富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県高岡市伏木湊町に旧伏木銀行(高岡商工会議所伏木支所)があります。旧伏木銀行は現在は高岡商工会議所伏木支所として利用されています。明治43年(1910)に伏木銀行として建てられた土蔵造り2階建ての店舗です。寄棟造り、本瓦葺きで、建築面積は261平方mです。建設当初は外壁が黒漆喰で仕上げられていたそうです。土蔵造の町家の意匠を基調に、戦後の改修工事でスクラッチタイルが貼られたそうです。玄関ポーチの柱、縦長の上げ下げ窓、軒蛇腹、天井、階段などに洋風の意匠が取り入れられています。角部分に玄関を設け、化粧柱や入母屋屋根を乗せて正面性を強調しています。平成8年(1996)に国の有形文化財に登録され、平成11年(1999)に高岡市歴史的意匠建造物に指定されました。平成24年(2012)には高岡市歴史的風致形成建造...旧伏木銀行
富山県高岡市伏木中央町に谷村家住宅があります。谷村家は代々勝興寺の家老を勤めた旧家で、明治維新後に現在地に移りました。谷村家住宅は洋風建築が混在する伏木の町並みの中にあって、伝統的な様式を保つ基準的な町家建築です。谷村家住宅は地元の棟梁針山分吉により、明治元年(1868)に建てられました。木造2階建て、間口5間の大規模な切妻造りで、桟瓦葺き、平入りで、建築面積は86平方mです。正面外観は、板塀に続く西側3間分に格子を用いています。1階には板葺きの下屋があり2階外壁の両側には袖壁が設えています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。高岡市伏木地区に残る数少ない町屋で、平成9年(1997)に国の有形文化財に登録指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogi...谷村家住宅
富山県高岡市太田に雨晴海岸(あまはらしかいがん)があります。高岡市と氷見市を結ぶJR氷見線の雨晴駅の横に「雨を晴らした」という地名の由来となった義経伝説が残る義経岩があります。文治3年(1187)、源義経が兄頼朝から追われて北陸から奥州へ向かう途中、この岩の下で雨宿りをしたといわれています。義経岩は平成27年(2015)に国指定名勝「有磯海」に追加指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/義経岩
富山県高岡市太田に雨晴海岸(あまはらしかいがん)があります。雨晴海岸は高岡市北部の自然に恵まれた風光明媚な海岸です。能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれています。女良(めら)、放生津(ほうじょうづ)、生地(いくじ)などの海岸をあわせ総称して有礒海(ありそのうみ)といわれています。万葉の昔、大伴家持もしばしば訪れ万葉集におさめています。また芭蕉も「早稲の香や分け入る右は有礒海」と詠んでいます。男岩や女岩をはじめとする小さな島や岩礁が多く、立山連峰を背景に望む景勝地です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/雨晴海岸
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。寺宝である木造日蓮上人坐像は像高22.5cm、膝幅20.8cm、顔長8cmの寄木造りです。玉眼、頭部ははめ込み式で両耳の後ろに継いであります。後背面の衣には彩色が残されています。内部に室町時代の永正5年(1508)の銘があり貴重な仏像であることから平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造日蓮上人坐像
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。蓮乗寺の梵鐘は高さ124cm、径75cmで、寛永16年(1639)に鋳造されています。氷見市では最古の鐘で、富山金屋の鋳物師・藤原朝臣河辺五兵衛尉家政の手によるものです。高岡市伏木の勝興寺の梵鐘も彼の作品です。昭和54年(1979)に氷見市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓮乗寺梵鐘
富山県氷見市朝日本町に蓮乗寺(れんじょうじ)があります。蓮乗寺は日蓮宗のお寺です。鎌倉時代末期の嘉暦2年(1327)、妙典院日暹(にっせん)が越中において開いた最初の日蓮宗のお寺です。日暹は能登国石動山天平寺の学僧でしたが越後で摩訶一卵の門に入りました。お寺は当初は稲積にありましたが、のちに現在地に移っています。元亀・天正の争乱の時の兵火により焼失し、寛永年間(1624-1644)の大火で堂宇、寺宝などを焼失しています。その後、本堂などが再興され今日に及んでいます。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/蓮乗寺
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があり行田池(龍神池)があります。白鳳10年(681)、龍神は本尊の千手観世音菩薩を背に乗せて日の出遥拝の霊地・朝日山の山頂に出現し当地の基を開き、それ以後この池の周辺に現存し守り続けているという伝説があります。また「ごんごん祭」の雨乞いの行事とも深くかかわりあうものとして知られています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/行田池(龍神池)
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺を開いた時、本尊となる千手観音菩薩を安置したところ、この清水が湧き出したといわれています。この水で本尊を洗い清め、その霊木としてイチョウを植えたといわれています。この霊水は上日寺観音菩薩霊水と呼ばれ「とやまの名水」に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音菩薩霊水
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。境内にある上日寺のイチョウは樹高36m、幹回り12mあります。上日寺が創建された白鳳10年(681)に霊木として植えられたと伝えられています。大小無数の気根が垂れていることから授乳祈願に効能があるといわれています。上日寺のイチョウは大きさでも日本屈指で歴史的背景などから大正15年(1926)に国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺のイチョウ
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。戦国時代、森寺城の城主長澤筑前守が寄進した石仏群です。西国33か所の霊場を模し、これらの像を安置しました。元亀3年(1572)の石仏24体と元治2年(1865)の6体が平成4年(1992)に氷見市の文化財(民俗資料)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/長澤筑前守寄進石仏群
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。絹本著色騎獅文殊菩薩画像は文殊菩薩の独尊図として描かれたもので縦90cm、横41cmの文殊菩薩画像です。結跏(けっか)ふ坐の姿で獅子に乗り、右手には剣を持っています。稚児文殊と呼ばれる童子のような体つきで描かれています。当時の文殊菩薩信仰の一端を知る貴重な史料として平成2年(1990)に氷見市の有形文化財(絵画)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/絹本著色騎獅文殊菩薩画像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺の寺宝である木造延命地蔵菩薩座像は餅喰地蔵とも呼ばれ南北朝時代に造られています。継母から子供を守るためにこの地蔵が餅を食べ、その姿を見た継母は改心し地蔵信仰に帰依した逸話が残されています。像高47cm、ヒノキ材の一木造りで、彫眼、彩色されています。平成3年(1991)に氷見市の有形文化財(彫刻)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/木造延命地蔵菩薩座像
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。上日寺観音堂は神仏習合時代には上日寺の総鎮守であったもので、天保6年(1835)に再建されています。入母屋造り、桟瓦葺き、平入、正面には軒唐破風が付けられています。複雑な木組の他、木鼻や唐破風の妻面、懸魚、桁などに精緻な彫刻が施されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/上日寺観音堂
富山県氷見市朝日本町に上日寺(じょうにちじ)があります。朝日山上日寺は高野山真言宗のお寺で朝日山の東麓に建てられています。白鳳10年(681)、泰澄(たいちょう)大師が修行していた霊地にインド出身の法道上人が開山したのが始まりと伝えられています。越中国守藤原仲通が深く帰依し平安時代の天禄年間(970-973)に堂宇を修築しています。最盛期には七堂伽藍が建ち並び18坊を有していたそうです。その後、荒廃しましたが寛元3年(1245)、心南院仁然が再興しました。戦国時代には氷見森寺城の城主長澤筑前守の庇護により境内が整備され石仏が寄進されています。前田氏が領主になってからは前田利長が帰依し、寛永14年(1637)に祈願所として庇護され寺領を寄進されました。寛永15年(1638)と天保3年(1832)に火災で灰燼...上日寺
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の総門は巨木の中を登りつめたところに堂々と建っています。切妻造り、桟瓦葺きの、三間一戸の薬医門です。国泰禅寺と書かれた額が掲げられています。明の高泉和尚の手によるものです。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺総門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の三門は間口3間、奥行2間の三間一戸の八脚単層門です。入母屋造り、桟瓦葺き、外壁は真壁造板張り、左右に阿形像、吽形像の仁王像を安置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺の三門
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂の内陣には本尊が安置されています。内陣柱は円柱で内側に一手の斗拱(ときょう)がせり出しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂内陣
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。国泰寺の法堂は江戸時代中期の享保5年(1720)頃に再建された建物です。1重5間堂の土間仏堂です。入母屋造り、桟瓦葺き、平入で、外壁は真壁造り板張り、正面左右に花頭窓が付いています。妻面の中央2間に両開き桟唐戸がついています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/国泰寺法堂
富山県高岡市太田に国泰寺(こくたいじ)があります。摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の総本山です。富山湾に面した二上山北麓の丘陵地に建てられています。開山の慈雲妙意は普化宗の祖である法燈国師覚心に師事し、24年間二上山に籠って仏道をきわめ、嘉元2年(1304)に摩頂山東松寺を開いたといわれています。嘉暦3年(1328)、後醍醐天皇から護国摩頂巨山(ごこくまちょうこざん)国泰仁王万年禅寺(こくたいにんのうまんねんぜんじ)の寺号が下賜され、勅願寺として北陸地方随一の禅刹となり繁栄しました。暦応2年(1339)、足利尊氏により全国に安国寺を建立した時、越中の安国寺に選定され伽藍の修築がなされ、寺領として荘園が寄せられました。応仁の乱が起きると守山城をめぐる兵火により国泰寺は荒廃しましたが、天文15年(1546)に後奈...国泰寺
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ばれてい...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の鼓堂は間口7.6m、奥行7.5m、2重2階、入母屋造り、桟瓦及び本瓦葺きで、享保18年(1733)に建立されています。太鼓堂とも呼ばれますが、現在太鼓は吊るされていません。総門をくぐった正面、掘割に面して建っており、城郭の櫓(やぐら)に似た姿です。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺鼓堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の経堂は間口3間、奥行3間、1重もこし付、宝形造り、桟瓦葺きで、文化2年(1805)に建てられています。内部は塗を施さない欅の素木造りで、中央の手動回転の大形八角輪蔵は形式、細部とも本格的で極彩色を施しています。平成7年(1995)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺経堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の唐門は切妻造りで、間口6mの四脚門です。屋根は銅板葺で前後とも軒唐破風付です。明和6年(1769)に京都の浄土真宗興正派の本山である興正寺で建立されています。明治26年(1893)、興正寺より譲り受け、北前船2隻で運ばれ移築されました。昭和55年(1980)、国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺唐門
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺の本堂は間口39.3m、奥行37.4m、高さ23.5mの大きな建造物です。1重、入母屋造り、向拝3間があり、金属板葺きで、寛政7年(1795)に建てられています。全国の国宝・重要文化財の建造物の中でも平面積は8番目の大きさを誇っています。令和2年(2020)に国宝に指定されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/勝興寺本堂
富山県高岡市伏木古国府に勝興寺(しょうこうじ)があります。勝興寺は越中国府の国庁跡と伝わる地に建立された浄土真宗本願寺派のお寺です。承久の乱(1221)で佐渡へ流された順徳天皇の第3皇子・成彦親王が親鸞に帰依して、善空房信念となり、佐渡に一宇を創建、上皇より殊勝誓願興行寺という勅号を得たのが始まりだといわれています。文明3年(1471)、本願寺6世・蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に土山御坊を開きました。蓮如の子・蓮誓は、二俣本泉寺、井波瑞泉寺とともに3寺を兼任しました。その後、明応3年(1494)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転しました。永正14年(1517)に順徳上皇の勅願所だった勝興寺の寺号を譲られることになり本願寺も承認しました。火災による焼失後、永正16年(1519)に安養寺村(小矢部...勝興寺
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。清水町配水塔資料館の旧配水塔は昭和6年(1931)に建築されました。1階から4階までは直径9.29mの鉄筋コンクリート造りで、その上の5階部分に銅板張りの貯水槽が乗っています。直径11.4mあります。旧配水塔の高さは29.7mになり、容量は355立方mです。開口部上部はファンライト風半円形の欄間を設けています。入口はアーチ風、基礎に段差を付けるなど洋風建築の要素を取り入れています。犬養毅元内閣総理大臣揮毫の「恵澤萬年」が刻まれた御影石の扁額が設置されています。旧配水塔は昭和60年(1985)に「近代水道百選」に選定されました。平成8年(1996)には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から国の有形文化財に登録され、平成21年(...清水町配水塔資料館旧配水塔
富山県高岡市清水町に清水町配水塔資料館があります。この資料館は清水町水道公園内にある水道に関する博物館です。昭和6年(1931)に完成した高岡市の水道施設で、旧配水塔の1階部分を活用し、工事写真、装置、工具などを展示しています。平成8年(1996)に旧配水塔、第三源井上屋、水源地水槽の3棟が国の有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/清水町配水塔資料館
「ブログリーダー」を活用して、jf0rakさんをフォローしませんか?
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。海王丸パークには日本海交流センターがあります。海洋文化への理解と知識を深めてもらうための施設です。世界の帆船の模型が展示され、海の情報発信基地として親しまれています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/日本海交流センター
富山県射水市海王町に海王丸パークがあります。「海王丸」は海洋実習船として建造されました。進水式が2月14日のバレンタインデーであったため、恋人の聖地に認定され、カップルにとって素敵なイベントも開かれています。59年間に106万海里(地球約50周)を航海し1万人以上の海の若人を育てたそうです。姉妹船「日本丸」も同時期に建造され、「日本の海の王者たれ」という日本の海運の期待を集めました。平成2年(1990)4月から富山で一般公開されし、現在も海洋教室など青少年錬成の場として活用されています。帆をすべて開く「総帆展帆」(そうはんてんぱん)は4月から11月の間に月に1回、年に10回程度行われています。「海の貴婦人」と称される美しい姿が披露されます。美しい日本海と、新湊大橋、立山連峰が眺められます。下記のサイトにも...海王丸パーク
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。映画「人生の約束」に放生津八幡宮の曳山の譲渡シーンが撮影されました。各町にある13基全ての曳山が放生津八幡宮でお祓いを受け繰り出します。令和3年(2021)に、曳山と築山の行事は国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/曳山と築山の行事
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。境内に建立されている芭蕉翁の句碑は天保14年(1843)に付近の俳人達によって建てられています。元禄2年(1689)に芭蕉が詠んだ「早稲の香や分け入右は有磯海」の句が刻まれています。この句碑は射水市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/放生津八幡宮芭蕉翁の句碑
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。現在の放生津八幡宮の社殿は江戸時代末期の弘化2年(1845)に発生した火災により焼失し、氏子の浄財により文久3年(1863)に再建されたものです。放生津の宮大工棟梁・高瀬輔太郎、脇棟梁・梁野上武平、赤井弥左エ門が手掛けました。放生津八幡宮の拝殿は間口6間、奥行5間、木造平屋建て、入母屋造り、平入で屋根は桟瓦葺きです。正面に3間の向拝付けられています。外壁は真壁造り板張り、正面1間分は吹き放しになっています。平成16年(2004)に射水市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...放生津八幡宮拝殿
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746)、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(な...放生津八幡宮
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の庫裏は大火直後の明治2年(1869)に建てられています。木造2階建て、切妻造り、平入、桟瓦葺きで、建築面積は399平方mです。古くからの伽藍を偲ばせる建物で、一時は小学校の仮校舎にも使われたそうです。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺庫裏
富山県射水市立町に大楽寺があります。大楽寺の本堂は明治12年(1879)に建てられた建物で、寺院本堂建築としては珍しい土蔵造りです。間口7間、奥行11間の平屋建て、切妻造り、平入で桟瓦葺きです。正面に1間の向拝が付けられています。外壁は白漆喰仕上げで、建築面積は263平方mあります。平成9年(1997)に国の登録有形文化財に登録されました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/大楽寺本堂
富山県射水市立町に大楽寺があります。長恩山大楽寺は浄土宗のお寺です。平安時代後期の長徳2年(996)に花山天皇の勅願により但阿無外上人によって開かれたといわれています。当初は長徳寺という天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代の弘安元年(1278)に浄土宗に改宗し、寺号を大楽寺と改めています。大楽寺の本堂と庫裏は国の登録有形文化財に登録されています。室町時代後期の天文年間(1532-1555)に描かれた絹本著色涅槃絵図は昭和61年(1986)に射水市指定文化財(絵画)に指定され、平安時代の木造阿弥陀如来立像は昭和53年(1978)に射水市指定文化財(彫刻)に指定されています。また江戸時代の萬誉上人の大楽寺御名号本尊は昭和50年(1975)に射水市指定文化財(書跡)に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りくださ...大楽寺
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の本堂は木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きの大きな建物です。間口7間、平入で、正面に1間の向拝を付けています。外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺本堂
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の梵鐘は明治4年(1871)に専念寺が買い取った銅鐘で、文明6年(1474)の銘があります。高さ158cm、口径91cm、胴厚約8.5cmです。文明の銘がある梵鐘は、在銘の銅鐘としては県内最古といわれ、昭和40年(1965)に富山県の有形文化財に指定されています。この梵鐘は、文明6年(1474)に立山寺の明舜が、自ら創建した面白寺で使うために荻生の鋳物師の幸善に造らせたものでした。その後、面白寺が廃寺になると本寺だった立山寺が引き取り、その後、廃仏毀釈の中、処分されることになり、専念寺が買い取ったといういきさつがありました。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...専念寺梵鐘
富山県射水市本町に専念寺があります。専念寺の前庭にある傘松は「からかさ松」と呼ばれ有名です。黒松と赤松の雑種であるアイグロマツで、突然変異によって傘状になったといわれ、全国的にも珍しい松です。享保2年(1717)、放生津城主・神保慶宗(のりむね)の菩提を弔うため植えられたと伝えられています。この松は開いた傘のように見えることから傘松と呼ばれています。樹高約4m、地上から約1.5mの高さで枝が横方向に伸び、直径13mから15mにわたって広がっています。昭和40年(1965)に富山県の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺傘松
富山県射水市本町に専念寺があります。専修山専念寺は浄土真宗東本願寺派のお寺です。文明16年(1484)本願寺8世蓮如上人の法弟である賢祐(けんゆう)が法土寺村(ほうどうじむら)に創建しています。延徳3年(1490)に親鸞絵像が蓮如上人より下付されています。中世には越中守護代の神保氏から帰依され寺運が隆盛しました。江戸時代中期の享保2年(1717)に水害により現在地に移ったそうです。この寺にある「からかさ松」は県の天然記念物に指定され、銅鐘は富山県の有形文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/専念寺
富山県射水市(いみずし)庄西町に牧田組本社があります。牧田組本社ビルは元は回船業を営む南島商行本店として大正4年(1915)に建てられました。木造2階建て、銅板葺き、建築面積81平方mの近代洋風建築で、昭和62年(1987)に富山の建築百選に選定されました。平成14年(2002)には国の登録有形文化財に登録されています。玄関は両脇の袖壁を大きく前に張り出させています。そして上部には印象的な意匠を施し、玄関上部の2階パラペットを切妻風にしています。木造の壁に重厚なレンガを貼り、腰、隅柱などに花崗岩を使用しています。縦長の上げ下げ窓を左右対称に配置しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村htt...牧田組本社ビル
富山県高岡市守山町に旧高岡共立銀行本店の建物があります。このビルは大正3年(1914)に高岡共立銀行本店として建てられた擬ルネッサンス様式の建物です。その後、北陸銀行高岡支店になり、昭和39年(1964)からは富山銀行本店として使用されました。令和3年(2021)に高岡市に無償譲渡されています。建物が建つ守山町は、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「山町筋伝統的建造物群保存地区」です。この建物も山町筋の景観を構成する伝統的建造物に特定されており、市民より「赤レンガの銀行」として親しまれました。鉄骨煉瓦造り2階建ての洋風銀行建築で、設計は、東京駅を設計した辰野金吾の監修のもと、清水組の田辺淳吉が担当しました。建設当時、一帯は証券会社や金融会社の本店、支店が軒を連ね、「北陸のウォール街」と呼ば...旧高岡共立銀行本店
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅の主屋は間口7間半、奥行5間の土蔵造り、2階建ての古民家です。入母屋造り、平入り、桟瓦葺きの町屋の建築形式です。両脇には釉薬を塗りこんだ煉瓦造りの防火壁を設けています。外壁は2階が大壁の黒漆喰で1階の主屋正面には1間の土庇が付いています。軒下は白漆喰、2階腰部分はタイルを貼り、2階の開口部には銅板貼りの扉を設けています。平成9年(1997)に国の有形文化財を登録され、平成25年(2013)には高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅主屋
富山県高岡市御馬出町に佐野家住宅があります。佐野家住宅は明治33年(1900)の高岡大火の直後に建てられています。屋敷は主屋が道路に面しており、間に中庭を挟んで奥に1番蔵、2番蔵、調度蔵、味噌蔵が4棟横一列に建てられています。主屋とともに国の有形文化財に登録され、高岡市歴史的風致形成建造物に選定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/佐野家住宅
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。旧室崎家住宅の主屋は間口4間半、奥行8間半の土蔵造り、2階建ての古民家です。切妻造り、平入り、桟瓦葺きで、内部は3列3段の通り土間形で古い町屋の形式です。外壁の仕上げは道路側の正面だけが黒漆喰で仕上げられています。間取りは正面1列目左から「ミセザシキ」、「ミセ」、2列目左から「ブツマ」、「ツウロ」、「チャノマ」、3列目左から「ブツマ」、「ナナジョウマ」があり、外観とは違う数寄屋風の造りです。主屋と土蔵は平成10年(1998)に高岡市の文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc...旧室崎家住宅主屋
富山県高岡市小馬出町に旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)があります。室崎家は明治初年にこの地に移り住み、それ以前は現施設の向う側に住んでいました。昭和20年(1945)まで綿布の卸業を手広く営んでいたそうです。現在は石油商を営んでいますが、室崎氏の転居にあたり市がこの施設を資料館として整備し、平成14年(2002)から公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館)
富山県高岡市守山町に高岡御車山会館(たかおかみくるまやまかいかん)があります。高岡御車山会館は高岡御車山祭にて曳き出す御車山と呼ばれる山車を展示しています。これらは国の重要無形民俗文化財、国の重要有形民俗文化財に指定されています。また高岡御車山祭は平成28年(2016)にユネスコの無形文化遺産に登録されています。高岡御車山会館は北陸新幹線の開業に合わせ平成27年(2015)4月25日に開館しました。鉄筋コンクリート造り2階建て一部3階建ての建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)山町筋にあるため土蔵造りの家屋になっています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.f...高岡御車山会館
岐阜県高山市大新町に日下部家住宅(日下部民藝館)があります。日下部家住宅は日下部家住宅は明治12年(1879)に建てられたもので、名工棟梁・川尻治助が江戸時代の建築を見事に再現したものといわれています。日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。嘉永5年(1851)には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。当時の邸宅は明治8年の大火で類焼し、再建されたのが現在の住宅です。明治時代に入り軒の高さや用材の規制が取れたため江戸時代に比べ軒が高く檜材をふんだんに使用されています。主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行17.4m、梁間17.3m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。梁と束柱の力強い木組みがすばらしく、10mある吹き抜けはなんとも美し...日下部家住宅
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。その中に平田記念館があります。平田記念館は「打保屋」(うつぼや)の屋号でびんつけ油、ろうそく屋を家業として財をなした平田家の住宅です。主屋は明治時代に建てられた典型的な高山の町屋建築とされ、贅を尽した飛騨商人の旦那衆の暮らしぶりがうかがえます。12代にわたって愛蔵してきた美術品、調度品を江戸期の土蔵3棟で公開しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/平田記念館
岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しまし...飛騨高山の町並み
岐阜県高山市上岡本町に飛騨高山美術館があります。飛騨高山美術館は平成9年(1997)にオープンしたガラス工芸作品と家具を展示する私立の美術館です。小高い丘にあり、高山の町並みや北アルプスを見渡すことができます。16世紀から20世紀の世界中から収集したガラス工芸と、アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸品、19世紀末の家具や照明器具などを収蔵展示しています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨高山美術館
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda...旧吉真家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://...旧田中家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブロ...旧田口家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://w...旧若山家住宅
岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨...飛騨民俗村・飛騨の里
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺大イチョウ
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺三重塔
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺の本堂は間口5間、奥行4間、1重入母屋造り、向拝1間、銅板葺き、総桧造りの室町時代の建物です。天正15年(1587)に川上郷から移築されたといわれています。柱など太くて荘重内陣と外陣は厳重な格子で間仕切され、外陣の虹梁、蟇股などは古風な造りです。本堂は国の重要文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨国分寺本堂
岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています...飛騨国分寺
岐阜県高山市国府町宇津江に宇津江四十八滝(うつえしじゅうはったき)があります。宇津江四十八滝は宮川(神通川)の支流・宇津江川にあり、複数の滝が存在する渓谷です。岐阜県の天然記念物、全国自然百選、飛騨・美濃紅葉33選、県名水50選などに指定されている県立自然公園です。最上部の滝まで880m、ゆっくり歩いて1時間のハイキングコースで散策できます。江戸時代、美濃国の白心(はくしん)法師がこの地で修行して以来、霊場として知られるようになりました。安永8年(1779)に出された赤田臥牛の「打江観瀑記」以降この滝を訪れる人が多くなったそうです。宇津江四十八滝には大蛇と「よそ八」の伝説が残されています。孝行息子「よそ八」は川の奥の沼で大蛇に出会い妖気で寝込んでしまいました。大蛇は娘に身を変え、自分の血を使って看護し全快...宇津江四十八滝
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。島崎正樹は明治の文豪島崎藤村の父親です。水無神社宮司として明治7年(1874)から10年(1877)まで務めました。教導職として多くの若者を指導しました。藤村の作品「夜明け前」で主人公・青山半蔵のモデルとなった人物です。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/島崎正樹石碑
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の絵馬殿は旧拝殿で、慶長12年(1607)、高山藩主金森長近が造営したものです。間口5間、奥行4間、木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は柱のみの吹き放しです。高山市指定文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社絵馬殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の拝殿は間口5間で正面に3間の向拝が付けられています。木造平屋建て、入母屋造り、銅板葺き、平入、外壁は真壁造り板張りです。本殿は流造造り、銅板葺き、外壁は真壁造り板張りです。主祭神に水無大神(御歳大神)を祀っています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社拝殿・本殿
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社の神門は切妻造り、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門です。昭和10年(1935)に国費によって造営されています。試楽祭など一宮水無神社の神事芸能が執り行われ、これらは岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。下記のサイトにもお立ち寄りください!http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/日本一周ブログランキングへにほんブログ村http://blog.fc2.com/飛騨一宮水無神社神門
岐阜県高山市一之宮町に飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみなしじんじゃ)があります。飛騨一宮水無神社は飛騨の国における最古の神社で、聖武天皇の時、飛騨の一の宮とされ、延喜式にも列しました。神階は正一位で、延喜式内の飛騨8社の総社とされ、神領も18ヶ村に及んだそうです。いつ創建されたかはよくわかりませんが、日本海沿岸を開拓した出雲民族が、神通川をさかのぼって来て飛騨の国を開いたとき、水源の位山(くらいやま)を神体として、その麓に農耕の祖神御歳神を祀ったのが起源ではないかと考えられています。標高1529mの位山は中腹から山頂にかけては奇岩怪石が数多く点在し、日本の表裏を分ける分水嶺として古くから神体山として信仰の対象となっていたようです。位山にある一位(櫟)は御笏(おしゃく)として朝廷に献上され、現在でも続いて...飛騨一宮水無神社
岐阜県下呂市萩原町萩原に十六館があります。十六館は旧十六銀行益田支店の建物です。JR飛騨萩原駅の西側、十六銀行益田支店の斜め向かいに建っています。明治44年(1911)に建てられたRC造りの平屋です。もともとは木造土蔵造りの建物でしたが、現在はRC造りに改築され、十六館としてギャラリーなどとして再生活用されています。玄関部分は改変されていますが、漆喰塗りの外壁やアーチ窓の意匠など外観は当時の姿をよくとどめています。十六銀行は単独で存続する銀行としては日本最古の銀行です。渋沢栄一率いる第一銀行(当時は第一国立銀行)の指導の下、明治10年(1877)に第十六国立銀行として開設されました。同時期に設立された国立銀行は在郷士族による出資が多かったのですが、第十六国立銀行は平民の出資94.4%で設立されたそうです。...十六館