『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての苦難は、…
「21世紀への対話」は、かつて、西洋世界の知の代表者である、アーノルド・トインビーと日本一の宗教団体の会長であった、池田大作氏の対話集を上梓した、非常に品性…
「内村鑑三 所感集」、63頁、「智識の霊」より: 『聖霊、一名これを智慧(ちえ)聡明の霊、才能の霊、智識の霊と称す(イザヤ書十一章二節)。吾人は聖霊により…
「内村鑑三 所感集」・63頁、「信仰と無学」より: 『もし吾人の信仰にして吾人を新智識に導くにあらざればこれ吾人の信仰の真個の信仰にあらざる確証なり。信仰は…
「内村鑑三 所感集」・63頁、「信と学」より: 『信は人を深くし、学は彼を闊(ひろ)くす。信なきの学に熱なし、学なきの信に光なし。信をもって荒蕉を拓き、学を…
「内村鑑三 所感集」・62頁、「意気地なし」より:『謙遜なれ、柔和なれ、しかれども意気地なしくたるなかれ。謙遜は勇気なり。しかれども意気地なしは卑怯なり。二…
「内村鑑三 所感集」・61頁、「興論の勢力」より: 『われは世の興論なるものを怕(おそ)れたりき、われは単身にこれに当るあたわずと思えり。われはその威力の下…
「内村鑑三 所感集」・61頁、「神助」より: 『神を信ぜよ、さらば神はなんじの必要に応じてすべての善き物をもってなんじを恵まん。あるいは天来の思想をもって、…
「内村鑑三 所感集」・61頁、「愛の世界」より: 『神に愛せらるるにいたるが人生第一の目的なり。その目的に吾人を達しめんがために神を信じて世に憎まるるの必要…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために②」より: 『この世界におけるただ一切の善事だけを報道して、悪だの、くだらぬ事柄には見向きもしないと…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために①」より: 『人は他人から何も得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができる。およそそのよ…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために①」より: 『キリスト教的世界観の本当の、確固としたとした基礎は、この世の悪と各個人の内なる悪は「法理…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために②」より: 『自己犠牲と克己の偉大な行為は、我々の場合もでも、悪の鎖を断ち切り、善の障害を取り除き、過…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために②」より: 『人間をすべて愛することは、キリストへの愛がなければできないものである。今さらやってみるま…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために②」より: 『キリストの受難史は、キリストの復活の信仰がなければ、とうてい堪えられないものである。少な…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために①」より: 『懐疑への誘惑は、いつでも、理屈によってでなく、まず信仰によって克服されねばならない。その…
「内村鑑三 所感集」・60頁、「赦免の神」より: 『余はいまだよく神の何者たるかを知らず、しかれども、その余の悪を憎み給うに優(まさ)り余の善を愛し給う者な…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために①」より: 『「偉大なことを成し遂げるのは、それ以外に為すことができない人のみである。」これはなんと…
「内村鑑三 所感集」・59頁、「不幸の極」より: 『病むも可なり、余はただ神の聖意(みこころ)を知らんと欲す。貧するも可なり、余は神の聖意を知らんと欲す。人…
「内村鑑三 所感集」・59頁、「大なるクリスチャン」より: 『余はある時は著述家たらんと欲す、またある時は大なる慈善家たらんと欲す、さらにまたある時は大なる…
「内村鑑三 所感集」・59頁、「信仰の目的物」より: 『平和を望むなかれ、キリストを望めよ。一致を望むなかれ、キリストを望めよ。熱心を望むなかれ、キリストを…
スイスの哲人、カール・ヒルティーの「眠られぬ夜のために②」より: 『普遍的な人間愛は、ほぼ中立と同じようなもので、「平和の時代には大変立派な、明白な事柄…
スイスの哲人、カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために①」より: 『どんな正しい人でも、その生涯のうちいつかわ、「罪人のひとりに数えられる」に違いない(マルコ…
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『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするにすぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての苦難は、…
『苦しみには人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪えしのぶのが苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、全ての…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教ありまたキリスト教あり、教会を立てんとするキリスト教あり、肉体の病を癒さんと欲するキリスト教あり、社会を改良せ…
『内村鑑三 所感集』より: 『思想は頭脳より来らず、心情より来る。心情より来らず、行為より来る。行って感じ、感じて想い、想いて思想となりて口舌に上り、…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教は愛の宗教なりという、しかり、また義の宗教なり。愛は情なり、故に⚪️(かわ)ることあり。然れども義は主義なり、…
『神学は信仰のためには要らない、神学は神学にために要る、神学を壊(こぼ)つために要る。新神学は旧神学を壊つために要る、いわゆる高等批評はいわゆる正統派批…
『内村鑑三 所感集』より: 『キリスト教に似てしかも最も非なるものを今日我が国において唱えらるる社会主義となす。これ聖書にいわゆる「不法の隠れたる者」…
『この書物に描かれているような「地上の楽園」では、確かに人生のありふれた労苦や葛藤はもういくら片付いてすんでしまっているように見えても、まだ色々な困難の名…
『内的進歩においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、繰り返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えられなければならない…
『内村鑑三 所感集』より: 『人生に悲痛多し、しかれども苦痛は悲痛として神も我もこれを除く能わず。悲痛は希望と歓喜とをもってのみ能(よ)くこれを除くを…
『内村鑑三 所感集』より: 『苦しむは大いなる事業なり。これによりて我は自己(おのれ)の咎(とが)を示され、他人の罪を贖(あがな)わせらて、また新たに…
『内村鑑三 所感集』より: 『内なる我あり、霊なる我あり。外なる我あり、内なる我あり。地に属(つ)ける我あり、天に属(つ)ける我あり。我は二個の我より…
『内村鑑三 所感集』より: 『我は我ものにあらず、我が家族のものにあらず、我が親戚のものにもあらず、我は神のものなり。故に神の聖旨( みこころ)を遂ぐ…
『内村鑑三 所感集』より: 『神はさまざまな方法をもって我らを助け給う。あるいは霊をもって、あるいは物をもって、あるいは友人をもって、あるいは敵人をも…
『もし貴方が、今ちょうど、生涯の荒涼とした暗い時期の一つに臨んでいるのなら、将来のいろんな計画に手をつけたり、または、今更どこかを改めようもないのに、過去…
『人間の共同生活を非常に楽にする気持ちのよい性質は、出来る限り他人の願いに喜んですぐ応じるような、ある種の親切と気軽さである。ところが人に人によると、眼に…
『内村鑑三 所感集』より: 『歓べよ、感謝せよ、しかしてさらに大いなる恩恵を仰げよ。感謝は有効なる祈祷の要素なり。神は感謝なき祈祷に耳を傾け給わず。感…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛情なしと言うかなれ。人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり。我に愛情ありて世に愛情…
『内村鑑三 所感集』より: 『善なるキリスト、弱きキリスト、しかり、彼は善なりし故に弱かりしなり。彼のは善を愛するの心ありたり、しかれども善…
『内村鑑三 所感集』より: 『集会の勢力によざれば神と人とに尽す能わざる者は禍なるかな。ひとり真理の燈台となりて世の暗黒を照らす能わざる者は禍なるかな…
『さて親愛なる諸君よ、以上のことが実現されるまでは、とにかく諸君はこれらすべての道の中から、諸君の道を選ばねばならぬーー真理に対する諸君自らの認識のため、諸…
『立派に人生を生き抜き、とくに、平凡にただ生活を維持するだけでなく、より偉大な人生の目的を見失わないためには、どうしてもある種の感激が必要である。実際、人生…
『ただこのような世界観によってのみ、さらに進んで、大規模な正義と平和とが総じて可能になる⭐️。この世界観がなければ、事実上、不断の惨憺(さんたん)たる生存競…
『苦しみは人を強めるが、喜びは大体において人を弱くするに過ぎない。勇敢に堪え忍ぶ苦難と苦難との間の休みの時が、害のない喜びである。けれども、すべての苦難は、…
『すなわち、ここに「道と真理と生命(いのち)⭐️と」があり、ただ頭の中の幻想ではない。歴史に根底を置く、真実の哲学がある。ついでに言うが、この道は多くの案内…
『内的生活においては、鉄を鍛える場合と成り行きがよく似ている。内的人間も、くり返し時おり火の中に入れられ、それから槌で急激に打って鍛えなければならない。これ…
『ところで、キリスト教の揺るぎない真理と偉大な生命力との証拠は、その直接の敵対者を常に征服してきたことだけではない。ーーこれはむしろ大したことではなく、いや…
『人間の共同生活を非常に楽(らく)にする気持ちのよい性質は、できるだけ他人の願いによろこんですぐに応じるような、ある種の親切な行為と気軽さである。ところが人…
『そこでまた、われわれの心になお何物かが残って、時々こう抗議するだろう。おそらく一切は感覚的の知覚できない単なる「形而上学」であり、要するに人間とまたその生…
『人間同士の交わりにおいては、内的確信が非常にお大きな意味を持っている。なぜなら、たいていの人は、彼らを指導してくれる他人を求め、そういう自信に満ちた指導者…
『それゆえ旧約聖書は、この関係を常に、双方に権利のある契約にたとえている。自分の方からこの契約を正直に守ろうと思う者は、自分の権利をあまり強く主張する必要は…
『出エジプト記二ー四、詩篇110の1・2。 ある人の生涯において、かなり長い期間にわたって、詩篇110の待てという要求だけが、絶え間ない導きとして役立つこと…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…