。諏訪市のサンリツ企画(株)が所有する美術品と、元セイコーエプソン社長、故服部一郎氏が妻と娘に残した美術品の茶道具、古書画や西洋近代絵画等、約600点の作品を収蔵しています。展示品は日本・東洋の古代から近代に至る絵画・書蹟・工芸に、西洋近代絵画が加わっています。重要文化財の「大中臣能宣像」などの大和絵、俵屋宗達など琳派の秀作、中国宋元時代の水墨画、伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集切」など素晴らしいものばかりです。他にも茶道具を中心とする国宝級の工芸品、兀庵晋寧、大燈国師の墨蹟、本阿弥光悦が娘に与えたと伝えられる「白楽茶碗」、古九谷大絵皿など。ルノワール、シャガール、デュフィ、ルオーなど...サンリツ服部美術館

  • 北澤美術館新館(SUWAガラスの里)

    長野県諏訪市大字豊田に北澤美術館新館があります。この美術館の新館はSUWAガラスの里ともいい、平成15年(2003)4月1日「ルネ・ラリック美術館」から新たにオープンしました。世界最大級のアール・ヌーヴォー、アール・デコ・ガラス工芸公開コレクションが誕生したのです。ガラスアートの代表的な作家であるガレ、ドーム、ラリックの3大コレクションから、選び抜かれた作品が彩る美術館です。アール・ヌーヴォーの世界的ガラス・コレクションとして定評ある「北澤コレクション」に、アール・デコ期(20世紀初頭~中期)を代表する「ルネ・ラリック」のガラス作品450余点が展示されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村...北澤美術館新館(SUWAガラスの里)

  • 北澤美術館

    長野県諏訪市湖岸通りに北澤美術館があります。この美術館は、アール・ヌーボーガラスコレクションと近代日本画を展示する諏訪地域を代表する美術館です。エミール・ガレ(1846-1904)の作品を主とする、アール・ヌーヴォー期のガラス工芸40点と現代日本画30点を常時展示しています。切妻の三角屋根にクリーム色のタイル外壁が山荘風の雰囲気を感じさせる建物です。展示室は1階と2階に分かれています。エントランスホールに面したブロンズの扉を押し開けると、オレンジ色の光を放つエミール・ガレの代表作「ひとよ茸ランプ」があります。照明を落とした暗がりの中に、作品だけがスポットライトの光に浮かび上がる展示手法をとっています。2階へ上がると明るく開放的な空間に現代日本画が並べられています。東山魁夷の代表作「白夜」・「曙」のほか、東...北澤美術館

  • 霧ヶ峰自然保護センター

    長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰自然保護センターがあります。霧ヶ峰自然保護センターは霧ヶ峰高原の散策起点となるビーナスライン霧ヶ峰ICにあります。散策の前に立ち寄って事前に情報や知識を仕入れておくと、より深く霧ヶ峰を知ることができます。霧ヶ峰周辺の地質や動植物についての解説展示や、霧ヶ峰の魅力をわかりやすくまとめたビデオが用意されていて、自由に見ることができます。館内には北の美ヶ原から南の八ヶ岳連峰までの八ヶ岳中信高原国定公園の地形模型があります。霧ヶ峰高原の位置が一目で実感できます。「今咲いている花」パネルは、野外観察前の下調べや野外観察後の再確認のために大変参考になります。また定期的に自然観察会も行われていて霧ヶ峰の自然を体験できます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda....霧ヶ峰自然保護センター

  • 霧ヶ峰自然研究路

    長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰自然研究路があります。霧ヶ峰自然研究路は八ヶ岳中信高原国定公園の自然の仕組みや営みを歩きながら学べるコースです。1.4kmで1時間強で一周できます。レンゲツツジ・ニッコウキスゲ・マツムシソウ・リンドウなどが咲き乱れます。霧ヶ峰自然研究路付近はわすれじの丘とも呼ばれているところです。園地内に霧ヶ峰水神社の御柱が建てられていました。諏訪の御柱と同じ時に御柱が行われるそうです。霧ヶ峰水神社と御神木が有りました。この辺は樹叢(じゅそう)と呼ばれる小さな林です。昔は水が流れていて土が流されて岩ばかりになってしまったところです。御神木の土もなく岩の上に張り付いています。第3園地付近までがススキの限界です。それより上はササしかありません。ススキはカヤ、オバナとも呼ばれかやぶき屋根の材料とし...霧ヶ峰自然研究路

  • 霧ヶ峰高原

    長野県諏訪市四賀霧ヶ峰に霧ヶ峰高原(きりがみねこうげん)があります。霧ヶ峰高原は諏訪湖の北東にあり、車山を主峰とする溶岩台地です。八島ヶ原、踊場、車山の3つの高層湿原があり、霧ヶ峰湿原植物群落は国の天然記念物に指定されています。この高原は車山の噴火によって噴出した熔岩が広がって固まりできたもので、ニッコウキスゲやレンゲツツジ、マツムシソウなどの花が季節を追って見ることが出来ます。標高は1600mから1900mのところにあり、年間平均気温は5.8℃で北海道と同じような気温です。そのため夏の7、8月は多くの花々が一斉に咲き乱れます。霧ヶ峰高原は1925mの主峰車山から1798mの鷲ヶ峰まで標高1500mから1900m、東西10kmに広がる壮大な高原です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www...霧ヶ峰高原

  • 片倉館

    長野県諏訪市湖岸通りに片倉館(かたくらかん)があります。片倉館は昭和3年(1928)、シルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥の2代目社長が地域住民に厚生と社交の場を提供するため造られた施設です。片倉家は諏訪湖のほとりで明治の初めに製糸業を起こし、シルク・エンペラーとして、世界に知られる一大コンツェルンを築きました。創業50周年の記念事業としてこの片倉館を建設しました。片倉家2代目の当主片倉兼太郎は欧米視察で地域に対する企業の社会貢献を学びました。特に健康福祉施設の充実に関心があり諏訪にもそのような施設をと、大浴場や休憩室、大広間などを造りました。庭園には一面に白砂を敷き、池の傍らには小動物も飼われました。建築デザインも当時の日本の最先端をいくものだったのです。片倉館で有名なものといえば男女別に作られた「千人風...片倉館

  • 諏訪市原田泰治美術館

    長野県諏訪市渋崎に諏訪市原田泰治美術館があります。この美術館は、原田泰治氏の作品を展示する美術館です。原田氏は諏訪市出身の著名なグラフィックデザイナーであり画家です。平成10年(1998)7月、北アルプスの峰々を望む諏訪湖のほとりに開館しました。美術館は体の不自由な人にも親切な配置になっています。駐車場から入り口へはなだらかなスロープにしてあり、館内にエレベーターが設置されています。そして作品は車椅子の方のために少し低めに掛かっていて点字の表示もしてあります。名誉館長は原田さんの親友であるさだまさしさんだそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪市原田泰治美術館

  • 8代・諏訪忠恕墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。8代・諏訪忠恕(ただみち)は忠粛の長男で文化13年(1816)に藩主になりました。松平定信の娘の烈姫を正室に迎えています。藩財政再建を目指し、検地や諏訪湖の治水工事、養蚕業奨励を実施しました。しかし凶作や江戸藩邸の焼失により藩財政は悪化、文政7年(1824)には高島藩で唯一といえる百姓一揆を引き起こされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/8代・諏訪忠恕墓

  • 7代・諏訪忠粛墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。7代・諏訪忠粛(ただかた)は忠厚の長男で、御家騒動の後を受けて天明元年(1781)に藩主となりました。灌漑用水の再編をして耕地開発したり、藩政改革を行いました。享和3年(1803)に藩校・長善館を創設、藩士子弟の養育や藩医を長崎留学させ蘭学を学ばせました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/7代・諏訪忠粛墓

  • 6代・諏訪忠厚墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。6代・諏訪忠厚は忠林の四男で宝暦13年(1763)に父の隠居を受けて家督を継ぎました。藩政を家老に任せるようになり、二之丸諏訪家と三之丸千野家の両家老家が対立しました。跡目争いまでが絡んだ御家騒動(二之丸騒動)に発展したため、責任を取り隠居しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/6代・諏訪忠厚墓

  • 5代・諏訪忠林墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。5代・諏訪忠林は分家の旗本、諏訪頼篤の二男で、忠虎の実子が早世したため、養子に迎えられ、享保16年(1731)に藩主となりました。生まれつき病弱で、藩政よりも学問にのめり込み、詩人としては秀でた人物でした。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/5代・諏訪忠林墓

  • 4代諏訪忠虎墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。4代諏訪忠虎は忠晴の三男で、元禄8年(1695)に藩主になりました。学問に優れ、学問好きであった将軍徳川綱吉の師事を受けました。郡中法度、家中法度を出したほか、郡内の林改を行いました。俳諧に秀で「闡幽」と号しました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/4代諏訪忠虎墓

  • 3代諏訪忠晴墓

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。3代・諏訪忠晴(ただはる)は忠恒の長男です。明暦3年(1657)に藩主になりました。宗門改めの実施、知行制度の整備など藩の支配機構を整え、藩体制の確立に努めました。また文芸にも秀で、絵画を得意としたほか、「本朝武林小伝」などの著作があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/3代諏訪忠晴墓

  • 2代藩主諏訪忠恒仮御霊屋

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。2代藩主諏訪忠恒(ただつね)の仮御霊屋が平成20年(2008)に奥の中央に建てられています。内部にある墓標の戒名の刻字部分は金泥、標身(ひょうしん)の継ぎ目は漆喰で充填されています。寛文13年(1673)3代忠晴が忠恒の17回忌に御霊屋を建立し、老朽化のため復元に備え仮御霊屋になっています。忠恒は初代高島藩主・諏訪頼水の長男で、寛永17年(1640)に藩主になりました。大坂夏の陣に徳川方で出陣し、天王寺の戦いなどで奮戦しました。その功により、戦後5千石の加増を受けました。父・頼水の施策を受け継ぎ、干拓や新田開発を進め領内の生産力増大に努めました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan...2代藩主諏訪忠恒仮御霊屋

  • 高島藩主諏訪家墓所

    長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。諏訪家の菩提寺は頼岳寺でしたが高島城から離れていたため、慶安2年(1649)、高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)は、新たに温泉寺を創建し菩提寺としました。墓所には2代藩主・諏訪忠恒から、8代藩主・諏訪忠恕(ただみち)までの7代の藩主墓と、妻や子供の墓、家臣が奉納した石灯籠が建てられています。墓所は二段に分かれ、上段に藩主の墓と忠恒の御霊屋が建てられています。諏訪家は信濃国一宮諏訪大社の大祝(おおほうり)家の家柄です。中世以降は諏訪の領主として君臨しました。戦国時代、武田信玄の謀略により諏訪家惣領家は断絶し、諏訪頼重の血が入る武田勝頼が諏訪を継ぎました。信玄の後を継ぎましたが、武田は滅亡しました。後に惣領家のいとこ・諏訪頼忠が諏訪氏を復活させました...高島藩主諏訪家墓所

  • 温泉寺のシダレザクラ

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺のシダレザクラは推定樹齢が300年以上という古木です。高島藩2代藩主諏訪忠恒(ただつね)が大坂の陣後に持ち帰り植えたものといわれています。諏訪市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺のシダレザクラ

  • 和泉式部の墓

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の墓地の横の温泉寺シダレザクラの近くに五輪塔があります。これが和泉式部の墓と伝えられています。和泉式部は下諏訪宿の出身地という説があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/和泉式部の墓

  • 温泉寺経蔵

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の経蔵は転輪蔵と呼ばれています。中には立川流初代・立川和四郎冨棟が造った八角八面の輪蔵があり、その中に黄檗板大蔵経が納められています。真心を込めてこれを一回転させると経文を読んだと同じ功徳があるとされています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺経蔵

  • 温泉寺本堂

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の本堂は明治3年(1870)の火災で焼失し、廃城となった高島城の能舞台を移築、改修して本堂に組み入れました。能舞台は高島藩8代・諏訪忠恕(ただみち)の時に造られたものです。本堂の能舞台遺構として諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺本堂

  • 温泉寺山門

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の山門(三門)は明治3年(1870)の火災で焼失しました。廃藩置県と廃城令により高島城が廃城となったので城門を移築、改修したものです。江戸時代の薬医門で、諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺山門

  • 温泉寺鉄塔

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の鉄塔は多宝塔の中に納められています。諏訪大社上社本宮の御神体だった塔で、明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈により温泉寺に移されたものです。鉄塔といっても石造りの2mの石塔です。鉄塔は当初、弘法大師により建立されたと伝えられています。鉄塔が腐朽したため、源頼朝が再興し、さらに寛永8年(1631)に高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)が石造に造り直したと伝えられています。昭和46年(1971)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺鉄塔

  • 温泉寺梵鐘

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。温泉寺の梵鐘は伊那郡市田村(高森町)の安養寺の梵鐘で、永享2年(1430)に鋳造された古鐘です。天正10年(1582)に織田信忠が武田勝頼を攻めた時に陣鐘として安養寺から持ち出し、上之諏訪(神宮寺)まで引いてきて捨てていった鐘で、寺創建時に温泉寺の梵鐘としたそうです。昭和61年(1986)に県宝に指定され、鐘楼には別の鐘が架けられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/温泉寺梵鐘

  • 温泉寺

    長野県諏訪市湯の脇に温泉寺(おんせんじ)があります。臨江山温泉寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)によって寛永17年(1640)、慈雲寺の泰嶺和尚を招聘して開山しました。諏訪家の菩提寺は長く永明寺でしたが、寛永8年(1631)、頼岳寺が創建されました。しかし頼岳寺が高島城から離れた場所にあったため温泉寺を菩提寺として創建したのでした。明治3年(1870)、火災により本堂など伽藍が焼失しました。高島城より能舞台と城門が移築され能舞台は本堂に、城門が山門に改修されています。温泉寺には長野県県宝の梵鐘をはじめ、諏訪市指定有形文化財の鉄塔、舎利塔、山門、本堂の能舞台遺構、高島藩主廟所などがあります。木造地蔵菩薩座像、一切経入経蔵、泰嶺和尚書軸、鏡板なども諏訪市指定文化財で、枝垂桜は市...温泉寺

  • 手長神社延命杉

    長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。手長神社の延命杉は樹齢500年の御神木です。「心平穏に天つ御空乃梢を仰ぎ三度深く息すれば生命延ぶといふな里」下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/手長神社延命杉

  • 手長の森

    長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。手長神社の境内は神域だったため、大欅13本を中心に、スギ、サワラ、ヒノキ、イチョウ、コブシ、ウワミズザクラ、オオモミジなど30種、400本余りの樹木に覆われています。「手長の森」と呼ばれ平成元年(1989)に諏訪市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/手長の森

  • 手長神社末社弥栄神社

    長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。手長神社の末社の弥栄神社は銅板葺きの一間社流造りで、手長神社本殿であった社殿です。宝永6年(1709)に大隅流の伊藤庄左衛門が棟梁になり建てられています。昭和8年(1933)に本殿から弥栄神社になっています。弥栄神社は平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/手長神社末社弥栄神社

  • 手長神社拝殿

    長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。手長神社の拝殿は天明8年(1788)に諏訪の大工・立川和四郎富棟が棟梁になり建てられています。間口2間、奥行1間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、外壁は真壁造り板張りになっています。欅の木目を活かした重厚な建物です。正面には軒唐破風があり、細部に唐獅子、龍などの彫刻が施されています。また拝殿の左右には間口2間、奥行1間の片拝殿が付けられています。手長神社の拝殿は昭和59年(1984)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/手長神社拝殿

  • 手長神社

    長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。手長神社は足長神社とともに桑原村の総鎮守でしたが、上桑原と下桑原に分かれた時、下桑原の産土神として遷座し、手摩乳命を祭神としています。足長神社と同じく諏訪大社上社の末社でもあります。天正19年(1591)に高島城が築かれると手長神社は城の北東にあたり、城の鬼門除けとして歴代城主に崇敬され、広い社領が安堵されました。例祭で奉納される八朔相撲には各地から有力力士が集まり、諏訪大社上社の十五夜相撲、田沢稲荷の二百十日相撲と共に諏訪三辻に数えられました。手長神社は古くから神仏習合し「手長宮」、「手長大明神」などと呼ばれました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃されています。明治5年(1872)に村社、明治32年(1899)に郷社、大正13年(1924)に県社に...手長神社

  • 教念寺経堂

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の経堂は文政9年(1826)に建てられています。宝形造り、土蔵白漆喰仕上げ、銅板葺きの建物です。内部には六角経蔵が収められています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺経堂

  • 教念寺山門

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の山門は入母屋造り、銅板葺きの三間一戸、八脚楼門です。明治時代に建てられたもので、外壁は真壁造り板張り、上層部に高欄が付けられています。初代立川和四郎冨棟が制作したという「源海山」の山号額が掲げられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺山門

  • 教念寺本堂

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。教念寺の本堂は天保年間(1830-1844)に焼失し、弘化年間(1844-1847)に立川流四代目・和四郎冨惇が棟梁になり再建された建物です。間口3間、奥行3間、入母屋造り、平入、銅瓦葺きで正面に向拝が付いています。中尊阿弥陀如来像、脇侍勢至菩薩像、観音菩薩像、百体観音などが安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/教念寺本堂

  • 教念寺

    長野県諏訪市小和田に教念寺(きょうねんじ)があります。源海山教念寺は浄土宗知恩院の末寺です。室町時代後期の永正年間(1504-1524)に教譽淨念が一宇を設けたのが始まりです。元亀2年(1571)に一袋上人が浄土宗のお寺として開山しました。高島城築城後、現在地に移され、江戸時代には関東18談林の一つに選ばれたそうです。学問所として多くの僧侶が修行に訪れたようです。本尊・阿弥陀如来のほか諏訪湖湖畔七福神の弁財天なども安置されています。鎌倉時代末期に造られ享和元年(1801)に教念寺17世卓門上人が伊勢宝積院の義音上人から譲られたという国指定重要文化財の「絹本著色羅漢像」をはじめ、諏訪市指定有形文化財の「観経変相曼陀羅」、「金銅善光寺仏脇士仏」、「阿弥陀如来来迎図」、「紙本著色当麻曼陀羅図」などを所蔵していま...教念寺

  • 足長神社舞屋

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の舞屋(神楽殿)は間口5.7間(10.3m)、梁間3.5間(6.4m)、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺きの建物です。江戸時代後期の文久2年(1862)に棟梁の石田房吉らにより建てられています。正面開口部上に大きな虹梁(こうりょう)を渡し、その上に龍・漠(ばく)などの彫刻を施しています。木鼻には獅子が彫られています。昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社舞屋

  • 足長神社本殿

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の本殿は一間社流造り、銅板葺き(元こけら葺き)です。拝殿より一段高い所にあり、渡廊で結ばれています。社額裏面の墨書から江戸時代中期の延享4年(1747)頃に再建されたと思われます。平成6年(1994)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社本殿

  • 足長神社拝殿

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社の拝殿は江戸時代後期の天保13年(1842)に大隅流の矢崎専司らにより建てられています。木造平屋建て、間口1間(3.8m)、奥行2間(3.1m)の五棟造り(正面に千鳥破風、軒唐破風が付いた切妻造り)、平入の社殿です。木鼻に唐獅子、欄間に龍、鷹、鶴、脇障子に麒麟、鳳凰などの繊細な彫刻が施されています。江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な建物で、昭和63年(1988)に諏訪市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社拝殿

  • 足長神社

    長野県諏訪市四賀足長山に足長神社(あしながじんじゃ)があります。足長神社は古代から崇敬され、祭神の足摩乳(あしなづち)神は上桑原村の産土神として信仰されてきました。当初は夫婦神とされる手長神社も祀られていましたが、下桑原村に遷座しています。平安時代初期の大同年間(806-810)に諏訪神社上社大祝の始祖である御表衣祝有員(みそぎほうりありかず)が足長神社を崇敬し、広大な社殿を造営しました。以後、足長神社は諏訪大社の末社になり、諏訪上社の御柱祭に足長神社が奉納しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/足長神社

  • 五本杉

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。五本杉は、1本は落雷により倒れ、現在は4本となっていますが、五本杉して諏訪市の天然記念物に指定されています。樹齢は約400年で、幹周は4mから5m64cmぐらいあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/五本杉

  • 心字池

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。心字池は坂上田村麻呂が東夷征伐の途中、諏訪明神の加護を祈り、心字池の井戸で手を清めたと伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/心字池

  • 諏訪大社上社五重塔跡

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。諏訪大社上社の五重塔は延慶元年(1308)に下伊那の知久敦信により建てられたそうです。礎石からの高さは16間1尺4寸5分(29.53m)あったそうです。明治初年の廃仏毀釈により壊されましたが、本尊の五智如来像は四賀の万福寺へ移されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社五重塔跡

  • 諏訪大社上社神宮寺跡

    長野県諏訪市中洲神宮寺に諏訪大社上社神宮寺跡(すわたいしゃかみしゃじんぐうじあと)があります。諏訪大社上社の東には神宮寺跡があります。神仏分離令前の地図には普賢堂・大師堂・阿弥陀堂・五重塔・鐘楼・釈迦堂・不動堂・上り仁王門・下り仁王門、観音堂、薬師堂、塔頭(たっちゅう)の如法院、神洞院、宝蔵坊、蓮乗坊、執行坊などが載っています。神宮寺は弘法大師の創建といわれ、普賢神変山と号する真言宗のお寺でした。神宮寺奥殿が普賢堂で、坂上田村麻呂が開創し、空海が移したと伝えられています。神宮寺という地名だけは残されていますが、神仏分離令、廃仏毀釈により壊され、今はマレットゴルフ場となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキン...諏訪大社上社神宮寺跡

  • 吉良義周墓

    長野県諏訪市中洲神宮寺に法華寺(ほっけじ)があります。法華寺には吉良上野介義央(よしなか)の養子である吉良義周(よしちか)の墓があります。米沢藩主上杉綱憲の二男として生まれ、祖父にあたる義央の養子となりました。元禄15年(1703)、赤穂浪士討ち入りに遭遇し、後に高島藩主諏訪忠虎にお預けとなり、高島城の南丸に幽閉されました。21歳の若さで病死し、法華寺に葬られました。墓は昭和54年(1979)に諏訪市指定史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/吉良義周墓

  • 法華寺

    長野県諏訪市中洲神宮寺に法華寺(ほっけじ)があります。鷲峰山法華寺は諏訪大社上社に隣接する臨済宗妙心寺派のお寺です。法華寺は諏訪大社上社本宮の神宮寺の宮寺の1つでした。周りには神仏分離令と廃仏毀釈により壊された五重塔や如法院、普賢堂、釈迦堂の跡などが点在しています。法華寺は天台宗のお寺として開かれましたが、鎌倉時代の寛元年間(1243-1247)に領主だった蓮仏入道盛重が中興し、建長寺の蘭渓道隆を招いて臨済宗に改められました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/法華寺

  • 横谷渓谷

    長野県茅野市北山蓼科に横谷渓谷(よこやけいこく)があります。蓼科中央高原の横谷渓谷は渋川に沿って、明治温泉から横谷温泉にかけての約4kmの美しい渓谷です。断崖には木々や草花が生い茂り、渓流沿いには大小の滝や巨岩が点在しています。最初に現れる乙女滝は、名前からは想像できない豪快な滝です。さらに川沿いを行きますと霧降の滝へ行かれます。対岸には鷲岩、一枚岩、屏風岩の奇岩を見ることができます。自然が造りだした素晴らしい景観です。王滝は繊細な流れで、特に紅葉の季節はコントラストが美しいと評判です。横谷観音からは南アルプスから乗鞍、北アルプスまで見渡せます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://b...横谷渓谷

  • 尖石縄文考古館

    長野県茅野市豊平に尖石縄文考古館(とがりいしじょうもんこうこかん)があります。八ケ岳の西側、標高1000m余の緩斜面にある尖石遺跡は、約5千年前の縄文中期を代表する遺跡です。八ヶ岳には多くの縄文遺跡が発見されています。中でも「尖石遺跡」は学術的価値が高いとして国の特別史跡に指定されています。この遺跡は、昭和初期から宮坂英弌氏が発掘調査を進め、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われた遺跡であるといわれています。隣接する茅野市尖石縄文考古館では、国宝の土偶・縄文のビーナスや、重要文化財の土偶・仮面の女神などを展示しています。平成12年(2000)7月に完成した「新尖石縄文考古館」を中心に、北に与助尾根遺跡、南に尖石遺跡があります。合わせて尖石遺跡と呼ぶこともあります。館内には美的感覚の優れた「土偶」や、たくま...尖石縄文考古館

  • 蓼科温泉郷

    長野県茅野市に蓼科温泉郷があります。蓼科温泉は蓼科山や北横岳など八ヶ岳連峰の北西部の高原にある温泉地です。蓼科湖畔やプール平に、ホテル・旅館が多く点在しています。標高1200mから1600mに位置しており無色透明で弱酸性の温泉郷です。「蓼科グランドホテル滝の湯」がある滝の湯、小斎(こさい)の湯、「蓼科温泉ホテル親湯」親湯(しんゆ)などの温泉は鎮痛効果にすぐれた酸性泉または単純温泉で、蓼科温泉といわれています。近くには横谷渓谷がある横谷温泉などもあります。蓼科温泉は、戦国の武将武田信玄のかくし湯ともいわれ、胃腸病、婦人病、皮膚病などに効能があります。蓼科高原の観光開発で湯治温泉から近代的な観光温泉になりました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/ja...蓼科温泉郷

  • 蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館

    長野県茅野市北山に蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館があります。蓼科高原美術館はピラタス蓼科ロープウェイ山麓駅近くにある美術館です。北八ヶ岳山麓という立地条件を生かし、自然との調和をテーマに「自然の聞こえる贅沢な時間、空間作り」を目指している美術館です。茅野市出身で日本彫刻界の巨匠として知られる矢崎虎夫の代表作を収蔵し、その偉業をたたえるため平成3年(1991)に開館しました。力強い作品が、八ヶ岳の大自然と見事な調和を生み出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館

  • 蓼科湖

    長野県茅野市北山に蓼科湖があります。古くから別荘地として愛されてきた蓼科高原。そのシンボルといえるのが、昭和26年(1951)に完成した人造湖の蓼科湖です。面積8.5ha、最深部7mで、湖面の標高は1244mです。もとは地元の町村が、滝ノ湯川から引水し、水田を潅漑する農業用ため池と、冬季にはスケートリンクとして活用するために建設したものだそうです。緑に囲まれた高原の湖は、ボート遊びには最適です。蓼科湖畔にある蓼科湖レジャーランドにはローボート、ペダルボートなどのほか、湖畔にはゴーカート、パターコースがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓼科湖

  • 諏訪大社上社前宮本殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。諏訪大社上社前宮の拝殿の背後には本殿があります。諏訪大社4社の中で唯一ある本殿です。諏訪神社で良く見られる流造ではなく、桁行4間梁間3間の切妻造りです。棟には鰹木を並べています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮本殿

  • 諏訪大社上社前宮拝殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。拝殿は十間廊から50mほど離れた坂の上にあります。拝殿の横には神水である「水眼」と呼ばれる名水が流れています。木々に囲まれた妻入りの社殿で、周りには4本の御柱が建っています。社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。拝殿の奥には墳墓があると伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮拝殿

  • 諏訪大社上社前宮十間廊

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。二の鳥居の上にある十間廊は古くは神原廊と呼ばれていました。桁行10間、梁間3間、入母屋造りです。中世までは諏訪地域の政治や祭礼はこの場で行われ、現在でも上社で行われる神事のほとんどは、この建物で行われています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮十間廊

  • 諏訪大社上社前宮内御玉殿

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。内御玉殿(うちみたまでん)は諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。神事があるたびに、内玉御殿の扉を開き、大祝が神事を行っていました。現在の社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。以前の社殿は天正13年(1585)に造営された上社関係では最古の建造物でした。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/諏訪大社上社前宮内御玉殿

  • 諏訪大社上社前宮

    長野県茅野市宮川に諏訪大社上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)があります。諏訪大社上社前宮は上社本宮から東南に約1.5km、八ケ岳や諏訪平を一望する神原(ごうはら)にあります。本宮の祭神・建御名方神が諏訪に入り、最初に居を定めた場所で、諏訪大社4社の中で最初に建てられた諏訪信仰の発祥の地です。境内の大半を占める広場の神原に、かつては大祝(おおほおり)の居館である神殿(ごうどの)の建物が建っていました。諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っていました。奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていました。平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持って大きな勢力となりました。祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名...諏訪大社上社前宮

  • 聖光寺

    長野県茅野市北山蓼科に聖光寺(せいこうじ)があります。蓼科湖畔にある蓼科山聖光寺は昔からソメイヨシノの名所です。境内には1000本近くのソメイヨシノが植えられていて、毎年5月になると大勢の花見客で賑わいをみせます。旧トヨタ自動車販売(株)の社長であった神谷正太郎氏が発願しました。昭和45年(1970)7月奈良薬師寺長老の橋本凝胤師によって開眼されたということです。聖光寺は薬師寺の別院として知られ、交通安全祈願に訪れる参拝客も多いそうです。秋は紅葉が素晴らしく広い境内に大勢の人が来ています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/聖光寺

  • ピタラス横岳ロープウェイ

    長野県茅野市北山蓼科高原にピタラス横岳ロープウェイがあります。このロープウェイは横岳の山麓から坪庭を結ぶ通年運行のロープウェイです。山麓駅から山頂駅までは、全長2147m、標高差466m、所要時間は約7分です。北八ヶ岳の盟主ともいうべき横岳は標高2473m(南峰)です。北横岳の通称で親しまれています。その中腹、2240m地点まで100人乗りの大型ロープウェイが運行しています。ゴンドラからは八ヶ岳、南・中央・北アルプスが一望できます。縞枯れ山の珍しい縞枯れ現象も見ることが出来ます。山頂駅周辺は10万坪の溶岩台地「坪庭自然園」が広がっています。園内には広大な溶岩台地が広がり、20数種の高山植物が群生し、一周約30分で散策できる坪庭探勝路が敷かれています。縞枯山や横岳、八ケ岳の稜線が一望できます。下記のサイトに...ピタラス横岳ロープウェイ

  • 車山高原

    長野県茅野市米沢車山高原に車山高原(くるまやまこうげん)があります。車山一帯が車山高原と呼ばれ、標高は1925mで、霧ヶ峰の最高峰です。春から夏にかけ、レンゲツツジ、ニッコウキスゲ、マツムシソウの群落が咲き揃います。冬季には、車山高原スキー場としてスキーが楽しめます。車山の名前は、山の頂に溶岩が円く堆積してできた「円頂丘」に由来する説と、「くるま」という地名に由来する説があります。円い形状が車山の名前の由来の鍵となっているようです。リフトが通年動いていて手軽に頂上に行くことが出来ます。さまざまな小動物や草花などを見る事ができるレジャースポットもあり、公園・博物館・レストラン・テニスコートやグラウンドなどの施設も備え付けられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne....車山高原

  • 白岩観音堂

    白岩観音堂は諏訪七観音の1つとして信仰され、歴代高島藩主から庇護されました。元禄年間(1688-1703)に藩主・諏訪忠虎により現在地に移されたといわれています。現在の観音堂は安永3年(1774)に立川流初代の立川和四郎富棟が初めて手掛けて再建された建物です。間口3間、奥行3間、入母屋造り、銅板葺きで、正面に軒唐破風を付けた1間の向拝があります。虹梁に竜の彫刻があり、向拝柱の木鼻には、正面に唐獅子、側面に漠の彫刻が彫られています。大きな堂ではありませんが、信州に多数ある立川流の寺社建築の原点になり、平成元年(1988)に県宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://bl...白岩観音堂

  • 惣持院・白岩観音堂

    長野県茅野市塚原に惣持院・白岩観音堂(そうじいん・しろいわかんのんどう)があります。惣持院は白岩観音堂の別当で同じ境内にあり、茅野の中心市街地に位置しています。白岩山惣持院は高野山真言宗のお寺で、寛正3年(1462)に創建され、永禄13年(1570)に現在地に移っています。惣持院の入口は冠木門になっており、摩利支天や不動明王などの石仏が並んでいます。それほど大きくない真直ぐ奥に白岩観音堂が建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/惣持院・白岩観音堂

  • に御射鹿池

    長野県茅野市豊平奥蓼科に御射鹿池(みしゃかいけ)があります。御射鹿池は標高1500mの山の中にあり、東山魁夷画伯の「緑響く」の舞台となった場所として有名です。その後、シャープのAQUOSのCMでも使用され、さらに知られるようになりました。御射鹿池は農業用のため池で、農林水産省の「ため池100選」にも選ばれています。冷たすぎる八ヶ岳の水を太陽にあて、稲作に利用するために、昭和の初めに造られた人造湖です。池の水質は酸性が強く魚が生息できません。このため透明度は高く、澄み切っています。鏡のように周囲のカラマツ林などが映り込み、神秘的な雰囲気を出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http:/...に御射鹿池

  • 矢出川公園

    長野県南佐久郡南牧村大字野辺山に矢出川公園(やでがわこうえん)があります。八ケ岳も一望できる矢出川公園は野辺山天文台の隣、標高1342mのところにある公園です。サクラソウやアサマフウロなど貴重な希少植物の自生地である「矢出川湿原」としても知られている場所です。近くに「国史跡」矢出川遺跡があります。昭和28年(1953)に日本で最初の細石刃旧石器が野辺山高原で発見され、矢出川遺跡と名付けられました。これにより日本の細石刃文化の研究が始まりました。出土品は南牧村美術民俗資料館に展示、所蔵されています。矢出川公園の隣りには南牧村農村文化情報交流館(ベジタボール・ウイズ)があります。全天周ドーム型シアターでプラネタリウムを備えています。南牧村の大自然をバーチャルトリップできる楽しさいっぱいの交流館です。下記のサイ...矢出川公園

  • 野辺山JR鉄道最高地点

    長野県南佐久郡南牧村野辺山に野辺山JR鉄道最高地点があります。高原列車の代名詞ともいえる小海線は山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道です。JR鉄道最高地点はJR小海線の清里駅と野辺山駅の間の標高1374.906mの地点です。JR鉄道最高地点記念碑が小海線と国道141号旧道が交差する踏切近くに建てられています。踏切りの北側には木製のJR鉄道最高地点の碑があり、南側には石で出来た日本鉄道最高地点の碑があります。JR鉄道最高地点は、日本の鉄道の中でも最高地点となります。日本鉄道最高地点の碑の左側面には、「幸せの鐘」が設置してあります。上り列車が通過する時にこの鐘を鳴らすと「二人の最高の幸せ」を手に入れる事ができるそうです。鉄道以外の駅も入れると立山黒部アルペ...野辺山JR鉄道最高地点

  • 野辺山電波天文台

    長野県南佐久郡南牧村大字野辺山に野辺山電波天文台(のべやまでんぱてんもんだい)があります。この天文台は正式には、自然科学研究機構国立天文台野辺山宇宙電波観測所と太陽電波観測所の2つの総称です。電波望遠鏡と呼ばれる直径45mの巨大パラボラアンテナをはじめ、直径10mのアンテナが6基、直径80cmアンテナが84基立ち並ぶ日本が世界に誇る観測施設です。人間の目には見えない天体からの電波を調べることで、星の誕生や銀河の構造、ブラックホールなど宇宙の謎を次々と解明しています。入り口を入ると、まず直径10mのミリ波干渉計群が見えてきます。アンテナは6台あり、80から230GHzの周波数を観測しています。望遠鏡は光学でも電波でも、口径が大きいほど、より細かい部分を見ることが出きます。しかし、あまり巨大ですと建築的に無理...野辺山電波天文台

  • 野辺山電波天文台

    長野県南佐久郡南牧村大字野辺山に野辺山電波天文台(のべやまでんぱてんもんだい)があります。この天文台は正式には、自然科学研究機構国立天文台野辺山宇宙電波観測所と太陽電波観測所の2つの総称です。電波望遠鏡と呼ばれる直径45mの巨大パラボラアンテナをはじめ、直径10mのアンテナが6基、直径80cmアンテナが84基立ち並ぶ日本が世界に誇る観測施設です。人間の目には見えない天体からの電波を調べることで、星の誕生や銀河の構造、ブラックホールなど宇宙の謎を次々と解明しています。入り口を入ると、まず直径10mのミリ波干渉計群が見えてきます。アンテナは6台あり、80から230GHzの周波数を観測しています。望遠鏡は光学でも電波でも、口径が大きいほど、より細かい部分を見ることが出きます。しかし、あまり巨大ですと建築的に無理...野辺山電波天文台

  • 犬ころの滝

    長野県南佐久郡南相木村に犬ころの滝があります。犬ころの滝は南相木村で有名な7つの滝の一つです。昔、悪さをする山犬がいて、堪えかねた村人たちがこの滝に追つめて追い落としたことから「犬ころの滝」といわれるようになったそうです。苔むした岩場に落ちる美しい滝で、遊歩道の階段を下りると滝壷から豪快な滝の流れを間近で見ることができます。秘境の温泉施設「滝見の湯」の隣にあり、湯船に浸かりながら見ることもできます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/犬ころの滝

  • 立岩湖

    長野県南佐久郡南相木村に立岩湖(たていわこ)があります。立岩湖は日本一高所にある南相木ダムの10km下流に位置する、周囲1kmの人造湖です。標高1070mの所にあり、通年釣りが楽しめます。近くには高さは60m、幅10mの立岩や、犬ころの滝、温泉施設「滝見の湯」があります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/立岩湖

  • 南相木ダム

    長野県南佐久郡南相木村南相木山国有林に南相木ダム(みなみあいきだむ)があります。南相木ダムは堤高136m、堤頂長444mの東京電力の発電専用ダムです。大規模なダムとしては日本一標高の高い場所(標高1532m)にあるダムで、岩石や土砂を積み上げて造られたロックフィルという形式のダムです。揚水式発電所である神流川発電所の上部調整池(奥三川湖)として建設され、平成16年(2004)に完成しました。揚水発電は発電所を挟む上と下の2つの調整池を利用します。昼間の電気の需要が多いときは上部調整池から下部調整池に水を落として発電します。電気の需要の少ない夜間には下部調整池から上部調整池へ水を汲み上げ、昼間の発電に使用するよう水を再利用しています。現在は発電機1台での運転ですが、将来は6台で運転され最大出力282万キロワ...南相木ダム

  • 和田宿本陣

    長野県小県郡長和町和田に和田宿本陣があります。和田宿は中山道のなかで屈指の大宿でした。道中最大の難所である和田峠を控えているため、多くの旅人がこの和田宿に泊ったのです。今も旧道沿いには、往時の面影を残す家並などが散在しています。中山道和田宿本陣は文久元年(1861)3月の大火事で焼失しました。同年11月に皇女和宮が来られるということで直ぐに再建されました。明治維新後に宿場制度が廃止となり本陣の役割がなくなりました。座敷棟は丸子の龍願寺へ、座敷棟の正面にあった御入門は丸子の向陽院へとそれぞれ移築されました。居室棟は役場や農協事務所として使用されました。昭和59年(1984)に旧和田村役場庁舎の移転にともない解体されそうになりました。中山道の宿場町の中で数少ない本陣の遺構の1つとして評価され平成元年(1989...和田宿本陣

  • 和田峠

    長野県小県郡長和町和田に和田峠(わだとうげ)があります。和田峠は国道142号線とビーナスラインが交差する、標高1531mの峠です。古く石器時代には黒曜石の産地で、狩猟など使われた石鏃に利用されました。江戸末期、皇女和宮さまの行列、水戸天狗党の古戦場等など、歴史の舞台ともなっています。江戸時代には中仙道の随一の難所として多くの旅人達を悩まし、この峠あたりで果てる人馬は数しれなかったといわれています。現在、下諏訪と和田のあいだ六里(24km)には西餅屋、東餅屋待と呼ばれる茶屋やその跡が残っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/和田峠

  • 信定寺

    長野県小県郡長和町和田下町に信定寺(しんじょうじ)があります。戦国時代武田信玄は信濃を攻め、和田城主の大井信定が討ち死にしました。信定寺は天文22年(1553)、大井信定の菩提を弔うため創建されました。徳川時代に入り、京都二条殿の祈願所として庇護され、日光東照宮を参拝する例幣使一行や諸大名は信定寺に参拝したそうです。江戸時代、14代活文禅師は信定寺に10年間住職を務めました。この後江戸、長崎に遊学、晩年は佐久間象山らが師と仰ぎました。本堂の本尊として安置されている「釈迦如来」は鎌倉時代末ころの作です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/信定寺

  • 松尾神社

    長野県小県郡長和町長久保字宮所に松尾神社(まつおじんじゃ)があります。松尾神社は旧郷社で、大山昨神(おおやまのくひのみこと)を祀っています。京都市にある官幣大社松尾神社の分霊を勧請し、酒造守護の神社として古来より酒造家の崇敬を受け遠くより参詣する人が多かったそうです。現在の本殿は万延元年(1860)に再建されたもので銅板葺きの一間社流造りです。棟梁は諏訪の宮大工、3代目立川和四郎富重です。本殿の欄間には龍がまきおこす波に亀が泳ぎ、鶴舞い込んでいる姿や、貫の木鼻には象の鼻など、見事な彫刻が施してあります。松尾神社は以前は長久保の町裏地籍の大欅の森にありましたが小学校の校庭の拡張のため昭和33年(1958)に現在地に遷座しました。松尾神社本殿は建築彫刻として貴重なことから昭和53年(1978)に長門町の有形文...松尾神社

  • 黒耀石体験ミュージアム

    長野県小県郡長和町大門に黒耀石体験ミュージアムがあります。このミュージアムはブランシュたかやまスキー場のすぐそばにあり、考古系の博物館です。隣には明治大学黒耀石研究センターなどもあります。ここは本州最大規模の黒耀石の原産地です。国史跡となっている星糞峠(ほしくそとうげ)の「黒耀石縄文鉱山」をはじめ、旧石器時代の鷹山遺跡群から出土した資料などが展示されています。本格的な体験型の博物館としても注目されており、黒耀石の石器づくりや勾玉づくりなど、20種類を超える体験ができます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/黒耀石体験ミュージアム

  • 不動滝

    長野県小県郡長和町大門茂沢川に不動滝(ふどうだき)があります。大門街道を走っていると不動滝の看板が見えます。車で山道を10分ほど登ると滝のようなコンクリートのダムみたいなものが見えてきます。ここの空き地に車を止めて歩いて15分ほどで不動滝に行くことができます。この滝は行者の滝とも呼ばれています。古くから修行の場でもあり、修行僧が滝に打たれたのでしょう。滝の前は広場になっていて、滝の脇には不動尊が祀られています。不動滝は、高さ10m・幅15m・落差16mの開けた滝です。丸みを帯びた岩を覆うように水が流れ落ちてきます。深い木立の間からの清らかな流れは、四季を通していろんな風景が楽しめます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラ...不動滝

  • 八幡神社

    長野県小県郡長和町和田に八幡神社(はちまんじんじゃ)があります。八幡神社は和田宿の守護三神「八幡」「熊野」「新海」の一つで、応神天皇を祀っています。かつて和田城主大井氏の居館の鬼門除けに造られたといわれています。境内には立派な土俵があり、樹齢350年の長和町保存樹木のけやきの横に茅葺き屋根の拝殿があります。拝殿と覆屋を併合させた入母屋造りの珍しい建物です。白木造りで一間社流造りの本殿は、間口1.7m、奥行き1.8mの大きさです。蟇又には巴紋が入っていて、妻の大瓶束が軍配団扇形となっているのが特徴です。18世紀前期の造立で、長和町の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...八幡神社

  • 長安寺の銀杏

    長安寺の銀杏は長和町の保存樹木に指定されています。大きな枝を伸ばし、樹齢は300年と推定されています。なお長和町の町木はヤマザクラです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長安寺の銀杏

  • 長安寺山門

    長安寺の山門は切妻造り、桟瓦葺きの、一間一戸の薬医門です。中央に「五雲山」の山号額が掲げられています。長い間再建されませんでしたが、平成15年(2003)檀家の協力で建てられました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長安寺山門

  • 長安寺本堂

    長安寺の本堂は木造平屋建て、寄棟造り、平入、銅板葺き、外壁は真壁造白漆喰仕上げの建物です。明治4年(1871)の火事で焼失し、明治14年(1881)に再建されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長安寺本堂

  • 長安寺経蔵

    長安寺の経蔵は江戸時代末期に建てられたもので、明治4年(1871)の火災で唯一難をのがれた建物です。土蔵平屋建て、切妻造り、平入、桟瓦葺き、外壁は白漆喰仕上げになっています。経蔵の天上は格天井で、地元の狩野派絵師・武重桃堂などにより多くの絵画が描かれています。内部にある朱塗りの八角輪蔵は高さ3.5m、幅2.2mで、八角造り回転式で、内部に大般若経600巻が収められています。長安寺の経蔵は昭和53年(1978)に長和町の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長安寺経蔵

  • 長安寺

    長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町長久保に長安寺(ちょうあんじ)があります。五雲山長安寺は曹洞宗のお寺で、本寺は武石にある信広寺です。元和4年(1618)に依田川辺にあった阿弥陀堂を曹洞宗の道場「宮昌庵」としたのが始まりです。寛永4年(1627)、小諸城主松平憲良が徳川家康の生母「於大の方」の位牌を安置し、久松院と改称しました。寛永6年(1629)、依田川の大洪水で寺が流失したため、翌年、憲良が寄進し、現在地に再建され、長安寺と改称しています。明治4年(1871)の火事で本堂など多くの堂宇が焼失しました。本堂などは明治14年(1881)に再建されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村ht...長安寺

  • 竹内家住宅(釜鳴屋)

    長野県小県郡長和町長久保に竹内家住宅(釜鳴屋ーかまなりや)があります。竹内家住宅(釜鳴屋)は江戸時代初期に酒造業と醤油の醸造を手掛け、長久保宿の役職も務めた家柄です。主屋は間口9間半(17.27m)、奥行10間半(19.08m)、建坪約100坪の切妻造りの平入で長久保宿の中では大きな町屋建築です。屋根の端部には妻壁を高く突出させ小屋根をつけた「本うだつ」がみられます。享保16年(1731)の祈祷札などから、これより以前の建物と思われ、長野県最古の町屋建築と思われます。昭和53年(1978)に長和町指定有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2....竹内家住宅(釜鳴屋)

  • 長久保宿本陣

    長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町長久保に長久保宿本陣(ながくぼじゅくほんじん)があります。長久保宿は、江戸板橋宿から27番目の宿場町です。笠取峠をくだったところにあり、最盛期には旅籠が50軒近くある比較的大きな宿場でした。この長久保宿の本陣は代々石合家が勤めてきました。4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いできています。現在の本陣の建物は寛永年間(1624-1643)に建てられたもので中山道の宿場町に現存する本陣の中で最古の建築です。嘉永3年(1850)の絵図によると上段之間ほか客室、茶之間、台所など22室が主要部分で、問屋場、代官詰所、高札場が併置され、御入門、御番所、御湯殿、雪隠、土蔵、馬屋などがあったようです。現在でも上段之間(御殿の間)や二之間、三之間、入側と共に古文書や高札、長久保宿...長久保宿本陣

  • 長久保宿歴史資料館・一福処濱屋

    長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町長久保竪町に長久保宿歴史資料館・一福処濱屋(いっぷくどころはまや)があります。長久保宿歴史資料館・一福処濱屋は中山道長久保宿竪町の上位(江戸方)に位置しています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きの建物は明治初期に旅籠として建てられましたが、中山道の交通量が減ったため開業はしなかったそうです。長久保宿内でも大きな建物で、1階よりも2階部分を突出させた「出梁(でけた)造り」が特徴的です。平成12年(2000)に所有者から町に寄付され、改修されて「長久保宿歴史資料館」となり、長久保宿関係の資料を展示して内部が一般公開されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...長久保宿歴史資料館・一福処濱屋

  • 西蓮寺

    長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町古町に西蓮寺(さいれんじ)があります。証誠山西蓮寺は浄土宗のお寺で、古町豊受大神宮の隣にあり、以前は別当寺であったと思われます。鎌倉時代に遊蓮坊円照が開山し、西山派の祖、善恵証空上人が再興し、鎮西派の崇誉上人が中興開山して、京都の知恩院の末寺になったそうです。寛永6年(1629)、依田川の大洪水で寺が流失したため、正保2年(1645)に現在地に移して再建されたそうです。宝暦年間(1751-1764)に本堂が再建されましたが、天保6年(1835)の火災で焼失、現在の本堂は被災しなかった庫裏なのだそうです。境内には大きな屋根の立派な鐘楼や、山門、天神社などが建てられています。天神社本殿は、立川流2代目・和四郎富昌の二男富種が万延元年(1860)に建立しています。下記のサイト...西蓮寺

  • 古町豊受大神宮

    長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町古町に古町豊受大神宮(ふるまちとようけだいじんぐう)があります。古町豊受大神宮は西蓮寺の隣に鎮座しています。以前は同じ境内であったと思われます。信州では伊勢神宮またはその例祭を「おたや」と呼んでいます。ここの例祭は「おたやさん」と呼ばれ、毎年1月14日の夕方から15日の昼頃まで行われます。上田、佐久からも大勢の人々が訪れ、お客のある家は、この日を年始とし、その年の始まりとする慣わしになっているそうです。山車や人形などが飾られる伝統文化になり、山車は昭和38年(1963)に長野県の無形民俗文化財に選択されています。豊受大神宮は伊勢神宮の外宮で、伊勢神宮への飲食をまかなう神様です。古くは度会宮(わたらいのみや)、豊受宮と称し、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)を祀っています...古町豊受大神宮

  • 王ヶ鼻

    長野県上田市美ヶ原高原(旧武石村)に美ヶ原高原(うつくしがはらこうげん)があります。王ヶ鼻(2008m)は王ヶ頭から歩くこと20分ほどで到着する美ヶ原台上の先端部です。眼下には松本市、その後ろに屏風のように立ちはだかる北アルプスが一望できます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/王ヶ鼻

  • 美ヶ原高原

    長野県上田市美ヶ原高原(旧武石村)に美ヶ原高原(うつくしがはらこうげん)があります。美ヶ原高原は、八ヶ岳中信高原国定公園の北西部にあり、上田市(旧武石村)、小県郡長和町、松本市にまたがる高原です。広大な高原の景勝地として古くから知られており、日本百名山にも選ばれています。標高2千mの高原台地で、広さ約600haという日本一の高さと広さを誇る高原です。美ヶ原高原が含まれる八ヶ岳中信高原国定公園は、八ヶ岳や蓼科高原、霧が峰高原、高ボッチ高原などがあり、蓼科~霧が峰~美ヶ原をむすぶビーナスラインは、人気のドライブルートとなっています。付近に高い山がないので360度の大パノラマが楽しめます。北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳が臨め、天気が良ければ富士山も見ることができます。市街地から離れ、空気が澄んでい...美ヶ原高原

  • 武石ともしび博物館

    長野県上田市下武石に武石ともしび博物館(たけしともしびはくぶつかん)があります。武石ともしび博物館は旧武石村の村制施行百周年を記念して、平成元年(1989)にオープンしました。平成の大合併で平成18年(2006)に上田市と合併し、現在は上田市教育委員会が主体となっています。展示館、伝承館、茶室「煌庵」、体験館などの建物と、石灯籠や水琴窟などがある日本庭園があります。行灯や燭台、ランプといった灯火器具とその関連資料として版画や図書など千数百点を収蔵しています。体験館ではマイギリ式や火打石式による火起こしや、ろうそくの手作り、キットを用いた灯火器具の組み立てなどを体験することができます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...武石ともしび博物館

  • 信広寺しだれ桜

    信広寺しだれ桜は樹齢約120年で、昭和54年(1979)に旧武石村の天然記念物に指定され、合併したことにより現在は上田市の天然記念物になっています。幹のまわりは約3m、樹の高さ15mの大木です。4月中旬から4月下旬に満開になり華やかな様相を呈します。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/信広寺しだれ桜

  • 信広寺

    長野県上田市下武石に信広寺(しんこうじ)があります。信広寺は旧武石村にある曹洞宗のお寺です。六地蔵などが置かれ落ち着いた境内です。門前には120年ほど前に時の住職が植えたという「江戸彼岸のしだれ桜」があります。境内に入る時は部外者とみられ邪険に扱われる恐れがありますので注意が必要なお寺です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/信広寺

  • 妙見寺鳴龍

    長野県上田市下武石に妙見寺(みょうけんじ)があります。日本の鳴龍は東西南北の4ヶ所にあり「日本四方鳴龍」といわれます。焼失した北の青森竜泉寺を除き、東の日光山、西の京都相国寺、南の妙見寺の鳴龍は現存しています。妙見寺の鳴龍は平成元年(1989)に上田市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/妙見寺鳴龍

  • 妙見寺本堂

    長野県上田市下武石に妙見寺(みょうけんじ)があります。妙見寺の本堂は江戸時代中期の宝暦年間(1751-1764)に、15世の弘算により改築された建物です。狩野派の秀山信尹が、本堂外陣の大天井に上下2頭の龍を描いています。これが妙見寺鳴龍と呼ばれ、竜頭の下で手を打つと見事な竜鳴が響きます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/妙見寺本堂

  • 妙見寺山門

    長野県上田市下武石に妙見寺(みょうけんじ)があります。妙見寺の山門は桟瓦葺き、切妻造りの三間一戸の門です。外壁は真壁造り、白漆喰仕上げです。腰壁は海鼠壁で、高欄がある楼門です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/妙見寺山門

  • 妙見寺

    長野県上田市下武石に妙見寺(みょうけんじ)があります。鳴竜山密厳院妙見寺は真言宗のお寺です。鎌倉時代初期の文治年間(1185-1189)に領主である岳石三平胤盛が大日如来と妙見尊を祀り、完光和尚を招聘して創建したといわれています。創建時は鳥屋に建立されましたが、正応年間(1288-1292)に小沢根に遷座され応仁年間(1467-1468)に現在地に遷されています。本尊の薬師瑠璃光如来は「なで薬師」と呼ばれています。本堂の大天井には2匹の竜が描かれ「妙見寺の鳴竜」と呼ばれ有名です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/妙見寺

  • 武石(ぶせき)

    長野県上田市下武石に日吉神社・大宮諏訪神社があります。大宮諏訪神社敷地に隣接する武石(たけし)公園の尾根や北側の武石山(ぶせきやま)には武石がでます。緑色凝灰岩の中に含まれ、色は黒褐色です。晶形は正六面体や五角十二面体が多く、1ミリから3センチmほどの大きさです。結晶した黄鉄鉱(硫化鉄)の硫化物が熱水の作用により酸化分解し、褐鉄鉱(水酸化鉄)となったものや、表面のみが変質したものです。武石(ぶせき)は武石(たけし)の地名の元になったといわれ、昭和47年(1972)に上田市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武石(ぶせき)

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