ものごころついたときに、自分の人生は 「すでに余生」 だった。 数奇な人生を歩むことになったアラフィフおじさんが、残りの人生を生き直す日々に、ふとつぶやくためのブログです。
45歳からフルートを始めました。 3年ほどがむしゃらに練習をして、まだまだうまくなりたいと、練習場所確保のために防音室を借りました。 防音室にスペースがまだあったため実家に置きっぱなしにしていたピアノを入れたのですが…。 ピアノの世界に触れるにつけその広さと奥の深さに圧倒され、ピアノに夢中になってしまいました。 音楽について、そして人生について恥も外聞もなく熱く語っております。
私は小さい頃から大人からはあまり好かれないことが多かったが、まあ前回書いたようにこちらが大人をバカにしていたのだから、それは自業自得ということで特に問題じゃなかった。 自分が大人の仲間入りをしてからは、学校時代の先生との関係のように、上司・先輩と対立構造になるのかと思いきや、まったくそうそうではなかった。 もちろん、うまくいかない上司もいた。それは誰だっ…
世の中の人が、というよりも社会全体がもっとはっきり認識した方がいいと思うことは、肉体的な年齢とその人の魂の年齢は全然一致しないということかなと思う。 私が社会人になるまで学校が極度に嫌いだったのは、いつも同じ席に座らされて一方的に人の話を聞くだけ(特に日本の教育システムでは質問をしたりするのは嫌がられる、ただ聞いて覚えろというだけなので)ということもさることながら、た…
世の中の人が、というよりも社会全体がもっとはっきり認識した方がいいと思うことは、肉体的な年齢とその人の魂の年齢は全然一致しないということかなと思う。
いわゆる高次元の存在というものについては、いつだってその存在は確信はしているけれど、それがどういうものなのかはまったく知らないしわからない。この世にはまるでそれを見たかのように説明する人はいるけど、これまた人によって言うことが違っていたり、その人自身が胡散臭かったりで、真実にはおそらく触れられないだろうと思っている。 私のような人間が宗教に興味を持つのは当然のなりゆきだった。…
学生のときに自分はまともな社会人になれそうもないし、またその必要もないと思っていた。この世の経済的なシステムの中でまともにその構成員として生き抜くことになんの価値も意義も見出すことができなかった。 51になって、多少感じ方が変わったところはあっても、やはり基本的な考え方は変わらない。善くあること、より善くあろうとすることと、その人の社会的価値がなんら結びつかず、善良な人間が貧困…
人生は経験することに価値があると書いたのだが、人生で経験できるもっとも大きな出来事と言えば何だろうか。 そんなの人によって違うという人は多いだろうし、結婚や親になること、愛する人との別れなど、いろんな経験を挙げる人もいると思う。 でも、私はそれは「死」なんだろうと思う。 人間は誰しも死ぬことはわかっているのだけれど、それがいったい何なのか。死の…
日曜の午後、雨が降り出した。喫茶店で一服しながらのひと時。BGMはイベールのフルート協奏曲。言わずと知れた名曲中の名曲だ。特に第二楽章の神々しさは筆舌に尽くしがたい。人類の至宝とはこういうものを言うのだろう。ピアノやフルート、音楽のことはこのリニューアルしたブログでは極力書かないつもりなので、ここまでにするが、でも音楽を聴きつつ、喫茶店でコーヒーを飲み、人の行き来を眺めながら文章を打つこのひ…
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