富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県南砺市苗島(なわしま)に旧富山県立農学校本館(厳浄閣)があります。富山県立南砺福野高等学校は富山県簡易農学校として、明治27年(1894)に発足しました。権正寺の島巌氏が遺言で農学校建設を願って家財全部を時の石川県令(県知事)に寄付したことから始まりました。昭和43年(1968)、移築と修復工事を終えた旧本館は、時の吉田知事により巖浄閣と命名されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧富山県立農学校本館
富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺き、平入です。間口6間、正面に1間の向拝が付けられています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来が祀られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/万福寺本堂
富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺の山門は県内に残っている城の門としては最も古い遺構です。切妻造り、本瓦葺き、2間一戸、薬医門形式、潜戸付きです。妻飾りなども室町時代から桃山時代の作風も見られる貴重なもので昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。万福寺の山門は昭和29年(1954)に台風によで倒壊しました。翌年復元されましたが、その時発見された墨書から貞享5年(1688)の建立であることと、「城主荒木六兵衛大手之門」ともあり、大手門のあった場所に新たに建立されたか、大手門の部材を用いて再建したものと推察されます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...万福寺山門
富山県砺波市苗加に万福寺(まんぷくじ)があります。万福寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。「寺院明細帳」によると平安時代後期の嘉応2年(1170)に開かれ、室町時代初期の延文5年(1360)に現在地に移ったとされています。また貞享2年(1685)に書かれた「寺社由緒書」には、室町時代の明応3年(1494)に開かれたと記されているそうです。風情ある万福寺の入口には立派な山門が建っています。享和元年(1801)に善徳寺から譲られたものでした、善徳寺ではその前年に楼閣の新しい山門が建立されていました。善徳寺境内は戦国時代は荒木館、城ヶ鼻城とも呼ばれた城端城(じょうはなじょう)だったようで、山門は大手門だったのです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/jap...万福寺
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。中越弁慶号はイギリスのナスミス・ウィルソン株式会社の明治29年(1896)製の機関車です。明治30年(1897)から大正9年(1920)まで、中越鉄道では甲一形三号として登録され、客車、貨車の牽引に携わりました。昭和40年(1965)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/中越弁慶号
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。公園内のシンボルであるチューリップタワーは1970年大阪万博の太陽の塔に魅せられて建設されました。令和3年(2021)に高さは約26mの二代目タワーが完成しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/チューリップタワー
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。公園内には全国でも最大級の五連陽水水車が動いています。最も大きい水車は直径5.5m、幅1mで、外周の両側にある224個の柄杓で毎分6.4トンの水を汲み上げています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/五連陽水水車
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中島家住宅は18世紀末に建てられています。間口10間(18..2m)、奥行3間半(6.3m)、寄棟造り、茅葺き、平入で、主屋の後ろに3間半(6.3m)、4間(7.3m)の「つの屋」を逆T字型に取り付けています。昭和51年(1976)に砺波市の有形文化財に指定されています。中嶋家は代々江波村の肝煎(村長)を務めていた家柄で、旧中島家住宅は江波に建てられていました。昭和51年(1976)に砺波チューリップ公園内に移築保存されました。内部はオイ(広間)を中心に座敷、ネワ(土間)、茶の間、台所、ヘヤ(寝室)が配された砺波地方の典型的な農家です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブロ...旧中島家住宅
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。旧中越銀行本店は砺波郷土資料館になっています。中越銀行は砺波地方の地主層の発起で明治27年(1894)に設立されています。この旧本店は明治42年(1909)に建てられたもので、昭和57年(1982)に砺波市の有形文化財に指定されています。中越銀行は昭和18年(1943)に統合して北陸銀行になっています。旧中越銀行本店は洋風を取り入れた土蔵造り2階建て、入母屋造り、妻入り、銅瓦棒葺き(元は本瓦葺き)で、三方に下屋をおろし、後方にT字型に入母屋根を組合わせています。間口9間(16.36m)で、奥行は10間(18.79m)あります。内部は吹抜けの営業室を中心に、三方をロビーで囲み、化粧材はすべて欅を用いて、全体をコリント様式の彫刻でまとめています。現在は、砺波...旧中越銀行本店
富山県砺波市花園町に砺波チューリップ公園があります。砺波チューリップ公園は富山県の県花、砺波市の市花であるチューリップを中心に四季折々の花を楽しみながら散策できる都市公園(総合公園)です。300万本のチューリップや、コキア、パンジーなどが咲き乱れます。チューリップ公園のシンボルのチューリップタワーを中心に公園内外には日本最大級の五連陽水水車やチューリップ四季彩館、砺波市美術館、砺波市指定有形文化財の砺波郷土資料館(旧中越銀行本店)や、旧中島家住宅、SL中越弁慶号などがあります。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/砺波チューリップ公園
富山県高岡市戸出町に永安寺(えいあんじ)があります。海雲山永安寺は曹洞宗のお寺です。明徳4年(1393)に瑞雲恵俊により礪波郡下中条村に「海雲寺」として創建されました。寛永20年(1643)に豪農で十村役の川合家の当主・3代目川合又右衛門広満が現在地に海雲寺に移し「永安寺」と改め、川合家歴代の菩提寺としました。昭和33年(1958)、戸出御旅屋{加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に前田利常によって建てられた建物}が老朽化のため取り壊され、正門だけが川合家が払い下げを受けた関係で永安寺に移築されました。御旅屋の門としての価値が認められ、昭和42年(1967)には高岡市指定文化財に指定されました。平成25年(2013)にこの門は戸出コミュニティセンターに移築・修復されています。永安寺には本...永安寺
富山県高岡市戸出町の戸出コミュニティーセンターの入口に戸出御旅屋の門(といでおたやのもん)が復元されています。戸出御旅屋は加賀藩主の宿泊や休憩の屋敷として寛永19年(1642)に本町(現在の戸出町3丁目北陸銀行戸出支店付近)に加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね:前田利家の4男)の命で建てられました。御旅屋門はその正門として上使街道沿いに建てられていました。豪農で十村役の川合家が管理していましたが、わずか45年で川合家に払い下げられました。御旅屋の建物の一部は昭和33年(1958)まで残っていましたが、老朽化のため取り壊されました。門だけは川合家の菩提寺である永安寺に運ばれ、平成25年(2013)に戸出コミュニティセンターに移築されました。移転・修復された御旅屋の門は高さ5.1m、幅10.8m、奥行3...戸出御旅屋の門
富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺の梵鐘は寛永15年(1638)に砺波郡西保(現在地ー高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたものです。鐘身96cm、竜頭(りゅうず)21cm、口径(外径)70cmの銅製です。江戸時代的な過飾はみられず、室町時代様式を踏襲しています。昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺の梵鐘
日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/r="0">厳照寺の門杉
富山県砺波市福岡に厳照寺(ごんしょうじ)があります。厳照寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。室町時代の明徳元年(1390)、本願寺5世の綽如上人(1350-1393)が開いたのが始まりと伝えられています。厳照寺は天正13年(1585)11月の大地震で庄川が大洪水になり境内が流されたため移転し、正保4年(1647)、加賀藩から100間4方のこの地を与えられ移りました。本尊の木造阿弥陀仏如来像は恵心僧都(源信)が刻んだといわれ、昭和42年(1967)に砺波市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/厳照寺
富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の観音堂は文政2年(1819)に井波大工棟梁の松井角平恒徳によって建てられています。間口11.8m、奥行14.25m、正面に唐破風の向拝が付けられています。入母屋の建物をT字型に組み合わせた複合入母屋造りで、総欅の銅板葺きです。向拝の迫力のある龍の欄間や「竹に虎」の彫刻、室内の欄間の唐獅子彫刻は見ごとです。観音堂は昭和50年(1975)に砺波市の有形文化財に指定されています。本尊の聖観世音菩薩は銅で造られた秘仏で、富山県指定文化財です。白鳳期の特色をもつ童顔・童形像で三面飾りの唐式宝冠をつけた頭部と肩は大きく、腕は長い造りです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラン...千光寺観音堂
富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の御幸門は通用門で、高岡市の国宝瑞龍寺にあった裏門を明治5年(1872)に移築した門です。武家屋敷や大寺院の正門に多い「一間薬医門」様式で、高さ5.3m、幅5.5mです。北陸では最古級のもので、砺波市の有形文化財に指定されています。昭和44年(1969)に砺波市で全国植樹祭が開かれた際、昭和天皇が通られたことから御幸門と呼ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/千光寺御幸門
富山県砺波市芹谷に千光寺(せんこうじ)があります。千光寺の山門は入母屋造り、間口3.8間(6.9m)、奥行2.3間(4.2m)、本瓦葺き、総欅造り、禅宗様形式の、三間一戸の八脚二階二重楼門です。第64世・行編の時の寛政9年(1797)に井波大工棟梁・柴田清右衛門によって建立されました。二階二重門は、県内には瑞泉寺、瑞龍寺、善徳寺と千光寺の4ケ所しかなく、この形式の門としては県内最古の建物です。山門は江戸時代後期の楼門建築の遺構として大変貴重で平成12年(2000)に砺波市指定文化財に指定されています。また附として山門棟札、山門棟上一巻覚帳も同様に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...千光寺山門
富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。木造聖観音立像は、もとは山田村の宿坊に安置されていたと伝えられています。像高185.8㎝で、栴壇の一木造りです。木造十一面観音立像よりも早い時期に造られたと思われます。力強く神秘的で、大正15年(1926)に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造聖観音立像
富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。常楽寺本堂は間口6間、奥行6間の木造平屋建て、宝形造り、桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。昭和59年(1984)に再建された建物です。内部の内陣には本尊である大日如来像が安置され、新西国観音三十三札所第25番札所、北陸三十三観音霊場第29番札所になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常楽寺本堂
富山県富山市婦中町千里に常楽寺があります。法界山常楽寺は高野山真言宗のお寺です。大宝2年(702)、文武天皇の勅願により行基が開いたのが始まりと伝えられています。仁寿2年(852)に常楽寺の寺号を賜り、七堂伽藍が建ち並ぶ大寺だったそうです。戦国時代、上杉謙信や武田信玄が越中に侵攻し、堂宇は焼失し衰退しました。寛永年間(1624-1644)に立藩した富山藩から庇護され再興されました。大正15年(1926)に2体の観音像が国宝に指定され(現在は国指定重要文化財)、観音堂、本堂が再建されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常楽寺
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。2代藩主前田正甫によって詠まれた「各願寺観花の詠」の掛幅装が各願寺の寺宝として保存されています。縦31.0cm、横45.2cmの紙本墨跡(しほんぼくせき)の掛幅装で富山市の文化財に指定されています。初冬の頃の雪景色を詠んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺観花の詠
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の寺宝に初代富山藩主・前田利次の黒印が押された寺領寄進状が残されています。縦39.9cm、横50.8cmの紙本墨跡(しほんぼくせき)の掛幅装(かけふくそう)で延宝2年(1674)のものと思われます。富山市の文化財に指定されています。朝夕の勤行を怠慢しないことと記されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/寺領寄進状
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の寺宝に南北朝時代から室町時代初期(14世紀後期ー15世紀初頭)に制作された絹本著色(ちゃくしょく)不動明王像があります。縦113.3cm、横59.5cmで平成11年(1999)に富山市の文化財に指定されています。元禄3年(1690)に高野山大楽院の第29代の問津より下付されたものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色不動明王像
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の山門は切妻造り、桟瓦葺きで、三間一戸の門です。中央部の屋根が高く左右には左甚五郎が彫刻したと伝わる仁王像が安置され、「北叡山」の山号額が掲げられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺山門
富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。各願寺の本堂は木造平屋建て、切妻造り、桟瓦葺き、平入です。間口は8間あり、正面に1間の唐破風向拝が付けられています。外壁は真壁造り、白漆喰仕上げです。北陸白寿三十三観音霊場第26番札所。北陸三十六不動霊場第17番札所になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/各願寺本堂
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富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。絹本著色騎獅文殊菩薩画像は文殊菩薩の独尊図として描かれたもので縦90cm、横41cmの文殊菩薩画像です。結跏(けっか)ふ坐の姿で獅子に乗り、右手には剣を持っています。稚児文殊と呼ばれる童子のような体つきで描かれています。当時の文殊菩薩信仰の一端を知る貴重な史料として平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(絵画)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色騎獅文殊菩薩画像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺の寺宝である木造延命地蔵菩薩座像は餅喰地蔵とも呼ばれ南北朝時代に造られています。継母から子供を守るためにこの地蔵が餅を食べ、その姿を見た継母は改心し地蔵信仰に帰依した逸話が残されています。像高47cm、ヒノキ材の一木造りで、彫眼、彩色されています。平成3年(1991)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造延命地蔵菩薩座像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺観音堂は神仏習合時代には上日寺の総鎮守であったもので、天保6年(1835)に再建されています。入母屋造り、桟瓦葺き、平入、正面には軒唐破風が付けられています。複雑な木組の他、木鼻や唐破風の妻面、懸魚、桁などに精緻な彫刻が施されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音堂
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。朝日山上日寺は高野山真言宗のお寺で朝日山の東麓に建てられています。白鳳10年(681)、泰澄(たいちょう)大師が修行していた霊地にインド出身の法道上人が開山したのが始まりと伝えられています。越中国守藤原仲通が深く帰依し平安時代の天禄年間(970-973)に堂宇を修築しています。最盛期には七堂伽藍が建ち並び18坊を有していたそうです。その後、荒廃しましたが寛元3年(1245)、心南院仁然が再興しました。戦国時代には氷見森寺城の城主長澤筑前守の庇護により境内が整備され石仏が寄進されています。前田氏が領主になってからは前田利長が帰依し、寛永14年(1637)に祈願所として庇護され寺領を寄進されました。寛永15年(1638)と天保3年(1832)に火災で灰燼...上日寺
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の総門は巨木の中を登りつめたところに堂々と建っています。切妻造り、桟瓦葺きの、三間一戸の薬医門です。国泰禅寺と書かれた額が掲げられています。明の高泉和尚の手によるものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺総門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の三門は間口3間、奥行2間の三間一戸の八脚単層門です。入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造板張り、左右に阿形像、吽形像の仁王像を安置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺の三門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂の内陣には本尊が安置されています。内陣柱は円柱で内側に一手の斗拱(ときょう)がせり出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂内陣
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂は江戸時代中期の享保5年(1720)頃に再建された建物です。1重5間堂の土間仏堂です。入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、外壁は真壁造り板張り、正面左右に花頭窓が付いています。妻面の中央2間に両開き桟唐戸がついています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の総本山です。富山湾に面した二上山北麓の丘陵地に建てられています。開山の慈雲妙意は普化宗の祖である法燈国師覚心に師事し、24年間二上山に籠って仏道をきわめ、嘉元2年(1304)に摩頂山東松寺を開いたといわれています。嘉暦3年(1328)、後醍醐天皇から護国摩頂巨山(ごこくまちょうこざん)国泰仁王万年禅寺(こくたいにんのうまんねんぜんじ)の寺号が下賜され、勅願寺として北陸地方随一の禅刹となり繁栄しました。暦応2年(1339)、足利尊氏により全国に安国寺を建立した時、越中の安国寺に選定され伽藍の修築がなされ、寺領として荘園が寄せられました。応仁の乱が起きると守山城をめぐる兵火により国泰寺は荒廃しましたが、天文15年(1546)に後奈...国泰寺
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ばれてい...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の鼓堂は間口7.6m、奥行7.5m、2重2階、入母屋造り、桟瓦及び本瓦葺きで、享保18年(1733)に建立されています。太鼓堂とも呼ばれますが、現在太鼓は吊るされていません。総門をくぐった正面、掘割に面して建っており、城郭の櫓(やぐら)に似た姿です。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺鼓堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の経堂は間口3間、奥行3間、1重もこし付、宝形造り、桟瓦葺きで、文化2年(1805)に建てられています。内部は塗を施さない欅の素木造りで、中央の手動回転の大形八角輪蔵は形式、細部とも本格的で極彩色を施しています。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺経堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の唐門は切妻造りで、間口6mの四脚門です。屋根は銅板葺で前後とも軒唐破風付です。明和6年(1769)に京都の浄土真宗興正派の本山である興正寺で建立されています。明治26年(1893)、興正寺より譲り受け、北前船2隻で運ばれ移築されました。昭和55年(1980)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺唐門
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺本堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部...勝興寺
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(...清水町配水塔資料館旧配水塔
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水町配水塔資料館
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅主屋
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。常在寺の本堂は入母屋造り、桟瓦葺き、平入の木造平屋建てで、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造白漆喰仕上げとなっています。内部の内陣には本尊となる文殊菩薩像が安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常在寺本堂
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。常在寺の寺宝で室町時代に描かれた絹本著色斎藤道三画像が残されています。戦国の梟雄として名を馳せた斎藤道三(~1556)の肖像で、歿して間もない頃に描かれたものです。描写は戦国武将の気骨をよくとらえており、像主の歴史的役割とともに武将肖像画として資料的価値が高く、昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/斎藤道三肖像画像
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。鷲林山(しゅうりんざん)常在寺は日蓮宗のお寺です。宝徳2年(1450)、美濃の守護代の斎藤妙椿(みょうちん)が日範(妙覚寺世尊院の僧)を招いて開山し斎藤家の菩提寺にしました。常在寺4世の日運は土岐氏重臣長井利隆の弟で妙覚寺で道三と親交がありました。道三は日運の推挙で守護代であった斎藤氏に出入りし、その名跡を継ぎ、さらに美濃守護の土岐氏を追放したことで美濃を手に入れました。常在寺は斎藤道三の基盤を築いた寺として庇護されました。国重文の斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が寺宝で所蔵されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog...常在寺
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。大釈迦如来像は岐阜大仏とも呼ばれています。大イチョウの木を柱とし、竹材で籠を編むようにして形を作り、その上に漆と金箔を塗ってできた日本最大の籠大仏です。像高13.7m、顔の長さ3.63mで胎内には慈覚大師が彫り込んだと伝えられる薬師如来像が安置されています。昭和49年(1974)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺籠大仏
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。正法寺の大仏殿は本堂で大仏(大釈迦如来像)を収めるために造営されました。間口19.16m、奥行19.18m、高さ23.60m、木造三層、宝形造り、桟瓦葺きで正面に1間の向拝が付けられています。明朝様式と和様が融合した江戸時代後期の建物です。平成27年(2015)に岐阜市の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺大仏殿
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。金凰山正法寺は黄檗宗のお寺です。観応年間(1350-1352)、当時の美濃の守護・土岐頼康が創建したといわれています。廃寺ののち元禄5年(1692)に千呆和尚により黄檗宗のお寺として蘇り境内が整えられたようです。11世の推中和尚は、奈良の大仏を模した大釈迦如来像を計画、浄財を集め尽力しましたが完成前に亡くなります。天保3年(1832)、12世の肯宗和尚によって大仏がようやく完成し、開眼供養の際には多くの参拝者が訪れ盛大だったと伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺
岐阜県岐阜市神田町に円徳寺があります。円徳寺には織田信長から永禄7年(1564)に寄進されたという梵鐘が吊り下げられています。銀箔押烏帽子形兜、本願寺顕如消息(書跡)、伝織田塚改葬地とともに岐阜市の重要文化財に指定されています。また、織田信長、池田輝政より出された楽市の制札は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円徳寺梵鐘
岐阜県岐阜市神田町に円徳寺があります。円徳寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、織田氏ゆかりの寺として知られています。寿永2年(1183)、比叡山の寂円が一宇を建立、法泉寺と称したのが始まりと伝えられています。2世の寂世が親鸞聖人に帰依し、浄土真宗に改宗、寺号も常泉坊としました。永禄10年(1567)、織田信長が稲葉山城の斎藤龍興を破り、岐阜城主になると土地を寄進されて現在地に移りました。そして、その門前に楽市が開かれました。円徳寺に残る楽市楽座の制札は最古のもので、国の重要文化財に指定されています。関ヶ原合戦の際、岐阜城主であった織田秀信(織田信長の嫡孫、信忠の嫡男・幼名は三法師)が西軍に組したため、池田輝政・福島正則から猛攻を受け岐阜城は陥落しました。秀信は切腹しようとしましたが輝政の説得で円徳寺で剃髪し、高...円徳寺
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)清水に西順寺(さいじゅんじ)があります。西順寺の「時の太鼓」は直径約90cm、胴周り約330cm、胴長約115cmと、とても大きなものものです。明治維新までの約170年間、明け六つから暮れ六つまで、太鼓の音で時刻を知らせてきました。現在も、毎年6月10日の時の記念日に合わせ古式にのっとり太鼓は打たれています。昭和30年(1955)には北方町の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/時の太鼓
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)清水に西順寺(さいじゅんじ)があります。中島山西順寺は本尊に阿弥陀如来を祀る浄土真宗本願寺派のお寺です。円鏡寺のすぐ近くにあります。文応元年(1260)に、明海が開山したのが始まりと伝えられています。境内には本堂や鐘楼があり、この寺の代名詞でもある「時の太鼓」を収めているやぐらが建てられています。元禄10年(1699)に北方領主である旗本の戸田光賢が将軍綱吉に見事な馬術を披露しました。その恩賞として「時の太鼓」の使用、冠木門の設置、鮫鞘の三間槍の使用を将軍家より許された歴史があります。明治の初めに本町より現在の場所に移転されたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラ...西順寺
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。円鏡寺の山門に安置されている金剛力士立像は口を開けた阿形像と吽形像とがあります。山門と同年の永仁4年(1296)に運慶によって刻まれたと伝えられています。寄木造り、玉眼入りで筋肉表現に誇張したところはなく温雅な彫刻で慶派の特徴があるといわれています。大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円鏡寺金剛力士立像
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。円鏡寺山門は、鎌倉時代の中期の永仁4年(1296)に、永尊良愉上人が建立した楼門で、この種の楼門としては全国で2番目に古い建物です。間口3間、奥行2間、入母屋造り、檜皮葺きの三間一戸の八脚楼門です。外壁は真壁造板張りで、上層部には高欄が廻り、下層部左右に金剛力士立像を安置しています。破風には「猪目懸魚(いのめけぎょ)」という飾り物を付け、組物は三手先で深い軒を支えています。棟梁・飛騨の匠で有名な八重則光が造ったものです。勾配のゆるやかな屋根と腰の均衡が優美な純和様建物で、明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogin...円鏡寺山門
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。池鏡山円鏡寺は高野山真言宗の古刹です。円鏡寺は平安時代初期の弘仁2年(811)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開いたのが始まりと伝えられています。造営中に不動明王像を刻まれ、数十年後に補陀落上人が本尊の聖観音像を彫って安置したといわれています。当初は定照院と称していましたが、補陀落院に改称、さらに平安時代後期の永延年間(987-989)、中興の祖・良祐上人の時に一条天皇から「池鏡山円鏡寺」の寺号と共に寺領700石と、京都嵯峨御所内の久遠城院の1院を拝領したそうです。以来、法華寺、乙津寺とともに美濃三弘法として信仰されました。歴代領主や為政者が庇護したことで寺運が隆盛し、戦国時代以降も織田信長、豊臣秀吉、徳川家康な...円鏡寺
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。神戸山王まつりは勇壮、豪快な火まつりです。深夜零時に御拝殿から、日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮の7社の神輿(すべて県重要有形民俗文化財)が次々と担ぎ出されます。参道大鳥居前の琵琶湖になぞらえた川をいっきに渡り、お旅所へとお渡り(渡御)になる神事です。岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/神戸山王まつり
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉樹下の宮神輿は貞享4年(1687)に造られていて県の重要有形民俗文化財に指定されています。祭神は鴨玉依姫神で本体は四角形です。柱の金物には前部に岩に戯れる獅子と笹の葉などの青銅の彫刻が施されています。渡御の時は2番目に担がれます。横町の氏子が管理しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉樹下の宮神輿
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。惣門を入るとすぐ右側にう日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。この神輿は日吉神社祭典行事で担がれ、5番目に渡御する神輿です。笹鉾に飾ってある金物は葵の紋、胴体の柱の金物は上部に巻雲模様、下部は波の模様を金で刻んでいます。貞享4年(1687)に造られたもので県の重要有形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉宇佐の宮の神輿蔵
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社本殿は大己貴神を主神として祀っています。棟札により寛永7年(1630)に尾張藩初代藩主徳川義直が再建したことがわかります。間口3間、奥行3間の三間社流造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。昭和33年(1958)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社本殿
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の石造狛犬は収蔵庫に納められています。レプリカは本殿の前に置かれています。西保城主であった不破河内守光治により天正5年(1577)に寄進されています。稲葉一鉄らとともに「西美濃四人衆」と称された人物です。この狛犬は岐阜県内に現存する石造狛犬の中で、唯一国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社の石造狛犬
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の三重塔は神仏混淆の思想に基づき平安時代に建立されました。その後、永正年間(1504-1520)に春日局の父の叔父になる斉藤利網が再建したといわれています。天正13年(1585)には春日局の叔父になる稲葉一鉄によって改修されています。三重塔は間口3間、奥行3間、宝形造り、檜皮葺きの三間塔婆で、相輪頂上までの高さは24.6mもあります。戦国の兵火を免れ、天正、貞享、文政、明治に修理をされています。室町時代の貴重な三重塔で、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへ...日吉神社三重塔
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。弘仁8年(817)、当時の領主・安八太夫安次の願いにより最澄がお寺である善学院を建て、近江坂本の山王社を勧請して日吉神社を建てたと伝えられています。日吉神社というのは7つのお宮全体を指しています。本殿に当たる日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮です。5月3、4日に行われる山王祭りにはこの7つの神様を神輿に乗せて練りまわします。惣門を入るとすぐ右側に日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。奥の神輿殿までの間に、右側には中ノ坊跡、十光坊跡、福泉坊跡、浄光坊跡、牛石、竃殿神社があり、その右側に三重塔、火祭りの庭、石舞台の庭があります。左側には常楽坊跡、蓮華院跡、西門、法光坊跡...日吉神社