『私は生涯に幾度か人間軽蔑者になりそうな時期があった。そうならずに済んだのは、確かに人間社会の上層の人々を知り合っていたためではなく、反対に、ささやかな人々…
『私は生涯に幾度か人間軽蔑者になりそうな時期があった。そうならずに済んだのは、確かに人間社会の上層の人々を知り合っていたためではなく、反対に、ささやかな人々…
『たいてい真の聖者については、残念ながら、その生涯の最後の時期のことがごく僅かしか知られていない。世に知られている彼らの内的経験の全ては、彼らの完成の段階よ…
『真の知恵がどこから与えられるのか他に知る術がない場合でも、ヨハネによる福音書五の一九・三〇🌟の言葉がそれを教えてくれるに違いない。キリストでさえこのような…
『結婚は軽く見て良いことでなくて、本当は恐ろしい事柄である。それに、個人にとっても国民にとっても祝福の源にもなれば、又は全く立ち上がれないほど重く彼等の上…
自助論 第一版序(スマイルズ自序) 『この書を著(あらわ)す原由(げんゆ)は、いかにというに、去ぬる十五年前のことなりし、北方の村落のおいて、有志の…
『マルコによる福音書十五の二九🌟。「通りかかった者たちがイエスを罵った。この言葉は私の生涯の特に苦しい時期に私の心を捉えたが、それは」「通りかかった」という…
『無気力と傲慢(これは奔り出るほどの自負心と活力感である)とは、いずれも悪の霊によるものである。貴方が自分の内にそれに気づいたならば、それがはびこらぬ内に直…
『我々は、ある人がいずれ一握りの塵に帰るであろう日をあらかじめ正確に知っていたら、彼に対して激しく起こるような事はおそらくしないであろう。』 …
『心に起こる善への促しも、悪への誘いも、たいてい刹那な閃きである。前者に対しては、属座にこれに応じて、我々を助けようと差し伸べられる手を、実行によって掴まな…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百五十三頁以下:
第八章 基督教国にてーーニュー・イングランドの カレッジ🌟生活 『余はニュー・イングランドを是非とも見るべきであった、余の基督教はもと…
『幸運にも中級階級に生まれた人は、人生において次の二つの事を余りにも知らない。先ず、何か方法と助けを求めて「他人の家の階段を上がらねばならい事が、どんなにつ…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百二十五頁以下:
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『ジェネウ”ァのカタリナは、正当にも神にこう尋ねた、「神への愛は他の全ての愛を退けますが、それでも私達は隣人を愛さなくてはならないのでしょうか、」と。これに…
『ダンテの『神曲』地獄篇第五歌一二一行以上のフランチェスカ・ダ・リミニのみじめな境遇にあって幸福だった日のことをお思い出すほど苦しいものはない」という有名な…
『実に理解しにくい事ではあるが、しかし一旦それを理解すると我々の思考全体がそれによって大きな影響を与えられるのは次のような考え方である、即ち、生き生きとした…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・百二十五頁以下:
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『信仰については実に沢山の本が書かれていることを、私も知っている。けれども、ヘブル人への手紙一〇の三五〜三九🌟と、それに続く素晴らしい第十一章に含まれている…
『世の中には二種類の人間がいる。その一方の人は、我々が幸福の時には大変愛想よく世話を焼いてくれるが、こちらが引き続いて不安に襲われると、すぐさまそっと姿を隠…
『聖だの、徳だの、義などについてあまり多く語るべきではない。それらの物も、聖書が言っているように、一切を見抜く眼の前には、常に「汚れた衣」(イザヤ書六四の六…
第 二 回 昨晩は後世へ我々が遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話を致しました。ところで金を…
『ルカによる福音書一六の一九〜二一。いわゆる「永遠の眠り」についた人々が、この地上での生活についてはっきりした思い出を持ち、また、この世の生活に何か影響を与…
『死の観念は、若い人達にとっては大抵恐ろしいものであるが、正常の状態になり、また、良心の不安がこれに加わらなければ、死ぬ確かさを増すにつれた、恐さは失われて…
『余は如何にして基督信徒になりし乎』、内村鑑三・百九頁以下:
第六章 基督教国の第一印象 『余が基督教国と英語国民とを特別の尊敬をもって眺めていたことは余としては全く弁解のできない弱点ではなかった。プロシア…
『ルカによる福音書一一の三六🌟について、我々に起こり最も善いかつ最も決定的な事柄に、常に電光のような性質を帯びるものがある。それは、恩寵の光線であり、別世界…
『我々は皆、生まれながら「怒りの子」(エペソ人への手紙二の三)である。これは自然のままの人間にあっては。老年になるといよいよはっきり現れれきて、そのため多く…
第五章 世の中へーー感傷的基督教 『それゆえ、見よ、私は彼女を誘(いざ)なって、荒野に導いて行き、ねんごろに彼女に語ろう。その所で私は彼女にその…
『普通は、我々が自分を知っている以上に、人々は我々をよく知っているものである。一般的に言えば、利益の打算に眼が眩(くら)んでいなければ、全ての人はこの点で、…
『かなり落ち着いて観察をすることのできる人々にとっては、ある印象を受ける第一印象こそ、最も正しく、常に標準となるものである。落ち着きのない、冷酷な、あるいは…
キリスト教的生活の規範: 『愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬を持って互いに相手を優れた者と思いなさい。…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・八六頁以下:
『九月二日 Aー製材場に兄弟T🌟と出立せり。余は、夜、説教せり。 九月三日 朝、Aー製材場を辞す。H氏方に泊まり、説教せり。製材場に於ける前途…
『社交についても、他の多くの事柄と同じように、ただ、節度を守るということだけが正しい態度である。絶え間なく人と交際していれば、誰でも精神的な害を受けずにはす…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、内村鑑三・八〇頁以下:
十一月十五日 火曜日 W及びOと午後三時に会合し、教会に就き相談す。全会衆四時に会し、教会の将来に就き議す。ーー教授C博士の送られし米国金一百ドル(💲…
『苦しみ悩む者は、自分で苦しんだことのない人達に、決して信頼しない。もし我等の主が十字架上で死なず、彼の生涯の牧歌的な状態が、悲劇的な結末もなくあのまま続い…
第四章 新教会と平信徒伝道 『我々が我々のカレッジを卒業するや否やめいめい一ヶ月三十円の給料のある地位を提供された。我々は実用科学を教えら…
『人は人生のある時期に一度悪意に満ちた中傷や誹謗を散々忍ばねばならなかったなら、その後は、他人の誉めあげる言葉などを殆ど受けつけなくなる。このような魂の汚れ…
第 一 部 『時は夏でございますし、処は山の絶頂でございます。それでここで私が手を振り足を飛ばしまして私の血に熱度を加えて、諸君の熱…
『楽しき安息日学校よ! 我々に貴きことは いと麗しき宮殿高楼にまさる、 我が心は常に歓喜をもって汝に向かう 我が愛す…
『とりわけ優れた人々でさえ、その生涯の大部分の間、彼らがまさに受けるに値するよりもより多くの善きものを与えらている。そればかりか、大多数の人々は概ね、その全…
『三月三十一日 面倒となりつるあり。委員会、夜、開かれ、新建築の計画を放棄するに決す。 実は我々が買う申し込みをした地所が得られないことになったのであ…
『朝、目覚めて直ぐ、今日もまた自分が負わねばならぬ十字架のことを思うと、それは自分にはあまりにも重いように思われることがしばしばあろう。また、その日に、さら…
『余は如何にして基督信徒となりしかし乎』、内村鑑三・五八頁以下:
『一八八一年一月三日 『バルマイラ🌟』より招待。よる九時まで「ゲーム」と籤(くじ)。 我々が基督信徒学士達は彼らの家庭を持っていた。その数人が一つ屋根…
『ヨハネによる福音書四の二四、六の六五、九の三九、一四の六🌟について、我々は、この世の生活では、神は何であるかを知ることができない。同様に、キリストや聖霊が…
『十二月二十五日 十時半に集会。我々のSに来たりて以来最大の愉快な(聖なる)。 これは真の感謝の集まりであった。茶も菓子もこの集会にはなかった。あった…
『ヨブ記について、摘要。ヨブは最初に、彼の友である神に、どんなことがあっても固く依りすがろうという決心に達して、心の落ち着きを得た。しかしその時は、まだ神…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』、「内村鑑三」四六頁以下:
『一八七九年の夏を余は、カレッジ所在地の南方約六百マイル、首都にある我が家で過ごした、善良なフランシスがその旅行に余と同行した。余がこの長途の旅行をするにあ…
『私はキリスト教を、最初はむしろいくらか実際的に、それも軍務から類推して理解していた。そこで、私に一番興味のある聖徒は、ペテロやパウロではなくて、カベナウム…
『余は如何にして基督信徒になりし乎』、内村鑑三・四〇頁以下:
『十二月一日 H氏を通じ、「メソジスト」監督教会に入会せり。 我々の愛する宣教師に、牧師H氏が再び町にあった、そして我々は彼の教派や他のいわゆる教派について…
『およそ神を信じないと思うならば、神の義と愛とを堅く信じなくてはならない。というのは、神のそのような属性がないとすれば、神は我々にとって一つの災い、それもこ…
『余は如何にして基督信徒となりし乎』・内村鑑三:三一頁以下:
第三章 初期の教会 『今や我々は洗礼を受けた以上は、新しい人であると感じた、少なくともそう感ずるように、またそう見えるように努めた。一ヶ月以…
『ジェノウ“ァの聖女カタリナが「自らの悪しき部分(自我)じゃ。己の名を呼ばれるために喜び」と言ったのは正しい。非難をこめて呼ばれる時でさえ喜ぶのである。我々…
第二章 基督教に接す ある日曜日の朝、余の級友一人が余に尋ねた、君は僕と一緒に『外人居留地の某所』へ行きたくがないか、『そこで我々は美しい女の人…
『確かに、この世には多くの悲惨がある。しかし正しいところに助けを求めるなら、それに対する力強い助けも少なくない。そして拒みさえしなければ、悲惨からの完き救い…
奨 励 誠実、心の真の有りのまま、これ常に如何に貴いかな! 実際に自己の心の中に存することを語るもの者は、その方法の 如何に拙劣なるも、…
『誠実は本来、とりわけ美しい大切な性質である。それは実に動物すら高いものにし、彼らをほとんだ人間並みの価値と品位にまで高めるほどである。誠実が全く欠けている…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三七〇頁以下:
『死後、その他の人達がどうなるか、我々には分からない。聖書でさえこれについてじゃ多くを語っていないし、その上、全然矛盾が無いわけでも無い🌟。いずれにしても、…
『祈ろうとする時は、まず私たちが持っているものに感謝をもって始めねばならない。そうすると心が祈りに相応しい気分に導かれる。次に自分の意志を神に委ね、最後にそ…
【複製】カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六二頁以下:
『もちろん、老年になってもなお、ちゃんと順当に前進できない時期が、時には訪れることもある。ただより高く登れないばかりでなく、総じて進歩しないのである。そいう…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六二頁以下:
『もちろん、老年になってもなお、ちゃんと順当に前進できない時期が、時には訪れることもある。ただより高く登れないばかりでなく、総じて進歩しないのである。そいう…
『「敵を愛する」というのは、キリスト教の教義が大いに自慢の種にする美しい言葉である。しかし、キリスト教徒の実践を見ると、彼らが敵を愛するのを必ずしもあまり多…
🔴好機、再び来らずーー人生転機を見抜く才覚、生かす才覚 1 勤勉の中に「ひらめき」あり 『偶然のなりゆきで偉大な業績が生まれるためためしは滅多にない。…
2 生きることを精一杯楽しむ方 偉大な人物はそのほとんどが明朗で、人気や財産や権力を望まず、現状に満足し、人生をエンジョイし、喜ばしいことを敏感に感じと…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三六〇頁以下:
二 『老年になる前に、「より高きを目指す」境地に達することは、少なくとも極めて大多数の人々にとっては、ちょっと出来そうにも思わ…
『真実を語るという事は、特に真実に対して熱心な多くの「道学者」が考えるほど、さように容易ではない。 まず第一に、まだその人の思想生活がこの世の事物から強く影…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三五八頁以下:
『ただ道徳的生活で自分自身を満足させるか、もしくは他人の喝采を博するか、それとも神の喜ばれようとするか、この三つの道は、実際生活で大きな違いを生ずる。人は多…
『どんなに堅固な信仰でも、時折、繰り返し、あらためて吟味され、いわば、ゆり覚まされねばならない。そうでないと、信仰は退化しがちで、単なる教団感情となり、しば…
『内村鑑三 所感集』より: 『伝道の方法を講ずる者多し。しかれども余輩はその浅慮に驚かざるをえず。伝道唯一の方法は福音ありのままを確信してこれを餓えたる社会…
『内村鑑三 所感集』より: 『真理は一種の破壊者なり、真理の破壊性を懼れてその伝播に従事する難し。真理はよく毀(こぼ)もてよく建つる者なり。世に焼かざるの火…
『内村鑑三 所感集』より: 『真理はそのもの自身の証明者なり。真理はまたそのもの自身の拡張者にしてかつ保存者なり。単純なる真理そのものを伝えて吾人はその衰退…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三五〇頁以下:
『真の祈りは、「聞き入られること」それ自身の内に含んでいるが、それはまず、人間の心が改めて神にすっかり自己を委ねようとする意志行為である。そこから、事態に添…
『実際の苦悩と苦痛に対しては、いつでも神の助けを得る事が出来る。しかし、ただ自分で想像しただけの、あるいは大袈裟に考えられた苦しみに対しては、助けが得られな…
『「キリスト論」、これは実際奇妙な言葉である。という事は、躊躇なく縁を切るのがよい。まず、仮にキリストが我々と同じ種類の、同じ生活条件をもった人間であるとす…
カール・ヒルティ、『幸福論』・「より高きを目指して」三四七頁以下:
『このような霊の力は、期せずして自ずから人々に及ぼす感化(これこそ人間の真の偉大さの目印である)を別とすれば、祈りの力強さのおいて発揮される。祈りが我々自身…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三四四頁以下:
『およそそのような事は、元来もはや信ずるということではなくて、この世の短い限られた生命と存在を超えた或るものを垣間見ること、少なくともそれを生き生きと体験し…
『人生において、何よりもまず知らなければならないのは、自分が何を本当に成し遂げたいかである。そして遂にそれを知り得たなら(そのために人は通常、生涯の半ば以上…
カール・ヒルティ、『幸福論③』「より高きを目指して」三三九頁以下:
『この点に、最高の境地を求めて努力する人が、その生涯の最後の道で出会う危険がある。この危険を免れようとすれば、是非とも無条件に、断固として「神の言葉」に頼ら…
『人生を強く耐え抜くには次の二つの道がある。その一つは、世の狼どもと一緒に咆え、目の前にありながら万人に行き渡らない生の享楽の分け前を得ようと猛然と噛み合う…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「より高きを目指して」三三一頁以下:
一 『「より高きを目指す」道は存しており、見出す事もできる⭐️。しかしそれは、恍惚状態や神経の興奮などではなく、または断食や過度の…
『大きな仕事の重荷をかかえた週日の後で迎える日曜日がことの外楽しいように、苦難の後の幸福は最も爽やかで、危険も一番少ない。 自己愛から根本的に放たれ、それが…
カール・ヒルティ、『幸福論』・「より高きを目指して」三二四頁以下:
『より高きを目指して! ブース夫人の小論にこういう話が述べられたいる。ある見知らぬ婦人がロンドンの街上で夫人にいきなり話しかけて、どうすれば「より高きを目指…
『困難な事件が起こったら、第一に、知性を開いて、正しい道を見出そうと努めねばならない。完き叡知(神)に尋ねることの可能性を信じられなければ、それを用いなけれ…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三一七頁以下:
『同様に、現代の我々はフランス革命の思想を放棄する。この思想は、国家はただ個人ばかりから成り、国家は単に個人を総括する権限を持つだけだという考え方であった。…
『全く気高い、そして同時に一般に幾らか感じやすい性質の人々に対しては、彼らの宗教的または哲学的信念の、あるいはその道徳的生活の何らかの欠点を、決して直に非難…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三〇九頁以下:
『教会とその将来の発展の道についてのキリスト考えよりも、国家に関するキリスト本来の思想の方が、なおさら分かっていない。確かに、キリストは当時の国家、つまり世…
『人間とのまじわり、いや、さらに広げて、神のあらゆる被造物との交わりにおける唯一の正しい原則は、何物をも不必要に苦しめず、全てのものに同情を寄せ、全ての人に…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」三〇二頁以下:
『神の国は、決して終えることにない前進である。以前にはただ信じかつ予感したにすぎない事が段階的に次第に眼に見えて来、また、以前には知らなかったことさえも新た…
『たくさんの金を儲けたという人の話を聞くと(今日では特に工業や商業の社会でよく起こることだが)、その金で彼は何をするのだろうか、という疑問をすぐ抱かざるを得…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二九六頁以下:
『まず第一に、人はこの霊を自分で獲得する事はできないという事である。また、この霊は生まれつきの才能ではなく、あるいは人間的な伝承によって到りうるものでもない…
『キリスト教は全ての気高い性質を持っている人間の、真理と心の全き平安とに対する渇望を癒す事ができるという、この経験上の証明にまさる、その真理の証明は他にない…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「孫たちに幸いあれ」二八八頁以下:
『我々は自分の幸福についても、ある程度まで希望を頼りにしている🌟。また、一生を賭けた意義ある仕事をはっきり眼前に浮かべている人は、時々気の利いた表現をするフ…
『いつどこでも愛をもって真理の味方をすること、これが真に我々の日常の活動的生活の課題である。 ある近代の文筆家(おそらく哲学者ニーチェ)は、倒れかけたものは…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二八〇頁以下:
『たとえば大家族が僅かな収入で生活し、また、多くの寡婦たちがきまった収入さえ無くて、しかも物乞いもせずに年々暮らしを立て、その上子供達をも立派に教育している…
『かのパリサイ人や律法学者たちがキリスト非難して言った事を、いやしくもキリストの誠実な弟子たる者は誰でもみな経験しなければならない。さもなければ、まだキリス…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二七五頁以下:
『さてしかし、また次のように言う者もいるであろう。なるほど、これまで言われてきた事は全てまことに結構だと思われる。しかし、どうすれば我々はそれが実行出来るの…
『クロムウェル🌟が彼の生涯の大事業に取りかかる準備時代に、従姉妹(いとこ)のセント・ジュン夫人に宛てて、私はもう給金を前払いで貰っていると書き送ったのは、全…
『武士道とキリスト教』、笹森建美、「武士道の本質とは何か」二二頁以下:
『「武士道」とは一言でいえば、どうなるのでしちょうか。私は相手に対する「思いやり」だと考えます。「自らが誰よりも強くなる」武術を究める各種に武道も、礼に始り…
カール・ヒルティー、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか」二六七頁以下:
『人間に対する、また一般に我々の周囲の世界全体に対する、さらには動物や植物に対する正しい関係🌟(これは勿論我々の幸福感を実際上大いに左右するものである)は、…
『何の恩寵にも預からない罪人の心の奥がどんなでありかを、実生活において精密に観察しなさい。そうすれば貴方は、もはや憎しみを感じる事なく、全ての人に深い同情を…
カール・ヒルティ、『幸福論③』・「われらは何をなすべきか二六〇頁以下:
『しかし、あなた自身の生活においては、それだけになおさら決然と、あなたの信仰に必ずしも合致しないものや、神との内的な結びつきをまだどこかで妨げているものを🌟…
『忘恩は耐えがたいものである。しかし、これは自分の力がまだしも、実際的にも積極的にも優越的立場にあることを示すものだ。だから。忘恩者には忍耐を持ってのぞみ、…
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『私は生涯に幾度か人間軽蔑者になりそうな時期があった。そうならずに済んだのは、確かに人間社会の上層の人々を知り合っていたためではなく、反対に、ささやかな人々…
『たいてい真の聖者については、残念ながら、その生涯の最後の時期のことがごく僅かしか知られていない。世に知られている彼らの内的経験の全ては、彼らの完成の段階よ…
『真の知恵がどこから与えられるのか他に知る術がない場合でも、ヨハネによる福音書五の一九・三〇🌟の言葉がそれを教えてくれるに違いない。キリストでさえこのような…
『結婚は軽く見て良いことでなくて、本当は恐ろしい事柄である。それに、個人にとっても国民にとっても祝福の源にもなれば、又は全く立ち上がれないほど重く彼等の上…
自助論 第一版序(スマイルズ自序) 『この書を著(あらわ)す原由(げんゆ)は、いかにというに、去ぬる十五年前のことなりし、北方の村落のおいて、有志の…
『マルコによる福音書十五の二九🌟。「通りかかった者たちがイエスを罵った。この言葉は私の生涯の特に苦しい時期に私の心を捉えたが、それは」「通りかかった」という…
『無気力と傲慢(これは奔り出るほどの自負心と活力感である)とは、いずれも悪の霊によるものである。貴方が自分の内にそれに気づいたならば、それがはびこらぬ内に直…
『我々は、ある人がいずれ一握りの塵に帰るであろう日をあらかじめ正確に知っていたら、彼に対して激しく起こるような事はおそらくしないであろう。』 …
『心に起こる善への促しも、悪への誘いも、たいてい刹那な閃きである。前者に対しては、属座にこれに応じて、我々を助けようと差し伸べられる手を、実行によって掴まな…
第八章 基督教国にてーーニュー・イングランドの カレッジ🌟生活 『余はニュー・イングランドを是非とも見るべきであった、余の基督教はもと…
『幸運にも中級階級に生まれた人は、人生において次の二つの事を余りにも知らない。先ず、何か方法と助けを求めて「他人の家の階段を上がらねばならい事が、どんなにつ…
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『ジェネウ”ァのカタリナは、正当にも神にこう尋ねた、「神への愛は他の全ての愛を退けますが、それでも私達は隣人を愛さなくてはならないのでしょうか、」と。これに…
『ダンテの『神曲』地獄篇第五歌一二一行以上のフランチェスカ・ダ・リミニのみじめな境遇にあって幸福だった日のことをお思い出すほど苦しいものはない」という有名な…
『実に理解しにくい事ではあるが、しかし一旦それを理解すると我々の思考全体がそれによって大きな影響を与えられるのは次のような考え方である、即ち、生き生きとした…
第七章 基督教国にてーー慈善家の間にて 『シナの一聖賢の名言にいう、『山にある者は山を見ず』と。実は距離は景色の魅力のみでなく包括性をもまた与える…
『信仰については実に沢山の本が書かれていることを、私も知っている。けれども、ヘブル人への手紙一〇の三五〜三九🌟と、それに続く素晴らしい第十一章に含まれている…
『世の中には二種類の人間がいる。その一方の人は、我々が幸福の時には大変愛想よく世話を焼いてくれるが、こちらが引き続いて不安に襲われると、すぐさまそっと姿を隠…
『聖だの、徳だの、義などについてあまり多く語るべきではない。それらの物も、聖書が言っているように、一切を見抜く眼の前には、常に「汚れた衣」(イザヤ書六四の六…
第 二 回 昨晩は後世へ我々が遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話を致しました。ところで金を…
『この第三の段階こそ、真に実を結ぶ段階であり、一つの精神王国を作り上げる共同作業である。そしてこの王国は、あるいは広大な建築物に譬えられ、または厳格な軍務に…
『第四節について。ーーこの最後の節は、主としてクリンガーの人生哲学の概要を含んでいる。ひとの人生経験は、細かくみれば各人それぞれに違って見えるが、しかも大体…
『第三節について。ーーある程度孤独を青するということは、静かな精神の発展のためにも、また、およそ真実に幸福のためにも、絶対に必要である。人生のいかなる偶然…
『第二節について。ーー我々はここでなお、「野心家」はすべて彼が欲する真の目的に到達するものではない、ということを言い添えてよいであろう。たえず一点に向かって…
『人生の真の目的にはすべて、このような不成功が多少とも付きまとうものだ。だから、若い読者諸君よ、あなたが日常の平凡な生活のうちに自分の一生を失うまいとすれば…
『つまり、クリンガーは「世を渡る」というのは、最後に勝利を収める、あるいは大体から見て勝利を収めることである。たえず成功するということは、ただ臆病者にとっ…
『クリンガーの第一節で言おうとするのは、いわゆる「成功」についてであるが、成功に関する正しい判断は以上のことから自然に生じてくる。大いに成功をおさめたと言っ…
『第一節について。ーー本当の意味の理想主義は、明らかに、我々の現実からすっかり遠ざかって、自分の夢想の世界にとどまることで現実を誤魔化したり、あるいはわざと…
⚪️ヒルティの幸福論①より、フォン・クリンガーの記述: 「1」まず第一に彼(すなわち、この行き方を試みようと思う者)は、世のいわゆる「幸福をつくる」ことを、…
※ ※ ※ この特に政治的生活を営む者にとって重要な体験録の著者は、これに何らの哲学的基礎づけをも与えていない。彼は単に自分の…
⚪️ヒルティの幸福論①より、フォン・クリンガーの記述: 「1」まず第一に彼(すなわち、この行き方を試みようと思う者)は、世のいわゆる「幸福をつくる」ことを、…
スイスの哲人、カール・ヒルティ、「幸福論①」より: 『今日、多くの人々の間に、きわめて思慮深い人々の間のさえ、根本的に疑うことのできない事実だ、と考えられて…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『今日ではもはや、誰も他人に仕えることを欲しないで、まず神から、つぎには道徳的世界秩序から逃れ、すべての国家秩序から、教会や…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「偉大なことを成し遂げるのは、それ以外になすことのできない人のみである。」これはなんという真実であろう。だから、われわれは…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『人間の生涯には、時として次のような瞬間がある。すなわち、霧のように限りなく層をなして神を取り囲んでいるように見えるすべての…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『他人から受ける不正、迫害、屈辱は、時にはわれわれの自己教育のために必要である。しかし、神と平和の関係にある人はみな、最後…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著 『虚栄心を防ぐ最上のお守りは、それを軽蔑する高慢である。しかし虚栄心よりもはるかに危険な敵である高慢に対しては、ただ神の…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『善に対する怠慢は、極めて大きな欠点である。おそらくあらゆる欠点の中で最も大きいものかもしれない。というのは、そこにはなんら…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『何かあなたにとって有益なことが、思いがけなく身に迫って来たならば、それを防ぐために、まず常識の原則にしたがって直接できるこ…
スイスの哲人、カール・ヒルティ著『「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。どんな形をも造ってはならない」(出エジプト記二〇の四)。この言葉は地上…