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愛がなければ呼吸は、時を刻む時計と同じ。⇨ メアリー・オブライエン「リベリオン」

ライフスタイルブログ / 生き方

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佐藤蓼丸
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2013/03/06

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  • 知覚はつねに断片的

    ウィルソン・ブライアイ・キイ「メディア・レイプ」リプロポート マーシャル・マクルーハンは、個々人の環境の中にあって、その個人が意識的あるいは無意識的に関係する要素のことを、「包囲環境」と呼んだ。この環境の中にはたえず無数の知覚対象があるから、ある個人がそのすべてに意識を集中させることはもちろん不可能だ。したがって意識的な知覚はつねに断片的である。 視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚は、無数で、持続的...

  • 客観性という神話

    ウィルソン・ブライアイ・キイ「メディア・レイプ」リプロポート 問題の捉え方も、仮説・総合・方法の述べ方も、理論化の際に用いる原理や概念も、すべて意識的にも無意識的にも評価と結論を左右している。客観性などという概念は、オリンポスの山の神々に負けないくらい神話的なのである。科学的であろうとなかろうと、結論というものは、単純で直線的で断片的な、言語的あるいは数学的な抽象物によって表現されなければならな...

  • 三段論法成り立たず

    ■アリストテレスの論理学ーアリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ウィルソン・ブライアイ・キイ「メディア・レイプ」リプロポート ☟ じつは猥褻な物が立派で尊敬...

  • コントロール幻想

    ウィルソン・ブライアイ・キイ「メディア・レイプ」リプロポート 私たちは何世紀にもわたって、古代ギリシア哲学で論じられたような論理システム ・言語システムによって条件づけられてきたのだ。私たちは 一人ひとり独立しており、自分の思考 ・価値観 ・行動を全面的に自分でコントロールしている、という錯覚は今なお根強い。 私たちは、自分の頭で独力で考えていると思い込んでいる。こうしたファンタジーが私たちの自己...

  • なんでもいいから信じたい

    ウィルソン・ブライアイ・キイ「メディア・レイプ」リプロポート 私たちは、行動を変えろという圧力をたえず受けている。広告業者は私たち消費者 に、 この商品を買いなさい、このブランドを選びなさい、と四六時中誘いの声をかけてくる。彼らは私たちの財布の中身を虎視眈々と狙っているのだ。政治家は私たち有権者を、おだてたり脅したりして、これこれの政治的立場に立つようにと説得しようとする。 だが彼らは自分たちの...

  • 序文―信念の闘い

    「やっても無駄よ」アリスは言いました。「ありえないことを信じるなんて、できないわ」 「練習が足らんようじゃな」女王様は言 いました。 「わらわがそちの年頃には、毎日三十分お稽古したものじゃ。そう、朝食前に、ありえぬことを六つ信じたこともあ ったぞよ」➡ ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』 オーウェルが『1984年』で描いたようなことは、1924年に実際に起きたのだ。私たちが忙しすぎて気づかなかっただけだ。 ...

  • 沈黙の声

    深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを見ている。➡ ニーチェ エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 現代における個人の状態については、すでに十九世紀の先見の明ある思想家たちが予見している。キェルケゴールは、懐疑に引き裂かれ、苦しめられ、孤独と無意味の感情に打ちひしがれた無力な個人をえがいている。ニーチェは、のちにナチズムにおいて露わとなったようなニヒリズムが、近づきつつあることを見通してい...

  • 進撃の巨人とかエヴァンゲリオン

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 私がスケッチした光景は現代のあらゆる「様式」にあてはまる。個人が埋没してしまう巨大な都市、山のように高いビルディング、ラジオによる絶え間ない騒音の攻撃、 一日に三回も変り、なにが重要なことなのか決めかねるようにする新聞の大見出し、百人もの少女が、まったく個性を捨て、時計のような正確さを見せびらかしながら、滑らかに、しかし非常に力強い機械のように演...

  • 変換可能な歯車

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 買手に対する広告の影響と同じように、政治宣伝の方法も、個々の選挙人の無意味感を助長している。スローガンを繰り返したり、問題となっていることとは何の関係もないことを強調することは、選挙人の批判力を麻痺させる。 彼の思考に対してはっきりと合理的に訴えることは、政治宣伝においては――民主主義国家でも――原則というよりはむしろ例外である。宣伝に見られるよう...

  • 具体的な人間の不在

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 これらすべての方法は本質的に非合理的である。それらは商品の性質には関係なく、阿片や完全な催眠術のように、買い手の批判力を窒息させ殺している。 彼らは、丁度、映画のように、空想的な性質によってある満足を人間に与えるが、それと同時に、人間の卑小さ無力さの感情も高めるのである。実際、批判的な思考能力を鈍化させるこのような方法は、我々のデモクラシーにと...

  • デパートの客

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 百貨店の場合、その関係はなんと異なっていることであろうか。買手はまずその巨大な建物と数の多い使用人、豊富に陳列された商品によって圧倒される。これらすべてによって、彼は自分がどんなに小さな、取るに足らぬ存在であるかを感ずる。 百貨店にとっては、人間としての彼はなんの重要な意味ももたず、「一人」 の買手として意味をもっているだけである。百貨店は彼を...

  • 自己の重要さと品位との感情

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 大企業の広大さとその優越した力から生まれる心理的な影響は、労働者の上にも及ぼされる。昔の小企業では、労働者は親方を個人的に知っており、その企業全体とも馴染みが深く、それを見渡すことができた。彼は市場の法則によって雇われたり追い出されたりしたが、しかしその親方やその企業とは、ある具体的な関係をもっており、そのため、自分がどのような地盤に立っているか...

  • 安定と独立の喪失

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 全体として、昔の商人の役割は、単に独立的であるというだけではなく、熟練や個性的な奉仕や、また知識や活動性を要求していた。ところが、ガソリン・スタンドの所有主の状態は、まったくこれと異なっている。彼の売るのは一つの決まった商品で、油とガソリンである。彼は製油会社との契約に制限されている。彼はガソリンや油をいっぱいにするという同一の行為を、繰り返し...

  • かつての独立した商人

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 しかしここ数十年間における資本主義の独占的傾向の増大は、人間的自由に対する二つの傾向の比重を、変えてしまったように思われる。個人的自我を弱めようとする要素が強くなり、個人を強める要素が比較的弱くなった。 個人の無力感や孤独感が増大し、あらゆる伝統的な束縛からの「自由」が一層強く叫ばれるようになり、個人の経済的成果に対する可能性は狭められている。...

  • 集団ナルシシズム

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 財産や社会的名声をほとんど持たない人間にとっては、家族が個人的威光を与える源であった。そこでは個人は「なんらかのもの」と感ずることができた。 彼は妻や子供を従え、舞台の中心となることができた。そして単純にも自分の役割を自然の権利と考えていた。 彼は社会的世界では無に等しいが、家庭では国王であった。家族のほかに、国家的な誇り(ヨーロ ッパではし...

  • 不安な自我の後ろ盾

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 このようにして、自信とか「自我の感情」とかは、単に他人の自分に対する考えを指しているのに過ぎない。 それは市場における人気や成功とは無関係に、自己の価値を確信している自我ではない。もし他人から求められる人間であれば、その人間はひとかどのものであり、もし人気がなければ、彼は無に等しい。 自己評価が「人格」の成功に依存しているということが、近代人...

  • なんの価値もない

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 雇主と雇人との関係も、この同じ無関心の精神に貫かれている。「雇主」という言葉は一部始終を含んでいる。すなわち、資本の所有者は他の人間をあたかも機械を「雇う」ように雇う のである。雇主も雇人もともに、自らの経済的利益を求めて互いに他を利用している。 彼らの関係はどちらも目的に対する手段の関係で、どちらも互いに他の道具となっている。相互の効用以外に...

  • 世界の中心であるという幻想

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 そうはいっても、自然をますます征服した結果、個人的自我も一層強くなったのではなかろうか。ある程度それは真実であろう。そのかぎり、それは個人の発達の積極的な側面であり、我々もそれを見逃そうとは思わない。しかし人間は、自然を支配する点では著しく進んだが、社会はそれが作りだしたさまざまの力を、統制することができないでいる。 生産組織は技術的な観点から...

  • 自我の委縮

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 これと同じようなことは、いわゆるナルシス的人間にも当てはまる。彼は自分自身のためにものを得ようと腐心する代わりに、自分自身を賞賛することに気をかけている人間である。 このような人間は、表面的には自分自身を非常に愛しているように見えるが、実際は自分自身を好んでいないのであり、彼らのナルシシズムはーー利己主義と同じようにーー自愛が根本的に欠けている...

  • いつも不安で落ち着かない

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 利己主義と自愛とは同 一のものではなく、まさに逆のものである。利己主義は貪欲の一つである。すべての貪欲と同じく、それは一つの不充足感をもっており、その結果、そこには本当の満足は存在しない。 貪欲は底知れぬ落とし穴で、決して満足しない欲求をどこまでも追従させて、人間を疲れさせる。 よく観察すると、利己的な人間は、いつでも不安げに自分のことばかり...

  • SM的な執着ではない愛

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 確かに、ある特定の人間が明らかに愛の「対象」となることは偶然ではない。このような特定の選択を条件づける要素は、非常に数が多く、また非常に複雑で、ここで論ずることは出来ない。 しかし重要なことは、ある特殊な「対象」への愛は、一人の人間の内のもやもやした愛が、現実化し集中したものに過ぎないということである。 それは、ロマンティックな恋愛観のいうよ...

  • 愛の原理

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 以上、我々が主張したことは、資本主義的生産様式が、人間を超人間的な経済的目的のための道具とし、プロテスタンティズムによってすでに心理的に準備されていた、禁欲主義と個人の無意味の精神とを増大させたということである。 しかしこの主張は近代人が犠牲的態度や禁欲主義によってではなく、極端な利己主義と自利の追求によって動かされているように思われる事実と矛...

  • 長い物には巻かれろ

    人間は生まれたとき無知なのであってバカではない。教育によってバカになるのだ。➡ バートランド・ラッセル エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 これまで我々は、近代社会に於いて、資本をもち、その利潤を新しい投資に回すことのできる人間について論じてきた。彼らは大資本家であろうと、小資本家であろうと、その生活は経済的機能の遂行、資本の蓄積ということに棒げられた。 しかし資本をもたず、労働力...

  • 無限地獄

    お前も知っているように、地獄というところは繰り返しだ。 ➡ アンドレ・リノージュ「悪魔の嵐」 エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 人が経済的目的に手段として服従することは、資本の蓄積を経済的活動の目的とする資本主義的生産様式の特殊性に基づいている。人間は利益を求めて働く。 しかし獲得した利益は消費するためのものではなく、新しい資本として投資するためのものである。そしてこの増大した...

  • 正義も愛も持たない神の栄光

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 資本主義においては、経済的活動や成功や物質的獲得が、それ自身目的となる。経済的組織の発展に寄与することや、資本を蓄積することを、自分の幸福や救済という目的のためにではなく、目的それ自身として行うことが人間の運命となる。 人間は巨大な経済的機械の歯車となった―― そして資本を多くもった人間は重要な歯車であり、資本をもっていない人間は、無意味な歯車で...

  • 自己否定と禁欲主義

    容易に想像がつくことだが、真正カルヴィン主義の伝統の中で、「汝、金持ちになれ」というのが十一番目の戒律となった。もし金ですべてが買えるなら、ギャツビーほど幸福な男はいなかっただろう。だが、成功と金は、それまでギャツビーを奴隷にしていた夢、彼が現実と見間違えていた夢を、ますます肥大させた。(中略)ニックはそれについて 「ギャツビーの幻想の恐ろしい生命力」と形容している。➡ロロ・メイ「自分さがしの神話」...

  • 圧倒された個人

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 ここで最初に取り上げるべき要素は、資本主義経済の一般的特質の一つとしての、個人主義的活動の原理である。すべての人間が、整然とした明らかな社会組織のなかで、一定の固定した位置を持っていた中世の封建制度とは反対に、資本主義経済のもとでは、個人は完全に自分自身の足で立つことになった。 彼が何をするか、またそれをどのようにするか、成功するか失敗するかと...

  • 巨大な資本と無力な個人

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 産業組織がこのような内面的自由に与えた影響を、批判的に評価しようとする人は、資本主義が人間のパースナリティの発達にもたらした巨大な進歩を、十分理解することから始めなければならない。 事実、このような面を没却している近代社会の批判は、すべて非合理的なロマンティシズムにもとづいており、資本主義を批判するにしても、近代において人間が打ち立てたもっとも...

  • 空気を読みたがる人

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 或いはもう一つの例をあげれば、言論の自由が自由の勝利の最後の段階であると感ずるとする。言論の自由は確かに古い束縛に対する戦いにおいて、重要な勝利ではあるが、 近代人は、「自分」が考え話している大部分が、他の誰もが考え話しているような状態にあることを忘れている。また近代人は独創的に考える力、――すなわち自分自身で考える能力を獲得していないということ...

  • 内なる力の喪失

    エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」東京創元社 プロテスタンティズムの教義は、近代的産業組織のもとで果すべき役割に対する、心理的な準備を与えた。この組織、この習慣、またそこから生まれるこの精神は、生活の隅々にいきわたり、パースナリティ全体を形成し、前章で検討したような矛盾をさらに強めたのである。 すなわち近代的産業組織は個人を発展させたが―― 彼を一層無力なものにした。それは自由を増大させたが...

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