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愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

佐藤蓼丸
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2013/03/06

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  • 妖怪

    石ノ森章太郎「鉄面探偵ゲン」第三巻 最終話【妖怪】👇「ピーナッツ」をくった日本の政治家の名まえもふくまれた・・・・・・・・アメリカでの ロッキード事件調査資料が・・・・・・・・この たてものの どこかにある―そいつを ぼくが・・・・・・・・ぬすみだす・・・・!■・・・・? あれ? 書けない・・・・。(画像をクリックで該当のページへ)...

  • 石の花 第6巻 p236、237

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」もっと極端なばあいには、人生をただ「かれ」をあやつることだけですごすこともある。 かれらの用いる方法はさまざまである。あるものは「服従」を、あるものは「善良さ」をもちいる。 またあるものは苦悩を操縦のためのおもな方法としている。そこではけっきょくどのような感覚、思考、感情も、「かれ」をあやつろうとする要求によって、色どられている。 いいかえるとそこには真に自発的な...

  • 石の花 第6巻 p142、143

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」サド・マゾヒズム的追求においては、この無能力の結果、ひとは魔術的助け手に依存して自己から逃れようとする。 いま論じている、よりおだやかな依存の形式では、無能力はただ指導され保護されたいという願望を導くだけである。魔術的助け手に関係しようとのぞむ強さは、個人の知的、感情的、感覚的可能性を自発的に表現する能力と反比例する。いいかえると、かれは自分の行動によってではな...

  • 石の花 第6巻 p137、138

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」私がここで考えているのは、その全生活をなんとはなしに自分の外側の力に関係させているようなひとびとのことである。かれらのなすこと、感じること、考えることで、この力と結びつかないものはない。かれらは「かれ」からの保護を期待し、「かれ」の世話を受けたいと願い、自分たちの行動によっておきたことでも、すべて「かれ」に責任をおわせている。またかれらは、依存しているという事実...

  • 石の花 第6巻 p117、122

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」かれにとっては、この世界は力をもつものともたないもの、優れたものと劣ったものとからできている。サド・マゾヒズム的追求にもとづいて、かれはただ支配と服従だけを経験するが、けっして連帯は経験しない。性の差別であれ、人種の差別であれ、けっきょく優越と劣等のしるしでしかない。このようなことを意味しない差別を、かれは考えることはできないのである。さきざまのサド・マゾヒズム...

  • 石の花 第6巻 p67、72

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」かれは権威が強く、命令的であるかぎり、それを信じている。 かれの信念は結局かれの疑惑に根ざしており、その疑惑を補償しようとしている。 しかし、もし信仰とは現在潜在的に存在していることがらが実現されるということの確信を意味するならば、 かれは信仰をもっていない。権威主義的哲学は、どんなにはげしく相対主義を克服したと主張し、それを行動にあらわしているとしても、それは本...

  • 石の花 第6巻 p60、61

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと。それが人物の力によろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。力は、それが守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、かれを夢中にする。かれの「愛」が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は...

  • 石の花 第6巻 p32、34

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」サディズム的人間は、マゾヒズム的人間が対象を必要とするのと同じように、対象を必要とする。 ただかれは、抹殺されることによって安全を求めるのではなく、他人を抹殺して安全を獲得する。どちらのばあいも個人の統一は失われる。一方では私は自己の外側の力のなかに解消する。私は私を失う。他方では私は自己を拡大し、他人を自己の一部にするが、そのさい私は独立した個人としては欠けて...

  • 石の花 第6巻 p16、28

    エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」サディズム的衝動の本質はなんであろうか。ここでもまた、他人に苦痛をあたえようという願望が本質なのではない。サディズムの形にはさまざまのものが観察できるが、それはただ一つの本質的な衝動にまでさかのぼることができる。すなわち他人を完全に支配しようとすること、かれをわれわれの意志にたいして無力な対象とすること、かれの絶対的支配者となること、かれの神となり、思うままにか...

  • 否認(デイナイアル)

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 否認は嗜癖者にとってもっとも大切な防衛メカニズムです。「私はアルコホリックではありません」とアルコホリックは言います。「私はそんなに飲み過ぎるわけではないし、深刻な飲酒問題などありません。ちょ っとした問題ならありますが、それだって、そんなに深刻ではないのです」。 家族メンバーは(彼ら...

  • 混乱の役割

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 混乱は、嗜癖 システ ムの特徴 であるだけではなく、 このシステムにおいて重要な役割を演じています。 第一に、混乱は私たちを非力で被支配の状態にとどめます。混乱した者ほどコントロールしやすい者はないでしょう。混乱した社会ほどコントロールしやすい社会もないでしょう。 政治家はこのことを誰よ...

  • 群盲象を評す

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 私が嗜癖的家庭に暮らしていた頃、私たちは常に何が起こっているかを見きわめようとしていました。私はしばしば抜け出して会合やワークショップに出かけましたが、帰って来ると、家族が列を作って待っているのでした。彼らは互いの不平を言い、お互いを責め合っていました。 自分の家族療法技術を駆使して...

  • 混乱した直線的思考

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より 多くの同僚たちと同じく、私も最近の右脳・左脳理論に強く魅かれています。 この研究の初期の頃には、左脳は論理的、合理的、直線的で、一方右脳は感情的、直感的、そして非直線的であるというふうに論じられていました。 実際は、この区別ではあまりに単純化しているようです。私の見解では、左の脳がまっ...

  • 仮定の話

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より くさい考えは、それ自体を持続させるための仮定に依拠しています。不明瞭で曖味な表現は、うまく機能するよう数々の仮定を含んでいて、それがまた、さらに不明瞭な思考と混乱へと導いていくのです。 私のワークショップの最中に起こったある出来事は、この明瞭さの欠如を非常によく物語っていました。私たち...

  • 異常な思者プロセス

    A・W・シェフ「嗜癖する社会」嗜癖は中毒ではない。人は好きで嗜癖する。 1990年代は嗜癖の時代とも呼ばれる。 より嗜癖システムは、いわゆる左脳機能と深く関わっていて、直線的で合理的、論理的な思考を歓迎します。この種の思考は、世界をコントロールすることも可能だという単純化によってコントロールの幻想を支えています。 白人男性システムの第四番目の神話は、完全に論理的、合理的、客観的になることは可能である、と...

  • 分業と利他の隠された事実

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 ここから、ある結果が生じます。社会生活全体にとって宗教衝動が決定的なものであるかぎり、利己主義が害を及ぼすことはありません。これは社会のプロセス、《経済プロセス》を理解するためにも、非常に重要なことです。 人間は利己主義的でありえます。もし、古代オリエントのある地方におけるように、宗教組織が強固で、人間が利己主義的であるにもかかわらず、実り豊かなかたちで社会...

  • ローフルタイプ(秩序型)

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 人類の歴史をさかのぼると、古代から十五・十六世紀にいたるまで、今日のような経済問題はまったく存在しませんでした。たとえば古代オリエントでは、経済活動は大部分無意識の内に行われていました。 カーストのような階級を形成する社会状況があり、このような状況下に生じる人間関係に従うことで、個々人の経済的な活動方法は無意識の内 に示されたのです。 古代においては、宗教...

  • 理論と実践

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 「何が問題なのか」を示すために、特別な例を挙げましょう。どのような観察も行動にいたらなければ理論的な性格にとどまるものですが、理論的な性格の観察をとおして、ある種の商品の価格が無惨にも暴落した場合を観察してみましょう。 まず、この価格の低下を理論的に観察することが大切です。 いわば、温度計の示す数値を読み上げるようなもの」です。 ついで、「ある種の商品、製品の価...

  • 蒔かぬ種は生えぬ

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 昨日、「国民経済においては、価値の流通のなかで変動するもの、すなわち価格形成において変動する ″価値同士の相互作用″が問題なのだ」と、話しました。 このことに注目すると、「経済学が持 つべきスタイ ルを見出すことが、まず大事だ」と、みなさんはお考えになることでしょう。 「変動するもの」は、直接には把握できないからです。「変動するもの」を、直接考察して把握しようとする...

  • 価値と価値の衝突

    「シュタイナー経済学講座」筑摩書房 近代のさまざまな経済理論が、「変動するもの」を把握しようとしてきたのですが、それは困難なことでした。ものごとを見通そうとする人には、誤った定義ではなく、実際の現実が見えてきます。 「労働は、人体のなかに再び補充されなければならないもの、すなわち、その労働によって消耗した物質に相当するものである」などと言うのは、まったくの見当違いです。そのように言うのは、とんで...

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