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2013/06/15

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  • 安居寺仁王立像

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王立像は総高約3.3mもあり、慶長20年(1615)に造られています。仏敵が仏殿に入り込むのを防ぐ守護神です。阿形像と吽形像が一体となり仁王門の下層の左右に立っています。万治2年(1659)に造られた鰐口と共に南砺市の有形文化財に指定されています。・下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王立像

  • 安居寺仁王門

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の仁王門は明和9年(1772)に建てられています。三間一戸の八脚楼門で入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造り板張りで、上層部には高欄が廻されています。下層部には仁王立像が安置されています。仁王門は南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺仁王門

  • 安居寺

    富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。弥勒山安居寺は高野山真言宗のお寺です。養老2年(718)、インドから渡来した善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が招来した聖観音像を安置して一宇を創建したのが始まりといわれています。聖武天皇の時(724-749年)、勅願所と定められ、行基が勅令により壮大な大伽藍を造営したと伝えられています。平安時代後期には花山法王がこの地を訪れ参籠しています。また中世には兼好法師や宗祗法師なども巡錫で訪れています。天皇の勅願所として寺運も隆盛し最盛期には24坊を擁していましたが、平安時代末期に木曽義仲の兵乱により多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し衰微しました。その後、室町幕府8代将軍足利義政が再興しましたが、元亀・天正年間(1570-1592)に再びしばしば兵火を受け衰退し...安居寺

  • 冨田家住宅北土蔵

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の北土蔵は南土蔵と並んで建ち、明治前期の建物です。切妻造り、置屋根式桟瓦葺き、二階建てで、東面に南土蔵と一連の吹放し下屋を通しています。掛子塗戸(かけこぬりど)には「波に亀」の鏝絵(こてえ)が飾られています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅北土蔵

  • 冨田家住宅南土蔵

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の南土蔵は安居寺参道側にあり、主屋背面の石垣の上に北土蔵と並んで建っています。切妻造り、置屋根式桟瓦葺きの二階建てで、昭和前期の建物です。戸前には北土蔵と一連の吹放しの下屋を通しています。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅南土蔵

  • 冨田家住宅長屋門

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の長屋門は主屋正面に東面して建てられています。切妻造り、桟瓦葺で、北を門口、南を真壁漆喰塗の物置としています。門口は間口3.2mで本柱を立てて板扉を備え、南に袖壁、北に潜戸を設けています。梁に文化、天保の墨書があることから江戸時代後期の1804-1843年の間に建てられたと思われます。桐木(東石黒)の肝煎(きもいり)であった丹羽家の門を移築したと伝えられています。当初は物置のない薬医門であったと思われます。旧家の屋敷構えに厳かな趣を添える表門であるといえます。令和元年(2019)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ...冨田家住宅長屋門

  • 冨田家住宅主屋

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家住宅の主屋は大正12年(1923)から5年をかけて建てられています。入母屋造り、平入の木造2階建ての大型住宅で、四周に下屋を廻し、屋根は総桟瓦葺きです。間口11間半(21.1m)、奥行9間(16.7m)で、建築面積は365平方mです。伝統的な形式を基調とし、良材を用いて質の高い大工技術が隅々まで行き渡っています。透き漆塗を施した木部、ガラスを多用した建具などには近代の和風の意匠が使われています。座敷の欄間には井波彫刻が施されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...冨田家住宅主屋

  • 冨田家住宅

    富山県南砺市安居に冨田家住宅があります。冨田家の初代、冨田斉宮は織田信長に仕え、その後、柴田勝家、豊臣秀吉に奉公しました。大阪城落城の時に現在地に越し、藩政期に肝煎(きもいり)を務めた家柄です。冨田家住宅は現在でも木組や建具には寸分の狂いも無いということです。座敷の欄間は民間住宅に井波彫刻が取り入れられる初期の作品として貴重です。主屋、長屋門、味噌蔵、南土蔵、北土蔵が国の有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/冨田家住宅

  • 鯉雨画斎

    富山県南砺市福光に棟方志功記念館「愛染苑」があります。鯉雨画斎(りうがさい)は、棟方が初めて持った新築の住まいで、「滝登りの鯉」「雨に打たれた鯉」にちなんで「鯉雨画斎」と名づけました。棟方は大変喜び、家の中の板戸や柱、風呂桶や厠まで絵が描かれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/鯉雨画斎

  • 棟方志功記念館「愛染苑」

    富山県南砺市福光に棟方志功記念館「愛染苑」があります。板画家棟方志功は、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)4月から26年(1951)11月までの6年間、福光に疎開していました。当時、棟方のお世話をしていた石崎俊彦氏が作品を寄贈し、昭和57年(1982)に記念館として設立されたのが、棟方志功記念館「愛染苑」です。「愛染苑」では棟方志功の福光での生活が感じられるように展示を工夫し、疎開時代に制作した作品を中心に展示しています。隣には「青花堂」や「棟方志功資料館」、棟方が暮らした住まいである「鯉雨画斎」などが建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.c...棟方志功記念館「愛染苑」

  • 宇佐八幡宮拝殿

    富山県南砺市福光(ふくみつ)宮脇町に宇佐八幡宮があります。宇佐八幡宮の拝殿は江戸後期の天保15年(1844)に建てられています。間口3間、奥行3間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、正面には千鳥破風が施され、正面に1間の軒唐破風の向拝が設けられています。奥に続く本殿は覆屋の中に鎮座しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/宇佐八幡宮拝殿

  • 宇佐八幡宮

    富山県南砺市福光(ふくみつ)宮脇町に宇佐八幡宮があります。福光の宇佐八幡宮は福光の市街地の中央に位置しています。祭神は誉田別命・息長帯日売命・誉田別比売神で旧郷社です。江戸時代には八幡宮と称されていました。天平勝宝2年(730)、当時の領主大伴持豊が宇佐八幡宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。この八幡宮は石黒郷の総社として石黒一族の崇敬が厚く、慶長年間(1596-1615)には加賀藩主の祈願所になりました。寛仁元年(1017)に寛仁寺が別当寺として創建され神仏習合していましたが明治時代初頭の神仏分離令により寺は廃されました。社宝である猛虎図は文化5年(1808)に描かれたもので、円山応挙と並び有名だった岸駒の手によるものです。昭和49年(1974)に南砺市の有形文化財に指定されています。江戸後...宇佐八幡宮

  • 旧高宮医院(光龍館)

    光龍館の建物は一部平屋建ての木造2階建て、寄棟造りで玄関の突出部は入母屋造り、平屋部は切妻造りになっています。桟瓦葺き、平入で、外壁は下見板張り、玄関突出部は白漆喰です。「旧高宮医院(光龍館)」として昭和54年(1979)に南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧高宮医院(光龍館)

  • 光龍館

    富山県南砺市高宮にがあります。光龍館は明治18年(1885)に高宮病院として大井精医師によって建てられました。擬洋風建築では富山県では最も古い建物です。現在は南砺市福光福祉の家「光龍館」として利用されています。建物は、国の重要文化財に指定されている長崎のグラバー邸と同じく東洋のコロニアルスタイルの建築様式です。玄関付近には凝った意匠が施されています。手摺は洋風バルコニー風で、曲線や飾り金物が使われています。懸魚や破風の鏝絵などと調和させ、雪割り瓦で仕上げられています。光龍館の建物は南砺市の有形文化財に指定され、平成21年(2009)には富山県教育委員会による「とやまの近代歴史遺産」に選定されています。そして富山の建築百選にも選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...光龍館

  • 庄川水記念公園

    富山県砺波市庄川町金屋に庄川合口ダムがあります。庄川合口ダムの道路を挟んだ隣には庄川水記念公園があります。庄川特産館、庄川ウッドプラザ、庄川ふれあいプラザが公園内にあり、伝統的工芸品や特産品の展示、販売をしています。公園の周囲にはコシノヒガンが植樹され、富山さくらの名所70選に選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/庄川水記念公園

  • 庄川合口ダム

    富山県砺波市庄川町金屋に庄川合口ダムがあります。庄川合口ダムは、舟戸ダムとも呼ばれています。正式には庄川合口堰堤(えんてい)です。一級河川の庄川にある18のダムのうちの一つで、最も下流に位置しています。昭和14年に完成した重力式コンクリートダムで、堤高は18.5m、堤頂長は103.3m、貯留面積156000平方m、貯留容量405000立方mです。庄川平野部の以前の農業用水は左岸に6ヶ所、右岸に4ケ所の用水があり、取水口がありました。合理的な取水のため合口にするダムが造られました。また関西電力の中野発電所と雄神発電所による水力発電にも利用されています。ダムの左岸には川に階段式の魚道が整備されています。平成16年(2004)に国の有形文化財に登録され、農林水産庁による水土里の文化遺産に選定され、平成21年(2...庄川合口ダム

  • 井波八幡宮蚕堂

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮本殿西側に蚕堂があります。文久元年(1861)に地元の蚕業者達が蚕の霊をともらうために建立した総ケヤキ造りの建物です。御堂建築の遺構として南砺市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波八幡宮蚕堂

  • 松島大杉

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮の境内には松島大杉と呼ばれる大木があります。推定樹齢500年を超し、樹高40.4m、幹周7.6m、1本杉としては富山県内10本の指に入る大きなものです。井波城の追手門付近にあった事から追手門の杉とも呼ばれたそうです。昭和41年(1966)に南砺市指定天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/松島大杉

  • 井波城跡

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波城跡は八乙女山の裾に築かれた平山城です。本願寺勢力下の瑞泉寺によって建てられた城郭伽藍で、城域は東西250m、南北230mあります。天正9年(1581)に佐々成政の侵攻で支配下に入り、天正13年(1585)に前田利家により落城しました。南砺市の史跡に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波城跡

  • 井波八幡宮本殿拝殿

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮本殿は江戸時代末期の嘉永5年(1852)に造営されました。拝殿は間口4間、入母屋造り、銅板葺き、平入で正面に1間の向拝が付けられ、千鳥破風の豪華な建物です。南部栄輔が棟梁として手掛け、嘉永6年(1853)に造営されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/井波八幡宮本殿拝殿

  • 井波八幡宮

    富山県南砺市井波に井波八幡宮があります。井波八幡宮の境内は瑞泉寺の隣にあり、昔は瑞泉寺の土地で戦国時代は浄土真宗の一大拠点になった井波城の本丸でした。広い境内の左手には綽如上人瑞泉寺創立之霊跡、霊水・臼浪水があります。南北朝の頃、本願寺五世綽如上人が建立した瑞泉寺の古跡でもあります。井波八幡宮の宮司は町長でもあった砺波運輸社長の綿貫学氏が務めました。その息子で衆議院議長・自民党幹事長も歴任した綿貫民輔がその後務め、今はその息子さんが務めています。井波八幡宮の創建は明徳4年(1393)石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられ、近郷四十八ヶ村の総社として広く信仰されました。毎年5月3日に行われる春祭りは天保4年(1833)に始まったよいやさ祭りとして知られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!...井波八幡宮

  • 瑞泉寺司晨楼

    富山県南砺市井波に瑞泉寺があります。瑞泉寺の司晨楼(ししんろう)は間口5.1m、奥行4.6mの一重入母屋造り、上層は鉄板葺き、下層が桟瓦葺きの太鼓堂です。「すでに暁天(ぎょうてん)明けなんとすれば、是を打ちて人の睡魔を破りて仏前に向かわしめ、礼仏恭敬をすすむる鼓なり」と瑞泉寺11世で、俳人として知られる浪化(なみか)が司晨楼と命名しています。浪化の司晨楼之記にあるように、広い講堂に読経などの時を告げる合図として、太鼓が鳴らされたということです。たびたび類焼した太鼓堂ですが天保13年(1842)に再建され、昭和50年(1975)に修復されています。平成12年(2000)に南砺市の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/jap...瑞泉寺司晨楼

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