富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅主屋
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家は、甲斐の武田信玄の弟・逍遙軒(しょうようけん)信綱の子孫と伝えられていて、代々十村役(大庄屋)をつとめた豪農でした。山岡鉄舟や横山大観ら多くの著名人がこの家に滞在し、作品を残しました。武田家住宅は、安永年間(1772-1780)にかけて勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたといわれていて、構造や手法からもその頃のものであるようです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅
富山県高岡市太田字桜谷に桜谷古墳(さくらだにこふん)があります。桜谷古墳は二上山丘陵の北東の雨晴海岸に近い、標高20mの台地にある北陸地方最大級の古墳です。4世紀から5世紀にかけて築かれたもので、大正7年(1918)に諏訪社の神木の老松を掘り出した際に内行花文鏡1面と管玉13個が出土し、前方後円墳が2基と円墳が7基発見されました。桜谷1号墳は、柄鏡式の前方後円墳で、全長62m前方部の幅30m、後円部の径35m、高さ6mという規模です。高さは5.4mで、三段に築かれています。桜谷2号墳は、後円部の径33mで、前方部が小さく、帆立貝式前方後円墳といわれるものです。大正12年(1923)に後円部から碧玉製紡錘車(へきぎょくほうすいしゃ)、石釧(いしくしろ)、菅玉(くだたま)などが出土しました。地方にはたいへん珍...桜谷古墳
6富山県高岡市は高岡銅器で有名です。高岡市は高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は大伴家持が国司として赴任した越中国の国府がありました。高岡は日本で銅器の生産額の約95%を占めています。高岡大仏や梵鐘などの大きいものから、銅像などの細かい作品まで、多彩な鋳造技術は全国的にも有名です。慶長16年(1611)、高岡の町を開いた加賀藩2代藩主、前田利長が7人の鋳物師を招いて鋳物産業を興させたのがこの町の始まりだそうです。金屋町には千保川のほとりに静かに軒を並べる町並みが残されています。一国一城令により、高岡城がなくなったあとも「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という前田利常の政策が功を奏し、商工業が発展しました。高岡銅器のほか高岡漆器などの伝統工芸品も有名です。アルミサッシの生産額は日本一...高岡銅器
富山県高岡市大手町に高岡大仏がある大仏寺に時鐘があります。寺島蔵人奉行は時を告げる時鐘製作に奔走し、文化元年(1804)に初代大鐘を造りました。しかし不具合があり金屋町出身の鍋谷仁左衛門が改鋳を願い出て浄財を集め文化3年(1806)に完成させました。大火など経て大仏寺に寄付され寺宝となっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/時鐘
富山県高岡市大手町に高岡大仏があります。高岡大仏は高さ15.85mで、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つです。また一説には天平勝宝4年(752)に造られた高さ18.08mの奈良大仏、寛元4年(1246)に造られた高さ13.35m(台座を含む)の鎌倉大仏と並んで日本三大仏に数えられています。「銅器のまち」高岡のシンボルです。承久3年(1221)に源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立されたのが最初です。慶長14年(1609)前田利長によって高岡が開町し、大仏は城下に移転されました。その後に焼失しましたが延享2年(1745)に極楽寺の等誉上人が、高さ約9.7mの金色の木造大仏を造りました。その後文政4年(1821)にその大仏も焼失し、天保12年(1841)に再建されましたが、明治33年(1...高岡大仏
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の紅梅は明治8年(1875)に現在地の高岡城本丸跡に遷座したことを祝い、白銀町の篤志により奉納された紅梅です。樹齢約400年の年月を重ね、今なお幹から直接に花をつけています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社の紅梅
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社の社殿は明治33年(1900)の高岡大火の時に類焼して焼失しました。2年後の明治35年(1902)に再建されています。拝殿は木造平屋建て、間口3間、奥行2間、切妻造り、平入、銅板葺です。本殿は神明造り、銅板葺きです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/射水神社社殿
富山県高岡市古城の古城公園内に射水神社(いみずじんじゃ)があります。射水神社は越中総鎮守として二上山に祀られていた古社で、延喜式では名神大社に列し、越中式内34社の首位に置かれていました。二上山自体を神とし、その麓に鎮座していましたが養老元年(717)、元正天皇の勅願により行基が養老寺を開山し、射水神社の別当にしました。祭神の二上神を二上権現として祀り、神仏混合の大社として繁栄しました。越中では高瀬神社と同階で最高位になり、越中国一宮でもあります。ただ越中一宮と主張する神社は射水神社のほか気多神社、高瀬神社、雄山神社などがあります承平年間(931-938)に兵火にかかり社殿、社宝など灰燼に帰しました。天暦年間(947-957)に空也が再建し、社殿も整備されましたが、天正年間(1573-1592)に度々兵火...射水神社
富山県高岡市古城に高岡古城公園があります。高岡古城公園は加賀藩2代藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を、明治8年(1875)公園として開放したものです。園内には無料の動物園、蒸気機関車、芝生広場、遊具、博物館、体育館などがあります。桜の名所としても有名で日本さくら名所100選に選定されています。加賀前田家2代の利長は、慶長3年(1598)に利家の後を継ぎ当主となりました。慶長10年(1605)に利常を3代藩主にして、自らは隠居して富山城に移りました。慶長14年(1609)3月の大火により富山城は焼失しました。そこで、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。高岡城の縄張は当時、前田家の客将だった高山右近とされています。右近はキリシタン大名で、築城の名手として有名でした。利長は、「詩経」の一...高岡古城公園
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の石廟は瑞龍寺を造営したとき,開山の広山恕陽禅師が利長、利家の父子に織田信長、信忠と信長の側室も加えて同じ形式の5基を建造しました。利長の石廟には壁面に25菩薩が刻まれています。石造建築の貴重な遺構で富山県の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺石廟
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大庫裏は調理配膳や寺務運営を行う堂で、山門を入り右手に位置し僧堂と相対しています。桁行10間(19.7m)、梁間6間(13.9m)で、切妻造り、こけら葺きで向拝型玄開を付けています。万治年間(1658-1660)の建立ですが、幕末から明治初年にかけ撤去されました。古図面などから当初の姿に復元されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大庫裏
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の回廊は大伽藍をとり囲み、周囲約300mにも及びます。左右対象の回廊が残っている寺院は極めて少なく、禅宗寺院最古のものです。板戸の黒と障子の白が交互に規則正しく配され、上部に小壁の白い線が通り、上下を腰板とこけら屋根の黒でひきしめています。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺回廊
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の大茶堂は創建当初に造られた建物で、全国に2つしかない貴重なものです。他の建物から伽藍への類焼を防ぐ防火壁の役目をする建物でもありました。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺大茶堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の禅堂は坐禅修行をする建物で、坐禅だけを行う場合は禅堂、食事などの修行もする場合は僧堂といわれます。延享3年(1746)に焼失し、その直後に再建されました。幕末には3分の1に縮小され、明王様の御祈祷場となっていました。平成2年(1990)に往時のように復元されました。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺禅堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の山門は禅宗様の手法形式の三間一戸の二重門です。入母屋造り、こけら葺きで左右に山廊が付いています。双方とも桁行3間、梁間1間、1重、切妻造り、こけら葺きです。文政3年(1820)に再建された建物です。通常の禅宗二重門に比べて、下層屋根に対する上層屋根の低減率が低く、雪などによって下層屋根を傷めないための雪国独自の工夫が見られます。瑞龍寺山門は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺山門
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の総門は、正面3間の薬医門です。正保年間(1644-1648)の建立で、後世に伽藍配置の関係から現在の場所に移築されました。正面の扉は城の城門に類した造りで、四葉金具・八双金具などの金具が使われ、格の高さがうかがえます。昭和3年旧国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/瑞龍寺総門
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の法堂(ほっとう)は、禅宗以外では講堂といわれ仏教教理を講義する場所で、明暦元年(1655)に建てられています。ここでは前後に3室ずつ6室で構成され客殿も兼ねています。桁行11間、梁間10間、1重、入母屋造り、銅板葺きです。向拝は桁行2間、梁間1間、向唐破風造りで、その前面に高廊下、さらに前面1間通りは回廊の一部で土間になっています。中央奥が仏間、左右に上下客殿が設けられ、手前は外陣に相当し説法、法要等に使用する畳敷きの間となっています。外陣も柱と欄間により3室に分けられ、さまざまな法要に対応する近世の仏堂様式となっています。屋根は始めはこけら葺きでしたが現在は銅板葺です。瑞龍寺の法堂は平成9年(1997)に国宝に指定されています。下記のサイトに...瑞龍寺法堂
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。瑞龍寺の仏殿は総欅造で、方三間裳階付の禅宗様建築です。桁行3間、梁間3間、1重、裳階付、入母屋造り鉛瓦葺きです。棟札により万治2年(1659年)に建立されています。屋根は始めはこけら葺きでしたが、総重量約47トンの鉛瓦葺きになっています。仏殿は平成9年(1997)に国宝に指定されています。瑞龍寺仏殿の内部は土間床になっています。天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を密に配する点、柱、扉、窓などの細部様式など禅宗様建築の特色です。須弥壇には中央に釈迦如来、脇侍に文殊、普賢菩薩の釈迦三尊を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一...瑞龍寺仏殿
富山県高岡市関本町に瑞龍寺(ずいりゅうじ)があります。高岡山瑞龍寺は曹洞宗のお寺で、山門、法堂、仏殿は国宝に指定されています。富山県にある国宝はこの瑞龍寺だけだそうです。加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺で、利長の義弟で3代藩主になった前田利常によって建立されました。文禄3年(1594)に加賀藩2代藩主・前田利長は金沢に織田信長・信忠の追善のため、宝円寺を建立しました。44歳の若さで家督を異母弟の利常に譲り、隠居して金沢から富山に移りました。富山城の炎上を機に高岡に移り、ここに新たに高岡城を築き、法円寺(宝円寺を改称)を、慶長18年(1613)に高岡に移しました。翌、慶長19年(1614)に利長は没し、後を継いだ3代藩主・前田利常は、法円寺を利長の菩提寺としたのです。そして利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞...瑞龍寺
富山県高岡市関町に総持寺があります。六十六部とは、廻国し納経する聖のことです。総持寺に六十六の石仏が納められました。現在は三十九体が残されています。平成14年(2002)にこの石仏を含む関町の町並みが高岡市の景観賞に選ばれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/六十六部石仏
富山県高岡市関町に総持寺があります。総持寺の本尊は十一面千手観音座像です。年に一度11月15日にだけ御開帳されます。像高は72.5㎝で、昭和12年(1937)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に改めて国の重要文化財に指定されています。曼荼羅堂内には12体の仏像を安置しており、弘法大師の伝えた真言密教の曼荼羅世界を表しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/総持寺十一面千手観音座像
富山県高岡市関町に総持寺があります。衆徳山胎生院総持寺は高野山真言宗のお寺です。22世の快雄和尚は高岡の町を開くとき、前田利長に「関野」と呼ばれていたこの地を、中国の古典の「詩経」から「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に」から「高岡」という地名にするよう提案したことで有名です。総持寺は平安時代に旧礪波郡五位荘に開かれたのが始まりといわれています。正平8年(1353)、禅恵和尚が中興し、高岡市の石堤付近に移りました。前田利長が高岡城を築城した慶長年間(1596-1615)に現在地に移りました。境内には本堂にあたる曼荼羅堂や観音堂、聖天堂、薬師堂、位牌堂、鐘楼などが建てられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほん...総持寺
富山県高岡市福岡町下向田に旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)があります。福岡公園内にある旧福岡町役場は現在、福岡町歴史民俗資料館になっています。この建物は、大正13年(1924)、地元の篤志家壽原英太郎(すはらえいたろう)の寄贈により、洋風をまねた公会堂として福岡駅前通りに面して建設されました。公会堂・町役場として使用され、昭和38年(1963)、役場新庁舎建設とともに町立図書館・中央公民館として使用されました。その後、歴史民俗資料館として保存活用することになり、昭和63年(1988)にかけて移転・修改築がなされました。富山の建築百選に選定され、平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。木造2階建ての洋風建築です。寄棟、桟瓦葺き、建築面積265㎡、外壁はモルタルで石造風に仕上げ外観を石...旧福岡町役場(福岡町歴史民俗資料館)
富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家住宅は、間口10間(18.2m)、奥行7間(12.7m)の入母屋造り、平入の建物で、建築面積は212.1㎡、外壁は真壁造り、土壁鏝押え、腰壁は下見板張り縦押縁押え、背後は杉皮で外壁を保護しています。移築前は主屋背面に「中つの」がありましたが、移築されたのは主屋だけで、その後「つの」「おろし」「しょくじば」が増築されました。正面にあたる3間半が茅葺きの主屋とひさし、背後の3間半が桟瓦葺きの「おろし」となっています。江戸時代後期の文化年間(1804-1818)と明治時代以降に何度か改修、増築されていますが母屋部分は江戸時代中期に建てられたものです。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定され、昭和48年(1973)には復元工事がなされています。下記のサイ...佐伯家住宅主屋
富山県高岡市福岡町蓑島に佐伯家住宅があります。佐伯家は旧蓑島村の旧家で、家蔵の「家作諸入用一巻」に、明和4年(1767)工事に着手し、翌5年に約15km離れた所にある旧川崎村(現南砺市上川崎)の十村役(庄屋)を務めた三之助の住宅を佐伯氏が買い取って移築したと記してあるそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐伯家住宅
富山県小矢部市芹川(せりかわ)に旧宮島村役場があります。旧宮島村役場は石川県境に近い旧宮島村にあった建物で小矢部市に残る数少ない洋風建築です。昭和61年(1986)に現在地に移築され個人の宅邸兼アトリエとして再利用されています。平成13年(2001)に国登録有形文化財に登録され、平成21年(2009)に「とやまの近代歴史遺産」に選定されています。大正15年(1926)に宮島村役場として建てられたもので、木造2階建て、建築面積は131㎡です。むくりのついた寄棟造り、桟瓦葺き、下見板張の洋風建築です。正面中央2階上部の半円形ブロークンペディメントと瓦葺きのマンサード屋根などは独特です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキ...旧宮島村役場
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺寺内の入口に高さ36mもある大ケヤキが立っています。推定樹齢は500年といわれ、幹周7.6mもあります。ニレ科ケヤキ属の落葉広葉樹で、昭和37年(1962)に南砺市の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺大ケヤキ
富山県南砺市安居(やすい)に安居寺(あんごじ)があります。安居寺の観音堂は加賀藩の重臣岡島備中守の婦人月清大姉の寄進で、明和3年(1766)に再建された建物です。間口7間、奥行7間の単層入母屋造り、妻入、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。観音堂は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/安居寺観音堂
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富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。絹本著色騎獅文殊菩薩画像は文殊菩薩の独尊図として描かれたもので縦90cm、横41cmの文殊菩薩画像です。結跏(けっか)ふ坐の姿で獅子に乗り、右手には剣を持っています。稚児文殊と呼ばれる童子のような体つきで描かれています。当時の文殊菩薩信仰の一端を知る貴重な史料として平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(絵画)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色騎獅文殊菩薩画像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺の寺宝である木造延命地蔵菩薩座像は餅喰地蔵とも呼ばれ南北朝時代に造られています。継母から子供を守るためにこの地蔵が餅を食べ、その姿を見た継母は改心し地蔵信仰に帰依した逸話が残されています。像高47cm、ヒノキ材の一木造りで、彫眼、彩色されています。平成3年(1991)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造延命地蔵菩薩座像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺観音堂は神仏習合時代には上日寺の総鎮守であったもので、天保6年(1835)に再建されています。入母屋造り、桟瓦葺き、平入、正面には軒唐破風が付けられています。複雑な木組の他、木鼻や唐破風の妻面、懸魚、桁などに精緻な彫刻が施されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音堂
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。朝日山上日寺は高野山真言宗のお寺で朝日山の東麓に建てられています。白鳳10年(681)、泰澄(たいちょう)大師が修行していた霊地にインド出身の法道上人が開山したのが始まりと伝えられています。越中国守藤原仲通が深く帰依し平安時代の天禄年間(970-973)に堂宇を修築しています。最盛期には七堂伽藍が建ち並び18坊を有していたそうです。その後、荒廃しましたが寛元3年(1245)、心南院仁然が再興しました。戦国時代には氷見森寺城の城主長澤筑前守の庇護により境内が整備され石仏が寄進されています。前田氏が領主になってからは前田利長が帰依し、寛永14年(1637)に祈願所として庇護され寺領を寄進されました。寛永15年(1638)と天保3年(1832)に火災で灰燼...上日寺
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の総門は巨木の中を登りつめたところに堂々と建っています。切妻造り、桟瓦葺きの、三間一戸の薬医門です。国泰禅寺と書かれた額が掲げられています。明の高泉和尚の手によるものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺総門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の三門は間口3間、奥行2間の三間一戸の八脚単層門です。入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造板張り、左右に阿形像、吽形像の仁王像を安置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺の三門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂の内陣には本尊が安置されています。内陣柱は円柱で内側に一手の斗拱(ときょう)がせり出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂内陣
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂は江戸時代中期の享保5年(1720)頃に再建された建物です。1重5間堂の土間仏堂です。入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、外壁は真壁造り板張り、正面左右に花頭窓が付いています。妻面の中央2間に両開き桟唐戸がついています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の総本山です。富山湾に面した二上山北麓の丘陵地に建てられています。開山の慈雲妙意は普化宗の祖である法燈国師覚心に師事し、24年間二上山に籠って仏道をきわめ、嘉元2年(1304)に摩頂山東松寺を開いたといわれています。嘉暦3年(1328)、後醍醐天皇から護国摩頂巨山(ごこくまちょうこざん)国泰仁王万年禅寺(こくたいにんのうまんねんぜんじ)の寺号が下賜され、勅願寺として北陸地方随一の禅刹となり繁栄しました。暦応2年(1339)、足利尊氏により全国に安国寺を建立した時、越中の安国寺に選定され伽藍の修築がなされ、寺領として荘園が寄せられました。応仁の乱が起きると守山城をめぐる兵火により国泰寺は荒廃しましたが、天文15年(1546)に後奈...国泰寺
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ばれてい...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の鼓堂は間口7.6m、奥行7.5m、2重2階、入母屋造り、桟瓦及び本瓦葺きで、享保18年(1733)に建立されています。太鼓堂とも呼ばれますが、現在太鼓は吊るされていません。総門をくぐった正面、掘割に面して建っており、城郭の櫓(やぐら)に似た姿です。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺鼓堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の経堂は間口3間、奥行3間、1重もこし付、宝形造り、桟瓦葺きで、文化2年(1805)に建てられています。内部は塗を施さない欅の素木造りで、中央の手動回転の大形八角輪蔵は形式、細部とも本格的で極彩色を施しています。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺経堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の唐門は切妻造りで、間口6mの四脚門です。屋根は銅板葺で前後とも軒唐破風付です。明和6年(1769)に京都の浄土真宗興正派の本山である興正寺で建立されています。明治26年(1893)、興正寺より譲り受け、北前船2隻で運ばれ移築されました。昭和55年(1980)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺唐門
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺本堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部...勝興寺
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(...清水町配水塔資料館旧配水塔
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水町配水塔資料館
富山県高岡市太田に武田家住宅があります。武田家住宅は、間口、奥行ともに21mで、建築面積は443平方mという大規模な邸宅です。茅葺きの寄棟造りですが、背面はこけら葺きの切妻造りの越屋根としています。その下部に茅葺き屋根をまわし、さらに北側を除く3面に桟瓦葺きの下屋を設けています。「ひろま」及び「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」といわれる豪壮な梁組みや、小壁の三段化粧貫、竹簀子天井などに当時の農家建築様式の典型をみることができます。武田家住宅は昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/武田家住宅主屋
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。常在寺の本堂は入母屋造り、桟瓦葺き、平入の木造平屋建てで、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造白漆喰仕上げとなっています。内部の内陣には本尊となる文殊菩薩像が安置されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/常在寺本堂
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。常在寺の寺宝で室町時代に描かれた絹本著色斎藤道三画像が残されています。戦国の梟雄として名を馳せた斎藤道三(~1556)の肖像で、歿して間もない頃に描かれたものです。描写は戦国武将の気骨をよくとらえており、像主の歴史的役割とともに武将肖像画として資料的価値が高く、昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/斎藤道三肖像画像
岐阜県岐阜市梶川町に常在寺(じょうざいじ)があります。鷲林山(しゅうりんざん)常在寺は日蓮宗のお寺です。宝徳2年(1450)、美濃の守護代の斎藤妙椿(みょうちん)が日範(妙覚寺世尊院の僧)を招いて開山し斎藤家の菩提寺にしました。常在寺4世の日運は土岐氏重臣長井利隆の弟で妙覚寺で道三と親交がありました。道三は日運の推挙で守護代であった斎藤氏に出入りし、その名跡を継ぎ、さらに美濃守護の土岐氏を追放したことで美濃を手に入れました。常在寺は斎藤道三の基盤を築いた寺として庇護されました。国重文の斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が寺宝で所蔵されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog...常在寺
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。大釈迦如来像は岐阜大仏とも呼ばれています。大イチョウの木を柱とし、竹材で籠を編むようにして形を作り、その上に漆と金箔を塗ってできた日本最大の籠大仏です。像高13.7m、顔の長さ3.63mで胎内には慈覚大師が彫り込んだと伝えられる薬師如来像が安置されています。昭和49年(1974)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺籠大仏
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。正法寺の大仏殿は本堂で大仏(大釈迦如来像)を収めるために造営されました。間口19.16m、奥行19.18m、高さ23.60m、木造三層、宝形造り、桟瓦葺きで正面に1間の向拝が付けられています。明朝様式と和様が融合した江戸時代後期の建物です。平成27年(2015)に岐阜市の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺大仏殿
岐阜県岐阜市大仏町に正法寺(しょうぼうじ)があります。金凰山正法寺は黄檗宗のお寺です。観応年間(1350-1352)、当時の美濃の守護・土岐頼康が創建したといわれています。廃寺ののち元禄5年(1692)に千呆和尚により黄檗宗のお寺として蘇り境内が整えられたようです。11世の推中和尚は、奈良の大仏を模した大釈迦如来像を計画、浄財を集め尽力しましたが完成前に亡くなります。天保3年(1832)、12世の肯宗和尚によって大仏がようやく完成し、開眼供養の際には多くの参拝者が訪れ盛大だったと伝えられています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/正法寺
岐阜県岐阜市神田町に円徳寺があります。円徳寺には織田信長から永禄7年(1564)に寄進されたという梵鐘が吊り下げられています。銀箔押烏帽子形兜、本願寺顕如消息(書跡)、伝織田塚改葬地とともに岐阜市の重要文化財に指定されています。また、織田信長、池田輝政より出された楽市の制札は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円徳寺梵鐘
岐阜県岐阜市神田町に円徳寺があります。円徳寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、織田氏ゆかりの寺として知られています。寿永2年(1183)、比叡山の寂円が一宇を建立、法泉寺と称したのが始まりと伝えられています。2世の寂世が親鸞聖人に帰依し、浄土真宗に改宗、寺号も常泉坊としました。永禄10年(1567)、織田信長が稲葉山城の斎藤龍興を破り、岐阜城主になると土地を寄進されて現在地に移りました。そして、その門前に楽市が開かれました。円徳寺に残る楽市楽座の制札は最古のもので、国の重要文化財に指定されています。関ヶ原合戦の際、岐阜城主であった織田秀信(織田信長の嫡孫、信忠の嫡男・幼名は三法師)が西軍に組したため、池田輝政・福島正則から猛攻を受け岐阜城は陥落しました。秀信は切腹しようとしましたが輝政の説得で円徳寺で剃髪し、高...円徳寺
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)清水に西順寺(さいじゅんじ)があります。西順寺の「時の太鼓」は直径約90cm、胴周り約330cm、胴長約115cmと、とても大きなものものです。明治維新までの約170年間、明け六つから暮れ六つまで、太鼓の音で時刻を知らせてきました。現在も、毎年6月10日の時の記念日に合わせ古式にのっとり太鼓は打たれています。昭和30年(1955)には北方町の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/時の太鼓
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)清水に西順寺(さいじゅんじ)があります。中島山西順寺は本尊に阿弥陀如来を祀る浄土真宗本願寺派のお寺です。円鏡寺のすぐ近くにあります。文応元年(1260)に、明海が開山したのが始まりと伝えられています。境内には本堂や鐘楼があり、この寺の代名詞でもある「時の太鼓」を収めているやぐらが建てられています。元禄10年(1699)に北方領主である旗本の戸田光賢が将軍綱吉に見事な馬術を披露しました。その恩賞として「時の太鼓」の使用、冠木門の設置、鮫鞘の三間槍の使用を将軍家より許された歴史があります。明治の初めに本町より現在の場所に移転されたそうです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログラ...西順寺
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。円鏡寺の山門に安置されている金剛力士立像は口を開けた阿形像と吽形像とがあります。山門と同年の永仁4年(1296)に運慶によって刻まれたと伝えられています。寄木造り、玉眼入りで筋肉表現に誇張したところはなく温雅な彫刻で慶派の特徴があるといわれています。大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/円鏡寺金剛力士立像
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。円鏡寺山門は、鎌倉時代の中期の永仁4年(1296)に、永尊良愉上人が建立した楼門で、この種の楼門としては全国で2番目に古い建物です。間口3間、奥行2間、入母屋造り、檜皮葺きの三間一戸の八脚楼門です。外壁は真壁造板張りで、上層部には高欄が廻り、下層部左右に金剛力士立像を安置しています。破風には「猪目懸魚(いのめけぎょ)」という飾り物を付け、組物は三手先で深い軒を支えています。棟梁・飛騨の匠で有名な八重則光が造ったものです。勾配のゆるやかな屋根と腰の均衡が優美な純和様建物で、明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogin...円鏡寺山門
岐阜県本巣郡(もとすぐん)北方町(きたがたちょう)北方に円鏡寺(えんきょうじ)があります。池鏡山円鏡寺は高野山真言宗の古刹です。円鏡寺は平安時代初期の弘仁2年(811)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開いたのが始まりと伝えられています。造営中に不動明王像を刻まれ、数十年後に補陀落上人が本尊の聖観音像を彫って安置したといわれています。当初は定照院と称していましたが、補陀落院に改称、さらに平安時代後期の永延年間(987-989)、中興の祖・良祐上人の時に一条天皇から「池鏡山円鏡寺」の寺号と共に寺領700石と、京都嵯峨御所内の久遠城院の1院を拝領したそうです。以来、法華寺、乙津寺とともに美濃三弘法として信仰されました。歴代領主や為政者が庇護したことで寺運が隆盛し、戦国時代以降も織田信長、豊臣秀吉、徳川家康な...円鏡寺
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。神戸山王まつりは勇壮、豪快な火まつりです。深夜零時に御拝殿から、日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮の7社の神輿(すべて県重要有形民俗文化財)が次々と担ぎ出されます。参道大鳥居前の琵琶湖になぞらえた川をいっきに渡り、お旅所へとお渡り(渡御)になる神事です。岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/神戸山王まつり
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉樹下の宮神輿は貞享4年(1687)に造られていて県の重要有形民俗文化財に指定されています。祭神は鴨玉依姫神で本体は四角形です。柱の金物には前部に岩に戯れる獅子と笹の葉などの青銅の彫刻が施されています。渡御の時は2番目に担がれます。横町の氏子が管理しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉樹下の宮神輿
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。惣門を入るとすぐ右側にう日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。この神輿は日吉神社祭典行事で担がれ、5番目に渡御する神輿です。笹鉾に飾ってある金物は葵の紋、胴体の柱の金物は上部に巻雲模様、下部は波の模様を金で刻んでいます。貞享4年(1687)に造られたもので県の重要有形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉宇佐の宮の神輿蔵
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社本殿は大己貴神を主神として祀っています。棟札により寛永7年(1630)に尾張藩初代藩主徳川義直が再建したことがわかります。間口3間、奥行3間の三間社流造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。昭和33年(1958)に岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社本殿
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の石造狛犬は収蔵庫に納められています。レプリカは本殿の前に置かれています。西保城主であった不破河内守光治により天正5年(1577)に寄進されています。稲葉一鉄らとともに「西美濃四人衆」と称された人物です。この狛犬は岐阜県内に現存する石造狛犬の中で、唯一国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日吉神社の石造狛犬
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。日吉神社の三重塔は神仏混淆の思想に基づき平安時代に建立されました。その後、永正年間(1504-1520)に春日局の父の叔父になる斉藤利網が再建したといわれています。天正13年(1585)には春日局の叔父になる稲葉一鉄によって改修されています。三重塔は間口3間、奥行3間、宝形造り、檜皮葺きの三間塔婆で、相輪頂上までの高さは24.6mもあります。戦国の兵火を免れ、天正、貞享、文政、明治に修理をされています。室町時代の貴重な三重塔で、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへ...日吉神社三重塔
岐阜県安八郡(あんぱちぐん)神戸町(ごうどちょう)神戸に日吉神社(ひよしじんじゃ)があります。弘仁8年(817)、当時の領主・安八太夫安次の願いにより最澄がお寺である善学院を建て、近江坂本の山王社を勧請して日吉神社を建てたと伝えられています。日吉神社というのは7つのお宮全体を指しています。本殿に当たる日吉大宮、日吉二の宮、日吉宇佐の宮、日吉樹下の宮、日吉牛尾の宮、日吉客人の宮、日吉三の宮です。5月3、4日に行われる山王祭りにはこの7つの神様を神輿に乗せて練りまわします。惣門を入るとすぐ右側に日吉宇佐の宮の神輿蔵があります。奥の神輿殿までの間に、右側には中ノ坊跡、十光坊跡、福泉坊跡、浄光坊跡、牛石、竃殿神社があり、その右側に三重塔、火祭りの庭、石舞台の庭があります。左側には常楽坊跡、蓮華院跡、西門、法光坊跡...日吉神社