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きくちゃん
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住所
東村山市
出身
小金井市
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2013/04/27

  • 椿の海の記

    少しずつ読み進めていました。また、ゆっくりとしか読めない本でもあります。石牟礼道子さんの4歳のときの体験記、なのですが、『苦海浄土』と同様に文体が独特で比類がありません。エッセイでもなく、あえて言えば詩と小説が混ざったもの。音楽で言えば「交響詩」でしょうか。とにかく4歳のときをこんなにも記憶しているのかと驚きます。近くにあった「娼家」のこと。そこに務める女性たちを「淫売」と呼ぶ人の「淫売」に込められた気持ちを読み、それによって大人への好悪を決めていたこと。一番美しいと言われていた子が殺されたこと。「娼家」から聞こえた「おかあさーん」という声。自ら花魁の格好をして、道を練り歩いたこと。髪結さんが「トーキョー」へ行こうと試みたけれど、親に連れ戻されたこと。深く焼酎を飲んだ父から杯を受け、飲み、1週間に渡って吐...椿の海の記

  • 白い紫陽花

    アナベルが咲いていました。花言葉は「辛抱強い愛」。私の好きな花の一つです。白い紫陽花

  • 6月の富士山

    毎週土曜日は朝ラン。いつもの多摩湖堤防で、富士山が見えました。6月に見えるのはほんと珍しいです。いいことあるかもしれません。6月の富士山

  • しずかなところはどこにある?

    大きな耳を持ったキツネが主人公。キツネは、大きな音が苦手でもありました。穴を掘って、掘って、地中深くに静かに暮らしていました。住んでいる森は大きな音でいっぱいだったから。大きな音にいつもびくびくしている自分が見られるのを恥ずかしく思ってもいました。そんなある日、キツネは静かなところを探そうと勇気を出して森に出かけました。意外と身近なところにあるんじゃないかなあ?すると、見つかりました。あちらにもこちらにも。「どくのあるベニテングタケのかさのした」「そっととじためのおく」「はっぱのうえでそろりとうごくガガンボ」「よつばのクローバーがはさまれたほんのページ」「ひとやすみしているちょうちょのしょっかくのさきっちょ」「めがさめてしんしんとゆきのふるあさ」キツネは、さらに見つけた。「おもいでのなか」「すずらんのかお...しずかなところはどこにある?

  • 被災物 モノ語りは増殖する

    一昨年の秋、宮城県の気仙沼に行きました。そのとき、時間が足りずに行けなかった場所がありました。次回は必ず行く予定にしている「リアス・アーク美術館」。この本の新刊案内を見たとき、だから目が止まりました。そして注文していました。しばらく店に置いていたのですが、自分が読みたくなったので買いました。読むときが来たわけですが、書いている小説に「被災物」が出てきたので。というか、この本を読んでわかったのですが、私もまた被災物という呼び水に触発されて、小さな物語を紡ぎ出したのだと。「被災物」とはなんでしょうか?「被災者」という言葉があります。人が震災にあったとき、その人を被災者と呼びます。同じように、物が被災したとき、その物を被災物と呼ぶようにしたのです。「瓦礫(ガレキ)」という言葉がやたらと使われました。人々の経験し...被災物モノ語りは増殖する

  • ペロー童話集

    この本は、花巻の林風舎で買い求めたものです。林風舎は、宮沢賢治の親戚の方が営まれているお店で駅のすぐ近くにあります。私も行きました。一階は土産物中心で、絵葉書や衣類や複製原稿やしおりや工芸品などが販売されています。私は絵葉書と「デクノボーこけし」を買いました。そのとき店員さんと少し雑談しました。二階がカフェで、ちょうどピアノの生演奏もしているのでぜひどうぞと言われ、二階へ。賢治の肖像画の近くで、ピアノの演奏に体を酔わせながら、ロールケーキとコーヒーをいただく、という貴重な時間を過ごしました。会計後、書籍もあったので見ました。宮沢賢治の記念館と似たような並びでしたが、この「ペロー童話集」は記念館にはなく、目が留まりました。で買うとき、店員さんに聞いてみました。「なんでこの本が置いてあるのですか?」と。「天沢...ペロー童話集

  • あやとりの記

    この本は、昨年熊本に行ったとき買い求めたものです。この本の中身をどう伝えたらいいのか、しばし想いに耽りました。適当な言葉を私は持っていないというか、どう言っても嘘になりそうだ、というか。なので著者の「あとがき」から引用します。「九州の南の方を舞台としていますが、高速道路に副(そ)う情けない都市のあそこここにも立って、彼岸(むこう)をみつめ、”時間よ戻れ”と呪文を唱えたのです。どこもかしこもコンクリートで塗り固めた、近代建築の間や、谷間の跡などから、昔の時間が美しい水のように流れて来て、あのひとたちの世界が、現代の景色を透けさせながらあらわれました」物語の中で視点となっている「みっちん」は、5〜6歳の女の子でしょうか。著者の姿と思われます。みっちんの祖母と思われる「おもかさま」は、目が見えず、魂が遠くに行っ...あやとりの記

  • 宮沢賢治のこと

    私が花巻に行きたかったのは、そこが宮沢賢治の故郷だからでした。大宮から東北新幹線に乗って、よく降りる仙台でもなく一関でもなく、新花巻まで北上して初めて下車。胸がどきどきしていました。改札口を出ると、左に売店、右に食堂。右奥にコインロッカーとお手洗い。正面奥に観光案内所と、大谷翔平選手をはじめとした花巻ゆかりの野球選手たちのグローブやスパイク、ユニフォームなどの展示コーナーがありました。ロッカーに荷物を預け、まずは野球選手たちの備品を眺める。大谷選手のスパイクのデカさに驚きました。で、観光案内所で、宮沢賢治の記念館に行きたいのですが、と相談すると、係の人は親切に地図とバス・電車の時刻表を手渡し教えてくれました。記念館にはバスで行けるのですが、本数は少ない。ちょうどいいバスがなかったので帽子を被り、歩いていく...宮沢賢治のこと

  • イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会

    4月28日の日曜日、岩手県の花巻を走りました。初参加です。ツーショットしてもらったのは、地元花巻の「フラワーロール」ちゃん。高校生たちでしょうか。スマホ持って近づいたら「撮ります?」と声をかけていただき、「お願いします!」と。ちなみに参加賞のTシャツにもフラワーロールちゃんは描かれており、レース後に着て町を歩くほど気に入ってしまいました。全国のマラソン大会のエントリー情報をいつもチェックしているのですが、この大会を見たとき、胸が高鳴りました。心は「出たい」と言っていたし、足は「走りたい」と訴えてもいましたので、すぐエントリーしていました。花巻でマラソン大会が行われていることも知りませんでした。今年で12回目です。花巻に引かれたのは、もちろん宮沢賢治の故郷だからです。賢治のことは、後で書きます。当日は晴れ。...イーハトーブ花巻ハーフマラソン大会

  • 矢車菊

    この花、本当に好き。繊細ですがまっすぐ立ちます。いろんな色を持っています。矢車菊

  • 花水木

    桜の返礼でアメリカから来た。独特な葉と花の模様。ずっと見ていられる。花水木

  • 私の名前は

    雑草じゃなくて春紫苑です。私の名前は

  • サクラ散ってもタンポポが

    花は桜だけじゃないよサクラ散ってもタンポポが

  • 高知から花巻へ

    高知龍馬マラソンからもう2ヶ月が経ちました。そのときの写真をあげておきます。フルマラソンの後は、当然のことながら疲れが出ます。回復するまで約1ヶ月はかかるのではないでしょうか。私の感覚ですが。働きながらでもあるので、個人差はもちろんあるでしょう。その間、書店では棚卸しがあり、そのための整理があり、春休みになって接客に追われつつ、年度末で納品も増え、さらには杉花粉で自由を奪われ。結構大変でした。それらを無事乗り越えて、春。最近の新緑の美しさには、改めて目を奪われます。杉花粉もおさまって、穏やかな天候の下で、痛みもなく思い切り走って、おいしい空気を胸いっぱい吸えるのは、本当に心地よく、生き返る思いです。その中で出会った花々の写真は、後でまとめてあげます。で、次の大会が1週間後に迫ってきました。初めて参加します...高知から花巻へ

  • わかちあう

    こちらも柳瀬川沿いの桜並木。右手前にお花見の席取りのシートが置いてあります。小道の奥には小さくなってしまいましたが、人が写っています。カメラを向ける奥様と、その旦那様でしょうか。東京都写真美術館で木村伊兵衛の没後50年を記念した写真展を開催中(5月12日まで)です。観てきたのですが、実に人々の表情が生き生きとしています。さりげなくて、誰もポーズをしていなくて。それで思ったのです。ああ、人を写すのもいいなあと。なのでこれからの写真には人が入ってくるかもしれません。さりげなく。わかちあう

  • 新学期、今年は何をしましょうか?

    こちらは、お隣の清瀬市にある柳瀬川沿いの桜並木。この季節、ここを走るのは格別です。この土日で春休み終わりという方々も多いのではないでしょうか。いくつになっても気が引き締まる思いです。やるべきことは明確になっています。とにかく、小説を仕上げる!今年度中に、必ず。次の作品の準備もしていたい。来年の今頃どうしているか、胸に思い描いて走り抜けました。新学期、今年は何をしましょうか?

  • たくましく

    こちらは市内(東京都東村山市)にある多磨全生園内のさくら公園。奥の建物は、国立ハンセン病資料館です。右手前のさくらは、毎年見ずにはいられない古木。見るたびに感動します。今年は新芽を出していた!たくましく

  • 今年もやってきたよ

    近くの川沿いの公園で。今年もやってきたことを告げるように、枝先が私に向かって伸びていました。今年もやってきたよ

  • 祖さまの草の邑

    石牟礼道子さんの詩集。タイトルは、「おやさまのくさのむら」と読みます。祖さまというのは、連綿と続いてきた命そのもののことかもしれません。生き物のそれぞれが音を持っている。耳を傾けることのできる人は、自然の交響曲を楽しむことができる。この辺りの描写は、ミヒャエル・エンデの「モモ」(岩波書店)を思い出しました。マイスター・ホラに連れられて、モモは「時間の花」を見ます。そこでは豊かな音楽が流れていました。人々は、自然の中で生きていました。そこに「会社(チッソ)」がやってきた。護岸工事をし、渚をコンクリートで固めてしまった。渚は、海と陸とが呼吸をするところ。小さな貝たちや、タコの赤ちゃんたちがたくさんいた。近代化の名の下に、壁を作っていったのは人間。電気に化学肥料にビニール。どれも欠かせなくなった。一方で、不要と...祖さまの草の邑

  • なみだふるはな

    作家の石牟礼道子さんと写真家の藤原新也さんの対談。対談されたのは2011年6月13日からの3日間。熊本市の石牟礼さんの自宅で。この本が刊行されたのは2012年3月。東日本大震災から1年を待っていたかのように。昨年、熊本城マラソンに参加しましたが、泊まったホテルのすぐ近くにあった古書店・舒文堂(じょぶんどう)河島書店で入手しました。私もまた1年寝かせていました。再び3・11が巡ってきて「読もう!」と思い立ちました。読み進めていくうちに、閉塞感が募っていきます。歴史は繰り返す。水俣で起きたことが、そっくり福島でも繰り返されて。どのようにして水俣病を発生させた会社「チッソ」が水俣に入ったのか、石牟礼さんの語りによって解き明かされていきます。まずは「電気」だったそうです。それは会社のための電気(チッソははじめ水力...なみだふるはな

  • もう一年

    この写真は、2022年11月7日、宮城県気仙沼市の大島にある亀山山頂から撮ったものです。今年も3.11が来ました。もう13年になりますが、あの日は昨日のことのようです。その日を意識し始めると、変に肩に力が入って、鼓動も早くなる。落ち着かなくなって、書きたくなります。様々なことを思い出します。現地に行って撮った写真も見返していました。この写真の左手前の砂浜は田中浜、その上は小田の浜、田中浜の右側にある湾が浦の浜です。田中浜から上陸した津波は、坂を乗り越え、浦の浜からの津波と合流したそうです。浦の浜近くで料理屋を営んでいた私のおじさんは、間一髪で津波から逃げることができました。お店の片付けをしていたと言います。山に逃げていた人に声をかけられて、助かりました。しかし、災難はそれだけに止まりませんでした。気仙沼湾...もう一年

  • 怪談

    この本が読みたくなったのは、毎日新聞の連載「没後120年・八雲を探して」を読んで。有名な「雪女」は、今の東京・青梅市の百姓が八雲に語った話で、意外と近いじゃんと思ったり、島根県・松江の海沿いにある自然洞窟に亡くなった子たちが集まっているという話が今でも伝わっていたり。その連載でも紹介されていましたが、八雲の夫人・節の話にも興味が湧きました。私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。229ページ15行-230ページ3行八雲は、聞いた話をただそのまま書き写していたのではありませんでした。換骨奪胎というのでしょうか。どこにでもあるようなちょ...怪談

  • 牧野植物園

    高知3日目は、牧野植物園へ。その日は朝から細かい雨が降ったり止んだり。高知は多雨の街でもあります。バスで行くのですが、これも予想を超える激坂。五台山にあるのですが、完全に山道です。一方通行で、バスだと道幅もぎりぎり。運転手さんたちの仕事があってこその旅だと、改めて感じました。門を入ると、もう植物を紹介する案内板が所狭しと立てられています。一つ一つ、丁寧に。全部読んでいったら、とても時間が足りません。その中でも目についたのがこちらです。バイカオウレン。牧野さんの生家の裏庭に生えていたそうで、ふるさとを思い出させる特別な植物であり続けたそうです。順番に植物たちを眺めながら、チケットを買って、いよいよ植物園の中へ。まず「こんこん山広場」という頂上付近に上がって眺望を楽しみます。次に降りて少し行くと「土佐寒蘭セン...牧野植物園

  • 高知龍馬マラソン

    11回目のフルマラソンは高知龍馬マラソン。スタート時は曇りでしたが、後半ほど晴れ渡り、予想通り気温が上がりました。海に出るまでは順調でした。でも、走って3キロほどでもう汗が出ていたので、水分補給はしっかりと意識して。海に出るまで4つくらいでしょうか、トンネルを潜りました。トンネルの中はひんやりとしていて快適でした。20キロ付近、1番目の難関が現れました。浦戸大橋です。警戒はしていましたが、想像を超えていました。まだ上がるんかい!今まで経験したことのない角度と距離。約50メートル、急な上りが続きます。歩いていたランナーもちらほら。しかし、私は根性で走り切りました。私は粘り強いタイプ(良くも悪くも)ですから。頂上では太平洋が一望できます。下りると、海岸沿いの道を西へ。海岸沿いにも応援の方達が切れ目なくいてくれ...高知龍馬マラソン

  • 高知へ

    高知に行ってきました。写真は高知城です。初めての四国でもありました。行きは新幹線とバスで。岡山から「龍馬エクスプレス」という高速バスに乗り換えます。今かな今かなと地図を見ながら、お目当ての一つであるものがついに現れました。瀬戸大橋です。写真は瀬戸大橋から見た瀬戸内海。不思議ですよね。山なのです。なのに海。後日少し調べました。今から約1400万年前、「瀬戸内火山活動」と呼ばれる短期間の激しい火山活動がありました。そのとき噴火したものが山となって残っている。さらに約300万年前、四国を南北に分ける中央構造線が横に動いたため、横ずれの「しわ」として隆起したところが後で島になった。今の瀬戸内海となったのは約1万年前と言われています。瀬戸大橋を渡っていよいよ四国の香川県へ。山々を縫うように西へ。愛媛県に入って、大き...高知へ

  • シェイクスピアの記憶

    「ボルヘスは旅に値する」と言われます。最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」さらにはこんなことも。「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」この言葉を聞いて、私も救われました。そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれ...シェイクスピアの記憶

  • 変化は痛みを伴う

    昨日は関東も大雪でした。仕事で、帰りの電車は少しずつしか進みません。通常の2倍はかかったでしょうか。今日は、もうずいぶん雪も溶けています。車を出すのも問題はなさそうです。写真は先日の晴れの日のものです。年末年始の書店は大忙しでした。それだけお客さんが来てくれたので良かった。とは言え、疲れます。冬休みが終わってひと段落したころ、やっと温泉だ!と喜んでいつものところに行きました。温泉と岩盤浴と。美味しいものもいただいて、ゆっくりと心身を温めてほぐして伸ばして。はあー疲れとれたー。でも次の日、右ふくらはぎが痛いのです。それは秋からの古傷でした。11月5日の東北・みやぎ復興マラソン。その前の練習から右ふくらはぎを痛めており、レース当日、20キロ手前の陸橋を登っているとき、「ブチッ」と言いました。あの恐ろしい音は今...変化は痛みを伴う

  • いちばん長い夜に

    仙台の3・11メモリアル交流館で出会った3冊目。前科があり、刑務所での刑期を終え、出所後、再会してはいけない規則を破って再会し、東京の根津でひっそり身を寄せ合って暮らす芭子(はこ)と綾香の物語。連作の短編集で、シリーズとしては三作目のようですが、この本だけでも十分楽しめました。綾香は40代後半、芭子は30代入ったばかり。綾香はパン職人として自立するために街のパン屋で朝早くから働いている。芭子は、なかなか進路が定まらなかったけど、祖母の残した古民家で、あそこ(刑務所)で身につけた裁縫の技術を生かし、ペットショップで働きつつ、ペット用の服をオーダーメードで作る仕事を始めていた。世間知らずの芭子に、元主婦でもあった綾香は料理や身の回りのことや銀杏のことなど、教えられることはなんでも教えていた。綾香があっての芭子...いちばん長い夜に

  • また次の春へ

    明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。と、言っておきながら、気持ちは沈みます。「明けなければよかった」と、思っている人たちもいるでしょう。正月の16時に震度7とは。翌日に羽田空港での事故。震災がなかったら。なぜ、私が?こんなとき、田村隆一の詩の一節を思い出します。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」の冒頭です)人は言葉を覚えたから、意味を探す。でも、その地震は言葉を持っていない。人は、物語っていくしかない。語って語って、やっと受け入れ難いものを少しずつ消化していく。言葉があるからこそ苦しみ、言葉があるからこそ救われる。実際には、言葉にできないことの方が多いかもしれません。それでもアートやスポーツや、あらゆる手仕事に、気持ちを託すこともできます。この本は、年末に少しずつ読んで...また次の春へ

  • 小さな幸せ

    先週の土曜日、朝7時半くらいでしょうか、起きると世界が回っていました。左から右へ、エンドレス。何とかトイレは済ませましたが、立っていられません。気持ち悪くもなり、また横になる。気持ち悪さがすぎると、冷や汗が。それもすぎて落ち着くと、無性に眠くなって眠る。それを5回くらい繰り返したのでしょうか。やっと起きて歩けるようになったのは13時を過ぎていました。お腹は減っているのですが、ほとんど食べられず(トマトとりんごは食べられました)、14時過ぎに病院へ。めまいでした。月曜の午前に耳鼻科にも行き、いくつか検査してもらいました。結果、「良性発作性頭位めまい症」とのこと。耳にある「耳石」というカルシウムの小さな粒が剥がれ落ち、三半規管に迷い込むことで生じます。原因はよくわかっていませんが、年のせいとも、ストレスのせい...小さな幸せ

  • 潮の音、空の青、海の詩

    この本は、「せんだい3.11メモリアル交流館」で出会った一冊です。「せんだいメモリアル交流館」は、地下鉄東西線荒井駅と隣接しています。2度目の訪問でしたが、早朝に出発していた今回は時間に余裕があり、館内を見回すことができ、この本棚を発見することができました。その後、仙台の大学の先輩が営業している古本とコヒーのお店「マゼラン」で上の写真を見せると、「潮の音、空の青、海の詩」はあるとのこと。ただし、仙台の老舗の書店「金港堂」で開催されている古本市に、売れてなければ。で、歩いて金港堂へ。ありました。そんな流れで出会って、手に入れた本。旅に出たからこそ出会えたと言えます。たぶん、まだ文庫になってないから、その存在自体を知りませんでした。熊谷さんの作品はよく読んでいるのに。仙台から帰って、読みかけの本を読み終えてか...潮の音、空の青、海の詩

  • 水深五尋

    第二次世界大戦下のイギリスの小さな港町が舞台。16歳のチャスは、港で行われている戦闘に興味津々。港には大砲とサーチライト。湾には護衛船団にタグボート。それに、重要な貨物を積んだ船を狙い撃ちにするドイツのUボートと呼ばれる潜水艦が潜んでいる。そのUボートがくせもので、なかなか捕まえることができず、貨物船を沈めらているイギリス側は頭を悩ませていました。あるとき、チャスは川岸に打ち上げられた不審なボウルを発見する。自宅に持ち帰って調べると、暗号らしきメモとバッテリーと時計と発信機が入っていました。チャスは、この発信機の入ったボウルは、スパイが川に流して、Uボートに機密情報を伝えていたのだと推測します。チャスは、まだ16歳だけど、だからこそなのか、対ドイツの戦いに勝つために貢献したくて仕方ない。だから彼は、スパイ...水深五尋

  • 東北・みやぎ復興マラソン2023

    記念すべき、10回目のフルマラソンでした。ちょっとおさらいしてみたら、実は11回目の参加でした。というのは、一度だけ、完走できなかった大会があります。2015年の「さいたま」でした。埼玉から世界へ、と大会は高らかにうたっており、関門の制限時間が厳しかったのです。私は確か、35キロ付近でしたか、突如現れたバリケードによって、人生初、無念の強制DNF(DONOTFINISH)。屈辱的な出来事は、思い出したくないのかもしれません……。さて、当日は曇り、気温は15度くらいで湿度が80%。北西の風が2メートルくらい。走りやすかったけど、湿度が高かったのですぐに汗をかきました。汗をかいたのは、湿度のためだけじゃありません。実は、足を痛めていたのです。いつ痛くなるか、ヒヤヒヤしていました。右のふくらはぎ。当日は痛みはな...東北・みやぎ復興マラソン2023

  • 2度目の荒浜へ

    昨年の5月に続いて、2度目の宮城県仙台市、荒浜へ。昨年は海からの風がものすごくて、時間もあまりなく、急足になってしまっていました。今回は昼には入って、じっくりと見て、聞いて、感じ取ることができました。風は穏やかで、ほんの少しの小雨程度。写真は、荒浜の海です。とても美しかった。荒浜小学校の中も、改めて、じっくりと。明治時代から、140年以上もの歴史がある荒浜小学校。荒れる海は豊かな漁場。松林にはキノコがたくさん生え、貞山堀と呼ばれる運河にはシジミがいっぱい。江戸時代、侍たちが開拓した農地にはコメも実った。先祖への感謝の思いを新たにし、未来への希望を込めた祈りを捧げる灯籠流し。深沼海水浴場には多くの客たちであふれた。独特の文化を築き上げ、活気と人情に満ちた町。7メートルの津波。やっぱり信じられませんが、この震...2度目の荒浜へ

  • 思考の取引 書物と書店と

    昨日の10月27日から読書週間が始まりました(11月9日までの2週間)。合わせて神田古本まつりも開催されています(11月3日までの1週間)。読書週間は、1947年から始まっているそうです。戦後の混乱の中、「読書の力によって平和な文化国家を作ろう!」と、出版社、取次、書店、図書館、新聞に放送も協力して始まりました。今では文化の日を中心として前後2週間となっています。神田古本まつりも、今年で63回を数えます。「読書の力によって平和な文化国家」は、作られてきたのでしょうか?少なくとも、日本で戦争は起きていません。でも、平和を作るのも保つのも発展させるのも、多くの人たちが汗をかいて働かないことには実現しません。油断していれば、あちこちで紛争は起きます。ヘルマン・ヘッセという作家。この人は私にとって、夏目漱石ととも...思考の取引書物と書店と

  • コメンテーター

    伊良部シリーズは17年ぶりになるのですね。「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「町長選挙」(いずれも文春文庫)。「空中ブランコ」で直木賞を射止めています。伊良部は精神科医。得意分野はパニック障害や社交不安障害、広場恐怖症などの神経症全般。前三作は読みました。電車で笑ってしまった唯一の小説かもしれません。新作を見かけるなり「買う」と即決していました。伊良部も進化していました。伊良部だけでなく、看護師のマユミも。伊良部は、さらに肥えていたかもしれません。行動療法のプログラムを組むと言っては、患者たちと外に出かける。喫煙場所ではない場所でタバコをふかす人に注意せよ、とか、狭い場所に長時間いることができない人をヘリコプターに乗せて飛ぶ、とか、特定の人と関わることが怖い人たち(男子たち)にコスプレ(メイドカフェの衣...コメンテーター

  • 踏切の幽霊

    「幽霊塔」に続いては、「踏切の幽霊」。先の直木賞候補作。残念ながら受賞には至りませんでした。というのは、著者の「幽霊人命救助隊」(文春文庫)を4年半前に読んでおり、感動していたから。その本は、今でも働く本屋で売り続けています。今回は、正直、前回よりも「感動」はしなかった。感動するのは、おそらく、自分を作る大事な一部と重なるから。その意味で、この作品は、どうも共感できるところが少なかったように感じました。それが直木賞受賞作との差なのかはわかりませんが。下北沢付近の踏切内に幽霊が現れ、よく電車が急ブレーキをかけて止まっていました。その原因を探るべく、新聞記者から妻の死をきっかけに女性誌記者へと転職していた松田が担当になる。妻の死への自責の念を持ち、人生にやる気を失っていた松田は、妻が今も自分の近くにいる証を求...踏切の幽霊

  • 幽霊塔

    江戸川乱歩は、小学生以来でしょうか。映画「君たちはどう生きるか」に導かれて。表紙の女性、映画に出てくる夏子にそっくりです。幽霊塔とその前の沼も。幽霊塔では、この女性、秋子と言います。夏子も出てきますが、この女性とはまるで違うような醜さとなって。宮崎監督の漫画が、最初から16ページ載っています。そこに描かれていますが、幽霊塔は、江戸川乱歩の前に黒岩涙香(るいこう)が描いていました。その涙香も、イギリスのウイリアムソンが描いた「灰色の女」を元にして日本に合うようにして紹介していました。この辺りはゲーテの「ファウスト」に似ています。ファウストも、元々はよく舞台で演じられていた演目をゲーテが自分流に料理したものでした。宮崎監督の印象的な言葉がありましたので引用しておきます。漫画の最後のページです。「みたまえ、幽霊...幽霊塔

  • 西の魔女は死んだ

    もう少し梨木さんを読みたくなり、定番に手が伸びました。今年もですが、毎年夏に展開する「新潮文庫の100冊」の常連。この本が入らなかった年はなかったのではないでしょうか。この本には思い出もあります。私が池袋の本屋の人文書にいたとき、もう15年くらい前になりますが、そのとき一緒に働いていた同僚の一人に、この本を激推ししていた人がいました。そのときは「ふーん」くらいで読む気にはならなかった。15年も経てば、当時の書店のラインナップから消えていく本たちの方が多いかもしれません。でも、この本は生き続けています。文庫本として発売されたのは平成13年8月と奥付(本の一番最後のページ)に書いてあります。それからなんと100刷。100回増刷されています。平成13年は2001年のことで、今から22年前。当時、私は24歳で、大...西の魔女は死んだ

  • 僕は、そして僕たちはどう生きるか

    「君たちはどう生きるか」に続いて読みたくなった本。この小説にも「コペル君」と呼ばれる中学生が登場します。それだけでなく、著者の梨木香歩さんを読みたくなったのは、別冊太陽の「河合隼雄たましいに向き合う」を読んだからでもあります。この本に、梨木さんの文章も寄せられています。今日もそうでしたが、あまりにも暑くて疲れて何もする気がわかないとき、ぱらぱらとめくって好きなところから読みました。河合隼雄さんは、2006年の8月に脳梗塞で倒れられました。そのまま意識が戻らず、翌年の7月に亡くなりました。2006年8月は、このブログを始めたときでもあって、それからもう17年。この本と働く本屋で出会って、買わないわけにはいかなかった。それだけ私は河合隼雄の影響を受けていました。「影響を受ける」というより、こんがらがった自分を...僕は、そして僕たちはどう生きるか

  • 夏の思い出

    今、これを書いている机から、顔を上げればスーパームーン(今年一番大きく見える月)が、窓の外に見えています。見るたびに、少しずつ、右上に移っています。今年の夏、暑かった。都心での猛暑日は22回を数え、最多記録を更新中。それでも今月は83キロ走った。これは朝ランができるようになったことが大きいです。7時前くらいに出ても、気温27度、湿度90%だったりもしますが。今日は風が涼しく感じられました。ほんの少しだけかもしれないけど、確かに秋は近づいている。私は冬生まれ、東北人ということもあり、暑いのは苦手です。7月から8月は、ほんと魔のときと言ってもいいくらい。今年の東北に北海道も暑かった。まだまだ続いていますが、心身ともに堪えている人たち多いのではないでしょうか。私は都会の夏が本当に嫌いだった。私にとっての都会は、...夏の思い出

  • 君たちはどう生きるか

    映画「君たちはどう生きるか」を観たら、この本も読みたくなりました。再読のはずなのですが、細部を覚えておらず、記録にも残ってないので、20年近く前だったのかもしれません。こんなに泣ける話だとは思ってなかった。少なくとも3度はグッときました。この本の素晴らしいところは、コペル君と呼ばれる主人公が中学校生活を送る中で経験する出来事と、コペル君の語りを聴いて受け止めるおじさんの伝えたいことが見事に融合しているところです。そんな本は他にないでしょう。だから超ロングセラーとなって売れ続けています。基本的には、これからを生きる若い世代に「これだけは」伝えておきたい大切なことが詰まっています。何が大事なのかは、読むそれぞれの人が感じ取って、大事に育てていくしかありません。私がここでおせっかいにも「これとこれとこれ」などと...君たちはどう生きるか

  • ぼくは満員電車で原爆を浴びた

    今日はもう一冊。明日の8月6日は、78回目の広島原爆の日。当時11歳だった一人の少年が、原爆の爆破地点から1キロ以内にいたにも関わらず生き残りました。その人は米澤鐡志(てつし)さん。自身の体験を語り伝えてきました。その少年は路面電車に乗っていました。疎開先からお母さんとともに、広島の祖父母のところへ足りないものを取りに行くために。その日は月曜日で、仕事に行く人などで朝の路面電車は超満員だった。その真ん中付近で、彼は人々に埋もれていた。そのことが、彼を救うことになった。ピカッと光った後の静寂。静寂の後の地獄。35度でひいひい言っているのに、地面は3000度以上になったという。原爆は100万度。78年前、現実にあったことだけど、信じられない。信じたくもない。と思うから、歴史は歪曲されてきたのかもしれません。少...ぼくは満員電車で原爆を浴びた

  • 伝奇集

    精巧な、あまりにも精巧な作品集。こんなに完成度の高い短編を読んだことはありませんでした。著者のボルヘスはアルゼンチンの人。リョサもそうだったけど、南米の作家の描くものはちょっと違う。アメリカ、ヨーロッパから日本まで続くシルクロードから外れているからか、馴染みのない文体だったり構成だったりする。その違いが新鮮で、ときに強烈で、面白く感じます。ボルヘスの後に、ガルシア・マルケスだったりリョサだったりが続く。その意味で、ボルヘスは大事な人。この作品集は1944年に刊行されています。代表的と言われている「円環の廃墟」と「バベルの図書館」、さらに個人的には一番良かった「隠された奇跡」をそれぞれ2回読みました。読むたびに味わいが変わってくる。まるで万華鏡のよう。東京国立博物館で観た国宝たちも思い出しました。特に、「硯...伝奇集

  • 君たちはどう生きるか

    梅雨明けから猛暑日が続いています。みなさま、暑中お見舞い申し上げます。土曜は朝ラン。で、五時半には起きて、七時前から走り始めましたが、滝汗。10キロ走るのがやっとでした。家の近くには八国山という小さな山があります。山の中は緑がいっぱいで、尾根を中心に走ることもできます。夏場ほど、この山、森、木々のありがたさを強く感じます。強烈な日差しの下、火傷しそうなアスファルトの上を、木陰なしに走ることはもうできなくなってしまったから。その八国山は、映画「となりのトトロ」で登場する「七国山」のモデルです。監督の宮崎駿さんもその近くに住んでいらっしゃる。所沢、東村山界隈では、あちらこちらで監督の目撃情報がささやかれています。私にとっても、身近な創作者。1941年生まれなので父と同い年。で、私とは誕生日(1月5日)も同じで...君たちはどう生きるか

  • 緑の家

    作家が愛されるのは、作家が愛しているからだ、と、この長い小説を読み進むうちに思いました。愛された経験というのは忘れません。その人が亡くなっていたって関係ない。私の中では、ずっと、ありありと生きています。おばあちゃんとテレビで野球を観たことや、おじいちゃんが海で遊んでいる孫たちを見守っていたことや、おじさんがぶっ飛ばす小型の船に乗せてくれたことや、先生が私を受け止めてくれたこと、その他数え上げれば切りがありません。それらの決して消えない愛の一つ一つが、今の私を作っていると言って過言ではありません。作家は、作品を通じて、人々を愛している。登場人物に読者が感情移入するとき、その愛は読者に受け渡されている。そして読者の中に、大切な作品、大切な人物として残り、語り継がれ、生きていく。「緑の家」を読み始めたとき、戸惑...緑の家

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