この花、本当に好き。繊細ですがまっすぐ立ちます。いろんな色を持っています。矢車菊
この花、本当に好き。繊細ですがまっすぐ立ちます。いろんな色を持っています。矢車菊
桜の返礼でアメリカから来た。独特な葉と花の模様。ずっと見ていられる。花水木
雑草じゃなくて春紫苑です。私の名前は
花は桜だけじゃないよサクラ散ってもタンポポが
高知龍馬マラソンからもう2ヶ月が経ちました。そのときの写真をあげておきます。フルマラソンの後は、当然のことながら疲れが出ます。回復するまで約1ヶ月はかかるのではないでしょうか。私の感覚ですが。働きながらでもあるので、個人差はもちろんあるでしょう。その間、書店では棚卸しがあり、そのための整理があり、春休みになって接客に追われつつ、年度末で納品も増え、さらには杉花粉で自由を奪われ。結構大変でした。それらを無事乗り越えて、春。最近の新緑の美しさには、改めて目を奪われます。杉花粉もおさまって、穏やかな天候の下で、痛みもなく思い切り走って、おいしい空気を胸いっぱい吸えるのは、本当に心地よく、生き返る思いです。その中で出会った花々の写真は、後でまとめてあげます。で、次の大会が1週間後に迫ってきました。初めて参加します...高知から花巻へ
こちらも柳瀬川沿いの桜並木。右手前にお花見の席取りのシートが置いてあります。小道の奥には小さくなってしまいましたが、人が写っています。カメラを向ける奥様と、その旦那様でしょうか。東京都写真美術館で木村伊兵衛の没後50年を記念した写真展を開催中(5月12日まで)です。観てきたのですが、実に人々の表情が生き生きとしています。さりげなくて、誰もポーズをしていなくて。それで思ったのです。ああ、人を写すのもいいなあと。なのでこれからの写真には人が入ってくるかもしれません。さりげなく。わかちあう
こちらは、お隣の清瀬市にある柳瀬川沿いの桜並木。この季節、ここを走るのは格別です。この土日で春休み終わりという方々も多いのではないでしょうか。いくつになっても気が引き締まる思いです。やるべきことは明確になっています。とにかく、小説を仕上げる!今年度中に、必ず。次の作品の準備もしていたい。来年の今頃どうしているか、胸に思い描いて走り抜けました。新学期、今年は何をしましょうか?
こちらは市内(東京都東村山市)にある多磨全生園内のさくら公園。奥の建物は、国立ハンセン病資料館です。右手前のさくらは、毎年見ずにはいられない古木。見るたびに感動します。今年は新芽を出していた!たくましく
近くの川沿いの公園で。今年もやってきたことを告げるように、枝先が私に向かって伸びていました。今年もやってきたよ
石牟礼道子さんの詩集。タイトルは、「おやさまのくさのむら」と読みます。祖さまというのは、連綿と続いてきた命そのもののことかもしれません。生き物のそれぞれが音を持っている。耳を傾けることのできる人は、自然の交響曲を楽しむことができる。この辺りの描写は、ミヒャエル・エンデの「モモ」(岩波書店)を思い出しました。マイスター・ホラに連れられて、モモは「時間の花」を見ます。そこでは豊かな音楽が流れていました。人々は、自然の中で生きていました。そこに「会社(チッソ)」がやってきた。護岸工事をし、渚をコンクリートで固めてしまった。渚は、海と陸とが呼吸をするところ。小さな貝たちや、タコの赤ちゃんたちがたくさんいた。近代化の名の下に、壁を作っていったのは人間。電気に化学肥料にビニール。どれも欠かせなくなった。一方で、不要と...祖さまの草の邑
作家の石牟礼道子さんと写真家の藤原新也さんの対談。対談されたのは2011年6月13日からの3日間。熊本市の石牟礼さんの自宅で。この本が刊行されたのは2012年3月。東日本大震災から1年を待っていたかのように。昨年、熊本城マラソンに参加しましたが、泊まったホテルのすぐ近くにあった古書店・舒文堂(じょぶんどう)河島書店で入手しました。私もまた1年寝かせていました。再び3・11が巡ってきて「読もう!」と思い立ちました。読み進めていくうちに、閉塞感が募っていきます。歴史は繰り返す。水俣で起きたことが、そっくり福島でも繰り返されて。どのようにして水俣病を発生させた会社「チッソ」が水俣に入ったのか、石牟礼さんの語りによって解き明かされていきます。まずは「電気」だったそうです。それは会社のための電気(チッソははじめ水力...なみだふるはな
この写真は、2022年11月7日、宮城県気仙沼市の大島にある亀山山頂から撮ったものです。今年も3.11が来ました。もう13年になりますが、あの日は昨日のことのようです。その日を意識し始めると、変に肩に力が入って、鼓動も早くなる。落ち着かなくなって、書きたくなります。様々なことを思い出します。現地に行って撮った写真も見返していました。この写真の左手前の砂浜は田中浜、その上は小田の浜、田中浜の右側にある湾が浦の浜です。田中浜から上陸した津波は、坂を乗り越え、浦の浜からの津波と合流したそうです。浦の浜近くで料理屋を営んでいた私のおじさんは、間一髪で津波から逃げることができました。お店の片付けをしていたと言います。山に逃げていた人に声をかけられて、助かりました。しかし、災難はそれだけに止まりませんでした。気仙沼湾...もう一年
この本が読みたくなったのは、毎日新聞の連載「没後120年・八雲を探して」を読んで。有名な「雪女」は、今の東京・青梅市の百姓が八雲に語った話で、意外と近いじゃんと思ったり、島根県・松江の海沿いにある自然洞窟に亡くなった子たちが集まっているという話が今でも伝わっていたり。その連載でも紹介されていましたが、八雲の夫人・節の話にも興味が湧きました。私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。229ページ15行-230ページ3行八雲は、聞いた話をただそのまま書き写していたのではありませんでした。換骨奪胎というのでしょうか。どこにでもあるようなちょ...怪談
高知3日目は、牧野植物園へ。その日は朝から細かい雨が降ったり止んだり。高知は多雨の街でもあります。バスで行くのですが、これも予想を超える激坂。五台山にあるのですが、完全に山道です。一方通行で、バスだと道幅もぎりぎり。運転手さんたちの仕事があってこその旅だと、改めて感じました。門を入ると、もう植物を紹介する案内板が所狭しと立てられています。一つ一つ、丁寧に。全部読んでいったら、とても時間が足りません。その中でも目についたのがこちらです。バイカオウレン。牧野さんの生家の裏庭に生えていたそうで、ふるさとを思い出させる特別な植物であり続けたそうです。順番に植物たちを眺めながら、チケットを買って、いよいよ植物園の中へ。まず「こんこん山広場」という頂上付近に上がって眺望を楽しみます。次に降りて少し行くと「土佐寒蘭セン...牧野植物園
11回目のフルマラソンは高知龍馬マラソン。スタート時は曇りでしたが、後半ほど晴れ渡り、予想通り気温が上がりました。海に出るまでは順調でした。でも、走って3キロほどでもう汗が出ていたので、水分補給はしっかりと意識して。海に出るまで4つくらいでしょうか、トンネルを潜りました。トンネルの中はひんやりとしていて快適でした。20キロ付近、1番目の難関が現れました。浦戸大橋です。警戒はしていましたが、想像を超えていました。まだ上がるんかい!今まで経験したことのない角度と距離。約50メートル、急な上りが続きます。歩いていたランナーもちらほら。しかし、私は根性で走り切りました。私は粘り強いタイプ(良くも悪くも)ですから。頂上では太平洋が一望できます。下りると、海岸沿いの道を西へ。海岸沿いにも応援の方達が切れ目なくいてくれ...高知龍馬マラソン
高知に行ってきました。写真は高知城です。初めての四国でもありました。行きは新幹線とバスで。岡山から「龍馬エクスプレス」という高速バスに乗り換えます。今かな今かなと地図を見ながら、お目当ての一つであるものがついに現れました。瀬戸大橋です。写真は瀬戸大橋から見た瀬戸内海。不思議ですよね。山なのです。なのに海。後日少し調べました。今から約1400万年前、「瀬戸内火山活動」と呼ばれる短期間の激しい火山活動がありました。そのとき噴火したものが山となって残っている。さらに約300万年前、四国を南北に分ける中央構造線が横に動いたため、横ずれの「しわ」として隆起したところが後で島になった。今の瀬戸内海となったのは約1万年前と言われています。瀬戸大橋を渡っていよいよ四国の香川県へ。山々を縫うように西へ。愛媛県に入って、大き...高知へ
「ボルヘスは旅に値する」と言われます。最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」さらにはこんなことも。「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」この言葉を聞いて、私も救われました。そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれ...シェイクスピアの記憶
昨日は関東も大雪でした。仕事で、帰りの電車は少しずつしか進みません。通常の2倍はかかったでしょうか。今日は、もうずいぶん雪も溶けています。車を出すのも問題はなさそうです。写真は先日の晴れの日のものです。年末年始の書店は大忙しでした。それだけお客さんが来てくれたので良かった。とは言え、疲れます。冬休みが終わってひと段落したころ、やっと温泉だ!と喜んでいつものところに行きました。温泉と岩盤浴と。美味しいものもいただいて、ゆっくりと心身を温めてほぐして伸ばして。はあー疲れとれたー。でも次の日、右ふくらはぎが痛いのです。それは秋からの古傷でした。11月5日の東北・みやぎ復興マラソン。その前の練習から右ふくらはぎを痛めており、レース当日、20キロ手前の陸橋を登っているとき、「ブチッ」と言いました。あの恐ろしい音は今...変化は痛みを伴う
仙台の3・11メモリアル交流館で出会った3冊目。前科があり、刑務所での刑期を終え、出所後、再会してはいけない規則を破って再会し、東京の根津でひっそり身を寄せ合って暮らす芭子(はこ)と綾香の物語。連作の短編集で、シリーズとしては三作目のようですが、この本だけでも十分楽しめました。綾香は40代後半、芭子は30代入ったばかり。綾香はパン職人として自立するために街のパン屋で朝早くから働いている。芭子は、なかなか進路が定まらなかったけど、祖母の残した古民家で、あそこ(刑務所)で身につけた裁縫の技術を生かし、ペットショップで働きつつ、ペット用の服をオーダーメードで作る仕事を始めていた。世間知らずの芭子に、元主婦でもあった綾香は料理や身の回りのことや銀杏のことなど、教えられることはなんでも教えていた。綾香があっての芭子...いちばん長い夜に
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、言っておきながら、気持ちは沈みます。「明けなければよかった」と、思っている人たちもいるでしょう。正月の16時に震度7とは。翌日に羽田空港での事故。震災がなかったら。なぜ、私が?こんなとき、田村隆一の詩の一節を思い出します。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」の冒頭です)人は言葉を覚えたから、意味を探す。でも、その地震は言葉を持っていない。人は、物語っていくしかない。語って語って、やっと受け入れ難いものを少しずつ消化していく。言葉があるからこそ苦しみ、言葉があるからこそ救われる。実際には、言葉にできないことの方が多いかもしれません。それでもアートやスポーツや、あらゆる手仕事に、気持ちを託すこともできます。この本は、年末に少しずつ読んで...また次の春へ
雑草という草はない、私もThereisnograsscalledweeds,metoo
棚のお陰です。Thankstotheshelf
散歩は楽し今年撮った写真で、これは、と思うものをまとめてアップしました。楽しんでいただけたら幸いです。写真は、インスタグラムと、それと連動したフェイスブックに載せることが基本になりました。とは言っても、インスタとフェイスブックは、無料とはいえ「会員制」ですので、「公開」されているとは言えないのかもと思いまして。このブログは、いつも写真と共にありました。最近、写真や文章の投稿が減っているのは、前述のことと、ここに書くより小説の一行を書きたいからです。それはそれでいいし、ここに投稿し続けなければならない理由もありません。私が好きでやってきたこと。日記の延長のようなもの。3段跳びじゃないけど、はじめに日記あり、次にブログあり、そして小説あり、なのかもしれません。いずれにしても、大事にしてきた場所です。私にとって...Walkingisfun
菜の花、土の目覚めCanolaflower,theawakeningoftheearth
支えられて、ともにSupported,together
山桜Wildcherryblossoms
空へ伸びるExtendtothesky
折れない桜Unbreakablecherryblossoms
ミモザ、女性の輝きMimosa,Women'sbrilliance
早春の星々の瞳Eyesofthestarsinearlyspring
青い空、青い湖Bluesky,bluelake
東日本大震災から12年。まだまだ終わっていないことがたくさんあります。福島第一原発の廃炉はいったいいつになったら「終わる」のでしょうか?終わりを見届けるまで、多くの人たちには時間が足りず、また関心も継続しない。「あんなこともあったね」で、終わりにならない人たちがいます。現在進行形。一人一人に物語があります。その物語は、空と大地と海と、そこに暮らす生き物の恵みと人々のつながりによって編まれていく。地震と津波だけならば、更地の上に新しい土を重ね、高くなった場所でまた暮らせる。でも、放射能で「汚染」されてしまったら?そんなこと、歴史上なかったこと。「原発事故は起きない」とされ、だから原発爆発後の地元消防との訓練もしていなかった。「想定外」という嫌な言葉を何度も聞かされました。「絶対」はないのだと、学んだのが東日...孤塁
この本が出たのは2016年。「HSP」本は、ずいぶんと増えましたが、これが元祖だったのではと思います。「HSP」とは、「HighlySensitivePerson」のこと。「感受性が高い人」という意味です。この本を店頭に並べるようになってから、ずっと切らさないでいました。こつこつと棚から売れているのはわかっていたので。この本と出会ってから、自分もそうなんだろうと思ってました。読む気になったのは、どうしてだろう?自分の生まれ持った特徴をより深く知ることで、人と作品との関係をもう一歩進めようとする思いが芽生えたからかもしれません。読んでみれば、やっぱり思い当たることばかり。「感受性が高い」ばかりに、影響を受けやすい。ほとんどの人が気にならない小さな音でもすぐ拾ってしまう。だから基本的に宴会は苦手。学生寮での飲...鈍感な世界に生きる敏感な人たち
この本を読むと、北條民雄が生きていた時代の空気や、文学の師であり、希望の光ともなった川端康成との関係、またハンセン病療養所の中での友人たちとの確かな交流も、目に見えるように再現されていきます。昭和8年(1933年)、民雄が19歳の3月、ハンセン病の告知を受け、その年の2月に川端(34歳)の「伊豆の踊り子」の映画が封切りされ、1月にヒトラーがドイツの首相となり、2月に小林多喜二が虐殺されている。昭和11年(1936年)、民雄が22歳のとき、川端たちが立ち上げた文芸誌「文學界」の2月号に「いのちの初夜」が掲載された。そのとき、川端は「雪国」を連載中だった。その2月の26日、皇道派によるクーデター未遂事件(2•26事件)が起きている。民雄が亡くなるのは翌年の昭和12年(1937年)、23歳の12月5日、早朝。そ...火花北條民雄の生涯
4年ぶりのフルマラソンからほぼ1ヶ月になろうとしています。やっと体調も超回復してきた感じです。購入した大会の写真が届きました。この写真は、ラスト1キロ付近でしょうか。びしょびしょですね。自分ではあまり意識してませんでしたが、雨に濡れました。スタート前まで雨で、整列しているときにはいったん止みました。なので、雨対策グッズ(100円ショップで買ったレインコートとビニール手袋)は、スタート時にゴミとして回収してもらっていました。雨上がりは走りやすいものです。強い日差しはなく、風もなく、ひんやりしており、何より適度に空気が湿っているので呼吸が楽で、水分補給も少なくて済みます。出出しは快調でした。ほぼ1キロ5分ペース。これを最後まで続けられれば、自己ベストの3時間38分30秒を上回るだけでなく、3時間半切りも見えて...熊本城マラソン2023
テストで百点とったってそれが何になる?じぶんが百点になるそれが本当の優しさじぶんって何?語りつづけているあなたが涙にくれるときあなたがほほえむときあなたが苦痛にたえるときあなたが一冊の本にときめくときしあわせであろうと誰かにあわせるためじゃなくただしあわせであろうと声なき声をことばにかえてあなたに届けようとしているそれが本当のじぶんいつだってじぶんはテストされているこのじぶんをしあわせにせよと生きる意味なんてなかっただからじぶんで作っていくのだとしあわせであろうと
今日から3月ですが、先月の教育テレビの「100分で名著」は、北條民雄の「いのちの初夜」でした。自室のテレビは調子が悪いままで、第一回の放送しか見れませんでしたが、テキストを買って読みました。講師は中江有里さん。角川文庫の「いのちの初夜」を読んだのは、2021年の12月でした。翌年の2月に、この「北條民雄集」が発売され、買っていました。テキストと合わせて読みました。こちらには角川版にはない日記や童話や書簡が収められており、小説だけではなく、人間としての北條の理解を深められた。国立ハンセン病記念館の裏にあるソメイヨシノたちが咲く頃、また全生園に行こうと思います。今度は、桜見物だけでなく、記念館にも納骨堂にも行く。そこまで北條に傾倒してしまう自分とはなんなのか?東村山という、彼が「隔離」された施設がある土地に住...北條民雄集
そして、熊本は文学の街でもありました。これも仙台と似ていて、私が引かれた大きな理由だったと、行ってみてわかりました。泊まったホテルの600メートルくらい先に、かつて夏目漱石が暮らしていた家が残っていました。その日は4時半まで公開されていて、入場無料、さらに解説してくれる方もおりました。フルマラソンの後だったのですが、間に合ってよかった。先人の作家の家に遊びに行くのは3軒目でしょうか。調布にある武者小路実篤、津軽の太宰治、そして熊本時代の夏目漱石。英語教師として四国の松山に赴任した後、熊本の五校の教師となり、4年も暮らしていた。その後、イギリスに留学。熊本時代、結婚して子供も産まれた。寺田寅彦が五校の生徒で、泊めてくれと懇願されたこともあった。大型犬を飼っていたとは知らなかった。その犬、通行人に噛みついて警...夏目漱石の家
熊本に行ってきました。熊本城マラソンに参加するためですが、それだけでもありません。熊本にも、大きな地震がありました。熊本城は、離れてみれば復旧したようですが、石垣など、まだまだ立て直しに時間がかかります。天守閣も登りました。登ったのですが、そこに至るまで特別に橋がかかっていて、なんとも痛ましい。それでも、難攻不落の城。熊本は城下町です。熊本城は、市民のシンボルなのかもしれません。ビルの合間からその姿が見えれば、つい見てしまう。富士山みたいに。宝物。見ているだけでなんかほっとする。私の泊まったホテルは、客室からばっちりその姿が見えました。なんか、やっぱ似てるなあと思った。仙台と。仙台も城下町で、もう天守閣はないけど、川に囲まれた天然の要害。戦中は軍の要でもあった。何を食べても美味しかった。水が、すべて天然水...熊本城へ
この本を読まない、という選択肢はありませんでした。芥川賞受賞が決まって、やっと入荷した三冊のうち一冊を取り置き、その日買って帰りました。仙台生まれ仙台育ちで仙台で書店員をしている方が書いたという。タイトルと表紙を見れば、およそ中身の想像はつくでしょうか。読んでみて、想像を越えていた。いや、何を期待していたのだろう?綴られていたのは、本人がインタビューで言っていたように、「見えて聞こえてくるものをそのまま」。ロードムービーのよう。主人公の裕治は四十歳で植木職人。母と同居し、男の子を一人で育てている。その子の母だった人は亡くなっていた。「災厄」の後、体調を崩してインフルエンザに罹って。同級生の紹介で再婚もした。けど破綻。その壊れ方のきっかけがまた悲惨で、流産というもの。裕治は、離婚した後も再婚相手に連絡を取ろ...荒地の家族