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愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

ライフスタイルブログ / 生き方

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佐藤蓼丸
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2013/03/06

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  • 内向的感覚型の悪の凡庸さ 1

    確かに分別に従えば、長く根を下ろしてきた政府を一時の原因によって軽々に変えるべきでないということになるだろう。事実、あらゆる経験の示すところによれば、人類は害悪が忍びうるものである限り、慣れ親しんだ形を廃することによって非を正そうとするよりは、堪え忍ぼうとする傾向がある。➡ アメリカ独立宣言■私的タイプ論のためのノート【テキスト:新版 エニアグラム基礎編(角川書店)、ドン・リチャード・リソ 性格のタ...

  • TULSI 2020: Tulsi Gabbard Presidential Campaign, The ALOHA Launch - FULL SPEECH 5

    そして、私は自分が持っている時間をどのように最大限に活用しているのかを考えさせられた。これは、現代の私たちが直面している現実と似ています。変化を起こすためには、私たち一人ひとりが、「私益よりも奉仕を」「自分の利益よりも国民の利益を」という呼びかけに応えなければならない。私たちは、互いへの愛と祖国への愛に突き動かされ、立ち上がり、行動し、乗り越えます。 愛を弱さと勘違いしてはならない。愛ほど強い力...

  • TULSI 2020: Tulsi Gabbard Presidential Campaign, The ALOHA Launch - FULL SPEECH 4

    ナショナルジオグラフィックch「バークスキンズ」第4話 二元論 👇 神を知るためには・・・まず世界全体を知らなければならない。そして世界を知るには「二元論」を知らねばならない。つまり「対」だ。それがすべてを支配している・・・この世にあるものは、すべてが対となっている。必ず「対局」となるものが存在している。日の出は必ず前日の日没から始まり、すべての男は女から生まれる・・・戦争の計画は平時に・・・コインの表と裏と...

  • TULSI 2020: Tulsi Gabbard Presidential Campaign, The ALOHA Launch - FULL SPEECH 3

    ロバート・N・ベラー「心の習慣・アメリカ個人主義のゆくえ」1991年5月8日発行 みすず書房 より 👇 トクヴィルは、近代社会が自由の喪失へ向かうとすれば、その道筋の一つとなるのが「管理的専制」 ―― ときに彼はこれを「民主的専制」という逆説的用語で呼んでいる―― の出現であろうと考えた。彼の定義によれば、管理的専制とは「秩序だった、穏和にして平和的なる奴隷制度」といったものである。「それが外面的に自由の形態を取る...

  • TULSI 2020: Tulsi Gabbard Presidential Campaign, The ALOHA Launch - FULL SPEECH 2

    A.W.シェフ「嗜癖する社会」誠信書房 1993年2月20日 第一刷発行👇 私たちの社会は驚異的な速度で堕落しています。巨額の汚職や財政破綻などのニュー スが私たちの日常生活の一部になっています。テレビのニュースや新聞を通じて幼児ポ ルノの組織に子供が誘拐されるのを恐れたり、かかりつけの医者が患者を誘惑した話を耳にしたりします。酸性雨と公害によって地球は破壊され、核戦争による破滅が今にも起こりそうです。飢餓と戦...

  • TULSI 2020: Tulsi Gabbard Presidential Campaign, The ALOHA Launch - FULL SPEECH 1

    アロハ・スピリットとは、一人ひとりの中にある精神と魂の調和である。それは人々をを自己へと導く。人々は他者に対し思いやりを持つだけでなく、それを示さなければならない。(ハワイ州法 第5条7項5) 今日、この良き日にお集まりいただき感謝いたします。 ここハワイで育った私は、泳いだりサーフィンをしたり、この楽園で遊ぶことが大好きでした。しかし、私は成長するにつれ次第に、私は他の人たちのため、他の人たち...

  • 自分と出会う

    過去の新聞記事より👇■自分と出会う 八歳 誕生日の疑問 C・W・ニコル(作家) ぼくには叔父がいた。母の妹の夫だが、とにかく怖くて嫌いだった。英国陸軍でボクシングのチャンピオンになったこともあり、乱暴で情け容赦しないところがあった。母が病気でながらく療養している間、ぼくは祖父母に預けられた。叔父一家もそこで暮らしていて、ぼくは叔父の指図でいろんなつらい仕事をさせられた。 ある朝、ぼくは裏の台所からバ...

  • 世界を家として生きる 思考する冒険家の「生のエッセイ」

    C・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇(中略) あの繊細な青色と黄色としぶい茶色と、そして大胆なマルタ十字架のデザインがえも言われぬ美しさで浮かび上がってきた。わたしも連れの人たちも息を呑んだ。さらにもう少し蔦を刈りこんでゆくと、真ちゅうの碑板が現われた。わたしの連れは、この蔦かずらと時との陰に埋れていた、一人の人の人生の宣言を恐れつつしむように読み上げた。「昼は栄光の恵に浴して歩...

  • 自転車で清瀬の病院街を流し撮り/バーナード・リーチの日時計

    C・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇 駅へもどる間じゅう、わたしは子供のようにすすり泣いた。駅へ着くと、赤くなった目を隠すために新聞を買った。池袋へ帰る満員電車に揺られながら、わたしは腑抜けたようにチョコレート・ビスケ ットをかじった。ああ、このビスケットを老人のいれてくれる紅茶で味わったら、どんなにうまかったろうか!時はまたたく間に過ぎた。そして12年後、日本をさらに数回訪れ、...

  • 昭和48年制作 みんなの清瀬/バーナード・リーチの日時計

    C・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇 始めから一時間もしないうちにわたしはバーナード・リーチ氏と電話で話していた。わたしは仲老人のこと、老人の病気のこと、そして老人がバーナード・リーチ氏に逢いたがっていることを説明した。「参りましょう」と巨匠は答えた。「明日ね。道順を教えて下さい」。バーナード・リーチはその時8歳であった。有名な人だから当然非常に多忙で、しかも東京の滞在予定期間...

  • 清瀬駅周辺の風景(現在)/バーナード・リーチの日時計

    C・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇 時は駆け足で過ぎてゆくようであった。オリンピックが東京をわき立たせ、またたちまちに去った。1964年は終わりに近づいていた。ある日わたしが老人に逢いに行くと、一人の修道女がわたしを引き止め、老人が重病で衰弱しているから、あまり長居しないようにと言った。わたしが足音を忍ばせて老人 の部屋に入ると、老人は床の中に臥ていた。その姿はすっかりやつれて、弱...

  • 病院の街きよせ/バーナード・リーチの日時計

    *クリックで該当のページへC・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇 それは日時計になっていた。その日時計の盤は美しい陶器のタイルで出来ていて、ほんのりと茶色の掛かった黄色の地に、繊細な空色のマルタ十字架の模様が描かれていた。タイルの縁には小さな真ちゅうの文字がぐるりと填め込みになっていた。それは恐らくコンパスの方位か、あるいは一日の時刻の日本名を現わしているのであろうと思われた。そ...

  • 武蔵野鉄道開業と清瀬/バーナード・リーチの日時計

    (中略) 今までのわたしの半生に、とりわけて大きな姿を残した老人が二人いる。まず第一はわたしの祖父である。祖父は頑丈な、それでいて声のやさしい老ウエルズ人であった。(中略) わたしに深い影響を及ぼした第二の老人はイヌイット族のシャーマン(巫者)であった。この人は催眠術とテレパシーの力を備えた、本当に恐るべき老人であった。その人と知り合いになってから二十一年を経た今でも、その顔と声と、それからその通...

  • 結核と闘ったまち・清瀬/バーナードリーチの日時計

    *クリックで該当ページへ【結核と闘ったまち・清瀬】 (TVF2022応募作品)C・W・ニコル「バーナード・リーチの日時計」角川選書138👇 ブルー・マッグパイの濁み声が高い大枝の茂みからやかましく響いてきた。一腹の仔鳥どもが、もう自分で餌をあされるぐらいに育っているくせに、母親にうるさく餌をせがんでいる声であった。時折トラックが狭い道を唸りを上げて走り過ぎるが、わたしはそれには一切頓着しないで、鳥たちの鮮明な写...

  • 1972年札幌オリンピック/1972年のニュース

    1972年の主なニュース:https://www.aflo.com/ja/editorial-images/features/917(アフロ)👇1月-クイーン・エリザベス火災事故、北アイルランド血の日曜日事件、2月-横井庄一さん帰還、あさま山荘事件、札幌五輪開催、日の丸飛行隊が表彰台独占、ニクソン大統領中国訪問、3月-高松塚古墳で極彩色の壁画発見、4月-川端康成さん死去、5月-沖縄返還、千日デパート火災、テルアビブ空港乱射事件、6月-佐藤首相テレビ主導の退陣会見、ウ...

  • 1970年の東京/1968~1971年のニュース

    画像:デアゴスティーニ・ジャパン「週刊昭和タイムズ/1964年・昭和39年」(シリーズガイド)👇野田市立図書館:昭和45・1970年朝日新聞記事索引(野田市関連の記事)👇02月05日【東武野田線を複線化 会社沿線市町に協力要請】、03月01日【あまい処理基準・県は調査費も計上せず下水道対策】03月01日【よごされる江戸川水系 ニ・三年前から急激・軒並み高い数値を示す汚染度】03月11日【悪徳不動産業者三人取調べ】03月12日【住民...

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